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井戸端すれっど「山門前」

111犀角独歩:2002/06/13(木) 23:47

一字三礼さん:

> 109

概ね賛同します、この整理の仕方に。

これまた、以前に書いたのですが、本尊というのは、たぶん儒家から出てきたものなのではないかと思っています。

いずれにしても聖人の時代には宗教の尊体は図・像として表現することが一般化していたのでしょう。儒家の流れでは本尊、真言の流れでは曼荼羅であり、それらを統合し、頂点に置かれたのが聖人の妙法曼荼羅であったのではないかと思います。

最近、桐谷征一師が『大曼荼羅の世界』という文を書いているのですが、これはなかなか面白いものでした。このなかで聖人は自分が図示されたものが曼荼羅であり、本尊であることを弟子檀那に理解させるのに苦労されたという件がありました。優れた洞察眼であると思ったものです。

また、図示の曼荼羅の諸尊を絵で置き換えたものを載せているのですが、こうなると、本尊だと言われても、「この中のどれが?」と言いたくなることになります。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/jikkaimandarazue.jpg

曼荼羅が虚空会の儀式に準じるとすれば、「有七宝塔。高五百由旬。縦広二百五十由旬。」というとてつもなく大きな七宝で飾られた塔は記されず、六万恒河沙の地涌菩薩もただ四菩薩ばかりを記すのみで略されていることになります。

私は聖人の曼荼羅は題目と、勧請諸尊を記し置いた札というふうに理解しています。曼荼羅を懸け、記された諸尊を読み上げながら、勧請していくといった具合です。また勧請すべき諸尊が記されていることから、懸けることによって既に勧請を表すということにもなるという“使い方”を聖人は考えておられたのではないのか思うわけです。

また、それは止観の如く、十法界を観法するために、具体的に十界の各衆を列挙してあるのではないのかと思うわけです。

また、もう一つの意義として、「お守り」の意味合いを意識されていたのでしょう。この点も桐谷師は指摘しているわけで、その例として建治2年8月14日図示の曼荼羅を挙げています。花押のなかに「亀姫護之」の文字が記されています。

さらに山中喜八師、山川智應師の曼荼羅研究に敬意を表しながらも、分類するよりも、授与者それぞれに特定の意義をもって下付したと見るべきではないのかと指摘していました。もっともだと思ったわけです。


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