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科学と疑似科学とを判別する

23diamonds8888x:2018/05/19(土) 06:00:41 ID:LdKhejdU
>>22
>私が知るprobabilityの日本語訳は「確率」だけです。

 ひとまず英和辞書を引いてください。そもそも数学上の定量化された「確率」という概念自体が半定性的な「確からしさ」という概念から産まれたものです。西欧語では"probability"に当たる語がそのまま使われたのですが、日本語ではたぶん明治の先人たちが熟慮して訳語を創ったのでしょう。詳しくはKenさんのお好きな科学史を調べればわかるでしょう。

>この1文だけをとりだせば、それなりの真理を表すかもしれません。ですが今の場合、問題になるのは「法」ではないでしょうか?

 その話はいったん置かれたつもりでしたが、まあ再考してみましょう。科学的に何かを知ろうとする際と、知ったことを使って何かを(例えば公教育の内容を)決断しようとする際とは別の話になります。前者の結果は明確な境界のないことがほとんどですが、後者ではそこになんらかの境界を決めなくてはなりません。それは科学ではなく、いわゆる政治的決断というものです。

 例えば環境規制や食品中の化学物質規制を決めることを考えてみるとよいでしょう。例えば致死量という比較的単純な評価値でさえも明確なひとつの値にはなりません。どれだけの量で死ぬ確率がどれくらいかは個体にもより他様々な条件にもより異なります。そこで「十分に安全なだけの許容範囲」を取って規制値を決めたというのが多くの国々での法規制です。

 例えば小学生に公的に教える内容を決めるとき、彼らの平均能力や教師の負担を考えても、そうそう多種類の理論を教えるというわけにもいきません。では取捨選択をどうするかと考えたときに、現時点で最も確からしい理論を優先し、「十分に確からしい許容範囲」を取って、「現時点では確からしさに欠ける理論」は捨てるのが妥当というものでしょう。

 教えられる者にとっての「難易度」というのも数値的に示しにくい量ですが、教育では考慮せざるをえません。曖昧な量とはいえ、小学生に微積分や量子力学を教えようとは誰も思わないのではないでしょうか? 「灰色領域があったとしても黒と白の区別はつけられる」と過去に言いましたが、まさにその一例です。


 以上のように、「世の中、そんなことばかりです」


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