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井戸端すれっど「山門前」
64
:
川蝉
:2002/06/05(水) 14:37
63 犀角独歩: さんへ。
揚げ足取りのようなコメントで失礼しました。
万年救護本尊も、石山の伝承では弘安2年に聖人から興師が賜っ
>たことになっています。
独歩さんの39 番コメンにより、万年救護本尊についての、大石寺の伝承( 『富士年表』と『日蓮正宗聖典・613頁』の説)を知りました。
『日興跡條條事』にある、「日興が身に充て給わる弘安二年の大御本尊」とは板曼荼羅の事であると大石寺系統では主張していると思っていましたが、現在では
「万年救護本尊は興師に弘安二年に授与されたといい、これが条々事に云う弘安二年曼荼羅であるというもあり、」(35番独歩さんの指摘)と云う説明もあるのですか。
その他、戒壇堂安置曼荼羅だとか禅師授与の曼荼羅だとか云う説明も有るのですか。知りませんでした。
さらに独歩さんが35番コメントに
>・弘安二年の大曼荼羅は御伝土代に見られる
>・この曼陀羅には「日興上人」と記されている
>・興師の弟子である尊師、順師の資料から見ると「二千二百三十
>余年」と記されている
と指摘されていましたが、なるほど、「御伝土代」には
「仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提之内未曾有之大曼荼羅也と図し給御本尊に背意は罪を無間に開く云々」(宗全第二巻256頁)
とあるので、「仏滅後二千二百三十余年」とある御本尊を興師は拝していたようですね。
ところが、ご指摘の通り、板曼荼羅も万年救護本尊も共に「仏滅後二千二百二十余年」となっていますので、興師が拝していた御本尊と違うようですね。
弘安二年に賜ったので、文永十一年十二月に図顕された万年救護本尊であるが「弘安二年の大御本尊」と表現している事になりますが、「弘安二年の大御本尊」と呼称する以上、普通には、弘安二年に図顕された大御本尊のように思われますね。
「日興が身に充て給わる弘安二年の大御本尊」と有る以上、「釈子日興 授与之」と云うような授与書きされている、弘安二年に図顕された御本尊と推測するのが素直であろうと思われますね。
それにしても、よくも、大石寺系統に属しながら、寛師教学の欠陥に気づき、興門の相伝書の真偽を質されて、御書を学ばれているものだなと、感服しています。
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