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井戸端すれっど「山門前」
75
:
モモ
:2002/06/07(金) 07:59
>> 私は御本尊は色心不二の法体というイメージを持つ
>初めて聞く説です。一生成仏抄の引用はこの根拠になり得ていません。
>もう少し詳しく説明いただけませんか。
>> 文字即実相、実相即妙法というのですから御本尊の主題の御文字を法体と拝すこと
>>ができると考えられます。
>なぜ、こんなことが言えるのでしょうか。該当の御書は文字通り「文字即実相」「実相
>即妙法」まではわかりますが、なんで、その「文字を法体と拝する」と考えられるので
>しょうか。論理が飛躍しています。
所詮文字と云ふ事は、何なるものと心得此(か)くの如く立てられ候や。文字は是(これ)
一切衆生の心法の顕はれたる質(すがた)なり。されば人のかける物を以て其の人の心根
を知って相(そう)する事あり。凡そ心と色法とは不二の法にて有る間、かきたる物を以
て其の人の貧福をも相するなり。然れば文字は是一切衆生の色心不二の質なり。汝若し文
字を立てざれば汝が色心をも立つべからず。(諸宗問答抄)
「諸宗問答抄」は西山本門寺に写本があります。内容的には偽書とはされるのでしょうか。
「文字とは色心不二」であり、また摩訶止観の口決に「草にも木にも成る仏なり」とあり
ます。御本尊の御文字が色心不二の仏の悟り、即ち法体と成り得るわけです。「魂を墨に
染め流した」とは言え、墨に魂があるのではなく、御文字に魂があるのでしょう。だから
「御文字の墨を削って云々」といった疑難が出てきたのでしょう。
>また、一生成仏抄は真跡を存しません。真筆のように扱われる根拠は何でしょうか。
御指摘の通り、真筆はありません。そういう意味では確かに信憑性は薄いといえます。
>さらに、もう一点、一生成仏抄は建長7年34歳の御作であるとされる書です。聖人が曼
>荼羅を図示されるようになるのは文永9年以降51歳の御時からです。実に17年もあとの
>ことです。17年前の書が、何故、曼荼羅の説明になっているというわけでしょうか。
文字の重要性を示した御書なので挙げた次第です。
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