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聖典引用 板

1153「訊け」管理人:2012/08/21(火) 09:10:10 ID:???
『健全の真理』255頁より謹写――

<ピエール博士の祈りのかなえられる十要項>

 神に無条件降服するためには神を信じなければならない、神の善意を信じなければならないのである。神はすべての根源であるということを信じてそれを神に対して全托するのである。『君は如何に祈るべきかを知れりや』の著者であるピエール博士は効果ある祈りの方法として次の十ケ条をあげているのである。

(一)  一人静かに祈るべきまとまった時間を一日のうちに数十分間設けるのである。即ち一定時間に神想観することに当る。まず凡(あら)ゆる問題から心を一転して神に心を振り向けよ。肉体も心も霊も、すねて力みをなくしてしまうのである。即ち全心全霊に我の緊張や硬直がなくなってゆったりとそのままの気持になるのである。

(二) 自分の心にあることを何でも自然に無邪気に神さまに対して話しかけるのである。固苦しく宗教的な、意味が自分にもわからないような難しい文句を使わなければ神に通じないなどと考えてはならない。自分の心持を現わすそのままの言葉で神に話しかけるのはよいのである。すると神はそれを理解し給うのである。

(三) その日の仕事に出掛け乍(なが)ら、その途上で、又仕事をしながら、神に対して話しかけることを実践せよ。電車の中で或いはバスの中で或いは仕事机の前に坐って、暫くの間目をつぶって神に対して短かい言葉で話しかけるのである。この通り実践すれば神が今此処に自分に接触しておられるということを思いだして、神に近づいている実感を深めることになるのである。

(四) 「神は今自分と偕にあり、自分を護ってい給うのである」と機会あるごとに念ずることである。これは「神よ吾に祝福を與え給え」とまだ祝福せられていないものが祝福を求めるような言葉ではよくないのである。「神は今既にその祝福を與えておられるのである」というふうに、祈るものを「すでに受けたり」と信ずる言葉を念ずるがいいのである。

(五) 誰かのために祈ってあげる時には、「自分の祈りが神に達して、神の愛と守りとがすでにその人の周囲をとりまいている」というふうに念ずることがいいのである。

(六) 「病気を癒し給え」とか、「吾が貧しきを憐み給え」とか、消極的言葉を使ってはならないのである。「すでに私は神に守られて健康である」とか、「すでに自分は神の無限の供給を受けているのである」とか、積極的な言葉を念ずるのがよいのである。

(七) 神のみ心を受けるように祈ることが必要である。自分の欲するものを與え給えと云うように祈って、「神さまの智慧に於いて尚一層自分にとって善きものがあるならば、み心の如くならしめ給え」と祈ることはよき方法であるのである。

(八) 自分の好まない人、或いは自分に敵対する人、憎む人を赦してその人のために幸福を祈ってやる言葉をのべることは、自分の心の中に積もっていた不浄物を清掃して神の大いなる力を流れ入らす方法になるのである。

(九) 一日の中時々全世界のために、又自分の住んでいる国家のために、又、自分の属している団体のために、その繁栄と平和を思念することは、それが報恩の行事であると同時に、利己的祈りでないために自分の中にかくれている所の驚くべき力をよびだすためのよき方法となるのである。

(十) 最後に神の最高の善意を信じ、神のみ手にすべてを委ねることを祈り、自分の最善をつくす力を與え給えと祈って、後は神さまのみ心に全托するのである。


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