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聖典引用 板

1197goro:2012/08/29(水) 11:13:07 ID:Cc8Z7oOY
心の法則「難聴」についての答えがありますので紹介しもす。

生長の家「今昔物語」

大聖師御講義『続々甘露の法雨』第6話 2012年07月16日(月)


聞きたくない心は難聴の症状をつくる

http://blog.zaq.ne.jp/sinseityounoierengou/article/951/

これは度々皆さんに申し上げる体験談ですけれども、滋賀県の大津に野沢宗一という郵便局長がありまして、
その人の御夫人が姑さんと仲が悪かった。そして姑さんの言うことを諾(き)かんもんだから終始小言を
言われておったんですが、或る日のこと、姑さんが憤慨してお嫁さんの頬ぺたをピシャリと殴ったのでした。

そしたらお嫁さんは殴られまいと思ってヒュッと体を躱(かわ)したんですね。その躱したのが却って悪かった、
掌(てのひら)の見当が狂って耳の上を殴ったのです。そのはずみで鼓膜が破れて、それ以来お嫁さんの耳が
聴こえなくなったのです。

しかも、鼓膜が破れた方の耳が聴こえなくなるのなら何も不思議はないんですけれども、鼓膜の破れない方の耳も
聴こえなくなったんです。これは変じゃないですか? もっとも極(ごく)側へ寄って、耳元で、電話口で
ものを言うように口を近づけて大声で話せば、聴えるんですけれども、もう一尺も離れてものを言うと聴こえないのでした。

この、聾(ろう)という病気は大変都合の好い病気でありまして、言いたいことは言い放題、他が弁解しようが、
反対しようが、どうしようが、自分の言う事さえ言えばよいのであって、他(ひと)の言うことは聞いてやらないでも
よいのでありますから、こんな便利な病気はない。

肉体は“心の影”でありまして、この人は“姑さんの言うこと聞きたくない”と心に終始思っておったものですから、
それで、耳の聴こえない病気になったわけであります。つまり、これは自分の生命力自身が聴こえない病気を拵えて、
姑からの小言に対して自己防衛した訳であります。

それは姑が外から殴ったのでありますけれども、すべて外の物に当って怪我するということも、実は、
その怪我しそうな処へ自分の身体を持って行ったということなんです──自分の身体は自分の自由なんですから。
姑は嫁の頬辺(ほつぺた)を殴ろうとしたので、耳を殴ろうとしたんじゃなかった。
耳を殴らせたのは彼女自身であったんです。


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