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ID再考 & 科学と疑似科学とを判別する
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そもそも、ある理論への「反証」が現れたとき、科学はどう応じるのでしょうか? 私たちはよく、「定説でも1つの反証で崩れる」などと耳にしますが、本当にそうでしょうか? 科学史の1事例で考察してみます。その事例とは元素周期表の歴史です。以下の文章の情報源はアジモフの2書、「Asimov's Guide to Science」と「Noble Gases」で、周期表の考案者メンデレーフの事績を語ります。
メンデレーフは当時知られていた元素を原子量の順に並べることから始めました。このようにです。
水素、リチウム、ベリリウム、ホウ素、炭素、窒素、酸素、フッ素、ナトリウム、マグネシウム、アルミニウム、シリコン、燐、硫黄、塩素、カリウム、カルシウム、(以下略)
見てのとおり、ヘリウム以下の貴ガスはまだ知られていません。こう並べると、元素の1原子が結合できる原子数を表す「原子価」が規則的に増減し、同じ原子価が何度も現れます。ここからメンデレーフは、現在の周期表の原型を考案したのです。1869年のことでした。
元素周期表は広範な支持を得ました。最大の利点は未知の元素を予言したことで、カリウムと同じ周期にアルミニウムとシリコンの同族元素があると予言し、そのとおりに1875年にガリウムが、1886年にはゲルマニウムが発見されました。1879年のスカンディウムの発見も周期表が予測したものでした。
大成功した周期表ですが、問題が2つありました。
1つは「順序を守らない元素」の存在です。原子量127.6のテルルは126.9のヨウ素より後に来るはずですが、原子価ではテルルはセレンの同族で、臭素の同族のヨウ素の前に来ます。同じく、コバルトの原子量58.9はニッケルの58.7より大きいのに、原子価ではコバルトが先に来ます。元々メンデレーフが元素を並べる基準は原子量しかなかったのだから、これは矛盾で、当時は誰も説明できませんでした。
でも、説明できないなら、それはメンデレーフ理論への反証ではないのでしょうか?
メンデレーフ自身も、1894年に発見が報告されたアルゴンを新元素と認めませんでした。アルゴンは史上初めて確認された原子価=0の元素で、そのことも疑惑を生んだのでしょう。実在するなら原子価=0のアルゴンは塩素とカリウムの間に入るはずだが、アルゴンの原子量40.0はカリウムの39.1より大きかったのです。メンデレーフは観測されたのは新元素ではなく「N3」だろうと主張しました。酸素原子が3つでオゾン(O3)を作るように、窒素原子3つの分子だというのです。
第2の問題は、周期表のある地点から、元素の化学特性が変わらなくなることでした。ランタンはイットリウムの同族ですが、ランタンの後もイットリウムの同族元素が続くのです。後に「レアアース」と呼ばれるこれらの元素も説明がつかないから、メンデレーフ理論への反証だったはずです。
今の私たちは、その後の歴史を知ってます。20世紀に電子殻の構造が解明され、原子価は原子量で決まるものでないこと、電子殻は必ずしも順番に埋まるわけではないことから、「順序を守らない元素」もレアアースも説明されるようになりました。ですが、その解明がなされたのは1910年代から20年代で、メンデレーフ理論の半世紀も後のことです。その半世紀の間、この理論にはいくつもの反証があったわけですが、当時の人は理論を棄却しませんでした。反証を反証とは考えなかったのです。
では当時の人は、どう考えたのか?
一見矛盾に見える事例も、いつか説明されると信じて、反証と見なすことを拒絶したのでしょう。では、もし彼らが反証と見なすことがあるなら、何が必要だったのでしょうか?
矛盾を説明する理論は現れないと確信することです。これは「反証」の重要なポイントです。反証を反証とみなすには、矛盾を説明する理論は存在しないことが条件になるのです。
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