したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

井戸端すれっど「山門前」

78いちりん:2002/06/07(金) 09:30
富士門流の人は、自分たちに都合のよい遺文しか読まされていないので、あたかも日興さんが、正当な唯一の継承者と思いこまされています。

しかし、以前にも、書きましたが、日朗譲り状というのがあります。下に引用しました。
これは、「釈尊一代の深理も亦日蓮一期の功徳も残る所無く、悉く日朗に付属する所なり」と書かれています。

「悉く日朗に付属」とあるのです。「ことごとく、日朗に譲る」というのです。
しかも、真筆は、都本圀寺にあるとされています。

わたしは、もちろん偽書と思いますが、日朗門下にしてみたら、これは真筆である。偽書というのなら、その証拠を示せ。というかもしれません。(まあ、彼らは、そんなことはいいませんが。)

人間というものは、自分たちの都合のよいものだけを取り上げて、都合の悪いものは無視してしまう。日蓮さんの真筆であっても、何編かは、無視して御遺文には収録していませんね。
そして、偽書や真偽未決であっても、あたかも真筆のように、堂々と採用しています。

日蓮宗の「昭和定本」などは、日興さんへの譲り状と日朗さんの譲り状は、並べて収録されています。だから、ははーん。これは、どっちかがニセモノか、どちらもニセモノということが、素人でもわかります。

富士門流の御遺文集には、日興さんの譲り状しか収録されていない。日朗さんにも、譲り状があるなどとは、思いもよらない。

信徒は、御遺文集にあるものは、みんな真筆と思いこんでいますから、もう「思いこんでしまう」わけだから、それが何年も何十年もたち、そして多くの人がみんなそのように思いこむから、かなり始末に悪いです。

だから、わたしたちは論じるときには、やはり真筆であるとされるものをもとにして、論じないとワケがわからなくなりますね。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板