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井戸端すれっど「山門前」
100
:
川蝉
:2002/06/11(火) 09:29
97 : 犀角独歩 さんへ。
>ただ、川蝉さんが仰るように法華経に照らし合わせた状況証拠か
>ら聖人以外に上行菩薩は思い当たらないというのは事実でしょ
>う。しかし、それは決定打ではないでしょうね。
「開目抄」に
「其義なきは我身法華経の行者にあらざるか。此疑は此書の肝心、一期の大事なれば、所所にこれをかく上、疑を強くして答をかまうべし」(学会版203頁)
とあります。
法華経の行者であるか否かの判断材料を呈し、さあ読む者よ如何に判断するか?と問いかけている述作と云えますね。
決定打と見るか、決定打ではないと認識するか、読む人によるので、強要はできませんね。
>仏菩薩であれば宿命通は当然あるわけです。自分の過去がわから
>ない仏菩薩などいるものでしょうか。経典に照らして、自分は上
>行菩薩かも知れないなどというのは、どうもしっくりこないので
>す。
本地は大菩薩であっても、宿命通などない凡身として応生したとすれば、自分の過去が分からなくても当然では。
私には「経典に照ら」す事こそ、宗祖の経証を重んじる尊いところと思われるのですが。
>川蝉さんは、どうでしょうか。到底、受け入れられないというこ
>とになるでしょうか。
私自身は、法華経を色読した人と見ますが、本地は本化でないと思う人が居ても、その人にはそう思えるのだから仕方ないなと思うだけです。
>これは山川師ではありませんでしたか?
里見岸雄法学博士ではないですか?。
いま手元にないですが「日蓮その人と思想」に、そのように論じているのでは?。
>なぜ万年救護本尊に限り、大曼荼羅ではなく、「大本尊」とされ
>るのでしょうか。また、なぜこの一幅に限り「上行菩薩」とされ
>るのでしょうか
全く分かりません。
「報恩抄送文」(真蹟は無いですが真偽論はありません)
に
「御本尊図して進せ候。」(330頁)
とあり、曼荼羅を本尊と呼称している例がありますね。
>(2)本尊と為体とは同じ意味なのでしょうか。
本尊はこういう形で表現すると意味で「其の本尊の為体本師の娑婆の上に・・」と説明しているのですね。
>(3)聖人の曼荼羅は教主釈尊なのでしょうか。
釈尊の証悟の世界(釈尊の身土)を以て教主釈尊を表現したものと理解しています。
「報恩抄」に
「本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦、多宝、(塔)外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし」(328頁)とあります。他の解釈も有りますが、「所謂」と云って大曼荼羅の形態を述べていますので、この文には、大曼荼羅を本尊とする事が即ち「本門の教主釈尊を本尊」とする事になると云う意がありますね。(続く)
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