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科学と疑似科学とを判別する

35Ken:2018/05/26(土) 14:19:36 ID:u4ZOJOl6
>>33

>いまひとつわかりにくかったのですが、一応、2のID論を公教育で教えること云々ではなくて、1の「ID論は〜根拠のある理論である。」を議論することが本命と理解しました。

書き方には工夫をしているつもりなのですが、やはりまだ分かりにくいようで申し訳ありません。

究極的な本命はたしかにID論の根拠ですが、現時点はそうではありません。

今は、いずれIDを議論するための環境作りとして、科学と疑似科学の判別を問題にしています。そして先の投稿で書いたように、この段階ではID論の話はできるだけ避けるのがよいと考えます。もちろん必要があればIDの話も出すとは思いますが。

また、先の投稿で言いたかったのは、ID論に限らず、ある仮説が疑似科学であるという理由で普及(教育を含む)を妨げるのであれば、前提条件として疑似科学とはなにかを厳密明確に定義すべきだろうということでした。

このとき、もしも疑似科学の定義が曖昧で厳密にできないのなら、選択肢は2つあります。

1.化学物質や放射線の致死量を設定するように、政治的決断をしてでも、明確な基準を定める
2.公教育のカリキュラムを決めるような社会的な場に、科学・疑似科学の問題を持ち込まない

なお、diamonds8888xさんとの間では無用の心配かもしれませんが、念には念を入れ、「根拠がないこと」と「疑似科学」の間に、誤解の余地がない区別をしておこうと思います。

シュリーマンの例が一番わかりやすいでしょう。彼が神話に魅了されてトロイ遺跡を探し始めたときには、トロイの実在を示す根拠はなかったのだから、彼が唱えたのは根拠のない仮説でした。一方で、現実の大地を掘り返して遺跡を探すのは、科学的探究として真っ当なやりかたです。

したがって、遺跡発見前の段階でシュリーマンの仮説には根拠がなかったけれども、だからといって疑似科学ではなかったということになろうかと思います。

>>34

「罵倒、誹謗、揶揄」については、そういう意図で私に向けて発言した人がいたという気持は変わりません。とはいえ、事情は疑似科学と同じで、罵倒や誹謗を客観的にどのように定義するのかを明らかにしてからでないと、私自身がそういうことを言うのは無責任です。そこを反省したので撤回をさせていただきました。

ドーキンスについては、彼の表現自体も攻撃的ですが、それよりも論点の構築に欺瞞が見受けられます。要するに、ID論を批判するといいながら実際には創造論の批判をしているのです。

あるいはドーキンスはID論と創造論は同じものと認識しているのかもしれません。それにしても、神が万物を作ったという創造論と進化の中に人為的なものがあるというID論を同じだというなら、そのことから論証するべきではありませんか。

ところが紹介した彼の寄稿では、ID論と創造論は同じものという1文を入れて片付けてしまい、それ以後はひたすら創造論を批判する内容を述べながら、ID論を批判していると言うのです。

なによりおかしいのは、ドーキンスの文章では、ID論者は進化そのものを認めていないように読めることです。進化すなわち地球史の中で生物が変化してきたことを認めるID論と認めない創造論には大きな相違があるのに。


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