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井戸端すれっど「山門前」
77
:
モモ
:2002/06/07(金) 08:04
あと真筆が大石寺にあるのですが諌暁八幡抄に次のような記述があります。
「天竺国をば月氏国と申す、仏の出現し給ふべき名なり。扶桑国をば日本国と申す、あに聖
人出で給はざらむ。月は西より東に向へり、月氏の仏法、東へ流るべき相なり。日は東より
出づ、日本の仏法、月氏へかへるべき瑞相なり。月は光あきらかならず、在世は但八年なり。
日は光明月に勝れり、五五百歳の長き闇を照らすべき瑞相なり。」
ここでは日本には必ず聖人が出現する。釈尊が月なら日本の仏法は太陽である、日本の聖人
の仏法は五五百歳の長きにわたって効力がある、と明らかに釈尊の仏法より日本に出現する
であろう聖人の仏法の大事を強く主張しているように思えるのですが。ここでいう聖人とは
どう解釈すべきでしょうか。日蓮大聖人が御自身のことを指して「聖人」と仰せなのでしょ
うか。それとも違うのでしょうか。
大石寺では当然、聖人とは日蓮大聖人のことであり、釈尊より日蓮大聖人が本仏であること
の拠り所のひとつと考えていると思います。「聖人」がそのまま本仏としないとしても、少
なくとも釈尊の仏法より日本の聖人の仏法の方が優れている、ということが読み取れます。
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