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聖典引用 板

1146「訊け」管理人:2012/08/20(月) 11:58:29 ID:???

『続 真理の吟唱』267頁より謹写――
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65628910.html

〝心の曇り〟を除り去る祈り

 この世界は無限の叡智の持ち主であらせられる神の創造り給える世界である。この世界は神の一元の叡智によって設計せられ、神の一元の叡智によって創造せられた世界であるから、その内部には完全な調和が充ち満ちており、如何なる矛盾も、如何なる反対抗争も存在しない世界である。それゆえに色彩や構図に於いても無限の変化を顕しながら、互いにそれらが他を生かし合い、完全な美と調和とを、実現している世界であるのである。
 色とりどりの花は咲き乱れて繚乱たる姿を見せているけれども、そこには無限の調和の美が発揮されているのである。色とりどりの鳥は美しき羽根をひろげ、空に翔り、地に舞い、それぞれ個性ある啼声にて歌を唄うといえども、それぞれは個性の美を発揮しながら、すべての楽器が個性のひびきを奏でながら諧話している交響曲のように完全に調和した一体をなしているのがこの世界の実相であるのである。

 もし私たちの周囲に不協和な噪音があらわれ、互いに矛盾衝突し、不協和な争いが起るならば、それはこの世界の実の相があらわれていないのである。それは神の創造し給える完全な実相を何かが覆い隠しているのである。それは恰も常に皎々(こうこう)と照っている月であるのに、地球上に生じたるところの浮雲が月の明光を覆いかくして見えないようにしているのと同じように、吾々の心の中に巻き起こった浮雲のような〝心の迷い〟の波動が、実相の完全な状(すがた)を見えなくしているに過ぎないのである。
 いくら雲が月光を覆い隠していようとも、月そのものは依然として皎々と輝いているのと同じように、私たちが心の曇りによって不完全な姿を顕わしていようとも、私たちの〝いのち〟の実相は少しも曇ることなく、病むことなく、明晃々(めいこうこう)と清浄な光を発しているのである。そして〝心の曇り〟をとり去るならば、直ちに、その実相の清浄な光を現実に顕すことが出来るのである。では〝心の曇り〟を取り除くにはどうすればよいのであろうか。

 人間は〝神の子〟だから本来〝心の曇り〟などは無いのである。〝無いもの〟がアルかの如く顕れているのは〝心の力〟でその仮存在を持ち上げて支えているからであるから、〝心〟で〝心の曇り〟を取り除こうと力んで、それをつかむならば、却ってそれは心の力で持ちあげられて消えないのである。今まで、心の力でその仮存在を支えて来た力を「抜く」ことによってのみ〝無いもの〟は〝ナイ〟と、はっきり消えることになるのである。即ち〝悪〟を思わず、悪しき相を心に描かず、ただ心を一転して、本来実在する〝完全なる実相〟に心を振り向け一心にそれを瞑想し頂礼すれば、一切の〝心の曇り〟も〝心の曇り〟の表すところの一切の悪も消えてしまうのである。この真理を知らしめ給いし神に感謝し奉る。ありがとうございます。


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