したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

井戸端すれっど「山門前」

101川蝉:2002/06/11(火) 09:30
犀角独歩さんへ。続きです。
「法だ人だと面倒なことは云うと訳がわからなくなる。虚空会には別に南無妙法蓮華経と記された宝塔が、建って居たわけでなく、釈尊が妙法蓮華経を説き、多宝如来が証明している虚空会の光景を、一幅の大曼荼羅で図顕する時には、必然的に釈尊と多宝如来との中間に、南無妙法蓮華経と書きあらわされることとなる」
と云う顕本法華宗の説明が分かりやすくて良いと思っています。
難しい本尊論は差し置いて、そのように想像しながら曼陀羅本尊を拝すると有り難みを一層感じますね。

>釈尊と妙法蓮華経と戒壇ということになりませんか。むしろ南無
>妙法蓮華経と記された曼荼羅は三つの法門中では妙法蓮華経(題
>目)に啓当するように思えます。

三つの法門中の題目は、本尊に向かって我々が唱える行法としての題目ですね。
曼荼羅は本尊ですから、中央に題目があるからといって、我々が唱える行法としての題目ではないですね。
大まかに云えば、私は、中央の題目を釈尊の大慈悲、釈尊の証悟、教えを表現しているものと拝しています。

>この根拠はいったい何なのでしょうか。

「本尊抄」に
「権大乗並びに涅槃、法華経の迹門等の釈尊は、文殊、普賢等を以て脇士と為す。此等の仏をば正像に造り画けども、未だ寿量の仏ましまさず。末法に来入して、始めて此の仏像出現せしむ可きか」(248頁)

「小乗、権大乗、爾前、迹門の釈尊等の寺塔を建立すれども、本門寿量品の本尊並びに四大菩薩をば、三国の王臣倶に未だ之を崇重せざる由これを申ぶ」(248頁)

「月支、震旦にも未だ此の本尊ましまさず。日本国の上宮、四天王寺を建立せしに、未だ時来らざれば、阿弥陀佗方を以て本尊と為す。聖武天王、東大寺を建立せしも、華厳経の教主なり。」
(254頁)
とあります。
「仏像出現せしむ可きか」
「迹門の釈尊等の寺塔を建立すれども」
とあり、
そして、引き合いに出された四天王寺・東大寺は共に国家的事業として建てられた寺院です。公場対決を成就出来た暁には、本門本尊を奉安する本格的建物の寺が、東大寺等と同じように、官の援助で恐らく建てられるであろうと想像され、本格的寺院であるから本尊形態は一尊四士像が良いと云う考えが有ったのではと想像するのです。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板