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現代人が納得できる日蓮教学

536顕正居士:2006/03/29(水) 03:15:19
日蓮遺文の主な内容は教判と仏身論であるといってよい。そして特色がある。

1 教判 
「別の五時」の叙述が主である。日蓮は法華経の迹門の主題を「実相」、「十如」ではなく「二乗作仏」
という。「別の五時」は二乗の機についていう概念である。また「別の五時」におのおの年限があった
と述べる。ただし方等八、般若二十二を分けず、通じて三十年という。
真言三部経の摂属については唐決に二種ある中、方等部説を採用する。
2 仏身論
法華経の本門において法身のみならず報・応二身の顕本が説かれたと述べる。そして法身・大日、
報身・阿弥陀、応身・釈迦の三仏・三身を統一した「無始古仏」を「観心ノ本尊」とする。

智旭以後、『教観綱宗』は『四教儀』と並んで天台学の教科書になったが、彼は17世紀の人である。
日蓮の時代、わが国では天台教判は主に「別の五時」として人口に膾炙していた。『新古今和歌集』
その他の釈教歌によってこのことがわかる。天台教判の主な内容は化法四教であって、通別五時は
従である。証真が「部教ノ混乱」と評した傾向があった。
「無始古仏」と「本門教主釈尊」の関係はわからない。『本尊問答抄』では法を能生、仏を所生とする。
ただし法身に人格を認める密教の立場では会通できる。また日蓮は仏の間に「主従」の関係をいう。
これは顕教ではあり得ないが、密教ではあり得る。

日蓮のオリジナルな思想を「教判と仏身論」という主内容から論述した著はないのではないか。
日蓮の思想には両面がある。一つは内証。山門僧として法華経を密教から解釈し、「三大秘法」に
より、大元帝国の侵寇を退けようとした。一つは外用。「三大秘法」の実修のため、人口に膾炙した
「別の五時」を説いて人民を比叡山への信仰に誘引し、応身中心の顕本を説いて日本国を本国土と
認識させようとした。日蓮の教説はまったく「三大秘法」を当時に修しようとした以外にないのである。
これを忘却して彼の教説を普遍化しようとするから、無意味な議論を永久に輪廻し、カルト教団発生
の根源と化すのであろう。

537今川元真:2006/03/29(水) 06:27:30
比叡山=四宗兼学?

538パンナコッタ:2006/03/29(水) 12:37:00
>>537
「天台宗は、宗祖大師立教開宗の本義に基づいて、圓教、密教、禅法、戒法、念佛等いずれも法華一乗の敬意をもって融合し、
これを実疏する。」(天台宗宗憲第五条)
 http://www.shosha.or.jp/syukyou/syukyou.htm

539今川元真:2006/03/29(水) 18:46:02
パンナコッタさん、ありがとうございます。でも、URL見れない(泣)

540パンナコッタ:2006/03/29(水) 20:24:46
今川元真さん、
書寫山圓教寺のHPをググって下さい。 宗教的御案内→天台の教え です。

541顕正居士:2006/03/29(水) 21:42:59
圓教寺の「天台の教え」はよくまとまったコンパクトな日本天台史です。
ただし宗憲の引用、一部、字が間違っています。正しくは
「天台宗は、宗祖大師立教開宗の本義に基づいて、圓教、密教、禅法、戒法、念佛等
いずれも法華一乗の教意をもって融合し、これを実践する」です。

542文殊:2006/03/30(木) 00:17:29
「秘蔵の大事の義には方等般若は説時三十年・但し方等は前・般若は後と申すなり」
(「一代聖教大意」日目写本保田妙本寺)「秘蔵の大事の義」とは叡山法華の相伝か。
「其の外はいかに申し候とも御返事あるべからず」(「富城入道殿御返事」正本中山
法華経寺)この御文の真意とは。「予既に六十に及び候へば天台大師の御恩奉じ奉
らんと仕り候」(同書)は最晩年の蒙古帝国襲来時に見る真言家対破思想と中国
天台回帰の整合性は如何。顕正居士さんの会通は優れていますが、最晩年宗祖真蹟
遺文を拝すると理論的枠組は密教を借りるとも、思想的には中国天台回帰と思い
ますが。

543パンナコッタ:2006/03/30(木) 00:21:38
なるほど。
顕正居士さん、ご指摘ありがとうございました。

544犀角独歩:2006/03/30(木) 07:34:38

> 最晩年宗祖真蹟遺文…思想的には中国天台回帰

わたしは、これは違うと思います。
結局のところ、日蓮は南無妙法蓮華経の唱題、三大法門を最後の結論にしていくわけで、漫荼羅図示も最晩年にあれば、ここに日蓮の結論を見るべきであると思います。
このような態度は、中国天台にはあり得ません。

545今川元真:2006/03/30(木) 09:10:16
天台密教→法華一乗→四箇格言→唱題成仏→漫陀羅、三つの法門揃うならば広宣流布の暁?

546パンナコッタ:2006/03/30(木) 14:22:40
文殊さんの問いに対する、独歩さんの答のおまけ的なものとして、

 一代聖教大意は、
【本抄は『法華経』が釈尊の一代聖教の中で最勝なることを説いている。すなわち前半は教相面から天台の五時八教判によりそれを示す。
まず化法の四教たる蔵通別円について細説し、最後円教に爾前の円と法華涅槃の円があり、爾前の円は二乗不成仏なる故に真の円教にあらずとしている。
次に華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃の五時から、『無量義経』に「四十余年未顕真実」といわれた後に説かれた法華涅槃が爾前に勝れることを示す。
但し、本抄最末に「法然上人も一向念仏之行者ながら、選択と申す文には雑行難行道には法華経・大日経等をば除かれたる処もあり。」とあって、
『大日経』を『法華経』と同位に置く台密の五教教判に近い教判であったことをうかがわせる。次に後半においては観心門たる一念三千成道論から『法華経』の最勝を論ずる。
すなわち爾前経にも一往悪人・女人・二乗の成仏を説く経はあるが、それはあくまで歴劫修行改転の成仏にして、十界互具・当位即妙不改本位・一念三千の即身成仏にあらず、
『法華経』のみがそれを説く故に勝れるとしている。ここに注意すべきは「妙法を一念三千ということ如何。」との設問から、それを説明する段で、
中古天台文献に見られる「八舌之鑰口伝」が引用されていることである。これは五時を述べる中、方等・般若時の山門寺門の異説を挙げ、「秘蔵之大事之義には」と
自説を述べられていることも含め、この時期の宗祖の修学の範囲及び傾向を示すものである。最後に浄土教からの、『法華経』は難行にして末代凡夫適時の法にあらずとの難に対し
反論が加えられている。但し、その反論は後の「守護国家論」等に対すれば、与えて論ぜられた消極的なものである。
なお、同年に系けられる「四教略名目」は本書の下敷きとなるものと思われる】

【日目本には年次の記載がない。日朝本目録に「正嘉二年戊午」とあり、刊本録内には「正嘉二年二月十四日」とあり日奥目録がそれを踏襲、
境妙庵目録、日諦目録、日明目録はこれを踏襲する。浄土教への批判が「守護国家論」などに比べて消極的であるところ、この時期に比定される】

547パンナコッタ:2006/03/30(木) 14:23:13
 続き、
また、花押のみ蓮祖筆の「富城入道殿御返事」は、
【富城入道より閏七月以来重ねて書状が届けられたことに対する返状である。この時宗祖は宿のやせ病が、
門下に口述筆記をさせざるを得ないほどに悪化していたようである。富城入道の重ねての書状には、
蒙古軍は神風によって敗退したこと、京都ではそれを思円上人叡尊等の祈祷の効験であるとの評判であるが、
これらをいかに解すべきであろうか、との質問が記されていたようである。それにつき宗祖は、かの承久の乱の時、
京都の人々は、義時の軍勢が宇治川を渡る際に多く溺れたのを見て、真言祈祷の効験だとぬか喜びしたが、
まもなく攻勢をかけられ亡んだ如く、この度も蒙古軍がわずかに退いたくらいで祈りが成就したなどとうかれているのは、
とんだ見当違いであると述べられる。そしてそのようなものに対しては、蒙古の大王の首を取ったのかと反論し、
他は一切相手にしてはならないと厳命されている】
 さらに、
【最後に贈られた銭四貫文は、天台大師講に備えて房舎を一新するその作料として使わしていただくと、
その供養に感謝されて本状は結ばれている】
 (以上、御書システム解題より引用)

文意的に、上記の指摘で問題ないように思えます。

548今川元真:2006/03/30(木) 23:02:46
天台宗宗憲等書いてあるサイトあったはずなんだけど、出て来ない。歴史の粗筋みたいなものなら、幾つか出たのだけど。 [諸経の王から一念三千を説き明かした天台大師、三種法華を立てた伝教大師、法華一乗を宣揚した日蓮聖人]合掌

549顕正居士:2006/03/31(金) 01:07:48
智邈の時代には密教も華厳宗もなかった。湛然が華厳を摂取して天台を中興した。湛然教学の解釈を
めぐって山家山外の論争が起った。知礼は華厳の「性起」に対して「性具」を強調した。具之一字、弥ヨ
今宗を顕ス。日蓮の思想の中心は十界互具にあり、彼も「性具家」である。四明学と日蓮教学は相性が
よい。日蓮思想は華厳を摂取した湛然教学を継承して別に発達した日本天台から出て来た。対抗した
空海の東密も華厳を教理の基礎にしている。それで日本天台の思想は最初、唯心的であったが、鎌倉
以後は色心等分の方向に向かう。日蓮もその思潮の中にいる。中国では華厳宗、日本では東密と対抗
しながら智邈、湛然の思想が色心等分と解釈されるに至ったといえる。それぞれ別に相似た発達をした
のである。相似た発達をしたのであるが、日本では色心等分を超えて色本心末、本覚を超えて不覚の重
にまで至った。即事而真、一色一香無非中道、草木国土悉皆成仏。これは日本人のオリジナルな思想
(神道)の仏教的表現でもあった。そしてその特色は事相でしか表現できない。だから「三大秘法」なの
である。日蓮の両密批判はまったく教判のことである。両密の理論的根拠は天台智邈の一念三千だと
いうのである。相似た発達をしたが、中国天台は密教と関わらなかった。中国人のオリジナルな思想は
日本人と異なる。日本は密教、中国は禅浄一致である。

550文殊:2006/04/06(木) 13:34:17
パンナコッタさんご提示の興風談所は教相門に重きを置いた解釈
という印象を受けました。「一代聖教大意」にいう「秘蔵の大事」
は日蓮が本覚思想の濃厚な影響にあったことを示すのではないで
しょうか。「富城入道殿御返事」は蒙古襲来に「神風」が吹いて
退散したことが真言僧調伏の功に帰せられたことが、門下に動揺が
激震のように走っていた背景がある。そこで富木さんが代表して
質問した。しかし、師からは真正面からの回答がなかった。
「鎌倉時代の後期、元寇という未曾有の危機に直面したとき、
日本の支配層の人々は、不動明王に怨敵退散を祈願した。この
ときは、仏教寺院において五壇法がとりおこなわれたのはもと
より、天皇の命を受けた密教僧が伊勢神宮に参篭して敵国降伏
を祈ったり、京都と鎌倉の八幡宮で五壇法が修せられたりと、
異例の対策が講じられている。それほどまでに不動明王への
期待は大きかった」(正木晃『密教』講談社選書メチエ108頁)
後期遺文に見る真言批判は教判論に加えて、政治的に真言僧が
朝幕に重用され拡大していることに対する苛立ちがあったの
ではないかと考えます。

551文殊:2006/04/06(木) 13:55:19
顕正居士さんの独創的な法華経会通には学ぶものが多いですが、
中国禅の動向については敦煌文書出土により、一躍脚光を浴び
ることになった神会の思想を見ていく必要があります。神会の
晩年と湛然の青年期は重なっている。湛然は華厳とともに禅の
動向について注視していたはずです。中国禅については末木
文美士「禅の言語は思想を表現しうるか─公案禅の展開─」
(「思想」960号)。鎌倉禅が実は禅密を中心とする諸宗兼修
であったことを指摘した高柳さつき「日本禅の見直し─聖一
派を中心に─」(前掲誌)があります。

552パンナコッタ:2006/04/07(金) 13:03:28
文殊さん、どうも。
「秘蔵之大事之義ニハ」が、現代の我々が認識する本覚思想であったかどうかは、時系列を考えると
多少慎重にならざるを得ないと思えます。 
正嘉二年二月十四日の述とされていますが、前年に園城寺宗徒が戒壇建立の勅許が無いことに怒り、強訴。
朝廷は六波羅探題にその鎮圧を要請という大騒ぎがあり、二年四月十七日には延暦寺宗徒が園城寺戒壇勅許
に怒り強訴、五月一日に園城寺戒壇の宣下停止と、山門・寺門の対立が激化していた時期であり、
蓮祖はこれに距離を置いたスタンスであろうと推察されるからです。

しかし、この時期すでに独自の見解があることは事実ですし、ニュアンスは当然、伝わりました。

また、一代五時鶏図・西山本(文永九年頃と推される)の日興北山写本に、寺門の義が
記されているのも、遠からず関連があると思えますね。

553パンナコッタ:2006/04/07(金) 13:03:49
つづき、
「富城入道殿」の、その追書きとされる「老病御書」が遺言的内容である事からも、
かなり体調が悪かったことが窺え、その根気が実際あったかどうかは解りませんが、
国家鎮護の役割から教王護国寺(東寺)が建立された経緯や、忍性(真言律宗ですが)が
北条長時の要請で鎌倉にやってきた事は、蓮祖は十二分に認識されていたで上で、
その様な感情は少なからずあったでしょうね。

554顕正居士:2006/04/07(金) 16:37:28
弘安元年には有名な諸人御返事が書かれています。

日蓮一生之間祈請並所願 忽令成就歟 将又五五百歳仏記宛如符契
所詮召合真言禅宗等謗法諸人等令決是非 日本国一同為日蓮弟子檀那
我弟子等出家為主上上皇師 在家列左右臣下 将又一閻浮提皆仰此法門

日蓮が蒙古調伏の祈祷を公式に命ぜられるのを念願していたのは確かでしょう。

ところで中国禅についてはこういう考え方もあるようです。
「禅仏教はこの相即観中心の中国仏教に向かって異議を唱え、不相即観を打ち出し、
自己の分斉を一つの島(洲)として大切に扱い、自由と責任の所在を明らかにする
主張として生まれたと私は考えているのです」

吉津宜英「仏教における相即と不相即」
http://www.komazawa-u.ac.jp/gr/research/in-bukkyoken-home/hokoku/kouen/00kouen-syosai.txt

555顕正居士:2006/04/08(土) 00:47:46
吉津宜英師は「仏教における相即と不相即」の最後にこう述べます。

「さて、日本仏教に再生の可能性はあるでしょうか。私はここで「ある」とあえて断言したいと存じます。
そのためには、日本仏教をも、ある特定の宗派をも、ある宗祖をも絶対化しないで、一切を上下優劣
正邪から解放し、それらの一切の仏教と称されるものの前に、自ら裸で屹立と対峙する自己の分斉を
確立しなくてはなりません。」

中国仏教と比較すると日本仏教は非常に宗派の蛸壺になっています。そういうあり方ですとそれぞれ
の潜在的欠点がきわめて顕在化します。飲光慈雲に「麁細問答」という著があって日本仏教各宗派の
長短が述べられているのを、下記のサイトが紹介しています。日蓮宗の長短は以下だそうです。

「長所も大なり、短所も少なからず。大要は天台の一門を主として初心の者に一途ならしむるなり。
短所は法我偏執、諸の外道よりも陋し。親眷隣里の交りも疎略になり行くなり」
http://www.horakuji.hello-net.info/sosaimondo.html

556文殊:2006/04/08(土) 07:33:00
蓮祖が慧心流大和俊範に言及していない理由が判然としません。同学の静明にも
です。京畿遊学での蓮祖はおそらくは孤独ではなかったと拝察されます。慧壇
兼学してみて何か得心するものがなかった。山内の人間関係に悩んでいたかも
しれません。ともかく現存・曾存遺文に京畿時代のことが述懐していないこと
は今成氏が「福神」誌で示唆されているように思い出したくないことがあった
のではと。花野氏が主張されるように蓮祖は宝地房証真のような天台学者でも
なく自在な解釈を許容する天台諸師とも全く違うのであれば、鎌倉新法華仏教
の教祖的な資質を持たれていたのではないかと考えます。山門・寺門の内ゲバ
には明らかな距離を持っていたのですが、後年三位房日行に京都での情報収集
を指示しているように叡山の動向には高い関心があったことは確実ですが、
「秘蔵之大事」がパンナコッタさんご指摘のように直ちに本覚思想の思想
内容を特定するものであるかは慎重に研究が必要と思われます。
これから出かけなければならないので、パンナコッタさんの後半のご指摘と
いつも哲学的刺激に満ちたご投稿をされる顕正居士さんへのご返事はのちほど
にさせていただきます。

557顕正居士:2006/04/09(日) 05:07:09
俊範-日蓮の師資を証明するのは『日大直兼問答』で、比較的上古の文献ですから、智応居士がこの説を述べて
以来、特に反対説がないようです。『不動愛染感見記』の台密相承の代数とも合うようです。『御本尊七箇相承』に
も証左があります。 しかし遺文には俊範への言及がありません。念仏停止についての引用を除いては。
日蓮聖人は御自分の出自について詳しくされなかった。『三師御伝土代』の記述からそう推測されます。けれども
清澄寺での宗教体験と道善房についてはしばしば語られる。
慧心流の主派、椙生流は皇覚以来、実子を真弟と称し相続する。俊範は実子静明に相続したが、静明には女子
しかなかったので心賀を婿に迎えた。日蓮聖人には『諸人御返事』に伺える強い上昇志向があった。或はこういう
経緯が俊範について語らない理由ではないでしょうか。

558文殊:2006/04/09(日) 08:54:56
花野充道氏は「慧心流の七箇法門の展開を、椙生流の皇覚─範源─俊範
─静明─心賀─心聡─という系譜を頭に入れて考える時、心賀の仰せを
記したものが一海の『二帖抄』と『八帖抄』であり、心聡の仰せを記し
たものが豪海の『蔵田抄』であるとすれば、『一帖抄』はその奥書に
記されているように俊範の作と見なければならない。俊範は叡山にお
ける日蓮の学師であるから、その俊範にすでに四重興廃が見えること
は重大である。俊範にすでに四重興廃があるとすれば、日蓮が叡山を
はじめとする京畿遊学を終えて数年後に著わした『十法界事』(12
59年)に四重興廃が説かれていても何ら不思議ではない」(「印
仏研」第51巻1号169頁)と俊範を学師と前提として『一帖抄』
四重興廃説が初期遺文に思想的影響を及ぼしていることを論じてい
ます。但し『十法界事』には天台・妙楽釈義引用あるのの『一帖抄』
引用がなされていません。それに同書は日蓮教学学術ルールで偽撰
とみなされていますが、顕正居士さんは大崎・興風談所の遺文真偽
鑑定にどのように考えられていますか。椙生流相続をめぐる情念が
鎌倉布教という烈しい行動に駆り立てられたと拝察されます。歴史
は情念によってつくられるのでしょうか。

559文殊:2006/04/09(日) 19:27:48
所詮召合真言禅宗等謗法諸人等令決是非と「諸人御返事」では公場対決の
動きがありましたが、日蓮門下の俊英として三位房日行が選ばれましたが
日行は断ったといわれます。そこで師弟の関係が悪化して日行は教団を
離脱したのでしょう。日蓮は真言禅宗等の諸宗と公場対決で教理の理非を
決して法華一乗に帰伏せしめ日本国一同為日蓮弟子檀那という強烈なまで
の自負がありました。ところが朝幕は日蓮に公式な異国調伏祈祷を招請し
なかった。真言僧を重用したことに憤りがあったと思われます道善房追善
には「報恩抄」に対し俊範には書状の一つもなっかったことは両者に何か
蹉跌があったことではないでしょうか。

560顕正居士:2006/04/10(月) 13:08:24
「本覚」という一語についても真蹟遺文には『八宗違目鈔 』に蓮華三昧経の偈を引用する以外にない。写本遺文に
は相当ある。『総勘文抄』には30箇所もある。真蹟遺文には本覚思想が明確ではない。したがってそれら写本遺文
が日蓮の撰述か否かは疑う必要があります。
しかし真蹟遺文にあらわれた思想が「始覚的」かといえば、そうはいえない。真蹟が存在する『日女御前御返事』に
「此の宝塔品はいづれのところにか只今ましますらんとかんがへ候へば、日女御前の御胸の間、八葉の蓮華の内
におはしますと日蓮は見まいらせて候」とあり、妙法曼荼羅が大日経の心蓮華の説によっていることがいわれる。
両密への批判は教判上のことで、密教が表現しようとした内容はむしろ目指すところであり、ただしその教理的な
根拠は天台の一念三千であるという。
最近は本覚思想と新仏教を対立するものと考える傾向は後退しているようです。
「絶対的な現実肯定の上に立つ本覚法門は、まず密教より極めて大きな影響を受けて成立したというのがひとつ。
しかしながら、現実絶対肯定に立ちながらも、それは修行の意義を見失ったのではないということが第二。最後に、
その観点から新仏教を見たとき、そこには、積極的な思想的差異は認められない」
http://homepage1.nifty.com/seijun/pre-page/11-15/11-15.htm
真蹟遺文には本覚思想特有の表現は見られないが、本覚思想と矛盾する内容もまたない。釈尊の本因行を不軽
菩薩とする俊範の説、無始無終本有の釈迦という心賀の説などは真蹟遺文の内容に一致します。写本遺文の真偽
を思想内容から判断するのは困難であると考えます。

561文殊:2006/04/11(火) 07:35:36
「只管打座・心身脱落」「身心一如」「性相不二」「生死即不二」「生死即涅槃」
「一大法界」「心性大総相の法門」を論じた道元も智邈の諸法即実相論がきわ
まって成立した天台本覚思想と決して矛盾するものではなかったといわれます。
道元が厳しく批判の矢を投じたのは、自性清浄心、客塵煩悩の如来蔵思想の系
譜に成立した『起信論』・華厳系・空海・安然の「心性本覚」思想・心常相滅論
に対してという。「総勘文抄」を本覚思想があるから斥けている現代日蓮教学に
は何かが欠けているかんじがします。

562文殊:2006/04/11(火) 19:50:06
近現代の日本の知識人は禅を欧米の哲学に唯一対抗できるもの、近代の
超克という観点から解釈した。末木文美士氏は「禅研究という枠から出
て、広い思想史・精神史の中で、禅がどのように機能し、またどのよう
に批判されてきたかという問題にも迫ろうとする」(「思想」960)
と対世間に仏教思想を提案する。この末木氏の動きに小川隆氏は「しか
し、禅に何らかの意味の現代性があるとすれば、それは唐代禅なら唐代
の、宋代禅なら宋代の、それぞれの同時代における「現代性」を読み
とるところから考えられるべきではあるまいか」と反論する。この
禅をめぐる関心の高さに比べ、日蓮教学は「思想」のような哲学の
議論に載っていないのは残念です。

563パンナコッタ:2006/04/15(土) 15:14:32
文殊さん、
三世諸仏総勘文教相廃立が、蓮祖の述作としてみられないのは「本覚の如来〜」等の
語彙だけではない為だと思えますね。

【『刊本録内』本書奥には「弘安二年十月日」の年次の記載がある。『境妙庵目録』
『日諦目録』『日明目録』『高祖遺文録』『縮刷遺文』『定本』『新定』はそれに従う。
本書は恵心の『自行略記』覚超の『自行略記註』に多分に依拠しており、
また文中智証の『授決集』が肯定引文されるなど、両師を徹底的に破折された「撰時抄」「報恩抄」以降、
ことにこの時期の書としては疑問がある。本書は成立そのものを疑問視せざるを得ない】
   (御書システムより引用)
写本遺文の取り扱いには、やはり慎重を期した方がよいと思えますね。
欠けていると感じた部分は、現代の研究にこの様な意味に於いての
スタンスがあるためでしょう。

564顕正居士:2006/04/15(土) 17:16:10
「釈迦如来五百塵点劫の当初、凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知しめして
即座に悟りを開きたまひき」は東寺密教の即身成仏の説そのままであり、本行菩薩道の思想
とは矛盾します。偽作でない場合でも、この抄は日蓮の思想そのものではなく、レジメのような
ものではないかとおもいます。

565文殊:2006/04/15(土) 23:51:20
日蓮教学の主流派である立正大学の学術ルールによれば、写本遺文は
慎重を期すべきであり、本覚思想は排除すべきものであるというの
でしょう。これはカルト対策もあり、カルトに陥ることを防ぐために
も日蓮遺文から『総勘文抄』『十八円満抄』『御義口伝』に見る濃厚
な本覚思想を危険視・異端視していると考えます。現に日朗門流から
はカルト系在家教団が出ていません。仏教社会福祉を中心に穏和な活
動を展開している。日本山妙法寺の反戦運動は別に改めて論じます。
確かに関東天台慧心流本覚思想は危険な香りがします。麻薬のような
陶酔感がありますから。但し、私は宗教的実践者であるので、立正
大学の見解には意見を異にしています。『総勘文抄』の後期ロマン派
リヒャルト・ヴァーグナー「トリスタンとイゾルデ」を思わせる流麗
な文体に限りなく魅了されますが。

566文殊:2006/04/16(日) 00:18:16
川澄勲氏の思想的影響は強いと思います。興風談所が石山圏から離脱し、
戒壇本尊にこだわらなくなったのも、川澄神秘主義の刻印があります。
保田妙本寺文書の全容解明は宗門史が大きく薄墨色から緑色に塗り替え
られるでしょう。21世紀日蓮教学は何処に向かうのかを思惟する時、
川澄神秘主義教学は参照され得るでしょう。ただ川澄氏が生前神道から
何故富士石山教学研究に向かったのかについてその動機を独白して欲し
かったとの憾みはあります。

567顕正居士:2006/04/16(日) 02:40:45
文殊さん。
日本天台の教義が色濃くあらわれた遺文には悉く真蹟が存在せず、伝承経路も多くが不明です。
対して確実な遺文では日本天台諸師の説に依らず、智邈、湛然、最澄の釈によって自説を主張
します。相違は明瞭です。しかし問題の遺文群が必ず後世の創作かというと、日本天台の教義
に対する日蓮の態度についてどういう仮説を立てるかに依ります。浅井要鱗師の仮説は台密を
批判した日蓮は中古の教義を用いなかったであろうとする。けれども台密の批判は教判上のこと
です。三師の釈のみに依り自説を主張するのを基本とするが、中古の教義を否定していたわけ
ではない可能性がある。次に田村芳朗師の説は問題の遺文群には日蓮以後に成立した教義が
散見するというものです。
日本天台の本覚思想といわれるものは荒唐無稽な教相を離れた合理的な思索であって、これは
原理主義や教条主義とは反対です。日蓮宗の分派中、最も社会的に問題があったのは不受派
です。本覚思想とは関係がありません。大石寺派の孤立化は日寛師以後、本門宗離脱に至る
期間に進行したもので、牽強付会の自山正統説を基本とし、本覚思想とは無関係でしょう。
中古天台の教義が宗祖本仏論を生じ、宗祖が本仏なんというのは附仏法の外道であるから、
創価学会や顕正会などのカルトが出て来るんだというのは単なる俗説です。

568文殊:2006/04/16(日) 08:57:10
日本天台の本覚思想が荒唐無稽な教相を離れた合理的な思索とのご教示
学恩に感謝します。中古天台が堕落であったとは『天台宗全書』『続天
全』の豊饒な思索の結晶を見てもそれが俗説であることがわかります。
ただ立正大学・興風談所が本覚思想遺文を完全に排除して純正日蓮義を
確立する動きの背景に何があるのかを究明する必要があります。福神系
も真蹟遺文重視の方向をよりいっそう強めようとしているわけです。
『観心本尊抄』よりも『総勘文抄』が何か低く見られているとすれば、
現在の日蓮研究者の影響があまりにも強いというべきでしょう。パンナ
コッタさんがよく引用される興風談所「御書システム」は客観性を装い
ながら本覚思想排除の意図が隠されいると思われます。川澄勲氏も『総
勘文抄』を斥けていたことも重要です。六老門下全体を見ても読まれなく
なっている傾向があります。今起きている教学の動向は真蹟遺文絶対・
本覚思想排除です。教団間の確執の陰影があります。私は個人的には
日蓮は本覚思想を自身の思想的基盤としていたと考えます。佐渡配流時代
に最蓮房との邂逅が再び封印していた本覚思想遺文執筆の動機となった
のでしょう。

569犀角独歩:2006/04/16(日) 09:13:12

文殊さん

本覚思想を斥けているという見方は、わたしは納得できません。
真蹟遺文を基本に日蓮遺文を見れば、そうなっている。ただ、それだけのことです。日蓮に本格的な影響があるというのであれば、確実な資料、すなわち、現存真蹟遺文からそれを証明すればよいだけのことです。

また、最蓮房との邂逅とのことですが、これはどのような確実な資料に選るのでしょうか。

総勘文抄が低く見られることに疑問があるとのことですが、わたしは、むしろ当然のことであろうと思います。日蓮の真蹟でもないものに、日蓮の名を充てて真蹟を装うようなことは、ペテンです。そんな姿勢にわたしは正道を見ません。
総勘文抄が日蓮真蹟であるというのであれば、別です。そのためには、この書が確実に日蓮遺文であることを証明する必要があるでしょう。

本覚に重を置くのであれば、それを何も日蓮に仮託する必要はなく、日蓮を離れて本覚を信仰すれば、それでよろしいのではないでしょうか。
ここの掲示板では、事実究明に重きを置きます。本覚重視、日蓮重視をオーバーラップして、一つのものであってほしいという願望は、その究明を妨げるものであると、わたしは思います。

570犀角独歩:2006/04/16(日) 09:14:21

【569の訂正】

誤)本格的な影響
正)本覚的な影響

571顕正居士:2006/04/16(日) 12:09:49
以下の現宗研への勝呂師の寄稿はすでに何かのスレッドで紹介されたようにおもいますし、
皆さんご存知かも知れませんが、念のために。

勝呂信靜 御遺文の真偽問題
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho32/s32_086.htm

勝呂博士は日蓮宗の方ですが、宗学者ではなく、インド仏教の研究者です。仏教全体という
視点から見ますと、真蹟遺文の思想と問題写本遺文の思想との間に大きな差異は認められ
ないという感想が生じるのでしょう。
文殊さんのおっしゃる幾分の弊風は昭和戦前期の浅井要鱗師の文献学が今、ようやく一般
僧侶に膾炙して来た。しかし現在の研究は天台本覚思想と新仏教を連続してとらえる方向
に行っている。これは田村芳朗師以後の傾向で、研究者は日蓮宗学専門でない方、海外の
方、国史の方、つまり大崎以外の人が多い、学際的でもある。そういうズレがあるかとおもう。
別に批判仏教という禅宗内部の自己批判が一般にかなり読まれたせいもあるでしょう。

ところで問題写本の真撰可能性を主張するためには、何でそれらには真蹟も時代写本もない
んだという疑問に答える必要があります。これは最蓮房諸書がまとめて煙滅した可能性を
いうしかないだろう。最蓮房に関する新史実が何か出てこないと決め手になりませんね。

572パンナコッタ:2006/04/16(日) 18:37:30
文殊さん、概出ですが、
【『法華経』の場合は『法華経』を聞かなければ「無一不成佛」ではなく、衆生が悉く仏の子だと表明しても、
それが既に仏であるとか仏をやどしているとは表明していない。たとい聞法や小善といったことでも菩薩行を要求する。
また『妙法蓮華経方便品第二』の五千帰去は、『法華経』の聞法すらしない者を「退亦佳矣」と退けている。
 あまりにも、東アジアに影響を与えた思想であり、この問題は現代までの日本仏教や今後の仏教のあるべき姿を
考える上で大変重要なことである。 ただ、『法華経』の一切衆生に対して平等に成仏の可能性を説く立場や、
仏子という考え方は、如来蔵思想に影響は与えたかも知れない】

【日本では如来蔵思想が「本覚思想」として仏教の本質をあらわすものと誤解されてきた。それはつい最近までにも色濃くあり、
いまだにそのことに固執する教団や僧侶が少なくない。
 無理もないことである。日本の仏教宗派の多くは鎌倉仏教であり、それらの開祖は比叡山で勉学した。そのころの比叡山は、
中古天台本覚思想が蔓延している時期である。たとえ祖師が本覚思想に染まらなくても、その後の弟子たちが本覚思想にとっぷりつかり、
祖師に仮託した偽書をあらわすということも行われた。そして、それにまつわる口伝が一子相承によって相伝されて来て、
未だにその呪縛を信念としているむきもある。
 あまりにも、東アジアに影響を与えた思想であり、この問題は現代までの日本仏教や今後の仏教のあるべき姿を
考える上で大変重要なことである】
 http://www.kosaiji.org/Buddhism/nyoraizo.htm


教団間の確執は直接関係はないと思いますし、単に、明確な資料をもって
蓮祖に遡れないだけの事で、興風談所にしても排除している気は無い
のではないでしょうか。

それと、日持門下(永精寺さんでしょうけど)、日頂門下(重須北山)は、
今現在、明確な門下形式の教団なのでしょうか?

573れん:2006/04/16(日) 19:36:20
僭越ながら横レス失礼いたします。
三世諸仏総勘文抄については、中山法華経寺三世日祐師の本尊聖教録の写本目録の部にあったと記憶しております。とすれば日祐師の時代=南北朝時代には一応の成立を見ていた書であることは確かだと思いますが、蓮師上代門下の本書に対する記述は祐師のが上限で、蓮師直弟子・孫弟子の記述はと言えば皆無ですから、本書を確実な蓮師真撰文献とする根拠は見当たりません。
身延山には、いわゆる御遺文以外にも蓮師真蹟の膨大な聖教類が曽存した由ですが、もしかしたら、その中には、顕正居士さんの仰るような蓮師によるレジメのようなものがあったかもしれませんが、明治八年の大火で、その聖教全てが灰燼に帰したため不明としかいいようがありません。
最蓮房関係の遺文で、上代門弟の写本が残っているのは立正観抄の身延三世日進師写本のみですから、一応進師本を信用すれば、最蓮房という蓮師門弟は実在した可能性はあるが、最蓮房を対告とした“御遺文”の殆どは後世に最蓮房に託けて作られたものと見た方が自然と思います。

574犀角独歩:2006/04/16(日) 21:58:32

いまざっと数えたのですが、‘本覚’という語彙は真跡遺文では『八宗違目抄』に『蓮華三昧経を引用して、『本覚心、法身常に妙法の心蓮台に住して、本より来三身の徳を具足し、三十七尊 金剛界の三十七尊なり 心城に住したまへるを帰命したてまつる。心王大日遍照尊、心数恒沙、諸の如来も普門塵数、諸の三昧、因果を遠離して法然として具す。無辺の徳海本より円満、還って我心の諸仏を頂礼す』」」と1回使用されるのみです。

それに対して、真跡が確認できない文献ではざっと70以上の使用が見られます。1:70、この差異を深刻でしょう。日蓮が「本覚」語を意識していたとは、とても思えません。

また、田村芳朗師の指摘であったと記憶しますが、そもそも「本覚思想」が云々されるのは、近代のことであって、明治以前にこのような認識があったのでしょうか。
もちろん、「本覚」語が登場する不明遺文類を持って構築された教学はあったでしょう。

確実な日蓮義に有らざるものを持って、信仰を云々することを、わたしはナンセンスと考えます。

575文殊:2006/04/16(日) 23:16:42
田村芳郎氏の所説にたいして、1970年代後半から早大院在籍中の
花野充道氏が「東哲研」に本覚思想肯定説を主張していくことから
始まったといえるでしょう。その花野氏も法華講青年部指導講師と
して教団間抗争に巻き込まれ、東洋哲学研究所と袂を分かつことに
なった。政治的に敗北して八丈島で挫折の日日。その後10年余の
沈黙を破って「道心」誌発行、論文集・印佛研等に学術論文再開し
て再び田村氏批判、盟友の末木文美士氏が花野氏に同調する形で、
現在に至る本覚論争が続いているわけです。

576文殊:2006/04/16(日) 23:37:39
1970年代後半から80年代はじめの富士系教団間の確執はやはり
暗い影を落としています。興風談所系の学僧は花野充道氏と同学です。
同じ仏御飯を共にした仲です。三鳥派について共同研究までしていま
すから。「蓮華」誌を拠点にしていた。それと今では伝説の雑誌で「
慧橙」も。高橋粛道氏の上代文書研究も「慧燈」からはじまった。70
年代は今の大石寺では考えられないくらい自由な言論・公共空間が存在
していました。彼らの政治的敗北は、より深く天台三大部・本覚思想・
上代文書に潜行させることになったといえます。大量濱斥事件は今でも
花野氏をはじめとする石山僧侶にとってトラウマになっています。だから
戒壇本尊真偽問題についても自由に発言しようとは思わないのです。
「道心」創刊号に花野氏はここ10数年の忸怩たる思いをぶつけている。

577文殊:2006/04/17(月) 00:03:21
日持門下は今は日朗門下すなわち日蓮宗に完全に統合されているはず
です。重須本門寺根源は戦前の統合で身延山から学僧・片山日幹氏を
屈請して爾来、牛の像・馬頭観音といった富士系寺院では考えられな
い身延化が進んでいましたが、佐渡から日満系の系譜に連なる本間俊雄
氏が新貫首に入山してから、生御影信仰を全面に打ち出し、薄墨五条
袈裟着用、それに「御義口伝」「生死一大事血脈抄」等のいわゆる本覚
遺文見直しが行われています。れんさんが示唆していただいた「総勘文
抄」南北朝成立説ですが、この時代南朝イデオローグの北畠親房『神皇
正統記』成立を見ても、危機の時代認識に立って自派の正統性を証明・
挙証しようと学僧が腐心していたことが窺えます。

578パンナコッタ:2006/04/17(月) 12:45:57
コピペをミスってしまいましたね。これは失礼しました。

六老僧門下(石山系を別として)は、包括している日蓮宗という認識でよいのですね。

結局、蓮祖の思考を順に考察していくというのではなく、祖師信仰に帰結するための
”教学の資料”という扱いなのですね。

579文殊:2006/04/17(月) 21:00:28
北山本門寺は薄墨袈裟に象徴されるように日興日頂門流回帰の動きがあり
ます。ただ末寺数が少ないので尊門のように日蓮本宗として独立すること
は難しいとは思いますが。生御影と曼荼羅本尊一体三宝奉安で朗門主導の
日蓮宗にあって異彩を放っています。朗門から隆門が出ていますが、同じ
釈迦本仏論でも教理は異質で、隆門は法華宗として日蓮宗には包括され
ないとの共通認識があります。法華宗からは在家色の強い本門仏立宗が
有名です。隆門は要式曼荼羅といって首題と四天王のみ勧請されていて
黒い御影とともに奉安しています。身延とも富士とも全く異質です。
後段のご質問の意味が図りかねないのですが、私の認識といたしまして
は、蓮祖の思考を順に考察していくに際して、遺文御書の選定が果たし
て確実に真蹟が現存している遺文のみに限定して考察するのか、それ
とも写本遺文に外延していくのか、所謂本覚思想真偽未決遺文まで含
めて学術ルールそのものを再考していくのか。現在は大崎の立正大学が
ルールを決めているのです。ゆえに小林正博氏も松岡幹夫氏の東哲系も
学術論文には『定遺』を用いているのです。これに挑戦しているのが、
花野充道氏なのです。知をめぐる権力闘争です。

580犀角独歩:2006/04/17(月) 21:16:38

やや、言葉足らずであったようで、わたしは石山という狭き井中を申し上げたわけではなく、近代の島地大等師・田村芳朗師・ 硲慈弘師等の、件に就き、申し上げたものでした。
それにしても、彫刻にトラウマを懐く程度の者が本覚を云々するなど、片腹痛いというか、お話にならないというのが正直な感想です。

敢えて宣言しておきますが、彫刻の真偽を論じることも出来ない者が日蓮遺文の真偽を云々し、本覚を論じるなど、およそ馬鹿馬鹿しいかぎりであると断言せざるを得ません。
偽物を偽物とい言えないような者が偉そうに何を言っても説得性のかけらもありません。

581犀角独歩:2006/04/17(月) 21:26:06

もう少し、記しておきます。
花野さんは、袴谷さんや、松本さんにいくら鼻息を荒げても、結局、自分はニセ彫刻を担ぐ宗派で、その真偽を言えないわけです。
「挑戦」??するのであれば、1800万人を欺き、金を集めた戦後最大の宗教被害にそれなりの、責任をとらない限り、そんなものは挑戦でも何でもなく、ただの食法餓鬼を一歩も出ません。
「謂徒才能」、才能を惜しむ故に敢えて、わたしは記します。
もちろん、このことは、興風談所諸師にも同様に申し上げます。
わたしは、この点については、いっ差異、破に衣を着せる気はありません。

それぞれの諸師が、この投稿を読んで下さっているのであれば、自分たちの責務をどうか果たして欲しいと念願するばかりです。

どのような崇高な論文を記し、古文書を研究しようと、あの彫刻の真偽を論じない限り、その信用は、耐えてないことを認識していただきたい。
これはトラウマなどというくだらない感情論ではなく、解決しなければならない最大の日蓮への報恩義であると心得ていただきたいのです。

582犀角独歩:2006/04/17(月) 21:28:23

なお、文殊さんには、よろしく、最蓮坊実在の証拠と総勘文抄真筆の証拠を提示いただくことを、ここにお願いしておくことにいたします。
石山門下の下らぬ確執など、どうでもよいことです。

583犀角独歩:2006/04/17(月) 21:46:34

【581の訂正】

誤)わたしは、この点については、いっ差異、破に衣を着せる気はありません。
正)わたしは、この点については、一切、歯に衣を着せる気はありません。

584顕正居士:2006/04/18(火) 01:43:59
>>575
末木さんと花野さんが「盟友」というのは何かエピソードがあるんでしょうか?
天台本覚思想の研究者なんて幾人かしかいない以外に。
末木さんは田村教授の「直弟子」。中国仏教だが、ちょっと後におられたのが
菅野博史さん。花野さんは田村先生の御義口伝講義を聴講生として受講された
そうだから、田村先生の準弟子ということでしょうか。

585文殊:2006/04/18(火) 20:09:24
院生当時、お互い大学こそ違いながらも知己の仲です。
末木文美士氏『日蓮入門』(ちくま新書)あとがきに「いわゆる
日蓮学にはまったくうといので、菅野博史、佐藤弘夫、花野充道、
松戸行雄氏など、日蓮に詳しいすぐれた友人たちに、ごく初歩的
なことまで含めて、さまざまなご教示を頂いたり、議論の相手を
していただいた」と書いています。充道さんも暁雲研究会の講演
で末木氏との交友と業績を述べています。本覚思想擁護でも二人
は一致しています。

586犀角独歩:2006/04/18(火) 21:00:47

文殊さん、ここの掲示板は質問されたことには応えながら、議論をつづけています。
582のわたしの質問並びに、ついでに、あなた自身のあの彫刻に関する見解を披瀝ください。

現段階で、あなたの応答は、自分に都合の悪いことを無視するという、実に不誠実な態度と映じています。まあ、よくある石山門下の対応ではありますが。

あなたもその類の人なのでしょうか。

587文殊:2006/04/18(火) 21:18:15
宮崎英修氏は最蓮房実在説につき「諸説入り混じって未詳の部分が多い」
と疑義を投げかけています。(『日蓮辞典』東京堂出版、昭和53年
78下)末木文美士氏は「ところが、これらはいずれも本覚思想の影響
が強く、近代の研究者によって、『当体蓮華抄』や『十八円満抄』と同
様に偽撰の疑いが持たれている。そこから、最蓮房という人物自体が
いなかったのではないかと考える研究者さえいた。しかし、今日では
最蓮房は恐らく実在したであろうと考えられており、またこれらの遺文
のうちには禄内御書に採録されていたり、古い写本があったりして、その
由来が信頼できるものもある。とすれば、簡単にそれを否定することは
できない。しかし、これらの中には『当体蓮華抄』や『十八円満抄』に
通じるところもあり、簡単に真撰と決定することもできない。このように、
これらはなお今後の検討を要する遺文である」「従来の日蓮論は多くの
これらの疑問のある遺文を無視して、確実な遺文だけでその思想をうかが
おうとしてきた。それはきわめて厳密な態度に見えるが、これらの遺文
にははなはだ興味深い思想が見られ、それを全く無視するのも一面的に
なってしまう」(末木『前掲書』198)

588犀角独歩:2006/04/18(火) 21:26:53


文殊さん、繰り返しますが、自分の言いたいことだけ、単に知るし続けるというのは、どうかと思いますね。

質問に答えたら道でしょうか。

589犀角独歩:2006/04/18(火) 21:31:20

末木さんの言っていることは、ある面、わからないこともありませんが、たとえば、ネッシーに例を採ってみましょうか。

恐竜が現在に生き残っていないとするのは、もっともな意見であるが、そうするといろいろな可能性を塞いでしまう。しかし、実際、いないものはいないのだから、いないと考える以外はないでしょう。

末木さんの論法の欠点は感情論に引きずられて、実際にそれが存在した証拠を何も提示していない点にあります。採用するに足りない意見と捨て去るほかありません。

590犀角独歩:2006/04/18(火) 21:33:52

文殊さんにとっては、最蓮房は、あなたが記してきたことにおいて、いないと困る。
そんな個人的な都合で事実を枉げられては迷惑です。

592管理者:2006/04/18(火) 21:44:46

文殊さん

犀角独歩さんとの議論がかみ合っていません。このまま、投稿を続けられると、当掲示板のルールに抵触します。ご一考お願いいたします。

593管理者:2006/04/18(火) 21:52:50

抵触する可能性を指摘したルールは以下の通りです。当掲示板は話し合いを重んじて戴く事が基本原則です。相手の発言を無視して、自分の言いたい事を書き込み続けた場合、ルール違反として対処する事になります。ご注意願います。

【書き込みの基本原則】

1.意見交換、相互理解の場との主旨から、話合いを重んじてください。

594顕正居士:2006/04/18(火) 22:14:18
最蓮房関係論文
http://www.inbuds.net/search/namazu.cgi?key=%BA%C7%CF%A1%CB%BC&max=20&result=short

中條暁秀、影山堯雄、宮崎英修等の諸師いずれも最蓮房の実在を主張されているそうです。
なお石川修道師が藤原能茂説を唱えておられます。
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/kyouka/03/03_096.htm

595文殊:2006/04/18(火) 22:27:16
管理者さん、犀角独歩さん、投稿が前後して申し訳ないです。
先に顕正居士さんのご返事から書き、犀角独歩さんからのご質問を
順に書く予定でした。途中で所用のためPCから離れたので、意が
伝わることなく大変ご迷惑をおかけしました。私は唱題仏教の実践
を日日行じている在家信徒です。ですから十界互具曼荼羅本尊が
なければ当惑することになります。鬼子母神像に拝むことは私には
できません。でも他門の伝統をここで教義的に批判するつもりは
ございません。掲示板の投稿に際しましても護教論ははさむつもり
はございません。またそうしないよう努力はしていますが、大崎系
の学術ルール設定にどうしても強い違和感があります。真蹟遺文
絶対・本覚思想全面排除には意見を異にしています。この点では
末木・花野両氏に同調しています。私にとって最蓮房はいないと
困る人ではありませんが、「立正観抄」「生死一大事血脈抄」「
諸法実相抄」は当時の叡山の顕教系二大潮流慧心・檀那の思想
動向が窺えますし、凡夫成仏の平等思想があって私にとっては
感じるところが多いです。「感じる」ことがそのまま立正大学の
学術ルールで証明するとなると厳しいです。このことは率直に
認めます。戒壇の大御本尊真偽問題の見解ですが、安永弁哲氏
『板本尊偽作論』「河辺メモ」そして「現宗研」の犀角独歩さん
の学術発表を存じ上げています。ただ私は宗教的に実践していま
すので、では戒壇やめて保田妙本寺の万年救護御本尊を拝みま
しょうかとなるとこれは別な話なのです。誤解あるようですが、
私は大石寺の権威主義的体質とは無縁です。

596一字三礼:2006/04/18(火) 22:46:07
横レス失礼します。

文殊さん。

> 本覚思想全面排除には意見を異にしています。

勘違いされているのか、意図的に論点をずらそうとされているのかわかりませんが、誰かそのようなことを言っておりましたでしょうか。


日蓮の思想を知る上での遺文の資料評価。

1、日蓮の真蹟が存在する遺文を第一次資料として最も尊重する。

2、真蹟がなくとも日蓮と同時代に生きた弟子の写本が存在するものを二次的資料とする。

3、日蓮からかなり下った時代の弟子の写本しか存在しないものは、資料的価値は格段に下がる。

これらの事は、「大崎系の学術ルール設定」でもなければ「立正大学の学術ルール」などというものではなく、研究者にとっては常識ではありませんか。

597犀角独歩:2006/04/18(火) 22:46:52

文殊さん、重ねて問いましょう。

あなたが信仰しているのは、日蓮聖人の教えですか、それとも、それ以降、塗り固められた解釈ですか。

結局のところ、あなたは、わたしの質問に何一つ答えていない。そのような不誠実でしか、守れないあなたの信仰とは一体なんでしょうか。

あなたは、わたしから見れば、至極、日蓮聖人を、さらに日興上人を裏切っていると映じます。

あなたは石山の権威主義とは無縁と仰っていますが、自ら形成する権威主義の殻の中に閉じこもっていませんか。

598顕正居士:2006/04/19(水) 00:15:32
興門八本山はそれぞれ自山を正系と主張して本門宗は総本山を決められなかった。といっても
決して譲れないのが三山で、要山、石山、重須です。それぞれ両巻血脈、戒壇本尊、二箇相承
をもって正系を主張した。この三箇の寺宝ともに問題があるものです。これに加えて日目師譲状、
これらについて創価学会は盛んに教宣活動を行なっています。そのかわりに創価学会の教義が
何なのかもうわからなくなっていますが。日蓮正宗の僧侶も檀徒もそろそろちょっと真面目にこれ
を考えないとまずいと思います。独歩さん仰るように正信会もまだ戒壇本尊については曖昧です。

599日蓮見直し隊:2006/04/19(水) 00:37:08
本来の「法体」とは、法華経の教えの本体、法華経の本質となる教え、所謂法華経の肝心である教えを言います。ですから、「南無妙法蓮華経」は法華経という優れた教え、特に寿量品を中心とした教えへの信心となります。その信心を以て、人生を懸命に修行して真理・真実に至らんとするのです。勿論、法華経の教えを謗る世の中或いは人達の中に交わって、法華経の教えこそ最勝であると「南無妙法蓮華経」と唱えて宣伝するならば、法華経を説かずとも、法華経の哲学を理解するに至らずとも、その功徳はとても大きいでしょう。

ところが、中古天台的な本覚思想に影響された人達、そして彼等が創りだした日蓮聖人の書にあらざるものを日蓮聖人の書と信じてきた人達は、「法体」とは即ち「真理(妙法)」であるからと、前述の「南無妙法蓮華経」を置き換えます。即ち「南無妙法蓮華経」そのものが真理の名称であって、その真理をただ口に出して唱えていれば、真理を悟る身になる、本来自分が仏であることを覚ると、仏教の常識では有り得ない極端な事を言うわけです。ですから、彼等にとっては釈尊も法華経も必要なものではなくなるのです。そして日蓮聖人の教えを、矮小なカルトとしてしまいながらも、最も優れた教えであると自負するに至ります。

日蓮門下にあっても、近代の文献的な研究を尊重せず、或いは日蓮聖人の御遺文を勉強せず、その本来の宗教的・哲学的思想を理解せずして、創価学会と同じようなことを言う僧侶が結構います。まあ、最近は本覚思想に影響されていると言うよりも、面倒な勉強も厳しい実践もしなくて楽だからのようですが。一方で堕落した教えに満足できない人、日蓮聖人の教えを誤解している人達は、心の持って行き場がないので、荒行に入って祈祷を学んだり、或いは慈善活動に傾倒したりしているようでもあります。

以上は転用です。http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/

600文殊:2006/04/19(水) 00:53:26
一字三礼さん、外出していましたのでご返事遅れました。
意図的に論点をずらしてはいません。本覚思想全面排除は浅井要麟氏
以後の近代の日蓮研究者の研究姿勢のことを指して述べています。
顕正居士さんがご教示の勝呂氏論文にも懸念されているように、真蹟
遺文のみの遺文集編纂に見られる本覚思想全面排除・純正日蓮義志向
の思潮は、「一面的になってしまう」(末木『前掲書』198)ので
はという趣旨です。顕正居士さんの先ほどのご投稿にも石川修道氏の
最蓮房実在説が出ているではありませんか。そうなるとやはり蓮祖は
部分的にせよ(唱題行による実修実証がありますから)本覚思想思想
を援用されていたということになりませんか。もちろん、慧心流の本
覚思想とは一線を画します。叡山から決別鎌倉で唱題仏教の教祖とし
て天台宗とは完全に独立した教団を率いたのですから。興師の「富士
一跡門徒存知事」に「スキカエシ」「火に焼き」と仮名文字御書正本
が紛失しているとの記述がありますので、現存真蹟遺文第一主義では
聊かどうかなと思います。立正大学は小樽問答以後、創価学会教学に
対抗するために、釈迦本仏論を護教するために、「凡夫は体の三身に
して本仏ぞかし」(「諸法実相抄」)に見る蓮祖の凡夫本仏義では都
合が悪くなるので本覚遺文はすべて排除という背景があります。第一
次資料尊重は世間の諸学でも仏教学でも常識であることは熟知してい
ます。この日蓮教学の研究者世界では教団間の抗争・反目が激烈である
ので学術ルールの選定に強度の政治的な要素が濃いのです。

601パンナコッタ:2006/04/19(水) 00:57:25
だいぶ脱線してしまいましたが、元は自分が提示した興風談所の資料を文殊さんがお気に召さない事が
原因のひとつなのでしようが、結局、”本覚”にしろ「総勘門抄」にしろ明確な根拠の提示はどれなんですか。

本覚思想が無いければ”ない”で仕方ないし、「総勘門抄」が確たる証拠がなければ、真蹟とは一線を画すのは
当たり前の結論でしょう。今現在、その様な対応をしている。ただそれだけの事でしょう。

自己の(本仏論も含めた)祖師信仰の概念の、根拠がなくなる事に怯えているように思えますが。

602文殊:2006/04/19(水) 01:23:34
犀角独歩さん、私は犀角独歩さんの2005年8月6日の日記に感銘を
受けています。不誠実でも裏切りでもありません。私は宗教的実践者の
立場があり言えることと言えないことがあるのです。独歩さんの本尊研
究は明晰です。数多くの本尊鑑定をしているはずの八木日照氏も内心で
は河辺メモと同じ結論でしょう。八木氏も公言したら総監の地位を失う
でしょう。筆禍事件で左遷された充道さんも今度は濱斥処分です。正宗
の存在意義のためにも、寺院経営のためにも、戒壇本尊を第三者による
鑑定にかけることはまずはないと思います。ある方が他スレッドで証言
されているように戦争中の避難で楠板が腐食、赤沢朝陽さんの復元作業
で最悪の事態を免れたことは蓋然性が高いでしょう。私も何度か戒壇
本尊を間近で拝していますが、700年前にしては表装が新しいとの
印象があります。

603文殊:2006/04/19(水) 01:37:29
パンナコッタさん、投稿が前後しているようです。ただそれだけの事
ではないです。現在日蓮教学の学術ルールを決めているのは立正大学
です。その証拠に『定遺』を引用しなければいけないでしょう。小林
さんも菅野先生も松岡さんも学会版御書ではなくてわざわざ対立関係
にある身延本引用しているでしょう。最初にルールを決め都合が悪く
なったらルール変更も自由にできる立場にあるのが立正大学です。
例えば、石油決済にユーロでなく必ずドル決済、外交会議ではフランス
語でなく英語とアメリカ主導のグローバリズムに近似しています。

604顕正居士:2006/04/19(水) 02:06:35
昭和定本以外に論文に引用できる遺文集はないですよ。学会版って延べ書きでしょう。
仏教学の世界に宗派の対立はありません。それ以前に日本仏教にもう宗派の抗争は
ありません。日蓮正宗(宗務院)が勝手に孤立しているだけです。だから、学力がある
坊さんなら花野師のようによそに通用するし、興風談所の評判も良いではありませんか。

605日蓮見直し隊:2006/04/19(水) 02:29:50
研究者の指摘している「本覚思想」というのは、疑わしき御遺文にある中古天台的な本覚思想のことです。子細に述べれば真蹟も「仏界互具」「教主釈尊は己心の古仏」「凡夫成仏の可能性」を説くのですから、文殊さんが感じているように本来の意味での本覚を否定しているわけではないと思いますよ。

606顕正居士:2006/04/19(水) 06:17:33
浅井要麟師の遺文見直しの提唱は昭和の戦前です。創価学会などと何の関係もありません。
大石寺とも関係ありません。最蓮房諸書や御義口伝はどの派も用いて来たのです。
諸法実相抄の凡本仏迹の説は衆生と仏と体用で本迹を論ずればそうなるに決まっているので
必ずしも室町時代にならないと出ない考えではありません。一念染心本具三千倶體倶用です。
浅井要麟師の説は台密を批判した日蓮聖人が台密と一体的な中古の説を採用しないはずとし、
四重興廃、八葉蓮華、無作三身、五大体大等の説があらわれた遺文を疑問とし、これらには
いづれも真蹟が存在しないと指摘したのです。しかし台密そのものである八葉蓮華の説は実は
真蹟遺文に存在します。四重興廃は台密と一体的な教義とはいえない。無作三身は無始古仏
と差はない語とも考えられる。五大体大は阿仏房書にあり、妙法五字を五輪に配当しています。
真蹟の有無以外に疑問とする理由は薄弱で、台密と一体的な中古の説を採用しないはずという
仮定が問題です。四重興廃の説が日蓮の時代にすでに成立していたのかについては一帖抄の
奥書を信用すれば成立していたことになる。凡本仏迹については述べました。文殊さんが問題
にされるのがこういう内容なら賛成できます。大石寺や創価学会とは何の関係もありませんし、
大崎学報にそれほど特殊な論文投稿規定があるとおもえないし、第一、大崎学報以外に印仏研
そのほかの学術雑誌が存在します。

607顕正居士:2006/04/19(水) 07:08:42
さらにしばしば指摘されるのが妙法曼荼羅は不空三蔵の観智儀軌によっているではないか、故に
台密の批判は教判上のことであると。より正確には蓮華三昧経によっていると見える。

大興善寺三藏大廣智不空譯 妙法蓮華三昧祕密三摩耶經
http://www.suttaworld.org/Collection_of_Buddhist/Successive_Tripitaka/pdf/X02/X02n0204.pdf

本化の四菩薩が存在するのが観智儀軌による法華曼荼羅と異なります。ただしこの経の本文が
成立したのは確実には室町時代とされる。八宗違目抄に引用される本覚讃は通常のと少し異なる。
日蓮の妙法曼荼羅と同時並行的に蓮華三昧経本文、註本覚讃が成立したのかも知れない。
この曼荼羅の中尊は円珍が釈尊の本師と決定した無量寿命決定王如来である。対して妙法曼荼羅
は首題五字七字である。本尊問答抄の冒頭の問答はこのこの辺に関係しているのではないかと思う。

608犀角独歩:2006/04/19(水) 10:02:59

文殊さん

> 私は宗教的実践者の立場があり言えることと言えないことがある

わたしは、このようなお考えには首を傾げざるを得ない。
そもそも、当掲示板で投稿され、かつ富士門信徒を自負され、しかも、わたしの如く、彫刻本尊を批判する者は、では、あなたから見ると、宗教的実践者ではないと映じるのでしょうか。言えることと言えないことを分けて実践を嘯くなど、歯に衣を着せぬとして申し上げれば、まさに似非実践者ではないでしょうか。

今回、奉安堂で「御正骨拝観」が行われたそうですが、こんなものが本物であるわけはありません。後ろに奉安される彫刻も偽物、最初仏も、灰骨も、一切合切偽物でしょう。
こんなところに登山をして、それが偽物であることを知りながら、「言えないことがある」ということが、宗教実践であれば、お化け屋敷の営業と異なりません。
わたしは、ここに正直な信心を見ません。

なお、誤解があるようにお見受けしますので申し上げますが、当掲示板における一連の疑儀書に関する批判は、本覚批判と連動しているわけではありません。大崎学派とも連動していません。
では、何に連動しているのか、確実な資料から見られる事実と連動しているのです。つまり、真跡遺文です。浅井説に拘泥するものではありません。

パンナコッタさんもあなたに問うていますが、総勘文抄が確かな遺文であれば採用します。諸法実相抄も同様です。しかし、大概、これらのものを援用しようとする人々は、真跡主義の批判は盛んに行うことでこれに対抗しようとしますが、実際のところ、これら疑偽書が真筆であることを証明する証拠や理論を提示することがない。一連のあなたの投稿もやはり同様です。学派間の立場の相違、争いに収斂して、話をごまかしています。

あなたは、たいへんな学識を有し、宗教的実践を信条とされるのであれば、日蓮聖人の真実に基づいて語ることこそ、真の実践といえるのではないでしょうか。わたしの彫刻鑑別に同意をいただけるのであれば、もはや、そこに真実がないことは明白ではありませんか。

日蓮聖人は、(たぶん自作の)釈迦立像を持仏とされ、拝んでいらっしゃった。そのお像にお題目を唱えていたのではないでしょうか。この事実は石山門下には受け容れがたい事実であり、また、仏像を拝むことには大きな抵抗があるでしょう。しかし、この抵抗こそ、日蓮その人と、自負する信仰の相違・異轍であることはもはや動かし難い事実です。

彫刻が偽であることを「言えない」こととして、日蓮御立の法門に非ざることを実践するのが、果たして日蓮に名を借りた宗教実践といえるかどうか。当掲示板は役に立ちます。再考されることをお薦めします。

609きゃからばあ:2006/04/19(水) 10:13:24

横レスすみません。
文殊さん、はじめまして。
ひとつだけ教えてください。

>603
筆禍事件で左遷された充道さんも今度は濱斥処分…。

濱斥処分は驚きました。
いつの事なのでしょう。またその理由は?
スレッドに関係ありませんが、よろしくお願いします。

610きゃからばあ:2006/04/19(水) 10:20:21

訂正
誤 >603
正 >602

611通りすがり:2006/04/19(水) 11:16:48
>>609
横レスですが、花野先生の「濱斥処分」とはきゃらばあさんの読み違いだと思います。

603には
「数多くの本尊鑑定をしているはずの八木日照氏も内心では河辺メモと同じ結論でしょう。八木氏も公言したら総監の地位を失う
でしょう。筆禍事件で左遷された充道さんも今度は濱斥処分です。」

となってますので、あくまでも仮定の話(しかも予測)で書かれたんだと思います。

612きゃからばあ:2006/04/19(水) 12:13:38

通りすがりさん。ありがとうございました。
どうやら私の読解力の無さを知らしめてしまいました。
みなさん、御迷惑をお掛けしました。

はっずかし〜っ!!

613文殊:2006/04/20(木) 17:34:15
犀角独歩さんのご指摘真摯に受け止めています。久遠寺第三世日進写本が
ある『立正観抄』は真蹟曾存蓋然性が比較的高いと思われますので、少々
考察を試みます。京都出身の最蓮房が叡山の止観勝法華劣新義の動向と教
判を求める書簡を日蓮に出した。この最蓮房なる天台学僧の書簡正本は存
在していないのですから、何ともいえませんが・・この書簡に日蓮が眼を
通して法華経と止観との同異を決したと伝えられています。この『立正観
抄』制作当時に、「将又、世流布の達磨の禅観に依るか」とありますが、
対破者は「みずから達磨宗と称し、日本天台が取入れた北宗禅にたいし、
教外別伝の南頓禅の新風を、わが国に鼓吹した」(田村芳郎「日本天台
本覚思想の形成過程─とくに宋朝禅との関連について─「印度仏教学研究」
昭和37年)大日能忍を特定するのか、それとも栄西かそれかなぜか現存
真蹟遺文に言及されていない道元なのか、後世偽作とすれば等海「宗大事
口伝抄」にインスピレーションを偽作者が受けたのかという疑問が生じま
す。日進写本の書誌学的考察はれんさんお願いできますか。

614れん:2006/04/20(木) 21:51:36
「立正観抄」身延三世日進師写本には奥書に「正中二年乙丑三月於洛中三條京極最蓮房之本御自筆有人書之今干時正中二年乙丑十二月二十日書写之也 身延山元徳二庚午卯月中旬重写也」「立正観抄送状」同師写本奥には「正中二年乙丑十二月廿日 今元徳二年庚午卯月十二日於身延山久遠寺重写之也」とあります。この奥書によれば、日進師が、京都三條京極において最蓮房之本(最蓮房所持本の意?)御自筆(蓮師自筆?)をある人が正中二年三月に書き写した本を日進師が得て同年十二月に書写し、元徳二年に身延山にて重ねて写本を作成したという文意になりましょうか。
有人が誰か特定出来ないため、日進本の底本が誰の筆かわからないのが残念ですが、鎌倉末期の正中二年には洛中・三條京極において最蓮房之本・御自筆と称する「立正観抄」ならびに同書「送状」が現われたことは確かでということであろうと思います。
この日進師の奥書を信用するならば最蓮房は実在し、蓮師から「立正観抄・同送状」を贈られたのは史実とみてよいのではないかと愚考します。

615文殊:2006/04/21(金) 00:01:39
れんさん、学恩に深く感謝します。この日進師写本奥書は貴重な史料です。
蓮師は東陽房忠尋(1065-1138)の「法華玄義見聞」に見る四重興廃義を
存知していたことになります。忠尋は真蹟遺文「大田殿女房御返事」(
中山法華経寺)「但天台の第四十六の座主・東陽の忠尋と申す人こそ
此の法門はすこしあやぶまれて候」「然れば天台の座主の末をうくる人」
と評されています。蓮師が著述の際に批判的な見地からであっても参照
していたことは確かということになります。「当世の学者」が「天台己
証の妙法を習い失い」「禅宗の一門」の「松に藤懸る松枯れ藤枯れて後
如何」「上らずして一枝なんど云える」公案を「深く信ずる」状況が
記述されていますが、田村芳郎氏が示教されるように叡山に禅宗が急速
に流入し、「それが形にあらわとなってくるのは、俊範の弟子の静明
あたりからであろうと想像される」(「前掲論文」)つまり、日蓮と同学
の静明が円爾弁円(1202-1280)に師事し、弁円の教説に「感服おくあたわ
ざるもの」があって、四重興廃義の成立を見ると論じています。そうなる
と蓮師が俊範─静明椙生流と完全に袂を分かち、終生禅に染まった叡山に
批判的であった理由が分かります。

616文殊:2006/04/21(金) 00:40:37
追加ですが、「送状」では最蓮房に「問答有る可く候か」と天台宗に
問答をすすめていますが、蓮師は天台最新義に強く関心を示し、京都
からの手紙で叡山の動向を記した手紙を読んでいたことになります。
どうしても真撰が証明されず最蓮房も実在しないとなると、「立正観
抄」制作者・制作集団は、禅宗の急速な拡大に神経を尖らせていたこと
になります。偽作にも強い執筆動機がなければ書けないはずです。
日有師が甲州で禅宗と交渉した経緯がありますが、どうなのでしょう。
話は問題の「総勘文抄」に変わりますが、系年が弘安二年十月になって
いますが、果たしてその事情は奈辺にあるのでしょうか。天台宗と確執
が頂点に達した熱原法難の時期に重なります。智証のことを「先徳大師」
と。偽撰にしては、この撰述者の制作意図が見えてこないのです。

617犀角独歩:2006/04/21(金) 01:10:45

文殊さんは、日蓮が全集に関心を寄せた時期を一体いつ頃であると考えているのでしょうか。
俊範から日有と話が、あまりに2次元過ぎて、時系列が意識されていないように思えますね。

なお、総勘文抄の件は、答えを待つこととします。

618犀角独歩:2006/04/21(金) 01:11:30

【617の訂正】

誤)日蓮が全集
正)日蓮が禅宗

619顕正居士:2006/04/21(金) 19:30:28
わたしは立正観鈔送状はたいへん疑問の書だと考えます。

「己証既に前方便の陀羅尼なり、止観とは説己心中所行法門と云ふが故に、明かに知んぬ
法華の迹門に及ばずと云ふ事を。何に況や本門をや。若し此意を得ば檀那流の義尤も吉なり」
檀那流の義というのは「檀那流には止観は迹門に限る」と前にあります。

止観は奪っていえば爾前である。与えていっても迹門である。止観は玄文に劣ることになる。
これは日蓮の思想と全く整合しない。玄文には百界千如しかなく、真の一念三千は明らかではない。
それは止観の正修章にのみある。そして依文は寿量品である(智論ではない)というのが一貫した
日蓮の思想である。

写本の検討が必要だとおもう。もっとも写本の時代性が確認されても、こんなに混乱した内容は
真書とおもえないし、かえって上代だからこその偽書であろうとおもいます。

620文殊:2006/04/21(金) 21:54:07
犀角独歩さん、真蹟遺文に見る禅宗対破は「安国論御勘由来」(中山
法華経寺、47歳)を以って稿矢と為すと思われます。大日能忍は
法然とともに「二人の増上慢の者」として指弾されています。一時
日蓮から寵愛を一身に受けていた三位房日行に対する「法門申さる
べき様の事」(中山法華経寺、48歳)に「叡山の正法の失するゆえ
に大天魔・日本国に出来して法然大日等が身に入り」「名は天台真言
にかりて其の心も弁えぬ高僧・天魔にぬかれて」「禅は・はるかに天台
真言に超えたる極理なり」この時点で日蓮は叡山教学が急速に禅宗に
よって席巻されていることを存知していたことになります。

621犀角独歩:2006/04/21(金) 22:20:38

文殊さん

620のごとく時系列であるとすれば、日蓮が俊範のもとに学んだ時点で禅を云々する根拠は崩れると思いますが、この点が如何でしょうか。

622文殊:2006/04/21(金) 22:35:02
犀角独歩さん、「総勘文抄」真偽問題についてですが、「録内御書」に
分類されていますが、このことは全くの偽書と断定できるのかという問
題が生じます。偽書と断定するならば「総勘文抄」は系年も含めて、なぜ
大部の天台系文献を駆使して誰に、何の目的のために(自山宣揚のため
とか、京都布教で山門衆徒と対立関係にあり理論武装に必要だった)わざ
わざ宗祖に化託して「偽書」をこしらえたのか?源信の「自行略記」を
底本にしているといわれます。手元にありませんので、厳密な校本対合は
顕正居士さんにお願い致したいのですが。在家の素人教学ですが、私なり
に「総勘文抄」を読んでみまして「然るに宿縁に催されて生を仏法流布の
国土に受けたり。善知識の縁に植いなば」の「善知識」に着目してみまし
た。「三三蔵祈雨事」(大石寺、54歳)に「されば仏になるみちは善
知識にはすぎず」「善智識たいせちなり」「一眼のかめの浮木に入り」
に照応するのです。「本覚」の用語はともかく、「善知識」の重要性を
説示するところは真蹟遺文とも思想的な整合性があると考えます。

623文殊:2006/04/21(金) 22:45:32
犀角独歩さん、投稿が前後してしまいました。京畿遊学中に禅宗を
強く意識したという遺文は現時点では新史料が発見されていません。
日蓮が40代のとき、当時の最側近三位房を通じての情報によるもの
が大きかったのではないでしょうか。50代で最蓮房なる天台学僧の
「音信」を通じて「禅勝止観」義を知ったということでは。

624犀角独歩:2006/04/22(土) 07:10:24

文殊さん、二点。

一点。わたしを含めて皆さんは、総勘文抄を、正確には『三世諸仏総勘文教相廃立』というべきでしょうが、この書を直ちに偽書であると言っているわけではありません。真跡を遺さない故に日蓮の教学の定規にすべきではないといっているのです。これは真跡主義全般に言えることでしょう。

日蓮その人の教学を知るうえで定規とすべきなのは、第一に注法華経であり、次に真跡遺文である、これらを基準にして、いわゆるその他写本と言われるものを考えるということです。真跡のみを取るか・御書全体を取るかといった選択論ではありません。あくまで基準を何に定めるのかという人文科学的、書誌学的判断です。

ですから、先より話題になっている「本覚」ということならば、真跡:写本=1:70という著しい使用頻度の差異があれば、この考えを日蓮は採用していなかったという判断が至当なものであることになるという次第です。

この書を文殊さんは、読み直してみたうえで、真跡の可能性を『三三蔵祈雨事』のことからさぐったというのが直前のご投稿の意味でしょうか。

わたしはこの書の冒頭「夫一代聖教とは総て五十年の説教なり。是を一切経とは言ふなり。此を分かちて二と為す。一には化他、二には自行なり」、この一節だけでも、二つの問題を感じます。

一つは「総て」という語の用法です。この用例は、真跡遺文から見るとき、『日妙聖人御書』(文永九年5月25日 51歳)に一度、「総(總)て」と使われていますが、他にはないようです。「總」の字の使用数は、ざっと数えただけですが、70余り、多くの使用法は「総じて」また、総罰といった漢成句の冠頭での使用です。つまり、日妙に宛てた書の「総て」は真跡遺文中では特例に属します。日蓮が「すべて」と書く場合の用例は「都て」で、真跡遺文中では、だいたい20の使用例があります。それにも拘わらず、総勘文抄では「総て」を使っています。やや首を傾げざるを得ません。

もう一つは「一切経…化他…自行」ということです。日蓮の一切経分類は「一代五時」であり、曽存に枠を広げれば内外大小顕実本迹と言ったものです。自行・化他という分類は見ません。語句として、真跡遺文の自行の使用例は3箇所、化他は2箇所で、しかも自行・化他という相対で使用されているものではありません。つまり、真跡遺文から見る日蓮義では一切経を自行・化他に分かつという分類はないのです。

さらに一つを加えれば、そもそも題名の『三世諸仏総勘文教相廃立』の‘廃立’ですが、この用例は、真跡遺文では、ただ1箇所のみ、それも『浄土九品事』で「諸行を廃して念仏に帰せんが為に而も諸行を説くなり」ということを廃立といい、これは廃立・助正・傍正という浄土教学の3分類の説明に使用する語です。それが総勘文抄ではまったく違う意味によって題名とされています。

以上、冒頭の1行を取っても、この書が日蓮真筆であるということを、わたしは訝しく考えます。

2点め。日蓮の禅の認知ということですが、この点を考えることについても二つに分かち、記します。

一つ。先の投稿で、文殊さんは日蓮(蓮長といったほうがよいのかもしれませんが)が俊範に師事していた段階で禅を認知していた如く論じていましたが、これは先ず有り得ないでしょう。ただし、38歳の『守護国家論』の段階で「禅宗」という表現をされています。ただし、ここでいう「禅宗」は、現在で言う○○宗といった宗派分類とはニュアンスが違うでしょう。

もう一つ。日蓮が禅を意識するのは、北条家が大陸から禅師を迎え、それが武家に伝播し、鎌倉仏教の新主流になっていった危機感にあるというのが、わたしは至当な見方であると考えます。つまり、日蓮が言う禅とは、この禅を指すのでしょう。この時期は、日蓮が流地から鎌倉に戻った頃ではないでしょうか。この認知は、別段、三位房、最蓮房という人々を引き合いに出すまでもないことであろうと思います。

重要な点は、日蓮が四箇格言などといわれる念仏・禅・真言律と論じるとき、その教義比定もさることながら、常に、具体的な人間を意識していたということです。その意味において、実に日蓮は人間くさいと、わたしには思えます。

なお、日蓮の禅批判は、仰るような最蓮房「禅勝止観」などということではなく、禅天魔の所為とは「教外別伝」を以て捌くのが日蓮の在り方です。

625犀角独歩:2006/04/22(土) 15:42:38

ちょっと、補足します。

> 日蓮が四箇格言などといわれる念仏・禅・真言律と論じるとき…具体的な人間を意識

これは要するに、日蓮がライバル視というか、批判の対象とする人々という意味です。
法然、良観等の類ということです。

626文殊:2006/04/22(土) 18:34:50
「三世諸仏総勘文教相廃立」は弘安二年十月との系年になっていますが、
なぜ農民信徒斬首事件の渦中にあってかくも冷たい思索に終始しているの
かは私にとって長年の疑問です。「なごへの尼せう房・のと房・三位房」
(「聖人御難事」十月十日、中山法華経寺)「種種の秘計を廻らし近隣の
輩を相語らい遮つて跡形も無き不実を申し付け」(「滝泉寺申状」十月、
中山法華経寺)と緊迫していた状況でした。この時は三位房の離反事件
があり、京畿遊学経験の三位房に代わって、関東天台出身の日興が頭角
を現した時期でもあります。苅田狼藉事件農民信徒逮捕拘留にあって、
日蓮が源信の「自行略記」を参照しつつ「総勘文抄」を「執筆」して
いたと仮定すれば、「善知識」(日蓮は教団内の秩序として「師弟」義
と同じ意味で用いていたと考えます)の重要義を説示したのでしょう。
但し、「総勘文抄」のどこからどこの部分が「自行略記」からの引用
であり、肝心の日蓮の独自思想はどこにあるのかは、「自行略記」と
の厳密な検証が必要です。さしあたり、私は結論部分に着目してみた
のです。「春の時」「風雨の縁」「秋の時」「月光の縁」「三世の諸仏と
一心に和合して妙法蓮華経を修行」師匠の日蓮に従って一心に唱題
行に励むならば成仏できる。これを知るを本覚・仏であり、これに
迷うを無明・凡夫であるぞよ、いかなる障り(法難)も日蓮とともに
乗り越えていこうとの趣旨でしょうか。犀角独歩さんのような明晰・
合理的な書誌学的考察には及びません。「總」の用例については思い
もつきませんでした。長くなるので続きは数時間後に改めて投稿します。

627文殊:2006/04/23(日) 00:12:08
「一に諸行を廃して念仏に帰せんが為」「二に念仏を助成せんが為に」
「三に念仏諸行の二門に約して各三品を立てんが為に」(「浄土九品の
事」)「難行易行・聖道浄土・雑行正行・諸行念仏、法然房の料簡は諸
行と念仏と相対なり」と「此れを分かちて二と為す。一には化他、二
には自行」(「総勘文抄」)の二分法論理と「法然房の料簡」とがあまり
にも酷似していることが分かりました。「浄土九品の事」(西山本門寺)
という普段では滅多に読まれない遺文を引用される犀角独歩さんに、
並ならない教学センスを感じました。「廃立」の論理が浄土のロジック
であることを。問題の「本覚」の真蹟遺文に見る用例ですが、「八宗
違目抄」(京都妙顕寺)に「華厳宗は一念三千の義を用いるや」の問い
に対して経証として蓮華三昧経の「本覚心・法身常に妙法の心蓮台に
住して本より来た三身の徳を具足し」と並列的に挙げているのみです。
「八宗違目抄」のみが「本覚」であれば、まさに本覚思想であるとい
うことはできないです。では始覚思想かといえばそうでもない。「心の
月くもりなく身のあかきへてはてぬ、即身の仏なり・たうとし・たうと
し」(「光日尼御返事」小泉久遠寺)「日女御前の御胸の間・八葉の心蓮華
の内におはします」「日女御前の御身の内心に宝塔品まします」(京都
本能寺)と女性信徒に対する教導に本覚思想を部分的に援用していた
と考えます。然し「新田殿御書」にあるように「経は法華経・顕密第一
の大法」「仏は釈迦仏・諸仏第一の上仏」「行者は法華経の行者」の三事
相応が檀那の一願成就の前提と為すので、中古天台とは完全に一線を画
しています。「新田殿御書」(大石寺)は大石寺では忘れ去られていま
すが、「21世紀日蓮義」再構築に向けて手がかりになる真蹟遺文では
ないでしょうか。

628犀角独歩:2006/04/23(日) 09:17:37

文殊さん

少し遡りますが、

> 録内御書

録内と言っても、その編纂は蓮祖滅後100年以上を経てのことですから、まあ、録外より信頼度は高いけれど、その程度の基準にしか今はなっていないわけでしょう。門下伝説としては、蓮祖三回忌かなんかで行われたと言われてきた。しかし、実際は100年程あとのことであった。2年と100年ではこれはずいぶんと信頼度は違ってきます。真偽の判断基準にすることには躊躇いが生じることになったのでしょう。

また、今成師のご指摘であったと思いますが、たとえば『如説修行抄』を師は偽書であると断定されるわけですが、では、それが造られた時期はいつ頃かと言えば、日蓮在世であるというわけです。この説にわたしは吃驚させられましたが、しかし、あり得ないことではないと思います。日蓮は虚御教書には悩まされたようですし、偽書との格闘は既に在世に始まっていたと見るのは至当であると思えるからです。

日興の遺言であるとされる『日興遺誡置文』に

 一、御抄何れも偽書に擬し当門流を毀謗せん者之有るべし、若し加様の悪侶出来せば親近すべからざる事。
 一、偽書を造って御書と号し本迹一致の修行を致す者は師子身中の虫と心得べき事。

という2項がありますが、仮にこの置文が本当に日興によるとすれば、蓮祖滅間もなく、このような事態が生じていたことを物語っています。それが仮託であったとしても、録内編纂の頃には、既にこの事態は生じていたのではないでしょうか。わたし自身は、この100年の間に録内に突っ込まれたいま現在信頼されている写本にこそ、慎重になっています。特に日興写本には神経を払います。より具体的に言えば、真蹟を残さない日興写本を手放しでは信頼していません。その代表が『本尊問答抄』です。「末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや。答へて云はく、法華経の題目を以て本尊とすべし」という一節を真蹟遺文の次に置く理由もここにあります。

偽書問題は、日蓮門下一般のみの問題ではなく、当時の日本全般の出来事であったのであろうと推測されます。

> 偽書…誰に、何の目的のために…わざわざ宗祖に化託して「偽書」をこしらえたのか?

真偽問題を考えるとき、わたしは、このような「推理小説まがい」と言えば失礼かもしれませんが、疑義の立て方はかえって事実を探る邪魔になるものであると考えます。

以前も例に引きましたが、わたしが件の彫刻を北山所蔵の日禅授与漫荼羅を原本とし臨模・作為した模造品であると断定したとき、やはり、同じような視点から。わたしの鑑別を批判した人がいました。「なんで日禅授与漫荼羅を使わなければならないのか、北山にあったものをどうして、原本にできるのか、その点が説明されなければ採用できない」というわけです。

目的とか理由など、知る由もありませんが、しかし、日禅授与漫荼羅と石山彫刻の二つを比較するとき、画像として相似しているのは動かぬ事実です。つまり、捏造の経緯や、動機などがわからなくても、相似していることは一目でわかることです。
北山所蔵の日禅授与漫荼羅と酷似していると言うことは、要は石山所蔵の同漫荼羅は、北山のそれと酷似していることを意味するのであって、そのことから、いまは石山所蔵となっている同漫荼羅を原本としたという結論に達することになります。別段、その捏造動機など考慮する必要はありません。

翻って当て推量で申し上げて恐縮ですが、文殊さんが『総勘文抄』について、偽書仮託の動機を挙げることは、これは裏返せば、ご本人の信念体系から、この書が偽書であっては困るという“事情”があるからではないでしょうか。この点は本覚論についても、言えます。

そもそも真偽を云うときに証明の義務を追うのは偽を言う者であるというより、真を言う者であるというの世間の常識です。「本人であることを確認できる証書を提示してください」とか、「鑑定書はありますか」といった形で、一般社会では常に真である証拠の提示を求められます。

ところがおかしなことに、殊、日蓮、もっと言えば創価学会を含む石山圏という信念体系ではまったく逆のことを求められることになります。そして、肝心の真を証明すべき彫刻であるとか、文献類に関して、その真たる証拠を求めると、あろうことか逆に「偽であることを証明しろ」と開き直る始末です。何をか言わんやとは、このことでしょう。

629犀角独歩:2006/04/23(日) 09:20:06

―628からつづく―

では、このような開き直りが(文殊さんの622のご投稿が「開き直りである」というのではなく、石山の開き直り論法に引っかかっているのでないのかという憶測ですが)何故、起きるのか、それは、それまで、自分が信じてきたことに対する執着があるからではないでしょうか。これは文殊さんのことを申し上げると云うより、わたしの自分史がそうであったから、そう記すわけです。しかし、この掲示板にいたり、議論に徹底してつきあってくださる皆さん、特に問答名人さんの学恩によって、過去半世紀近くも自分が信じていたことを変えられない自分とは、抑もいったい何なのか、信仰に対する強い思いがあるからかなどと自己分析もしたわけです。結局のところ、自分が信じてきたことを批判されることに対する拒絶反応に原因があると考えられるわけです。先にも挙げた今成師の摂折論争の現場で顕本法華宗辺りでもたいへんなものがあったわけですが、ここでも守られようとしているのは、日蓮とその教えであるという見かけがありながら、実のところ、それぞれ、自分が信じていることに対する執着とそれをいじられることに対する憤りがその奈辺で蠢いていると観察できたわけです。

しかしながら、例を日蓮に採れば、権実を云うに、そこで権(かり)を簡んで実を取ると言う、それは正直捨方便ということでも善いのですが、結局のところ、事実、真実を採るというところにその精神があるとわたしは観察します。

日蓮は法華題目の人というのは建長5年以降の話なのであって、子供のときに清澄寺に上った善日麿(薬王麿?)は後に出家して蓮長となっても、そこで修学していたことに信仰があったわけでしょう。それが普賢信仰であったのか、称名念仏であったのか、あるいは真言混交の日本天台の当時の教えであったのか杳としていますが、ともかく、幼少より培った背景の信仰があったのでしょう。しかし、日蓮はそれを捨て、真実を選ぶ道を採ったわけです。法華真実は真実かという今日的な課題はありますが、しかし、日蓮の姿勢は、真実を正直に選ぶという姿勢で一貫されていた。わたしの日蓮観はここにこそあります。日蓮は真実を信仰する実践者であったと考えます。真実・事実の探求と、その信仰です。わたしは、この日蓮の姿勢を信仰します。なぜならば、近代の真理探究という精神との、類型を見るからです。

ところが、現在の石山門下の人々は、真実を信仰しているわけではなく、反って、それどころか真実の探求に眼を瞋らせているわけです。何故か。結局、それは自分信じていることを真実であって欲しいという執着を脱し得ないからでしょう。結局のところ、真実を探求することより、自分が信じきたこと、実践してきたことを信じるという主客転倒に陥っているように見受けます。

日蓮が信じていたものは、現代の科学のもとでは次々と解体され、相対化されました。しかし、わたしは真実の探求者、その実践者であろうとした日蓮の精神は、それでも評価に値するところを大きく残していると考えています。真実の探求、真実の実践こそ、日蓮の魂なのだということを、いわば、21世紀の日蓮の根本に据えるべきところではないのかという思いは、わたしの心中では信念信条となりつつあります。当スレは空即是進化さんのご提案によって開始され、しばらくで1年が経過しようとしていますが、わたしの日蓮観は、そのお陰をもって、一つの方向性を見出すことができた次第です。

630犀角独歩:2006/04/23(日) 09:20:44

―692からつづく―

なお、本覚論ということについて、一言すれば、そもそも日蓮にはそんな認識はなかった、始覚も本覚も意識などしていなかったという実状ではないかと思います。先に記しましたが、本覚が一つの判断肢になるのは、近代の島地大等師以降のことなのであって、日蓮のあずかり知らないことでしょう。もちろん、現代から見て、日蓮の学風は、いったい、どこに分類されるのかという学術研究は可能です。しかし、いまの本覚眼からの日蓮解釈というのは、上述したような“執着”ばかりが鼻につきます。

要は真実は何かということを、いったん、自身の信仰執着から離れた視点から冷静に観察しない限り、この正確な認識は困難でしょう。そして、そこで判断基準になるのは注法華経、真蹟遺文、まあ、敢えて加えれば曽存ということになるのでしょう。石山に永らくいると、この判断肢が、それまで学んできてしまった写本に対する執着が邪魔をしますし、何より彼の偽物4点セットを否定もできないという“しがらみ”もからみつきます。結局、せっかくの学識、努力を払っても、真実を語れないというお気の毒な結果になるのが、先に文殊さんが尊敬を払って紹介された石山学僧の有様ということではないでしょうか。尤も4点セットに関しては正信会も同様で、故に、わたしなどより、遙かに研鑽、研究もしている御仁たちに、真実を探求と実践を生涯の課題とした日蓮の魂への信仰の原点に還れと言わなければならないことになるというのが、当掲示板での、わたしの発言という殊にならざるを得ないことになるわけです。

それにしても、文殊さんは「素人在家」などと自己紹介されていますが、わたしは平成初頭から数カ年、教学部と、石山宗務員内事部『大日蓮』編集室から仕事を請け負っていたので、その周辺の人々はそれなりに知っているつもりではいましたが、あなたのようが学識のある方がいらっしゃることには遂に気づけなかったのは残念でした。もう少し、早く出会いたかったと今般、思ったものでした。

長くなりましたので、627については改めてとさせていただきます。

631犀角独歩:2006/04/23(日) 09:25:36

【630の訂正】

誤)わたしの発言という殊
正)わたしの発言ということ

誤)あなたのようが学識のある方
正)あなたのような学識のある方

632文殊:2006/04/23(日) 22:26:53
「真実・事実の探求と、その信仰」「近代の真理探究」犀角独歩さんの
ご意見に賛成します。21世紀初葉現代日本にあって求められるもの
なかんづく板本尊神話・聖地信仰が瓦礫となり「荒地」となった石山
圏にあって伝統教学の何を捨てなければならないのか、漢字文化から
急速に離脱しつつある次の世代に何を遺していくのか、来るべき21
世紀中葉に向けて日蓮遺文の真実を語り継いでいくのか、行動的思想
家犀角独歩さんの思索は豊饒なイマージュに富みます。

633文殊:2006/04/24(月) 19:21:39
仏教各宗で最も尖鋭的な研究がなされているのはおそらく禅でしょう。
伊吹敦氏の禅の通史は伝統的な解釈を一変させた。高柳さつき氏は道元
抜きの兼修禅としての日本中世禅の見直しを行っている。また道元解釈
も禅僧・哲学者の往復公開書簡を通じて矢継ぎ早に斬新な解釈が生産さ
れている。日蓮がなぜ「教外別伝・不立文字」の大日能忍に批判を向け
たのか。密教禅兼修の栄西でもなく、純粋禅の道元でもなかったのか。
近年禅研究の急速な進展は、日蓮による禅対破の意味を改めて問うこと
になると思います。日本思想史に禅を位置付けようと試みる末木文美士
と参禅体験でなく徹底した中国語文法による読書仏教で中国禅の「同時
代の現代性」を犀利に追求する小川隆氏の論争。欧米における鈴木大拙
受容をめぐるオリエンタリズムと知的刺激に満ちている。浄土に目を転
じても、日蓮は親鸞をなぜ引用することなく法然破折に終始しているの
か。これもまた不思議といえば不思議です。

634文殊:2006/04/24(月) 19:33:29
末木不美士氏でした。敬称略してしまい失礼しました。
「第三文明」5月号には末木氏最新著「仏教vs.倫理」をめぐる
インタヴューが掲載されています。「理解不能の「他者」と出
会ったり、想像を絶するような出来事と遭遇したとき、それまで
の<人間>の倫理では収まりきらない部分が出てきます」
「そうしたルールからはみ出したところを扱うのが、宗教だと
思うのです」「人間の内面には、嫉妬や憎悪、あるいは殺意と
いった感情も含まれています。近代はそうした心を抑圧してき
ました」「その点、宗教は人間の善悪両面を見据えたうえで成
り立っています」

635犀角独歩:2006/04/24(月) 22:27:13

文殊さん、つかぬことをお尋ねしますが、末木さんを評価される理由は何でしょうか。


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