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井戸端すれっど「山門前」
114
:
川蝉
:2002/06/21(金) 09:23
遣使還告
犀角独歩 さんが85 番のコメントに、
>しかし、仏について、寿量品に
>而も実には滅度せず 常に此に住して法を説く
>我常に此に住すれども 諸の神通力を以て
>顛倒の衆生をして 近しと雖も而も見ざらしむ
>といい、いま、この瞬間にもここに在し、永遠の法を説き続けて
>いらっしゃる。その仏を拝して、弘教するのが地涌菩薩である点
>も見落としてはならないはずです。
と書かれていますが、極めて大事な、忘れてはならない観点ですね。
寿量品には、
毒薬を飲み苦しみ本心を失った子供達は父親が解毒薬を与えても服そうともしない。そこで父親はわざと遠くに出かけ、使いの人に、「旅先で父親が死んでしまった」と子ども達に告げて貰った。
子ども達は悲しみと父を慕う気持ちに駆られる事によって、父親が置いていった良薬を服する気持ちが起こり、服した結果、毒気が除かれ健康を取り戻した。子ども達が癒えた事を知り、父親は家に戻り子ども達と再会した。と云う有名な喩えがあります。
宗祖は「今の遣使還告は地涌なり。是好良薬とは、寿量品の肝要たる妙、体、宗、用、教の南無妙法蓮華経是れなり」(本尊抄・251頁)と云って、この喩えに有る「使い」とは地涌菩薩の事だと教示されています。
地涌菩薩は、我々に、父なる釈尊と再び会わせてくれる菩薩ですね。
使いに当たる日蓮聖人の教えに従い、釈尊が留め置いてくれた是好良薬である妙法五字を信行すれば、謗法、煩悩の病が癒えて久遠本仏釈尊に見えることが出来ると言うことですね。
故に、「観心本尊抄送状」の
「乞ひ願くば一見を歴るの来るの輩、師弟共に霊山浄土に詣でゝ三仏の顔貌を拝見したてまつらん。」(255頁)
とのお言葉や、また
「四條金吾殿御返事」の
「両眼あらば三仏の顔貌拝見疑なし。さうのつばさあらば寂光の宝刹へ飛ん事須臾刹那なるべし。」(1118頁・真無)
等のお言葉があるのでしょう。
このお言葉は寿量品にきちんと基づいたものですね。
寿量品も本尊抄も釈尊が本仏であるという教示をしていますね。
日蓮聖人自ら「遣使還告」であると自覚されていた日蓮聖人が「自分が本仏であり、釈迦は本仏に非らず」などという信念を懐いていたという道理などありませんね。
天台大師が「法華文句」に
「遣使とは・・今は四依の菩薩を用う。衆生に語りて云はく『仏は已に滅度したもう。但、此の法を留めたまう。我今弘宣す、汝等当に受行すべし』と・・是れ使人なり。」(巻第十上)
と解説しています。
意味は
「遣使とは、四依の菩薩のことであり、四依の菩薩は衆生に『仏が留めてくれた法を、この私が今弘宣するのである。汝等は此の法を信行すべきである』と伝道するのである。遣使とは仏の使いの事である。」
と言う意味です。
宗祖は「本尊抄」に、
「四に本門の四依は、地涌千界は末法の始めに必ず出現すべし。今の遣使還告は地涌なり。是好良薬とは、寿量品の肝要たる妙、体、宗、用、教の南無妙法蓮華経是れなり。」(251頁)
と説明しています。
宗祖はご自分を釈尊の弟子、使いと任じて居られていたことは確かです。
釈尊は根本教主すなわち本仏でなく日蓮聖人こそが本仏・根本教主などという義は、本尊抄には有りません。
喩えると使いを遣わす釈尊は国王に当たり、お使いである宗祖は派遣された全権大使に当たります。
大使は如何に全権を与えられていると言えども、自分が国王であると僭称することは出来ません。
宗祖は、遣使還告の地涌の菩薩であるので、自らを本仏・根本教主などと僭称する道理はないのです。
たの掲示板で、「国王も死ぬことがあるから大使が国王に成ることもある(故に日蓮聖人が本仏になることがある)」などと言う馬鹿げた反論をしてきた人がありました。
国王に喩えても、寿量品に教示しているように、釈尊は常住不滅の仏ですから、死んで居なくなってしまうことなど無いのです。
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