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井戸端すれっど「山門前」
97
:
犀角独歩
:2002/06/10(月) 13:00
> 94〜95 川蝉さん:
朗門の文書、有り難うございました。やはり、という感じです。大菩薩号勅許の門下、当然あるであろうと思っていました。
お記しいただいたこと、私も日蓮本仏論、日蓮上行論のお家元に40年もおりましたので、お馴染みのところです。
日蓮上行論の見直し、実は日誠さんとしつこくやったところなのです。
私は聖人ご本人は揺らいでいたのであろうと思っています。「私は上行であろうか、いや、そのお使いかも知れない」と言った具合です。ですから、断定できないと申し上げたわけです。
ただ、川蝉さんが仰るように法華経に照らし合わせた状況証拠から聖人以外に上行菩薩は思い当たらないというのは事実でしょう。しかし、それは決定打ではないでしょうね。
仏菩薩であれば宿命通は当然あるわけです。自分の過去がわからない仏菩薩などいるものでしょうか。経典に照らして、自分は上行菩薩かも知れないなどというのは、どうもしっくりこないのです。
聖人の御一代を俯瞰すると、特異な神秘体験とも言うべきことが2、3度あります。
一つは生身の虚空蔵菩薩を感見、そして愛染明王・不動明王との感見です。さらに龍口では三光天子の出現を見るわけでした。
私は聖人は、このような形で四菩薩との感見をどこか期待し、待っていたのではないのかと考えるところはあります。もちろん、これは想像です。
しかしこのように言うと、上行菩薩は末法に出現しなかったとすると、法華経の予言自体が外れたことになるではないかということが言えることになってしまいます。となれば、法華経自体も疑うのかということに発展してしまうわけですね。私は事実を真摯に受け止めようとする立場ですから、この結論も許容範囲にあります。
川蝉さんは、どうでしょうか。到底、受け入れられないということになるでしょうか。
あと、末法の始めということですが、たしか山川師であったか、仏滅年代が500年のズレがあり、実は鎌倉時代は末法に入っていないということから苦悶されたということを読んだことがありました。実際の末法の始めは、むしろ明治時代で、故に二重の末法論を立て、近代を第二の末法とし、故に国立戒壇の気運が高まった…、大雑把ですが、これは山川師ではありませんでしたか?
> 「是の如く国土乱れて後上行等の聖人出現し、本門の三つの法門之を建立し、一四天四海一同に妙法蓮華経の広宣流布せんこと疑ひ無からん者か。」
当然、出してきてくださると思いました。たしかに以上のようにありますね。
他にもあります。
・法華行者値難事,文永11年(1274)1月14日53歳
竜樹・天親は共に千部の論師なり。但権大乗を申(の)べて法華経をば心に存して口に吐きたまはず此に口伝有り。天台・伝教は之を宣(の)べて本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字と、之を残したまふ。所詮、一には仏授与したまはざるが故に、二には時機未熟の故なり。今既に時来たれり、四菩薩出現したまはんか。日蓮此の事先(ま)づ之を知りぬ。
・法華取要抄,文永11年5月24日53歳
本門の本尊と戒壇と題目の五字となり
・報恩抄,建治2年(1275)7月21日55歳
一つには日本乃至一閻浮提(えんぶだい)一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂(いわゆる)宝塔の内の釈迦・多宝、外(そのほか)の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士(きょうじ)となるべし。二つには本門の戒壇。三つには日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無知をきらはず一同に他事をすてヽ南無妙法蓮華経と唱ふべし。
真跡中では三大秘法という成句は見えません。
上行等が出現し、三つの法門を建立する。三つですね。
では、日蓮聖人が建立した戒壇とはなんでしょうか。
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