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科学と疑似科学とを判別する

22Ken:2018/05/13(日) 09:17:30 ID:u4ZOJOl6
>>21
diamonds8888xさん

私が知るprobabilityの日本語訳は「確率」だけです。その定義からして、数値化できなければ意味のないものではないかと思われます。

「科学的正しさはprobabilityで判断される」

この1文だけをとりだせば、それなりの真理を表すかもしれません。ですが今の場合、問題になるのは「法」ではないでしょうか?

私たちが論じてきた科学と疑似科学の判別は、科学に携わる個々人が自己の行動を律するという意味もあるでしょうが、それ以上に教育現場やシンポジウムのような「社会」の行動を律するという意味が強かったはずです。とりわけ、公教育の場で教えることを社会がコントロールするべきと主張されるdiamonds8888xさんの考えに従えば、そうなるはずなのです。

そうなると、どうしても曖昧さの存在を許すことはできません。例えば学校で何を教えるかで意見が対立したとき、話し合って合意にいたるには、全員が容認する共通の判定基準が土台になるからです。そのような共通の判定基準とはつまり「法」であり、個々人の主観や恣意を排除するために、最大限の明確さで記述されるべきではないでしょうか? そうでなければ、どうやって反対意見を説得もしくは論破するのでしょうか?

純粋に科学的な判定基準としても、定量的な数値化は難しい、かといって定性的な区別(1か0か)でもないという、そんな判定基準がありえるでしょうか?

そんな判定基準しかもてないのなら、科学と疑似科学を論じることがそもそも無意味であり、ひいては、地動説であれ、ブラックホールの内部であれ、IDであれ、血液型性格診断であれ、学校やシンポジウムの場にもちこむことを、自由放任にする以外の選択肢がないではないかと、私には思われます。


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