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井戸端すれっど「山門前」

95川蝉:2002/06/10(月) 11:41
独歩さんへ。続きです。
>けれど、大本尊である万年救護本尊を実際に図示したところに記
>したのであるから、記したのが聖人である以上、上行菩薩は聖人
>であるという連想が基礎になっているのでしょう。

私の解釈は、仰る通りですね。

>文永11年には法華取要抄が記され、そこに
>日蓮は広略を捨てヽ肝要を好む、所謂上行菩薩所伝(しょでん)
>の妙法蓮華経の五字なり
>とあります。しかし、この文とて聖人の上行宣言とは読めませ
>ん。・・ここで聖人と上行は=でつながれているとは読めない
>わけです。

とのことですが、上行が付属された妙法蓮華経の五字を事実上、弘通しているのは宗祖以外には居ないので、弟子信徒は宗祖の事を上行に違いないと理解したことであろうと推測します。義としては本地は上行であることを示していると受け取れます。

「法華取要抄」の最後に
「是の如く国土乱れて後上行等の聖人出現し、本門の三つの法門之を建立し、一四天四海一同に妙法蓮華経の広宣流布せんこと疑ひ無からん者か。」
とあるので、「本門の三つの法門之を建立し」たのは宗祖以外に居ないので、弟子信徒は、宗祖の事を上行であると理解した事と思います。

明言がないけれど、本地上行であることを教唆・示唆する文がある御書が多々ありま。
その中の二つを挙げます。
「撰時抄」に
「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて(敢)疑ひなし。これをもん(以)てすい(推)せよ、漢土、月支にも一閻浮提の内にも肩をならぶる者は有るべからず。」(284頁)
と述べ、すぐ後に、
「答へて云く、上行菩薩の大地より出現し給ひたりしをば、・・寿量品の南無妙法蓮華経の末法に流布せんずるゆへに、此の菩薩召し出されたるとはしらざりしという事なり」
と述べています。

また、「顕仏未来記」(真跡曾存)には
「疑て云く、何を以て之を知る、汝を末法の初めの法華経の行者なりと為すといふことを。答へて云く、・・・予よりの外には一人も之なし。時を論ずれば、末法の初め一定なり。然る間、若し日蓮なくんば仏語虚妄とならん。・・・疑って云く、如来の未来記、汝に相当れり、但し五天竺並に漢土等にも法華経の行者之あるか、如何。、答えて云く、四天下の中に全く二つの日なし。四海の内豈に両主あらんや。(略抄)」(507〜508頁)

この「撰時抄」「顕仏未来記」の文によっても、本地上行の自覚は持たれていたと云わざるを得ないと思います。

末法の始めに於いて、本門の本尊、題目、戒壇を弘通し、勧持品二十行の偈を色読した人は宗祖以外にはいないので、後世の我々は宗祖を本化上行の再誕と仰ぐべきだと思っています。

>本尊抄に言う本尊とは

曼陀羅本尊と一尊四士像とは実質的に同じものと理解していますので、大曼荼羅本尊図顕も本尊図顕と理解しています。

本尊抄に「本尊の為体」として、曼荼羅の形態を説明しているので、曼荼羅も本尊であることは否定できません。

「末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか」の部分は、公場対論で諸宗帰伏した暁に、中心的になるお堂には一尊四士像を奉安すると云う考えがあったのでは無いかと推測できる文だと理解しています。
曼陀羅が本尊ではないという意味はないと理解しています。


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