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井戸端すれっど「山門前」

94川蝉:2002/06/10(月) 11:40
88 : 犀角独歩 さんへ。

「観心本尊抄」の題号の読み方は種々の訓みかたがされていますね。
「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」の「始」は
一、「五五百歳の始め」
二、「始めての観心本尊抄」
との両様に読めるとされ、一は「末法の始め」の意味となり、二は「始顕・未曾有」の意味が強くなると考えられています。
で、「両様に取った方がよい」と云うことになっています。

本尊抄「副状」の
「仏滅後二千二百二十余年未だ此の書の心あらず。国難を顧みず、五五百歳を期して之を演説す。」(学会版255頁)
との文意を参考にすると「末法の始め、始めての観心本尊抄」の意と取った方が良いと云う事になりますね。

佐渡始顕以後すでに多くの曼荼羅が図顕されているし、現に「万年救護御本尊」を書いた後ですから、讃文も「上行菩薩が弘宣するであろう」と未然形に読まないで「後五百歳の時、上行菩薩、世に出現して始めて之を弘宣す」と読んで、「末法の始めに始顕した御本尊であり、現に弘宣しつつある」と云う文意に取るのが良いのでは。

宗全第一巻上聖部を見てみましたが、
朗師「本迹見聞」(正本無)に、
「今家聖人は本化上行菩薩の化身なり」(15頁)

日弁師の「円極実義抄下」に
「親り地涌上行菩薩の化導に預り」(87頁)
とあります。

像師の「曼陀羅相伝」(正本)に
「本地は上行菩薩なり」(229頁)

等が有りました。

宗祖御自身の自覚はどうか?と云う問題ですが、
開宗時には、「もしかしたら自分は地涌菩薩の代表かも」と云う思いは懐いていたと思います。
弘通を始めたら必ず法難を受け親にも及ぶであろうから、躊躇したとある事、それに日蓮と名乗られた事は正に本化地涌の働きをしようという覚悟の命名でしょう。

命名を述べている「寂日房御書」(真蹟は無いですが、真偽論はありません)にも、

「斯人行世間の五の文字は上行菩薩末法の始の五百年に出現して、南無妙法蓮華経の五字七字の光明をさしいだし(指出)て無明煩悩の闇をてらすべしと云事也。日蓮は此の上行菩薩の御使として日本国の一切衆生に法華経をうけたもてとすゝめしは是也。」

とあって、「上行菩薩の御使として」とあって、御自身で「上行なり」とは明言されてないですが、義として示しています。
弟子信徒は「末法の始の五百年に出現して、南無妙法蓮華経の五字七字の光明をさしいだし」た人は宗祖以外には居ないので、宗祖を上行菩薩と仰いだことと思います。

開目抄、本尊抄にも明言はないですが、両抄を読んだ弟子信徒は、法難に遭い本門の三大秘法を弘通している人は宗祖以外に居ないので、本地は地涌の代表上行菩薩に違いないと、思っていたと推測します。

佐渡流罪、蒙古来襲予言の実現によって、宗祖の上行自覚は相当に深まっていったであろうと私は推測しています。

「万年救護御本尊」の讃文にも、「日蓮が上行である」と云う言葉はないので、独歩さんの云われる通り、明言でないといえば明言でないですね。しかし、事実上、曼陀羅を図顕し弘宣し始めたのは宗祖以外には居ないのですから、この讃文を読んだ人は、当然、宗祖は上行菩薩に違いないと思ったと思います。(続く)


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