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現代人が納得できる日蓮教学

436烏賊太郎:2005/12/05(月) 22:43:38
授記品の「於最後身。得成為仏(以下省略)」というのは、そういう意味ではなくて
長い修業の結果(得果)仏になりますよ。という意味であって全然違うと
思いますよ。いやはや、全てにおいてものすごい誤解のような気がします。
一度、知識をフォーマットして導入しなおした方が良いと思います。

437烏賊太郎:2005/12/05(月) 23:14:25
とんびさん、ごめんなさい。余計な事を書きました。
今、いろいろご自分で勉強なさっている最中なのですね。
解説なしでお読みになれば勘違いもありますね。また、私が正しいかどうか
も不明ですね。頑張ってください!(^^)v

438犀角独歩:2005/12/06(火) 11:55:13

> 十界互具については、いわばネコや犬にも仏性・十界がある

畜生界所具といことです。

> 有情と非情とにわかれていますが、根本的には、非情・有情の区別はない

この点を日蓮は『本尊抄』に以下のように言います。

「百界千如は有情界に限り、一念三千は情非情に亙る」

ここでいう情とは心のことです。

> 最後身…最後…成仏という…より、解脱という意味合い

これはいい視点ですね。阿羅漢というのは梵語では、輪廻の束縛を終え、次に生まれ変わらない、つまり、いまの肉体が最後の肉体である=最後身という意味です。阿羅漢果は、小乗の目的であり、解脱です。
一つ阿羅漢といっても正確には4分類され、その第4段が「阿那含」と音写されるアナーガーミンで訳語的漢語成句では「不還」ということです。
この訳語からすると、ここでいう阿羅漢は、小乗の灰身滅已とは違い、無色界への移行を言う如くです。

> 解脱…アートマンとかブラフマン…原始仏教?の色合いを感じ

ああ、こんなふうに考えられますか。
アートマンとは漢語では「我」、ブラフマンは「梵」です。大乗では常楽‘我’浄をいい、梵とは日蓮漫荼羅に勧請される大梵天玉のことです。バラモン教は、このような形で日蓮に至るまで採用されてきました。

> 久遠に於いて、日蓮さんが仏、釈尊が弟子

これはいったい何の話でしょうか。
日蓮本仏論でしょうか。
日寛の教学では日蓮は釈迦です。
日寛は明確に「蓮祖は即ち是れ釈尊の事」と記しています。これをまた同体異名の相伝とも言うのでしょう。

> 印度応誕の釈尊は、その生涯をとじて、解脱した。もうどこにも存在しない
これはまったく寿量品の意味を解していないから、こんな考えになるのでしょう。釈尊は入滅していない、常に娑婆霊鷲山にあって説法教化しているというのが法華経です。それが衆生に見えないのは方便として涅槃したように見せかけたからだということです。それを信じるかどうかが法華信仰と言うことでしょう。「お経本」をお持ちなら、自我偈を読んでみれば、そう書いてあります。

439犀角独歩:2005/12/06(火) 11:55:40

―438からつづく―

> 大乗仏教や日蓮さん…汚れていると思われる凡夫の身…釈尊と同じ…仏

身ではなく「心」でしょう。

> 物の見方一つ変えるだけ…寂光土・仏国…即身成仏…思いのままの言葉ですが。

まあ、言い方は雑駁ですが、だいたい、そんな考え方は写本遺文から言えるでしょう。

「浄土と云ひ穢土と云ふも土に二の隔なし。只我等が心の善悪によると
見えたり。衆生と云ふも仏と云ふも亦此の如し。迷ふ時は衆生と名け、悟る時をば仏と名けたり浄土と云ひ穢土と云ふも土に二の隔なし。只我等が心の善悪によると見えたり。衆生と云ふも仏と云ふも亦此の如し。迷ふ時は衆生と名け、悟る時をば仏と名けたり」(一生成仏鈔)

> 成仏といっても、正宗系では、何度も人間として生まれる

人界所具の仏界ということがあります。
また、

「引導師は智者に非らずんば叶ふべからず、其の故は死人は無心にして草木の如し、而も無心の者に心を入るゝ事は且らく導師の心地に有る」

といい、死者は草木に同じ、そこに仏心を入れるのが成仏であるというのが石山の考えです。では、どうやって入れるのか、

「仏事追善引導の時の廻向の事、私の心中有るべからず・経を読みて此の経の功用に依り・当亡者の戒名を以つて無始の罪障を滅して・成仏得道疑ひ無し乃至法界平等利益」

創価学会も顕正会も捨てた化儀、日寛も従った法義です。
では、日蓮はどうか。

「穢土に於て喜楽を受くるは但日蓮一人なるのみ」
「極楽百年の修行は穢土の一日の功に及ばず。正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか」

> 苦しみから解脱するということではなく

いや、そうではありません。有余涅槃とは苦からの解脱です。
苦集滅道をいう四聖諦も還滅門の十二因縁も、その基本は苦からの解脱を言うものです。

440とんび:2005/12/06(火) 18:48:59
犀角独歩さん、こんばんは。

 引導師・・・からの引用は、大石寺法主の言葉でなく、真跡違文からの引用
でしょうか。私は、真跡在・偽書の区別は詳しく存じていません。現在持って
いるのは、大石寺版平成新編御書です。ですから、ここが元になっています。

 似たような、言葉が
 草木成仏口決にあると思います。
「有情非情の成仏の事なり。其の故は我等衆生死する時、塔婆を立て開眼供養するは
死の成仏にして草木成仏なり」と。
 これはどういうことでしょう。生きていた人が成仏出来ずに、亡くなったが、死後に
お題目・法華経を供養すると、亡くなった人が成仏する。
 そういう事ではなく、ただ単に死後の肉体が・草木と同じ存在が、お題目・法華経の供養
によって、仏性が顕れ成仏すると。

 たとえば、石ころや草木も、法華経を保つ人が、お題目・法華経を草木に供養して
あげないと仏性があっても成仏できない..ということでしょうか。

 余談ですが、有情・非情について、日蓮さんは、草木成仏口決に
 「我等一身の上には有情・非情具足せり。爪と髪とは非情なり、きるにもいたまず。
其の外は有情なれば切るにもいたみ、くるしむなり。一身所具の有情・非情なり」
 とありますが、これに加えれば、歯や排泄物がありましょうか。
 肉体に於いても、ミクロの世界に入れば、痛みを感じる神経細胞のないところを、
ミクロ単位の針でつつけば、痛くないので非情になると思います。

 また、手術で、体内の臓器を取り出せば、その時に有情から非情になってしまうと
いうことで、有情・非情の区別は、細かく論ずるとなくなってしまう..ように思い
ます。

441とんび:2005/12/06(火) 19:46:53
こんばんは。

本尊抄に
「不審して云く、非情に十如是亘らば、草木に心有りて有情の如く成仏を為すべきや 如何。答へて曰く、此の事難信難解なり。天台の難信難解に二有り。一には教門の難信難解、二には観問うて曰く、
百界千如と一念三千と差別 如何。答へて曰く、百界千如は有情界に限り、一念三千は情非情に亘る。門の難信難解なり。・・・百界千如・一念三千にして非情の上の色心の二法十如是是れなり」
と、ありますが、まず、百界千如という意味がわかりません。いくつかの仏教辞典を調べましたが、
載っていませんでした。

 上記の違文は、百界千如と一念三千とは、違うが、けれど同じだよ..と言っているので
しょうか。とにかく語句の意味がわからないと理解することができません。

 ブラフマン・・・すべて、全体、外道でいうなら神か
 アートマン・・・個人、我、個性、外道で喩えるなら神の子か

 神の子である衆生から、解脱して、元のところに還る。全体に同一するわけだから
、その人の個性は、完全になくなる。個性は無だけど、有ではある。

 こんなように、インドあたりの外道教は、説いているのでは..と思っています。

 ちなみに、釈尊は完全に解脱した、と信じる人の本を読んだことがありますが、
その人の目的は、完全なる解脱・絶対無で、ブラフマンとか神に帰するのではなく
完全に存在しなくなるというのが解脱で、たかん打座?(とにかく座禅です)を修行
していました。でも別の人が読むと、その人のいう絶対無というのは、非想天みたいな
感じだなあ..といっている人もいました。

 ただ、こういう考えもあるのだな..と思いました。

久遠に於いて、日蓮さんが仏、釈尊が弟子..は、法華経に出てくる、釈尊の
弟子の、成仏の記別に於いて、述べている「内容のことを」、わかりやすく、
釈尊と日蓮さんにあてはめて、例えとして用いました。
 ですから日蓮本仏論にあてはめたわけではありません。

釈尊は入滅していない、常に娑婆霊鷲山にあって説法教化しているという

 そうですね、そう書いてあります。このところを正宗系では、日蓮さんは、
現在、板本尊となっていて、常に「戒壇の大御本尊」は、そこにあって法を
説いている。すなわち信ずる者には福。謗ずる者には罰を説いている..と。
 
 すくなくても、顕正会では、そう説明していました。

442とんび:2005/12/06(火) 20:07:55
烏賊太郎 さん、こんばんは。

私は、特定の宗教を信じていなく、また、個人的にも迷いの中にあると思います。
これという、絶対的な個人の主張はありません。たとえば、生命の永遠についても、

人生一度だけ2:8生命は永遠..という感じて、永遠であると感じるが、もしかし
たら、そうでないのかも..といった思いもあります。

 ですから、何かいわれても、あまり気にはなりません。

 ただ、臨終の時に、正念があって、すがるものというと、お題目・南無妙法蓮華経
しかない..ということです。アーメンとか南無阿弥陀仏とかは、いわないでしょう。

 それと、教学や仏語をあまり理解していない、特定の信仰がないから、トンチンカン
な、または、気狂いみたいなことをいうかもしれません。
 でも、それでいいのかな..と思っています。

 たとえばです、昔、ある本を読みました。今でいうとニューエイジとか外道の部類に
入る本です。
 その中で、宇宙は、実は、太陽系しか存在していないのだ...という説がありました。
詳しく覚えていないのですが、これは、今の天文学でいうと、トンチンカンな
トンデモな説です。

 そして、夜空に、見える数多くの星は、実は過去の地球の姿なのだと..。
 他の星系に、人類の住んでいる星があったとする。
 地球人が、光速船を開発して、その星に行くと、実は、そこは、過去の地球、
または、未来の地球なんだそうです。そんなような説というか話なんですね。

 ですから、そのことを経典にあてはめると..どうだろう..なんて考えるの
です。経典には、阿弥陀浄土をはじめとして、十方世界の国土が説かれていると
思います。そこには、阿弥陀如来、あしゅく仏とかいろいろな仏が説かれています。

 そして、トンデモ本と経典を合わせると、阿弥陀浄土も、実は地球のこと。
 阿弥陀仏も、実は、釈尊のこと(正宗系では日蓮さん)と、なってくるのか
な..と考えたりするのです。

 でもこういうトンチンカンな発想も、何かを示唆するようなことが、ありは
しないか..と思ったりします。

 これからも、よろしくお願いします。

443とんび:2005/12/06(火) 23:59:09
訂正します。

本尊抄に引用した、遺文の順番が、間違っています。すぐに訂正
できないので、後ほど訂正したいと思います。すみませんでした。

444犀角独歩:2005/12/07(水) 00:44:00

とんびさん

> …大石寺版平成新編御書

であれば、冒頭の目次に、真蹟のあるものは所在が書かれています。ないものは写本のみと言うことでしょう。また、写本者が載っているものはまだいいですが、まるで載っていないものもあるでしょう。捲りながら対照できます。そうやって、皆こつこつ勉強してきたのです。

> 草木成仏口決

偽書濃厚ですね。

> …生きていた人が成仏出来ずに、亡くなったが、死後にお題目・法華経を供養すると、亡くなった人が成仏する。

いえ、そうではなく、亡くなった人に坊さんが戒名をつけて供養すると成仏するという説です。

先の文が日繼(妙本寺)の『当家引導雑々記』、あとは日有の『化儀抄』です。

> 百界千如という意味がわかりません

十界×十界=百界
百界×十如=千如

> 上記の違文

千如までは情・非情にわたるが一念三千は

千如×三世間(五陰・衆生・国土)=三千

で、衆生と国土の関係なので非情にはわたらないということです。

> ブラフマン・・・すべて、全体、外道でいうなら神か

梵天です。天と神は同じ梵語の訳語で同じ意味です
外道ばかりではなく、内道でも神です。
漫荼羅に書かれてあるでしょう。

> アートマン・・・個人、我、個性、外道で喩えるなら神の子か

違います。バラモン階級の僧です。天上のバラモン(梵)、地上のバラモン(我)は共に親子の関係ではなく、地上のバラモンは天のバラモンになることを目指しているということです。

> その人の個性は、完全になくなる。個性は無だけど、有ではある。

これも違います。バラモン教は、いわば有論です。有我ということです。これに対して、仏教が無我を主張したわけです。

> たかん打座?

只管打坐です。

主に曹洞宗です。止観禅とは違います。

> 釈尊と日蓮さんにあてはめて、例えとして用いました。
> ですから日蓮本仏論にあてはめたわけではありません。

しかし、結果的に間違った本仏論になっています。

> 現在、板本尊となっていて、常に「戒壇の大御本尊」は、そこにあって法を説いている。すなわち信ずる者には福。謗ずる者には罰を説いている..と。
板漫荼羅は法は説きません。人即法の本尊(日寛)といい生身の日蓮であるということです。
なお、板漫荼羅には「信ずる者には福。謗ずる者には罰」という讃文はないでしょう。

445顕正居士:2005/12/07(水) 05:22:22
>>434 >>438 大乗仏教における涅槃

初期の仏教にも、如来は死後に存在するともしないともいえないという話があります。
ですから涅槃は普通の意味の無とはちがうと考えていたようです。しかし菩薩として
また生まれて来るということはありません。だから観世音などの大悲の菩薩はあえて
仏果を取らない、一抹の煩悩を残しておくというのが普通の大乗仏教の思想です。

対して法華経は霊鷲山そのほかの住所で釈尊は今も常に説法しているし、最初の
成道の以後にも、常に菩薩として生まれて来たと説きます。それが法華経の独自の
思想であって、いわゆる本門の教義です。釈尊蓮祖一体の説は法華経の中心教義
に由来しています。釈尊はすでに涅槃に入っており、末法に上行菩薩を派遣したと
いうのはこの法華経の中心思想に合いません。蓮祖の本地は上行菩薩と限らない、
不可思議であるなどの表現は他の師にもありますが、日寛師の一体の説はたいへん
明晰です。

上行菩薩はあえて仏果を取らない、一抹の煩悩を残した大悲の菩薩です。仏とほぼ
変わらない等覚の菩薩ですが、蓮祖は名字初心の菩薩です。したがって本地上行
の説だと、蓮祖はあくまで上行菩薩の和光同塵した垂迹の姿です。つまり、これは
普通の大乗仏教の解釈です。法華経の中心教義である永遠の菩薩道に合致するの
は釈尊蓮祖一体の説です。寛師説の一体は蓮祖そのままに釈尊という意味です。
ただし蓮祖は名字初心の菩薩ですから、一番成道の本果の釈尊ではなく、久遠本因、
菩提心を起こされた時の釈尊と一体の意味です。

446犀角独歩:2005/12/07(水) 08:53:23

顕正居士さん

お久しぶりです。

「釈尊久遠名字即の位の御身の修行を、末法今時の日蓮が名字即の身に移せり」とは『法華本門宗血脈相承事』の一節です。

わたしは、この相伝を「本地自受用報身如来の最誕日蓮」と共にする石山義において、『秘密荘厳論』の「一念三千即自受用身、自受用身者出尊形仏」は、ここでは如来と言われながら、名字即、凡夫に配し、‘如来’とする点で齟齬を来していないのかと訝しく思っていたのです。しかし、それは『寿量品』に「我成仏已来。甚大久遠。寿命無量。阿僧祇劫。常住不滅。諸善男子。我本行菩薩道。所成寿命。今猶未尽。復倍上数」という成仏を言いながら、菩薩道の寿命は今なお尽きず、先までの倍するという、顕正居士さんのお言葉を籍りれば、「永遠の菩薩道」をここに明示するわけです。
久遠の釈迦如来(久遠ではシャカ族の王子ではないので、この言い方はおかしいのですが、取り敢えず、いまは仮にそう呼称します)はまた、菩薩道をするという仏の菩薩道という形で宣言するのが法華経でした。

先に挙げた『寛師雑々』の「蓮祖は即ち是れ釈尊の事」とするとき、これを同体異名の相伝という時、日蓮を上行と配立すると、釈尊・日蓮と、上行・日蓮という二解釈が並び立つことになります。ここを埋めるのが釈尊上行一体の異名ということで、すなわち、法華経における釈尊と上行は一体と見るという教学的な姿勢でした。つまり、父子一体の相伝でした。(父=釈迦如来・子=上行)

また、このような展開では、顕正居士さんが「一抹の煩悩を残した大悲の菩薩」という特色分析は、たとえば日有が『化儀抄』に「当宗の本尊の事、日蓮聖人に限り奉るべし」といい、「未断惑の導師を本尊とする」という点と一致します。日有が両巻相承を知っていたかどうか、しかし、久遠名字を末法に移すという教学的な姿勢は、凡夫本仏論ならぬ、凡夫本尊論という形に至る別の経路を辿って、ほぼ同様の結論に達している点に興味が惹かれます。
このような論理構造の整合性はたしかによくできていると思います。

447顕正居士:2005/12/07(水) 10:51:33
犀角独歩さん。ひさしぶりです。

寛師説が優れているのは本地上行説は外用浅近と断定したことです。それまでは上行本仏
のような考えがあった(菩薩本・仏迹)。しかし上行は等覚の菩薩。蓮祖は名字初心の菩薩。
そういう偉い菩薩の垂迹とかではなくて、久遠本因の釈尊そのままの再誕なんだというのは
素晴らしい宗教的解釈です(寛師の独創ではなく、要法寺の両巻血脈に根拠があります)。

天台学の通途は初住を仏としますが、日蓮聖人自身もその説を取らず、六即皆仏の説のほう
を取ります。但し日本天台で主流であった理即仏ではなく、名字即仏のほうをいいます。初住
ではなく、名字初心、つまり発菩提心の位を本因成仏とするのは、初住成仏は不退転の意味
ですから、本因成仏は途中退転することはあると考えれば不整合ではありません。おっしゃる
ように、本因妙の思想は日有などに顕著です。日寛の学説は前代の諸説を折衷し、四明天台
とも整合させることに成功しているかわりに本因妙の思想の発揮がありません。六大体大説
をいい、東寺密教と同じ理即成仏を取る辺があります。師の板曼荼羅重視は寺運興隆の方便
であっても、思想上、許容されたのかも知れません。時に祖書に文脈を無視した訓点を施すの
も師の特色です。この辺が日寛以後の大石寺教学に影響を残していても、その反動から稀有
の宗学者である日寛の優れた諸説までを低く評価するべきではないでしょう。なお六大体大、
理即成仏の説は祖書(総勘文抄)にあります。偽書ではないかも知れませんが、述作の年代
や目的*に疑問が生じます。*単に六大体大、理即成仏の説のサマリーであるかも知れない。

448とんび:2005/12/07(水) 22:41:15
犀角独歩さん、こんばんは。

なるべく、語句については、正確さを求めていきたいと思います。
ここは、わりと格式が高く、法門とか、そういう学を求める..場であるように
思うので、間違った記述・誤解を得るような言葉は避けた方がいいですね。
 ですから、間違いを指摘されることは、有り難いことです。
 その反面、知識を持たない人は、発言がしずらい面もあるかな..とも感じます。

 日蓮さんの、御書を拝するに、真跡在に求めるのは、それが一番間違うことの
ことだと思います。
 すでに、日興遺誡置文(真跡なし)が記しているように、日興さんの存命中に
偽書がつくられている..と書いてあります。

 ただ、真跡がないと、その後の大石寺法主が、自宗の都合の良いように、日興
さんの言葉をかりて偽書を作成したといわれる可能性もありますね。

 でも真跡のない・古写本もない御書で、慣れ親しんだ御書や重要と思われる御書
が、かなりあると思います。諸法実相抄や当体義抄、総勘文抄、教機時国抄、法華
初心成仏抄などなど。
 
 先の草木成仏口決は、後の僧侶が、みずからの立場を良くするために、偽書を作成
したのでしょうか。いわば金や身分を大切にするあまり。

 後ほど、時間ができたらあらためて発言したいと思います。

449とんび:2005/12/07(水) 23:02:02
訂正。

真跡在に求めるのは、それが一番間違うことの
ことだと思います。

ではなく、間違うことがないことだと思います、でした。

450犀角独歩:2005/12/08(木) 11:46:01

顕正居士さん

いつもながら、実に示唆に富み、且つ重厚なご教示まことに有り難うございます。
今回、ご教示をいただいた点も実に参考になりました。今後の研鑽の糧とさせていただきます。また、わたし自身、日寛の奔放(放逸とも思っていたのですが)な訓点、祖書の言い直しなど、眉を顰めていたところはありました。しかし、今回の日寛に関するご所論を拝読し、このご教示を、大切に記憶に留めさせていただきます。

深く御礼申し上げます。

451犀角独歩:2005/12/08(木) 11:48:05

とんびさん

> 知識を持たない人は、発言がしずらい

そのようにとらえるのではなく、知識がなければ素直に尋ねればよいのです。また、尋ね答をもらったら、ちゃんと礼を述べて、さらに前に進めばいいのです。

452犀角独歩:2005/12/08(木) 19:26:30

顕正居士さん

・日寛の、四明天台と整合性というのは、たとえば、草木成仏からの板漫荼羅正当論としての展開も含めてということでしょうか。

・六大体大は空海の説であったと記憶しますが、『三世諸仏総勘文教相廃立』の記述は、これはたとえば「我身は地水火風空なりと知て即座に悟を門き給ひき」と言った側面を要約するのみで、本意は名字即仏を採るということで、理即成仏は要約に過ぎないと言う意味でしょうか。

・わたしは日寛説は等覚一転名字妙覚を至極とし、その点から名字即位をいうのではないのかと思うのですが、この理解は正しいでしょうか。

・また、一転し、名字即・妙覚位となれば、理即但妄という当初はまったく問題にされず、偏に「心外無別法と云う。此を一切法は皆是仏法なりと通達解了すとは云うなり、生と死と二の理は生死の夢の理なり、妄想なり転倒なり。本覚の寤を以て我心性を糾せば、生ず可き始めも無きが故に死すべき終りも無し。既に生死を離れたる心法に非ずや」という文脈につき、「本覚の寤を以て我心性を糾」すとき、理即に既に通達解了を孕む如きと映じます。となれば、いきおい、理即仏をいうこととその隔壁がなくなってしまうような錯覚が生じます。しかし、これは理即から等覚への階梯を経たのちに、一転して、名字即・妙覚位となる仏が名字仏という理解でよろしいのでしょうか。

わたしは、今回のご教示で着目したのは

> 上行は等覚の菩薩。蓮祖は名字初心の菩薩

という点でした。父子一体の相伝からすれば、この等覚・上行は、一転して名字・日蓮、妙覚の釈尊という点で整合性が生じるからです。ただ、この点について、気分は落着しません。

お時間のあるときけっこうですから、以上の点、重ねてご教示いただければ幸甚です。

453顕正居士:2005/12/09(金) 12:12:10
>>452

趙宋天台(四明天台)の学が普及するのは江戸時代に入ってからです。したがってそれまでは一念三千に
ついて総在一念の思想が主流であった。四明天台の教義、理具事造両重能所というのはつまり一念三千
と同等に一色三千も成りたつという意味です。六巻抄のどこかに両重能所を述べているところがあるはず
です。色心等分の思想は唯心論からの脱却として評価できます。これと別に東寺密教の六大体大というの
も心本色末とは異なる思想です。密教は仏教に当時のインドの科学や技術を折衷して出来た体系という面
があります。総在一念思想の流行の裏側に一種の唯物論も発達し、檀那流の玄旨帰命の相承にも色濃く
あらわれています。ただしこれらの唯物論はまったく素朴な段階のもので、科学を発達させるようなアイデア
を有せず、かえって迷信を助長したに過ぎないでしょう。しかし思想的には唯心論を脱却し、儒学や蘭学に
学問の主流は移ります。

等覚一転名字妙覚という日本天台の口伝は、法華本門の十界常住の教義なしでは等覚にしか至らない、
本門を聞いて本種を自覚し、つまりいったん名字即位に戻り、そこから妙覚に至るという意味です。
大乗仏教の修道の体系は永久に輪廻転生し、すこしずつ経験値を積み、終に52レベルの菩薩=仏に至る
というものです。輪廻転生を信じない中国人や日本人はこの大乗仏教を何とか頓悟の仏教に改造しようと
した。ただし天台大師すら五品弟子位に止まり、六根清浄位には上がれなかった(遺言にそうあります)。
六根清浄位はあらゆる超能力が身に付く位です。そういう位は経典上の架空の事柄であろうということも
次第に見破り、名字即成の思想が完成したのであろうと考えます。

454犀角独歩:2005/12/09(金) 20:56:28

顕正居士さん

重ねてご教示、まことに有り難うございました。
文は少なく、しかして重厚なご教示でありますので、軽々に言を吐いては折角のご教示を黷しかねませんので、ゆっくりと熟考させていただく所存です。
殊に四明天台、玄旨帰命について、考えてみます。

等覚一転名字妙覚について、日寛は「当流の口伝(本因妙抄)に云わく、等覚一転名字妙覚云云」と言いますが、どうもこの根拠を見ないと考えておりました。
また、明治の本門講答弁では「諸氏不軽を菩薩地即妙覚…不軽は是観行初品の位…何ぞ即妙覚ならんや、不軽修行の上・転じて妙覚の釈尊と顕るゝなり、等覚一転名字妙覚」などと記します。前者、本因妙抄とする点は、首を傾げざるを得ませんが、ご教示をいただき、その原形が、さらに口伝され、種々拡大解釈がされてきたのだろうと思えました。

また、天台遺言については、天台を小釈迦、像法の迹仏と見なす教学態度に泥みやすい富士門にあって、目が覚めるようなご指摘であると存じます。やや、検索した見たところ、
「41段までいった人は古往今来、龍樹と無著の二人だけである。中国の南嶽慧思禅師が10段目、天台大師は臨終に弟子の智朗が「師はいずれの位に居るや」と尋ねたのに対して「我れ衆を領せずば必ず六根清浄の位に至らん。されど、利他の為に己を損して只、五品弟子位あるのみ」といって、9段目までしかさとれなかったと自ら告白して死んでいるのであるから、いかに仏のさとりが高遠であるか分かる」
http://www.shinran.ne.jp/nihongo/page1.html
(ただし、このHPについて、よく読んだわけではありません)

以上のような記述は、天台を見る視点として重要であると思った次第です。

> 六根清浄位…架空の事柄…見破り、名字即成の思想が完成

このご卓見には唸りました。

456犀角独歩:2005/12/11(日) 11:55:06
聖誕750年記念特輯・第125/126に日比宣正師『趙宋天台における両重能所観の形成』(P313/1971.7.25)が掲載されています。

http://www.inbuds.net/jpn/media/0-00069/0-00069-000125.html

知礼の理解のためには、華厳の知識も必要で、島地大等師の研究も参考になると思います。このような点から考証される顕正居士さんには敬意を表するほかありません。


本尊抄に載る程度が摩訶止観の規模と思っていらっしゃる方には、やや難読かも知れません。もっともこれはわたしのかつての感想です。

また、天台の止観についても、妙楽の時代に既に異本3本があったといわれ、さらに伝教の師でもある道邃は、妙楽についての批正独自の説を持つといい、これらの考証は、わたし自身はまだ畢っていません。また、このような点では、もはや、文献資料のみでは手に負えず、止観禅 ―― それは唱題でも可かも知れませんが ―― による鍛錬と天台口伝法門に関する潤沢な知識を要しようかと思えます。

ただ、口伝法門の世界は、まさに幽古深遠にして、自身の達観した禅体験との摺り合わせなくしては一歩も進むことはできません。

試みにガイダンスを得たいと思われれば、『大崎学報』第22号掲載の岡教邃師『日本天台口伝法門の由来及其発達』は参考にはなります。

http://www.inbuds.net/jpn/media/0-00069/0-00069-000022.html

457とんび:2005/12/14(水) 23:17:17
私が、西山本門寺の住職さんと誤記したことに始まりますが(西山本門寺の坊さんと紹介されたことによる)、
松本酸化に、案内状が届き、
宗教法人「冨士山蓮華寺」住所は、滋賀県でした。
そして、冨士山蓮華寺東京別院・冨士山西山本門寺東京布教所..とありました。

 詳しいことは、わかりませんが、北山本門寺も西山本門寺も、大石寺の近くの
静岡県にあるものと思います。
 西山本門寺は、宗教法人の資格を取り、本籍が静岡県なのでしょうか。

458犀角独歩:2005/12/14(水) 23:28:17

とんびさん

西山本門寺というのは、北山本門寺(当時はそうは言いませんでしたが)から退出した北山本門寺2代住職・日代が開創する寺院です。

そんな事情で、石山とも、北山とも不和でした。
二箇相承(日蓮一期弘法書ともう一つ)は、本来、北山にあったとされますが、西山の僧侶が、武田の勢にけしかけて、北山に乱入し、宝物を奪い取ります。そして、北山から二箇相承はなくなります。この返却のために、北山住職は嘆願断食をして、ついに死んでしまいます。
七百遠忌のころ、西山本門寺は実にみっともない理由で石山に帰伏します。そして、その後、単立となります。

あなたは詳しいことはわからないと記していますが、たぶん、ここの掲示板の常連で、詳しいことがわからないような者知らずはいません。

その意味で、あなたは、ものすごく、的外れなことを記していることを、ご本人のみ気付いていません。皆さん、いささか呆れてご覧になっているのでしょう。

憎まれ役は、わたしが買って出るしかありません。そんなわけでの、以上、記述です。

459犀角独歩:2005/12/14(水) 23:31:12

蓮華寺のことまで、わたしは記す気分になりませんので、やめておきます。

460彰往考来(しょうおうこうらい):2005/12/15(木) 12:46:59

>457
ま、知らないとおっしゃるのですからしかたないですね。
でもこの掲示板で
>詳しいことは、わかりませんが、北山本門寺も西山本門寺も、大石寺の近くの
静岡県にあるものと思います

とおっしゃる方がいらっしゃるのは新鮮な驚きでした。

<西山本門寺>
http://www.wbs.ne.jp/bt/shibakawa/map/7.htm

<北山本門寺>
http://park16.wakwak.com/~honmonji/

<富士五山>
http://www.houonsha.co.jp/jiyu/16/566.html

とんびさん
今は昔と違って、インターネットで探索するだけで、上記のように色々な情報が無料ですぐ手に入るのですよ。ご自分自身でもう少し周辺を勉強されてはいかがですか。

461犀角独歩:2005/12/15(木) 15:04:30

話の流れとはまるで別に、彰往考来さんご紹介の『地涌』の記述を読んで大笑いしました。

「日蓮正宗が他派と訣別し独立したのは明治三十三年だった
大石寺に清流はなく謗法と交わり自らも邪宗と化していた」

これは言葉をかえせば

「創価学会が日蓮正宗と訣別し独立したのは平成3年だった
創価学会に清流はなく謗法と交わり自らも邪宗と化していた」

ということになってしまいます。

最近、石山頒布の印刷本尊は開眼されていたとかいないとか、『地涌』と同じような学会アンダーグランドジャーナリズムが書いていましたが、それなら、創価学会の印刷本尊は、誰が開眼しているのか、池田「先生」かな?、振り上げた刀を下げれば自刃することになります。

松岡さん辺りの非難論調もそうですが、端から見ると、石山を批判する主語を変えればそのまま学会批判になる論調が多いわけです。この手の連中は、いわゆるブラックユーモアの持ち主か、実は石山に名を借りて学会批判をしているのかと思わざるを得ない側面を持っていますね。

『新・人間革命』で訂正しても、『人間革命』の石山肯定は文書として明らかに残っているわけです。戸田さんの講演録でも明確です。となれば、戸田批判にも一脈なっていることになるわけです。まあ、漫画を読んでいるような滑稽さがあるばかりですね。

462彰往考来(しょうおうこうらい):2005/12/15(木) 18:22:16
誤解のないように、念のため申し上げますが、インターネットの検索で得た情報はそれこそ玉石混合です。ひとつづつ取捨選択する努力が必要です。
もちろん書籍情報も同じです。ただインターネットよりは書籍情報のほうが引用文献資料になりやすいですね。裏を返せば、ネット情報はあやふやなのが多いことと、再び接続した際に無くなっていることがあるということです。

463犀角独歩:2005/12/15(木) 18:49:24

461はけっして彰往考来さんを揶揄したものではなく、この手の批判文の構造のこっけいさを記したばかりのものです。

464とんび:2005/12/15(木) 22:18:47
こんばんは。

どうもすみません。
西山本門寺は、宗教法人の資格を取り、本籍が静岡県なのでしょうか。
というのは、どうも何かがおかしい..という意味を込めて
西山本門寺は、宗教法人の資格を取り、本籍が静岡県なのでしょうか??。

という意味の発言でした。
 昨夜、ネットでいろいろ調べましたが、わからず、本日、ご本人より聞きま
した。西山本門寺で出家をされ、現在は滋賀県の蓮華寺の僧侶らしいです。
そこで、蓮華寺の東京別院であり、また西山本門寺の東京布教所も兼ねている
..ということです。(教義はほとんど同じということなのですが..)
 聞いたことを、すべて覚えていないので、この説明でも、若干違っているところ
もあるかもしれません。

 西山本門寺は、単立ということですが、ネットでは12ケ寺あるという記述
もありました。聞いた所によると、その12ケ寺は、全部単立の宗教法人となって
いるようです。

 また、蓮華寺は、蓮華寺事件というものが過去にあって、最高裁まで争ったらし
いです。詳しいいきさつはわかりませんが、蓮華寺は、反創価学会系の寺であった
..ということと、大石寺と法門の違い?(信義上の問題でかな)で、僧侶の解雇に
端を発して、裁判沙汰になったとかいう話です。(このことはネットからの情報による)

 だから蓮華寺さんを好ましく思わない方もいるのだろう..と思います。

 また、なんで犀角独歩さんが、憎まれ役になってしまうのか..がわかりません。
 日興門流の歴史については、聞いたり読んだりした部分もあると思いますが、
覚えているのは、ほんのわずかだと思います。そのことについては、少しずつ情報を
得ていきたいと思います。

 まだ、的はずれな発言に気づいていないのかも、しれませんが...。
 ただひとつ、的はずれだと気づいていないのは、私一人(ご本人のみ)ということで
すが、そのことがわからないのは、他のロムの方もいるのでは..とも思います。
 
 今、法華経を少しずつ読んでいますが、そのことは法華経のスレッドにて、投稿し
たいと思います。

465とんび:2005/12/15(木) 22:53:14
彰往考来さん、こんばんは。

 そうですね、ネットで調べれば、いろいろな情報が手に入ります。
 北山本門寺は、地図で確か大石寺の近くにあったな..たぶん西山本門寺も大石出寺の近く
にあるのではないか..というぐらいの、うすら覚えでの発言です。

 私は、元顕正会員でした。そもそも顕正会員は、教義的なことはあまり教えられません。
私の入信したころは、教学誌も発行されていましたが、いまはありません。
 また正宗の歴史についても、日興・日目・日道上人、日有・日でんさんなどなどは立派な
管首であった。ことに日興・日目・日寛上人を聖人化していました。
 また、日精上人は、異流儀だった(要法寺から何代も大石寺に管首がきた)
 日でんさんの直訴。日恭上人のホウボウによる懺悔の姿。日達・日顕上人の御遺命違背..

 主に、それぐらいの歴史しか教えてくれませんでした。
 また、過去に、仏教系のフォーラムで、北山本門寺の成り立ちあたりのことは、
何度が読んだように記憶していますが、ほとんど覚えていません。また西山本門寺のことは、あまり
聞いたことがありません。

 聞いたり、読んだりしても、自分の関心のあることなら、ある程度記憶に留まりますが、そうでな
いと、忘れてしまうことがほとんどです。
 
 ここには、多くの才覚のある人や、知識のある人、学識豊かな人がいらっしゃるような
ので、気が引けてしまいますが、できればよろしくお願いします。
 日興門流の歴史についても、主に日興門流の関係のホームページを閲覧すれば、わかる
ものと思います。このことは、できれば今後少しずつ..訪れていきたいと思います。

 余談ですが、浅井会長曰く。
 日蓮さんは、流罪の地の、塚原三まい堂であの「開目抄」を書いた。
 ましてや、文献や資料を持たずに、何々経・何々経に曰くと経文を引用されている。

 これが、事実なら、日蓮さんは、やはりたいした人だと思います。
 私など、遠く及びません。

466独学徒:2005/12/16(金) 01:20:47

とんびさん、はじめまして。
突然の横レスにて失礼します。

貴方の仰るとおり、松本修明師が「僧侶の解雇に端を発して、裁判沙汰になった」蓮華寺の住職ならば、そこには所謂「本門戒壇之大御本尊」の正模写があるはずです。
正式な宗教法人ではないにしても、「日蓮実宗」と名乗っていたはずですが、現在は西山系と通行があるとの事でしょうか。

松本師は俗名が「勝弥」といい、民音職員時代に「本門戒壇之大御本尊」を偽物として裁判を起こしています。
有名な「板曼荼羅事件」です。

その松本師が、「本門戒壇之大御本尊」の正模写を所蔵するといわれる、蓮華寺にいらっしゃるとすると、なにか意味あってのことでしょうか。

467とんび:2005/12/16(金) 21:33:19
独学徒さん、こんばんは。

私が、松本さんに電話しても、主に法門とか教学のことを話されるので、聞いたことを全て
覚えられることができません。
 少なくとも、蓮華寺の住職(代表役員)ではないと思います。滋賀の蓮華寺には、よく行かれ
るらしいですが、あくまでも東京の蓮華寺別院と西山本門寺の東京布教所の僧侶という立場
ではないかと思います。滋賀と東京を行ったり来たりということではないでしょうか..。

 蓮華寺事件は初めて知りましたが、松本さんは、その解雇された住職でも裁判を起こした
人でもないと思います。これも事件の繊細を知らないので確認しなければ、なりませんが。

>蓮華寺・・・そこには所謂「本門戒壇之大御本尊」の正模写があるはずです。

 このことは、初めて聞きました。

>その松本師が、「本門戒壇之大御本尊」の正模写を所蔵するといわれる、蓮華寺にいらっしゃ
るとすると、なにか意味あってのことでしょうか。

 たぶん、意味はないと思います。
 松本さんに聞くと、なんで西山本門寺を選んだのか..と訪ねると、教義的・法門に納得した
からだ...というような返事が返ってきます。
 ただそれだけのことのように思います。ただ、なんで滋賀の蓮華寺さんと縁があったのか..
は知りません。
 もしかしたら、戒壇の御本尊のつながりがあったのかもしれません。

 いまは、そのぐらいのことしか知りません。ただ、今後、松本さんの個人的なことを知り得たと
しても、こういう掲示板でそのことを、どこまで話していいのか..わかりません。

 ただ、現在は、東京の場所で、「興門流(とおっしゃています)」の活動をなさっているようです。
本人に聞いても、西山本門寺系の宗派は、興門流である..勝劣派である、ことしか聞きません。

 日蓮宗とか法華宗とか、何々門流とかの、区別については知りません。
 ただ、日蓮さんは、生まれたときから死ぬときまで、上行菩薩だった..ということを主張して
います。(法門的には)

468通りすがりα:2005/12/16(金) 21:56:56
とんびさんが、ここの投稿者といちばん違っているのは、松本さんという人の意見で動いている点でしょう。
依法不依人だから、松本という人は、ここの参加者はどうでもいいのです。チャンチャン

469とんび:2005/12/16(金) 23:40:10
通りすがりさん、こんばんは。

確かに、おっしゃる通り、この掲示板において、松本さんのことは関係ないことであります。
正直、云われて困ったな..と思いました。

 ある言葉や、文章や発言に対して、子細にみれば100人100通りの解釈があると思います。
 通りすがりさんの言葉は、注意的なものと受け止めます。

 ただ、松本さんの意向を受けてこの掲示板で発言している事実はありません。
いわば「西山本門寺の住職」であると、発言したことの、いわば弁明であります。

 また、この掲示板に来たのも、松本さんとは全く関係ありません。
 なんていったらいいのかわかりませんが、連絡のとれる他の日蓮宗の坊さんが2人いますが、
熱心に本を薦められたのが、松本氏であり、現在日蓮さん関係の本で、正宗系以外の本は、松本
さんの本しか持ち合わせていません。
 私は、松本氏の「南無妙法蓮華経要義」という本は、いわば「西山本門寺」系の宗派の教義だと
とらえています。

 ですから、こういう掲示板で、日蓮正宗では、こういうことを云っていると「文献」を示して話を
する。また顕正会では「文献」をしめしてこういうことを言っている..と。また、何々門流では、
「文献」でこう言っている..というように、法門や教義、日蓮さんの本意はこうではないか..法
華経はこういうことを説いているのではないか..と。松本氏の文献は「西山本門寺系の宗派」の文献
として、持ち出したわけです。

 日蓮門流の宗派の、分岐図を示した資料がありましたが、今見つけることができません。
 西山本門寺は、何々流・何々派かは、知るよしもありません。

 残念ながら、現在、松本氏の「南無妙法蓮華経要義」を読んでも、そんなに影響は受けていません。
 そもそも、法門のことはあまり理解できません。

 それよりも、最近、正宗系の人の本を読みました、そのことは、ここでは発言していませんが、その
人の本の影響の方が大きいし、また、ある正宗系の方から戴いたメールの方が、影響があります。

 ただ、ある方の意見を聞けば、それなりに影響をうけます。事実、通りすがりさんのレスを読んで、
やはり影響をうけます。

 という意味で、松本さんから、話を聞けば、それなりに影響を受けることはあると思います。

 というわけで、正宗以外の法門のことを参考にして「文献」を示すのなら、誤解を受けない
ために、他の門流の本を買って読み勉強をしなければ、ならないのかな..と思います。

 通りすがりさんの指摘を、受ける以前に、西山以外の他の門流の解釈を読んでみたいとは思って
いました。

 という訳で、弁明が長くなりましたが、西山の教義を主張するつもりはありません。
 また、松本さんと、私個人の発言の意志は、全く関係がありません。

470とんび:2005/12/17(土) 01:25:16
犀角独歩さん、皆さん、どうも申し訳ありません。

今頃気がつきましたが。
西山本門寺は、宗教法人の資格を取り、本籍が静岡県なのでしょうか。
という記述は。
西山本門寺は、宗教法人の資格を取り、本籍が滋賀県なのでしょうか。(??)

と、書いたつもりでした。なんで静岡県が滋賀県になってしまったのか、私のミス
です。
 犀角独歩さんにおいては、私のレスにおいて不愉快な思いをされたかもしれませんが、
申し訳ありません。
 とにかく、初歩的なミスです。

 とにかく、的はずれなことを記しているのかもしれませんが、私の誤記で生じたことなら
私の責任であり、反省いたします。みなさん呆れてご覧になつているかもしれません。

 松本さんについては、以前のレスに記したことでご容赦願います。
 蓮華寺についても、松本さんについても、裁判沙汰になっているようで、ともに好ましく
思っていない方もいるのだと思います。

 誤記からのことは、私の責任であり、申しわけなく思います。
 ご迷惑をおかけしました。

>的外れなことを記していることを、ご本人のみ気付いていません。
は、その通りかもしないし、また、重ねて、的外れなことを記しているのかも
しれません。

 発言の際、コピー&ペーストなるものを利用して、安易に利用するとミスに気づかない
こともあります。

 言葉には、注意が必要ですね。

471れん:2005/12/17(土) 04:20:54
とんびさん、はじめまして。
西山本門寺は、静岡県富士郡芝川町に所在する寺院で、日興の弟子日代が、南北朝時代に開山した寺です。戦前は本門宗に所属し、本門宗が日蓮宗に合同後、戦後は日蓮宗に所属してましたが、のちに宗派離脱して日蓮正宗に入ったが、今は日蓮正宗からも離脱して単立寺院ですね。ですから、西山本門寺の“本籍”は滋賀ではなく静岡ですよね。松本師はその西山本門寺の貫主(住職)のお弟子さんです。滋賀の蓮華寺については知りませんが、石山の戒壇本尊の模写があるのは、大阪府所在の日蓮実宗蓮華寺(石山の末寺だったが昭和三十年代に宗派離脱)で、お話を聞くかぎり松本師の在勤する蓮華寺は滋賀とのことですので、大阪の蓮華寺とは別の寺院での筈です。
現宗研のHPに、現宗研での松本師の講演の内容を載せた論文?があった筈ですから、お読みになってはいかがでしょうか。

472とんび:2005/12/17(土) 07:03:12
れんさん、こんにちは。はじめまして。

松本師は滋賀県の大津市にある蓮華寺のようです。ですから、私が先に掲示板で載せた、
「蓮華寺事件」は、れんさんのいう大阪市の蓮華寺なのかもしれません。
間違ったような気がするので、あらためて、確認したいと思います。
  
 ご説明ありがとうございます。

473彰往考来(しょうおうこうらい):2005/12/17(土) 09:32:04

>472 とんびさん
「蓮華寺事件」と松本氏は関係ないでしょう。また「蓮華寺事件」では、滋賀県の蓮華寺(この寺は事件とは無関係です)以外に関連する蓮華寺が複数ありますから、また初歩的なミスを犯さないように。日蓮実宗の蓮華寺と日蓮正宗(現在は正信会でしょうか)の蓮華寺は別の寺院ですから。
松本勝弥氏は“蓮悟空”というペンネームで『変質した創価学会』(昭和47年、六藝書房)という暴露本を書いていたと思います。まあ、暴露本ですからね、その程度の内容です。また、松本勝弥著『訴訟された創価学会』(昭和48年、現代ブレーン社)という本もあります。
松本勝弥氏が原告の「板まんだら事件」の判決内容は、大家重夫編『宗教関連判例集7』(昭和62年、第一書房、1頁)に記載されています。参考までに同書の348頁には「日蓮正宗代表役員・管長不在確認事件」で大阪市淀川区の蓮華寺が記載されています。
れんさんが471でおっしゃる日宗研の資料は、
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho31/s31_066.htm
でしょう。
とんびさんが本件で投稿するのであれば、最低でも上記資料くらいは目を通して、ちゃんと調べてから経緯など確実な内容を投稿されることを期待します。あやふやな内容では混乱するだけです。
なお、このあたりの話は私などより三学無縁さんのほうが詳しいですし、他にも詳しい方はいらしゃると思います。私自身は「蓮華寺事件」や松本氏に興味ないので調べるつもりはありません。独学徒さんが466でおっしゃっている所謂「本門戒壇之大御本尊」の正模写は興味ありますけどね。

474犀角独歩:2005/12/17(土) 10:59:50

とんびさん、わたしは別段、不愉快だとは思いませんが、しかし、寺院寺院に住職あり、信者あり、縁者があります。

ですから、いい加減なことを記すと、関係各位に失礼だろうという思いはあります。
先般、わたしの恩人から通知があり、西山本門寺の現住職は村田師とのことでした。
当寺には塔中坊があり、そこにもやはり住職がおられ、縁者もおられます。
多分、この方々が、とんびさんの一連の投稿を読まれれば、不愉快な思いをされると思います。

確認のための投稿であれば、お尋ねの形を採ればよいだけのことですから、よくわからないことは断定して書かないことです。

まあ、それも投稿の一つのルールでしょう。それを守れば、あなたの疑問には、皆、ちゃんと応えてくれるでしょう。

あなたは、西山本門寺、北山本門寺、大石寺に行ったことがないのでしょうか。
西山が静岡県にあることなど、当然のことなのですが、そこで滋賀県の話が出てくるのは松本さんを中心に考えているからですか。こんなふうに考えられると、西山本門寺はひどく迷惑でしょうし、松本さんがあなたが書いているようなことを言ったとすると、これは大問題であるとは先に書きました。大問題というのは、松本さんの世間を狭くし、信用が失墜し、ついには僧侶として、誰も認めなくなるという最悪の事態も起きるという意味ですよ。

気を付けるに越したことはないということです。

475ラスカル:2006/01/08(日) 19:24:57
●年始から、ごめんなさい。●『花は気高くしなやかに咲く(妙法の心は蓮華)』●「妙法」だけでは、諸法無我・諸行無常だけしか現す事ができない。「妙法の心は蓮華」と言い切る事で、諸法無我・諸行無常・ネ槃寂静を包括できる。多仏主義と悟りはゴウタマ・シッダルタだけの占有では無いというのを読んで考えたんですけど。

476ラスカル:2006/01/09(月) 00:55:21
●ゴウタマ・シッダルタは解脱の境地は説いても成仏の境地は説いてないと言う事でしょうか(爆)●化法師匠・一大秘法・三大秘法・開合六秘、化儀弟子・一大秘法・三大仏尊・六大信心、此こまで書かないと常識みたいになった既成概念を吹き払えないと思って。

477顕正居士:2006/02/02(木) 15:39:08
日蓮信仰の問題のひとつは多数のカルトの土壌となっていることである。

危険な原理主義の台頭〜なぜ日蓮系と福音派が伸張しているのか
http://ecofarm.at.infoseek.co.jp/152-2.html

臨済、曹洞系カルトには顕著な団体はないが、寺院・僧侶単位の坐禅指導にカルトな性質が
認められるものがある。真宗本願寺派系には日蓮系、福音派とよく似た大きな団体がある。
しかし日蓮系の団体数の多さははるかに他を圧している。日蓮信仰、日蓮教学がカルトの
土壌に非常になりやすいのは眼前の事実である。日蓮信仰が標準的な形態にまとまるのは
室町時代で、西洋でプロテスタントが発生したのと同時である。ただしファンダメンタリズムは
近代社会において近代神学に逆らって提唱された潮流であるから、プロテスタント系福音派
に相等する日蓮系ファンダメンタリズムの発生は在家による強折(ごうしゃく)がさかんになる
幕末期といえる。儒学、国学、洋学の発達による近代的世界観の普及、近代思想を摂取した
宗学への逆行として明確な形態を取ったのは欧米と同様である。なぜ、日蓮信仰から多数の
カルトが生じるのか、これの解明には日蓮教学とプロテスタント神学の比較、日蓮系カルトと
福音派系カルトの比較対照がもっとも効果的であろうとおもう。

プロテスタント教理史
http://members.jcom.home.ne.jp/tamach/watanabe/kyorishi.html
The Fundamentals
http://www.xmission.com/~fidelis/

478顕正居士:2006/02/02(木) 17:41:59
米国の根本主義運動に比較できる日蓮系根本主義の集大成者は田中智学と及びその高弟
山川智応である。両居士は充洽園教学に対抗して在家強折系の信仰、教義の精髄を集成し
発達させた。ただしプロテスタント根本主義と比較すると大きな相違がある。プロテスタント系
根本主義は高等批評と近代科学(主として進化論と天文学)に逆らうのが2大特色である。
智学の教養には西洋の学問はほぼ欠如しているが、智応は東京帝大の論文博士であり、
一通りの西洋学問を習得している。彼らは近代文献学の知見に反発しないし、須弥山説など
を唱えることはない。では何をもって根本主義と称し得るかといえば、日蓮教が世界に冠たる
宗教であるという信念である。なぜ世界に冠たる宗教であるかというと、日蓮教は厭世主義の
仏教からまったく脱化した、キリスト教やイスラームと同等の唯一神教だからである(とはいえ
出自は仏教であるから、智学の言によれば汎神教的一神教である)。すなわち近代的世界観
と唯一神教をセットとみなした上で、日本人は脱仏教しなければならないという幕末以来の
思潮に沿っており、近代社会への仏教の適応運動という、プロテスタント根本主義とは反対の
性質をも兼ね備えていた。キリスト教類似の一神教を目指すのは教派神道各派も同様であり
幕末以後の新宗教の一貫した特色である。これが韓国などと異なり、布教解禁後もキリスト教
がほとんど宣教に成功しなかった主な理由である。

479顕正居士:2006/02/02(木) 19:25:32
中国、日本の法華信仰には2つの方面がある。一つは法華経が大小権実一切の経典を統一
する地位にあるという思想。これからはたいへんに煩瑣な学問が発達した。一つは法華経に
よる現世利益であり、これは「持経者」の系列といわれる。中国天台宗には現世利益の方面
はない。日本天台宗は円密禅戒四宗兼学であるから、天台密教には現世利益の方面がある。
日蓮の「法華経の行者」という表現には両方面の融合がみられるが、鎮護国家という大利益
が主眼である。しかし現実の日蓮信仰は日蓮があらわした数多くの奇瑞、信仰によるお家や
個人の利益という方面で発達した。先に述べた国柱会の教学は自ら「純正日蓮主義」と称し、
現世利益はいわない。こちらで有名なのは仏立宗である。創価学会は根本主義、現世利益
で仏立宗とよく似ているが、鎮護国家の方面も元来はあった。大石寺派の信仰と創価学会の
信仰がどのくらい重なっているのかは判断が難しい。創価学会では大石寺派の教義が極端
に単純化されており、かつその解釈に独特なシステムがある。それらが他の日蓮系新宗教に
由来する可能性はあるが、近代の大石寺派自体が改宗者により在家レベルでは仏立宗など
の影響を先行して受けているかも知れない。今は創価学会の教義が逆流してしまっている。
大石寺派の伝統信仰ではそれほど現世利益の要素は大きくなかったとは言えるであろう。

480ラスカル改め今泉元真:2006/02/03(金) 17:33:10
顕正居士さん、私は戦争を知らない子供なので、【鎌倉時代と平和憲法以後の布教の仕方は違う】としか書けません。何故一部分を利用する者共を神教仏教問わず「原理主義者」と呼ぶのか。シャカ、シャクソン、クマ、チギ、タンネン、サイチョウ、ニチレンが同時代に居ない21世紀は[本仏・本尊・法華経行者]を成仏得道足り得る法を教える漫陀羅(人本尊と法本尊を包括する)が信仰的にも学問的にも相応しい教義であり修行であると個人的に思います。創価学会は『妙法蓮華』と『価値創造』を信心の目的と祈り、願い、唱え、広宣流布に臨む事がベストだと考えたい。

481れん:2006/02/04(土) 20:47:15
顕正居士さん
477〜479居士さんの投稿へは、本来ならば独歩さんが応答するべきとこですが、独歩さんがここのところ、こちらに投稿されてないので、僭越ながら所感を述べてみます。独歩さんにおかれては、12月の私が菅野師の宗史論文の一部を紹介したときの、独歩さんよりの御批正を戴いた際の、私の応答の言葉に気分を害されておられるのではと危惧しております。万一そうならば、万事お気になさらずに、以前と変わらずに宜しくお願い申し上げます。
顕正居士さんの477〜479の御投稿に、すべて同意・賛同いたします。
>477
日蓮信仰から多数のカルトが生ずる原因を考察するには、ご指摘の通り、日蓮教学とプロテスト神学の比較、日蓮系カルトと福音派カルトとの比較作業が大変有効と存じます。ただ居士さん・独歩さん他少数の方以外は、実際の所、私も含め善くも悪くも日蓮教判の“内外相対”で捌いてしまい、キリスト教を省みることは殆どなかったのではないでしょうか。かく言う私も大昔、知り合いのキリスト者の影響で“人間イエス”に興味を持ち新共同訳の聖書・グノーシス文献のトマス福音書を少し読み噛った程度なので、顕正居士さんの海の如く深い学識にはとうてい及ばないので、私にとっては、これは今後の宿題となりますね。
ただ、石山系カルトは、日蓮教学というよりも、江戸期の石山寛師が集成した教義体系に基づいており、どちらかといえば、寛師ファンダメタリズムとでもいうべき側面があるのではないかと思え、やや複雑という感じがします。
寛師について、顕師の説によれば、寛師が文段・六巻抄において述べた名目等は秘伝ではあるが、殆ど外用の部分であり、“内証”に用いるところの“法門”は示さなかったとのことで、この辺の事は現在でも未公開であり、蓮師教学〜興師教学と石山の根幹教義との関連性を学問的に論証できないのは、日寛思想を考察し、この問題を考える上では、マイナスだと言えるでしょうね。

482顕正居士:2006/02/05(日) 03:19:06
日寛教条主義

古典はそれが著された当時の文脈で読まれないといけません。またその古典が著されるに
至った歴史の理解が必要である。教条主義はそういう努力をせず、一冊のマニュアル本で
あるかのように扱うので、教条主義の本来の目的のはずの文字通りの理解の反対、なんらか
トンデモな解釈になることが多い。
六巻抄などのいわゆる文底観心の宗学は天台学の学習を一通り終えた能化クラスの僧侶用
の教材であったとおもう。つまり日寛師の時代には宗祖本仏論などは秘伝であり、在家信者
はよく知らなかったであろう。それが他派との競争で特色を発揮するために次第に表に出て、
日応師の頃には文底観心から始まる宗学みたいになる、日昇師の頃になるともうそれが教相
みたいになるという印象です。秘伝、口伝は真面目に学んで来た事柄をひっくり返し、瞬間的
な理解をもたらすことが目的ですから、さきに教相の勉強がなく、秘伝だけ示せば、ぜんぜん
別の何かになってしまうでしょう。
近代の大石寺宗学のそういう傾向が様々な異流儀を生じる大きな原因になったと思います。

483犀角独歩:2006/02/05(日) 20:20:18

顕正居士さん

お久しぶりです。
482のご解説、実に納得のいくところです。


れんさん

> 私の応答の言葉に気分を害されておられるのではと危惧

これはまったくそのようなことはありません。
ここのところ、忙しくゆっくりと投稿をしている時間がないのにすぎません。
危惧には及びません。

484れん:2006/02/06(月) 01:26:09
顕正居士さん
>482の御賢察ならびに御解説、謹んで拝受いたしました。まったく顕正居士さんの仰る通りと存じます。日寛師の文段・六巻抄も、当時までの富士他山を含めた日蓮門下各派の教学の形成発展の過程で生み出された様々な日蓮ならびに門下の教義解釈書に通じ、かつ天台学を含めた当時の檀林教学を一通り学習しなければ、その寛師の意図とするところを正確に汲み取るのは難しいものでしたでしょうから、まさに仰る通り、寛師のそれは、能化クラスの僧侶用の教材だったと私も思います。その当時の文脈や成立の過程の歴史を理解せず、現在では、特に在家団体が寛師の著述をまさに一冊のマニュアル本として扱ってしまって、そこから派生した解釈が流布してしまったがために、なんらかトンデモな解釈・石山系の様々な異流義の温床になってしまっているのだとたしかに思えますね。

犀角独歩さん
>483
御多忙の最中にもかかわらず、お声をおかけ頂き誠に有難うございます。今度の松山先生の御講義に向けて、一字三礼さんから伺った世親の法華論を読んでいるのですが、やはり難しいですね。今悪戦苦闘して読んでおります。

485顕正居士:2006/02/06(月) 03:05:09
日蓮系新宗教が経典成立史を無視せず、須弥山説を唱えなくても、わが宗のみ尊し、まして
わが派のみ尊しと言うなら、これこそカルトの決定的特徴です。そしてこの問題は日蓮系では
既成宗派も例外でない。なぜなら「四箇格言問題」が解決していないからです。

『仏教界大問題四個格言』(加藤咄堂著、明治29年)
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049079&VOL_NUM=00000&KOMA=1&ITYPE=0
背景については『「四箇格言問題」と統一団の結成』に大谷栄一氏の著から引用があります。
http://www3.cnet-ta.ne.jp/o/otowatid/p4a.htm
「四箇格言」について要伝寺さんのサイトでは以下のように述べておられます(008番)。
http://www.asahi-net.or.jp/~ia8d-tkmr/contents17.html
これは鎌倉時代の思想家日蓮は経典成立史を知らず、地動説も知らなかったから仕方がない
ということか。質問者はそういうことを聞きたいのか。で、現代教団としての日蓮宗はどうなの?
上の咄堂居士の著の時代から退化しています。むしろこちらの答えのほうがましです。
『「四箇格言」見直す創価学会』
http://page.freett.com/sokagakkai_komei/shukyou/nichiren_4ka.html

日蓮系既成宗派が日蓮系新宗教をカルトと批判するためには、「四箇格言問題」を解決する
必要があります。

486れん:2006/02/07(火) 19:46:12
顕正居士さん
>485
日蓮系新宗教のみならず日蓮系既成宗派においても「四箇格言」問題が解決していない…これは確かにその通りですね。
日蓮が四箇格言に相当する他宗批判を行ったのは真蹟遺文からも伺えますが、これも、日蓮の他宗批判の根拠となったものは、現代の学問の水準から顧みれば、やはり誤りであることは明らかですし、未開時代と言うべき日蓮の生きた時代と文明の発達した現代とは、時代の進展とともにすべてが変わりました。
したがって日蓮系既成各派(ここにかつての自分も入りますね)は祖師日蓮の誤りの部分は誤りとして素直に認め、その誤りの最たる部分である“四箇格言”によって自派が批判した各宗派に自宗自派の非を謝罪し、潔く四箇格言は誤りであったことを認め、自宗のみ自派のみ尊いとする自意識と“四箇の格言”を潔く捨て去ることが、この問題の解決の前提となりましょうか?
少なくとも、こうした作業を日蓮系既成宗派がしなければ、日蓮系新宗教をカルトと批判することは、決して意味をなさないと言えると私も思います。

487顕正居士:2006/02/09(木) 10:23:36
れんさん。
本願寺八世蓮如(1415〜99)の「御文章」1-14
http://www.icho.gr.jp/seiten/html/774.html
を見ますと、真宗でも他宗誹謗はさかんであったこと、しかし蓮如はこれを厳禁したことが
わかります。日蓮宗各派の場合は天文法乱後の度々の禁教を、今後折伏を一切しないと
誓約して生き延びたが(不受不施派を除く)、不軽行が折伏であるという詭弁で折伏思想を
温存したために、これが維新後に復活してしまったといえます。
また日蓮の諸宗批判とは撥無菩提心(浄土)、不立文字(禅)、顕劣密勝(東寺真言)等で、
旧仏教や天台の諸師がすでに批判していた事柄です。曹洞禅は不立文字でないし、浄土
も「御文章」のように「唯除五逆誹謗正法」を認めるのであれば、旧仏教や日蓮の批判は
もう該当しません。以後の日蓮各派の他宗誹謗はほとんど他宗教学の無知に由来します。

「浄土真宗は吾宗を知らず吾宗は浄土真宗を識らざりしなり」
-清水梁山『浄土真宗論』(明治37年)276頁
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40047420&VOL_NUM=00000&KOMA=276&ITYPE=0

488れん:2006/02/09(木) 19:58:29
顕正居士さん
>487
における適切なご教示、誠に有難うございます。真宗でも他宗誹謗はさかんであったこと。しかし、蓮如師はそれを厳禁したこと…また一つ勉強になりました。
日蓮の諸宗批判は、ご教示の通り、先行する旧仏教や天台の諸師の批判がありますが、その批判も
>曹洞禅は不立文字でないし、浄土も「御文章」のように「唯除五逆誹謗正法」を認めるのであれば、旧仏教や、日蓮の批判もう該当しません。
ですね。
>以後の日蓮各派の他宗誹謗はほとんど他宗教学の無知に由来します
誠にご教示の通りと存じます。
日蓮門下各派の場合、
>天文法乱後の度々の禁教を今後折伏しないと誓約して生き延びたが
>不軽行が折伏であるという詭弁で折伏思想を温存したために、これが維新後に復活してしまった
これはご教示の通り、かつ重要なご指摘で、この問題の問題たる本質であると存じます。この維新後に復活した折伏思想・四箇格言が、以後に派生した在家信仰団体に受け継がれてしまったがゆえに、既成の各派が、それを批判するのであるならば、不軽の行が折伏であるという詭弁を捨て、折伏思想・四箇格言を廃棄して、常々独歩さんのいわれるところの“二十一世紀の日蓮”を提示することが、石山系をはじめとする日蓮系新宗教のカルト問題の解決の糸口となるのでしょうね。

489栴檀:2006/02/10(金) 15:44:30
顕正居士 様

>日蓮各派の他宗誹謗はほとんど他宗教学の無知に由来します。

私はこれを実感いたします。
批判するのですが、ではその人が批判の対象をよく知っているかというと
知らないんです。

清水師の「浄土真宗は吾宗を知らず吾宗は浄土真宗を識らざりしなり」
ですが、私は他所でも書いたのですが大谷派の曽我量深師が唯一といっていいほど
あちらでは日蓮聖人に理解と共感を持っていたのではないでしょうか。
(いくばくかの誤解はあると思います)

490顕正居士:2006/02/10(金) 19:16:32
栴檀さん。
曽我量深師1875-1971は面白いことを言われています。
「さらに百尺竿頭一歩を進めて、日蓮は彼自らをもって本仏とし教主世尊をもって迹仏とせり。
なんたる大宣言、なんたる大識見。『しかれば釈迦仏は我等衆生のためには主師親の三徳を
備え給うと思いしに、さにては侯わず。返って仏に三徳を被らせ奉るは凡夫なり』」
『上行化現の日蓮』(丸山照雄編『近代日蓮論』朝日選書・昭和56年)
http://home.att.ne.jp/blue/houmon/shiryo/soga.htm

やはり真宗の方ですが、井上円了師1858-1919も日蓮宗に理解の深い方でした。
「独り真宗、日蓮宗に至ては日本開立の新宗なり其宗猶ほ三国の相承伝灯を説くと雖も之を
我邦に適用するに至ては哲学上千歳未曾有の真理を開顕し実際上日本特有の宗教を組織
せり是に於て支那特色の厭世的仏教は一変して世間的若くは国家的宗教となれり」
『日宗哲学序論』明治28年(近代デジタルライブラリー)
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049224&VOL_NUM=00000&KOMA=19&ITYPE=0
今は細かい研究は発達していますが、明治時代には広大な識見を持った方がおられたと思う。

491顕正居士:2006/02/12(日) 06:56:25
日蓮は原理主義者であったか?

『危険な原理主義の台頭〜なぜ日蓮系と福音派が伸張しているのか』の筆者は
「この両者は、なぜこうも似通っているのか。それは、日蓮とルターが原理主義者であったと
いうことに尽きるだろう」と述べておられます。では日蓮の神秘体験は二度生れ型*だったか。
*二度生れ型-W・ジェイムズが『宗教経験の諸相 』で述べた類型。やさしくいえば、天国体験
に対する地獄体験。以下のサイトがいう神秘体験B型。
「宗教戦争の開始」
http://www.lcv.ne.jp/~kohnoshg/site7/luther8.htm
日蓮の遺文を読むと、無間地獄に落ちることを避けるために、法華経以外の教えに心を移して
はいけない、という表現は多い。しかし日蓮の神秘体験はむしろ忍難弘教の歓喜体験である。
天国型でも地獄型でもなく、闘士型、革命家型というような、より一般的なものであるとみえる。
ルターが置かれたような政治状況が国内にあったわけでもない。
昭和戦前期に充洽園教学に対して浅井要鱗師の原理主義的文献学の提唱があって、日蓮像
は今日ますます原理主義者のイメージが増している。
しかし『如説修行抄』などを後世成立の文献とし、『諸法実相抄』などを真書湮滅の文献と想像
することも可能である。勝呂信静師のような非宗学者の立場からの意見も参考にすべきである。
日蓮は原理主義者ではなく、本覚主義者であったという理解のほうが長い歴史があるのだから。

492栴檀:2006/02/13(月) 11:45:59
顕正居士 様

曽我師の『上行化現の日蓮』は私も読んだことがあります。
師の書いたものの中で一番文章がいいと(確か安田理深師だったか)絶賛する方もおられますね。
私も大変好きな文章です。
井上円了師の日蓮聖人理解についてははじめて知りました。
そういえば師の墓所はなぜか日蓮宗寺院(池上末)にありますね。
明治人の識見、本当にそうでありますね。

493れん:2006/02/16(木) 19:26:00
顕正居士さん
491
>日蓮の神秘体験はむしろ忍難弘教の歓喜体験…天国型でも地獄型でもなく闘士型・革命家型というようなより一般的なもの…
私もそのように思います。文永八年の弾圧までの日蓮の宗教活動は天台復興運動が内実とでもいうべきものでしたが、文永八年の一門弾圧と日蓮自身の佐渡流罪は、日蓮の法華経色読の自負と不軽自覚をもたらし、天台学を基礎にしつつも独自の宗教思想の形成をもたらしました。その点からいえば日蓮のそれはまさに忍難弘教の歓喜体験であり、ご指摘の通り天国型でも地獄型でもなく闘士型・革命家型というようなより一般的なものと言えそうですね。
>しかし『如説修行抄』などを後世成立の文献とし『諸法実相抄』などを真書〇滅の文献と想像することも可能
如説修行抄は日尊本と称する写本が石山末富久成寺に現存しますが、本当に日尊の写本かは疑わしいでしょう。他に信頼できる尊師の書跡が無い以上、富久成寺本を日尊真蹟と断ずるのは危険と思います。尊門は祖滅六十年頃には法華本門宗要抄を偽作してますから、これも、尊門成立の文献と見ることも可能であろうと存じます。諸法実相抄については研さんが行き届いてないので何とも言えませんが、身延山三世日進師の立正観抄写本に最蓮房云々と見え、蓮師門弟に確かにその人物がいたと考えるのが至当と思われますので、最蓮房関係の祖書と言われるものすべてを排除するのは不可で、むしろ、如説修行抄よりかは諸法実相抄の方が日蓮遺文である可能性が高いと存じますので、仰る通りの想像は可能と思います。
>日蓮は原理主義者ではなく、本覚主義者であったという理解のほうが長い歴史がある…
日蓮のそれは、四信五品抄にある「現在四信之初一念信解与滅後五品第一初随喜、此二處一同百界千如一念三千寶篋、十方三世諸仏出門也…制止檀戒等五度一向令称南無妙法蓮華経、為一念信解初随喜の気分也。是則此経本意也…」の文を参照するに、一乗(法華本門)の仏因を修行して一乗の仏果を確信するというような感じで、単なる本覚主義者とも若干異なる感じがします。それはまさに日蓮の忍難弘教の歓喜体験のなせるわざと言えるのかも知れません。

494彰往考来(しょうおうこうらい):2006/02/17(金) 12:33:34

れんさん

>尊門は祖滅六十年頃には法華本門宗要抄を偽作

このあたりをもう少し詳しくお教え願えませんか? 尊門が法華本門宗要抄を偽作したと記載されている文献はどれなのでしょうか?

彰往考来

495れん:2006/02/17(金) 16:53:25
彰徃考来さん
法華本門宗要抄について、西山本門寺開山の日代師は「法華宗要集事〈聖人御作云々、自下野国出之〉/於文句者、雖為当家助成、一向非聖作疑書也、定後学可迷惑歟、日代門徒不足許用、仍記之/延文五年六月晦日 日代(花押))」と述べており、本書を偽作と断定しております。祖滅78年にはこの書が現われているのは注意すべき点です(祖滅50年頃云々は記憶違いでした)。さて、代師の上記書に「下野国出之」とありますが、三宝寺本録外御書写本の法華本門宗要抄写本奥書に「抑此御書者真間花蔵坊小浜長源寺日源於下野国〈富士門流石田法華堂〉以御自筆正本書写之。日源示日中如斯」とあり、その石田法華堂が日尊門流寺院であったことは、日辰師の「祖師伝」日尊伝に「又同国〈下野国〉有里名石田。師(日尊)於石田立寺」とあり、石田法華堂は現在は不明なるも、室町末期まではその存在は確認でき、かつ日尊開山の寺院であったことが了解されます。よって代師が言う下野国とは、具体的には上記資料により日尊師開山の石田法華堂に比定でき、かつ、その石田法華堂に疑(偽)書である“法華本門宗要抄”の蓮師“御自筆正本”なるものが存在していたことを考えますと、法華本門宗要抄の作成は、関東日尊門流によるものと考えざるをえないものであり、よって私は先の投稿において、法華本門宗要抄は尊門による偽作と記しました次第です。そのものズバリという文献はありませんが、法華本門宗要抄の周辺の文献を調べますと、以上の結論が得られたのです。右、ご参考まで。

496れん:2006/02/17(金) 17:04:40
495の訂正

誤 祖滅50年頃
正 祖滅六十年頃

497犀角独歩:2006/02/20(月) 01:16:58

オフ会スレ662のれんさんの応答として、こちらに移動します。

> 開目抄は蓮師の「忍難弘教の歓喜体験」の論理的裏付け

なるほど、このようなとらえ方はできますか。
今回の小松師講義の聴講は通じて、まだ2回ですが、わたしなりに既にいくつもの発見がありました。五重相対への疑義はブログでも書きましたが、この『開目抄』は仰るような側面と共に、佐渡流罪已前の日蓮が、どのような行動を採っていたのか垣間見られるようにも思えました。

文中展開される折伏論から、やはり、日蓮は武装し、かつ念仏者刎頭の主張をしていたのだろうと推測します。また、現世安穏という経文に違う自身の境遇を積極的に再理論化する試みが、同抄に見られるのだろうと思います。

わたしが着目するのは‘顕密相対’で、純天台的方向性は、真言化した(と日蓮が見る)比叡山からの決別を意味し、また、従来分析される純天台思考とは、しかし、一念三千を旗頭にする妙楽色の強いものである点で、妙楽の天台釈を純天台ととらえるところに日蓮の教学的な特質がある点を注視しています。

また、開目抄に限らず、編年で時系列に読み進めると、日蓮が標榜する法華菩薩は、変遷があり、初期では権教の菩薩を簡んで法華菩薩を言い、佐渡流罪前後より不軽菩薩に対する視点が生じ、さて、では、四菩薩への視点と交錯していくわけですが、この諸菩薩への論究の様は、法華経説の順位に同じ、それを30年程の階梯で垣間見られることは興味深いと思いました。

ややブログでは書き落としましたが、『開目抄』における神仏観には、日本の国神(天照八幡)、また、不動・愛染への論究が全くないことは奇異に感じました。純天台的なアプローチを標榜したと目せる同抄はしかし、漫荼羅図示の始まりとも相前後するのにも拘わらず、この点では、まったく漫荼羅構成の理論化にシンクロしないのは注意を要します。この点を、勉強会で、小松師にわたしはお尋ねしたのですが、答えは‘開会’から考えるとのことでした。

実のところ、開目抄において、五重相対と言って、落ちてしまう顕密相対はしかし、たしかに漫荼羅図示においては開会摂取されるところであり、法華真言未分で『守護国家論』の如く、その後の、真言(律宗)への鋭利な批判とは別に、法華から開会される真言こそ、大曼荼羅図示の主要な意図を為していると考えられます。

この様な点の、正確な分析は、いまだ取り残された日蓮研究のテーマとして、今日的な意義を有すると思います。先にブログで紹介した小林是恭師の如き研究がさらに積み重ねられることを希望するものです。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50200478.html

21世紀の日蓮とは、宗派門派が背負ってきた過去のアナウンスの弁明、護教教学ではなく、冷徹、かつ合理的な分析眼から徹底解明を経ずしては、何ものも得るものはないと考えるところです。

その観点から、ここ一連の顕正居士さん、また、れんさん、ご論攷には敬意を表するものです。

498彰往考来(しょうおうこうらい):2006/02/20(月) 07:54:31

>495れんさん
>祖滅50年頃云々は記憶違いでした

法華本門宗要抄の成立については『日蓮聖人遺文辞典 歴史篇』(昭和60年、身延山久遠寺)の「法華本門宗要鈔」の項(1042頁)に宮崎英修氏が「一般に本書は日蓮滅後四、五十年ごろの成立と考えられている」と書いています。ただ日興上人の御遷化が正慶2(1333)年(聖滅後52年)ですから、それより古いとは考え難く日蓮滅後四、五十年ごろの成立というよりは60年ごろというのが妥当でしょう。延文5年(祖滅79年)に代師雑記が書かれていますので、「聖人滅後七十餘年の頃」(山川智応『日蓮聖人研究 第一巻』昭和4年、新潮社、94頁)という考えもあります。

>三宝寺本録外御書写本・・於下野国〈富士門流石田法華堂〉以御自筆正本書写之
>石田法華堂が日尊門流寺院であった・・日辰師の「祖師伝」日尊伝・・室町末期まではその存在は確認・・日尊開山の寺院・・下野国・・日尊師開山の石田法華堂に比定

御書システム コラム 2005.8.1.には渡辺師の「「法華本門宗要抄」を読み直す」という論文には、「「抑此の御書は真間華蔵坊小浜長源寺日源、下野国〈富士門流石田法華堂〉に於て御自筆の正本を以て之れを書写し奉る。日源日中に示す、斯の如し矣、此の本を以て之れを交し訖んぬ云云。」
 これによれば長源寺開基の安住院日源(1362〜1435)が、下野国にある日尊門流の石田法華堂において、『宗要抄』を書写し、青蓮坊日中(中山門流)に示したとある。因みに寺伝によれば、長源寺の建立は康暦二年(1380)である。」
とありますので、「法華本門宗要抄」の正本が尊師開基の石田法華堂にあったとするなら、れんさんの御指摘のとおり、法華本門宗要抄は尊門による偽作ということが濃厚となります。
但し、疑問点があります。『昭和定本 日蓮聖人遺文 第三巻』(昭和63年改訂増補版)の「法華本門宗要鈔」の注には、【寫】三寶寺本【刊】受715 (2150頁) とあり、御書システム コラムに「はじめ『宗要抄』は慶安2年(1649)の『他受用御書』に内容が大幅に省略されて収録・刊行された。その後の『縮刷遺文』『定本』『新定』などの御書集にも、その形が踏襲された」とあるように「昭和定本」の同鈔は録外の刊本『他受用御書』が底本と判断されます。そして『昭和定本 日蓮聖人遺文 第三巻』2168頁の同鈔の注に、「奥書『私曰 御正本富士西山有之矣(以下略)』と奥書に正本は西山に之ありかとしています。しかしながら、西山本門寺開山の日代師は延文5(1360)年の雑記で偽書とされているわけで、この奥書内容は不審といえます。山川智応師も板本「他受用御書」の「本門宗要抄」の奥書について、「御正本富士西山にありとは、西山に僞書説あるを知らずして、斯の如く記せるものか」(『日蓮聖人研究 第一巻』94頁)と指摘されています。代師も延文5年の雑記に「自下野國出之(下野国より之をだす)」とされていますので、やはり正本は下野国にあったと考えたほうがよさそうです。

499れん:2006/02/20(月) 22:13:36
>497 犀角独歩さん
専門的な視点からのご教示、誠に有難うございました。大いに勉強になりました。私の場合は素人考えの領域を出ないものですので、今後とも折りにふれてご教示の程お願いいたします。
>21世紀の日蓮とは宗派門派が背負ってきた過去のアナウンスの弁明・護教教学ではなく、冷徹かつ合理的な分析眼から徹底解明を経ずしては何ものも得るものはないと考えるところです…
私も全く同感です。今後とも“21世紀の日蓮”につきご教示戴ければ幸甚です。

498 彰徃考来さん
先行する諸資料からのご教示、誠に有難うございます。今後ともご教示の程、お願い申し上げます。
正本と称するものが、ご指摘の通り下野国にあったことから、代師の法華宗要集事の内容からして、法華本門宗要抄は、興師滅後比較的早い時期に、下野国にて成立したとみた方がよさそうに感じます。宗要抄には富士戒壇論も見えますし、正本の所在が大夫日尊師開山の石田法華堂と伝承されていたことから、やはり下野国の富士門流・しかも日尊門下がその成立に関わったとみるのが自然と思われますね。

500一字三礼:2006/02/26(日) 14:48:59
小松師は、2月17日のご遺文講義(開目抄)において、天台と日蓮の「一念三千」観の根本的な違いをご指摘されました。

天台大師の「一念三千」は、迹門方便品に拠るがゆえに始成正覚の仏である。

日蓮聖人の「一念三千」は、本門寿量品に拠るがゆえに久遠実成の仏である。

この日の講義後に、私は小松師に質問しました。

「同じ’一念三千’で、なぜ迹門方便品に拠る解釈と本門寿量品に拠る解釈とが成り立つのか」

私の質問の仕方が悪かったのか、理解力不足のせいか、先生のご回答がいまひとつ納得できませんでした。

天台大師の「一念三千」が迹門方便品に拠る始覚の仏であるならば、、その三世間の出典は迹門に拠らなければならないはずが、「摩訶止観」の該当箇所には三世間の出典元は示されていません。

「摩訶止観」が天台の思想を伝えているとは言えませんが、蓮祖のあつかう「一念三千」の論拠が「摩訶止観」なので、巻第五上「一觀心是不可思議境者。」から始まる「一念三千」の解説の中から三世間について調べてみますと、

「攬五陰通稱衆生。衆生不同。攬三途陰罪苦衆生。攬人天陰受樂衆生。攬無漏陰眞聖衆生。攬慈悲陰大士衆生。攬常住陰尊極衆生。大論云。衆生無上者佛是。」
(五陰を攬って通じて衆生と称するも、衆生同じからず。三途の陰を攬るは罪苦の衆生なり、人天の陰を攬るは受樂の衆生なり、無漏の陰を攬るは眞聖の衆生なり、慈悲の陰を攬るは大士の衆生なり、常住の陰を攬るは尊極の衆生なり。大論に云く、[衆生の無上なる者は佛是なり]と。

「常住の陰を攬るは尊極の衆生(佛)なり」と五陰世間から説かれる仏は常住仏です。

「十種所居通稱國土世間者。地獄依赤鐵住。畜生依地水空住。修羅依海畔海底住。人依地住。天依宮殿住。六度菩薩同人依地住。通教菩薩惑未盡同人天依住。斷惑盡者依方便土住。別圓菩薩惑未盡者。同人天方便等住。斷惑盡者依實報土住。如来依常寂光土住。」
(十種の所居を通じて国土世間と称するは、地獄は赤鉄に依って住し、畜生は地水空に依って住し、修羅は海畔海底に依って住し、人は地に依って住し、天は宮殿に依って住し、六度の菩薩は人に同じく地に依って住し、通教の菩薩の惑いまだ尽くさざるものは人天の依住に同じく、惑を断じ尽くせるものは方便土に依って住し、別圓の菩薩の惑いまだ尽くさざるものは人天方便等の住に同じく、惑を断じ尽くせるものは実報土に依って住し、如来は常寂光土に依って住すればなり。)

「如来は常寂光土に依って住すればなり。」と国土世間から説かれる仏も常寂光土に住するのですから、やはり常住仏です。


「摩訶止観」の記述にしたがえば五陰世間、国土世間ともに仏は常住仏で常寂光土に住することになるので、少なくとも天台大師の「一念三千」は迹門方便品に拠るとは言えません。また、「摩訶止観」では法華・涅槃を同等に扱うのが「常寂光土」(涅槃経に説かれる浄土であって法華経には出てこない)からも推測できます。

厳密には、涅槃経の常住仏も一品二半の寿量仏から見れば、なお始覚の仏ではあると考えるのかもしれませんが。

501れん:2006/02/26(日) 18:06:39
一字三礼さん、こんにちは。
小松師の日蓮遺文講義にご参加されたとのこと、松山師講義に引き続きのご参加の由にて、熱心なるご研学に心より敬服致します。
さて、天台と日蓮の一念三千についてですが、天台大師の本来の意味での一念三千論については、私自身の勉強不足で分かりませんが、日蓮の場合のそれは十章抄の「一念三千と申ス事は迹門にすらなを許されず、何ニ況ヤ爾前に分たえたる事なり。一念三千の出処は略開三之十如実相なれども、義分は本門に限る」とあり、一字三礼さんが現在聴講されている開目抄には多少やや具体的に「迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説て爾前二種の失一ツを脱レたり。しかりといえどもいまだ発迹顕本せざれば、まことの一念三千もあらわれず。二乗作仏も定まらず。水中の月を見るがごとし。根なし草の波ノ上に浮ヘるににたり。…爾前迹門の十界の因果を打やぶて本門十界の因果をとき顕ハす。此レ即本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具シ、仏界も無始の九界に備リて、真ノ十界互具・百界千如・一念三千なるべし」とあります。日蓮の認識としては、天台のそれは、迹門方便品の十如実相・二乗作仏等を出処として立てられたが、天台のそれは久遠実成の本仏・本門寿量品の教主釈尊の本因本果の法門から開出されたものでないために、迹門立ち(始成正覚)の一念三千であり、日蓮のそれは、寿量品の久遠実成の釈尊の本因本果の法門に即して立てたものであるから、本門立ち(久遠実成)の一念三千である、日蓮の立場はその久遠実成の釈尊に即して立てた本門の一念三千を真(まこと)の一念三千とするといったものではないかと、素人考えしております。ご参考にならないとはぞんじますが、一応の試案として書いておきます。

502一字三礼:2006/02/26(日) 20:40:58

れんさん

レスありがとうございます。

> 日蓮の認識としては、天台のそれは、迹門方便品の十如実相・二乗作仏等を出処として立てられたが、〜中略〜日蓮の立場はその久遠実成の釈尊に即して立てた本門の一念三千を真(まこと)の一念三千とするといったものではないか

ご指摘の点、私もそのように考えておりました。
しかし、真蹟のご遺文に天台の一念三千が’迹門立ち’であるとの見解を示されているものがありましたでしょうか。私はれんさんと違い、本当に’不勉強’なものですから、見落としているのかもしれません。

れんさんの挙げてくださった「十章抄」「開目抄」でも天台の一念三千が迹門立ちであるとは書かれていないように思えるのですが、いかがでしょうか。

例えば、「開目抄」の有名な箇所ですが、

「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり、竜樹天親知つてしかもいまだひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり。」

’但我が天台智者のみこれをいだけり’が重要で、この文をそのまま読むと日蓮は、所謂’本門立ち’の一念三千は天台大師所具の法門であると理解していた事にはなりませんでしょうか。

つまり、日蓮の本門を中心とした一念三千の理解は、天台大師の一念三千理解と同じと考えておられたのではないでしょうか。


別件です。

3月の松山先生の講義の折、もしご入用でしたら、国訳大蔵経の「妙法蓮華経憂波提舎」のコピーを持参いたします。

先生が注目しているのはShddharma‐pundarikaとの比較で、妙法蓮華経の17の異名を述べる箇所であろうと思いますから、熟読の必要はないとは思いますが(妙法蓮華経憂波提舎自体、そこ以外はあまり読んでも意味がありませんし)。

503れん:2006/02/26(日) 21:36:37
一字三礼さん、返レス有難うございます。
一字三礼さんが、今御講義を受けられておられる開目抄からは、だいぶ先の身延期の日蓮の著述になりますが、弘安元年六月の治病抄に
「法華経に又二経あり。所謂迹門と本門となり。本迹の相違は水火天地の違目也例せば爾前と法華経の違目よりも猶相違あり…今本門と迹門とは教主すでに久始のかわりめ、百歳のをきなと一歳の幼子のごとし…本迹を混合すれば水火を弁ヘざる者也…」と日蓮は法華経本迹二門とその教主において本勝迹劣を思考していたことが述べられ、本抄末尾に
「一念三千ノ観法に二ツあり。一ニハ理、二ニハ事なり。天台・伝教等の御時には理也。今は事也。観念すでに勝る故ニ大難又色まさる。彼は迹門の一念三千、此は本門ノ一念三千也。天地はるかに殊也こと也と、御臨終の御時は御心へ有るべく候」と、天台大師の一念三千を理・迹門の一念三千と規定し、日蓮自身の一念三千を事・本門の一念三千と規定しており、その勝劣を述べておりますから、日蓮には一念三千について事・本門と理・迹門に立てわけ、自らのそれを事・本門と規定していたことは理解出来ます。十章抄や開目抄の著述からは年代が下りますが、上記の真蹟遺文によるかぎり、多分、日蓮の中では、天台の一念三千を本門立ちのものとは恐らく考えてなかったのではないかと愚考します。
>別件…国訳大蔵経…妙法蓮華経憂波提舎のコピー…お心遣い誠に有難うございます。お手数をおかけいたしますが、何卒宜しくお願い申し上げます。

504顕正居士:2006/02/27(月) 10:39:22
三世間を掛けないと三千にはなりません。
「夫一心具十法界、一法界又具十法界、百法界。一界具三十種世間、百法界即具三千種
世間。此三千在一念心。若無心而已、介爾有心、即具三千」(止観)
開目抄の文底秘沈の文は同抄の「まことの一念三千」を指すのでしょう。
しかし百界千如でも十界の未来成仏がたしかです。「千二百羅漢 悉亦當作佛」、「佛子行道
巳 來世得作佛」。ですから百界千如を迹門の一念三千とも書いたのでしょう。
百界千如は衆生本具の仏性をいうので、あらかた一念三千ではあるが、成仏は未来となる、
最速でも一生成仏となるから、つまりこれは始覚門である。対してまことの一念三千は十界
本来の成仏、即身成仏をいうから、つまりこれは本覚門である。
天台智邈は大乗起信論は知らなかったので本覚、始覚の問題は妙楽湛然の十不二門の解釈
をめぐる山家、山外の論争になりました。四明知礼は一念三千の観は妄心観であるとして論争
を決着した。
「今開在纏一念染心。本具三千倶體倶用。與淨不殊故名不二」(今在纏一念の染心を開かば、
本より三千を具し倶體倶用なり。淨と殊ならざる故に不二と名づく」(十不二門指要鈔.)
日本天台は湛然の系統を受けて山家的、山外的、両方の思潮があったが、次第に性具思想
が高まった。日蓮思想もその一つですが、遺文の真偽問題もあり、四十五字法体段が仏界
縁起か妄心縁起かという昭和の論争がありました。

505パンナコッタ:2006/02/27(月) 13:45:18
横レス失礼します。

顕正居士さんのご指摘なさった真偽問題を考えると、開目抄は非常に悩ましいですね。
当然、本満寺日乾真蹟対象本がテキストとなるのでしょうが、
庵谷教授の講演において、「本満寺本が、御真蹟を完全な形で伝えているかどうかについては、なお、
検討の余地があると思います」 冠教授も「本満寺本は完全に信頼出来るとは言えない」 と指摘されており
大黒師の「信を置くには不十分な面もある」も引用されています。
 (現代宗教研究 第38 「日蓮聖人における摂受と折伏について」 庵谷行亨 より引用)

やはり曾存の開目抄を断定的に捉えていくのは難しいですね。
みなさんの精緻な御研鑽の成果を心待ちにしております。

506犀角独歩:2006/02/27(月) 14:07:42

> 500 一字三礼さん
> 天台大師の「一念三千」は迹門方便品に拠るとは言えません

同じ講義を聴講した一人として、記します。
天台が方便品に一念三千を立てるというのは、小松師の所説ではありません。これは日蓮の言です。すなわち、

「迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて爾前二種の失一つ脱れたり。しかりといえどもいまだ発迹顕本せざれば、まことの一念三千もあらわれず、二乗作仏も定まらず。水中の月を見るがごとし。根なし草の波上に浮べるにいたり」

実際、小松師の講義では、天台・日蓮の一念三千の相違を述べる段で、上記一文を示して、論じていました。

小松師の講義は、さらに上記の文の続きを字句通り、説明したものでした。

「本門にいたりて、始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる。四教の果をやぶれば、四教の因やぶれぶ。爾前・迹門の十界の因果を打ちやぶて、本門十界の因果をとき顕す。此れ即ち本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備わりて、真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし」

講義の時、わたしはややこしくなると思いましたので、敢えて質問しましせんでしたが、そもそも天台・章安の段階で、一念三千という成句自体を見ません(坂本幸男師もこの点を指摘しています)その意味において、日蓮の言う一念三千は妙楽解釈に拠るわけですが、取りあえず、ややこしくなるので、この点も置きます。

その意味において、一字三礼さんが立てられた疑問というのは、小松師への疑問と言うより、日蓮の『摩訶止観』解釈に関する疑問、もっと具体的に言えば日蓮の一念三千観への疑問と言うことであろうと思います。

一字三礼さんの疑義の立て方はしかし、あの場で話し合ったと思いますが、わたしと共通の疑問に立脚していると思います。つまり、仏の三世間は寿量品で五百塵点成道における本因・本果・本国土(三妙合論)のこの本国土世間が明確にされない限り、肝心の仏界の三世間は成ぜず、つまりそうなれば、三千を成じないという計算に基づくのであろうと思います。

しかしながら、実際のところ、天台が三千を論じるのは「夫一心具十法界 一法界又具十法界百法界。一界具三十種世間 百法界即具三千種世間。此三千在一念心 若無心而已 介爾有心即具三千」ということであり、天台は特に三妙合論なくして、三千を不成は言っていないわけです。しかし、日蓮は上述の通り、「本門にいたりて…真の十界互具・百界千如・一念三千」というわけですから、たしかに天台と日蓮の一念三千観には相違があるといえると思います。

また、今回の講義を離れ『本尊抄』に拠れば、日蓮の百界千如と一念三千の区別を三妙合論をもって捌くというより、情・非情の相違、難信難解から草木成仏の観点を導入し、ここに末法の仏像を寿量仏と定めるという教学的な態度を示すわけです。

これは過去に議論したことですが、この‘本尊’とは、天台の教学には見られないものであり、たしか顕正居士さんがご指摘くださったことであると記憶しますが、そもそも、日蓮がいう‘本尊’とは、真言密教の延長にあるものです。ただ、日蓮は父母の像、儒家聖人(せいじん)像をも本尊というわけですが、いずれにしても、「本尊」語は天台の教学には全く見られないものですから、寿量本仏像を百界千如と一念三千の相違、難信難解、草木成仏から論じる日蓮の本尊観は天台とは、当然のこととして、相違したものであることも付言しておくべきかもしれません。

507一字三礼:2006/02/27(月) 20:35:50

れんさん

> 日蓮の中では、天台の一念三千を本門立ちのものとは恐らく考えてなかったのではないかと愚考します。

真筆遺文を挙げてのご教示ありがとうございます。

了解しました。天台を迹門立ちと考えるのは日蓮自身の考えだったのですね。

私の疑問点は、犀角独歩さんが記してくださっているように、「日蓮の『摩訶止観』解釈に関する疑問」でした。


犀角独歩さん

確かに私の疑義の挿み方は『開目抄』講義後の質問としては、完全に傍論でした。

> わたしと共通の疑問に立脚していると思います。〜中略〜三千を成じないという計算に基づくのであろうと思います。
> しかしながら、実際のところ、〜中略〜天台は特に三妙合論なくして、三千を不成は言っていないわけです。

犀角独歩さんの言われるとおりであろうと存じます。

天台は一念三千・三千観法をかならずしも経典に依らない、独自な理論で編み出したものであった、それを日蓮はその理論の根拠を法華経のみに求めたことによる矛盾でしょうか。

遅ればせながら、松山・小松両先生の講義を聴講する機会をくださった犀角独歩さんに心より感謝いたします。

508犀角独歩:2006/02/27(月) 23:55:04

一字三礼さん

> 疑義の挿み方…完全に傍論

いえ、ぜんぜん、問題ありません。よい質問であろうかと思います。
なにせ、島田師の「なんで、そんなに一念三千に拘るの?」という質問で、なかなか沸騰した議論になったりするわけですから、あそこでは、特にタブーはありません。
まあ、日蓮本仏論の押し売りで持論を枉げないなんてことをやれば、「はい、もう少し勉強して、出直しなさい」という話にはなるでしょうが。そんな愚を一字三礼さんがなさるわけはありませんから、安心して窺っていました。

パンナコッタさんが挙げられましたが、『開目抄』をどこまで、真跡としてみるのかというのは、たしかに「悩ましい」問題ですね。れんさんがなさったように、真跡から、曽存の相違を系統的に整理してみる必要はあるように思えます。しかし、今の時点では、わたしはこの点では落着していないので、『開目抄』は「常不軽」を除いては、『平成新修日蓮聖人遺文集』の通りで、暫定的に扱うことといたします。

富士門的な本迹観は勝劣義ですから、本門正意となりますが、一致義からすると、どうなるのでしょうか。けれど、「本迹雖殊不思議一」は、玄・文、記のお定まりの点ですから、一応は勝劣と見えても、不思議一と束ねることが常道と見えます。ただ、開目抄説では、この点は、あたかも久成開顕、三妙合論で真の一念三千と読め、となれば、まったくの本迹相対ではないかと思えます。しかし、ここを通過点とし、不思議一の課程と見ることもできるのかもしれません。

まあ、しかし、三妙合論で、本仏本国土で三千成就は、論としては美しいと思います。

509顕正居士:2006/02/28(火) 06:51:17
>>502 で一字三礼さんが文底秘沈の文を引いておっしゃったように、一念三千が二つある
わけではありません。三世間を掛けないと三千にはなりません。
「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり、竜樹天親知つてしかも
いまだひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり」
竜樹世親は知っていたが寿量品の文の底からひろいださなかった、すなわち説かなかった。
天台智邈のみ、その一念三千の宝珠を取り出したのであると。
一念三千について本尊抄のはじめに明晰に説明されています。
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049185&VOL_NUM=00000&KOMA=480&ITYPE=0
玄文には一念三千の名目はない。止観の四までにもない。智者大師は三十年の弘法、しかし
二十九年は五時八教と百界千如を説かれるのみであった。止観の五ではじめて一念三千の
名目が現われたのである。これこそ天台智者の終窮究竟の極説、説己心中所行法門であると。
そして >>506 で犀角独歩さんがおっしゃった湛然の無情有性の話題に進みます。百界千如
と一念三千の相違とは、百界千如は有情界に限り、一念三千は情非情に亙ることであると。
開目抄に百界千如を迹門の一念三千といっておりますが、それは >>504 でわたしが述べた
意味あいであって、一念三千に二つあるのではありません。一念三千は天台智邈の終窮究竟
の極説、説己心中所行法門です。
れんさんが >>503  で引かれた「一念三千ノ観法に二ツあり。一ニハ理、二ニハ事なり。…」は
「天台・伝教等の『御時』」というように時の相違である、「彼は迹門の一念三千」は開目抄の
用例でわかるように百界千如です、「此は本門ノ一念三千」は智邈の終窮究竟の教説が世に
本格的にあらわれる時の意味です。
智邈、湛然、最澄、日蓮に一念三千の理解の相違が当然、あるでしょう。しかし日蓮の主観
においては一念三千の教説は智邈が寿量品の文の底からひろいだしたのであり、正統天台
の後継者と自負するゆえんです。また止観五の文、湛然の注釈、知礼の論争決着からいって、
決して日蓮の主観にのみとどまるものではありません。

510顕正居士:2006/02/28(火) 10:48:16
一念三千が二つないことは本尊抄に明晰であり、開目抄にいう迹門の一念三千が百界千如
であることも明白です。なぜ迹門の一念三千というのかを考えると、通途に迹門・諸法実相、
本門・久遠実成というのを、一念三千に統合したいからである。日蓮は諸法実相とそれほど
いわない、二乗作仏という、そして久成の釈尊という。それがある時期から一念三千に統合
されて来る。二乗作仏も久成釈尊も十界互具をいいたいのである。日蓮の思想の中心は
宗教的には久成釈尊だが、哲学的には十界互具、一念三千である。だから百界千如を迹門
の一念三千というのである。百界千如であることははっきりと説明されています。

ところが二つの一念三千があるという説の諸師がおられる。たとえば日輝師であります。
「第五理事者。初略説。二広説。初者理者。所謂台家理性具足一念三千也。事者。所謂
当家事相常住一念三千也。…」(一念三千論)
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049028&VOL_NUM=00001&KOMA=26&ITYPE=0

師のいう台家理具の一念三千とは百界千如のことではない。二つの一念三千があるという
のである。師によると、台家の一念三千は生仏の理同をいうのみである。唯心の範囲である。
したがって当家の事一念三千観というものがある。唱題のことではない。観法である。それは
おいて、湛然、知礼の教説をまったく無視し、本尊抄も無視した奇怪な説であります。

511顕正居士:2006/02/28(火) 12:05:44
ところで二つの一念三千について日寛師の説をみると、

「諸抄の中に二文あり。一には迹本倶に一念三千と名づけ、二には迹は百界千如と名づけ、
本を一念三千と名づく」
「迹門は未だ国土世間を明かさざる故に百界千如に限るなり、而るに迹門方便品に一念三千
を説くと云えることは正に必ず依あり、故に与えて爾云うなり。若し奪って之れを論ぜば迹門
は但之れ百界千如なり」
と明晰です。一念三千は「義分は本門に限る」のです。

この後は独特の説になります。一念三千は「義分は本門に限る」。しかし本尊抄に「百界千如、
一念三千其の義を尽くせり。但理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字…」、『但論理具』
という。ゆえに「彼は迹門の一念三千」(富木入道殿御返事)とは「面裏の迹本倶に迹門と
名づくるなり」、「是れは本門の一念三千」とは文底独一本門を指すのであると。
「一念三千の観法に二つあり」とは一個の一念三千の教義について二種類の観法があると
いうことで、決して一念三千が二つある意味にはならない。ただし日寛師の説は文底本門を
いっても、一念三千が幾つもあるということでは必ずしもない。事の一念三千といえば、理の
一念三千と二つあるように思えるが、一念三千の事観というのと同じと考えれば、一念三千
自体は一つであるから。
http://nakanihon.net/nb/rokkann1.html

512犀角独歩:2006/02/28(火) 18:44:35

顕正居士さんには、適切なご教示をいただきまして、誠に有り難うございます。

一字三礼さん、また、わたしが挙げた小松邦彰師の『開目抄』講義のご発言に就き、ややロムの方には、わかりづらいのではないかと思い、少し記します。

小松師は顕正居士さんが仰る二つの一念三千ということを仰っているわけではなく、一念三千の立て方が天台と日蓮では違うということを指摘されたわけです。

この点は、わたしのブログでも触れましたが、天台は方便品で、日蓮は寿量品で立てることで相違があるという意味です。ここで、わたしが「迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて」の文を挙げたために、やや誤解を招くことになったかと案じました。

『摩訶止観』5における三千、というより三世間といったほうがよいかもしれませんが、わたし個人の読後感として、ここでは特に寿量顕本における本国土を不可欠の要素とはしていないわけです。

「十種所居通稱國土世間者。地獄依赤鐵住。畜生依地水空住。修羅依海畔海底住。人依地住。天依宮殿住。六度菩薩同人依地住。通教菩薩惑未盡同人天依住。斷惑盡者依方便土住。別圓菩薩惑未盡者。同人天方便等住。斷惑盡者依實報土住。如來依常寂光土住。仁王經云。三賢十聖住果報。唯佛一人居淨土。土土不同故名國土世間也。此三十種世間悉從心造。」

というのが、この原典です。一読すればわかるとおり、「如来は常寂光土に依って住す…唯仏一人浄土に居す」ですから、ここでいう如来・仏は、特に寿量本仏に限ることではないわけです。つまり、ここでは諸法実相の文より事起こり三千を立てたと読むことはできます。

ところが、日蓮の場合、当然、この『摩訶止観』によるわけですが、しかし、一歩立ち入って、本仏の本国土を嘆じて、真の一念三千とする相違があるように思えます。小松師は、この点を述べたであろうと、わたしは考えます。つまり、三世間を「寿量本仏依本国土」というのではないのかというのが、一字三礼さんとわたしの共通の認識であったことは先に述べました。しかし、もちろん、これは、一念三千が二つあるというのではなく、迹門立て:本門立て=天台:日蓮という小松師の講義を基にしたうえでのことです。

本国土妙は、先んずる『法華玄義』に説かれるわけで、その意味から、三千で言う仏を寿量本仏と見なすことは当然できるわけですが、ここで本国土妙を言うに「迹本雖殊不思議一也」ですから、ここで、日蓮が言うような迹門方便品は百界千如、本門寿量品で一念三千ということができるのか、わたしは、やや、疑問が残ります。

しかし、日蓮は、天台を墨守すると言うより、末法適宜に読み直し、妙法五字に一念三千宝珠を裏むという訳ですから、このような相違があることに、それこそ不思議はありません。

小松師の講義を‘サカナ’に議論して、勢い、師が言っていないことを師の言としては、申し訳ないので、やや補足させていただきました。

513顕正居士:2006/03/04(土) 01:39:56
台当異目

台家は迹面本裏、当家は本面迹裏。これは皆が云う。台家は理具一念三千、当家は事造
一念三千。これもかなり云う。台当異目は京都布教後に特に必要に迫られた。さらに一致
勝劣の論が起こる。そういう際の台家とは何を指すのか。室町時代の叡山、三井か。最澄
か。智邈の原始天台か。さっぱり判らない。実には日蓮家脳内の台家である。一大円教、
一大円仏の日本天台は本面迹裏じゃないか。台家は理具、当家は事造とは、智邈、湛然、
知礼の性具を否定して、華厳家に与するのか。日蓮宗学は日蓮宗の外に出たら全然通用
しない脳内宗学である。そういう問題意識で書かれた本は少ない。浅井円道師の上古天台
本門思想史くらいではないだろうか?本門思想なるものは日本天台のものであるから興門
の百六箇抄などは文底独一の本門をいう。それも日本天台の思想である。四重興廃という
時判がすでにある。台家の教義を取って来て、日蓮がいう、盗みいれて、台当異目を立てる
歴史はまさに脳内宗学である。

514iひきこもり:2006/03/04(土) 01:58:57
結局、科学的証明が無ければ、聖書も法華経も空論ですよ。体験的科学現象を、カルトなどと
排他している現状ではではだめです。

日蓮教学が本当ならば、関係者は医学理学に取り組んでいるんじゃないですか?

515今川元真:2006/03/04(土) 11:52:54
日蓮聖人の教導は鎌倉時代の方法。律は全て履行できない。禅は此岸と彼岸を行ったり来たり。念仏はあの世を目指すのは現実逃避に成らないか。真言は多量のエネルギーを消耗する。法華は何時成仏できるか解らない。

516一字三礼:2006/03/05(日) 22:51:30

教理的には、日本天台も「本面迹裏」であるというご教示ありがとうございます。

しかし、実際の日本天台宗としての展開をみるときには本当に「本面迹裏」だったのか疑問が湧きます。

たとえば、根本中堂もしくは一乗止観院と言ったところで、その本尊は薬師如来と伝わります。
最澄の悲願であった戒壇院でも授戒師として、釈尊と脇侍に文殊と弥勒の三尊像(おそらく、これに対する本門戒壇院で日蓮は久遠釈尊と本化四菩薩を定めたのでしょう)。
また、これも最澄の時代に整則されたわけではありませんが、天台の四種三昧の本尊も爾前の仏ばかりです。

日本天台では思想としては「本面迹裏」であったとしても、本尊・行体では爾前迹門立ちだったのは何故でしょうか。

517顕正居士:2006/03/06(月) 04:04:28
>>516 一字三礼さん。
日蓮の本門思想を釈尊一仏や本化四大士への儀礼の統一と考えれば、そのようにも見える
でしょう。しかし単なる儀礼の統一ということほど、法華思想や本門思想に反するものはない。
迹門ならともかく、六或示顕の本門で仏菩薩を選択 せんじゃく するのは変であります。

「但だ法華の一分のみを執して法華の全分を謗し、又法華教未開隱密の一分の功徳のみに
憑りて法華教已開全分の功徳を降す。夫れ於一佛乘とは根本の法華教なり、分別説三とは
隱密の法華教なり、唯一佛乘とは顯説の法華教なり。妙法華の外に更に一句の經なく、
唯一乘の外に更に餘乘等なし。機に隨って千名あり、根に隨って淺深あり。諸の有智の者
善く思念せよ。一代經教の優劣を執すること莫れ」(最澄・守護國界章)

日蓮の新宗教批判は「法華教未開隱密の一分の功徳のみに憑りて法華教已開全分の功徳
を降す」にあったはず。一尊四士が日蓮宗の正本尊であるべきだという近代宗学者の主張は
キリスト教を最高宗教と暗黙に前提する西洋宗教学の影響下にあるとおもう。一尊四士には
妙法五字はないのですから。
ただし >>513 は儀礼のことを述べたのではなく、日蓮宗学は日蓮宗の教義に深遠な意義
ありとする立場であるから、日蓮の本門思想に哲学上の重要な発明があると主張する傾向
にある。その辺の主張(台当異目)がぜんぜん成り立たないということをいいました。つまり
日蓮自身の思想を理解する際には、台当異目という後世の発想はしないほうがよい、日蓮の
主観ではそういう区別をしていない、時の相違をいうのみである、ということです。

518今川元真:2006/03/06(月) 07:05:27
横レス失礼します。◆一尊四士では無い法華漫陀羅を掲げさせた意味は通りますね。漫陀羅正意論からすれば。◆法華理論を発明したのでは無くて立証したと言う意味でしょうか。思想哲学の醸成は信学行を通した法華経の行者に成ってからの生き方に表れるはずですから。

519れん:2006/03/06(月) 08:00:50
顕正居士さん
>517
日蓮自身の思想を理解する際には台当異目という後世の発想はしない方がよい…たしかにそのようにも考えられますね。
日蓮真蹟“下方他方舊住菩薩事”に
「龍樹・天親・南岳・天台・傳教等不弘通本門事
一ハ不付属故、二ニハ時不来故、三ニハ迹化他方故、四ニハ機未堪故、龍樹談宣迹門意、天親約文釈之、不明化導始終。天台大師弘通本迹始終。但本門三学未分明歟」
とあります。
また、日蓮在世の日蓮門弟は、日蓮晩年の弘安初頭には
一、岩本実相寺における豊前房と尾張阿闍梨
二、四十九院における日興等と寺務厳誉及び大衆
三、富木常忍と了性房・思念房
四、滝泉寺における日秀日弁等と院主代行智
と天台僧と四件の論争を行っており、近代宗学の如き台当異目は後世のものであっても、うがった見方をすろば初期富士門にみられるような台当違目の主張の根はすでに、日蓮在世の門弟の間に兆していたとみることも可能かと思います。

520顕正居士:2006/03/09(木) 05:12:14
>>519
れんさんがあげられた一の議論では「執実謗権」の批判に対し、それは華厳一乗や真言一乗
のことだという。日蓮は執実謗権を批判しているのだから、自らはその失に当たらないという
論理である。これは天台の教義からはずれていないという弁明だが、三の議論では「日蓮が
法門は第三の法門也」といって、このことは先師が十分に詳しくしはしていないと述べる。
末法の始めは久遠下種を忘れた人々が本機であるというのは日蓮の独創で、いわゆる本化
別頭の法門である。しかし三益の教義は教相のことで、聖道門は浄土宗、真宗のように教相
だけでやっていくことはできない。日蓮自身、「教相の本尊抄」ではなく、「観心の本尊抄」と
題したのだから、かならず哲学的解釈においても本化別頭の何ものかがなければならない。
しかし後世、その別頭の教義の内容と称するものは日本天台、四明天台か、あるいは華厳、
真言から輸入したものである。それが日蓮宗学の悩ましいところであるが、では全く、第三の
教相の観心釈が発明されなかったのかといえば、そうではない。それはあまりにもおおきな
思潮であったために意識にあがり難かった。日蓮宗に限ったことではなく、中国と日本の仏教
を一貫する流行であり、仏教の厭世思想と輪廻思想を克服しようとする思潮である。わが国
ではそれは本迹論として盛り上がった。「迹高本下」とは原始天台からある概念だが、この
迹高本下の成道こそ日本仏教のオリジナリティで、偽経の頌、切紙、和歌、絶句などの形式
で伝授された。維新後は自由言論の社会になって、神本仏迹、反本地垂迹などの概念化が
なされた。仏教内部からする仏教克服、それこそ中日仏教を一貫する思潮であって、日蓮宗
の悩ましい宗学は、比較的にその大波の中心にあるから、日蓮宗学を考察することの意義は
そこにある。

521文殊:2006/03/11(土) 00:49:21
台当異目の考察に際しては、最新の天台学研究の摂取が日蓮宗学系に求め
られるでしょう。浄土系から優れた論文が出ています。「例えば、「無明
即明」「煩悩即菩提」などの矛盾する概念の相即ということは、我々の心
の落ち着きを失わさせる精神的な緊張を伴い、我々をして無理やりに現実に
突き出さしめる。そこには自分とは別に立てられて対象化された無明や煩悩
はない。即にはこのような矛盾によって心に揺さぶりをかけ、固定化を破り、
緊張した今に突き出す働きがある」(柏倉明裕「天台教学による即義」印哲
52・1)

522高木:2006/03/11(土) 13:42:35
顕正居士さん
はじめまして
>では全く、第三の教相の観心釈が発明されなかったのかといえば、そうではない。それはあまりにもおおきな思潮であったために意識にあがり難かった。…仏教の厭世思想と輪廻思想を克服しようとする思潮である。わが国ではそれは本迹論として盛り上がった。…迹高本下の成道こそ日本仏教のオリジナリティで、…仏教内部からする仏教克服、それこそ中日仏教を一貫する思潮であって…

日蓮の第三の法門とは、どのようなものなのでしょうか。

523顕正居士:2006/03/12(日) 01:02:52
第三の法門とは三種教相

「教相為三一、根性融不融相、二、化道始終不始終相、三、師弟遠近不遠近相」(玄義巻1)

の第三師弟遠近不遠近相のことです。

「昔所未聞法、今皆當得聞」(法華経從地涌出品)

524れん:2006/03/12(日) 02:33:36
顕正居士さん
返レス大変遅くなり失礼致しました。
>520
ご教示有難うございます。
>仏教内部からする仏教克服…中日仏教を一貫する思潮…比較的その大波の中心にある…日蓮宗学を考察することの意義はそこにある
ご指摘参考になりました。ありがとうございます。

525高木:2006/03/12(日) 10:34:04
顕正居士さん
>では全く、第三の教相の観心釈が発明されなかったのかといえば、そうではない。それはあまりにもおおきな思潮であったために意識にあがり難かった。…仏教の厭世思想と輪廻思想を克服しようとする思潮である。わが国ではそれは本迹論として盛り上がった。…迹高本下の成道こそ日本仏教のオリジナリティで、…仏教内部からする仏教克服、それこそ中日仏教を一貫する思潮であって…
このことについて、もう少し説明してもらえないでしょうか。

526高木:2006/03/12(日) 10:44:02
>第三の教相の観心釈が発明…はあまりにもおおきな思潮であった……仏教の厭世思想と輪廻思想を克服しようとする思潮…
仏教の厭世・輪廻思想の克服とは、どのようなことでしょうか?
>迹高本下の成道こそ日本仏教のオリジナリティで、…仏教内部からする仏教克服、それこそ中日仏教を一貫する思潮…
迹高本下の成道が、仏教克服…インド仏教でなく、中国・日本仏教の思潮ということについて、教えてください。

527顕正居士:2006/03/13(月) 01:04:45
「夫レ聖人応ヲ垂ルルニ本迹ノ殊ナリ無キニアラズ。或ハ金粟法身ヲ示シ。或ハ補處ノ像ヲ
現ズ。経説縁ニ随フテ高下測リ難シ。是ヲ以テ今須ク本迹ヲ辨ズベキ也」(維摩経玄疏4)
「今体用権実ニ約シテ本迹ヲ明サバ。応ニ須ク四句ニ分別スベシ。一ニ本迹倶ニ下シ。二ニ
本ハ下ク迹ハ高シ。三ニ本ハ高ク迹ハ下シ。四ニ本迹倶ニ高シ」(同)

「第一ノ御子天照太神此國ノ主ト成テ、伊勢國御裳濯川ノ邊、神瀬下津岩根ニ跡ヲ垂レ給フ。
或時ハ垂迹ノ佛ト成テ、番々出世ノ化儀ヲ調ヘ、或時ハ本地ノ神ニ歸テ、塵々刹土ノ利生ヲ
ナシ給フ。是則迹高本下ノ成道也」(太平記)

「釈迦と申すは天照太神西天に釈迦と顕はれ諸仏の本誓妙法蓮華経を説き一切衆生悉く
是れ吾が子なりと宣ふ」(本尊三度相伝)

「十羅刹と天照太神と釈尊と日蓮とは一体の異名本地垂迹の利益広大なり」(産湯相承)

天照大神本・釈迦迹、日蓮本・釈迦迹は迹高本下です。本覚門では九界本・仏界迹である。
日本では室町時代に仏教の「非神話化」が完成した。「日本思想史上のクライ マックス」
(島地大等)と称し得ます。

528文殊:2006/03/14(火) 00:48:10
本迹高下の四句分別論、天台大師の本迹仏身論が日本に至り本地垂迹説として
展開。それに『起信論』受容の教学的展開が見逃せないでしょう。知礼の『起
信論』理解が六即・仏身について始本不二義を高調したのに対し、日本天台は
始覚より本覚を重視していった。最澄の三一権実の優劣論、安然の真如の当体
即諸法、諸法の当体即真如という当体論、『三十四箇事書』に見る本迹の優劣
論。

529顕正居士:2006/03/14(火) 18:15:46
「本覚の義は始覚に対して説く。始覚は即ち本覚に同ずるを以てなり」(釈摩訶衍論)
始覚の智が生じる以前に本覚の名無く、始覚の内容が本覚であるから、始本不二である。
これが普通の考えであるから、日本天台の本門とは本迹未分、唯本無作の本門である。
「唯本無作の重と云は機法未分、生仏一如にして諸仏の出世をも論ぜず、本地不思議の地体
にて、さてはつる処を本有無作の三身とは云也」(文句略大綱私見聞)
つまり本覚とは不覚のことである。
「無作の仏と云は何者ぞ。只実迷の凡夫也。始て発心し初て修行を立て、迷を翻して得悟する
に非ず。只我等衆生、無始輪廻の間、本来常住の本仏也。是を覚前の実仏とは云也」(同)
ここに至って仏教は完全に非神話化され、僧形の儒者、惺窩 、羅山の時代へと変遷します。

530文殊:2006/03/15(水) 22:20:34
法華経にいたって、三乗の教えを開いて一仏乗の教えを顕わし、上中下根すべて
に成仏の記別を与えた(根性の融)
しかも化城喩品においては、釈尊の化導は今世だけにとどまらず、三千塵点劫以
来の化導であることが明かされた(化導の始終)
さらに本門寿量品にいたって、三千塵点劫のその昔、本地難思の五百塵点劫の
久遠の成道以来、釈尊と一切衆生とは師弟の関係にあることが明かされた(師弟
の遠近)
ところが堅樹院日寛師は三種教相を権実相対・本迹相対・種脱相対に変奏します。
「妙楽云前之両意者約迹門後之一意者約本門是也、更加種脱相対一種以為第三故云
日蓮法門也」(「三重秘伝抄」)寛師はここぞの時に妙楽大師を効果的に援用する
傾向があります。当掲示板で論議の戒壇本尊真偽も、寛師にかかれば、「夫本尊
者所縁境也境能発智智亦導行故境若不正則智行亦随不正、妙楽大師有謂仮使発心
不真実者縁於正境功徳猶多若非正境縦無偽妄亦不成種等云々、故須簡本尊以励
信行、若諸宗諸門本尊処々文散在」重須・保田・朗門等の真筆本尊を「処々文
散在」「熟脱本尊」と言い放つこの絶対的な自信は奈辺にあるのかと思います。

531高木:2006/03/18(土) 09:43:57
527顕正居士さん

本地垂迹説は、仏教側の論理ではないですかね。神仏習合から本地垂迹説という流れは日本に流入してきた仏教側が日本古来の神道を仏教内にとりこむということなんではないですかね。だから神道の方にすればかつてな解釈とはならないですか。どうなんでしょうか。

532犀角独歩[TRACKBACK]:2006/03/18(土) 10:00:29

> 531

横レス失礼します。
この点については、当掲示板では、結構、議論されてきました。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1108117812/r92-r93

戦前の天皇本尊論を挙げるまでもなく、神本仏迹か・仏本神迹かは両方の立場があるわけでしょう。

533顕正居士:2006/03/18(土) 15:39:49
次の記事が本地垂迹説の歴史をよく要約しています。

本地垂迹説 
http://www.tabiken.com/history/doc/R/R103R200.HTM

反本地垂迹説も本尊三度相伝などに見られるように起源は仏教側からである。これを大成した
吉田神道には日蓮宗と関係した伝承があります。

法華神道
http://page.freett.com/sokagakkai_komei/shukyou/hokke_shintou.html
吉田兼益授与之御本尊
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049307&VOL_NUM=00002&KOMA=18&ITYPE=0

534犀角独歩:2006/03/18(土) 17:23:30

やや話題からは逸れるのかも知れませんが、石山義における垂迹説というのは、神仏の扱いに止まらず、仏・菩薩・人の関係で論じられるところに特徴があるのでしょう。

本地自受用報身如来、垂迹上行、最誕日蓮というのがそれです。
出て振り返ってみると、特異な様態であると映じます。

535顕正居士:2006/03/24(金) 19:15:04
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1017873018/l50
の538番から続きます。こちらがふさわしいですから。いわゆる五時の説について。

さて、したがって五時八教の中で応身仏の説は第二時の蔵教だけであります。そほかはみな
報身仏の説です。ただし天台家の三身説は世親説と開合の異があり、通途の応身を劣応身
といい、報身を勝応身といいます。それではこれはどうなるのか。
「阿含十二、方等八、二十二年般若談、法華涅槃共八年、華嚴最初三七日」(伝湛然五時頌)
天台学の入門書として諦観の『天台四教儀』が最も用いられましたが、智旭(藕益大師)は
『教観綱宗』を著し「通別五時」を論じ、「蓋シ一代ノ中、隨宜ニ聞ク者ニ即チ説ク耳」(法華玄義)
等の文を示し、「智者章安ノ明文此ノ若シ。今人絶テ寓マ目ニセズ。尚ホ自ラ阿含十二方等八
ノ妄説ヲ訛伝ス、害甚ダ大ナリト為ス」と批判しました。以後、『教観綱宗』は必読になりました。
参考 「法難と五時八教」 http://www.kosaiji.org/hokke/tendai/kyogi.htm

次に法華経の教主は劣応身ではないかの問題。たしかに見た目に劣応身ですが、天台家は
これを報身と判じます。「開顕の教主は従劣弁勝なるが故に、三十二相、相相尊特なり。なんぞ
報身にあらざるや。ここをもって宗の師、垢衣内身実是長者と判ぜり」(台宗二百題・法華教主)
法華経は阿含経の結構を借り、教主も見た目は応身であり、巧妙に会三帰一を表現しようと
したからこそ、第五時の説、摂末帰本の法輪、諸経の眼目とされた。つまり、歴史的仏陀の説
を毘盧遮那仏の単なる貧弱な投影とはせず、報応二仏の教説の一体性を重視した。日蓮家の
法華尊重の意図も同じであって、決して諸経から法華のみを「撰択」するのではありません。


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