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ID再考 & 科学と疑似科学とを判別する

1Ken:2024/02/10(土) 17:54:47 ID:j5b29EhE
仕切り直します。

新しいスレッドも、基本的な課題設定から始めます。

2Ken:2024/02/10(土) 17:58:02 ID:j5b29EhE
前段は、1つ前のスレッドで投稿した、鳥の進化に関する考察です。そのあと、本題である科学と疑似科学の判別を論じます。基本的には、過去の5年間におこなった私の投稿を整理し、一部編集を加えたものです。

私の立場は、鳥のような個別の進化をインテリジェント・デザインと見なす仮説は、正しいかもしれないし誤りかもしれないが、疑似科学ではない、というものです。つまり定説を含む、世にある科学理論群と同じです。そもそも、特定の科学理論を、まともな科学でない、などと言う人の大半は、科学への浅薄な知見しかなく、深く考えもせずそんなことを言ってるだけ。そのことが分かる文章になってます。

異論のある方は書き込まれてかまいませんが、課題設定を読むことなく、思い込みだけで、投稿するのはやめてください。もっとも、読んでも理解できず、しかも自分が理解できてないことも理解できず、同じスレッドに書き込ませろと駄々をこねる、救いようのない人は、いるのでしょうけど。

では、次の投稿から、課題設定が始まります。

3Ken:2024/02/10(土) 18:03:17 ID:j5b29EhE
私が、鳥の進化にID(意図的な品種改良)の可能性を見るのは、この進化を自然選択で説明するのは力学的な無理がある、と考えるからです。それを検証すべく、旧スレッドにて駆け上がりモデルを例に、仮説の合理性を何度も尋ねました。

jbbs.shitaraba.net/study/5329/#4

しかし、返ってきた回答は「化石や現生物の証拠がある」のような一般論ばかりで、そこを追及すると「IDは人の想念」という、論点外しの逃げ口上が繰り返されました。

この結果を受け、自然選択で鳥の進化を説明するのは、やはり無理があると考えますので、あらためて、ここで説明します。まず、駆け上がり(Wing-assisted incline running)モデルについて。私の情報源は、ウィキペディアの記事です。
en.wikipedia.org/wiki/Origin_of_avian_flight#Wing-assisted_incline_running

この記事にあるように、駆け上がりモデルとは、鳥の先祖の恐竜が、捕食者に追われ、木の上に逃げる時、羽毛を持つ腕を上方向に動かし(upstrokes)、その反作用として恐竜本体は下向きの力(downforce)を受け、結果として、足が木をしっかりと捉えるので(increased grip)、効率よく木登りができる、というものです。そのような機能に優れた個体が、多くの子孫を残し、やがて飛翔できるほどの羽ばたき能力をもつ鳥に進化した、というものです。

でも、翼を羽ばたき上げて空気を上に押すのでは、鳥の飛翔と反対です。前者の進化から、後者を生じるものでしょうか?

初歩的な力学から語りましょう。仮に、翼が木の板のような剛体だと想像してください。これを、どれだけ羽ばたいても飛翔には至りません。翼を下に動かすと本体は上向きの力(揚力)を得ますが、次に上に動かせば、最初の結果を帳消しにする下向きの力を得るからです。結局、重力の影響だけが残り、物体は地に落ちます。

現生種の鳥は、翼を下に動かす時と上に動かす時で、空気の捉え方に差をつけ、この問題を解決しています。翼自体が下向きにカーブしてますし、さらに角度を調節し、翼を下に動かす時は空気を捉え、上に動かす時は空気を流すのです。これは、飛行に不可欠な要素で、この上下方向の非対称性がなければ、翼を動かす力がどれだけ強くても、飛行はできません。翼が空気に与える下向きの運動量をPd、同じく上向きの運動量をPuとすると、Pd > Puが飛行の必要条件です。飛行する鳥は、それを可能にする翼の構造をもっています。

ところが、駆け上がりモデルはどうでしょうか。空気を上に押すなら、角度調節は、今の鳥とは逆方向に行わねばなりません。Pd < Puが要求されるということです。そのような構造を獲得した個体が、効率よく木を登り、捕食者から逃れることで、繁殖します。進化が進むほど、Pdはより小さく、Puはより大きくなることでしょう。つまり飛行する鳥の構造から遠ざかることを意味します。

これで、どうして恐竜が鳥に進化するのでしょうか?

4Ken:2024/02/10(土) 18:05:13 ID:j5b29EhE
駆け上がりモデルには、もう1つの問題があります。鳥の先祖とされる恐竜は、実際にそんな行為をしたのでしょうか?

現在の鳥の幼鳥にやるものがいるから、過去の生物がやってもおかしくないといいますが、完全な鳥に進化した生物の子供と、これから進化する生物では、条件が異なります。

イワシャコの雛は、飛行する構造の翼をもって生まれてくるし、成長すれば、空を飛ぶのです。ゆえに、羽ばたきながら駆け上がることで、翼を動かす筋肉を鍛える意味があるかもしれません。

でも、鳥に進化する前の恐竜は違います。成長しても、その個体は飛行できません。ゆえに、翼を羽ばたく意味とは、木の幹を駆け上がる効率を向上させること、それだけなのです。

それなら、翼を羽ばたくよりも、前肢で木を掴むなり、幹に爪を立てるなりして、体を引き上げる方が、よほど効果的ではないでしょうか。現在の鳥とは異なり、2足恐竜なら、そのための前肢があるでしょう。四肢全部を使って木に登るのなら、四肢全部で木の幹を下に押せばよいのです。なんのために、効率が悪く、捕食者に捕まるリスクが大きいはばたきをするのでしょうか。

要するに、鳥の先祖の恐竜が、よしんば羽ばたきながら駆け上がる体構造をもってたとしても、そんな行為を行うとは考えられない、ということです。われわれ人間で考えてみましょう。人間の体構造は、四つ足で這うことも可能です。人によっては、逆立ちして歩くこともできます。でも、誰も実生活で、そんなことをやりません。移動手段として、効率が悪いからです。

5Ken:2024/02/10(土) 18:06:12 ID:j5b29EhE
しかし、駆け上がりモデルのような、走行モデルを基礎にした仮説の最大の問題は、飛行へ向かう進化が、もし起こるとして、起こってから生じるのです。旧スレッドでも述べましたが、走行生物が飛行生物に変わる進化では、

1.揚力を生む翼を大きく堅牢にする
2.体重、とりわけ飛行に不要な脚を軽量化する
3.体の重心を上げ、翼の高さに合わせる

のような構造変化が必要です。ところが、すくなくとも滑空ができるようになるには、つまり大気で体重を支えられるようになるには、このような変化が相当程度進まねばなりません。飛べるようになるまでは、その恐竜は依然として走行生物であり、地上を走って捕食し、捕食者から逃れるのです。

しかし、上記の体変化は、始まった瞬間から、走行機能を阻害します。大きな翼は空気抵抗を増やすだけだし、小さな脚はむろん走力を弱めます。また脚で走る生物が重心を高くすれば、安定を失い、失速し、最悪は転倒するでしょう。これでは、飛行能力を得て繁殖する前に、走行能力を失って淘汰されるだけです。

そもそも、駆け上がりモデルや飛びかかりモデルのような、走行生物を前提にした仮説が考え出された理由は、走行モデルに力学的な無理があるからです。(参照記事)

この記事の後半に書かれるように、恐竜が走る途中で翼を広げてジャンプすれば、直ちに空気抵抗で減速するし、バランスも保持できません。この問題の解決策として、木の幹を駆け上がったり、高所から獲物に飛びかかるモデルが考案されたのでしょうが、駆け上がりや飛びかかりをやるには有利な体変化としても、基本機能である走行を犠牲にするなら、生存のためには本末転倒です。旧スレッドでも述べましたが、高所から降りる時に有利だからといって、ずっとハンググライダーを着けたままで、生活する人がいますか、ということです。

6Ken:2024/02/10(土) 18:08:01 ID:j5b29EhE
これまで述べてきたように、鳥の進化のモデルとして提唱されてる仮説には、力学的な無理があるのです。それは、自然選択が働く環境では、淘汰される体変化であることを意味します。一方、そのような変化があっても繁殖しうる条件として、観測例があるのは、飼育者がいる場合です。人間に飼育されるブタやイヌが、イノシシやオオカミ以上に繁殖するように。

むろん、鳥が発生した時代に、そのような飼育者がいた証拠は、これまでに見つかってません。言い換えれば、これまでに構築されてきた地球生物史の体系とは、整合しないということでしょう。

しかし、そうなると、地球生物史の体系と整合するか、力学の体系と整合するか、どちらを優先するかが問われます。そしてその場合、優先されるべきは力学の知識体系です。なぜなら、力学は物理法則に依るもので、生物史よりも根源的な法則だからです。

実は、力学的な無理を伴わない、鳥の進化仮説が1つあります。樹上モデルです。鳥の先祖の生物が、ムササビのように樹上で暮らし、木から木へ飛び移る生活の中で、滑空から飛翔に至る能力を進化させることです。なお、この場合の樹上モデルとは、地上の生物が木に登ることもある、という意味ではありません。ムササビのような完全樹上生活者で、もはや地上を走ることはなく、飛行へ向かう構造変化で、走行機能を劣化させても問題ない、というケースのことです。

しかし、化石から分かる骨格では、鳥の先祖は地上を走る恐竜と考えられます。ウィキペディアの記事によると、始祖鳥の足の親指は、木にとまる鳥のように後ろを向かず、地を走るダチョウのように前を向いてます。一方で、爪の曲率が木にとまる鳥に近いとも書かれてますが、それだけでは、せいぜい「時に木に登ったかもしれない」といえるだけで、樹上モデルの必要条件である、完全樹上生活の根拠にはなりません。基本構造が、地を走る恐竜なのだから。
en.wikipedia.org/wiki/Origin_of_avian_flight#Arboreal_model

提唱される諸仮説の中で、唯一、力学的合理性がある樹上モデルに支持が集まらないのは、このように化石の証拠と合わないからです。化石の証拠は、鳥の先祖は地上を走る恐竜だったという走行モデルを支持するが、力学的な無理がある。そこで、駆け上がりモデルや飛びかかりモデルが考案されたが、依然として力学的な無理がある、というのが、私が説明してきたことです。

なら、やはり、自然選択に拘るより、化石の証拠と力学を両立させる仮説として、品種改良者を想定し、力学問題があっても繁殖できたと考えるのが私の論点です。鳥への進化は、化石が示す通り走行モデルであったが、その生物を淘汰させなかった飼育者がいた、ということです。すくなくとも、それは、疑似科学とか、科学の土俵に登らない、などと言って、切って捨てられるようなものではありません。

その、科学と疑似科学の問題を語りましょう。ここまで鳥の話をしたのは、IDが疑似科学ではないことを示すためです。スレッドの主題はここからです。

7Ken:2024/02/10(土) 18:09:21 ID:j5b29EhE
IDをめぐる議論がしばしば混乱するのは、理論の可否以前に、そもそも科学の態をなさない、という批判が寄せられることにあります。

同じ課題を扱う諸仮説に優劣がつくことはあります。1つの理論が別の理論よりも支持を集めるわけです。17世紀から続いた光の正体論争には、光粒子説が優勢だった時代と、光波動説が優勢だった時代がありますが、支持の弱い理論でも、疑似科学と呼ばれたわけではありません。理論の比較優位と、科学疑似科学は、別の問題だからです。

数年にわたって続けてきた一連のスレッドで、私は、科学と疑似科学を判別する客観的な基準が存在しうるのかを検証してきました。具体的には、議論の相手に、基準を提示させ、その基準が普遍的に適用されるのかを、調べることです。基準としては、

1.科学理論は、反証可能であるべき(基準01)
2.対立説の否定ではなく、自説を支持する証拠を示すべき(基準02)
3.論理的な矛盾があってはいけない(基準03〜)

といったものが提示されてきました。これに対して私がやってきたのは、これらの基準で、天地創造論やID論ではなく、熱力学第2法則のような、広く受容されている理論を判定することでした。そうする理由は、一部の理論は初めから疑似科学と、問答無用で決めつけられており、判定基準などあと付けではないか、と疑ったからで`す。

そして5年以上続けた議論の結果は「やはりそうだった」というものでした。上記の基準は一見合理的に見えますが、普遍的に適用すれば、定説を含む多くの理論を、疑似科学と判定してしまうのです。過去の投稿に編集を加えながら、説明しましょう。最初は、基準01です。

1.科学理論は、反証可能であるべき(基準01)

これを論じたのは2020年11月18日の投稿が最初でした。まず「反証」には本当に意味があるのか、反証された理論は本当に棄却されるのか、という問題に、元素周期表の例を挙げ、そうとはいえない、と説明しました。

8Ken:2024/02/10(土) 18:10:34 ID:j5b29EhE
そもそも、ある理論への「反証」が現れたとき、科学はどう応じるのでしょうか? 私たちはよく、「定説でも1つの反証で崩れる」などと耳にしますが、本当にそうでしょうか? 科学史の1事例で考察してみます。その事例とは元素周期表の歴史です。以下の文章の情報源はアジモフの2書、「Asimov's Guide to Science」と「Noble Gases」で、周期表の考案者メンデレーフの事績を語ります。

メンデレーフは当時知られていた元素を原子量の順に並べることから始めました。このようにです。

水素、リチウム、ベリリウム、ホウ素、炭素、窒素、酸素、フッ素、ナトリウム、マグネシウム、アルミニウム、シリコン、燐、硫黄、塩素、カリウム、カルシウム、(以下略)

見てのとおり、ヘリウム以下の貴ガスはまだ知られていません。こう並べると、元素の1原子が結合できる原子数を表す「原子価」が規則的に増減し、同じ原子価が何度も現れます。ここからメンデレーフは、現在の周期表の原型を考案したのです。1869年のことでした。

元素周期表は広範な支持を得ました。最大の利点は未知の元素を予言したことで、カリウムと同じ周期にアルミニウムとシリコンの同族元素があると予言し、そのとおりに1875年にガリウムが、1886年にはゲルマニウムが発見されました。1879年のスカンディウムの発見も周期表が予測したものでした。

大成功した周期表ですが、問題が2つありました。

1つは「順序を守らない元素」の存在です。原子量127.6のテルルは126.9のヨウ素より後に来るはずですが、原子価ではテルルはセレンの同族で、臭素の同族のヨウ素の前に来ます。同じく、コバルトの原子量58.9はニッケルの58.7より大きいのに、原子価ではコバルトが先に来ます。元々メンデレーフが元素を並べる基準は原子量しかなかったのだから、これは矛盾で、当時は誰も説明できませんでした。

でも、説明できないなら、それはメンデレーフ理論への反証ではないのでしょうか?

メンデレーフ自身も、1894年に発見が報告されたアルゴンを新元素と認めませんでした。アルゴンは史上初めて確認された原子価=0の元素で、そのことも疑惑を生んだのでしょう。実在するなら原子価=0のアルゴンは塩素とカリウムの間に入るはずだが、アルゴンの原子量40.0はカリウムの39.1より大きかったのです。メンデレーフは観測されたのは新元素ではなく「N3」だろうと主張しました。酸素原子が3つでオゾン(O3)を作るように、窒素原子3つの分子だというのです。

第2の問題は、周期表のある地点から、元素の化学特性が変わらなくなることでした。ランタンはイットリウムの同族ですが、ランタンの後もイットリウムの同族元素が続くのです。後に「レアアース」と呼ばれるこれらの元素も説明がつかないから、メンデレーフ理論への反証だったはずです。

今の私たちは、その後の歴史を知ってます。20世紀に電子殻の構造が解明され、原子価は原子量で決まるものでないこと、電子殻は必ずしも順番に埋まるわけではないことから、「順序を守らない元素」もレアアースも説明されるようになりました。ですが、その解明がなされたのは1910年代から20年代で、メンデレーフ理論の半世紀も後のことです。その半世紀の間、この理論にはいくつもの反証があったわけですが、当時の人は理論を棄却しませんでした。反証を反証とは考えなかったのです。

では当時の人は、どう考えたのか?

一見矛盾に見える事例も、いつか説明されると信じて、反証と見なすことを拒絶したのでしょう。では、もし彼らが反証と見なすことがあるなら、何が必要だったのでしょうか?

矛盾を説明する理論は現れないと確信することです。これは「反証」の重要なポイントです。反証を反証とみなすには、矛盾を説明する理論は存在しないことが条件になるのです。

9Ken:2024/02/10(土) 18:11:52 ID:j5b29EhE
さて、私が、反証不可能な理論の代表例に挙げるのが、熱力学第2法則ですが、それを説明する前に、読者の理解を助けるため、次の投稿を入れました。

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熱力学第2法則は確率論に立脚するので、まずは確率論の反証可能性から語ります。

双六で用いる普通のサイコロがあると考えてください。このサイコロを振って「1」の目が出る確率は1/6ですから、600回振れば100回前後、6000回振れば1000回前後は「1」の目が出ることが、確率の法則から予測されます。

では、もしサイコロを6000回振って、すべて「1」が出たら? その事実を反証と見なして、私たちは確率の法則を否定するでしょうか?

絶対にそうはならないはずです。その場合は、なにかの原因があるはずと、私たちは考えるでしょう。サイコロ自体がいかさまであるのか。サイコロ師がよほど特殊な振り方をしたのか。サイコロでもサイコロ師でもない、何か環境的な原因があるのか。そういうことを考えて、原因を探すはずなのです。

問題はここからです。一定の努力を傾け時間をかけて探しても、原因が見つからないときは、どうするのでしょうか? もはや特別の原因はないと結論して、確率の法則を否定しますか?

できないはずです。数学理論を実事象の観測だけで否定することなどできません。数学理論を覆せるのは数学理論しかなく、サイコロの目のような物理現象では否定されません。よって「1」ばかりが出る原因を永久に探し続けるはずなのです。これは、言い換えれば、「このような事象が観測されたら、確率の法則は反証される」という事象を、具体的に想像できないということです。よって、確率の法則は反証不能になります。

10Ken:2024/02/10(土) 18:13:22 ID:j5b29EhE
以上の予備説明のあと、熱力学第2法則が、なぜ反証不可能であるかを、語りました。

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さて、熱力学第2法則ですが、まずはこの法則を解説します。非常に初歩的で冗長なものになりますが、我慢してください。

ここに3つのボールがあるとします。区別のため「A」「B」「C」と名前を入れます。3つのボールをある高さから落下させ、下に開いた箱を3つ置きます。箱には「1」「2」「3」と番号を付けましょう。ボールがどの箱に入る確率も同じ、つまり1/3です。

実験を繰り返せば、3つが同じ箱に入ることも、別の箱に分かれることもあるでしょう。その確率はどうなるでしょうか? その計算には、3つが同じ箱に入る場合と別の箱に分かれる場合が、それぞれ何通りあるかを数えます。

同じ箱に入る場合は3通りあります。
[1]ABC [2]空 [3]空
[1]空 [2]ABC [3]空
[1]空 [2]空 [3]ABC

別の箱に分かれる場合は6通りあります。
[1]A [2]B [3]C
[1]A [2]C [3]B
[1]B [2]A [3]C
[1]B [2]C [3]A
[1]C [2]A [3]B
[1]C [2]B [3]A

ゆえに、同じ箱にまとまる確率は、別の箱に分かれる確率の半分になります。この、同じ箱にまとまるのがエントロピーが小さい状態、別の箱に分かれるのが大きい状態です。つまりエントロピーが増大するとは、確率の大きな状態になることです。

わずか3つのボールと箱でも、エントロピーが小さい状態は大きい状態の1/2の確率ですが、ボールと箱が4つなら、これが1/6になります。ボールと箱が5つなら1/24、6つなら1/120と、エントロピーが小さい状態は生じにくくなり、ボールと箱が100あると、156桁もある数値分の1という奇跡のような確率になります。しかし実際の熱力学現象での分子や原子の数は到底こんなものではありません。

例えば水の分子量は18ですから、わずか18ccの水の分子の数は6.02 × 1023。こんな数だと、上記の確率を電卓ではもう計算できません。ましてや浴槽を満たす水では? 海の水では? それどころか宇宙全体の素粒子なら? こう考えると、エントロピーが減少するとは、サイコロの目が6000回すべて1になることを、はるかに極端にしたものと納得されるでしょう。熱力学第2法則は確率論そのものなのです。

では、もしエントロピーが減るように見える現象が観測されたら? 例えばコップの水に垂らしたインクが拡散せず逆に1点に集まるとか。あるいは高温の物体と低温の物体が接触し、高温側がさらに熱く、低温側が一層冷たくなるとか。私たちはそれを見て、第2法則が反証されたと考えますか?

考えないでしょう。例えば冷蔵庫は熱を低温側から高温側へ移動させますが、一見エントロピーが減ったようでも、冷蔵庫を動かす電力を作る発電所で燃料を燃やし、石油や石炭の内部エネルギーを散逸させており、結局エントロピーは増大しています。私たちはそのような理由を探すはずです。

そして、サイコロと同じで、問題はここからです。冷蔵庫の場合のような理由を探しても見つからない時は、第2法則が反証されたと考えますか?

考えません。確率論そのものである第2法則は、確率論自体を否定しない限り、否定できません。一見、反証に見える事象でも、必ずあるはずの理由の探求が永遠に続くだけで、「こういう事象が観測されたら第2法則は否定される」という事象を想像できません。よって反証不能です。

11Ken:2024/02/10(土) 18:15:19 ID:j5b29EhE
非常に重要な点なので、繰り返し強調します。熱力学第2法則は反証不可能です。「反証」に見える事象がどれだけ見つかろうが、法則を棄却することはできません。ミチオ・カクは著書の中で、宇宙物理学者で数学者だったアーサー・エディントンの言葉を紹介しています。オンラインで公開されてるので、関心があれば、290頁の2つめの段落を見てください。
archive.org/details/parallelworldsjo0000kaku_f9n4/page/290/mode/2up?view=theater

The law that entropy always increases -- the Second Law of Thermodynamics -- holds, I think, the supreme position among the laws of Nature . . . If your theory is found to be against the Second Law of Thermodynamics, I can give you no hope; there is nothing for it but to collapse in deepest humiliation.


反証不可能な理論は、第2法則だけではありません。さらに例を挙げました。

12Ken:2024/02/10(土) 18:16:37 ID:j5b29EhE
まだ終わりではありません。次はメンデルの法則を考えましょう。19世紀のメンデルがマメ科の植物を観察して得た結論です。優性遺伝子と劣性遺伝子が交配すると、「子」の世代ではすべて優性遺伝子の表現型が現れ、「孫」の世代では3対1で優性が現れるといいます。これも確率の法則に立脚したもので、「孫」の世代が受け継ぐ遺伝子の組み合わせには、

[1]父親から優性、母親から優性
[2]父親から優性、母親から劣性
[3]父親から劣性、母親から優性
[4]父親から劣性、母親から劣性

の4通りがあり、[4]の場合のみ劣性遺伝子の表現型を示すからです。高校(中学でしたか?)の授業で教える、基本中の基本です。

では、メンデルの法則の反証とはどんなものでしょうか? 「孫」の世代が3対1ではなく2対1になる事象が、十分なサンプル数で観測されたら、反証になりますか?

ならないはずです。やはりサイコロやエントロピーと同様に、そうなる原因が探索されるでしょう。その形質に影響する遺伝子が複数あるのか。遺伝子以外の環境的要因が働いているのか。そして、結局サイコロやエントロピーと同じ問題に行き着きます。法則どおりにならない原因を発見できなかったとき、どうするかです。

結局メンデルの法則も事情は同じです。確率の法則を数学の問題として否定しないことには、メンデルの法則を否定はできず、原因の探索が無限に続くだけです。

サイコロ、エントロピー、遺伝という3つの事例にまつわる法則を考察し、事象の観測だけでは反証できないことを述べてきました。3つとも確率論に立脚しているのが理由ですが、実のところ、確率論とは関係のない法則でも、結局は同じ問題に行き着くのです。

どんな法則であれ、一見、反証と思える事象が観測されても、実はそれを説明する理由があるかもしれません。(いかさまサイコロのように)。そんな理由はないことを明らかにしなければ、反証を反証として受け入れることができません。これこそ、最初に持ち出した元素周期表で起こったことで、新しいレアアースがどれだけ見つかっても、それを説明する理由が、つまり後世の電子殻理論のようなものが、存在しないといえなければ、反証はできないことになります。その法則が確率論に立脚していようが、いまいが。

ですが、「存在しない」ことを証明するのは「悪魔の証明」です。誰にもできません。そして、ここまでくると、反証不能な理論の数は著しく増大するのです。

13Ken:2024/02/10(土) 18:18:15 ID:j5b29EhE
ID論が「疑似科学」とされる理由の1つが反証不能といわれます。以前に紹介した記事で、ドーキンスもそれを言ってます。
www.theguardian.com/science/2005/sep/01/schools.research

「それに比べて」とドーキンスは続けます。「進化は反証可能である。もし先カンブリア時代のウサギの化石が見つかったら進化は反証される」という言葉を紹介しています。

しかし、以前に言ったことの繰り返しですが、このような言い方は論理の歪曲で、ドーキンスこそ疑似科学者ではないかと、私が疑う理由なのです。IDと進化を対比させても意味がありません。進化とは生物種が時間的経過の中で変わることですが、IDはそれを否定しないからです。

IDの対立仮説は進化ではなく自然選択です。過去の進化の一部に注目し、自然選択と人為的干渉のどちらが合理的に説明するかを問うのがID論です。ドーキンスがIDを反証不能と論難するなら、彼は進化ではなく自然選択が反証可能と言わねばなりません。

でも、自然選択は反証可能ですか?

反証可能と思う人は、反証になりそうな具体事象と、それが現実になった場面を想像してみるべきです。そのとき自分は自然選択を否定するかと。

工場の煤煙のせいで黒い蛾が増えたという、おなじみの話があります。町並が黒くなり、蛾の黒い色が保護色となって、捕食されにくくなったと。では、もし、町並が黒くなる中で、白い蛾が増えたら、自然選択は反証されるでしょうか?

されないはずです。そもそも保護色だけが繁殖に有利とは限らず、孔雀の羽のように目立つことも有利になりうるから、蛾でも同じ想像をする人が現れるでしょう。また、色自体は要因ではなく、蛾の体内に何らかの化学物質が生じ、それが代謝の効率を高めたり、特定の病気への耐性を強めたので、白い色はその物質の副産物という想像がなされるかもしれません。もし、煤煙が起こす健康障害への耐性を強める物質なら、煤煙と正相関を示す形で白い蛾が増えるはずです。

そのような事情は一切ないと結論されて、初めて自然選択は反証されるのです。でもそんなことが可能ですか? 「先カンブリア時代のウサギ」に該当する、自然選択を反証する事象とはどういうものでしょうか?

結局ここでも周期表や第2法則やメンデルの法則と同じことが起こります。一見、反証に見える事象があっても、別の理由があってそうなるだけかもしれず、そのような理由は「ない」ことを証明しなければ、つまり悪魔の証明をやらなければ、反証とは見なされません。

14Ken:2024/02/10(土) 18:19:27 ID:j5b29EhE
私は以前に、クォークやモノポールのような素粒子の存在を反証できるかと尋ねたことがあります。ただ、第2法則や自然選択と比べれば、素粒子の反証はまだ望みがあるかもしれません。なぜなら対象となる素粒子に具体的な特徴があるからです。

例えば、ゲルマンが提唱したクォークなら端数の電荷という特徴があり、クォークの実観測を試みた人は端数電荷を探したといいます。存在証明はそれでよいとして、反証はどうやるのか。私には思いつきませんが、もしかしたら背理的に証明できるかもしれません。つまり陽子や中性子の内部に端数電荷が実在するなら起こりえない現象を見つけるのです。それがどんな現象なのか想像もつきませんが、一般論としては、具体的な特徴があるほど背反現象を見つける望みが出ます。

でも、反証が反証でないことを示す理由、たとえば、

*本当はエントロピーが増えてるのに減ってるように見える
*本当は自然選択で白い蛾が増えてるのに、自然選択に逆らってるように見える

このような、具体的な特徴が何もないものに、どうやって背反現象を想定できるでしょうか?

それとも、「反証」とはそこまで厳密なものではなく、「矛盾があるかもしれない」程度でも、反証と考えるのですか? 例えば、熱が低温から高温に移動することが観測され、かつ冷蔵庫のような明らかな理由が見つからない場合は、それが見つかるまでは反証と考えるのですか?

でも、そこまで反証の定義をゆるめるなら、今度はあらゆる理論が反証可能になり、反証の意味がなくなりませんか? 早い話が、天地創造論も反証可能です。『創世記』を読むと、神は昼と夜を分ける光を2度創造したことになります。初日に昼夜を分け、その後、天と地を作り、植物を作った後、4日目にもう1度昼夜を分ける光を作り、それから動物を作ったとあります。いかに全能の神でも、既に分かれている昼と夜を、どうやって分けられますか。そこを突けば反証になります。

15Ken:2024/02/10(土) 18:20:50 ID:j5b29EhE
以上の連続投稿の2年後、2022年10月23日に、総括の一環として、補足説明を入れました。

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もう少し深掘りと整理をしましょう。反証不可能な理論には2種類があります。1つは、観測自体が不可能なものです。

まだ第1掲示板にいた頃、私はブラックホール内部で起こる(とされる)事象は絶対に観測不可能だから、反証も不可能ではないかと述べました。ブラックホールの中心には特異点があるとか、ブラックホールの種類によっては他の宇宙への出口があるなどと主張されているようですが、観測ができないのだから、検証も反証もやりようがありません。

宇宙の熱的死も同様です。いかなる観測者であれ、熱的死が達成された状態を観測するのは絶対に不可能です。なぜなら熱的死では、あらゆる事象が止まるのだから、生物であれ機械であれ、観測者自身も活動はできません。要するに「観測」も1つの事象なのだから、一切の事象が起こらない熱的死では観測は不可能だし、観測ができる間は熱的死になってません。ゆえに、宇宙に熱的死が訪れるという理論を、検証も反証もできません。

そして、反証不可能なもう1つの種類が、以前に説明したものです。一見反証に見える事象も、実は反証ではない条件があるかもしれず、それを反証と証明するには、そんな条件は存在しないという悪魔の証明をやらねばなりません。

具体例を想像すれば納得できることです。たとえば熱力学第2法則を反証する観測事象とはどういうものですか? 高温の物体と低温の物体が接触して、温度差がさらに拡大したら、反証とみなすのですか? その事象を目にしたとき、本当に第2法則を自分の中で否定されますか? 自然選択はどうでしょうか? 街並みが黒くなる中で、白い蛾が増えるのを観測したら、自分の中で自然選択を否定しますか? このような例をいくつも挙げてきました。

16Ken:2024/02/10(土) 18:21:54 ID:j5b29EhE
もしかして、この第2種の反証不可能については、厳密な証明でなくてもよいと言われるのかもしれません。「塗り分けに5色が必要な地図」を否定するような数学の問題とは異なり、対象の仮説に疑問を呈する程度のことができれば、反証とみなしてもよいのでしょうか? 例えば、低温の物体から高温の物体に熱が移動し、かつ冷蔵庫やエアコンのような原因が見つからなければ、それが見つかるまでは第2法則の反証とみなすのですか?

でも、そんなゆるい反証でよいのなら、一転してあらゆる理論が反証可能になり、結局、科学と疑似科学を判別する基準ではなくなるでしょう。一体、どんな理論が反証不可能なのでしょうか? 天地創造論ですか? それともID論でしょうか?

天地創造論とは、神が天と地と、動植物と、人間を創造したというものですね。旧約聖書の中で、その根拠とされるのは、何人もの預言者(ノア、アブラハム、モーセ、ヨブ等)に神が語ったとされる「お告げ」です。では、そのような天地創造論は、どうすれば反証できるでしょうか?

簡単です。神のお告げがあればよいのです。

神を自称する存在からコンタクトがあり、「天地を作ったのは私ではない」というお告げがあれば、天地創造論は否定されます。世界5分前仮説はこれの同類ですね。「世界ができたのは5分前ではなく150億年前だった」というメッセージがくればよいのです。

ID論はどうでしょうか? 一般的なID論の根拠とされるのは、必要最小限の複雑さ(irreducible complexity)というものです。比喩的な例に挙げられるのが時計で、時計の歯車、ぜんまい、針など複雑な機構がそろわねば存在の意味がありません。そして、生物の体機構にも、部分的に完成しても、それだけでは選択圧に反応しないものがあるといいます。1例に挙げられるのが鞭毛で、機械でいえば軸や歯車やクランクやモータに相当する部品から構成されるが、個々の部品が突然変異で生じても何の役にも立たないのだから、全部がそろった形の鞭毛が作られたというものです。では、その反証はどういうものでしょうか?

これも簡単です。化石なり、その他の物証を調べて、各部品の登場に時間差があることを示せばよいのです。

結局、反証に厳密な証明を求めるなら、定説を含めて多くの理論が反証不能になるし、厳密な証明でなくてもよいのなら、反証不能な理論はなくなってしまいます。世界5分前説やID論は反証不能だから疑似科学という人は、ダブル・スタンダードを用いているのです。

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そう。まさしくダブルスタンダード。共通の基準で科学と疑似科学を判別するのではなく、特定の理論を最初から疑似科学と決めつけ、基準など、後から考えたものだから、熱力学第2法則や自然選択は、検証対象にもなっていないのです。

17Ken:2024/02/10(土) 18:24:41 ID:j5b29EhE
次は基準02です。最初に提示されたのは、基準01と同じく旧スレッドの56でした。
jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/56

>基準02. 理論Aと対立する理論Bを否定しても理論Aの検証にはあまりならない。
>   *)検証になる特殊な場合はある。

基準02は議論にも入っておらず、具体的にどういう理論が違反例なのかも、まだ示されていません。それに上記の言い方も「検証にはあまりならない」とか「検証になる特殊な場合はある」と、えらく曖昧な表現で、どこまでが対象なのかが分かりません。ですから、ここでは「Aと対立するBの否定がAの検証とされる」事例が、特殊でもなんでもなく、世にありふれていることを説明します。まず、地動説の話から始めましょう。

私は、地動説が支持を集めてきた歴史的経緯には、3つのステップがあったと考えます。

むろん最初はコペルニクスです。地動説が出版されたのは1543年ですが、コペルニクスは16世紀の初めから地動説を主張していたといわれます。コペルニクスの根拠は、観測される惑星の動きでした。火星や木星は「行きつ戻りつ」のような複雑な動きを見せますが、当時の天動説は、それぞれの惑星が周回運動をしており、その周回の中心自体が地球を周回するという想定をしていました。図で表すとこうなります。

これに対してコペルニクスは、地球を中心に据えるからそんな複雑な系になるので、太陽が中心で各惑星は太陽を単純に周回すると考えれば、そんな複雑な動きを考えなくてもよいと主張しました。コペルニクスが考えたのは、こういうモデルです。

第2のステップを進めたのはケプラーでした。1609年から発表された「惑星運動の法則」で、惑星はコペルニクスが想定した円軌道ではなく、太陽を1焦点とする楕円軌道を描き、かつ太陽からの距離と惑星の速度には厳密な関係がある、というものでした。ケプラーの法則が登場したことで、天体位置の予測精度で、地動説は天動説に明確な差をつけるようになったのです。コペルニクスのモデルでは天動説に差をつけることはできませんでした。ここで地動説への支持が一気に拡大します。ちなみに、私は、この時代に地動説を支持した罪でガリレオを裁いた教会の人々も、内心では地動説が正しいと知ってたと考えます。

第3のステップは1851年に行われたフーコーの実験です。高い天井から吊り下げた振り子が時間の経過とともに振れる方向が変わってゆくのは、地球が自転していることの証明です。振れる方向が変わる速度は、実験が行われたパリの緯度から予測されるとおりでした。

以上のステップを経て地動説は支持されてきましたが、では、この中で基準02に違反しない「正しい科学」の手法に沿っているのはどれでしょうか? 天動説の否定ではなく、その仮説自体の証拠があるのはどれでしょうか? 最も決定的なのはフーコーの実験でしょう。これは天文観測にも依存しない力学解析の結果ですから。

常識的な考えをする人なら、ケプラーの段階で地動説を確信するはずです。この理論で行われた精密な予測が的中するのですから、証明として十分です。

問題は、ケプラーより1世紀前に現れたコペルニクスの主張です。この時点で地動説を支持する理由は、天動説では複雑な惑星運動を想定せねばならないという、天動説の難点だけでした。これは基準02に違反するのではありませんか? 近代科学の始まりといわれるコペルニクスの地動説は、じつは疑似科学だったのでしょうか?

18Ken:2024/02/10(土) 18:27:35 ID:j5b29EhE
今回のスレッドでは、17世紀に始まる光の正体論争を論じました。最初に結論をいうと、「光粒子説」も「光波動説」も17、18世紀には基準02違反だったと、私は考えます。波動説が違反でなくなったのは19世紀で、粒子説は20世紀に違反でない形で復活しました。その歴史を語りましょう。

まず、基準02違反ではない、粒子説や波動説の証拠とは何でしょうか? 私は旧スレッドの687で「粒子は離散的なもの、波動は周期的なもの」と定義しました。
jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/687

光を観測して、そこに離散性を観測できれば粒子の証拠になるし、周期性を観測できれば波動の証拠になります。

まず、光の周期性が一般に認められたのは1801年のヤングの実験でした。1つの光源の光が2つのスリットを通ると、スクリーンに縞模様を作ります。これはまごうことなき周期性の現れですから、誰もが光は波動と信じるようになりました。

光の離散性が認められるのは20世紀になってからです。旧スレッドの688で述べたように、日光で日焼けしたり、光が目に見える事象は、光を離散的な「かたまり」と考え、「かたまり」の単位でもつエネルギーが、特定の範囲になければなりません。
jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/688

では、それらの観測が無かった、18世紀までの光粒子説と光波動説には、どんな証拠があったのでしょうか? 粒子説の根拠は、まず光が常に直進し、音のように障害物の背後に回り込まないことでした。衝立の反対側の人物と会話はできても姿は見えません。ゆえに光は波ではないというものです。これで分かるように、粒子説のこの根拠は離散性とは関係なく、波動説の否定にすぎません。もう1つの根拠だった光が宇宙空間を伝わる事象も、真空の宇宙には媒質がないのだから波動ではありえないという、対立説の否定でした。多くの人がこれに納得したので、この時代は粒子説が広く支持されたのです。

では18世紀までの、光波動説の根拠はなんだったのでしょうか? 一番の根拠は光同士がすり抜けることでした。例えば2人の人物が向き合って互いの顔を見るとします。特に相手の目を見るということは、相手の目からの光が自分の目に届いたということです。同時に自分の目も相手に見えているのだから、両者の目からの光は同じ軌道を反対方向に進むことになり、光が粒子なら衝突散乱するはずというのが波動説の根拠でした。これも、粒子説という対立仮説を否定しただけです。

一方で17世紀のグリマルディは光では起こらないと考えられた回折が、実は起こることを発見したといいます。またニュートンはプリズムによる分光を発見しました。今の私たちはこの2つは本来の定義による波動の証拠と知ってますが、当時の大半の人には理解されませんでした。ニュートンは自分が分光を発見し、グリマルディの発見も知ってましたが、彼は一貫して粒子説を支持しました。

結局、18世紀までの光の正体論争では、

粒子説の根拠は、波動説で説明できない現象
波動説の根拠は、粒子説で説明できない現象

であり、波動説の否定の方が強かったので、粒子説が支持されるという、基準02違反をやってたことになります。

19Ken:2024/02/10(土) 18:30:28 ID:j5b29EhE
第3の違反例は、鳥の進化に関する仮説です。冒頭で述べた、鳥の進化をIDで説明する試みは、これが基礎になっています。

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基準02の違反事例として、コペルニクスの地動説と18世紀までの光の正体論争を挙げましたが、今度は継続中の論争を例にとります。私はIDで進化した可能性が最も高いのは鳥の飛行能力の獲得と考えてますが、今それは措いて、自然選択がこれをどう説明してるかを語りましょう。情報源はウィキペディアの記事です。
en.wikipedia.org/wiki/Origin_of_avian_flight

ここで語られる飛行能力にいたる仮説は4つです。まず「走行モデル(Cursorial model)」では鳥の先祖は地上を走る小型恐竜で、ときどき跳躍し、跳躍時に羽毛を持つ腕をはばたいて推進力を加えていたのが、進化を重ねて飛行能力にいたったというものです。たしかに始祖鳥の骨格に地上を走る2足恐竜との共通点が多いことは指摘されてますから、そのような恐竜が鳥に進化したと考えるのは合理的です。この仮説には体の特徴という根拠があるから、基準02違反ではありません。

問題はこのモデルでは力学的な無理があることで、「Cursorial model」の項目の後半でそれが語られています。足で走る動物は足で地を蹴る回数を増やし空気抵抗を減らすことで加速するので、翼を広げて跳躍すれば瞬時に減速するしバランスも保持できません。本物の飛行能力を獲得すればよいとして、それまでは跳躍も羽ばたきも障害にしかなりません。もし何かの理由で跳躍しても、翼はできるだけたたんで空気抵抗を減らすのが合理的です。加えて、走るときの前肢は交互に動くが、飛ぶときの翼は左右同じ動きをするから、後者は前者の進化の結果とは思えません。

この走行モデルの対立仮説として提唱されるのが「樹上モデル(Arboreal model)」で、ムササビのように木から木へ飛び移ったり地上に落下するときに、羽根があれば距離を延ばしたり運動を制御できるので、それを利点として進化を重ね飛行能力にいたったというものです。これなら走行モデルのような力学的な無理はありません。

では、樹上モデルの証拠はなんでしょうか? 鳥の先祖が樹上生物なら、樹上生物としての特徴をもつのでしょうが、始祖鳥と構造的な共通点があるのは地上を走る2足恐竜なのです。また樹上モデルの根拠になりうる観測事象として樹上にあったことを示す巣が考えられます。恐竜の中には巣が発見されているものがありますから、明らかに樹上にあった巣がみつかり、その生物が鳥につながる構造をもっていれば樹上モデルの証拠になりますが、そんな巣は発見されてません。

結局、走行モデルの証拠に匹敵するような、樹上モデルの証拠は見つかっていないのです。鳥と同構造の翼を持つのは始祖鳥で、始祖鳥と同構造の骨格を持つのが地上を走る恐竜だから、恐竜→始祖鳥→鳥という進化のラインが想定されるのに、あえて樹上モデルを唱える理由は上記の力学にあります。

でも物証がある走行モデルに難点があるから、物証のない樹上モデルを唱えるなら、あきらかに基準02違反でしょう。

20Ken:2024/02/10(土) 18:31:36 ID:j5b29EhE
第3の仮説は「駆け上りモデル(wing-assisted incline running)」というものです。地上を走る恐竜が捕食者に追われると木の幹を駆け上がり、その際に今の鳥とは反対に翼を羽ばたき上げて下向きの力を得たというのです。その力で足が木の幹をしっかりと捉え効率よく駆け上がることができたといいます。やがて翼と翼を動かす機構が進化して飛行能力につながったという話です。

このモデルを考えた人は頭がよいというべきでしょう。骨格から判断すれば鳥の先祖は地上を走る恐竜であるはずだが、地上生物が木に登ることはありえます。走行モデルの力学的問題も、樹上モデルの体構造の問題も解決できるのですから。

ですが、この仮説の証拠がないのも事実なのです。たとえば恐竜の足跡が残る木の化石とかあればよいのですが、見つかってません。少なくとも記事に記載はありません。

4つ目の仮説は「飛びかかりモデル(Pouncing Proavis model)」です。高い所から獲物に飛びかかった羽毛恐竜が、羽根を利用して飛びかかる動作を制御するうちに、より能動的な羽根の用い方をするようになり、ついには飛行能力をもったというものです。駆け上がりモデルと同じく、始祖鳥の骨格と一致するし力学的合理性もある理論でしょう。記事ではこれが最初に紹介されています。

ですが第2、第3の仮説と同様で、その証拠は見つかってません。これまた他の仮説の問題点を回避できるのが、この仮説を支持する理由です。

結局、飛行能力の獲得に至る4仮説を整理すると、

走行モデル:根拠は化石から分かる体構造
樹上モデル:根拠は走行モデルの力学的問題がなくなること
駆け上がりモデル:根拠は走行モデルの力学的問題も樹上モデルの体構造の問題もなくなること
飛びかかりモデル:駆け上がりモデルと同じ

となります。要するに物証があるのは走行モデルだが、力学的に無理があるので、想像を働かせて他のモデルを考えたのでしょう。ですが、基準02に照らせば走行モデルだけが違反せず、残る3つは違反してますから、樹上モデルや駆け上がりモデルを主張する人は疑似科学者ということになります。

21Ken:2024/02/10(土) 18:33:03 ID:j5b29EhE
結論として、対立説の否定だけではダメという基準02も、基準01と同様のダブルスタンダードになっているのです。

次は、科学理論には、矛盾が許されないという、基準です。

3.論理的な矛盾があってはいけない(基準03〜)

この基準に関して、長く議論したのが、エントロピーの起源問題です。宇宙全体のエントロピーは増大するばかりで減ることはありえない、という熱力学第2法則が正しいなら、過去のある時点で、エントロピーは極小状態になってしまう。すると「その前」は、どういう状態だったのか説明がつかず、解決不能の矛盾を生じるではないか、というものです。

diamonds8888xさんは、この矛盾の解消のために、第2法則が成立しない時間もしくは空間があると主張され、しかも、そんな時間空間がなぜ存在できるかの説明は不要と、言われました。説明不要とは、論理を断ち切ることで、矛盾が矛盾でないと強弁するものであり、それ自体が論理矛盾にほかなりません。私は、その点を追及し、答えに窮したdiamonds8888xさんは、姿を消しました。

論理矛盾については、いますこし語ることがあります。科学史において、確立された知識体系と著しく矛盾する理論が、疑似科学などと称されることもなく、仮説として認められてきた歴史を紹介しましょう。これまた、科学と疑似科学の判別が、どれだけ恣意的で、いい加減なものかを示します。

22Ken:2024/02/10(土) 18:36:05 ID:j5b29EhE
16世紀にコペルニクスが地動説を提唱し、天動説を支持するローマ教会との1世紀にわたる対立が、ガリレオ裁判に繋がったことは、よく知られた史実ですが、実は教会の教義とは関係なく、地動説には、重大な矛盾があったことを、旧スレッドで説明しました。地球が動くなら、地上で恒常的な風が吹くはずなのに、吹かないではないか、というものです。この投稿の後半に、それを語る部分があります。
jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1615027461/363
この矛盾のために、地動説への支持は減ったでしょうが、だからといって、科学の土俵に乗らない疑似科学と言われたわけではありませんし、ティコ・ブラーエのように、地動説を前提に惑星の動きを調べる人はいました。

もう1つの、よく知られた例を挙げましょう。光の正体論争の中で出てきた「エーテル」の問題です。光が波であるなら、媒質のない、真空の宇宙空間を光が伝わるのは、矛盾ではないか、という問題があり、光波動説を支持する人は、実は未観測のエーテルなる物質が、あらゆる空間を満たしている。と主張したのです。空間を移動する物体は、天体も、砲弾も、人間も、エーテルの中を移動している、というわけです。ところが、複屈折の発見が、重大な問題を起こしました。写真を見てください。

この写真のように、方解石を通した映像が二重に見えるのは、結晶の中で、光が2つに分かれるからです。なぜ、そんなことが起こるのか? 2つに分かれる光は、何が違うのかが考察され、考えうるのは偏光方向しかない、という結論になりました。たとえば、結晶のある部分は、上下に振動する波を通すが、別の部分は、左右に振動する波を通すので、混ざっていた2種類の光が分けられる、というものです。

ということは、光は、音のような縦波ではなく、横波ということになります。縦波と横波の違いを説明するビデオです。
www.youtube.com/watch?v=2Rsd5paHnlU

これは大問題でした。縦波は、空気や水のような流体でも、金属のような固体でも、伝わるが、横波は固体の中しか伝わらないからです。良い例が地震波で、P波(縦波)は地球の中心の流体中でも伝わるが、S波(横波)は表面に近い固体部分しか伝わりません。エーテルの存在を想定した光波動説論者は、エーテルは空気のような流体で、物体はその中を通過すると考えていたのに、エーテルが固体なら、地球も砲弾も人間も、その固体の中を動くのでしょうか? どうやって? 固体の結晶構造を破壊しながら???

もう1つの問題は、観測される光の速さでした。硬い媒質ほど波は早く伝わるからです。大気中の音速は330m/s、水中では1500m/s、鉄塊の中では実に6000m/s。力学的に、なぜそうなるかも、18世紀の波動理論で、解明されていました。たとえば、ばねの一端を押すと、圧縮が反対側まで伝わりますが、硬いばねほど速く伝わることは、感覚的にも納得できるでしょう。

ところが、真空中の光速の観測値は、大気中の音速の100万倍、鉄塊と比べても5万倍も速いのです。するとエーテルとは、鉄よりもダイアモンドよりも、はるかに硬い固体で、天体も我々も、その中を動いているのでしょうか? しかも、何も感じることなく??

ここで、もし科学理論に矛盾が許されないなら、18世紀の人は、

1.光波動説を棄却する
2.波動理論を棄却する

このどちらかしか選択肢はなかったはずです。しかし、現実にはどちらも起こりませんでした。18世紀は光粒子説が優勢で、もともと支持が少なかった波動説は、上記の問題でさらに支持が減ったでしょうが、依然として波動説を唱える人はいたし、疑似科学者と呼ばれもしませんでした。そして1801年に行われた2重スリット実験で大転回が起こり、19世紀は光波動説が支配したのです。ちなみに、波動説が主流になった1801年時点でも、まだエーテルの矛盾は解消されてません。その解消は、1820年代以降の、電磁場の発見を待たねばなりませんでした。

23Ken:2024/02/10(土) 18:38:29 ID:j5b29EhE
1つ前の投稿で、複屈折の写真掲載を忘れました。

en.wikipedia.org/wiki/Birefringence#/media/File:Crystal_on_graph_paper.jpg

24Ken:2024/02/10(土) 18:39:40 ID:j5b29EhE
これは前にも言ったことですが、実行者を特定できないID論は科学でないと主張する人は、エーテルが想定された歴史を学ぶべきです。直接的な証拠もないのに光は波と考えた人が、正体不明の「エーテル」なるものがあることに決めたのだから、ID実行者は宇宙から来た「エーテル星人」に決めるのと変わりません。科学とは、そのような発想を許容するものだ、ということがよく分かる事例です。

このような科学史の過去と現在をみれば、ある理論は疑似科学とか、科学の土俵に乗らないとか、そんなことを言えるものではないことが、分かるでしょう。人間の発想は多様であり、多様さを強みにして、科学は発展してきました。現実の問題に取り組む人は、それを承知してますから、基準などを設け、違反を疑似科学と呼んだりはしません。それをやるのは、実務に携わることがない、茶の間の評論家です。ファインマンの表現を使えば「カクテルパーティーの哲学者」でしょう。

問題に取り組む当事者なら、「基準」など意識することなく、自由に想像力を駆使し、考えつくアイディアはなんでも利用して、解決法を探ります。科学や技術の世界で問題解決に取り組んだ人なら、その経験があるはずです。

再度、主張します。特定の理論を「疑似科学」とか「科学の土俵に乗らない」とか「人の想念」などという人を、信じてはいけません。そういう人の多くは、科学の実務も歴史も知らず、そもそも科学的素養がなく、抽象的観念の中だけで、科学のありようを空想してるにすぎません。だから、具体的な説明を要求されても、応じることができず、抽象論に抽象論を重ねて、まともな議論を逃れようとするのです。

もし、そのような人の中に、本当の科学を知る「本物」がいるなら、それを見分けるのは、具体論を語れるかどうかです。それしかありません。

最後に、疑似科学なるものを、具体的に定義できる、唯一のケースを述べます。理論の提唱者自身が、その理論を信じておらず、意図的な嘘をつく場合です。自分の理論が正しくないと、当人が思っていながら、なお、その理論が正しいと主張することです。それは歴史に実例があり、2022年12月18に紹介しました。

25Ken:2024/02/10(土) 18:40:58 ID:j5b29EhE
今回提示された基準では科学と疑似科学を判別できないとなると、本当の意味で疑似科学とみなすべき理論はあるのでしょうか? 私は、理論自体の内容でそれを決めるのは不可能と考えます。

もし疑似科学とみなすべき科学理論があるとしたら、それはペテンのたぐいでしょう。提唱者自身がその仮説を信じておらず、意図的な嘘をつくものです。むろん、提唱者が自分で信じてるかは窮極的には本人にしか分かりませんから判別は困難ですが、それでもほぼペテンとみなせる事例はあります。

1912年に発見が報告されたピルトダウン人はその典型ですね。また、歴史上何度も、永久機関を発明したと発表し、機械の実演までやる人が現れました。実物の機械を動かしたのなら、そこには何かのトリックがあるとしか考えられません。私たちが知ってる物理法則が根本から覆らない限りは。

それよりも興味深い例を紹介しましょう。

ガリレオが地動説支持を公言したのは1610年ごろですが、1616年には教会が地動説を異端と認めて主張を禁じました。もっとも1600年にはブルーノが火刑に処せられてますので、ガリレオ以前から地動説は異端だったはずです。いわゆるガリレオ裁判でガリレオが自説の撤回に追い込まれたのは1633年でした。ところが、同じ時代にユーラシア大陸の反対側では、もう1つの事件が起こっていたのです。

当時のローマ教会は世界中に宣教師を派遣して布教に努めてました。日本にもフランシス・ザビエルたちが来て、多くの信者を獲得したことは知られてますが、宣教師は中国にも送られてました。布教自体は成功しませんでしたが、西欧の科学知識とりわけ中国で重視された天文学の知識をもたらしたことで、朝廷の高官に支持者が現れました。そのことから、中国の天文学者との対立が生じ、ついに両者で技術を競うことになりました。

時は1629年。ブルーノの処刑から29年後、地動説の異端公認から13年後、そしてガリレオ裁判の4年前になります。この年の5月に日食があることが予測されており、中国の天文学者と西洋の宣教師のどちらが正確な予測をするかを比べることになったのです。結果は宣教師たちの完勝でした。日食の時刻を正確に予測したのみか「北京では二分食、華南では皆既食、長城の北では日食なし」という精密な予測を的中させ、中国の天文学者に決定的な差をつけてみせました。

私はこの話を、中公文庫世界の歴史第9巻『最後の東洋的社会』で読みました。私の蔵書では323頁にあります。残念ながら、宣教師たちがどういう計算をしたのかは、この本には書かれてませんが、今の私たちの知識体系で判断すれば、天動説でそんな予測をできるはずがありません。宣教師たちは地動説それも1609年に発表されたケプラーの法則を利用したと考えるのが妥当でしょう。ブルーノの処刑や地動説の異端認定を中国にいた宣教師も知ってたはずなのに。

ローマ教会は本国のイタリアでは権力者であり、反対意見を暴力で封じることができましたが、それが通用しない国へ行けば、自分たちが本心から信じることを頼るしかありません。ことに中国で政治闘争に敗れると、ブルーノの火焙りなど比較にならない凄惨な処刑を受けたことでしょう。窮地に立たされた宣教師たちは、地動説に運命を託したことになります。これは言い換えれば、本国では自分たちが信じてもいない天動説を唱え、万人に強制したということです。これこそペテン、疑似科学の端的な例ではありませんか。

26Ken:2024/02/10(土) 18:42:21 ID:j5b29EhE
もっと微妙な例を挙げます。私はBBCのミニシリーズ「The Ascent of Man」の第12話で知りました。動画が公開されてるのでリンクを貼ります。メンデルの事績が語られますが、特に動画の15分からの2分間に注目してください。
archive.org/details/theascentofman12generationupongeneration

メンデルはマメ科の植物を研究して遺伝の法則を見つけました。彼は、各個体の背丈や豆の色や形など、合計7種の特性に注目して結果を得たのですが、重要な結論に、それぞれの遺伝は独立してることがあります。たとえば背丈が高いか低いかと、豆の色が緑色か黄色かは、別個の遺伝子が支配するという結論です。

ところがメンデルの時代には知られてませんでしたが、対象のマメには7対の染色体があり、彼が観察した7種の特徴を支配する遺伝子は、すべて異なる染色体にあることが、後世あきらかになったのです。もし同じ染色体に7つのどれか2つでもあれば、メンデルが認識した遺伝子の独立性は崩れていたはずです。あるいは、もし8番目の特徴に注目したら、7つのどれかと関連が見られたはずです。ちなみに、各染色体が同数の遺伝子を含むと仮定すると、7つの遺伝子が7つの染色体に分かれる確率は、

7! / 77 = 5040 / 823543 ≈ 0.006

染色体の大きさが不均一なら確率はさらに低くなります。動画では「こんな幸運を神が授けるはずがない」と言ってますが、要するにメンデルは、遺伝子が独立して働く観測結果だけを報告するという、作為的なデータ操作をした可能性が大なのです。メンデルの功績は偉大ですが、彼には疑似科学者の側面もあったことになります。

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以上が、スレッドの主題を設定するための、私からの投稿です。

27GB:2024/02/10(土) 22:45:13 ID:CwmY3r1w
>自然選択は反証可能ですか?

はい、反証可能です。それ以外の仕組み、たとえば「デザイナーの意思による生物の変化」を実証できればOKです。

実際のところ、自然選択説は部分的に反証されてきました。
木村資生の中立説が激震を起こし、1990年代から急速に発展する発生学・形づくりの仕組みの解明により、「自然選択万能論」と呼ばれる科学理論は息の根を止められました。
生物進化の動因は自然選択「だけ」ではないというのは現代の常識ですが、「より多くの子孫を残す仕組み」についての自然選択に変更はありません。
より精密に理解できるようになったという意味で、科学理論の発展の一例です.

>問題に取り組む当事者なら、「基準」など意識することなく、自由に想像力を駆使し、考えつくアイディアはなんでも利用して、解決法を探ります。

その通りだと思います。科学のやり方というのはそういうものですからね。
だからこそ、あなたの「デザイナーがいなければ生物進化はありえない」という主張を、客観的に、科学の方法に則って示しましょうね。

わかりますか? デザイナーがどのように自然をコントロールしているのか、その様相を具体的に示せない限り、科学の土俵に登れない、ということが。

28とりあえず:2024/02/11(日) 12:13:14 ID:EVYce3ow
一応、別スレのレスをコピペします。
鳥類の飛翔起源に対しての意見です。

8 : とりあえず 2024/01/28(日) 20:51:42
もう一方のスレでも書いたことですが、
>羽毛を持つ腕を上方向に動かし(upstrokes)、その反作用として恐竜本体は下向きの力(downforce)を受け、結果として、足が木をしっかりと捉えるので(increased grip)、効率よく木登りができる
と言うのは間違いです。
ダイヤルさんの論文の図でも説明されていますが、羽ばたきによって生じる前方向への推進力で斜面に対して押さえつける力とします。
羽ばたきで下方向へ空気を押さえると言うのも無い訳ではありませんが基本的に羽ばたきは推進力を生むものです。
団扇で扇ぐときどっち方向に主に風が生じるか考えれば分ると思います。もしくは飛行機のジェットエンジンが翼に垂直に付いていないことでも分ると思う。
つまり飛行も駆け上がりも翼の使い方、力の方向に特に差は無いのです。
羽ばたきながらの駆け上がりの延長上に羽ばたき飛行があることに力学的な矛盾はありませんよ。
イワシャコが雛鳥のときと成鳥で全く別の羽ばたきをするってのもおかしな話だと思いますし。

とは言え、何度も言っているように私自身は「駆け上がりモデル」は特に支持していません。
力学的問題はないですがその他の部分ではKenさんにほぼ同意してるので、「駆け上がりモデル」は面白い発想とは思いますが納得は出来ていませんね。



私は樹上滑空説支持ですね。


んで
>力学的合理性がある樹上モデルに支持が集まらないのは、このように化石の証拠と合わないからです。
と言うのはどうでしょうね?
現状一番支持があるのは樹上モデルだと思います。
特に化石記録としてミクロラプトルを代表する4枚羽根を持つ恐竜が多数発見されたことでむしろ主流となってきてると思います。

>ウィキペディアの記事によると、始祖鳥の足の親指は、木にとまる鳥のように後ろを向かず、地を走るダチョウのように前を向いてます。

色々と説はあるようですが、私自身は始祖鳥は樹上生傾向の強い生物と思っています。

把握する対抗趾は樹上生活を支持する強力な証拠となり得ますが、特に必要なものでもありません。
そもそも把握と言うのは指掌部より細いものに対して始めて有効となるもので、そう言う枝先部分まで活動範囲があるなら必要かも知れませんが
そこまで行かない樹上生活者には別に要りません。
事実ムササビやヒヨケザルのような樹上滑空生物も対抗指は持っていません。
一足飛びで梢まで行ける鳥なら問題ありませんが木登りを考えると、むしろ進行方向に対して引っかかって邪魔になる後ろを向いた趾はないのが正しい状態だと思いますよ。


と言うことで、化石記録も力学的問題も特にあるとは思いませんので、現状、特に飼育者とか引っ張り出す必要性は感じません。
積極的に否定もしませんが今のところ肯定も無理です。

29Ken:2024/02/11(日) 19:54:54 ID:j5b29EhE
>>28

言及された旧スレッドでの投稿の後、私は尋ねましたが、回答がありませんでした。

あなたは、私の回答を求めるのか。つまり議論をなさりたいのですか? もしそうなら、そのための条件を設定します。自然発生的な形で、いわばなし崩しで、議論に入ることはありません。

議論ではなく、一方的な主張をされたいのでしたら、それもよいでしょう。ただし、私が立てたスレッドに書き込む必要はないはずです。別スレッドでやっていただけませんか? 別スレッドでも、私が述べる内容への批判・反論は可能です。

一方的な書き込みがあると、噛み合わない話が混在し、スレッドが混乱します。そういうことはやりたくありません。

30GB:2024/02/11(日) 23:25:07 ID:CwmY3r1w
>もし疑似科学とみなすべき科学理論があるとしたら、それはペテンのたぐいでしょう。提唱者自身がその仮説を信じておらず、意図的な嘘をつくものです。むろん、提唱者が自分で信じてるかは窮極的には本人にしか分かりませんから判別は困難ですが、それでもほぼペテンとみなせる事例はあります。
>1912年に発見が報告されたピルトダウン人はその典型ですね。

ピルトダウン人をペテンだと暴いたのは科学の手法ですし、たとえば骨相学を科学の土俵から引きずり降ろしたのも、科学の営為ですね。
インテリジェントデザイナー論の場合、科学的手法に基づく事実の集積を欠く、ひとことで言えば宗教的観念/信念にもとづくペテンだ、というのが私の意見です。
なにしろ事実に立脚した論理展開がありませんから。
これは私の意見ですから、返答の必要はもちろんありません。

この掲示板には、意に染まない書き込み(者)を投稿禁止にする機能があるようですよ。
調べて、そういうセッティングをされたらいかがでしょう。あなたにとって、快適な環境が得られるのではないでしょうか。

31とりあえず:2024/02/12(月) 13:02:52 ID:EVYce3ow
私の飛翔起源についての意見になにがしかの反応が欲しいですね。

私のレスは無視するならそれでも良いので、それならば出来ればその宣言はして頂きたいです。
そうすれば書き込みは控えますから。
それがないとレスを見逃したのか否かが判断つきませんので、その話題のたびに同じ文言を書き込むことになっちゃいます。

32Ken:2024/02/12(月) 19:42:59 ID:j5b29EhE
>.31

私の意図が通じませんか?

>なにがしかの反応が欲しいですね。

一方的な書き込みではなく、私の回答を求めるなら、それは私たちの間で意見交換を、つまり議論をやるということではないのですか?

もしそうなら、そのための条件を出しますので、受け入れられるかの判断をしてください。鳥の進化にせよ、他の課題にせよ、中身に入るのはそれからです。

>私のレスは無視するなら

議論になれば、無視するはずがありません。

33とりあえず:2024/02/12(月) 21:17:40 ID:EVYce3ow
〉32
私へのレスで良かったのですね。
安心しました。

条件はご自由にどうぞ。
出来る限りは応えますよ。

34Ken:2024/02/13(火) 07:28:24 ID:j5b29EhE
条件は、私は、同時に複数人を相手に議論はやらない、ということです。

あなたとの議論が始まれば、第三者の書き込みがあっても、返答しません。読むこと自体、基本的にないでしょう。ですから、そこを期待しないでください。

ただし、これはあなたの行動を制約するものではありません。第三者の発言を読まれるのも、回答されるのも、無視されるのもご自由です。もし回答されるのなら、私に向けた投稿は、冒頭でそれを明示してください。

もっと大切なことがあります。もしかしたら、第三者の考えを、私に読ませたいと思われることがあるかもしれません。その場合は、私に読ませる内容に、ご自身が責任をもたれることを、明らかにしてください。その保証として、第三者の考えを私に読ませるときは、3つの形のどれかをとってください。

(1)第三者の考えを、自分の言葉で言い直す
(2)第三者の発言の使える部分を、自分の投稿に貼り付ける
(3)第三者の投稿を丸ごと自分の発言と見なせる場合のみ、投稿番号を指定する

(2)と(3)は負担にはならないはずです。

これは字義どおりに遵守していただきます。例えば、スレッドの流れの中で、わざわざ番号を言わずとも、どの投稿のことか分かるはずという場面があるかもしれませんが、それでも明示的な番号の指定をお願いします。

この条件に同意をいただけるなら、議論を始めましょう。

35とりあえず:2024/02/13(火) 13:06:43 ID:EVYce3ow
了解しました。

ただ私はIDも条件次第で科学になり得ると思っているので、どちらかと言えばKenさん寄りの考えです。
ですので議論と言う感じにならないかも知れません。

あと知識面でも私は単なる生物大好きっ子に過ぎないので、物理、化学面で話にならない可能性が大いにありますがご容赦下さい。
そう言う部分は遠慮なく突っ込んで下さい。

36Ken:2024/02/13(火) 20:35:18 ID:j5b29EhE
>IDも条件次第で科学になり得る

条件次第でなり得るとは、現状は科学ではない、という意味でしょうか。

では、その点から始めましょう。次の投稿を作成します。

37とりあえず:2024/02/14(水) 15:14:37 ID:EVYce3ow
〉現状は科学ではない、という意味でしょうか。

非科学寄りと言う感じですね。
そもそも私は現状、科学と非科学は明確に線引きできるとは思っていませんので。

私が非科学的とするものは、現時点で科学的に否定、棄却されている物事を新たな知見や証拠もなく主張することかなぁ。

38Ken:2024/02/14(水) 21:12:30 ID:j5b29EhE
>科学的に否定、棄却されている物事を新たな知見や証拠もなく主張すること

具体例を挙げられますか?

39とりあえず:2024/02/15(木) 13:29:53 ID:EVYce3ow
>>38
永久機関とかムー大陸とか地球平面説とか色々ですね。
現状、これらを支持してるもので目新しい根拠の提示は知りません。
私が知らないだけかも知れませんが。

新たにこう言う証拠が見つかった、こうすれば説明できるとかあれば一応こいつらも科学として扱えられる資格はあると思います。
しかし、それがない限り妄言の域を出れないと考えます。

40Ken:2024/02/16(金) 00:23:21 ID:j5b29EhE
>永久機関とかムー大陸とか地球平面説とか

では、お尋ねしますが、ムー大陸を否定できる根拠とは何でしょうか?

しかし、本当の難問は、永久機関なのです。

永久機関は、熱力学第2法則により、否定されています。そして>>10>>11で説明したように、数学理論にのみ立脚する第2法則は、絶対に反証不可能とされています。

ところが、一方で、>>21で述べたように、第2法則には、極小エントロピーの起源という根源的な矛盾があるのです。第2法則が正しいなら、今の宇宙は存在できたはずがありません。

しかし、現実に存在するのだから、エントロピーの減少は起こり得るどころか、実際に起こったと主張されると、反論できる人はおそらくいないでしょう。そうなると、永久機関はあり得ることになります。なにしろ、燃焼しつくして灰になった薪が、元の薪に戻るなんてことがあるのだから。

もしも、こう突っ込まれたら、どう回答されますか?

41とりあえず:2024/02/16(金) 14:22:56 ID:EVYce3ow
〉ムー大陸を否定できる根拠とは何でしょうか?

地質学的調査で太平洋の海底は人類が誕生するはるか昔、白亜紀からずっと海底であることが示されているからです。
新たに陸地だった部分が発見でもされたら変わってくるでしょうね。

〉もしも、こう突っ込まれたら、どう回答されますか?

明確に否定できる事柄でないなら、私ならそれはそれと受け入れるだけですね。

とりあえず、エントロピーが今より低い状態から始まったのは確かだとして、それ以前にエントロピーの減少があったと言えるものなのか?宇宙誕生以前の物理法則を今の法則に当てはめるのは妥当なのか?とか指摘された矛盾の妥当性を検証する必要がでてきます。

とは言え、それを持って永久機関の可能性を述べるのはありだと思います。
問題は根拠としてどれほど寄与するのかのお話になると私は考えます。
しっかりとした根拠と感じなければ、そう言う話があると受け入れはしても、積極的に肯定はしない、できないものとなるだけです。

42Ken:2024/02/16(金) 22:31:36 ID:j5b29EhE
ムー大陸の説明は受け入れます。

>それ以前にエントロピーの減少があったと言えるものなのか?

熱力学第2法則が正しいなら、減少がありえないのみならず、完全熱平衡つまり未来に訪れる熱的死以外の状態で、宇宙のエントロピー増加が止まることもありえません。つまり、有限な過去のどこかで、必然的にエントロピーは極小値になります。すると、その前は?

>宇宙誕生以前の物理法則を今の法則に当てはめるのは妥当なのか?

第2法則が数学理論にのみ立脚すると述べたのは、おっしゃるような疑問に対するものです。宇宙の物理構造がどのようであろうと、数学理論だけは変わりえないからです。アーサー・エディントンが、第2法則だけは否定できない、と述べた理由もここにあります。

さすがのファインマンも、この起源問題はお手上げだったようで、外部からエントロピーの低い状態が入ったかもしれない、といってお茶を濁しています。むろん、これでは解答になりません。エントロピーを減少させるエネルギーが外部から入るのなら、外部を含めた全体系が「宇宙」なのですから、部分を論じても無意味です。

考えていただきたいのは、宇宙の起源が本当はどうだったかではなく、現在広く受容され、あらゆる教科書に載っている熱力学第2法則が何を言ってるか、です。今の第2法則では、今の宇宙は存在しえないという結論になるのです。

論理矛盾を含む科学理論が受容されているというのが、私の論点です。あなたも受容されますか? それとも、矛盾を含む理論は、やはり非科学と見なされますか?

>そう言う話があると受け入れはしても、積極的に肯定はしない、できないものとなるだけです。

これは意味がよく分かりませんが「積極的に肯定はしない」のは「否定する」のと同じと言われるのですか? 両者は意味が異なると思うのですが。

43とりあえず:2024/02/17(土) 13:20:49 ID:EVYce3ow
〉論理矛盾を含む科学理論が受容されている

本当に矛盾なのか?とかの検証が必要でしょうね。
それはそれとして、そもそも扱う範囲と言うものが各理論にはあると思います。その範囲外で矛盾があっても私は特に理論の破綻だとは感じません。
エントロピーの極小値以前が存在したのか解りかねますが、単純にそれ以前は第2法則にとって理論の範囲外と言うことだと思います。
今現在、見かけ上でないエントロピー減少が観察されていないのなら、そうとらえるのが自然かなぁ、と考えます。

あと矛盾があったとて即非科学とはならないと思います。
それを補完できる別の理論が出てくるかも知れませんからね。
矛盾をどう解消するか考え検証するのも正しい科学の姿勢ですから。

〉「積極的に肯定はしない」のは「否定する」のと同じと言われるのですか? 両者は意味が異なると思うのですが。

はい。意味は異なります。
完全否定はしない、できないけど他より可能性はとても低いものだなぁ、って感じですね。
現状あえて考える意味があまりないと感じるものです。

何かイラストがあったとして、足で描いた説は手で描いた説と比べて確からしさで同じとは言えませんよね。
可能性は否定できませんが意味も証拠もなければあえて取り上げるべき説じゃないです。

永久機関の可能性も(もっと低いでしょうが)似たようなものです。

他を差し置いて積極的に肯定すべきではないものです。

44Ken:2024/02/18(日) 15:06:28 ID:j5b29EhE
>>43は、ただ一般論・抽象論を述べただけではないのですか?

>本当に矛盾なのか?とかの検証が必要でしょうね。

私は、なぜ矛盾と考えるかを、具体論で説明しました。熱力学第2法則が正しいなら、宇宙の単位でエントロピーが減少することも、増加が止まることもありません。すると、今のエントロピー量が有限値なのだから、エントロピーは、有限な時間差の過去の1時点で、それ以上は小さくなりようがない極小値になるはず。そうなると、それより前の時間に、宇宙がどういう状態だったのか、説明不能の矛盾に陥ります。

このように、具体論で説明したのだから、疑問を呈するのも、具体論が必要です。

>それ以前は第2法則にとって理論の範囲外と言うことだと思います

これも抽象論です。第2法則の範囲外とはどういうものですか? 理論の範囲外を設定するなら、理由があってそうするはずです。

例えば、ニュートン力学にも、範囲外があります。物体が非常な高速で運動すると、相対論が支配するし、非常に小さな対象だと、量子論が支配します。でも、ニュートン力学を適用できる範囲と、そうでない範囲の違いは、具体的に説明されているのです。

特殊相対論の理論式には「1-v²/c²」の項があり、vが物体の速度、cが真空中の光速です。cが3×10⁸m/sという巨大な値なので、vが自動車の速度(30m/s程度)程度なら、1-v²/c²≈1と見なしても実用上問題がないから、通常はニュートン力学が利用されます。

量子論には、∆x∆p = ħ/2という理論式があります。∆xは位置の不確定さ、∆pは運動量の不確定さで、対象が原子であれ、野球のボールであれ、地球であれ成立しますが、ħの値が1.05×10⁻³⁴ J⋅sなので、日常的に観測する物体の大きさや運動量と比べると、あまりにも小さく、実用上、量子論の影響を無視して、∆x = ∆p = 0としても問題がないとされます。

このように、ニュートン力学の適用範囲は設定されるのです。でも、熱力学第2法則に同じことがいえますか?

>あと矛盾があったとて即非科学とはならないと思います。
>それを補完できる別の理論が出てくるかも知れませんからね。

補完する理論が出てくるか、どうやって予測するのですか? 正体不明の理論を当てにして、矛盾でないといえるなら、否定できる理論はなくなるでしょう。

たとえば、ムー大陸を否定するのに、あなたは地質学的な観測事象を挙げましたが、観測事象から出発して、その地が海底だったという結論に達するには、なにがしかの知識体系が関与するはずですよね。でも、その法則に適用範囲外があると、理由も挙げずに反論されたら、どうやって再反論ができますか?

>可能性は否定できませんが意味も証拠もなければあえて取り上げるべき説じゃないです。

やはり抽象論です。

例えば、私は>>18>>22で、18世紀までの光波動説が、いかに根拠薄弱で、かつ矛盾を含む理論であったかを説明しました。すると、取り上げるべき説でないことになるのですか? でも、真剣に取り上げる人は現実にいました。ヤングもその1人で、光波動説について考え続け、ついに1801年の2重スリット実験で、光が波である決定的な証拠を示したのです。ヤングを含む何人もの人が、波動説を初めから無視していれば、こんな展開はなかったはずです。

45とりあえず:2024/02/19(月) 13:03:58 ID:EVYce3ow
〉理論の範囲外を設定するなら、理由があってそうするはずです。

単純に成り立たない部分はそう見なせるかも知れないと言うことです。
単に間違いかも知れませんし、違うかも知れません。

エントロピーが極小値となるところ以前やら宇宙やら時間の誕生以前なんかどうしようもないです。


〉補完する理論が出てくるか、どうやって予測するのですか? 正体不明の理論を当てにして、矛盾でないといえるなら、否定できる理論はなくなるでしょう

だから科学と非科学は明確に線引きできないと考えます。

ムー大陸にしても仰る通り地質学的知見がそもそも間違いだったとか大陸は浮島だったとか色々考えること自体可能です。

種々の科学理論はそれらの根拠の数と質で暫定一位が決まっているだけです。
先のイラストの例も足以外に口で描いたとか、尻で描いたとか、超能力で描いたとかいくらでも仮説は立てれます。
一番確からしいのが手で描いた説で現状一致していると言うことで主流になっているだけです。
イラスト上に掌紋や指紋がない代わりに足跡があるとかの証拠が出てくれば足で描いた説が一位に繰り上がるかも知れません。

このように科学理論の成否は結局のところ、それぞれの根拠バトルで決まるんです。

永久機関も理論上可能性は述べられるとしても、手放しで受け入れられるには根拠は弱いと感じるます。
そうは思いませんか?

46Ken:2024/02/19(月) 21:57:26 ID:j5b29EhE
>>45

どうも要領を得ませんね。>>43では、

>意味も証拠もなければあえて取り上げるべき説じゃないです。

と言われました。理論の中には、取り上げるべきでないものがあるのですよね。それがどういうものかを明らかにしようとして、これはどうですかと具体例を挙げてるのに、返ってくる表現は、

>間違いかも知れませんし、違うかも知れません。
>宇宙やら時間の誕生以前なんかどうしようもないです。
(エントロピー極小状態以前と、宇宙や時間の誕生以前は、同義とは限りませんよ)
>科学と非科学は明確に線引きできないと考えます。

つまり、分からないというのが回答ですか? でも「取り上げるべきでない」といって排除した理論が、もし間違いでなかったら、どうするのですか? 科学と非科学の線引きができないなら、なにをもって取り上げるべきでないとおっしゃるのでしょうか? そういう説があったとして、どう扱うのですか?

単に、あなた個人が無視されるという意味ですか? それとも、その評価に社会性をもたせ、例えば学校教育から排除すべきという意味ですか? 排除は極端としても、そんな説は棄却するのがよい、という助言くらいはされるのでしょうか?

起源問題が手に余るのなら、18世紀の光波動説を題材に答えていただけませんか? もし、光の正体論争の歴史をご存知ないのなら、私が>>18>>22で述べたことが事実という仮定のもとで。あなたが18世紀に生きていたら、当時の光波動説をどう扱われますか? 取り上げるべき説じゃない、と言われるのでしょうか?

>永久機関も理論上可能性は述べられるとしても、手放しで受け入れられるには根拠は弱いと感じるます。
>そうは思いませんか?

「根拠が弱い」が意味することを、具体的に説明願います。何をもって、根拠が弱いと考えますか?

私自身の考えは、以下のとおりです。

永久機関を否定するのは、熱力学第2法則です。私は、観測事象でも、数学でも、裏付けがあるこの法則を支持するので、永久機関を否定します。ただし、第2法則には、起源問題という矛盾があります。ゆえに、矛盾を含む理論が世で支持されている、というのが私の見解です。自然科学理論に論理矛盾は許されない、という考え方の方が間違っているという結論に帰結するわけです。

47とりあえず:2024/02/20(火) 13:06:45 ID:EVYce3ow
〉なにをもって取り上げるべきでないとおっしゃるのでしょうか? そういう説があったとして、どう扱うのですか?

ですから根拠の質ですよ。
先ほどのイラストの例で「尻で描いた説」を「手で描いた説」と同列に扱えますか?扱うべきですか?と言う感じです。
そう言う説があったとしても、そう言う説もあるよね、としか言えません。
その程度の説なら確かな証拠や根拠がなければ無視されても問題はないです。

Kenさん自身も相手にしない説とかありますよね?
何故そのように判断されたか?それと考えは同じと思いますよ。


〉あなたが18世紀に生きていたら、当時の光波動説をどう扱われますか? 取り上げるべき説じゃない、と言われるのでしょうか?

上記と同じです。根拠バトルですので根拠が薄いと感じれば、そう言う考えもあるね、とはしても取り上げないかも知れません。

〉「根拠が弱い」が意味することを、具体的に説明願います。何をもって、根拠が弱いと考えますか?

起源問題とやらが本当に矛盾なのか現状はっきりしていないことと、熱力学第2法則が成り立たない状況があったとしてそれが今現在の宇宙でもあり得る状況か不明なこと。ですかね。

起源矛盾と言うのも、あくまで凄まじい過去にエントロピー減少があったかも知れない、と言うだけですからね。
現在そのようなことが観測されず、エントロピー増大の法則に反しないものしか観測できていないです。
その状況下で可能性を述べられても否定はできませんが、まず現状あり得なさそうだなぁとしか私は思えませんね。
実際に見かけでないエントロピー減少を観測するか、起源矛盾部分を確かな矛盾として理論的に示せるかがないとこの感想は変わらないですね。

48Ken:2024/02/20(火) 21:20:07 ID:j5b29EhE
申し訳ないが、あなたはエントロピーの起源問題を、正しく理解しておられません。この問題は、ファインマンもアジモフも論じています。他の人の文章でも見たことがあります。しかし、誰も、第2法則が成立しない話など、持ち出しません。そんな簡単な話ではないから、彼らクラスの知性が悩むのです。

仕方がないから、18世紀の光波動説に、絞りましょう。

>根拠バトルですので根拠が薄いと感じれば、そう言う考えもあるね、とはしても取り上げないかも知れません。

こんな一般論では、私の問いかけへの回答になりません。18世紀の光波動説への、あなたの判断はどうなのですか? ID論を取り上げるべきでないと言われるのだから、そこにはあなたの判断基準があるはずです。同じ基準で、18世紀の光波動説を判断してください。取り上げるのか、取り上げないのか。

そして、もし光波動説を「取り上げない」と判断された場合、それはあなた個人が無視されるということですか? それとも、その考えを他の人にも広めるという意味ですか? 後者は、ドーキンスがIDに対してやってることです。彼は、メディアに寄稿までして、IDを教育から排除しようとしているのです。
www.theguardian.com/science/2005/sep/01/schools.research

49とりあえず:2024/02/21(水) 12:27:16 ID:EVYce3ow
〉18世紀の光波動説への、あなたの判断はどうなのですか?

どちらもそれなりの根拠があるなら、「このような説とあのような説がある。どちらが正しいか現状わからない」としか言えませんよ。
その時の根拠の質と量でどちらの方がより確からしいかなと私は思う、って個人的感想が出るくらいです。

「取り上げない」と判断した場合、当然私個人がその説を脇に置くだけですが、他者が根拠も薄く取り上げてそれが優位な説と同等かそれ以上と騙るなら突っ込みは入れることはあります。
有害ですから。

ドーキンスも同様だと思っています。
メディアに寄稿してまでするのは相手も同様にするからでしょう。
科学者として誤った科学理論が広がるのを正そうとするのは当然の姿勢です。


IDを現状取り上げないのはひとえに根拠が凄まじく薄いから。
ID実在の証拠もなく、IDがいないと絶対的に成り立たないとする進化現象もない。いたとしてもID自身の起源問題やら進化に影響を与える術も不明です。
これを現代の進化の総合説と同列に扱え、は無理があります。
可能性自体は否定できないから脇には置いていますが、新たな納得の行く証拠やら知見が出てこない限りわざわざ本気で科学として取り上げる意味が見出だせませんね。

現状、ID論は「尻で描いた説」みたいなもんなのだと思います。

50Ken:2024/02/21(水) 21:10:19 ID:j5b29EhE
依然として、私の意図が伝わりませんか?

>どちらもそれなりの根拠があるなら、「このような説とあのような説がある。どちらが正しいか現状わからない」としか言えませんよ。

>IDを現状取り上げないのはひとえに根拠が凄まじく薄いから。

18世紀の光波動説は「分からない」で済ませるのに、現在のID論は「根拠が凄まじく薄い」と、両者に差を付ける理由を尋ねています。つまり、2つを同じ条件で判定せねばなりません。ところが、あなたは、IDを否定する理由のみを語り、光波動説は「それなりの根拠がある」と、説明抜きの一般論で片付けておられます。これではだめです。

光波動説も内容に切り込まねばなりません。私自身は、18世紀の光波動説は、今のあなたが認識されているID論よりも無理があると思うし、その理由を説明したつもりなのですが。

私が本サイトでやってきたことは1つです。特定の科学理論を疑似科学と評したり、あなたのように根拠が薄いという人に対し、その判定基準を尋ねた上で、同じ基準を、科学史上で受容されてきた理論に適用することです。それらの基準が、実はダブルスタンダードではないかを検証するには必要なことなのです。

51とりあえず:2024/02/22(木) 13:22:17 ID:EVYce3ow
〉18世紀の光波動説は「分からない」で済ませるのに、現在のID論は「根拠が凄まじく薄い」と、両者に差を付ける理由を尋ねています。つまり、2つを同じ条件で判定せねばなりません。ところが、あなたは、IDを否定する理由のみを語り、光波動説は「それなりの根拠がある」と、説明抜きの一般論で片付けておられます。これではだめです。

差があるのは繰り返すように根拠の質ですよ。
IDに対する判断も私は一緒のつもりですよ。
「総合説とID説がある。どちらが正しいか現状わからない。」
ただ、あからさまに証拠の質と量に差があるので、どちらも同様に可能性があるとは言えないと言うだけです。
現状、わざわざ取り上げる意味がないです。

波動説は回折等、波動性が観察実験されてのものです。
ID論の言う根拠とは大きな違いがあります。
ですので
〉18世紀の光波動説は、今のあなたが認識されているID論よりも無理があると思うし
と、仰いますが
私は当時の光波動説の方がID論より論理的に無理があるとは微塵も思いません。

繰り返しますが根拠バトルなのです。
根拠にほとんどなっていないものを持ってくることが擬似科学と呼ばれる原因です。

武器軟膏のような今取り上げれば失笑ものの理論も当時は実験を通して検証されたもので、立派な科学でした。
新たな根拠もなく、あったとしても仮定に仮定を重ねた無理のあるようなもの、そう言うものが今でも昔でも他に代替理論があるなら相手にされないと言うことだと思います。

新たなしっかりした根拠を示して頂けたら、ホメオパシーだろうがピルトダウン人だろうが科学として取り上げられますよ。

52Ken:2024/02/23(金) 14:27:16 ID:j5b29EhE
ようやく具体論に入りましたね。これで議論が進むでしょう。

>波動説は回折等、波動性が観察実験されてのものです。

そう。回折現象の他にも、光同士が交差すること、屈折・分光が起こることが知られていました。しかし、その解釈は、その時代の人の視点で行わねばなりません。

私たちが読む歴史では、最初に発見された回折現象は、17世紀のグリマルディの観察となってます。しかし、それが回折だと、ただちに納得されたのではありません。

観察されたのは、狭い隙間を抜けた光が広がる現象です。たしかに波で起こりますが、ものに衝突して軌道が変わるのは粒子も同じで、跳ね方がランダムならやはり広がるでしょう。ニュートンは、グリマルディの観測結果を知っても、粒子説への支持を変えませんでした。グリマルディの観察は、それを回折と解する人も、解さない人もいた、ということです。

一方、光の回折は起こらない証拠もあり、支持を集めたのはこちらでした。光が作る影の輪郭がくっきりしてることです。回折現象は水面波や音で知られてましたが、もし光でも起こるなら、影の輪郭はぼやけるはずで、そうならないのが、粒子説の根拠の1つとされました。(今の私たちは、輪郭がぼやけないのは、光の波長が数千分の1ミリしかないからだと知ってます。でも、昔の人に、そんな細かい波は想像できませんでした。光速度の巨大な値を考えれば、1秒に10¹⁵回程度の振動をすることになるが、どんな物質にそんなことが可能でしょうか。)

光が交差する現象も、光の屈折も、当時は、波動の特徴かもしれないが、粒子でも起こりうると考えられました。ちなみに今の私たちは、中性子やニュートリノのような、交差するようにみえる粒子を知ってます。屈折による分光だって、異なる色の光の粒子が、ガラス中の速度変化に差があれば起こると、説明されました。

つまり、波動の特徴にみえる事象も、実は粒子でも説明できると考えられたわけです。今の私たちが、それらを波動の特徴としか思わないのは、後世の、あと知恵というものです。

では、粒子説と波動説の優劣を決める条件は他になかったのでしょうか? それがあったのです。

当時の光波動説には巨大な矛盾がありました。媒質問題です。これも、光は電磁波つまり電磁場の強さが振動する「媒質のない波」と知ってる今の私たちには、当時を想像するのが難しいのです。しかし1820年代にファラデーが電磁場を発見するまで、媒質のない波なんて根源的な矛盾でした。なにしろ振動する実体がないのだから、空気のない風、水のない雨みたいなものです。だから、正体不明で観測もできない「エーテル」なる物質があることにされましたが、>>22で説明したように、複屈折や光速度という、致命的と思える矛盾があったのです。

これほどの反証があれば、回折、交差、屈折など、波動的にみえる事象があったとしても、波動以外の理由を求めるのが、合理的ですよね。そして実際に求められました。繰り返します。観測事象は、粒子説、波動説のどちらでも説明可能でした。両説の違いは、粒子説なら媒質問題の矛盾から解放されるが、波動説は矛盾に囚われたままということです。

おそらく、あなたの主張は、IDの特徴といわれる事象でも、自然選択で説明が可能なら、IDなど持ち込むべきでない、というものではありませんか? ぜひ同じロジックを使ってください。粒子でも説明可能なら、こんな矛盾がある波動説など、持ち込むべきでないことになるでしょう。

光の波動性が間違いなく認められるのは、スクリーンに縞模様を作る、1801年の2重スリット実験を待たねばなりません。これこそ、粒子では絶対におこりえない、エーテルの矛盾すらも押さえつけて、波動性を万人に突きつける証拠だったのです。

53とりあえず:2024/02/23(金) 20:30:00 ID:EVYce3ow
〉おそらく、あなたの主張は、IDの特徴といわれる事象でも、自然選択で説明が可能なら、IDなど持ち込むべきでない、というものではありませんか? ぜひ同じロジックを使ってください。粒子でも説明可能なら、こんな矛盾がある波動説など、持ち込むべきでないことになるでしょう。

はい。
同じロジックが実際に当時用いられました。
だから18世紀の光学研究分野で波動説を支持する人はほとんど居なくなっています。
それが19世紀に光の回折干渉現象の観察と言う新たな知見により復活し逆に優勢になる訳です。

新たな証拠なしに隆盛はないのです。
ID論も波動説と同様です。
新たな知見なしには日陰から出ることはないのです。

54神って誰:2024/02/24(土) 14:50:30 ID:RNarcwOM
それにしても全く嚙み合わない議論もどきをやってるね
割り込むつもりは毛頭ないんでアシカラズ

55Ken:2024/02/24(土) 18:16:55 ID:j5b29EhE
>18世紀の光学研究分野で波動説を支持する人はほとんど居なくなっています。

これが、私の一番の論点につながります。

ほとんどいなくなったと言われますが、波動説を支持し、積極的に追及する人々はいたのです。1人1人が孤立していたのでもありません。情報を共有しながら、17世紀のホイヘンス以来の光波動説を発展させていったのです。ヤングもその1人で、ついに1801年の2重スリット実験にいたりました。

よろしいですか。この人々は19世紀の強い証拠が見つかる前に、波動説に明かな矛盾があった時に、真剣に追及していたのです。

それが可能だったのは、光波動説が伝えられたからで、それが次の時代を開きました。

18世紀までの光波動説は、あなたから見ても、今のID論以上に支持できる理論ではないのですよね。では、今ドーキンスがIDに対してやってるように、真っ当な科学でないという理由で、光波動説が教育の場から排除されたら、歴史はどうなっていたでしょうか? ヤングの実験を転回点とする次の発展はなかったか、大幅に遅れたはずです。

特定の理論を教えるのをやめさせる害悪は、ここにあります。あなたは>>49で、

>根拠も薄く取り上げてそれが優位な説と同等かそれ以上と騙る

行為を「有害」とし、ドーキンスを支持されましたが、私に言わせれば、有害なのは彼の行為です。ドーキンスはIDの問題点を指摘してるだけではないのです。IDを教えるな、教育の場から排除せよと主張しているのですよ。

その理論に関心がないなら無視しておればよい。そういう人が多ければ、支持は集まらないでしょう。しかし、他人が学ぶことまでやめさせるのは、別問題です。ましてや、訴訟を起こし、社会的強制力を加えて、やめさせるなど、許されません。しかし、その実例はあるのです。2005年、ID教育をやめさせる訴訟が起こされ、裁判になりました。
en.wikipedia.org/wiki/Kitzmiller_v._Dover_Area_School_District

結果は原告勝訴。その学区でのID教育は止められました。ちなみに私が繰り返し引用するドーキンスの寄稿も2005年です。当然、上記の訴訟が念頭にあったでしょうし、ID教育差し止めの判決も、ドーキンスに代表される強い主張の影響を受けたろうと思います。
www.theguardian.com/science/2005/sep/01/schools.research

こんなことをする権利がだれにあるでしょうか。そこでの教育が気に入らないなら、転校するか、公立校なら自分たちの考えを反映させる政治家を選べばよいだけです。

もしも、その理論が、科学ならぬ疑似科学だからやめろというなら、ダブルスタンダードではない基準は絶対条件です。でも、そんな基準をつくるのは不可能だと、私は考えます。基準もなしに、恣意的に疑似科学なんて言葉を使う人の方が、科学の進歩を妨げているというしかありません。

56とりあえず:2024/02/25(日) 10:26:05 ID:EVYce3ow
〉よろしいですか。この人々は19世紀の強い証拠が見つかる前に、波動説に明かな矛盾があった時に、真剣に追及していたのです。

そりゃ、そう言う人も居るでしょう。
今でも地球平面説を信じる人がいるのだから。

〉その理論に関心がないなら無視しておればよい。そういう人が多ければ、支持は集まらないでしょう。

向こうから吹っ掛けて来ているのですよ?
IDだろうが小さいおっさんだろうが好きに信仰すれば良いのです。
問題は科学の体を成していない状況で科学の土俵に上がり恰かも同列の様に騙る姿勢なんです。

教科書が書き変わる場合って、証拠を持って専門家によって検証検討されコンセンサスが得られて初めて成されます
そんなのをすっ飛ばして公共教育で教えろ、はおかしな主張です。

そう言うのは、ちゃんと根拠を持って自説の正しさを示してからのお話です。
光波動説のようにね。


科学的根拠を持っての主張ならドーキンスも文句は言いませんよ。

非科学の言葉で無検証で少数意見を排除するのは間違いですが、何でもかんでも受け入れるのも間違いです。

ID論等、現状一般に認められていない理論を認めさせるのは、とにかく証拠を集め示すしかありません。
それなくして主流な理論と並べる行為こそ科学の進歩を阻害する愚挙だと思います。

57とりあえず:2024/02/25(日) 12:01:49 ID:EVYce3ow
要は真当な科学として認知されたくば正規の手順を踏みましょうね、ってこと。

ちゃんとした根拠バトルで上位に立たない限りまともに取り上げない。
それがどの程度で取り上げる価値が生じるかは個々人によるでしょうから明確な線引きはできないのですが、それが大まかな基準となっているのが現状だと考えます。

58Ken:2024/02/25(日) 21:15:25 ID:j5b29EhE
>>56>>57

こういう回答を予想したから、光波動説を説明したのですが。

18世紀までの光波動説は、今のID論と同じで、価値がないのですよね。地球平面説の同類なのですよね。そして、価値のない理論は、教育の場に持ち込むべきではないのですよね。

要するに、17〜18世紀に光波動説が教えられたことは、当時の人の誤りだったのですよね。

では、もし、その誤りが正されていて、光波動説が教えられることなく、よってヤングのような人物がそれに触れる機会もなく、2重スリット実験も実行されず、それに続く展開もなかったら?

誤りが正されて、めでたしめでたしだったのですね。

でも、19世紀の光/電磁波理論の進歩は、ずっと遅れたろうと、私は思いますが。

59とりあえず:2024/02/26(月) 13:46:26 ID:EVYce3ow
はい。教育の場に持ち込むべきではないのですね。それで19世紀の光/電磁波理論の進歩が遅れようが知ったことではありません。

例えID論が全面的に正しくて、今現在のIDを無視する状況のせいで正しい進化理論構築が100年遅れようとも仕方がないことです。
この場合、悪いのは存在を認めない科学界ではなく、科学的根拠を示せなかったID側です。

結果的に科学の進歩が遅れようが正規の手段をねじ曲げるべきではありません。
そちらの方が科学的には害悪となります。

そんなことを許してしまったらボビー・ヘンダーソンが言うようにスパゲッティーモンスターも公共教育で教えないのは許されなくなりますョ。

無視されないためには根拠を示す。それしかないのです。
根拠はないけど信じるのは科学ではないと思います。

60Ken:2024/02/26(月) 20:48:43 ID:j5b29EhE
>それで19世紀の光/電磁波理論の進歩が遅れようが知ったことではありません。

なんと、そこまでおっしゃいますか。

正しい科学のあり様とは、科学の進歩に寄与するかで決まると思うのですが。それとは異なる価値観を持っておられるのでしょうか? いったい、どんな基準で、科学のあり様を決めるのですか?

>100年遅れようとも仕方がないことです。

>そちらの方が科学的には害悪となります。

つまり、おっしゃるところの「害悪」とは、100年遅れるよりも悪い事態というわけですか。

具体的にどういう状況を意味されるのでしょう?

61GB:2024/02/26(月) 22:09:35 ID:CwmY3r1w
>18世紀までの光波動説は、今のID論と同じで、価値がないのですよね。

18世紀の波動説とその展開は、当時確認できた事実をもとにした科学的推論、解釈だと思います。
光には波動としての性質があることは確かなんですから、媒質としてのエーテルも科学的な予測だったでしょう。

エーテルが誤りだと分かったのは、より多くの事実の積み重ねによってですね。
19世紀のヤングの実験やフーコーらによって波動説は確立されたかに見えましたが、その後ファラデー、マクスウェルによって光が電磁波の一種だとわかったこと、
さらにアインシュタインによって「エーテルの風」を考える必要がなくなったこと、みんな、とりあえずさんの言うバトルの結果です。
積み重なる新たな事実をもとに検証を繰り返し、確からしさを増していく科学の営みというバトルですね。

ID論はどうでしょう。出発点となる「事実」がどこにあるでしょう。
客観的な根拠はないが、否定できない以上、「科学の教科書に」載せるべきだというのは、
まさにプロテスタント原理主義が主導するアメリカのインテリジェントデザイン運動そのものですね。

62とりあえず:2024/02/27(火) 14:37:21 ID:EVYce3ow
〉つまり、おっしゃるところの「害悪」とは、100年遅れるよりも悪い事態というわけですか。

〉具体的にどういう状況を意味されるのでしょう?

同様に科学の遅れをもたらし得るからです。
それもこちらの方がより深刻にです。
科学的手法はその時その時の最善をとるものですからね。
根拠が乏しい方が一般的に正しくない訳で、無駄なことにリソースを割く可能性が遥かに高いのです。
結果的に何でもかんでも取り上げる方がより科学の停滞を起こす危険性が高いのです。

19世紀の光/電磁波理論の進歩が遅れてとやらは、Kenさんの言うところの後知恵に過ぎません。
極力無駄なく真理を追究するために、その時の最善を尽くすべきであり、取り上げるべきでないものは取り上げてはならないのです。
そう言う正規の道筋をねじ曲げた結果が、ルイセンコ農法だったり子宮頸癌ワクチン普及の遅れだったりします。

63神って誰:2024/02/27(火) 18:27:50 ID:RNarcwOM
科学的証明とは、事実に依る証明です。
数学は科学とは呼ばれませんから、数学の場合はひたすらロジックと計算に依ります。
そこが科学と数学の違いです。
従って、科学においては事実の裏付けの無いものは証明されたとは言えません。
幾らレトリックを弄して、この様に考えれば説明できると言ってみたところで、それに照応する事実を示せなければ証明した事にはなりません。
全ての科学理論は事実による検証が不可欠です。
物理や化学においてはそれは言うまでもない事で、どの様な理論も必ず事実による検証に曝されます。
相対性理論や量子論ですら、未だに検証の対象でもあります。
それに対して科学を標榜しながら検証を放棄しているのが自然選択論です。
その支持者たちは、それが検証されていると言うトンデモナイ錯覚に陥っている。
若しくは最初から信じ込んで検証を放棄している訳です。
それは科学ではなくて宗教です。

64神って誰:2024/02/27(火) 18:30:38 ID:RNarcwOM
あ、上記掲示板を間違えた。

65神って誰:2024/02/27(火) 18:31:03 ID:RNarcwOM
掲示板を間違えた

66神って誰:2024/02/27(火) 18:31:31 ID:RNarcwOM
ココは消せないんで不便だね

67Ken:2024/02/28(水) 01:15:53 ID:j5b29EhE
>同様に科学の遅れをもたらし得るからです。

その具体例が、ルイセンコ農法と子宮頸癌ワクチンの普及の遅れですか?

まず、ルイセンコの理論ですが、私の歴史理解が正しければ、旧ソ連邦の農業が被害を受けたのは、ルイセンコ理論が登場したからではなく、ルイセンコ理論以外が弾圧され、提唱者が処刑されたからでしょう。

これは重要な点ですよ。何かを教えるな、というのは、制約をかける行為です。スターリンがルイセンコ理論以外にしたこと、ドーキンスがIDにしてること、あなたがIDと光波動説にしてること、みなこれに該当します。

なにを教えてもよい、というのは制約を外す行為です。これが科学の進歩を妨げることはありません。なぜなら、どんな理論にもチャンスがあるなら、優勝劣敗の自由競争が働くからです。その中から結果を出す理論が現れます。光波動説が19世紀に結果を出したのが、その例です。

要するに、正しい科学理論は実利につながるのです。実利を生む理論は栄え、そうでない理論は淘汰されます。つまり生物種の進化と同様の選択圧力が働くのです。ゆえに、多様な理論が現れることは、多様な遺伝子変異が起こることに相当します。それを止めれば進化も止まります。

特定の理論は有害だからと、あらかじめ排除するのは、生物の突然変異を人為的に選択するのと同じなのです。生物なら、それで、すくなくとも人間にとっての、望ましい品種改良ができるかもしれませんが、どの科学理論が実利を出すか予想などできません。光波動説はよい例です。地動説だって、コペルニクスの時代には大矛盾があったのですよ(>>22の前半参照)。ジェンナーが始めた種痘だって、その効果が納得されるまでは、故意に病気に感染させるなど、狂気の沙汰と思う人が多かったことでしょう。いずれも、どんな理論を唱えてもよいという自由があったからこそ、生き残った理論といえます。

私は、子宮頸癌ワクチンの経緯を知りません。しかし、本当に医療実利を出せるワクチンの普及が妨げられたのなら、対立する理論が教えられたのが原因ではありません。実利を出せるという事実を教えるのが妨げられたからです。つまり、人為的な制約がかけられ、自由競争ではなかったからです。違いますか?

生物種の進化でも、科学の進化でも、制約をかけることこそ、有害なのです。光波動説であれIDであれ、意図的に普及を妨げる必要などないし、やるべきでもありません。学びたい人には学ばせればよい。実利がなければ、競争の中で自然淘汰されるだけです。

68Ken:2024/02/28(水) 06:54:17 ID:j5b29EhE
それにしても、

>19世紀の光/電磁波理論の進歩が遅れてとやらは、Kenさんの言うところの後知恵に過ぎません。

これって「後知恵」をどういう意味で使ってるのでしょう? 後知恵だからだめだ、とおっしゃりたいのですか? 歴史に学ぶ行為は後知恵に決まってます。

光波動説が息の根をとめられなくて、よかった! これからも気を付けよう!

そう考えるのが。歴史に学ぶ行為で。むろん後知恵ですよ。

69GB:2024/02/28(水) 21:33:25 ID:CwmY3r1w
>何かを教えるな、というのは、制約をかける行為です。
>なにを教えてもよい、というのは制約を外す行為です。

光波動説、大陸移動説、ジェンナー、進化論にしても、それぞれの主張には客観的に確かめられた根拠、理論組み立ての基礎となる事実があります。
その根拠と、追加される事実群をもとに議論が繰り返され、より確からしい自然の在り様を明らかにしてきた、というのが科学の営為です。
ところが、ルイセンコにしてもインテリジェントデザイナー論にしても、科学理論として成立させるための根拠がありません。

「個人的な考えの敷衍」なり「宗教的な信念」なり、理論の出自を明らかにした上で主張するならいいんです。言論の自由は確保されていますから。
まずいのは、科学の理論ではないものを、あたかも科学理論であるかのように主張することですね。
ましてや科学の教科書に載せるなどもってのほか、インテリジェントデザイナー論は、科学理論としてはとっくの昔に淘汰されていますから。

70とりあえず:2024/02/29(木) 14:14:52 ID:EVYce3ow
誤った手段による理論の台頭が科学の停滞を起こすと言うことです。
理論の成否は将来的に判断されるものなので、その時その時は最善の方法を行うしかありません。
その手段が根拠バトル上位のものを取り上げ、下位のものを脇に置くと言うものです。
何でもかんでも同列に取り上げる行為はただただ科学を混沌に陥れるだけです。

目的地に道路標識や交通法規をしっかり守って進むのと、無視して進む場合と同様です。
馬鹿正直に交通ルールを守るより無視した方が早く目的地に着くかも知れません。
しかしそれ以上に事故ったり、検討違いの場所に着く可能性の方が遥かに高いでしょう。

真理への到達に現状、これが最善最適な方法なんです。
その為の制限です。

一応言っておきますが、根拠バトル下位のものはとにかく排除しろとは言ってませんよ。
新たな根拠もなしにしゃしゃり出るな、分を弁えろと言うところです。
科学界で発言権を得るためには根拠を示すしかないのです。

学ぶのも研究するのも仰る様に自由です。好きにすれば良いと思います。
問題は根拠が遥かに乏しいのに同列にあるように騙るID側のその姿勢なんです。
理論を唱えるのは自由ですが同列に騙る行為は、その分野の初心の者に誤った印象や知識を植え付けかねず、害悪でしかありません。

だから科学者はIDを強く批判します。
科学界と関係ないところでやる分には文句は言わないでしょうね。
科学分野で陽の目を見るには新たな根拠の提示が必要です。
それがない限りまともに取り上げるべきでないと思います。

71神って誰:2024/02/29(木) 14:43:25 ID:RNarcwOM
前回の誤投稿に何も反応が無かったのは好ましい事。
ここでは各人がそれぞれ好き勝手に書いてるので、こちらも何時も書いてる掲示板から時々投稿をぶち込むことにしたよ。
ただし反応しても基本的にコメはしないのでアシカラズ
無駄な相手はしないのでまた嫌われないようにね。

72神って誰:2024/02/29(木) 14:44:29 ID:RNarcwOM
宗教は科学とは対極にあるものです。
仏教に関しは、ある種認識論として物理学、量子論等との関係性が論じられたりしていますが、例えばキリスト教に関しては正しくそれに該当します。
前提を無検証に信じ込む。
マリアの処女懐胎を主張しますね。
ID論は宗教的前提を排して構築されますから勿論宗教ではありません。
ID論を宗教者が主張しようが、自らの信じる宗教への誘導を画策しようが、それ自体が宗教ではない事に変わりはありません。
従って、ID論を宗教だと言って攻撃しようとする人達は自ら宗教的な立場に身を置いて発言していると言う事になります。
自然神学から現在に至るまで、設計者の存在の確証は強まりこそすれ弱まる事は決して有りません。
科学の進展による知見の拡大は設計の存在をよりなくてはならないものと位置付けます。
多くの科学者は、設計問題に踏み込む事をためらいますが、そこに踏み込まなければ効率良く真実に迫る事は出来ません。
一部にそれを認識している研究者もいる様ですが、まだまだ少数派ですね。

73とりあえず:2024/02/29(木) 20:16:28 ID:EVYce3ow
Kenさんのスレなので余りとやかく言うつもりはありませんが、好き勝手書くスレではないと思いますよ。
Kenさんが良いのでしたら、こちらも別に構いませんが一応スレ主に断りを入れた方が良いです。

単に反応が欲しいだけなら私のスレにでも書き込んで下さい。
それも要らないなら今まで通り自スレに籠っていた方が良いですョ。

74Ken:2024/02/29(木) 21:46:00 ID:j5b29EhE
>>70

一般論ですよね。はじめからおわりまで。

合理的・科学的に考えて支持できないはずの理論でも、教えられ、人から人へ伝えられた結果、科学の進歩に寄与した実例として、私は光波動説や地動説を挙げました。

あなたは、合理的・科学的でない理論が教えられたことで、科学の進歩を妨げた実例を挙げねばなりません。ルイセンコ理論と子宮頸癌ワクチンの歴史は、その例に該当しないことを説明しました。私の説明に納得されないのなら、具体論で応じてください。

科学史が、私たちのどちらの主張を裏付けるかを検証し、歴史に学ぶためには、一般論・抽象論ではなく、具体例に基づかねばなりません。一般論には価値がないのです。

75神って誰:2024/02/29(木) 22:38:31 ID:RNarcwOM
IDの実体が全く不明、ID論者は誰元の実体が説明できない、これも持ってID論否定の論拠にする人達も少なくありません。
しかしこれはID不存在の論拠にはなりません。
実体が分からなくても確かに存在する、これはダークマター、ダークエネルギーについても全く同じことが言えます。
この宇宙の95%を占めると言われるダークマター、ダークエネルギーが存在する事は現在物理学上の常識です。
しかし誰もまだその実体の解明には成功していません。
これは物理法則による計算によって推測されるものです。
IDに関しては勿論計算は出来ません。
そしてそこで不可欠とされるのは知性、知性による設計です。
その様な知的設計が存在しなければ、この宇宙は成立しない。
背理法の帰結です。
しかしその実体は全く不明。
しかしその存在は証明できる訳です。
この辺りの理解も、出来ない人には決して出来ないんですね。

76神って誰:2024/02/29(木) 22:39:28 ID:RNarcwOM
つまり疑似科学は言うまでもなく自然選択論です。
何一つ事実に依る裏付けが無い。
これまでも繰り返し述べてきた通り、よく数少ない観測例として持ち出される工業暗化もダーウィンフィンチも自然選択の要件を満たしていません。
そして極めて雑なロジック、理論として実は成立していません。
科学がまだまだ不備だったダーウィン自体ならともかく、それから160年以上経過してその時代から比べれば飛躍的に科学が進歩し知見が更新された現代ですら、その極めて雑なロジックの検証すら行われないまま極めて安易に信じ込まれています。
ID論を否定する人たちは、その存在の実体が全く未知であるという事以外には殆ど何の根拠も示せません。
実体が全く不明であるという事であればダークマター、ダークエネルギーも全く同様です。
知性の想定があり得ない、と言うのであれば、人間の知性の由来を証明してください。
人間の知性、意識、理性の由来を物質的に説明できる人は誰もいません。
現代の科学はそこまで全く追い付いていないのです。
そのレベルの科学で説明出来ないからと言って、不存在を主張するのはトンデモナイ思い上がりです。
未知である事と不存在を混同している訳です。
これは誤った科学主義であり、その科学主義による先入観はむしろ科学の発展の敵です。
それは合理的な疑問を封じ込め、教条主義に繋がります。
未だに生き続ける現代の迷信を育む土壌ですね。

77神って誰:2024/02/29(木) 22:41:20 ID:RNarcwOM
ID論は、予断無くこの現実世界、宇宙、生物を観察し、ロジカルに推論すれば簡単にその存在の確からしさが確認できます。
対して自然選択論に軸足を置いた現代進化論は、科学的根拠ゼロ、更に注意深く検証すればそのロジック自体が完全に破綻しています。
どちらを採るべきかは言うまでもありませんね。

78神って誰:2024/02/29(木) 22:42:31 ID:RNarcwOM
ビッグバンから始まり現在のこの宇宙が生成され、生物が誕生しその進化の結果として人間が存在する。
これらの全てに設計が介在しないと仮定したら、その生成要因が説明出来ない。
これはどの事象を取り上げてもです。
つまりどの事象を取り上げて観察しても背理法的にIDの存在が証明される。
反証は出来ません。
反証しようとすれば、またデタラメなレトリックを弄することになります。
これはファインチューニングの問題と表裏です。
設計が介在しなと仮定した場合、この宇宙が生成された理由が説明出来ません。
これと対極にある説がマルチバース、更には人間原理ですが、それでは到底根本原因の説明にはなりません。
設計の不存在は有り得ない、簡単な背理法ですね。

79とりあえず:2024/03/01(金) 12:23:43 ID:EVYce3ow
>>74
>一般論ですよね。はじめからおわりまで。

一般論ですよ。

80とりあえず:2024/03/01(金) 13:08:05 ID:EVYce3ow
>>74
>一般論ですよね。はじめからおわりまで。

一般論ですよ。私は一般論で語るべきと思います。
科学全般の理論についてのことなんですから。
正規の手順を無視したら偶々進歩したと言うのは特殊な事例です。
一般化してない考え方で進めて行くのは危ういと考えます。

>ルイセンコ理論と子宮頸癌ワクチンの歴史は、その例に該当しないことを説明しました。

私は該当すると考えます。科学は科学的正しさを優先すべきでそれ以外を優先すべきではありません。
上記は科学的正しさ以外を優先したため起こった悲劇です。
まぁ、良くあることなんですけどね。

政治的、思想的正しさを優先したものですね。

進化自体の概念は紀元前からありました。それが掘り下げられなかったのは宗教的・思想的正しさが優先されたせいです。
地動説もどちらかと言えば思想的正しさが優先された例だと思います。

そしてIDを同列に扱う行為も個人の心情・思想が優先されているもので現状科学議論として相応しくありません。
まともな科学者ならIDを科学的に研究しようとも、現状同列に扱おうとはしないはずです。
ひとえに根拠が乏しいからです。
このルールは揺るがない、曲げてはいけないのです。

81神って誰:2024/03/01(金) 15:50:34 ID:RNarcwOM
ダークマター、ダークエネルギーの存在は現在物理学においては殆ど事実として受け止められています。
それは既に仮説の段階ではありません。
その様な存在を想定しないと、計算上全く辻褄が合わない訳です。
しかしその実体をまだ誰も解明できていません。
だからと言って、それが存在しないと主張する物理学者は誰もいないでしょう。
つまりその実体が全く不明だからと言って、それだけでその不存在の証明にはなり得ない訳です。
ID論に関しても全く同様の事が言えます。
その実体が不明であることをID論を否定する論拠にする人たちがいますが、それは論拠にはなりません。
合理的にその存在が推測されればいい訳です。
これは繰り返し述べてきたように、背理法に依って極めて簡明に証明されます。
しかしそれをどうしても信じたくない人達にとってはいかなるロジックも無意味ですから、結論は変わりません。
信者にその信仰を変えろと言っているのと同じですからね。
始末が悪いのが、彼ら進化論信者はそれが信仰だと気付いていない事です。
何とそれが科学であるとトンデモナイ誤解をしてる訳です。
つまり科学の本質を実は全く理解していないという事です。
そしてそれ自体が信仰なので、それが終生変わることは無いんですね。

82Ken:2024/03/01(金) 21:26:23 ID:j5b29EhE
>私は一般論で語るべきと思います。

これは「一般論」の意味が伝わりませんでしたか? 具体例を伴わないという意味で使いました。その意味なら、一般論で語るべき、とはおっしゃいませんよね。念のため、今後は「抽象論」と呼称します。

ルイセンコ理論と子宮頸癌ワクチンについて。

>政治的、思想的正しさを優先したものですね。

動機まで論じてません。

>私は該当すると考えます。科学は科学的正しさを優先すべきでそれ以外を優先すべきではありません。

だから、こういうのが抽象論なのです。私が>>67で指摘した点に触れてもおらず、「該当すると考えます」と、具体的な説明抜きで結論のみを述べているのです。

具体論で整理しましょう。ルイセンコ理論と子宮頸癌ワクチンに関する私の主張は、

*ルイセンコ理論も、ルイセンコ理論以外も、伝えればよい
*子宮頸癌ワクチンを支持する説も、支持しない説も、伝えればよい

というものです。もしも、ルイセンコ理論が誤りというデータがあれば、またワクチンの効果を示すデータがあれば、そしてそれを公開する自由があれば、対立説が出されたところで害はないからです。

一方あなたの主張は、

*ルイセンコ理論を伝えるべきではない
*子宮頸癌ワクチンを支持しない説を伝えるべきではない

ですよね。もしも、ルイセンコ理論が正しく、ワクチンが有害と、あとで分かったらどうするのですか? その可能性を指摘するため、光波動説や地動説の話をしたのです。それとも、根拠バトルで勝つ理論なら、正しいに決まってると断言されるのですか?

そもそも、最初に広く伝えなければ、根拠バトル自体が、限られた一部の人だけのものになると、思われませんか?

83GB:2024/03/01(金) 22:50:11 ID:CwmY3r1w
>光波動説であれIDであれ、意図的に普及を妨げる必要などないし、やるべきでもありません。学びたい人には学ばせればよい。実利がなければ、競争の中で自然淘汰されるだけです。

光波動説とインテリジェントデザイナー論は、同列に並べることはできません。
ルイセンコ学説なら、できるでしょうが。
ポイントはきちんと科学の方法に則った手続きが行われているかどうか、ですね

ルイセンコの学説は、誤りでした。
メンデル遺伝学を否定し、環境因子による形質の変化と、そこで獲得された形質が遺伝するとしたこと、そこがまず誤りだったわけですが、ライ麦が小麦、小麦が大麦に転換し、雑草が穀物に変わっていく過程が観察されたとも主張したこと、ここまでいくと疑似科学といわれても仕方ないですね。
「マルクス・レーニン主義の弁証法的唯物論を証明するものであり、メンデルの遺伝学はブルジョワ理論」だとする政治思想の下でもてはやされ、成果ゼロのうちに滅びました。

ルイセンコの学説は結果的に競争の中で淘汰された、という捉え方も不可能ではないですが、
まず科学の方法にきちんと則った理論構築がなされているかどうかというチェックを行えば、無駄や周辺への悪影響を省けますよね。

光波動説は科学理論ですが、インテリジェントデザイナー論は科学理論としての資格を欠いています。
どんな考えでも普及を妨げる必要がない、というのは誤りです。科学の土俵という表現が意味しているのは、そういうことです。

84とりあえず:2024/03/02(土) 13:22:56 ID:EVYce3ow
>>82

科学的手法に則りましょう。と言っているだけです。
ID論やルイセンコ学説を伝えるな、とは全く言っていません。
既存の主流学説と並べるならそれ相応の根拠を示してからにしなければならない、と申しているのです。
ルイセンコにしろIDにしろ、そこを無視したから問題なんです。

繰り返しますが伝えるな、とは言いません。
同列と騙るな、と言っています。

非主流でも科学界から排除されてない学説なんていくらでもあります。
根拠では主流に劣るけどそこそこの根拠は有しているからです。
その根拠が薄く成る程、科学界での影が薄くなり無視されるようになるのです。

>もしも、ルイセンコ理論が正しく、ワクチンが有害と、あとで分かったらどうするのですか?

訂正されるだけです。

>根拠バトルで勝つ理論なら、正しいに決まってると断言されるのですか?

その時点では一番確からしい理論と言えます。

>最初に広く伝えなければ、根拠バトル自体が、限られた一部の人だけのものになると、思われませんか?

それが無駄を省くことに繋がります。
根拠が遥かに薄い学説まで議論に挙げるのは無意味です。
例えば恐竜絶滅の学説は数百に昇ると言われています。
これを全部同列に扱い教科書で教えるべきでしょうか?
今主流となっている隕石衝突説と一部で有名な便秘説を同列に語りますか?
便秘説もちゃんと理屈はありますよ。
たぶんKenさんも今さら便秘説なんて取り上げないでしょう。その理由を考えて見て下さい。

仮説なんて無限に作れるんです。
どこかで選別しないと真理への到達は時間がいくらあっても足りません。
最善の選別方法が根拠の質によるものなのです。

85Ken:2024/03/02(土) 21:20:58 ID:j5b29EhE
「無駄」ですか。

>それが無駄を省くことに繋がります。

最初は「害悪」だったのが、表現が後退しましたね。ID論その他を唱えるのが、科学の進歩を積極的に妨げるわけではない、という点まで理解が進んだ結果なら、上々です。

では、ここからは「無駄」を論じましょう。私は「無駄」を理由に、特定の理論を排除することに反対します。なぜなら、人間の知恵は限られたもので、未来の完全予見は不可能だから、複数案を用意しておくのは、悪いことではない、と認識するからです。無駄(と、その時点では思えるもの)を省きすぎると、多様性がなくなり、リスクの方が増大するのですよ。

すこし、科学の話を脇に置いて、こういうことを考えてみてはどうでしょう。

ここに、AとBという2人の投資家がいて、両者とも半導体投資をします。また、投資対象としてXとYという企業があります。そして、X社とY社の技術、財務、経営等を、考えうる限りの合理性で判断した結果、株価が伸びるのはX社という結論が出たとします。

そこでA氏は、すべての資金をX社に投じます。
一方B氏は、資金の一部をY社に分散します。

もし、ご自身が両氏の立場におられるとして、どちらの行動を選択されますか? 繰り返しますが、その時点の合理的判断では、株価がのびるのはX社なのです。では、A氏と同じ行動をとりますか?

多くの投資家は、そんなことはやりません。全財産をX社に投じて、もしX社が敗退したら、自分も道連れです。だからY社にも投資を分散します。むろん、予想通りにX社が勝ち残ったら、Y社に投じた資金が無駄になるのは、承知の上です。

要するに、人智に限りがある以上、株価だろうが、科学だろうが、完全予見は不可能だから、集中は危険なのです。科学史における、地動説や光波動説の事例は、そのことを語ります。その時は無駄に見えても、人から人へ伝えられたからこそ、やがてケプラーやヤングが登場して、歴史的転回を起こすことができました。それに、地動説や波動説が教えられたからといって、その時点で合理性を認められている、天動説も粒子説も、妨害など受けてません。資金の一部をY社に回しても、X社への投資が大した影響を受けないのと同様です。

もしルイセンコ理論が正しく、ワクチンが有害と、分かったら?という問いかけに、

>訂正されるだけです。

と回答されましたが、理論が人から人へ伝えられず、受け継ぐ者がいなければ、消滅します。つまり、訂正の機会もなくなるのですよ。18世紀に光波動説が消えていれば、2重スリット実験もありえなかったと言いましたね(>>58)。すべての資金がX社に投じられ、Y社が消滅したら、元に戻せないのと同じことです。

結局、集中と分散の問題に行き着くのです。「無駄」な理論は教育から排除せよという、あなたは集中派です。学びたい者がいるなら、無理に排除する必要はないという私は、分散派です。投資であれ、科学であれ、集中は、当たれば無駄を省けるが、外れた時のリスクが大きいと考えるからです。

無理をしてまで多様性を確保せよとはいいません。例えば、多様性のためだけにIDを教えるべきとはいいません。要は、自然に任せていれば、多様な考えが現れるのです。(実は、これも熱力学第2法則が働くのと同じ原理なのです。)ドーキンスのように、特定の理論を教えるなと主張し、影響を与えることが害悪なのですよ。教えることを強制するな、という主張なら何の問題もありません。

86神って誰:2024/03/02(土) 23:44:34 ID:RNarcwOM
ラマルクはダーウィンより50年以上前に進化論を提唱しています。
種は変異するとして、ダーウィンと違って最初から進化の語を用いました。
単純なものから複雑なものへ進化するというダーウィンが描かなかったグランドデザインも描いています。
科学的知見の乏しかった当時の話なので、誤りも多数存在しますが彼の主張した獲得形質の遺伝は現在エピジェネティックによって一部でそれが存在することも示されています。
評価はダーウィンに比べて不当に低いですが、実はダーウィン以前にダーウィンに比べて遥かに意味のある説を提唱している訳です。
その50年以上後にダーウィンは種の起源を著しますが、これは明らかに逆行ですね。
それは取りも直さずダーウィンの主張が科学では無いことを意味します。
科学は逆行しません。
因みにダーウィンは用不用説を支持していますね。
そしてそれは自然選択論には全く反映されていません。
論理的整合性にダーウィンは関心がなかったという事ですね。

87神って誰:2024/03/03(日) 00:26:09 ID:RNarcwOM
自然選択論は極めて稚拙です。
それに対して進化の過程は極めて複雑で精妙です。
とても偶々の変異とそれに対する環境による生存率の制限で説明できる代物ではありません。
自然選択論において自然が行使できる唯一の力は生存率の制限です。
それによって全てが成し遂げられるとダーウィンは言っている訳です。
それが科学的であると主張し信じ込んでいる人たちが未だにアカデミズムの中央に陣取っているんですから呆れます。
中立説は自然選択論に対立こそすれ補強しないものであることは言うまでもありませんが、それがあたかも自然選択と折り合って説明可能であると言うデタラメなレトリックが弄されます。
まず何が必要か、それは自然選択論を一度完全にリセットして素直に進化の事実と向き合う事です。
それが出来ない限り、進化論が科学として成立することは決してありません。

88神って誰:2024/03/03(日) 00:28:17 ID:RNarcwOM
「種の起源」の体裁は神学書のものだと言う指摘があります。
種の起源は有害無益ですが、同様に神学も科学にとって有害無益です。
宗教は科学を妨害することすらあれ、科学に利することは何一つありません。
ID論もソレをキリスト教神学の流れで捉えている限り宗教のドグマから逃れることが出来ません。
宗教は人間の無知と弱さによって紡ぎ出されます。
逆に言えば人間が全知であり強靭な理性を持つ存在であれば宗教が誕生する余地はありません。
つまりダーウィンの居場所はそこだという事です。

89神って誰:2024/03/03(日) 00:35:13 ID:RNarcwOM
設計問題を忌避したいというのは一種の科学信仰です。
そこに踏み入れるのは宗教であると決めつけ或いは錯覚します。
それ自体が宗教的な態度な訳ですが勿論それに気付ける合理的な判断力は持ち合わせていません。
高名な権威、専門家、研究者、そういた人たちに対して相当に厳しい言い方になりますが、残念ながらそれが真実です。
惨状と言うべきでしょう。
もちろんそれに唯々諾々と従う愚かな人達は言うまでもありません。

90とりあえず:2024/03/03(日) 20:50:22 ID:8MIthpBE
>>85

>最初は「害悪」だったのが、表現が後退しましたね。ID論その他を唱えるのが、科学の進歩を積極的に妨げるわけではない、という点まで理解が進んだ結果なら、上々です。

では「無駄であり害悪」と表現し直します。
私は積極的に科学の進歩を阻害すると思ってます。


>複数案を用意しておくのは、悪いことではない、と認識するからです。

これには同意しています。ですので単純に科学と疑似科学を線引きしないで考えの一つとして認めているのです。
繰り返しますが問題は自説の確からしさを誤認させる行為なんです。


>ここに、AとBという2人の投資家がいて、両者とも半導体投資をします。また、投資対象としてXとYという企業があります。そして、X社とY社の技術、財務、経営等を、考えうる限りの合理性で判断した結果、株価が伸びるのはX社という結論が出たとします。

との例を出されていますが、ID論は上記の状況下でY社が良いと無根拠に吹聴しているのと一緒ですよ?
たまたま被害がないかも知れませんがとてつもない損害を生む可能性の高い行為です。害悪以外の何者でもありません。


>ドーキンスのように、特定の理論を教えるなと主張し、影響を与えることが害悪なのですよ。

繰り返しますが根拠を持ってならドーキンスも文句は言いませんよ。
ちゃんと科学的手順に沿って主張しろと言っているだけです。

>要は、自然に任せていれば、多様な考えが現れるのです。

不自然にIDを主張しているのですから仕方ありません。
科学的手法をねじ曲げてまで公共教育にねじ込むことが自然と主張するなら積極的排除も自然な行為です。



そもそも光波動説の状況をID論の状況と重ねるのは違和感があります。
光粒子説が波動説で説明できないことを説明できて当時の主流となったのは事実ですが波動説の方が上手く説明できる事柄も普通に存在しており
立場としては鳥類飛翔起源の疾走離陸説のような非主流説だったと言った方が適切です。
ニュートンによって排除排斥されたことを言っているなら、むしろ政治的正しさが科学的正しさを上回った例でしかありません。



繰り返しますが科学は根拠の質を持って競うしかないのです。
ID論を教科書に取り上げるとして、古典的創造論や宇宙人介入説やスパモンはどう扱うのですか?
これらも同様に教科書に取り上げるべきと仰いますか?
ダメならなぜですか?ID論のみ科学的手法を無視しても良いと優遇する納得できる理由はありますか?

いろいろな学説があります。
大切なのはそれぞれの学説が現状どう言う立ち位置にあるか正しく理解することから始まると思います。
そこを間違った状態で突っ走ることは真理への到達を遅らせる行為ですかありませんよ。

IDを科学として扱い研究するのは自由ですし、私も良いと思います。
ただ現状、公共教育で教えるには根拠も足らず時期尚早と考えます。

その分野を専門としている研究者は歯痒いことでしょうが、ちゃんとした研究者は根拠を固めることが必要だと分っています。
ですから非主流でも地道に研究を続けています。超心理学とか常温核融合とかですね。
根拠を示そうともせず主張を通そうとする行為は研究者とは呼べないと思います。
それは信仰です。

91GB:2024/03/03(日) 22:38:24 ID:CwmY3r1w
>人間の知恵は限られたもので、未来の完全予見は不可能だから、複数案を用意しておくのは、悪いことではない、と認識するからです。

科学理論についてなら、問われるのは知恵ではなくて認識能力ですよね。人間はどうしたって自ら作り上げた価値観や様々なバイアスにまみれるものだ、という理解から科学の方法は出発していますが、
もちろん自然理解というのは一筋縄ではいかないので、当然、常に複数案が存在します。
それではどの案が最も確からしいのか、そこで必要なのが「誰でも確認できる事柄」であり、その多寡によって質が問われるとシンプルに捉えるべきでしょう。

>無理をしてまで多様性を確保せよとはいいません。例えば、多様性のためだけにIDを教えるべきとはいいません。要は、自然に任せていれば、多様な考えが現れるのです。(実は、これも熱力学第2法則が働くのと同じ原理なのです。)

インテリジェントデザイナー論は、科学理論の多様性の領域ではなく、人の信念の領域にある、というのが科学を扱う人たちの共通認識でしょう。

>ドーキンスのように、特定の理論を教えるなと主張し、影響を与えることが害悪なのですよ。教えることを強制するな、という主張なら何の問題もありません。

とりあえずさんが言うように、インテリジェントデザイナー論の主張に客観的な論拠があるなら、それを示せばいいだけです。
それができないのに科学の理論だと主張するのは無理筋だし、自然神学という宗教思想の焼き直し、という理解に軍配が上がるでしょう。

92神って誰:2024/03/03(日) 23:07:00 ID:RNarcwOM
IDの存在は、例えば生物におけるどの様な事象を取り上げても、それを詳細に検証すれば背理法に依って容易く証明されます。
その証明は、ロジックが理解出来なければ勿論理解できません。
また、事象を詳細にあるがままに観察する能力に欠けても同様です。
固定概念に捉われ、そこから一歩も抜け出せない、迷信の囚われ人もまた同様です。
アントニーフルーの述べたゲノムの暗号背はその象徴的な例ですが、一例にすぎまません。
これは宇宙創成から現在に至る過程の全てにおいても全く同様です。
対して、自然選択論は思い付きの妄想ですからね。
厳密な科学的証明は皆無、本当の証拠も皆無です。

93神って誰:2024/03/03(日) 23:08:12 ID:RNarcwOM
観察事実に基づく合理的な推論によって、設計の存在は極めて容易に導き出されます。
信仰に囚われて事実をありのままに受容れる事が出来ない人、ロジックを追うだけの知能にかける人、そう言った人達にはID論は何時まで経っても理解する事は出来ませんね。
従ってそう言う人達にID論をいくら説いてみた所で何の意味もありません。
やるだけ無駄です。
信仰、盲信は変わる事が有りません。
論理によって説得される事は決して有りません。
それを説得の可能性ありなんて妙な期待をしてしまうととんでも無い泥沼に足を踏み込んでしまう事になります。
一切相手をしないのが最も賢明な判断です。

94神って誰:2024/03/03(日) 23:09:52 ID:RNarcwOM
全ての科学的知見とその進展はID論を支持し補強します。
対する自然選択論は迷信、お伽話です。
そして多くの名のある科学者たちも、そのお伽話の迷信から未だに抜け出せないでいます。
その理由を考えるのは彼ら自身の責任ですね。

95神って誰:2024/03/03(日) 23:13:39 ID:RNarcwOM
設計問題は科学の様々な場面で場面で突き付けられます。
現代科学の進歩はそれを更に切実なものにします。
宗教とそれをしっかり切り分けるためには上質の知性が必要です。
それが無い者に語る資格はありません。
宗教者には更に語る資格がないですね。
宗教者もどきも。

96神って誰:2024/03/03(日) 23:19:05 ID:RNarcwOM
この世界は設計されているのか?
コレが根本問題ですね。
設計されていない、とすれば全てが偶然の産物、と言う話になります。
この宇宙世界がどのようにして成立したかを考える場合、偶々か或いは設計されているか、
実はこの二つしか選択肢はありません。

97Ken:2024/03/03(日) 23:48:04 ID:j5b29EhE
>ID論は上記の状況下でY社が良いと無根拠に吹聴しているのと一緒ですよ?

こういう発言には、注意をしてください。「無根拠」と言われますが、世で流布されるIDは、特定の進化が、自然選択で起こるには複雑すぎる、という論旨ですよね。私自身は、鳥の進化を自然選択で説明するのは、力学的に無理があると述べました。それはそれで根拠でしょう。要するに、根拠として弱いとおっしゃりたいのでしょうけど、根拠が弱いのと、無根拠は異なります。本当の無根拠なら、複雑さや力学的無理のような、根拠としての説得力を検証できる対象からしてないはずです。

やりふるされた考察でしょうが、もう1度、自然選択とID(品種改良)を、単純に比較してみましょう。自然選択で進化するには、野生生活の中で繁殖に有利な条件が必要という制約があります。一方、品種改良にその制約はありませんから、野生生活に適さない進化でも起こりえます。ゆえに、自然選択で起こる進化はすべて品種改良でも起こりうるが、その逆は非常に起こりにくいことになります。進化を起こす効力は、IDの方が大きいのです。

ただし、ID(品種改良)には飼育者が必要です。ゆえに、過去の地球の飼育者の存在を確認できないなら、進化を自然選択で説明できるかぎりにおいて、ことさらIDを持ち出す必要がないというのが、あなたの主張ですよね。

でも、それで、ID論は18世紀の光波動説よりも、根拠が弱い理論になりますか?

>光波動説の状況をID論の状況と重ねるのは違和感があります。

「違和感」と言われますが、順序だてて、考えてください。光波動説で説明される現象でも、光粒子説でも説明できるというのは、IDで説明される進化でも、自然選択でも説明できると言ってるのと同じ構造です。粒子説があれば波動説は不要、自然選択があればIDは不要、というわけです。

そうなると、残るのは媒質問題です。そもそも「エーテル」のような、正体不明・観測不能の物質があることにすること自体、やってよいのかという問題がありますが、あえてやったとしても、複屈折と光速度の矛盾が残るのですから。

すくなくともIDには、このような致命的な矛盾はないはずです。それともありますか?

自然選択でも説明できるという理由で、それ自体に致命的な矛盾は無いIDを否定するのなら、粒子説でも説明できて、かつ致命的な矛盾がある波動説こそ、断じて教育の場に持ち込むべきでない、というロジックになるではありませんか。

98Ken:2024/03/04(月) 06:48:23 ID:j5b29EhE
再度、整理しましょう。

飼育者がいて、進化を導いたという想定さえおけば、個別の進化ごとに、どういう選択圧が働いたのか、という面倒な説明を、いちいち考える必要がなくなります。

このような思考法に異論があるのかもしれませんが、実はこれは、16世紀の地動説と同じ論理構造なのです。太陽が宇宙の中心で、地球の方が動くという想定さえおけば、周転円なんて面倒な説明を、考える必要がなくなります。コペルニクス時代の地動説には、それしかありません。

しかも、地動説には、恒常的な風が吹かないという、矛盾がありました。今のIDに、そんなものはありません。

問題は、IDの必須条件である飼育者です。その存在を示せないなら、IDを持ち込むことは許されず、あくまでも自然選択に拘って、進化を説明するべき、というのが、あなたの主張ですよね。

同じ論法を光波動説に適用すれば、媒質の存在は必須条件です。その存在を示せないなら、波動説は許されず、あくまでも粒子説に拘って説明するべき、ということになります。

「エーテル」と称する、まったく観測できない物質があることにして、光の媒質だと主張してもよいのでしょうか? それが許されるのなら、「エーテル人」という、まったく観測できない知的生物がいたことにして、品種改良の実行者だと、主張してもよいことになります。

しかも、エーテルとエーテル人には、大きな相違があります。

エーテル人の存在は、それを示す証拠はないが、積極的に否定する要因もありません。存在したとしても、観測事象と矛盾するわけではない。つまり反証がありません。「2001年宇宙の旅」で、人類の進化が干渉の結果というプロットが作られたのは、そういうことにしても、特段の矛盾がないからでしょう。

一方、エーテルには反証があります。複屈折が起こること、光が巨大な速度をもつことです。18世紀の波動理論では、エーテルは、鉄よりもはるかに硬い固体という結論になってしまう。十分すぎる反証です。

まとめると、現在のID論と、18世紀の光波動説では、光波動説の方が、圧倒的に合理性に欠けることになります。

99Ken:2024/03/04(月) 07:11:37 ID:j5b29EhE
1つ忠告します。

>科学は根拠の質を持って競うしかないのです。
>大切なのはそれぞれの学説が現状どう言う立ち位置にあるか正しく理解することから始まると思います。
>そこを間違った状態で突っ走ることは真理への到達を遅らせる行為ですかありませんよ。
>ちゃんとした研究者は根拠を固めることが必要だと分っています。

こういう抽象論を並べ立てるのを、いいかげんに、やめませんか?

科学に根拠が必要なことは誰だって承知してます。私も承知してます。ここでの私は、何をもって根拠とみなし、その根拠にどれだけの説得力があるかを、ID論、地動説、光波動説等を相対比較しながら、具体論で考察しています。さすがに、それは分かるでしょう。

あなたがやるべきは、私の具体論を、あなたの具体論で検証することです。上記のような抽象論は、具体的な議論が決着して、なるほどID論は、科学史に登場した諸理論よりも、根拠が弱い、と結論されたあと、総括の中で述べればよいでしょう。

議論が進行中の、上記のような発言は、印象操作にしかなりません。

私の具体論は、>>98で整理しました。これに対応する形で、具体論で答えてください。

100GB:2024/03/04(月) 21:38:02 ID:CwmY3r1w
>世で流布されるIDは、特定の進化が、自然選択で起こるには複雑すぎる、という論旨ですよね。
というより、デザイナー(神様)がいなければ、その複雑さを説明できない、という思想的スタンスですね。

>私自身は、鳥の進化を自然選択で説明するのは、力学的に無理があると述べました。それはそれで根拠でしょう。
個人的に「そう考えている」というだけで、客観的に証明された根拠ではないですね。

>要するに、根拠として弱いとおっしゃりたいのでしょうけど、根拠が弱いのと、無根拠は異なります。本当の無根拠なら、複雑さや力学的無理のような、根拠としての説得力を検証できる対象からしてないはずです。
根拠の強弱以前の、科学的検証の出発点となる「考え」ということですね。

>自然選択で進化するには、野生生活の中で繁殖に有利な条件が必要という制約があります。一方、品種改良にその制約はありませんから、野生生活に適さない進化でも起こりえます。
野生生活に適さない進化を起こす品種改良がどのように行われたのか。それを科学的探究のテーマとして措くことは可能でしょうが、

>ゆえに、自然選択で起こる進化はすべて品種改良でも起こりうるが、その逆は非常に起こりにくいことになります。進化を起こす効力は、IDの方が大きいのです。
科学的探究、つまり具体的な検証なしに、そうした結論を導いても、誰も納得できませんよ。
自分の「考え」を「論理的に」敷衍すること、思想としての評価は可能でしょうが、科学の方法に基づいた理論ではありえません。

>ID(品種改良)には飼育者が必要です。ゆえに、過去の地球の飼育者の存在を確認できないなら、進化を自然選択で説明できるかぎりにおいて、ことさらIDを持ち出す必要がないというのが、あなたの主張ですよね。
でも、それで、ID論は18世紀の光波動説よりも、根拠が弱い理論になりますか?
光波動説は具体的な根拠をもとにした「考え」ですが、飼育者が必要なID(品種改良)はなんの根拠も示せない「考え」です。
この違いが、同じ「人間の考え」でありながら、科学と疑似科学を線引きする理由になるでしょう。




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