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井戸端すれっど「山門前」

88犀角独歩:2002/06/09(日) 16:21

川蝉さん:

恐ろしく緩慢なレスですが、60に

> 「万年救護御本尊」の讃文に
「後五百歳の時、上行菩薩、世に出現して始めて之を弘宣す」
とあり、かつ、始めて大曼荼羅を図顕されたのが宗祖ですから、「宗祖は上行の御自覚を懐かれていた」と推測出来るのでは。
讃文について、後人の挿入の疑い有りと指摘している学者も居ないようですし、写真を見ても上部の筆跡と同じように、素人目ながら見えます。

ということでしたが、まず第一に、以前にも申し上げたと思いますが、「指摘している学者がいない」というのは、まず私にとって、何の判断基準にもなりません(笑)

何度か記してきたのですが、私はこの読みについては大いに疑問があります。
川蝉さんの読み方は寛師と一緒と思えます。

「始」というは、正には正像未弘に対し、傍には一閻浮提を簡ぶ。上下の文に准じて能くこれを見るべし。故に本尊問答抄に云く「此の御本尊は世尊説きおかせ給いて後二千二百三十余年が間・一閻浮提の内にいまだひろめたる人候はず乃至当時こそひろまらせ給うべき時にあたりて候ヘ」と云云。
救護本尊の端書に云く「大覚世尊御入滅の後、二千余年を経歴し、爾りと雖も月・漢・日三箇国の間未だ此の大本尊有さず。或は知って之を弘めず、或は之を知らず。我が慈父仏智を以て之を隠し留め、末法の為に之を残す。
後五百歳の時、上行菩薩世に出現し始めて之を弘宣す」と云云。故に知んぬ、当抄の題号は「如来滅後後五百歳に上行菩薩始む観心の本尊抄」なることを。

(余談ですが、石山僧俗は本尊抄の題号を以上のように読むことが相伝のごとく言うのですが、有師聞書には「後五百歳に始たる観心本尊」とあることから、この読み方は寛師の創作は、あるいは後代の成立と思われます)

日蓮上行論というのは五老方と袂を分かつ興門独自のものであるというのが、私の認識なのですが、上古の五老方に聖人を上行菩薩と見る気風は既にあったのでしょうか。

次に日蓮上行論というフィルターを、いったん外して当該の文章を読むとき、私は上行菩薩が聖人本人を指すと“断定”しているとはどうしても思えません。その根拠は、万年救護本尊と言われるこの曼陀羅が図示が本尊抄の翌年であるからです。少なくとも本尊抄に聖人がご自身を上行菩薩と断定している様子は窺えません。

もちろん本尊抄に

上行・無辺行・浄行・安立(あんりゅう)行等は我等が己心の菩薩なり。

と記されるわけで、聖人の己心であるから、すなわち聖人は上行という石山的な発想をもって読むことは可能でしょうが、しかし、続く文が

妙楽大師云はく
「当(まさ)に知るべし身土は一念の三千なり。故に成道の時、此の本理に称(かな)ひて一身一念法界に遍(あまね)し」等云云。

であれば、これは一念三千の根拠として菩薩界を述べるとするのが自然なことになります。つまり、ご自身上行の宣言とはならないわけです。

図示の同年、文永11年には法華取要抄が記され、そこに

日蓮は広略を捨てヽ肝要を好む、所謂上行菩薩所伝(しょでん)の妙法蓮華経の五字なり
とあります。しかし、この文とて聖人の上行宣言とは読めません。日蓮は広義・略義を捨てて肝要を好む、いわゆる上行菩薩が伝えるところの妙法蓮華経の五字を取る。ここで聖人と上行は=でつながれているとは読めないわけです。


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