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ID再考 & 科学と疑似科学とを判別する
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これは前にも言ったことですが、実行者を特定できないID論は科学でないと主張する人は、エーテルが想定された歴史を学ぶべきです。直接的な証拠もないのに光は波と考えた人が、正体不明の「エーテル」なるものがあることに決めたのだから、ID実行者は宇宙から来た「エーテル星人」に決めるのと変わりません。科学とは、そのような発想を許容するものだ、ということがよく分かる事例です。
このような科学史の過去と現在をみれば、ある理論は疑似科学とか、科学の土俵に乗らないとか、そんなことを言えるものではないことが、分かるでしょう。人間の発想は多様であり、多様さを強みにして、科学は発展してきました。現実の問題に取り組む人は、それを承知してますから、基準などを設け、違反を疑似科学と呼んだりはしません。それをやるのは、実務に携わることがない、茶の間の評論家です。ファインマンの表現を使えば「カクテルパーティーの哲学者」でしょう。
問題に取り組む当事者なら、「基準」など意識することなく、自由に想像力を駆使し、考えつくアイディアはなんでも利用して、解決法を探ります。科学や技術の世界で問題解決に取り組んだ人なら、その経験があるはずです。
再度、主張します。特定の理論を「疑似科学」とか「科学の土俵に乗らない」とか「人の想念」などという人を、信じてはいけません。そういう人の多くは、科学の実務も歴史も知らず、そもそも科学的素養がなく、抽象的観念の中だけで、科学のありようを空想してるにすぎません。だから、具体的な説明を要求されても、応じることができず、抽象論に抽象論を重ねて、まともな議論を逃れようとするのです。
もし、そのような人の中に、本当の科学を知る「本物」がいるなら、それを見分けるのは、具体論を語れるかどうかです。それしかありません。
最後に、疑似科学なるものを、具体的に定義できる、唯一のケースを述べます。理論の提唱者自身が、その理論を信じておらず、意図的な嘘をつく場合です。自分の理論が正しくないと、当人が思っていながら、なお、その理論が正しいと主張することです。それは歴史に実例があり、2022年12月18に紹介しました。
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