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井戸端すれっど「山門前」

93いちりん:2002/06/10(月) 10:03

日蓮さんの考えの中核には、「法華経以外では成仏はできないよ。ひとえに法華経によってこそ、成仏が可能だ」ということがあるかと思います。
「ひとえに法華経による」というのは、シンプルに言えば、「南無妙法蓮華経と唱えること」になるんだと思います。

ただ、わたしはいつも思うのは、「法華経」を読めば読むほどに、「法華経以外では成仏はできない」ということはないと、いうことなんですね。

「法華経」の中核思想は、いわば「開三顕一」(迹門の中核)と「開近顕遠」(本門の中核)といえるかと思います。

で、「開三顕一」です。
これは「三乗を開いて一仏乗を顕す」ということであって、「廃三建一」(三乗を廃して一仏乗を建てる)ではない。

「開三顕一」とは、声聞、縁覚、菩薩の三乗の道を歩めば、それがそのまま一仏乗であるということではないでしょうか。
つまり、三乗よりも別なところに、一仏乗があるのではない、と。わたしは、そうとらえています。

だから、法華経に忠実であればあるほどに、三乗を否定し、「法華経以外では成仏はできない」ということはありえない。そう思うのです。

そして、「開近顕遠」です。
仏は、永遠に法を説き続けている。しばしも、やすむことはない。いま、現在も説法していると。
それが、寿量品で述べているところですよね。

であるのなら、末法であろうがなんであろうが、ダイレクトに仏の説法を聞けるはずである。
末法などといいう時間的な制限によって、仏の力が無くなるなどと言うことは、ありえない。
「常住此説法」とあるのなら、末法もなにも関係がない。
だから、仏の伝えた、三乗の道を歩めば成仏ができる。

そのように、法華経を、わたしはとらえています。


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