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井戸端すれっど「山門前」
82
:
川蝉
:2002/06/08(土) 11:46
77 : モモ さんへ。
モモ さん、独歩さん横から失礼します。
>諌暁八幡抄に次のような記述があります。・・・聖人とは日蓮大
>聖人のことであり、・・・
>少なくとも釈尊の仏法より日本の聖人の仏法の方が優れている、
>ということが読み取れます。(略掲)
「聖人とは日蓮大聖人のことであり、・・・」
その通りですね、時は末法、天竺より東北の辺土に生まれ、法華経を身験色読した人は日蓮聖人以外にいないので、「日蓮大聖人のこと」と云う事になりますね。ただし、仏使としての聖人ですね。
日蓮聖人の法門と法華経の法門と別の物であると云うように思いこんで「諌暁八幡抄」のこの文を読むと、日蓮本仏論とか釈尊より日蓮聖人の方が偉大な聖人であると主張する根拠になるように見える文ですね。
「諌暁八幡抄」に、
「今日蓮は去る建長五年癸丑四月二十八日より、今弘安三年太歳庚辰十二月にいたるまで二十八年が間又他佗事なし。只妙法蓮華経の七字五字を、日本国の一切衆生のロに入んとはげむ計りなり」
(学会版・585頁)
と有りますね。日蓮聖人が弘通されたその「妙法蓮華経の七字五字」は釈尊が説かれ、上行菩薩に弘めるようにと命じられものです。
日蓮聖人は法華経にに説き留められていた妙法五字を読みとり把握され、弘通されたのですから、釈迦仏法の肝心を弘通しているのだと云う認識を持って居られた筈です。
ですから、釈尊の教えより勝れた所の新しい教えを説き始めたのが自分であるなどと云う意識は微塵も無かったはずです。
「兄弟抄」に
「夫法華経と申は八万法蔵の肝心、十二部経の骨髄也。」(学会版1079頁・真)
とあるように
一代佛教の骨髄が法華経ですね。法華経の肝心・骨髄が妙法五字ですね。一代佛教とは釈迦仏法ですね。故に、妙法五字は釈迦仏法の肝心・骨髄であることがわかりますね。
「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給ひ候は、此の三大秘法を含みたる経にて渡らせ給へばなり。」(三大秘法抄・1023頁)
「此法門は妙経所詮の理にして釈迦如来の御本懐、地涌の大士に付属せる末法に弘通せん経の肝心なり。」(当体義抄送状・519頁)
「仏の滅後に迦葉、阿難、馬鳴、龍樹、無著、天親、乃至天台、伝教のいまだ弘通しましまさぬ最大の深密の正法、経文の面に現前なり。」(撰時抄・272頁)
「迦葉、阿難等、龍樹、天親等、天台、伝教等の諸大聖人知りて、而も未だ弘宣せざる所の肝要の秘法は法華経の文赫赫たり。論釈等に載せざること明明たり。生知は自知るべし。」(曽谷入道等許御書・1037頁)
等の文によれば、日蓮聖人の弘通された三大秘法は法華経二十八品の経典に説き留められていた法門であると云う事ですね。
もちろん、内相承的に云えば、日蓮聖人は本地上行菩薩としては、法華経二十八品の経本がなくとも本門の肝心南無妙法蓮華経を知っておられたと信仰的には考えられます。しかし現実的には、法華経二十八品の経本を通さなかったら(根拠にしなければ)末法の良薬たる妙法五字が説き留められていた事を知る事は出来なかったし、妙法五字が末法の良薬であることも立証出来なかったのです。
ですから、光明勝れた日に喩えられている日本の仏法とは、日本において、日蓮聖人にして始めて、法華経を通して読みとり把握し得た所の、釈迦仏法の精髄・肝心であり、法華経に釈尊が説いて置いた法門と云う事になります。
「諌暁八幡抄」の文には、「釈迦仏法より日蓮仏法の方が勝れている。釈迦仏法は末法に役立たない。末法相応の新仏法の教主日蓮聖人こそ本仏だ」などと云う意などまったく含まれていないと、私は解釈しています。
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