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科学と疑似科学とを判別する

1diamonds8888x:2018/04/21(土) 05:52:21 ID:JpDvA4vM
 第1掲示板にて、ID論は疑似科学か否かというテーマでkenさんと議論を続けてきましたが、そもそも両者をどう区別するのかというメタ科学的な話になりましたので、ミケさんの提案に従い第3掲示板にスレッドを立てます。

 まずは第1掲示板での関連する発言へのリンクを時系列で列挙します。1発言での文字数制限があるようですので、分割してアップします。
 URL書き込みに規制があるようですので頭に「http:」を付けて使ってください。

//6609.teacup.com/natrom/bbs/19161 投稿日:2018年 2月27日(火)05時11分41秒 Kenさん 投稿者:diamonds8888x まさに、その通りです
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19137 投稿日:2018年 2月26日(月)21時18分41秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken それとも今回は宗教に話が及んだからそうなったので、議論の土俵をサイエンスに限定するなら、そういうことは起こらないと考えてもよろしいでしょうか?
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19130 投稿日:2018年 2月26日(月)06時06分39秒 コナン君とは 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19117 投稿日:2018年 2月25日(日)16時38分23秒 ダーウィンの子犬様、一蘭様、Ken様 投稿者:ゲジゲジ この3つは同時に成立します
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19116 投稿日:2018年 2月25日(日)00時37分14秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken はじめにタイトルについて
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19112 投稿日:2018年 2月24日(土)05時41分6秒 坊さんと衣は別なので 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19111 投稿日:2018年 2月24日(土)05時39分40秒 コナン君、君は間違っている 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19109 投稿日:2018年 2月24日(土)00時36分15秒 Ken様 投稿者:ゲジゲジ ダーウィニズムは「適者生存」により劣った者が淘汰されることで進化が起こると主張していません!!
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19109 投稿日:2018年 2月22日(木)23時35分47秒 それをいうなら 投稿者:Ken ダーウィニズムもまた帝国主義、植民地主義の理論武装に大いに利用されたのですが
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19069 投稿日:2018年 2月20日(火)01時39分2秒 あぁ、宗教論になっていく 投稿者:ゲジゲジ
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19063 投稿日:2018年 2月19日(月)22時47分10秒 (無題) 投稿者:GB まっとうな宗教者たちというのは、
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19061 投稿日:2018年 2月19日(月)22時37分18秒 霊魂? 投稿者:GB
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19060 投稿日:2018年 2月19日(月)21時37分17秒 複数の真実!! 投稿者:Ken
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19054 投稿日:2018年 2月19日(月)06時27分41秒 事実か公理か信仰か 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19053 投稿日:2018年 2月19日(月)06時21分48秒 Kenさん、複数の真実 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/18948 投稿日:2018年 2月17日(土)03時46分25秒 ヨコからですがKen様 投稿者:ゲジゲジ もう少し問題を整理して、本質と本質でない部分とを区別して考えてみては如何でしょう?

12ミケ:2018/04/27(金) 22:40:20 ID:hmI6xcyU
>>10
>レスの方法
半角の「>」二つ+番号です。

13diamonds8888x:2018/04/28(土) 07:36:19 ID:V97bymbU
>>12 ミケさん、ありがとうございました。

14diamonds8888x:2018/04/28(土) 07:50:18 ID:V97bymbU
>>7  疑似科学だとか非科学的とかに関連する議論には人の態度に関する部分もあって紛らわしそうなので、ちょっと整理してみます。ここでは何らかの定説に対立す新説が提唱された場合に限って考えます。そして科学的真理を追究するという目的の場では一種のルールが要請されます。ルールといっても、誤りを犯さないようにするための方法というものもあれば、証拠のねつ造はいけないといった一般倫理に近いものもあります。出典を示せ、というような訓練を受けていないと意識されにくいルールなどもあります。

 この場合、自説を証明しようとする際のルールと、他説を批判する際のルールというものがあります。

 【自説を証明しようとする際のルール】
   A1.自説の根拠を明示すべし  まとめるとこれに尽きそうです。

  ・ただ、それが根拠になりうるか否かという点で議論は生じるでしょう
    (排他的2説の場合を除き、対立仮説の難点は根拠とはいえない、など)
  ・着想の段階では何をきっかけに思いつこうといいのですが、他者に説明したり公表する際にそれを根拠とするのは科学的態度ではありません。「夢の中で思いついた」とか「聖書・物語・冗談から思いついた」といったことは裏話として述べればいいのです。

 【他説を批判する際のルール】
   B1,事実と論理に基づいて批判せよ (実質的に「根拠を明示すべし」と同じです)
   B2.権力や社会的影響力で封殺してはいけない 言論の自由の原則です
   B3.主張者の人格攻撃をしてはいけない


 B2の悪しき例としては旧ソ連のルイセンコ説がありますね。それに比べればB3は遥かに悪影響は少ないけれど、互いに感情的になって科学的議論の妨げになるという悪影響があります。


 さて過去の発言から見てKenさんは、米国における創造論やID論に対する定説側科学者達の態度がB2違反ではないかと思って批判しているようです。しかしそれは誤解でしょう。創造論やID論も自由に自説を発表することは決して妨げられていないはずだし、だからこそ公開の議論の対象になっているのです。ID論に限らず、疑似科学と見なす人の多い他の説にしても、すくなくとも自由主義諸国の中では自由な公表は妨げられていないはずです。

 米国で裁判にまでなっている公教育の場は、未だ評価が確定していない多様な説が入り乱れることを許す、科学的真理を追究するという目的の場、とは違いますから、そこで何を教えるべきかという話は、学問の自由とは異なる話です。

 むろん私も、どんなトンデモでも新説の自由な公表を妨げることには大反対です。むしろ色々と公表して楽しませてほしい(^_^)


 注意すべき点は、激しく厳しい批判をB2と勘違いしないでくださいね、ということでしょうか。激しく厳しい批判は当然のこととして、【自説を証明しようとする際のルール】に従って誠実に打ち返すべきです。激しく間違っている批判は、どこが間違いかをキチンと指摘すればよい。

15diamonds8888x:2018/04/28(土) 08:16:47 ID:V97bymbU
 黒き盾の向こう側の話は私のブログに書きました。本番のブラックホールの話はまだですが、観測不能な領域の外挿による推測という事への見解は黒き盾の向こう側[beyond the Schwarzschild] -2-[//blog.goo.ne.jp/diamonds8888x/e/9efa41527ad7bea341a93b923036ea31]に書きました。また、この記事からリンクした外挿の世界[//blog.goo.ne.jp/diamonds8888x/e/f7788fc3ca3d95b405428d268e71e55e1]にももっと詳しく書いていました。

> 実のところ「地平線の内側で得た情報をその外側に外挿」しても良いか否かも反証は不可能です。にもかかわらず、こういう外挿についてはエリスは妥当だと考えますし、私も妥当だろうなと考えます。なぜでしょう?

 現代の科学では宇宙の一様性や均一性の仮定が妥当なものと考えられていますし、Kenさんもそうだと思います。でもそのような考えが確立されたのも確かに歴史的に古いことではありません。

 そもそも科学的に妥当な方法とされている枚挙的帰納法にしても、まだ見ぬ部分も見た部分と同様だろうという一様性の仮定に基づいているわけです。ブラックホールの内部以外にも検証不可能だけれども推測の正しさは評価されるようなことはいくらでもあります。何人かの人が指摘した過去の事実もそのひとつだし、他人の心なども一例です。そして、最も正確な推測が可能と考えられるニュートン力学による運動予測にしても、この世の全ての事例を検証できることはありません。

16Ken:2018/05/02(水) 23:47:15 ID:D2dZPptk
長距離移動の転居をしたため、しばらく書き込みができませんでした。
diamonds8888xさんからいくつかの指摘をいただきましたが、最も大切と考える点についてコメントさせていただきます。10への返信です。(>>10

まっとうな科学と疑似科学の間にグレーゾーンがあり、それは連続的に変化して明確な境界はないというのであれば、そこには定量的、数値的評価があるべきではないでしょうか。

アジモフは人種(というより人間の区分)をやりたいなら、肌の色のような連続的に変化して境界がないものではなく、血液型のように明確な区分がある特徴を用いるべきだと述べました。とはいえ、先天的な肌の色で人間集団を区分することも可能です。ただし、科学としてそれを行うなら、メラニンという化合物が皮下組織中に単位体積あたりどれだけ存在するか、といった具体的な数値にする必要があるでしょう。

どのようなものであれ「連続的に変化する」判定基準なら、数値で表現されるはずなのです。具体的な単位を設定し算定方法を決めねばなりません。科学と疑似科学を分ける基準も例外ではないはずです。

私自身はそんな数値化が可能とは思いませんでしたし、科学と疑似科学の判定は質的、定性的なものであると考えて議論を進めてきました。

もしも連続的すなわち量的なものであるというなら、具体的な数値として表すべきではないでしょうか。

17diamonds8888x:2018/05/05(土) 08:49:01 ID:3RRM.9Rw
>>16 定量的、数値的評価があるにこしたことはありませんが、それが難しいこともありますし、とりあえず定性的ですむこともあります。
 定性的だから不連続ということはありません。好き>どちらかといえば好き>どちらでもない>どちらかといえば嫌い>嫌い、とかいう順番は、定性的だけれど境界が曖昧でしょ。

18Ken:2018/05/05(土) 12:49:16 ID:D2dZPptk
>>17
diamonds8888xさんは、科学か疑似科学かによって、教育の場に持ち込むことを認めるか排除するかを決めるというご意見ですから、この判定はどれだけ厳密にやってもやりすぎることはないと思われます。複数段階があることと曖昧さは別物ですし、複数段階を認めても曖昧さは許されないはずです。

たとえば、

1.科学
2.どちらかといえば科学
3.どちらでもない
4.どちらかといえば疑似科学
5.疑似科学

という5段階があるとして、1と2を区別するのはどのような条件であるか、2と3は?といったことが問題になるはずです。

これまでは、科学と疑似科学の2段階だと思っていたので、両者を分ける条件としてP1〜P3、L1〜L3が提唱されました。段階数が増えるのなら、判別条件が複数セット必要ということで、基本原理は同じではないでしょうか?

また学校教育の場に持ち込むことを認めるのはどこまでなのかも問題になります。1しか認めないのか、2も含めるのかといったものです。

いかがでしょうか?

19名無しさん:2018/05/09(水) 20:35:29 ID:LdKhejdU
>>18 許されないと言ってもできないことは仕方ありません。世の中はそんなことばかりです。
 あと補足しますが、違いが1次元空間上に表現できるものとは思っていません。むしろ複数のパラメーターによる多次元空間で、科学に該当する範囲がある、というイメージが正しいと思います。

20Ken:2018/05/11(金) 20:01:10 ID:u4ZOJOl6
>>19

第1掲示板でも言いましたが、こちらでもお断りしておきます。

申し訳ありませんが、私(Ken)には複数の方と同時並行で議論をする能力がありません。

場合によってはそれをやることもありますが、diamonds8888xさんとの意見交換は細心の注意を払ってやっているつもりなので、第三者からのコメントに回答をしていると、私の注意力が散ってしまうリスクがあるのです。

これは純粋に私の能力の問題です。

もちろん公開の掲示板ですから、どなたがコメントをされるのもご自由ですが、すくなくともdiamonds8888xさんとの議論が続いている間は、私からの回答ができないことをご了承ください。

21diamonds8888x:2018/05/12(土) 05:43:17 ID:LdKhejdU
>>20 Kenさん、ごめんなさい。19は私の発言です。名前を入れるのを失念してしまいました。誠に申し訳ありません。

 ついでに補足します。第1掲示板で何人かの人の発言にあった「科学的正しさは蓋然性で判断される」との趣旨の考え方は御理解いただけているでしょうか? 1か0かではない、ということです。蓋然性(probability)とは確からしさと言えばよいでしょう。数値化を試みることはできますが、厳密には難しいでしょう。

22Ken:2018/05/13(日) 09:17:30 ID:u4ZOJOl6
>>21
diamonds8888xさん

私が知るprobabilityの日本語訳は「確率」だけです。その定義からして、数値化できなければ意味のないものではないかと思われます。

「科学的正しさはprobabilityで判断される」

この1文だけをとりだせば、それなりの真理を表すかもしれません。ですが今の場合、問題になるのは「法」ではないでしょうか?

私たちが論じてきた科学と疑似科学の判別は、科学に携わる個々人が自己の行動を律するという意味もあるでしょうが、それ以上に教育現場やシンポジウムのような「社会」の行動を律するという意味が強かったはずです。とりわけ、公教育の場で教えることを社会がコントロールするべきと主張されるdiamonds8888xさんの考えに従えば、そうなるはずなのです。

そうなると、どうしても曖昧さの存在を許すことはできません。例えば学校で何を教えるかで意見が対立したとき、話し合って合意にいたるには、全員が容認する共通の判定基準が土台になるからです。そのような共通の判定基準とはつまり「法」であり、個々人の主観や恣意を排除するために、最大限の明確さで記述されるべきではないでしょうか? そうでなければ、どうやって反対意見を説得もしくは論破するのでしょうか?

純粋に科学的な判定基準としても、定量的な数値化は難しい、かといって定性的な区別(1か0か)でもないという、そんな判定基準がありえるでしょうか?

そんな判定基準しかもてないのなら、科学と疑似科学を論じることがそもそも無意味であり、ひいては、地動説であれ、ブラックホールの内部であれ、IDであれ、血液型性格診断であれ、学校やシンポジウムの場にもちこむことを、自由放任にする以外の選択肢がないではないかと、私には思われます。

23diamonds8888x:2018/05/19(土) 06:00:41 ID:LdKhejdU
>>22
>私が知るprobabilityの日本語訳は「確率」だけです。

 ひとまず英和辞書を引いてください。そもそも数学上の定量化された「確率」という概念自体が半定性的な「確からしさ」という概念から産まれたものです。西欧語では"probability"に当たる語がそのまま使われたのですが、日本語ではたぶん明治の先人たちが熟慮して訳語を創ったのでしょう。詳しくはKenさんのお好きな科学史を調べればわかるでしょう。

>この1文だけをとりだせば、それなりの真理を表すかもしれません。ですが今の場合、問題になるのは「法」ではないでしょうか?

 その話はいったん置かれたつもりでしたが、まあ再考してみましょう。科学的に何かを知ろうとする際と、知ったことを使って何かを(例えば公教育の内容を)決断しようとする際とは別の話になります。前者の結果は明確な境界のないことがほとんどですが、後者ではそこになんらかの境界を決めなくてはなりません。それは科学ではなく、いわゆる政治的決断というものです。

 例えば環境規制や食品中の化学物質規制を決めることを考えてみるとよいでしょう。例えば致死量という比較的単純な評価値でさえも明確なひとつの値にはなりません。どれだけの量で死ぬ確率がどれくらいかは個体にもより他様々な条件にもより異なります。そこで「十分に安全なだけの許容範囲」を取って規制値を決めたというのが多くの国々での法規制です。

 例えば小学生に公的に教える内容を決めるとき、彼らの平均能力や教師の負担を考えても、そうそう多種類の理論を教えるというわけにもいきません。では取捨選択をどうするかと考えたときに、現時点で最も確からしい理論を優先し、「十分に確からしい許容範囲」を取って、「現時点では確からしさに欠ける理論」は捨てるのが妥当というものでしょう。

 教えられる者にとっての「難易度」というのも数値的に示しにくい量ですが、教育では考慮せざるをえません。曖昧な量とはいえ、小学生に微積分や量子力学を教えようとは誰も思わないのではないでしょうか? 「灰色領域があったとしても黒と白の区別はつけられる」と過去に言いましたが、まさにその一例です。


 以上のように、「世の中、そんなことばかりです」

24Ken:2018/05/19(土) 15:05:00 ID:u4ZOJOl6
>>23
diamonds8888xさん

>前者の結果は明確な境界のないことがほとんどですが、後者ではそこになんらかの境界を決めなくてはなりません。それは科学ではなく、いわゆる政治的決断というものです。

そのように言われるのなら、政治的決断をしてでも、科学と疑似科学の境界を明らかにしていただかねばなりません。

私たちの間の大前提を思い出してください。

私(Ken)にとっての疑似科学とは意図的なペテンであり、それ以外はどのように仮説を構築するのも、それを教えるのも教わるのも自由で、当人が自己責任をとればよいと考えているのです。

でもdiamonds8888xさんの考えはそうではないはずです。疑似科学とペテンは無関係で、正しい手順を踏むことなく構築された仮説はそれだけで疑似科学となり、そのような仮説を提唱する人物には、

「こんなこともわからんのか、ボケ」

という言葉で論難してもよいというご意見です。そして今回の議論では、疑似科学についてはdiamonds8888xさんの定義に従うことで合意をしました。そうなると私からは2つの要求があります。

なによりも科学と疑似科学を区別する基準を明らかにしていただかねばなりません。疑似科学に関するdiamonds8888xさんの定義に従う以上は、その判定基準を明らかにする責任はdiamonds8888xさんにあります。

もう1つは、判定基準を後から提唱するのは反則だということです。例えば、私が自分のID論を展開したあとで、それを疑似科学と判定する基準がそのとき初めて明らかにされるのでは困ります。判定基準はあらかじめ明らかにしておき、仮説が出たとき、その基準にのみ準拠して、科学・疑似科学の判定がなされるべきです。

以上の理由により、個人の主観や恣意が介在しえない明確な判定基準は、どうあっても設定していただかねばなりません。たとえdiamonds8888xさんの内部では曖昧と思われていても、曖昧ではない基準を出していただかねば、議論が先へ進まないのです。

私から提案をさせていただけるのなら、「致死量」の例にならい「十分に安全なだけの許容範囲」を取ってみられてはいかがでしょうか? これこれの条件を満たしていればまっとうな科学であって疑似科学ではないという基準を。

そのようにして科学・疑似科学の判定基準を決めたら、その基準に従う限りは、どんな仮説がどんな根拠で出されようとも、疑似科学と言われては困ります。また、その基準で疑似科学と判定されるものは、どれだけ世間で権威をもって通用していることであっても、疑似科学と主張されるべきです。

疑似科学の判定条件として、これまでと同じP1〜P3を使うのか、それとも変更するのかは、diamonds8888xさんが決めていただけますでしょうか。

25diamonds8888x:2018/05/21(月) 05:50:36 ID:LdKhejdU
>>24
 今回の設問の背景には戸惑う点がありますのでそこをまず確認させてください。
 なお、設問内容自体は理解しているつもりです。
 (私の感覚と少しずれた部分があって何とも言えませんが、それは今回の背景確認の後ということで)

 Kenさんがこの掲示板で議論し主張しようとしたことは、大きくは次の2点だと思っていました。カッコ内は私の付け加えですが、正しい補足になっていると思います。

1.ID論は現代進化論(ひとまずダーウィン進化論でもいいけど)と同等に探究されてもよいくらいの根拠が理論である。
2.ID論自体の(科学的)正しさはひまず置いて、ID論を公教育で教えることを妨げるのは(倫理的に)正しくない。


 実はKenさんの主張したいことの本命は2の方だった、ということですね?
 そもそもID論の内容自体にはあまり立ち入るつもりはなかった、ということはありますか?

 さらに1についても実は、
 ・ID論が現代進化論と「同等」と考えているわけではなく、現代進化論では説明しがたい現象があり、
 ・ その説明理論のひとつにID論がなりうると考える。
 ・ その説明理論としてはID論が最有力であると考える。
ということだった、ということだったのでしょうか?


 で、本命の2については具体的には、米国で現代進化論を信じる主流の科学者たちがID論者たちに(行った/行っている)仕打ちを非難している、ということで間違いありませんか?


蛇足) 用語はその場で定義して使えば議論の妨げにはなりませんが、多くの人がどう使うかについては、以下の記載が実態を示していると思うのですが、いかがですか? それでも御自分の使い方(定義)の方が「正しい」?と感じますか?
  疑似科学 => wikipedia
  probability => 英和辞書(普通に詳しいもの)

 まあここは人それぞれの嗜好ですから干渉はしませんが。

26Know thyself:2018/05/21(月) 06:58:09 ID:DsaeXNwY
>>25
diamonds8888xさん

Kenさんが以前、私宛に投稿された一部を参考程度に引用します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>ID論の根拠として「観測される進化の中には自然選択では説明ができないものがある」という主張が行われます。これに対して、

>1.自然選択を否定してもIDの肯定にはならない
>2.自然選択を否定するというが、その具体例は自然選択で説明できるもので、否定になってない

>という反論が寄せられました。どちらも論理的には筋が通っていますが、2つが同時に寄せられると私には対応ができません。どうしても順序を踏み、まず1をクリアしてから2を論ずる必要があります。今回、私がIDの具体例と考える事例を出していないのは、それは2の論点で、1をクリアしないと論じる意味がないからなのです。そして1つまり自然選択の否定をIDの根拠にするというのが疑似科学とされた最大の理由なので、私にとって疑似科学の定義を明らかにしておくのは、1をクリアするためにどうしても必要なのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「1をクリアしなければ2を論ずる意味がない」
のあたりで、単純にIDを肯定(進化論を否定することによって)したいのだと私は解釈してました。

もちろんKenさん本人に訊いたほうがはるかに確かですので、あくまで参考程度です。

27Ken:2018/05/21(月) 23:19:56 ID:u4ZOJOl6
率直に言うと、今の段階でID論を語るのは避けたい気持が私にはあります。なぜなら、いずれID論を語るための環境設定として科学と疑似科学の違いを明らかにしようとしているわけだから、ここでID論の話をすると、

〜ID論で検証した疑似科学論でID論を検証する〜

ことになります。そういうことが絶対にできないわけではないでしょうが、注意をしないと、原因と結果、前提と帰結が混乱し、特定の結論に帰結したいがゆえに前提を調節するような事態が、人間の精神活動ではしばしば発生します。


>2.ID論自体の(科学的)正しさはひまず置いて、ID論を公教育で教えることを妨げるのは(倫理的に)正しくない。
>実はKenさんの主張したいことの本命は2の方だった、ということですね?

私がいま訴えていることを繰り返させてください。

〜ある理論が疑似科学と主張するのなら、主張する人には説明責任が生じる〜

例えばdiamonds8888xさんは、今の世に実在するいくつかの理論は疑似科学すなわち正しい科学手法に拠らないものと主張されますが、それならどういう基準にもとづきそう判定するのか説明する責任が生じます。その判定基準は誤解・主観・恣意を極力排除した明確で厳密なものであるべきです。

diamonds8888xさんほどの見識を持つ方にこのようなことを言うのは苦しいのですが、判定基準を明らかにしてくださいという私への回答の中に、「半科学」「曖昧」「世の中はそんなことばかり」という表現が入ることを、私が受け入れがたい理由はそこにあります。

これをID論と教育の関係に適用すると、

〜ID論がどういう基準で疑似科学となるのか曖昧にしたままで、教えることを妨げるのは倫理的に正しくない〜

ということになろうかと思います。


>そもそもID論の内容自体にはあまり立ち入るつもりはなかった、ということはありますか?

冒頭で述べたように、科学と疑似科学の判定基準をあきらかにしようとしている段階では、ID論には立ち入りたくない気持があります。むろんいずれはIDの話をしたいのですが。


>・ID論が現代進化論と「同等」と考えているわけではなく、現代進化論では説明しがたい現象があり、
>・ その説明理論のひとつにID論がなりうると考える。
>・ その説明理論としてはID論が最有力であると考える。

「最有力」かどうかはともかく、IDが説明理論のひとつになりうると私が考えているのはそのとおりです。


>本命の2については具体的には、米国で現代進化論を信じる主流の科学者たちがID論者たちに(行った/行っている)仕打ちを非難している、ということで間違いありませんか?

以前にドーキンスがガーディアン紙に寄稿した文章を紹介しましたが、ID論を批判するといって語り始めながら、いつのまにか神が万物を作った創造論の批判にすりかえるようなやり方は読者を愚弄するもので、ドーキンスへの私の評価は急降下しました。

とはいえ、私の一番の関心は、私自身のID論がどのように評価されるかにあります。

これは余談ですが、7年前に私が本サイトに参加したときも今と同様の主張を同様の筆致で発言しましたが、一部の人には最後まで疑似科学と決め付けられました。それもshinok30さんのように論理的な批判を加えるならまだしも、憎悪むき出しの罵倒、誹謗、揶揄連発で私の人格を攻撃し、私を説得・論破するのではなく沈黙させようとする人々がいたことは、当時の投稿を見れば分かるはずです。

ダーウィンから1世紀半も経つと、ダーウィンを攻撃した当時の創造論者とそっくりの連中がダーウィニストの中に現れるのだから、これも歴史が繰り返す1つの例というべきでしょうか。

28ミケ:2018/05/22(火) 19:12:12 ID:hmI6xcyU
>>27
Kenさん
当事者のKenさんが希望する限り、基本的にはここでの口出しはしないつもりです。
ただ、ここだけは教えてください。

>7年前に私が本サイトに参加したときも今と同様の主張を同様の筆致で発言しましたが、一部の人には最後まで疑似科学と決め付けられました。
>それもshinok30さんのように論理的な批判を加えるならまだしも、憎悪むき出しの罵倒、誹謗、揶揄連発で私の人格を攻撃し、私を説得・論破するのではなく沈黙させようとする人々がいたことは、当時の投稿を見れば分かるはずです。

7年前のKenさんの主張とは、
ID論争 投稿者:Ken 投稿日:2011年 2月 2日(水)20時36分50秒
ttp://6609.teacup.com/natrom/bbs/12425
に端を発するものかと思います。

私は当時この掲示板を離れていたのですが、今私が見たところ、見落としもあるかもしれませんが、
根拠なしに最初から最後まで疑似科学と決め付けた人は見当たらず、
憎悪むき出しの罵倒、誹謗、揶揄連発でKenさんの人格を攻撃した投稿も見当たりませんでした。

少なくとも、科学的な議論を行うこの掲示板において
まともに議論に応じずに誹謗中傷と人格攻撃に終始したというレッテルは
これ以上ない非難の言葉だと思います。
相手がまともに議論しておらず誹謗中傷に終始していたと主張するのならば、
そう主張するあなたに説明責任が生じるのでは?

それなしに「ダーウィンを攻撃した当時の創造論者とそっくりの連中」などと断じるのは
それこそ揶揄・誹謗中傷にあたるのではないかと思います。
科学/疑似科学以前の問題です。
相手の理論を疑似科学と決めつけるのよりもひどいことです。

過去の議論を読みましたが、
Kenさんの主張を終始認めなかった方もいましたが、
その方たちは根拠なく否定していたのではなく、常に根拠を示していたように思います。
よってたかって否定され続けたのを敵意や憎悪のように勘違いしてしまったのではありませんか?

たとえばJA50さんの発言などは、
Kenさんにとっては不快になるであろう厳しい表現ですが、
人格攻撃ではなくて普通に科学的に正当な要求ですし
(「ではないでしょうか」と「思う」だけではなく具体的な根拠を語れ等)
参考
ttp://6609.teacup.com/natrom/bbs/12430

まさ海苔さんは
>「進化論は言うまでもなく絶対正しい。創造論やID論は言うまでもなくトンデモだ」・・というトンデモに対してはkenさんの「進化論は仮説である。ID論も仮説である。」という発言を後押ししますよ。
とおっしゃっており、
さらに続けて
>でもこの板の常連さんたちは...
とおっしゃっています。
参考
ttp://6609.teacup.com/natrom/bbs/12581

もし、根拠なしに最初から最後まで疑似科学と決め付けた人がいたら、
まさ海苔さんの発言は、こうはならないのではないでしょうか。

ということで具体的に、誰のどの発言がそれに当たるのか教えてください。
本当は罵倒でないものをKenさんが誤解していたというのであれば解くことができるかもしれませんし
仮に記憶違い等、故意でないとしても何かしらの訂正をしていただきたいところです。

29Ken:2018/05/22(火) 19:41:48 ID:u4ZOJOl6
ミケさん、

私自身は7年前、えらく攻撃的な発言を、すくなくとも私がその人たちに向けて発した言葉よりも攻撃的な言葉を投げられた印象を持ちましたが、これは私の主観であり、客観的にみてそれらが誹謗中傷と呼ぶにあたいするかは別の問題ですね。

よって、この部分は撤回させていただきます。失礼しました。

ただし「ダーウィンを攻撃した当時の創造論者とそっくりの連中」には、ガーディアン紙に寄稿したリチャード・ドーキンスが含まれます。むしろこちらの方がかつての創造論者と同じことをやっているように思われます。

www.theguardian.com/science/2005/sep/01/schools.research

30GB:2018/05/22(火) 22:32:35 ID:LSOxP3o2
>憎悪むき出しの罵倒、誹謗、揶揄連発で私の人格を攻撃し、私を説得・論破するのではなく沈黙させようとする人々がいたことは、当時の投稿を見れば分かるはずです。

ここまで言っておいて、いとも簡単に撤回するんですね。当時その場にいた人間の一人として、呆れました。

老婆心ながら、ドーキンスに対する(主観的な)誹謗中傷も、撤回したほうがいいですよ。

31ミケ:2018/05/22(火) 23:05:19 ID:hmI6xcyU
私はその場にいなかったのでとりあえず撤回は了解しました。
腰を折ってすみませんでした。

>ただし「ダーウィンを攻撃した当時の創造論者とそっくりの連中」には、ガーディアン紙に寄稿したリチャード・ドーキンスが含まれます。

ドーキンスは宗教憎しというか
ときたま宗教そのものを否定する傾向があるような印象を持っていますが、
ただ、少なくともその記事は別に普通のことを言っているだけのような…。

当時の議論にもあるようですし、ここで述べてしまうのは避けます。

32名無しさん:2018/05/25(金) 07:46:31 ID:UkeDPV/.
愛欲を独占する淫らな石プレミアムは知っていますか?

33diamonds8888x:2018/05/26(土) 10:01:36 ID:2RTJzBpM
>>27
 近頃多忙で応答が遅くなりがちですが御理解願います。
 で、不十分な返信ですが、残りはまた次にしますので。
 (実のところ[>>27]は色々な論点を含んでいて、背景まで含めた理解になかなか時間がかかります。)

>私がいま訴えていることを繰り返させてください。

 いまひとつわかりにくかったのですが、一応、2のID論を公教育で教えること云々ではなくて、1の「ID論は〜根拠のある理論である。」を議論することが本命と理解しました。
 でしたら、22でのような発言や「政治的決断をしてでも、」とかの紛らわしい発言は、ちょっと控えていただきたい。横道にそれますから。

 私の見解では、[>>25]での1と2では少し違う議論になりますから。

34diamonds8888x:2018/05/26(土) 10:02:33 ID:2RTJzBpM
>>29 【蛇足的な】粗暴なる発言についての対応
 「罵倒、誹謗、揶揄」の混じった反対意見に立腹する気持ちは理解できます。が、自分の理解を深めるための議論を望むならば、そういう余分な飾り物は無視して発言の中にある事実だけに注目するのがお得ですよ。あまり良い例えではありませんが、中高生が「理科の先生が気に食わないから理科を勉強する気になれない」などと言って拗ねて、学びの機会を手放すようなものです。
 むろん「罵倒、誹謗、揶揄」と取れるような発言をする側にはマナーの問題がありますが、そこをつつきすぎるのも時間の無駄というものです。それに特に自分には常識的なことを相手が理解してない時には、(例えば理解の遅い子供に教えるときとか)、「こんなこともわからんのか、ボケ」ぐらいは言いたくなる気持ちはKenさんにも御経験はありませんか?
 ドーキンスVS創造論者の対決では相手は子供じゃないのでマナーは必要でしょうけど、「罵倒、誹謗、揶揄」表現を使ってるのは創造論者やID論者側も同じだと思いますよ。確認してはいないので絶対そうとは言いませんが、種々の「相対性理論間違ってる」「ダーウィン間違ってる」系の論者の言葉ではアインシュタインやダーウィンを結構「罵倒、誹謗、揶揄」してるし、人格攻撃まがいの表現も見られたと思います。ほめられたことではありませんが、ありふれてはいるので、いちいち反応しすぎて本質の議論に入らないのは損だと私は思います。

35Ken:2018/05/26(土) 14:19:36 ID:u4ZOJOl6
>>33

>いまひとつわかりにくかったのですが、一応、2のID論を公教育で教えること云々ではなくて、1の「ID論は〜根拠のある理論である。」を議論することが本命と理解しました。

書き方には工夫をしているつもりなのですが、やはりまだ分かりにくいようで申し訳ありません。

究極的な本命はたしかにID論の根拠ですが、現時点はそうではありません。

今は、いずれIDを議論するための環境作りとして、科学と疑似科学の判別を問題にしています。そして先の投稿で書いたように、この段階ではID論の話はできるだけ避けるのがよいと考えます。もちろん必要があればIDの話も出すとは思いますが。

また、先の投稿で言いたかったのは、ID論に限らず、ある仮説が疑似科学であるという理由で普及(教育を含む)を妨げるのであれば、前提条件として疑似科学とはなにかを厳密明確に定義すべきだろうということでした。

このとき、もしも疑似科学の定義が曖昧で厳密にできないのなら、選択肢は2つあります。

1.化学物質や放射線の致死量を設定するように、政治的決断をしてでも、明確な基準を定める
2.公教育のカリキュラムを決めるような社会的な場に、科学・疑似科学の問題を持ち込まない

なお、diamonds8888xさんとの間では無用の心配かもしれませんが、念には念を入れ、「根拠がないこと」と「疑似科学」の間に、誤解の余地がない区別をしておこうと思います。

シュリーマンの例が一番わかりやすいでしょう。彼が神話に魅了されてトロイ遺跡を探し始めたときには、トロイの実在を示す根拠はなかったのだから、彼が唱えたのは根拠のない仮説でした。一方で、現実の大地を掘り返して遺跡を探すのは、科学的探究として真っ当なやりかたです。

したがって、遺跡発見前の段階でシュリーマンの仮説には根拠がなかったけれども、だからといって疑似科学ではなかったということになろうかと思います。

>>34

「罵倒、誹謗、揶揄」については、そういう意図で私に向けて発言した人がいたという気持は変わりません。とはいえ、事情は疑似科学と同じで、罵倒や誹謗を客観的にどのように定義するのかを明らかにしてからでないと、私自身がそういうことを言うのは無責任です。そこを反省したので撤回をさせていただきました。

ドーキンスについては、彼の表現自体も攻撃的ですが、それよりも論点の構築に欺瞞が見受けられます。要するに、ID論を批判するといいながら実際には創造論の批判をしているのです。

あるいはドーキンスはID論と創造論は同じものと認識しているのかもしれません。それにしても、神が万物を作ったという創造論と進化の中に人為的なものがあるというID論を同じだというなら、そのことから論証するべきではありませんか。

ところが紹介した彼の寄稿では、ID論と創造論は同じものという1文を入れて片付けてしまい、それ以後はひたすら創造論を批判する内容を述べながら、ID論を批判していると言うのです。

なによりおかしいのは、ドーキンスの文章では、ID論者は進化そのものを認めていないように読めることです。進化すなわち地球史の中で生物が変化してきたことを認めるID論と認めない創造論には大きな相違があるのに。

36diamonds8888x:2018/05/27(日) 08:29:49 ID:2RTJzBpM
 では[>>35]の3つの論点について答えます。

・示されたドーキンスの主張への批判は理解しました。この点にコメントする準備は今はありません。
  最大の理由は私が、「創造論とは一線を画していて進化自体は認めているID論」なるものの本家というか、正式な解説を読んだことがないからです。そして現時点では我々の議論のテーマでもありませんよね?


・公教育の内容の決定について
  少なくとも日本ではすでに政治的決断がなされ、専門学会などから「間違ってる」とクレームされるような内容は載せないことになっていると思いますが? ここで「化学物質や放射線の致死量を設定するように」というのが「数値でしめす」ことを意味するおつもりでしたら、それは無理なことはおわかりでしょう?

  ちなみに学会の見解というか定説が変ればそれにつれて教科書も変わります。また現行教科書の内容が学問的に不備があると判断した科学者による批判や提言もなされてきています。学問自体の内容と同様に、日々、改善への努力はなされているということですね。
   Rf.1) 現代教育調査班『こんなに変わった教科書の新常識』青春出版社(2018/02/01)
   Rf.2) 河合敦『もうすぐ変わる日本史の教科書』河出書房(2017/10/01)

  提言してきた人達から見ると「すでに定説では間違いとされることがまだ教えられている。遅い!」という思いもあるようですが、個人的には【この場合の政治的決断は】私の仕事じゃないし、みなさん頑張ってと応援するだけです。Kenさんの主張だと、こういう仕組み自体も批判しているということですよね? それと「天動説も平等に教えてもいい」とも聞こえたりするのですが、それはさすがにありませんか?


 文字数制限があるようなので、3つ目の論点は別信にします。

37diamonds8888x:2018/05/27(日) 08:31:15 ID:2RTJzBpM
[>>35]の3つ目の論点についてです。
・ID論を議論するための環境作りとしての、科学と疑似科学の判別
 過去にも書いたことなので、少しくどい繰り返しになるかも知れませんが。

 まず私自身は議論の中で「〇〇は疑似科学だ」という表現を使うつもりはありません。「そこの論理は間違い」「それは科学的方法ではない」とは言うかも知れません。他の人が「〇〇は疑似科学だ」と表現した場合は、文脈から次のいずれかだと判断します。
   ・【主張が】科学的に間違っている。
   ・【主張する人が】科学的に間違った方法論を使っている。
    (学問上不誠実である、ともいう。が、一般的な犯罪的とか不道徳とかいう意味ではない。)

 Kenさんの不満が「非科学的という代わりに疑似科学というのは表現が強すぎる」という点だけなら、定義に同意した点と、私は使いません、という点だけでOKではないかとも思いますが、そうではないのですね? どうにも、定義に同意したにもかかわらず私から見るとローカルな定義に引きずられた御意見が感じられて困惑するのです。まあこれは「感じられる」だけなので私の方の受け取りだけかも知れませんが。


 で、「P1:根拠を探そうとしないこと」についてです。

 文面だけなら別に問題ないのでは? しかし具体的に示されたものが「根拠」となるのかどうかが議論になるのが常です。ですので、ここは具体的な議論にしかならないように思います。だからこそKenさんも説得材料としてシュリーマンや天動説と地動説との論争や光の粒子説と波動説との論争などの具体例を出して議論しなくてはならなかったのでしょう?

 具体的事例を離れて、それがあれば全てに適用できる判別法を見出すのは極めて困難かと思いますが?
 とはいえ、例えば帰納法とか仮説演繹法とか「科学的に妥当な方法」というものは見出されていますし、「アドホックな論法」「反証不可能な理論」のように非科学的方法の代名詞みたいなものも見出されていますから、いくつかの一般的判定法というものも存在はします。まあここでも反証不可能か可能かについての食い違いは起き得ますが。


 で、最後にシュリーマンの例についての私の見解です。

>「根拠がないこと」と「疑似科学」の間に、誤解の余地がない区別をしておこうと思います。

>シュリーマンの例が一番わかりやすいでしょう。彼が神話に魅了されてトロイ遺跡を探し始めたときには、トロイの実在を示す根拠はなかったのだから、彼が唱えたのは根拠のない仮説でした。一方で、現実の大地を掘り返して遺跡を探すのは、科学的探究として真っ当なやりかたです。

>したがって、遺跡発見前の段階でシュリーマンの仮説には根拠がなかったけれども、だからといって疑似科学ではなかったということになろうかと思います。

 歴史や考古学の分野では神話や伝説伝承は(弱いなりにも)根拠とできると思います。それは歪められていても何らかの歴史的事実を含んでいる可能性はあるからです。ゆえに神話などの成立過程などを調べる学問も成立しています。その根拠があったからこそ、シュリーマンは闇雲に発掘するのではなく、発掘場所を絞ることができたはずです。

 これは「太陽神アポロは大地神ガイアよりも神格が高いから中央に鎮座するはず(、ゆえに地球は太陽の周りを回るはず)」という理論とはまったく理論構造が違います。

 後者では確認されていない言明でひとつの理論を組み立てていますが、シュリーマンは確認するための手段のひとつとして、やや弱い根拠を利用しているだけです。根拠なしに「トロイの神話は歴史的事実だ」と主張したわけではないでしょう?

 念をおしておくと、「トロイが実在した」ということを確認するには発掘に乗り出すことが必要で、発掘場所などを推定するための根拠として神話から当たりをつけることは、決定的ではなくとも根拠のひとつには数えられます。しかし神話だけを根拠として「トロイが実在した」ということが決定的な事実だと主張すれば、それは間違いとされます。シュリーマン自身も神話だけでは決定的根拠ではないと思ったからこそ発掘に乗り出したのでしょう。

38diamonds8888x:2018/05/27(日) 08:34:20 ID:2RTJzBpM
>>37 への補足

 歴史的事実を知るための根拠にはなりうるが決定的とは言えない、というのは実は、神話伝説のみならず他の歴史的記録も同様です。記録されたものが事実そのものであるとは言えないからです。そこを互いに比較や物的証拠や自然科学的事実などと組み合わせて、事実を推定するのです。新約聖書も旧約聖書も日本書紀も神話も含みますが、歴史的事実を知るための根拠のひとつにもなります。ひとつの歴史的記録から様々な仮説を産むことはできますし、それは決して非科学的方法ではありません。とはいえ、他の根拠も合わせれば、生まれた仮説の間には強弱はできてきます。

 例えば旧約聖書にはソドムとゴモラの記述があります。ここからいくつかの仮説が作れるでしょう。

1.神が実在して、ある都市を滅ぼした。
2.人類ではない知的存在が、ある都市を滅ぼした。
3.人類のひとつの集団が、ある都市を滅ぼした。
4.自然災害が、ある都市を滅ぼした。
5.他の理由(経済的衰退、自然環境悪化など)により、ある都市が放棄された。
6.ソドムとゴモラの記述は完全な創作

 現代の自然科学的常識などに照らしただけでも、各説の確からしさは同等ではありませんよね?


 神話と呼ばれる記録と他の記録との違いは、前者では明らかに現代の自然科学的常識に反するので事実ではないと判定できる記述が多いことでしょう。他の記録の場合も例えば「自分たちが追いやった以前の支配者のことは悪く描く記録が多い」などはもう常識ですからね。

39Ken:2018/05/28(月) 23:44:39 ID:u4ZOJOl6
私の説明がつたないせいか、どうしても行き違いを生じるようです。

>具体的事例を離れて、それがあれば全てに適用できる判別法を見出すのは極めて困難かと思いますが?

この点に異議を唱えているのではありません。正しい方法に拠っているかで科学と疑似科学を判別しようというdiamonds8888xさんご自身がこのように言われるのなら、反対する理由は私にはないのです。

問題はその次です。

私は、

〜普遍的な判定基準を設定できないのなら、個別の具体事例を判定するべきではない〜

と主張しています。

科学と疑似科学を判別する基準を決め、それに社会的な影響力をもたせる(例えば疑似科学を教育の場から排除する)ということは、私たちの社会を律する法を決めることです。そして法の制定と執行には守るべき順序があります。

1.法を制定する
2.法を周知させる
3.法を執行する

この順序でなければなりません。それなのに、法(科学と疑似科学の判定基準)を決めておかずに、いきなり個別の具体事例を判定するのでは、1と2を省略して3をやることになります。これは近代社会における禁じ手のはずなのです。

何よりも、このやり方では問題をすりかえるだけで解決になりません。科学と疑似科学の判定を法律で行えないから人間に判定させようという発想と思われますが、その判定をやらせる人をどうやって選ぶのでしょうか? 多数決つまり判定者は全人類で、選挙で多くの得票を得た仮説を正しいとするのでしょうか?

diamonds8888xさんの考えはそうではないでしょう。「学会」という言葉をよく使われますが、要するに有識者というか、正しい判断を行える人間の集団に判定をさせようという主旨かと思われます。でも、正しい判断を行える人間を選ぶ基準があるということは、正しい判断の基準があることですから、その基準を法として制定できるはずです。

ひっくり返して言えば、正しい判断基準を制定できないのなら、正しい判断を行う人間を選ぶこともできないことになり、よって個別の事案(ID論であれ血液型性格診断であれ)が科学か疑似科学かを判定することもできなくなるはずです。

くり返しになりますが、選択肢は2つしかありません。

1.科学と疑似科学の普遍的な判定基準を決める
2.科学と疑似科学の区別を行わない

このどちらかです。2は、何でもありの無法状態に見えるかもしれませんが、やむをえません。

40ゲジゲジ:2018/05/29(火) 01:29:17 ID:.vTob6Ag
ヨコからすみません。

diamonds8888x様は
「公教育で疑似科学を教えてはいけない」とは仰っていないのではないですか?
diamonds8888x様の主張は
「公教育で定説以外の説を定説と同等の説として教えてはいけない」
ではないですか?

勿論、疑似科学であれば定説であるはずはないので、公教育で疑似科学を教えてはいけない事にはなりますが。
ただ、公教育で教えるべきか否かを政治的に判断するポイントと、科学か疑似科学かを判定するポイントとは別の様な気がするのですが。

まぁ、議論の参考までに。
お返事は不要です。

41diamonds8888x:2018/06/01(金) 06:09:28 ID:06MAtVqM
>>39 確かに食い違いがあるようで、2つの可能性で書いてみますが。

1.どうしてもKenさんは、ある理論の科学的正しさを判定する行為とある理論の政治的取り扱い(公教育に取り入れるか否かなど)とを混同しているようにしか見えません。具体的に日本でどうしているのか見てましょうか。まあ大抵の国々でも同じだと思いますが。

  普遍的な判定基準:科学的に正しくないものは取り入れない。
  判定方法:専門家を含む判定者集団(日本なら教科書審議会とか)にゆだねる

 ということで、具体的には個々に判定して、これは入れない、入れる、とか毎年判定するわけですね。で、「科学的に正しいか否か」の判断は、現時点の学会の定説として確からしさが極めて高いものを採用するわけです。もっとも確からしさというのも学問分野によっても異なっていて、歴史などは物理化学に比べると定説がひっくり返る可能性も高いわけですね。経験的事実として。

 さて「ある理論の科学的正しさを判定する行為」というのは、例えば学会内での論争など、上記「政治的取り扱い」以前のものですね。我々の掲示板での議論もそうです。この場合は、そもそもの「政治的取り扱い」に使うための判定基準を議論しているのであって、具体的な判定はまだなされていないのです。

2.どうも基本法則というか、何かを判定するための万物理論みたいなものへの幻想にとらわれているようにお見受けしてしまうのですが?

> 〜普遍的な判定基準を設定できないのなら、個別の具体事例を判定するべきではない〜

 普遍的なというなら「科学的に正しくないものは取り入れない」とか「P1:根拠を探そうとしないこと」とかでいいのでは? 具体的事例に当てはめる際には食い違いが生じますが、それこそ「やむをえません」。食い違いが生じず議論の必要がないような「普遍的な判定基準」なんて、まずありえないと思いますよ。だからこそ、具体的な事例で議論して判定する必要があるのです。逆説的に言えば、だからこそ専門家が失業しない!

 大抵の法律だって具体的に当てはめるときには食い違いがでて、法廷での論争になりますよね。しかたないから最終的には裁判官の判断にゆだねるというルールにしているのです。

 また誤解されないように念押ししますが、「科学的に正しくないものは取り入れない」とか「P1:根拠を探そうとしないこと」という例は、判定基準のひとつであって全てではありませんよ。公教育への取り入れの場合だと難易度なども考慮されますしね。

42diamonds8888x:2018/06/02(土) 08:07:10 ID:06MAtVqM
>>41 そもそもの始まりである、この掲示板における「疑似科学呼ばわり事件??」についてです。

1) ID論は疑似科学です 投稿者:shinok30 投稿日:2011年 2月27日(日)21時15分10秒 //6609.teacup.com/natrom/bbs/12676
2) 疑似科学考への考察 投稿者:wadja 投稿日:2011年 2月27日(日)18時47分31秒 //6609.teacup.com/natrom/bbs/12673
3) ID論を疑似科学呼ばわりする理由 投稿者:shinok30 投稿日:2011年 2月27日(日)18時45分3秒//6609.teacup.com/natrom/bbs/12672
4) 疑似科学考 投稿者:Ken 投稿日:2011年 2月27日(日)14時49分16秒 //6609.teacup.com/natrom/bbs/12668
5) 理論は中立、人は・・・ 投稿者:diamonds8888x 投稿日:2011年 2月20日(日)07時25分41秒 //6609.teacup.com/natrom/bbs/12598
6) 疑似科学の条件 投稿者:shinok30 投稿日:2011年 2月20日(日)04時46分13秒 //6609.teacup.com/natrom/bbs/12597

 ここでのKenさんの不満は次のような点だと思われます。

・疑似科学呼ばわりはひどい。 これはKenさんが「疑似科学とは詐欺の類を指す言葉で、人格攻撃にも等しい言葉だ」と思った点が大きいように思えますが、shinok30さんも私を含めた他の人達も「疑似科学とは科学的に正しくない方法を使うこと」と解釈していたことは、既にKenさんにも御理解いただけたと思います。むろん現代の定説をひっくり返そうと試みるならば科学の専門家として扱われるのは当然で、それが科学的に正しくない方法を使うというのは【科学のプロの世界内では】許しがたい罪とも言えます。とはいえプロといえども勘違いはするものですが、基本的なミスを指摘されてもわからないのは未熟と非難されても仕方ないでしょう。

・根拠がないから、探さないから、と言って「排除」することは不当である。
  shinok30さんを含めて掲示板の人達は「排除」なんてしようとはしていませんし、できもしません。「検証」を、科学的に妥当な方法による「検証」を求めているだけです。それはトーキンスはじめ米国の普通の科学者だって同じで、議論自体の排除なんて誰も考えてはいないでしょう。「同じ間違いを性懲りもなく繰り返してウザイな」くらいは思うでしょうけど。
  もちろん「公教育からの排除」は(米国の)正統派科学者たちの主張するところですが、これは政治的判断も含むことで、科学としての議論の場からの排除とは別の話です。

  失礼ながらKenさんには、「激しい議論」と「不当な攻撃」を混同して必要以上に過敏になる傾向があるように感じられます。

・仮説Aの欠点の指摘だけでも、その対立仮説Bの根拠になるはずだ。
  これは科学の方法論上の議論であり、今まさに私とKenさんとで議論しようとしているテーマだと理解しています。


 なおshinok30さんが批判しているのは「shinok30さんの知っているID論やID論者たち」、つまり米国の本家ID論者であり、この批判に反論するなら「米国の本家ID論者たち」の主張や行動を具体的に挙げて、shinok30さんの理解の誤りを指摘しなくてはなりません。Kenさん自身の発想や「本家ID論者はこう考えているだろう」という想像を持ち出すのは反論にならないでしょう。


 もしも私の勘違いがあったり、示していない過去発言の提示が必要であれば、指摘してください。

43Ken:2018/06/02(土) 11:13:44 ID:u4ZOJOl6
私が何よりも気にするのは、ID論も他の科学理論と同じ基準で評価されているのかということです。むしろ「IDは疑似科学」という結論が最初にあり、それを論証するために他とは異なるダブルスタンダードが使われていないかという懸念をもっているのです。

例えば、7年前にも寄せられた批判の中に「進化への干渉があったと主張しながら、干渉者が何者なのか提唱できないではないか」というものがあります。

なるほど、干渉者の正体や干渉の具体方法を特定できるのとできないのとでは、ID論の信頼性が異なるでしょう。これらを特定できてないことは今のID論の弱点にちがいありません。でも仮説に弱点があることと、その仮説が正しい科学的アプローチではない「疑似科学」であることは意味が異なります。

干渉者や干渉方法を特定できないからIDがまともな科学ではないというなら、「光は波」と主張しながら、二百年もの間「媒質」つまり振動の実体を特定できなかった、かつての光波動説もまともな科学理論ではなかったことになりませんか?「エーテル」などは正体不明の媒質に与えた仮称で、正体不明の知的干渉者を「エーテル星人」と呼ぶのと変わりません。

重要なことは「干渉者を特定できない」とID論を批判する人たちが、光波動説のような科学史上の例を認識しており、ID論とはどこが異なるのか、なぜ一方は疑似科学で他方はまともな科学なのか、説明できていたのかということです。私から見ると「干渉者を特定できない」という批判がくり返し寄せられる中で、史上の例とはどこが異なるのかという説明がなかったことは、非常にいぶかしいのです。

私が光波動説の例を出した後では、光波動説とIDはどこが異なるかという説明が一応なされました。その説明の妥当性はさておき、自分たちが行う批判の根幹にこれほど関わる問題を他人から指摘されるまで論じないのはおかしいではありませんか。批判をする人たちは、その批判が妥当なものか真剣に検証をしていたのでしょうか。むしろ、IDは疑似科学という結論が先にあり、「干渉者を特定できない」という理由などはあとから思いついたということはありませんか?


仮説の「根拠」に関する議論の推移も、私には納得がゆきません。根拠とは当初は観測可能な物証を意味していたと思います。ところがブラックホールの内部はどうなるのかという問題提議をしたら、それまでの議論にはなかった「外挿」という概念が現れ、観測ができなくてもかまわないという説明がなされました。でも、こういう外挿の概念は本当にはじめから科学・疑似科学の判定基準に含まれており、ホーキングなどはそれに則ってブラックホールの内部を考察したのでしょうか? むしろ真相は反対で、ホーキングたちの理論が現れたとき、彼ほど名声が確立した人物を疑似科学者とは呼べないから、あとからルールが変更されたということはありませんか?


あるいは私のこのような疑念は杞憂なのかもしれません。しかし杞憂であることを明確にする最善の方法は、ことの初めからルール(この場合は科学疑似科学の判定基準)を明らかにしておき、議論の途中でルールを変更しないことです。個別の具体事例をその都度判定するのは結構ですが、判定基準そのものは最初に決めておくべきでしょう。

diamonds8888xさんは、ある科学理論の正しさは学会等での論争を通して判定される、つまり学会に属する人たちは、それ以外の人々よりも優れた判定能力があることを当然の前提とされています。でも学会に所属すること自体が正しさの証明にならないことは、ヒトラー時代には人種論が、スターリン時代にはルイセンコ説が、それぞれの学会を支配した歴史を見ればあきらかです。

日本も例外ではありません。山中教授は偉大な科学者ですが、この人が管理する研究所にすらデータを捏造する研究員はいるのです。学者は豊富な知識を持っていますが、対象となる諸問題の利害関係者であることもしばしばであり、無条件に信頼をすることはできません。

だからこそ、ルールは初めに決めておくべきです。学会の判断がおおむね信頼されるのは、あらかじめ合意されているルールを知っているという期待があるからで、ルールから独立した判断をするからではないでしょう。弁護士への信頼が既存の法律を知っていることにあるのと同じで、弁護士が法律を作ることを求められてはいません。

むしろ三権分立を科学の世界にも適用して、正しい科学の基準を決める人(立法)、研究を行う人(行政)、そして成果が基準に則っているかを判定する人(司法)が分かれていることこそ理想ではないでしょうか。そんなことが実現する可能性は当面はないのでしょうけど、ともあれ、

〜科学と疑似科学の判定基準は初めに明らかにしておき、議論の途中では変更しない〜

という点だけでも、私たちの間で合意できませんでしょうか?

44ミケ:2018/06/02(土) 16:24:55 ID:hmI6xcyU
スターリン時代にルイセンコ説は学界を支配してませんよ?

ルイセンコ事件は
ID論を教育に滑り込ませようとしている連中と同じように、
本来であれば科学界から相手にされないような仮説を
(それが事実であれば嬉しいと思っている)政治家に働きかけて
都合の悪い科学的仮説を支持する人を追放した事件なわけで、

まさにルイセンコ事件は
今のID論と同じ、学界の外からの働きかけで間違った方向へ向かった実例というわけです。
ヒトラーも同じ。
ID論も学界の外から変なことを言えば同じ結果になるでしょう。

科学が政治の圧力で捻じ曲げられた歴史を
科学界が間違ったかのように捻じ曲げて解釈するのは
さすがにどうかと思うのでつい書き込んでしまいました。

横槍ついでに教科書の話。
進化論が科学の教科書に載ってID論が科学の教科書に載らないのは
疑似科学だからではなく、それを積極的に支持する証拠を提出した科学論文がないからです。

科学的に検証されていない仮説が科学の教科書に載らないのは当然で
そうであるのにそれを科学の教科書に載せろと言えば科学の権威を借りようとしている疑似科学に他なりません。ペテンのたぐいです。
仮にID論そのものが科学的に検証する価値のある仮説であろうとも
つまりID論自体が科学的仮説たりえたとしても
検証されていない段階で「検証された側」と同等の扱いを求めるのならペテン師です。
iPS細胞とSTAP細胞を同列に扱えと言うようなものです。

科学の教科書に載せてほしいのならば、
疑似科学の定義がどうこう言う前に、まずはID論を支持する学術論文を探してみてください。

仮に200年前に光の波動がどうのこうのというのが物理学の教科書に載っていたとして、
それをもって「200年前は非科学でも載っていたんだから載せろ」というのは合理的ではありません。
「200年前は間違っていたんだね。」で終わりです。
間違いを繰り返す正当性にはなりません。(そもそも間違って教科書に載っていたという確証もないですが)

45GB:2018/06/02(土) 20:52:30 ID:LSOxP3o2
またまたヨコからですみませんが

第一掲示板でdiaさんが挙げていた「読んで欲しい科学哲学の本」の中に、戸田山和久『科学哲学の冒険』があります。
この本の中で戸田山先生がふれている線引きについてのことば(抜粋、要約)。

「科学の長い歴史は、あとになって間違いだと分かった主張であふれている。間違いの有無は科学であるかどうかの区別とはさしあたって関係ない。
大事なのは間違った科学が、それでも科学なのはなぜなのか、ということ。
疑似科学に問題があるとしたら、それは、疑似科学は多くの場合間違うことができないというところにある」
(ポパーの反証主義を踏まえて)
「科学は仮説を反証する試みだから、そこで立てられる仮説は、どういう結果が出たらそれが間違いということになるのかがはっきりしているものでなくてはならない。」
「仮説が間違えることのできる仕組みを備えていない『科学』は、実は科学じゃない。」
(P81〜83)

さて、インテリジェントデザイナー論という仮説は、デザイナーの存在すら不分明な状況の中で、いったいどのように反証したらいいのでしょうか。

46ミケ:2018/06/02(土) 21:02:41 ID:hmI6xcyU
……と、
1対1のためにココに誘導したのは自分なのに
またも書き込んでしまいました。大変申し訳ありません。

今後はこのスレッドに書き込むのは控えます。
備忘録スレッドには書くかもしれませんが。

47GB:2018/06/02(土) 21:33:01 ID:LSOxP3o2
あー、1対1のスレッドでしたね、私は今後書き込みません。すみませんでした。

48diamonds8888x:2018/06/03(日) 08:02:28 ID:06MAtVqM
>>43 なるほど御懸念の内容がかなり具体的にわかりました。自覚はないかも知れませんが、まさに科学哲学の領域に踏み込んでいるんですよ。なぜ科学哲学などという学問があるのかと言えば、科学に対する見方や科学的に正しいとはいかなることなのかという考え方がに様々なものがあるからです。その中で何が妥当で何が妥当ではないかということを知ろうとすることこそ科学哲学の苦闘の歴史なのです。

 すこしずつ解きほぐそうと思いますので、少し気を長くして、できれば視野を広く持ってお付き合いください。今回は全体的に一部だけ(なんちゅう表現なんだ!?)。

・「IDは疑似科学」という結論が最初にあり、それを論証するために他とは異なるダブルスタンダードが使われていないか〜

  まともな批判者ならそんなことはありません。例えば本掲示板でなら、ダブルスタンダードな論法がでればそこで具体的に誰かに指摘されるでしょう。Kenさんも、もしある議論がダブルスタンダードたど思えば、それを具体的に指摘すればよいことです。もちろんそれがKenさんの判定ミスだったと指摘されることもあります。それが「議論している状態」です。

  で、ダブルスタンダードではないかと今回指摘された4つの例については、別発言で改めてコメントします。

・学会についてのコメントや提案は、「社会の中の科学・科学者」というテーマで、「科学的な正しさ」の議論とは別のテーマになります。この2つは目的、というか前提というか、土俵が違います。コメントは試みますが、2種類のテーマの違いについては考えてみてください。


 できればミケさんやGBさんのコメントについても考えてみれば参考になりますよ。GBさんの示された科学哲学本も読んでおいてもらえると助かるのですが。今まで知らなかった目から鱗のことが得られるかも知れませんよ。個人的判断ではありますが、Kenさんの抱える疑問の場合は、 ロビン・ダンバー(Robin Dunbar)『科学が嫌われる理由』が適しているようにも思えます。意外と読みやすいですし。

49diamonds8888x:2018/06/03(日) 08:19:38 ID:06MAtVqM
>>48 教科書への採用問題に関してはミケさんの説明[>>44]が簡明でわかりやすいかも知れませんね。「科学的仮説たりうる理論(でもまだ検証されていない)」と「検証済み理論」との違いですね。私のこれまでのコメントだとついつい「100%検証されることはない」という前提を双方が理解しているというつもりで書いてしまっていますから、かえってわかりにくくなっていたかも知れません。

50Ken:2018/06/03(日) 17:18:16 ID:ui3byeOA
もしよろしければ、私が最重要に位置づけている切り口で話をしていただけると助かります。

〜科学・疑似科学の判定基準は初めに明らかにし、議論の途中では変更しない〜

この点に同意いただけるのなら、私が挙げた個別事例を詳細に論じる必要は(私にとっては)ありません。

もしこの点での同意が得られず、判定基準自体が議論の中で変更される可能性があるのなら、なぜそれが正当な行為であるのかという話になるでしょう。

ただ、後者の場合には、本論であるID論を、私たちの間で論じることが可能だろうかと、私自身がその時点で再考するかもしれないことだけは、あらかじめ申し上げておくべきかと思います。

51diamonds8888x:2018/06/04(月) 05:10:45 ID:06MAtVqM
>>50
> 〜科学・疑似科学の判定基準は初めに明らかにし、議論の途中では変更しない〜

 ありていに言えば、これが無理難題であることを御理解いただこうとしているのですが、まあ長文のコメントが続くとややこしくなることも事実ですから、ふたつだけ確認させてください。

 1.私は疑似科学という言葉は使わないし、どんな理論であれ議論自体の「排除」はしません。それでもこのルールは必要ですか? [>>37]参照。

 2.「疑似科学とは、科学的に正しくない方法を使った理論、または原理的に科学的検証が不可能な理論を指す」ではいけませんか? [>>41]参照。

52Ken:2018/06/04(月) 19:14:48 ID:kxVV28RY
>1.私は疑似科学という言葉は使わないし、どんな理論であれ議論自体の「排除」はしません。それでもこのルールは必要ですか? [>>37]参照。

この点は目下の問題ではないと思います。

>2.「疑似科学とは、科学的に正しくない方法を使った理論、または原理的に科学的検証が不可能な理論を指す」ではいけませんか? [>>41]参照。

問題はこちらです。「科学的に正しくない」いう表現では曖昧すぎて、解釈の相違を生じたとき困ります。

例えば、地球史の中で起こった特定の進化は自然選択では説明できないからIDの可能性が強いという仮説が出されたとして、私のこれまでの体験では2種類の反論が出ることが予想されます。

1つは「そういう進化ならダーウィニズムで説明できる」というもので、これなら議論を進められます。

もう1つはドーキンスなどが言う「自然選択の不完全な部分を指摘してもIDの証明にはならない」というもの。つまり仮説の提唱者は科学的に正しくない方法を使っているという批判です。

でも考えてみてください。科学的に正しいか正しくないかを論ずるには、何をもって科学的に正しいとするか、つまり科学と疑似科学を判別する基準が合意されていることが前提ではありませんか。

diamonds8888xさんのような方が、ダーウィニズムの穴をついてIDを主張することなど議論の余地なく正しくないと考えておられることは承知しています。でも、それとは異なる見解を持つ人間もいるのです。このような両者が議論をするには「何をもって正しい科学とするか」を、事前に、厳密に、定義しておく必要があるのではないでしょうか?

私が訴えているのは、その点なのです。

53diamonds8888x:2018/06/05(火) 05:24:31 ID:06MAtVqM
>このような両者が議論をするには「何をもって正しい科学とするか」を、事前に、厳密に、定義しておく必要があるのではないでしょうか?

 それは違います。「どの理論がどの程度確からしいか」という点で見解の相違があるゆえに、「その理論の正しさ」といって拙ければ「その理論はどれくらい検証されたか」「その理論にはどれくらい難点があるか」について互いの見解をすり合わせていくのとように、そもそも「何をもって正しい科学とするか」という点でも見解の相違がありうるのですから、これも同じように議論の中ですり合わせていくしかないのです。

 そして、「何をもって正しい科学とするか」という点において異なる見解が【議論することそのものを排除される】ことはありません。少なくとも本掲示板のような自由な言論の場においては、です。

 現実に「自然選択の不完全な部分を指摘してもIDの証明にはならない」という論法は「科学的に正しくない方法」だとKenさんは考えていて、他の人はそうではありません。だとすれば、この点については、これから互いに議論していくしかないではありませんか?

 私はこれまで、このように「何をもって正しい科学とするか」というテーマについて議論を進めているつもりです。いきなり双方が合意できるルールができるとは思っていません。だから「最初に【さっさと】決めろ」というのは無理難題だと表現しました。


 「科学的に正しくない」いう表現が曖昧であることは十分承知しています。ではどの程度「厳密」であればよいのですか? それがあればどんな理論も科学的か否かを判定できるという意味ならは、そのような万能のルールはたぶんできませんよ?

 むろん「××とする方法は科学的ではない」「〇〇は科学的な方法といえる」という事例はいくつもありますし、その中にはまさしく定説として確立していると言えるものもあるでしょう[*注]。我々にできるのは、それらひとつひとつについて合意できるかいなか、合意できなければどうするか、という議論を進めることだけです。


[*注]ここでは学会というものはないので、科学的思考の訓練ができている人なら無意識にでも使う、くらいの意味になるでしょうか。よく考えれば、普通は正しいとわかること、とか。

54Ken:2018/06/06(水) 19:52:39 ID:kxVV28RY
>>53

>いきなり双方が合意できるルールができるとは思っていません。

そうであるなら、私との合意は保留し、diamonds8888xさんが正しいと思われるルールを提示していただけませんでしょうか?
もともと私たちが検証していたP1〜P3も、7年前にshinok30さんが御自身で正しいと考える判定基準として出されたものです。

私(Ken)自身は、科学に対するアプローチとして、ある方法は正しく別の方法は誤りと区別することに、反対する立場をとっており、疑似科学と呼ぶのは意図的なペテンに限定しようという本来の主張もそこから来ています。

今回の議論は、すべてdiamonds8888xさんの定義に基づくもの、すなわち科学へのアプローチには正しいものと正しくないものがあり、正しくないアプローチは、そのこと自体が排除の理由になるという前提から出発しています。

ですから、ここはdiamonds8888xさんに、あらためて正しい科学の判定基準を提示していただき、私が質問する形で、検証をしてみてはいかがでしょうか?

その場合に、私がやるであろう検証は、その判定基準が真に公平なものであるかに重点が置かれると思います。

例をあげれば、提示された判定基準を用いた結果、現在のID論も、16世紀の地動説も、17世紀の光波動説も、そして20世紀のブラックホール理論も、すべて「方法として正しくない」という結論がもしも得られたなら、その結論を受け入れねばなりません。その時になって、ブラックホール理論だけを正しいとするために、別の基準を持ち込むことはやるべきではありません。

いかがでしょうか?

55diamonds8888x:2018/06/08(金) 06:24:52 ID:06MAtVqM
>>54 そういうことならいくつかずつ提起していきましょう。それは私がメタな話として進めたかったこととも一致します。でも予備的に3つほど述べておきます。心にとめておいてくだされば幸いです。


・排除について
>正しくないアプローチは、そのこと自体が排除の理由になるという前提から出発しています。

 これは「排除」の意味するものが食い違っているのだと思いますが、私は一貫して「議論自体の」排除はしないし、少なくとも本掲示板では排除はなされていないと述べています。これは重要なので強く主張します。


・理論の検証と事実の検証
  (以下は私独自の考えですが、誰かが書いているかも知れませんし、普通に納得できると思います)
 正しいとか正しくないとか判定したり検証したりする対象には、主に理論と事実があります。理論の例は、落体の法則、万有引力の法則、子は親に似る法則など、多数の似たような事実に共通なことを述べたものです。これにより、未知の事実の予測や推測ができるのが理論です。その予測や推測が外れれば理論が間違っている可能性が高くなります。理論の検証とは概ね、未知の事実の予測や推測をして、その予測や推測が当たっているかどうかを検証するものになります。
 「事実とは観測すればいい」とだけ言うわけにもいかず、「事実の検証」と大上段に構えなくてはいけないのは、例えば歴史学や考古学や犯罪捜査などの場合です。過去の生物たちは実際に進化してきたのか、ビッグバンは本当にあったのか、大気中に毒性物質はどれくらいあるのか、太陽以外の恒星にも惑星はあるのか、宇宙の地平線の向こうにも星雲はあるのか、などですね。これらの事実は「直接の検証」が難しいので、間接的な観測事実から正しいとされている理論を総動員して「たぶん正しい」ことを推測していくことになります。

 【とりあえず、提起する基準は「理論の検証」を想定します。】


・基準の数?
 なるべく役立ちやすい具体的な形で提起するつもりですが、そうなるといくつになるかは不明です。
 基本的には、基準が満たされなければ非科学的、という形で提起しようと思いますが、時には別の形になるかも知れません。
 いずれにせよ、一度に何個も提起しても大変ですから、少しずつ提起します。


 では具体的には、次のコメントから。

56diamonds8888x:2018/06/08(金) 06:27:09 ID:06MAtVqM
>>55 ひとまず、次の2つです。

基準01. へそ理論(オムファロス)や世界五分前仮説のような形の理論は、科学的ではない。
[ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%A0%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AD%E3%82%B9]
[ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%BA%94%E5%88%86%E5%89%8D%E4%BB%AE%E8%AA%AC]
 (「反証可能性のない理論は」だと範囲が曖昧でしょうから)

基準02. 理論Aと対立する理論Bを否定しても理論Aの検証にはあまりならない。
  *)検証になる特殊な場合はある。
  *)理論Aの確からしさが向上する場合や向上の程度は、場合によるので複雑。

57Ken:2018/06/08(金) 19:43:04 ID:kxVV28RY
diamonds8888xさん、

判定基準の話を始めていただき、ありがとうございます。

すでにいくつか質問が頭にうかんでいますが、これらはその都度お尋ねするのがよいですか?
それともdiamonds8888xさんの話が結するのを待つほうがよろしいでしょうか?

私がdiamonds8888xさんの立場だったら、後者がよいと思うでしょうが。

58diamonds8888x:2018/06/09(土) 05:55:57 ID:zaYXOEow
>>57
 述べたように複数挙げていくつもりですし、各基準は基本的には独立していますから、個別にどんどんコメントをお願いします。さもないと、いつまでも議論が始まりません。

59diamonds8888x:2018/06/09(土) 05:57:56 ID:zaYXOEow
>>55 そう問題にはならないでしょうが、当たり前のこともきちんと述べるのが数学と法律の精神なので。

基準03. 理論Aの論理学的意味での対偶を検証して理論Aの検証とすることは、科学的に正しい。
  *)複数の文からなる理論などでは、本当に対偶なのかどうかの判断に気を付けて。

基準04. 理論Aの論理学的意味での逆を検証しても、理論Aの検証にはならない。

60Ken:2018/06/09(土) 16:20:52 ID:kxVV28RY
では、はじめに「排除」に関する質問です。

>これは「排除」の意味するものが食い違っているのだと思いますが、私は一貫して「議論自体の」排除はしないし、少なくとも本掲示板では排除はなされていないと述べています。これは重要なので強く主張します。

diamonds8888xさんが議論自体の排除はされないことは承知していますが、私の問題提議は以下のようなものです。

例えば、私が紹介したガーディアン紙への投稿で、ドーキンスは、当時のブッシュ大統領がダーウィニズムとID論の両方を教育の場で教えればよいといったことに反対しています。大統領や他のID支持者が、まさかドーキンス先生にIDを教えろといったわけではないでしょう。要するにドーキンスは、自分がIDを認めないだけでなく、他者がIDを教えることにも反対し、彼自身の社会的影響力を駆使して、それをやめさせるキャンペーンを行ったというべきです。

念のために言いますが、ブッシュ大統領は、ダーウィニズムを教えるなといったわけではないのです。ID論と両方教えて、あとは教わった側が判断をすればよいといったのです。

私が「排除」というとき、例えば、このようなドーキンスの行為を含みます。そして私からの最初の質問は、diamonds8888xさんはこのような行為を支持されますでしょうかということです。

私に言わせれば、ドーキンスの行為は「よけいなお世話」です。ID論が正しい科学の手法に拠っていないとドーキンスが思うのなら、彼自身が無視しておればよい。なんで他人が自己責任でやることに干渉する必要がありますか?

61diamonds8888x:2018/06/10(日) 05:17:01 ID:zaYXOEow
>>60 その問題は一時棚上げしたと理解していましたが?
  参照、[>>24][>>27][>>33][>>36]

 現在のテーマは「科学的な方法とは何か? 非科学的な(疑似科学的な)方法とは何か?」という基準の具体的提案と、その妥当性についての議論でしょう?


 参照[>>41]「もちろん「公教育からの排除」は(米国の)正統派科学者たちの主張するところですが、これは政治的判断も含むことで、科学としての議論の場からの排除とは別の話です。」

62Ken:2018/06/10(日) 09:57:43 ID:kxVV28RY
いまdiamonds8888xさんにやっていただいているのは、私との間で合意できるかは気にせず、diamonds8888xさんが正しいと考える科学の判定基準を述べることですが、この件も同様でよいのではないでしょうか?

先の投稿の末尾で私自身の見解を述べてしまったので誤解を生じたかもしれませんが、あくまでもdiamonds8888xさんご自身がドーキンスの行為をどう思われるかを聞かせていただけませんでしょうか?

私がこの点にこだわるのは、結局「正しい科学の手法」なるものが、どれだけの拘束力をもつのかを明らかにしたいからなのです。

「正しい科学の手法」というのは、どうすれば効率よく正解にいたれるという助言なのか。たとえば野球の投手に、球威や制球を上げるため腕や背筋の角度を指導するようなものなのか。

それとも、科学に携わる者が従うべき規則なのか。たとえば、ボールが手を離れるまで投手の足は投手板に着いていなければならないというようなものなのか。

前者なら、従う従わないは個人の自由ですが、後者なら自由ではありません。

diamonds8888xさんのような方には「何をいまさら」という愚問に聞こえるかもしれませんが、私には発言者によってこの点で微妙な差があるように思えるのです。7年前の議論でいうとshinok30さんなどは明らかに後者の意味で論じておられました。一方でドーキンスのガーディアン紙への寄稿は、前者を理由にしながら後者の結論へ誘導しているように思われます。

重要なことは、これによって、正しい科学の判定基準に要求される完成度が異なることです。助言なら完成度は最重要課題ではないでしょう。1つの判定基準を出してみて、議論し、どういう結論が得られるかで、基準を修正したり新たな基準を加えたりしてゆけばよい。

助言ではなく規則であるなら、普遍性や整合性の点で、初めから完成したものが要求されます。

63diamonds8888x:2018/06/10(日) 19:15:08 ID:zaYXOEow
>>62

>この件も同様でよいのではないでしょうか?

 同様ではありません。両テーマでは判定基準そのものが違ってきます。どちらかに絞ってください。

64fnorder:2018/06/10(日) 19:22:15 ID:???
「効率よく正解にいたれる」とか、「規則」とか「助言」とか、とんでもない勘違いをしているとしか思えない……。

科学的方法なんてのは大雑把に言えば『先入観や偏見や偶然などを排し、事実を根拠として、ある考えが正しいかどうか確認する』ためのものでしょう。
どちらかといえば面倒で遠まわしになるものだと思いますよ。

65Ken:2018/06/10(日) 20:53:46 ID:kxVV28RY
>>63

いろいろな問題が錯綜するので行き違いが生じやすいことは分かります。
とりあえず今回は、もう1つのテーマである教育を論じているのではありません。ドーキンスの話を例に出したのはまずかったかもしれませんね。

質問を変えさせてください。

私が尋ねたかったのは、diamonds8888xさんの定義による「正しくない科学」は、それ自体が仮説を否定する理由となるのか、ということです。

話を分かりやすくするため、極端な例を出します。

例えば、私が、人類は数千年前に他の動植物と一緒に出現し、その根拠として旧約聖書の創世記を挙げたとします。おそらく2種類の反論が来るのではないでしょうか。

1つは、数万〜数十万年の古さをもつ人類の化石が出ている等の事実を挙げること。その事実で私の仮説を否定した上で、「創世記のような神話を読んでも、真実には至らないよ」という助言が与えられるかもしれません。仮説を否定する根拠はあくまでも化石なのです。

もう1つは、私が神話を根拠にしていること、つまり科学的に正しくない方法を用いていること自体が、私の仮説を否定する根拠になることです。この場合、化石の存在は傍証になるでしょうが、決定的要因ではありません。

「正しくない科学手法」というとき、このどちらのケースを意味するのでしょうか?

66Lurker:2018/06/11(月) 00:21:40 ID:???
人類は数千年前に他の動植物と一緒に出現したという仮説は化石等から科学的には正しくないし、かつ神話を仮説の根拠とするのは科学的ではないという
両方に当てはまるケースのように思えるのですが、正しくない手法というのは常にどちらか片方に限定される必要はあるのでしょうか?

67diamonds8888x:2018/06/11(月) 05:40:40 ID:zaYXOEow
>>64 >>66 fnorderさん、Lurkerさん、

 おっしゃることは概ねその通りと思いますが、端的に言って今のところKenさんは、その当たりのメタな話の機微に慣れていらっしゃいません。実例を挙げながらひとつひとつ理解していただくしかないと思います。一応、1対多を避けたいというKenさんの御希望もあって第3掲示板に移ったという経緯もありますので、今しばらく気長に見守っていただけるでしょうか?

 もし、このテーマでさらに議論なり談話なり御希望なら、新しいスレッドを立てることもできるかと思います。

 なお、[>>64]は全くその通りだと思いますが、[>>66]はちょっと決めつけすぎではないでしょうか? 神話を根拠とすることに関する私の考えは[>>37][>>38]の通りです。

68diamonds8888x:2018/06/11(月) 05:45:44 ID:zaYXOEow
>>65
>私が尋ねたかったのは、diamonds8888xさんの定義による「正しくない科学」は、それ自体が仮説を否定する理由となるのか、ということです。

 この文脈での「正しくない科学」とは、これから私が提起していこうとしている「基準」のことでしょうから、そう解釈します。その「基準」で完全に「正しくない科学」となるものもあれば、そうではないものもあります。一応は前者を優先したいとは思いますが、後者で大切なものだってありますし。

   基準01は前者の例です。
   基準02,04は後者の例です。
   基準03は「正しい科学」の条件なので、やはり後者でしょうね。

 あれま後者の方が多い(^_^) 具体性を持たせようとするとやはりこうなるのは仕方ないでしょう。fnorderさん[>>64]のおっしゃる通りです。


 挙げていただいた実例は、「基準」を定めたうえで当てはまるかどうかを見ていくものではありませんか? 具体的な「基準」がないうちに、それを実例に適用する話に入ってもいいのですか? すでに挙げた基準01〜04のどれかを適用するとどうなるのかという問いならば、どの基準についてのことなのか、もう少し御説明願います。

69Ken:2018/06/11(月) 07:06:01 ID:kxVV28RY
>>私が尋ねたかったのは、diamonds8888xさんの定義による「正しくない科学」は、それ自体が仮説を否定する理由となるのか、ということです。
>この文脈での「正しくない科学」とは、これから私が提起していこうとしている「基準」のことでしょうから、そう解釈します。その「基準」で完全に「正しくない科学」となるものもあれば、そうではないものもあります。一応は前者を優先したいとは思いますが、後者で大切なものだってありますし。

了解しました。答えていただきありがとうございます。

しつこい問いかけをしましたが、ちょうどdiamonds8888xさんが「疑似科学」の定義を繰り返し確認されたように、私にとっては重要なことなので、ご容赦ください。

それでは基準01への質問から始めます。反証可能性の話ですね。

70Ken:2018/06/13(水) 21:57:51 ID:kxVV28RY
それでは基準01(反証可能性)について。

事前準備として、wikipediaの記事を読みました。

ja.wikipedia.org/wiki/反証可能性
en.wikipedia.org/wiki/Falsifiability

これを基準に正しい科学と正しくない科学を判別することについて2つの疑問があります。

その1は、以前のくり返しになりますが、ブラックホール内部の事象を予測するような理論をどう判定するかです。外挿で考察することの是非はおいても、その外挿で得られた結論が事実と異なる場合に、私たちがそれを知ることは不可能つまり反証可能性がないのではありませんか?

むろん

〜それゆえホーキングたちの理論は正しくない科学、疑似科学である〜

と結論するなら整合するのですが。


2つ目の疑問は、なぜ「反証」でなければならないのかです。「検証可能性」ではだめなのでしょうか?

wikipediaで例に出された「すべてのハクチョウは白い」という命題なら、白くない個体を見つけることで反証可能です。でも、仮説には肯定的な証明はできても、否定的な証明ができないものも多いはずです。

20世紀に新しい素粒子が続々と発見されると、やがて人々の常識に挑むような素粒子が提唱されるようになりました。例えばクォーク、モノポール、タキオン、ヒッグス粒子等です。いずれも実験的に観測しようという試みの対象になっており、数年前ヒッグス粒子がニュースになったことは、ご記憶でしょう。

でもこれらの存在を予測する仮説は「反証」が可能でしょうか?

それぞれの素粒子が「ある」ことを証明する方法ははっきりしてます。現物を見つければよいのですから。

でも「ない」ことを証明するのは「悪魔の証明」と呼ばれ、不可能とされているのではありませんか?


以上の2点により、反証可能性を正しい科学の判定基準とすることに、私は疑問をもっています。

いかがでしょうか?

71diamonds8888x:2018/06/16(土) 13:03:50 ID:YTgYp/xY
>>70  ご質問の例のように、具体的な話になると「反証可能性」に当てはまるのかむどうかの解釈が難しくなるものも出てきます。だから「反証可能性のないもの」という基準では曖昧、とは言えないのないのでしょうが、適用をめぐって議論も起きようというものです。なので基準01では「へそ理論のような」と具体的に挙げてみました。

 「反証可能性」に限らず科学哲学に関しては、私が勝手に独自解釈を繰り広げても拙いので、以下の2文献を主に参照します。今後、戸田山がと言えばRef-1の記述、内井がと言えばRef-2の記述と考えてください。

  Ref-1)戸田山和久『科学哲学の冒険 サイエンスの目的と方法をさぐる (NHKブックス) 』(2005/01)
  Ref-2)内井惣七『科学哲学入門―科学の方法・科学の目的』世界思想社 (1995/04)


 まず、その1については、少々別の問題(仮説の種類の違いの問題)が絡みますので、後ほどにします。


 「反証可能性」全般についてですが、まずカール・ポパーの主張自体には数々の難点も指摘されていて、全面的に正当なものと考える人は科学哲学者の中ではいないようだということを指摘しておきます。例えば内井惣七「3.11 反証主義の難点」や戸田山「3章2.科学から帰納を追い出してしまえ!、3.科学とトンデモはどこが違うのか? 」です。特に前者では6つの難点がまとめられています。

 とはいえ反証可能性の有無が多くの理論のフィルターとして妥当であることは多くの人が認めています。ここで2つ目の疑問である「検証可能性」ではだめな理由は、100%完全な検証は不可能であるからです。wikipediaにも「科学とは、絶対的真実を認めず、常に誤りを修正し続ける活動だ」という言葉がありましたよね。このことを「科学的事実や科学的真実とは暫定的なものである」という人もいます。また第1掲示板でも色々な人が同じ趣旨のことをたびたび発言していたことにはお気づきでしょうか?

 というのが標準的説明、と言えるかどうか知りませんが、多くの場合に示される説明です。しかし〜。

 ここで賢明なKenさんは既にお気づきかも知れません。「反証可能性」が使える仮説、というよりはむしろ原理的に「検証可能性」がないために「反証可能性」を使うしかない仮説というのは、無限の対象に関する全称命題なのです。そしてほとんどの「理論」は無限の対象に関する全称命題なので、「検証可能性」ではなく「反証可能性」を使うのです。

 少し別の視点からの話で、論理式で考えれば "∀xP(x)" は有限な時間では検証不可能なので反証しようとするのですが、それは実は "∃x¬P(x)" という仮説を検証しようとするわけです。もちろん、もし"∀xP(x)"が正しければ、つまり "∃x¬P(x)"が間違っていれば、いつまでも"∃x¬P(x)"の検証はできません。しかし永久に検証できないか否かは永久にわかりません。ただ"∃x¬P(x)"が間違っているという「蓋然性」が高くなるだけであり、カール・ポパーが述べた本質は変わりません。
 この視点から言えば、「検証」と「反証」は同じことを別の言い方で言っているだけであり、どちらの言葉でも構わないとは言えます。ただ、多くの「理論」は "∃x¬P(x)" という形ではなくて "∀xP(x)" という形で述べられますから、「反証可能性」という方がわかりやすいのだろうと私は思います。


 ここで3番目の疑問である素粒子の「発見」の問題ですが、これは "∃xQ(x)"という形であることがおもしろいですね。Qは例えば「これこれの性質を持つ素粒子Xが存在する」という命題になるでしょう。長くなりましたので別コメントにしますが、どうやら疑問その1にも絡む、仮説の種類の違いがかかわりそうです。

 今回のコメントだけでも疑問は出てくると思いますから、どうぞ出してください。

72 diamonds8888x:2018/06/16(土) 15:17:06 ID:YTgYp/xY
>>71
 仮説の種類の違いにより検証の性質も違ってくるという点について、予備的な話をまずします。

 科学的検証をする対象には理論と事実の2種類があります。第3の種類もあるかも知れませんが、今のところは思いついていません。理論とは多数の事実に共通する性質を述べたもので、「○○ならば××となる」といった因果関係や相関関係であることがほとんどです。他の場合もあるかも知れませんが、今のところは思いついていません。

 理論の検証をするときには上の○○や××に事実を入れた命題を検証するという手順になりますが、私がここで「事実」と呼んだものは、内井は「経験的事実を述べる単称命題」であると述べ「基礎命題」と呼んでいます[p65]。wikipediaでは「原始命題(primitive propositions)」と書かれていましたが、この言葉は本来は命題論理式においてひとつの命題変数記号で表される命題のことで「原子命題(atomic propositions)」と同じ意味で使われているようです。なので理論を論理式で表現されたものと考えれば適切なのでしょうが、ちょっと形式化しすぎた印象も受けますね。

 また内井は[5章.理論・観察・測定]では「観察」とか「観察事実」と呼んでいます。例えば天文学ならば、星の運行の記録が「観察事実」の記録であり、そこから見出される規則性が「理論」です。ちなみにこの第5章では天動説vs地動説を例にして詳しく論じていますので、読まれるとおもしろいと思います。

 さてこの「事実」または「観察事実」ですが、星の運行ならば単に観察すれば検証可能な事実と言えるかも知れませんが、「ある性質を持つ素粒子Xが存在する」という命題ともなると、そう簡単に検証できるものではありません。いやまあ前者にしても定量的な命題ともなるとそれなりの道具立てが必要ですが。だからこそ「物は落ちる」という事実は誰もが観察できたのに、その落下運動の定量的性質の観察はガリレオを待たねばならなかったのですね。

 というわけで「理論の検証」のみならず「事実の検証」というものも必要な場合がでてきます。ポパーが反証可能性を提唱した時には「理論の検証」を想定していたのですね。


 以上の分類を見れば、多くの場合に「事実」を示す命題は存在命題(existential proposition)となり、「理論」を示す命題は全称命題(universal proposition)となることはわかると思います。

73Ken:2018/06/16(土) 18:10:44 ID:kxVV28RY
>>71

私は論理式の記号表記に詳しくありません。

∀や∃のような記号を見たのは、微積分学を学んだときだけです。
そこで確認しますが、

"∀xP(x)"は、いかなるx(条件)でもP(仮説)が成り立つ
"∃x¬P(x)"は、Pが成り立たないxが存在する

という意味と考えてよろしいですか?

ただ、そうなると

>多くの「理論」は "∃x¬P(x)" という形ではなくて "∀xP(x)" という形で述べられますから、「反証可能性」という方がわかりやすい

の意味が通りません。"∃x¬P(x)"は反証条件xが存在するといっているのだから、この場合こそ「反証可能性」というべきではないでしょうか?

それとも上記の理解が間違っているのでしょうか?

74Ken:2018/06/16(土) 19:21:25 ID:kxVV28RY
>>72

正しく理解ができたか心もとないのですが、すると「素粒子Xが存在する」というのは事実の検証であり、本来理論を対象とした反証可能性にはなじまないということでしょうか?

ガーディアン紙への寄稿でドーキンスは、進化は反証可能と述べています。

〜どうすれば進化を反証できるか:「カンブリアより前のウサギの化石」〜
(原文)
when asked what might disprove evolution: "Fossil rabbits in the pre-Cambrian."

つまり、進化は「事実」ではなく「理論」なのですか?

75diamonds8888x:2018/06/18(月) 06:08:13 ID:YTgYp/xY
>>73
 論理式に詳しくないとは存せず失礼しました。式の方が明確ですし、以前の恐竜の力学の議論ではそれが通じやすかったものでつい。違います(^_^)、論理式で明確に語るのは常識と思ってましてm(_ _)m。

 一般にxは対象を示し、P(x)は対象xについての命題を示します。【xは条件ではありません。】
  "∀xP(x)" すべてのxはPである。
"∃x¬P(x)" Pではないxが存在する。

 例)x=カラス  P=黒い
   x=生物   P=進化する
   x=朝の太陽   P=東から昇る
   x=生物の進化過程   P=ランダムな変異と自然選択により起きる(進む)


 後半の件ですが、ちょっと私の文章が拙かったようですね。修正します。
  「ただ、多くの「理論」は "∃x¬P(x)" という形ではなくて 」
  ==>「ただ、多くの「理論」は "∃xP(x)" という形ではなくて」

 それに途中を飛ばしていたみたいですね。言いたかったことは次のことです。

 多くの理論Aの形は  A=∀xP(x) である。
   xが無限にあれば、完全な検証は永遠にできない。つまり、100%の検証は不可能。
  そこでAの否定をとると ¬A=∃x¬P(x) となる。
     (古典論理の定理or公理ですが、意味を考えれば正しい論理だとわかるでしょう)
   この命題¬Aの検証、すなわち反証ならば、なされる可能性がある。【あくまでも可能性が】

 そこでポパーの提唱は次のようなものです。
  もし¬Aが検証可能(つまりAが反証可能ならば)、理論Aは科学的理論である(またはその資格がある)。
  もし¬Aが検証不可能ならば、理論Aは科学的理論とはいえない。

 では B=∃xP(x) の形の理論Bではどうなるだろうか? <== 私の考え
  この場合は、理論Aのような原理的な検証不可能性はない。
  むろん具体的な命題Pが検証不可能かも知れず、その場合は科学的理論とは言えないかも知れない。


 まとめと繰り返しになりますが、検証すべき対象が有限集合ならばしらみつぶしに検証できる可能性があるかも知れませんが、検証すべき対象が無限集合だと100%の検証は不可能です。しかしこの場合も反証ならば、できる可能性があるかも知れません。つまり無限集合の場合は、検証は原理的に不可能なので反証が否定され続けることで我慢する、ということになるのです。これまで何百万回も反証が否定されていたとしても、将来反証が肯定されないとは断定できません。という意味で、「科学は暫定的だ」と言われるわけです。

76diamonds8888x:2018/06/18(月) 06:09:56 ID:YTgYp/xY
>>74

>正しく理解ができたか心もとないのですが、すると「素粒子Xが存在する」というのは事実の検証であり、本来理論を対象とした反証可能性にはなじまないということでしょうか?

 「素粒子Xが存在する」というのが事実か理論かは、実はちょっと難しい話になりそうですので、お待ちください。


 「事実の検証」が多くの場合に反証可能性にはなじまないというのは、おっしゃる通りだと思います。この観点は私が読んだ科学哲学の本などにも載っていなくて、ここは私独自の考えになります。いや実は載っていたのに読んだ当時は私に問題意識がなくて素通りした可能性もありますが。しかし普通は「事実」と言えば、ある時点のあるひとつの出来事を指しますから、それを直接検証すればいいはずです。ていうか、この場合、「事実Aを検証する」というのは「事実¬Aを反証する」というのと同じですよね。全称命題ではないので、検証と反証とに対称性が成り立つということになるでしょう。


 科学哲学では多くの場合に「理論」を対象にしていて、「事実」は「理論」を検証するための材料として出てくることが多いのです。この場合の「事実の検証」はできることが前提です。

 けれど実際には検証が困難な事実もあります。例えば遠い過去の事実、現在の技術では検証困難な事実、遠く離れた場所の事実、などなど。

 また未来の事実は通常は予測するものであり、その時点が現在になったときに検証するものです。そして、予測と検証との一致度から予測に使った理論を検証します。


>進化は「事実」ではなく「理論」なのですか?

 どちらも含みますよね。過去の「事実」を指すこともあります。(以下は単なる例示であり、検証された事実かどうかはコメントしない。)
  ・〇〇年前にヒトとチンパンジーは分岐した。
  ・××頃に陸上脊椎動物が出現した。
  ・〇〇頃にデザイナーが赤道付近の大陸でテイラノデザウルスの進化に干渉した。

 また「理論」を指すこともあります。が、「事実」を指す進化と区別するために、進化理論とか〇〇説、〇〇論ということも多いですよね。

 引用された、ドーキンスの投稿の中の " J B S Haldane" の言葉ですが、少々略されているみたいなので意訳になりますが、
-----------------------------------
 As the great biologist J B S Haldane growled, when asked what might disprove evolution: "Fossil rabbits in the pre-Cambrian.

  (前略)何が進化を反証するのかと尋ねられた時に、不機嫌そうに、「カンブリア紀以前のウサギの化石さ」(と答えた。)
-----------------------------------

 内容からみて Haldane が想定したのは「生物は進化する」という「理論」でしょう。もっと細かく言えば、
  理論:(すべての)生物は進化する。(過去にも現在も未来も、すべての時点で)。
  検証:過去に生物は進化していた。

 さらにこの検証を分解すれば、こんなものですかね。
  もし「生物は進化する」ならば、過去の生物の痕跡(化石など)は時系列で進化した順に並ぶだろう。
  ゆえに、もし時系列で逆転した痕跡(例えばカンブリア紀以前のウサギの化石)が発見されれば、この理論は反証される。

 ダーウィンの進化理論が複数の理論から成る、ということは既に御存知ですよね?

77Ken:2018/06/18(月) 23:48:52 ID:kxVV28RY
災害は突然にやってくる・・・今は遠隔地にいますが、もともと関西人の私にとってニュースに現れる地名は馴染みの深いものばかりです。地震予知はまだ未来技術なのですね。


さて、どうも「事実」か「理論」かは問題ではないように私には思われます。wikipediaの反証可能な仮説の例に「太陽は東から昇る」「すべてのハクチョウは白い」等、どうみても理論ではなく事実の記述があります。

ただしいずれも対象がdiamonds8888xさんの言われる無限集合です。未来永劫、日の出を観察することも、ハクチョウをチェックすることもできないのだから、反証で検証するしかないと考えるのでしょう。一方、新しい素粒子なら、それを探すのが宇宙線であれ粒子加速器の内部であれ、素粒子が見つかるまでの「有限」な対象なのだから、反証可能性は必要がなくなります。あるいは命題を裏返して、

〜モノポール(磁気単極子)が存在する〜

ではなく、

〜磁気はN極とS極のペアで存在する〜

という表現にすれば反証可能な仮説になる。同じことですね。


ただしドーキンスの「あらゆるまともな理論がそうであるように、進化も反証可能である」(Evolution, like all good theories, makes itself vulnerable to disproof)という主張には、まだ納得ができません。

この寄稿の中でドーキンスは進化とIDを対比させ、前者のみが反証可能な(つまりまともな)理論だと主張しますが、前に述べたように進化とIDを対比させるのがそもそも誤り(ドーキンスが意図的にやったなら欺瞞)なのです。IDは進化のメカニズムを述べる理論だから、その対立概念は、同じく進化のメカニズムを述べるダーウィニズムでなければなりません。でも、ダーウィニズムは反証が可能でしょうか?

ダーウィニズムとは、ある環境で棲息する生物群中に子孫を残して繁殖する能力に優劣があり、優位生物が劣位生物を淘汰することで進化が起こるというものでしょう。例として、煤煙で黒くなった町では黒い蛾が保護色という優位性を利用して繁殖することが挙げられます。では、この理論はどうすれば反証できるでしょうか?

たとえば黒くなった町で白い蛾が繁殖し黒い蛾が淘汰されたら反証になるのでしょうか?

そう単純なものではないでしょう。保護色は生存に有利な条件ですが絶対の条件ではありません。むしろ目立つ色の生物が多くいる事実は、目立たないのが有利とは言いきれないことを示します。たとえばある種のカエルは毒性の体液をもち、目立つ体色で捕食者に警告します。

また、目立つ目立たないとは別の理由で有利な体色が変わることもあります。紫外線量に影響される人間の肌がよい例でしょう。スキーで雪焼けするように、白い環境の中で肌が黒くなるという、保護色とは逆の現象も起こります。

こう考えると、ダーウィニズムへの反証としては、黒い環境で白い蛾が繁殖するだけでは不十分で、その環境に白い色を利する要素がないことを明らかにせねばなりません。「ない」ことを証明するのだから、これまた悪魔の証明です。

そうなると、ダーウィニズムもまた反証不可能ということになりませんか?

78diamonds8888x:2018/06/23(土) 05:13:43 ID:XYloaAbM
>>77
 まず、私が[>>71]でやった事実と理論との分類に従えば、「太陽は東から昇る」「すべてのハクチョウは白い」はいずれも事実ではなく理論です。練習問題として考えてみてください。これを事実と考えたなら、私の考えが十分には理解されていないことになりますので、必要なら御説明します。でもまずは練習問題として考えていただいた方が、遠回りでもきちんと理解していただけると思いますので。

 ヒントとしては「〜ならば〇〇」といった前提と結論の形に変える試みをしてみること、理論とは観測された事実を元に未観測の事実を予測することに使うものであること、を挙げます。


>一方、新しい素粒子なら、それを探すのが宇宙線であれ粒子加速器の内部であれ、素粒子が見つかるまでの「有限」な対象なのだから、反証可能性は必要がなくなります。

 素粒子の件は[>>76]で難しいからお待ちくださいと言いました。今回は「反証可能性は必要がない」という簡単なことではないとだけ言っておきます。


 後半の黒い蛾と白い蛾の問題ですが、これも証明や反証をしようとしている理論を明確に捉えていないようですよ。この事例で反証しようとしている理論を、まずきちんと書き出してみてください。話はそれからです。私が書き出して示すこともできますが、Kenさん御自身でまずやってみた方が、理解が深まるはずです。
 ひとつヒントですが、具体的に反証ないし証明しようとする場合には、それは複数の理論を合わせたものであることが多いのです。
 また検証なり反証なりをする場合、例えば実験で検証しようとすれば、実験条件の考慮も必要です。

 関連して念を押しますが、ダーウィンの進化理論が複数の理論から成る、ということは既に御存知ですよね?
 「ダーウィニズムもまた反証不可能ということになりませんか?」と書かれた時のダーウィニズムとは具体的にどんな理論であるかは、きちんと意識できていますか?

 【速すぎませんか?】ID理論のような進化理論を論ずるのは基準の議論が終わってからとおっしゃってましたよね? もうここで進化理論の事例に入ってもいいのですか?
 私の方は、進化理論も基準を論ずるための一事例として使うのは構いませんが、基準のことがはっきりしてから、それを進化理論に当てはめようというのがKenさんの心づもりだったと思っていましたが?

79ゲジゲジ:2018/06/23(土) 06:59:31 ID:g.ik6Tas
ヨコからですが、ヒントと言いますか感想と言いますか・・・
勿論、もともとKen様、Diamonds8888x様お2人の議論の場と承知してますので、お返事は不要です。

① 神様は存在する。
② 霊魂は存在する。
③ 光の媒質エーテルは存在する。
④ 磁気単極子モノポールは存在する。

上記命題のうち、一般に①と②は科学的仮説としてはNGだと考えられていますよね。
では①、②と③、④との違いは何なのでしょうか?
その辺りが議論の「キモ」になりそうに感じます。

Ken様は
 >>77
 >新しい素粒子なら、それを探すのが宇宙線であれ粒子加速器の内部であれ、
 >素粒子が見つかるまでの「有限」な対象なのだから、反証可能性は必要がなくなります。
と仰っていますが、その理屈だと神様でも霊魂でも、この広い宇宙のどこかには存在しているのかもしれない。それが見付かるまでの「有限」な対象、という事になってしまいますね。

で、そこを踏まえて
⑤ 生物の進化に介入した人知を超えた設計者「ID」は存在する(した)。
⑥ 生物の進化に介入した人間以外の知的生命「ID」は存在する(した)。
というのはどうでしょうかね? というのが最終的に議論の行き付く先なのでしょう。



それから
 >>77
 >ダーウィニズムとは、ある環境で棲息する生物群中に子孫を残して繁殖する能力に優劣があり、
 >優位生物が劣位生物を淘汰することで進化が起こるというものでしょう。
違いますよ〜〜、ダーウィニズムは×××ですよ〜、と突っ込もうと思ったのですが、
Diamonds8888x様の
 >>78
 >Kenさん御自身でまずやってみた方が、理解が深まるはずです。
を読んで、余計な事しなくて良かったな、と感じております。

 >ダーウィニズムへの反証としては、黒い環境で白い蛾が繁殖するだけでは不十分で、
 >その環境に白い色を利する要素がないことを明らかにせねばなりません。
黒い環境で白い蛾が繁殖するだけでは不十分なのはその通りですけれど、白い色を利する要素がないことを明らかにせねばならない、というのは全く見当違いですね。敢えてこれ以上は突っ込みませんが。

80Ken:2018/06/25(月) 23:22:00 ID:kxVV28RY
まず、進化論の話をしたことについて。

たしかに、あまりしないように心がけてはいますが、疑似科学の実体を明らかにする段階で本当に避けようとしてるのはID論なのです。たとえば2つの仮説AとBがあり、ある事象がAでは説明できないからBが正しいという論法の正当性を示すために「ID論がそうしている」といっても、diamonds8888xさんには納得していただけないでしょう。ですから今はdiamonds8888xさんが正しい科学と認識されているのが確実な理論だけを例に挙げており、ダーウィニズムはその1例です。

素粒子については、「磁気は双極子である」という仮説が∀xP(x)なら「モノポールが存在する」は∃x¬P(x)だから、前者は反証可能であり、よって後者の反証可能性は問題にならないのではと考えました。私の理解不足かもしれませんので、今後のご意見をお待ちします。


さて、ダーウィンの進化論は複数の理論から成ることを私が理解しているかというお尋ねですが、「複数の理論」ではいろいろな解釈が可能で、答え方を迷います。

地球には多様な生物が存在します。ヒト、イヌ、トカゲ、キノコ、トウモロコシ、ゾウリムシ・・・・各生物がどういう進化を辿ってきたかで1つ1つ理論を組み立てれば、複数どころか無数の理論があることになります。

もしくは進化の特徴をいくつかのカテゴリーに区分したのが「複数の理論」なのでしょうか?

たとえば、生物個体が長く生存することで多くの子孫を作るようになる進化があります。黒い環境で黒い蛾が増えるのはこれですね。

また、限られた時間に作る子孫の数を増やす進化もあります。植物が花に蓄えた蜜で受粉を助ける昆虫を引き寄せたり、動物が異性の視覚や嗅覚に訴えてパートナーを獲得するのが例です。

生物を子孫という製品を作る工場になぞらえれば、前者は操業時間を増やすこと、後者は生産効率を上げることに相当します。

作った製品を保全することも1つです。脊椎動物では鳥類と哺乳類の親が子を保護して育てますが、そういう本能を獲得するという進化が起こったのでしょう。

「複数の理論から成る」とはこのようなことを意味するのでしょうか?
ちなみに、反証ができるのかと私が問いかけたのは、このような理論のことです。

それとも「複数の理論」とは、自然選択の前提となる事実でしょうか?

*生物の形質は親から子に遺伝する
*遺伝は100%確実ではなく時として変化を生じる
*環境が許容できる生物の量は有限で、生物間の競争と結果としての優勝劣敗が起こる

もしくは、このどれでもない、別の切り口を意味するのですか?

81ゲジゲジ:2018/06/26(火) 19:32:53 ID:AObOWKyw
度々ヨコからすみませんが…

 >「複数の理論から成る」とはこのようなことを意味するのでしょうか?
 >ちなみに、反証ができるのかと私が問いかけたのは、このような理論のことです。
Ken様が挙げている例は、「理論」ではなくて「事実」とその「事実に対する解釈」ではないですか?


 >それとも「複数の理論」とは、自然選択の前提となる事実でしょうか?
 > *生物の形質は親から子に遺伝する
 > *遺伝は100%確実ではなく時として変化を生じる
 > *環境が(略)生物間の競争と結果としての優勝劣敗が起こる
こちらが「事実」ではなく「理論」です。
勿論、diamonds8888x様が仰る「複数の理論」とはこちらの事です。
Ken様が挙げられている3つだけではないですし、上記の3つも表記として不正確な点はありますが。


diamonds8888x様のコメントに
 >>55
 >理論の例は、落体の法則、万有引力の法則、子は親に似る法則など、
 >多数の似たような事実に共通なことを述べたものです。
 >これにより、未知の事実の予測や推測ができるのが理論です。
とありますよね。

ここの認識がずれていると、この先の議論がかみ合わなくなると思いますよ。

82diamonds8888x:2018/06/27(水) 05:04:38 ID:XYloaAbM
>>80
>ですから今はdiamonds8888xさんが正しい科学と認識されているのが確実な理論だけを例に挙げており、ダーウィニズムはその1例です。

 論理の筋道がよくわかりませんが、

・誰がどう考えようが、進化に関する対立仮説として評価しようとしている理論は平等に扱うのがよいのではありませんか?
・ID論もダーウィニズムも同じテーマに関するものであり、基準に当てはまるかどうかを考えるときの難しさは同じようなものだと考えるのが妥当でしょう。今は基準そのものを議論している段階ですから、もっと簡単な事例を使う方が確実だと思います。(太陽の例やハクチョウの例とか)。
・ダーウィニズムを否定することでID論の妥当性の根拠になる、という論法を使うならば、ダーウィニズムを議論することはID論を議論することになっているはずで、「事例としてID論を使わない」ことになるかどうかは微妙ですよ。


 複数の理論については私のブログの記事([ttps://blog.goo.ne.jp/diamonds8888x/e/f8ccdf734deea38fc70dd3f026acf0c3]から4連載)を御参照ください。この記事だけでも要点はわかると思いますが、出典も示していますので、詳しくはそちらもどうぞ。


 ゲジゲジさんのコメント[>>81]も的確ですが、こちらはむしろ、太陽の例やハクチョウの例が理論であるという話、理論と事実との区別の話のために参考になると思います。

83Ken:2018/06/27(水) 22:54:33 ID:kxVV28RY
これまで科学と疑似科学の判定基準が示されたとき、私からの反問は同じ基準があらゆる仮説に等しく適用されるのかというものでした。

ID論は干渉者の正体を特定できない ⇒ 光波動説も媒質を特定できなかった
仮説は観測で検証されねばならない ⇒ ブラックホールの内部は観測できるのか
仮説は反証可能でなければならない ⇒ 素粒子の存在はどうやって反証するのか

ここでもし例に挙げた仮説(光波動説、ブラックホール内部の考察、素粒子の実在)も疑似科学であると回答されたら問題は決着しますが、これまでのところdiamonds8888xさんからそのような回答はきておりません。

それではもし、たとえばdiamonds8888xさんが挙げられた「基準02」に対して、

理論Aと対立する理論Bを否定しても理論Aの検証にはあまりならない ⇒ ID論はまさしくその論法で「検証」とする

と反問したらどうなるでしょうか? 現状ではdiamonds8888xさんからの回答は「だからIDは疑似科学」になるのではありませんか? ドーキンスの論点もそこにありますし、7年前の議論で数名の方が強く主張されたことでもあります。

今の段階で基準への反問にIDを出さない理由は反問にならないからです。一方でダーウィニズムを例に挙げたのは、ダーウィニズムが疑似科学という回答は来ないだろうと予測したからです。

もっともこの件は目下の重要課題とは思いません。ID論にせよ進化論にせよ、できれば例に出したくないとは思いますが、どうしても必要なら出すことでしょう。


「複数の理論」についての記事を読ませていただきました。反証が可能なのかと問いかけたのは5の自然選択説です。どのような事象が観測されたら自然選択は否定されるのでしょうか?

84diamonds8888x:2018/06/28(木) 05:51:49 ID:XYloaAbM
>>83 【今は基準の話でしょう?】

 今挙げられた、ID論(進化理論)、光波動説、ブラックホールの内部観測、素粒子の存在、への基準の適用は難しいですよ? まあ光波動説あたりは幾分やさしいかな? どうだろ?

 例えば後半2件は、理論の検証ですか? それとも事実の検証ですか? そこから足場を固めねばなりません。

 そして今までのコメントを読む限り、Kenさんは「反証可能性」についてさえ具体的にどう当てはめるのかという理解が不十分です。十分ご存知と思いますが、専門用語というものは、語感だけから日常用語の延長で理解しようとしても誤解することも多いのです。まずは、私の提示した基準を簡単な例に当てはめるとどうなるかという点を理解してから、次に進んでください。法律を理解する前に、何かをしようとしたら、間違えて違反するかも知れないでしょう?

 それが心配で、まずは基準を決めろという話だったんですよね?
 それに【早くも基準02の話ですか】? いや、同時に考えた方が理解しやすいということであれば、それでいいのですが?


 そもそもまずは、理論と事実との識別が大切です。

 この件では書き忘れたことがあります。理論は事実の観測により検証するものですので、同じ命題が他の命題との関係により、事実と見なされることもあれば理論と見なされることもあり得ます。つまり、ある命題が事実(正確には事実の記述)であるか理論であるかは、文脈に依存する相対的なことだと言えます。
 なので、[>>78]で「いずれも事実ではなく理論です」と断言してしまったのは少し拙かったですね。ただ、「どうみても理論ではなく事実の記述」というのは、かなり拙かったもので。


>反証が可能なのかと問いかけたのは5の自然選択説です。どのような事象が観測されたら自然選択は否定されるのでしょうか?

 了解しました。では進化理論に関する話は、基準の話が終わってからということで。
 一応、ミケさんが「トンデモネタに対する突っ込み用情報ソース備忘録」に例示してますから参考にされてもいいですけど、今議論中の基準に当てはめて考えようとすると、なかなか難しいかも知れません。

85diamonds8888x:2018/06/29(金) 05:09:57 ID:2JWglbMs
>>84
 「事実」という言葉は、確認された事実、検証済の事実といった意味を含んで使われることが多いです。しかし、「未来の事実を推測する」「歴史的事実を調べる」などの使い方では、確認されたとか検証済とかいう意味は含まれていません。

 このスレッドの議論では「事実を検証する」「理論の検証のために事実を確認する」といった行為を扱いますから、「事実」という言葉は検証済みとか確認済みとかいう意味は含まない、広い意味で使います。

 まあ文章の行きがかり上で、単に正しいことという意味で事実という言葉を使うこともあるかも知れませんが、誤解のないように、誤解させないように、注意したいと思います。

86Ken:2018/06/30(土) 00:04:06 ID:kxVV28RY
はじめに、>>83の投稿は、自然選択の反証について質問した最後の1文を除き、すべて>>78

>ID理論のような進化理論を論ずるのは基準の議論が終わってからとおっしゃってましたよね? もうここで進化理論の事例に入ってもいいのですか?

と尋ねられたことへの返答で、議論の本筋から外れたものです。基準02に言及したのも基準02を論じるためではなく、今の段階でID論を例に出さない理由を説明するのに利用

しました。余計なことを言って混乱を生じたと反省しています。

あらためて、

*現在の論点は基準01(反証可能性)です。
*IDを例に出すことは私からはありません。
*教科書に載っているような進化論は必要があれば例に出すかもしれません。


>専門用語というものは、語感だけから日常用語の延長で理解しようとしても誤解することも多いのです。

なるほど、物理学で「仕事」や「エネルギー」というと、日常語の意味とはかけ離れたものになりますね。それと同様の事情であると理解します。


さて、>>72

>天文学ならば、星の運行の記録が「観察事実」の記録であり、そこから見出される規則性が「理論」です

と述べられたのはおもに16世紀から17世紀の歴史を語ったものですね。

ティコ・ブラーエは生涯を天体観測にささげ、とくに惑星(当時は太陽と月もplanetと呼ばれました)の位置を詳細に記録しました。彼が世に残したのは「事実」です。

ケプラーはブラーエの記録を受け取り、それを解釈することで惑星運動の法則を発見しました。

1.惑星は太陽を焦点に楕円軌道を描く
2.惑星の面積速度は一定
3.公転周期の2乗と公転半径の3乗の比は全惑星で同じ

これは「理論」であり反証可能です。この法則から1年後の木星の位置を予測すれば、理論を用いて事実を予測するわけで、予測が外れたら反証になるわけですね。

さらにニュートンは、ケプラーの法則は、天体だけではなく万物の動きを支配するより根源的な法則から導かれることを発見しました。それが運動の3法則、

1.外力が働かない物体は等速直線運動を続ける
2.質量と加速度の積が力
3.作用には等価で逆方向の反作用が伴う

そして万有引力の法則

4.2つの物体間には、質量の積に比例し距離の2乗に反比例する引力が働く

です。

これも「理論」であり、もしも同じ質量に2倍の力を加えて加速度が3倍になったら第2法則は反証されます。また(かつての私もそうでしたが)機械の設計者はニュートン力学のような理論を用いて、自分が設計する機械がどのように動くかという事実を予測します。


「事実」と「理論」について、ここまでの理解に間違いはありませんか?

87Ken:2018/06/30(土) 00:37:23 ID:kxVV28RY
正直なところ、ここの掲示板を見るまで、自分が反証可能性のことを知らなかったことに首をかしげております。

私は、四半世紀も昔とはいえ、機械工学科を卒業してエンジニアとしてメーカーに就職し、当初の数年は機械設計を、その後は情報部門で働いてきました。

また、歴史が趣味で、いろいろな科学理論がどういう経過をたどって構築されてきたか、とりわけ、

天動説と地動説
光粒子説(ニュートン)と光波動説(ホイヘンス)
膨張宇宙論(ガモフ)と定常宇宙論(ホイル)
不確定性原理の肯定(ボーア)と否定(アインシュタイン)

のような論争の話は関心をもって読みました。

それぞれの理論構築や論争が行われる中で、当然ながら反証可能性は議論されたはずですが、なぜかそれについて読んだ記憶がありません。

私が読んだ本の著者(アジモフもその1人ですが)が、偶然言及しなかっただけかもしれませんが。

88ミケ:2018/06/30(土) 10:15:39 ID:hmI6xcyU
>>87
なぜか読んだ記憶がない……だからどうしたというのでしょうか?
まあ逆に言えば、それを知らなかったからこそID論に騙されちゃったのでしょうね。

こういう、どうでもよさそうな感想はdiamonds8888xさんも返答に困るでしょうし、
>>27もそうですが、不誠実な印象操作のようにも思えてしまいます(>>28参照)。
(まあここを見ている人はそういうものに騙されることは少ないでしょうけど、見ていて気持ちの良いものではありません)
議論そのものに集中したほうが良いのでは?

今回は議論と関係なさそうな「どうでもよさそうな感想」だったのであえて横から書きました。

89diamonds8888x:2018/06/30(土) 15:28:41 ID:2JWglbMs
>>86
 力学についての事実と理論については、おっしゃる通りです。間違いありません。ついでに、「事実であるか理論であるかは相対的」[>>84]と書いた点について少し述べます。

 ケプラーの法則は天球上の惑星の運行という事実を説明するために考えられた理論です。この理論では次のような予測が可能です。

 火星は過去の運行(という事実)の記録によれば太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動いてきた。ゆえに将来も同様な楕円軌道上を動く。これにより将来の火星の位置が予測できる。
 水星・金星・地球・火星・木星・土星はすべて太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動いている。ゆえに、未発見の惑星があったとしたら、その惑星も太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動いているだろう。

 実際には2番目の予測がなされたことはなかったのでしょうけれど。

 さて、ケプラーの法則を事実と考え、それを説明するために考えられた理論が万有引力の法則です。この理論のおもしろいところ、すごいところは、惑星の運動のみならず、地上の物体の落下運動をも説明していることです。あらゆる物体は質量に比例する引力を他の物体に及ぼすという単純な仮定を持ち込むだけで、まさに万物の運動を予測する理論ができたのです。

 そのためニュートンの法則は、当時知られていた5惑星のみならず、未だ知られていなかった惑星の運動が楕円軌道であること、さらに彗星のように放物線軌道や双曲線軌道もあり得ることをも予測できましたし、多数の天体が接近したときの複雑な運動さえも予測可能となりました。そして現在もその予測を的中させ続けているわけです。ケプラーの法則では放物線軌道は予測できませんよね。


> *教科書に載っているような進化論は必要があれば例に出すかもしれません。

 その意図は、教科書に載っているような進化論(現代の総合進化説ですよね)は内容が明確なので考えやすい、ということでしょうか? でも私はお薦めしません。

 例えば、その理論の反証可能性を考えるというような、理論の科学哲学的評価の難しさは、理論そのものよりも扱う対象の性質で決まると私は考えています。例えば、進化を扱うことと上記のような天体運動や力学を扱うこととは異なる点があり、そのために評価の難しさはダーウィン理論でもID論でも、はたまたラマルク理論でも今西理論でも似たようなものがあると思います。

90diamonds8888x:2018/06/30(土) 15:29:55 ID:2JWglbMs
>>89
 ところで[>>70]で基準01(反証可能性)と書かれていますが、基準01は「反証可能性のない理論は科学的ではない」というものではありませんよ。それは認識されていますよね?
 [>>56]では(「反証可能性のない理論は」だと範囲が曖昧でしょうから)とことわっておきましたし。

 そもそも反証可能性だけで科学的ではないと断定できる場合はあまり多くなくて、反証可能性の判定が難しいとか、反証されてもハードコアを守って変身してしまうとか、色々と批判もあるのです。ポパー自身が自然選択説は反証不可能と考えて後に撤回したこともあるくらいで。
  Ref) 伊勢田哲治『カール・ポパーの生い立ちと哲学』[ttp://ocw.nagoya-u.jp/files/45/sp_note03.pdf]
   「彼はダーウィニズムはほとんどトートロジー的であると考え、そのため経験的にテスト可能ではないと考えたからである」(出典あり)

 ただ「反証可能なように理論を明確にする」ことは必要だし、そのために反証可能性について知ることは大切なので、基準01そのものではなくとも関連する話題として、今は反証可能性の議論を続けています。

91diamonds8888x:2018/06/30(土) 15:41:03 ID:2JWglbMs
>>87【雑感です】
> それぞれの理論構築や論争が行われる中で、当然ながら反証可能性は議論されたはずですが、なぜかそれについて読んだ記憶がありません。

 普通の数学書で、わざわざ数学基礎論に触れることはほとんどありませんから、それと同じことでしょうね。ともあれ、今回、反証可能性について知ることができることは慶賀のいたりです。

 そもそも科学的思考の訓練を受けて、それを現場で使い続けている人々には「反証可能性は〜」とか大上段に振りかぶる必要などありません。素直に科学的に正しいと思う思考をすればいいだけなのです。昔、中国や日本の数学者達がギリシャ由来の論証数学に接したときに、「そんな当たり前のことをなんでわざわざ証明なんかするのか?」という反応だったそうですが、似たようなものかも知れません。まあ、当たり前すぎるからこそ、改めて「なぜそれが科学的と言えるのか?」と正面から問われると非常に答えが難しくなるのですが。

 別の見方をすれば、アリは教えられなくても正しく仲間の付けた道をたどりエサにたどり着きます。でも「どうしてそれが正しいのか?」と問われてもうまくは答えられないでしょう。でも、アリにはそれが正しい方法だとわかります。人はアリがどのようにそうしているかがわからないので、色々と観察してその方法を明確にしようとするわけです。科学哲学者は、科学者というアリを観察して、その行動の理由を理論化しようとする「人」であるという比喩が成り立つと思います。

 アリが正しい行動をとるのに、人の理論に頼る必要は必ずしもありません。優秀なアリほど、実戦の場では科学哲学なんか要らないんですよ。むしろ、優秀なアリの行動を観察して科学哲学が学び、そして理論を立てるのです。

 もちろん科学哲学者の場合は、自分でも何が科学的に正しい方法であるかはわかっているはずですけどね。


 そして人間の場合はアリとは異なり、科学的ならざる思考に陥ることもあります。そこから抜け出す時に科学哲学的理論付けが役立つこともあります。逆に、なまじ科学哲学的思考に中途半端に触れたために横道にそれちゃう恐れもあるのですけど(^_^)


【御注意】ミケさんも心配されてましたが[>>88]、あまり雑談に気を取られると本論に集中できない恐れはありますから御注意を。私もこういう雑談はきらいじゃないので、ついつい熱が入って横道にどんどん逸れるかも知れませんからね(苦笑)
  気の性かも知れませんが、ちょっとしたきっかけ(なのかどうか)で生じた著者に対する好き嫌いの感情が、その著者の唱える主張の妥当性の判断に強すぎる影響を与えるということが、Kenさんの場合はあるような気がするのですが? 誰しもそういう傾向はありがちでしょうけど、気を付けるに越したことはありません。

92Ken:2018/07/01(日) 17:26:19 ID:kxVV28RY
diamonds8888xさん

やはり、まだ分かりません。

結局、仮説が、疑似科学ではない、まともな理論であるためには、反証可能であることが必要なのか、そうではないのか?

ドーキンスの文章を見る限り必要であるという主張に思われます。

Evolution, like all good theories, makes itself vulnerable to disproof

しかしdiamonds8888xさんはそうではないと言っておられるようです。

>基準01は「反証可能性のない理論は科学的ではない」というものではありませんよ

一方で、

>「反証可能なように理論を明確にする」ことは必要

この1節は、結局、反証可能であることが必要ということではないでしょうか?
「理論を明確にする」ことは必要であり、理論が明確であることの判定基準が反証可能性であると、私には読めます。それなら反証可能性は必要なはずです。

意図されるところが伝わらなくてもどかしい思いをされるかもしれませんが、今の私の理解力を総動員した結果が現状です。申し訳ありません。

93diamonds8888x:2018/07/02(月) 06:11:22 ID:2JWglbMs
>>92
 ちょっと混乱させましたか。すみません。

 「反証可能性のない理論は科学的ではない」というのは正しいのです。しかし、これだけでは範囲が曖昧なのでKenさんが望む基準の趣旨には合わないと考えて、今回決めてみる基準としては採用しなかった、ということです。

 もしも「反証可能性のない理論は科学的ではない」をそのまま基準として使えばいいというならば、「科学的ではない論法は使わない」でもよいではありませんか。

94Ken:2018/07/03(火) 21:40:51 ID:kxVV28RY
>今回決めてみる基準としては採用しなかった

ということは、今後の議論の中で、ある仮説が反証可能であることを示せなくても、そのこと自体は疑似科学(正しくない科学)と判定する理由にはならない、すくなくともdiamonds8888xさんはそのようには判定されないということでしょうか?

もしかしたら、リチャード・ドーキンスとdiamonds8888xさんでは、科学・疑似科学の判定基準が異なるのでしょうか?

ドーキンスの文章をどう読んでも、反証できないことを疑似科学の十分条件と考えています。要するに、根拠のある仮説ならその根拠を否定する事実が観測されたら反証できるのだから、反証できない仮説イコール根拠のない仮説というわけです。

この結論でよろしければ、基準02の話に移らせていただきたいと思います。

95diamonds8888x:2018/07/04(水) 06:25:31 ID:2JWglbMs
>>94
 既に何度も書きましたが、私は「疑似科学」という言葉は使う気はありません。少なくともKenさんとの議論では。もちろん個々の命題が科学的方法から見ると間違い、という判定を下すことはありますが、それは個々の命題により様々な理由があるでしょうし、予測しきれるものではありません。
 その際にいわゆる「反証可能性がない」という判定ができれば、当然に「まずは反証可能性がある形にしましょう」と提案します。問題は、その命題が反証可能か否か、の判定が難しいものもあるかも知れないことですね。だから、もうちょっとブレイクダウンした基準がいいかな、と思った次第です。

 ていうかKenさんだって、ある理論があれば「それは検証されなければならない」とは考えるでしょう? であれば「検証できない形の理論」では困りますよね? 反証可能性というのは結局のところ、対偶の検証可能性ということですからね。

 でもまあ、「こういう理由で反証不可能だから、こうすれば反証可能になりますよ」という提案はなるべくしますよ。反対だけで対案を示さない、とか批判されてる方々もいますしねえ。

>もしかしたら、リチャード・ドーキンスとdiamonds8888xさんでは、科学・疑似科学の判定基準が異なるのでしょうか?

 さあ、訊いてみたことはないので知りません。でも、具体的にある命題を持ってきて科学的か否かの判定をしたら、私とドーキンス氏とはほとんど見解が一致するのではないかと・・・、うーん、それはやっぱりわからんかなあ。

>この結論でよろしければ、基準02の話に移らせていただきたいと思います。

 個人的には基準02の方が基準01よりも理解がやさしいと思いますので、先にやるのは構いません。

 しかし基準01の理解はまだ済んでいないのではありませんか? 「へそ理論(オムファロス)や世界五分前仮説」が非科学的な理論であるということは納得されているのですか? 他の異なる理論をみて、それが「へそ理論(オムファロス)や世界五分前仮説のような」理論だと判定できる自信はおありですか?


 それと基準02の話をする場合でも、私の定義した「理論と事実の違い」については十分に御理解いただかないと、話がすすまないと思います。いままでのコメントを読む限り、まだ十分に御理解いただいているとは思えません。

96diamonds8888x:2018/07/04(水) 07:04:12 ID:2JWglbMs
>>95
【「理論と事実の違い」について】
 例えば[>>78]の練習問題は挑戦してみましたか?

97diamonds8888x:2018/07/05(木) 06:26:10 ID:P3QJtzNA
【反証可能性理論はなぜ受け入れられるのか-1-】
>>95
>反証可能性というのは結局のところ、対偶の検証可能性ということですからね。

 ちょっと変でしたね。言いたかったのは、「科学的な理論は検証できなくてはならない」と認めるならば、「科学的な理論は反証できなくてはならない」ことも認めなくてはならない、ということです。

 そもそもKenさんには、「ドーキンスが反証可能性を科学的であることの基準にしているのはおかしいのではないか?」という疑問があるんですよね? 違いますか?
 では私の基準01からは拡張されてはいますが、つまりある意味では横道にそれはしますが、「反証不可能な理論は科学的ではない」ということが、なぜ多くの人に支持されているのかを少し丁寧に述べてみましょう。


 まず理論というものは未来の事実を予測したり過去の事実を説明したりするものですが、これは観測された事実に基づいて検証されなくては正しいとはみなされません。これを「理論をテストする」とも言いますね。どうすればテストできるか、どうすれば検証できるかという具体的方法を、科学者は常に考えて、それを実行しようとします。

 理論をテストするということは、その結果が理論の肯定になるか否定になるかはテストが終わるまではわからないということです。肯定的結果なら検証されたことになりますし、否定的結果なら反証されたことになります。すなわちテスト可能ということは、検証可能ということでもあり、反証可能でもあるということです。【ここでは具体的な一つのテストの話であることに注意。得られるのは有限回のテスト結果。】

 例えば新理論が提案されたときには、テスト方法がはっきりわからないか、わかってはいても技術的に実行が難しいこともあります。だからといって、「その理論は間違いだ」とか「その理論は非科学的だ」と主張するのは科学的な議論とは言えません。しかし、「テスト方法を提案しろ」と主張するは正当な議論です。もう少し穏やかに表現すれば、「一緒にテスト方法を考えてみませんか?」といったところでしょうか。これは最初から議論を拒否するということではなく、議論に入った中で普通に行われていることです。

 例えばこれまでも、進化理論の議論を進める中で、自然選択仮説のテスト結果についてKenさんから疑問が出て他の人達が答えたということは何回もありましたよね?


 しかし中には、どう見ても、つまりどのように修正したとしても、テスト方法がないだろうとわかる理論もあります。その例が、私が基準01で挙げた「世界5分前仮説」などです。


 さて一例として万有引力の法則を例に挙げて説明を進めます。「万有引力のテスト」とだけ言っても具体的ではありません。具体的には様々なテストが考えられます。  【続く】

98diamonds8888x:2018/07/07(土) 09:14:29 ID:P3QJtzNA
【反証可能性理論はなぜ受け入れられるのか-2-】
>>97 万有引力の法則は質量を持つすべての物体というとても広い範囲を対象とするので、多様なタイプの予測ができて、それに応じて多くの異なるタイプのテストが考えられます。例えば次のようなものです。むろん以下の予測には万有引力の法則のみならずニュートンの運動の3法則をも使いますから、これも合わせてテストしていることになります。

 ・未来の惑星の位置を予測して、確認する。
 ・過去の惑星の位置を推定して、確認する。
   (例えば未発見の天体観測資料が見つかって検証される、など)
 ・未発見の惑星の位置を予測して、見つける。(海王星の発見とか)
 ・ロケットや人工衛星の軌道を予測して、確認する。
 ・砲弾やミサイルの軌道を予測して、確認する。(空気抵抗等による修正は必要だが)
 ・地球の大きさと地上の物体に働く力とから地球質量を求めて・・・さて確認はどうする?(^_^)
 ・大きな山のトンネル内では物体が少し軽くなると予測して、確認する。
 ・重力探査から地下に岩石とは異なる密度の鉱物の存在を予測して、確認する。
 ・2つの金属塊の間に働く力を予測して、実際に測定し確認する。
  (キーワードは、近距離重力実験、万有引力実験器、など)
 ・えとせとら、エトセトラ、etc.

 いやー、ニュートンは偉大だ! ケプラーの法則では惑星の軌道しか予測できませんからねえ!!

 ポパーは反証されていない仮説が複数あるときの仮説の優劣判定の基準として「内容の豊かさ」を挙げています[内井惣七,3.6節]。上記の例ではニュートンの法則(万有引力+運動の法則)はケプラーの法則よりも内容が豊かなのです。


 上記のテストの中でも最も「直接的な」検証と見なせる「2つの金属塊の間に働く力の測定実験」を考えます。具体的な1回のテストは、ある日ある時ある場所での、ある質量の組み合わせの2つの金属塊をある距離に置いたときに2個の間に働く力の測定で、それがニュートンの法則に一致するかどうかが検証または反証されます。で、今のところは確実な反証結果は得られていないようですが、だからといって未来永劫、すべてのテストで反証されないかと言えば、それは厳密には保証できないことです。つまり、万有引力の法則が未来永劫すべての場合に成り立つことは、検証は不可能です。人類にできることは、そして実際にやっていることは、何回も何回も、反証されなかったことを確認することだけです。完全な検証というは無理なんだから、反証されないことを確認しつづけることで我慢しようよ、というのがポパーの反証可能性理論なのです。

 以上の例ではニュートンの法則(万有引力+運動の法則)もケプラーの法則も反証可能ですが、前者の方が反証実験ないし反証観測の範囲が広いと言えるでしょう。それがつまり、内容が豊かだということの証です。
 ニュートンの時代では技術的に可能な反証は天体運動観測と落体や投射体の運動くらいだったでしょうが、近距離重力実験も原理的には考えられる実験だったはずです。原理的に反証可能ならば(検証実験が考えられるならば)技術的には困難でも反証可能性がないことにはなりません。ただ「実験可能になるまでは判断保留」という扱いは受けるでしょうね。


 これ以上は、どう言葉をつくしても同じことの異なる表現による繰り返しになりそうですので、ひとまず納めておきましょう。

 なお、天動説と地動説との反証可能性というテーマについては長くなるでしょうから機会があれば別途また。

99Ken:2018/07/07(土) 11:21:44 ID:kxVV28RY
投稿を読ませていただいてます。

私自身は、diamonds8888xさんの言われる基準01や理論と事実の違いは理解できているつもりでいますが、現在進行中の説明が終わるのを待ってから確認したいと思います。

また、この「検証/反証可能性」に関しては、ブラックホール内部と素粒子の存在という2つの課題が保留になっています。

素粒子については、一旦私の方から、反証可能性は問題にならないだろうと提唱しましたが、diamonds8888xさんから待つようにという指示をいただいています。

ブラックホールについては、検証のやりようがない点で、世界5分前仮説と本質が同じではないかと思いますが、これもdiamonds8888xさんの最終解答をお待ちします。


>地球の大きさと地上の物体に働く力とから地球質量を求めて・・・さて確認はどうする?(^_^)

「地球を測定した」と称されるキャベンディッシュの実験は二百年以上を経た今でも、よくもそんな実験が成功したものだと、奇跡のように私には思われるのですが。

100diamonds8888x:2018/07/07(土) 22:03:38 ID:P3QJtzNA
>>99
>理論と事実の違いは理解できているつもりでいますが、現在進行中の説明が終わるのを待ってから確認したいと思います。

 いえ、この点だけは説明終了など待たずに早めに理解していることを示してください。基本的なところですから。

101diamonds8888x:2018/07/07(土) 22:12:48 ID:P3QJtzNA
>>100
>ブラックホールについては、検証のやりようがない点で、世界5分前仮説と本質が同じではないかと思いますが

 事実と理論の違いを御理解いだたいてから話すつもりでしたが、引き延ばしになっても拙いでしょうし、ヒントを書いておきます。
 世界5分前仮説は、現在の世界がこのようになっている理由を説明する理論です。
 ブラックホールについては、その内部が実際にどのようになっているかという事実を検証しようという話です。

102Ken:2018/07/08(日) 10:51:02 ID:kxVV28RY
それでは、

>世界5分前仮説は、現在の世界がこのようになっている理由を説明する理論です。
>ブラックホールについては、その内部が実際にどのようになっているかという事実を検証しようという話です。

???どちらも理論と事実の両方の側面があるのではないですか?

「世界5分前仮説」
〜この世界が5分前に、あたかもそれ以前から存在していたかのように装って作られた〜というのが理論
〜世界は10分前には存在しなかった〜というのが事実

「ブラックホール」
〜ブラックホール内部でも外部と同じ法則(とりわけ一般相対論)が働く〜というのが理論
〜ブラックホールの中心には特異点があり、時間が止まり、密度は無限大になる〜というのが事実

103diamonds8888x:2018/07/10(火) 05:32:47 ID:P3QJtzNA
>>102
 示された理論と事実とは、おなじことの2つの側面ではなくて、それぞれ2つの別のものです。では、各テーマにおいて、その理論と事実との関係はどうなっているでしょうか?

 そして各テーマでは、どちらからどちらを検証しようとしていますか?

 「世界5分前仮説」では、もうひとつの事実が役者として登場しますね。影の役者? いやー、いつもいるでしょう[>>101]。て、それは「ブラックホール」も同じか(^_^)。もうひとつの事実たち、かな。

104diamonds8888x:2018/07/10(火) 05:38:01 ID:P3QJtzNA
>>103
ちょっと訂正。いや、大きな訂正かも。

>どちらからどちらを検証しようと
 ===> どちらからどちらを検証しようと、それとも予測しようと

105Ken:2018/07/10(火) 23:45:37 ID:kxVV28RY
質問の意味を正しく理解できたか分かりませんが、

「世界5分前仮説」では、

世界が5分前に作られたという理論から、10分前には世界は存在しなかったという事実を予測する

「ブラックホール仮説」では、

重力が時間を遅らせるという理論から、ブラックホール中心では時間が止まるという事実を予測する

ということではないですか?

ただし、どちらの事実も検証するすべはありませんが。

>もうひとつの事実が役者として登場

?????????

106diamonds8888x:2018/07/13(金) 06:02:55 ID:P3QJtzNA
 [>>105]で示された解答はどちらも正解です。ではもう一歩進んで私の考え方を、「世界5分前仮説」の例で説明します。

  事実A:現在の世界(0分時の世界)の観測事実
  理論:世界は5分前に作られた
  事実B:10分前には世界は存在しなかった

 ここで、事実A =(仮定)=> 理論 =(予測)=> 事実B
 さらに、理論 =(予測)=> 事実A

 すなわち、観測された事実Aに基づいて、言い換えると観測された事実Aを説明できるような理論を作り、その理論により、まだ観測されていない事実Bを予測します。そして実際に事実Bが観測できて正しいとわかれば、その限りにおいて理論が検証されたことになります。

 むろんこの例の場合は、事実Aを説明できる理論は「世界5分前仮説」の他にもいくつも考えられます。他の多くの理論では、「世界5分前仮説」とは対立する次のような仮定をおいています。

  過去理論a1)世界はかなり昔から存在し時間に沿って連続的に変化して来た。
     少なくとも個人の(特に私の)記憶にある昔以降は。
  過去理論a2)世界はかなり昔から存在し時間に沿って連続的に変化して来た。
     少なくとも人が残した記録にある昔以降は。
  過去理論a3)世界はかなり昔から存在し時間に沿って連続的に変化して来た。
     因果律を逆にたどって推測できるかぎりの昔以降は。


 さてここで、事実B「10分前には世界は存在しなかった」は原理的に観測不可能です。まさにタイムマシンでもない限りは。もちろん完全に対立する事実である事実¬B「10分前に世界は存在した」も同様です。したがって、「世界5分前仮説」と、それとは対立する他の仮説とのどちらが正しいのかということは、原理的に永久に検証不可能です。

 では、原理的に検証不可能な過去の事実というものを語ったり考えたり検証したりすることは、科学的には意味のないことなのでしょうか? Kenさんはどう考えられますか?

107diamonds8888x:2018/07/13(金) 06:05:22 ID:P3QJtzNA
>>105 これは蛇足ですので返信は必要ありません。

 ちょっと注意しておくと「ブラックホール中心では時間が止まる」という予測はされていないはずです。外部解においては、「外部の観測者の視点では、事象の地平線に近ずくにしたがってブラックホールに落ち込む質点の時間が、徐々に進み方が遅くなる」という予測はよく知られています。厳密には止まった状態へ漸近する、ということですが、この状態を普通に「事象の地平線では時間が止まる」と言いますから、Kenさんの「止まる」という言い方も、外部解に適用したときの普通の表現として問題はありません。

 内部解については私もまだ正確には把握していませんので、ブラックホール問題を語るときにはちょっと抽象的な表現になるかも知れませんが御容赦願います。

 時間は観測者により異なるというのが相対性理論の結論ですので、どこの時間が誰にとって(誰から見たときに)止まるのかということを常に意識しないと言葉が独り歩きする恐れがあります。で、観測者自身から見た自分自身の時間(専門用語では固有時間)は止まることはありません。ブラックホールに飛び込んだ観測者自身の時間も、その観測者にとっては止まりません。では、その観測者から見たブラックホール内部や外部の世界はどう見えるのか、ということも内部解から予測できているはずなのですが、ここはまだ私も正確には理解していない段階です。

 ここでまた蛇足ですが、この観測者というのはむろん仮定的な存在で、大きさのない質点であり、どんな高重力のもとでもつぶれもしなければ観測を止めることもない不死身の存在です(^_^)

108diamonds8888x:2018/07/13(金) 06:07:54 ID:P3QJtzNA
>>106
 すみません。また誤植がありました。

(誤) さらに、理論 =(予測)=> 事実A

  ==>さらに、理論 =(説明)=> 事実A

109Ken:2018/07/13(金) 08:04:02 ID:kxVV28RY
とりあえず>>107について、(返信は不要とのことですが)

もちろんこれまで述べてきたのはすべて「外部解」の話です。だって内部に入った不死身の観測者にとっては、内部は観測可能なのですから。

「A:GPS衛星と比べて地上の時間の進みが遅れる」ことはすでに観測された事実
「B:重力が時間の進みを遅らせる」は理論

BがAを説明する

「C:事象の地平線に近づくと時間の進みが0に近づく」はBが予測する事実で観測(検証)可能

問題はこの次で、

「D:事象の地平線から向こうでは時間が止まる」はBが予測する事実で観測(検証)不能

と理解しておりましたが誤りでしたか?

110Ken:2018/07/13(金) 19:58:58 ID:kxVV28RY
ブラックホール内部で何が起こるか自体が本題ではなく、観測不可能な対象が考察され事実が予測されているかが問題ですね。

111diamonds8888x:2018/07/13(金) 20:21:03 ID:P3QJtzNA
>>109

> 「D:事象の地平線から向こうでは時間が止まる」はBが予測する事実で観測(検証)不能

> と理解しておりましたが誤りでしたか?

 ああ、なるほど。その理解は間違いです。外部解では「D:事象の地平線から向こうでは時間が止まる」という予測はされません。「事象の地平線から向こうは観測できない」というのが外部解での予測です。

 そして物理学者が考察しているとおっしゃるブラックホール内部の話というのは、もちろん内部解からの予測ですよ。


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