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聖典引用 板

1193うのはな:2012/08/28(火) 15:03:33 ID:uISmJ.rA
私たちの中の二つの「心」 藤原敏之 先生

 私たちの心の中には絶えず二つの心がはたらいているのであります。
一方の心は本能的欲望を満足したときに喜ぶ心でありますが、反面、そのことを喜ばないで
逆にあれはいけないこれはいけないことをしたナーと後悔し苦痛を感ずる心がります。

 この二つの心があるのであります。他人と取引きをしたとき、大変自分に有利に展開して大きな
利益をおさめた時など、“ああうまくやったナ。儲けた”と喜ぶ反面、心の奥底では“あれはちょっとまずいことをしたナ”
と自責の念で苦しむ心がはたらくものであります。犯罪を犯すような悪党とみえる人間でも上手に忍びこんで家人の気のつかぬうちに
沢山の財宝を盗んで逃走してみても、“よかった”と思う反面、悪いことをしたナ。もし捕まったらどうしよう”という不安が伴うのであります。

 これなども悪いことをしたという自覚があるからであります。善いことと悪いこととを誰よりも知っている証拠であります。
動物などはその点罪悪意識ははたらきません。それは動物は人間とちがって肉体についた欲望本能だけで生きておりますから、反省や罪の意識は起こらないのであります。

仏教でも釈尊は十方の衆生に悉く仏性があると仰せられました。また、山川草木国土悉皆成仏とも申しておられます。
人間や生きものだけではない。山も川も草も木も大地までも悉くみな仏であると申しておられます。
これなぞも肉眼で見てもわかるものではありません。生長の家では唯神実相論といって神以外のものは一つとして存在しないと教えられています。
神以外、仏以外のものもあるとする考え方や観方からは、このような深遠な真理は生まれません。

 生長の家は特定の神、仏を御本尊として祀ったり拝んだりする宗教ではありません。
自分の内にある生命を礼拝し、一切の事物の実相(生命と理念)を礼拝する教えであります。実相が神であり、目に見えない生命となって現象の奥にあって
万物を動かし生かしておられるのであります。その神の生命を分ち与えられてこの世に生を受け、今も生かされているのが人間でありますから、肉体としての存在
ではなく、生命としての本もの(実相)の人間は神そのものなのであります。それだから生長の家では人間は神の子であると教えられているのであります。

 すべての人間が神の生命を授かり、神の現れであり、神の心を内に蔵しているということは間違いないのであります。このことを一般には人間は万物の霊長であり、
どんな人間にも良心があるというのであります。この心を仏性、または神性と言うのであります。


『魂のめぐり逢い』 藤原敏之 先生著 P38〜


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