したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

国際政治・世界事情

1861チバQ:2011/01/13(木) 00:12:20
http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/110110/mds1101102054003-n1.htm
スーダン南部ルポ 「敵」失い矛盾表面化 平和渇望も行き場のない兵士たち (1/2ページ)
2011.1.10 20:47

9日、SPLMの指導者だったガラン氏の墓前で独立の実現を祈る女性ら(大内清撮影) スーダン南部の独立に向けた住民投票が始まり、南部の中心都市ジュバは早くも祝賀ムードに包まれている。20年以上にわたる内戦では南部が主戦場だっただけに、人々の平和への願いは強い。だが、その熱狂の陰では、北部という南部住民にとっての「共通の敵」を失ったことによる問題も表面化し始めている。(ジュバ 大内清、写真も)

 2005年の包括和平合意後に、ヘリ墜落で死亡したスーダン人民解放運動(SPLM)指導者、ガラン氏の遺体が安置された広場。9日の投票初日には住民数百人が集まり、投票実施を祝う歌や踊りの輪ができた。

 この広場の前に、数百軒のあばら家がひしめくメスアルバイーネ地区が広がる。上下水道の設備もなく、放置されたゴミには大量のハエが群がる。住民の多くはSPLM軍事部門、スーダン人民解放軍(SPLA)の兵士だ。

 そのうちの一人、デビッド・デング少尉(35)は、1998年にSPLAに参加。主に中部の油田地帯アビエ付近で北部軍と戦い、「和平合意を機に、家族とともにジュバに住み着いた」という。

 約820万人の南部住民の大半はごく小規模な農業や牧畜を営んでおり、SPLMが主導する自治政府の歳入のうち9割超は南部に集中する石油頼み。その石油も、輸出は北部のパイプラインや港に依存せざるを得ず、収入の配分に関する協議が難航している。

 そんな中、今後のインフラ整備などに大量の資金が必要となるSPLMにとり、民兵を含むと数十万人とされる兵士の給与は大きな負担だ。雇用がないため復員も難しく、過去には給与への不満から暴動が起きたこともあるという。

 SPLMが抱える問題はこれだけではない。

 南部にはSPLM主流派のディンカ人のほか、ヌエル人、シュルク人など数十の黒人系民族がおり、それぞれに独自の言語や文化を持つ。内戦中は同じSPLMに属しながらも、分裂や衝突を繰り返した。

 スーダン問題に詳しい隣国エジプトのジャーナリストは「SPLMはキール議長の指導力でかろうじてまとまっているだけだ」と指摘。自治政府職員のトーマス・ロロさんも「人々の心には、他民族への憎悪が残っている」と話す。

 北部によるイスラム法(シャリーア)導入への反発を契機に始まった内戦が終結して独立が現実味を帯び、「北部への抵抗」という大義を失った今、SPLMは内なる問題に向き合わざるを得なくなっている。

 昼間から酒を飲んでいたデング少尉は「もう戦争は十分だ」と語り、「でも−」と据わった目つきでこう付け加えた。「戦う必要があれば、誰とでも戦うよ」

     ◇

 【スーダン内戦】1983年にアラブ系イスラム教徒主導の中央政府が全土にイスラム法(シャリーア)を導入。これに、キリスト教徒の南部有力黒人民族ディンカ人らが反発し、スーダン人民解放軍(SPLA)を結成、内戦に突入した。国連安全保障理事会は2004年11月、政府とSPLAに対し和平合意を求める決議を採択。05年1月、双方が包括和平合意に署名し南部の自治政府設立が決定、内戦が終結した。内戦はサハラ砂漠以南のアフリカで最長、最大規模とされ、約200万人が死亡したとみられている。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板