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ID再考 & 科学と疑似科学とを判別する
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再度、整理しましょう。
飼育者がいて、進化を導いたという想定さえおけば、個別の進化ごとに、どういう選択圧が働いたのか、という面倒な説明を、いちいち考える必要がなくなります。
このような思考法に異論があるのかもしれませんが、実はこれは、16世紀の地動説と同じ論理構造なのです。太陽が宇宙の中心で、地球の方が動くという想定さえおけば、周転円なんて面倒な説明を、考える必要がなくなります。コペルニクス時代の地動説には、それしかありません。
しかも、地動説には、恒常的な風が吹かないという、矛盾がありました。今のIDに、そんなものはありません。
問題は、IDの必須条件である飼育者です。その存在を示せないなら、IDを持ち込むことは許されず、あくまでも自然選択に拘って、進化を説明するべき、というのが、あなたの主張ですよね。
同じ論法を光波動説に適用すれば、媒質の存在は必須条件です。その存在を示せないなら、波動説は許されず、あくまでも粒子説に拘って説明するべき、ということになります。
「エーテル」と称する、まったく観測できない物質があることにして、光の媒質だと主張してもよいのでしょうか? それが許されるのなら、「エーテル人」という、まったく観測できない知的生物がいたことにして、品種改良の実行者だと、主張してもよいことになります。
しかも、エーテルとエーテル人には、大きな相違があります。
エーテル人の存在は、それを示す証拠はないが、積極的に否定する要因もありません。存在したとしても、観測事象と矛盾するわけではない。つまり反証がありません。「2001年宇宙の旅」で、人類の進化が干渉の結果というプロットが作られたのは、そういうことにしても、特段の矛盾がないからでしょう。
一方、エーテルには反証があります。複屈折が起こること、光が巨大な速度をもつことです。18世紀の波動理論では、エーテルは、鉄よりもはるかに硬い固体という結論になってしまう。十分すぎる反証です。
まとめると、現在のID論と、18世紀の光波動説では、光波動説の方が、圧倒的に合理性に欠けることになります。
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