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ID再考 & 科学と疑似科学とを判別する

85Ken:2024/03/02(土) 21:20:58 ID:j5b29EhE
「無駄」ですか。

>それが無駄を省くことに繋がります。

最初は「害悪」だったのが、表現が後退しましたね。ID論その他を唱えるのが、科学の進歩を積極的に妨げるわけではない、という点まで理解が進んだ結果なら、上々です。

では、ここからは「無駄」を論じましょう。私は「無駄」を理由に、特定の理論を排除することに反対します。なぜなら、人間の知恵は限られたもので、未来の完全予見は不可能だから、複数案を用意しておくのは、悪いことではない、と認識するからです。無駄(と、その時点では思えるもの)を省きすぎると、多様性がなくなり、リスクの方が増大するのですよ。

すこし、科学の話を脇に置いて、こういうことを考えてみてはどうでしょう。

ここに、AとBという2人の投資家がいて、両者とも半導体投資をします。また、投資対象としてXとYという企業があります。そして、X社とY社の技術、財務、経営等を、考えうる限りの合理性で判断した結果、株価が伸びるのはX社という結論が出たとします。

そこでA氏は、すべての資金をX社に投じます。
一方B氏は、資金の一部をY社に分散します。

もし、ご自身が両氏の立場におられるとして、どちらの行動を選択されますか? 繰り返しますが、その時点の合理的判断では、株価がのびるのはX社なのです。では、A氏と同じ行動をとりますか?

多くの投資家は、そんなことはやりません。全財産をX社に投じて、もしX社が敗退したら、自分も道連れです。だからY社にも投資を分散します。むろん、予想通りにX社が勝ち残ったら、Y社に投じた資金が無駄になるのは、承知の上です。

要するに、人智に限りがある以上、株価だろうが、科学だろうが、完全予見は不可能だから、集中は危険なのです。科学史における、地動説や光波動説の事例は、そのことを語ります。その時は無駄に見えても、人から人へ伝えられたからこそ、やがてケプラーやヤングが登場して、歴史的転回を起こすことができました。それに、地動説や波動説が教えられたからといって、その時点で合理性を認められている、天動説も粒子説も、妨害など受けてません。資金の一部をY社に回しても、X社への投資が大した影響を受けないのと同様です。

もしルイセンコ理論が正しく、ワクチンが有害と、分かったら?という問いかけに、

>訂正されるだけです。

と回答されましたが、理論が人から人へ伝えられず、受け継ぐ者がいなければ、消滅します。つまり、訂正の機会もなくなるのですよ。18世紀に光波動説が消えていれば、2重スリット実験もありえなかったと言いましたね(>>58)。すべての資金がX社に投じられ、Y社が消滅したら、元に戻せないのと同じことです。

結局、集中と分散の問題に行き着くのです。「無駄」な理論は教育から排除せよという、あなたは集中派です。学びたい者がいるなら、無理に排除する必要はないという私は、分散派です。投資であれ、科学であれ、集中は、当たれば無駄を省けるが、外れた時のリスクが大きいと考えるからです。

無理をしてまで多様性を確保せよとはいいません。例えば、多様性のためだけにIDを教えるべきとはいいません。要は、自然に任せていれば、多様な考えが現れるのです。(実は、これも熱力学第2法則が働くのと同じ原理なのです。)ドーキンスのように、特定の理論を教えるなと主張し、影響を与えることが害悪なのですよ。教えることを強制するな、という主張なら何の問題もありません。




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