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国際政治・世界事情

1822とはずがたり:2010/12/29(水) 12:12:27
>>1820-1822
(ハ)ECOWAS待機軍(ECOWAS Standby Force)
* 西アフリカ地域内及び加盟国内でテロ、環境に対する危機を含む平和と安全保障に対する脅威が認められた場合、地域の平和と安定を図るため、加盟国の合意により30日以内に設置、展開することを目的としてECOWAS加盟国から提供された軍、文民部門によって構成される待機部隊。
* 監視、平和維持及び治安の回復、人道支援、制裁発動、汚職等を含む事案に対する警備活動、平和構築及び武装解除、予防措置発動等をミッションとし、緊急展開任務部隊(タスクフォース)1500名及び旅団本隊5000名の合計6500名規模によって設置されることが目指されている。

(ニ)ECOWAS小型武器条約(ECOWAS Convention on Small Arms and Light Weapons, Their Ammunition and Other Related Materials)
* ECOWAS は域内に蔓延する小型武器への取組を進めており、2006年6月の首脳会議では、従来の取組の中心であった「ECOWAS 小型武器製造輸出入モラトリアム」を国際協定化した「ECOWAS 小型武器条約(ECOWAS Convention on Small Arms and Light Weapons, Their Ammunition and Other Related Materials)」が署名された。同条約は2009年9月に発効し、現在は実施に向けた具体的な行動計画を策定中。
* 域内における小型武器問題対策強化のため、UNDP の支援のもと「ECOWAS 小型武器管理プログラム(ECOSAP)」を2006年6月〜2011年5月にかけて実施中。

(2)経済統合の推進

 1999年以降、以下を含む諸プログラムを決定・推進し、活動を再活性化。特にEUが関連諸事業を支援(ロメ協定に基づき、会議・見本市の開催、共通インフラの整備等)。2003年4月には、EU-ECOWAS経済パートナーシップ合意。
(イ)域内統一通貨統合(ECO)の実現(現時点では、2015年までに西アフリカ経済通貨同盟(UEMOA)加盟国を除くと、ECOWAS加盟国においてECOを導入し、2020年までに全加盟国においてECOを導入するという、段階的な導入を計画中。)
(ロ)自由貿易プログラムの推進
(ハ)共同体裁判所や共同体議会の設立
(ニ)共通旅券の発行
(ホ)共同体課徴金の導入

(3)NEPADへの取り組み

 2002年5月、西アフリカにおけるNEPAD(アフリカ開発のための新パートナーシップ)の実施機関としてのマンデートを付与されたため、アフリカ開発銀行との協力の下、域内インフラ整備短期行動計画および事務局キャパシティ・ビルディング短期行動計画を作成し、ドナー諸国に協力を呼びかけている。

1823チバQ:2010/12/29(水) 21:43:52
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010122900363
非常任理事国、31日任期切れ=存在感低下を懸念−日本政府

 日本政府は31日、国連安全保障理事会非常任理事国の任期切れを迎える。朝鮮半島情勢が緊迫の度を増す中、政府内では「安保理で発言権を失えば、北朝鮮をめぐる対応で国際社会での存在感が薄れる」との懸念が強まっており、早期復帰を模索する動きもある。
 安保理は米国、中国、ロシアなど5常任理事国と10非常任理事国で構成。非常任理事国は任期2年で、毎年半数が選挙で改選される。改選5枠のうちアジアに割り振られるのは1枠。日本は2008年の選挙でイランを下し、10回目の非常任理事国入りを果たした。
 安保理は06年7月、同10月、09年6月と過去3回、対北朝鮮決議を採択した。韓国は1996〜97年を最後に安保理に議席を得ておらず、いずれの決議にも非常任理事国として関わった日本には「韓国に代わって議論の旗振り役を担ってきた」(外務省関係者)との自負がある。
 しかし、安保理で足場を失えば情報収集で他国に後れを取るばかりか、国連での発言力も格段に低くなる。北朝鮮による韓国・延坪島砲撃を受けて日本などが目指した非難声明は中国の反対で頓挫したままだが、年明け以降は「同盟国の米国などに外側から働き掛けるしかなくなる」(政府高官)のが実情だ。 
 政府内には数年以内の再出馬を検討する動きもあるが、過去10回の非常任理事国入りは国連史上最多。加盟国の間には「日本は出馬し過ぎだ」との不満もあり、名乗りを上げるのは容易ではない。このため「常任理事国になるのが一番の解決策」(外務省幹部)と、長年の悲願達成に懸ける声も出ている。(2010/12/29-16:08)

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1824チバQ:2010/12/29(水) 23:37:08
>>1174>>1185-1186>1795
http://mainichi.jp/select/world/news/20101229ddm007030065000c.html
ウクライナ:混迷 前首相派を一斉摘発 路線対立、政権が徹底排除か
 【モスクワ田中洋之】ウクライナでティモシェンコ前首相や前内閣の閣僚らが相次いで逮捕・起訴され、国を揺るがすスキャンダルに発展している。2月の大統領選でティモシェンコ氏に勝利したヤヌコビッチ大統領が、前首相派の徹底排除に乗り出したとの見方が出ており、同派は「政治弾圧だ」と反発を強めている。

 ティモシェンコ氏については、首相時代に京都議定書に基づき温室効果ガスの排出枠を日本に売って得た代金を不正流用した疑いで最高検察庁が4月に捜査を開始。今月20日に正式起訴され、逮捕は免れたものの旅行が禁止され、今も検察の事情聴取が続いている。ティモシェンコ氏は「(容疑は)まったくのナンセンス。主要なライバルに対する大統領の報復だ」と厳しく抗議している。

 26日にはティモシェンコ氏とともに04年の民主化運動「オレンジ革命」を指導したルツェンコ前内相が逮捕された。前内相は息子と犬を連れて散歩中、覆面姿のウクライナ保安庁要員にいきなり車で連行されたという。在任中に自分の運転手に不正な手段で住宅を与えた公金横領の容疑がもたれているが、前内相は否定している。

 また、国際手配されていたダニリシン前経済相が10月に逃亡先のプラハで拘束されたほか、前政府の環境相や第1法務次官、第1国防次官らが今夏以降、さまざまな容疑で逮捕され、トゥルチノフ前第1副首相も旅行禁止措置を受けている。

 ヤヌコビッチ大統領は26日のテレビ番組に出演し、今回の「一斉摘発」が政治的なものであることを否定したうえで、「取り調べや裁判は合法性と透明性が保障される。私はティモシェンコ氏が自分を弁護する機会を見つけることを望む」と語った。

 親欧米派のティモシェンコ氏は、ロシア黒海艦隊の駐留延長に同意するなど親露路線を進めるヤヌコビッチ大統領への批判を強めている。政権側は、根強い人気を持つティモシェンコ氏が「第2のオレンジ革命」につながるような影響力をもつことを警戒しているとされる。政権側の攻勢でティモシェンコ派は窮地に追い込まれつつあり、同派の分裂につながる可能性も指摘されている。

1825チバQ:2010/12/30(木) 00:11:04
>>1552
http://www.47news.jp/CN/201012/CN2010122901000498.html
ロ、自治体に大統領の呼称禁止 法改正し中央集権強化
 【モスクワ共同】ロシアのメドベージェフ大統領は29日、ロシア連邦を構成する地方自治体の首長に「大統領」の呼称使用を禁止する法改正に署名した。大統領府が発表した。クレムリンによる中央集権強化の一環とみられている。

 現在83あるロシアの自治体のうち共和国は21。タス通信によると、このうちタタルスタン、ダゲスタン、イングーシなど12の共和国で行政府のトップが「大統領」の呼称を使っている。

 法改正によると、これらの共和国では2015年1月までに憲法を改正し、大統領の職名を「首長」「政府議長」などに改称する必要がある。

2010/12/29 21:04 【共同通信】

1826チバQ:2010/12/30(木) 09:52:33
http://mainichi.jp/select/world/europe/news/20101230k0000m030090000c.html
スウェーデン:イラク生まれ28歳、第二の故郷で自爆テロ

自爆テロ事件が起きたストックホルム中心街の歩行者天国。大勢の買い物客でにぎわう現場にはパトカーがとめられ、不審者に目を光らせていた=2010年12月18日、樋口直樹撮影 今月11日夕、スウェーデンの首都ストックホルムの歩行者天国で、イスラム教徒の男による自爆テロが起きた。男はイラク系スウェーデン人、タイムル・アブダリ容疑者(28)。10歳で「難民」としてスウェーデンに移住し、「ごく普通の少年」だった男がなぜ第二の故郷を攻撃したのか。容疑者の跡を追うと、大学時代を過ごした英国で過激思想に染まっていった様子が浮かび上がる。【ルートン(英国南部)とストックホルムで樋口直樹】

 ◇英国留学で過激思想に
 自爆テロ発生は華やかなノーベル賞授賞式の翌日だった。ストックホルムの街にはまだ、その余韻が残っていた。死者は自爆犯1人で、負傷者も数人だけだったが、クリスマスムードは一転、悲鳴とサイレンが交錯してパニックになった。

 移民を積極的に受け入れ寛容な社会として知られる北欧が、イスラム過激派の自爆攻撃を受けたのは初めて。「ホームグロウン・テロ」と呼ばれる脅威が拡大していることを示した事件として注目された。

 バグダッド生まれのアブダリ容疑者は湾岸戦争直後の92年、家族と共にスウェーデンに移り、高校卒業まで南部の町トラノスで暮らした。01年の高校卒業後、英国南部ルートンのベッドフォードシャー大学でスポーツ医学を学ぶ傍ら、ルーマニア出身の女性と結婚し2女1男をもうけた。自爆直前、地元通信社などに犯行声明を送りつけ、かつてスウェーデン紙に掲載されたイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画や同国からのアフガニスタン派兵を批判している。

 トラノス時代のアブダリ容疑者について、高校時代の教師は「普通の生徒。宗教や政治の話は聞いたことがない」と述懐する。中東から移住した飲食店経営者も「(イスラムが禁じる)ビールを飲んでいた」と証言する。地元紙によると、イスラエルから来たユダヤ人女子高生と交際していたこともあった。

 しかし、英国に渡ったアブダリ容疑者は次第に過激なイスラム思想を身につけたようだ。06年9月ごろ通っていたルートンのモスク「イスラミック・センター」のラティフ事務局長によると、容疑者は当初、礼儀正しく親切だったが、次第に「危険な自説」を唱え、腐敗したイスラム諸国の政府転覆やアフガニスタンやイラクからの欧米部隊の撤退などを訴えるようになった。

 センターのバクシュ会長は何度か直接アブダリ容疑者を戒め、最後には大勢の参会者を前に「罪のない人々を傷つけかねない考えは間違っている」と指摘した。名指しは避けたが、誰もがアブダリ容疑者への非難だと受け止めた。彼は憤然とモスクを出たまま、戻ってはこなかった。

 そして、英紙によると、07年にスウェーデンに里帰りした時には、アブダリ容疑者はひげをたくわえ、宗教や政治の話に熱中。父親は「息子はルートンで変わってしまった」と嘆いた。イスラムの伝統的一夫多妻の大家族にあこがれ、今年6月に生まれた長男には、国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者と同じ「ウサマ」の名を付けた。

 こうした変化について、ロンドンのシンクタンク「社会的結合センター」のアフメド研究員は「英国の大学は過激派組織の草刈り場になってきた。とりわけイスラム教徒の多いルートンはその傾向が強かった」と指摘する。中でも「真のイスラム国家」樹立を訴える原理主義組織「ヒズブ・タハリール」などの活動が盛んだ。アブダリ容疑者も学生時代にこうした組織の影響を受けたとみられている。

 「私が本当はどんな人間だったのか話せなかったことを許してほしい。イスラム聖戦士としての秘密を抱えたこの4年間の生活は困難だった」

 英紙デーリー・メールによると、アブダリ容疑者は自爆直前の「犯行声明」で妻にこんな言葉を残した。4年前といえば、ちょうどルートンのモスクを出た時期と重なる。この間、容疑者は善良な欧州市民の仮面をかぶりテロの機会をうかがってきたことになる。

 ◇ホームグロウン・テロ◇
 欧米で育ち、欧米の「価値観」を知るイスラム過激派が欧米を標的にするテロ。差別や格差から社会に溶け込めず、不満を募らせて過激思想に染まるとされる。米同時多発テロ(01年9月)以降、特に脅威が高まっており、米国内では今年11月までに未遂を含め43件のホームグロウン・テロを摘発。半数以上が09年5月以降の発生だった。

1827チバQ:2010/12/30(木) 09:53:08
http://mainichi.jp/select/world/news/20101230k0000m030093000c.html
スウェーデン:イスラム社会「身内」の攻撃に衝撃
 「爆風で店が揺れた。外を見ると煙の中で人が倒れていた。男があと数メートル近づいていたら、と思うとゾッとする」。スウェーデンの首都ストックホルムで今月11日、イスラム教徒でイラク系スウェーデン人のタイムル・アブダリ容疑者(28)が自爆した現場に居合わせた女性店員(20)は振り返る。現場近くには歩行者天国や大型デパートもあり、状況によっては大惨事も避けられなかった。

 ◇寛容な欧州が危機
 欧米で対策が大きな課題となっている「ホームグロウン・テロ」。民主主義や人権の概念を知った者が何らかのきっかけで過激思想に染まり、自分の育った社会を攻撃する。特にスウェーデンは欧州で最もイラク難民の受け入れに積極的な国の一つで、宗教や人種に寛容でありながら攻撃対象になったことへの衝撃は大きい。

 英南部ルートンのモスク「イスラミック・センター」のラティフ事務局長はこのモスクに通い出したアブダリ容疑者について当初、ラマダン(断食月)の最中、日が暮れると貧しい人々に食べ物を分け与え、食事が終わると率先して掃除を手伝っていたのを思い出す。その後、過激になっていったという。

 スウェーデン国防大学・非対称脅威研究センターのナイキャンダー所長はイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画問題などを挙げ、「(アブダリ容疑者は)預言者への冒とくやイスラム教徒の災難を指摘することで、自分をイスラムの大義に死す殉教者にしたかったのではないか」と動機を分析する。そこには、「言論の自由」の前には預言者であっても風刺の対象とする欧米の価値と、それを許さないイスラム過激派の溝がある。

 イスラム過激派による「寛容な社会」への攻撃は、多くの穏健イスラム教徒にとっても脅威であり、スウェーデンのイスラム社会はテロに猛反発した。「これはムスリム(イスラム教徒)社会に対する攻撃だ」。ストックホルム・イスラム協会のムスタファ会長はこう憤る。スウェーデンのイスラム教徒は45万人で全人口の5%。市民の恐怖がイスラム教徒や難民への偏見や怒りに変わることを危惧するからだ。

 ムスタファ氏の懸念には伏線がある。9月の総選挙(定数349)では、イスラムを「戦後最大の脅威」と位置付ける反移民の極右政党・民主党が、20議席を得て国会に初進出。リベラルで移民に寛容な社会の微妙な右傾化を印象付けた。

 不況と緊縮財政を背景とする右傾化は、欧州全体の流れになりつつある。フランス政府による少数民族ロマの国外送還などは、外国人や少数民族の排斥が国民の不満のはけ口につながりやすいことを改めて示すものだ。

 ◇不況背景に進む右傾化
 事件はまた、イラク難民の子による「第二の故郷」への攻撃としても注目された。イラク軍が隣国クウェートに侵攻した90年から06年の17年間にスウェーデンの居住許可証を得たイラク難民は約4万5000人。旧ユーゴスラビア連邦からの難民に次ぐ多さだ。

 欧州でのホームグロウン・テロは、95年にフランスで起きた仏リヨン郊外出身のイスラム過激派による連続爆弾事件が先駆けとされる。しかし、脅威が顕在化したのは米同時多発テロ(01年9月11日)以降で、オランダ情報当局は02年ごろからと分析している。英ロンドンで05年7月にあった地下鉄・バス同時爆弾テロでは、実行犯4人のうち3人は英国生まれのイスラム教徒で、残る1人はジャマイカから英国に移民し、イスラム教に改宗した若者だった。

 今回の事件を取材してきたスウェーデンの英字紙ザ・ローカルのサベジ記者は「自爆テロを仕組んだ黒幕の本当の狙いは、宗教や民族の違いをことさらあおり立てることで、開かれた西欧社会を憎しみや猜疑(さいぎ)心で分断することだったのではないか」と指摘する。

 ラインフェルト首相は20日の演説で「自由と寛大さこそが彼(自爆犯)の憎しみの対象だった」と指摘。いち早くテロを厳しく非難した国内のイスラム社会をたたえた。スウェーデンは落ち着きを取り戻したように見えるが、ナイキャンダー氏は「もし2度目のテロが起きたなら、世論は全く変わってしまうだろう」と述べ、「自由で寛大な社会」の限界を警告した。【ルートンとストックホルムで樋口直樹】

 ◇ムハンマドの風刺画問題◇
 デンマークの新聞が05年9月、イスラム教の預言者ムハンマドが爆弾形の布を頭に巻いた風刺画を掲載。世界のイスラム教徒が反発する中、欧州の他紙も同様の風刺画を載せ「表現の自由」を主張した。スウェーデン紙には07年8月に載り、イスラム過激派が漫画家殺害に10万ドルの報奨金を出すと発表した。

1828チバQ:2011/01/01(土) 13:13:46
http://mainichi.jp/select/world/news/20110101ddm002030032000c.html
国連安保理:改革、南ア加えて協議 日本、常任理目指し「G4プラス1」案
 日本政府は国連安全保障理事会常任理事国入りに向け、従来のドイツ、インド、ブラジルと組む「G4」に南アフリカを加えた「G4プラス1」の枠組み構築を検討していることが31日分かった。9月の国連総会に向け早ければ1月からG4外相会談を断続的に開き、新改革案を策定する過程で南アに協力を求めていく方針だ。【犬飼直幸】

 国連安保理改革を巡っては、当時のアナン国連事務総長が05年に勧告したのを受け、G4は▽常任6カ国増(G4以外にアフリカ2カ国)▽非常任4カ国増▽新常任理事国の拒否権を15年間凍結との改革案を提出した。

 しかし、常任理事国では米国は日本の常任理事国入りを支持したが、G4案には反対したほか中国も反対、アフリカ連合(AU)もまとまらず、採決に必要な3分の2以上の加盟国の賛成を得られず、断念した。

 ところが、09年2月から国連総会の非公式本会議での政府間交渉が開始。10年9月には日本の呼びかけでG4外相がほぼ5年ぶりに会談し、改革案を提出する目標を確認した。日本政府は11年を安保理常任理事国入りへの「再挑戦の年」と位置付け、1〜2月にG4外相の次回会合を開く。

 政府関係者によると、新改革案は05年案に一部修正を加えた内容となる見通し。アフリカを代表する新興国の南アを「新常任理事国の有資格者」とみて昨年9月の会合でも出席を打診。しかし、南アは非常任理事国入りに向けた選挙活動中(その後当選)だったため、他のアフリカ諸国の反発を警戒し、辞退した。

 政府は南アの協力を得るため新常任理事国の対象となるアフリカ2カ国のうち1カ国を南アとすることを念頭に新改革案の調整を進める。反対派説得のため一定期間後の見直し条項も設ける方向だ。

 G4はアフリカ53カ国一括で賛同を得ようとして失敗した反省から、G4で分担してそれぞれアフリカで関係の良い国を中心に個別に意向を確認している。

1829チバQ:2011/01/01(土) 13:15:31
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011010102000033.html
ベルギー「政治空白」200日 言語圏、対立根深く
2011年1月1日 朝刊

 【パリ=清水俊郎】六月の総選挙以来、北部オランダ語圏と南部フランス語圏の連立政権交渉が長引いているベルギーで、正式な政府の不在状態が三十日で二百日を超えた。南北言語圏の根深い対立のため総選挙のたびに組閣が難航するが、今回は百九十四日間かかった過去最悪記録を塗り替えた。

 四月に総辞職したルテルム内閣が現在、臨時に政権にとどまっている。政治的な決定権はないため、国内総生産(GDP)比97%に上る公的債務残高の削減に向けた手が打てない状態。政府の資金調達への悪影響を懸念する声も出ている。

 連立交渉のかぎを握るのは、「財政的に豊かなオランダ語圏からの税収がフランス語圏のために使われるのは不当」と主張して、六月の総選挙で大勝したオランダ語圏分離独立派のデウェーフェル党首。連邦制の強化を目指しているが、最近は「この国に未来はない」など挑発的な発言を繰り返している。

 ただ、国の分裂は非現実的との見方が強い。国立社会政治情報研究センターのジャン・ファニエル研究員は「分離独立派も“分裂”でオランダ語圏をまとめる力はないため、交渉のテーブルを蹴ることができない。再総選挙が交渉の落としどころではないか」とみている。

1830チバQ:2011/01/03(月) 14:14:35
>>458
http://www.47news.jp/CN/201101/CN2011010301000083.html
パキスタン連立政権が過半数割れ 第2党離脱
 【イスラマバード共同】パキスタンの連立与党内の第2勢力で昨年12月末に内閣からの離脱を表明した「ムータヒダ民族運動」は2日、政府の燃料値上げ策に反発し、国会で野党に転じることを決めたと明らかにした。連立政権は下院(342議席)で過半数を割ることになり、政権運営の危機に直面した。

 連立の中核、パキスタン人民党(PPP)は多数派工作に動きだすとみられるが、行き詰まれば2013年の任期満了を待たずに下院の解散・総選挙が行われる可能性もある。

 政府は昨年末、原油高騰を理由にガソリン価格を9%引き上げるなどの石油製品値上げを発表し、与野党双方から既に2桁台のインフレをさらに悪化させると抗議の声が上がっている。

2011/01/03 09:33 【共同通信】

1831チバQ:2011/01/03(月) 17:39:16
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/101215/asi1012152119005-n1.htm
テロと反テロ国際貢献の間で 苦悩するパキスタン (1/2ページ)
2010.12.15 21:15

このニュースのトピックス:テロ

ラホール市内のバードシャーヒーモスクで列をなす市民ら。テロと反テロのはざまで揺れる=10日、ラホール(名村隆寛撮影) イスラム原理主義勢力タリバンによる攻撃やテロが続くアフガニスタンに隣接するパキスタン。2001年の米中枢同時テロ以降、パキスタンはテロとの戦いを掲げ、米国など多国籍軍によるアフガンでの対テロ戦を後方支援してきた。しかし、国内ではテロが続発。アフガン国境に近い部族地域をタリバンが拠点にしているとの見方も根強い。対テロでの貢献をアピールする一方、テロと反テロ支援のはざまで苦悩する“パキスタンの声”を聞いた。(イスラマバード、ラホール 名村隆寛、写真も)

 

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 「外国でのわが国に対する見方には誤解が多い。パキスタンでは実際テロは起きている。だが、国民と政府は大きなテロの犠牲者であり、絶対にテロリストではない。テロの世界と闘っているのだ。イスラム教は平和の宗教であり、パキスタンは平和な国だ」

 パキスタン情報放送省のサイエド・ブカリ国務相(副大臣級)は語る。政府関係者の主張は皆同じだ。

 パキスタンは01年9月にムシャラフ大統領(当時)が対テロでの米国への協力を表明。アフガンでのタリバン政権崩壊(同年12月)後、流入する膨大なアフガン難民を抱え続けている。

 同時にアフガン・パキスタン国境地域に潜伏中とされる国際テロ組織アルカーイダの指導者、ウサマ・ビンラーディン容疑者の捕捉に努める米国に引き続き協力。ギラニ首相が今月4日、アフガンを初訪問し、カルザイ大統領に経済協力を約束するなど、テロ対策以外でも貢献している。

 

■   ■

 もちろん、協力、貢献には限度がある。「難民、対テロ。アフガンだけでもわれわれの許容範囲をはるかに超えている」と対テロ機関当局者は語る。米国から非政府機関(NGO)まで、外国からの膨大な支援があっても、パキスタンとしては手いっぱいだ。しかも、資金面などで頭を抱えている間も、国内ではテロが起きている。

 6日、北西部部族地域、モハマンド地区の行政庁舎で自爆テロ。50人あまりが死亡、100人以上負傷。イスラム武装勢力「パキスタンのタリバン運動(TTP)」が犯行声明。

 10日、北西部カイバル・パクトゥンクワ州ハングーでイスラム教シーア派が建てた病院に自動車が突っ込み自爆、15人が死亡。スンニ派過激組織「ラシュカレジャングビ」が犯行声明。

 13日、北西部ペシャワル郊外で道路脇の爆弾が爆発、通学バスの生徒ら2人が死亡、1人が負傷。

 テロが起き、外国メディアで報じられるたび、政府当局者はため息をつく。

 「われわれはテロを支援してはいない」。2番目の都市ラホールを抱えるパンジャブ州のサルマン・タシール知事は外国での“誤解”の解消を訴える。だが、テロ続発の鳴動はやまない。

 

■   ■

 国際社会の評価を受けられる機会が最近あった。北朝鮮による韓国・延坪島砲撃だ。パキスタンは北朝鮮と1970年代から外交関係があり、軍事交流も継続、北朝鮮に挑発をやめさせるのは不可能ではない。パキスタン外務省は砲撃4日後の11月27日、談話を発表した。

 「パキスタンは関係各国に対し、(砲撃に関し)抑制とあらゆる問題の平和的解決を促す」。6カ国協議の首席代表会合開催を提案した中国とほぼ同じ立場だ。外務省のサイエド・ジャビード次官補は「われわれには伝統的関係がある」と北朝鮮への一定の影響力を認める。外交官として中国駐在歴10年のジャビード氏。東アジア問題の専門家として朝鮮半島での出来事は当然、理解している。

 ただ「6カ国協議を支持している」とは言うが、対北非難や制裁には言及しない。「すべて対話を通して解決する。それが外交官の役割だ」とジャビード氏。アフガン、対テロでの国際貢献を強調するパキスタンだが限界もあるようだ。

1832チバQ:2011/01/03(月) 18:33:47
http://www.asahi.com/international/update/1229/TKY201012290001.html
センセイは18歳 スウェーデン史上最年少の国会議員(1/2ページ)2010年12月31日11時1分
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18歳のスウェーデン国会議員、アントン・アベルさん=ストックホルム、橋本写す
 北欧スウェーデンで今年、史上最年少の18歳の国会議員が誕生し、注目されている。大学1年のアントン・アベルさん。彼はいわば、社会活動への参加を奨励する北欧型の教育の申し子ともいえる。

 アベルさんは今年9月の総選挙(比例制)に、与党の穏健党から立候補した。10月に同党議員が1人辞職したのに伴い、くり上げ当選した。

 「大学から帰る途中、携帯電話に知らせが入った。僕が国会議員になるなんて非現実的に思えましたが、いまは毎日が新しい体験です」

 政界入りのきっかけは2007年10月に起きた事件だった。ストックホルムの路上で16歳の少年が若者たちに集団暴行され、死亡した。当時15歳で高校生のアベルさんは、たまたま現場近くのレストランにいて、衝撃を受けた。

 「こんな暴力は許せない。ぼくも同じ世代。自分で何かできないか」。インターネットのフェイスブックで「街頭の暴力を撲滅しよう!」と署名を呼びかけると、1週間で10万人が賛同した。ストックホルムでの集会には1万人が集まり、「行動する若者」の旗手として脚光をあびた。

 アベルさんは反暴力運動のNPOを設立した。ところが、やがて世間の反応が鈍くなった。仲間と相談、「運動を盛り上げるため、国会に出よう」と09年秋に入党した。

 スウェーデンの学校教育は社会活動への積極的な参加をすすめており、その延長線上に若者たちの政治参加がある。高校の学習課程では、選挙が近づくと、各政党の政見を調べて発表する授業がある。アベルさんは、担任の先生から「運動のリーダーになるのはいいことだ」と背中を押されたという。

 秋から通い始めたストックホルム商科大学は当面、休学することに。国会日程の合間に地方を回り、警察や市民から治安の話を聞いている。

 身長195センチの長身だ。「国会で最も若く、最も背が高いのがぼく」と笑いながら語る。「大学と国会、両方をこなすのは大変だろうが、挑戦する」(ストックホルム=橋本聡)

   ◇

 〈スウェーデンの若者と政治進出〉スウェーデン(人口約900万人)は選挙権、被選挙権とも18歳から。今年選ばれた国会議員(定数349)の平均年齢は47歳で、4年前の前回総選挙より、1歳近く若返った。18〜24歳は4人、25〜29歳も13人いる。一方、日本の衆院事務局によると、昨年8月の総選挙で選ばれた衆院議員が同9月16日に初登院した時点での平均年齢は、52歳7カ月。

1833チバQ:2011/01/03(月) 18:35:42
>>1355-1356
http://www.asahi.com/international/update/0102/TKY201101020089.html
ナイジェリアで相次ぐテロ、97人死亡 大統領選関係か2011年1月3日5時0分

 【ナイロビ=古谷祐伸】ナイジェリアで昨年末から、爆弾テロや武装勢力による攻撃が相次ぎ、2日までに少なくとも97人が死亡した。イスラム武装勢力の仕業とされる一方、4月に予定されている大統領選との関係も指摘され、情勢悪化が懸念されている。

 中部の都市ジョスでは12月24日、爆弾が爆発、80人が死亡。同日と29日には別の中部の都市でも、キリスト教会が放火されるなどして、計13人が犠牲になった。さらに、31日夜、首都アブジャの市場で爆発があり、4人が死亡、26人が負傷した。ジョスの事件では、イスラム武装勢力ボコ・ハラムが犯行を認めた。

 ナイジェリアはアフリカ随一の産油国だが、恩恵が国民に行き渡らないことへの不満が強く、イスラム過激派暗躍の背景になっているとされる。

 同国では大統領は南北出身者が2期ごとに交代するしきたり。ところが、北部系の前大統領ヤラドゥア氏が昨年、1期目途中で病死し、南部系のジョナサン氏が後を継いだ。このため北部ではジョナサン氏続投への警戒感が高まっている。

1834チバQ:2011/01/03(月) 18:37:16
http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/110103/mds1101031537002-n1.htm
デュマ仏元外相ら2人の著名弁護士、票の数え直し提案 コートジボワール大統領選
2011.1.3 15:36
 【パリ=山口昌子】コートジボワールで昨年11月の大統領選で選挙管理委員会が当選を認めたワタラ元首相と不正投票があったとして再選を主張するバクボ前大統領が対立している問題で、フランスの著名な弁護士2人が2日、会見し「国際的統御の元での票の数え直し」を提案した。

 2人の弁護士は、ミッテラン社会党政権時代の元外相で憲法評議会議長も務めたローラン・デュマ氏と、国際テロリスト「カルロス」ことイリイッチ・ラミレス・サンチェス受刑者や「リヨンの虐殺者」と呼ばれたナチス・ドイツの親衛隊員、クラウス・バルビーの弁護を務めたジャック・ベルジェ氏。

 2人はバクボ氏の依頼を受け、コートジボワールをこのほど3日間訪問し、3回、同氏と会談したという。

 国連や元宗主国のフランスをはじめ国際社会はワタラ氏の当選を認めている。

1835チバQ:2011/01/04(火) 01:29:52
http://www.asahi.com/international/update/0103/TKY201101030195.html
パキスタン与党が過半数割れ 連立第2勢力が離脱2011年1月3日21時27分


 【イスラマバード=五十嵐誠】パキスタン連立与党内の第2勢力・ムータヒダ民族運動(MQM)が3日、政府の燃料価格引き上げ策に問題があるとして、連立与党から離脱した。政権は下院で過半数割れとなり、存亡の危機に陥った。現政権は米国と良好な関係にあり、政治混乱は隣国アフガニスタンを含めた対テロ戦に影響を与えかねない。

 下院事務局によると、定数342の下院で25議席を有するMQMの離脱で、最大与党・人民党率いる連立与党は163議席となり、過半数に満たなくなる。ギラニ首相は多数派工作に強気の姿勢を崩していないが、首相不信任案の可決や、2013年の任期満了前の下院の解散・総選挙につながる可能性が出てきた。

 南部シンド州を拠点とするMQMは人民党所属の同州内相が先月、州都カラチで頻発する抗争事件に「MQMが関与している」と発言したことに反発。閣僚ポストやカラチでの治安維持策に不満を募らせていたこともあり、先週、所属の2閣僚が辞表を提出した。これを受け、人民党側はマリク内相らがMQMに閣内に戻るよう説得していた。

 ただ、多額の対外債務を抱え、国際通貨基金(IMF)からの財政健全化圧力を受ける政府は先月31日、ガソリン公定価格の9%引き上げなどの石油製品値上げを発表。これがインフレをさらに悪化させると与野党双方からの批判にさらされ、MQMの離脱を後押しする形になった。

 MQMの連立離脱で院内多数派となった野党側だが、政党間対立を抱えており、一致した行動をとれるかは不透明だ。最大野党・イスラム教徒連盟シャリフ派を率いるシャリフ元首相は昨年末、「MQMは多くの市民を殺害している」と発言、両党の反目は激化している。

 人民党政権の不人気からシャリフ派は次期総選挙での勝利を確信しており、今の議会勢力での政権奪取に消極的との指摘もある。一方、先月、連立離脱したイスラム急進派のイスラム聖職者協会が政権復帰の条件としてギラニ首相の解任を求めており、首相交代で事態が収拾に動く可能性もある。

1836チバQ:2011/01/04(火) 20:36:00
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/110103/asi1101031939001-n1.htm
連立政権が過半数割れ パキスタン、政権に新たな危機 (1/2ページ)
2011.1.3 19:37
 【ニューデリー=田北真樹子】パキスタン連立政権の第2党ムータヒダ民族運動(MQM)は2日、連立政権から離脱し、野党勢力に加わることを明らかにした。MQMの離脱により、第1党のパキスタン人民党(PPP)を中心とする連立政権は下院(定数342)で過半数を割ることになった。対テロ戦や経済の悪化ですでに脆弱(ぜいじゃく)な文民政権は、さらに厳しい状況に追い込まれた。

 MQMが野党に転じたことで、過半数の172議席を超える勢力になった野党陣営がギラニ首相(PPP)への不信任案を提出した場合、成立する環境が整った。また、2013年の下院の任期満了前に解散、総選挙が実施される可能性も出てきた。

 ギラニ首相は2日、「政権は崩壊しない」と強気の姿勢を見せた。PPPは今後、多数派工作に乗り出すとみられる。

 MQMは昨年12月27日に政権運営をめぐる意見対立から、MQMの閣僚2人を内閣から引き揚げた。背景の1つには、MQMが本拠地とする南部シンド州カラチで続く政党対立による殺人事件をめぐり、PPP所属の同州内相が「事件の背後にMQMがいる」などと発言したことにMQMが反発し、内相の辞任を求めていることがある。

 だが、内相はPPP党首のザルダリ大統領に近く、党内での人気も高いとされ、大統領はMQMの要求に抵抗しているようだ。

 こうした中、パキスタン政府は先月31日にガソリン価格や石油製品の値上げを発表。MQMは「国民にとって耐え難い措置」として野党に加わることを表明した。単なる政権揺さぶりとの見方もある。

 連立与党をめぐっては、先月上旬にイスラム急進派の「イスラム聖職者協会(JUI)」が党の閣僚の解任に抗議し、連立政権を離脱したばかり。

1837名無しさん:2011/01/05(水) 20:38:26
http://www.47news.jp/CN/201101/CN2011010501000521.html
日本、非常任理事国に立候補へ 国連安保理の11年選挙
 【ニューヨーク共同】日本政府は5日までに、国連安全保障理事会の次期非常任理事国(2012〜13年任期)選挙に立候補する方針を固めた。一部の友好国には非公式に意向を伝えており、近く正式表明し、今秋に行われる選挙に備えるとみられる。複数の政府関係筋が明らかにした。

 日本は09〜10年末まで非常任理事国を務めており、今秋の選挙で当選すれば、過去最短の1年間隔で安保理に復帰することになる。非常任理事国選出回数も計11回と最多になる。非常任理事国は連続再選が認められていない。

 日本は、長期的には安保理改革による常任理事国入りを目指しているが、当面は非常任理事国を可能な限り短い間隔で続けたい考えだ。

2011/01/05 17:10 【共同通信

1838チバQ:2011/01/05(水) 23:16:11
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011010502000172.html
大統領、一転協議再開へ コートジボワール
2011年1月5日 夕刊

 【ロンドン=有賀信彦】西アフリカのコートジボワールで、大統領選の結果を無視して大統領の座に居座るバグボ氏は四日、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)と協議を続けることで同意した。ロイター通信が伝えた。

 バグボ氏は三日、ECOWASなどからの退陣要請を再度拒否しており、一転して態度を軟化させた格好だが、武力行使の可能性をちらつかせて退陣圧力を強めるECOWASの動きをかわし時間稼ぎを狙っているとの見方があり、緊張状態は続きそうだ。

 バグボ氏は協議再開のほかに、選挙管理委員会が当選者と認めるワタラ元首相の臨時執務室があるホテルの治安部隊による包囲を中止することにも応じたが、封鎖解除は確認されていない。

1839チバQ:2011/01/05(水) 23:21:59
http://mainichi.jp/select/world/europe/news/20110105k0000e030021000c.html
イラン:閣僚ら次々解任 大統領が政権基盤強化か
 【テヘラン鵜塚健】イランのアフマディネジャド大統領が政権中枢の閣僚や顧問を次々に解任している。先月にモッタキ外相やバズルパシュ国家青年庁長官を解任したのに続き、今月1日に14人の顧問を解任。背景には、保守派内での対立が進む中、大統領が側近ばかりを集めて政権基盤の強化を図る狙いがあるとみられる。

 イランメディアによると、大統領は約20人の顧問のうちカルホール上級顧問ら14人を解任した。理由は明らかにしていないが、大統領やその側近であるマシャイ大統領府長官との政策面での路線対立もささやかれている。

 イランでは政権を握る保守派内で、大統領と、ラリジャニ国会議長を中心とする反大統領勢力との対立が激化。12年の国会議員選挙や13年の大統領選を前に、同じ保守派内での主導権争いが強まっている。12月にラリジャニ氏と関係の深いモッタキ外相が突然解任された際も、後任には大統領に近く政治色の薄いサレヒ原子力庁長官が指名された。

1840チバQ:2011/01/05(水) 23:26:02
>>1793>>1815
http://www.47news.jp/CN/201101/CN2011010401000772.html
カザフで大統領選中止案 民主主義の後退と米反発

 【モスクワ共同】ナザルバエフ大統領(70)の強権支配が続く中央アジアのカザフスタンで、来年に予定されている大統領選を中止し、国民投票によって同大統領の任期を2020年まで延長するよう一部の勢力が提案。これに対し、在カザフスタン米大使館は4日、「民主主義の後退」だとして反対する声明を出した。

 同大統領は1995年に行った国民投票で任期を2000年まで延ばしたことがあり、今回は今年3月ごろに国民投票を行う可能性が指摘されている。

 国民投票であれば対立候補との選挙戦を避けた上での政権維持が可能。既に国民投票の実施に必要な署名を集めたとされ、議員らも支持。同大統領も反対していないとされる。

1841チバQ:2011/01/06(木) 22:29:14
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110106-OYT1T00198.htm
連立難航、政権なし200日…ベルギーの事情?


 【ブリュッセル=工藤武人】ベルギーで、昨年6月の総選挙後、北部オランダ語圏と南部フランス語圏の各政党による連立交渉が難航し、正式政権が存在しない状態が長期化している。

 5日で正式政権の不在期間は206日となった。2007年の194日間を抜いて過去最長を更新中だ。関係7政党はようやく5日、調停役が作った妥協案への回答を提示するが、政治空白により、欧州を昨年襲った信用不安の波がベルギーにも押し寄せかねないとの懸念が強まっている。

 昨年10月、国王アルベール2世から調停役を任され、今月3日に妥協案を提示したオランダ語圏社会党のヨハン・バンデラノッテ前党首は5日、「明確な反対は示されておらず、希望が持てる」と述べ、事態打開に期待感を示した。

 人口約1000万人のベルギーは、オランダ語を話す北部のフラマン系(人口の約6割、ゲルマン民族)とフランス語を話す南部のワロン系(同約3割、ラテン民族)で、ほぼ二分される。政策が近い政党でも言語圏ごとに存在するため、少数政党が乱立している。

 連立交渉には、総選挙で下院第1党に躍進したオランダ語圏の民族主義政党「新フランドル同盟」や、第2党の南部仏語圏の中道左派「社会党」など計7政党が参加。今回の妥協案を7党が受諾すれば、組閣に向けた具体的交渉が始まる。

 連立交渉が長引く背景には同国ならではの「南北問題」の先鋭化がある。工業化が進んだ北部住民が、農業中心で所得が低い南部住民に税収が配分されることに不満を強め、フラマン系政党は中央から地方への権限と財源の移譲を主張している。北部の分離独立を掲げる同同盟のデウェーバー党首は先月、ワロン系を「補助金中毒」と非難した。

 分裂に危機感を強める国王は先月24日、「今こそ、妥協を図る真の勇気が必要だ」と国民に呼びかけた。

 後継政権ができるまで暫定政権を率いるのは、昨年4月に辞任したルテルム前首相で、昨年後半は欧州連合(EU)議長国も務めた。ベルギーでは地方への権限移譲が進み、連邦政府の役割は限定的で、外交・通商などはEU任せだからこその政治空白とも言える。

 だが、ベルギーの公的債務残高(2009年)の国内総生産(GDP)比率は96・2%とユーロ圏平均(79・2%)を大きく上回り、ユーロ圏17か国中、下から3番目。暫定政権では財政赤字の削減策に取り組めないと、市場は厳しい視線を注ぐ。ベルギー国債の信用引き下げを警告する格付け機関大手も出てきた。

(2011年1月6日09時06分 読売新聞)

1842チバQ:2011/01/07(金) 23:17:52
http://mainichi.jp/select/world/news/20110108k0000m030041000c.html
ハンガリー:メディア法施行 報道の自由でEU各国と摩擦
 【ウィーン樋口直樹】今月から欧州連合(EU、加盟27カ国)議長国になったハンガリーで、政府による報道規制につながりかねないメディア法が施行され、「報道の自由」の阻害を懸念する英独仏など加盟国との間であつれきが生じている。EUの行政府・欧州委員会は、バローゾ委員長が7日にハンガリーのオルバン首相と会談するなど、本格的な対応に乗り出した。

 オルバン首相は6日、「我々はEUの加盟国であり、(外交的な)駆け引きにはルールがある」と外国メディアに述べた。欧州委員会との協議次第でメディア法の見直しもありうると示唆したものだが、他の加盟国の同様の法律と違いがないとも反論しており、行方は流動的だ。

 メディア法は、国会の大多数を占める中道右派の与党フィデス・ハンガリー市民同盟の後押しで先月に可決、年初から施行された。「国家メディア通信委員会」に強力な権限が与えられ、「バランスの取れた」報道や番組制作がなされず、公共の利益やモラルに反すると判断された場合、最高2億フォリント(約8000万円)の罰金が科される。

 同委員会は「国内法にのみ従う独立機関」と位置付けられている。しかし、国会承認を必要とする委員長をはじめ、その他4人の委員はいずれもフィデスと「深いつながりがある」(地元メディア)と指摘されており、政治的中立性が疑問視されている。

 また、「バランスの取れた報道」との定義もあいまいで、「国家安全保障」に関する問題では、ジャーナリストに情報源の開示を求めることもあり得るとされている。

 オルバン政権は「(政府への)反対意見を圧殺するつもりはない。新たな規則はEU基準に合致している」と主張するが、EU加盟国の間からは議長国としての資質を疑問視する声も上がっている。フランス政府は今週に入り、「(メディア法は)報道の自由の理念と相いれない」と厳しく批判した。

 昨年4月の総選挙で大勝し、政権の座に返り咲いたオルバン首相は、緊縮財政の実施を拒否する一方、外資中心の特定業界を対象に新規課税を実施するなど、これまでもEU加盟国と衝突を繰り返してきた。

1843チバQ:2011/01/07(金) 23:18:40
>>1841
http://www.portfolio.nl/article/show/3989
2011/01/07 Fri 09:31 | タグ: ベルギー連立交渉調停役のバンデラノッテ氏辞任し、交渉決裂ベルギーでは昨年6月の総選挙後、北部オランダ語圏と南部フランス語圏の各政党による連立交渉が難航し、正式政権が存在しない状態が長期化している。すでに200日以上が経過しているが、昨日オランダ語圏社会党のヨハン・バンデラノッテ前党首は調停役を下りるとアルベルト国王に申し出た。国王はこの申し出をまだ保留している。

バンデラノッテ氏はすでに数週間にわたり各政党と話し合いを続けてきたが、結局交渉はまとまらず今回の調整役辞退という結果になった。
今回の連立交渉に最も反対の態度をとってきたのが、オランダ語圏の民族主義政党「フランダース・ナショナリスト」とフランダース・キリスト教民主党であった。

1844チバQ:2011/01/07(金) 23:44:29
http://www.47news.jp/CN/201101/CN2011010701000196.html
混乱続くコートジボワール 英、カナダ大使追放と表明
 【ジュバ(スーダン南部)共同】大統領選をめぐり混乱が続くコートジボワールからの報道によると、選挙結果を覆したとの国際社会の批判にかかわらず大統領の座に居座るバグボ氏側は6日、同国駐在のカナダ大使と、コートジボワール担当の英国大使を追放するとの声明を国営テレビで発表した。

 両国がそれぞれ、バグボ氏側のコートジボワール大使を認めないと表明したことへの対抗措置。英BBC放送などによると、英、カナダ両政府は、元首相ワタラ氏を大統領選の当選者と認めているため、バグボ氏側の要請は受け入れないとした。

 欧州連合(EU)各国はワタラ氏が任命したコートジボワール大使を承認することで合意、国連もワタラ氏任命の国連大使を承認した。

2011/01/07 10:27 【共同通信

1845チバQ:2011/01/08(土) 01:18:58
>>1711
http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/110107/mds1101072059002-n1.htm
中国の変化で安保理に奇妙な協調 スーダン住民投票 (1/2ページ)
2011.1.7 20:58
 【ニューヨーク=松尾理也】スーダン南部の分離独立の是非を問う住民投票の開始を9日に控え、国連安保理は6日、投票の平和的な実行を求める報道向け声明を出した。南部寄りの欧米と北部に拠点を置く中央政府寄りの中国の対立という構図が消えてしまったかのような声明は、住民投票を前に安保理で生まれた奇妙な協調ムードを象徴している。背景にあるのは、中国の急激な姿勢変化だ。

 昨年10月、安保理の視察団がスーダン南部ジュバを訪れた際、同行記者団からクレームが上がった。ホテルのコンセントの形式が中国式のため、パソコンの電源コードなどが差し込めないというのだ。報道陣が宿泊したのは突貫工事でオープンした中国資本の豪華ホテル。スーダン南部との関係構築に向け大急ぎでかじを切る中国のあわてぶりを示しているようでもある。

 少なくとも昨年初めごろまでは、中国は人権問題などで欧米からの批判を浴びるスーダン中央政府との関係を堅持し、南部独立に懸念を示す姿勢を崩していなかった。台湾、チベットなどの独立を容認しないとの立場を貫く中国は、2008年にジュバに総領事館を開設したものの、控えめな活動にとどまっていた。

だが、独立の動きは止められないとの見方が加速する中で、80%の石油資源が集中するとされる南部との関係構築に失敗すれば、権益を大きく損なう結果にもなりかねない。

 こうした中国の姿勢が、繰り返しスーダン住民投票の平和的な実行と、その有効性を強調してきた欧米諸国と一致。国連安保理には一見奇妙にさえ映る「協調」さえ生まれている。

 ただし、中部の油田地帯アビエの帰属をはじめ、衝突の火種になりかねない難問は軒並み先送りされた。各国の思惑は、むしろ不透明さを増している。

1846チバQ:2011/01/08(土) 01:20:23
http://mainichi.jp/select/world/news/m20110108k0000m030034000c.html
スーダン:大統領「結果受け入れ」確約 南部の独立投票
 【ジュバ(スーダン南部)高尾具成】北部・中央政府からの分離独立を問う住民投票の開始を9日に控えた、スーダン南部の中心都市ジュバに入った。独立の待望機運が現地で高まる中、従来独立に消極的な立場を示していた北部・中央政府のバシル大統領は4日、ジュバ入りして「(投票)結果の受け入れ」を確約。米政府も5日、「(投票が)平和的に実施されると考える」と、投票がスムーズに行われるとの認識を示しており、独立が一層現実味を帯びてきた。

 投票で、有権者は投票用紙に描かれた「片手を広げた」絵(=分離独立支持)か、「両手を重ねた」絵(=統一支持)の二つの絵のどちらかに、親指の指紋を押印する。ジュバの街中は、その投票方法を示すポスターなどが各所に張られ、投票ムードを盛り上げている。記者が前回訪れた昨年3月と比べ、市民の表情は明るく「ウエルカム」と気軽に声をかけてくる人も多い。宿泊施設で働くデビット・バラさん(21)は「生まれてから大半の時間は内戦のさなかだった。南部住民はさすがに疲れたんだ。今は未来への希望を託したい」と語り、分離独立を支持すると告げた。

 昨年11〜12月、スーダン国内や米英など海外8カ国で行われた有権者登録では、18歳以上の約390万人が登録。住民投票は9日から15日まで実施される。独立には、有権者の60%以上が投票した上で投票数の過半数の賛成が必要。新国家誕生の場合、建国は7月に予定される。南部自治政府を主導する与党「スーダン人民解放運動」(SPLM)関係者は、「住民の間では分離独立支持が90%以上との声もあるが、少なくとも70%は堅いと信じている」と話した。

 今回の投票は、83年以降続いた第2次内戦を終結させた05年の「包括和平合意」(CPA)に基づいて実施される。第1次内戦はもともと、アラブ系住民中心の北部とアフリカ系住民の多い南部との間で、独立前年の55年に発生。第2次内戦開始から05年までの約22年間で、推定200万人が死亡、400万人の難民・国内避難民を出した。

 南部はインフラ整備などの途上で、独立への期待から帰還する住民への対応や就業など課題は山積している。5日にバシル大統領が南部からたつのを見ようと空港に行ったというSPLM支持者の男性(48)は、「分離独立のサインでもある片手を広げ、『北部よサヨナラ』との思いも込めて手を振った。分離が決定した後が、(南部)自治政府が真に試される正念場となる」と話した。

1847チバQ:2011/01/08(土) 01:21:52
http://mainichi.jp/select/world/news/20101231k0000m030051000c.html
スーダン:ダルフール緊迫 「南部独立」住民投票に影
 【ヨハネスブルク高尾具成】南部の独立を問う住民投票が来月9日に行われるアフリカ・スーダンで、南北の対立とは別に、西部ダルフール地方の紛争が再燃する兆しを見せており、住民投票への波乱要因になっている。先週にはダルフールで政府軍と反政府勢力による戦闘が発生、反政府側の40人が死亡した。背景には独立を目指す南部との微妙な駆け引きにダルフール紛争が影響を及ぼさないよう、バシル大統領が軍事攻撃を含めた“解決”を目指し、強硬になりつつある事情がある。これを受け、分裂していた反政府勢力は結集しつつあり、情勢は混とんとしつつある。

 アラブ系の中央政府に対し、黒人住民らの反政府勢力が対立していたダルフール紛争は今年2月、政府と主要反政府勢力「正義と平等運動」(JEM)が和平実現に向けた枠組み合意に調印した。しかし、他の反政府勢力などとの足並みがそろわず、断続的な交渉は続くものの最終合意には至っていない。

 24日にダルフールで起きた戦闘では、JEMなど複数の反政府勢力が数年ぶりに結集し、「政府軍に重大な損失を与えた」と発表した。直接的には関係のない南部住民投票を機に、ダルフールの反政府勢力がまとまりを見せ始めている。

 バシル大統領にはダルフール紛争での「戦争犯罪」などの容疑で09年、国際刑事裁判所(ICC)から逮捕状が出されている。南部住民投票の結果を認めるよう国際的に圧力を受け、南部と交渉を続けなければならないバシル大統領にとってはダルフール紛争の解決は急務だ。

 バシル大統領は29日、「反政府勢力側が最終合意に至らないなら(中央政府は)和平交渉から退くことになる」と警告した。

 国連によると今月10日以降、西部での戦闘で新たに推定3万2000人が避難民化しており、事態悪化が懸念されている。

 一方、住民投票は来月9〜15日に実施される。AFP通信によるとバシル大統領は29日、「南部の同胞の決定を否定しない」とし、分離・独立が決定した場合でも「新たな同胞国家として最初に承認する」と述べた。21日にはキール南部自治政府大統領を交え、隣国エジプト、リビア両首脳と会談。平和な投票実施を呼び掛ける共同声明も発表した。

 しかし、南北の境界線画定や石油資源の利益配分などを巡り、南北間の対立は解消されていない。住民投票を支援する米国はバシル大統領に対し「予定通りの実施」「結果の受け入れ」を求め、圧力を強めている。

1848チバQ:2011/01/08(土) 01:23:48
http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/101230/mds1012301950002-n1.htm
係争地の住民投票絶望的 スーダン内戦再燃に懸念
2010.12.30 19:46

スーダンの係争地アビエイの中心部。内戦終結後も開発は進んでおらず、伝統的な住居が立ち並ぶ。電柱が一部区域に設置されたが、電気はまだ通っていない=26日(共同) スーダン南部の分離独立の是非を問う住民投票が来年1月9日に迫る中、係争地の油田地帯アビエイ地区の帰属を決める同地区の住民投票の同時実施が絶望的となっている。有権者の範囲に関する対立に加え、石油資源をめぐる南部と北部の争いが背景にある。同地区の混乱が内戦再燃の導火線になりかねないとの懸念が高まっている。

 アビエイ地区は約200万人が犠牲になった南北内戦の激戦地の一つ。内戦を終結させた2005年の包括和平合意(CPA)で、帰属先を決める住民投票を、南部住民投票と同時に行うことが規定された。だが投票管理委員会さえ設置されておらず、準備は全く行われていない。

 原因の一つは、同地区の土地をめぐる南部系黒人農耕民族ディンカと、北部のアラブ系遊牧民ミッセリアによる長年の対立。北部側は伝統的に乾期に同地区へ南下し家畜の放牧を行ってきたミッセリアの投票権を主張。「CPAでアビエイはディンカの領域と規定された」とする南部側との溝は埋まっていない。(共同)

1849チバQ:2011/01/08(土) 01:45:22
をいっ
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/110107/asi1101072301007-n1.htm
MQM復帰で連立与党が過半数回復 パキスタン
2011.1.7 23:00
 【ニューデリー=田北真樹子】パキスタンの連立与党を離脱し、野党勢力に加わることを表明していたムータヒダ民族運動(MQM)は7日、政府がガソリン価格の値上げ措置を撤回したことを受け、連立与党に戻ることを表明した。これにより、ギラニ政権は下院(定数342)での過半数を取り戻し、政権崩壊の危機をひとまず回避した

1850チバQ:2011/01/10(月) 00:50:29
http://mainichi.jp/select/world/news/20110110k0000m030080000c.html
スーダン:住民投票始まる 米国主導、南部独立確実
 【ジュバ(スーダン南部)高尾具成】アフリカ・スーダン南部の分離独立の是非を問う住民投票が9日始まった。独立支持が過半数に達するのは確実な情勢で、今年7月にもアフリカ大陸で54番目となる新国家が誕生する可能性が高まっている。独立宣言は08年のコソボ以来3年ぶりとなる。独立に現実味があるのは、米国が後ろ盾になり国際社会を主導している影響が大きい。米国には南部の石油資源確保や、スーダンで経済的な存在感を増す中国に対抗する思惑もありそうだ。

 「新たな権利を得た気持ちだ。子どもたちにもこの日を目に焼き付けてほしい」。南部自治政府のあるジュバの投票所で飲食店員の女性、アブックさん(32)は2人の子どもを連れて語った。200万人が死亡したとされる南北内戦で父と兄を失ったアブックさんには分離独立は希望に映る。南部の投票所では9日、投票開始の午前8時前から長い列ができ、歌い踊りながら投票を待つ住民の姿もあった。登録有権者は約390万人で投票は15日まで。1月末にも確定する選挙結果では、分離独立が圧倒的に支持される見込みだ。

 投票所には米民主党の重鎮、ケリー上院外交委員長も姿をみせ「今、南部住民は自身の力で立ち上がった」と述べた。ケリー氏は昨年11月以降、オバマ米大統領の親書を携え、再三スーダンを訪問。分離独立に消極的な姿勢を示す中央政府に対し、住民投票の「結果受け入れ」を条件に「テロ支援国家指定解除の手続きに入る」ことを伝えるなど圧力をかけてきた。8日の会見では「北部の安定も重要」と述べ、住民投票が成功裏に終われば、制裁を科してきたスーダンに対し、新関係に入ることも示唆した。

 83年から続いた内戦の05年の和平合意、11年の南部住民投票というプロセスも米国が主導し描いた。

 米国が熱心に支援するのは、表向きは内戦の最終解決という人道目的がある。西部ダルフール紛争の解決も米国民の関心は高い。しかし、本音の部分では、日量49万バレルにのぼる石油の利権確保があるとの見方がもっぱらだ。元々、米シェブロンが油田を発見したのに内戦や制裁で開発に携われず、「既得権」を回復する意識も働く。

 さらに米国を駆り立てるのは中国への対抗意識だ。油田を採掘しているのは中国などの企業だ。中国が石油利権を手に入れたのは、ダルフール紛争に介入し続け、国際的孤立化が進む北部・中央政府の姿勢を黙認した見返りとされる。武器まで売却した疑いも強い。

 中国は08年にジュバに総領事館を開設。中心部の舗装道路建設や多くの建築を手がけて、南部でも存在感を高めている。

 さらに、南部はキリスト教徒が主体、北部はイスラム教徒主体で、米国の住民投票支援はアフリカで拡大するイスラム社会にくさびを打ち込む狙いもある。

 一方、「和平合意は外圧に押し切られた印象が強い。時間をかけて北部と協力しスーダン人が国内の変革を目指す選択もあった」とアラブ系のイスラム教徒男性(30)は米国主導の和平プロセスに不満を漏らす。

 さらに、南北対立の火種も残る。油田地帯「アビエイ地区」が南北の境目にあり、帰属を問う同地区の住民投票は棚上げされたままだ。南部の「スーダン人民解放軍」(SPLA)に従軍していたルワルディン・ウォルさん(77)は「スーダンは統一などしていない。アラブ勢力が石油資源など豊かな南部を強引に支配しようとしてきた」と北部への敵意をあらわにした。

1851チバQ:2011/01/10(月) 00:50:54
http://mainichi.jp/select/world/europe/news/20110109k0000m030052000c.html
スーダン:油田地帯帰属を決める住民投票棚上げ 南部独立
 【ジュバ(スーダン南部)高尾具成】アフリカのスーダンで、9日行われる南部地域の分離独立の是非を問う住民投票と同時に予定されていた、南北の境界にある油田地帯「アビエイ地区」の帰属を決める住民投票が棚上げ状態となっている。有権者資格の定義で北部・中央政府と南部自治政府が対立。同地区の混乱は内戦の再発につながる可能性もあり、課題となっている。

 同地区には南部系の黒人農耕民ディンカ人の氏族が住むが、北部側のアラブ系遊牧民ミッセリアが乾期に同地区へ南下し、家畜の放牧を行う伝統的習慣を持つ。このため北部・中央政府はミッセリアにも投票権があると主張。一方、南部自治政府を主導するディンカ人主体の「スーダン人民解放運動」は「遊牧民を住民とは規定できない」などの理由で投票権を認めず、議論は平行線のままだ。

 アビエイ地区は南北内戦の激戦地の一つ。05年の包括和平合意は、同地区の帰属を決める住民投票を南部独立を問う住民投票と同時に実施すると規定した。しかし、南北間で境界線画定が難航。石油資源の利益配分などを巡る駆け引きが続いており、支援をする米国も「時間切れ」の見解を示している。

 同地区は現在、北部・中央政府直轄の特別行政区となっている。

1852チバQ:2011/01/10(月) 10:26:55
http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/110109/mds1101092147001-n1.htm
スーダン住民投票始まる 中・南部で戦闘、祝賀ムードに影 和平のもろさ浮き彫り (1/2ページ)
2011.1.9 21:41

9日、スーダン南部ジュバで票を投じる男性(大内清撮影) 【ジュバ(スーダン南部)=大内清】スーダン南部の分離独立の是非を問う住民投票が9日、始まった。独立賛成が反対を上回るのは確実で、投票自体に大きな混乱は起きていない。ただ、8日には南北双方が自領組み入れを狙う中部の油田地帯アビエや、南部の一部で戦闘が発生。現在の比較的平穏な情勢が、南北間だけでなく南部内の緊張関係をもはらみながら、かろうじて成り立っていることを改めて浮き彫りにした。

 「南部の人々が待ちに待った歴史的な一瞬だ」

 南部自治政府大統領のキール・スーダン人民解放運動(SPLM)議長は9日朝、南部の中心都市ジュバでこう述べた上で南北の全勢力に共存を呼びかけた。

 2005年の包括和平合意を仲介した米国からは、スーダン問題に熱心な俳優ジョージ・クルーニーさんやケリー上院議員らが駆けつけ祝福。市内の投票所に長蛇の列ができた。

 だが8日に各地で起きた戦闘は、南部の祝賀ムードに暗い影を落としている。

 石油資源が豊富な南部ユニティ州では、SPLMの部隊に対し、同じ南部人勢力による攻撃があり、少なくとも4人が死亡した。

 SPLMを構成する南部の黒人系民族は内戦中、決して一枚岩だったわけではなく、離合集散を繰り返して戦闘を行っており、現在も遺恨を残すとされる。今回攻撃を仕掛けたのもSPLMに反旗を翻した勢力で、「きっかけがあれば南部人同士の対立がエスカレートする可能性がある」と指摘する専門家は多い。

 一方、アビエではSPLMの部隊と、北への残留を主張するアラブ系遊牧部族ミッセリアとの間で銃撃戦があり双方に死者が出たとみられ、南北間の緊張が高まっている。

 住民投票は15日まで続き、独立賛成が過半数に達すれば、約半年の移行期間を経てアフリカで54番目の新国家が誕生する。自治政府は独立後、キール暫定政権を発足させ、2年後に民主的な選挙を行うという。

 キール氏はこの間、アビエの帰属や国境画定をめぐる北部との協議のほか、南部の民族間の利害調整を図る必要があり、微妙なかじ取りを迫られそうだ。




  スーダン アフリカ最大の国土を持つ。英国とエジプトの共同統治を経て1956年に独立した。北部はアラブ系イスラム教徒、南部は黒人系キリスト教徒が多数派で、南部にとり独立は長年の悲願。油田は南部に集中するが、北部にパイプラインなど原油輸出関連施設がある。83年に約200万人の死者を出した南北内戦が勃発し、2005年に米英などの仲介で包括和平合意が結ばれた。これとは別に西部ダルフール地方で03年以降、黒人住民とアラブ系民兵の紛争が起き約30万人が死亡、約270万人が避難民化したとされる。

1853とはずがたり:2011/01/11(火) 11:51:42
アメリカの利権が見え隠れするのはやむを得ないとして南スーダン独立支持者の俺ですが遊牧民は此処に限らず現代的国民国家と馴染まないから色々不利益蒙っている気はしている。

油田地帯の帰属巡り対立、スーダンで33人死亡
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110110-00000572-yom-int
読売新聞 1月10日(月)21時47分配信

 【ハルツーム=田尾茂樹】AFP通信によると、スーダン中部アビエイ地区で、7日から北部系遊牧民と南部系農耕民との衝突が発生。

 10日までに双方で少なくとも計33人が死亡した。大規模な油田を抱えるアビエイ地区は、スーダン北部と南部が帰属を巡って対立。9日から15日まで実施中の南部独立の是非を問う住民投票とは別に、住民投票を行って帰属を決めることになっている。北部帰属を望む遊牧民と南部志向の農耕民の衝突が起きたことで、今後、アビエイ地区を巡る南北間の対立が激化する可能性もある。


最終更新:1月10日(月)21時47分

1854とはずがたり:2011/01/11(火) 18:28:20

米州機構、選管発表覆す ハイチ大統領選
01/11 12:53
http://www.shizushin.com/news/pol_eco/international/2011011101000437.htm

 【ポルトープランス共同】AP通信は10日、大地震から12日で1年を迎えるカリブ海のハイチで昨年11月に行われた大統領選第1回投票の結果の見直し作業を行っている米州機構(OAS)が、ミランド・マニガ氏(70)=民主国家進歩同盟=と人気歌手ミシェル・マルテリー氏(49)が決選投票に進むのが妥当だとする報告書をまとめたと伝えた。
 選管当局は昨年12月、マニガ氏と、プレバル大統領の与党ユニテ(団結)のジュード・セレスタン氏(48)が決選投票に進むとの暫定結果を公表していたが、これを覆した。最終的な判断は選管当局に委ねられるが、OASの判断は一定の重みを持つとみられる。

1855チバQ:2011/01/12(水) 22:02:25
>>1275-1283あたり
http://www.47news.jp/CN/201101/CN2011011201000966.html
パイロットの判断ミスと結論 ポーランド大統領機墜落で
 【モスクワ共同】ロシア西部スモレンスク郊外で昨年4月にカチンスキ・ポーランド大統領(当時)夫妻らを乗せた政府専用機が墜落し96人全員が死亡した事故原因を調べていたロシアの航空委員会は12日、視界不良の空港に着陸を強行したパイロットの判断ミスが事故を招いたとの最終調査結果を発表した。

 委員会は、墜落前に操縦席に入っていたポーランド空軍司令官や、大統領の搭乗自体がパイロットへの心理的圧力となり、他の空港に着陸するよう求めた地上管制官の指示を無視する結果になったと結論付けた。

 政府専用機ツポレフ154は昨年4月10日、霧に包まれたスモレンスク空港に着陸しようとして樹木と接触し墜落、大破した。

2011/01/12 20:29 【共同通信

1856チバQ:2011/01/13(木) 00:06:19
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110112-00000585-san-int
“予防措置”で封じ込め…ロシアで深刻化する民族主義
産経新聞 1月12日(水)20時19分配信

 【モスクワ=佐藤貴生】モスクワ中心部、クレムリン前の広場周辺に11日夜、ロシア民族主義を掲げる若者たちが集まり、治安部隊がもみ合いの末に約50人を拘束した。当局は2000人以上の治安部隊を動員、集会の実施を実力で阻止した。民族対立の先鋭化を懸念する政権側の危機感を示した形だ。

 治安当局は同日夕、集会が行われる予定だったマネージ広場に通じる道を封鎖、周辺の商店街の店舗を閉店させる厳戒態勢をしいた。通行人に身分証明書の提示を求め、民族主義者とみられる若者を力ずくでなぎ倒すなどして拘束した。

 ロシア民族主義の暴走が一層顕著になったのは先月11日。南部・北カフカス地方出身者との乱闘で死亡したサッカーファンを追悼する目的で、マネージ広場に集結した数千人の民族主義者が暴徒化、北カフカス出身者とみられる通行人らを襲撃する騒乱に発展した。

 民族主義者らはこの日にちなんで、「12月11日運動」と名乗る団体の立ち上げをインターネット上で発表。「ロシア人(民族)のためのロシアを」「私たちが祖国を解放しなければ、ロシア民族は徐々に死に絶える」などと訴えている。毎月11日に集会を開くと主張しており、今後も治安当局と衝突する恐れがある。

 騒乱が起きて以来、メドベージェフ大統領やプーチン首相は「人々の生活と安全を脅かす」「秩序は維持されなくてはならない」などと述べ、民族対立の激化に強い懸念を示してきた。

 モスクワを中心とする大都市では、北カフカスや中央アジア諸国から職を求めてやってくる移民が後を絶たず、あつれきは年々、強まっている。人権保護団体ソバ・センターによると、昨年1年間で人種差別や外国人への嫌悪に端を発する事件で約40人が死亡、約370人が負傷したという。

1857チバQ:2011/01/13(木) 00:06:40
http://www.asahi.com/international/update/0112/TKY201101120438.html
キルギスの民族衝突、前大統領派が関与 国家委が結論2011年1月12日19時56分
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. 【モスクワ=星井麻紀】昨年6月、中央アジア・キルギス南部で2千人以上ともされる犠牲者を出した民族衝突で、原因を調査していた同国の国家委員会は11日、バキエフ前大統領派を含む複数の集団が国内情勢の不安定化を狙って引き起こしたとの結論を明らかにした。インタファクス通信などが伝えた。

 また、4月ごろから民族衝突の兆候があったにもかかわらず放置したとして、臨時政府や治安機関の責任を指摘した。

 現地からの報道によると、バキエフ氏が失脚した4月の政変後、キルギス国内のウズベク系住民が権利拡大を求める集会を相次いで開催。キルギス系住民との間で緊張が高まっていた中、ウズベク系リーダー数人が暴力をあおったとしている。

 また、バキエフ氏の息子らが過激派組織に資金供与して戦闘員を雇っていたと断定。臨時政府メンバーの親類も対立に加担するなど、様々な勢力が加わっていたという。

 民族対立には第三国の関与が取りざたされたが、委員会は「確認できなかった」とし、ウズベキスタン、ロシア、タジキスタンも含めた追加的な調査が必要だとした。

 委員会は昨年7月、事件の真相解明のため大統領令で設置されていた。

1858チバQ:2011/01/13(木) 00:07:33
http://mainichi.jp/select/world/news/20110113k0000m030053000c.html
スーダン:南北境界付近で武力衝突 30人以上死亡

スーダン南北境界付近に位置する油田地帯アビエイ地区 【ジュバ(スーダン南部)高尾具成】南部の分離独立を問う住民投票が実施されているアフリカ・スーダンで、南北境界付近に位置する油田地帯アビエイ地区周辺で7日以降、断続的に武力衝突が発生。11日までに30人以上が死亡、一部地域で住民投票が一時中断された。北部のアラブ系遊牧民と南部のアフリカ系農耕民との戦闘とみられる。帰属が未確定の油田地帯を巡り、南北間でなお確執があり、南部独立の足かせになっていることを改めて見せつけた。

 地元メディアなどによると、境界北側にある南コルドファン州と南側にある北バハルアルガザル州の境で10日、南部の住民らが車で投票に向かう途中、アラブ系遊牧民ミッセリアの武装集団に襲撃された。市民10人が死亡、18人が負傷した。

 南部自治政府は武装集団の背後に北部・中央政府軍の支援があるとの見方を示す一方、住民投票を平和裏に履行するため「北部側の挑発に乗らないように」と自制を促した。

 さらに、周辺では7、8日にも衝突が発生。この影響で一部地域で9日の投票が停止された。投票延長も検討されている。

 北部を拠点に同地区に南下し、家畜の放牧を続けてきたミッセリアの投票権を巡り、北部・中央政府は有効と主張。一方、南部自治政府を主導するディンカ人主体の「スーダン人民解放運動」は「和平合意でアビエイはディンカの領域と規定された」「遊牧民を住民とは規定できない」などの理由で投票権を認めず、議論が暗礁に乗り上げている。

 05年の「包括和平合意」では、南部の分離を問う住民投票とは別に、アビエイ地区で、南北いずれかへの帰属を問う住民投票を同時に実施する予定だったが、棚上げ状態だ。

 米国務省高官らは11日、ワシントンで、住民投票の結果を北部が受け入れたうえで、アビエイ地区の帰属問題解決▽テロ支援の停止−−などが満たされれば、テロ支援国家指定解除を行うという従来の方針を強調。北部に圧力をかけた。

 一方、油田とともに懸念として残る380億ドル(約3兆1000億円)の対外債務について、国営スーダン通信は、バシル大統領がカーター元米大統領に債務帳消しを求めたと報じた。バシル大統領は、カーター元大統領に、南部が独立すれば「全債務は北部が負う」と述べたが、南北双方の返済能力のなさを訴え、棒引きへの協力も求めていた。


http://mainichi.jp/select/world/europe/news/20110111k0000e030019000c.html
スーダン:南部独立容易に 大統領「対外債務は北が返済」
 【ジュバ(スーダン南部)高尾具成】スーダン北部・中央政府のバシル大統領は、スーダンが抱える約380億ドル(約3兆1000億円)にのぼる対外債務について、南部が分離独立した場合も「(北部が)引き継ぐ」との考えを示した。15日まで行われている南部の独立を問う住民投票では、石油利益の南北配分などと並び、債務処理が焦点の一つだった。これで、南部独立へのハードルが一段と低くなったと言える。

 スーダンで投票監視活動を行っているカーター元米大統領がバシル大統領と会談、10日にその内容を米CNNに明らかにした。それによると、バシル大統領は「全債務は北部が負うべきもので南部ではない」と述べた。カーター氏は「これで南部は負債のない財務状況でスタートできる」と述べた。

 南部は活発な民間投資で成長をとげているものの、油田は南北境界線上にあって帰属が未確定で、南部自治政府の歳入は潤沢とはいえない。このまま7月に独立が達成されても、巨額の債務があれば国家運営に支障をきたすと懸念されていた。

 中央政府は南部との内戦や反政府勢力との和平協定実現が長引く西部ダルフール紛争で、多額の費用を軍事・治安面に投入。その結果、債務が膨らみ、財政状況が逼迫(ひっぱく)。1月に入り、ガソリンなどの燃料や砂糖の値上げを決定し、閣僚級幹部の給与削減なども発表していた。

 ダルフール紛争を巡り欧米の経済制裁が続く中で、中央政府は国際機関などに援助を求めるのも難しく債務膨張に歯止めをかけられない状況だ。

 バシル大統領側は、米政府が住民投票の実施成功を条件に「南部だけなくスーダン全体を支援する」と北部も支える意向を示していることを重視。米国の意に沿って南部の独立を容認し、負債問題でも柔軟な姿勢を見せることで、債務軽減などで米国の援助を得る狙いもありそうだ。

 国際社会も債務問題を重視しており、日本は05年の南北和平合意の定着・進展を理由に08年3月、対日債務の一部約31億6500万円を免除する方針を発表。09年7月にスーダン政府との間で合意している。

1859チバQ:2011/01/13(木) 00:08:13
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011011200069
「水も電気も教育もない」=独立に希望託す寒村−スーダン南部
 【ニシジュ(スーダン南部)時事】スーダン南部独立の是非を問う15日までの住民投票は、独立支持が大半を占めるもようだ。最大都市ジュバから約20キロ離れたニシジュ村の住民も、独立により南北内戦終結が確実となり、水や電気などの住民サービスの到来を待ち望んでいた。
 「水も電気も十分な教育も、医者もいない」−。村の投票所で独立賛成に投じたアシリア・ムーイさん(50)は、長年の内戦に苦しめられた人生にもついに幸福の時がやってきたと喜びをかみしめた。しかし、積年の生活苦から今や視力をほとんど失い、足取りもおぼつかない。
 ジュバからの道のりは、南部最大の貿易相手国ウガンダとの幹線道路に当たるが、未舗装の悪路が続き、電線や水道施設などの生活基盤もない。村の住民は泥や植物で建てた質素な家に住み、家財道具らしきものはほとんどなく、硬い土の床に寝転がる生活だ。
 村には、わずか1カ所の井戸があるだけ。人々はほそぼそとした農業やまきを路上で売って生計を立てている。肌を焦がすような太陽の下、ある母親は疲れた様子で寝転がり、子供たちは木陰で過ごしていた。(2011/01/12-06:31

1860チバQ:2011/01/13(木) 00:10:31
http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/110111/mds1101112223004-n1.htm
スーダン 北部は屈辱・孤立… イスラム法強化宣言で不安定化の懸念 (1/2ページ)
2011.1.11 22:22
 【ハルツーム=大内清】スーダン南部の独立が現実味を増す中、領土維持の失敗という「屈辱」を味わっている同国のバシル大統領が、求心力確保のため、北部のイスラム化を一層推し進める構えをみせている。非イスラム教徒からの反発は大きく、政権の出方次第では北部が再び不安定化する懸念もある。国際社会が今後、どうバシル政権に穏健化を促していくかが、同国安定の鍵を握る。

 バシル氏は昨年12月の演説で、住民投票で南部が独立を選んだ場合、憲法を改正し北部で施行されているイスラム法(シャリーア)を強化する考えを示した。

 イスラム主義勢力「民族イスラム戦線」の支持を受け、1989年のクーデターで政権を奪ったバシル氏は、内戦をスーダン全土の完全なイスラム化のための「ジハード(聖戦)」と規定してきた。

 しかし、長期化した内戦に対する国際社会の非難は激しく、2005年には米英などの仲介を受け入れて包括和平合意に署名。独立に向けた南部の自決権を容認したことは、「南部をイスラム共同体(ウンマ)の一部とみなすイスラム主義者からすれば裏切り行為」(外交筋)とされた。

 バシル氏にとっては大幅な譲歩だったが、米国などによる経済制裁は緩和されず、経済が一向に上向かないことへの国民の不満も強まっている。

 バシル氏の「シャリーア強化」発言からは、北部社会に強い影響力を持つイスラム主義勢力の歓心を買い、権力基盤を盤石にしたいとの焦りがにじむ。

 これに対し周辺諸国は、シャリーア強化が実行に移されれば、紅海に面した戦略的要衝に位置するスーダンの情勢不安を招くと危機感を募らせている。アラブ系イスラム教徒中心の北部にも非イスラム教徒は少なくない上、内戦中にバシル政権側と戦った黒人系民族が多い青ナイル州や南コルドファン州なども抱えるためだ。

 隣国エジプトのスーダン専門家は「こうした地域がイスラム化に反発するのは確実。20年余に及んだ内戦の二の舞にもなりかねない」と指摘する。

 オバマ米大統領は、米紙ニューヨーク・タイムズへの寄稿で、バシル政権に対し、和平合意などの内容を順守するなら、経済制裁の解除も検討するとのメッセージを送った。しかし、米欧には人権問題でスーダンに根強い不信感があることから急速な関係改善は難しい。スーダンを国際社会に取り込んでいく道筋はみえていないのが実情だ。

1861チバQ:2011/01/13(木) 00:12:20
http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/110110/mds1101102054003-n1.htm
スーダン南部ルポ 「敵」失い矛盾表面化 平和渇望も行き場のない兵士たち (1/2ページ)
2011.1.10 20:47

9日、SPLMの指導者だったガラン氏の墓前で独立の実現を祈る女性ら(大内清撮影) スーダン南部の独立に向けた住民投票が始まり、南部の中心都市ジュバは早くも祝賀ムードに包まれている。20年以上にわたる内戦では南部が主戦場だっただけに、人々の平和への願いは強い。だが、その熱狂の陰では、北部という南部住民にとっての「共通の敵」を失ったことによる問題も表面化し始めている。(ジュバ 大内清、写真も)

 2005年の包括和平合意後に、ヘリ墜落で死亡したスーダン人民解放運動(SPLM)指導者、ガラン氏の遺体が安置された広場。9日の投票初日には住民数百人が集まり、投票実施を祝う歌や踊りの輪ができた。

 この広場の前に、数百軒のあばら家がひしめくメスアルバイーネ地区が広がる。上下水道の設備もなく、放置されたゴミには大量のハエが群がる。住民の多くはSPLM軍事部門、スーダン人民解放軍(SPLA)の兵士だ。

 そのうちの一人、デビッド・デング少尉(35)は、1998年にSPLAに参加。主に中部の油田地帯アビエ付近で北部軍と戦い、「和平合意を機に、家族とともにジュバに住み着いた」という。

 約820万人の南部住民の大半はごく小規模な農業や牧畜を営んでおり、SPLMが主導する自治政府の歳入のうち9割超は南部に集中する石油頼み。その石油も、輸出は北部のパイプラインや港に依存せざるを得ず、収入の配分に関する協議が難航している。

 そんな中、今後のインフラ整備などに大量の資金が必要となるSPLMにとり、民兵を含むと数十万人とされる兵士の給与は大きな負担だ。雇用がないため復員も難しく、過去には給与への不満から暴動が起きたこともあるという。

 SPLMが抱える問題はこれだけではない。

 南部にはSPLM主流派のディンカ人のほか、ヌエル人、シュルク人など数十の黒人系民族がおり、それぞれに独自の言語や文化を持つ。内戦中は同じSPLMに属しながらも、分裂や衝突を繰り返した。

 スーダン問題に詳しい隣国エジプトのジャーナリストは「SPLMはキール議長の指導力でかろうじてまとまっているだけだ」と指摘。自治政府職員のトーマス・ロロさんも「人々の心には、他民族への憎悪が残っている」と話す。

 北部によるイスラム法(シャリーア)導入への反発を契機に始まった内戦が終結して独立が現実味を帯び、「北部への抵抗」という大義を失った今、SPLMは内なる問題に向き合わざるを得なくなっている。

 昼間から酒を飲んでいたデング少尉は「もう戦争は十分だ」と語り、「でも−」と据わった目つきでこう付け加えた。「戦う必要があれば、誰とでも戦うよ」

     ◇

 【スーダン内戦】1983年にアラブ系イスラム教徒主導の中央政府が全土にイスラム法(シャリーア)を導入。これに、キリスト教徒の南部有力黒人民族ディンカ人らが反発し、スーダン人民解放軍(SPLA)を結成、内戦に突入した。国連安全保障理事会は2004年11月、政府とSPLAに対し和平合意を求める決議を採択。05年1月、双方が包括和平合意に署名し南部の自治政府設立が決定、内戦が終結した。内戦はサハラ砂漠以南のアフリカで最長、最大規模とされ、約200万人が死亡したとみられている。

1862チバQ:2011/01/13(木) 00:13:03
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011011102000023.html
スーダン「宗教共存」祈る 南部の黒人イスラム教徒
2011年1月11日 朝刊

10日、スーダン南部ジュバのモスクで、礼拝をする黒人イスラム教徒たち=内田康撮影


 【ジュバ(スーダン南部)=内田康】十日もスーダン南部で続いた分離・独立を問う住民投票で、南部の黒人社会では少数派のイスラム教徒も、独立支持の票を投じている。首都ハルツームの政府はアラブ系イスラム教徒が主導するが、南部のイスラム教徒たちは「黒人という理由から政府に差別された」と訴える。

 ジュバ中心部のモスク(イスラム教礼拝所)に隣接する「スーダン南部イスラム教徒協会」の事務所には「分離・独立」を訴える看板が掲げられていた。南部最大の黒人民族ディンカでイスラム教徒でもあるアブードさん(46)は事務所で「イスラム教徒であっても、政府は決して黒人にいい仕事を与えなかった」と嘆いた。

 スーダン南部ではキリスト教や各民族の伝統宗教を信仰する人たちが主流。地元記者によると、イスラム教徒は南部の15〜20%ほどで、ジュバには十三のモスクがある。二〇〇五年まで約二十年続いた南北内戦では黒人イスラム教徒も南部のスーダン人民解放軍(SPLA)に参加した。

 ただ、南部のキリスト教徒らの間でイスラム教といえば、敵対するハルツームの政権のイメージが強いのも事実。イスラム教徒で高校教師のジョゼフさん(56)は「『自爆テロ犯は北へ帰れ』と、ののしられたこともある」と打ち明けた。

 十五日まで続く住民投票は独立支持票が多数を占め、七月にも新国家が誕生する可能性が高い。ジョゼフさんは「各宗教が共存できる国になってほしい」と願っている。

1863チバQ:2011/01/13(木) 00:14:15
http://www.47news.jp/CN/201101/CN2011011001000677.html
男女の握手、会話禁止 ソマリアのイスラム過激派
 【ジュバ(スーダン南部)共同】AP通信などによると、ソマリアのイスラム過激派組織アッシャバーブは10日までに、首都モガディシオ周辺の二つの町で、男女が公共の場でみだりに握手したり、会話したりすることを禁止した。違反した場合は禁錮やむち打ち刑などが科されるという。

 アッシャバーブはモガディシオを含む同国中南部を実効支配し、厳格なシャリア(イスラム法)を適用、暫定政府軍と戦闘を続けている。これまでに映画観賞や音楽、サッカー観戦などを「欧米的」として禁止している。

2011/01/11 02:06 【共同通信】

1864チバQ:2011/01/13(木) 12:26:36
>>993
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101225-00000106-san-int
レバノン元首相暗殺、強まるヒズボラ犯行説
産経新聞 2010年12月25日(土)7時57分配信

 ■特別法廷が訴追なら宗派間の緊張激化も

 【カイロ=大内清】2005年に起きたレバノンのラフィク・ハリリ元首相暗殺事件で、同国のイスラム教シーア派組織ヒズボラのメンバーが容疑者として浮上、事件を調査する特別法廷(オランダ・ハーグ)が訴追に踏み切るとの観測が強まっている。ヒズボラは事件への関与を否定しており、メンバーが訴追されれば、挙国一致の連立内閣を離脱する可能性もある。政権内の微妙な政治バランスが崩れることで、宗派間の緊張激化を懸念する声も出ている。

 事件は当初、05年当時にレバノンに駐留していたシリアの関与が疑われた。元首相が反シリア派とされていたためで、国連の独立調査委員会は一時、シリア情報機関関係者ら4人を拘束(後に釈放)していた。

 ただ、元首相の次男で09年に首相に就任したサアド・ハリリ氏がシリアとの関係改善に動いたことなどもあり国内でのシリア犯行説は後退。シリア関与の可能性は払拭されてはいないものの、今年に入り、シリアと関係が深いヒズボラのメンバーらが特別法廷の事情聴取を受けたことなどからヒズボラ関与がクローズアップされていた。

 特別法廷幹部は今月9日、「捜査対象」の名指しは避けた上で、数週間から数カ月で訴追手続きが始まるとの見通しを示した。

 これに対しヒズボラ最高指導者のナスララ師は「(メンバーの訴追は)容認しない」と繰り返し牽制(けんせい)。スンニ派のハリリ首相には特別法廷の調査を拒否するよう要求し、訴追が実現すれば閣僚の引き揚げも辞さない構えだ。

 ハリリ首相としては、昨年12月に発足させた「挙国一致内閣」を維持したい半面、自身の権威維持のためにもヒズボラの“恫喝(どうかつ)”に安易に屈するわけにはいかず、苦しい状況に追い込まれている。

 シリアや、レバノンのスンニ派に影響力を持つサウジアラビアなどは、緊張緩和に向けヒズボラとハリリ首相支持派への働きかけを強めている。

 ただ、双方の敵対感情は「臨界点に達しつつある」(外交筋)との見方もあり、地域が再び不安定化する可能性もある。

1865チバQ:2011/01/13(木) 12:27:08
http://www.asahi.com/international/update/0113/TKY201101130122.html
レバノン、挙国一致内閣崩壊 ヒズボラ閣僚辞任で
2011年1月13日10時27分

 【カイロ=石合力】レバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラは12日、閣僚計11人(ヒズボラ系を含む)が辞任すると発表した。2009年末に発足したハリリ首相率いる挙国一致内閣は、全閣僚の3分の1超を失い、憲法規定により崩壊した。

 ヒズボラ系閣僚の辞任は、首相の父親のラフィク・ハリリ元首相暗殺事件(05年)を裁く国連主導の国際特別法廷(オランダ・ハーグ)で、ヒズボラ党員が起訴されるとの見方が広がったため。ヒズボラは政党として活動する一方で、イスラエルのアラブ占領に抵抗する武力闘争も続けており、同法廷を「抵抗を封じ込めるための米国とイスラエルによる試み」と批判。ハリリ氏に同法廷を認めないよう求めていた。

 スレイマン大統領が近く新たに首相を指名し、新たな組閣を目指すが、欧米諸国の支援を受けるハリリ氏が率いる反シリアのスンニ派と、ヒズボラなど親シリアのシーア派との対立がさらに深まることは必至だ。

 訪米中のハリリ氏はこの日、ホワイトハウスでオバマ米大統領と会談。イラン、シリアの支援を受けるヒズボラを「テロ組織」とみる米国は、今回の閣僚辞任をレバノン情勢を不安定化させる試みとして非難。レバノンの安定化と特別法廷の円滑な実施を目指すことで一致した。ハリリ氏はオバマ氏との会談後、レバノンと関係が深いフランスに向かった。13日中にもサルコジ仏大統領と会談する見込みだ。

1866チバQ:2011/01/14(金) 00:05:07
http://mainichi.jp/select/world/news/20110114k0000m030049000c.html
チュニジア:カシム内相を解任 国内各地で続く暴動を受け
 【カイロ和田浩明】北アフリカのチュニジアで12日、高失業率などへの不満を背景に国内各地で続く暴動を受け、カシム内相が解任された。20人以上が死亡した暴動は首都チュニスにも拡大し、政府は治安維持のため国軍を投入、夜間外出禁止令を敷き、緊張が高まっている。

 現地からの報道によると、チュニスでは12日、若者を中心に数百人が投石するなどし、治安部隊は催涙ガスを発射して応戦した。一方、ガンヌーシ首相は同日に内相解任を発表、政府関係者の腐敗疑惑調査や逮捕されたデモ参加者の釈放を約束し、国民の懐柔も図った。

 チュニジアは強権的なベン・アリ政権が23年にわたり支配、政情は安定していた。しかし、30%とされる若年層の失業率や政治的自由の抑圧などで国民の不満が鬱積している。

1867チバQ:2011/01/14(金) 00:07:44
http://www.asahi.com/international/update/0113/TKY201101130599.html
レバノン内閣崩壊 大統領、ハリリ氏を暫定首相に任命(1/2ページ)2011年1月13日23時12分
  
 【カイロ=貫洞欣寛】イスラム教シーア派組織ヒズボラなど親シリア系閣僚の辞任でサード・ハリリ首相率いる挙国一致内閣が倒れたレバノンで、スレイマン大統領は13日、ハリリ氏を改めて暫定首相に任命した。今後、ハリリ氏を中心に新たな政権協議が行われるが、ハリリ氏ら反シリアのスンニ派と親シリアのシーア派の間で緊張が高まっており、衝突も懸念される。

 ハリリ氏は13日、訪問先の米国からフランスに入り、サルコジ大統領と会談する。同大統領は12日にハリリ氏が会談したオバマ米大統領に続き、ハリリ氏と、ハリリ氏の父親のラフィク・ハリリ元首相暗殺事件をめぐる国際特別法廷への支持を表明するとみられる。

 レバノンでは、首相はスンニ派イスラム教徒から選ばれる取り決めで、ハリリ氏ら反シリア派は、当面はハリリ氏の暫定内閣を維持しつつ、第2次ハリリ政権の樹立を模索する構えだ。一方、ヒズボラのラード議員は13日、AP通信に「次の首相は抵抗勢力から選ばれるべきだ」と述べ、親シリア派から選出するよう求めた。

 レバノン議会は反シリア勢力と親シリア勢力が議席をほぼ二分。双方の協力がなければ政権作りがままならないのも現状だ。両派の緊張が高まるなか、アラブ連盟のムーサ事務局長は同日、「深刻な状況だ。各者が妥協案を見つける必要がある」と述べた。

 ハリリ氏がヒズボラとの再連立を図る場合、最大の焦点となるのが政権崩壊につながった特別法廷への対応だ。ヒズボラなど親シリア派は、特別法廷で月内にもヒズボラ党員が起訴されるとの情報に「ヒズボラは無実」と反発。ハリリ首相に同法廷を認めないよう求めていたためだ。

 元首相暗殺事件では当初、故ハリリ氏と対立していたシリアの関与が疑われた。だが昨夏ごろから、カナダ人の主任検事が率いる現行の国際捜査団がヒズボラ関与説に傾いているとの情報が流れ始めた。昨年11月下旬にはカナダCBC放送が「携帯電話の通話記録などから、ヒズボラの複数の軍事部門幹部が犯行に関与したとして起訴される」と報じた。

 ヒズボラ党首のナスララ師は、幹部らが起訴されても引き渡しを拒否する考えを示している。ヒズボラを支援するイランとシリアも特別法廷への批判を繰り返している。ハリリ氏側が特別法廷への対応をめぐり、何らかの譲歩を迫られる可能性がある。

 対立が解消できなければ、両者の間で武力衝突が起きる恐れもある。

 ヒズボラは政党として活動する一方、「イスラエルへの抵抗」を名目に軍事部門を維持し、レバノン国軍を上回る武力を持っている。08年にはシニョーラ政権(当時)がヒズボラの独自通信網を切断しようとした際、ヒズボラ民兵らがベイルート空港を閉鎖。断念に追い込んでいる。

1868チバQ:2011/01/14(金) 00:08:56
http://mainichi.jp/select/world/news/20110114k0000m030098000c.html
レバノン:閣僚一斉辞任 ヒズボラが再び火種に
 【カイロ和田浩明】レバノンでイスラム教シーア派組織ヒズボラ系などの閣僚11人の一斉辞任により、スンニ派サード・ハリリ首相の連立内閣が崩壊した。スレイマン大統領は13日、残った閣僚に暫定的な職務継続を要請し、新たな「挙国一致内閣」の形成を呼びかけたが、新政権発足には長期間かかる見通しだ。宗派間対立の火種だったヒズボラが、またしても激震を招いた格好となった。

 辞任したのはヒズボラが主軸の反米・親シリア勢力の閣僚10人と大統領指名の閣僚1人。憲法規定で閣僚30人中3分の1以上が辞任すれば内閣総辞職と見なされる。

 辞任閣僚の一人、バシル・エネルギー水資源相は記者会見で「(ハリリ)内閣は機能不全で国民の重荷となった」と述べた。

 一斉辞任の理由は、ハリリ首相の父親、ラフィク・ハリリ元首相の暗殺事件(05年)を審理する国連のレバノン特別法廷に対する不満だ。ヒズボラは自派関係者の起訴を懸念し、同法廷への費用拠出停止やレバノン人判事の引き場げを要求したが、ハリリ首相は受け入れに抵抗してきた。

 この問題では、シリアとサウジアラビアが協調して調停。ハリリ首相が同法廷の起訴内容を支持しないことと引き換えに、国軍を超える武力を持つとされるヒズボラが事態を静観する案が協議されてきたとされる。だが、ヒズボラ系閣僚らは11日、「調停は不調に終わった」と宣言していた。

 内閣崩壊により、ハリリ首相の政治的影響力の大幅な低下は避けられない。また、イランの中東地域での勢力拡大をけん制するためハリリ支援を続けてきた米国にも、大きな痛手となった。

 今後の焦点は新内閣の組閣。スレイマン大統領が改めて国民議会(国会)議員と面会し首班候補を指名する。単独で過半数を保持する会派がないため連立が必要だが、政治力を誇示したヒズボラ陣営は、特別法廷問題などでの要求を強めそうだ。ヒズボラを支援するイランやシリア、ハリリ首相を支えるサウジや米国なども影響力行使を図るとみられる。

 地元政治専門家のイブラヒム・ビラム氏は「ヒズボラ側は政局を混乱させ、親米勢力への国民の支持切り崩しを狙っている」と見る。ヒズボラ系の閣僚は「事態の悪化は望まない。憲法を守る」と発言しているが、レバノンは08年5月にもヒズボラ側と親米・反シリア勢力の衝突で混乱するなど、国内対立の激化を懸念する声は根強い。

1869とはずがたり:2011/01/14(金) 11:02:06
“無法者国家”中国との軋轢回避優先? G20議長国の仏、ルノー事件で苦悩
2011.1.13 20:05
http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/110113/fnc1101132009016-n1.htm

 仏自動車大手ルノーは、日産自動車と共同開発している電気自動車(EV)の情報漏洩(ろうえい)問題で、幹部3人を当初の予定より1日遅れの13日に刑事告訴する。今後、スパイ事件として本格捜査が進む見通しとなったが、仏政府は、国内で高まっている「中国関与説」の火消しに躍起だ。同国にとって、中国は最重要の貿易相手国であるうえ、議長国を務める今年の20カ国・地域(G20)金融サミットで、中国との連携を模索しており、軋轢(あつれき)を避けたいとの思惑が働いているとの見方が出ている。

 ただ、レアアース(希土類)の輸出規制など経済力を武器に恫喝(どうかつ)外交も辞さない中国に対しては、世界的に「無法者国家」との批判が高まっており、仏政府の弱腰姿勢は、国内世論の反発を招く恐れもある。

 ■スパイを正当化?

 フランスでは、中国関与説を裏付ける報道が過熱。一部メディアは、情報漏洩の疑いがもたれている幹部3人のうち2人の銀行口座に国有送電会社の国家電網が送金していたと報じた。

 フランスでは過去にも、中国人研修生が自動車部品メーカーから機密情報を盗み出し摘発される事件が起きており、「中国は信用できない」との市民感情が高まっているという。

 これに対し、中国政府は「全く根拠がなく、受け入れがたい」(外務省の洪磊報道官)と猛反発。

 仏政府もラガルド経済・財務・産業相が「どの国が関与したか臆測すべきではない」と、報道を牽制(けんせい)。捜査段階で真相が解明されていないという事情はあるが、同相は「企業が研究開発に投資する限り、産業スパイは存在する。フランス企業は今回の問題を正しく認識し、対策を講じなければならない」と、スパイを正当化するかのような発言も行っている。

 ■屈辱のトラウマ

 仏政府には、対中外交でトラウマがある。2008年にサルコジ大統領がチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世と会談したのに対し、中国は欧州航空機大手エアバスの納入凍結という報復措置を発動。関係改善を望む経済界の声に押され、サルコジ大統領が中国に内政不干渉を約束するという屈辱を味わった。

 フランスにとって、中国は輸出入とも日本を抜き、アジア最大の貿易相手国となっている。対中輸出では航空機のほか、原子力発電所や鉄道、水処理関連などのインフラに力を入れ、関係強化を進めてきた。

 来年の選挙で再選を目指すサルコジ大統領は支持率低迷にあえいでおり、「9%超で高止まりする失業率を改善するためにも、対中輸出のさらなる拡大が不可欠」(外交筋)という事情がある。

 ■米国包囲網で連携

 さらにサルコジ大統領には、先進国と新興国によるG20を成功させ、支持率回復につなげたいとの思惑もあり、特に米ドル基軸通貨体制の見直しに強い意欲を示している。

 一方の中国も人民元切り上げを迫る米国への対抗措置として欧州との関係を重視しており、中仏の思惑は一致。昨年11月にソウルで開かれたG20では、両国が米国のドル安政策批判で歩調を合わせた。

 サルコジ大統領は今月下旬にもG20に向けた声明を発表する予定で、「米国包囲網を再構築する上で、中国の協力が欠かせない」(同)。

 仏政府が大株主であるルノーにしても、中国は大事なお得意さま。同社は新興国でニーズの高い低価格小型車に強みを持つ。世界最大の自動車市場である中国との関係悪化は大きな痛手となるだけに、「捜査の行方を見守る姿勢に徹し、中国批判は避ける」(自動車大手)との見方が強い。

1870チバQ:2011/01/14(金) 22:05:09
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110114-OYT1T00007.htm
レバノン、親シリア圧力で混乱長期化は必至

 【カイロ=田尾茂樹】レバノンの親米反シリア勢力のハリリ政権崩壊を受け、スレイマン大統領は13日、新政権発足まで、ハリリ首相に暫定首相として政権運営にあたるよう要請した。


 新首相候補が近く指名される見通しだが、連立政権から離脱したイスラム教シーア派組織ヒズボラを中核とする親シリア勢力の協力を再び得るのは困難な情勢で、混乱の長期化は必至だ。

 訪米中に政権が崩壊したハリリ首相は、12日のオバマ大統領との会談後、急きょ、レバノンと関係が深い旧宗主国フランスに向かった。サルコジ大統領と対応を協議する。ハリリ首相の父、ラフィク・ハリリ元首相暗殺事件(2005年)を裁く国際法廷がヒズボラのメンバーを近く起訴するとの観測が広がる中、政権に法廷の判断を否定させるため、連立離脱という強硬手段を取ったことに、欧米からは「正義を覆す試み」と非難の声が上がった。

(2011年1月14日08時52分 読売新聞)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011011402000039.html
ヒズボラ辞任で連立崩壊 関係者起訴阻止へ圧力
2011年1月14日 朝刊

 【ベイルート=内田康】レバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラが関係閣僚十一人の一斉辞任によって、親米派サード・ハリリ首相=イスラム教スンニ派=率いる連立政権を崩壊させた。二〇〇五年に起きた現首相の父親ラフィク・ハリリ元首相暗殺事件で、レバノン国際特別法廷(オランダ・ハーグ)がヒズボラ関係者を今月中にも起訴するとの観測が強まるなか、これを阻止する強い意志を政治力で示した。

 憲法の規定で、全閣僚三十人のうち三分の一を超すポストが空白になれば、政権は退陣に追い込まれる。スレイマン大統領は十三日、ハリリ首相に対し、新政権発足まで暫定的に首相職にとどまるよう求めた。

 ヒズボラは一九八〇年代から独自の軍事組織を維持し、レバノンに侵攻していたイスラエル軍と戦闘。レバノン国軍より強いともいわれる。二〇〇六年夏にもイスラエルと大規模交戦を繰り広げた。

 国連安全保障理事会が武装解除を求めているにもかかわらず国民の支持を集めているのは、「イスラエルへの抵抗組織」として存在意義を認められているためだ。仮に自国の首相暗殺に関与したとなると、国内でのヒズボラへの評価は地に落ちる恐れがある。

 レバノン国際特別法廷は、国連安保理が設置を決めた機関。法廷に協力的な現政権を崩壊させても起訴を阻止できる保証はない。ただ、ヒズボラの「本気度」を国際社会に示し、法廷の支持勢力に動揺を与えることはできると計算したようだ。

 ヒズボラは〇八年にも、当時の政権との対立から首都ベイルートの各所を封鎖。各派支持者の銃撃戦に発展し、八十人以上が死亡した。クリントン米国務長官は国際特別法廷の捜査を支持する考えを示したが、ヒズボラ関係者が実際に起訴されれば、レバノンで再び血が流れる恐れが現実味を帯びる。

1871チバQ:2011/01/14(金) 22:07:14
>>1866
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110113-OYT1T00986.htm
チュニジア抗議デモ、首都にまで拡大

. 【カイロ=長谷川由紀】チュニジアの高失業率や食料価格高騰などに対する抗議デモは首都チュニスに拡大した。


 ベンアリ大統領による事実上の独裁体制に対する不満が背景にあり、事態が悪化する恐れがある。

 チュニスは12日、若者らのデモに治安部隊が催涙弾を発射するなどして一時、混乱状態に陥った。内務省は同日、首都に夜間外出禁止令を出したが、ロイター通信によると、夜間にも衝突が起き、デモ参加者1人が射殺された。AFP通信によると、13日にも警察の発砲で1人が死亡した。12日には他都市でも衝突があり、死傷者が出たという。

 大統領は12日、カシム内相を更迭し、デモで拘束した市民の釈放を始めたが、デモ参加者は圧政批判を強めている。デモは昨年12月以降徐々に拡大し、今月8日から9日にかけて大規模な衝突が発生した。治安当局は計23人が死亡したとしているが、労働組合関係者は50人以上と主張している。

(2011年1月13日22時10分 読売新聞)

http://www.47news.jp/CN/201101/CN2011011401000024.html
大統領、3年後の退任を表明 チュニジア、デモ沈静図る
 【カイロ共同】チュニジアのベンアリ大統領(74)は13日夜のテレビ演説で、2014年の大統領選に出馬せず任期満了で退任する考えを表明した。各地で続くデモや暴動の沈静化を図るため、パンやミルクなど食料品価格の引き下げや、言論の自由拡大を含む民主化を約束。デモ隊に銃を向けないよう治安部隊に命じたとも述べた。

 23年余りにわたって強権的な体制を敷いてきたベンアリ大統領にとっては大幅な譲歩。だが、14日にはゼネストの予定も伝えられており、混乱が終息に向かうかどうか、情勢は重要な局面を迎えた。

 大統領は演説で「国民の要求は理解している」「チュニジア人の血がさらに流れることは受け入れられない」と強調し、デモの沈静化を訴えた。

2011/01/14 09:28 【共同通信

1872チバQ:2011/01/14(金) 22:08:36
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110114-OYT1T00881.htm
英で連立政権発足後初の補選、与党候補大敗

. 【ロンドン=大内佐紀】英国で保守党と自由民主党の連立政権が昨年発足してから初の下院補選が13日、英中部オーダム東・サドルワース選挙区で行われ、与党第2党・自民党の候補が大敗した。


 連立政権が進める緊縮財政の不人気のあおりを受けた格好で、自民党内ではニック・クレッグ党首の責任を問う声が高まりそうだ。

 補選は、昨年5月の総選挙で4選された労働党現職が公選法違反を問われ失職して行われた。

 11月に実施が決まった時点では、自民党のエルウィン・ワトキンズ候補(47)が楽勝すると見られていた。労働党のデビー・アブラハムズ候補(50)は知名度で劣る上、補選実施の経緯から不利と見られていたが、子ども手当の支給制限など連立政権の財政赤字削減策を鋭く批判して支持を拡大。自民党候補に10ポイント差を付けて快勝した。

(2011年1月14日19時38分 読売新聞)

http://sankei.jp.msn.com/world/europe/110114/erp1101141716007-n1.htm
英連立政権に厳しい審判 下院補選で労働党が大勝
2011.1.14 17:14

オールダム東・サドルワース選挙区で勝利した労働党のエイブラハム候補を祝福する支援者ら=14日(AP) 【チューリヒ=木村正人】英中部のオールダム東・サドルワース選挙区で13日、下院の補欠選挙が行われ、中道左派の野党・労働党のエイブラハム候補が2位の自由民主党候補に3558票もの大差をつけて、労働党の議席を維持した。

 昨年5月の総選挙で中道右派の保守党と中道左派の自由民主党が戦後初の連立政権を発足させてから初の国政選挙で、10人が出馬したが保守党は予想以上に得票を減らした。財政再建を主導するキャメロン首相は厳しい政権運営を強いられそうだ。

 同選挙区では、前回総選挙で約100票の小差で当選した労働党下院議員が選挙運動で自由民主党候補者を中傷していたことが発覚し、昨年12月に辞任。労働党は議席を死守するため、新たな候補を立て、約40人の下院議員が応援にかけつけた。その結果、エイブラハム候補の得票率はブレア人気に沸いた1997年の総選挙を上回る42.1%に達した。

 昨年9月に就任した労働党のエド・ミリバンド党首はこれまで労働組合寄りの発言が目立ち、存在感が薄かったが、政権奪還に向けて好スタートを切った。

 連立政権の中で埋没気味だった自由民主党の得票率はわずかに上昇。一方、保守党の得票率は13.6ポイントも下落した。大学授業料値上げに反対して学生の抗議活動が起きるなど財政再建の痛みが出始めている。付加価値税(VAT)増税や歳出削減が本格化し、選挙制度改革の是非を問う国民投票が行われる今年、キャメロン首相の連立政権は正念場を迎えそうだ。

1873チバQ:2011/01/14(金) 22:09:02
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/110114/erp1101141349006-n1.htm
英政権発足後初の補選で野党が勝利 自民党の不人気裏付け
2011.1.14 13:48

14日、オールダム東・サドルワース選挙区で勝利、支援者の前で微笑む労働党のエイブラハム候補(AP) 英中部のオールダム東・サドルワース選挙区で13日、中道右派で議会第1党の保守党と中道左派の自由民主党による昨年5月の連立政権発足後初めての下院補選が行われ、中道左派で議会第2党の野党、労働党のエイブラハム候補が2位の自民党候補に約3500票差をつけ勝利した。

 同選挙区は従来、労働党と自民党が競り合う地域で、昨年5月の総選挙では労働党候補が約100票という小差で自民党候補に勝利。労働党が前回より大きな差をつけて勝利したことで、連立維持のため妥協を迫られる場面が多く支持率急落に悩まされる自民党の不人気ぶりが裏付けられた。

 野党党首として初めて国政選挙に臨んだ労働党のエド・ミリバンド党首にとっては、満足のいく結果となった。(共同)

1874チバQ:2011/01/14(金) 22:17:12
>>1840
http://www.asahi.com/international/update/0113/TKY201101130614.html
カザフスタン、進む大統領崇拝 2020年に任期延長?2011年1月14日9時24分
 【モスクワ=副島英樹】中央アジア随一の経済大国カザフスタンで、ソ連末期の1991年から国を率いてきたナザルバエフ大統領(70)の個人崇拝がさらに進みそうだ。来年の大統領選を中止して、大統領任期を2020年まで延ばす国民投票を実施する案を上院が今月6日、全会一致で可決したからだ。

 この案は「国民主導」という形をとって出された。大統領はこの提案を即日拒否してみせたが、独裁を否定するポーズの可能性があり、結局は議会主導という体裁で国民投票を実現する可能性がある。

 このため、インタファクス通信によると、大統領選に代わる国民投票の動きに、米国は「民主主義の後退だ」と懸念を表明した。

 ナザルバエフ氏は、ソ連崩壊時の1991年に独立宣言したカザフスタンの初代大統領に就任。95年には、国民投票によって任期を2000年まで延長した。さらに07年、ナザルバエフ氏に限り大統領の3選禁止規定を除外する権限を議会が承認。昨年6月には「国民のリーダー」という称号が与えられた。この時も、大統領は表向き拒否したが、議会に差し戻さなかったため、法律は発効した。

 今回、任期延長を求める理由としては、「大統領選への参加は、大統領の仕事の妨げとなる」「建国者で国民のリーダーでもある大統領の歴史的使命実現のための条件づくり」などが挙げられた。

 国民投票実施に必要な20万人を上回る300万人以上の署名が集められた。

 ウランなど天然資源に恵まれたカザフスタンは、昨年は欧州安保協力機構(OSCE)議長国も務めて民主化促進を誇示しているが、他の旧ソ連・中央アジア諸国と同様、長く政権を保持する大統領は強権的な色彩を強めている。

1875チバQ:2011/01/15(土) 15:40:34
http://mainichi.jp/select/world/news/20110115dde035030033000c.html
チュニジア:政権崩壊 独裁23年、不満爆発 大統領出国、市民に軍同調か
 【カイロ和田浩明】23年間にわたって独裁体制を敷いたチュニジアのベンアリ大統領がサウジアラビアに出国し、政権が崩壊した。物価の高騰や汚職などを背景に抗議デモを続けた国民による不満の爆発と、国民の退陣要求を無視できなくなった軍部の介入が、デモ開始から約1カ月での異例の政権崩壊につながったとみられる。

 ベンアリ氏は14日夕に家族と飛行機で出国。旧宗主国フランスへの入国を希望したとされるが、ロイター通信によると、仏政府当局は「(入国を)望まない」と拒否。同氏は15日未明、サウジアラビア南西部のジッダに到着した。

 現地からの報道によると、暫定大統領に就任したガンヌーシ首相はテレビ演説で、「早期に実施される選挙まで大統領代行を務める」と発表。治安回復への協力を国民に呼びかけるとともに、国内各勢力と協議して政治、経済の改革を進める意向を表明した。

 大統領退陣の背景には、デモ隊への発砲など強硬な取り締まりを求めた大統領に反発した国軍幹部の介入があったとの情報がある。

 ベンアリ氏は13日、14年の大統領選不出馬や民主化を約束。14日には内閣総辞職や議会選挙の半年以内の前倒し実施などを決めたが、退陣を求める国民の声は収まらず、非常事態宣言と夜間外出禁止令を出す事態に追い込まれていた。

 これに対し、米国のオバマ大統領は14日の声明で、変革を求めるチュニジア国民の支持と、混乱の平和的解決を呼びかけていた。

 チュニジアの混乱は昨年12月中旬、生活のための野菜販売を摘発された若者が焼身自殺を図ったことをきっかけに地方都市で警察署などの焼き打ちが発生。暴動は1月に入って激化し、首都チュニスでも数千人規模の抗議デモが発生。政府発表では、デモ鎮圧などで市民ら23人が死亡した。14日も内務省周辺に市民約5000人が集まり、大統領退陣を求めた。

1876名無しさん:2011/01/15(土) 15:41:45
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110115-OYT1T00382.htm
チュニジア混乱、日本人多数が現地で足止め

 政権が崩壊し、非常事態宣言が全土に出されたチュニジアには、世界遺産のカルタゴやサハラ砂漠などの観光地があり、日本からも多くの旅行客が訪れている。


 ツアーを主催している旅行会社は15日、安否の確認などに追われた。

 阪急交通社(大阪市)によると、ツアー客と添乗員の計163人が現地にとどまっている。けが人などは確認されていないという。同社では20日まで、日本からチュニジアへ向かうツアーの中止を決定した。

 エス・ティー・ワールド(渋谷区)のツアーでも、4人が地中海に面したハマメットのホテルに足止めされている。エイチ・アイ・エス(新宿区)のツアー客は、14日に出国したという。

 同社によると、チュニジアはカルタゴなどの文化遺産が残っていることに加え、ヨーロッパ経由で交通の便も良いため、日本人旅行客の人気は高いという。

(2011年1月15日14時14分 読売新聞)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011011502000167.html
デモ、独裁政権倒す チュニジア、高失業で爆発
2011年1月15日 夕刊

 【ベイルート=内田康】事実上の独裁体制で、盤石とみられていたチュニジアのベンアリ政権が十四日、崩壊した。内相更迭や総選挙の前倒しなど、政権は矢継ぎ早に妥協策を示したが、高失業率や物価高などへの市民の怒りは収まらなかった。強権的な体制が多いアラブの国で、街頭デモが政変を招いたのは極めて異例。近隣国は騒乱の自国への波及を懸念している。

 十四日の首都チュニスのデモでは、一部の警察官が制服の勲章を外してデモ隊に賛意を示すなど、ベンアリ体制への不満は治安当局内部にまで広がっていたとみられる。

 カイロのシンクタンク、アルアハラム政治戦略研究所のイマド・ギャド研究員は「大統領を出国させたのは軍だ。ベンアリ体制はもたないと判断した軍が、逮捕か亡命かを迫ったとの情報がある」と話した。

 チュニジアの失業率は約14%。大卒の若者に限れば20%を超える。大統領一族や周辺の人間のみが、富を独占しているとの批判も根強かった。

 首都に抗議デモが波及した一月になると、ベンアリ大統領は内相更迭や拘束したデモ参加者の釈放、三十万人の雇用創出、次期大統領選への不出馬表明などと、譲歩策を次々と示した。だが、逆に弱腰とも映り、デモ隊を勢いづかせた側面も否めない。

 折しも十四日、中東のヨルダンでは物価上昇に抗議するデモが各地で繰り広げられた。最近では、同じ北アフリカのアルジェリアでもデモで死者が出たほか、スーダンの首都ハルツームでは、学生が食品などへの補助金削減に抗議し、治安部隊と衝突した。

 エジプトでは、キリスト教系コプト教会前での爆弾テロを機に、事件を防げなかった政府への不満をコプト教徒が募らせている。各国が、街頭監視を強めるのは必至だ。

1877チバQ:2011/01/16(日) 13:33:16
http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-19034620110116
チュニジア下院議長が暫定大統領に、政権崩壊で混乱広がる
2011年 01月 16日 11:49 JST
 [チュニス 15日 ロイター] 退陣要求デモの拡大を受けてベンアリ大統領が国外に逃れたチュニジアで15日、メバザア下院議長が暫定大統領に就任した。一方、首都チュニスで発砲事件が多発したほか、地方での刑務所で脱獄が起きるなど、政権崩壊による混乱が広がっている。
 暫定大統領のメバザア下院議長は、ガンヌーシ首相に野党との連立政権協議を指示。また、憲法評議会は60日以内に大統領選挙を実施すると発表したが、野党は6─7カ月後に国際的な監視の下で行うべきとの考えを示している。

 こうした中、チュニスでは車中から無差別に発砲する事件が発生。軍幹部はロイターに対し、実行犯は不明だが、サウジアラビアに逃れたベンアリ前大統領の支持者が関与しているとの見方を示した。

 また目撃者によると、中部マハディの刑務所では脱獄を図ろうとした受刑者が警官に撃たれ数十人が死亡。中部モナスティルでも刑務所で火事が発生し、42人が死亡したという。

 23年以上にわたったチュニジアのベンアリ政権崩壊で、専門家からは、反アラブ運動や中東諸国の長期政権に対する市民の反発につながる可能性を指摘する声も聞かれる。

 IHSグローバル・インサイトの中東アナリスト、ガラ・リアニ氏は「チュニジアでは長年にわたる不満があったとはいえ、事態が非常に早く展開したことが印象的だ。(中東の)他国はそれを憂慮しているに違いない」と述べている。

1878チバQ:2011/01/16(日) 13:39:14
>>1798
http://www.asahi.com/international/update/0115/TKY201101150251.html
仏右翼政党、ルペン氏後継に三女選出へ 党首選当選確実2011年1月15日20時39分

 【トゥール(仏中部)=稲田信司】フランスの右翼政党・国民戦線(FN)の次期党首を決める党大会が15日、当地で始まった。AFP通信によると、ジャンマリ・ルペン党首(82)の後継として、同氏の三女で欧州議会議員のマリーヌ・ルペン前副党首(42)が党員投票の結果、約3分の2の支持を集め、当選が確実となった。

 昨年9月に始まった党首選は14日に開票作業を終え、16日に結果が発表される。選挙は同党を批判政党から政権政党への衣替えをめざすマリーヌ氏と、ルペン氏の右腕として旧世代の支持を受ける欧州議会議員、ブルーノ・ゴルニシュ前幹事長(60)の一騎打ちとなった。

 2度の離婚歴があるシングルマザーのマリーヌ氏は選挙戦で国是である政教分離を強調し、「フランスのイスラム化」を印象づけ、宗教離れした支持層を掘り起こした。伝統的カトリック教徒から根強い支持を受けるゴルニシュ氏との違いを浮き立たせ、失業の深刻化や年金の受給年齢の引き上げに不満を募らせる若者や高齢者の支持を引きつけたとみられる。

 ルペン党首は新年のあいさつで、改めてマリーヌ氏への支持を示唆。自身は16日、新設される「名誉党首」に選出される。ただ、2014年まで任期が残る欧州議会議員と仏地域圏議員は続ける意向で、新党首の後見人として挙党一致を図る。

 FNは1972年の結党以来、ルペン氏が一貫して党首を務めた。80年代、保守層が多い東部や南部などで地盤を固め、90年後半から移民排斥を訴えて労働者が多い北部工業地帯で支持を広げた。02年の大統領選で同氏は社会党候補を破り決選投票に進出。昨年の地方選挙で復調するまで党勢は低迷していた。

1879チバQ:2011/01/16(日) 13:43:34
http://www.asahi.com/international/update/0115/TKY201101150204.html
ベルルスコーニ首相に出頭要請 17歳少女買春の疑い2011年1月16日0時9分

 【ローマ=南島信也】イタリアのベルルスコーニ首相(74)が昨年、17歳(当時)のモロッコ人少女と性的関係を持ったなどとして、ミラノ地検は14日、未成年者との買春と警察幹部への汚職の疑いで秘書の事務所などを家宅捜索し、首相に出頭要請した。伊メディアが一斉に伝えた。

 13日に憲法裁判所が、首相と閣僚が在任中は裁判への出廷が免除される「特権法」は無条件に認められないとする違憲判決を下したばかり。地検は起訴に向け今週末にも聴取したいとしており、首相は周囲に「法廷で闘う」と語るなど、起訴されれば出廷する意向を見せているという。

 少女は昨年2〜5月、ミラノ郊外の首相の別荘で開かれたパーティーに複数回招かれた。パーティーには売春婦らが参加していたとされる。少女は5月末に窃盗容疑で逮捕されたが、首相は警察幹部に電話し「少女はエジプトのムバラク大統領の親戚なので、早く釈放するように」と働き掛けたとされる。首相は昨年10月末、記者会見で「私は心優しいので、困っている人を助けただけだ」と語っている。性的関係については首相、少女とも否定している。地検は、便宜供与の見返りに首相から警察幹部に金銭授受があった可能性があるとみている。

http://mainichi.jp/select/world/news/20110115ddm007030116000c.html
イタリア:首相関係先を捜索伊 17歳買春容疑で−−ミラノ地検
 【ローマ藤原章生】イタリアのコリエレ・デラ・セラ紙(電子版)は14日、ミラノ地検がベルルスコーニ首相を未成年者の買春と警察に対する汚職の疑いで捜査し、秘書の事務所2カ所を家宅捜索したと報じた。捜査は先月21日に始まり、首相に出頭命令も出ている。首相はこれまで、要職者のための「免責法」で贈賄などの裁判の出廷を免れてきたが、憲法裁は13日に「無条件の免責は違憲」との判断を下しており、今回の捜査が起訴につながれば、首相は厳しい立場に追い込まれそうだ。

 首相は昨年2月から5月にかけ複数回にわたり、当時17歳のモロッコ人少女らを私邸のパーティーに呼び、買春をした疑いが持たれている。また、その少女が友人らと5月末に盗みの疑いでミラノ警察に拘束された際、首相は警察幹部に自ら電話し、「少女はエジプトのムバラク大統領のめいだ」とかたって釈放させたとされる。

 地元メディアに対し首相も少女も両者の間に性的関係はなかったと弁明。釈放の働きかけについても首相は「自分はいい人間だから、困っている人を助けたかった」と説明していた。検察は、首相が立場を利用して警察に働きかけたのは、少女との関係を隠すためだったとみている。

1880チバQ:2011/01/16(日) 13:45:44
http://www.asahi.com/international/update/0115/TKY201101150357.html
チュニジア、ネット通じデモ拡大 刑務所火災や脱獄も2011年1月16日0時44分
 【カイロ=貫洞欣寛】23年にわたる強権支配を続けた末、民衆デモの高まりでベンアリ大統領が国外脱出したチュニジアの憲法評議会は15日、大統領の空位を正式に宣言し、「大統領権限を暫定的に引き継ぐのはムバッザア下院議長」との見解を発表した。これに従って同日、ムバッザア氏が暫定大統領として就任宣誓した。同氏は与党・立憲民主連合の出身でベンアリ氏と近い関係にあり、市民の反発が続く可能性もある。

 暫定大統領となったムバッザア氏は、ガンヌーシ首相に野党勢力を取り込んだ「挙国一致内閣」の組閣を命じた。 大統領権限をめぐっては、14日にガンヌーシ首相が暫定的に引き継ぐと述べたが、「憲法上、この状況で首相は大統領の職務を代行できない」との批判が出たため、首相が評議会に見解を求めたという。同評議会はまた、60日以内の大統領選を命じた。暫定大統領はこの選挙に立候補できない規定だ。

 強権的な支配が崩壊した今回の政変では、多くの市民がフェイスブックなどインターネットを通じて、デモ開催や警察の取り締まりを巡る情報を共有。デモの参加者は雪だるま式に増えていった。ベンアリ政権を支えていたムバッザア氏やガンヌーシ氏に対し、国民がどう反応するのか注目される。

 チュニス市内では15日、各地に兵士らが動員され、14日にデモが起きた大通りや政府機関周辺には戦車も配置された。夜が明けると各地から黒煙が上がった。夜間のうちに焼き打ちにあった駅や、略奪を受けた商店もある。

 日が昇っても、ほとんどの商店がシャッターを閉めている。大規模なデモは起きていないが、立憲民主連合の本部をはじめ、街に掲げられたベンアリ氏のポスターを外す作業が始まった。

 一方、AFP通信などによると、中部モナスティルの刑務所内で出火し、40人を超える死者が出た。受刑者が脱獄しようとしてマットレスに火をつけたとの情報や、暴動が元で出火したとの情報がある。別の刑務所でも多数の死者が出たとの報道がある。
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1881チバQ:2011/01/16(日) 13:48:40
http://www.asahi.com/international/update/0113/TKY201101130513.html
豪州洪水、第3の都市はゴーストタウン 浸水1.4万棟2011年1月13日21時5分
 【シンガポール=塚本和人】オーストラリア北東部クインズランド州を襲った大雨による洪水の被害はさらに広がり、豪州第3の都市で州都のブリスベンでは13日、市内の多くが浸水するなど市民生活や経済活動に大きな影響が出ている。同州では洪水で多数の住民が行方不明となっており、ギラード首相が被災地入りし、軍が出動するなど救援活動が続いている。

 地元当局によると、一部決壊していたブリスベン市内を流れる川の水位は13日午前をピークに下がり始めているが、市内の住宅と商業施設の計約1万4500棟が完全に浸水するなど都市機能がマヒ。24歳の男性1人の死亡が確認されたほか、ビジネス街や多くの住宅街の一帯が浸水し、郊外も含めた10万世帯以上が停電するなど「ゴーストタウン」(地元メディア)のような状況に陥っている。

 一方、同州南東部で10日に起きた洪水では13日までに死者が計14人に上っており、ほかに60人以上が行方不明となっている。

 同州では年末から記録的な大雨が続き、洪水被害が拡大。州当局はドイツとフランスを合わせた面積よりも広い、州の4分の3にあたる地域を「被災地域」と指定した。主要産業である農業や石炭など資源産業も被害を受け、復興費用も含め、被害は国内総生産(GDP)の1%にあたる130億豪ドル(約1兆740億円)にのぼる可能性も指摘されている。野菜や果物の値段も上昇し、インフレの危機に直面しているとの見方も出ている。

 また、豪州は日本や中国、インドなどアジア向けを中心にした石炭の輸出大国。石炭価格が国際市場で上昇する動きを見せており、国際経済への影響も懸念されている。

 危機管理が専門のシドニー大学のアラン・マッコネル教授は近年、同州は干ばつなど深刻な自然災害の度重なる被害を受けてきたと指摘。「多額の資金が必要な復興計画を立てる際、ギラード政権は難しい政治判断を迫られるだろう」と述べた。

1882チバQ:2011/01/16(日) 13:49:21
http://www.asahi.com/international/update/0115/TKY201101150203.html
ブラジル大雨、死者530人超す 救出はかどらず2011年1月15日18時59分
 【ロサンゼルス=堀内隆】ブラジル南東部で続く大雨による被害は、死者は537人に達した。ブラジルメディアが14日、消防当局などの情報として伝えた。大規模な土砂崩れが起きたリオデジャネイロ郊外テレゾポリスの消防隊員はロイター通信に「まだ生き埋めになっている人が多数いる」と語った。現場は山間地で、救出活動は思うようにはかどっていないという。

 AP通信によると、山の斜面にある多数の家が土砂崩れに巻き込まれたという。リオデジャネイロ州のカブラル知事は14日、現場を視察し、「土砂崩れが起きやすい場所に住宅建設を認めた」と地元市長らを非難した。

1883名無しさん:2011/01/16(日) 22:03:28
http://www.asahi.com/international/update/0116/TKY201101160277.html
チュニジア首都厳戒、混乱続く 暫定政権へ連立協議(1/2ページ)2011年1月16日21時43分
 【カイロ=石合力】大規模な反政府デモで、ベンアリ大統領が国外に脱出したチュニジアで16日、暫定政権樹立に向けたガンヌーシ首相による野党側との連立協議が始まった。憲法規定に基づき、15日に暫定大統領に就任したムバッザア下院議長が首相に指示した。政権参加を認められていなかった野党側は暫定政権への参加に前向きだ。

 暫定大統領の就任でベンアリ氏は大統領としての権限を正式に失った。暫定政権は、憲法規定で60日以内に実施される大統領選に向けて、挙国一致内閣の樹立を目指すものだ。連立協議に参加した主要な野党勢力、民主進歩党のチェビ氏はガンヌーシ氏との協議後、記者団に対し、「国際監視団の下で6〜7カ月以内に(国会の)選挙を実施できるだろう」との見通しを示した。協議の中でガンヌーシ氏は、同党を含む野党3党に対して、政権への参加を要請したという。暫定政権の構成が複数の野党政党を含む連立になるのか、ベンアリ氏の与党立憲民主連合(RCD)主体になるのか、が焦点になる。AP通信によると、チェビ氏は「もし、RCD主体の政権になるならば、我々は危機を脱したとはいえない」と述べた。

 中東の衛星放送アルジャジーラなどによると、首都チュニス市内では16日、大規模デモは起きていない。人影もまばらで、主要道路や政府施設の周辺を中心に戦車や軍兵士が展開している。商店などはここ数日間、閉まったままで、食料品やガソリンなどの入手が難しくなっているという。

 しかし、民兵らによる商品の略奪や放火、車からの無差別乱射などが続いている。民兵らの実態は不明だが、ベンアリ氏の支持派や一部の警官、治安関係者が関与しているとの見方が大勢だ。内務省周辺を警戒している警官に対する銃撃もあったという。

 チュニス市内に住む陶工のワリド・ゴーザフさん(45)は朝日新聞の電話取材に対し「(治安部隊による)暴力は収まったが、略奪などがあり、若者らが自警団を組織して夜間も警戒に当たっている。食料を得るのは難しいが、住民らが助け合っている」と述べた。15日に起きた受刑者の釈放措置や脱獄などに伴う複数の刑務所での混乱では、これまでに57人が死亡、約千人が脱獄したとみられる。

 ベンアリ氏が国外脱出した14日に閉鎖されたチュニス国際空港は15日に再開されたが、再開便は一部に限られ、運航の乱れやキャンセルが続いている。戒厳令に基づく午後5時から午前7時までの夜間外出禁止措置は現在も継続している。

1884名無しさん:2011/01/16(日) 22:06:46
http://mainichi.jp/select/world/news/20110117k0000m030048000c.html
チュニジア:内閣作り協議本格化 主要都市では略奪相次ぐ
 【チュニス和田浩明】23年に及ぶ独裁体制が崩壊したチュニジアの政変で、ガンヌーシ首相は16日、メバザア暫定大統領の指示に基づき、挙国一致内閣の樹立に向けた各党との協議を本格化した。混乱の早期収束を図る政治的な動きが加速する一方で、主要都市では略奪などが相次いでおり、情勢は依然として流動的だ。

 ガンヌーシ首相は15日以降、野党指導者や有力者を相次いで首相府に迎えるなどして、新内閣の構成や今後の選挙について協議を続けている。メバザア暫定大統領は「全国民が例外なく政治に参加できる」と強調。AFP通信によると、ベンアリ前大統領に非合法化されたイスラム系政党の在外指導者は滞在中の英国で「独裁の崩壊で国外にいる理由はなくなった。早急に帰国する」との見通しを示した。ただ実際には、イスラム系と、同じく非合法化されている共産系の両政党は組閣協議から除外された。

 首都チュニスでは商店や住宅を狙った略奪が相次いでいるほか、高級車が破壊されるなど、治安は混とんとしてきた。住民らは自警団を組織して対応している。ベンアリ前大統領の関連資産が狙われているともいわれ、主要な道路には兵士や戦車が展開して厳戒態勢を敷いている。AFP通信は病院関係者の話として、前大統領の妻のおいがナイフによる傷で14日に死亡していたと伝えた。刺殺かどうかなど詳細は不明だ。

 在チュニジア日本大使館は在留邦人175人全員の無事を確認した。夜間外出禁止令は依然続いており、多くの邦人は自宅やホテルに待避している。

 一方、北東部モナスティルの刑務所では15日、政情の混乱に乗じて脱獄しようとした服役囚がマットレスに火をつけ、火災に巻き込まれた42人が死亡した。暴動が起きた別の刑務所では、服役囚1000人が逃走したとの情報もある。

 今回の政変について、一部で「民衆蜂起が独裁を崩壊させた」との声が上がっており、インターネット上ではチュニジアを代表する花のジャスミンにちなみ「ジャスミン革命」と呼ばれ始めた。ベンアリ前大統領を事実上の亡命に追い込んだ一連の反政府デモは、インターネットの交流サイト「フェースブック」や簡易ブログ「ツイッター」などを通じて、若者を中心に拡大した経緯がある。

1885名無しさん:2011/01/16(日) 22:11:18
http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/110116/mds1101161925005-n1.htm
チュニジア政変、サウジは政治亡命者に広い門戸
2011.1.16 19:24
 【カイロ=大内清】政治的理由による亡命受け入れを法律で定めるサウジアラビアには、これまでアジアやアフリカなどの有力政治家が多く亡命している。

 1970年代の軍事独裁体制下で反体制派30万人以上を虐殺し、「アフリカの暴君」と呼ばれたウガンダのアミン元大統領は79年にクーデターで失脚し、リビアを経てサウジに亡命。2003年に78歳で死亡するまで亡命生活を送った。パキスタンのシャリフ元首相も、00年にクーデターで国外追放され、サウジに亡命している。サウジは03年のイラク戦争開戦直前には、フセイン元大統領の亡命を提案したと報じられている。

 フランス通信(AFP)によると、サウジは「公共の利益に合致すること」を亡命受け入れの条件としている。ただ、「公共の利益」に明確な規定があるわけではなく、サウジ当局の裁量に委ねられているのが実情だ。

 また亡命者に対しては、メディアへの露出や政治活動を禁ずるなど厳格な条件を課している。

 このほか、チュニジアの隣国、アルジェリアの現大統領のブーテフリカ氏が、1999年の大統領選への出馬前にアラブ首長国連邦(UAE)に亡命していた例が知られる。

http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/110116/mds1101161131002-n1.htm
【チュニジア政権崩壊】政変は「ジャスミン革命」 ネットで命名
2011.1.16 11:29

このニュースのトピックス:中東・アフリカ

15日、ベンアリ大統領の肖像が掲げられたチュニスで治安維持に当たる兵士(ロイター) 民衆蜂起により23年間続いた強権的なベンアリ政権が崩壊したチュニジアの政変が、インターネット上で「ジャスミン革命」と呼ばれ始めた。ジャスミンはチュニジアを代表する花。

 呼称が定着するかどうかは不明だが、今回の政変ではツイッターやユーチューブ、フェースブックといったネットメディアがデモ動員に大きな役割を果たしたことが特徴だ。

 レバノンのカーネギー中東センターのアムル・ハムザウィ研究員は「アラブ世界で初めて大統領を追放した大衆蜂起」と指摘している。

 2003年にグルジアで起きた政変は、集会参加者がバラの花を持っていたことから「バラ革命」、04年のウクライナのケースは野党のシンボルカラーにちなみ「オレンジ革命」と呼ばれている。

1886名無しさん:2011/01/16(日) 22:12:42
>>1884
おっ毎日はチェニス入りしたんですね。
他はカイロから見たいだけど

1888名無しさん:2011/01/16(日) 23:23:42
http://www.asahi.com/international/update/0116/TKY201101160279.html
仏右翼政党、三女のマリーヌ新党首選出 大統領選に照準(1/2ページ)2011年1月16日23時5分
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仏・国民戦線の党大会で15日、党首当選が確実になり、支持者の歓声に応えるマリーヌ・ルペン氏=トゥール、レミ・ファブレス氏撮影
 【トゥール(仏中部)=稲田信司】フランスの右翼政党・国民戦線(FN)は16日、党大会でマリーヌ・ルペン氏(42)を新党首に選んだ。経済危機を受けて反イスラム感情が高まる欧州では、移民排斥を訴える右翼政党が次々と政権入りを射程にとらえる。FNもこの潮流に乗って、来年の仏大統領選に向けて党勢拡大をねらう。

 この日、正式に発表された党員投票の結果によると、40年近くFNを率いたジャンマリ・ルペン氏(82)の三女で欧州議会議員のマリーヌ氏が得票率67%を上回り、対立候補のゴルニシュ前幹事長(60)に圧勝した。マリーヌ氏は記者団に「FNの歴史は新たな段階に入った。党首に選ばれたということは、次期大統領選の候補になることを意味する」と勝利宣言した。

 経済危機のあおりで失業が広がるフランスでは、サルコジ右派政権の支持が低迷する一方、年金の法定受給年齢を引き上げる改革を止められなかった最大野党・社会党への不満も高まった。FNは二大政党離れを好機ととらえ、「批判政党」から「政権政党」への脱皮を急いでいる。

 4カ月に及ぶ党首選でマリーヌ陣営は、ナチス・ドイツを思わせる「こわもて政党」からの脱皮を試みた。妊娠中絶に反対する保守層や工業地帯の労働者などの支持基盤に加え、経済危機の不安を深める都市部の中間層への支持拡大を期待したからだ。

 マリーヌ氏は弁護士出身で、2度の離婚歴があるシングルマザー。「政教分離」と「手厚い福祉」を掲げた。妊娠中絶反対などのキリスト教の伝統的価値観や、減税などの自由主義的な経済政策を重んじる旧世代の殻を破る動きだ。デンマークやオランダで、政権に閣外協力する段階まで勢いづいている右翼政党の主張とも似ている。


 「政教分離」は、イスラム教徒を中心とした移民の排斥という従来の主張を正当化するのがねらいだ。社会に同化できない移民を放置している政府・与党の無策を批判。同時にイスラムは女性を蔑視する宗教だと強調してみせた。

 また、「公的年金の法定受給年齢を60歳に据え置いて給付も増やす」として、社会党などの支持基盤にすり寄った。欧州連合(EU)の合意に応える財政緊縮策の一環として年金制度改革を進める政府への不満を吸収、「ユーロ圏からの脱退」という主張に説得力を持たせようとした。

 世論調査機関CSAの14日付発表によると、次期大統領選でマリーヌ氏に投票すると回答したのは17〜18%。別の世論調査によると、サルコジ政権を支える与党支持者の43%はFNとの政策合意に前向きで、FNの「政権政党化」が現実味を帯びつつある。

1889名無しさん:2011/01/17(月) 01:18:23
http://mainichi.jp/select/world/news/20110117k0000m030048000c.html
チュニジア:首都、緊張と静寂 中心部は兵士だけ

チュニスの中心街で警戒にあたるチュニジア国家警備隊=2011年1月16日、ロイター 【チュニス和田浩明】大通りをにらむ戦車や装甲車、自動小銃を構えて政府施設の警戒に当たる兵士たち−−。全国規模の反政府デモで23年に及んだベンアリ独裁政権が崩壊したチュニジアの首都チュニスに16日入った。休日の日曜だが出歩く人も少なく、シャッターを閉めた商店がほとんどの市中心部は、奇妙な静寂と緊張感に包まれていた。

 朝に到着した国際空港では、観光が主要産業のチュニジアだけに、リゾート地の動画や高級腕時計の広告が出迎えてくれ、政変がうそのようだ。

 だが、車で目抜き通りに入ろうとすると、「POLICE(警察)」と書かれたベストを着込み、黒い警棒を携えた目付きの鋭い男たちが出迎えた。「どこから来たか」「何が目的か」。記者の荷物を調べながら矢継ぎ早に質問を繰り出した。

 近くに配備された、迷彩を施した戦車や装甲車。背後にそびえ立つのは、ベンアリ政権の抑圧の象徴として大規模デモの標的となった内務省ビルだ。14日の政権崩壊前に集まっていた数千人の群衆の姿はない。周りには鉄条網が敷かれ、自動小銃を持った兵士が警戒に立つ。

 夜間外出禁止令は出されたままだ。14日に出された非常事態宣言では、治安部隊は命令に反する国民への発砲を許可されている。チェックインしたホテルでは「夜はバルコニーにも出ないで」とクギをさされた。夕食は出ず、宿泊客は別のホテルのレストランに行く必要があるが、「軍に話をつけて通行許可を得ないといけない」(ホテルスタッフ)。

 仕事で旧宗主国フランスに滞在中に政権が崩壊し、帰国便の欠航などでパリの空港で2日間を過ごしたという米系企業勤務のサルマンさんは「チュニスに妻子を残していたので、戻れるまで眠れなかった。10日前はこんなことになるとは想像もしていなかった」と虚脱したような表情を見せた。

 今回の政変について、一部で「民衆蜂起が独裁を崩壊させた」との声が上がっており、インターネット上ではチュニジアを代表する花のジャスミンにちなみ「ジャスミン革命」と呼ばれ始めた。

 夕刻、内務省ビルに面した目抜き通りで断続的に10発以上の銃声が鳴り響いた。現場の治安要員は「民兵同士の撃ち合いのようだ」と声を潜める。警戒のため上空を舞うヘリコプターの爆音が、緊張をあおるかのように強まった。狙撃兵が発砲しているとの情報もある。

 ◇新内閣協議、本格化 治安なお混とん
 【チュニス和田浩明】チュニジアの政変でガンヌーシ首相は16日、メバザア暫定大統領の指示に基づき、挙国一致内閣の樹立に向けた各党との協議を本格化した。

 首相は15日以降、野党指導者や有力者を相次いで首相府に迎えるなどして、新内閣の構成や今後の選挙について協議を続けている。メバザア暫定大統領は「全国民が例外なく政治に参加できる」と強調しており、AFP通信によると、ベンアリ前大統領に非合法化されたイスラム系政党の在外指導者は滞在中の英国で「独裁の崩壊で国外にいる理由はなくなった。早急に帰国する」との見通しを示した。

 だが、実際にはイスラム系と、同じく非合法化されている共産系の両政党は組閣協議から除外されている模様だ。

 国営通信などによると、ベンアリ前大統領の側近だったカシム前内務相が16日に拘束されたとの情報があるほか、前大統領の警護隊長も警察当局に逮捕された。AFP通信は病院関係者の話として、前大統領の妻のおいがナイフによる傷で14日に死亡していたと伝えた。

 チュニスでは15日まで商店や住宅を狙った略奪が相次いだほか、16日も野党本部付近で散発的に銃撃が起きるなど、治安はなお混とんとしている。在チュニジア日本大使館は在留邦人175人全員の無事を確認した。

 一方、北東部モナスティルの刑務所では15日、政情の混乱に乗じて脱獄しようとした服役囚がマットレスに火をつけ、火災に巻き込まれた42人が死亡した。暴動が起きた別の刑務所では、服役囚1000人が逃走したとの情報もある。

1890とはずがたり:2011/01/17(月) 10:01:21
行革スレの方がいいかなw

イギリス 苦しい国の懐「ロイヤル」許さぬ結婚式
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110117/erp11011709250001-n1.htm
2011.1.17 09:22

 英王位継承順位2位のウィリアム王子(28)と婚約者のケイト・ミドルトンさん(29)が豪華な「ロイヤル・ウエディング」でなく、できるだけ簡素な「国民の結婚式」を計画している。英皇太子公邸クラレンスハウスは結婚式の概要をつぶやき投稿サイト、ツイッターで発表した。ミドルトンさんは伝統の馬車ではなく車で結婚式場のウェストミンスター寺院に向かうなど「普通の家庭」から王室への嫁入りを演出する。

 ■ネット広報に力点

 ウィリアム王子の両親のチャールズ皇太子(62)とダイアナ元妃(1961〜97年)は81年7月にロンドンのセントポール寺院で結婚式を挙げ、テレビ中継を通じて世界の7億5000万人が壮麗なウエディング・パレードにため息をついた。

 世紀のロイヤル・ウエディングから30年。ウィリアム王子とケイトさんがクリスマスに決めたという結婚式の概要が1月5日、世界最大のソーシャル・ネットワーキング・サービス「フェースブック」や「ツイッター」で明らかにされた。

 英国と英連邦加盟国中の15カ国の元首を務めるエリザベス女王(84)はインターネットを使った広報活動に力を入れる。将来、国王に就位する見通しのウィリアム王子の結婚は21世紀の英王室を占うビッグ・イベントだ。2人の婚約発表後、王室とは無縁の米国や中国で、ダイアナ元妃の形見のサファイア・リングの婚約指輪が人気を呼ぶ。

 ■片道だけの馬車パレード

 結婚式は4月29日午前11時から、ウェストミンスター寺院で英国国教会のローワン・ウィリアムズ・カンタベリー大主教(60)が執り行う。ミドルトンさんはウェストミンスター寺院に向かう際、「ケイト・ミドルトン」という1人の女性であることを強調して、伝統の馬車でなく王室の車を利用する。

 式後、2人は寺院からバッキンガム宮殿まで馬車で移動する。モールや官庁街ホワイトホール、議会広場など沿道を徹夜で埋める数百万人の観衆は「片道だけの馬車パレード」に物足りなさを覚えるかもしれない。

 英大衆紙は「ケイトは馬アレルギー?」と皮肉り、王室専門誌マジェスティーのイングリッド・スワード編集長は「チェリーを半分だけかじるようなもので、とても残念。馬車に乗って嫁ぐのは王室の結婚式の象徴的な光景なのに、どうして往復がダメで片道ならいいのか理解に苦しむわ」と天を仰いだ。

 金融・経済危機で膨らんだ財政赤字を減らすため、英国民は超緊縮財政を強いられている。庶民感情からかけ離れた派手な結婚式を挙げた場合、王室離れが進むだけという計算が働いたようだ。英紙デーリー・テレグラフによると、警備費の500万ポンド(約6億5800万円)は納税者が負担し、挙式費用の500万ポンドは王室とケイトさんの家族が支払う。

■招待客も1300人削減

 ケイトさんは、ダイアナ元妃が着たような7.5メートルのすそ付きウエディングドレスは着用しない。結婚式の招待客は3500人から2200人に削られ、ウィリアム王子が関わる慈善事業の関係者も招待される。英調査会社「YouGov」の世論調査では、50%が30年前より簡素な結婚式を希望していた。

 英国の名窯(めいよう)エインズレイは2人の婚約記念磁器を売り出したが、「世界の関心度はチャールズ皇太子とダイアナ元妃が結婚した時に近づいてきている」という。王室にしては地味な結婚式になっても、2人がバッキンガム宮殿のバルコニーで交わす“ロイヤル・キス”が世界中を魅了するのは間違いない。(ロンドン 木村正人/SANKEI EXPRESS)

1891名無しさん:2011/01/17(月) 22:09:12
http://mainichi.jp/select/world/news/20110118k0000m030099000c.html
チュニジア:「過激主義が復活」…イスラム台頭に欧米警戒
 【チュニス和田浩明】チュニジアで世俗主義のベンアリ独裁政権が崩壊したことで、欧米には過激なイスラム主義がチュニジアに復活することへの警戒感が広がっている。国外追放中の非合法イスラム主義政党の指導者が早期の帰国を表明し、メバザア暫定大統領も新政権への「全国民の意向の反映」を約束した。隣国アルジェリアではイスラム主義者の政治的台頭から内戦状態に陥った経緯もあり、チュニジアがイスラムにどう対応するかが焦点になっている。

 非合法政党「エンナーダ(目覚め)」の党首でロンドン在住のラシッド・ガンヌーシ氏(69)はベンアリ政権崩壊翌日の15日、「国外生活を強いられる理由は無くなった。数日以内の帰国を考えている」とロイター通信に語った。

 エンナーダの前身の「イスラム志向運動(MTI)」は80年代、反欧米的ナショナリズムを旗印に反政府運動を展開し死刑になる指導者も出た。90年代初頭にはアルジェリアでイスラム主義政党が総選挙で大勝した。

 ベンアリ政権はチュニジアでのイスラム主義台頭を警戒して徹底した弾圧を行い、多数のイスラム指導者が国外追放された。民主化を求める欧米諸国も、イスラム主義の台頭を懸念し、ベンアリ政権によるイスラム主義者への弾圧を事実上、黙認してきた。

 今回の政権崩壊をもたらした全国規模の抗議デモにイスラム主義者の積極的関与は薄いと見られている。デモ参加者も「若者の怒りが原動力」(25歳の男子大学生)だ。しかし、英フィナンシャル・タイムズ紙は16日、「西側諸国がチュニジアでのイスラム主義者復帰を恐れている」と報道した。

 チュニジア政治に詳しい地元国際政治誌のカマル・ビニューナス編集長は「チュニジアのイスラム主義者の多くは穏健派で、過激主義とは距離を置いている」と指摘する。既存政治勢力は、「弾圧は過激化を生む」と受け入れを認める陣営と、政教分離原則を主張する陣営に分かれているという。

 モハメド・ガンヌーシ首相は帰国予定のイスラム主義指導者とも対話の方針を打ち出しており、ビニューナス氏は「護憲や暴力放棄を条件に政治参加を認めるのではないか」と見ている。

1892名無しさん:2011/01/17(月) 22:09:26
http://mainichi.jp/select/world/europe/news/20110117k0000e030023000c.html
チュニジア:新内閣発足へ 治安早期回復、最初の任務に
 【チュニス和田浩明】23年間の強権的支配を続けていたベンアリ政権が全国的反政府デモで崩壊したチュニジアのガンヌーシ首相は16日、組閣作業が進む新内閣に関し、17日にも発表されるとの見通しを国営テレビで示した。新政権の最初の任務は治安の早期回復になると指摘した。チュニジアでは16日も首都チュニス近郊の大統領宮殿で銃撃戦が発生するなど混乱が続いた。

 ガンヌーシ首相は新政権の見通しについて「交渉中の各勢力が高いレベルの協力を示してくれた」と説明、17日にも発足すると述べ、「チュニジアの歴史に新しいページを開く」と明言した。

 メバザア暫定大統領は各勢力の意向を反映した「挙国一致内閣」の形成を支持しており、与党・立憲民主連合(RCD)や野党勢力による連立政権が発足する見通しだ。

 最大の懸念材料である治安に関しては、「脅かす者は容赦しない」と述べ、厳しく取り締まりを行う意向を示した。チュニスなどでは略奪や小競り合いに備え、住民らが自警団を結成、警備にあたっている。

 首都北方15キロで古代都市国家の遺跡があるカルタゴの大統領宮殿では、失脚したベンアリ前大統領派とみられる民兵勢力が攻撃をしかけ、大統領警護隊や陸軍が応戦。戦闘は16日夜まで続いた模様だ。

 チュニスでも野党の本部や内務省付近で銃撃戦が発生。内務省近くでの交戦は散発的ながら約2時間続き、重火器も使用された。警備用とみられるヘリコプターも投入され、夜間まで上空を飛行していた。

 一方、米国のクリントン国務長官は16日、チュニジアのモルジャン外相に電話し、独裁体制からの転換を支持する姿勢を示した。その上で、責任ある早期の秩序回復を求め、自由や経済的機会の欠如といった問題への取り組みや民主的な選挙の必要性を強調した。

 また、告発サイト「ウィキリークス」が暴露した米外交公電で、ベンアリ前大統領とその家族らによる腐敗や、政権の私物化が明らかになったことが今回の大規模デモにつながったとの見方も広がり始めている。だが、クローリー米国務次官補(広報担当)は16日、前大統領らの縁故主義などに国民は公電以前から気付いていたとして「チュニジア(の政権崩壊)はウィキ革命ではない」と否定した。

 一方、チュニスで取材中に撃たれて死亡したとされたフランス人カメラマン(32)について、AP通信は仏外交当局者の話として、死亡でなく「重体」と報じている。

1893チバQ:2011/01/17(月) 22:14:11
http://jp.wsj.com/World/Europe/node_171068
ハイチ元独裁者が突然帰国、一段と政情不安定に
2011年 1月 17日 16:29 JST
 デュバリエ元大統領は過去に父親とともに独裁政治を敷いていたが、民衆の反政府運動と米国からの圧力を受け、1986年に国外脱出した。デュバリエ氏は仏領グアドループから空路、ハイチの首都ポルトープランスに到着したが、空港では数百人の支持者が集まり、同氏と二番目の夫人の到着を歓迎した。空港にはまた、デュバリエ氏の政敵で2004年に国外追放され、現在南アフリカで亡命生活を送るアリスティド元大統領の支持者も集まり、「アリスティド」と叫び、デュバリエ氏支持派と対峙した。

 ヨルダン軍兵士を乗せた国連の車両が空港に入ろうしたが、追い返された。デュバリエ氏は群集に紛れ込み、スポーツ多目的車の車列に乗り込み、ポルトープランス郊外山間部にあるホテルに向かった。

 ハイチのベルリーブ首相はデュバリエ元大統領の帰国について「彼はハイチ人であり、帰国するのは自由だ。彼が現在、政治活動に関わっているかは分からない」と述べた。

記者: Ingrid Arnesen and Jose de Cordoba

1894名無しさん:2011/01/17(月) 22:26:32
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110117-00000091-mai-int
<レバノン>新首相指名へ協議…宗派間の歩み寄り難航
毎日新聞 1月17日(月)20時38分配信

 【エルサレム花岡洋二】レバノンでイスラム教シーア派組織ヒズボラ系閣僚らが一斉辞任し、サード・ハリリ首相(スンニ派、現・暫定首相)の連立内閣が崩壊したのを受け、スレイマン大統領は近く新首相指名に向け国民議会(国会)議員との協議に入る。新首相の人選などでハリリ派とヒズボラの歩み寄りは難しい情勢で連立協議は難航が必至だ。

 レバノンは、キリスト教を含めた多宗教・宗派の「モザイク国家」と呼ばれる。憲法で首相はスンニ派から選出することが決まっている。

 連立は、▽ハリリ氏を排除しヒズボラが支持するスンニ派首相を擁立▽ハリリ氏を再指名しヒズボラに協力を要請▽「中立」とみられる新たな首相を擁立−−という3通りの可能性があると指摘され、ロイター通信は、ヒズボラの支持候補としてオマル・カラミ元首相の名が挙がっていると報じた。

 ハリリ首相の父、ラフィク・ハリリ元首相暗殺事件(05年)の特別法廷を巡っては、ヒズボラが幹部の起訴を懸念し、レバノンから法廷への費用拠出の停止や判事の引き揚げを要求。ハリリ首相がこれを拒否したことが内閣崩壊につながった。ヒズボラの最高指導者ナスララ師は16日、ハリリ氏を支持しない姿勢を明らかにした上で「我々は民主的な手続きで倒閣した」と強調した。

 特別法廷では近く、ヒズボラ幹部らが起訴される見通しだが、その場合、ヒズボラの反発は確実で連立交渉はさらに難しくなる。当初17日からスタートする予定だった連立協議は24日に延期された模様で、特別法廷次第ではさらに延期される可能性も出てくる。

 一方、トルコのエルドアン首相はレバノンの不安定化が中東全体に及ばないよう、各国の協力関係の構築に力を注いでいる。

 14日にはハリリ首相と面会した後にイランのアフマディネジャド大統領と電話協議。17日にはシリアのアサド大統領らと情勢を協議する。

1895名無しさん:2011/01/17(月) 22:28:25
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110117/mds1101171017004-n1.htm
「真の英雄」 前大統領親族の逃亡阻止した機長に賛辞 チュニジア
2011.1.17 10:14

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13日、チュニジア・チュニスでデモを行うベンアリ大統領の支持者(AP)
 チュニジアのベンアリ前大統領が国外脱出した14日、前大統領の親族らもチャーター機や定期便で次々と出国を図る中、自分の便への搭乗を拒否して国外逃亡を阻止した機長がいる。大混乱の中での身を切るような決断に、同国民からは「真の英雄」との賛辞が寄せられている。

 チュニス航空のモハメド・ベン・キアリ機長(37)。フランス・リヨン行きの便に乗り込んだ14日午後、離陸許可を待っていると緊急連絡が入り、5人の乗客を追加で乗せるよう命じられた。機長は名前から前大統領の親族が逃亡を図っていると判断、命令を拒否してそのまま飛び立った。

 「拒否することが、どれほど危険か分かっていた。でも治安部隊が若者に発砲している映像が、とっさに頭に浮かんだ。犯罪者の逃亡には加担しないと決めた」

 出国できなかった5人は、拘束されたとみられている。(共同)

1896名無しさん:2011/01/17(月) 23:02:22


395 名前:チバQ 投稿日: 2011/01/16(日) 13:36:59
間違えてた

http://mainichi.jp/select/world/news/20110116ddm007030091000c.html
チュニジア:政権崩壊 アラブ諸国、波及懸念 強権体制、貧富の差共通
 【カイロ和田浩明】北アフリカ・チュニジアのベンアリ大統領(74)が14日、サウジアラビアに事実上亡命し、23年間にわたった独裁体制が崩壊した。高失業率や政治的抑圧に反発した国民による、昨年来の反政府デモの高まりに抗しきれなくなった。民衆の怒りが権力者を引きずり下ろすという、アラブ圏では極めて異例の事態だ。専制的な体制で貧富の差が大きいのはアラブ諸国に共通しているだけに、周辺国政府はチュニジア情勢の展開に警戒感を強めている。

 人口約1000万人のチュニジアは近年、歴史的に関係の深い欧州諸国との貿易を強化して年率3〜5%の経済成長を続けてきたが、富が大統領一族に集中する一方で、年間8万人以上の大卒者のうち2万〜3万人は就職できないなど「貧富の差への国民の怒りは鬱積していた」(西側外交筋)。同国の表面的な「安定」は、政治的自由を制限し、反体制派を抑圧する強大な警察力によって維持されてきたのだ。

 他のアラブ諸国も同じような社会構造を抱えている。

 エジプトでは、ムバラク大統領が29年間にわたり強権体制を維持。非常事態令下で野党勢力関係者らの恣意(しい)的な拘束が行われ、国際人権団体が改善を勧告している。複数政党制の選挙は行われているものの、国内外から「民主的でなく透明性が低い」という批判もある。経済は年率5〜7%で成長しているが、国民の約2割が1日2ドル(約166円)以下で生活する貧困層で、若年失業率も高い。

 周辺国では、リビアでも41年間、イエメンでも21年間にわたり独裁政権が続く。王族が長期支配を続けるサウジアラビアやモロッコでも、政府を批判する勢力への弾圧や人権侵害が報告されている。

 ◇フェースブック通じてデモ拡大
 チュニジアでの反政府デモは、インターネットの交流サイト「フェースブック」や簡易ブログ「ツイッター」などを通じて若者を中心に拡大したと言われる。フェースブックなどの利用は他のアラブ諸国でも拡大しており、エジプトのユーザーはフェースブックに「奇跡が起こった」と書き込んでチュニジアの政変を歓迎した。各国の当局は、こうしたサービスが政治活動に利用されることに神経をとがらせている。

 エジプトでは昨春、賃上げを求める国営企業労働者などによる数百人規模のデモがカイロやアレクサンドリアで相次いだ。王制のヨルダンでは今月14日、首都アンマンなど複数の都市で失業や物価上昇に抗議する異例のデモが行われ、数千人が参加した。カイロ大学のハッサン・ナファ教授(政治学)は「エジプトも民主化を進めなければ、チュニジアと同様の事態が起こりうる」と話す。

 アラブ諸国のこうした専制的体制は、イスラム過激派を生む要因の一つとの指摘もあり、米国のブッシュ前政権は民主化を要求してエジプトなどに強い圧力をかけた。しかし、オバマ米大統領は09年6月のカイロ演説で「イスラム世界との対話」を打ち出し、民主化圧力は実質的に低下している。

1897名無しさん:2011/01/17(月) 23:08:41
相変らずの対応の遅さ
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011011700698
チャーター機派遣を検討=チュニジアの邦人観光客出国で
 政府は17日、チュニジアの政変で首都チュニスの空港が混乱し、現地で足止めされている日本人観光客を速やかに出国させるため、チャーター機派遣の検討に入った。チュニスへの定期便がある欧州などの民間航空会社に依頼することを想定している。外務省幹部が明らかにした。
 チュニジアには現在約200人の日本人観光客がおり、安全なホテルで待機している。このうち大半は17、18両日にチュニスから各地に出発するフライトの予約が取れているものの、ダイヤが大幅に乱れているという。
 外務省幹部は「現地時間の17日中にどれだけ出国が進むかや空港の運用状況を見極め、最終判断することになる」との見通しを示した。(2011/01/17-18:25)

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http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110117-OYT1T00897.htm
混乱チュニジア、日本人旅行者120人出国へ

. 【カイロ=田尾茂樹】在チュニジア日本大使館によると、チュニジアの政権崩壊に伴う混乱で同国内に足止めされていた日本人旅行者197人のうち、120人が17日に出国できる見通しとなった。


 欧州や中東湾岸諸国などを経由して日本に戻る予定という。残る旅行者も数日中に出国できる見込みとしている。

(2011年1月17日20時16分 読売新聞)

1898チバQ:2011/01/18(火) 22:23:24
http://mainichi.jp/select/world/europe/news/20110119k0000m030037000c.html
パキスタン:洪水復興、治安回復進まず 被災者に政府不信

パキスタン北西部ノウシェラのカンダラ地区で、「アラーにただ助けを祈っている」と話す洪水被災者たち=杉尾直哉撮影 パキスタンで昨年7月に起きた史上最悪の大洪水(被災者約2000万人、死者約2000人)の被災地、北西部では、半年を経た今も多くの人々がテント暮らしのままだ。隣国アフガニスタンの旧支配勢力タリバンに同調する武装勢力が活発な地域でもあり、民間団体などの支援は行き届いていない。治安回復と洪水復興のどちらも実現できていない政府に対し、住民の不信感が広がっている。【ノウシェラ(パキスタン北西部)で杉尾直哉】

 首都イスラマバードから約100キロ西のノウシェラでは、幹線道路の脇に洪水被災者のテント村が広がり、約2万人が住む。その一つのカンダラ地区では、12月末の火事で焼けたテントの跡が生々しく残っていた。氷点下5度まで冷え込む寒さをしのぐため、持ち込んだガスボンベの扱いを誤り、家族7人が死亡したという。

 このテント村では洪水以降の半年間で126人の新生児が生まれたが、生き残ったのは20人だけという。医療が不十分で、国連機関などの食糧支援も今月1日までに打ち切られた。昨年10月、糖尿病の悪化から父を失ったムクタイルさん(35)は、「ここで何度葬式があったことか」と話した。

 パキスタン政府は、被災者に一時金として約2万円、住宅再建のため約10万円の給付を約束した。だが、ノウシェラなどで対象となる20万人のうち、支払いを受けたのは3万人に過ぎない。手続きに必要な住民登録をしていない人が多いためだが、被災者たちは、「与党とコネのある者だけが金をもらっている」と主張した。

 北西部では、08年の総選挙で世俗派政党、アワミ民族党(ANP)が勝利した。連邦議会で、ザルダリ大統領を支えるパキスタン人民党(PPP)と連立を組んでいる。タリバンの卑劣なテロへの反発から非イスラム政党のANPに期待が集まったためだ。

 だが、ある地元記者は「住民の政治不信は深刻で、今選挙があれば、イスラム政党が勝ってしまう。政情不安が心配だ」という。被災者たちに当局の対策について尋ねると、誰もが「アラー(神)に祈るだけ」というだけで口をつぐんだ。

 北西部は、武装勢力が自爆テロなどを繰り返しており、内外の支援団体が入れるのはノウシェラなどごく一部に限られている。

 ノウシェラの別の被災地チャオキドラブ村で食料配布や住宅建設、家畜の提供を行ってきた日本のNGO「シャンティ国際ボランティア会」の緊急救援担当、薄木浩一郎さん(32)は、「ほかの被災地でも支援したいが、日本人が入るのが許されるのはここしかない」という。村では銃携帯の警察の護衛を付け、日暮れ前に首都に戻っている。薄木さんは、「ここでも、安全だと誰も自信を持っていうことができない」と話した。

毎日新聞 2011年1月18日 19時23分(最終更新 1月18日 20時06分)

1899名無しさん:2011/01/18(火) 22:29:19
http://www.afpbb.com/article/politics/2782573/6684531
チュニジア暫定政権発足、主要閣僚は留任
2011年01月18日 10:07 発信地:チュニス/チュニジア

【1月18日 AFP】23年間政権の座にあったジン・アビディン・ベンアリ(Zine El Abidine Ben Ali)前大統領が国外脱出したチュニジアで17日、暫定政権が発足した。6か月以内に総選挙を実施し、言論の自由も認めるとしているが、前政権の閣僚が要職を占めていることから反発も招いている。

 首都チュニス(Tunis)でモハメド・ガンヌーシ(Mohammed Ghannouchi)首相が発表した閣僚名簿によると、与党立憲民主連合(Constitutional Democratic Rally、RCD)のガンヌーシ氏が引き続き首相を務めるほか、外相、内相、国防相、財務相の要職はRCDの現職が留任する。

 組閣に先立ち、同日チュニスなどでは、数百人がRCDの解散を求めて抗議デモを行っていた。

■政治犯の釈放、非合法政党の合法化も決定

 ガンヌーシ首相は、暫定政権が「政治犯全員の釈放」と「言論の自由の拡大」を決定したことを明らかにした。同国最大の人権団体「Human Rights League」など、NGOに対する規制も撤廃する。

 暫定政権には、野党指導者3人のほか、市民団体の代表者らも入閣した。この中には、ベンアリ政権時代、反体制的な言論を行ったとして逮捕されたブロガーも含まれており、青少年・スポーツ・体育相に任命されている。なお、首相は「すべての非合法政党は合法化される」としているが、前政権で非合法とされた共産党、イスラム主義政党「Ennahdha」などからの入閣はない。

 首相はまた、ベンアリ前大統領の国外脱出を招いた暴動による死者は78人で、経済損失は16億ユーロ(約1760億円)にのぼったと発表した。(c)AFP/Dario Thuburn

1900チバQ:2011/01/18(火) 22:31:57
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110118ddm002030097000c.html
チュニジア:新政権発足 野党から入閣3人 政治犯も釈放、主要閣僚残留
 【チュニス和田浩明】ベンアリ前大統領が亡命し独裁体制が崩壊した北アフリカ・チュニジアで17日、ガンヌーシ首相は新内閣の布陣を発表した。野党から3人が入閣したほか、メディアを管理していた情報省を廃止した。さらに、首相は政治犯を釈放し、前政権指導部を対象にした汚職捜査も開始すると発表するなど、野党や住民の不満に一定の配慮をした。しかし、首相や外相など主要閣僚は留任したため、住民の抗議行動が収束するかどうかは不透明な情勢だ。

 ◇イスラム過激化、警戒−−欧米
 チュニジアで世俗主義のベンアリ独裁政権が崩壊したことで、欧米には過激なイスラム主義がチュニジアに復活することへの警戒感が広がっている。国外追放中の非合法イスラム主義政党の指導者が早期の帰国を表明、メバザア暫定大統領も新政権への「全国民の意向の反映」を約束した。隣国アルジェリアではイスラム主義者の政治的台頭から内戦状態に陥った経緯もあり、チュニジアがイスラムにどう対応するかが焦点になっている。

 非合法政党「アンナハダ(目覚め)」の党首でロンドン在住のラシッド・ガンヌーシ氏(69)はベンアリ政権崩壊翌日の15日、「国外生活を強いられる理由は無くなった。数日以内の帰国を考えている」とロイター通信に語った。

 アンナハダの前身の「イスラム志向運動(MTI)」は80年代、反欧米的ナショナリズムを旗印に反政府運動を展開し死刑になる指導者も出た。90年代初頭にはアルジェリアでイスラム主義政党が総選挙で大勝した。

 ベンアリ政権はチュニジアでのイスラム主義台頭を警戒して徹底した弾圧を行い、多数のイスラム指導者が国外追放された。民主化を求める欧米諸国も、イスラム主義の台頭を懸念し、ベンアリ政権によるイスラム主義者への弾圧を事実上、黙認してきた。

 今回の政権崩壊をもたらした全国規模の抗議デモにイスラム主義者の積極的関与は薄いと見られている。デモ参加者も「若者の怒りが原動力」(25歳の男子大学生)だ。しかし、英フィナンシャル・タイムズ紙は16日、「西側諸国がチュニジアでのイスラム主義者復帰を恐れている」と報道した。

 チュニジア政治に詳しい地元国際政治誌のカマル・ビニューナス編集長は「チュニジアのイスラム主義者の多くは穏健派で、過激主義とは距離を置いている」と指摘する。既存政治勢力は、「弾圧は過激化を生む」と受け入れを認める陣営と、政教分離原則を主張する陣営に分かれているという。

 ◇北アフリカ外交の拠点 日本政府、混乱拡大に懸念
 ベンアリ独裁政権が崩壊したチュニジアは、昨年12月に「日・アラブ経済フォーラム」を開催するなど、日本政府にとって中東・北アフリカとの経済外交の重要な窓口の一つだ。「当面はどんな新政権ができるか見守るしかない」(外務省関係者)のが現状だが、混乱が拡大したり長引いたりすれば、経済外交の拠点の一つを失いかねない。

 前原誠司外相は17日、外務省でチュニジアのハシェッド駐日大使と会談した。前原外相は在留邦人の安全確保と邦人旅行者の安全な出国についてチュニジア政府の協力を要請。新政権について「国民の幅広い支持を得る政府が樹立されれば支持していく」と述べた。

 昨年12月のフォーラムには前原外相と大畠章宏経済産業相(当時)が出席。経済団体なども多数参加し、アラブ連盟(21カ国1機関)と39件の新規事業で合意した。外務省は当時、同国を「政治的に安定を維持している」と評価していた。

 ところが、その約1カ月後に窓口役を務めた同国の政権が崩壊。前原外相も15日、「大統領とも会ってきたので大変驚いている」と戸惑いを見せた。ただ39件のうちチュニジアが直接かかわる協力案件は太陽熱発電など数件にとどまる。また、外務省では「一時的な混乱にとどまり、政策や協力案件は新政権でも継続されるのでは」との見方もある。

 アラブ諸国ではチュニジアのように専制的な体制で、貧富差が大きい国はほかにもあり、政治的リスクは低くない。同省幹部は「政治的、社会的な不安定性を織り込みつつも、経済外交、資源外交を進めていくしかない」と語る。【西田進一郎】

1901チバQ:2011/01/18(火) 23:34:27
http://mainichi.jp/select/world/news/20110119k0000m030082000c.html
チュニジア:「ジャスミン革命」道半ば

前大統領派らの新政権からの排除を求め抗議デモを行う市民=チュニスで2011年1月18日、和田浩明撮影 一人の若者の焼身自殺が23年続いた独裁政権の崩壊につながった、北アフリカ・チュニジアの未曽有の政変は、国花から「ジャスミン革命」と呼ばれ始めた。しかし、かれんな呼び名とは裏腹に、ベンアリ前大統領の警護隊残党と国軍との銃撃戦が首都チュニスや最大観光地カルタゴなどで続き、前大統領関係者の排除を求める国民は、17日発足の新政権を「旧政権の継承」と非難している。長期専制が続く周辺のアラブ諸国は政変の波及を恐れるが、「革命」成就の道は多難だ。【カルタゴ(チュニジア北部)で和田浩明】

 ◇前大統領派と戦闘続く
 チュニスから車で約30分。古代ローマに滅ぼされた都市国家遺跡を擁し、政変前は観光客でにぎわっていたカルタゴに17日入ると、銃撃音が散発的に響きわたる戦場だった。

 大統領宮殿に至る道は国軍戦車が封鎖していた。道路脇には、焼き打ちされた乗用車があちこちでひっくり返っていた。市内中心部のベンアリ氏の巨大看板は、顔の部分が破り取られていた。

 国軍とベンアリ前大統領の警護隊の残党との銃撃戦は、16日夜から始まった。大学生のオマルさん(20)によると、一部住居の屋根から前大統領派の狙撃手が発砲を続けている。「ヘリコプターから狙撃手を狙い撃ちしやすいよう、部屋の明かりを消して」と国軍から要請された。

 住民が集まるカフェで取材中、「パン、パン」と乾いた銃声が聞こえ、みな床に伏せた。上空には軍ヘリコプターが旋回。戦闘が続いた約1時間、ドンという腹に響く砲声が建物を震わせた。宮殿や周辺に前大統領派が潜伏しているためだ。

 政変前に約3000人いたとみられる前大統領警護隊の多くが、今も武装したまま。前大統領が孤児らを引き取って育てたとされ、忠誠心が厚い。抵抗活動を続ける可能性が高く、治安回復のめどは見えない。

 さらに、17日に発表された新内閣メンバーは、メバザア暫定大統領が「挙国一致内閣」を約束したものの、ガンヌーシ首相ら主要閣僚は残留し、野党閣僚は3人だけ。旧政権の国民弾圧の象徴だった内務省前には、18日も数千人の市民が「(残留閣僚らは)出ていけ」と叫んだ。リビア国境に近い中部ファクスでも同日、新政府への抗議デモが起きた。

 カルタゴのカフェにいた医師、スガイヤさん(44)が「ベンアリ関係者が政府に残ることは受け入れられない」と語ると、周りの人々も大きくうなずいた。

 憲法が定める60日以内の大統領選実施も実現は不透明で、国民の新政権への失望感が新たな怒りに変わりつつある。

 治安も政情も「革命」と呼ぶにはほど遠い状況にあるためだ。

 ◇周辺国、飛び火警戒
 ただ、長期専制や富の偏在などチュニジアと状況が似ているアラブ諸国は、政変の飛び火を警戒している。エジプトやアルジェリアでは政府に抗議する焼身自殺未遂が続発した。隣国リビアの最高指導者、カダフィ大佐は「ベンアリ氏は14年の大統領選不出馬を約束していた。なぜ(国民は)待てなかったのか」と不快感を表明。エジプトのアブルゲイト外相は「波及はない」と断言してみせた。

 一方、アラブ連盟のムーサ事務局長は17日、「アラブ社会には(今回の政変と)共通する要因がある」と語った。

1902チバQ:2011/01/19(水) 22:23:31
http://www.asahi.com/international/update/0119/TKY201101190141.html
前大統領一族への怒り爆発 チュニジア市民、豪邸で略奪2011年1月19日11時9分
 【チュニス=前川浩之】チュニジアで、ベンアリ前大統領の親族に対する市民の怒りが爆発している。豪邸は略奪され放題、一族の息のかかったスーパーや銀行は一斉に放火された。

 チュニス郊外に複数ある大統領の義理の兄、ベルハサン・トラベルシ氏の邸宅は、さながら「報復の現場」だ。部屋の床にはガラスや衣類が散乱、踏みつけられている。壁には「これは教訓だ」との落書き。庭のプールには壊された家具が浮き、訪れた女性の一人は「自由だ」と叫んだ。

 大統領一族は、銀行や航空会社などの大企業から小さな商店にいたるまで、事業の許認可をちらつかせて膨大な利益を上げていたとされる。美容師だったライラ大統領夫人が仕切り、夫人の実兄トラベルシ氏は「一族マフィアのドン」と目されていた。世界遺産の古都カルタゴから出土した美術品を、横流しした疑いもささやかれる。政変後は姿を消した。

 近くの家具工場で働くレサッドさん(42)は、娘と一緒に邸宅を見て回り、怒りをぶちまけた。「落ちていた本は『会社の作り方』や『ブラジル旅行ガイド』。こんな人たちが我々や国のことを真剣に考えたはずがない」
.

1903チバQ:2011/01/19(水) 22:24:16
http://www.asahi.com/international/update/0119/TKY201101180580.html?ref=reca
チュニジア暫定政権に批判やまず 総退陣求めるデモ続く(1/2ページ)2011年1月19日1時54分
 【チュニス=貫洞欣寛】ベンアリ前大統領の強権体制が倒れた北アフリカ・チュニジアで、ガンヌーシ首相の組閣で17日に発足した暫定政権への批判が続いている。閣内に野党の指導者らを取り込んだものの、うち1人が辞任。さらに同国最大の労組も18日、「新内閣を認めない」との見解を示し、同労組出身の副交通相ら3人が政権から離脱すると明らかにした。与党の総退陣を求めるデモも続いており、予断を許さない状況だ。

 新政権は治安と秩序の回復や、憲法の規定では2カ月以内に行われる大統領選挙の準備と管理が主な任務。ただ、野党勢力は長年の抑圧で組織が壊滅状態のため、大統領選を6カ月後にするよう求めており、妥協が成立すれば任期が延びる可能性もある。

 暫定政権には地域開発相に就く民主進歩党のシェビ氏ら野党指導者3人が入閣。政府批判のブログを書いて逮捕されていた有名ブロガーのアマモウ氏を青年・スポーツ担当次官に起用するなど、野党勢力を一定程度取り込んだ「挙国一致内閣」となった。

 だが、同国では非合法とされるイスラム組織「ナハダ」などが排除された一方で、1999年から首相職にあるガンヌーシ氏や、フリア内相ら国家機能の根幹を担う主要6ポストはこれまでの与党・立憲民主連合(RCD)出身者が留任。「見せかけだけの連立」との批判が続いている。

 ロイター通信によると保健相に任命されたジャーファル氏が18日、離脱したと同氏の側近が述べた。チュニジア労働総連合も同日、「新政権を認めない」との見解を出し、労組出身の副交通相ら次官級3人が辞任すると表明した。また、指導者イブラヒム氏が高等教育相として入閣した「タジュディド(革新)」は同日、RCDの閣僚に党籍からの離脱を求める声明を出し、受け入れられなければイブラヒム氏は閣僚を辞任するとしている。

 首都チュニスでは18日、労組員やナハダ支持者らがそれぞれRCDの政治家全員の退陣を求めてデモを実施。「RCDは出て行け」と叫ぶデモ隊が内務省がある目抜き通りに入るのを止めるため、警官隊が催涙ガス弾を相次いで発砲した。市内中心部からは市民の姿が消え、大量の警察官が配置されている。

 デモに参加した教員組合のジャワド・ハリーファさん(46)は「首相も内相も外相もRCDのまま。大統領の首をすげ替えてやり過ごそうとしている。与党の政治家を退場させて政治を完全に改めるまでは、デモをやめない。弾圧の時代はもう終わったんだ」と話した。

 地元のジャーナリスト、ヒシャム・スヌーシ氏(50)は、市民の要求はとどまることなく、首相はさらなる内閣改造だけでなく総辞職を迫られる可能性もあるとみる。「今まで国民を弾圧していた政治家が民主主義を口にしても信用されない。一方で、市民にも自由選挙など民主的な政治の経験はない。しばらくは混乱が続くだろう」と話した。

1904チバQ:2011/01/19(水) 22:44:51
http://mainichi.jp/select/world/news/20110119dde007030037000c.html
チュニジア:政権崩壊 大統領と首相が離党 与党排除求めデモ続く
 【チュニス和田浩明】チュニジアのメバザア暫定大統領とガンヌーシ首相は18日、与党・立憲民主連合(RCD)からの離党を表明した。一方、RCDは、ベンアリ前大統領と側近らを除名した。国営テレビなどが報じた。17日に発足したばかりの新政権に、旧政権の主要閣僚が残留したため強まった国民の批判をかわす意図があると見られる。しかし、ベンアリ独裁政権を支えたRCD排除を求める声は強く、首都チュニスを含む全国の主要都市では18日も抗議デモが展開された。また労働組合系や野党系の4閣僚が同日、辞任を発表した。

 国営TAP通信によると、離党は17日に決定された政府と党の分離に基づく措置。メバザア暫定大統領の指示で「挙国一致」を目指した新政権だったが、野党勢力の参加は限定的で、ベンアリ氏側近だったガンヌーシ首相ら主要閣僚が留任。反発した国民の抗議デモが続いている。

 抗議デモはチュニスのほか10以上の都市で発生。北部にあるイスラム教の古都カイラワンでは、住民がRCD支部を占拠したという情報もある。

 反政府デモを組織した全国労働組合「UGTT」も新政権不支持を決めた。また、国外追放中の野党指導者で大統領選に出馬する意向を示したモンセフ・マルズーキ氏が18日に帰国しRCDを排除した政権作りを訴えた。

 一方、空港閉鎖などの混乱で足止めされていた日本人旅行者約200人の大半は18日までに出国した。

1905名無しさん:2011/01/20(木) 00:32:43
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011011990102802.html
「あなたは終わった」 陸軍トップが前大統領に引導、チュニジア
2011年1月19日 10時28分

 【チュニス=内田康】23年にわたって独裁体制を維持したチュニジアのベンアリ前大統領(74)が辞任と亡命を決断したのは、陸軍トップのラシド・アンマル将軍(63)が「あなたはおしまいだ」と迫ったためだったことが分かった。18日付の独立系紙アッシュルークが、暫定政府のガンヌーシ首相が明らかにしたとして伝えた。

 同紙によると、アンマル将軍は、チュニスでの反政府デモが激化した14日、大統領宮殿を訪れ、ベンアリ前大統領と面会。前大統領は将軍に対し、デモ隊への実弾使用を命じたが、将軍は使用を拒否。逆に辞任と出国を求め、前大統領は同日夜までに出国した。

 前大統領の亡命直後から、実権を握る軍が前大統領を見限ったとの見方が強かったが、今回の報道はこれを裏付けている。

 同紙は「将軍は、混乱に乗じて軍事クーデターを起こし、新大統領になることも可能だったが、そういう野心はなかった。チュニジアの国民を救ったのだ」と絶賛した。

(中日新聞)

1906チバQ:2011/01/20(木) 22:34:05
http://www.afpbb.com/article/politics/2782804/6699324?utm_source=afpbb&utm_medium=topics&utm_campaign=txt_topics
英上院の徹夜討論、長老議員は耐えきれず次々「沈没」
2011年01月20日 17:15 発信地:ロンドン/英国
【1月20日 AFP】英上院では17日〜18日朝、選挙制度改革をめぐり徹夜の議論が戦わされたが、多くの長老議員がこのマラソン議会に耐え切れず、こっそり退席して由緒ある国会議事堂の片隅で仮眠を取る姿が目立った。

 この夜、議事堂内には男女別・政党別にベッドを並べた仮眠コーナーが設けられ、紅茶やビスケットなどの軽食が夜通し提供された。

 選挙制度改革案に関する国民投票に関する審議が始まったのは、17日午後3時48分。野党・労働党が議事進行を遅らせたとされ、18日早朝になっても議論は終わらなかった。

 自由民主党のデービッド・スティール(David Steel)上院議員はBBCラジオに、13年間の議員生活の中で一晩中、議場に座っていたことは初の体験で、年配議員の多くにはこたえただろうとこぼした。「われわれの年齢を考えてほしい。私よりもずっと高齢の議員もたくさんいる。彼らがどうやって徹夜の議論をやりぬけばいいかなど知る由もない」

 スティール議員は72歳だが、英上院では平均年齢だという。

 英国では下院の徹夜討論は珍しくないが、上院では極めてまれ。約750人いる上院議員は大半が高齢で、それぞれの豊かな人生経験を政治に生かしてもらうという趣旨で任命された議員が多く、選挙で選出された議員は一部だ。

 議事進行を遅らせたと非難された労働党側は、重要な憲法改定案を厳しく精査した結果であり、保守党、自由民主党の連立与党の提出した法案に対する遅延作戦ではないと説明している。

 選挙制度改革案は2月16日に議会を通過し、5月5日に国民投票に付される見込み。(c)AFP

1907チバQ:2011/01/20(木) 22:40:41
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920012&sid=a2enVt28GLmo
コートジボワール:レストランや市場から人影消える−政情不安で暴動
1月20日(ブルームバーグ):コートジボワールの商業の中心都市アビジャンのレストランで勤務しているシルバン・ンゲッサンさんは、誰もいない店内をじっと見詰めている。暴動の悪化で客足が遠のき、どうやって生活費を賄えばいいか途方に暮れている。

  ンゲッサンさんは16日午後7時ごろ、レストランのバーの陰で「きょうの客はこれまで1人だけだ」と語った。昨年12月分の給与は受け取っておらず、電気代も支払っていない。

  コートジボワールでは、昨年11月28日に実施された大統領選挙以降、選出されたと主張する2人の対立が続いている。国連によると、相次ぐ暴動で少なくとも247人が死亡、情勢は悪化している。人々が生活必需品への支出を制限するなか、物価は高騰し建設現場は閉鎖され、商店にも人影はない。

  危機の出口は見えず経済はまひしており、ココア産業への波及や暴動拡大の可能性もあり、コートジボワールはリセッション(景気後退)に陥りそうな状況だ。国際通貨基金(IMF)は3カ月前に同国が今年、4%の経済成長を達成すると予想したばかりだ。

  大統領に選出されたと主張している2人のうちの1人、アラサン・ワタラ氏は18日のインタビューで「GDP(国内総生産)が減少し輸出や輸入が鈍化するのは明らかだ」と指摘。「国内の食料品業界はどうなるだろう。この状況が続けば不足する」との見通しを示した。

1908チバQ:2011/01/20(木) 23:06:32
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110120/mds1101202229019-n1.htm
チュニジア与党、中央委を解散 デモに抗しきれず
2011.1.20 22:26

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20日、チュニジアの首都チュニスで抗議する反政府デモ隊(ロイター)
 【カイロ=大内清】民衆の抗議行動で政権が転覆したチュニジアで、事実上の一党独裁体制を敷いてきた与党・立憲民主連合(RCD)は20日、政策決定などに中心的な役割を果たしてきた中央委員会を解散した。国営メディアなどが報じた。同国ではベンアリ前大統領の亡命後も連日、大規模な反RCDデモが発生、中央委解散は国民からの強い批判をかわす措置とみられる。

 RCD側は、中央委解散の理由について、メバザア暫定大統領やガンヌーシ首相ら主要メンバーが離党したためだと説明。党としては今後も存続するという。

 ただ、デモ隊は野党指導者らが参加した新政権発足後も、RCD出身のガンヌーシ氏の退陣を要求しており、これで事態が沈静化に向かうかは不透明だ。国民の間でRCDは、前政権による強権支配と腐敗の象徴とみなされている。

http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011012000969
閣僚がベンアリ与党離脱=新政権刷新求めデモ継続−チュニジア
 【チュニス時事】チュニジア国営テレビは20日、ガンヌーシ首相率いる暫定的な新政権の閣僚が、ベンアリ前大統領の与党・立憲民主連合(RCD)から離党したと報じた。AFP通信によると、離党したのは8閣僚。新政権として民衆の反発をかわす狙いがあるが、ベンアリ体制の完全排除を求めるデモが続いており、情勢沈静化にはつながっていない。
 野党の4閣僚は、新政権の布陣に抗議して既に辞任しており、新政権は、ベンアリ体制からの決別を求める民衆の要求を満たしていないとみられている。一方、国営TAP通信によると、ベンアリ前政権から務めてきたダッファル国務相が新たに辞任した。
 首都チュニス中心部のブルギバ通りではこの日も約千人のデモがあり、内務省やRCD本部に向け、「RCD排除を」と叫びながら行進。同本部を警備する治安部隊が上空に向けて威嚇射撃した。(2011/01/20-22:03)

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1909チバQ:2011/01/20(木) 23:22:48
http://mainichi.jp/select/world/news/20110116ddm007030112000c.html
割り切れぬ“独立”:スーダン南部住民投票/上 イスラム教徒に警戒の目
 ◇深い宗教の溝、融和遠く
 アフリカ・スーダン南部の分離独立を問う住民投票が15日、終了した。投票率は既に成立条件の60%を超えており、分離独立が圧倒的多数で支持されることは確実な情勢だ。南部住民や北部・国外に住む南部出身者ら計約390万人が有権者登録した投票の結果は遅くとも2月に公表され、7月にも南部が独立する可能性が高まっている。9日からの投票では、南北の境界にあり帰属が未確定の油田地帯アビエイ地区周辺で南北の住民が武力衝突したが、英BBCによると、14日までに和解が成立、投票への影響は最小限に抑えられた。

   ◇


「スーダン南部の発展のためにはさらなる寛容の精神が必要に思う」と話したサーレさん=ジュバで10日 「アラブ系・イスラム教徒中心の北部」と「アフリカ系黒人・キリスト教徒主体の南部」の対立−−。欧米で描かれてきた図式だ。米国を中心とした国際社会は、宗教的親近感もあり、南部独立を強力にてこ入れする。だがこの図式に割り切れぬ思いを抱き、対立を乗り越えようとする試みもなされている。

 投票初日の9日。南部の主要都市ジュバの投票所にイスラム教徒が身にまとう「ジャラビア」と呼ばれる民族衣装をまとった男性が現れた。警戒する警官たちが男性を取り囲む。「何をしにきた」。男性が選挙監視団の身分証を示すが、警官たちは投票所に近づかせようとしない。軍服姿の数人もマークを始め、男性はあきらめて宿舎に帰った。

 この男性はルワンダから来たイスラム教法学者シェイク・サーレ・ハビマナ・ハビブさん(50)。宗教間の共存や相互尊重を促す「アフリカ宗教会議」の一員として監視団に参加した。「イスラム教徒の姿が気に障ったんだろう」と落胆する。

 サーレさんは、キリスト教徒が8割を超えるルワンダでも少数派だ。94年のルワンダ大虐殺の際、逃げ場所を失った住民をモスク(イスラム礼拝所)はかくまった。民族や宗教を超える「教訓」を伝えたい思いもあったがスーダンでは十分に通じなかった。サーレさんは心の傷が癒えぬまま10日、帰国した。

 スーダンではイスラム教徒が7割で、キリスト教徒は5%程度しかいないが、南北内戦の際、キリスト教会が困窮する南部住民を救い、信徒を広めた。戦闘激化とともにイスラム教徒主体の北部と宗教的な溝を深めた。

 しかし、南部にもモスクがあり、少なからぬイスラム教徒が暮らす。9日午後、キリスト教・イスラム教双方の指導者が合同で投票所に出向き、和解を訴えた。「宗教はみな元来、平和を求めるものであったはずだ」と牧師は話す。

 投票が続く中、ジュバのモスクはひっそりとしていた。「宗教も故郷も簡単には切り離すことはできない」。運送業を営むイスラム教徒の男性(38)は淡々と話した。【ジュバ(スーダン南部)で高尾具成】

毎日新聞 2011年1月16日 東京朝刊

1910名無しさん:2011/01/20(木) 23:23:06
http://mainichi.jp/select/world/news/20110117ddm007030148000c.html
割り切れぬ“独立”:スーダン南部住民投票/中 南北の「壁」超える動き
 ◇「暴力撲滅」広がる共鳴
 「悲しいが、南部出身の住民は北部では人権を無視され、奴隷のように扱われてきた。少なくとも、いったんは独立をすることに賛同している」。スーダン南部出身で、北部にある首都ハルツームで暮らすポール・ジェナール・ソロモンさん(31)は話す。ポールさんは12日、ハルツームの閑散とした投票所で南部の分離独立を問う住民投票に1票を投じた。

 ポールさんの父は89年、南北内戦で戦死した。北部・中央政府軍に参加、南部を率いる「スーダン人民解放軍」に撃たれた。約3カ月後、ポールさん一家はハルツームの避難民キャンプに移った。

 北部で働く南部出身者の仕事は清掃業や建設業が多い。就労先は限られている。ハルツーム郊外の三つのキャンプで暮らす人が大半だ。住民投票に合わせ南部に帰還した住民も多く、建設が一時的に停止したビル工事現場もある。ポールさんは「おそらく多くはハルツームに戻らないだろう」と見る。

 11日夜、キャンプに暮らす兄(33)が警察官に両足を撃たれた。仕事がなく、密造酒を造り、販売していたためだ。「購入者は北部住民なのに」。釈然としない思いが残る。

 厳然と残る南北間の壁。一方で、その壁を崩そうとする動きがある。ポールさんは南部の大学を卒業し弁護士資格を得たが、北部に戻った。非政府組織「暴力撲滅と発展のためのスーダン」に参加。異なる民族、宗教の若者らに和解を呼びかけている。

 この非政府組織には、北部の主流派であるアラブ系イスラム教徒も多く参加する。住民投票では、中立的立場で暴力の停止を訴えた。「対話と議論を通じて不正を打ち破る」という目標に共鳴する若者は南北の境界を超えて広がる。組織の代表は、民族、宗教で対立、激しい内戦を繰り広げた旧ユーゴスラビア連邦の実情をクロアチアで学び、和解への教訓を得たという。

 家族の承諾を得るのは難しいが、南北間の結婚は増える傾向にあるなど、「壁」を超える希望もある。「南部で生まれ、北部で暮らす私は南も北もない『スーダン人』だ。住民投票が北部へのショック療法になり、南北間の差別や暴力がなくなってほしい」。ポールさんは政治の動きを固唾(かたず)をのんで見つめる。【ハルツームで高尾具成】

毎日新聞 2011年1月17日 東京朝刊

1911名無しさん:2011/01/20(木) 23:24:20
http://mainichi.jp/select/world/news/20110118ddm007030133000c.html
割り切れぬ“独立”:スーダン南部住民投票/下 初代首相の子孫、複雑
 ◇平和な「再統一」夢見て
 スーダンの首都ハルツーム中心部。1956年の独立後、初代首相や大統領を務めた故イスマイル・アル・アズハリ氏(1900〜69年)の家の白壁は、同国の独立記念日の今月1日以降、黒い布に包まれたままだ。

 南部の分離独立の是非を問う住民投票で独立が決まれば、「これが統一スーダンとして最後の独立記念日になる。兄弟姉妹が離ればなれになる。身を切られる複雑な思いを国民と共有したかった」とイスマイル氏の孫娘の国会議員、オスマンさん(41)は涙を流す。

 家に掲げられてきた青・黄・緑の旧国旗は半旗となった。69年、陸軍のヌメイリ議長率いる革命評議会がクーデターで全権を掌握。イスマイル氏は追放され、国旗のデザインも変わった。

 イスマイル氏の娘の国会議員、ジャラさん(55)は「父は自由と民主主義、スーダンの統合を掲げた。私は南部の住民投票を尊重し、決して非難はしない。しかし、民族や宗教など多様性を包含する国としての誇りもある。南部が切り離される悲しみが心に交錯している」と話す。

 イスマイル氏の親族が求める「統一スーダン」は北部・中央政府を率いる軍出身のバシル現大統領が目指す力による「統一」とは異なる。親族らは南北内戦や西部ダルフール紛争で暴力をふるい続けてきたバシル政権を批判する。圧政や差別から自由な国にしたいと願うからだ。

 南部の分離独立はスーダン中央政府の間違いを確認させるものだとジャラさんらは主張する。そして、南部の独立後に憲法を改正し、南北住民がいずれも二重国籍を取ることを可能にするよう提言している。

 植民地支配からの脱却を願い、イスマイル氏は「脱」の意味を持つ「ジャラ」を娘に命名した。しかし、ジャラさんが生まれてから55年間、大半は軍政支配や内戦が続いた。「平和な時は11年しかなかった。この国の課題は軍政支配にある。市民社会はそれなりに民主化してきたのに」と残念がる。

 自宅の壁には56年に英国とエジプトの共同統治からの権限移譲式典で、旗を引き継ぐイスマイル氏の写真が飾られていた。ジャラさんは政治と軍隊が完全に切り離された新たな国として「再統一」するスーダンを思い描いている。【ハルツームで高尾具成】

1912チバQ:2011/01/22(土) 08:52:47
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011012202000035.html
政変から1週間 チュニジア 戻る日常
2011年1月22日 朝刊

 【チュニス=内田康】チュニジアのベンアリ前大統領が亡命してから二十一日で一週間が経過した。前大統領が率いた与党立憲民主連合(RCD)出身者が、暫定政権の閣僚に就任したことへのデモが続くが、規模は小さくなった。国を代表する花から「ジャスミン革命」と呼ばれる政変は、大衆がネット空間で情報交換しながら独裁政権を倒した前代未聞の事態。影響は近隣国にも波及している。

 「RCDは政権から出ていけ」

 首都チュニス中心部では二十一日も数百人規模の抗議デモが行われた。ただ、前大統領亡命前の数千人規模と比べれば減った。周辺では、カフェで人々が語り合うなど日常生活が戻りつつある。

 人口約一千万人のチュニジアに、RCD党員は三百万人以上いたといわれる。厳しく追及しては、国がもたないとの見方もある。

 下院(定数二一四)に十六議席を持つ野党・民主社会運動のベンハシン議員(49)も「表向き忠誠を誓いつつ、内心は反抗していた人も少なくない」と同情的。観光ガイドのアリさん(59)も「もうデモは必要ない。仕事に戻る時だ」と語る。

 政権を倒した一連のデモでは、ネット上の会員制交流サイト「フェースブック」が活用された。十九日付の地元紙「コティディアン」も「フェースブックが武器だった」と論評した。

 失業中の若者(26)が政府に抗議して焼身自殺を図ったのを機に、十二月十七日に起きたシディブジドの抗議デモを、国営テレビは黙殺。だが、情報はネット経由で全土をかけめぐった。

 フェースブックは原則、各サークルの既存会員が了承しなければ輪に加われない閉鎖的空間。つぶやきのような短文を発信する「ツイッター」、動画投稿サイト「ユーチューブ」はネット上で全面公開されるため、チュニジアでは接続が禁止されていたが、フェースブックは黙認されていた。「たいていは内輪のたわいない話。当局もなめていた」(地元記者)

 会員承認の手続きを廃して全面公開型とし、デモ参加を呼び掛けるサークルも出現。当局は接続制限を試みたが、これを突破するための特殊なソフトも出回ったという。

 エジプトでは野党勢力が、二十五日に大規模デモを予定しているが、参加を呼び掛けるフェースブックの会員は短期間で五万人までふくれあがっている。

1913チバQ:2011/01/22(土) 08:54:48
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011012200046
チュニジア最大労組、新政権の解散要求=与党排除求めるデモ続く
 【チュニス時事】チュニジアのベンアリ独裁政権の崩壊で主導的な役割を果たした同国最大の労組、チュニジア労働総同盟(UGTT)の幹部は21日、AFP通信に対し、メバザア暫定大統領率いる新政権の解散を求める考えを明らかにした。
 同幹部は「UGTTの幹部会合が本日開催され、政権の解散と国家救済のための新政権構築を要求することを決めた」と語った。UGTTはデモの組織化を主導し、旧政権の閣僚が多数残留する新政権を拒絶、閣僚3人を引き揚げた。(2011/01/22-06:16)

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http://www.afpbb.com/article/politics/2782906/6701891?utm_source=afpbb&utm_medium=topics&utm_campaign=txt_topics
政変のチュニジア、国庫の金1.5トン不明に 前大統領持ち出す?
2011年01月21日 14:24 発信地:ロンドン/英国

【1月21日 AFP】23年続いた強権体制が前週崩壊したチュニジアで、政変の前後で国庫から金1.5トンが消えたことが業界団体の調べなどで明らかになった。仏メディアは国外脱出したジン・アビディン・ベンアリ(Zine El Abidine Ben Ali)前大統領夫妻が持ち出したと報じている。

 世界の金相場に関する情報を提供し業界の権威とされているワールドゴールドカウンシル(World Gold Council、WGC)の報告によると、前年12月にチュニジア中央銀行に保管されていた金は6.8トンで、これは過去10年間変わっていないほか、国際通貨基金(International Monetary Fund、IMF)の10月の試算とも合致していた。

 ところが、チュニジア中央銀行が今週発表した金の保有量は5.3トンに減っていた。行方が分からなくなった金の価値は、4500万ユーロ(約50億円)相当に上るとみられる。

 仏紙ル・モンド(Le Monde)は仏情報筋の話として、亡命したベンアリ前大統領の夫人が、出国前に中央銀行を訪れ金を引き出していたと報じた。中央銀行の頭取は抵抗したが、前大統領からも直接圧力を受け、要求に応じたという。

 中央銀行側は「金庫は厳格な管理下にある」として、この報道を否定している。

■前政権与党の閣僚ら離党、初閣議で全政治団体を合法化

 一方、暫定内閣は20日に初閣議を開き、非合法とされてきたイスラム系政党など全ての政治組織の合法化を決めるとともに、政変をめぐる暴動などで死亡した78人を悼み21日から3日間の服喪を宣言した。

 暫定政権をめぐっては、国外脱出したジン・アビディン・ベンアリ(Zine El Abidine Ben Ali)前大統領政権の主要閣僚8人が留任したことに抗議して野党側の新閣僚5人が辞任したほか、市民のデモが続いている。こうした中、前政権の与党・立憲民主連合(Constitutional Democratic Rally、RCD)の閣僚8人は20日朝、離党したことを発表した。(c)AFP

1914チバQ:2011/01/22(土) 08:56:10
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110121/mds1101212223064-n1.htm
チュニジア政変1カ月 アラブ諸国「若者の爆発」に戦々恐々
2011.1.21 22:22 (1/2ページ)
 【カイロ=大内清】民衆の抗議行動で政権が転覆したチュニジアの政変から21日で1週間が過ぎた。当初は事態を静観していたアラブ諸国も、今回の政変の要因の一つともなった失業問題に本腰を入れて取り組む姿勢をみせ始めている。アラブ諸国では若年層人口が急増しており、その不満をどう押さえ込むかという難問に直面している。

 エジプト東部シャルムエルシェイクで19日、アラブ経済サミットが行われ、各国首脳からはチュニジアの政変を念頭に置いた発言が相次いだ。

 「経済発展はアラブ全体の安全保障の問題だ」

 エジプトのムバラク大統領はこう述べ、雇用創出につながる経済成長に全力をあげる考えを強調。アラブ連盟のムーサ事務局長は、域内には現在、「かつてないほどの怒り」があると危機感を示した上で、政治改革と経済成長を同時に進める重要性を訴えた。

 アラブ諸国が特に頭を悩ませているのが、若年層人口の増加と、それに伴って深刻化する失業問題だ。

 国連の推計などによると、エジプトやアルジェリア、ヨルダンなどアラブ諸国の多くでは現在、15〜29歳の人口が全体の3割前後を占めており、今後も増えると予想されている。米欧や日本が10%台半ばから20%前後であるのに比べると、その比率はかなり高い。

 エジプトの政治学者は「ある程度の教育を受けた若者の多くは『チャンスが回ってこない』と感じており、いつ爆発してもおかしくない」と語る。チュニジアでは、定職を得られず路上で物売りをしていた男性(25)が抗議の焼身自殺を図ったことを機に、若者の怒りが爆発し反政府暴動に発展した。

 今回の政変では、携帯電話のショートメッセージやインターネットの会員制交流サイト「フェースブック」、簡易ブログ「ツイッター」が果たした役割も大きかった。

 当局は、最初に大規模デモが起きた中部シディブジッドにメディアが入ることを制限し情報統制を図ったものの、デモ参加者らが連日、ネットに写真などを公開、デモが全土に広がるきっかけになったともいわれる。こうした新しい情報通信手段の主要な担い手も若者だ。

 膨張する若年層は、経済成長の原動力となる可能性もある半面、雇用を吸収しきれなければ社会の不安定要因ともなりえる。

 今回の経済サミットでは、域内の失業対策として、湾岸産油国が主な資金の出し手となる20億ドル(約1650億円)の基金を創設する構想を再確認した。ただ、「決定が速やかに実行に移されていない」(エジプトのラシード通商産業相)といった声もあり、アラブ諸国には焦りの色も広がっている。

1915チバQ:2011/01/22(土) 08:57:02
http://mainichi.jp/select/world/news/20110121k0000e030014000c.html
イラン:チュニジア注視 反欧米、イスラム政権樹立を期待
 【テヘラン鵜塚健】ベンアリ長期政権が崩壊した北アフリカ・チュニジアの新政権作りの行方をイランが注視している。ベンアリ前大統領はイスラム主義を抑圧する非宗教的政策を推し進めたが、イランは今回の政変を機にチュニジアにイスラム主義が伸長することを期待している。

 アフマディネジャド大統領は19日、イラン中部ヤズドで「チュニジア国民は、欧米に支援された独裁政権を倒した。人々はイスラムによる法と支配を求めている」と演説。チュニジアの政治家や国民が今後の欧米諸国の介入に警戒するよう呼びかけた。

 親欧米で世俗(非宗教)主義だったベンアリ前政権は、イスラムの過激化を警戒し、イスラム主義政党を弾圧した。国外追放されていたイスラム政党の指導者の帰国などで、欧米諸国にはチュニジアの急速なイスラム化への懸念も広がる。

 一方、イラン国会は18日、「チュニジア国民の勇敢な革命を支持する」との声明を賛成多数で採択。イラン国営テレビは在米イスラム専門家の声を通じて「(ベンアリ政権崩壊は)アラブ世界で初めての革命で、イランのイスラム革命(79年)と共通点が多い」と分析。イランとの類似性を強調し、イスラム教を統治の柱とする政治体制誕生への期待を込めた。

1916名無しさん:2011/01/22(土) 09:04:43
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110120-00000304-newsweek-int
チュニジア・ジャスミン革命の「意外」性
ニューズウィーク日本版 1月20日(木)22時9分配信

酒井啓子(東京外国語大学大学院教授)

 チュニジアの政変には、驚いた。

 中東に長期独裁を問題視する声は多かれど、その崩壊劇がチュニジアで起きるとは、予想していた者は多くはなかったに違いない。

 報道では、フェースブックを始めとするメディアの役割に、今回の政変の意外性を見る分析が多い。だが、ネットが民衆運動に劇的な役割を果たしたのは今回が初めてではない。一昨年の六月、イランで大統領選挙の後、従来になく大規模な反政府デモが展開されたが、そこに集まった人々はツイッターやショートメールで情報交換した。2008年年末のイスラエルによるガザ攻撃の際、砲撃に晒されて家を出られないパレスチナ人がブログで伝えた「実況」は、世界を駆け巡った。

 中東は、近年ネットユーザー数の急増が、世界でも顕著な地域である。いまや国民の三人に一人はネットユーザーで、その数は十年前に比べて30倍以上に増えた。特にイランやシリアなど情報統制の厳しい国での増加率は100倍以上だ。同じように最新の通信手段を使いながら、イランでは政権交替まで行かず、チュニジアで大統領辞任まで発展したのはなぜか。情報通信手段の革新だけで説明できるものではない。

 むしろ今回の政変で意外なのは、反政府運動を主導するのにイスラーム主義系政党が前面に出ていない点だ。過去30年の間、中東で左派系、民族主義系の長期独裁政権に反旗を翻し、挑戦してきたのは、ほとんどがイスラーム主義系の政党だ。隣国アルジェリアで20年前に社会主義政権が崩壊したのは、総選挙でイスラーム勢力が勝利したことを契機とする。危機感を感じた当時のベンジャディード政権が、憲法停止など民主化に退行する手段をとり、イスラーム勢力と軍が衝突して凄惨な内戦が10年近く続いた。長年パレスチナの政治主流だったPLOに2006年に選挙で勝利したのは、イスラーム主義のハマースだ。独裁に反対し民衆運動を主導するのはイスラーム主義、と相場が決まっていた。

 一方で非イスラーム系のリベラル左派は、多くの国で力を失っていた。2005年エジプトでの総選挙は、左派系リベラル知識人が反ムバーラク市民運動を展開して注目されたが伸びず、イスラーム勢力の後塵を拝した。イラク戦争以降の数年は、米国の政策もあって中東の民主化が謳われた時期であるが、実際には思うように民主化は進まなかった。

 むしろ長期政権の統治手法は、どんどん巧妙になる。リベラル派のエリートは既存政権に取り込まれて、真っ向から挑戦する姿勢を失っていく。欧米諸国も最近は、民主化で不安定化したりイスラーム化したりするより、安定的な長期政権のほうが扱いやすい、というムードに逆戻りしつつあった。その矢先の、チュニジアの政変だ。

 崩壊した政権のあとが、どういう体制になるのかは、未知数だ。国外亡命していたイスラーム政党のリーダーも戻る。イラン革命のように後にイスラーム勢力が政権を左右することになるのか、それとも半世紀ぶりに左派系主導の「革命」になるのか。はたまたトップの挿げ替えで終わるか。権力の空白が略奪や無秩序を生んでいることは、戦後のイラクの混乱の再現をも予感させる。不安定と権力抗争という過去の繰り返しとなるのか。

 他山の石とハラハラしている周辺国の長期政権が、その教訓を「ベン・アリーは甘かった」と考えて一層統制を強めるのでは、との危惧もある。今後の展開に、目が離せない。

1917チバQ:2011/01/23(日) 10:53:50
http://mainichi.jp/select/world/news/20110123ddm007030140000c.html
チュニジア:首相「選挙後、引退」表明 国民の排除要求回避狙う
 【チュニス和田浩明】チュニジアのガンヌーシ首相は21日、地元テレビのインタビューで、6カ月以内に実施する意向の大統領選挙と議会選挙の終了後、「可能な限り早期」に辞任し政界を引退すると述べた。国民からのベンアリ前政権関係者の排除要求をかわす狙いがあると見られる。

 ガンヌーシ首相は自らの役割について、選挙実施までの暫定的なものであり、その後は政界を引退すると明言した。しかし、全国労働組織「UGTT」は同日、国民の要求を反映した「救国内閣」の形成を運営委員会で議決し、ガンヌーシ首相が17日に組織したばかりの新政権との対決姿勢を強めており、引退宣言での事態収拾は困難な情勢だ。

 23年にわたり独裁体制を敷いていたベンアリ氏は反政府デモの激化で14日に事実上亡命。しかし、新政権にはガンヌーシ首相を含め与党・立憲民主連合(RCD)の主要閣僚が留任した。旧政権関係者の排除を求めるデモは21日も首都チュニスなどで発生しており、RCDの閣僚は離党して批判の回避を図っている。

1918チバQ:2011/01/23(日) 10:54:15
http://mainichi.jp/select/world/europe/news/20110122k0000e030046000c.html
チュニジア:抗議の焼身自殺、母親「息子の死、生かして」

ムハンマド・ブアジジさんの遺影とともに、自宅で取材に応える母親のマノビアさん。手にしている「遺影」はベンアリ前大統領の肖像写真の顔をムハンマドさんに差し替えたもの=2011年1月21日、和田浩明撮影 【シディブジド(チュニジア中部)和田浩明】「息子の死が無駄にならないよう、過去と決別して」。23年続いたチュニジアのベンアリ独裁政権を、抗議の焼身自殺で崩壊に追い込んだムハンマド・ブアジジさん(26)の母、マノビアさん(55)は21日、毎日新聞の取材に訴えた。独裁者は去ったが、旧政権の閣僚多数が残留。体制刷新を求めるデモが全国で続く。「革命」の発火点となったムハンマドさんの故郷シディブジドでは、死者を悼んで国旗が半旗で掲げられ、住民が「与党は去れ」との叫びを強めていた。

 家族によると、ムハンマドさんは死別した父に代わって一家9人の生活を支えるため、野菜や果物を道端で売っていたが、昨年12月17日、「無許可販売」を理由に摘発された。この際、市の女性職員に顔面を平手打ちされるなど「屈辱的な扱いを受けた」と妹のベスマさん(16)。当局に苦情を訴えようとしたが聞き入れられず、市役所前で抗議の焼身自殺を図った。

 この事件で、高失業率や大統領周辺の腐敗に高まっていた住民の怒りが爆発、暴動が発生し、治安部隊との衝突でこれまでに少なくとも20人が死亡した。国内メディアは当初無視したが、インターネットなどで情報が広がり、反政府デモは全国に飛び火。4日にムハンマドさんが死亡するとさらに激化。ベンアリ氏は14日、サウジアラビアへの亡命に追い込まれた。

 大学でコンピューターを学ぶのが夢だったというムハンマドさん。生活に追われて実現はままならなかった。収入は1日7ディナール(約400円)程度。

 農作業に従事するマノビアさんが仕事のつらさを訴えると「もっと稼ぐから、お母さんは休んで」と思いやった。6畳ほどの部屋が3室しかない小さな平屋の自宅には、面倒を見ていたという5羽の小鳥の澄んださえずりが響いていた。マノビアさんは、新政権に残る旧政権系閣僚の完全排除を求める。それでも、「国の立て直しには、憎しみより赦(ゆる)しが必要」とも語り、当局との暴力的衝突を戒めた。

 シディブジドは首都チュニスの南方約260キロで、住民によると人口約4万人。農業が主要産業の「政府から見捨てられた町」(男性住民)だ。ムハンマドさんの写真が掲げられた中央広場で住民の話を聞き始めると、たちまち50人ほどが集まり、生活の不満を語り始める。教師のジャマル・ハムドゥーニさん(40)は「大学を出ても就職できず、若者はやることがない」。20代の男性は「仕事の口利きをしてもらうのに、1万ディナール(約58万円)も要求される」と訴えた。

 ベンアリ前大統領の就任日にちなんで「11月7日広場」と名付けられていた中央広場は今、「ムハンマド・ブアジジ広場」と呼ばれる。「彼は自らを犠牲にして独裁者を倒した。今度は我々が行動する番」。女性住民ハリマ・アブドゥーリさん(32)の声には、決意がこもっていた。

1919チバQ:2011/01/23(日) 10:55:56
>>1792-1799アタリ
http://mainichi.jp/select/world/news/20110123ddm007030136000c.html
ベラルーシ:欧米と関係悪化 ルカシェンコ大統領、4期目に
 【モスクワ大前仁】「欧州最後の独裁者」といわれるルカシェンコ・ベラルーシ大統領(56)は21日、4期目に入った。大統領は先月の大統領選以降、野党候補と支持者への弾圧を続けており、同国との関係改善を模索してきた欧米諸国との関係悪化は決定的になっている。

 ミンスクからの報道によると、欧州連合(EU)加盟国や米国はこの日の就任式出席を見送った。欧州議会は20日に大統領選のやり直しを求める決議を採択しており、EUも早ければ今月31日の外相会議で、ベラルーシ要人の入域禁止や海外資産の凍結などを盛り込んだ制裁を決める見通し。EUは08年に同国向けの制裁を大幅に解除したうえで、経済支援を検討してきたが、協調路線を変更する格好だ。

 一方、ルカシェンコ氏は20日、「我々に対する制裁を実施するならば、さらに厳しい対抗措置を取る」と譲らない考えを示した。ベラルーシ政府は先月19日の大統領選の投票終了後、野党候補や支持者が一部の政府施設を破損したことを口実に600人以上を逮捕。現在でも野党候補4人を収監しているほか、野党系メディアを取り締まり、多くの関係者は隣国ポーランドへ活動拠点を移したと伝えられる。

 ルカシェンコ政権が欧米との協調路線を犠牲にしてまで、野党弾圧へ転じたのは、国内の引き締めを狙ったためだ。

 更に選挙直前になって、それまで悪化していた対露関係の修復に道筋をつけて、欧米からの経済支援に頼らない状況が生まれたことも強硬姿勢を後押ししている。

1920チバQ:2011/01/23(日) 11:02:18
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920008&sid=av5V20ilwVuE
アイルランド、3月11日に総選挙へ−カウエン首相が内閣改造を断念
  1月20日(ブルームバーグ):アイルランドのカウエン首相は20日の議会で、総選挙を3月11日に実施する意向を表明した。連立を組む緑の党が内閣改造に反対したことが背景。

  マーティン外相は今週辞任した。カウエン首相率いる共和党の党首信任投票で反対票を投じたものの、カウエン首相の続投が決まったため。保険、司法、国防、運輸などの関係閣僚は総選挙に出馬しない意向を表明。世論調査によると、共和党の支持率は過去最低に落ち込んでいる。

  最大野党である統一アイルランド党のエンダ・ケニー党首はRTE放送とのインタビューで、「修羅場だ」と発言。「絶望的な政府の末期だ」と述べた。

http://www.cnn.co.jp/world/30001575.html
アイルランド首相、与党党首を辞任 首相職は続投
2011.01.23 Sun posted at: 10:13 JST

(CNN)アイルランドのブライアン・カウエン首相は22日、アイルランド与党共和党の党首を辞任すると発表した。一方、3月11日に行われる総選挙までは首相職を続投する意向も明らかにした。

カウエン首相は、党内部でカウエン首相に対し党首としての指導力への批判が高まっていることを辞任の一因として挙げている。アイルランドが国際通貨基金(IMF)、欧州連合(EU)などから金融支援を受けることになった経済失政をめぐり、国内ではカウエン政権に対する責任を問う声が上がっていた。

同国は昨年、深刻な財政危機に陥り、EUや国際通貨基金(IMF)、EU加盟国などから計850億ユーロ(約9.4兆円)に上る財政支援を受けた。支援を受けるに際して、カウエン政権は福祉予算削減や増税、新たな税システムの導入盛り込んだ今後4年間の財政緊縮策を発表した。今年は60億ユーロ(約6700億円)、4年間で150億ユーロ(約1.7兆円)を削減する見通しだ。

同国の財政危機をめぐり現政権に対する非難の声が広がる中、首相は先週実施された共和党内の党首信任投票を乗り切ったが、党首続投に反対したマーティン外相ら閣僚6人が相次いで辞任。これを受けて、急きょ3月に解散・総選挙を行うことが発表されたばかりだった。

空いた閣僚のポストは閣外メンバーで埋め、外相は首相が兼務している。

次期党首選出は26日の党特別会議で行われる予定。同党の議員4人が立候補の意思を表明している。

1921チバQ:2011/01/23(日) 17:20:13
http://www.asahi.com/international/update/0123/TKY201101230061.html
「神権政治は目指さない」 チュニジアのイスラム組織2011年1月23日9時49分

. 【チュニス=貫洞欣寛】チュニジアの政変でベンアリ前政権による非合法処分が解かれることになり、有力政党になる可能性があるとみられている同国のイスラム組織「ナハダ」の幹部、サミール・ディロウ氏(44)が21日、チュニス市内で朝日新聞の取材に応じた。

 ディロウ氏は「我々は『神権政治』は目指さない」と語り、トルコを模範に議会政治の枠内でイスラムに沿った穏健な改革を目指す考えを示した。一方、「社会には我々に対する偏見がある」として次期大統領選で候補者を擁立しない考えを明らかにした。

 「ナハダ」は1981年に結成されたチュニジア最大のイスラム組織。都市部の知識層を中心に勢力を伸ばしたが、隣国アルジェリアでイスラム政党が躍進したことから、飛び火を警戒したベンアリ政権から厳しい弾圧を受けるようになった。

 ディロウ氏は「腐敗の廃絶や弱者への思いやりなどイスラムの道徳観に沿った政治を目指すが、個人に宗教を押しつけるつもりはなく、『イスラムこそが解決策だ』という言い方はしない。トルコの与党・公正発展党のように、世俗主義と宗教的価値観を両立させることは可能だ」と述べた。

 また「政権側の長年のプロパガンダで、我々を『テロリストだ』と無用に恐れている市民が多い」と語り、近く行われる大統領選には候補者を擁立しない考えを示した。「まず議会に参加し、民主主義勢力として各党と協調していけることを証明し、次の段階に進みたい」と話した。

 英国に滞在する指導者、ラシド・ガンヌーシ氏ら弾圧を逃れて亡命したメンバーを早期に帰国させ、組織を再構築する方針という。

http://www.asahi.com/international/update/0122/TKY201101220337.html
警官1千人もデモ「市民と連帯したい」 チュニジア2011年1月22日23時45分
 【チュニス=貫洞欣寛】チュニジア政変を受けて22日、これまでは市民のデモを鎮圧する側にいた警察官らが、市民との連帯を示すデモをした。チュニス中心部では1千人近い警官らが腕に赤い布を巻き、旧体制の打破や待遇改善を求めて行進した。

 政変後、ベンアリ前大統領を見限って市民側に回った軍に支持が集まる一方、前大統領を支えた内務省と警察への不信感は根強い。警官デモは、こうしたイメージを改善する狙いもありそうだ。

 参加したムニールさん(31)は「僕らは安月給のうえ、命令に従わなければクビ。命じられてデモ鎮圧に行ったら、デモ隊に隣人や親族がいて、心が痛んだ。今こそ市民と連帯したい」と話した。
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