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井戸端すれっど「山門前」
58
:
犀角独歩
:2002/06/04(火) 12:28
モモさん:
> 「御内拝の実感とはカルトの心理技術だ」
これはまったく違います。個人的リアリティと事実は別であると言いたいのです。
どんなに感動・感激を与えるものであっても、その個人的な心理は、事実を説明することにはならないということです。
残念ながら、人間は偽物であっても、虚構であっても感動を得るものです。そのもっとも顕著な例が小説であり、テレビであり、映画でしょう。
板曼荼羅、あるいは日蓮本仏論の真偽を論ずるのに個人的リアリティは尺度にならないと言う意味です。
> 私は宗教と科学は次元が違うので同列に扱うことはできず、宗教を科学で証明することはできないと考えます。
これも私の言葉を取り違えています。
私がここで科学というのは事実認定の方法を言っているわけです。
板曼荼羅が本物であるというのであれば、科学的に計測してみればわかると言った類の話です。
また、祖書学、教学史と言った仏教学も科学ですから、そこに個人的リアリティのような感情論は持ち込まず、厳正な事実の積み重ねで解を求めていくべきであると言っているのです。
> 物理学でいう質量とエネルギーの等価性、粒子の波動性、量子力学における位置と運動量の関係などは仏教の色心不二の考えに通ずるものがあると思います。また法界は色心にわたり地水火風空からなる、とする考え方も古代ギリシアの哲学と通じております。マクロは宇宙の仕組みからミクロは粒子の仕組みまで「地水火風空」という考えと通じると思います。太陽系から隣の恒星まで数光年、その間はまさしく「空」ですね。また硬い固体も原子レベルでみれば原子核同士の間の空間は何もない真空でしょう。そのような実相が不可思議だから妙法というのでしょう。
以上のことはまったく私は賛同しません。これは失礼ながら、池田さんの『科学と宗教』『宇宙と生命を語る』に記された内容と大同小異です。仏教はこのような考えとは無縁のものであると私は考えています。
> 「不二の尊体」とは能化文書によるやや不適切な表現であると私は考えてます。
表現が不適切であると言うより、考えが不適切なのでしょう。
これは現宗門の当然の認識ですから、聖人の祖意に戻って欲しいと切望しているのです。
> 日蓮聖人が上行菩薩である文証として次のように挙げられると思います。
さんざん、論じてきたところです。お馴染みの資料で、既にコメントも記してきましたが、たぶん、お読みになっていないのでしょうから、整理して記します。
> 「此の三大秘法は二千余年の当初(そのかみ)、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決(くけつ)せし相承(そうじょう)なり。今日蓮が所行は霊鷲山(りょうじゅせん)の稟承に介爾(けに)計りの相違なき、色も替はらぬ寿量品の事の三大事なり。」(三大秘法抄)
真偽未決の代表的な一書ですね。伊藤師がコンピュータ解析で真書と断定したことを鬼の首を取ったように論じられますが、私はこの書は偽書であると思います。
近年では正信会の山上師が貴重な発言をし、私はその研究姿勢に頭を下げました。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/ssk_sandaihiho_001.html
この書が、どうしても真筆といえるのでしょうか。
> 「後五百歳の時、上行菩薩、世に出現して始めて之を弘宣す」(立正安国会「御本尊集」第十六番・文永十一年十二月・通称「万年救護御本尊」の讃文)
この点についても、既に詳細に論じてきたつもりです。
この文中の「上行菩薩」が、どうして聖人を指すと言えるのでしょうか。
> 「日蓮聖人は御経にとかれてましますが如くば、久成如来の御使、上行菩薩の垂迹、法華本門の行者、五五百歳の大導師にて御座候聖人を、」(頼基陳状・建治三年六月)
これは興師の代筆なのであって、聖人の真筆であるとはただちに言えないでしょう。
しかし、興師の考えの中に既に日蓮上行論が澎湃としていたのは事実であろうかと思います。この点は私も認めます。
59
:
犀角独歩
:2002/06/04(火) 12:28
―58からつづく―
> (「本尊と曼荼羅」34 名前: 川蝉 投稿日: 2002/04/09(火) 16:55 より)
この川蝉さんの書き込みを引っ張ってきたスレッドでは私も管見を種々述べています。私の記したところは目にも留まっていないことは残念なことです。こちらのスレッドで私に問いかけている大半はここで既に記していました。
> 結要付嘱の意義は釈尊から大聖人に妙法の法体を還している、と大石寺は教えていると思います。
「還している」?、具体的な資料をお示しください。
> 私は御本尊は色心不二の法体というイメージを持つ
初めて聞く説です。一生成仏抄の引用はこの根拠になり得ていません。
もう少し詳しく説明いただけませんか。
> 文字即実相、実相即妙法というのですから御本尊の主題の御文字を法体と拝すことができると考えられます。
なぜ、こんなことが言えるのでしょうか。該当の御書は文字通り「文字即実相」「実相即妙法」まではわかりますが、なんで、その「文字を法体と拝する」と考えられるのでしょうか。論理が飛躍しています。
また、一生成仏抄は真跡を存しません。真筆のように扱われる根拠は何でしょうか。
さらに、もう一点、一生成仏抄は建長7年34歳の御作であるとされる書です。聖人が曼荼羅を図示されるようになるのは文永9年以降51歳の御時からです。実に17年もあとのことです。17年前の書が、何故、曼荼羅の説明になっているというわけでしょうか。
> あと「文字通り曼荼羅」とはどういう意味でしょうか。
辞典で説明するのは余り好きではありませんが、聖人真跡中に曼荼羅の説明は見いだせないので、まずこれを引きます。
〔仏〕〔梵 maala〕画面に諸仏を描いた図形や象徴的に表した記号を特定の形式で配置し、悟りの世界や仏の教えを示した図絵。
概ね、記されているところは外れていないと思います。しかしながら、聖人は
此の五字の大曼荼羅(まんだら)を身に帯し心に存ぜば、諸王は国を扶(たす)け万民は難をのがれん
と記され、ご自身の曼荼羅を五字の曼荼羅、すなわち妙法蓮華経の曼荼羅であると仰せになられているわけです。つまり、ここでは曼荼羅の原語、マントラの意味である「真言」の意味(真言宗の真言ということではない)で示されておいでなのであろうと拝察します。
> そもそも曼荼羅とはいかなる意味でしょうか。
前項に記す如くであると私は拝察します。少なくても法本尊などという珍妙なお考えは聖人にあるべくもなく、故に「人法一箇で戒壇の大御本尊が生身の日蓮」であるなどという考えは片鱗も窺えない点を論じたかったのです。
> 唯受一人の相伝がなければ誰が御本尊を書写するのでしょう。相伝を認めないということであればだれでも御本尊を顕わしていいのでしょうか。
唯授一人の血脈などということは上古にその確証を見いだせないもので、私はまるで信用しておりません。
第一、唯授一人でなければ御本尊を書写していけないとはいかなる証拠を以て言われるのでしょうか。石山の中古ですら、有師は『化儀抄』に
一、漫荼羅は末寺に於て弟子檀那を持つ人は之を書くべし
と記しております。
> そういえば宮沢賢治氏の「雨にも負けず」の手帳の中に曼荼羅がありました。私は何かで見たことがあり、「謗法だ!」とそのときは思ったのですが、きっと法華経への信仰の発露として書かずにはいられなかったのでしょうと今では思っています。
この点については、私はまったく同意見です。
60
:
川蝉
:2002/06/04(火) 14:44
[53]モモさんへ。
モモさんの53番の発言に於いて、私が「本尊と曼荼羅・34 番」に挙げていたと、「三大秘法抄」「本尊の讃文」「頼基陳状」の三書の文を再掲されてますが、私は、「本尊と曼荼羅・34 番」に於いては、真偽論がある御書なので「三大秘法抄」の文は挙げてないはずですが。
[58]独歩さんへ。
「万年救護御本尊」の讃文に
「後五百歳の時、上行菩薩、世に出現して始めて之を弘宣す」
とあり、かつ、始めて大曼荼羅を図顕されたのが宗祖ですから、「宗祖は上行の御自覚を懐かれていた」と推測出来るのでは。
讃文について、後人の挿入の疑い有りと指摘している学者も居ないようですし、写真を見ても上部の筆跡と同じように、素人目ながら見えます。
「頼基陳状」は、宗祖述作、真蹟無。興師の写本二種が北山本門寺に在りとなっています。
宗祖が四條金吾の為に代作されたものです。興師の述作ではありません。
「霊艮閣版御遺文」編集の稲田海素師が、写本の奥書に
「正治五年閏十月二十日駿河富士上方重須談所にて再治本を以て書写了白蓮七十一歳」
とあると記しています。
独歩さんの真蹟重視の立場には大賛成です。
61
:
犀角独歩
:2002/06/04(火) 23:25
川蝉さん:
お久しぶりという気分です。
60にお記しいただきましたこと、有り難うございます。
ただ、万年救護の記述について、私は聖人がご自身のことを記されたのでのあろうか、と一往、一往なのですが、疑ってみようと思っています。
川蝉さんのご教示にはいつも感謝申し上げております。
62
:
あ
:2002/06/05(水) 03:02
ふう。難しくて読めない。
51について。
>まして、日蓮御坊が直接的に書かれた御書において自らが本仏であるとは申される
はずもありませんでしょうから。したがって、いわゆる相伝書と言われるものは日蓮
御坊直筆のものは無いと思われますが、
わかった。よーくわかった。
52について
>私は宗教と科学は次元が違うので同列に扱うことはできず、宗教を科学で証明することは
できないと考えます。しかし
しかし、何なのだ?
同列に扱うこともできないし、証明もできないのに。
あちきら、頭の悪い不信心者は、これだけわかれば十分だ。
あちきは頭が悪いから、難しい教学はわからない。
わからないものを信じることはできない。
63
:
犀角独歩
:2002/06/05(水) 08:02
川蝉さん:
> 「頼基陳状」は…興師の述作ではありません
そうですね。代作と断定してはいけませんでした。
それにしても、興師の関わるところから日蓮上行論から出ている必然性は気になります。万年救護本尊も、石山の伝承では弘安2年に聖人から興師が賜ったことになっています。
64
:
川蝉
:2002/06/05(水) 14:37
63 犀角独歩: さんへ。
揚げ足取りのようなコメントで失礼しました。
万年救護本尊も、石山の伝承では弘安2年に聖人から興師が賜っ
>たことになっています。
独歩さんの39 番コメンにより、万年救護本尊についての、大石寺の伝承( 『富士年表』と『日蓮正宗聖典・613頁』の説)を知りました。
『日興跡條條事』にある、「日興が身に充て給わる弘安二年の大御本尊」とは板曼荼羅の事であると大石寺系統では主張していると思っていましたが、現在では
「万年救護本尊は興師に弘安二年に授与されたといい、これが条々事に云う弘安二年曼荼羅であるというもあり、」(35番独歩さんの指摘)と云う説明もあるのですか。
その他、戒壇堂安置曼荼羅だとか禅師授与の曼荼羅だとか云う説明も有るのですか。知りませんでした。
さらに独歩さんが35番コメントに
>・弘安二年の大曼荼羅は御伝土代に見られる
>・この曼陀羅には「日興上人」と記されている
>・興師の弟子である尊師、順師の資料から見ると「二千二百三十
>余年」と記されている
と指摘されていましたが、なるほど、「御伝土代」には
「仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提之内未曾有之大曼荼羅也と図し給御本尊に背意は罪を無間に開く云々」(宗全第二巻256頁)
とあるので、「仏滅後二千二百三十余年」とある御本尊を興師は拝していたようですね。
ところが、ご指摘の通り、板曼荼羅も万年救護本尊も共に「仏滅後二千二百二十余年」となっていますので、興師が拝していた御本尊と違うようですね。
弘安二年に賜ったので、文永十一年十二月に図顕された万年救護本尊であるが「弘安二年の大御本尊」と表現している事になりますが、「弘安二年の大御本尊」と呼称する以上、普通には、弘安二年に図顕された大御本尊のように思われますね。
「日興が身に充て給わる弘安二年の大御本尊」と有る以上、「釈子日興 授与之」と云うような授与書きされている、弘安二年に図顕された御本尊と推測するのが素直であろうと思われますね。
それにしても、よくも、大石寺系統に属しながら、寛師教学の欠陥に気づき、興門の相伝書の真偽を質されて、御書を学ばれているものだなと、感服しています。
65
:
モモ
:2002/06/05(水) 23:10
菊水護国さん、レスありがとうございます。
>当宗においては「戒壇本尊は大聖人真筆であると信じる」「大聖人を仏であると信じる」
>「宗祖から開山への血脈相承はあったと信じる」等と主張するのが宗義です。
やはり正宗の三宝義は信から入るべきだと私も主観的に思います。
御戒壇様を拝し、日蓮大聖人を本仏と仰ぐ人には大聖人は本仏なのでしょう。
上行菩薩だと思う人には上行菩薩なのだろうと思います。
親の仇の虎だと思って弓を射ったらだだの岩だった。虎だと思った時はその岩に矢が刺さったが
岩だとわかって弓を射ってもその岩には矢が刺さらなかった。
という話は日蓮本仏論と通じるものがあると思います。
66
:
モモ
:2002/06/05(水) 23:17
川蝉さん、失礼しました。
>モモさんの53番の発言に於いて、私が「本尊と曼荼羅・34 番」に挙げていた
>と、「三大秘法抄」「本尊の讃文」「頼基陳状」の三書の文を再掲されてます
>が、私は、「本尊と曼荼羅・34 番」に於いては、真偽論がある御書なので「三
>大秘法抄」の文は挙げてないはずですが。
説明が足らなかったと思います。「三大秘法抄」の文はありがたいと思ったので
入れたものです。川蝉さんのご教示としては「本尊の讃文」「頼基陳状」のみで
す。謹んで訂正いたします。
67
:
無徳
:2002/06/06(木) 00:13
独歩さん今晩は:
>無徳さんをはじめ、本仏論者の論法というのは、「歴史を逆読みしている」と
>思うのです。
>まずはじめに日蓮本仏という大前提が植えられ、そこから、逆に日蓮に戻って
>考えていくというやり方です。ですから、当初に日蓮本仏が、いわば固定観念
>として植わった段階ですべて読もうとするので、すべてその説明であると感じ
>取ってしまうのではないでしょうか。
それはどうでしょうか?逆に独歩さんは日蓮本仏否定という固定観念に囚われ
ている可能性はないでしょうか?
おそらく独歩さんは日蓮御坊の真筆とされる御書の内容に照らしてどこから見
ても日蓮本仏とは読む事は出来ないとされるのでしょうが、日蓮正宗内において
は多くの御僧侶や信徒達が日蓮本仏を信じて止まない訳ですがその全てが固定観
念に囚われているせいでしょうか?また歴史を逆さ読みしているのでしょうか?
ここで、以前、ニフティ−の「仏教思想法」フォーラムにおいて論議したもの
の援用ですみませんが、私が日蓮本仏論の立場を採る由縁を若干述べてみたいと
思います。
『道心』と言う小冊子の第4号において花野充道氏が「宗教とは、相対者とし
ての有限性の自覚に立った人間が、「絶対」との関わり合いによって、人間存在を
意義づけようとするものである。その場合「絶対」には、二種の概念を認めるこ
とができる。一つには「絶対者」としての人格的な概念であり、あと一つは「絶
対」としての非人格的な概念である。仏教の用語を借りて言えば、前者は「仏」で
あり、後者は「法」に当たる。」と述べています。
しかし、花野氏とて日蓮御坊を一神教的な意味合いでの絶対者として日蓮御坊を
見ているわけではないと思いますが、花野氏のように「仏」を絶対者としての視点
で論ずることは誤解を生む可能性があります。
ただ、私も信仰とは自己の心的領域(己心)に、ある絶対なるものを措定(定立)
することによって、相対的で有限なる自己を反省するためもものとも言えるのでは
ないかとは思います。
ただし、私が述べた絶対的なるものも一神教的な「神」のように我々から超絶し
た絶対者ではなく、あくまで、相対的で有限なる自己を反省するための対照となり、
衆生が「己心」に「信」を確立するために感応道交すべき対象としての、南無妙法
蓮華経(法)でありそれを「本尊」として顕された日蓮御坊を仏として仰ぐことは
信仰の発露としても、また理路としても自然な事柄と思えるからです。
さらに、日蓮仏法を絶対・相対というような対照的概念で捉えるのでなく、それ
らをも絶した「絶待妙」という規範にのっとて理解し信ずるのであれば、日蓮御坊
を「本仏」と仰ぎ信ずるのもまた不自然なことではないように思われるのですが如
何なものでしょう?。
おそらく独歩さんから見れば勝手なる解釈と思われることでしょうが、所詮「信」
を基とする宗教にあっては客観的真理など在り様が無く、天台本覚論のように常に
「即」や「不二」なる概念に支えられた「信」をメルクマールとしてのみ成立する
のが仏教的真理観とも言える様に思います。
もっとも、独歩さんは仏教においては「真理」というような概念が妥当すること
に否定的でしたよね、真理を真如と捉え返す事が出来得れば許容範囲でしょうか?
長くなりましたので今日はこのくらいにしておきます。 無徳
68
:
無徳
:2002/06/06(木) 00:16
訂正−−−「仏教思想法」フォーラム−−−「仏教思想フォーラム」
69
:
川蝉
:2002/06/06(木) 15:08
66:モモさんへ。
モモさんは、日蓮聖人の本地は上行菩薩であると領解されておられ、53番では、その文証の一つとして「三大秘法抄」の文を挙げられたのですね。
その「三大秘法抄」に
「能居の教主は本有無作の三身なり、所化以て同体なり。かゝる砌なれば久遠称揚の本眷属上行等の四菩薩を寂光の大地の底よりはるばると召し出して付属し給ふ」(学会版1021頁)
と有りますね。
この部分は、虚空会において、宝塔の中に座せられた釈尊を指して「能居の教主は本有無作の三身なり」と云われ、その釈尊が上行菩薩を召し出して、妙法五字を末法の始めに弘めなさいと、付属(命じた)した、と語っている文ですね。
釈尊は師、上行菩薩は弟子、仏使である事が示されていますね。
次ぎに1022頁には
「寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初より以来此土有縁、深厚本有、無三身の教主釈尊これなり。」
と有りますが、前掲の文から判断すれば、ここに云う「無三身の教主釈尊これなり」とは、宝塔中の釈尊ですね。
もっとも、大石寺教学では日蓮聖人を指していると解釈するようですが、しかし、この文に続いて
天台大師の寿量品説法の釈尊についての説明の文が引かれていますし、私が初めに挙げた「三大秘法抄」の1021頁の文の意から考えれば、日蓮聖人を指しているのではなく、本門を説法しているところの宝塔中の釈尊を指していると解釈すべきであろうと思います。
続いて1023頁には
「此の三大秘法は二千余年の当初地涌千界を上首として、日蓮慥に教主大覚世尊より口決せし相承なり。今日蓮が所行は霊山の禀承に芥爾計りの相違なき、色も替はらぬ寿量品の事の三大事なり。」
と有りますね。
日蓮が弘通する三大秘法は教主大覚世尊より口決(口で直接に言い伝える秘訣)されたもので、寿量品に説かれている三大秘法と全く同じものである、と語っている文ですね。
三大秘法の教主・相承主は釈尊であると云う意が明確に示されていますね。
続いて三行後に
「大覚世尊、久遠実成の当初証得の一念三千なり。今日蓮が時に之を感じて、此の法門広宣流布するなり。」
と有ります。
日蓮が今弘通している法門は、大覚世尊すなわち釈尊が久遠実成の当初に証悟したのもである、と語っている文ですね。
釈尊が証悟した一念三千の法門を日蓮聖人が広宣流布していると云う意味ですね。
釈尊が証悟し、その法門を授けられ弘通していると云う事ですから、釈尊が根本の証悟主・教主・相承主であり、日蓮聖人は弘伝者と云う事を示していますね。
続いてお終いに
「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給ひ候は、此の三大秘法を含みたる経にて渡らせ給へばなり。」
と有ります。
この文には、日蓮聖人が弘通する所の三大秘法は法華経に説き示されている法門であると云う意が示されていますね。
外相承と云う面から云えば、釈尊が法華経本門に説き置かれた法門を読みとり弘通しているのが日蓮聖人であるという事が示されていると思います。
法華経の教主は釈尊、釈尊が説かれた法華経本門の教えを把握したのが日蓮聖人ですから、教主は釈尊、日蓮聖人はその教えを読み理解した弟子と云う事ですね。
以上のように、「三大秘法抄」には、日蓮聖人の本地は上行菩薩であると云う事を語ると同時に、久遠釈尊こそ根本の教主すなわち本仏である事も教示していると、私は領解しています。
で、「三大秘法抄」には、
仏宝は、根本教主の本門教主釈尊。
法宝は、釈尊証悟の妙法五字(三大秘法)。
僧宝は、伝弘者の日蓮聖人。
と云う三宝尊が示されていると、私は領解しています。
以上、ご参考までに。
70
:
犀角独歩
:2002/06/06(木) 17:45
川蝉さん:
いつも誠実なレスをいただき、まことに有り難うございます。
さて、条々事の弘安二年日興授与本尊が万年救護本尊であるというのは、現代の石山義ではありません。私の書き方が悪くて誤解を与えてしまったかもしれません。どこで読んだのか失念してしまいました。
ただ私は条々事が興師の筆によるという点には懐疑的ですが、個人的には弘安2年大御本尊が万年救護本尊を指す余地は少しはあると考えるところもあります。
その理由は「大(御)本尊」という書き方に着目してるからです。“御”の一字は尊ぶ意味でしょうから、これを略すると「大本尊」となるわけです。まさに万年救護本尊の文と一致します。他の曼陀羅が「未曾有之“大曼荼羅”」とされるのに対し、この一幅は「大本尊」となっている点に注目してのことです。
しかし、弘安二年に興師に宛てて図示されたもの、すなわち御伝土代に言うところと見るのが自然であると思います。
> 戒壇堂安置曼荼羅だとか禅師授与の曼荼羅だとか云う説明
これは『誑惑顕本書』に記されるところで、戒壇の本尊とは禅師授与の曼荼羅であるという主張がなされています。これらの諍論が実際に有師に対して北山浄師が言ったかどうかは一考を要しますが、戒壇と安置曼荼羅、平たい言い方をすれば、「どれが一番、すごい曼荼羅か、戒壇の曼荼羅か」と言った類の論争が富士周辺でなされていたことは容易に想像できます。興師授与の曼荼羅、禅師授与の曼荼羅、大石寺自仏堂安置の曼荼羅、万年救護本尊、さらに『誑惑顕本書』では冒頭に「鉄砲曼荼羅を買取候処四天王に大字無きが故に無大字の本尊」が、この諍論に加わっています。さらに、ややこしいことに興師は多くの聖人の真筆曼荼羅に「本門寺安置」と記すことはご承知のとおり、戒壇論争、本門寺の住処の争いで自山顕彰は喧しく、まったく馬鹿げた覇権争いは現在、石山周辺グループに引き継がれていまも賑やかであることを恥ずかしく思います。
やや、横道ですが、最後の鉄砲曼荼羅の説明は四天王がないということですので、特徴としては万年救護本尊であろうと思えるのですが、『富士年表』によれば、天正10年2月「重須再住日出徳川家康甲州攻めの砌聖教曼荼羅を贈る、家康凱旋の時之を返納す(寺誌)」とあり聖教曼荼羅となっており、万年救護本尊とは記さないのです。顕本書ではこの鉄砲曼荼羅を石山が北山から買い取ったという大嘘を吐いているという糾弾から文章が始まります。
ところで、万年救護本尊は現在、石山大講堂に模刻板曼荼羅が安置されています。以上の話を総合して、私は非常に興味深くこの記述を見ています。
> 大石寺系統に属しながら、寛師教学の欠陥に気づき、興門の相伝書の真偽を質…
少し真面目に文献に取り組めば、誰人であれ、容易く到達できる程度の浅学に過ぎません。しかし、証拠を論ずるに「信の領域」などといっている石山人には、理解できないことのようです。残念です。
『三大秘法抄』の適切な解説、私も参考にさせていただきました。
ここのところの流れを見ていると日蓮本仏論は真筆では説明できないが、真偽未決書、偽書を交え、信の領域で見れば理解できると誤解されかねない論調になっていますが、冗談ではありませんね。真偽未決書を交えたところで、説明が着くのは聖人上行論までです。その点を、知る上でもご説明は価値があるものであると拝しました。
また、いくら三大秘法抄をもってしても、富士戒壇論とはまったく無縁、心すべきところである点であると思っております。
71
:
犀角独歩
:2002/06/06(木) 18:36
無徳さん:
記しても、聞き入れていただくこともないでしょうから、無駄とは思いますが、取りあえず、問いかけられたことにはお応えしておきます。
> 逆に独歩さんは日蓮本仏否定という固定観念に囚われている可能性はないでしょうか?
ええ、これはまったくありません。私は40年間、日蓮本仏論者であったのです。それを翻す勇気は並大抵のものではありませんでした。自分で納得いく答えに、自力で到達した結論を記すばかりです。もちろん、信の領域だ、証拠は示せないなどと逃げ口上は一切しない論理の組み立てぐらいは出来ているつもりです。聞く耳を持たない人には伝わらないだけでしょう。
それにしても、私は誠実に記したつもりです。こんな切り返しで応じられることを残念に思います。
> 日蓮正宗内においては多くの御僧侶や信徒達が日蓮本仏を信じて止まない訳ですがその全てが固定観念に囚われているせいでしょうか?また歴史を逆さ読みしているのでしょうか?
そのとおりであると思います。寛師の言に随うばかりのことでしょう。
まして、「多くの」というところでも、顕正会を合わせても数百万のことでしょう。翻って釈迦本仏を信じる人々は幾ばくぞや、まさに井の中の蛙が大海を見ざるという印象しか受けません。
なお、無徳さんは絶待妙の意味を取り違えていませんか。ちゃんと原文から読んでいるのでしょうか。絶待妙は妙を解するものであって、日蓮本仏を論ずるものであるはずはありません。
花野師の言はまるで話になりません。
けれど、無徳さんが「信仰とは自己の心的領域(己心)に、ある絶対なるものを措定(定立)することによって、相対的で有限なる自己を反省するためもものとも言えるのでは
ないかとは思います」と言われる点には、やや賛同します。しかし、結論は違います。この定立するものを聖人は久遠五百塵点成道本門教主釈尊と本尊を取り定められたのでしょう。
> 「真理」というような概念が妥当することに否定的でしたよね、真理を真如と捉え返す事が出来得れば許容範囲でしょうか?
いえ、許容範囲外です。第一、真理と真如はまったく発生も意味も違うでしょう。
現代語の絶対も仏教の絶対と違っているはずです。なにか、67の記述はは西洋思弁と仏教が混濁として区別されていないと感じるものです。
まあ、これ以上、続けても時間の無駄です。今回はこれくらいで終わりにしましょう。
72
:
モモ
:2002/06/06(木) 22:40
独歩さん、レス拝見しました。
>> 「御内拝の実感とはカルトの心理技術だ」
>これはまったく違います。個人的リアリティと事実は別であると言いたいのです。
>どんなに感動・感激を与えるものであっても、その個人的な心理は、事実を説明することにはならないということです。
>
>残念ながら、人間は偽物であっても、虚構であっても感動を得るものです。そのもっとも顕著な例が小説であり、テレビであり、映画でしょう。
>
>板曼荼羅、あるいは日蓮本仏論の真偽を論ずるのに個人的リアリティは尺度にならないと言う意味です。
私も「日蓮本仏論はマインドコントロールを受けているのである。」という独歩さんの立場も
よくよく考えるべきであると思います。しかし「日蓮本仏論を捨てよ」と言われるとやはり
抵抗を感じます。かつては大石寺に参詣されていたのですから独歩さんは「御内拝の実感」
については主観的にはどう思われますか。
>> 私は宗教と科学は次元が違うので同列に扱うことはできず、宗教を科学で証明することはできないと考えます。
>これも私の言葉を取り違えています。
>私がここで科学というのは事実認定の方法を言っているわけです。
>板曼荼羅が本物であるというのであれば、科学的に計測してみればわかると言った類の話です。
>また、祖書学、教学史と言った仏教学も科学ですから、そこに個人的リアリティのような感情論は持ち込まず、厳正な事実の積み重ねで解を求めていくべきであると言っているのです。
>失礼ながら、池田さんの『科学と宗教』『宇宙と生命を語る』に記された内容と大同小異です。仏教はこのような考えとは無縁のものであると私は考えています。
「科学と宗教」「宇宙と生命を語る」は個人的に深い興味を持ちました。なかなか面白い本だと
思います。
(つづく)
73
:
犀角独歩
:2002/06/07(金) 07:11
モモさん:
> 「御内拝の実感」については主観的にはどう思われますか。
すばらしく、そして、感動的です。罪障消滅したという実感がありました。たぶん、自分が参列した宗教典礼のなかで、あれほど、胸に迫るものは他に類例がないでしょう。しかし、感動を与えてくれたものが真であり、正であるというのは短絡です。
感動が教義の是非を定めるものではないはずです。罪障消滅をしに登山をする、しかし、本当に罪障消滅をしているのでしょうか。功徳を積んでいるのでしょうか。そういう実感で“その気になっている”だけではないのかと反省したみたわけです。
広宣流布を祈る、世界平和を祈る、他の人のことを祈る…、しかし、祈るだけです。祈るだけで「世界平和を考え、貢献している」と本気で考えている烏合の集団に成り下がっているのが、今の石山とその周辺グループでしょう。
祈るだけで何ら動かない、富士門信徒は自己陶酔で自己満足しているのに過ぎないと私には映じます。そして、それが過去の自分の姿であったわけです。
聖人は『八風抄』に
賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり。利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり。をを心は利あるによろこばず、をとろうるになげかず等の事なり。
もちろん、私は賢人ではありませんが、八風の喜怒哀楽に心を揺るがさないように努めることが聖人の教えであると考えています。
モモさんが日蓮本仏、板曼荼羅信仰を容易に捨てられない気持ちは、私にも充分にわかります。しかし、私は、こう考え直してみたのです。
「もし、日蓮本仏論が聖人の教えでなかったとしたら、私は聖人の名の下に聖人に背いているのだ。
もし、聖人の教えが久遠成道の釈尊を本尊とするものであるとすれば、私は聖人の教えに背いているのだ」
そのときに私の脳裏をかすめた御書の一節が
日蓮を用ひぬるともあしくうやま(敬)はヾ国亡ぶべし
でした。
日蓮本仏論は信の領域ではありません。教理の一面です。ですから、その教理の発生が聖人に由来するのであれば、それを採るもよいでしょう。しかし、聖人に由来しないものであるとすれば、それを採るべきではないというのが私の主張です。
残念ながら、明らかに日蓮本仏論は有師に確立され、寛師によって荘厳された後天的な虚構の教理です。それはまじめに資料を読み込んでいけば、容易に理解できることです。
しかし、この容易さを困難にしているのは「疑うことは謗法だ、疑うと地獄に堕ちる」という刷り込まれた恐怖心です。ですから、日蓮本仏論、もっと言えば、自分が所属している団体、指導者を疑おうとするとき、途端にスイッチがオフになるように心理的に制御されている自分自身に先ず気がつかなければ、前に進むことは出来ません。この制御する心理プラグラムを『マインド・コントロールの恐怖』を記したスティーヴン・ハッサン氏は“思考停止の技術”と呼んでいます。
さらに、こうも記しています。
「恐怖症も人々の選択の自由を奪う。メンバーは、グループの安全圏を離れると自分は破滅してしまうのだと本気で信じる。自分が霊的、知的、情緒的に成長する道はほかにないと考える。このマインド・コントロールの手法によって、彼らは事実上奴隷にされてしまっているのである」
「マインドコントロールは、露骨な物理的虐待は、ほとんど、あるいはまったくともなわない。そのかわり催眠作用が、グループ・ダイナミックス(集団力学)と結合して、強力な植え込み効果をつくりだす。本人は、直接おどされるのではないが、だまされ、操作されて、決められたとおりに選択をしてしまう」
特に「決められたとおりに選択をしてしまう」のに、自分で選択したと思い込もうとしている姿を、実は私はモモさんにも見るわけです。
自分が強盛な信心と思っているものの実態が何であるのか、自己弁明、自己陶酔を越えて、その正体を凝視する勇気を持つことが大切であろうかと思います。
74
:
モモ
:2002/06/07(金) 07:58
(つづき)
>> 日蓮聖人が上行菩薩である文証として次のように挙げられると思います。
>さんざん、論じてきたところです。お馴染みの資料で、既にコメントも記し
>てきましたが、たぶん、お読みになっていないのでしょうから、整理して記
>します。
>>「此の三大秘法は二千余年の当初(そのかみ)、地涌千界の上首として、
>>日蓮慥かに教主大覚世尊より口決(くけつ)せし相承(そうじょう)なり。
>>今日蓮が所行は霊鷲山(りょうじゅせん)の稟承に介爾(けに)計りの相
>>違なき、色も替はらぬ寿量品の事の三大事なり。」(三大秘法抄)
>真偽未決の代表的な一書ですね。伊藤師がコンピュータ解析で真書と断定し
>たことを鬼の首を取ったように論じられますが、私はこの書は偽書であると思います。
>近年では正信会の山上師が貴重な発言をし、私はその研究姿勢に頭を下げました。
>この書が、どうしても真筆といえるのでしょうか。
たとえ真偽未決であってもありがたいから挙げた次第です。内容的にはありが
たいでしょう。偽書である証拠はないと思います。逆に偽書である証拠はある
のでしょうか。もし偽書であるなら誰が何のために書いたのでしょうか、とい
うことになると思います。
「偽書である可能性がある」というだけで偽書だと決まったわけではありません。
>> 「後五百歳の時、上行菩薩、世に出現して始めて之を弘宣す」(立正安国会
>>「御本尊集」第十六番・文永十一年十二月・通称「万年救護御本尊」の讃文)
>この点についても、既に詳細に論じてきたつもりです。
>この文中の「上行菩薩」が、どうして聖人を指すと言えるのでしょうか。
これについては川蝉さんの意見として
>「万年救護御本尊」の讃文に
>「後五百歳の時、上行菩薩、世に出現して始めて之を弘宣す」
>とあり、かつ、始めて大曼荼羅を図顕されたのが宗祖ですから、「宗祖は上行
>の御自覚を懐かれていた」と推測出来るのでは。
>讃文について、後人の挿入の疑い有りと指摘している学者も居ないようですし、
>写真を見ても上部の筆跡と同じように、素人目ながら見えます。
との意見をいただいております。だから日蓮聖人は上行菩薩であると断定できると思います。
>> 結要付嘱の意義は釈尊から大聖人に妙法の法体を還している、と大石寺は教えてい
>>ると思います。
>「還している」?、具体的な資料をお示しください。
私が昔、なにかで見た説です。「奉還している」といったような説です。
多分学会版の「教学小事典」で見たような…。多分その説もなにか根拠が
当然あるはずです。手元に資料はありません。
75
:
モモ
:2002/06/07(金) 07:59
>> 私は御本尊は色心不二の法体というイメージを持つ
>初めて聞く説です。一生成仏抄の引用はこの根拠になり得ていません。
>もう少し詳しく説明いただけませんか。
>> 文字即実相、実相即妙法というのですから御本尊の主題の御文字を法体と拝すこと
>>ができると考えられます。
>なぜ、こんなことが言えるのでしょうか。該当の御書は文字通り「文字即実相」「実相
>即妙法」まではわかりますが、なんで、その「文字を法体と拝する」と考えられるので
>しょうか。論理が飛躍しています。
所詮文字と云ふ事は、何なるものと心得此(か)くの如く立てられ候や。文字は是(これ)
一切衆生の心法の顕はれたる質(すがた)なり。されば人のかける物を以て其の人の心根
を知って相(そう)する事あり。凡そ心と色法とは不二の法にて有る間、かきたる物を以
て其の人の貧福をも相するなり。然れば文字は是一切衆生の色心不二の質なり。汝若し文
字を立てざれば汝が色心をも立つべからず。(諸宗問答抄)
「諸宗問答抄」は西山本門寺に写本があります。内容的には偽書とはされるのでしょうか。
「文字とは色心不二」であり、また摩訶止観の口決に「草にも木にも成る仏なり」とあり
ます。御本尊の御文字が色心不二の仏の悟り、即ち法体と成り得るわけです。「魂を墨に
染め流した」とは言え、墨に魂があるのではなく、御文字に魂があるのでしょう。だから
「御文字の墨を削って云々」といった疑難が出てきたのでしょう。
>また、一生成仏抄は真跡を存しません。真筆のように扱われる根拠は何でしょうか。
御指摘の通り、真筆はありません。そういう意味では確かに信憑性は薄いといえます。
>さらに、もう一点、一生成仏抄は建長7年34歳の御作であるとされる書です。聖人が曼
>荼羅を図示されるようになるのは文永9年以降51歳の御時からです。実に17年もあとの
>ことです。17年前の書が、何故、曼荼羅の説明になっているというわけでしょうか。
文字の重要性を示した御書なので挙げた次第です。
76
:
モモ
:2002/06/07(金) 08:03
あと曼荼羅の説明ありがとうございました。
>> 唯受一人の相伝がなければ誰が御本尊を書写するのでしょう。相伝を認めないという
>>ことであればだれでも御本尊を顕わしていいのでしょうか。
>唯授一人の血脈などということは上古にその確証を見いだせないもので、私はまるで信用
>しておりません。
>第一、唯授一人でなければ御本尊を書写していけないとはいかなる証拠を以て言われるの
>でしょうか。石山の中古ですら、有師は『化儀抄』に
>一、漫荼羅は末寺に於て弟子檀那を持つ人は之を書くべし
>と記しております。
このあと「判形はなすべからず」、とあります。だから逆にいえば大石寺の法主にこそ御本
尊書写の権能があるとするのが大石寺の説明ですね。
>>「御内拝の実感」については主観的にはどう思われますか。
>すばらしく、そして、感動的です。罪障消滅したという実感がありました。たぶん、自分
>が参列した宗教典礼のなかで、あれほど、胸に迫るものは他に類例がないでしょう。
そうですよね、私もそう思います。
>しかし、感動を与えてくれたものが真であり、正であるというのは短絡です。
>「恐怖症も人々の選択の自由を奪う。メンバーは、グループの安全圏を離れると自分は破
>滅してしまうのだと本気で信じる。自分が霊的、知的、情緒的に成長する道はほかにない
>と考える。このマインド・コントロールの手法によって、彼らは事実上奴隷にされてしま
>っているのである」
>「マインドコントロールは、露骨な物理的虐待は、ほとんど、あるいはまったくともなわ
>ない。そのかわり催眠作用が、グループ・ダイナミックス(集団力学)と結合して、強力
>な植え込み効果をつくりだす。本人は、直接おどされるのではないが、だまされ、操作さ
>れて、決められたとおりに選択をしてしまう」
>特に「決められたとおりに選択をしてしまう」のに、自分で選択したと思い込もうとして
>いる姿を、実は私はモモさんにも見るわけです。
>自分が強盛な信心と思っているものの実態が何であるのか、自己弁明、自己陶酔を越えて、
>その正体を凝視する勇気を持つことが大切であろうかと思います。
なかなか厳しいご指摘です。と思えるのも少しはマインドコントロールが解け始めているの
かもしれません。私は独歩さんの意見と私の主観による正宗の三宝義が止揚されればいいと
思うのですが。
77
:
モモ
:2002/06/07(金) 08:04
あと真筆が大石寺にあるのですが諌暁八幡抄に次のような記述があります。
「天竺国をば月氏国と申す、仏の出現し給ふべき名なり。扶桑国をば日本国と申す、あに聖
人出で給はざらむ。月は西より東に向へり、月氏の仏法、東へ流るべき相なり。日は東より
出づ、日本の仏法、月氏へかへるべき瑞相なり。月は光あきらかならず、在世は但八年なり。
日は光明月に勝れり、五五百歳の長き闇を照らすべき瑞相なり。」
ここでは日本には必ず聖人が出現する。釈尊が月なら日本の仏法は太陽である、日本の聖人
の仏法は五五百歳の長きにわたって効力がある、と明らかに釈尊の仏法より日本に出現する
であろう聖人の仏法の大事を強く主張しているように思えるのですが。ここでいう聖人とは
どう解釈すべきでしょうか。日蓮大聖人が御自身のことを指して「聖人」と仰せなのでしょ
うか。それとも違うのでしょうか。
大石寺では当然、聖人とは日蓮大聖人のことであり、釈尊より日蓮大聖人が本仏であること
の拠り所のひとつと考えていると思います。「聖人」がそのまま本仏としないとしても、少
なくとも釈尊の仏法より日本の聖人の仏法の方が優れている、ということが読み取れます。
78
:
いちりん
:2002/06/07(金) 09:30
富士門流の人は、自分たちに都合のよい遺文しか読まされていないので、あたかも日興さんが、正当な唯一の継承者と思いこまされています。
しかし、以前にも、書きましたが、日朗譲り状というのがあります。下に引用しました。
これは、「釈尊一代の深理も亦日蓮一期の功徳も残る所無く、悉く日朗に付属する所なり」と書かれています。
「悉く日朗に付属」とあるのです。「ことごとく、日朗に譲る」というのです。
しかも、真筆は、都本圀寺にあるとされています。
わたしは、もちろん偽書と思いますが、日朗門下にしてみたら、これは真筆である。偽書というのなら、その証拠を示せ。というかもしれません。(まあ、彼らは、そんなことはいいませんが。)
人間というものは、自分たちの都合のよいものだけを取り上げて、都合の悪いものは無視してしまう。日蓮さんの真筆であっても、何編かは、無視して御遺文には収録していませんね。
そして、偽書や真偽未決であっても、あたかも真筆のように、堂々と採用しています。
日蓮宗の「昭和定本」などは、日興さんへの譲り状と日朗さんの譲り状は、並べて収録されています。だから、ははーん。これは、どっちかがニセモノか、どちらもニセモノということが、素人でもわかります。
富士門流の御遺文集には、日興さんの譲り状しか収録されていない。日朗さんにも、譲り状があるなどとは、思いもよらない。
信徒は、御遺文集にあるものは、みんな真筆と思いこんでいますから、もう「思いこんでしまう」わけだから、それが何年も何十年もたち、そして多くの人がみんなそのように思いこむから、かなり始末に悪いです。
だから、わたしたちは論じるときには、やはり真筆であるとされるものをもとにして、論じないとワケがわからなくなりますね。
79
:
いちりん
:2002/06/07(金) 09:30
「日朗御譲状」弘安五年十月。六十一歳作。真蹟在京都本圀寺
譲り与ふる
南無妙法蓮華経
末法相応一閻浮提第一の立像釈迦仏一体
立正安国論一巻 御免状
右、妙法流布一切利益の為に、法華経中の一切の功徳に於ては、大国阿闍梨に与ふる所なり。尽末来際に至るまで、仏法の為に身命を捨てゝ、一心に妙法を弘通すべき者なり。
夫れ迹、本広しと雖も妙法の五字を出でず。昔の迹は今の本なり。広、略、要の中に、要が中の要を取りて一閻浮提に弘通せしむべし。肝心の要を撰ぶと雖も豈に広略を捨てんや。迹門実相の説は是れ久成の本なり。寿量の遠本は迹に依りて顕るゝなり。今此迹本二門は共に皆迹仏の説なり。迹に本無くんば本を顕すことを得じ。本に迹無くんば何に依りて迹を垂ん。本迹殊なりと雖も不思議一なり。是れ此経一部の正意なり。亦是れ如来第一の実説なり。
釈尊一代の深理も亦日蓮一期の功徳も残る所無く、悉く日朗に付属する所なり。寿量品に云く「我本立誓願(乃至)皆令入仏道。毎自作是念(乃至)速成就仏身」。
弘安五年十月三日 日蓮花押
80
:
犀角独歩
:2002/06/08(土) 10:54
モモさん:
ここのところ、ちょっと忙しくまとまった書き込みが出来ないのですが、74から77について問題点を指摘しておきます。
(1)文字が色心不二の質である文を引いても曼荼羅が「法体」である説明にはならない
(2)聖人が上行菩薩であると「断定」はできない
(3)日蓮が上行菩薩であることは日蓮本仏の説明にはならない
(4)摩訶止観の口決に「草にも木にも成る仏なり」これはたぶんこれは真偽未決、あるいは偽書と目される『草木成仏口決』の孫引き。このような引用は不誠実(孫引きでなければそのかぎりではありません)引用の「草にも木にも成る仏なり」は止観口決のいずこからの出所であるか示すべき
(5)『諌暁八幡抄』の聖人が日本から出る聖人が「本仏」ということにならない。
81
:
犀角独歩
:2002/06/08(土) 11:08
【80の訂正】
誤)(5)『諌暁八幡抄』の聖人が日本から出る聖人が「本仏」ということにならない。
正)(5)『諌暁八幡抄』の日本から出る聖人が「本仏」ということにならない。
82
:
川蝉
:2002/06/08(土) 11:46
77 : モモ さんへ。
モモ さん、独歩さん横から失礼します。
>諌暁八幡抄に次のような記述があります。・・・聖人とは日蓮大
>聖人のことであり、・・・
>少なくとも釈尊の仏法より日本の聖人の仏法の方が優れている、
>ということが読み取れます。(略掲)
「聖人とは日蓮大聖人のことであり、・・・」
その通りですね、時は末法、天竺より東北の辺土に生まれ、法華経を身験色読した人は日蓮聖人以外にいないので、「日蓮大聖人のこと」と云う事になりますね。ただし、仏使としての聖人ですね。
日蓮聖人の法門と法華経の法門と別の物であると云うように思いこんで「諌暁八幡抄」のこの文を読むと、日蓮本仏論とか釈尊より日蓮聖人の方が偉大な聖人であると主張する根拠になるように見える文ですね。
「諌暁八幡抄」に、
「今日蓮は去る建長五年癸丑四月二十八日より、今弘安三年太歳庚辰十二月にいたるまで二十八年が間又他佗事なし。只妙法蓮華経の七字五字を、日本国の一切衆生のロに入んとはげむ計りなり」
(学会版・585頁)
と有りますね。日蓮聖人が弘通されたその「妙法蓮華経の七字五字」は釈尊が説かれ、上行菩薩に弘めるようにと命じられものです。
日蓮聖人は法華経にに説き留められていた妙法五字を読みとり把握され、弘通されたのですから、釈迦仏法の肝心を弘通しているのだと云う認識を持って居られた筈です。
ですから、釈尊の教えより勝れた所の新しい教えを説き始めたのが自分であるなどと云う意識は微塵も無かったはずです。
「兄弟抄」に
「夫法華経と申は八万法蔵の肝心、十二部経の骨髄也。」(学会版1079頁・真)
とあるように
一代佛教の骨髄が法華経ですね。法華経の肝心・骨髄が妙法五字ですね。一代佛教とは釈迦仏法ですね。故に、妙法五字は釈迦仏法の肝心・骨髄であることがわかりますね。
「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給ひ候は、此の三大秘法を含みたる経にて渡らせ給へばなり。」(三大秘法抄・1023頁)
「此法門は妙経所詮の理にして釈迦如来の御本懐、地涌の大士に付属せる末法に弘通せん経の肝心なり。」(当体義抄送状・519頁)
「仏の滅後に迦葉、阿難、馬鳴、龍樹、無著、天親、乃至天台、伝教のいまだ弘通しましまさぬ最大の深密の正法、経文の面に現前なり。」(撰時抄・272頁)
「迦葉、阿難等、龍樹、天親等、天台、伝教等の諸大聖人知りて、而も未だ弘宣せざる所の肝要の秘法は法華経の文赫赫たり。論釈等に載せざること明明たり。生知は自知るべし。」(曽谷入道等許御書・1037頁)
等の文によれば、日蓮聖人の弘通された三大秘法は法華経二十八品の経典に説き留められていた法門であると云う事ですね。
もちろん、内相承的に云えば、日蓮聖人は本地上行菩薩としては、法華経二十八品の経本がなくとも本門の肝心南無妙法蓮華経を知っておられたと信仰的には考えられます。しかし現実的には、法華経二十八品の経本を通さなかったら(根拠にしなければ)末法の良薬たる妙法五字が説き留められていた事を知る事は出来なかったし、妙法五字が末法の良薬であることも立証出来なかったのです。
ですから、光明勝れた日に喩えられている日本の仏法とは、日本において、日蓮聖人にして始めて、法華経を通して読みとり把握し得た所の、釈迦仏法の精髄・肝心であり、法華経に釈尊が説いて置いた法門と云う事になります。
「諌暁八幡抄」の文には、「釈迦仏法より日蓮仏法の方が勝れている。釈迦仏法は末法に役立たない。末法相応の新仏法の教主日蓮聖人こそ本仏だ」などと云う意などまったく含まれていないと、私は解釈しています。
83
:
一字三礼
:2002/06/08(土) 21:51
横レス、失礼します。
川蝉さん
不躾ですが、少々御教示いただきたいのですが。
私も「××仏法」もしくは「誰々の仏法」と言うような釈尊以外の仏法はありえないと考えています。
では「諫暁八幡抄」の“月は光あきらかならず”の月は何を指すのでしょう。また、“日は光明月に勝れり”の日とは何を指すのでしょうか。
私にも本仏義はともかくとして、やはりこの月と日の比喩は、法門の優劣を聖人が論じておられるように受け取れるのですが。
84
:
モモ
:2002/06/09(日) 06:00
あともうひとつ、日寛上人こそが人法一箇の御本仏である、ということは
考えられないでしょうか。大笑いする人もいるでしょう。「日寛本仏論」
です。日寛上人は本当は御本仏であったが、日蓮聖人の弟子という立場上
日蓮聖人を御本仏と拝し、御自身はその血脈を受けたことにした、とする
考えです。これなら今の大石寺の教学とも整合性がつくわけです。御戒壇
様も「日寛大聖人」が大石寺に伝わっていた御本尊を人法一箇の法体とし、
根源の大御本尊とした、と考えます。すると時代の流れは「釈迦本仏」、
「天台本仏」、「日蓮本仏」、「日寛本仏」となります。いかがでしょうか。
あくまでひとつの仮説です。
85
:
犀角独歩
:2002/06/09(日) 08:03
『諌暁八幡抄』について、私も、川蝉さんが仰るところが、字句どおりであろうと思います。
ここで“仏”と聖“人”という字句の使い分けに、特に意味があるのであろうと思うわけです。聖人が本仏を指す意味は元よりあるわけはありません。いや、むしろ、末法出現を本仏などという仏としてしまえば、法華経の説相と相違してしまいます。聖人とは“人”であるという点が法華経の説相を敷衍している点を読み落としてはいけないと私は思います。すなわち、
日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く
斯の“人”世間に行じて 能く衆生の闇を滅し
無量の菩薩をして 畢竟して一乗に住せしめん
是の故に智あらん者 此の功徳の利を聞いて
我が滅度の後に於て 斯の経を受持すべし
是の人仏道に於て 決定して疑あることなけん
という先にも引いた一節です。法華経に由れば、滅後弘教は地涌菩薩に付属され、神力品に上記のようにあるわけです。つまり、末法に出現するというのは仏ではなく、人であるわけでしょう。この点で、まさに『諌暁八幡抄』の記述は法華経と一致しています。
あと、一字三礼さんが指摘された日月の譬も、「日月の光明の 能く諸の幽冥を除く」という一節を含むわけでしょう。
果たして、聖人は、日(日本・南無妙法蓮華経)、月(月支・法華経)の対比で喩えられたのか否か、またご自身が唱え始めた南無妙法蓮華経を、法華教典より上に置いたのかどうか、慎重に考えるべきところです。
ただ、法華経の説相を俯瞰するとき、大きなテーマは弟子に対する記別、そして、滅後弘教付属であることはわかります。言ってみれば、釈尊50年の集大成として、もっと言えば三千塵点已来の集大成として、弟子に記別を与えることで成仏の始終の総まとめをする意味合いを法華経はもっているわけです。しかし、その後、末の世は濁劫悪世である、その時に初発心の弟子である地涌菩薩を召し使い弘教をさせる。この人は世の光明となって、人々の闇を消し去ってくれる。すなわち、滅後は仏ではなく、人(菩薩)によって人々は救われていくという意味を法華経は提示しているのであろうと私は思うわけです。
ここで聖人は日月の、日を日本・日蓮という大自覚に立たれ、月を月支・釈尊と解釈されて、ここに日本国の済度は仏の使い(の使い)人・菩薩として、末法万年という、釈尊・法華説法8年より遙かに長い時間の闇を照らすと宣言したのではないでしょうか。しかし、これは法門の優劣を言うものではなく、衆生闇を晴らす時間的長さの差異を、光明の差異を論じられたものであると思うわけです。
しかし、仏について、寿量品に
而も実には滅度せず 常に此に住して法を説く
我常に此に住すれども 諸の神通力を以て
顛倒の衆生をして 近しと雖も而も見ざらしむ
といい、いま、この瞬間にもここに在し、永遠の法を説き続けていらっしゃる。その仏を拝して、弘教するのが地涌菩薩である点も見落としてはならないはずです。
86
:
犀角独歩
:2002/06/09(日) 08:40
寛師本仏論…、いわば派祖本仏論はたしかに石山にあった考えでしょう。
この点を修行海秀師は『初期の興門教学に於ける本尊意識の展開』において
宗祖本仏論の思想はやがて宗祖脱仏論へと展開し得る可能性があったのである。即ち弁阿闍梨の筆録したる「日有御談」には
「上行菩薩の後身日蓮大師は九界の頂上たる本果の仏界と顕れ、無辺行菩薩の再誕日興は本困妙の九界と顕れ畢りぬ」
といって、暗に宗祖脱仏、派祖本仏の思想を洩らしている。なお日要述日我記の「顕仏未来記聞書」によれば、日要上人当時、大石寺には「大聖冥益・当住顕益」の思想があったものゝようである。
と記しています。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/kaishu_003.html
87
:
川蝉
:2002/06/09(日) 10:25
83 : 一字三礼 さんへ。
一字三礼さん今日は。真摯な横レス大歓迎です。
大石寺系統に属する方に
>私も「××仏法」もしくは「誰々の仏法」と言うような釈尊以外
>の仏法はありえないと考えています。
という意見の人が居られること嬉しく思います。
>やはりこの月と日の比喩は、法門の優劣を聖人が論じておられる
>ように受け取れるのですが。
端的に言えば、私もそのように受け取っています。
大まかに云えば、「月」に喩えられる法門は、迦葉、阿難、龍樹、世親、天台、伝教等が、読みとり把握し弘通した法門を指していると解釈しています。
「日」に喩えられている法門は、宗祖が読みとり把握し弘宣された本門立脚の法門を指すと解釈しています。
信仰的に云えば、仏の付属に随って、正像末に仏使が出現し、そのと時々に応じた法門を経の中かに読みとり把握して、弘通すると云う事になっていますね。
「高橋入道殿御返事」に
「我が滅後の一切衆生は皆我子也。いづれも平等に不便にをもうなり。しかれども医師の習ひ、病に随て薬をさづくる事なれば、我滅後五百年が間は迦葉、阿難等に小乗経の薬をもて一切衆生にあたへよ。次の五百年が間は、文殊師利菩薩、弥勒菩薩、龍樹菩薩、天親菩薩に、華厳経、大日経、般若経等の薬を一切衆生にさづけよ。我滅後一千年すぎて像法の時には薬王菩薩、観世音菩薩、法華経の題目を除いて余の法門の薬を一切衆生にさづけよ。末法に入なば迦葉、阿難等、文殊、弥勒菩薩等、薬王、観音等のゆづられしところの小乗経、大乗経、並に法華経は文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず。所謂病は重し薬はあさし。其時上行菩薩出現して、妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生にさづくべし。」(1458頁)
と、ある通りです。
日に喩えられる所の、日蓮聖人に付属された法華経の法門いわゆる末法相応の妙法五字は末法の衆生の為の特効薬であるが、月に喩えられる所の「迦葉、阿難等、文殊、弥勒菩薩(伝大士)等に付属された小乗経、大乗経に基づいた法門」や、「薬王(天台)観音(南岳恵思)等に付属された法華経の法門」は、その薬効に限りがあると断定されている文ですね。
宗祖の法門は法華経に説かれている法門です。ですから宗祖には、「法華経そのものも末法には薬には成らない」などと、法華経そのものを軽視する思想や、法華経そのものと御自分の弘通している法門との優劣観などは、あり得ないはずです。
ついでに云いますと、
この「高橋入道殿御返事」によれば、仏滅後の弘教は釈尊の差配によると云うわけです。ですから日蓮聖人の妙法五字の弘教も、釈尊の衆生救済活動の一環であり、いわゆる釈尊の未来益物という事ですね。
88
:
犀角独歩
:2002/06/09(日) 16:21
川蝉さん:
恐ろしく緩慢なレスですが、60に
> 「万年救護御本尊」の讃文に
「後五百歳の時、上行菩薩、世に出現して始めて之を弘宣す」
とあり、かつ、始めて大曼荼羅を図顕されたのが宗祖ですから、「宗祖は上行の御自覚を懐かれていた」と推測出来るのでは。
讃文について、後人の挿入の疑い有りと指摘している学者も居ないようですし、写真を見ても上部の筆跡と同じように、素人目ながら見えます。
ということでしたが、まず第一に、以前にも申し上げたと思いますが、「指摘している学者がいない」というのは、まず私にとって、何の判断基準にもなりません(笑)
何度か記してきたのですが、私はこの読みについては大いに疑問があります。
川蝉さんの読み方は寛師と一緒と思えます。
「始」というは、正には正像未弘に対し、傍には一閻浮提を簡ぶ。上下の文に准じて能くこれを見るべし。故に本尊問答抄に云く「此の御本尊は世尊説きおかせ給いて後二千二百三十余年が間・一閻浮提の内にいまだひろめたる人候はず乃至当時こそひろまらせ給うべき時にあたりて候ヘ」と云云。
救護本尊の端書に云く「大覚世尊御入滅の後、二千余年を経歴し、爾りと雖も月・漢・日三箇国の間未だ此の大本尊有さず。或は知って之を弘めず、或は之を知らず。我が慈父仏智を以て之を隠し留め、末法の為に之を残す。
後五百歳の時、上行菩薩世に出現し始めて之を弘宣す」と云云。故に知んぬ、当抄の題号は「如来滅後後五百歳に上行菩薩始む観心の本尊抄」なることを。
(余談ですが、石山僧俗は本尊抄の題号を以上のように読むことが相伝のごとく言うのですが、有師聞書には「後五百歳に始たる観心本尊」とあることから、この読み方は寛師の創作は、あるいは後代の成立と思われます)
日蓮上行論というのは五老方と袂を分かつ興門独自のものであるというのが、私の認識なのですが、上古の五老方に聖人を上行菩薩と見る気風は既にあったのでしょうか。
次に日蓮上行論というフィルターを、いったん外して当該の文章を読むとき、私は上行菩薩が聖人本人を指すと“断定”しているとはどうしても思えません。その根拠は、万年救護本尊と言われるこの曼陀羅が図示が本尊抄の翌年であるからです。少なくとも本尊抄に聖人がご自身を上行菩薩と断定している様子は窺えません。
もちろん本尊抄に
上行・無辺行・浄行・安立(あんりゅう)行等は我等が己心の菩薩なり。
と記されるわけで、聖人の己心であるから、すなわち聖人は上行という石山的な発想をもって読むことは可能でしょうが、しかし、続く文が
妙楽大師云はく
「当(まさ)に知るべし身土は一念の三千なり。故に成道の時、此の本理に称(かな)ひて一身一念法界に遍(あまね)し」等云云。
であれば、これは一念三千の根拠として菩薩界を述べるとするのが自然なことになります。つまり、ご自身上行の宣言とはならないわけです。
図示の同年、文永11年には法華取要抄が記され、そこに
日蓮は広略を捨てヽ肝要を好む、所謂上行菩薩所伝(しょでん)の妙法蓮華経の五字なり
とあります。しかし、この文とて聖人の上行宣言とは読めません。日蓮は広義・略義を捨てて肝要を好む、いわゆる上行菩薩が伝えるところの妙法蓮華経の五字を取る。ここで聖人と上行は=でつながれているとは読めないわけです。
89
:
犀角独歩
:2002/06/09(日) 16:22
―88からつづく
この時代背景の中で記された
大覚世尊御入滅後
経歴二千二百
二十余年
雖爾月漢
日三ヶ国之
間未有之
大本尊
或知不弘之
或不知之
我慈父
以仏智
隠留之
為末代残之
後五百歳之時
上行菩薩出現於
世
始弘宣之
の「後五百歳之時上行菩薩出現於世始弘宣之」は、まさに本尊抄、取要抄の記述と一致すると見るのが自然です。興師・古写本を遺す『頼朝陳状』は健治3年、すなわち3年後のものということになります。聖人に思想的進捗あっても否定の対象とはなりませんが、しかし、文永10、11年の聖人のお考えは少なくともご自身を上行とはされているとは言い難いと思うわけです。
この読みを川蝉さんは「後五百歳の時、上行菩薩、世に出現して始めて之を弘宣す」、つまり、上行菩薩である日蓮が世に出現して始めて之を弘宣したとするのでしょうが、以上のような思想背景からすれば、「上行菩薩が弘宣するであろう」と読まなければならないと思うわけです。
けれど、大本尊である万年救護本尊を実際に図示したところに記したのであるから、記したのが聖人である以上、上行菩薩は聖人であるという連想が基礎になっているのでしょう。
しかし、本尊抄に言う本尊とは
事行(じぎょう)の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊
という久遠五百塵点成道本門教主釈尊です。さらに前述には
未(いま)だ寿量の仏有(ましま)さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか
として仏像をもって出現することを示しているわけです。すなわち図示の曼陀羅図では仏像に契当しようもありません。
以上のことから、万年救護本尊の文が日蓮上行の証拠とすることには疑問を懐くわけです。
現行の日蓮教学は聖人を上行菩薩とすることが半ば常識化しているわけですが、そんな常識は私には無縁です。故にその常識の上にある宗派意識を拭えない学者先生の意見は参考にしません。真跡から決定できる事実を重んじたいと思うわけです。
90
:
一字三礼
:2002/06/10(月) 00:30
川蝉さんへ
丁寧な御教示ありがとうございます。
>「月」に喩えられる法門は、迦葉、阿難、龍樹、世親、天台、伝教等が、>読みとり把握し弘通した法門を指していると解釈しています。
>「日」に喩えられる法門は、宗祖が読みとり把握し弘宣した本門立脚の法>門を指すと解釈しています。
月氏の仏法を正像の爾前・迹門を含む正師達弘通の法門、日本の仏法を宗祖の法華本門と言う御理解ですね。
なるほど、「月は光あきらかならず、在世は但八年なり。」の御文からも、爾前・権帯の雑多な法門と共に、法華経が日本に伝えられた、その為、一乗妙法の光もあきらかなものではない、そう読み取れますね。
>大石寺系統に属する方
しばしばこのような御発言をなさいますが、川蝉さん御自身はどの系統に属していらっしゃるのでしょうか。もしも、差し障りが無いのであれば、明かしていただけませんか。
91
:
一字三礼
:2002/06/10(月) 00:33
犀角独歩さん
>滅後は仏ではなく、人(菩薩)によって人々は救われていくという意味を法華経は提示しているのであろうと私は思うわけです。
聖人が題目の依文を「今留在此」にもとめられる事もあるので、末法は基本的には無仏というより、「雖近而不見」の時代なのだと言う事、私もそのように思います。
これは稚拙な愚見ですが、題目のとらえ方によって違った解釈がうまれて来る様に思えます。
南無妙法蓮華経を観心行とすると天台止観との当台相対義が論ぜられ、南妙法蓮華経を“一部の意”とすると法華経の御文に対して文底義が立てられ、南妙法蓮華経の如来とすると、久遠元初の仏が生まれる、といった感じです。
92
:
犀角独歩
:2002/06/10(月) 08:06
一字三礼さん:
> 末法は基本的には無仏というより、「雖近而不見」の時代
そうであると思います。
仏を見るか否かは各人の徳に係る問題であるというのが寿量品の意義であると思います。ところが仏は薄徳の人には見えない、故に仏像に刻み、その尊崇を促すことが必要である、必要であるけれど、それを為すのは地涌菩薩の使命であるというのが本尊抄の意義でしょう。もちろん、仏像を立てるのは教主を闡明にし、此の経を弘めるために他ならないのでしょう。また、聖人は此の経を久遠から見る故に、釈尊在世の様子を記した法華経教典ではなく、主題の五字を採り、それを宣べるために曼荼羅と図示したのであろう思うわけです。
仏が今まさに在す前提で考えるのか、そうでないのか、が一つの分かれ道になっています。仏がいない前提で新しい仏を考えるなどというのは逸脱も甚だしい、もっと言えば薄徳の議論であると思うわけです。
> 題目のとらえ方によって違った解釈がうまれて来る…
これはまさに仰るとおりですね。
私は日蓮と仏教を考えてきて、一つ気が付いたことは論を極まれば極まるほど主客転倒が起きているということです。本覚思想、恵心流口伝には特にこの傾向を見るわけです。
諸解釈というのは時代を経るごとに複雑化し、煩雑となり、そして難解になっていきます。学問的には後代ほど煩瑣な構築を為すようになる。すると恰もあとのもののほうが“上”であるという思いが生じることになるわけです。具体的にいえば、法華経より止観のほうが上であるといった具合です。それがさらに止観より御書のほうが上だとなり、となると、釈尊より天台が上だ、天台より日蓮が上だとなっていくのでしょう。しかし、これはまったく誤った解釈ですね。
日蓮>天台>釈尊、曼陀羅>止観>法華経
この誤った考えにとらえられると、解釈は糸の切れた凧の如くです。どうにでもいうことが出来ることになります。しかし、解釈の根本は法華経です。ですから、法華経の説相に違反する解釈は己義荘厳の虚言として退けなければならないはずです。思い返せば、以上が私の思惟の基礎です。
我本行菩薩道・我実成仏というのに、即座開悟といえば説相の相違するでしょう。
寿量品に常住此説法というのに、新しい仏を立てるなど、途方もない冒涜となるでしょう。
天台は法華経に忠実であり、聖人は法華経・天台に忠実であることは学ぶほどにわかることです。
93
:
いちりん
:2002/06/10(月) 10:03
日蓮さんの考えの中核には、「法華経以外では成仏はできないよ。ひとえに法華経によってこそ、成仏が可能だ」ということがあるかと思います。
「ひとえに法華経による」というのは、シンプルに言えば、「南無妙法蓮華経と唱えること」になるんだと思います。
ただ、わたしはいつも思うのは、「法華経」を読めば読むほどに、「法華経以外では成仏はできない」ということはないと、いうことなんですね。
「法華経」の中核思想は、いわば「開三顕一」(迹門の中核)と「開近顕遠」(本門の中核)といえるかと思います。
で、「開三顕一」です。
これは「三乗を開いて一仏乗を顕す」ということであって、「廃三建一」(三乗を廃して一仏乗を建てる)ではない。
「開三顕一」とは、声聞、縁覚、菩薩の三乗の道を歩めば、それがそのまま一仏乗であるということではないでしょうか。
つまり、三乗よりも別なところに、一仏乗があるのではない、と。わたしは、そうとらえています。
だから、法華経に忠実であればあるほどに、三乗を否定し、「法華経以外では成仏はできない」ということはありえない。そう思うのです。
そして、「開近顕遠」です。
仏は、永遠に法を説き続けている。しばしも、やすむことはない。いま、現在も説法していると。
それが、寿量品で述べているところですよね。
であるのなら、末法であろうがなんであろうが、ダイレクトに仏の説法を聞けるはずである。
末法などといいう時間的な制限によって、仏の力が無くなるなどと言うことは、ありえない。
「常住此説法」とあるのなら、末法もなにも関係がない。
だから、仏の伝えた、三乗の道を歩めば成仏ができる。
そのように、法華経を、わたしはとらえています。
94
:
川蝉
:2002/06/10(月) 11:40
88 : 犀角独歩 さんへ。
「観心本尊抄」の題号の読み方は種々の訓みかたがされていますね。
「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」の「始」は
一、「五五百歳の始め」
二、「始めての観心本尊抄」
との両様に読めるとされ、一は「末法の始め」の意味となり、二は「始顕・未曾有」の意味が強くなると考えられています。
で、「両様に取った方がよい」と云うことになっています。
本尊抄「副状」の
「仏滅後二千二百二十余年未だ此の書の心あらず。国難を顧みず、五五百歳を期して之を演説す。」(学会版255頁)
との文意を参考にすると「末法の始め、始めての観心本尊抄」の意と取った方が良いと云う事になりますね。
佐渡始顕以後すでに多くの曼荼羅が図顕されているし、現に「万年救護御本尊」を書いた後ですから、讃文も「上行菩薩が弘宣するであろう」と未然形に読まないで「後五百歳の時、上行菩薩、世に出現して始めて之を弘宣す」と読んで、「末法の始めに始顕した御本尊であり、現に弘宣しつつある」と云う文意に取るのが良いのでは。
宗全第一巻上聖部を見てみましたが、
朗師「本迹見聞」(正本無)に、
「今家聖人は本化上行菩薩の化身なり」(15頁)
日弁師の「円極実義抄下」に
「親り地涌上行菩薩の化導に預り」(87頁)
とあります。
像師の「曼陀羅相伝」(正本)に
「本地は上行菩薩なり」(229頁)
等が有りました。
宗祖御自身の自覚はどうか?と云う問題ですが、
開宗時には、「もしかしたら自分は地涌菩薩の代表かも」と云う思いは懐いていたと思います。
弘通を始めたら必ず法難を受け親にも及ぶであろうから、躊躇したとある事、それに日蓮と名乗られた事は正に本化地涌の働きをしようという覚悟の命名でしょう。
命名を述べている「寂日房御書」(真蹟は無いですが、真偽論はありません)にも、
「斯人行世間の五の文字は上行菩薩末法の始の五百年に出現して、南無妙法蓮華経の五字七字の光明をさしいだし(指出)て無明煩悩の闇をてらすべしと云事也。日蓮は此の上行菩薩の御使として日本国の一切衆生に法華経をうけたもてとすゝめしは是也。」
とあって、「上行菩薩の御使として」とあって、御自身で「上行なり」とは明言されてないですが、義として示しています。
弟子信徒は「末法の始の五百年に出現して、南無妙法蓮華経の五字七字の光明をさしいだし」た人は宗祖以外には居ないので、宗祖を上行菩薩と仰いだことと思います。
開目抄、本尊抄にも明言はないですが、両抄を読んだ弟子信徒は、法難に遭い本門の三大秘法を弘通している人は宗祖以外に居ないので、本地は地涌の代表上行菩薩に違いないと、思っていたと推測します。
佐渡流罪、蒙古来襲予言の実現によって、宗祖の上行自覚は相当に深まっていったであろうと私は推測しています。
「万年救護御本尊」の讃文にも、「日蓮が上行である」と云う言葉はないので、独歩さんの云われる通り、明言でないといえば明言でないですね。しかし、事実上、曼陀羅を図顕し弘宣し始めたのは宗祖以外には居ないのですから、この讃文を読んだ人は、当然、宗祖は上行菩薩に違いないと思ったと思います。(続く)
95
:
川蝉
:2002/06/10(月) 11:41
独歩さんへ。続きです。
>けれど、大本尊である万年救護本尊を実際に図示したところに記
>したのであるから、記したのが聖人である以上、上行菩薩は聖人
>であるという連想が基礎になっているのでしょう。
私の解釈は、仰る通りですね。
>文永11年には法華取要抄が記され、そこに
>日蓮は広略を捨てヽ肝要を好む、所謂上行菩薩所伝(しょでん)
>の妙法蓮華経の五字なり
>とあります。しかし、この文とて聖人の上行宣言とは読めませ
>ん。・・ここで聖人と上行は=でつながれているとは読めない
>わけです。
とのことですが、上行が付属された妙法蓮華経の五字を事実上、弘通しているのは宗祖以外には居ないので、弟子信徒は宗祖の事を上行に違いないと理解したことであろうと推測します。義としては本地は上行であることを示していると受け取れます。
「法華取要抄」の最後に
「是の如く国土乱れて後上行等の聖人出現し、本門の三つの法門之を建立し、一四天四海一同に妙法蓮華経の広宣流布せんこと疑ひ無からん者か。」
とあるので、「本門の三つの法門之を建立し」たのは宗祖以外に居ないので、弟子信徒は、宗祖の事を上行であると理解した事と思います。
明言がないけれど、本地上行であることを教唆・示唆する文がある御書が多々ありま。
その中の二つを挙げます。
「撰時抄」に
「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて(敢)疑ひなし。これをもん(以)てすい(推)せよ、漢土、月支にも一閻浮提の内にも肩をならぶる者は有るべからず。」(284頁)
と述べ、すぐ後に、
「答へて云く、上行菩薩の大地より出現し給ひたりしをば、・・寿量品の南無妙法蓮華経の末法に流布せんずるゆへに、此の菩薩召し出されたるとはしらざりしという事なり」
と述べています。
また、「顕仏未来記」(真跡曾存)には
「疑て云く、何を以て之を知る、汝を末法の初めの法華経の行者なりと為すといふことを。答へて云く、・・・予よりの外には一人も之なし。時を論ずれば、末法の初め一定なり。然る間、若し日蓮なくんば仏語虚妄とならん。・・・疑って云く、如来の未来記、汝に相当れり、但し五天竺並に漢土等にも法華経の行者之あるか、如何。、答えて云く、四天下の中に全く二つの日なし。四海の内豈に両主あらんや。(略抄)」(507〜508頁)
この「撰時抄」「顕仏未来記」の文によっても、本地上行の自覚は持たれていたと云わざるを得ないと思います。
末法の始めに於いて、本門の本尊、題目、戒壇を弘通し、勧持品二十行の偈を色読した人は宗祖以外にはいないので、後世の我々は宗祖を本化上行の再誕と仰ぐべきだと思っています。
>本尊抄に言う本尊とは
曼陀羅本尊と一尊四士像とは実質的に同じものと理解していますので、大曼荼羅本尊図顕も本尊図顕と理解しています。
本尊抄に「本尊の為体」として、曼荼羅の形態を説明しているので、曼荼羅も本尊であることは否定できません。
「末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか」の部分は、公場対論で諸宗帰伏した暁に、中心的になるお堂には一尊四士像を奉安すると云う考えがあったのでは無いかと推測できる文だと理解しています。
曼陀羅が本尊ではないという意味はないと理解しています。
96
:
犀角独歩
:2002/06/10(月) 11:42
> 93
まったく、そのとおりですね。賛同します。
日蓮の祖意を闡明にする、これが私のここでのコンセプトですが、もちろん、法華経、日蓮の全面肯定を目的にするものではありません。事実を知ろうということです。少し祖意を闡明にすることから離れて記します。
法華経の梵本直訳で読めば、開三顕一は、まさに、いちりんさんのいうとおりのことしか、説かれていませんね。
唯有一乗法 無二亦無三 除仏方便説
岩本訳:仏たちが手段として幾つかの乗り物を約束する場合を除いて、乗り物は実に唯ひとつであり、第二の乗り物はなく、第三のものも決してこの世にはない。
また、天台が法華最勝の位置づけをするけれども、もっとも重要な点は“開会”なのであって、他を斥けるどころか包摂していくところにあるわけですね。それまで二乗・悪人・女人は不成仏といっていたところを法華経は成仏の記別をする、さらに釈尊自体の成仏も伽耶始成ではなく、久遠成道であるという法華経を中心に据え、一切の教典に久遠成道と一切衆生未来成仏を教えようとしたのが天台であったと思います。そもそも天台の経説は華厳を基礎にするのであって、当時の華厳教学なくして天台の経説は成り立ちようもないわけです。また三諦論を展開するのに般若経の空なくして何も語れません。衆生世間をいう五蘊説は唯識で、結局、それらを総合して使用していくわけですね。捨て去るどころかすべてを統合しているに過ぎません。
末法ということですが、法華経の全文の中でこの語彙が出てくるのは実は二カ所しかありません。
安楽行品:如来の滅後に末法の中に於て是の経を説かんと欲せば、安楽行に住すべし
分別功徳品:悪世末法の時 能く是の経を持たん者は 則ち為れ已に上の如く諸の供養を具足するなり
これが大集経の五時説で解釈され、法滅=仏滅(仏の教導力の滅)まで意味すると解釈されていくわけですね。しかし、これは完全なドグマでしょう。
梵本で読めば、
安楽な生活:求法者で、如来が入滅した後に、正しい教えの衰微する“最後の五百年の間”に、この経説を弘めようと欲する者は、安楽な生活を送るのである。
福徳の区分:この教典を護持して、“この世の堕落の時世”に人に教える人は、このような数々の供養を、限りなく、余に捧げたことになるのだ。
正しい教えの衰微・堕落の時世であって、仏の消滅ではない点に着目しなければならないと思うわけです。
なお「(最)後の五百年」と言えば薬王菩薩本事品の
我が滅度の後後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布
が思い起こされるでしょうが、私はこの文が地涌の弘教と直接はつながらないと考えています。前後を引用すれば
薬王菩薩本事品:宿王華、此の薬王菩薩本事品を以て汝に嘱累す。我が滅度の後後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・龍・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得せしむることなかれ。宿王華、汝当に神通の力を以て是の経を守護すべし
バイシャジヤ=ラージャの前世の因縁:ナクシャトラ=ラージャ=サンクスミタ=アビジュニャよ、偉大な志を持つ求法者「サヴァサットヴァ=プリヤダルシャナの前世の因縁」の章が最後の時であり最後の機会である最後の“五十年”が経過している間に、このジャンブ=ドゥヴィーパに行なわれて、消滅しないように、また魔王パープーヤス(波旬)が襲撃の機会を得ず、悪魔の眷属や神や、竜、ヤクシュ、ガンダルヴァ、クンバーンダどもが襲撃の機会を得ないように、余をそれを汝に委ねよう。従って、ナクシャトラ=ラージャ=サンクスミタ=アビジュニャよ、余はこの経説をジャンブ=ドゥヴィーパに恵み贈るのだ。
となっています。驚くべきことに500年ではなく、50年となっているのです。羅什三蔵が訳に当たり、故意に改変し、末法の初めの五百年と整合性をつけたのであろうと想像できるわけです。
ここまでやりだすと際限がなくなりますが(笑)
97
:
犀角独歩
:2002/06/10(月) 13:00
> 94〜95 川蝉さん:
朗門の文書、有り難うございました。やはり、という感じです。大菩薩号勅許の門下、当然あるであろうと思っていました。
お記しいただいたこと、私も日蓮本仏論、日蓮上行論のお家元に40年もおりましたので、お馴染みのところです。
日蓮上行論の見直し、実は日誠さんとしつこくやったところなのです。
私は聖人ご本人は揺らいでいたのであろうと思っています。「私は上行であろうか、いや、そのお使いかも知れない」と言った具合です。ですから、断定できないと申し上げたわけです。
ただ、川蝉さんが仰るように法華経に照らし合わせた状況証拠から聖人以外に上行菩薩は思い当たらないというのは事実でしょう。しかし、それは決定打ではないでしょうね。
仏菩薩であれば宿命通は当然あるわけです。自分の過去がわからない仏菩薩などいるものでしょうか。経典に照らして、自分は上行菩薩かも知れないなどというのは、どうもしっくりこないのです。
聖人の御一代を俯瞰すると、特異な神秘体験とも言うべきことが2、3度あります。
一つは生身の虚空蔵菩薩を感見、そして愛染明王・不動明王との感見です。さらに龍口では三光天子の出現を見るわけでした。
私は聖人は、このような形で四菩薩との感見をどこか期待し、待っていたのではないのかと考えるところはあります。もちろん、これは想像です。
しかしこのように言うと、上行菩薩は末法に出現しなかったとすると、法華経の予言自体が外れたことになるではないかということが言えることになってしまいます。となれば、法華経自体も疑うのかということに発展してしまうわけですね。私は事実を真摯に受け止めようとする立場ですから、この結論も許容範囲にあります。
川蝉さんは、どうでしょうか。到底、受け入れられないということになるでしょうか。
あと、末法の始めということですが、たしか山川師であったか、仏滅年代が500年のズレがあり、実は鎌倉時代は末法に入っていないということから苦悶されたということを読んだことがありました。実際の末法の始めは、むしろ明治時代で、故に二重の末法論を立て、近代を第二の末法とし、故に国立戒壇の気運が高まった…、大雑把ですが、これは山川師ではありませんでしたか?
> 「是の如く国土乱れて後上行等の聖人出現し、本門の三つの法門之を建立し、一四天四海一同に妙法蓮華経の広宣流布せんこと疑ひ無からん者か。」
当然、出してきてくださると思いました。たしかに以上のようにありますね。
他にもあります。
・法華行者値難事,文永11年(1274)1月14日53歳
竜樹・天親は共に千部の論師なり。但権大乗を申(の)べて法華経をば心に存して口に吐きたまはず此に口伝有り。天台・伝教は之を宣(の)べて本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字と、之を残したまふ。所詮、一には仏授与したまはざるが故に、二には時機未熟の故なり。今既に時来たれり、四菩薩出現したまはんか。日蓮此の事先(ま)づ之を知りぬ。
・法華取要抄,文永11年5月24日53歳
本門の本尊と戒壇と題目の五字となり
・報恩抄,建治2年(1275)7月21日55歳
一つには日本乃至一閻浮提(えんぶだい)一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂(いわゆる)宝塔の内の釈迦・多宝、外(そのほか)の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士(きょうじ)となるべし。二つには本門の戒壇。三つには日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無知をきらはず一同に他事をすてヽ南無妙法蓮華経と唱ふべし。
真跡中では三大秘法という成句は見えません。
上行等が出現し、三つの法門を建立する。三つですね。
では、日蓮聖人が建立した戒壇とはなんでしょうか。
98
:
犀角独歩
:2002/06/10(月) 13:01
―97からつづく―
次に川蝉さんは曼陀羅と本尊は同義であるというお立場であることがわかりました。
その根拠として万年救護本尊讃文と本尊抄の「本尊の為体」を根拠とされました。
ここで質問させていただきたいのですが、(1)なぜ万年救護本尊に限り、大曼荼羅ではなく、「大本尊」とされるのでしょうか。また、なぜこの一幅に限り「上行菩薩」とされるのでしょうか
(2)本尊と為体とは同じ意味なのでしょうか。
上掲の如く聖人は「本門の教主釈尊を本尊」と記し遺されているのですが川蝉さんは「曼荼羅も本尊である」と言われますが、すると(3)聖人の曼荼羅は教主釈尊なのでしょうか。
三つの法門という場合、本尊と題目と戒壇であるわけですが、換言すれば釈尊と妙法蓮華経と戒壇ということになりませんか。むしろ南無妙法蓮華経と記された曼荼羅は三つの法門中では妙法蓮華経(題目)に啓当するように思えます。
> 「末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか」の部分は、公場対論で諸宗帰伏した暁に、中心的になるお堂には一尊四士像を奉安すると云う考えがあったのでは無いかと推測できる
この根拠はいったい何なのでしょうか。
種々質問申し上げて恐縮ですが、回答いただければ有り難く存じます。
なお、蛇足ながら、私が三大秘法抄を偽書と思う根拠の一つに本尊抄との不整合があります。それは本尊抄に
一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠(たま)を裹(つつ)み、末代幼稚の頚(くび)に懸(か)けさしめたまふ。
とあるのに三大秘法抄では
法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給ひて候は、此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給へばなり
となっています。三大秘法抄以外では妙法蓮華経(法華経)は一念三千を含むことで一貫していたのに、ここでいきなり三大秘法を含むという飛躍が見られるわけです。
その他、偽書と考える理由は山川師が引くところと一致します。また、三大秘法という成句は義浄房御書、そしてこの三大秘法抄などであって、結局、真跡にその成句が見られないことも疑義を挟む理由の一つです。
99
:
犀角独歩
:2002/06/10(月) 13:06
【98の訂正】
誤)偽書と考える理由は山川師が引くところと一致します
正)偽書と考える理由は山上師が引くところと一致します
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/ssk_sandaihiho_001.html
100
:
川蝉
:2002/06/11(火) 09:29
97 : 犀角独歩 さんへ。
>ただ、川蝉さんが仰るように法華経に照らし合わせた状況証拠か
>ら聖人以外に上行菩薩は思い当たらないというのは事実でしょ
>う。しかし、それは決定打ではないでしょうね。
「開目抄」に
「其義なきは我身法華経の行者にあらざるか。此疑は此書の肝心、一期の大事なれば、所所にこれをかく上、疑を強くして答をかまうべし」(学会版203頁)
とあります。
法華経の行者であるか否かの判断材料を呈し、さあ読む者よ如何に判断するか?と問いかけている述作と云えますね。
決定打と見るか、決定打ではないと認識するか、読む人によるので、強要はできませんね。
>仏菩薩であれば宿命通は当然あるわけです。自分の過去がわから
>ない仏菩薩などいるものでしょうか。経典に照らして、自分は上
>行菩薩かも知れないなどというのは、どうもしっくりこないので
>す。
本地は大菩薩であっても、宿命通などない凡身として応生したとすれば、自分の過去が分からなくても当然では。
私には「経典に照ら」す事こそ、宗祖の経証を重んじる尊いところと思われるのですが。
>川蝉さんは、どうでしょうか。到底、受け入れられないというこ
>とになるでしょうか。
私自身は、法華経を色読した人と見ますが、本地は本化でないと思う人が居ても、その人にはそう思えるのだから仕方ないなと思うだけです。
>これは山川師ではありませんでしたか?
里見岸雄法学博士ではないですか?。
いま手元にないですが「日蓮その人と思想」に、そのように論じているのでは?。
>なぜ万年救護本尊に限り、大曼荼羅ではなく、「大本尊」とされ
>るのでしょうか。また、なぜこの一幅に限り「上行菩薩」とされ
>るのでしょうか
全く分かりません。
「報恩抄送文」(真蹟は無いですが真偽論はありません)
に
「御本尊図して進せ候。」(330頁)
とあり、曼荼羅を本尊と呼称している例がありますね。
>(2)本尊と為体とは同じ意味なのでしょうか。
本尊はこういう形で表現すると意味で「其の本尊の為体本師の娑婆の上に・・」と説明しているのですね。
>(3)聖人の曼荼羅は教主釈尊なのでしょうか。
釈尊の証悟の世界(釈尊の身土)を以て教主釈尊を表現したものと理解しています。
「報恩抄」に
「本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦、多宝、(塔)外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし」(328頁)とあります。他の解釈も有りますが、「所謂」と云って大曼荼羅の形態を述べていますので、この文には、大曼荼羅を本尊とする事が即ち「本門の教主釈尊を本尊」とする事になると云う意がありますね。(続く)
101
:
川蝉
:2002/06/11(火) 09:30
犀角独歩さんへ。続きです。
「法だ人だと面倒なことは云うと訳がわからなくなる。虚空会には別に南無妙法蓮華経と記された宝塔が、建って居たわけでなく、釈尊が妙法蓮華経を説き、多宝如来が証明している虚空会の光景を、一幅の大曼荼羅で図顕する時には、必然的に釈尊と多宝如来との中間に、南無妙法蓮華経と書きあらわされることとなる」
と云う顕本法華宗の説明が分かりやすくて良いと思っています。
難しい本尊論は差し置いて、そのように想像しながら曼陀羅本尊を拝すると有り難みを一層感じますね。
>釈尊と妙法蓮華経と戒壇ということになりませんか。むしろ南無
>妙法蓮華経と記された曼荼羅は三つの法門中では妙法蓮華経(題
>目)に啓当するように思えます。
三つの法門中の題目は、本尊に向かって我々が唱える行法としての題目ですね。
曼荼羅は本尊ですから、中央に題目があるからといって、我々が唱える行法としての題目ではないですね。
大まかに云えば、私は、中央の題目を釈尊の大慈悲、釈尊の証悟、教えを表現しているものと拝しています。
>この根拠はいったい何なのでしょうか。
「本尊抄」に
「権大乗並びに涅槃、法華経の迹門等の釈尊は、文殊、普賢等を以て脇士と為す。此等の仏をば正像に造り画けども、未だ寿量の仏ましまさず。末法に来入して、始めて此の仏像出現せしむ可きか」(248頁)
「小乗、権大乗、爾前、迹門の釈尊等の寺塔を建立すれども、本門寿量品の本尊並びに四大菩薩をば、三国の王臣倶に未だ之を崇重せざる由これを申ぶ」(248頁)
「月支、震旦にも未だ此の本尊ましまさず。日本国の上宮、四天王寺を建立せしに、未だ時来らざれば、阿弥陀佗方を以て本尊と為す。聖武天王、東大寺を建立せしも、華厳経の教主なり。」
(254頁)
とあります。
「仏像出現せしむ可きか」
「迹門の釈尊等の寺塔を建立すれども」
とあり、
そして、引き合いに出された四天王寺・東大寺は共に国家的事業として建てられた寺院です。公場対決を成就出来た暁には、本門本尊を奉安する本格的建物の寺が、東大寺等と同じように、官の援助で恐らく建てられるであろうと想像され、本格的寺院であるから本尊形態は一尊四士像が良いと云う考えが有ったのではと想像するのです。
102
:
犀角独歩
:2002/06/11(火) 13:13
川蝉さん:
丁重なレス、感謝します。
本尊と云うこと、使われ方にやや混乱があると私は思ってきたのです。
たとえば菩薩像を祀っている寺院がある場合、その菩薩を「うちの寺の御本尊です」という言い方をされます。これは鬼子母神でも、帝釈天などでも、同様に言われます。しかし、だからといって菩薩、諸神が一番上位の本尊というのではなくて、あくまでも根本は釈尊とされますね。これは曼荼羅でも同様で、その意味から本尊というのは当然ではあると思うわけです。また、曼荼羅に図示されるすべての諸尊は本尊たり得るわけです。もちろん、釈迦仏像もそうでしょうし、一塔二尊四士、一尊四士であっても、本尊でしょう。
ただ、私が本尊というのは、そういうことではなくて、たとえば丈六の釈迦とか、あるいは小乗の釈迦、大乗の釈迦などと言われるような意味での本尊です。それを聖人は本門教主釈尊として建てられたという点を言っているわけです。この点は川蝉さんも異論はないと拝察します。
本尊と曼荼羅、しかし、厳格な意味でこれを立て分けるべきというのは、ちょっと川蝉さんのお立場とは違う、ここ掲示板の中心である富士門ならでは設問です。改めて申し上げるまでもありませんが、石山では有師が「当宗の本尊の事、日蓮聖人に限り奉るべし」といい、釈尊本尊を斥けて日蓮を本尊に据えました。また、寛師はさらに戒壇之曼荼羅を法本尊として、人本尊と一体であるとまで言い切ったわけです。この石山の流れの中では他の一切の“本尊”も斥けて、ただ曼荼羅のみを本尊とする、所謂、曼荼羅正意論が底意にあって現在に至るわけです。
たぶん、曼荼羅を拝すると言っても、川蝉さんと石山僧俗では、この点でまったく違っているわけです。川蝉さんは本尊を釈尊と見ながら仰ぐでしょうし、方や石山では日蓮を本尊と見ながら仰ぐでしょう。
この点で果たして本尊は何と取り定めるべきかを論ずるために、私は本尊の意味を問うてきました。この意味での本尊です。
そして、富士門の問題としてはるか700年前に捨て去られてしまった造仏(像)義、しかし、聖人にその意志がお有りであったとしたら、それを方便などと言って捨て去ることが祖意に叶うことなのかと問うために、私は本尊抄の仏像の意義を問うてきたわけです。この点をご理解いただけないのは、無理からぬところでしょう。
それにしても、40年、富士にあった私にとって、仏像を合掌することは、実は心理的葛藤が生じるところです。しかし、それでも聖人はどうであらせられたのか、と問うための設問であったわけです。
ですから、教理的に見ていくとき、曼荼羅図示を直ちに本尊と言ってしまうことには少なからず抵抗を示さなければならなかったわけです。法を本尊といってしまえば日蓮教義とはなり得ないという判断です。
なお、本尊抄の「本尊為体」が曼荼羅相貌の説明であるという点は、川蝉さんのご発言に、ということではなく、私は納得していません。むしろ、これは本尊釈尊の虚空会説法を表示した法華経の説明であると思うわけです。聖人以前にもこのような法華虚空絵図は存在するわけですが、ご呈示いただいたとおり、その根本に主題の妙法を具象化することによって聖人自らの独走となるのでしょう。
実際、為体の文では曼荼羅相貌の説明としては、愛染・不動の梵字、天台・伝教、天照大神・八幡大菩薩という実際に記されるところの諸尊の説明はまったくないわけですから、やはり、曼荼羅図示の説明と言うより、虚空会説法について論ずる範疇を超えていないと思うわけです。
なお、聖人が上行菩薩か否かという点について、実は私も引用された法華取要抄の末尾を常に思い描いてきました。三つの法門建立の人が上行菩薩であるという思想を、です。
「是の如く国土乱れて後上行等の聖人出現し、本門の三つの法門之を建立し、一四天四海一同に妙法蓮華経の広宣流布せんこと疑ひ無からん者か。」
たしかに聖人は題目を流宣された、本尊・寿量釈尊も闡明にされた、ここまで見れば、たしかに聖人は自ら上行という自覚か、思えるところはあります。しかし、川蝉さんがお応えくださらなかった97の「日蓮聖人が建立した戒壇」とはなんであろうかと考えるとき、他の二つの法門に比し、突然この点に関しての聖人の聖跡は浅薄なものとなっています。
仏像は「国家事業で」という川蝉さんの説に私も同意見なのです。本尊抄に「此四菩薩 現折伏時成賢王誡愚王 行摂受時成僧弘持正法」との脈絡も考えられるのか?という解を見出せない自問自答に明け暮れてきました。
いずれにしても、聖人が戒壇義を成就したと見られるかどうかに鍵はあるように思うわけです。
103
:
川蝉
:2002/06/12(水) 09:11
犀角独歩 さんへ。
>実際、為体の文では曼荼羅相貌の説明としては、愛染・不動の梵
>字、天台・伝教、天照大神・八幡大菩薩という実際に記されると
>ころの諸尊の説明はまったくないわけですから、やはり、曼荼羅
>図示の説明と言うより、虚空会説法について論ずる範疇を超えて
>いないと思うわけです。
なるほどそうですね。経文上の虚空会に居ない神や人までも曼陀羅には載せられていますね、
しかし、「其の本尊の為体」はと云って、虚空会の光景を記し、夫れを指して「是の如き本尊は」と記述しているので、やはり曼陀羅を説明していると見るべきではないですかね。
「種々御振舞御書」(真蹟曾存)を見ると、宗祖の虚空会についての見方は経文を越えていますね。
「種々御振舞御書」には
「又大蒙古国よりこの国をせむるならば、天照大神、正八幡とても安穏にはをはすべきか。其上釈迦仏法法華経を説き給ひしかば多宝仏十方の諸仏菩薩あつまりて、日と日と月と月と星と星と鏡と鏡とをならべたるがごとくなりし時、無量の諸天並に天竺、漢土、日本国等の善神、聖人あつまりたりし時、」(913頁)
と虚空会に言及しています。
虚空会には「漢土、日本国等の善神、聖人」も来集していたと考えているのですね。当然、天照大神・八幡大菩薩も列座していたと考えられていたことになりますね。
愛染・不動も列座していたと考えていたことでしょうね。梵字にしたのは何か意味を含めたのかも知れません。
また同書に
「今の月天は法華経の御座に列りまします名月天子ぞかし。宝塔品にして仏勅をうけ給ひ、嘱累品にして仏に頂をなでられまいらせ、如世尊勅当具奉行と誓状をたてし天ぞかし」
とあります。日天子も明星天子も同じく列座していたと考えられていたと思います。
天台の伝記に「恵思禅師が汝と自分はかって霊鷲山で共に法華経を聞いたのだと語った」と云う有名は話が伝えられていますね。宗祖もその話を基に記載したのかも知れませんね。
あるいは、「今本時の娑婆」「本師の娑婆」と表現されている世界いわゆる霊山浄土でしょうから、天台・伝教も死後、還っている世界と考えて、書き入れたかも知れないなと思ったりします。
虚空会と曼陀羅の記載とは全同ではないですね。宗祖独自の虚空会観をベースに宗祖独自の工夫をプラスしたのでしょうね。
云うまでもなく、虚空会の中心、教主は釈尊であることは、明白な事実ですね。さすれば、曼陀羅を本尊としながら釈尊本尊を否定することは大きな間違いですね。
教理的に難しく論じるより、虚空会の教主を取り出せば、釈尊ですね。その釈尊像が本門の教主であることを形で示す為に四菩薩像を添えたのが一尊四士像であると、簡単に考えればと良いことなのでしょうね。
一尊四士像を本尊として唱題する時には、勧請文を言上し曼陀羅勧請の諸尊も勧請すれば、仏壇には曼陀羅勧請の諸尊が影現するので、曼陀羅本尊を拝しているのと同じといえましょう。
昭和定本には「撰法華経」が収録されています。
像師の注釈書も現存するので、宗祖が選定されたことは間違いないと宮崎英修師も論じています。(続く)
104
:
川蝉
:2002/06/12(水) 09:12
犀角独歩 さんへ。続きです。
その「撰法華経」には宗祖の勧請文があります。
勧請し奉る本門寿量の本尊
南無久遠実成大恩教主釈迦牟尼仏 一礼
南無証明法華多宝如来 一礼
南無自界他方本仏迹仏等 一礼
南無上行無辺行浄行安立行等六万恒河沙地涌千界之大菩薩 一礼南無開迹顕本法華経中一切常住三宝 一礼
惣じて受持者擁護諸天善神、末法の行者に於いて、息災延命、真俗如意、広宣流布、得已満足せしめ給え。南無妙法蓮華経。
というものです。
大恩教主釈迦牟尼仏を中心として以下の諸尊を総括して本門寿量の本尊としていますね。
一体釈尊像を本尊としていた時でも、宗祖はこの勧請文と類似した勧請文を唱えたことでしょう。
宗祖は目の前には一体釈尊像だけであっても、その他の諸尊も影現していると信じられていたことでしょう。
顕本の本多日生上人が「日蓮教学精要」において
「必ずしも上行等の四菩薩が無ければならないと、絶対的に論じることは出来ないと思う。・・・私の云う意味は、四菩薩が無ければ、お釈迦様は独立して存在することが出来ないようなお釈迦様だとするならば、それはお釈迦様の尊厳をきづつけるものである。
一人のお釈迦様を置いただけでは、これは小乗の釈尊か、何か分からぬ所から、四菩薩を置けば、論ぜずしてこれは本門の釈尊だということが分かり易いという点においての問題である」(386頁)
と論じていますが、傾聴すべき意見だと思います。
105
:
犀角独歩
:2002/06/12(水) 09:20
川蝉さん:
虚空会のご説明、有り難うございます。
非常に納得のいくものでした。
あと、勧請のこと、なんと石山ではまったく顧みられないのですよ。
その理由はたぶん、曼荼羅を生身の日蓮聖人と見るので、勧請するまでもなく、曼荼羅として在すと考えるからではないのか?と私は憶測しています。
富士義から外に目を向けてはじめて勧請の重大さに気が付いた次第です。
たぶん、ここでロムをしている石山信徒は「勧請」と聞いてもピントこないと思います。
106
:
一字三礼
:2002/06/13(木) 10:28
川蝉さんへ
資料としてお示しになっている昭和定本の「選法華経」の記述は大変興味深い内容でした。しかし、出来ましたら御真蹟の現存する御遺文でお願いしたいと思います。富士派としては、こちらのような本尊に関わる話ではせめて「本尊問答抄」(興師写本・録内・富士一跡門徒存知事に引用あり)くらいは出したくてウズウズしているのですから。(笑)
御真蹟中に連祖聖人御自身が、勧請なさったと言う記述はあるのでしょうか。また、もしもこのことが、御真蹟中からは具体的あたれなくても、そのことによって日蓮宗内で伝えられてきた勧請という伝統的、荘厳な化儀を軽んずる意図は一切ありません。念の為に付け加えておきます。
107
:
犀角独歩
:2002/06/13(木) 12:56
この点は既にほかで書いたのですが、「本尊」という語彙は初期天台資料(陳・随・唐代成立天台文献81資料)中には、唯の一度も使用されていません。天台・妙楽には本尊という概念すらないわけです。私が“本尊”語に拘る一つの理由です。方や「曼荼羅」は30以上の使用例を見ます。
ところが、たとえば本覚資料である『漢光類聚』では、“本尊”語の使用が見られるわけです。もちろん、“曼荼羅”語の使用も見られます。
たぶん、本尊と曼荼羅というのはその生成と使用が必ずしも一致しない別に発展して培われ融合した概念語彙であったと見なせます。その時代背景で聖人は使用されているのであろうと私は想像しています。
故に聖人が観心本尊、本門本尊というのは、純天台的見地から言えば、実はかなり違和感があることになります。純天台的に言えば、仏は寿量釈尊であり、法は一念三千ですが、しかし、それが本尊であるとか、曼荼羅であるとかいう言い方にはならないわけです。それを本尊と曼荼羅とするところに聖人の独走があるのでしょう。台学からは、たとえば『破日蓮義』という形で非難の対象になるでしょうが、日蓮門下にとっては、その独創性の故に聖人を恭敬するのでしょう。
なお、聖人にしても、興師にしても造仏否定論者であるわけはなく、ただ曼荼羅図示を至極とする以上、自然に曼荼羅尊重、本尊と見做すのも当然のことであったのでしょう。聖人の特徴を曼荼羅本尊である以上、仏像以上に曼荼羅が尊重されるのも自然な流れであったのでしょう。しかし、これは仏像の否定とは少なからず意味を異にします。
取り分け、興師門下、あるいは朗門像師は曼荼羅尊重には喧しかったように見えます。また、曼荼羅尊重をするところは聖人を上行菩薩と仰ぐ気風も強いという、ある種の因果関係も見いだせるような気がします。
なお、聖人を上行菩薩と見做す思想には、大きく二つあるように思えます。一つは後身、もう一つは垂迹とする考えです。前者の場合、聖人を菩薩と拝することになりますが、垂迹であれば凡夫ということなることになるようにも思えます。興師自体のお考えは、前者であると思えます。
まあ、このようなことを書いても関心を持たれる方はあまりいらっしゃらないでしょうね。
108
:
川蝉
:2002/06/13(木) 14:55
106 : 一字三礼 さんへ。
>しかし、出来ましたら御真蹟の現存する御遺文でお願いしたいと
>思います。
ですから主に「観心本尊抄」を根拠として書いたのですが。
御存知のように「観心本尊抄」が本尊についての最も重要な御書ですね。
分かりやすい傍証として、「祈祷経の事」を引証にしたまでです。
「祈祷経送状」は、像師の写本があるので、真蹟が存在した御書として扱われています。
「祈祷経送状」が真蹟であったとすれば、「祈祷経」が存在していたと考えられます。
像師の弟子の大覚僧正が
「蓮師御弟子之中へあまた書御出し候へば」(宗全第19巻52頁)とあるので、真筆の外、書写本が幾本か存在していたようです。
傍証資料として、大いに注目すべきものと思われます。
また、像師の「祈祷経の事」は、「祈祷経」の注釈とみて間違いないでしょう。
勧請文について言及した他の御書が無いので、「撰法華経」は貴重な資料と思います。
109
:
一字三礼
:2002/06/13(木) 19:27
根本仏典などを読んでいると「本尊」と言うものは、はなはだ非仏教的な概念に感じられます。
不敬な言い方になりますが、突き詰めれば「本尊」とはどのような役割をするものなのでしょうか。
それを対象物として題目や経を唱えたりする為に、作られる事を前提とした存在なのでしょうか。
もしくは、聖人お認めの大曼荼羅の様に行者の宗教体験を表現したものを指すのでしょうか。
私は「本尊」、「大曼荼羅」、「仏像(一尊四士)」はそれぞれ違う存在であると考えています。
まず、蓮祖聖人の仰る本門教主釈尊とは、純粋に教義的・観念的・体験的な存在で、どのような形でも表現され得ないもの。これは法華経寿量品のように、不惜身命の行者にのみ自覚される対象でこれを「本尊」と呼ぶ。
次に「大曼荼羅」とは、行者のみに知覚され、厳しい修行、内省の深まりと共に序々に顕現されていく「時我及衆僧。倶出霊鷲山」の浄土観を強信の弟子達にも疑似体験させる目的で認められたもの。しかし、それは紙上に文字で表し、客体化し、崇拝対象となった時点で、行者の体験した世界とは自ずから異なるが、究竟の方便と言う意味で非常に重要な尊崇対象である。
前者の「大曼荼羅」は法華経虚空会と顕わしたとされる。しかし、法華経には登場しない不動・愛染の梵字悉曇、実在した龍樹以下の諸師、また日本古来の神々の表記などがある。これらのことから、その座配はあくまで末法限定・日本限定で個人的の体験や経験、主観を元にした、蓮祖聖人ローカルな浄土観であった。
これが「仏像(一尊四士)」の場合は「大曼荼羅」と同じく尊崇対象ではあっても、かならずしも聖人の教義、化導を必要とはしない。いわば、法華本門の信仰であれば、必然的にたどり着く尊崇形態である。
これを言いかえれば、「大曼荼羅」を尊崇対象とするのは、法華宗日蓮派。
「仏像(一尊四士)」を奉るのは汎法華宗。
以上が私の本尊観です。なんかすんごい事、言い切っちゃってますが。
110
:
日犬
:2002/06/13(木) 20:51
御存じの方があれば教えていただきたいのですが、
近年、正宗では在家において鶴丸の紋はあまり使わないことになっているみたいですけど、
一時期、鶴丸だらけだったのは何だったのでしょう?
現在、学会は八葉の紋ですよね。
やはり実は、○○○家の紋だからまずいってことで
フェードアウトしていっているのですか???
111
:
犀角独歩
:2002/06/13(木) 23:47
一字三礼さん:
> 109
概ね賛同します、この整理の仕方に。
これまた、以前に書いたのですが、本尊というのは、たぶん儒家から出てきたものなのではないかと思っています。
いずれにしても聖人の時代には宗教の尊体は図・像として表現することが一般化していたのでしょう。儒家の流れでは本尊、真言の流れでは曼荼羅であり、それらを統合し、頂点に置かれたのが聖人の妙法曼荼羅であったのではないかと思います。
最近、桐谷征一師が『大曼荼羅の世界』という文を書いているのですが、これはなかなか面白いものでした。このなかで聖人は自分が図示されたものが曼荼羅であり、本尊であることを弟子檀那に理解させるのに苦労されたという件がありました。優れた洞察眼であると思ったものです。
また、図示の曼荼羅の諸尊を絵で置き換えたものを載せているのですが、こうなると、本尊だと言われても、「この中のどれが?」と言いたくなることになります。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/jikkaimandarazue.jpg
曼荼羅が虚空会の儀式に準じるとすれば、「有七宝塔。高五百由旬。縦広二百五十由旬。」というとてつもなく大きな七宝で飾られた塔は記されず、六万恒河沙の地涌菩薩もただ四菩薩ばかりを記すのみで略されていることになります。
私は聖人の曼荼羅は題目と、勧請諸尊を記し置いた札というふうに理解しています。曼荼羅を懸け、記された諸尊を読み上げながら、勧請していくといった具合です。また勧請すべき諸尊が記されていることから、懸けることによって既に勧請を表すということにもなるという“使い方”を聖人は考えておられたのではないのか思うわけです。
また、それは止観の如く、十法界を観法するために、具体的に十界の各衆を列挙してあるのではないのかと思うわけです。
また、もう一つの意義として、「お守り」の意味合いを意識されていたのでしょう。この点も桐谷師は指摘しているわけで、その例として建治2年8月14日図示の曼荼羅を挙げています。花押のなかに「亀姫護之」の文字が記されています。
さらに山中喜八師、山川智應師の曼荼羅研究に敬意を表しながらも、分類するよりも、授与者それぞれに特定の意義をもって下付したと見るべきではないのかと指摘していました。もっともだと思ったわけです。
112
:
犀角独歩
:2002/06/14(金) 08:01
○真跡における勧請の使用例は1カ所のみ、『守護国家論』に「梵天勧請」で使われるのみです。曼荼羅(本尊)授与に際し、その意義を述べるところは数カ所あるけれど、勧請についての説明はありません。しかし、天台の化儀を踏襲していたことは想像できるので真跡中に現れないことが直ちに勧請を行わないことの説明とするのは短絡でしょう。
○興門における勧請の使用例
『本尊三度相伝』
(曼荼羅の図示は勧請であること)
・竜樹天親天台伝教等は正像二千の高祖大師なり、普く之を勧請し聊も載せざる無し
『誓文』
・本尊を勧請し奉りて各判形を加へ、偏頗を破劫せしめて宜しく衆議を成すべし(この文に由れば、順師曼荼羅を図すのみならず、判形も加える。唯授一人のみ曼荼羅を図すという石山義は後代の言われたるが知れる)
『有師化儀抄』
(神社の尊体は勧請であること)
・一、他宗の神社に参詣し一礼をもなし散供をも参らする時は、謗法の人の勧請に同ずるが故に謗法の人なり、就中正直の頭を栖と思し召さん垂迹の謗法の人の勧請の所には垂迹有るべからず
『有師化儀抄(水鑑沙弥)註解(日亨)』
(曼荼羅本尊は十界勧請であること)
・次に当宗の御堂の事・本門御本尊堂と広宣流布の時之を建立す、故に当山但祖師堂計りなり、故にたとへ十界勧請の御本尊を安置し奉るとも御影堂なり
(戒壇之本尊の諸尊は勧請であること)
・戒壇の御本尊、寸尺、長四尺七寸五分、横弐尺壱寸七分、厚弐寸弐分御首題御勧請皆金薄入りなり、仏滅後二千二百廿余年等と云云、御端書、右為現当二世造立如件、本門戒壇之、願主弥四郎国重敬白
(曼荼羅図示の諸尊は本尊体具にして勧請であること)
・当門流の祈念、誰人を以つて本尊とし何の法を以つて祷るべきや、能く々案ぜらるべし、縦ひ仏菩薩明王等を勧請申す共、夫れは本尊躰具の聖衆なるべし
(勤行に金鈴を打つことは勧請であること)
・最初の金は惣じて是れをいはゞ、本尊御影勧請のかねなり、二つは則境智、定恵、両尊勧請の意か、両品の間のかね二つ、一つをば方便品の終に打ち、一つをば寿量品の始に打つ
・問ふて云はく一つ二つのかね所表ありや、答へて云はく所表之れ有るべからず但其の一代一代の上人を勧請申すべきために先づ金を一つ打ち驚かし申すなり、其の後酒飯参る間二つ打つなり
『穆作抄』
(法界の妙法蓮華経を勧請するが曼荼羅であること)
・法花経御本尊を余多勧請して法界一躰の妙法蓮花経を二反三反十反になすなり
『申状見聞私』
・妙法蓮華経の大曼陀羅、十界の聖衆勧請の御幡なるべし
『富士門家中見聞(家中見聞下)』
(中世に諸天勧請の諸天堂、富士にあり)
・富士諸寺に諸天堂を建立すること、本尊の如きは諸天を寺内に勧請する為め
『富士大石寺明細誌』
・天王堂本堂前東方西向向拝唐破風檜皮葺、四間四面、日天月天を勧請す神躰は板本尊。・垂迹堂本堂前東方西向宮造一間四方、天照八幡を勧請す神躰は板本尊。
・学頭寮蓮蔵坊と号す。講堂間口七間奥行六間、仏壇中央十界勧請大本尊、右日蓮聖人木像左日興上人木像。
・一、本門戒壇の板大漫茶羅 一幅
日蓮聖人筆十界勧請御判の下横に並べ、現当二世の為め造立件の如し、本門戒壇の願主、弥四郎国重、法華講衆等敬白
113
:
犀角独歩
:2002/06/16(日) 01:22
なんだか通俗的ですが、「勧請」の意味を辞典から
かんじょう くわんじやう 【勧請】
(名)スル
(1)神仏の来臨を請うこと。
(2)神仏の分霊を他の場所に移しまつること。宇佐神宮から分霊を迎えて石清水八幡宮をまつったことなどはその例。
114
:
川蝉
:2002/06/21(金) 09:23
遣使還告
犀角独歩 さんが85 番のコメントに、
>しかし、仏について、寿量品に
>而も実には滅度せず 常に此に住して法を説く
>我常に此に住すれども 諸の神通力を以て
>顛倒の衆生をして 近しと雖も而も見ざらしむ
>といい、いま、この瞬間にもここに在し、永遠の法を説き続けて
>いらっしゃる。その仏を拝して、弘教するのが地涌菩薩である点
>も見落としてはならないはずです。
と書かれていますが、極めて大事な、忘れてはならない観点ですね。
寿量品には、
毒薬を飲み苦しみ本心を失った子供達は父親が解毒薬を与えても服そうともしない。そこで父親はわざと遠くに出かけ、使いの人に、「旅先で父親が死んでしまった」と子ども達に告げて貰った。
子ども達は悲しみと父を慕う気持ちに駆られる事によって、父親が置いていった良薬を服する気持ちが起こり、服した結果、毒気が除かれ健康を取り戻した。子ども達が癒えた事を知り、父親は家に戻り子ども達と再会した。と云う有名な喩えがあります。
宗祖は「今の遣使還告は地涌なり。是好良薬とは、寿量品の肝要たる妙、体、宗、用、教の南無妙法蓮華経是れなり」(本尊抄・251頁)と云って、この喩えに有る「使い」とは地涌菩薩の事だと教示されています。
地涌菩薩は、我々に、父なる釈尊と再び会わせてくれる菩薩ですね。
使いに当たる日蓮聖人の教えに従い、釈尊が留め置いてくれた是好良薬である妙法五字を信行すれば、謗法、煩悩の病が癒えて久遠本仏釈尊に見えることが出来ると言うことですね。
故に、「観心本尊抄送状」の
「乞ひ願くば一見を歴るの来るの輩、師弟共に霊山浄土に詣でゝ三仏の顔貌を拝見したてまつらん。」(255頁)
とのお言葉や、また
「四條金吾殿御返事」の
「両眼あらば三仏の顔貌拝見疑なし。さうのつばさあらば寂光の宝刹へ飛ん事須臾刹那なるべし。」(1118頁・真無)
等のお言葉があるのでしょう。
このお言葉は寿量品にきちんと基づいたものですね。
寿量品も本尊抄も釈尊が本仏であるという教示をしていますね。
日蓮聖人自ら「遣使還告」であると自覚されていた日蓮聖人が「自分が本仏であり、釈迦は本仏に非らず」などという信念を懐いていたという道理などありませんね。
天台大師が「法華文句」に
「遣使とは・・今は四依の菩薩を用う。衆生に語りて云はく『仏は已に滅度したもう。但、此の法を留めたまう。我今弘宣す、汝等当に受行すべし』と・・是れ使人なり。」(巻第十上)
と解説しています。
意味は
「遣使とは、四依の菩薩のことであり、四依の菩薩は衆生に『仏が留めてくれた法を、この私が今弘宣するのである。汝等は此の法を信行すべきである』と伝道するのである。遣使とは仏の使いの事である。」
と言う意味です。
宗祖は「本尊抄」に、
「四に本門の四依は、地涌千界は末法の始めに必ず出現すべし。今の遣使還告は地涌なり。是好良薬とは、寿量品の肝要たる妙、体、宗、用、教の南無妙法蓮華経是れなり。」(251頁)
と説明しています。
宗祖はご自分を釈尊の弟子、使いと任じて居られていたことは確かです。
釈尊は根本教主すなわち本仏でなく日蓮聖人こそが本仏・根本教主などという義は、本尊抄には有りません。
喩えると使いを遣わす釈尊は国王に当たり、お使いである宗祖は派遣された全権大使に当たります。
大使は如何に全権を与えられていると言えども、自分が国王であると僭称することは出来ません。
宗祖は、遣使還告の地涌の菩薩であるので、自らを本仏・根本教主などと僭称する道理はないのです。
たの掲示板で、「国王も死ぬことがあるから大使が国王に成ることもある(故に日蓮聖人が本仏になることがある)」などと言う馬鹿げた反論をしてきた人がありました。
国王に喩えても、寿量品に教示しているように、釈尊は常住不滅の仏ですから、死んで居なくなってしまうことなど無いのです。
115
:
犀角独歩
:2002/06/21(金) 18:26
川蝉さん;
> 114
大変にすばらしいレスを頂戴しましたこと、有り難く感謝申し上げます。
116
:
モモ
:2002/06/23(日) 05:46
某掲示板より
人生真っ黒・・・ :01/09/10 20:46
日蓮正宗が今一番の心の苦しみです。
僕自信は無宗教ですし、家は神道です。しかし、東京に出てきて
付き合った恋人が熱烈な日蓮正宗の信者だった事で苦しみが
始まりました。無理矢理信者にもさせられて信じてもいない宗教を
強制させられています。親が知ったらなんというでしょうか。
考えるだけで心苦しいのですが、別れたくても別れてくれません。
別れ話を持ち出しても、直ぐに自殺をほのめかして苦しめます。
もう2年以上になります。恋人は元は創価学会だったそうですが、
大石寺と創価学会が喧嘩したときに家族ぐるみで学会を抜けた
そうです。毎日僕の部屋で池田大作を呪っています。
朝早く「ごんぎょう」という長い苦しみをさせられています。
題目を唱えるのも、お寺へ無理矢理連れて行かれるのも辛いです。
こんな辛い思いを僕に強制させる宗教が本当に正しいの
でしょうか?。僕は口には出しませんが日蓮が大嫌いに
なりました。恋人が友達と遊びに行っている隙に、神社に行って
唱え言葉を唱えて二礼二拝一礼するのが何より気持ちいいです。
詳しくは言えませんが、会社も恋人の為に首になりました。
無職の僕に、恋人は信心を強制し続けます。
日蓮正宗の一番エライ人は日顕という人だそうです。
日顕さんは僕が日蓮正宗でどれだけ苦しんでいるのか
分かっているのでしょうか?。
お寺に一番最初に連れて行かれたとき、入信を拒んで半日も
粘りましたが、入れ替わり立ち替わり信者の人が
優しく言ったり、怒ったり、繰り返されて・・・気が付いたとき
頭に巻物のようなものを乗せられて僕は入信しました。
死ぬほどショックでした。
「いつでも嫌なら辞めたらいい」といって薄笑いした坊さんが
今も恨めしいです。
言いたいことはまだまだたくさんありますが、
取りあえず、日蓮正宗を口には出しませんが大嫌いです。
117
:
モモ
:2002/06/23(日) 05:48
とりあえず今はノーコメントです。
121
:
いちりん
:2002/06/23(日) 12:10
まあ、ともあれ。
信仰は、楽しくやらないと、意味がないように思いますね。
楽しくなかったら、心が躍動しなかったら、やめたほうがいい。
お題目も楽しくなかったら、やめたほうがいいです。
すばらしい信仰で、最高で、しかしとてもつらい。
そのつらさに耐えて頑張っている、努力しているのだ。
そういう心のある人は、いろいろと周囲に問題を起こしますね。
わたしは「正しい」わたしは「頑張っている」……という人格は、本人も周囲もつらくなります。
123
:
通りすがり
:2003/02/22(土) 04:15
とうに過ぎた話題で申し訳ないですが、御本尊下付は3000円の御供養と定められていますが、御受戒が2000円などと言う話は聞いたことがありません。
自分自身、塔婆,過去帳、御本尊等以外は飽くまで「志による御供養」ということで、「値段」がついているものではないと、再三指導を受けました。
「御受戒願い」についても、「小銭では申し訳ないから、一応信徒の側で最低1000円というガイドラインを決めただけ」のような話だったと思います。通りすがりで申し訳ありませんが、過去のレスを発見して疑問に思ったので、書き込みをした次第です。
124
:
問答迷人
:2003/02/22(土) 10:04
通りすがり さん
以前、大石寺の宗務院に問い合わせましたとき、御受戒や、御本尊下付について、「御供養ですので、幾らという定めはありません」と言うお答えでした。そして、「基準額を設定して欲しいという信徒の希望を受けて、各末寺で基準額を決めているところは有り、本山としても、各末寺の裁量として認めています。」いう回答を戴きました。
125
:
BH
:2003/02/22(土) 18:46
大石寺では、御本尊下付は3000円以上、塔婆は2000円、永代供養は50万円て、
ちゃんと相場を用意していますよ。綺麗事は止めてください。
商売商売
126
:
問答迷人
:2003/02/22(土) 18:59
BHさん
>ちゃんと相場を用意していますよ。綺麗事は止めてください。
内事部に確認した上で書いていますから、ご不審なら確認してみて下さい。
>商売商売
これは、全く同感です。そもそも、御本尊下付の御供養金額を確認したのは、関東地方の某正宗寺院で、御本尊下付10000円、それプラス、御本尊送り5000円。締めて15000円という相場でやっている寺院が有ると事を聞いたので、おかしいのでは無いかと内事部に確認したわけです。そしたら、なんと、相場は末寺任せ、『やりたい放題』というお答えだったわけです(笑)
127
:
いちりん
:2003/02/23(日) 00:04
昨日、大日蓮展に行ってきました。
やはり圧巻は、臨滅度時の曼荼羅。とても雄渾でした。
そのすばらしい曼荼羅をじっくり拝見して、やはり確信しましたね。
もしも、日蓮さんが、出世の本懐とやらで曼荼羅を紙幅で残していたら、弟子たるものそのまま大切に保存しているはずですよね。
それを、なんとまあ板に貼りつけて、板に直接、日蓮さんが墨であらわしても、その上でノミで刻んでしまって板曼荼羅にするなど、とても正気の沙汰ではないなあ、と。
で、大石寺の人たちは、少しは正気があると思うから、たぶん、刻んだりはしない。
だから、あれは間違いなく、後世、勝手に作り上げたものだと。まあ、それも、正気の沙汰ではないかもしれないけど、偽書やら肉牙やら、勝手に作り上げるような感覚だったわけですよね。
それから、立正安国論と観心本尊抄の真筆も拝見しました。
しかし、字の勢い、自由闊達さは、「諸人御返事」でした。なんとも伸びやかにいきいきとしておられた。四条金吾の奥さんにあてた書もそうでした。それで、立正安国論と観心本尊抄の文字は、かなり窮屈で、のびやかさがないんですね。
で、わたしが感じたのは、ほんとうに日蓮さんというのは、難しい法門を表現している人じゃなくて、弟子や女性たちに、心を込めてお手紙を書いているその人なんだなあと。
躍動している日蓮さん、いきいきとしている日蓮さん、それはお手紙にあらわれていますね。
文そのものがそうなんだけど、真筆に接して、そのことを強く感じました。
あ、それから、愛染不動感見記も、よかったですね。
128
:
ハル
:2003/02/23(日) 04:14
>しかし、字の勢い、自由闊達さは、「諸人御返事」でした。なんとも伸びやかにいきいきとしておられた。
いちりんさん、ぼくもそう思いました。
「諸人御返事」の勢いある墨線の流れる感じ、これほど躍動感のある線は、ちょっと他で観たことないです。この線を引いた人の息遣いがすぐ側で聞こえるようです。
臨滅度曼荼羅の、有機的なにゅるりんとした線も、これまた異様で印象的です。
これをノミで彫ったら、その有機的な感じがそこなわれてしまうでしょう。ぼくならこの線にノミを当てる気にはなりません。
それに日本の和紙というのは意外に強く、その証拠に現代のぼくらは700年前の紙本の資料もほとんど完璧な状態で眼にすることができる。板に書かれたものは軸装にして巻けないから、紙本よりかえって痛みが早く進んでしまったりもする。
日本の風土で、紙と板とではどちらが長持ちするか? そういうことも当時の人はよく知っていた筈です。
129
:
菱村正敏
:2003/02/23(日) 09:51
諸人御返事はたぶん最後の日蓮の署名と花押がダブっているのでしたか?
すごい勢いの筆致できて、文字が乱舞しているような印象がありました。
わたしは写真でみただけですが日蓮の心的な躍動が筆致に表されて
あれは一気に書いたんでしょうか?あるいは一息で書いたのかなと思う
ほどで、末尾にちかい署名と花押までその勢いはゆるむことなく。
なかなかのものでした。安国論や観心本尊抄は後日に書き写されること
も考慮して、あるいは万人にあやまたずに読まれることを期して楷書で
まっすぐに書かれたものかなと想像しております。
130
:
さかなこ
:2003/02/23(日) 11:52
>それを、なんとまあ板に貼りつけて、板に直接、日蓮さんが墨であらわしても、
>その上でノミで刻んでしまって板曼荼羅にするなど、とても正気の沙汰ではないなあ、と。
子供の頃、大石寺に行って板曼陀羅をみたときに親に
「誰がノミで彫っちゃったの?ご本尊さまは大事なものだからノミで彫って
傷つけてはいけないのではないの?ノミで彫った木屑はどうしたの?」
と訊いたことがありました。
親は「長持ちするように彫った」と苦しいコメントを出してましたけど(笑)
子供心に納得できない答えでした。
131
:
問答迷人
:2003/02/23(日) 16:04
さかなこ さん
僕は、入信した時に、「末法万年の為に、堅牢な楠の板を選んで、本門戒壇の大御本尊を大聖人が認められ、日法上人が彫刻された。その木の残りで、日蓮大聖人の御影様を御彫刻申し上げた。大聖人様はそれをご覧になられて、『我に似たり』とご印可遊ばされた。その御影を最初仏といい、戒壇の大御本尊とともに、安置されている。」とまぁ、そんな風に聞いていましたから、一番最初、御開扉を受けたときにも、特に違和感はなく、漆塗りと金箔の戒壇大御本尊を神々しく拝して、感激したものでした。こういうのを洗脳と言うのでしょうね。さかなこさんは、幸い、そんな洗脳を受けていなかったので、ごく自然な感覚で、違和感を感じられたのでしょうね。
132
:
あ
:2003/02/23(日) 18:35
> その木の残りで、日蓮大聖人の御影様を御彫刻申し上げた。大聖人様はそれをご覧になられて、『我に似たり』とご印可遊ばされた。その御影を最初仏といい、
熱原で大変なことが起こっているという非常時に、なーに、のんびりやっとるんだ?、と思ってしまいます。
楠の板を彫って漆を塗って金をほどこして、ついでに御影も彫刻して……何日かかったのでしょう?
133
:
国司@富士宮門徒
:2003/02/24(月) 11:29
問答迷人さん
126にある「御本尊下付10000円、それプラス、御本尊送り5000円。締めて15000円という相場でやっている寺院が有ると・・・」
ですが、「御本尊下付」と「御本尊送り」は、どう違うのでしょうか。出来ればご教示ください。
134
:
問答迷人
:2003/02/24(月) 12:05
国司@富士宮門徒さん
御本尊下付の御供養は寺院で御本尊を戴く時の御供養。御本尊送りの御供養は、各家庭に御本尊を安置するとき、御僧侶に来ていただいたときの御供養です。
135
:
国司@富士宮門徒
:2003/02/24(月) 13:59
問答迷人さん
ありがとうございました。
でも、御本尊下付と言っても「御形木御本尊」でしょうから、絶対、御僧侶に来て頂かなくてはいけないという訳ではないでしょうから、これは省けますね。
136
:
国司@富士宮門徒
:2003/02/24(月) 14:04
それにしても、1万円は高いですな。
私の寺院では最近「御本尊下付最低額(笑)」がでました。
失業中の方だったので「300円」でした。
御住職が「御気持ちで結構です」と言ったら、封筒に300円を入れておりました。
御住職は全く気にされてませんでしたが、紹介者の私が、精神的に参りました。
137
:
問答迷人
:2003/02/24(月) 15:43
国司@富士宮門徒さん
>御本尊下付と言っても「御形木御本尊」でしょうから・・・これは省けますね。
何か、その寺院では、御本尊を安置するときは、ご住職が必ず行かれるそうでした。だから、15000円な訳です。
>御住職は全く気にされてませんでしたが、紹介者の私が、精神的に参りました。
そうなんですか。それは、良心的なご住職ですね。そう言えば、僕は、むかし、大学生を勧誘して、御受戒だけ受けることになったとき、幾らでも良い。気持ちで良い、といったら、その学生さん、御供養50円でした。何だかとても気まずい思いをしました(笑)。結局続かなかったです。恐らく、あまりしつこいので、取りあえず御受戒だけ受けておこうか、という事だったのだと思います。今思い出すと、成果目標に責められて、無理矢理勧誘したのだろうと思います。本当に、その学生さんには、申し訳ないことをしたと思っています。
138
:
問答迷人
:2003/02/24(月) 22:36
あ さん
>熱原で大変なことが起こっているという非常時に、なーに、のんびりやっとるんだ?
仰るとおりですね。こんなところからも、『弘安二年十月十二日、本門戒壇板本尊の建立』説の綻びが見えていますね。まぁ、日精上人もそこまでは気配りが及ばなかったと言うことでしょうか。
139
:
管理者
:2003/11/05(水) 23:16
沖浦克治さん
たとえば、このスレッドは黙秘自由のスレッドです。
140
:
ラキ
:2005/12/15(木) 03:44:30
タバコの税率が上がります。
タバコ税を財源に児童手当の支給に踏み切る、公明党は国家財政の危機なのに無駄な法案を作ってると思えます。
児童手当を受けられる世帯の所得制限は、現在の年収780万円から860万円に引き上げられます。
子供の人数でも影響はあると思いますが、3人家族なら780万もあれば十分な金額だと思います。
支給するなら、低所得者と収入の割りに、子供が多い家庭とかに支給がまともな政治だと思えます。
141
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/12/15(木) 07:40:17
>140
どうゆう理由であれ、タバコ税の増税は賛成であります。
公明党もこんな生ぬるいことをしないで、1000円/箱くらいにすべきでしょう。
そうすれば喫煙人口は大幅にへり、かつ財源は確保できるという一挙両得となります。
愛煙家から袋叩きかな?
142
:
ラキ
:2005/12/15(木) 15:02:21
>141
一時的に増収となると思いますが、喫煙家が減り、先を見ると税収減になると思います。
増税で喫煙家が減るのは、医療費削減になるので、健康を考えると微妙な気がします。
私は、酒税をもっと上げた方が良いと思っています。
タバコを吸って犯罪は犯しませんが(タバコの投げ捨てで、火事はありますが)
お酒を飲んで、犯罪を犯す事は多いので、酒税増税こそするべきだと思います。
飲みすぎで、体を壊す事もありますし、健康を考えるとやはり増税すべきだと。
飲酒家から袋叩きかな?w
143
:
犀角独歩
:2005/12/15(木) 15:11:46
税金を上げるのではなく、公務員や、代議士特権をどんどん削減し、給与、ボーナスも大幅ダウンし、人件費削減、税金の無駄遣いを減らすほうが先でしょう。
悪行を為したものから、財産をすべて没収し、国庫金とするなんていうのもいいでしょうね。
小泉をはじめとする議員に言いたい。国民の税金減らす前に、議員特権と税金の無駄遣いを止めなさい。
こう書くと、また、議員擁護派から袋叩きでしょうか(大笑)
144
:
独学徒
:2005/12/15(木) 17:16:10
彰往考来さんご提案のたばこ税のさらなる増税案、ラキさんご提案の酒税増税案、犀角独歩さんご提案の税金の無駄遣い削減案、全て大賛成です。
愛煙家・飲酒家・議員擁護派の方々より、魑魅魍魎と言われてしまうかもしれません。
145
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/12/15(木) 17:25:17
>142
あくまで個人的意見ですが。
大増税しても統計的に税収減にはならないはずです。
酒は酔っ払って肝硬変になろうと、所詮自業自得なのです。
それに対して、煙草は受動喫煙といって吸っていない周囲のものにも被害を及ぼすのです。
http://www.mhlw.go.jp/topics/tobacco/qa/detail3.html
http://www.asunet.ne.jp/~kakezono/burajiruarerugi-.gif
http://homepage3.nifty.com/tobaccobyo/
http://www.abe.or.jp/tobacco/index.asp
酒の場合、少量であれば、血圧を下げるなど薬事効果もあります。それに対して煙草は全く薬事効果はありません。
喫煙によるオフィスの分煙対策による余計な経費もばかにできません。飲酒によるオフィスの対策費用など必要ないのですよ。飲酒運転対策のための代行運転やタクシーなどむしろ経済効果があるのです。
北欧では煙草税がとても高いです。それでも吸う人は吸うようですね。
http://thankyou.co.jp/ryori/nikki/hokuo/11.html
皆さん、どんどん煙草を吸って国家に税金を納めましょう。莫大な税金を払い、国家に寄与していてこそ許されるのが喫煙なのです。私はまっぴら御免ですが。
146
:
ラキ
:2005/12/15(木) 21:17:25
>145
>それに対して、煙草は受動喫煙といって吸っていない周囲のものにも被害を及ぼすのです。
喫煙家には手痛い意見です。(^^;
>酒の場合、少量であれば、血圧を下げるなど薬事効果もあります。それに対して煙草は全く薬事効果はありません。
タバコも少量なら、精神の安定作用はあると思います。
>喫煙によるオフィスの分煙対策による余計な経費もばかにできません。飲酒によるオフィスの対策費用など必要ないのですよ。飲酒運転対策のための代行運転やタクシーなどむしろ経済効果があるのです。
企業では設備投資が掛かりますが、空調設備等の設備関係には経済効果があると思います。
消費するタバコ。お酒のどちらにしても経済効果はあると思えます。
ま、お酒を飲んでもお酒に飲まれて、理性を無くし、路上で寝たり、酔って他人に絡んだり、酒癖の悪い飲み方だけは、止めていただきたいですね。
(以下シャレです。)
皆さん、どんどんお酒を飲んで国家に税金を納めましょう。莫大な税金を払い、国家に寄与していてこそ許されるのが飲酒なのです。
147
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/12/16(金) 07:43:33
>146
ま、熱くなって議論する内容でもありませんから、あくまで個人的意見ということで。
>タバコも少量なら、精神の安定作用はある
これは違うでしょうね。マリファナに精神安定作用があるというのと同じ論理ではありませんか。論より証拠で、精神科のお医者さんが、患者に精神安定作用のため煙草を勧めますか?
>空調設備等の設備関係には経済効果がある
こういう投資を無駄な投資、必要悪といいます。企業からみれば本来不必要なことです。そんなことしないで、他の投資に廻すなり、従業員に還元するなりしたほうが、もっと経済効果があります。煙草、特にヤニによる空調設備のメンテナンス費は相当なものなのですよ。ちょっとしたオフィスでも年間50万円以上かかっているはずです。
>お酒を飲んでもお酒に飲まれて、理性を無くし、路上で寝たり、酔って他人に絡んだり、酒癖の悪い飲み方だけは、止めていただきたい
そうなんですよ。酒は飲んでも飲まれるな、ということなんですよね。反省・・・。
148
:
藤川一郎
:2005/12/16(金) 11:32:11
つまらない事を1つ
タバコは健康に良くありませんが、ネオシーダという医薬品もあります。
ネオシーダ
効能
セキを鎮め、タンをきる。
用法用量
先端に点火し、たばこのように煙を吸入する。
1回1〜2本、1日量10本まで。
149
:
藤川一郎
:2005/12/16(金) 11:34:42
>>論より証拠で、精神科のお医者さんが、患者に精神安定作用のため煙草を勧めますか?
私の知り合いに、精神疾患の方がおりますが、適時の煙草を勧められたそうですよ。埼玉の某病院です。
150
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/12/16(金) 11:39:58
>149
そうですか。ラキさんが元気づきますね。
しかし、その医者もどうかしてると思うなあ。
さすがは、“ダサイたま”。
ん? これは削除対象かな?
151
:
藤川一郎
:2005/12/16(金) 13:49:26
実は煙草を勧める位なら、大麻を勧める方がよほどマシという考えもありますよね。
そもそも大麻は麻薬ではない。大麻よりも煙草の方が中毒性も悪効も多いと言う見解もあります。
しかし、日本では大麻取締法があるから大麻を所持したり、使用すると逮捕されます。
まあ、法律にはおかしな物が多いのですが、何故に煙草取締法が無いのに、大麻取締法があるのか?
ちなみに明治時代の広告には「印度大麻煙草はぜんそくに効果がある」そうです。
152
:
ラキ
:2005/12/16(金) 14:33:47
>これは違うでしょうね。マリファナに精神安定作用があるというのと同じ論理ではありませんか。論より証拠で、精神科のお医者さんが、患者に精神安定作用のため煙草を勧めますか?
確かに精神科では薦めませんが、ある程度は喫煙をしても良いと言います。
止めた方がいいけど、多少ならいいよて。
お酒でも、アルコール依存症やお酒による内臓の病気には、薦めませんよね。
梅酒等は、食欲増進や胃腸の働きを助けるから少量は進められますが。
>こういう投資を無駄な投資、必要悪といいます。
企業から言えば無駄ですが、利益を従業員に還元してくれるわけでもないし、喫煙者の従業員もいるわけですから、喫煙所を作るのも必要な事だと思います。
オヒース全体が禁煙になってるのですから、喫煙者に対して公平に喫煙を出来る場所を作るのは、必要だからです。
ま、私が述べたいのは、タバコが何でも悪者扱いされる世の中ですが、飲酒による犯罪の行為の方がもっと悪いと思うからです。
幼児がタバコを誤飲して死亡するより、飲酒者の事故等で死亡する方が多いですし。
年末年始ですが、飲みすぎて、お酒に飲まれて、飲酒運転、一気飲みの急性アルコール中毒。器物損壊等しないように飲酒者の方は気をつけてください。
ま、飲酒者の喫煙のタバコのポイ捨てもダメなので、ポケット灰皿の携帯は必須です!
お酒飲まない喫煙家もですけどね。^^
149の投稿で、私は元気づきません。知っていましたし。
153
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/12/16(金) 15:41:19
>151何故に煙草取締法が無いのに、大麻取締法があるのか?
その理由は、
戦争中にはパラシュートなどの軍事物資用いるために栽培が奨励されていた国産の麻が、現在のように規制されるようになったのは第2次大戦後ですね。
日本に進駐した占領米軍が、大麻規制を日本に迫りその結果、大麻取締法が1948年に制定されました。そもそも、大麻の規制はアメリカの政策だったんですね。当時、アメリカは大麻弾圧の真っただ中で、それがそのまま日本にも波及したというわけです。そのアメリカだって、建国当時は麻の栽培を奨励していたんです。麻の繊維は貴重品で船のロープをつくったり、軍事物資でもあった。種から油を搾り繊維は衣類に使われていた。規制された理由は色々考えられます。ひとつは石油化学工業の発展です。ナイロン等との競合ですね。そして麻からは質のいい紙が作られます。木材パルプ資本にとっては驚異でしょう。それに、アメリカは禁酒法が撤廃になって取締官の仕事がなくなってしまったんですね。その新しい対象として大麻が選ばれたんでしょう。
<引用資料>
http://www.asahi-net.or.jp/%7Eis2h-mri/pent.html
154
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/12/16(金) 18:28:41
>152
>利益を従業員に還元してくれるわけでもない
どうしてでしょうか。なぜそう言い切れるのでしょうか。ちっとわからないですね。少なくとも私が勤めている会社は労使で、よく話し合っていますよ。
>喫煙者の従業員もいるわけですから、喫煙所を作るのも必要な事だ
これもどうでしょうか。作るかどうかはそこで働いている人たちが決めることではないでしょうか。ちなみに私が勤めている会社の本社ビルはオフィスが禁煙になっているので喫煙所は屋外です。雨が降ろうが寒かろうが外ですね。そんなものにお金はかけず、浮いたお金を福利厚生などに廻しているのですけどね。利益を従業員に還元していると思いますよ。
また喫煙者だけにお金を掛けて喫煙所をつくるのがはたして公平でしょうか。嫌煙者(禁煙者ではありません。もともと吸わないのだから)からみれば不公平だと思いますよ。
だから、
>喫煙者に対して公平に喫煙を出来る場所を作るのは、必要
とのご主張は私は賛同いたしかねます。
まあ以上は私の個人的意見で、会社の形態も一例にすぎず皆に押し付けるものではありませんが、世の中色々です。ある会社ではビルから50m以内は禁煙です。煙草を吸う人はどうしているの?と聞いたら、吸うような人は雇わないとまあ明確でしたね。不純物を嫌う製品を作っている所で、そのような処置をすることにより、会社が成り立つということです。溶剤を扱う会社も喫煙所は一般に外です。コンピュータを販売する会社も喫煙所は外でしたね。部屋で吸うと商品のコンピュータに煙草の煙、特にヤニが入り、誤作動するからというのが理由でした。人の健康などを考えた理由ではなかったですけどね。
>飲酒者の事故等で死亡する方が多い・・・ほか
これはそのとおりでしょう。情けないけど問題ですね。飲酒に色々問題があることは理解しています。飲酒運転に限定して申し上げるなら、飲んだら乗るな、乗るなら飲むなですね。
そろそろこの議論もおひらきにしないと、富士門流と何の関係があるか問われますね。これにて私は本件を終わりたいと考えます。
155
:
ラキ
:2005/12/18(日) 12:54:51
>溶剤を扱う会社も喫煙所は一般に外です。
火気を嫌う溶剤工場等は、外(屋外?敷地外?)ではなく専用の喫煙所を設けています。
>富士門流と何の関係があるか問われますね。
スレッドテーマで”井戸端すれっど「山門前」”ですので、富士門流と関係ある、なしにとらわれなく雑談等だと思っておりました。
ま、富士門流から見た出家者の、喫煙、飲酒観に進めば、富士門流と関係なくはないと思われますが?・・・
私もこれで終了いたします。
156
:
天蓋真鏡
:2006/12/14(木) 05:57:02
此の掲示板が、つぶやきとも違って雑談スレッドなのですか。
157
:
天蓋真鏡
:2007/01/01(月) 02:07:28
新年明けましておめでとうございます。 今年は「臨滅度時本尊漫荼羅」を拝観して、長谷川等伯、本阿弥光悦、加藤清正、徳川光圀などの趣きを楽しみたいです。
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