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科学と疑似科学とを判別する

7diamonds8888x:2018/04/26(木) 04:01:27 ID:V97bymbU
 議論の総括をしてみます。当初は私も視野が狭くて、それとおもしろさも手伝って3原則にとらわれ過ぎたかも知れません。現時点では、実際的な判別としてはミケさんの述べたことが一番適切な見解だと考えています。
 [//6609.teacup.com/natrom/bbs/20043]
 >疑似科学という評価を避けようと、疑似科学の定義にこだわるより〜以下略


 まず「疑似科学(的仮説)」の指す範囲については「提唱者の意図にはかかわらず、科学的方法に基づいていない(仮説)」という点で、Kenさんに歩み寄ってもらっています。ただ仮説自体は同じでも、それを仮説としてではなく「確立したもの」「絶対間違いないもの」として扱う態度が「疑似科学(的態度)」との指摘もミケさんからあり、私も同意します。
 [//6609.teacup.com/natrom/bbs/20012]


 すると個別的に科学的か否かということを判定することになるのですが、Kenさんはその際の判定基準として「自説の根拠を示せなくても、対立仮説の難点を示すだけでも提唱価値はある」と考えているようで、それにはちょっと同意しかねます。

 疑似科学判定基準としてテーマになっている「P1:根拠を探そうとしないこと」というのは表現が抽象的過ぎるきらいがありますが、「対立仮説の難点を示すだけで、自説の根拠を探そうとしないこと」という意味を強く含んでいると私は解釈しています。

 そもそも広い意味で「いかなる根拠も探そうとしない、示そうとしない」というなら仮説としての意味などないと思いますから、広く解釈すればP1は当然すぎると私には思えますので、提唱者がなんらかの根拠だと思うものはあるはずだと思います。例えば「世界に秩序があるのは設計者が存在する証拠だ」とか。ただその根拠が現代の科学的方法論から見ればちっとも根拠になっていない、という事例が色々とあります。

 実行可能性はともかくなんらかの根拠を示すことは必要なはずで、広く解釈したP1は当たり前のことではないでしょうか。問題は個別に検討した時に、示された根拠の妥当性が科学的なものかどうかという判別ではないかと思います。

 Kenさんは「天動説vs地動説」と「光の粒子説vs波動説」を事例に挙げましたが、これらの場合は対立仮説のどちらも相応の科学的根拠を持っていたがゆえに長らく好ライバルとして両立していたのだと私は考えています。詳細はまた別コメントにします。

 ID論の場合はそうではないと考えられます。これもまた別コメントにします。


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