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井戸端すれっど「山門前」
70
:
犀角独歩
:2002/06/06(木) 17:45
川蝉さん:
いつも誠実なレスをいただき、まことに有り難うございます。
さて、条々事の弘安二年日興授与本尊が万年救護本尊であるというのは、現代の石山義ではありません。私の書き方が悪くて誤解を与えてしまったかもしれません。どこで読んだのか失念してしまいました。
ただ私は条々事が興師の筆によるという点には懐疑的ですが、個人的には弘安2年大御本尊が万年救護本尊を指す余地は少しはあると考えるところもあります。
その理由は「大(御)本尊」という書き方に着目してるからです。“御”の一字は尊ぶ意味でしょうから、これを略すると「大本尊」となるわけです。まさに万年救護本尊の文と一致します。他の曼陀羅が「未曾有之“大曼荼羅”」とされるのに対し、この一幅は「大本尊」となっている点に注目してのことです。
しかし、弘安二年に興師に宛てて図示されたもの、すなわち御伝土代に言うところと見るのが自然であると思います。
> 戒壇堂安置曼荼羅だとか禅師授与の曼荼羅だとか云う説明
これは『誑惑顕本書』に記されるところで、戒壇の本尊とは禅師授与の曼荼羅であるという主張がなされています。これらの諍論が実際に有師に対して北山浄師が言ったかどうかは一考を要しますが、戒壇と安置曼荼羅、平たい言い方をすれば、「どれが一番、すごい曼荼羅か、戒壇の曼荼羅か」と言った類の論争が富士周辺でなされていたことは容易に想像できます。興師授与の曼荼羅、禅師授与の曼荼羅、大石寺自仏堂安置の曼荼羅、万年救護本尊、さらに『誑惑顕本書』では冒頭に「鉄砲曼荼羅を買取候処四天王に大字無きが故に無大字の本尊」が、この諍論に加わっています。さらに、ややこしいことに興師は多くの聖人の真筆曼荼羅に「本門寺安置」と記すことはご承知のとおり、戒壇論争、本門寺の住処の争いで自山顕彰は喧しく、まったく馬鹿げた覇権争いは現在、石山周辺グループに引き継がれていまも賑やかであることを恥ずかしく思います。
やや、横道ですが、最後の鉄砲曼荼羅の説明は四天王がないということですので、特徴としては万年救護本尊であろうと思えるのですが、『富士年表』によれば、天正10年2月「重須再住日出徳川家康甲州攻めの砌聖教曼荼羅を贈る、家康凱旋の時之を返納す(寺誌)」とあり聖教曼荼羅となっており、万年救護本尊とは記さないのです。顕本書ではこの鉄砲曼荼羅を石山が北山から買い取ったという大嘘を吐いているという糾弾から文章が始まります。
ところで、万年救護本尊は現在、石山大講堂に模刻板曼荼羅が安置されています。以上の話を総合して、私は非常に興味深くこの記述を見ています。
> 大石寺系統に属しながら、寛師教学の欠陥に気づき、興門の相伝書の真偽を質…
少し真面目に文献に取り組めば、誰人であれ、容易く到達できる程度の浅学に過ぎません。しかし、証拠を論ずるに「信の領域」などといっている石山人には、理解できないことのようです。残念です。
『三大秘法抄』の適切な解説、私も参考にさせていただきました。
ここのところの流れを見ていると日蓮本仏論は真筆では説明できないが、真偽未決書、偽書を交え、信の領域で見れば理解できると誤解されかねない論調になっていますが、冗談ではありませんね。真偽未決書を交えたところで、説明が着くのは聖人上行論までです。その点を、知る上でもご説明は価値があるものであると拝しました。
また、いくら三大秘法抄をもってしても、富士戒壇論とはまったく無縁、心すべきところである点であると思っております。
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