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ID再考 & 科学と疑似科学とを判別する
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IDをめぐる議論がしばしば混乱するのは、理論の可否以前に、そもそも科学の態をなさない、という批判が寄せられることにあります。
同じ課題を扱う諸仮説に優劣がつくことはあります。1つの理論が別の理論よりも支持を集めるわけです。17世紀から続いた光の正体論争には、光粒子説が優勢だった時代と、光波動説が優勢だった時代がありますが、支持の弱い理論でも、疑似科学と呼ばれたわけではありません。理論の比較優位と、科学疑似科学は、別の問題だからです。
数年にわたって続けてきた一連のスレッドで、私は、科学と疑似科学を判別する客観的な基準が存在しうるのかを検証してきました。具体的には、議論の相手に、基準を提示させ、その基準が普遍的に適用されるのかを、調べることです。基準としては、
1.科学理論は、反証可能であるべき(基準01)
2.対立説の否定ではなく、自説を支持する証拠を示すべき(基準02)
3.論理的な矛盾があってはいけない(基準03〜)
といったものが提示されてきました。これに対して私がやってきたのは、これらの基準で、天地創造論やID論ではなく、熱力学第2法則のような、広く受容されている理論を判定することでした。そうする理由は、一部の理論は初めから疑似科学と、問答無用で決めつけられており、判定基準などあと付けではないか、と疑ったからで`す。
そして5年以上続けた議論の結果は「やはりそうだった」というものでした。上記の基準は一見合理的に見えますが、普遍的に適用すれば、定説を含む多くの理論を、疑似科学と判定してしまうのです。過去の投稿に編集を加えながら、説明しましょう。最初は、基準01です。
1.科学理論は、反証可能であるべき(基準01)
これを論じたのは2020年11月18日の投稿が最初でした。まず「反証」には本当に意味があるのか、反証された理論は本当に棄却されるのか、という問題に、元素周期表の例を挙げ、そうとはいえない、と説明しました。
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