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聖典引用 板
1214
:
SAKURA
:2012/09/01(土) 03:22:09 ID:KIb1uXbE
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは……ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
■ どんな教えが生長の家か
――――目を開けば世界は光に満ちている ―――― 藤原先生著
それでは、そのように人類ことごとく救うことの出来る生長の家の救いとは一体どのようなもの
であるかと申しますと、何もむずかしいことではなく、本当に簡単な原理によるものであるというほ
かないのです。
人間が悩んだり、苦しんだりするということは、すべてのものの観方や考え方がまちがっているか
らだということが出来ます。世の中の不幸はことごとく物事を正しく観ないで、思い違いをしている
結果起るのでありますから、不幸から逃れようと思ったならば、今現れている不幸な状態を何とかし
ようと努力するよりも、その原因であるものの観方や考え方を正すことが、最も大切なものでありま
す。
此のことを仏教では正見、正思惟と説いてあります。すべてのものを正しく見よというのが政見で
あり、間違った考えをしてはならないということを正思惟というの
であります。
信仰とは、その正しく見る眼を開かせることであり、このことを活眼を開くと申します。真昼間で
も、目をあけている人と閉じている人とがあった場合、一方の人は明るいというでありましょう。も
う一方の人は真暗だというでしょう。このように外部条件は同じであっても意見(思い)は二つにわ
かれることになるのであります。しかも一応は、どちらも間違った意見(思い)ではないのです。し
かしよくよく考えてみると、暗いのは間違いであって明るいのが本当なのであります。暗いと明るい
とふた通りの結果が現れていても、実は明るいのが絶対正しいのであって、暗いのはその人が目を閉
じて光を見ないからなのです。明るい世界をわざわざ眼を閉じて、光を見ようとせず、暗いのが本当
だと思いこんで「暗い暗い」といっているのは、その人にとっては暗いだけのことであって、絶対で
はなく、相対的な出来事なのです。
素直に目を開いて、真相(明るさ)を正しくみることの出来る人には、もともと闇はないのが本当
ですから、明るくなるのが当たり前なのです。
<つづく>
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