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避難用作品投下スレ5

43明日ハレの日、ケの昨日:2009/06/10(水) 02:55:29 ID:TIXYJhVg0
「宗一さん、無茶のしすぎです。傷だらけじゃないですか」
「そういう渚こそ危ない真似しやがって。一歩間違えたらそっちが撃たれるところだったぞ」
「宗一さんが助けてくれました」
「そりゃそうだ。もし渚に何かあったら、俺は……」

 そこで那須宗一は言いよどんだ。宗一自身思ってもみなかった言葉がついて出たらしく、視線を虚空へと泳がせる。
 しらを切ればいいものを、あまりにも分かりやすい態度に古河渚でさえも言葉の続きが理解でき、
 顔に熱が昂じているのが自分でも理解出来た。そういえば、いつからお互いに名前で呼び合うようになったのだろう。
 いらぬことまで考えてしまうと思った渚は作業を再開した。包帯が丁寧に宗一に巻かれていく。

 ただ、どことなく気恥ずかしいものが残り視線を合わせ辛くなった。
 治療が終わったらどうしよう、と持て余した感情をどこに向けるか考えてみるも、
 他のメンバーは、というよりは国崎往人を中心として朝霧麻亜子と川澄舞が話し合っている。
 比較的怪我の少なかった麻亜子と往人が捜索を終え、舞に報告しているらしかった。

 自分のところにこないのは宗一の治療をしているからなのか、それともこの雰囲気を感じ取ったからなのか。
 どうもしばらくはここに釘付けらしいということを理解して、渚は悶々とした気分になる。

 よくよく考えてみれば自分たちはとんでもないことをしてきた気がする。
 後ろから抱きすくめられ、情けない姿を晒しあい、てのひらを乗せ合った。
 恋愛経験の少ない、というか全くなかった渚にはそれだけで赤面するには十分だった。
 そして同時に胸が高鳴る我が身に驚き、どういうことなのか理由を求めようとするが話せる相手などこの場にいるはずもなく。
 つまるところ自分で考えるしかないのだった。

 いや考えずとも分かる。宗一の態度は明らかだ。好意を抱いてくれていることは間違いない。
 急に気付いたというよりはここまで考える暇もなく、
 己自身のことを考える時間の方が多かったし奔走していたせいもあったからだというのが理由だ。

 いざ思い返してみれば思い当たることがぽんぽんと飛び出してくる。
 それだけ様々なことがあったということだ。自らの内実に、ルーシーたちとのすれ違い、そして天沢郁未。
 全てに決着がつき、ようやく自分のことを真に考えられるようになった。
 今までではなく、これからのことを。

44明日ハレの日、ケの昨日:2009/06/10(水) 02:56:05 ID:TIXYJhVg0
 その第一歩がこんな話でいいのかという思いにもなったが、それでいいのだとも思う。
 自分は若い。多分、この場の誰よりも子供で世間知らずだ。
 とはいえ気付いたところでいきなり何が出来るでもないし、こうしてギクシャクすることしか出来ていない。

 やはり子供だと思う。少なくとも父母のようになるにはまだまだ遠いのだとも感じる。
 こんな調子で大丈夫だろうか、と少し不安になったが、それでいいんじゃないという苦笑が瓦礫の上から投げかけられた。
 郁未の穏やかな顔がそこにあった。遺体は瓦礫の上に安置されている。
 穴を掘る道具がなかったためここに置いておくしかなかったのだ。

 申し訳ないという気持ちがあったが、そんな気遣いは無用だという郁未の意思のようにも見えた。
 最後まで、郁未は渚が嫌いだった。それでもこうして何を憎むこともない、穏やかな顔をしている。
 きっと嫌いでも認める部分はあったのかもしれないと解釈して、渚は郁未の無言を受け取った。
 じっくり整理していこう。多分、今のわたしにはそうするだけの時間はあると思うから。

「……終わりました。大丈夫ですか?」
「ああ、よし。悪くない」

 関節を動かし、体を捻りながら宗一は「ありがとな」と言った。
 いえ、と応じて次に渚は舞のところへと向かう。
 包帯を巻いたり消毒したりするのは実のところ慣れている。父親の秋生がよく怪我をこしらえて帰ってくることが多かったからだ。
 本人曰く、「全力で野球やってりゃこんなもんよ」と言って笑っていたのを思い出す。
 子供っぽいと思いながらも本当に楽しそうな表情だったのが、密かに羨ましかった。

「すみません、お待たせしました」

 こくりと頷いた舞の顔面は血だらけになっているように見えたが、本人は存外平気そうな顔をしている。
 よく観察してみると傷自体は浅く、激しく動いたせいで多少出血量が増えただけなのだと分かった。
 ましまじと見ていた渚に、察したのか舞が幾分得意そうに呟く。

45明日ハレの日、ケの昨日:2009/06/10(水) 02:56:26 ID:TIXYJhVg0
「受け身を取るのは、得意」
「そうなんですか?」
「慣れてる」

 武道か何かをやっているのだろうか。剣道着を着ているのから考えて、剣道部だろうか。
 渚自体は舞の戦う姿をそれほど見ていたわけではないので確証は持てなかった。
 だがぼんやりとした中にも鋭さが漂う視線と、引き締まった腕の筋肉を見ればそうなのだろうと思う部分はある。

 いずれ分かることだろう。今はそれより優先すべきことがあると思いを入れ替え、渚はタオルを取り出した。
 すみません、と前置きして額を優しく拭う。
 雨のせいか広範囲に散っていた血液は瞬く間にタオルに吸収され、赤の範囲を増していく。

「平気ですか?」
「うん」

 無表情は保たれたままだ。痛くはないのだろうと解釈して、消毒液とガーゼ、包帯を取り出す。

「ちょっと沁みるかもしれませんけど、我慢してくださいね」

 一言置き、消毒液を塗ったガーゼを丁寧に貼り付ける。それでも流石に痛みはあったか、若干片目が閉じられた。
 大丈夫、と即座に言ってきたのが気遣いのように思われ、渚は苦笑を浮かべた。
 この言葉だけで舞が優しい性格なのだと分かる。口数は少ないがそうなのだと理解できる。
 だからもっと知りたいという欲に駆られ、渚は自ずと言葉を口にしていた。

「あの、そういえばちゃんと自己紹介したわけじゃないですよね。改めて自己紹介させてもらってもいいですか?」

46明日ハレの日、ケの昨日:2009/06/10(水) 02:56:46 ID:TIXYJhVg0
 少し前ならこうして自ら積極的になることもなかった。
 己に自信と意味を持てず、坂の下で燻るばかりで知ることを恐れていた頃から思えば、随分進んだと我ながら思う。
 今は怖くない。知るために、好きになるために、坂の先にあるものが見える。歩いていける。
 それこそが『新しい終わり』なのだろう。そう納得して渚は口を開いた。

「古河渚です。実は演劇部の部長さんです。だんご大家族が好きです」
「川澄舞。部活動はしてない。牛丼は嫌いじゃない」

 包帯を巻かれながら、舞も答えてくれる。
 こういうことに慣れていないのか少々たどたどしいのが微笑ましかった。
 自分だってそうなのだが。遠野美凪と自己紹介したときの会話から引っ張ってきたのがその証拠だ。

 或いは美凪とのこの会話がなければそれさえも思い浮かばなかったのかもしれない。
 案外、自分はたくさんの経験をしてきたらしかった。そこには様々なひとの姿がある。
 犠牲の上に有るのではなく、支えられて生きている。
 そのことを実感しながら渚は会話を続ける。

「えっと、学生さんですよね。何年生ですか?」
「三年生」
「あ、わたしと同じです。……といっても、留年しちゃってますけど」
「そうなの? ……不良?」
「残念ですけどはずれです。体が弱くて、病気でたくさん休んじゃったんです」
「……」

 よしよし、というように舞の手が頭に置かれる。
 慰めてくれているのだろうが、年下に励まされていることで何とも複雑な気分になる。
 もちろん嬉しさは圧倒的な割合を占めていたのだが。

47明日ハレの日、ケの昨日:2009/06/10(水) 02:57:11 ID:TIXYJhVg0
「……済みません、あんまり年上っぽくないですよね」
「そうでもない。貴女は優しい。とても……包帯を巻くのも上手だし」
「あはは、包帯はあんまり関係ない気もしますけど……ありがとうございます」
「……渚、って呼んでもいい?」
「あ、はい。それはもちろんです。えっと、そっちは」
「舞、がいい」
「じゃあ、舞さん」
「うん、渚」

 お互いに名前を呼び合う。既に知っている名前であるはずなのに、新鮮な響きがある。
 同時になんとなく照れ臭くもなり、意味もなく笑ってしまう。舞も同じなのか、微かに表情が柔らかみを帯びた。
 と、そこに。

「おーおーどうしたのかねーそこの初々しい少女達よ。あたしを忘れるなんて寂しいなー泣いちゃうぞー?」

 包帯を巻き終えたのを見計らったかのように割り込んできた麻亜子がずいっと顔を出した。
 いかにも冷やかすような声色だった。振り向いてみればいしし、と意地悪な表情を浮かべている。

「あ、す、すみません。仲間はずれにするつもりはなかったんです」

 だが会話に入れていなかったのは事実であるし、申し訳ない気持ちになりながら渚は頭を下げる。

「あ、いや、マジに謝られても困るんだけどさ。うーん厳しい」
「あぅ……ごめんなさい」
「……真面目だねー」

 頭を掻きつつ、麻亜子は苦笑する。以前朋也から真面目すぎる、と言われたことを思い出した。
 性分であるためにこうしてしまうのは仕方がないのだが、折角の雰囲気を台無しにしてしまうわけにはいかない。
 渚は気を取り直してえへへ、と半ば誤魔化すように笑って、麻亜子にも紹介を持ちかけることにした。

48明日ハレの日、ケの昨日:2009/06/10(水) 02:57:28 ID:TIXYJhVg0
「じゃあ改めまして……古河渚です。よろしくお願いします」
「うむ苦しゅうない。余は永遠の十四歳にして稀代の美少女ロリのまーりゃんである」
「まーりゃんさん、ですか?」
「さん付けしなくたっていいんだけどなー。あたしはアイドルゆえにフランクでもおっけーなのさー」
「えっ!? アイドルなんですか!?」
「……まいまいー、この子ド真面目だぞ!」
「まーりゃんが悪いと思う」

 泣きつく麻亜子を一蹴して舞は「こういう人だから」と渚に言った。
 確かに中々変わった人だとは思うが、自分が真面目過ぎるのにも原因がある。
 フランクに、フランクに、と念じるように心中で繰り返して、最後にカツサンドと叫んで会話を再開する。

「えーっと、じゃあまーさん……っていうのは……」

 だが渚にはこれが精一杯だった。どうも呼び捨てにするのは気が引けて仕方がなかったのだ。
 最も変えなければいけないのはここではないのかと嘆息せざるを得なかった。
 だが麻亜子はそれでも嬉しそうに笑って「おっけーおっけー♪」と頷いてくれた。
 いい人だ、と渚は思った。少し変だが、舞同様やさしい人だという感想を抱く。
 自分もこれくらいフランクになれれば、という憧れのような気持ちを持って、渚も笑い返した。

「それじゃあチミにはこの三択を授けよう。
 ①、なぎなぎ
 ②、なーりゃん
 ③、渚ちん
 さぁどれだ!」
「……えっと、普通に名前じゃ」
「却下」

 即答だった。どうやら愛称で呼ぶことは確定事項らしかった。
 戸惑いを覚える一方、今まで愛称で呼ばれることはなかったので身体が芯から温かくなっていくのも感じる。
 きっと麻亜子にとってはこれが普通で、当たり前の事柄なのだろう。
 だからこそ、当たり前の中にいられる自分が、どうしようもなく嬉しかった。

49明日ハレの日、ケの昨日:2009/06/10(水) 02:57:45 ID:TIXYJhVg0
「ええと……それじゃ、さんばん、で」
「ファイナルアンサー?」
「ふぁ、ファイナルアンサー」
「……」
「……」

 じーっとこちらを見つめる麻亜子。数秒単位で表情を変えている。何故か変な顔だった。
 この流れで渚は思い出した。とあるクイズ番組の司会者のモノマネだった。
 多分それについて言及はしないほうがいいのだろうと考えながら、この時間に身を任せることにした。

「正解っ! 渚ちんにはプライスレス!」

 渚は舞の方を見る。舞は目を伏せ、ゆっくりと頭を振った。プライスレスの意味は分かりそうもなかった。

     *     *     *

 女の子は三人寄ればかしましい。いや麻亜子一人だけがかしましいと言うべきか。
 談笑している三人の姿を眺めながら、国崎往人は瓦礫の上に那須宗一と肩を並べて座っていた。
 どうも取り残された感が拭えない。ただ、これはこれでいいという思いはあったので不満もなかった。

 結局のところ、収穫らしい収穫はなかった。
 郁未を倒せたことで確実に殺人を行う者は減っただろうが、まだいなくなったとは限らない。
 生存者もゼロである以上合理的に考えてここからは一刻も早く立ち去り、伊吹風子に合流した方がいいのだが、
 実質的なリーダーである宗一はまだ荷物をまとめていてここから動く気はなさそうだった。

 ちなみに往人に手伝う気はない。疲れているし、宗一も手伝ってくれとは言わなかった。
 ただ手持ち無沙汰であることは確かだった。人形劇でもやってみようかと思ったが、
 相棒代わりだったパン人形は雨に濡れて昇天なさってしまったようだった。
 哀悼の意を数秒ほど捧げ、ドロドロのぐちゃぐちゃのパン人形は郁未の近くに置いておくことにした。
 こんななりでも何人かのひとを笑わせてきた代物だ。地獄での暇つぶしにはなるだろう。

50明日ハレの日、ケの昨日:2009/06/10(水) 02:58:01 ID:TIXYJhVg0
 不思議と郁未にそれほどの感情を抱いていない己を認識して、往人はもう一度郁未の遺体に目を向ける。
 あれほど憎しみで歪んでいたはずの郁未の顔は、内に溜め込んだ負の全てを出し切ったかのように穏やかだ。
 古河渚という人間にはそれほどの力があるのだろうか。

 遠慮がちに、しかし話の中心になって喋っている彼女は往人に神尾観鈴の姿を想起させた。
 観鈴もまた、いるだけで太陽を指してくれる向日葵のような人間だった。
 生い立ちや過去など関係なく、全てを受け入れる存在。往人はそう思った。

 全員が人殺しのはずなのにな。

 軽く笑う。人の死に関わっていない奴はここにはいない。
 皆が悲しいことや辛いこと、犯してはならないことをしてきたはずだった。
 だがそこから来る後ろめたさのようなものは何も感じない。

 人の死から目を背けているわけではない。責任を放棄しているわけでも、増してや忘れたわけでもない。
 しっかりと受け止め、それぞれが自分なりに考え、どうしたいかを決めて歩んでいる。
 自分達を見る連中の中にはこうしているのを許せないと思うのだっているだろう。
 思うのは勝手だ。だが許せるかどうかを決めるのは自分達でしかない。どうこうする権利だってありはしない。
 そういうことなのだろうと納得して、往人は持て余した頭を会話に使うことにした。

「よう、こうして男二人取り残されたわけだが」
「いいんじゃないの? 仲良きことは美しきかな」
「俺達も仲良くしてみるか」
「冗談。男の友情なんて暑苦しいぜ」
「同感だな。ということで、これからどうする。周辺も少し探してみたが遺留品は全部あの瓦礫の下らしい。
 那須が整理しているのが全部だな。つまり、もうここには何もない」
「まずは、麓まで戻る。伊吹もいるしな」

 往人は頷いた。問題はそこから先。舞が元いた集まりの生き残りである藤林椋の捜索をするという目的はあるが、
 それは最優先にするほどの問題でもないし、宗一にくっついていても為せる目的ではある。
 つまるところ往人達に当面することはないといってもよかった。

51明日ハレの日、ケの昨日:2009/06/10(水) 02:58:19 ID:TIXYJhVg0
「俺達は元々別れた仲間を戻すために来てたんだ。渚がいるってことは多分仲間は捕まったと思う。
 ここにいないのは多分怪我をしてるか、或いは……まあ、いずれは分かることだ。
 だから俺達は学校に戻る必要があるな。そこで待ち合わせがあるんだ。……大遅刻してるけど」

 ばつが悪そうに宗一は眉根を寄せる。怒らせると怖いタイプの人間と待ち合わせしているらしい。
 往人には関係なかったので、「大変だな」と言っておいてやる。

「ともかく、ま、そいつは頼りになる奴でね。
 それにいいものも手に入った。ノーパソだ。情報収集には使えるぜ。しかも二台」
「俺には使い方が分からんから、那須に任せる」
「今時パソコンが使えないと、色々と困るぜ?」
「生憎俺は肉体労働派なんだ」
「なるほど。体は大切にしろよ」

 軽口を受け流しつつ、宗一はこれから麓にある学校まで戻るということを頭に入れる。
 となればついていってもいいだろう。宗一が頼りにすると宣言した人間が来るということなら、
 もしかすると脱出の芽が見えるかもしれない。もう下手に動き回る必要性は薄れてきているのだ。

「そういや、お前世界一のエージェントだとかなんとか言ってなかったか」
「はて、どうだったかな」
「道理で銃に詳しかったわけだと思ったよ。なんで隠してた」
「カッコイイから」

 分かる、と思わず言いそうになってしまう。
 誤魔化しに乗ってどうすると自らを窘めるが、さりとて真意を聞き出すことは難しそうだった。
 ひょっとすると、本当に格好いいからという理由だけで隠しているのかもしれないが……
 いずれにしても言っても言わなくても、ここの関係が変わることはなさそうだった。

「よし、整理完了。ありがたく頂いてくぜ郁未さんよ」
「行くのか」
「あいつを怒らせたくないからな」

52明日ハレの日、ケの昨日:2009/06/10(水) 02:58:31 ID:TIXYJhVg0
 宗一が怒られる姿、というのはとても想像できるものではなかった。
 それはそれで面白そうだったので、密かに期待してみることにする。
 国崎往人は意外と野次馬根性なのだ。

 そんなことを考えているとは知らないであろう宗一は女性三人に向かって声を飛ばしていた。
 往人も立ち上がる。暇があれば人形でも探してみようか、と思った。
 とりあえず、人も増えて、見せるべき相手が多くなったのは確実なのだから。

53明日ハレの日、ケの昨日:2009/06/10(水) 02:58:48 ID:TIXYJhVg0
【時間:2日目午後23時00分頃】
【場所:E−4・ホテル跡】

川澄舞
【所持品:日本刀・投げナイフ(残:2本)・支給品一式】
【状態:同志を探す。往人に付き従って行動。強く生きていたいと考えている。額から出血。両手に多少怪我(治療済み。支障は全くない)、肩に浅い切り傷】
【その他:往人に対して強い親近感を抱いている。剣道着を着ている】
その他:舞の持ち物(支給品に携帯食が十数個追加されています。)

朝霧麻亜子
【所持品1:デザート・イーグル .50AE(1/7)、ボウガン(32/36)、バタフライナイフ、支給品一式】
【所持品2:芳野の支給品一式(パンと水を消費)】
【状態:鎖骨にひびが入っている可能性あり。軽い打ち身。往人・舞に同行】
【その他:体操服(上下のジャージ)を着ている】

国崎往人
【所持品:フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 4/5 +予備弾薬5発、パン人形、38口径ダブルアクション式拳銃(コルトガバメントカスタム)(残弾4/10) 予備弾薬35発ホローポイント弾11発、スペツナズナイフの柄、支給品一式(少年、皐月のものを統合)】
【状況:強く生きることを決意。人形劇で誰かを笑わせてあげたいと考えている。全身にかすり傷。椋の捜索をする】
【その他:左腕に文字を刻んだ。舞に対して親近感を抱いている(本人に自覚なし)】

那須宗一
【所持品:FN Five-SeveN(残弾数0/20)、防弾チョッキ、SPAS12ショットガン8/8発、投げナイフ1本、鉈、H&K SMGⅡ(30/30)、ほか水・食料以外の支給品一式】
【所持品2:S&W M1076 残弾数(6/6)とその予備弾丸9発・トカレフ(TT30)銃弾数(0/8)、デザートイーグル(.44マグナム版・残弾4/8)、デザートイーグルの予備マガジン(.44マグナム弾8発入り)×1、S&W、M10(4インチモデル)5/6】
【持ち物3:ノートパソコン×2、支給品一式×3(水は全て空)、腕時計、ただの双眼鏡、カップめんいくつか、セイカクハンテンダケ(×1個&4分の3個)、何かの充電機】
【状態:全身にかすり傷】
【目的:渚を何が何でも守る。渚達と共に珊瑚を探し、脱出の計画を練る】 

古河渚
【持ち物:おにぎりなど食料品(結構減った)、支給品一式×2(秋生と佳乃のもの)、S&W M29 1/6、ロープ(少し太め)、ツールセット、救急箱】
【状態:心機一転。健康】
【目的:人と距離を取らず付き合っていく。最優先目標は宗一を手伝う事】

→B-10

54it's all we could do Ⅱ/ Ha'Olam habah:2009/06/11(木) 16:11:57 ID:AwGSRtsw0
 
「結論から言うと……もうすぐお産が始まります」

嵐の訪れはいつも唐突である。
神ならぬ人の身は自然の猛威を前に驚き、慌て、頭を低くして耐えるより他にない。
たとえそれが、うららかな光の射すリビングに突然巻き起こった小さな嵐であろうとも、何ら変わりなく。

「は?」

長岡志保は間抜けな声を上げ、

「お、お母さん……?」

古河渚は母の言動に戸惑い、

「……」

川澄舞は視線を動かすこともなく紅茶を啜り、

「……苦しい」

そして国崎往人は、己が首を締め上げる細い指の感触に眉を顰めていた。
奇妙に滑る汗が滲んで余計に不快感が増す。

「え? いや、ちょ……はああああ!?」
「落ち着け長岡、起き抜けにあまり騒ぐとまた倒れるぞ。それと俺の首を絞めるな」

隣に座る少女の、薄く肉のついた細腕をどうにか引き剥がそうと苦闘する国崎。
ただでさえ凶悪な目つきが更に険しくなるが、驚愕に揺れる少女は国崎など見てもいない。

「なな、何言ってんのよ志保ちゃんは落ち着いてるわよ変な冗談ばっかり言って早苗さんは!
 けどもしこれが変な夢だったら早く覚めてほしいじゃない!?」
「お前の悪夢は俺の首を絞めると覚めるのか!? いいから離せ!」

がくがくと首を揺らす手を強引に剥がし、汗ばむ肩を掴んで無理やり椅子に座らせる。

55it's all we could do Ⅱ/ Ha'Olam habah:2009/06/11(木) 16:12:14 ID:AwGSRtsw0
「……ふう。目を覚ました途端にこれだ」

ごほん、と咳払いを一つ。
呼吸を整える。

「しかしまあ、なんだ。落ち着いた方がいいのは、あんたも……だな」

鋭い眼光が睨むように向けられた先には、台風の目。
自らの発言が巻き起こした嵐など知らぬげに微笑む、古河早苗がいた。
その泰然自若とした様子にやりにくさを感じながら、国崎が続ける。

「こいつは男だ。見れば分かるだろう」
「ええ、拝見させていただきました」

間髪いれずに答えが返ってくる。
いきなりの直球で核心を突いたつもりが、見事に打ち返されていた。

「なら分かるだろう!? 男がどうやって子供を孕むというんだ!」

もしかして眼前の女は少し頭の中身が残念なのかもしれないという懸念が、
国崎の口調をほんの少しだけ荒くする。
ちらりと横目で見たベッドの上には一人分の膨らみがある。
苦しげな表情で横たわる金髪の少年、春原陽平であった。
時折漏らす声は力なく、意識はいまだ戻らない。
薄いブランケットを掛けられた細身の身体には、一見して異常な点がある。
布団に隠された下腹部が、極端に肥大していた。
一抱えほどもありそうなその様は、まるで布団の下に何かを詰めているかのように見えるが、
無論一同が囲んでいるのはそのような悪い冗談の産物ではない。
確かに少年の下腹部自体が膨れ上がっているのだった。

「ええ、私もそうは思ったのですけど……」
「けど、何だ!?」

肥大に耐えきれぬ衣服は、既に早苗によって上下とも脱がされている。
生身を晒した肩と言わず胸と言わずだらだらと脂汗を掻き、苦悶を浮かべる少年の様子を見て
思わず浮かぶ連想を、国崎があえて断ち切る。

「ですが、子宮口もかなり開いているみたいですし……」
「……」
「……」
「……何だと?」

56it's all we could do Ⅱ/ Ha'Olam habah:2009/06/11(木) 16:12:30 ID:AwGSRtsw0
一瞬降りた沈黙が、粘つくように国崎の喉に引っかかる。
振り払って、聞き返す。
たった今、眼前の女から出た言葉の意味を、咀嚼しかねていた。
否、決して咀嚼してはいけない単語を耳にしたような、そんな気がした。
もう一度尋ねればきっと、自分の聞き間違いだったと分かるだろう。
そんな、淡い期待があった。

「ですから子宮口が。破水する前に準備を始めないといけないかもしれません」
「いや、ちょっと待て」

淡い期待は木っ端微塵に打ち砕かれていた。
わたしキッチン見てきますねー、という渚の暢気な声が脳髄の奥で頭痛の種を芽吹かせ、
痛覚を刺激しだすのをこめかみを揉んで和らげながら、国崎が早苗の言葉を遮る。

「今、何と言った」
「……?」
「不思議そうな顔をするな!」
「破水する前に準備を……」
「その前だ!」

小首を傾げる早苗の表情に、ふつふつと沸き上がるこの感情は怒りだろうかと
自問しつつ国崎が噛みつく。

「えっと……子宮口もかなり開きかけています、でしょうか?」
「子宮口」
「ええ」
「……」
「……それが何か?」

沈黙が、降りた。

「……」
「……」
「があああああああ!」
「ひゃっ!? ちょっと何なのよ!?」

57it's all we could do Ⅱ/ Ha'Olam habah:2009/06/11(木) 16:12:55 ID:AwGSRtsw0
急に大声を上げ、がりがりと頭を掻き毟りながら立ち上がった国崎に、
隣に座った志保がびくりと肩を震わせる。
がたりと揺れた拍子に零れた紅茶が、テーブルに拡がっていく。
無言を保っている白毛の少女、舞がぎろりと国崎を睨んだ。
気にした風もなく早苗に詰め寄る国崎。

「あんたは何を言ってるんだ!? いい大人が保健体育の授業からやり直すか!?
 子宮口!? そんなものが男にあるはずがないだろうが!」
「ご覧になりますか?」
「……は?」

あっけらかんと言い放たれ、国崎が言葉に詰まった。
思考に生まれた一瞬の空隙を突くように、早苗がちょいちょいと手招きしている。
導かれるようにふらふらとベッドに歩み寄ってしまう国崎。
微笑んだままの早苗が、テーブルからは見えないようにそっとブランケットをたくし上げた。
何一つ身につけていない少年の下半身が、国崎の眼前に晒される。

「……」
「触らないでくださいね」
「……」
「こうして……、ほら、ここから覗いてみると……きゃっ!?」

がばり、と国崎が顔を上げる。
そのまま手近な壁に駆け寄ると、ガンガンと額を打ちつけ始めた。

「う、うおおおおおおおおおお!!」
「な、何やってんのよあんた!? とうとう本格的におかしくなったの!?」
「そんなわけあるか! ……いや待てよ、そうなのかも知れん……。
 俺は頭がおかしくなってしまったのか……!?」
「はあ!? ちょっと、本当に大丈夫なのあんた?」
「……おい、お前」

ぎらり、と鋭い眼光が志保を射抜く。

「ふん、あたしはおい、とかお前、なんて名前じゃな……何すんのよ!?」
「いいからちょっと来い!」

腕を掴まれ、引きずられるようにして志保が連れて来られたのは少年の横たわるベッドである。

「ッ痛いわね!」
「……こいつにも、見せてやってくれないか」
「ちょっと! 人の話を聞きなさいよ!」

58it's all we could do Ⅱ/ Ha'Olam habah:2009/06/11(木) 16:13:11 ID:AwGSRtsw0
振りほどいた腕をさすって志保が睨みつけるが、どんよりと暗い目をした国崎は意に介さない。
抗議を無視して尋ねるのへ、少し困ったような顔で早苗が答える。

「子供たちには少し刺激が強いかも知れませんが……」
「構わん。百聞は一見にしかず、だ」
「あんたねえ、いい加減に……!」

激昂しかけた志保に、国崎が少年を指さして言う。

「……いいから見てみろ」
「何よ、何なのよ……って、いやああああああああああああ!?」

視線を向けた志保の頬が紅潮するまで一秒もかからなかった。
頭から湯気を出しそうな勢いで赤らんだ顔を手で覆い、白い壁紙の貼られた天井を仰ぎ、
指の隙間からもう一度ちらりと少年の一部を見やって、大きく息を吸い込むと、

「こんの……ド変態ぃぃ!!」
「ぐぉッ!?」

鳩尾に、綺麗な一撃。
思わずくの字を描いた国崎の、下がった頬に更なる追撃が入る。
平手ではなく握った拳の打撃に表情を歪める国崎の襟首を、怒髪天を突く志保が掴んで引き寄せた。

「ちょっと! どうしてくれんの! 殴った手が痛いじゃない! 痛くないように殴られなさいよバカ!」
「か、勝手なことを言うな……! それより、見たか……!?」
「見たわよ! バッチリ見せられちゃったわよ! ナニ見せんのよこの痴漢! 変態! 変質者!
 乙女の純情を踏み躙った罪を今からたっぷり後悔させてあげるから死んで反省しなさい!」
「無茶苦茶言うな! 見せたいのはそっちじゃない、その下だ!」

息も絶え絶えに国崎の指さす先へ、つられた志保が視線を動かす。
そこにあるのは、たくし上げられた白いブランケットと、一糸纏わぬ春原少年の下半身。
またも一秒かからず紅潮しかけた志保が、ふと気付く。
国崎が示す指の、正確な延長線上。
そこにあるのは、毛むくじゃらの達磨とその尻尾のような見慣れないモノと、それから。
見慣れた、というほどまじまじと見たりはしないけれど、それなりに見覚えのある、器官。

59it's all we could do Ⅱ/ Ha'Olam habah:2009/06/11(木) 16:13:31 ID:AwGSRtsw0
「んー……?」
「……」
「……んんー、」

目をすがめ、顔を近づけ、指を伸ばそうとして早苗に触ってはいけませんと窘められて引っ込め、

「……キモっ」

結論を出した。
同時、国崎が床に崩れ落ちる。

「うおおーっ!」
「何よあんた、うっさいわねえ」

一通り床を転げまわって悶えた国崎が、立ち上がって志保に詰め寄った。

「それだけか!? 本当にそれだけなのかお前!?」
「だって……」

少年と、その一部を横目で見る志保。
達磨の方も段々慣れてきた。

「両方あるなんて、キモいじゃない」
「お前な……」

率直過ぎる感想に、国崎が嘆息する。

「両性具有……というのは聞いたことがあるが、しかし……」
「ええ。こういうものでは、ないと思います」

国崎の言葉を引き取って、早苗が頷く。

「ちゃんとお産ができるのかどうかも、正直なところよく分かりません」
「……ねえ、あたし難しいことはよく分からないんだけどさ」

表情を曇らせた早苗に、志保が顔を向けて肩をすくめる。

「現にこいつがここにいるんだから、仕方ないじゃん。
 考えなきゃいけないのは、何で……じゃなくて、どうするか……ってことなんでしょ?」
「おい、簡単に言うがな……」

言いかけた国崎を、早苗が身振りで制する。

60it's all we could do Ⅱ/ Ha'Olam habah:2009/06/11(木) 16:13:44 ID:AwGSRtsw0
「……そうですね。長岡さんの仰る通りです」

曇りを払うように微笑んだ早苗が、苦しげに顔を歪める春原の額に浮かんだ汗を優しく拭う。
そのまま跪くと、静かに春原の腹に耳を当てた。

「わ……!」
「おい……」
「ほら、こうすると」

驚く二人に、早苗は慈母の笑みを向ける。

「とくん、とくん、って。生まれたい、って言ってます。
 なら……私たちにできるのは、そのお手伝いでしたね」

その笑みの、輝くような温かさに気圧されながら、国崎が口を開こうとする。

「いや、しかしな……」
「あ、お母さん」

言いかけた言葉は、背後からの声に遮られた。
振り返った国崎の視線の先には、古河渚が立っている。

「どうかしましたか、渚?」
「パンが焼けたみたいですー」
「あら、本当? ありがとう」

ぱたぱたとスリッパを鳴らしてキッチンに消える早苗の背を見送って、
国崎が深い、深い溜息をついた。

61it's all we could do Ⅱ/ Ha'Olam habah:2009/06/11(木) 16:13:59 ID:AwGSRtsw0
 
【時間:2日目 午後2時ごろ】
【場所:I-7 沖木島診療所】

古河早苗
【所持品:日本酒(一升瓶)、ハリセン】
【状態:健康】

国崎往人
 【所持品:人形、ラーメンセット(レトルト)】
 【状態:疲労・法力喪失】

長岡志保
 【所持品:なし】
 【状態:健康】

古河渚
【所持品:だんご大家族(100人)】
【状態:健康】

川澄舞
 【所持品:村雨】
 【状態:健康、白髪、ムティカパ、エルクゥ】

春原陽平
 【所持品:不明】
 【状態:妊娠・意識不明】

→1074 ルートD-5

62来客予報:2009/06/14(日) 00:30:44 ID:Sd7UWGMg0
「遅いな、初音ちゃん。すぐ戻るって言ってたのに……」

そわそわとした様子で、視線を辺りに彷徨わせながら長瀬祐介が呟いた。
彼が今座っている椅子の正面、少し前までそこで朝食を摂っていた少女はここにはいない。
支給された食べかけのパンは、そのままの状態で放置されていた。

時刻は午前七時を回っている。
第二回目の放送が行われてから、一時間の時間が経った。
放送はこの民家に滞在していた三人に、大きな衝撃をもたらすことになる。
まずその人数。
第一回目の放送時に流れた名前の倍以上の人数が、今回の放送にて発表された。

そこには祐介にとって、馴染み深い少女達の名前も並ぶことになる。
心を許した愛しい彼女達との永遠の別離、実質上祐介が元からの知り合いで心を許していた人間は、これで零となった。
顔見知りである太田香奈子や月島拓也の存在を、無視するという気が祐介の中にある訳ではない。
しかし心理的に祐介が最優先する存在が、二人を置き去りにした状態のままここで浮上したことになる。
それが彼女、柏木初音だった。

『ごめんなさい。大丈夫。大丈夫だよ……』

顔面蒼白の少女が呟く。
声は小さく震えていた。初音の動揺が、そこには直に表れている。
三人の姉を含む親族達と共にこの島に放たれた初音は、姉妹の中でも末っ子である四女だった。
しっかりしているものの、根は甘えん坊であり誰かに縋ることで自己を回復している面が、初音にはある。
そんな彼女は、このたった一晩で多くの家族を奪われた。
初音は結局、血を分けたかけがえのない姉妹達と再会することが叶わなかったのだ。
金輪際、未来永劫。
この争いにより大切な身内を失った初音のことを思うだけで、祐介は胸が締め付けられそうになる。

63来客予報:2009/06/14(日) 00:31:21 ID:Sd7UWGMg0
『―― 少し、外に出るね。外の空気が吸いたいんだ。大丈夫、すぐ戻ってくるから……』

放送が終わってから、少し経ってからのことだった。
初音の願いを止める者は、ここにはいない。
孤立することが危険なことに変わりないが、彼女の心情を思えば了承する以外の選択肢は存在しない。
誰もが初音を労わっていた。
……少なくとも、祐介はそう思っていた。

「そうですね、確かに心配です。でも……わたしは、柏木さんがすぐに戻られなくてよかったです。
 わたし自身が、この時間で落ち着くことが出来ましたから」
「有紀寧さん……もう、いいの?」
「はい。ご心配、おかけしました」

力ない足取りでダイニングであるこの部屋に現れたのは、暗い面持ちを保つ宮沢有紀寧だった。
初音がこの民家を出た後、気分が悪いと言った彼女は寝室で休んでいた……ことに、なっている。
祐介の手前上傷ついた素振りで自身のか弱さを演出する必要があったのと、例の書き込みをした掲示板のことが有紀寧は気になって仕方なかった。
今のところ、有紀寧の書き込みに対するレスはついていない。
有紀寧が想像していたよりも、この掲示板の存在を知っている参加者はもしかしたら少ないのかもしれなかった。

(まぁ、あくまでこれは余興ですし)

反応がないのもそれはそれで物悲しいものであるが、結局はそこだ。
一つため息をつくと、有紀寧はこっそり寝室に持ち込んだノートパソコンのディスプレイを伏せる。
気分を切り替え戻ったダイニング、落ち着きのない祐介の様子に思わず浮かんだ苦笑いを即座に隠し、有紀寧はそっと彼の隣に座った。

「きっと、柏木さんは目を真っ赤にして戻ってくると思います。
 わたし達の前で見せなかった分、一人でたくさん泣いているでしょう」

64来客予報:2009/06/14(日) 00:31:46 ID:Sd7UWGMg0
痛ましげに顔を歪める有紀寧につられるよう、祐介も表情を落ち込ませた。
こういう純朴な祐介の姿は、有紀寧からすれば滑稽にしか映らない。
優しい性格ではあるが、どうにも存在自体が心もとないというのが、有紀寧の持つ祐介に対する印象である。

今や有紀寧にとって、祐介と初音の存在は枷以外の何物でもなかった。
柏木の姉妹達は消え、残る柏木性は一人となる。
初音曰く頼りになる存在と有紀寧も聞いているが、あの子のことだ。
祐介のことを持ち上げる態度を見る限り、初音にとっては誰もが尊敬に値する人物に当てはまるのではないだろうか。
人を疑わない優しい素直さは、確かに初音の持ち味だ。しかし、それが通じる世界にここは値しない。
初音も、祐介も。
有紀寧の駒とし利用するには、あまりにも役不足である。
それではどこで、手を切るか。有紀寧は考えていた。

(かと言って、いきなり一人になるのは危険にも程がありますし。どうしましょうか……)

どうするも何も、自分から積極的に動くことが今有紀寧はできない身である。
とりあえずは、初音の帰りを待つしかないのだ。
ちらりと視線を動かせば、部屋の隅にまとめられている自分達の支給品等が入ったデイバッグが有紀寧の目に入った。
初音が散歩に出かけた際護身用で自身のバッグを持って行ったため、今そこにあるのは二つだけである。
有紀寧のものであるバッグは、容易く見分けがついた。
不格好な形でゴルフバックがはみ出ているバッグ、そこには本来の彼女の支給品であるリモコンは入っていない。
いざという時のためと、有紀寧は常にスカートのポケットにリモコンを隠し持っている。

祐介と二人無言で座るだけの、有紀寧にとっては退屈としか思えない時間は着々と積もっていく。
有紀寧が自分の身を持て余した頃だった。……それは、彼女も予想だにしなかった幸運。

「……二人、か。黙って手を上げろ、敵意はない」
「な、那須さんそれでは駄目です。そんな言い方では、怖がらせてしまいます」

65来客予報:2009/06/14(日) 00:32:13 ID:Sd7UWGMg0
声は、二人の背後である部屋の入り口が発信源であった。
一人は男性のもの。もう一人は女性。
この民家に他者が侵入してきたことすら、有紀寧も祐介も気づいていなかった。

突然の来客に二人して固まる。手を上げるも何も、あまりの驚きで二人の動作は激しく鈍くなっている。
ただひたすら、初音のことを心配していた祐介。
自分のこれからを、どうするか考えていた有紀寧。
不足の事態に対し、二人はあまりにも無力だった。
しかし。
天は二人を、見放さなかった。

「あ、あの……驚かせてしまって、すみません。
 あなた達が話されているの、少しだけ聞かせていただきました。
 よろしければ、あの。少し、わたし達ともお話していただけませんか?」

丁寧な口調で、どこかおどおどしたようなしゃべりをする少女の声に、祐介はゆっくりと首を重点に動かし声の主を確認しようとした。

「っ!」

と、少し身を捻った所で凄まじい殺気が祐介の姿を射抜いてくる。
走る緊張に胃が焼ける思いが沸き上がり、祐介は中途半端な位置で身を止めた。
それはどこか、毒電波を浴びせられた感覚によく似ているかもしれない。

「……那須さん?」
「悪い、クセなんだ」

どうやらそれは、少女の隣にいた男性に関係していたようである。
少女が嗜めるように男性の名前と思われる固有名詞を口にすると、祐介が受けていた圧迫感はするっと消えた。

66来客予報:2009/06/14(日) 00:32:40 ID:Sd7UWGMg0
「あ、あなた達、一体……」

問いかけたのは、有紀寧だった。
見ると、祐介よりも先に体勢を整えた彼女は視線をしっかりと来訪者に合わせているのが、祐介も確認できる。
相手の相貌を拝もうと、慌てて振り向いた祐介の視界にも来訪者の姿が映る。
驚愕。
目に入った人物二人に対する素直な感嘆を、祐介は表情にそのまま出す。
来客者達は、どこからどう見ても祐介と同年代である、少年少女であった。





晒された視線に、古河渚は小さく自身の肩を震わせた。
強張っていく表情を自覚するものの、渚自身ではどうすることもできない。

「大丈夫だ、普通の奴等だと思うぜ。いざという時は俺もいる」
「あ……」

小さな耳打ちが優しげに、渚の鼓膜を振動させる。
それは硬くなった渚の筋肉すらも、和らげる効果があったのかもしれない。
隣を見れば、優しく微笑む頼もしい少年の姿があり、渚も小さく頷き彼の気遣いにそっと答えた。
ぎゅっとデイバッグの肩掛け部分を握り締め、渚は少しだけ目を瞑る。

(お父さん、お母さん……)

渚のデイバッグには、彼女の両親に支給された物が形見のような形で入っていた。
母とじゃれた、ハリセン。
父が守ってくれた、拳銃。宗一に確信してもらった所、込められている弾数は四発で断層の残りも見当たらないとのことだった。
しかし、渚はそれを人に向けることだけは絶対にしないと心に決めている。

67来客予報:2009/06/14(日) 00:33:08 ID:Sd7UWGMg0
人を傷つける行為。
誰かが悲しむことが分かりきっている結末を、渚は望まない。
それを回避するためにも。

「……あんぱんっ!」

渚は心強いパートナーと共に、目的の第一歩へと歩みを進めた。





【時間:2日目午前7時30分頃】
【場所:I−6上部・民家】


長瀬祐介
【持ち物:無し】
【状態:驚愕・初音を待つ】

宮沢有紀寧
【持ち物:リモコン(5/6)】
【状態:前腕に軽症(治療済み)・強い駒を隷属させる】

以下の荷物は部屋の隅に放置
【持ち物:鋸・支給品一式】
【持ち物:ゴルフクラブ・支給品一式】

古河渚
【持ち物:支給品一式(支給武器は未だ不明)・早苗のハリセン・S&W M29(残弾4発)】
【状態:宗一と行動・殺し合いを止める】

那須宗一
【所持品:FN Five-SeveN(残弾20/20)、支給品一式】
【状態:渚に協力】


鉈を除いた葉子の支給品一式は、病院に放置

(関連・485b・553)(B−4ルート)

68まだ見ぬ明日へ:2009/06/16(火) 07:19:27 ID:SytagYXA0
細い雨がしとしとと振り続ける静かな夜。
全てが終わった氷川村でただ雨が降っていた。
散っていった命を鎮める様に。
そして生き残った者達を優しく祝福するように。
しとしとと振り続けていた。

生き残ったのはたった三名。
藤田浩之、姫百合瑠璃、リサ・ヴィクセン。

数々の想いの果てにそれでも生き残った者達。
失ってしまった大切な人達の分まで生きようとする者達だった。

「さてと……こんな物でいいかしら」
「ああ……沢山死んだん……だよな」
「浩之……」

その3名は一度情報交換、手に入れた武器の確認、休憩を行う為にある民家に居た。
共に戦い抜いた仲間だったのもあり、スムーズに行う事が出来た。
そして今に至るのだが……

「本当に……沢山死んだ」

怨敵、藤林椋が死にその前にも珊瑚が死に……この短い間でまた沢山人が死んでいる。
その事に浩之は何か憑き物を落ちたようにそう重く呟いていた。
その隣に瑠璃が不安そうに浩之の手を握っている。
頼るのはもう浩之しか居ないと思っているように。

「……可笑しいよな、人殺しなのに」

浩之は自嘲しながらそう呟く。
椋や初音を殺す切っ掛けを作ったのは間違いなく浩之だろう。
そして殺す為に動いたのもまた浩之なのだ。
これで良かったんだという思いと何処か釈然とない思いが浩之の心の中で廻っていた。
瑠璃は哀しそうにでも何を言えばいいか思いつかず押し留まっているだけ。
それでもこの繋いだ手は絶対に離しやしないと強く握って。
リサは少し思案しながらやがて優しい瞳を浩之に向けながら口を開く。

69まだ見ぬ明日へ:2009/06/16(火) 07:21:29 ID:SytagYXA0

「いえ……可笑しくはないわ。人が死んだ事を悔やんだり、祷りを捧げる事は……誰もが持っている権利よ」

優しくまるで栞に話したように浩之にそう言った。
浩之はその言葉にまるで救われたような表情を浮かべリサを見ていた。
その浩之の表情を見ながらリサは安心したように立ち上がる。

「今はゆっくり考え休んでなさい……私はちょっと出るわ」
「何処に……?」
「叶わなかったデートの誘いを受けるのよ。直ぐそこだから大丈夫よ」
「解りました……」
「一応、回収した銃を置いておくけど……私も傍にいるから……まあ気休め程度よ」

リサはそれを伝え民家を出て行った。
用事もあったのだろうが浩之と瑠璃を2人にしたかったのだろう。
浩之はそんな事を薄々感付きながら心の中で感謝していた。
そして残されたのは瑠璃と浩之だけ。

二人は言葉は発せずただ繋いだ手を強く握るだけ。
何を話していいのかさえ戸惑ってしまう。
互いが互いを必要としているのは確かなのに。
それでも想いだけはこの手を通じて届けといいたい様に握り合う。
やがて瑠璃が震えながら口を開く。

「ひろゆき……」
「何だ?」
「ウチら……さんちゃんの仇とったんや……」
「……そうだな」

珊瑚の命を奪った悪魔、藤林椋は爆炎に飲まれ遂に死んだ。
珊瑚、環、みさき、観鈴の仇を遂にとったのだ。
やっと、やっと。
それなのに、瑠璃は体の振るえが止まらない。
繋いでない片方の手が震えるのを見ながら言う。

70まだ見ぬ明日へ:2009/06/16(火) 07:22:56 ID:SytagYXA0
「せやなのに……せやのに……なんでこんなに心が晴れんのやろ」
「瑠璃……」
「仇とったんや……憎いのに……憎いのに……震えがとまらへんよ……」

震えている瑠璃を思わず浩之は後ろから抱きしめる。
何も言わずに瑠璃を強く、強く。
瑠璃があの時の様に消えてしまいそうに見えたから。
瑠璃は抱きしめている浩之の腕を握りながら言葉を続けた。

「だって……誰も戻ってこうへん……さんちゃんは戻ってこうへんよ」
「瑠璃……いいから!……喋らなくていいから!」
「さんちゃん……いないんやっ……もういないんやっ……」

瑠璃は箍が外れたかのように喋り続ける。
また溢れ出した涙と一緒に、沢山、沢山の言葉を。
浩之はただ抱きしめるしかできなくて。

「ウチ……独りになってしもうた……」

その瑠璃の呟きが余りに哀しくて。寂しくて。
瑠璃にとって珊瑚はどれだけ大切なものだったかを認識せざるおえなかった。
瑠璃は言葉を吐き続ける。
珊瑚への想いを。

「さんちゃん……さんちゃん……ウチ大好きやったんよ……さんちゃんが……」
「瑠璃……」
「仇とったのに……さんちゃん戻ってこうへんのや……哀しくて……空しくてしょうないんよ」

瑠璃は想う。
哀しい、空しいと。
仇をとっても珊瑚は永久に戻ってこない。
あの二人で居た時間も二人で居た場所も戻ってこないのだ。
仇を取った達成感が過ぎ去ればただの哀しみと空しさだけ。
瑠璃にとって珊瑚居ない……そんな寂しさしかないのだ。
それは半身をもぎ取られたと言っても等しい喪失の痛み。
瑠璃はそれに涙するしかなくて。

「さんちゃん…………さんちゃん……」

ボロボロと大粒の涙を流す。
今まで抑えていた珊瑚への想いと喪失の哀しみを。
一度に吐き出していた。
それはとまる事が無くただ流れるだけ。

71まだ見ぬ明日へ:2009/06/16(火) 07:23:51 ID:SytagYXA0

珊瑚は戻ってこない。
瑠璃は独りなのかもしれない。

でも。

それでも新たなに手に入れた温もりがあるから。


「瑠璃……瑠璃は独りじゃない。おれがいる。おれがずっといる。何処にも居なくならないからっ……」

そう、それは同じく全てを失った藤田浩之。
浩之は大切な瑠璃を抱きしめる。
全てを失ってもまだ大切したいと思えるもの、瑠璃が居るから。
だから浩之は前に進めた。
だからこそ瑠璃を強く抱きしめる。
独りなんていって欲しくないから。
この温もりを二度と失いたくなんてないから。
ぎゅっとぎゅっと。
瑠璃はここにいるよ、おれはここにいるよと瑠璃自身に確かめさせるように。

「ひろゆき……ウチな、さっきから想ってたん……」
「何だ……?」
「ウチ……嫌な子や……」
「……え?」
「ひろゆきを大切やと思ってるのに……一瞬、一瞬やけど……さんちゃんの代わりと想ったんやよ……最悪や……ホンマ最悪やっ……」

瑠璃の嗚咽が響く。
浩之の事を大切だと思っていたのに。
それなのに珊瑚の代わりと思ってしまった。
依存できる代わりの存在して。
互いが生き抜くために依存の代わりの存在と想ってしまった。
それを再自覚した瑠璃はその自身にショックを受け哀しみに咽び泣いていた。

それは否定できないと浩之自身も思ってしまう。
全てを失い瑠璃しかいない自分。
そしてその瑠璃に依存してまっている自分がいる。
それは紛れも無い事実。
だけど、それでも浩之は思い誓う。
あの時と気持ちは変らない。
だから、それを瑠璃に伝える。
想いを言葉に代えて。

72まだ見ぬ明日へ:2009/06/16(火) 07:24:37 ID:SytagYXA0
「最悪なんかじゃない……おれもそう想っていたのもある」
「ひろゆき……」
「でもっ」
「でも……?」
「今は……代わりでもいい。依存できるかわりでもいい」
「……せやけど……それは」

瑠璃が哀しげに口篭る。
誰かの代わりの依存はただの停滞でしかない。
想いはその代わりになどなくただの縋り合いでしかにから。
そして何時か破滅するしかないのだ。
そんな哀しいもの。
でも、浩之の言葉には続きがあった。

「それでもおれは瑠璃が大好きなんだ、これは変らない」
「……ひろゆき」
「瑠璃もそうなんだろう?」
「……せや。ウチも浩之が大好き」

互いが本当に大好きという気持ちがあるなら。
あるというのなら。

もう、大丈夫。

「なら……生きようぜ。その依存が、代わりが、明日には、未来にはかけがえないただの一つの想いになるように」
「ひろゆき……!」
「俺達は――――生きてる。まだ生きているんだ。明日を未来を………………生きれる!」

生きているんだから。
色々な人の想いを沢山背負って。
今は二人の関係はただの依存かもしれない。ただの縋り合いかもしれない。
それでも……彼らは生きている。
明日を、未来を生き抜く事ができるのだ。
生きている限り、ずっとずっとその先まで見る事ができるのだから。
だからこそその依存の関係を変える事が出来る。
未来には互いを代わりじゃない唯一つの関係になれるように。

この大好きという気持ちと。
ずっと生きるという心持さえあれば。

明日には。
未来には。


変える事が出来る。

きっと、きっと。

そう思えるから。

73まだ見ぬ明日へ:2009/06/16(火) 07:27:18 ID:SytagYXA0
だから

「瑠璃……大好きだ……一緒にずっと未来まで生きよう」
「ひろゆき……大好き……一緒にずっと未来まで生きような」


生きよう。


二人はそっと唇を重なる。

この想いをそっと伝えて。

ずっとずっと生きる為に。


さあ―――行こう。


―――まだ見ぬ明日へ。


【時間:2日目午後22時00分頃】
【場所:I-6】

リサ=ヴィクセン
【所持品:M4カービン(残弾15/30、予備マガジン×3)、鉄芯入りウッドトンファー、ワルサーP5(2/8)、コルト・ディテクティブスペシャル(0/6)、支給品一式】
【所持品2:ベネリM3(0/7)、100円ライター、参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、フラッシュメモリ(パスワード解除)、支給品一式(食料と水三日分。佐祐理のものを足した)、救急箱、二連式デリンジャー(残弾1発)、吹き矢セット(青×5:麻酔薬、黄×3:効能不明)】
【状態:宗一の言葉に従い分校跡に移動。どこまでも進み、どこまでも戦う。英二の元へ。全身に爪傷、疲労大】

姫百合瑠璃
【所持品2:デイパック、水、食料、レーダー、携帯型レーザー式誘導装置 弾数2、包丁、救急箱、診療所のメモ、支給品一式、缶詰など】
【状態:浩之と絶対に離れない。浩之とずっと生きる。珊瑚の血が服に付着している】
【備考:HDD内にはワームと説明書(txt)、選択して情報を送れるプログラムがある】

藤田浩之
【所持品:珊瑚メモ、包丁、レミントン(M700)装弾数(3/5)・予備弾丸(7/15)、HDD、工具箱】
【所持品2:MP5K(18/30、予備マガジン×8)、フライパン、懐中電灯、ロウソク×4、イボつき軍手、折りたたみ傘、鋸、支給品一式】
【状態:絶望、でも進む。るりとずっといきる。守腹部に数度に渡る重大な打撲(手当て済み)】


→B-10 1044

74第四回定時放送:2009/06/17(水) 00:09:36 ID:mI8fKiE60
「……面白くないですね」

 例のモニターを眺めながら、デイビッド・サリンジャーはさも不快そうに息を吐き出す。
 それもそのはず、殺し合いを煽るはずだった放送はまるで意味を為さず、それどころか積極的殺人肯定派は全員が死亡。
 現状は15人。しかもやたらとグループを作り、あまつさえ連携まで取れだしている。

 サリンジャーは殺し合いが進まなかったことに腹を立てているのではない。自らの思い通りにいかなかった事実が腹立たしかった。
 神の掌で弄んでいるはずが、こちらを見据えて刃を突きたてようと目論んでいる。そのように思えたのだ。
 黄色い猿め、と内心に罵る。いつも自分を阻害し、否定しようとしてくる。

 だが奴らは現状、こちらに対する対抗手段を持ち合わせてはいない。アハトノインが損傷したことには内心焦りを覚えたが、
 右手が喪失しただけに過ぎず、相手側は寧ろ船という脱出手段を失ったのだ。
 これで首輪が解除できようができまいが、絶海に包囲され、身動きできなくなったも同然。
 もはやこちら側がじっくりと料理すればいいだけの話なのだ。

 アハトノインに損傷を負わせた事実は寧ろ褒め称えてやってもいい。人間のしぶとさを多少見誤っていた。
 いいデータが取れた、とこれだけに関してはサリンジャーも満足だった。
 02は現在帰還して損傷した箇所の修理にあたっている。
 ただ一朝一夕にパーツの交換が行えるはずもなく、整備には朝までかかりそうだというのが現状だった。

 朝か、とサリンジャーは蛍光色で光を帯びた腕時計を見る。デジタル式のそれはここに来てから三日が経ったことを告げている。
 日本政府、米国はそろそろ異常に気付いたころなのだろうか。日本各地で突如として起こった拉致事件。
 そして出現した謎の島。全てを繋ぎ合わせるには到底至っていないだろうが、そう悠長にできるほど余裕があるわけでもない。
 セレモニーはこちらから派手に行う必要があるからだ。神の軍隊による世界への宣戦布告を。

「とりあえず、今日中には決着をつけたほうが良さそうですね……楽しくなくなってきましたし」

 しかしこちらの思い通りにいかないというのはどうにもサリンジャーには癪だった。
 黄色い猿風情に噛み付かれたという事実そのものが嫌悪感を催すのだ。

75第四回定時放送:2009/06/17(水) 00:09:49 ID:mI8fKiE60
 サリンジャーは決してシオニスト(差別主義者)ではない。
 あくまでも己が理論を否定し、断固として受け入れようとしない姿勢が気に入らないのだ。
 サリンジャーには自らが優秀だという自負がある。誰もが開発できなかった戦闘用ロボットを作り上げたという事実がある。
 にもかかわらず日本人は、いや世界は優秀であることを受け入れず寧ろ疎んじさえした。
 その結果がしがない会社の平プログラマーであり、ロボットは兵器であるべしという論文を真っ向から否定されたということだった。

 能力のある者が省みられないという現実。それがただ許せず、復讐の機会を目論んでいた。
 間違っているのは自分ではない、能力を疎んじた世界の方なのだと。

「時間だ。放送しろ」

 粘りつくような憎悪を含ませながら、サリンジャーはマイクの前に立っていたアハトノインに伝えた。
 怨恨によって研がれ、冷たく輝く瞳はモニターを凝視したままだった。

     *     *     *

「皆様、いかがお過ごしでしょうか。日付も変わりましたので、定時放送を行いたいと思います。
 親しい方や、大切な方を亡くされた方も大勢いらっしゃることでしょう。
 ですがくじけないでください。あなた方はここまで生きてこられたのです。
 終わりはすぐ、そこまで来ているのです。ですからどうか、光輝を目指して、諦めないでください。
 ――それでは、名前を発表致します。

76第四回定時放送:2009/06/17(水) 00:10:10 ID:mI8fKiE60
4 天沢郁未
14 緒方英二 
21 柏木初音 
24 神尾晴子 
32 霧島聖
39 向坂環 
45 小牧愛佳 
48 笹森花梨 
54 篠塚弥生 
69 遠野美凪 
70 十波由真 
78 七瀬彰 
79 七瀬留美 
85 姫百合珊瑚 
91 藤林椋 
100 美坂栞 
104 水瀬名雪 
108 宮沢有紀寧
111 柳川祐也 

 以上、19名となります。次回の放送は朝とさせていただきます。
 それでは皆様、ごきげんよう。
 そして、神のご加護があらんことを」






【場所:高天原内部】
【時間:三日目:00:00】

デイビッド・サリンジャー
【状態:朝まで待機】

→B-10

77it's all we could do Ⅲ/ Ein Sof Ohr:2009/06/22(月) 23:18:06 ID:qsNVNyN.0
 
「……ねえ、ところでさあ」
「何だ」

まるで一ミリたりとも視線を動かすまいと固く神に誓ってでもいるかのようにじっと『それ』を
見つめながら問いかける志保に、どんよりとした表情で国崎が答える。

「まさかとは思うけど……あれがパンっていうんじゃないわよね……」
「俺に聞くな……」

言いながら脂汗を拭った国崎の視線もまた、志保と同じくその物体に吸い寄せられている。
興味や好奇心を掴んで離さない、というわけでは決してない。
むしろ直視する時間に反比例して精神の許容量が音を立てて削られている気すらする。
だが、目を逸らすわけにはいかない。
本能が命じていた。
絶対に気を緩めるな、油断すれば待つのは一片の情け容赦もない無惨な未来。
ここは野生の戦場だ、敵は眼前、我らは哀れな被捕食者だ。
目を逸らさず、刺激せず、一歩づつ、否、半歩づつ距離を取れ。
音を立てるな立てれば死ぬぞ。
牙を剥き飛びかかってこられたら我らに抵抗の術はない。
背を向けるな、しかし戦うな、我らの為すべきはこの場を生き延びてあれという存在の危険性を
叩き込んだ遺伝子を子々孫々に残すことだ。

そんなはずはない、と。
理性の一部は告げている。
うららかな午後のリビングはいつから戦場になったのだ。
野生などどこに存在する。
目の前にあるのはパンだ。小麦粉を主原料とした食物の一種だ。
少なくとも制作者はそう呼称している代物だ。
目を逸らしても牙は剥かない襲い掛からない。
逃げ出す必要がどこにある。
そう告げてはいるが、その声はひどく弱々しい。
思考の国会議事堂に逃げ込んだ理性の保守本流が拡声器で告げる声は遠く掠れて聞き取りづらい。
残りの理性はといえば、中道右派から改革派まで大連立を組んでシュプレヒコールを上げている。
馬鹿にするな、我らは理性だ。
目の前の事実を認めろ現実認識を歪めるな。
パンという存在は、とりあえず食物に分類されるパンというものは、ふしゅるふしゅると音を立てたりしない。
ぶよぶよと不定形に揺れ、あるいは時折どろりと何かの汁をこぼしながらぐねぐねと皿の上を這い回らない。
青く、黒く、赤く白く桃色であったり紫色をしていたり、それらの混じり合った玉虫色の内部から
自ら淡く光を放っていたりはしない。
牙はない触手もないぎょろりぎょろりと辺りを見回す大きな濁った一つ目など存在しない。
そういう怖気の立つような様々な属性がくっ付いている代物を、我らは決してパンと呼ばない。
などと肩を組んで大合唱する過半数の理性たちは、よく見ればしかし手に手に酒瓶を持っている。
顔を赤らめアルコールに逃避しながらアナーキズムに酔う理性は、自らの存在意義を半ばから放棄している。
常識の枠外からの侵略者に対して、理性は実に無力であった。

78it's all we could do Ⅲ/ Ein Sof Ohr:2009/06/22(月) 23:18:33 ID:qsNVNyN.0
「くそ……なんで俺がこんな目に……」
「あのさ……」

そんな内心の葛藤に頭を抱えながら、国崎は『それ』をどんよりと睨んでいる。
くい、と国崎のシャツの裾を引く志保の指先もじっとりと嫌な汗で湿っていた。

「もし、もしかしたらの話よ」
「何だ」
「まだ目を覚ましてなかったら、あたしもアレを……」

ごくり、と恐怖に染まった表情で唾を飲み込む志保。

「……ちっ、その手があったか」
「殺す気!?」
「生き返らせるんだろう」
「できるかっ!」
「ぐぁっ!? 俺が言ったわけじゃ―――」
「……できますよ、きっと」

すぱん、と叩かれた頭を抑えながら言い返そうとした国崎の言葉を、穏やかな声が遮る。
振り返ればそこにはいつの間に戻ってきたのか、古河渚の姿があった。
その手には大きな紙袋を持っている。

「見たことも聞いたこともないようなもの、皆さんが頑張って探し出して、それを舞さんが持って帰ってきて。
 そうやってできたパンですから。たくさんの気持ちとか、願いとか、そういうの、きっと篭ってます。
 なら、起きてほしいなって思いませんか。魔法みたいなこと」

訥々と告げるその顔には、静かな笑みが浮かんでいる。
それは眼前の気弱で小柄な少女が、しかし確かに古河早苗の血を引いていると思わせる、穏やかな静謐である。

「……」
「……」
「わ、わたし、もしかして何か、すごく偉そうなことを言っちゃいましたか……!?」

気圧されるように言葉を失った国崎と志保を前に、少女が急に頬を紅潮させる。
慌てたように手を振って、言葉を継ぐ。

79it's all we could do Ⅲ/ Ein Sof Ohr:2009/06/22(月) 23:19:14 ID:qsNVNyN.0
「そ、それに、お母さん言ってました!」
「早苗さんが……?」

手にした紙袋が、がさがさと音を立てる。

「わたしたちは、食べるためにパンを焼くんだって! えっと……だ、だから!
 もし何も起きなくたって、そのときはわたしたちで食べちゃえばいいんです! これ!」

びし、と指さした先に、うぞうぞと蠢くこの世の怪奇。

「……」
「……」
「あ、そうでした。何をしに来たんだか、すっかり忘れてました」

文字通りの意味で絶句し、蒼白な顔で己を見つめる二人の様子には気付くこともなく、
渚がぽんと小さな手を打つ。

「これ、いつまでも出しっ放しにしておいたらダメなんだそうです。乾いちゃいます」

ひょい、と無造作に手を伸ばし、きしゃあと奇妙な威嚇音を立てるのを無視して
充血した一つ目の辺りをがしりと掴む。

「ひ……!」
「お、おい……」

持ち上げた拍子に、自動車から漏れた油のように七色に光を反射する黒い汁が垂れる。
ずるりと暴れる触手が指に巻きつくのをまるで意に介さず、渚が表情も変えずにそのおぞましい物体を
紙袋に放り込み、口を閉じた。

「……? どうかしましたか?」
「お前……いや、何でもない……」
「い、意外と根性あるわね……」

がさがさと不気味な音を立てる紙袋を手にしながら首を傾げる渚。

「お母さんの準備が終わるまで、くつろいでて下さいね」
「あ、ああ……」
「うん……」

かける言葉を見失った二人が、沈黙のままにその背を見送る。
扉の閉まる音と同時、顔を見合わせると、ほぼ同時に深い溜息をつき、
疲れきったように椅子に座り込んだ。

80it's all we could do Ⅲ/ Ein Sof Ohr:2009/06/22(月) 23:19:52 ID:qsNVNyN.0
「しかし……」
「ねえ……」
「あれが何であるかはさておくとして」

肩をすくめた国崎が、テーブルの端に置かれていたカップを手に取って呟く。

「死人が生き返るだの、んな非常識なことが―――」

つい今しがたまで悪夢の産物に支配されていたテーブルの中央には、いやらしく粘つく黒い汁が
点々と飛び散っている。
それに眉を顰めながら冷めた紅茶を啜った、その瞬間。

「ぐああぁぁぁっ!?」
「な、何よ、また!? 今度はどうしたってのよ!?」

突然奇声を上げて椅子から転げ落ちた国崎が、そのままゴロゴロと床をのた打ち回る。
取り落とされたカップが床に落ち、重い音を立てた。

「うぉぉーっ! 口が! 俺の口が!」
「く、口が!?」
「口の中が!」
「口の中が……!?」
「か、痒い! 熱い! かゆ熱ぃー!」
「……。微妙な症状ね……」

びたんびたんと水揚げされた魚のようにのたうつ国崎が酸素を求めるように突き出した舌は
しかし明らかに赤く腫れている。

「何だ、何を入れやがった!? 毒か! 毒なのかっ!?」
「ちょ、あんた、毒って……ああ、これっ!」

言われ、国崎の取り落としたカップに目をやった志保が表情を凍らせる。
中身はすっかり床の上にぶち撒けられていたが、陶器のカップ自体は小さく欠けただけで
粉々に割れることもなく転がっている。
恐る恐る拾い上げた志保がたった今、目にしたものを確かめるように中を覗き込む。

81it's all we could do Ⅲ/ Ein Sof Ohr:2009/06/22(月) 23:20:14 ID:qsNVNyN.0
「……やっぱり」
「な、何だ!? やはり、毒だったのか……!?」
「いいえ、違うわ。……自分で見てみなさいよ」

床に倒れたまま腫れ上がった舌を突き出し、息も絶え絶えといった風情の国崎の鼻先に
志保がカップを差し出した。
それを目にして、国崎が思わず呻き声を漏らす。

「……! 何……だと……」
「理解したようね……」

悲しげに首を振る志保が、手にしたカップにもう一度目をやる。
その小さく欠けた飲み口にはくっきりと、どす黒く、しかし不気味な七色に照り輝く痕が付着していた。

「アレの……汁が……」
「そう、一滴……紅茶の中に撥ねてたのよ……」
「くそ……そうとも知らず、俺は……」
「可哀相だけどあんた、もう助からないかもね……」

目を伏せた志保が、

「……ん?」

ちょいちょい、と奇妙な感触に振り返る。
視界を埋めていたのは見事な白銀の体毛である。

「あら、あんた……えーと、カワ……川なんとか」
「……川澄舞」

ぼそりと答えた白銀の主が、志保の制服の裾を摘んでいた。

82it's all we could do Ⅲ/ Ein Sof Ohr:2009/06/22(月) 23:20:44 ID:qsNVNyN.0
「そうそう、川澄。川澄さんね。で、その川澄さんが何か志保ちゃんにご用?」
「……」
「ちょ、ちょっと……?」

ずい、と志保を押し退けるようにして身を乗り出した舞が、無言のまま蒼い顔の国崎を見下ろす。

「というか、お前ずっといたのか……」
「……」
「まるで気付かなかっ……もがッ!?」

国崎の言葉を遮ったのは、物理的な障害である。
舞がその手を、否、その手に握り締めた何かを国崎の赤く腫れた口腔へと捻じ込んでいた。

「あんた、何を……!」
「……」

慌てて止めに入った志保が舞の腕を掴むが、時既に遅し。
その手にしていた何かは、国崎の力なく開かれた口の中へと放り込まれている。
ただ、ぱらぱらと白い粉のような何かが、舞の手から零れ落ちるだけだった。

「な、何だこりゃ―――ぐおおおっ!」
「……! ど、どうしたの!? まさか……更に毒を……!?」

途端、口元を押さえて突っ伏した国崎を見て志保が戦慄する。
横目で睨んだ舞の表情は変わらない。
白銀の長髪の向こうに見える瞳の涼やかさは、いまや冷徹に実験動物を見つめる
厳格な研究者のそれであるかのように志保の目に映る。

「あ、あんた……!」

言いかけたときである。

「……、」
「何!? 何が言いたいの!?」

痙攣する身体を抱き締めるように蹲った国崎が、何事かを呟いたように聞こえて、
志保が耳を寄せる。

83it's all we could do Ⅲ/ Ein Sof Ohr:2009/06/22(月) 23:21:19 ID:qsNVNyN.0
「……、し……」
「し……?」
「……し……!」
「うん、うん、それから!?」

一言一句を聞き漏らすまいと、志保が精神を研ぎ澄ませる。

「し、し……」
「……」
「……しょっぺえええっ!」
「紛らわしいわっ!」

思わず全力で引っぱたいた。

「うっさいのよあんた! もう静かに死になさいよ!」
「お前、大概ムチャクチャ言うな!」
「うわ、汚なっ」

叫び返した国崎の口から、何かが吹き出す。
舞に捻じ込まれた、それは白い粉のようなもの。

「これ……もしかして、塩?」

頬に飛んだそれを指先に取り、しげしげと眺める。
舐めてみる蛮勇はない。
しかしそれは、普段から食卓の上で見慣れた結晶……食塩のそれであるように、志保には思えた。

「ああ……だからそう言ってるだろ……」
「あんたねえ……!」
「畜生……口の中がかゆ熱しょっぺえ……ん?」

84it's all we could do Ⅲ/ Ein Sof Ohr:2009/06/22(月) 23:21:36 ID:qsNVNyN.0
もう一発いってみようか、と憤りに任せて平手を振り上げた志保の前で、
国崎が目をしばたたかせる。

「死ぬほど塩辛いが……痒くも、熱くもない……?」
「え……?」

目の端に涙が滲んだままの国崎を見れば、果たして真っ赤に膨れていたはずの唇からも
その腫れが引きつつあるように感じられる。

「どうして……」

呟いた志保の背後に、静かな気配。
向ける視線の先に、白銀の少女が立っている。
その手には澄んだ水をなみなみと湛えたグラス。
す、とグラスを国崎に差し出した舞の表情には、ある種の確信が浮かんでいた。

「あんた、あの塩……もしかして」
「……消毒」

こくりと頷く。

「そういうことは、まず口で言えっ!」

塩を吐き出し、瞬く間に水を飲み干した国崎が舞に食って掛かろうとする。
リビングに穏やかな声が届いたのは、まさにその瞬間であった。

「皆さーん、準備が終わりましたよー」

古河早苗の声が、奇跡の開幕を告げていた。


***

85it's all we could do Ⅲ/ Ein Sof Ohr:2009/06/22(月) 23:22:13 ID:qsNVNyN.0
 
「しかし、ただの一滴であの惨劇だぞ……本当に食べさせていいのか……?」
「被害者が言うと説得力が違うわね……」

遮光性のカーテンを閉め切った薄暗い診察室の中に、ぼそぼそと囁き声が響く。
白いパイプベッドを囲む影は五つ。
いまだ目を覚まさぬ春原陽平を除く、沖木島診療所に集った全ての人間が一同に会していた。
中心にいるのは古河早苗である。
その手にした紙袋からは時折がさごそと不気味な音が聞こえてくる。

「そもそも食べさせるったって……なあ」
「そうね……相手があれじゃあ、ねえ」

彼らの囲むベッドの上には、横たわる一つの躯がある。
川澄舞の持ち込んだ、その少女の名を吉岡チエという。
失血死とみられるその死に貌は暗い室内にぼんやりと浮き上がるように白い。
苦痛に歪むことのない、眠るように目を閉じた無表情がひどく、冷たかった。

「ただ寝てるのとはワケが違うぞ……」
「しっ、……始まります」

尚もこぼす国崎の言葉を遮ったのは古河渚である。
がさり、と音がした。
早苗が、口を開いた紙袋に手を入れていた。
ぽう、と淡い光が漏れる。
早苗の手に掴まれ、引きずり出された怪奇の結晶がほんのりと光を放ち、薄暗い室内を照らしていた。

「ん……?」

何かに気付いたように国崎が声を漏らす。

「この光の、色……」

先刻、陽光の下で見たそれは白く輝いているように思えた。
しかし闇の中、それの放つ光だけを見れば、そこにあるのは白の一色ではない。
限りなく澄んだ純白の海の中に、ただ一滴の異彩が混じっている。
それは、淡い淡い、空の青。

86it's all we could do Ⅲ/ Ein Sof Ohr:2009/06/22(月) 23:22:28 ID:qsNVNyN.0
「これ……」
「……」

呟いた志保と、ほんの僅か表情を険しくした舞が見つめる、その目の前で、
ぞろぞろと蠢くそれが、少しづつ、少しづつ光を強めていく。
澄み渡る白から、透き通るような青へ。
輝きを増すにつれ、その光は彩を変えていく。

「この……、感じ……?」

煌く青い光が、小さな世界を、包み込んでいく。
それは吉岡チエを照らし、古河早苗と古河渚を包み、川澄舞の白銀の毛皮を輝かせる。
国崎往人が目を覆い、そして長岡志保は一つの記憶を呼び起こす。

「あの時と……同じ……!」

神塚山の麓、小さな社の境内で。
弾けた青が、世界を割り裂き、長岡志保に、流し込む。
痛みと、混乱と、そうして届けた小さな祈りの、記憶。

「また、何か……、拡が、って……!」

ぬめりと歪んだ視界が、意識を刈り取ろうとする。
強くあろうと、その先にある願いを、祈りを、意思を届けようと、決意したはずだった。
しかし、踏ん張ろうとした足に力が、入らない。
膝が、震えていた。
心が克服したはずの恐怖を、身体が揺り起こそうとしていた。
視界は歪む。
力が抜ける。
身体が、どこにあるのか曖昧になっていく。
心が、何を支えればいいのか分からなくなっていく。
揺らぐ記憶が、次第に黒く、腐って糸を引く絵の具で塗り替えられていく。
長い、絶望的に長い悪夢だけが、そこにあったように、感じられた。
正気と狂気の狭間を遥かに飛び越えた、息もできない無間の地獄。
そんなものに、もう一度浸らねばならないのか。
癒えきらぬ疲労と苦痛への恐怖とが志保の足元を掬い、抵抗する力を奪っていく。
ぐらり、と。
ついに重力に逆らえず上体が傾ぐのを、志保はどこか、他人事のように感じていた。
倒れる、と。
支えきれない、と。
諦念が意思を塗り潰そうとした、その小さな体を、

「―――」

がしりと掴む、手があった。
思わず目をやり、歪む視界は影しか映さず、しかし、声は聞こえた。

「今度は、支えてやる」

国崎往人の、声だった。


刹那。
世界が、変わる。



******

87it's all we could do Ⅲ/ Ein Sof Ohr:2009/06/22(月) 23:22:51 ID:qsNVNyN.0
 
 
そこには何も、残らない。


それは、ただの一言、ただ一つの想いを伝えるだけの、束の間の夢物語だ。


それを奇跡と、人は呼ぶ。



***

88it's all we could do Ⅲ/ Ein Sof Ohr:2009/06/22(月) 23:23:29 ID:qsNVNyN.0
 
 
古河渚が目にしたのは、笑顔である。
光の中だった。
薄暗い診察室はどこにも見えない。
小さな瓶の沢山置かれた薬棚も、乱雑に書類や本の散らばったデスクも、
銀色の舌圧子が幾つも立てられたグラスも、光の中に溶けたように見当たらない。

ふわふわと、浮き上がるような感覚が足元から伝わってくる。
光の海にたゆたうように立つ渚は、しかしそんな情景を気にかけることもない。
ただ、目の前に突然現れた影に心を奪われ、言葉もなく立ち尽くしている。

「―――」

影が、笑う。
慣れ親しんだ笑みに、その力強さに浮かぶ涙を抑えきれぬまま、その名を呼んだ。

「お父さん……!」

古河秋生。
渚が父と呼んだその影は、言葉を返すこともなく、ただ静かに笑んでいる。
その目に浮かぶ儚い色に、古河渚は気付かない。
ただ父に、我と我が身と、そして家族とを護るその広い胸に飛び込まんと、駆け出そうとする。

「お父さん、お父さん、お父さ……!」

足元がふわふわとして走りづらい。
躓きそうになりながら歩を踏み出す渚の、今まさに駆け出そうとしたその腕が、

「え……!?」

ぐ、と引き寄せられていた。
強い、力。
思わずバランスを崩し、光の海に転びそうになる渚を、やわらかいものが受け止める。

89it's all we could do Ⅲ/ Ein Sof Ohr:2009/06/22(月) 23:23:54 ID:qsNVNyN.0
「……お母さん……?」

見上げれば、古河早苗がそこにいた。
渚を抱きしめるように腕の中に包んだ早苗が、無言のまま、首を振る。

「お母さん! お父さんが来てくれましたっ! これで皆でお家に帰れますっ!」
「……」

言葉はない。
渚を包む腕に、ほんの僅か、力が込められる。

「お母さん! ほら、お父さんですっ! お帰りなさいをしないと!」
「……」
「お母、さん……?」

間近に見上げた母の瞳は、しかしその奥に秘めた色を垣間見せることもなく、
薄暮の静謐だけを浮かべている。
じっと、光の中に立つ秋生だけを真っ直ぐに見つめながら、早苗はただそっと、
渚を抱きしめて立っている。

「―――」

母の瞳が意味するところを、古河渚は理解できずにいた。
その腕に抱きしめられたまま、ただ温もりとやわらかさだけを感じながら、
言葉を差し挟むこともできず、ぼんやりと眼前に立つ父を見つめていた。
眠りに落ちる寸前のような心地よさが、渚の全身に行き渡っていく。

「……」

次第に薄れていく光が、落ちかけた瞼の重さによるものか、それとも光そのものが
本当に小さく消えていくものなのか。
微睡みが、思考と弛緩との境界をかき消していく。

消えていく。
淡い光が、
浮き上がるような感覚が、
そうして最後に父の笑顔が、
消えていく。

最後まで、最後まで。
古河秋生は静かに、しかし力強く、笑っていた。



***

90it's all we could do Ⅲ/ Ein Sof Ohr:2009/06/22(月) 23:24:30 ID:qsNVNyN.0
 
 
光の中に、立っていた。

「 く に さ き ゆ き と ー ! 」
「うぉっ!?」

背後から響く元気のいい声に、反射的に身を躱しながら振り返る。
捻った身体のすぐ脇を、鉄砲玉のように駆け抜けていく姿は―――そこにない。
代わりに佇むのは、どこか困ったような、ばつの悪そうな苦笑いを浮かべた少女である。

「久しぶり」
「みち、る……?」

見上げてくる少女には、顔をくしゅりと歪めるような満面の笑みも、或いは稚気に満ちた怒りも、
常に浮かんでいたはずのそのどちらの表情もない。
咎めるような、それでいながらどこか甘えるような苦笑は幼い少女には不釣合いで、
しかし国崎は違和感を無視して少女に駆け寄る。

「お前、今までどこに……いやそんなことはいい、無事だったんだな!
 遠野は、遠野は一緒じゃないのか!?」
「……ここまで、残ったんだねえ」

手を体の後ろで組んだまま、くるりと少女が踵を返す。
苦笑が隠れ、黄昏色の声音だけが残った。

「みちる……?」
「どうしよっかなー。こんなやつ、たよりにならないしなー」
「おい……!」

見えない石を蹴るように足をぶらぶらさせながら、組んだ手の指をせわしなく動かしながら、
少女は国崎を無視するように何事かを呟いている。
その声が何故か、幼子が震える口元を引き結んで張り詰めた心の糸の上を歩いているように、
今にも泣き出しそうになるのを必死に堪えているように聞こえて、国崎が少女へ手を伸ばす。

「おい、みち―――」
「うんっ!」

振り向かせようと、肩に手を掛けようとした瞬間、少女が大きく頷く。
思わず、手を引いた。

「いいよ、って。きっと、ゆってもいいよって。美凪はきっと、ゆるしてくれるから。
 だから、国崎往人に、おねがいしようかな。……うん、そうしよう」
「お前、何を言って―――、」

91it's all we could do Ⅲ/ Ein Sof Ohr:2009/06/22(月) 23:25:06 ID:qsNVNyN.0
何度も何度も、誰かに言い聞かせるように頷いた少女が、くるりと身体ごと振り向く。
泣き顔の形に歪んだ目の端に浮かんだ涙を勢いよく拭って、無理やりに笑うまで、ほんの一瞬。
言葉を失った国崎に、少女がびしり、と指を突きつける。

「―――ここまで来い、国崎往人っ!」

高らかに言い放つそれは、命令のかたちをした、願いである。

「わたしのところまで! 今すぐ! 十数えるうちに来なかったら承知しないぞ!」

笑みに隠した懇願と、涙に融かした哀願と、声音に秘めた切願と。

「わかったか、へんたい誘拐魔!」

だから、国崎往人はそういうものを受け止めて、取り落とさぬよう顔を顰めて。
いつも通りの仏頂面で、難儀そうに天を仰いで、深い溜息をついて、

「……気が向いたらな」

それだけを、返す。

「うん」

ひどい面倒事を押し付けられたような、ぶっきらぼうに響く国崎の声音にも、
少女は怒ることも、落胆することもなく、ただ頷く。
無理やりに作られた仮面の笑みの中、ほんの僅か滲んだのは、少女の年相応の、
本当の笑顔だっただろうか。
くるりと再び踵を返したその表情は、もう見えない。

「……きっと、きっとだからね」
「……」

小さく手を振ったその後ろ姿が、次第に薄れて消えていく。

「じゃね。ばいばい」

その声を最後に。
少女の姿は、もう見えない。

92it's all we could do Ⅲ/ Ein Sof Ohr:2009/06/22(月) 23:25:30 ID:qsNVNyN.0
「―――」

小さく、細く、疲れたように息をついた国崎が、身を屈める。
光の中、少女の消えた場所に落ちているもの。

「……お前、もう動かないんじゃなかったのか」

それは掌に収まるほどの、みすぼらしく薄汚れた何か。
国崎往人と共に長い旅を終えたはずの、小さな相棒。

「―――」

それは、言葉を話さない。
縫い付けられた口は開かない。
汚れて黄ばんだ継ぎ接ぎだらけの布切れと、ボタンや毛糸の顔立ちと。
そういうもので、できている。

「……ああ、分かってる」

人形の指さす先には、窓がある。
光の中に浮かんだ窓は、診察室のものによく似ている。
似ているが、違った。

「あれ、か……」

窓の外には、森の緑と蒼穹と、そうしてそれらを繋ぐ、黒い糸が見えている。
診療所まで歩く最中、嫌でも目に付いたそれは島の南東端に突如現れた、異様な建造物だった。
北向きの窓から見えるはずのないそれを指さす人形は、つまりそういうことなのだろうと頷く。

「あれ登らなきゃならんのか……面倒だな。やめちまうか」
「―――」

人形は言葉を話さない。
しかし黒いボタンの瞳はじっと、国崎を見つめている。

「……」
「―――」
「……冗談だ」

何度目かも分からない深い溜息をついて、国崎が肩をすくめる。

「行ってやるさ。それがこの旅の、本当の終わりならな」

言って頷いた、その途端。
それを聞いて、まるで安心したかのように。
ぱたり、と小さな音がした。

「……」

手を、伸ばす。
拾い上げて、埃を払った。
黄ばんだ継ぎ接ぎだらけの小さな相棒は、もう動かない。
もう二度と、動くことはなかった。


「……長い間、ご苦労さん」



***

93it's all we could do Ⅲ/ Ein Sof Ohr:2009/06/22(月) 23:25:52 ID:qsNVNyN.0
 
 
どこまでも拡がる暗闇の中に、一筋の光が射している。
浮き上がるように照らし出されているのは白く簡素なベッドである。
小さな寝台の他には何もない、書き割りの空間。
そんな子供だましの舞台装置のようなベッドの傍らに、川澄舞は立っていた。
舞の覗き込む、どこからか射す光に照らされて目映いほどの白さを際立たせる寝台の上には、
一つの骸が横たわっている。

それがたとえ、二度と開かぬはずの眼をゆっくりと瞬かせ、やがてしっかりと見開いたとして、
散大しきった瞳孔のどんよりとした昏さは黄泉路にある者のそれである。
或いは血の通わぬ青黒い唇を震わせるようにして何事かを囁いたとして、
それは冥府に惑う亡者のおぞましい聲である。
蘇る、ということの醜悪さを前にして、しかし川澄舞は表情を変えない。
静かに、ただじっとその瞳を見返し、囁きを聞き届けようと耳を澄ましていた。

「……とび、ら……、」

眼前に横たわるそれは、決して生者ではない。
その手を取り、彼岸からの帰還を喜び合う道理もない。
だが、と。
川澄舞は、思考にすら届かぬ、その在り方を以て断言する。
それが、なんだ。
生者とは死んでいないものだ。
死者とは生きていないものだ。
ただ、それだけのものだ。
喪われたことを悔やむなら、抗えばいい。
生死の境とはこの世の理の根幹であり、ただそれだけのものだ。
この世すべてに抗うならば覆る、その程度の境でしかない。
それをして川澄舞を押し留めることなどかなわない。

「……せ……り、か……ひら……く……」

94it's all we could do Ⅲ/ Ein Sof Ohr:2009/06/22(月) 23:26:03 ID:qsNVNyN.0
故に眼前の生にも死にも意味はなく、吉岡チエという命が喪われたことを、川澄舞は悔やまない。
それは自信の取り戻すべき力ではなく、護るべき、奪還すべき約束の地ではなく、
ならばそこにあるのはただ、果たすべき約定の果たされた、その結果でしかない。
吉岡チエという骸を見つめる舞の瞳は、だから何も映していないかのように揺ぎ無く冷ややかで、
その思考、その在り方が既に此岸に生きるもののそれではないことを自覚しないまま、
川澄舞という異形はじっと亡者の聲を聞いている。

「……あり……が……と……」

砂埃を散らしながら乾いた荒野を吹き抜ける風のように掠れた聲が最後にそう呟き、
やがて震える口を閉じ、どろりと重い瞼を閉じて、前触れもなく光が消えても、
川澄舞はただゆっくりと一つ、瞬きをしただけだった。
その瞳が見つめる先には、真黒い闇だけが残っている。
その先にあったはずの白い寝台は、もう見えない。



***

95it's all we could do Ⅲ/ Ein Sof Ohr:2009/06/22(月) 23:26:18 ID:qsNVNyN.0
 
 
そうして、夢は醒める。


ただの一言、ただの一つ、想いを伝えて、束の間の奇跡は、その幕を下ろす。


残されたものを、人という。



******

96it's all we could do Ⅲ/ Ein Sof Ohr:2009/06/22(月) 23:26:54 ID:qsNVNyN.0
 
 
光が消え、目を開ければそこは、薄暗い診察室の中だった。
時が止まったかのような静けさが、そこにあった。
五人の囲んだ白い寝台の上には、目を閉じた吉岡チエの骸が、変わらず横たわっている。
青白い瞼を開けることもなく、起き上がることも、止まった心臓が再び鼓動を刻み出して
その全身に熱い血潮を送り込むことも、なかった。
骸は骸として、そこにある。
それは光の弾ける前と、何一つとして変わらない光景のように、見えた。
ただ古河早苗の手から落ちたらしき怪奇の産物が、居心地悪そうにもぞもぞと床の上を
這い回ろうとしているのだけが、幾ばくかの時間の経過を示しているようだった。

「今の……は……」

ぼんやりと重い頭を振って呟いた、長岡志保の言葉がきっかけであったかのように、
時計の針が動き出す。
弾かれたように振り向いたのは古河渚である。

「お母さん! 今の……!」
「夢……だったんでしょうか……」

珍しく噛みつかんばかりの勢いで迫る渚に、しかし早苗の反応は冴えない。
こめかみを押さえながら歯切れの悪い答えを返す母に渚が食ってかかる。

「そんなことないです! お父さん、いました! だけど消えちゃって……!
 あれ、どういうことでしょうっ!?」
「ごめんなさい、渚……私にも、よく分かりません……」

嘘だ、とそのやり取りを眺めていた志保は直感する。
古河親子が何を見たのかは分からない。
結局のところ、志保には声や想いや、自身を通り抜けていくそういうものが何であるのか、
どういったものであるのかを理解することはできなかった。
それは色であり、音であり、光であり、それらすべての断片だった。
砂粒ほどのピースを繋ぎ合わせて意味を見出すことなどかなわない。
乱れる鼓動も、いまだ収まらぬ荒い呼吸も、胃が引っくり返りそうな嘔吐感も、
それを解明する鍵にはならなかった。
しかしそれでも、と志保は思う。
その何かを受け取った者たちを眺めるだけで分かることも、中にはある。
伏せた視線を落ち着かない様子で細かく動かしながら言いよどむ早苗の挙動不審は一目瞭然であった。
あれ程に分かりやすい嘘はそうあるまい。
渚が見たという父の姿、それをはぐらかしているのはつまり、その男について早苗は
何かを知っているということだ。
或いは、その身に何が起こったのかを。

97it's all we could do Ⅲ/ Ein Sof Ohr:2009/06/22(月) 23:27:31 ID:qsNVNyN.0
「お母さん、あれはきっと夢なんかじゃありませんっ」
「……」

それを隠す理由は、分からない。
だが察することは、できた。
それはきっと、知ってしまえば渚自身が深く傷つく、そういうことだ。

「ねえ、ちょっとあんた……」

困り果てた様子の早苗に助け舟を出そうとした、そのときである。
きい、と。
錆びた蝶番の立てる軋んだ音が、薄暗い診察室に響いていた。

「なあ、誰かいるの……?」

続いて聞こえてきたのはどこか間の抜けた、眠たげな声。
もうすっかり耳に馴染んだ、その脱力感に満ちた声に、志保が思わず振り向く。

「……! あんた……!?」
「あれ、長岡……? 国崎さんも……」

ぼりぼりとその乱れた金髪を掻き毟り、大きなあくび交じりに自らを指さすその少年に、
駆け寄った志保が挨拶代わりに平手を入れようとして、その身に巻きつけたシーツの下で
まるで膨らみを隠せていない腹が目に入り、咄嗟に手を止める。
代わりに、その名を呼んだ。

「バカ春原……!」
「いきなりご挨拶ですねえっ!」

98it's all we could do Ⅲ/ Ein Sof Ohr:2009/06/22(月) 23:28:20 ID:qsNVNyN.0
春原陽平。
希代の神秘をその身に宿した、傷だらけの少年が、そこにいた。

「バカで済ませてやったんだから感謝しなさいバカ!」
「はあ? ムチャクチャ言うなよ、おまえっ」
「散々心配させて……!」
「……」

テンポよく続く罵声に何かを言い返そうとした春原が、言葉を止めた。
志保の表情に、紛れもない安堵の色があるのを見て取ったからだろうか。
悪態の代わりに、辺りを見回して不審そうに尋ねる。

「……なあ、それよりここ、どこ? あの人たちは……?
 っていうか、僕ぁ一体……」
「ああ、えーっと、話せば長くなるような、そうでもないような感じなんだけど―――」
「何だ、目を覚ましたのか春原。なら、丁度いいな」
「そうだ、あんたからもこのバカに説明を……、って何で荷造りしてんのよあんた!?」

振り返った志保が思わず声のトーンを上げる。
その視線の先では、屈み込んだ国崎が自らのデイパックをごそごそと弄りながら
必要なものとそうでないものを選別し、中身を入れ替えようとしていた。

「何って、外に出るからに決まっているだろう」
「そういうことを聞いてるんじゃないっ!」
「痛ッ!? いきなり蹴りを入れるな!」

荷を詰め終わったのか、デイパックの口をしっかりと閉めた国崎が立ち上がり、
蹴られた背中をぱたぱたとはたいてから荷物を背負う。

「ったく……。すぐに戻る、そう心配するな」
「心配なんかしてないわよ! 説明しなさいって言ってるの!」

答えず、国崎が顔を向けたのは古河早苗である。

「なあ、あんた……」
「はい、何でしょう?」
「志保ちゃんを無視するなぁーっ!」

志保の大声に片耳を塞いで、国崎が軽く早苗に頭を下げる。

99it's all we could do Ⅲ/ Ein Sof Ohr:2009/06/22(月) 23:28:55 ID:qsNVNyN.0
「悪いが、俺が戻るまでこいつらを頼めるか」
「ええ、それは構いませんが……」
「ちょっと、あんたねえ……!」
「ぼ、僕も状況についていけてないんですけどっ!?」
「やかましいっ!」
「ひぃぃっ!?」
「あ、あの皆さん、落ち着いてくださいっ……」
「……」

背後の喧騒を完全に無視して戸口へと歩き出した国崎に、早苗が声をかける。

「そういえば、どちらへ?」

振り返らずドアノブに手を掛けた国崎が、肩で扉を押し開けた。
開いた扉の隙間から差し込む光は逆光になり、国崎のシルエットだけを映している。
影になった国崎が、片手を挙げて答えた。

「ちょっとそこまで、迷子のガキを迎えにな」

きい、と閉まる扉の向こうにその姿が消えるまで、ほんの数秒もかからない。
止める声も、なかった。

「いってらっしゃい。……あら」

ふとした気配に横を見れば、そこには輝く銀の毛皮。
いつからだろうか、川澄舞が立っていた。
片手には部屋の隅に転がしていたはずの抜き身の一刀を提げている。

「舞さんも、お出かけですか?」

こくりと頷いた拍子に、白銀の長髪がさらさらと流れた。

「これ……」

ぼそりと呟いて掲げた手に、もぞもぞと蠢くもの。
朽ちた自動車から垂れ落ちる廃棄油のような、不気味に照り輝く玉虫色の何か。
至宝の結晶、怪奇の根源をむんずと握り締め、舞が尋ねる。

「もらっても、いい?」
「ええ、構いませんよ」

即答に、思わず外野が反応を返す。

「いいの早苗さんそんな簡単に!?」
「ええ、元々は舞さんが材料を揃えてきたものですし……」
「うわ何あれ怖っ!?」
「あんたはちょっと黙ってなさい」

それらの声を聞いているのかいないのか、ぼたぼたと垂れるおぞましい汁で
美しい毛皮に覆われた足をべったりと汚しながら、舞が僅かに表情を変える。

「……ありがとう」

ほんの幽か。
春の風に滲む花の香りのような微笑に、早苗が満面の笑みを返して、頷いた。

100it's all we could do Ⅲ/ Ein Sof Ohr:2009/06/22(月) 23:30:13 ID:qsNVNyN.0
 
  
【時間:2日目 午後2時すぎ】
【場所:I-7 沖木島診療所】

古河早苗
【所持品:日本酒(一升瓶)、ハリセン】
【状態:健康】

古河渚
【所持品:だんご大家族(100人)】
【状態:健康】

長岡志保
 【所持品:なし】
 【状態:健康】

春原陽平
 【所持品:不明】
 【状態:妊娠】


国崎往人
 【所持品:人形、ラーメンセット(レトルト)】
 【状態:法力喪失】

川澄舞
 【所持品:村雨】
 【状態:健康、白髪、ムティカパ、エルクゥ】

→1076 ルートD-5

101名無しさん:2009/07/01(水) 14:41:40 ID:YqzPWL2M0
『Lasciate ogne speranza, voi ch'intrate' /或いは永遠に羽ばたかぬ蛹の美しさを』


 
降りていく。
暗い、暗い地の底へ、どこまでも降りていく。

射していた光も、もう届かない。



***

102名無しさん:2009/07/01(水) 14:42:03 ID:YqzPWL2M0
 
 
冥府までも続くような深い闇の中を、来栖川綾香は下っている。
それは地割れでできた断崖であったはずだった。
しかし今、綾香の踏み締めるは剥き出しの岩くれではない。
切り出され、敷き詰められた明らかに人工の石材である。
断崖を下れば下るほどに足場が良くなっていくという怪奇が、綾香の行く手にあった。
怪奇の萌芽は下るのに都合良く突き出した石であり、窪みである。
いつしかそれらは積み重なって断崖に刻まれた険しい道へと姿を変え、
道はやがてなだらかな段差を形作り、足元からは泥や岩が消えていき、
ついに現れたのはぐるぐると果てしなく延びる、石造りの螺旋階段である。

ぺたり、ぺたり、かつり。
裸足の足音が、塵一つない階段を一歩づつ下っていく。
時折響く硬い音は、綾香の鍛えられた足裏にできた胼胝が床を叩いて鳴るものである。
ぐるぐると、どこまでも螺旋が続く。
あり得ぬことであった。
地割れによって生じた断崖の奥に、このような階段など存在する筈もない。
如何なる手管、如何なる外連の為せる業か。
闇の中に生じた怪奇は既にうつし世を離れ、常世じみた魔境へと往く者を誘うかのようでもあった。
灯り一つない闇の中、血の色の瞳を爛々と、鬼火のように揺らめかせながら、しかし綾香は足を止めない。
歩を止めず、ぐるりぐるりと螺旋を下りながら、来栖川綾香は哂っていた。
何となれば、下る先から漂う微かな風である。
ねっとりと粘つくように吹くそれは、紛れもない悪意と憎悪とを存分に孕んで生温い。
出来すぎた舞台装置を用意した何者かの、この先に待つという証であった。
従者を迎えるその足が、討ち果たすべき何者かへの歩みともなる。
それをして己が道、己が生であると、来栖川綾香は哂っている。

ぐるぐると、ぐるぐると。
螺旋の階段は闇の中、どこまでも続いている。



***

103名無しさん:2009/07/01(水) 14:42:18 ID:YqzPWL2M0
 
 
広い、広い空間である。
射していた光が消え、周囲が闇に包まれるや否やのことだった。
柏木楓が数歩を踏み出せば、目の前にはいつの間にか広大な空間が拡がっていた。

「……」

それは、地下に生じた巨大な空洞のようだった。
振り返れば岩盤を剥き出した壁面は左右遥かに続いて僅かな弧を描き、対面の果ては微かに紛れてよく見えない。
列を成した星のように見えるのは、壁面に等間隔に設えられた蜀台に揺らめく灯火であろうか。
見上げれば天井もまたどこまでも高く、まるで巨大な鳥篭に迷い込んだような錯覚を覚えさせられる。
奇妙、不可解を通り越したその空間の異質に、柏木楓が小さな溜息をつく。
それほどに下った覚えはなく、それほどに歩んだ記憶もない。
このように巨大な空間が神塚山頂の直下、せいぜい数十メートルに存在できよう筈がなかった。

「……」

声を上げるのも、その名を呼ぶのも嫌だった。
だから代わりに、柏木楓はその白い手指を振り上げる。
刹那、細くしなやかな指が、変成していく。
白から黒へ。
たおやかな手指が、禍々しい骨と罅割れた皮膚とで構成された無骨なそれへ。
鬼と呼ばれる、黒い腕。
そして、鮮血を垂らしてかき混ぜた月のような、赤い、赤い爪。
長く、美しく、そしておぞましい刃が、灯火揺らめく薄闇を切り裂くように、弧を描いた。
果たして、

「―――お帰りなさい、楓」

じわり、と。
闇の向こうから滲み出すように姿を現したのは、一人の女。
柏木楓の奉ずる嫌悪を、捏ねて固めて練り上げたような、その女の名を、柏木千鶴という。

104名無しさん:2009/07/01(水) 14:42:37 ID:YqzPWL2M0
「……」

予想はしていた。
覚悟もしていたはずだった。
だが、それでも。
ざわざわと、灰色をした足の多い虫が這い回るような悪寒が、楓の臓腑を掻き乱す。
虫は胃の腑を食い荒らし、ぽろぽろと零れ落ちながら背筋を駆け上って脊髄をかりかりと擦る。
頬の隅にできた吹き出物のような、潰して抉って綺麗な水で肉ごと洗い流したくなるような、
圧倒的な嘔吐感が、楓の三半規管を締め上げる。
今すぐに反吐を吐き散らして、熱いシャワーを浴びて白くてゆったりした服に着替えられたら、
どんなにか素敵だろう。
そんな益体もない空想に縋って、柏木楓はそれが視界に映るという不快に耐えている。

「どうしたの、楓。こっちにいらっしゃい」

紅を塗った唇が、弓形に歪んでいる。
それは、笑顔のつもりなのだろうか。
男に売る媚ばかりを仕舞った倉庫には、きっとそれ以外のものはただの一欠けらも入っていないのだ。
濡れたような唇の隙間からは、くらくらするような極彩色の毒気が漏れ出している。

「もう何も心配は要らないわ。私がずっと守ってあげる」

夜の色の髪がさらさらと、閨の衣擦れのような音を立てて癇に障る。
同じ色をしたこの髪を、この瞳を、毎夜鏡を見るたびに引き裂いてやりたくなる衝動に駆られていた。
どうして、と楓は叫ぶような切実さをもって思う。
どうして私は私でいたいだけなのに、それだけであんなものと似てしまうのだろう。
違うと泣いても。
そんなことないと、首を振っても。
どれだけ否定したって、よく似てきたね、と。
おぞましい呪いの言葉は、私に付きまとう。
その度に、私は私を切り裂いて。
流れる血に、嫌なものが脂のように浮いて流れていってしまうように祈って。
そうして何も、変わらない。

105名無しさん:2009/07/01(水) 14:43:20 ID:YqzPWL2M0
「もうすぐ終わる世界を、二人で越えましょう」

身体に混ざる、どろどろとした、舐めると甘い汁のようなものが、厭わしかった。
そういうものが、澄みきっていたはずの身体を濁らせていくと、柏木楓は信じていた。
日ごと夜ごとに作り変えられていく身体が、疎ましかった。
太く。醜く。弱く。
そういうものになっていくのが、堪えられなかった。

「神様の死んだ、この場所で」

吐いても、吐いても。
切っても、切っても。
自分が、女になっていく。
汚いものに、なっていく。
じくじくと腐って、柏木楓が死んでいく。
喉も嗄れよと叫んでも。
時計の針は止まらない。

「私たちは、家族なのだから」

つう、とこの頬を伝う涙はきっと、身体を満たした嫌な気持ちと汚い汁と、
そういうものに押し出されてきた、私の欠片だ。
口の端に溜まる雫を嘗め取って、舌先に広がる微かな塩辛さに、柏木楓は息を吐く。
一息ごとに朽ちていく、柏木楓であるはずのものが、なくなってしまう前に。
嫌な気持ちの全部と、じゅくじゅくと泡立つ、汚らしいファンデーションの臭いのする汁の全部を、
その大元を、消してしまわなければ。
それが、それだけが、時計の針を止める、たった一つの方法。

106名無しさん:2009/07/01(水) 14:43:47 ID:YqzPWL2M0
「これからも、ずっと」

言葉の端々に混じる吐息が、ひどく不快で。
隙のない口紅から揮発する臭いが、色のない糸を引くようで。
息が、詰まる。
胸を掻き毟りたくなるような猫撫で声が、視界にばらばらと細かい灰のようなノイズを振り撒いていく。
それはどこまでも無為で、限りなく無駄で、果てしなく無益だった時間のリフレイン。
どこもかしこも薄く黄ばんだあの古ぼけた家の、化粧の臭いが充満していたリビングの、
端から何もかもを引っ繰り返して滅茶苦茶にしてやりたくなる衝動と必死に戦っていた時間の、
それは悪質な再現だった。
だから柏木楓は、害と断ずるその声に、

「―――煩い」

と、それだけを、返す。
死ねとは、言わなかった。
消えろとも、言わなかった。
あれは、あってはならないものだ。
あれは、あれば害を為すものだ。
怖気の立つような声と、気持ちの悪い仕草と、吐き気のするような服と化粧と香水と、
そういうもので、たいせつなものを汚してしまう害悪だ。
だからそれは死ぬべきで、消えるべきで、柏木楓が命じる必要などなくただ世の理に従って
あるべき姿に還ればいい。
あんなものがなければ、柏木楓の世界は今よりずっと美しくなる。
今よりずっと綺麗な空気と、今よりずっとたいせつなものだけが光り輝く、そういう場所になる。
あってはならないものがあるという、そのことだけが間違いなのだ。
だから、言葉など必要ない。
ただ爪を、血の色の爪を長く伸ばして、その刃を向ければ、それでいい。

107名無しさん:2009/07/01(水) 14:44:02 ID:YqzPWL2M0
「……楓」

嫌な臭いを吸わないように、息を止めて切り刻もう。
着いた血を、いい香りのするボディソープで洗い流そう。
さらさらとした肌触りの白いワンピースを着て、あの縁側で風を感じよう。
夏が終わるまで、次の夏がやってくるまで。

「駄目よ……やめなさい」

綺麗なものだけを、素敵なものだけを部屋に並べよう。
リビングの家具も、ぜんぶ取り替えよう。
静かで、清潔で、やさしい家にしよう。
ずっとずっと、穏やかな空気だけが流れるような。
そんな家に、しよう。

「……殺せないわ、楓。私には、最後の家族を殺したりできない」

深紅の爪が、刃となって。
嫌悪という毒を、塗り込んで。
ちかちかするように瞬く視界の中で。
ただの一歩、踏み込む。
跳躍にも似た、加速。

「―――!」

柏木楓が、世界をあるべき姿に戻す刃を。
一直線に、振るう。


***

108名無しさん:2009/07/01(水) 14:44:25 ID:YqzPWL2M0
 
ぼとり、と。
水の詰まった袋が地に落ちるような、重い音がした。
だらり、だらりと。
零れ落ちる何かが薄闇の中、ねっとりと黒い水溜りを拡げていく。

「―――」

ゆらりゆらりと灯火の揺らめきが光と影との端境を曖昧にぼやかして、
ざらざらとまとわりつくように暗がりが染み渡る。
ゆらり、
ゆらり、だらり、
だらり、ぐらり、ぐらり。
光と影とが入れ替わり、つられて上と下とが曖昧にでもなってしまったかのように。
世界が、歪む。

頬に感じる感触は、いったい何だろう。
ひんやりと冷たくて、ごつごつと硬くて、岩のようだ。
これではまるで、気付かない内に倒れ伏して、地面に横たわっているみたいじゃないか。
分からない。
どうしてこうなったのか、分からない。
何が起きているのか、まるで理解できない。
振るった刃が風を裂き、ぼとりと落ちたものがあった。
それは勝利を、世界があるべき姿を取り戻したという、そのことを意味していたはずだ。

ならばどうして、倒れている。
ならばどうして、起き上がれない。
ならば、だらりだらりと黒い水溜りを広げていく、あれは一体、何だというのだ。

109名無しさん:2009/07/01(水) 14:44:45 ID:YqzPWL2M0
―――ああ、ああ。

ようやく、分かった。
目を凝らしてみて、やっと理解が追いついた。
倒れている。横たわっている。起き上がれずにいる。
その全部が、繋がった。
成る程、それなら仕方がない。
だって、ぼとりと落ちて、だらりだらりと黒を撒き散らすそれは。

―――柏木楓の、右腕だ。

刹那、悲鳴が迸る。
痛みはない。
ただ、生命という単位の危急に際して打ち鳴らされる警告が、少女の全身を激しく殴打していた。
狩猟者の遺伝子が生存を最優先に緊急活動を開始する。
切断面の筋肉が収縮し血管を結紮し再生を加速する。
それは生命の設計図に刻まれた本能であり、本人の意思が介在する余地はない。
脳の演算機能のすべてが応急と再生とに費やされ、精神を保護するためのフィルタが取り払われる。
最初に感じたのは熱である。
貫かれ、修復の途上にあった左眼の奥。
眼窩の底で繋がりかけていた神経の修復が中断され寸断され轢断され、それに対する猛烈な抗議が脳髄へと、
あらゆる緩衝を受けずダイレクトに伝えられていた。
熱い、と感じたのは一瞬。
寸秒を経て、それは衝撃へと変容する。
抉り出された眼球の裏を丹念に炎で炙られるような、地獄の責め苦。
衝撃は、止まらぬ。
燎原の火の如く、それは拡がっていく。
鬼と呼ばれる血に潜む驚異的な再生機能。
その恩恵に与っていた全身の傷、そのすべてが眼窩と同様の、或いはそれ以上の衝撃を以て、
少女という個体を責め苛んでいた。
脚が、胸が、腹が首が肩が腿が指が骨が肉が、歪み、軋み、引き裂かれ捻じ切られ、
また無造作に貼りつけられて捏ね回される。
脳髄という城砦は今やその将兵のすべてが右腕の戦場に出払い、防衛力として機能していない。
ぎ、と獣じみた悲鳴を上げた拍子に噛んだ舌先が千切れ、需要過多の血液を無益に消費する。
びくりびくりと痙攣する全身は残る左腕を抑えきれず、変生した黒腕と紅爪が岩盤を抉って辺りに散らした。
生きようとする本能が、柏木楓を挽き潰していく。


***

110名無しさん:2009/07/01(水) 14:45:01 ID:YqzPWL2M0
 
「―――殺せないわ、楓。私には、殺せない」

響く声など、少女に届く由もない。
それでも、のたうつ少女を見下ろして、その白くたおやかな指の先からぽたりぽたりと真っ赤な雫を
垂れ落としながら、女は言葉を続ける。

「あなたは大切な家族ですもの」

血溜まりの中、呼吸と悲鳴との入り混じった声を漏らす実妹を見下ろす、その瞳に宿る光はひどく冷たい。
夜空に青白く輝く星の、数万度の冷厳を湛えて、柏木千鶴が薄く笑む。

「私には、殺せない」

紡がれた声音の意味を理解する余裕は、少女にない。
殺せないと呟いた、息の根は止めぬ、ただそれだけと見下ろした、慈愛と酷薄とが矛盾なく混じり合う
その笑みを、地獄の責め苦に苛まれる柏木楓は見ていない。
見えぬことを、聞こえぬことを知りながら紡がれた千鶴の、その言葉と笑みとは、故にその実、
少女に向けられたものではない。
聞く者は、他にいた。

「―――」

ゆっくりと振り向いたその先に、降り立つ一つの影がある。
薄暗がりに裸身を晒す、それは女の影だった。

「……結構な姉妹愛だな、化け物」

呆れたように肩をすくめる影を真っ直ぐに見据え、深く笑んだ柏木千鶴の双眸は、
足元に流れ出す妹の血を呑んだように紅く、どこまでも昏い。

111名無しさん:2009/07/01(水) 14:45:25 ID:YqzPWL2M0
 
 
【時間:2日目 ***】
【場所:***】

柏木楓
 【状態:エルクゥ、重体(右腕喪失、全身打撲、複雑骨折多数、出血多量、左目失明)】

柏木千鶴
 【状態:エルクゥ】

来栖川綾香
 【状態:仙命樹、ラーニング(エルクゥ、魔弾の射手)】

→973 1071 ルートD-5

112Beyond the Bounds:2009/07/02(木) 02:20:42 ID:baxXJd5E0
 リサ=ヴィクセンの目の前では一人の男が横たわっている。
 手首を失くし、体中を打ち抜かれ、眼鏡はその衝撃で壊れている。
 先ほどの戦闘の煽りもあったのだろう、スーツは爆風の余波を受け、見るも無残に汚れていた。

 けれども、それはみじめなようには思えなかった。
 ほっとしたように全身の力を抜き、安心しきった表情で瞳を閉じている緒方英二の姿を見れば、そうとしか思えなかった。
 愚直に過ぎた。大人でありすぎたのだ。
 年長であるがゆえに責務を果たそうと欲し、私情を置き去りにして彼岸の向こうへ旅立ってしまった。

 それでも、生きていて欲しかったのに。
 切なる願いが胸の底から押し上げ、涙の形になって流れ落ちる。
 ひどく情けないと思ったが誰も見てはいないし、見られたところで雨が誤魔化してくれる。

 ――だが。

 このままでいいのか。自分もまた大人としての責務に縛られ、気持ちを押し殺したままにしておくのか。
 辛いことや苦しいこと。それを我慢したままで、溜め込んでしまっていいのだろうか。
 英二は考える暇も悩む暇もなく、やれることをやって死ぬしかなかった。
 結局気付いたのは最後の最後でしかなく……

「夢が、あったのよ」

 涙を拭った。雨に紛れさせ、誤魔化すことなく、体から溢れる温かさの欠片を受け止めた。
 みっともなかった。代わりに自分はまだ人間なのだとも思った。

「栞と、英二と、私で一緒に過ごしてみるって、そんな夢物語」

 夢物語と言ったのは、叶うはずがないと考えていたからではなかった。
 ずっと一緒にいられるわけはない。リサは仕事柄そういうわけにはいかないし、英二と栞にはそれぞれ親だっている。
 精々数日かそこら。それでもいい、互いに笑い合って共有する時間を過ごしたかったのだ。
 今まではそんな想像をすることさえ怖く、自分にそれだけの価値があるのかとも疑問に感じていた。

113Beyond the Bounds:2009/07/02(木) 02:21:03 ID:baxXJd5E0
 しかし実はそうではなく、奥底からこうなって欲しいと願っていた。
 本当はずっと寂しく、ずっと孤独に震え、ずっと希望を見出そうともしなかった。
 手に入れられるとは思わず、ただ失っていくだけなのだと思い込んでいた。

 そうじゃない。考えて、考えて、考え抜いて、時には躊躇って、でも最後には勇気を出して行動が出来るのならば。
 きっと、手に入れることが出来たはずなのに。
 私はまた青い鳥を逃がしてしまったのだ。

「……家族がいなくて、ひとりなのが耐えられなかった。
 でも大人になってしまって、意地ばかりが凝り固まって、言いたいことも言えなくなった。
 そんな丈夫な人間でもないくせに、ね」

 ひとりは寂しい。そんな当たり前のことさえ口に出せなくなった大人。
 悲しみに暮れているのは敗北だと断じ、復讐に縋って目を逸らすことしか出来ず、どうしようもなく無力になってしまった大人。
 それが自分だ。
 もっとやりたいことがあった。もっと普通の、当たり前の生活がしたかった。
 もし、もっと昔に気付いていれば……

「マリアって言うの。……私の、本当の名前」

 愛称はマーシャよ、と微笑しながら付け加える。殆ど誰にも明かさなかった名前を口にしてみたが、思ったほどの開放感はなかった。
 それほどの意味を持ち得ないということなのだろう。当然のことを、当然のように行っただけだ。

 特別でも何でもない。やはり恐れていただけだった。交わりを作り、関係を持つのが怖かった。
 臆病に過ぎただけで、名前をひた隠しにしていたことにどんな理由もない。
 或いはそれが分かっただけでも上等なのかもしれなかった。

「Спасибо」

114Beyond the Bounds:2009/07/02(木) 02:21:22 ID:baxXJd5E0
 ありがとう。そしておやすみなさい。それらの意味を含んだ母国の言葉を最後に、マーシャはリサに戻った。
 やはり自分は大人でしかいられない。少女の心に戻るにはいささか物事を知りすぎた。

 しかし、だからと言って捨て鉢になり生きることそのものを諦めたつもりはない。
 大人だからこそ守っていけるものがある。伝えるべきものがある。
 それがリサが見出した生きる価値で、生きていく意味だった。

 涙と共に己の弱さ一切を洗い流したリサの目は疲れきった女の目ではなく、鋭さを取り戻した猛獣の目だった。
 雌狐は誰よりも誇り高く、獰猛さを兼ね備えていた。

     *     *     *

 今にして思えば、なんとまあ恥ずかしいことを言ってしまったのだろうと、藤田浩之は思っていた。
 感情が昂ぶると直情怪行になるきらいでもあるのだろうか。

 好き好き大好きおまけにキス。しかもこのやりとりは二度目だ。
 おまけに今度は野外である。リサが戻ってきていたら……どうなっていたのであろうか。
 やんわりと微笑を浮かべ、あらあらうふふとでも言うか、それともふっと溜息のひとつでも零されるか。
 何にせよ見つからなくて良かったと思う。無論自分のやったこと自体は間違っていないと言える自信はある。
 それでも、まあ、TPOを弁えなければならないことというものはあるもので……

 ぐだぐだ考え込んでしまっている自分の姿を眺め、浩之はやめようと思った。
 堂々としていればいい。見つからなかったのでした、めでたしめでたしでいいではないか。

 それでいいんだと半ば強引に納得させ、浩之はぴったりと寄り添っている姫百合瑠璃の表情を窺う。
 同じことを考えていたのか唇を堅く結んでいたが、紅潮した頬は抑えきれない嬉しさのようなものがあった。
 ひょっとしたら自分もそうなのかもしれない。これが恋人というものか。
 やはり皆には見せられないと浩之は内心に固く誓うのであった。

「ん……?」

115Beyond the Bounds:2009/07/02(木) 02:21:40 ID:baxXJd5E0
 視線に気付いたのか、瑠璃が上目遣いにこちらを見る。
 生きたいという気持ちと一緒にいたいという気持ちが瞳を通して伝えられる。
 己の中を占めていたはずの空虚がふっと消え、「おれ」が一瞬、「俺」に戻った気がした。

 命なんてどうでもいいと思っている部分。心の片隅に潜み、何をやっても無駄だと囁いてきた暗黒が霧散し、
 曇りきりの空を晴らしてくれるような、そんな感触があった。
 みさきを始めとして知人を失うたびに感じてきた未知の物質。
 それを抱えて暮らしていくしかないものだと思っていたものが、実はその気になれさえすればどうとでもなるのではないか。

 死者が急き立てたことによって生み出された思考ではなく、自分自身が考えて生み出した思考に浩之は驚きを覚えた。
 もしかすると、こうして自分で考えることこそ彼ら、或いは彼女らが望んでいたことではなかったか。
 しがらみに囚われず、やりたいことをやればいい。
 頑張ってという言葉は責任を取れという意味ではなく、望むように生きてみろという意味ではないのか。

 浮かんだ思考が弾け、浩之はガツンと頭を殴られたような気分になった。
 そういうことなのか? 思いながらも、まだ確信は持てなかった。

 しかし新しく生まれたその考えは、頑張れという言葉に合致するように思えたのだ。
 自分たちは孤独だ。孤独であるからこそ寄り集まろうとし、時として依存や執着しようともする。
 だがそんなものは甘えでしかなく、助け合うということにはならない。互いを食いつぶしていくことにしかならない。
 だから手を取り合いつつも守るべき自分は自分で何とかする。

 自分を守れるようになって、ほんの少しだけできた余裕で誰かに手を伸ばす。
 それが協力、協調という言葉の意味ではないのか。みさきたちは既にして分かっていたのではないのか。
 ただ、その結果があまりに大きすぎたというだけで……

 馬鹿だ。自分にも、死んでいった彼らにも対して浩之は言った。
 何故今まで気付かなかった。何故黙っていたままなんだ。今さら気付くなんてあんまりじゃないか。
 ぶつけようのない思い、感極まった思いが喉元に込み上げ、浩之はいてもたってもいられないような気持ちになった。

116Beyond the Bounds:2009/07/02(木) 02:22:00 ID:baxXJd5E0
「……いつまでも、じっとしていられない」

 二人だけの環に納まったままではいけない。やり場のない感情は行動にして発散させるしかなかった。
 ちくしょう、こんなのってないだろう。
 悔しさ、感謝、或いは喜び、或いは憤懣。ありとあらゆる感情がない交ぜになり、無性に行動を起こしたくなったのだ。
 不思議と悲しくはなかった。こんなところで燻っていてはいけないという使命感のようなものだけが突き上げてきた。
 それは瑠璃も一緒でなくてはならなかった。

「行こう。確か表には車があったはずだ。使えるかどうか調べるんだ」
「浩之……?」
「とにかく行動しないと、何も始まらない。……生きるって、そういうことじゃないかって思うんだ」

 既に十分、自分たちは守れている。ならば手を伸ばさなければならない。
 二人だけ孤独でいるわけにはいかないのだ。
 瑠璃も表情を真剣なものに変えて、浩之の言葉を受け取った。
 浩之が行くからというわけではなく、生きるという言葉の意味をもう一度噛み砕いて自分なりに理解したようだった。

「うん。でも二人で行く必要はないと思う。少し、周りに何かないか探してみる。……宮沢有紀寧の動向も気になるところやし」
「大丈夫か?」

 瑠璃は頷いた。「もう、大丈夫」という言葉がやけに頼もしく思えた。
 そうか、と微笑を返して、浩之はデイパックを持ち先行していく。
 瑠璃もその後に続く気配があった。
 玄関をくぐった先では、雨が止んでいた。

     *     *     *

117Beyond the Bounds:2009/07/02(木) 02:22:23 ID:baxXJd5E0
 ああは言ってはみたものの、喪失の痛みは依然として与え続けられている。
 体からぽっかりと抜け落ちた感触。記憶の中にしか声を思い出せない不確かさが余計に空しさを駆り立てる。

 忘れるわけにもいかず、後を追うこともできず、苦しみだけを抱えてのた打ち回っていることしか出来ないのだと思っていた。
 それを慰めるために無意識のうちに浩之を利用しようとしていた現実。
 どうしようもないやるせなさと忌々しさが瑠璃の中に渦巻いていた。

 甘えきっている。珊瑚に縋り、イルファに縋り、今もこうして浩之に縋ろうとしていた。
 何かにしがみついていなければ自らの存在意義さえ見出せない愚かな女。
 だからいてはいけない、と思うのではなく、だから変わらなければならないと思った。

 変わりたいと願っていたにも関わらず、時間も猶予もなく、
 やるだけのことをやって死ぬしかなかった珊瑚の姿が痛烈な衝撃となって思い起こされる。
 二人は変わらなければならなかったのだ。姉妹という間柄の中だけを取り巻く環を壊し、手を伸ばさなければならなかった。
 怖いから閉じこもっているのではなく、怖いからこそ覚悟を持って踏み出していかなければならない。

 無論脅威と遭遇することはあるだろう。手を下さなければならないときだってあるかもしれない。
 だが二人だけの環では二人以外をどうすることも出来はしない。
 根拠のない平和を信じ、嫌なものを見ないようにして誤魔化すことに何の意味があるというのか。

 躊躇ってもいい、逆に自分たちが失われてしまうと恐れてもいい。
 だからこそ脅威と対峙する意味を理解し、本当に守るべきものを見据えていくことが出来るのではないか。
 珊瑚はそれが出来なくなってしまった。向坂環を見殺しにした自分たちに、ツケを支払ってまでゼロに引き戻してくれた。

 最期に薄く笑ったのはそういうことではなかったか。
 思い出した。珊瑚はあのとき口を開いていたのだ。

『やり直しやね』

 あの時は理解できず、恐怖と絶望に呑まれて底に沈んでいた言葉の意味が今さらながらに浮かび上がり、瑠璃は強烈な悔悟を覚えた。

118Beyond the Bounds:2009/07/02(木) 02:22:39 ID:baxXJd5E0
 なぜ、忘れていた。

 すぐに思い出しさえしていれば浩之に依存することはなかった。
 珊瑚があれだけしてくれたにも関わらず、自分はもう一度ツケを抱えてしまったのだ。
 それが姫百合瑠璃の愚かさというのなら、そうなのだろう。
 あまりにも不甲斐なさ過ぎる。あまりにもみじめだ。

 だがこういう考え方もある。自分が支払い損ねたツケを返す機会が巡ってきたとも考えることができる。
 たとえどれだけの時間がかかろうとも、今度は自分の力でそれが行える。
 珊瑚に甘えず、イルファに甘えず、一人の人間として借りを返すことができる。

 今度は恐れない。
 手を自分から伸ばすのだ。
 それがやり直しという言葉の中身なのだから。

 湧き上がる思いを体に染み込ませ、瑠璃は上がった雨の中を歩き続けた。
 宮沢有紀寧は完全に逃げてしまったのか。
 リサの知人を死に追いやり、一人で生き残ることを企んでいる人間。
 絶対に許してはならない人間がいまも同じ場所にいる。

 家を出る直前浩之が貸してくれたクルツを握り締める。
 命の重みを吸った銃。この重さに負けるまいと思いながら歩を進めていくと、道端の木の陰に誰かが転がっているのが見えた。
 奇しくもその人物の服装は、探し求めている宮沢有紀寧のものと同一のものだった。
 死んでいるのか……? いてもたってもいられず、瑠璃は一直線にそこへと走り寄っていった。

「ちょ、ちょっと、大丈夫なん……?」

 近づいてみて、更にぎょっとする。
 木にもたれかかるようにして倒れていた女は左目が完全に潰れていて、
 見るだけで吐き気を催しそうなくらいにひどい有様だった。

119Beyond the Bounds:2009/07/02(木) 02:22:58 ID:baxXJd5E0
 それだけではない、服は汚れきっていて、破けた部分には血が滲んでおり、
 元は綺麗で傷ひとつなかったのだろう足も裂傷が多く見られた。
 長く整えられた髪、端正な唇、清潔な爪などから見るに元来は美人でもおかしくない容姿であっただろうに、
 今の彼女は一見して死んでいるように見えた。それくらいひどい傷だった。

 女の周囲には持ち物だったのだろう、様々な荷物が点在していた。
 一人では到底ここまで持ってこられなさそうな量であるうえ、この有様だ。
 力尽きてしまったのかもしれない。一体誰がこんなひどいことを、と思ったとき、呻き声が上がった。

「うう……」
「生きてる! あんた、しっかりしてや!」

 苦悶の声を上げ、身じろぎする彼女は相当弱っていると瑠璃に認識させるには十分だった。
 誰かを呼んでこなければならない。リサと浩之の姿を浮かべた瑠璃は呼んでこようと立ち上がりかけた。

「瑠璃……? こんなところで何を?」

 噂をすればなんとやら。戻ってきていたのだろう、リサの声が後ろからかかった。
 偶然に感謝しつつ、瑠璃は現在の状況を話した。

「……それは良くないわね。一旦この子をどこかに運ばないと。ここじゃ何も出来ない」
「荷物はどうするんです?」
「置いてくしかないでしょう? 後で回収すればいいし、命が優先よ」

 瑠璃は頷いた。その通りだ。宮沢有紀寧がこの荷物を見つけたら、という思いはないではなかったが、
 それよりも絶対に優先すべきものが目の前にある。苦しげに呻いている女の顔を見れば尚更だった。

「担架がないからちょっと危ないけど……他にどうしようもない。一気に運ぶわよ」

120Beyond the Bounds:2009/07/02(木) 02:23:16 ID:baxXJd5E0
 言うが早いか、リサは一気に体を担ぎ上げて走り出した。
 どこにあんな体力が、と驚き半分呆れ半分で瑠璃はその後に続くのだった。

     *     *     *

「なんか、都合よくものが揃ってたわね……」

 眠ったままの少女に毛布を被せ、リサはひとつ息をつく。ちなみに毛布の下はほぼ全裸である。
 正確には上半身ほぼ裸なのだが。制服は窓の近くにあるハンガーにかけてある。
 戻ってきた浩之は瑠璃共々荷物の回収に行かせた。

 見た目は酷いものだったが、怪我自体はそこまでのものではなく、リサの治療でもどうにかなるレベルだった。
 しかも救急箱に麻酔つきである。これでメスでもあれば完璧だっただろう。
 そういえば自分もあちこち擦りむいていたことを今さらのように思い出して、リサは苦笑を浮かべた。

 手近にあったタオルで汚れた部分を拭き取り、消毒してからガーゼや絆創膏を貼り付けていく。
 自身を治療しながら、リサはどうしてあんな怪我をしていて、あの大量の荷物を引っ張ってきていたのかと考えを巡らせる。

 戦闘になっていたのは間違いない。だとするなら相手は宮沢有紀寧である可能性も高いが、
 彼女ならばなるべく傷つけず手駒に引き込もうとするに違いない。
 直接相対したことはなかったが、柳川に仕組んだ手口から見て可能性は高かった。

 ならばまだこの島には殺戮を望む者がいるということだろうか。
 あれだけ犠牲を払ったにも関わらず、参加者同士の戦いはまだ終結していないということなのか。
 早いところ、脱出に向けて動きたいところなのに……

 暗澹たる気持ちになりかけ、だがそれは仮定の上での話に過ぎないと断じる。
 真実はこの少女が目覚めて、話を聞いてみなければ分からない。
 どうも物事を悪い方向に見る癖は健在であるらしいという結論に辿り着く。

121Beyond the Bounds:2009/07/02(木) 02:23:30 ID:baxXJd5E0
 相変わらずだと思うが、それでいい。問題なのはそうした想定を踏まえ、対策を立てることだ。
 それを行うのが軍人の仕事であり、大人の仕事だ。

 最悪の事態を考え、リサはM4カービンを手元に手繰り寄せた。
 栞の遺品。最後まで節を通し、彼女が生き抜こうとした証。
 銃把を握るだけで栞とのやりとり、俄仕込みの訓練の様子が克明に描き出される。

 無駄にはしなかった。ひとつひとつを糧にして栞は這い上がろうとしていた。
 終わらせるために。この島から悲鳴を無くし、ひとりでも生きて帰れるように、少女は手を伸ばして銃を取ったのだ。
 それは誰かを憎んでのことではない。恐怖に駆られてのことでもない。
 痛みを知り、弱くてもやれることはあると覚悟して力を掴んだのだ。

 本当の意味での『守る』とはそういうことなのだろう。
 故にリサもそれに従おうと思った。
 狭い考えに身を押し込めず、人間としてやれることをやろう。

 リサは椅子に腰を落として、二人が帰ってくるのを待つことにした。
 とりあえず今できることは、それだった。

122Beyond the Bounds:2009/07/02(木) 02:23:45 ID:baxXJd5E0
【時間:2日目午後22時00分頃】
【場所:I-6】

リサ=ヴィクセン
【所持品:M4カービン(残弾15/30、予備マガジン×3)、鉄芯入りウッドトンファー、ワルサーP5(2/8)、コルト・ディテクティブスペシャル(0/6)、支給品一式】
【所持品2:ベネリM3(0/7)、100円ライター、参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、フラッシュメモリ(パスワード解除)、支給品一式(食料と水三日分。佐祐理のものを足した)、救急箱、二連式デリンジャー(残弾1発)、吹き矢セット(青×4:麻酔薬、黄×3:効能不明)】
【状態:宗一の言葉に従い分校跡に移動…したいけど待つ。どこまでも進み、どこまでも戦う。全身に爪傷(手当て済み)】

姫百合瑠璃
【所持品:MP5K(18/30、予備マガジン×8)、デイパック、水、食料、レーダー、携帯型レーザー式誘導装置 弾数2、包丁、救急箱、診療所のメモ、支給品一式、缶詰など】
【状態:浩之と絶対に離れない。浩之とずっと生きる。珊瑚の血が服に付着している】
【備考:HDD内にはワームと説明書(txt)、選択して情報を送れるプログラムがある】

藤田浩之
【所持品:珊瑚メモ、包丁、レミントン(M700)装弾数(3/5)・予備弾丸(7/15)、HDD、工具箱】
【所持品2:フライパン、懐中電灯、ロウソク×4、イボつき軍手、折りたたみ傘、鋸、支給品一式】
【状態:絶望、でも進む。瑠璃とずっと生きる。守腹部に打撲(手当て済み)】

一ノ瀬ことみ
【持ち物:H&K PSG−1(残り0発。6倍スコープ付き)、暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯、ポリタンクの中に入った灯油】
【持ち物2:要塞開錠用IDカード、武器庫用鍵、要塞見取り図、フラッシュメモリ】
【持ち物3:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式(保健室でいくらか補給)、乾パン、カロリーメイト数個、カメラ付き携帯電話(バッテリー十分、全施設の番号登録済み)】
【持ち物4:コルト・パイソン(6/6)、予備弾×13、包帯、消毒液、スイッチ(0/6)、ノートパソコン、風邪薬、胃腸薬、支給品一式】
【状態:左目を失明。左半身に怪我(簡易治療済み)。麻酔により睡眠中】
【目的:爆弾の材料を探す。生きて帰って医者になる。聖同様、絶対に人は殺さない】

【その他:上記のことみの荷物はH-7付近。二人乗り用の自転車は工場の近く。ゴルフクラブ、日本酒(空)は放置。】

123Beyond the Bounds:2009/07/02(木) 02:24:28 ID:baxXJd5E0
【時間:2日目午後23時30分頃】
【場所:I-6】

リサ=ヴィクセン
【所持品:M4カービン(残弾15/30、予備マガジン×3)、鉄芯入りウッドトンファー、ワルサーP5(2/8)、コルト・ディテクティブスペシャル(0/6)、支給品一式】
【所持品2:ベネリM3(0/7)、100円ライター、参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、フラッシュメモリ(パスワード解除)、支給品一式(食料と水三日分。佐祐理のものを足した)、救急箱、二連式デリンジャー(残弾1発)、吹き矢セット(青×4:麻酔薬、黄×3:効能不明)】
【状態:宗一の言葉に従い分校跡に移動…したいけど待つ。どこまでも進み、どこまでも戦う。全身に爪傷(手当て済み)】

姫百合瑠璃
【所持品:MP5K(18/30、予備マガジン×8)、デイパック、水、食料、レーダー、携帯型レーザー式誘導装置 弾数2、包丁、救急箱、診療所のメモ、支給品一式、缶詰など】
【状態:浩之と絶対に離れない。浩之とずっと生きる。珊瑚の血が服に付着している】
【備考:HDD内にはワームと説明書(txt)、選択して情報を送れるプログラムがある】

藤田浩之
【所持品:珊瑚メモ、包丁、レミントン(M700)装弾数(3/5)・予備弾丸(7/15)、HDD、工具箱】
【所持品2:フライパン、懐中電灯、ロウソク×4、イボつき軍手、折りたたみ傘、鋸、支給品一式】
【状態:絶望、でも進む。瑠璃とずっと生きる。守腹部に打撲(手当て済み)】

一ノ瀬ことみ
【持ち物:H&K PSG−1(残り0発。6倍スコープ付き)、暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯、ポリタンクの中に入った灯油】
【持ち物2:要塞開錠用IDカード、武器庫用鍵、要塞見取り図、フラッシュメモリ】
【持ち物3:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式(保健室でいくらか補給)、乾パン、カロリーメイト数個、カメラ付き携帯電話(バッテリー十分、全施設の番号登録済み)】
【持ち物4:コルト・パイソン(6/6)、予備弾×13、包帯、消毒液、スイッチ(0/6)、ノートパソコン、風邪薬、胃腸薬、支給品一式】
【状態:左目を失明。左半身に怪我(簡易治療済み)。麻酔により睡眠中】
【目的:爆弾の材料を探す。生きて帰って医者になる。聖同様、絶対に人は殺さない】

【その他:上記のことみの荷物はH-7付近。二人乗り用の自転車は工場の近く。ゴルフクラブ、日本酒(空)は放置。】
→B-10

済みません、こちらが正しい表記です

124Beyond the Bounds:2009/07/02(木) 02:37:37 ID:baxXJd5E0
さ、再訂正…

【時間:2日目午後23時30分頃】
【場所:I-6】

リサ=ヴィクセン
【所持品:M4カービン(残弾15/30、予備マガジン×3)、鉄芯入りウッドトンファー、ワルサーP5(2/8)、コルト・ディテクティブスペシャル(0/6)、支給品一式】
【所持品2:ベネリM3(0/7)、100円ライター、参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、フラッシュメモリ(パスワード解除)、支給品一式(食料と水三日分。佐祐理のものを足した)、救急箱、二連式デリンジャー(残弾1発)、吹き矢セット(青×4:麻酔薬、黄×3:効能不明)】
【所持品3:何種類かの薬、ベレッタM92(10/15)・予備弾倉(15発)・煙草・支給品一式】
【状態:宗一の言葉に従い分校跡に移動…したいけど待つ。どこまでも進み、どこまでも戦う。全身に爪傷(手当て済み)】

姫百合瑠璃
【所持品:MP5K(18/30、予備マガジン×8)、デイパック、水、食料、レーダー、携帯型レーザー式誘導装置 弾数2、包丁、救急箱、診療所のメモ、支給品一式、缶詰など】
【状態:浩之と絶対に離れない。浩之とずっと生きる。珊瑚の血が服に付着している】
【備考:HDD内にはワームと説明書(txt)、選択して情報を送れるプログラムがある】

藤田浩之
【所持品:珊瑚メモ、包丁、レミントン(M700)装弾数(3/5)・予備弾丸(7/15)、HDD、工具箱】
【所持品2:フライパン、懐中電灯、ロウソク×4、イボつき軍手、折りたたみ傘、鋸、支給品一式】
【状態:絶望、でも進む。瑠璃とずっと生きる。守腹部に打撲(手当て済み)】

一ノ瀬ことみ
【持ち物:H&K PSG−1(残り0発。6倍スコープ付き)、暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯、ポリタンクの中に入った灯油】
【持ち物2:要塞開錠用IDカード、武器庫用鍵、要塞見取り図、フラッシュメモリ】
【持ち物3:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式(保健室でいくらか補給)、乾パン、カロリーメイト数個、カメラ付き携帯電話(バッテリー十分、全施設の番号登録済み)】
【持ち物4:コルト・パイソン(6/6)、予備弾×13、包帯、消毒液、スイッチ(0/6)、ノートパソコン、風邪薬、胃腸薬、支給品一式】
【状態:左目を失明。左半身に怪我(簡易治療済み)。麻酔により睡眠中】
【目的:爆弾の材料を探す。生きて帰って医者になる。聖同様、絶対に人は殺さない】

【その他:上記のことみの荷物はH-7付近。二人乗り用の自転車は工場の近く。ゴルフクラブ、日本酒(空)は放置。】

125(ユケ!ヤレ!マーチ)/Prepare To Take The Field:2009/07/06(月) 23:47:53 ID:XQXXsGks0
 四回目の放送があった。
 既にこれだけの回数を聞いていると聞こえる声も受け流すことができるようになってきた。
 寧ろ耳を傾けたくなかった。この期に及んで殺し合いを進め、
 勧めようとする主催者達の神経が分からなかったし、分かりたくもない。

 その一方で読み上げられる名前だけは確実に胸に刻まれていた。もう百人以上もの人間が命を落とした。
 満足に生きられもせず、やりたいことだってやれなくて死んでいった人達。
 まだまだ人生はこれからだと思っていた矢先、理不尽にもこんなことに巻き込まれ、
 わけも分からずそれでも突き進むしかなかった人達。

 それを立派だとも、愚かだとも思わない。怒りや悲しみはもう受け止めきっている。
 ただ、確かにその人達はここにいたのだという事実を覚えておこうと思った。

 牛丼に釣られ、友情を分かち合いながらも疑心暗鬼に駆られ、仲間うちで殺しあってしまったこと、
 我が身の不実に絶望し、何もかもを放棄して生きることさえ諦めかけたこと、
 それでも新しい希望を見つけようとパートナーと共に歩み始めたこと、
 思いを分かり合える人と出会えたこと、
 逆に分かり合えず、意思をぶつけ合い、その果てに散っていった女がいたこと。

 これら全てを覚えていようと思った。
 自分は自分だけの上に成り立っているのではなく、様々な人との出会いによって構成されているのだということを。
 それが川澄舞の、百人の死者に対する誓いの言葉であった。

「藤林椋は死んだのか……結局、確かめられなかったな」

 国崎往人の呟きを、舞は軽く頷いて受け止めた。
 惨劇の証人だったもう一人の生き残り。
 今にして思えば椋が犯人だった、という可能性も出てくる。

126(ユケ!ヤレ!マーチ)/Prepare To Take The Field:2009/07/06(月) 23:48:15 ID:XQXXsGks0
 恐怖したのかもしれない。仲間同士で殺しあう凄惨な光景に人間不信となり、戻ってこられなかったのだと思っていた。
 だがそれは椋が殺し合いに乗っていなかったらの話だ。
 もしもあの時既に椋は殺す側へと回っており、こちらの殲滅を狙って毒を入れていたのだとすれば……
 舞は軽く首を振った。詮無いことだった。

 今さら、もう確かめることなんて出来はしない。したところで、もう何も変えられはしない。
 ただ……椋が姉と出会えて死ねたのか。本望を達成することができたのかということだけが気になった。
 誰とも会えないまま、ひとりで死んでいくなんて寂しすぎるから。
 短い黙祷を胸の奥で捧げ、舞は改めて横を歩く往人の姿を眺めた。

 自分と同じく、表情を無の形に保ったままで、唇を若干のへの字に曲げている往人は、しかし多くの思いを内実に秘めている。
 誰だってそうだ。何も考えず機械のように生きられる人間なんてどこを探したっていない。
 表情に出るかどうかは微妙な差異でしかない。往人は滅多に表情に出さない人間だ。

 それは彼の強さなのだと舞は思う。自分は違う。感情を表に出せなくなったのは怖いからだ。
 記憶の奥底にある、苦い過去が痛みを味わうまいとして作り上げた檻の中に閉じ込め、出られなくなった自分。
 人と関わることを遠ざけ、辛くもなくなった代わりに喜びも忘れてしまった事実がそこにあった。

 生きていこうと決意し、こうして人と一緒にいてもなお、自分の中にわだかまった膿を取り除けないでいる。
 弱いままだと思い、だからこそ往人に対する感情を確定させられないでいるのかもしれないとも思った。

 思慕だと評していながら果たして本当にそうなのかと自答してもいる。
 恋だと断ぜられる自信はなく、寧ろ認めることではなく、
 断じた先にあるものが怖いがあまりに受け入れずにいるのではないかとすら感じた。

 話せば分かることなのだろう。ただ、そこに踏み込むには度胸が足りなかった。
 利害関係の一致で一緒にいることはできても人と人、一対一の関係を保って一緒にいることは途轍もなく難しいことのように思えた。
 要するにどう言葉をかけていいのか分からなかったし、距離を推し量ることもできなかった。

 対人関係について必要ないと捨ててきた結果がこれなのかもしれない。ツケは大き過ぎた。
 こんなことを相談できる相手もいない。一番近しいひとと距離も埋められていないのに、
 それより浅い付き合いの人間とどう話していいのか分かるはずもない。

127(ユケ!ヤレ!マーチ)/Prepare To Take The Field:2009/07/06(月) 23:48:35 ID:XQXXsGks0
 そもそも直接話したことのある人間が少なすぎる。往人以外では朝霧麻亜子、そして今しがた会話していた古河渚しかいない。
 伊吹風子や那須宗一とは話を聞くばかりでこちらから話すことをしていない。
 いや、麻亜子や渚とでさえ話しかけられてようやく答えるばかりだ。自分から話しかけたことはただの一度だってない。
 草葉の陰で倉田佐祐理が、相沢祐一が泣いているような気がした。そんな光景が浮かんだのだった。

「……どうした?」

 かけられた往人の声に、舞は思わず身を硬くした。
 ずっと往人の方を見ていたのだと気付いたのは、訝しげな視線を往人が含ませていたからだった。
 いや、と目を逸らし、恥じ入るような思いで舞は顔を俯けた。

 何をぼーっとしているのだろう。放送が終わったこの状況で聞くべきことはいくらでもあったはずなのに。
 そう考えると、顔を背けた自分にますます情けなくなる。
 助けを求めようにも唯一この手の話を振れる麻亜子は何故か渚や宗一と話しこんでいて、
 介入する余地はなさそうだったし、そんな度胸はやはり浮かんではこなかった。
 仕方なくそのまま黙ったままにしておくしかなかった。軽く苦笑する声が聞こえた。

「済まない。また心配させたか」

 え、と当惑の声を出す暇もなく、「もう大丈夫だ。決着はつけた」と発した往人の声は穏やかなものだった。
 勘違いしている。私は自分のことしか考えていなかった。
 言いかけようとして、しかしそれを言ってしまっていいのかと頭が静止をかけた。

 失望させたくないという思い。何が大丈夫なのかと尋ねたい気持ちがない交ぜになり、口だけが開いては閉じた。
 またもや舞は無言を貫くしかなく、どうしたらいいのだろうと白痴のように繰り返すしかなかった。
 どうにかしなければならないとは思いつつも、紙は真っ白でどんなアイデアだって思いつかない。

 思いだけが募り、焦りと苛立ちの両方を含んだ感情を持て余すしかなく、そのまま顔を俯けたままだった。
 往人はそれを肯定と受け取ったのか、それ以上何も言うことはなかった。

128(ユケ!ヤレ!マーチ)/Prepare To Take The Field:2009/07/06(月) 23:48:52 ID:XQXXsGks0
 ひどくみじめだと考える一方、こんなことを感じている自分は、思慕以上のものを持ち始めているのだろうかとも思った。
 明らかに意識している。もうそれはどんなに意思しても御しきれるものではなくなりつつあった。

 ――それを恋というのだよ、舞君。

 つけひげをつけた麻亜子が偉そうに語りかけていたが、振り向いても麻亜子は渚と何かお喋りをしていた。
 距離を埋めたいと思うことを、恋というのなら。
 きっと、そうなのかもしれなかった。

     *     *     *

「あー、えーっと、それで、ルーシーさん……じゃなくて、るーちゃん……でいいのかな……
 あーええと、とにかくそれから無我夢中で宗一さんを助けようと、ここまで……」
「ほうほう、愛の為せる技ですな」
「愛だろうな」
「まーさんっ、宗一さんも……!」
「ごめんごめん、まあそういうことなんだね」
「……そういうことです」

 どこか不機嫌に、というよりどうにでもなってしまえという風に息を吐き出した渚に、
 宗一共々苦笑して麻亜子は頭の中で情報を整理していた。
 ちなみに舞と往人は呼ばなかった。既にある程度情報は共有していたし、何より舞に往人と接する機会を与えたつもりだった。

 ちょっとしたお節介。ささらと貴明を思い出してしまうのだ、あの二人には。
 二人の後背を少し眺めてから、麻亜子は視線を虚空に移す。

 放送が終わり、生き残りは既に二割にも満たない。環や珊瑚の死も確認した。
 またしても元いた日常の欠片が崩れていくのを感じた一方で、
 だからこそ新しい道を探すためにも考えを連ねていかなければならないのだと認識していた。

129(ユケ!ヤレ!マーチ)/Prepare To Take The Field:2009/07/06(月) 23:49:10 ID:XQXXsGks0
 今の自分には往人や舞、更には渚や宗一もいる。
 これまでのいきさつを話そうというのは山を下っているときに麻亜子から切り出したものだった。
 無論恨まれる覚悟も許されない覚悟、そういうものを持って話しかけたはずだったのだが、
 拍子抜けするほどあっさりと受け入れてくれた。往人と舞のときのように。
 何も知らない俺達が無責任に糾弾できるほど綺麗な人間じゃないんだ、とは宗一の弁だった。
 渚も宗一の言葉に頷いて何も語ろうとはしなかった。

 きっとここにいる全員は同じような立場なのだろうと思う。
 時には誤った判断で誰かを失い、時には殺人に手を貸す、或いは直接手を下し、
 罪を罪と馬鹿正直に糾弾出来なくなってしまった人間。

 だからといって驕るつもりもない。同じ穴の狢だろうが自分は元殺人者である事実は厳然としてそこにある。
 安心していい権利なんてなにひとつ持ち合わせてはいないのだ。
 殴られろと言われれば殴られてやるし、一生奉仕して償えと言われたらそうする。

 けれども死ねと言われたらそれだけは拒むつもりでいた。命が惜しい、そんな次元の話ではない。
 命乞いをしてでも守るべき過去があり、また未来を見据えていかなければならない自分がいる。
 だから生きていたい。それだけのことだ。

 とにかく、と横道に逸れた己の思考を元に戻して麻亜子は考えを再開した。
 残った人間を考える限り危険人物は少ない。もしくはほぼゼロに近いと考えていい。
 ここにいる連中は全面的に信用できるし、渚の話によれば待っているらしいルーシー・マリア・ミソラも志は同じなのだという。
 伊吹風子も同じだろう。渚は早く会いたいと言っていた。ちょっと嫉妬。

 ここで十五人から七人を引いて残りは八人。そのうちリサ=ヴィクセンなる人物は宗一の同業者で信用もあるとのこと。
 麻亜子自身が遭遇した高槻もあの様子では多分こちらと同じ立場だろう。
 ……自分がどうなるか、というのは蚊帳の外に置いておくことにした。

130(ユケ!ヤレ!マーチ)/Prepare To Take The Field:2009/07/06(月) 23:49:32 ID:XQXXsGks0
 一ノ瀬ことみ、藤林杏に関しては渚の友人だという。
 杏については「妹さんが呼ばれていたのでちょっと……いや、かなり不安なので早く会ってあげたいです」と言っていた。
 姫百合瑠璃は生きている。珊瑚が死んでしまったのでどうなっているのかは知り得ない。渚同様の不安があった。

 渚の抱える不安は分かる。いや、ささらを失った自分だからよく分かる。
 願わくば舞と往人のように、支えとなってくれる人間がいればいいのだが、
 と祈るように思ってからそんなことを考えている自分を変わったなと自覚する。

 正確には変わりつつある。本当の人の想いに触れ、夕焼けの中で確かめた生徒会の二人の姿に触れ、
 朝霧麻亜子という素の存在が現れまーりゃんという面子を保ち続けてきた仮面を剥ぎ取ろうとしている。
 しこりはまだ自分の中に残りながらも。これでいいんだと思い、麻亜子は思考を更に進めた。

 これで残すは二人だ。芳野祐介なる人物と藤田浩之なる人物。
 この二人がどんな人間なのかさえ分かれば島からは殺人鬼は一掃されたことになる。
 先はまだ想像がつかなかったが、とにかくまずは目指すべき状況に入りかけている。
 ならば自分がすべきことは生き続けることだ。

 そうでしょ、たまちゃん?

 少し泣きたくなった気持ちを堪えて、最後まで決着をつけられず言葉も交わせなかった友人へと向けて、
 麻亜子は自分のやるべきことを確かめたのだった。

「……あの、言いそびれてました。遠野さんのことですけど……」
「いい。こうなるかもしれないって覚悟してた……ルー公が生きてただけでも俺は嬉しい」
「……はい」
「済みません、は無しだ」
「……はい」

 などと考えている間に、渚と宗一はいつの間にやらいい雰囲気に。弔いなのだろうが、麻亜子が入れる雰囲気ではない。

 てゆーか、宗一っつぁん渚ちんの肩抱いてるし! 頭も撫でてるし! 渚ちんも手ぇ握ってるし!

131(ユケ!ヤレ!マーチ)/Prepare To Take The Field:2009/07/06(月) 23:49:48 ID:XQXXsGks0
 とても直視できる状況ではなかった。前方では歩く往人とぴったりと並ぶようにして舞が歩いている。ガードは完璧だった。
 独り身なのは自分だけか。衝動的に彼氏が欲しいなぁという情動が込み上げ、
 けれどもどうしようもあるはずもなく、麻亜子は内心に呪詛の言葉を吐きつつ塗り込められた漆黒に目を移すしかなかった。

 バカップルばかりだよ、ここは。

 麻亜子たちが麓にある民家へと辿り着いたのは、それから数十分後のことだった。
 その時間が麻亜子にとって針のムシロだったことは言うまでもない。

132(ユケ!ヤレ!マーチ)/Prepare To Take The Field:2009/07/06(月) 23:50:12 ID:XQXXsGks0
【時間:3日目午前00時30分頃】
【場所:F−3】

川澄舞
【所持品:日本刀・投げナイフ(残:2本)・支給品一式】
【状態:同志を探す。往人に付き従って行動。強く生きていたいと考えている。額から出血。両手に多少怪我(治療済み。支障は全くない)、肩に浅い切り傷】
【その他:往人に対して強い親近感を抱いている。剣道着を着ている】
その他:舞の持ち物(支給品に携帯食が十数個追加されています。)

朝霧麻亜子
【所持品1:デザート・イーグル .50AE(1/7)、ボウガン(32/36)、バタフライナイフ、支給品一式】
【所持品2:芳野の支給品一式(パンと水を消費)】
【状態:鎖骨にひびが入っている可能性あり。軽い打ち身。往人・舞に同行】
【その他:体操服(上下のジャージ)を着ている】

国崎往人
【所持品:フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 4/5 +予備弾薬5発、パン人形、38口径ダブルアクション式拳銃(コルトガバメントカスタム)(残弾4/10) 予備弾薬35発ホローポイント弾11発、スペツナズナイフの柄、支給品一式(少年、皐月のものを統合)】
【状況:強く生きることを決意。人形劇で誰かを笑わせてあげたいと考えている。全身にかすり傷。椋の捜索をする】
【その他:左腕に文字を刻んだ。舞に対して親近感を抱いている(本人に自覚なし)】

那須宗一
【所持品:FN Five-SeveN(残弾数0/20)、防弾チョッキ、SPAS12ショットガン8/8発、投げナイフ1本、鉈、H&K SMGⅡ(30/30)、ほか水・食料以外の支給品一式】
【所持品2:S&W M1076 残弾数(6/6)とその予備弾丸9発・トカレフ(TT30)銃弾数(0/8)、デザートイーグル(.44マグナム版・残弾4/8)、デザートイーグルの予備マガジン(.44マグナム弾8発入り)×1、S&W、M10(4インチモデル)5/6】
【持ち物3:ノートパソコン×2、支給品一式×3(水は全て空)、腕時計、ただの双眼鏡、カップめんいくつか、セイカクハンテンダケ(×1個&4分の3個)、何かの充電機】
【状態:全身にかすり傷】
【目的:渚を何が何でも守る。渚達と共に珊瑚を探し、脱出の計画を練る】 

古河渚
【持ち物:おにぎりなど食料品(結構減った)、支給品一式×2(秋生と佳乃のもの)、S&W M29 1/6、ロープ(少し太め)、ツールセット、救急箱】
【状態:心機一転。健康】
【目的:人と距離を取らず付き合っていく。最優先目標は宗一を手伝う事】

→B-10

133ベラドンナ:2009/07/15(水) 23:37:05 ID:VjZ7PxFU0
片付けられたテーブルの上に、少女が食べ残したパンはない。
柏木初音が朝食を摂るのに使っていた席には、今別の少女が座っている。

「あの、初めまして。古河渚と言います」

ぺこりとおじぎをした渚と名乗る少女は、丁寧にも机に当たるかどうかのすれすれな位置まで頭を下げていた。
そんなおっとりとした雰囲気を保つ渚の隣には、彼女と対極とも思えるしっかりした表情の少年が佇んでいる。

「那須宗一だ。よろしくな」

愛想は決して悪くない。
しかしどこか油断できない空気を彼は常に保っているように、長瀬祐介は感じていた。
横目でちらちらと宗一の様子を窺っている祐介には、先ほどの彼から受けた精神的な攻撃に怯えている節がある。
ある種の感受性が強い祐介だから、敏感になっている所もあるだろう。
得体が知れないという意味では、祐介自身も『能力者』だ。
それに似た何かを、彼も持っているのではないだろうか。
本当に宗一が信用に当たる人物ならば、話す機会も必要だろうと祐介が考えていた時である。

「宮沢有紀寧です。こちらは長瀬祐介さん。
 もう一人柏木初音さんという女の子もいるのですけれど、今は少し出ています」
「な、長瀬です。どうも」

落ち着いた様子で怯みを見せない連れの宮沢有紀寧に比べ、挙動不審気味になってしまっている自分が恥ずかしくなり、祐介はそっと顔を俯かせた。
凛とした態度で二人と対峙する有紀寧の存在は、祐介にとってさぞや頼もしいものだろう。
最初は有紀寧も戸惑っていたようだったが、こうして対峙している今彼女はしっかりと話し合いに応じようとしている。
男である自分が盾にならねばという思いが、祐介にない訳ではない。
しかしこうして有紀寧から積極的に動いてくれるならと、ここで祐介は敢えて自分から出しゃばるような真似をする気がなかった。

134ベラドンナ:2009/07/15(水) 23:37:48 ID:VjZ7PxFU0
他人任せにしている意識が皆無らしい祐介は、渚達に経緯を説明してくれている有紀寧を尻目に一人考え事に耽りだす。
彼の頭を占めているのは、勿論初音のことである。
一時間以上経っているものの、初音はいまだ戻ってくる形跡がなかった。
何か彼女にあったのか。放送を聞く限り、人を殺す覚悟ができている人間は決して少なくないのである。
愛しい姉達を一気に失った初音の悲しみ、それを取り除く手伝いを少しでもできればと祐介はそればかり考えていた。

(初音ちゃんは、ここまで僕を元気付けてくれたんだ。その恩を、返したい。絶対)

祐介のそれは、決して下心から産まれた気持ちではない。
聖人君主のような純粋な思いというものも当てはまらない。
祐介は気づいていない。彼が、初音を『彼女達』の代わりとして見ている面があることを。
祐介が失った愛しい少女達の代わりとして、心の糧に初音を当てはめている部分があることを。

「……さん。長瀬さん? 聞いていますか」
「え、ぁ……っ!」

とんとんと肩を叩かれ、思わず祐介は驚きを口に出してしまう。
有紀寧に話しかけられていたということ、祐介はそれに全く気づいていなかった。
視線をやると、渚も宗一も不思議そうに祐介のことを見やっている。
不味い。話し合いの場で上の空だったことが周知となり、祐介の胸に居た堪れなさが広がっていく。
隣の有紀寧は呆れたように一つ溜息を吐く。
気まずさでびくつく体に渇を入れ、祐介は恐る恐る有紀寧の方へと顔を向けた。

「長瀬さん。わたし達の話、聞いていませんでしたよね」

じとっと、上目使いのまま責められる言葉を口にされ、祐介は慌てたように方を竦ませる。
不満そうな有紀寧の表情、明らかに自分が悪いことも分かっていたので祐介は素直な謝りを入れる。

135ベラドンナ:2009/07/15(水) 23:38:26 ID:VjZ7PxFU0
「あ、あの。その。……ご、ごめん」
「考え事ですか?」
「え?」

そのままなじられる覚悟があった祐介からすると、この有紀寧の問いかけは予想外のものだった。
自然に漏れた呟きを零しながら祐介が、改めて有紀寧と視線を合わせる。
有紀寧は、心配そうな眼差しを祐介に対し送っていた。

「柏木さんのことですよね。分かっています、わたしも心配していますから」
「あ……」

祐介の考えは、有紀寧にお見通しだったのだ。
目を見開き、驚愕をストレートに表情に出す祐介の様子を内心で滑稽だと笑いながらも、有紀寧は尚優しい声色で祐介を誘導にかかる。

「古河さんと那須さんのこと、長瀬さんはどう思われますか? わたしは、信用に値すると思ってます」
「え、えっと……」
「下手な争いは、わたしも避けたいですから。お二人の理念に賛同します」

きっぱりと。有紀寧は一端祐介から視線を外し、そのまま渚と宗一を交互に見つめながら二人の考えを肯定する言葉を口にした。
ぱぁっと、花のような笑みを渚が浮かべる。
心から嬉しいといった渚の表情に、宗一も満足そうだった。

「長瀬さんはどうですか?」
「ぼ、僕も、その。……有紀寧さんが、そこまで言うなら……」

しどろもどろで答える祐介の様子を、有紀寧は満足そうに横目で確認する。
あまりの扱いやすさで思わず頬が緩むが、それも祐介からすれば渚の浮かべる真っ直ぐな表情と同じものに見えてしまうのかもしれない。

「よかったです。祐介さんが嫌がるようでしたら、わたしもこの件からは手を引こうと思ってましたから」
「有紀寧さん……」

136ベラドンナ:2009/07/15(水) 23:39:03 ID:VjZ7PxFU0
自身が取る上辺だけの優しい態度に感動する祐介の姿が、有紀寧自身は面白くて仕方なかった。
祐介の意思を優先させているように見えるだけで、有紀寧はこうなることが分かりきっているような言い回ししかしなかった。
渚や宗一との話を一切聞いていなかったようにも思える祐介に、彼等の印象を問いかける意味はない。
予め自分が否定の色を消し去った意見を出せば、それに祐介がつられるであろうことは有紀寧自身容易く予測がついていたのだ。

「長瀬さん。それで、柏木さんの件なんですけれど」
「う、うん」
「捜索を開始したいと思います。柏木さんが出て行ってから、かなりの時間も経過していますし」

それは、祐介にとっても願ったり叶ったりな提案だった。
むしろ動けないでいたことの方が、祐介にはフラストレーションになっていた部分がある。

「古河さんも那須さんも、柏木さんのことはご存知ないそうです。
 柏木さんの容姿が直接的に分かるのは、わたしと長瀬さんだけということになります」
「今そのことで、外を見回って探すのと、この家で待つ二組に分かれようかという話をしていました。
 入れ違いになる可能性もありますし、この家を空にしてしまうのはよくないと思うんです」

有紀寧に続く形で説明をする渚の提案に、祐介はこくこくと、声には出さずに仕草で納得している旨を伝えた。

「……ありがたいですよね、長瀬さん。こういう時、人手があるって助かります」
「そうだね。確かに、そうだ」

そう考えると、ここで渚と宗一という仲間ができたことが本当に幸運なことなんだと祐介は実感する。
二人とも、人が良さそうな人物だった。
宗一に関しては祐介の中に燻るものがあったけれど、朗らかな印象が強い渚の優しそうな表情に嫌悪が浮かぶことは一切ないだろう。
少しおっとりとした物腰は、どこか初音を彷彿させるものがある。
そんな渚を支えるようにして横に位置する宗一のポジションは、祐介が妄想する初音と並んだ時の理想形に他ならない。

「そういえば、ここの水道って使えるか? ここに来るまでで、ペットボトル開けちまったんだ」
「あ、それなら……」

137ベラドンナ:2009/07/15(水) 23:39:41 ID:VjZ7PxFU0
デイバッグから空のペットボトルを提示する宗一に、キッチンがある場所を有紀寧が指差した。
ちょっとした食料があったこと等も告げると、渚も宗一も大いに驚いた。
二人曰く、彼女達が居た診療所や他の参加者がいるか探るために入った民家は、水道は通っていたとしてもそのようなサービスは一切見当たらなかったらしい。

「それならこの家は、当たりだったんですね」

クスクスと笑う有紀寧に同調するよう、祐介も頬を緩ませる。
彼女が昨晩用意してくれたピラフの味がかなり良かったことは、祐介の頭にもしっかり記憶されている。
初音も料理が得意だと言っていた。
女の子の手作りの料理が食べられる機会というのが決して多くない祐介にして見たら、殺し合わなければいけないというこの現実さえ見なければ心から喜べるシチュエーションとなるだろう。

「あ、僕も結構飲んじゃってたんで。一緒に行きますよ」
「おう。案内してくれ」

自然と口に運んでいたらしい、半分程減ったペットボトルを片手に祐介も立ち上がる。
先導するようにすぐそこのキッチンへと、祐介は宗一と共に消えていった。





二人の姿が見えなくなった所で、有紀寧は祐介と宗一を見送るために逸らしていた背中を、ゆっくりと元の位置に戻した。
有紀寧の斜め前に座っている渚は、まだ慎ましやかにも小さく手を振り続けている。
律儀な少女だ。
目が合い、有紀寧は渚が頬を緩ませるだろうそのタイミングに合わせ、自然に見える笑顔を彼女に向ける。

「えへへ」

138ベラドンナ:2009/07/15(水) 23:40:21 ID:VjZ7PxFU0
二人してほぼ同時に浮かべた笑み、有紀寧とは違い渚のそれには一切の邪気は含まれていない。
彼女の醸し出す空気はぽやぽやとしていて、この殺伐とした世界に決して似合うものではないだろう。
渚の経緯を聞かなければ、有紀寧は彼女を砂糖水の中で泳ぎ続ける能天気な弱者と決め付けたかもしれなかった。
祐介はきちんと聞いていなかったであろう彼女の身に降り注いだ昨日の出来事は、あまりにも悲惨だった。

実の両親を手に掛けられ、その死体と共に渚は一人残された。
それも一晩。
普通の人間であれば、発狂してもおかしくないシチュエーションである。
それを乗り越え、しかも復讐への道を選ばなかった彼女の精神は見かけ以上にタフだった。
隷属させるのにも、精神的に脆い人間では扱いが厄介になるかもしれない。
それプラス、渚の場合彼女自身の力は脆弱であろうとも、実力が定かではないが那須宗一というパートナーが今は付いている。
有紀寧にとって揃った条件は、正に最高のものだった。

「宮沢さん?」

有紀寧自身が自覚せずに浮かべてしまった含み笑いに、不思議そうに首を傾げる渚が疑問をぶつける形でその名を呼ぶ。
表に出かかった内心を隠しつつ、有紀寧はその場を繋ぐための世間話を口にして、自分の態度をごまかそうとした。

「すみません、何でもないです。そう言えば古河さんは、三年生なんですね」

お互い顔見知りではなかったが、有紀寧と渚は同じ学園に所属しているというのが一目で窺えた。
身に着けている制服が、同じものなのである。
渚の制服に付けられているワッペンの色は、青。
彼女が三年生として在学していることが、有紀寧にもすぐ理解できた。

「わたしはこの通り、二年生です。先輩と、お呼びした方がよろしいでしょうか」
「い、いえ! あの、気にしませんから」

139ベラドンナ:2009/07/15(水) 23:41:42 ID:VjZ7PxFU0
慌てたように両手を顔の前で振る渚は、何処までも謙虚な少女だった。
常に一生懸命にも見える渚の動作一つ一つ、それは全て微笑ましい類に値するだろう。
有紀寧もだった。こんな場所でなくきっと学園で知り合えたとしたら、渚とは仲良くなれたような気すら彼女はしていた。
この不思議な親近感の理由に、有紀寧の心当たりはない。

有紀寧は彼女に好感を持っていた。
精神的な強さを見せつけられたとは言え、自分よりも年上であるにも関わらずどこか儚くも思える渚の存在が、有紀寧の心を揺さぶりにかける。
血が騒ぐ。一言で表すと、そのような激情にも似た不明瞭な欲求が有紀寧の中ではいつの間にか生まれていた。

ふと。有紀寧の脳裏で、一つの憶測が閃く。
きっと有紀寧は、比べていたのだ。
刃を取ることを決意し自分だけが生き残る道を選んだ自身と、産みの親を殺されても他者が傷つかない方法を探ろうとする渚のことを。
有紀寧も渚も、どこにでもいるごくごく普通の女の子だ。
力だって特別強い訳ではない。むしろ脆弱な部類に値する。
二人とも、スタートラインは同じだった。それなのに、進んだ方向は全く別のものとなっている。
それはどこか、可笑しい。

(後悔なんて。するはずが、ないじゃないですか)

生き残るための最善を選択を、有紀寧はしたつもりだ。
その言葉に嘘偽りは全くない。
彼女の意志は澱みなく、こうして渚と自分を比較しても軸がぶれることは一切ない。
羨望の色が皆無であるとは断言することが不可能であっても、有紀寧は自分が取った行動に誇りすら持つ勢いがあった。
何が何でも生き延びてやるという、有紀寧自身の生への執着はとてつもなく強い。
故に。腕っ節はからっきしであったとしても、有紀寧はこの島で限りなく強い部類に入る少女となる。
ただし。
―― その異常さが、本能であるのか植え付けられたものなのか。
有紀寧がそこまで考えるに至ることは、なかった。

140ベラドンナ:2009/07/15(水) 23:43:36 ID:VjZ7PxFU0
そんな有紀寧の意識は今、斜め前に座っている渚に向かって伸びている。
渚についての考えがまとまっていた所で、有紀寧はそれ以上自分の世界に居座ろうとはしなかった。
否。できなかった。
渚のことを思う度に、嫌らしいくらいの心地よさが有紀寧の背中を這っていき、彼女の理性を溶かし切ろうとする。
高まり続ける情念を幾度も幾度も擦り付けられ、滾るせつなさに有紀寧は震えそうになる体を抑えられなくなってきていた。

それは、実の両親を殺害されても崩れなかった少女を屈服させたいという、ストレートなサディスティックさだったかもしれない。
自身の性癖など考えたこともない有紀寧からすれば、想像だにできない可能性だろう。
渚は今も、呑気にぽやぽやと微笑んだままである。
有紀寧が凶行に出るなど、思ってもみていないに違いない。
そんな彼女を。有紀寧は。

そっと。スカートのポケットに伸びた手が、有紀寧の切り札であるリモコンへと自然と伸びる。掴む。
荒くなりかけた息を抑えながら、有紀寧は充血しかかった両の眼でじっと渚に視線を送った。




【時間:2日目午前8時頃】
【場所:I−6上部・民家】


長瀬祐介
【持ち物:無し】
【状態:水を汲みにいく・初音を待つ】

宮沢有紀寧
【持ち物:リモコン(5/6)】
【状態:渚と対峙・前腕に軽症(治療済み)・強い駒を隷属させる】

古河渚
【持ち物:支給品一式(支給武器は未だ不明)・早苗のハリセン・S&W M29(残弾4発)】
【状態:有紀寧と対峙・宗一と行動・殺し合いを止める】

那須宗一
【所持品:FN Five-SeveN(残弾20/20)、支給品一式】
【状態:水を汲みにいく・渚に協力】

以下の荷物は部屋の隅に放置
【持ち物:鋸・支給品一式】
【持ち物:ゴルフクラブ・支給品一式】

(関連・1077)(B−4ルート)

141ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:27:06 ID:z5jnCwq20
「ご苦労様」

 へとへとになって戻ってきた藤田浩之と姫百合珊瑚の二人が、
 部屋の隅に荷物を置いたのを確認してリサ=ヴィクセンはゆっくりと微笑を浮かべた。
 僅か一回でこれだけの荷物を運びきれたことに感心する。

 そしてそれ以上に一人で荷物をどこかに持っていこうとしていた一ノ瀬ことみの根性にも呆れる。
 彼女は既に目覚め、ベッドの上で半身を起こしていた。麻酔の効き目が薄かったのか、耐性があったのかは分からない。
 体の半分は包帯にくるまれ、塞がりきっていない傷口からは黄ばんだ体液が染み付いているのが確認できる。
 しかしボロボロの様相を呈している彼女からは、無表情の中にも決然とした意思を秘め、常に先を見通しているかのような透明さがあった。
 この瞳から窺える真っ直ぐさは、節を貫き通そうとした英二や栞に似ている。

 放送では宮沢有紀寧の名前があった。逃げた後、ことみと遭遇して彼女の仲間を道連れに死んでいったのだという。
 一度も遭遇したことも会話したことさえなかったが、何故だか納得するものがあった。
 きっとそれは藤林椋のこと、柳川祐也のことがあるからなのかもしれない。
 悲しみを撒き散らすだけ散らして、自分勝手に死んでいった人間。

 自分勝手という面ではリサだって責めることはできなかった。
 それでも、なぜという思いが込み上げてきてやるせない気分になることを抑えることはできなかった。
 だが顔にだけは出さなかった。ことみが淡々と語るのに、そうするわけにもいかなかった。
 内面は察するに余りある。ことみは感情を発露させるよりも内面に押し込め、また別の方向へと向ける結論を選んだようだった。

 いいとも、悪いとも断じない。ことみの結論に自分も従おうとだけ思った。
 そう考えている間に、今まで生硬かったことみの表情が変わった。

「ありがとう。運んでくれて」

 床に腰を下ろし、弛緩している二人にことみが声をかけた。おう、と軽く手を上げて浩之が応じ、続いて瑠璃も一礼した。

「自己紹介でもしたら?」

142ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:27:29 ID:z5jnCwq20
 リサの言葉に頷いて、ことみ達がそれぞれ自己紹介をし合う。リサは起きたときにやっているので加わることはしない。
 一ノ瀬ことみ。脱出計画を企てている人物で、自らの立てたプランに沿って行動を続けている少女。
 自分でさえ具体的な行動は何もしてこなかったというのに、ことみはやるべきことを見出し、行動を続けていた。

 そんな自分を情けないと思う一方、彼女の持つ希望の火が己を照らし、導いてくれる感触もあった。
 生きて帰って、医者になりたい。そう言った彼女の顔からは澱むことのない意思、未来を信じられる力強さがあった。
 リサはそれに応えたいと思った。今一度、一人の人間として、恥じることのないように行動したいと思いを定めた。
 義務ではなく、自らが望む、自らの願いとして。

 自分のやりたいこと。それがようやく理解できて、己の内奥に染み渡ってゆく感覚が嬉しかった。
 今度は失くさない。
 新しい自分がようやく歩き出したのを知覚しながら、リサは三人の交わす会話に耳を傾けた。

「それで、一ノ瀬さん、怪我は平気なん?」
「痛いけど、多分大丈夫なの。ひどいのは見た目だけだから」
「でも、その、完全に目が……」

 瑠璃は先を続けるのを躊躇った。リサも現場にいたので、ことみの左目がどうなっているのかは知悉している。
 鋭利な物体が突き刺さっていたと思われる眼球は潰れ、二度と物を見ることが出来なくなっているのは明らかだった。
 包帯が取れても、きっと直視できるようなものではないに違いない。ことみが抱える傷は深い。女であるならば、尚更。

「どっこい、生きてる」

 けれどもことみは笑った。生きてさえいるなら、どんなことだって苦にならない。
 そう思わせるような柔らかい笑みに、リサは余計な心配だったかと考えを改めた。
 この少女はそれだけのものを潜り抜けている。
 絶望を知りながらも、絶望を乗り越える術を身につけた人間の顔を、ただ素敵だとリサは思った。

「目が潰れてても医者にはなれるの。厳しい道かもしれない。けど、そんなこと分からないの。
 やりたいことをやりたい。……それが今の、私だから」
「……やりたいこと」

143ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:27:47 ID:z5jnCwq20
 ことみの言ったことを確かめるように瑠璃は反芻した。
 真剣な表情になった彼女は、内面に何かしらの化学変化を起こさせたようだった。

「そうだ、横からで悪いがリサさんに報告だ。あの車、まだ使えるみたいだぜ。バンパーボコボコだけど」

 ああ、とリサは思い出したように言った。ことみに関心が向いていたのでそちらのことはすっかり蚊帳の外だった。
 あの時瑠璃と一緒にいなかったのはそれを調査していたからなのか、と思い、リサは内心に苦笑した。
 やるべきことを自ら見出していたのは浩之と瑠璃もだったらしい。

 負けてはいられないと負けん気を覚えながら、「それはいい知らせね」と応じる。
 実際車の一台があるだけで移動は相当に楽だ。荷物を運ぶにもこれ以上の代物はない。
 こちらには怪我人もいるから、いっそうありがたい。

「ことみ、体は動かせる?」
「根性でなんとか」
「いい答えね」
「どこかに行くの?」
「まあ、待ち合わせしててね。大遅刻して怒られそうなんだけど」

 肩を竦めつつそう答える。実際は遅刻どころの話ではないのだが、連絡がつけようもない以上どうしようもなかった。
 ことみは少し考える素振りを見せ、「そこって、電話が通じる?」と尋ねた。
 リサが頷くと、ことみは「だったら」と言って続けた。

「私、携帯電話持ってるの。島の中だけにしか通じないけど、主要施設の番号は登録してあるから、いつでも連絡できる」
「……そんな便利なものが?」
「うん。支給品。だからそれで連絡してくれて構わないの。ううん、寧ろ連絡して欲しい。それでこちらからもお願いがあるの」
「お願い?」
「待ち合わせの場所がどこか知らないけど、行く場所を学校……鎌石村小学校にして欲しいの」

144ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:28:06 ID:z5jnCwq20
 リサは目を細める。要はことみをそちらに運んで欲しいということだったが、何故そこに向かうのか。
 聞いてみたが、ことみはそっちに用事を残している、というだけで深くを伝えようとしない。
 浩之と瑠璃もよく分からないというように首を傾けている。

「うーん、できるなら待ち合わせしてる人も小学校まで来て欲しいところなの」

 言葉は柔らかいものだったが、表情からは譲れない決意が見える。恐らく、こちらが納得するまで説得を続ける気だろう。
 それだけ重要なものが鎌石村小学校にはあるということなのだろうか。ことみが答えようとしない以上、想像するしかない。

「ひとつ聞きたいんだけど」
「なに?」
「ことみはどこから来たの?」
「鎌石村小学校」

 浩之と瑠璃はますますわけが分からないというように顔を見合わせた。リサは腕を組んでその真意を探ろうとする。
 ことみが言っていることが正しいなら、わざわざこちらに足を運んで、それからまた戻ろうとしていたことになる。
 あれだけの大荷物を抱えて、あの酷い怪我で。

 ……つまり、それは。
 ことみの荷物の中に極めて重要なものがあるということだ。
 そしてそれを使うためには小学校に戻らなくてはならない。或いは、それを使える者が学校で待っている。
 口外しようとしないのはこちらを疑ってのことではない。知られてまずいことが含まれているからだ。
 そう。ことみは、既に脱出の鍵を握っている。

 脱出のために動いているとは言ったが、まさかそこまでとは。
 慎重でありながらここまで事を進められた大胆さには流石のリサも舌を巻いた。そんな表現を使ったのは那須宗一と出会って以来だ。
 ならばそこから先は自分の仕事だ。活路を切り拓いてくれたであろう彼女に対してリサが思ったのは、
 借りは返すというアメリカ的な思想の入り混じった感情だった。

145ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:28:37 ID:z5jnCwq20
 申し訳ないと思うのではなく、よくやった、先は任せろという同調する意思を見せるべきなのであり、
 またそうすることこそが信頼を築き上げるために必要なものだった。
 何をしてきたか、ではなくこれから何が出来るか。
 無力を嘆じて思考を放棄するのではなく、愚直でだって構わない。力を使えるのならば使うという考えがあった。

 ただし、力を用いるにはまた考えることが必要なのも分かっている。
 意思のない力。目的を達するためだけに為される力にも、また意味はない。
 痛いほどの経験を通して自分が学んできたことだ。その自覚を胸に染み渡らせたリサは、浩之たちが持ってきた荷物の側まで歩いてゆく。

「とにかく、連絡してみるわ。もし繋がればあなたの言うとおりにする」
「繋がらなかったら?」
「悪いけど、探しに行かさせてもらうわ。約束した時間なのにそこにいなかったら、何かあったってことでしょう?
 それを見過ごせるほど私は薄情じゃない。いいかしら?」

 リサが出した結論がそれだった。力を用いるには、人の存在も必要なのだ。
 切り捨てて行動できるほどリサは任務遂行の機械にはなりきれないし、人間としての今を知っているから、尚更だった。

「うん、そっちの方がいいと思う。私も、誰にもいなくなって欲しくないから……」

 ことみの言葉には痛みを知った、臆病なまでに優しいひとの心があった。
 それは恐らく、ことみの怪我に起因しているのだろう。自分たちと同じく……
 誰も彼もが深い傷を負っている。この傷は、いつか癒える日が来るのだろうか。

 そんな疑問を持ちながら、リサは探し当てた携帯電話を取り出し、施設の番号を確認する。
 ことみの言葉通り、電話帳には殆ど全ての施設の番号が記録されていた。
 宗一と待ち合わせを予定していた廃校の番号を選択し、ゆっくりとプッシュする。
 無機質な電子音が一定の間隔を刻みながら流れる。十秒ほどが経過したが、繋がる気配はない。
 まさか、という想像が浮かんだその瞬間、『よう』と息せき切った気配と一緒に懐かしく思える声が届けられた。

146ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:28:53 ID:z5jnCwq20
『悪いな、遅刻した』
「遅いわよ。……三時間の遅刻」
『そっちは』
「三時間の遅刻」

 くくっ、と向こう側から含んだ笑い声が聞こえてきた。さらにその遠くでは何やら宗一を揶揄するような声も聞こえる。
 どうやら宗一もひとりではないらしい。この数時間の間にたくさんのことが変わった。
 きっと全員がそうなのだろうという殆ど予感に近い確信を抱いて、リサは話を続ける。

「悪いわね、そっちにいけなくて」
『いや、こっちこそ。それで、どうして電話なんか? 今どこだ?』
「氷川村。だけど、これから鎌石村にある小学校に向かうところ。車でね」

 鎌石村、と聞き返す声が聞こえ、仲間に確認を取っている様子が伝わる。数秒の後、どこか理解した宗一が『それで』と先を促す。

「宗一たちもそっちに来て欲しいのだけど」
『おいおい、随分遠くないか』
「いいものがあるのよ。奇跡のマジックショーを見せてあげる」
『へえ、なにか、イリュージョンでも見せてくれるのかよ』

 失笑交じりの声は実に演技臭い。減点一だという思いを口の中で溶かしつつ、実直な同業者に「ええ」と言い返した。

「とにかく早くに来て欲しいのよ。お願いね」

 電話の内容は主催者に聞き取られている可能性も考慮して、リサはわざと焦りを含ませた声を出す。
 下手に冷静でいると何かを企んだのではないかと気取られる恐れもあったからだ。そういう意味では宗一の落第点な演技にも意味はある。
 幸いにして人の真意を汲み取ることには長けている宗一だ。言葉を額面通りに受け取るはずはないだろう。
 人を上手くコントロールして自分の望む方向に持って行くのは交渉の極意でもある。

 他者を屈服させるための技術を会得することを強いられた、その事実はこんな状況でもその力を発揮している。
 結局は人を支配するための術に取り付かれている我が身を眺めてリサは恥じ入るような気持ちになるが、宗一の声がそれを霧散させた。

147ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:29:13 ID:z5jnCwq20
『……いい声だ。ちょっと、変わったみたいだな』
「え?」

 予想外の言葉が頭を突き、思わず声を出してしまったリサの声を最後に通話は途切れた。
 ぽかんとしたままの頭が宗一の言葉を飲み込むまでにいくらかの時間を要し、やがて理解したらしい脳から可笑しさが込み上げ、
 そのまま温かな波紋となって体に染み渡ってゆく。気がつけば、リサは携帯を抱えたまま笑っていた。
 ことみや浩之、瑠璃がお互いに顔を見合わせ、怪訝な表情になっているのも気に咎めず、ひたすら笑っていた。
 きっと、自分の顔は間抜け面なのだろうとリサは思った。

     *     *     *

 はいどうも皆さんお久しぶりです。伊吹風子です。ちょっぴり大人になりました。
 無論風子は肉体的に大人です。ですが心の方はまだまだ甘えがあると気付かされたのでランクダウンです。

 そういうことで風子たちは今学校にいます。深夜の学校は暗くて不気味です。
 別に怖くなんてないんですが、渚さんが不安なので側についててあげることにしました。
 ……それに、久しぶりに会ったような気がしますし。

 渚さんの喜びようは尋常じゃなかったです。風子を見るなり抱きついてきましたから。
 それに泣いてました。泣くほど嬉しかったのでしょうか。無力じゃなくても、弱いままの風子でも、
 そんなことをされると切なくて、けどあったかくなります。やっぱり渚さんは渚さんだって思いました。

 違っている部分もあります。失礼な話ですが、会ったばかりのときはもっとおどおどとしてて、自信なさげでした。
 今は、うーん、謙虚になったと言いましょうか、後ろめたさがなくなったというか……明るくなった気がします。
 はっ。風子、なんか偉そうです。こういうのを慢心っていうのですよね。いけません。謙虚になるべきは風子です。
 でもグラマラスなのは譲りません。風子はせくしぃなナイスバディなのです。

148ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:29:30 ID:z5jnCwq20
 ところで風子と愉快な仲間たちは全部で七人です。大所帯です。
 えーっと、まず風子です。
 それから電話でなんやかんやとヘンなことを話しているのが那須宗一って人です。
 その那須さんに横から茶々を入れているのがまーりゃんって人だそうです。風子のこともチビ助とか呼びやがりました。最悪です。
 教室の窓から外をぼんやりと眺めているのがルーシーさんです。どことなく居辛そうです。
 ぼーっとした顔の人が川澄舞さんです。隣で腕を組んでいるのが最悪に目が怖い国崎往人さんです。
 そして渚さん。これで七人です。七って数はちょっと縁起がいいです。

 ああ、そうです。なんでこんなところにいるかというと、ぶっちゃけた話那須さんの意向です。
 ルーシーさん曰く「渚に合わせる」
 国崎さん&川澄さん曰く「那須に合わせる」
 まーりゃんさん曰く「上に同じく」

 なんて自主性のない意見でしょうか。
 もっとあれです、ヒトデ祭りをしたいとかヒトデ音頭をしたいとか、そういう建設的な意見はないのでしょうか。
 風子ですか? ……ノーコメントです。

 ま、まあそういうことで那須さんがまだ用事があるみたいだったので、しぶしぶついてきたってことです。
 そしたら丁度いい具合に職員室に電話がかかってきて、それで今に至っているというわけです。
 もっとも、那須さんが電話が鳴っていたのをダッシュで取りに行っていたのですが風子たちは悠々自適。
 のんびりと歩いてきましたので電話が終わるちょっと前くらいに着きました。

 まーりゃんさんだけは那須さんにくっついていったようですけど、単に冷やかしたかっただけでしょう。
 まーりゃんさんはよく分かりません。時々すごく寂しそうな顔をしているかと思えば、こうしてけらけら笑ってたりします。
 躁鬱の激しい人です。まあ嫌いではありませんが。

 別に「チビ助はちっちゃくてかわええのう」とか言われたことが嬉しかったわけじゃないです。
 というか、ほっぺた引っ張られました。ぷち最悪です。

「そういうわけで、予定変更だ。俺達はこれから鎌石村にある学校に行くことになった」
「はいはいー、場所はここねー、よく覚えておくんだぞー」

149ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:29:47 ID:z5jnCwq20
 などと考えている間に那須さんのブリーフィングが始まりました。まーりゃんさんが勝手にアシスタントしてます。
 散り散りになっていた皆はいつの間にか集まってきていました。

 寄り合い所帯に近い風子たちですけど、こうして協調するべきときは協調するのを見るとそうでもないように思えるから不思議です。
 お互いにバラバラでも、こうして一つに固まれる共通意識がある。そう思いました。
 そのあたりは渚さんやまーりゃんさんがパイプ役になっているようでもありますけど。

 渚さんが「るーちゃん、行きましょう」と声をかけていましたし、
 まーりゃんさんが「おら集まれいそこな美女と野獣」って言ってましたし。
 ちなみにまーりゃんさんの頭にたんこぶができているのは言うまでもありません。
 涙目になっていました。ぷちかわいそうでした。

「質問がある」

 手を上げたのはルーシーさんでした。「発言を許可しよう」とまーりゃんさんが何故か偉そうに言っているのを受け流しつつ、
 ルーシーさんは那須さんへと続けます。

「移動手段はどうする。歩いていくにはいささか遠いぞ」
「確かにな。……正直に言うと、俺も舞も……いや、全員が疲れてる」

 同調するように国崎さんが言います。話に聞く限りでも皆が連戦で限界にきているようなのは事実みたいです。
 まあ風子もヘトヘトです。ぷはーっとジュースの一杯でも飲んでベッドに潜り込みたい気分ではあります。
 川澄さんが頷くのに合わせて風子も頷きました。那須さんも「それは承知だ」と返します。

「だから別の移動手段が欲しいところだ。車かバイクか……探せばあるはずだと思う。それを使って向こうまで行く」
「あるという保障はあるのか」
「リサ……電話してた仲間も車があるそうだ。だからあるはずだ。キーはなくてもなんとかなる」
「なるんですか?」
「ふっふっふ、世界一のエージェントを舐めてもらっては困るぜ」

150ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:30:05 ID:z5jnCwq20
 渚さんとルーシーさんの疑問に対して自信満々に答えます。那須さんは世界一だとか。なんだか信じられない話です。
 岡崎さんがヒトデ祭りでヒャッホゥと言うくらいに信じられません。
 ですがあまりにも自信満々なので渚さんもルーシーさんも顔を見合わせて納得するしかなかったようです。
 ここで風子が尋ねてみました。

「車、運転できる人はいるんですか?」
「俺はできるぞ。他には?」

 真っ先に那須さんは返してくれましたが、他の皆さんは無言です。どうやら免許を持っていないようです。
 渚さんとか風子はともかくとして、意外な話でした。
 流石に七人もいて免許所持者が一人というのは情けない話です。あれ、そういえば那須さんは風子より年下な気がするのですが。
 ……気にしないことにしましょう。渚さんより学年が下でも気にしません。

「……国崎さん、免許くらい取っとけよ」
「やかましい。住民票も身分証も金もないんだよちくしょう」
「よく逮捕されずに済んだよね……」

 まーりゃんさんが呆れて言っていましたが「お前だって高校は卒業してるだろ」と国崎さんは返します。
 む、と頬を膨らませたまーりゃんさんは「あちきだってバイクくらい乗れるわいっ!」と吼えていました。
 でも風子は聞きました。川澄さんがぼそっと「……私もバイクの免許はある」と言っているのを。

「舞さん、すごいです」
「学校を出たら働こうと思ってたから……本当は車の免許が欲しかったけど」

 渚さんの賛辞に顔を赤くして答えている一方で、まーりゃんさんと那須さんが国崎さんに「やーいプータロー」とか野次っていました。
 国崎さんは「俺だって好きでプータローになったんじゃないやいっ!」と涙目になっていました。自覚はあるようです。
 司会の二人が揃って脱線していたので、風子がぱんぱんと手を叩いて路線を戻すことにしました。やれやれです。

「とにかく、車が運転できるのが一人で、バイクに乗れるのが二人ですよね。何とかなるんじゃないでしょうか」
「そうだな。都合よくそれらが転がってるかは別にして……五人なら軽でも余裕か」
「おや、バイクは二人乗りと相場が決まっているものですぜ。とりあえずあたしがまいまいの後ろに乗っておっぱ」

151ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:30:20 ID:z5jnCwq20
 ぶん、と投げられた空のペットボトルが頭に当たり、「むぎょ!」とヘンな声を上げていました。
 流石の風子もセクハラが過ぎると思います。というか、オヤジですかこの人は。ぷち最悪です。
 さらに言うなら、バイクに乗るはずのまーりゃんさんが後ろに乗ってどうするんだという極めてまともな突っ込みが浮かびましたが、
 あえて言わないことにしました。多分思いつきでしょうから。

「ちぇーちぇー。どーせまいまいの後ろには往人ちんが乗り込んでおっぱいを独せ」

 がんっ! 今度は中身入りのペットボトルが顔面を直撃していました。自業自得です。
 当の川澄さん本人は涼しい顔でしたが、視線は国崎さんに向かっていました。
 そこにどんな意図があるのかまでは分かりませんでしたが。
 国崎さんの方はちょっと目をいからせてまーりゃんさんを睨んでいました。

「……なぜそうなる」
「な、投げる前に言ってよ……」

 鼻っ柱に直撃したらしいまーりゃんさんはうずくまって涙目でした。なんだか涙目になってる人が多い気がします。
 かわいそうだと思いましたが、口は災いの元です。ルーシーさんと一緒にさもありなんという風に頷いておくことにしました。
 渚さんだけは「だ、大丈夫ですかっ」と救急箱を持って駆け寄っていました。天使です。ここに天使がいますっ。

「うう、渚ちんは優しいなあ……でも大丈夫。あたしのセクハラ魂は永久に不滅なのだよ」

 自覚してたようです。「どうしようもないな……」とルーシーさんが言うのに頷いておきました。
 反省の二文字は辞書にないらしいです。ついでに自重という言葉もあるかどうか怪しいです。

「あ、あの、わたしも、そういうのはあまりよくないんじゃないかと……」
「うおぅっ! 辛辣な言葉がっ!」

152ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:30:32 ID:z5jnCwq20
 渚さんの正直かつ真っ当な言葉にまーりゃんさんはダメージを受けているようでした。
 もっとも、すぐに回復すると思いますけど。本当にこの人は分かりません。一番ヘンな人です。
 完璧に話が脱線していました。コホン、と大きく咳き込んだ那須さんが話題を元に戻します。

「あ、あー。とにかくだ。車さえあれば移動についての問題は解決だ。異論はあるか?」

 ですが崩れてしまった場の空気は変わりようがなく、
 ぎゃーぎゃーと罵り合っている国崎さんとまーりゃんさんを中心に渚さんと川澄さんが必死になだめ、
 ルーシーさんは仕方ないなという風に、でも面白そうにその光景を眺めています。
 はぁ、と大きく嘆息していた那須さんの肩を叩いて、風子は言ってあげました。

「心中お察しします」
「へっ、小学校の担任になった気持ちだぜ……」

 やさぐれた表情になって、ふっ、と那須さんは笑いました。
 でも、と風子は思います。きっと皆さんは分かっていて、その上でこうしているんじゃないかって。
 まるで今まで欠けていたものをひとつひとつ埋めてゆくように。

 きっと、それは。
 風子たちの願いの欠片なのだと、そう思ったんです。

153ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:30:43 ID:z5jnCwq20
【時間:3日目午前1時30分頃】
【場所:I-6】

リサ=ヴィクセン
【所持品:M4カービン(残弾15/30、予備マガジン×3)、鉄芯入りウッドトンファー、ワルサーP5(2/8)、コルト・ディテクティブスペシャル(0/6)、支給品一式】
【所持品2:ベネリM3(0/7)、100円ライター、参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、フラッシュメモリ(パスワード解除)、支給品一式(食料と水三日分。佐祐理のものを足した)、救急箱、二連式デリンジャー(残弾1発)、吹き矢セット(青×4:麻酔薬、黄×3:効能不明)】
【所持品3:何種類かの薬、ベレッタM92(10/15)・予備弾倉(15発)・煙草・支給品一式】
【状態:鎌石村の学校に移動。どこまでも進み、どこまでも戦う。全身に爪傷(手当て済み)】

姫百合瑠璃
【所持品:MP5K(18/30、予備マガジン×8)、デイパック、水、食料、レーダー、携帯型レーザー式誘導装置 弾数2、包丁、救急箱、診療所のメモ、支給品一式、缶詰など】
【状態:浩之と絶対に離れない。浩之とずっと生きる。珊瑚の血が服に付着している】
【備考:HDD内にはワームと説明書(txt)、選択して情報を送れるプログラムがある】

藤田浩之
【所持品:珊瑚メモ、包丁、レミントン(M700)装弾数(3/5)・予備弾丸(7/15)、HDD、工具箱】
【所持品2:フライパン、懐中電灯、ロウソク×4、イボつき軍手、折りたたみ傘、鋸、支給品一式】
【状態:絶望、でも進む。瑠璃とずっと生きる。守腹部に打撲(手当て済み)】

一ノ瀬ことみ
【持ち物:H&K PSG−1(残り0発。6倍スコープ付き)、暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯、ポリタンクの中に入った灯油】
【持ち物2:要塞開錠用IDカード、武器庫用鍵、要塞見取り図、フラッシュメモリ】
【持ち物3:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式(保健室でいくらか補給)、乾パン、カロリーメイト数個、カメラ付き携帯電話(バッテリー十分、全施設の番号登録済み)】
【持ち物4:コルト・パイソン(6/6)、予備弾×13、包帯、消毒液、スイッチ(0/6)、ノートパソコン、風邪薬、胃腸薬、支給品一式】
【状態:左目を失明。左半身に怪我(簡易治療済み)。麻酔により睡眠中】
【目的:生きて帰って医者になる。聖同様、絶対に人は殺さない】

【その他:外にある車は使用可能なようです】

154ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:31:01 ID:z5jnCwq20
【時間:3日目午前1時30分頃】
【場所:F−3】

川澄舞
【所持品:日本刀・投げナイフ(残:2本)・支給品一式】
【状態:同志を探す。往人に付き従って行動。強く生きていたいと考えている。額から出血。両手に多少怪我(治療済み。支障は全くない)、肩に浅い切り傷】
【その他:往人に対して強い親近感を抱いている。剣道着を着ている】
その他:舞の持ち物(支給品に携帯食が十数個追加されています。)

朝霧麻亜子
【所持品1:デザート・イーグル .50AE(1/7)、ボウガン(32/36)、バタフライナイフ、支給品一式】
【所持品2:芳野の支給品一式(パンと水を消費)】
【状態:鎖骨にひびが入っている可能性あり。軽い打ち身。往人・舞に同行】
【その他:体操服(上下のジャージ)を着ている】

国崎往人
【所持品:フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 4/5 +予備弾薬5発、パン人形、38口径ダブルアクション式拳銃(コルトガバメントカスタム)(残弾4/10) 予備弾薬35発ホローポイント弾11発、スペツナズナイフの柄、支給品一式(少年、皐月のものを統合)】
【状況:強く生きることを決意。人形劇で誰かを笑わせてあげたいと考えている。全身にかすり傷。椋の捜索をする】
【その他:左腕に文字を刻んだ。舞に対して親近感を抱いている(本人に自覚なし)】

那須宗一
【所持品:FN Five-SeveN(残弾数0/20)、防弾チョッキ、SPAS12ショットガン8/8発、投げナイフ1本、鉈、H&K SMGⅡ(30/30)、ほか水・食料以外の支給品一式】
【所持品2:S&W M1076 残弾数(6/6)とその予備弾丸9発・トカレフ(TT30)銃弾数(0/8)、デザートイーグル(.44マグナム版・残弾4/8)、デザートイーグルの予備マガジン(.44マグナム弾8発入り)×1、S&W、M10(4インチモデル)5/6】
【持ち物3:ノートパソコン×2、支給品一式×3(水は全て空)、腕時計、ただの双眼鏡、カップめんいくつか、セイカクハンテンダケ(×1個&4分の3個)、何かの充電機】
【状態:全身にかすり傷】
【目的:渚を何が何でも守る。鎌石村小学校に移動し、脱出の計画を練る】 

古河渚
【持ち物:おにぎりなど食料品(結構減った)、支給品一式×2(秋生と佳乃のもの)、S&W M29 1/6、ロープ(少し太め)、ツールセット、救急箱】
【状態:心機一転。健康】
【目的:人と距離を取らず付き合っていく。最優先目標は宗一を手伝う事】

→B-10

155ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:38:39 ID:z5jnCwq20
伊吹風子
【所持品:サバイバルナイフ、三角帽子、青い宝石(光四個)、グロック19(0/15)、イングラムM10(0/30)、イングラムの予備マガジン×1、M79グレネードランチャー、炸裂弾×2、火炎弾×9、Remington M870(残弾数4/4)、予備弾×17、スイッチ(未だ詳細不明)、トンカチ、カッターナイフ、SIG(P232)残弾数(2/7)、仕込み鉄扇、ワルサー P38(0/8)、フライパン】
支給品一式】
【状態:泣かないと決意する。全身に細かい傷、及び鈍痛。民家に残る】

ルーシー・マリア・ミソラ
【所持品:IMI マイクロUZI 残弾数(20/30)・予備カートリッジ(30発入×4)、支給品一式×2】
【状態:生き残ることを決意。髪飾りに美凪の制服の十字架をつけている】
【目的:とりあえず渚にくっついていく】 

すみません、こちらの状態表も追加で…

156この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:25:42 ID:fpOY18Yg0
 
「家庭の問題です。口を挟まないでいただけるかしら」

ぽたり、ぽたりと。
実妹の肉片のこびり付いた深紅の爪から粘りつくような血を垂らしながら、
柏木千鶴が薄く笑う。
足元、切り落とされてなおびくびくと蠢く黒腕とその主には目もくれない。
血の海にもがく妹の、声にならぬ悲鳴が広い洞内を反響するのも聞こえぬように、
優雅とすら映る仕草で胸元から白いハンカチを取り出すと、濡れた爪を拭い出した。
純白を彩る精緻な刺繍が、瞬く間に鉄錆の赤黒さに侵されていく。

「まあ、興味はないね」

来栖川綾香が肩をすくめれば、鋼線に薄い脂を巻き付けたような裸身が焔に揺らめいて艶かしい。
ひたり、と歩を進める。
素足が赤黒く滑る水溜りに踏み込んで、粘ついた音を立てた。

「それより……家の人間がこっちに顔、出さなかったかな」

生温い血が、ねっとりと糸を引くように足裏に絡みつく。
気にした風もなく、切り出した。

「お宅の方、ですか。……さあ、存じませんが」

貼り付けたような笑みを浮かべたまま、ほんの僅か虚空を眺めるようにして、千鶴が答える。
一呼吸、二呼吸。
垂れ落ちる鮮血を指先で掬って、互いの気管に塗り込め合うような沈黙の後。

「―――ああ、もしかして」

157この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:26:06 ID:fpOY18Yg0
弓形に歪んだ深紅の瞳に、瑞々しい侮蔑と匂い立つような嘲りとを浮かべて、
千鶴が糊の効いた、真新しい濃紺のスーツの懐に手を差し入れる。
仕立てのいい上質の布が、さらさらと耳を楽しませる衣擦れの音を立てた。
その長い手指が、ゆっくりと懐から掴み出したのは、

「これの、ことかしら」

はらはらと。
はらはらと、音もなく舞い散る、絹糸のような何か。
揺らめく焔の光を拒むような漆黒。
力なく横たわる蛇の亡骸の如く地に落ちて広がる、それは。

「―――」

長く、美しい、女の黒髪。
切られたものではない。
断たれたものではない。
その片端に、白い毛根と脂とをこびり付かせたそれは、刃によって裁断されたものでは、あり得ない。
薄桃色に見えるのは皮膚組織とその下の、血に塗れた小さな欠片だろうか。

「残りは……ほら」

五指に纏わり付く黒髪を払った千鶴が、周囲を睥睨するようにその両手を広げる。
ゆらゆらと、蜀台の炎に薄暗がりが照らされて、岩場の陰影を際立たせる。
つられるように、綾香がゆっくりと視線を向けた、その先に。

「その辺りに、散らばっているわ」

158この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:26:36 ID:fpOY18Yg0
ゆらゆらと揺れる影と、ひたひたと拡がる血溜まりと、はらはらと舞う黒髪と。
悶える少女と、起伏の激しい剥き出しの岩場を彩る、もう一つ。
千切り取られたような、掌に収まるほどの、何かが一つ。

「―――」

ポタージュに浮かぶ、小さなクルトンのような。
血溜まりに落ちた、塊がある。
白と、赤と、薄黄色と桃色と。
およそ、人の皮を剥いた下にある、色の全部が、そこにある。
ゆらゆらと、揺らめく光に照らされて。
ゆらゆらと、血の池に浮かんでいる。
骨ごと削り取られた、肉と脂と皮と、人体がそこに、浮かんでいる。

目で追えば、もう一つ。
その向こうに、更に一つ。
ああ、言われてみれば。
バケツに一杯のペンキを、辺り構わず何度もぶち撒けたような。
一面に拡がる鮮血は、今し方に切り落とされた腕一本から流れ出るには、多すぎる。

「―――」

ぬるりと。
意識をすれば、吸い込む大気に甘い香りの混じっているような錯覚を覚える。
取り込んだ肺の内側、小さな胞の一つづつを染め上げる、潰えた命の香り。
挽き潰された香辛料のような、爪の先の血管まで染み渡る、濃密で鮮烈な刺激。
それは途絶えた命の、途絶えさせられた命の、殻の中の甘い実の立てる、悲鳴だ。

159この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:27:03 ID:fpOY18Yg0
「―――」

岩場に転がる小さな塊が、揺らめく焔を照り返す。
染み出た脂が包むのは、胃の腑の欠片だろうか。
あちらに見えるは腹の肉。
丁寧に臍の周りを丸く抉り取っているから判じ易い。
そら、よく見ればあれは足先だ。
剥がされた爪がほんの少しの肉片をこびり付かせて並べられている。
してみれば、その向こうに乱雑に放り出されているのは手指の成れの果てだろうか。
或いは捻じ曲げられ、或いは細切れにされ、或いは踏み躙られたものだろうか、
幼子が飽きた玩具を放り捨てるようにばらばらに散らばっている。
ふるふると震える、薄黄色い葡萄の房のようなものは何だろう。
大きさからすれば乳房の中身かもしれない。
腕は何処だ。肩は何処だ。肺腑は何処だ。肝臓はあそこにあった腎臓は向こうに見える。
脾臓は何処だ膵臓は何処だ腸は何処だ子宮は何処だ骨盤は何処だ性器は何処だ掌は何処だ。
脚は何処だ腿は何処だ膝は何処だ脹脛は何処だ踝は何処だ足は何処だ。
肋骨と腰椎と脊椎と延髄と脳髄と眼窩と眼球と鼻腔と口唇と頬と眉と顎と耳と、
犬歯と臼歯と切歯と内舌筋と外舌筋と喉頭と声帯とは何処にある。

ああ、ああ。
集めればそれは、人体と呼べるものに、なるのだろうか。
掬い上げて、練り合わせて、再び人と呼べるもののかたちに、戻るだろうか。
それほどに、散らばったものは数多く、乱雑で、複雑で、猥雑で、そして、醜い。

それは、かつてそれが人であったことに思いを馳せるにはあまりに遠く。
それが、かつて来栖川芹香と呼ばれていたことを思い出すにはあまりに脆く。
しかし。

「……ああ、そっちのつもりじゃあ、なかったんだが」

だから、ではなく。
故に、でもなく。
ただ、表情を変えずに、来栖川綾香は、小さく呟いた。

「まあ、いいさ」

そこに情はなく。
そこに色はなく。
水底に沈む神代の宮殿のような、透明の静謐を以て来栖川綾香は、その惨劇を首肯する。

160この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:27:38 ID:fpOY18Yg0
「姉が世話になった」

細く呟く、その瞳は奇妙に凪いでいる。
来栖川芹香であった肉の欠片たちを見下ろしてなお、その瞳は揺らがない。
冬の夕暮れ時の、雨にも雪にもならぬ薄曇りのどこか霞がかったような昏さだけが、そこにある。

「いいえ、とんでもない。退屈しのぎには充分でした」

可笑しくて仕方がない、というように笑む柏木千鶴にも、綾香は感情を返さない。

「何よりだ。連れ帰ってもいいかな」
「どうぞ、ご随意に」

す、と。
深く笑んで頷いた、柏木千鶴が優美な仕草で歩を踏み出す。
高いヒールが、かつりと音を立てた。
踏み出したその細い足が、文字通り間髪を入れず捻られる。
ぐり、ざら、と、嫌な音を立てて踏み躙られるのは、地に落ちて広がる長い黒髪の束。
来栖川芹香の、遺髪だった。

「……」
「どうか、されましたか」

蹂躙される黒髪が焔の影に煽られて、乱れた繻子のようにその綾を変えていく。
がり、と音がする度に、長く美しかった髪が傷つき、千切れる。
その暴虐を、しかし無感情に見返して、綾香が口を開いた。

「別に。……本題に入ってもいいかな」
「何でしょう」

襟足で短く切り揃えられた髪をかき上げながら、綾香が瞼を閉じ、開く。
光届かぬ高い天井の、黒々とした闇を一瞬だけ見上げて、視線を下ろした。

「家の使用人は見てないかな。元々、捜してたのはそっちの方でね」
「使用人、と仰ると」
「メイドロボ。特注の一品物でね」

綾香の口元が、微かに緩む。
それが笑みの萌芽とでも呼ぶべき表情であると、綾香自身も気付いていたかどうか定かではない。
しかしそこには、確かな温度があった。
姉の身の無惨をして無色透明を貫いた女の顔に浮かぶ、それは感情の欠片だった。

161この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:28:09 ID:fpOY18Yg0
「……さあ、存じません」

その微笑を見返して、こちらは笑顔という面の形に練り上げられたような柏木千鶴の、
深紅の瞳が冷ややかに細められていく。

「妙な鉄屑なら、あちらの方に落ちてきたように思いますが」

目線だけを動かした、その先には闇が広がっている。
血溜まりは見えない。
浮かぶ塊は見えない。
暗闇に飲まれて、そこには何も見えない。
しかし、赤い瞳の鬼は笑みを深めていく。
熱という熱を奪い去るような、暗く深い、冷笑。

「ただ何しろ我楽多のこと、ガタガタとやかましくて敵いませんでしたので―――」

色と音とを喪って、透き通る氷の華が鋭い棘を伸ばすように。
鬼が、嗤う。

「―――螺子の一本に至るまで、つい」

くつくつ、くつくつと。
言葉を切って、肩を震わせる。

「そういえば」

くつくつと。
声を漏らして、忍び嗤う。

「お姉様は随分と礼儀正しくていらっしゃるのね」

くつくつと。
本当に、心の底から嬉しそうに。

「五体くまなく切り刻まれているのに、悲鳴の一つも上げないなんて」

くつくつと。
歓喜と法悦とに、突き上げられるように。

「はしたなく泣き叫んでくれれば、もう少し楽しかったのだけれど」

くつくつ、くつくつと。
腐った傷から、膿が垂れて流れるように。

「あなたにも見せてあげたかった。とても残念だわ」

ぐつぐつ、ぐつぐつと。
嗤う。

162この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:28:54 ID:fpOY18Yg0
「―――そうかい」

膿を掬って鍋に集めて、火にくべて煮込むような音の中。
噴いた灰汁の泡立ってぶつぶつと潰れるような笑みの中。
その悪意を凝集し憎悪を結晶させたような湯気の立つ中に、来栖川綾香は霞んでいる。
霞んでしかし、立っている。

「厳しい家訓が我が家の売りでね」

立って返した、言葉の色は白。
降り積もる雪の、どこか青みがかったような深い白。

「……ああ、それと」

浮かべた笑みの色は群青。
明けゆく夜に名残を惜しむような、淡い星に彩られた群青。

「―――化け物が、人間面して礼儀を語るなよ。気分が悪い」

吐息に混じる色は緋。
紅蓮を燃え盛る焔の纏う衣に宿る、灼業の嚆矢たる緋。

「……これは、申し訳ありません」

ちろちろと、己を舐める炎に炙られて柏木千鶴が笑みを収める。
代わりに浮かぶのは、混じり気のない侮蔑。

「成り上がってたかだか百年程度のお家柄に、作法のお話は難しすぎましたか」

ひと吸いで人の善意を侵し尽くすような汚辱。

「道を空けろ、売女」

べっとりと肺の内側に貼り付くように濃厚な嘲弄。

「力ずくでどうぞ、河原者のお嬢様」

軽侮と憎悪と怨嗟と恩讐とを捏ねて焼き上げた器を、地面に叩きつけて割るような。

「そうするさ」

言葉が、途絶える。



***

163この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:29:20 ID:fpOY18Yg0
 
 
先手は風。
疾風と化した来栖川綾香である。
疾走開始の一歩目、走るより跳ぶに近い前傾姿勢。
二歩目、体を更に落とす。
三歩目、間合いに踏み入らんとする刹那、綾香が体幹を軸に身を捻る。
慣性を回転力へと変換し、遠心力を加えて薙ぐのは一度大きく後ろに振り出した右の脚である。
細いピンヒールを履いた千鶴の両足を刈り込むような軌道は初手奇襲、下段後ろ回し蹴り。
迫るのは二択。跳ぶか、退がるか。
地面すれすれ、踵で足首関節を狙う絶妙の狙いはカットで凌げない。
跳ぶならばよし。
顔面へ打ち下ろされる迎撃の蹴りを警戒しつつ遠心力を維持。
接近しての左肘、或いは足を取って関節、二秒で折る。
退がるならば追撃。
押し込んで距離を詰め、刃の爪の間合いの内側で打撃戦に持ち込む。
入りは左のフェイントから、髪を掴んで右の膝。
考えられる迎撃は無限、対応のパターンもまた無限。
しかし膨大な経験が或いはそれを有限とする。
流れに組み込めぬ水面蹴りの大きなモーション、ならば初手。
女王と呼ばれたストライカーの、それが思考である。
だが。

164この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:29:35 ID:fpOY18Yg0
「ちぃ……ッ!」

舌打ちは綾香。
前進が止まっている。
対峙する千鶴は、跳ぶも退がるもしていない。
ただ悠然と、立ち尽くすのみである。
躱されたのではない。
綾香の踵は、寸分の狂いもなく千鶴の足首を真横から打ち抜いている。
だが、揺らがぬ。
まるでそれは、大地に根ざした巨樹の如く、小揺るぎもしておらぬ。
硬く、重く、誤って分厚い壁にでも蹴りを当てたような、痺れるような痛み。
重量に大きな差があるとも見えぬ。
太極の技の如く、打撃の瞬間に力を逃がされたわけでもない。
ならばそれは慣性を、作用反作用を、物理法則を無視した異様であった。
原理原則は知れぬ。
しかし確かなのは、眼前に迫った危険である。
格闘家としての経験則がすべての疑問を棚に上げて綾香を衝き動かす。
蹴り足を引きつつ、抱え込んだ軸足を全力で解放。
後転と側転の合間を縫うような後ろ受身から、上体へのガードを固めつつ一気に立ち上がる。
追撃の一発は覚悟。胴への警戒は半ば放棄する。
よしんば横薙ぎの爪の一閃で切り裂かれたとして、それも想定の内。
人体には致命傷となるはずの斬撃に対しても、綾香にはある種の計算があった。
必要なのは覚悟と認識。
何が死に直結し、何がそうでないのか。
死ぬ一撃と、それ以外。
真の意味で刹那をしか見ない綾香の思考は、既に生物として破綻している。
痛覚など無視すればそれで済むという高揚が、湧き上がってくる。
暗い水底に沈んでいた感情が泡を吐きながら浮上してくるような、どこかで空転していた歯車が
かちかちと噛み合って一つの機構となって、巨大で重いギアをようやくにして回そうとしているような、
そんな天井知らずの昂奮。
背筋に奇妙な電流の走る感覚を、綾香は愉しんでいる。
来栖川綾香という存在がその意義を満たそうとしているという、錯覚の自己認識。
空腹に任せて焼けた肉を噛み千切るが如き多幸感に包まれて、綾香は己を切り裂く刃を待っている。
願うは胴を断ち臓腑を引き裂いて背骨を粉砕せしめる圧倒の刃風。
破滅よ迫れと、告死の神よ来たれと、近づいたその黒衣を抱いて口を吸うような、倒錯の悦楽。
終焉を紙一重を隔てた刹那をこそ、ダンスパートナーに選ぶように。
白い裸身に歓喜を纏い愉悦を履いて暴虐で身を飾り、来栖川綾香は破滅を踊る。

果たして―――、一閃。

165この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:30:09 ID:fpOY18Yg0
広がるのは血潮。
飛沫を上げる赤をその舌で舐め取って、綾香が一歩、二歩を下がり、止まる。
ひぅ、と漏れた吐息が濡れている。
追撃はない。
柏木千鶴は深紅の爪を無造作に振り抜いた姿勢のまま、悠然と立っていた。
その瞳に宿る殺意と憎悪と、そして微かな失望の色とを見て取って、綾香が嗤う。
ぱっくりと開いた傷口を押さえた手の中に、ぐずりと滑るものがある。
溢れる血と混じって零れる、それは薄い脂肪の膜だ。
探る手指は腸には触れない。
創傷は、臓物までは届いていないようだった。
皮膚と脂肪と、腹筋と。
それだけを抉って、そこまでを引き切って、刃は引かれていた。

「面倒ね」

―――成る程。
嗤う綾香が、呟く千鶴の声に内心で頷く。
気にくわない。
この傷は、実にまったく、気にくわない。
あのタイミング、あの反応、あの速さで斬られておいて、これではひどく―――浅すぎる。
成る程、成る程。
ぎり、と噛んだ奥歯が音を立てた。
その鈍い音に感じる不快に身を任せて、ぼたぼたと垂れる自らの血溜まりに足を踏み入れる。
一歩と半分で、蹴りの間合い。
再び迫る綾香に、柏木千鶴は表情を変えない。
つまらなそうな、冷ややかな瞳が綾香を射抜く。
構わず、踏み込んだ。
迎撃は変わらず右手の爪。
向かって左の側から横薙ぎに振られるそれに綾香は左腕を翳す。
ばつりと筋繊維が断裂する感覚を、単なる神経情報として処理。
更に一歩を踏み込む。
既に突きの間合いをすら越えている。
殆ど密着するようなクロスレンジ。
半ばまで断たれた左腕から刃が抜き去られるのを感じながら選択したのは右脚。
裂けた腹を押さえた右の腕で胴を抱え込むように、強引に体幹を捻る。
垂直にかち上げた腿から、更に体を引きつつ膝下だけを外側からしならせるように蹴り上げる。
驚異的なバランスに加え、筋肉のみならず関節の柔軟性をすら要求される、密着からの外廻し蹴り。
芸術とすら云える軌道から狙うは側頭、薄い頭蓋に覆われた神経組織―――テンプル。
音に近い疾さを以て放たれた一撃を、しかし、迎え撃つのは鬼神の反応。
微かに表情を変えた千鶴が、白くたおやかと見える左の腕を上げる。

166この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:30:34 ID:fpOY18Yg0
神速がほんの僅か、音速を凌駕した。
蹴り足が、打点の寸前で止められていた。
やはり手応えというものを感じさせず綾香の一撃を止めたのは、細い五指である。
ただ翳されているだけとすら思える細腕を、薄い掌を、摘めば折れてしまいそうな白い指を、
綾香の蹴りは打ち抜けない。
風をも切り裂く蹴撃をまるで見切ったかのように己の足首をしっかりと掴む手に、
綾香が苦笑に近い形で口元を歪める。
跳んで身を引く事も許されず、体を支えるのは軸足一本。
左腕は半ばまでを断たれ上がらず、即ちそれを隙という。
隙は窮地となり、窮地は瞬く間に危地へと変わる。
与えられた間は、許された思考時間は正しく刹那。
誤れば死へと繋がる絶対の分水嶺が眼前に迫っていた。

―――闘え、と。

声が、聞こえた。
勝利するために闘えと、己を突き上げる声が聞こえると、綾香には感じられていた。
闘え。恐怖を捻じ伏せ怯懦を切り伏せ闘争と繁栄との本能を鬩ぎ合わせろ。
拳と意地のやり取りの中で培ってきたものたちを炉にくべろ。
勝利への執念を手がかりに無敗の矜持を足がかりに危地の山脈を踏破しろ。
闘争せよと、勝利せよ蹂躙せよ君臨せよと命じる声が、来栖川綾香を加速する。
それらは今、唐突に聞こえてきた声ではない。
それは常に来栖川綾香の内に在る声で、誰の耳にも聞こえているはずの声で、誰も聞こうとしない声だ。
衝き動かされるように、思考は言語を凌駕して演算を開始。
敵、柏木千鶴の姿をイメージに投影。
一瞬前を、その一瞬前を、更にその僅か前を思い、並べ、時という連続体の錯覚を設定。
彼我の状況を分析し解析し解読する。
敵の必殺は爪、恐れるべきは右の斬撃。
頭部への一閃を避けるのが至上命題、他の部位はくれてやれと優先順位を設定。
引き抜かれた右は戻りきらず至近に突きはあり得ない。
必殺の斬撃と化す鬼の爪による一撃は、しかし故に刃と同じ対処を適用できる。
伸びる爪刃は掌より凡そ五寸。

167この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:30:54 ID:fpOY18Yg0
引けぬ、と判断。
ここから距離を開ければ敵にとって絶好の間合いとなる。
逆に相手はこちらを突き放すことを第一の目標と定めて動くと仮定。
密着状態、重心は僅かに後傾、考え得る攻守の手筋を思い浮かべる。
定石ならばまず頭突き、側頭への肘、打ち下ろしての鎖骨打ち、或いは寸打に近い胸骨打ち。
いずれ単体では致命に至らず、しかし彼我の距離さえ離してしまえば投了へと続く筋。
先は取れず、守勢に回れば手が詰まるか―――否。
否、と綾香は結論付ける。
定石だけを考えるな。リングの上の常識で相手を図るな。思考を、縛るな。
柏木千鶴がこれまでに見せた動きのすべてを思い起こせ。
圧倒的な力、異様な防護、戦慄すべき反応と速度―――違う。
スペックではない。見方を変えろ。探すべきは付け入る隙。
振るう爪の直線的なモーションはどうだ。
視界に入った打撃を直截に防ごうとする後手の反応を考えろ。
体の捌きは、重心移動は、視線の位置は攻防予測は間合いの読みは。
幾つかの断片から見えてくる絵が、綾香をして内心で大きく頷かせる。
敵は鬼。怪力乱心、無双を誇る怪物だ。

―――しかし、鬼でしか、ない。

その打撃には、鍛錬がない。
練磨なく、研鑽なく、修養がない。
素養に胡坐をかいた、それは磨かれることのない巨大な原石だ。
故に定石を知らず、故に基礎と応用と機に臨んで応えるだけの抽斗が存在しない。
彼我の間に横たわる断崖を、資質という。
その断崖に架ける橋の名を、経験と、そして修練と呼ぶ。
ならば―――と。
手筋を練り上げるまでに要したのは、実に刹那の間。
しかし均衡を保つのも、それが限界だった。
瞬間、足首を掴んだ繊指からの圧力が膨れ上がるのを感じて、綾香が哂う。

168この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:31:17 ID:fpOY18Yg0
「……だよなあ、化物」

そうだ。そうするしか、ないだろう。
みしみしと、己が肉と骨とが軋む音を耳朶の奥に感じながら綾香が推論の正しさを確信する。
鬼の思考にはこちらを突き放すための定石がない。
距離を開けるために思いつく手段が、限られている。
そして選ぶのは、その中で最も直線距離の近いもの。
短絡とすら呼べる、しかし確実で容易い手段だ。

「―――!」

転瞬、変生が始まる。
白くきめ細やかな肌が、まるで悪性の病に冒されたかのように黒く分厚く、醜く罅割れていく。
しなやかだった五指は一瞬の内に野太く膨れ上がり、その錆びた鉄条網を芯にして委細構わず
砂礫や石くれを練り込んだような刺々しく硬い手が、万力の如く綾香の足首を締め上げる。
そして変生を締め括るように顔を覗かせたのは、刃である。
漆黒の手指の先から伸びるそれは深紅。鬼の手に生える、爪だった。
柏木初音も見せた、両腕の変生。
いや増す鬼気に綾香の背筋を戦慄に近い悦楽が走った、その瞬間。

169この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:31:41 ID:fpOY18Yg0
痛覚神経が、緊急を脳髄に伝達してくる。
最優先と銘打たれけたたましく鳴り響く信号は同時に四つ。
曰く表皮が裂け曰く真皮が爆ぜ曰く血管が破れ曰く神経が抉られ曰く筋繊維が千切られ、
曰く骨膜が斬られ骨質が砕かれ骨髄が欠損し―――即ち鬼の手の、親指を除く四本の爪が
綾香の右脚に深々と突き立てられ、豆腐に包丁を立てるようにその半ばまでを易々と切り裂いて、
肉と骨とを、食んでいた。

「―――」

声の一つも、漏らさない。
苦痛として変換されようとする痛覚を、過剰に分泌される脳内麻薬が相殺していく陶酔感。
生物としての本能が発する死に繋がる信号は、既に来栖川綾香には脅威と認知されていない。
ぐらりと揺れる世界に、上体の傾きが増していると認識。
血飛沫の珠が、明度の落ちた視界を彩る。
ぱっくりと口を開けた四つの傷跡から緋色の尾を引きながら、右脚が流れていく。

「ああ、本当に面倒なこと」

半ば放り棄てるように、或いは突き飛ばすように。
人体としての機能を停止させつつある綾香の右脚を力任せに払い除けて、柏木千鶴が呟く。
掴んだその手を握り締める、単にそれだけの動作で人を破壊せしめた鬼の左手が、空いた。
突き放された綾香を支えるのは軸足一本。
左腕と右脚は骨に達する傷を負い、上体を支持する腹筋は大きく抉られ、最早抗すべくもない姿を
その冷たい瞳に映して、千鶴が心底から憂鬱そうに息を吐く。

「こう脆くては……嬲り殺すにも、苦労する」

容易く二つに裂けたはずの胴を薙がず。
苦もなく切り落とせた左の腕を、ほんの少し力を込めるだけで断ち切れた右脚を落とさず。
ただ、あっさりと殺してしまわぬようにだけ腐心したと言わんばかりに辟易した表情を浮かべる千鶴の、
深紅の爪が、高々と振り上げられる。
次に薙ぎ、裂き、抉るのはさて、何処にしようか。
目玉に十字を刻もうか。かんばせに二目と見られぬ恥辱を描こうか。

―――そんな風に考えているか、化物。

170この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:31:57 ID:fpOY18Yg0
天頂を指し、今まさに振り下ろされんとする爪刃を目の端に映して、綾香が哂う。
哂うその眼には、恐怖も覚悟もない。
そこにあるのは、闘争に身を置き勝利と生と死と敗北とを隔てず渾然と認識する者だけが宿す、
爛々と光を放つ焔である。
込めるのは力。そして、意志。
脳髄から神経を通して伝えられる指令に、全身の細胞が励起する。
開いた距離を繋ぐように迫る斬撃の、その緋色の軌跡よりも早く。
来栖川綾香が、躍動する。
それは練り上げた手筋から、ほんの僅かも逸れることのない、澱みのない流れ。
柏木千鶴に弾かれ、放り棄てられた綾香の右脚は、股関節と重力との描くモーメントに従って
外側へと弧を描いて落ち、しかしその勢いは止まらない。
骨の半ばまでを断たれ、鮮血を噴いて力なく垂れ落ちるはずの脚が、地を摺るように加速。
円弧の運動をそのままに、後傾させた上体を軸として跳ね上げられる。
時計回りの軌道は遂に真円を描くが如く、加速の頂点で千鶴の顎を刈るように吸い込まれていく。
視界の外、想定の外から迫る打撃に、如何な千鶴の神速の反応とて追いつかない。
振り下ろさんとする左の爪、突き入れんとする右の爪。
共に、迫る打撃を防ぐことはかなわない。

「その、脚で―――」

蹴りを放てるはずがない、と言おうとしたものか。
或いは、苦し紛れの打撃に威力のあるはずもない、と続けようとしたものだったか。
いずれ柏木千鶴の言葉は途切れていた。

171この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:32:13 ID:fpOY18Yg0
「……!?」

驚愕に彩られたその瞳に、綾香の笑みが深くなる。
それが映しているものを、怪奇と受け取ったか。
成る程、この身に宿るは鬼をして戦慄せしめる怪異であったかと、綾香が声を漏らして哂う。
さも、ありなん。
円を描いて奔る綾香の右脚は、ずぐずぐと泡を噴きみぢみぢと音を立て、奇怪に満ち面妖に溢れている。
噴き出していたはずの鮮血は既にない。
流れきり、絶えたものではない。
千切られ抉られて断面を見せていた血管は、とうの昔に癒えていた。
否。癒えているのは、血管ばかりではなかった。
傷が、ばっくりと裂け骨を覗かせていたはずの創傷が、見る間に癒えていく。
ぶつぶつと黄色い泡が桃色の肉の断面を覆い尽くせば、肉はたちまち腐って爛れるように融け崩れ、
しかし直後にはめりめりと奇妙な音を立てて粘ついた糸を引き、肉の断面から伸びる糸同士が繋がって
傷を塞ぐように癒着していく。
塞がった傷から漏れ出した泡が固まって薄皮が張り、桃色の真皮はすぐに肌のきめを取り戻す。
存在していたはずの傷跡は、そうしてどこにも見当たらない。
右脚が、左腕が、裂かれた腹が、そうしてみぢみぢと、めりめりと、ぶつぶつとずぐずぐと、癒えていく。
それは、鬼の血が持つ驚異的な治癒力をすら一顧だにしない、怪異の領域。
仙命樹と呼ばれる不死の妙薬をもってしても遠く及ばぬ、醜怪な神秘。
その二つを共に宿した来栖川綾香の身の内に起きる霊妙を、語り得るものはない。
自身ですら、それが如何にして為されるものかを理解してはおらぬ。
しかし一度は人の形をも喪った来栖川綾香に、再び大地を踏みしめさせたのはこの力であった。
何時まで続くものかは知れぬ。
何処まで耐えられるかも判らぬ。
だが来栖川綾香は、怪異の上に立っている。
立って打ち放ったその蹴りが、柏木千鶴を、その整った顎先を、掠めるように射貫く。

172この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:32:43 ID:fpOY18Yg0
「―――」

一撃。
右内廻し蹴り、太極拳に云う擺蓮脚。
脚を畳むように身に寄せると同時、軸足でバックステップ。
三歩を下がった綾香の眼前で、深紅の爪が力なく空を切る。
必殺とみえた刃を振り抜いた千鶴が、ぐらりと揺れ、たたらを踏む。

「へえ」

その様子に、最早流れ出た血の跡すら見当たらぬ白い裸身を誇らしげに晒して、綾香が口を開く。

「脳震盪か。鬼の頭にも入ってるんだな、脳味噌くらいは」
「……」

僅かな沈黙。
変生した漆黒の掌をこめかみに当てるようにして細く息を吐いた千鶴が、静かに眼を見開いて、
綾香を見据える。色は深紅。
魔の跋扈する夜に浮かぶ月の色。
鮮血と臓物の色の瞳に燃えるような憤怒をはっきりと湛えて、千鶴が言葉を返す。

「……訂正するわ」

かつり、と響くのは踵を踏み鳴らした千鶴の靴の、細いヒールが折れる音。
菜園を荒らす芋虫を踏み躙るような仕草で靴を放り出した千鶴が、広がる血溜まりに足を踏み出す。
ひたり、と淡い色のストッキングが粘る血を吸い込んで赤黒く染まっていく。

「それだけ頑丈に出来ているのなら―――嬲り殺すには、丁度いい」

剥き出しの殺意に、綾香が愉しげに、哂った。

173この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:33:45 ID:fpOY18Yg0
 
【時間:2日目 ***】
【場所:***】

来栖川綾香
 【状態:仙命樹、ラーニング(エルクゥ、魔弾の射手)】

柏木千鶴
 【状態:エルクゥ】

柏木楓
 【状態:エルクゥ、瀕死(右腕喪失、全身打撲、複雑骨折多数、出血多量、左目失明)】

来栖川芹香
 【状態:死亡】

→1081 ルートD-5

174Crazy for You:2009/08/09(日) 02:30:44 ID:MibganzY0

痙攣する気管を抑え込んで、震える肺に酸素を取り込む。
ひ、ひ、と奇妙に高い音が喉から響くのを、柏木楓は自ら流した鮮血の池に頬を擦りつけながら聞く。
口元から流れ込む鉄錆の味が苦い唾液と混ざり合って粘膜を刺激する。
反射的に滲んだ涙の向こう、ぼやけた世界に、浮かぶものがある。

それは、珠だ。
紅く、黒く、小さな、ぶよぶよと僅かに形を歪ませる、小さな球形。
流れ拡がる血が飛沫を上げて撥ねた、そのひと雫が中空に結晶した、泡沫の紅い珠。
ほんの刹那、痛みも苦しさも忘れたようにその結晶珠に見入った、楓の眼前。
風が吹き―――珠が、弾けた。

ひょう、と。
鮮血の珠を二つに断ち割って吹き抜けた烈風が、倒れ伏す楓の前髪を揺らす。
その一瞬、風は実体と質量とを備えた影となり、それで楓はようやく気付く。
風は、影は、人だ。

風と感じるほどに疾く、影と見紛うほどしなやかに体躯を操ってぶつかり合うのは、二人。
ぼんやりと霞む視界と錆が挟まったかの如く回らぬ思考の中、懸命に目を凝らそうとした楓を
思い出したように襲ったのは、地獄の苦痛である。
ぶつりと、片肺に針の刺さるような激痛に楓の呼吸が止まる。
取り込んだ大気に棘でも生えているかのような、身体の芯を貫く惨苦。
まるで逃避は赦さぬと、眼前の死に向かい合えと命じるように響く煉獄の責め苦が、楓の脳髄を空転させる。
視界が狭まる。音が遠くなる。吹く風を感じる肌の感覚が、ひどく鈍くなっていく。
暗い井戸の底に引きずり込まれるような感覚。
冷たい岩肌を掻く指先が、がり、と音を立てて、柏木楓に新たな傷を作った。


***

175Crazy for You:2009/08/09(日) 02:31:06 ID:MibganzY0
 
一対の風は吹き荒れる虞風となり、瞬く間に嵐となって周囲のあらゆるものを薙ぎ払う。
じ、と摺り足に近い運びで半歩の更に半分だけ間合いを詰めた来栖川綾香が左構えから繰り出すのは左中段蹴り。
定石通りの肝臓打ちを狙った軌跡は、定石の範疇外から迎撃される。
柏木千鶴の右爪は外側へ無造作に薙ぎ払う動き。
肉を裂き骨を断つ刃を前に、しかし綾香は足を止めない。
濃密な筋肉を湛えた白い腿が、爆ぜるように膝から下の蹴り足を撃ち出す。
速度と質量との積算が即ち力であると証明するように、綾香の一撃が深紅の爪と激突する。
転瞬そこにあったのは、一秒を何倍にも引き伸ばす映写機に映せばぞぶりと音が聞こえてきそうな光景だ。
刃と化した千鶴の爪が触れた途端、綾香の白い肌がぷつりと裂ける。
裂けた皮は捲れ上がり血の珠を浮かべ、続いて顔を覗かせる桃色の肉を祝福するかのように紅く染まる。
ずぶずぶと肉を抉った刃が目指すのは脛骨。
と、人体第二の威容を誇るそれを断ち割らんと往くそれが、がくりと勢いを落とす。
骨を噛んだ刃が、桃色の肉に飲み込まれようとしていた。
肉から伸びるのは細い糸。ぬるぬると滑り、どろどろと粘り、ぶつぶつと泡を噴くそれは
深紅の切っ先を取り込んで癒合しようとでもいうかのように刃爪に絡みつく。
文字通り振り切るように、千鶴の爪に力が込められた。
滑る肉の糸をぶちぶちと千切りながら進む紅の刃が、食い込んだ脛骨の罅を広げていく。
びきりびきりと音を立てる五本の罅は無数の枝分かれを経て互いに近づいていき、終にはその肢を繋いだ。
鋭い欠片を撒き散らして周りの肉を傷つけながら太い骨が折れ砕ける。
勝利を謳歌する刃が、余勢を駆って腓骨を襲う。
抵抗は儚い。腓骨は腓腹筋とヒラメ筋を伴って断ち切られた。
深紅の爪が、血と肉と骨と皮との長い隧道を、抜ける。
脳髄から続く連結を断たれた綾香の左下腿が、重力に従って落ちるか。否。
輪切りにされたその瞬間には、ざらざらと汚らしい傷口のいたるところから肉の糸が伸びている。
糸はぐずぐずと縒り合わさり結びつき、更には噴き出そうとする鮮血を嘗め取るように掬って肉の内側に運んでいく。
ばらばらに断ち切られたはずの足が、瞬く間に繋ぎ合わさって傷を塞ぎ、痕には何も残らない。
繋がった綾香の左足が、勢いを殺さぬまま千鶴の腹を狙う。
舌打ちして千鶴が半歩を下がる。
体を開いた構えの僅かに前を、鋭い蹴りが駆け抜けた。

176Crazy for You:2009/08/09(日) 02:31:50 ID:MibganzY0
ここまでが、一瞬。
蹴り足を斬撃で輪切りにしてのける柏木千鶴も異形なら、顔色一つ変えずに断ち切られた足を繋ぎ、
むしろそれを織り込んだかのように蹴り抜いてみせた来栖川綾香も、正しく異形であった。
躱された左中段を戻しながら体を引こうとする綾香に迫る色は深紅。
千鶴の左爪が斜め下、右脇腹から切り上げる形で大気を斬る。
対する綾香は右半身に近い姿勢で軸足も右、回避は困難。
ならば右腕を犠牲にガードを固めるか。否。
綾香が採ったのは更なる攻めの一手であった。
即ち、軸足の右一本で前傾から、全体重と慣性とを飲み込んで加速。
元より詰めるほどの間合いもない。
文字通りの意味で手が届く距離からクロスレンジへ移行。
流れるような動作から叩き込むのは、眉筋ひとつ動かさぬ千鶴の、生き血を煮詰めたような瞳の間。
眉間への、縦方向の肘のかち上げである。
ご、と鈍い音に続く、ぞぶりと濡れた音。
肘打ちは命中。千鶴の眉間、頭蓋を直撃している。
しかし当然、ガードを捨てた綾香の右脇は無防備であった。
迫っていた爪刃の、それを見逃すはずもない。
五つの真っ赤な筋が綾香の白い裸身、薄い脂肪に覆われた肋骨の下から盛り上がった乳房までを深々と切り裂いている。
砕いた肋骨と肺腑とを混ぜて捏ねるように食い込んだ爪がぐるりと抉られるのと同時、綾香がバックステップ。
力任せに爪を引き抜いた傷口から鮮血の漏れたのは一瞬。
見る間に癒えていく傷を誇るように笑みを浮かべた綾香の口から漏れる呼吸も、間を置かず
喀血の混じった湿り気のある音から、乾いた鋭い音へと整えられていく。
千鶴の右爪が追い討ちをかけるように突き込まれたときには、既に綾香は間合いの外である。

攻防を組み立て直すように距離を取った綾香が、とん、と小さなステップを踏む。
軽快な足捌きは、徐々に小さく右へ、右へと回り込もうとする動きへと変わっていく。
対する千鶴はあくまで待ちの姿勢。
自身を中心として円を描く綾香を目線で追いながら、時折足を引いて白い裸身を正面へと置くように向き直る。
その冷徹な眼差しが光る貌に腫れはない。
肘打ちの直撃を受けたはずの眉間には、微かな鬱血の気配すらみられなかった。
何らの誇張もない無傷という、怪異。
それを一瞥した綾香もまた浮かべた笑みを隠さない。
代わりに唾を一つ吐き捨てて、ステップを続ける。

177Crazy for You:2009/08/09(日) 02:32:21 ID:MibganzY0
じり、と。
千鶴が何度目かに左足を引いた、その刹那。
視線が揺れ、重心がずれ、向き直ろうとする動作に両足が揃う、その一瞬を狙い澄ましたかのように綾香が掻き消えた。
否。正確を期するならば、千鶴の視界から消えるように、綾香が加速していた。
右へ、右へと回り込むステップから一変。
ほんの僅かな間だけ身を起こすと同時、倒れ込むように低い姿勢を取って慣性を相殺。
逆方向、向かって左側へと地を蹴り、緩い弧を描いて千鶴へと迫る。
フェイントと緩急による心理的、或いは視覚的な錯覚を最大限に駆使した、疾走。
押し退けられた大気が巻き起こす風とその中に混じる殺意とに千鶴が眼を向けた瞬間には遅い。
綾香は爪刃の間合いの内側、懐に飛び込んでいる。
密着に近い状態から、しかし綾香は速度を緩めない。
僅かに身を起こすが、未だ打撃に移るには低すぎる前傾姿勢。
女王の選択は初手、右の肘。
肝臓へと捻じ込んだ肘には微かな手応えも、やはり千鶴の体躯は揺らがない。
構わず、肘を抉り込みながら更に半歩。肩から全体重を腰骨へと叩き込む。
同時、空いた左手は千鶴の右腿を後ろから掬うように回り込んでいる。
変則のスピアー・タックル。
千鶴の経験次第では容易に膝でのカットもあり得ただろう、それは純粋にして古典的な突撃。
しかし密着からの攻防ではリングの女王に一日の長があった。
綾香の肩を支点、掬われた足を力点とした円運動は止まらない。
真後ろに回転していく視界の中、千鶴が咄嗟に身を捩ろうとする。
それが、失策だった。右の腿を抱えられたままの姿勢、自然と体は左側へと捻られる。
それは即ち、綾香へと背を向けながら岩場へ倒れるということである。
千鶴の足に絡みついた綾香が、得たりとばかりに笑む。
腿に絡む腕を振りほどくことも、視界に入れることも叶わぬまま倒れ込む瞬間、
タイトスカートのベルトに綾香の手が掛かるのを、千鶴は感じていた。
べしゃりと音を立てて二人の倒れた岩場には血の池が広がっている。
見る間に赤黒い染みに汚れていく千鶴の真新しい濃紺のスーツが、淡いベージュのシャツが、
ずるりと引き摺られ、更なる惨状を晒した。
ベルトに手を掛けた綾香が、半ば力任せに千鶴を仰向けに転がしたのである。
腿までまくれ上がったスカートの、仕立ての良い生地が、び、と音を立てて裂けた。

178Crazy for You:2009/08/09(日) 02:32:36 ID:MibganzY0
「……!」

状況を把握できぬまま本能的に上体を起こそうとした千鶴の目に飛び込んできたのは、
ごつごつと硬い角質に覆われた足の裏である。
反射的に爪で薙ぎ払い、裂いた足が出血もそこそこにぞぶぞぶと肉の糸で繋がるのに舌打ちした千鶴が
何かに気付いたように己が脚に目をやった頃には、既に綾香の仕掛けが完成していた。
いつの間に身を反転させていたものか、綾香は千鶴の足指を眼前に愛でるような姿勢。
その白い裸身を妖しく摺りつけるように、両手両足で千鶴の右脚を抱え込んでいる。
右の肘は千鶴の踵に添えるようにフック。
クラッチした腕と両脚とが、淡色のストッキングに覆われた千鶴の膝を挟むように絡みつく。
それがヒールホールドと呼ばれる、容易に膝関節を破壊せしめる危険な技であると千鶴は知らない。
知らぬがしかし、本能が告げる警告のまま、千鶴の身体が動いていた。
それは、綾香が完璧なホールドから上半身を捻り、千鶴の膝靭帯を捩じ切るよりも僅かに早く。
鮮血を煮詰めたような濃密な鬼気を口から漏らすと同時、千鶴の右脚がぐ、と持ち上がる。
眼を見開いたのは仕掛けた綾香である。
腹筋を使えぬ片足の筋力だけで、しかも膝を曲げ固定された姿勢から人ひとりの重量を支え、
あまつさえ持ち上げるなどは尋常ならざる驚異であった。
驚愕の内にも千鶴の膝を極めた上体を捻ろうとするが、遅い。
ふわ、と。一瞬の浮遊感。

「―――!」

僅かな間を置いて響いた轟音には、濡れた音が混じっている。
鉞の如く振り下ろされた千鶴の足が、絡みついた綾香ごと、血に塗れた岩盤を粉砕していた。
脊椎と骨盤と五臓とをいちどきに破壊され、さしもの綾香もけく、と奇妙な音を口から漏らして全身の力を抜く。
飛び散った血液と肉片と骨片とはすぐさま集合を開始、まるで逆回しの映像のように綾香の胴を再形成していくが、
その隙に千鶴は足を引き抜き、二歩、三歩を下がって呼吸を整えている。
がつ、と足元を踏み拉いたその右脚が、僅かに震えた。
渾身の力を込めた千鶴の一撃は、己が身体にも無視できぬ痛手を与えているようだった。



***

179Crazy for You:2009/08/09(日) 02:34:13 ID:MibganzY0
 
 
ぞぶりぞぶりと再生しながら、来栖川綾香が思考する。

―――今のやり取りは、惜しい。惜しいが、負けだ。
僅か半目の差で遅きに失した。これで命一つ。
ずるり、ずるり。
千切れた腸が癒合していく。

―――敵は両手に刃持ち。
悠長に締め落とす選択肢はない。
それは松原葵の辿った道だ。
ならば、と極め技を試してみればこの有様だった。
障害は常軌を逸した筋力と超絶的な反応速度。特に後者は厄介だ。
サブミッションは構造上、仕掛けに入ってから結果を出す、即ち相手の関節を破壊するまでに
どうしてもタイムラグが存在する。
それがたとえ寸秒であれ、人外の反応速度で対応されてしまえば何度仕掛けても結果は同じだ。
極める、という方向性も現段階で捨てざるを得ない。
それが、今の攻防で得た第一の結論。

―――しかし。
と、べちゃべちゃと子供が口を開けて物を噛むような音を立てて腹の穴が塞がっていくのを感じながら、
綾香が思考を先鋭化させていく。
締めるも極めるも通じないとなれば、残るは投げと打撃。
本来的にストライカーたる綾香の専門分野だ。
だが立ちはだかるのは、あの常識を逸脱した防護である。
防護と呼んではみたが、魔弾の拳で撃ち抜けない以上は防衛的な概念ではないのかも知れない。
まるで打ち込みの威力、運動エネルギーや慣性そのものを完全に相殺されているかのような手応え。
いずれ硬い、重いという位相を超越した、何かまったく別の物理法則が働いているかのような、
絶対障壁とでもいうべき何かであった。ある意味で筋力や反応速度といった、超絶的ではあっても
リングの上の物差しで計れるものより余程得体が知れぬ。
故に綾香もグラウンドに活路を見出そうと試みたものだったが、その道の一端は見事に断たれていた。
しかしそれとても決して無駄な行為ではなかったと、綾香は考えている。
一連の攻防、その流れの中には打撃戦に持ち込むための方法論、或いはその重要な手がかりが
転がっていると、膨大な経験に裏打ちされた勘が告げていた。

180Crazy for You:2009/08/09(日) 02:34:43 ID:MibganzY0
―――極限を思考し構築し適応しろ。
自らに与える猶予は一秒。
彼我の距離、呼吸のリズム、再生速度。デザイン、トレース、エミュレート、アジャスト。
寸暇を惜しんだ修練と実戦とで末端細胞に至るまで叩き込んだ動作を展開し実践。
来栖川綾香の戦場に無様は要らない。
その手に掴み、掲げるべきは勝利の二文字。
そこへ辿り着くための道筋を、寸秒の間に導き出せ。

―――ここまでの攻防、通った打撃は二つ。
密着の内廻し蹴り、そしてフェイントからのレバー打ち。
共通点は一つ。いずれも不意打ちの類、視野の外からの一撃。
その他の打撃は、過たぬ直撃を含めて悉く手応えがない。
即ち推論、あの異質な防護は視認によって為される。
否、修正。通った打撃はしかし、振り抜く前に威力の半分方を殺されていた。
超反応と考え合せれば推論の二、防護は打撃に対する認識と同時に為される。
一撃、ヒットの瞬間に認識が開始され、何らかの形で防護を形成しているとなれば説明がつく。
いずれにせよ導き出される結論は単純にして明快。
勝利するには視野の外、認識の埒外からの一撃で防護が形成される前に痛撃を与える。

―――道筋は見えた。
しかしまだ、至るには足りぬ。
往く手には幾つもの谷が、壁が、急峻な山がある。
越えるには足りぬ。
力が足りぬ。
砕くには足りぬ。
重みが足りぬ。
登り詰めるには足りぬ。
速さが足りぬ。
否。
否、否、否。

―――足りぬは、焔。
命を火種と燃え盛る、赤々とした焔が足りぬ。
鬼を灼く拳に至るは、ただそれだけが足りぬ。
それだけがあれば、事足りる。

181Crazy for You:2009/08/09(日) 02:34:58 ID:MibganzY0
ああ。
ああ、ああ、成る程。
ならば、燃やせばいい。
命の如き。
生の如き。
この身を焦がす衝動の前に、何程の価値がある。

それが闘うということだ。
それが来栖川綾香であるということだ。
それが松原葵であり坂下好恵であったということだ。
ならば、ならば命の如きを火にくべるのに、何の躊躇が必要か。

―――来栖川綾香は、来栖川綾香の選択を肯定する。


***

182Crazy for You:2009/08/09(日) 02:35:47 ID:MibganzY0
 
刹那の思考が、終わる。
ぎらぎらと、路地裏に餓える子供の、一切れのパンを見るような。
略奪を渇望し蹂躙を羨望し充足を切望する瞳に宿る常軌を逸した熱に浮かされるが如く、
来栖川綾香が口の端を上げる。紅を注したように赤い唇が、笑みの形に割り裂けた。

「―――なあ、おい」

声と共に、吐息が漏れる。
鼻を刺すような鉄の臭いと、えづくような汗の臭いが入り混じった、どろどろと色の滲みつくような吐息。

「こいつ、知ってるか」

べろり、と。
唇と同じ色の、赤い舌が伸びる。
長く、厚く、ぬめぬめと照り光るやわらかい粘膜の上に、何か小さなものがあった。
透き通る素材は硝子だろうか。
小指ほどの長さの円筒形を満たすように、中には液体が詰まっている。
琥珀を酒に溶かしたような薄黄色の、薬じみた液体。

「まあ、知らないよな」

事実、それは薬品であった。
それは坂神蝉丸との戦いにおいて使われ、人を凌駕する力を綾香に与えながら、
同時に人としての形をすら喪わせる破滅を齎した、悪夢の産物。
ゆらゆらと揺れる炎に照らされた綾香が舌の上で転がすのは、その劇薬を詰めたアンプルであった。

「大したもんじゃあ、ない」

183Crazy for You:2009/08/09(日) 02:36:13 ID:MibganzY0
かり、かり、と。
口の中で硝子製のアンプルを弄ぶ綾香が、すう、と微笑う。
微笑って、透き通ったそれを、一気に噛み砕いた。
鈍い音。砕けた硝子の欠片が綾香の口腔に刺さり、粘膜を裂いて血に染める。
染まった傍から癒えていく傷口の、その隙間を縫うように、薄黄色の液体が滲み込んでいく。
ぶるり、と震えて己が肩を抱くようにした綾香が、白く鋭い歯を剥き出して、笑んだ。
癒えた傷から抜け落ちた硝子の欠片が、がちがちと牙を鳴らすように震える口の中を跳ね回って
新たな傷を作るのを、綾香は気にした風もない。
吊り上げた口の端から、だらだらと唾液と鮮血が垂れ落ちた。
一瞬だけ白目を剥いた綾香の、血の色の瞳孔がぐるりぐるりと廻りながら開閉を繰り返す。

「ほんの少し―――」

ひう、ひうと。
奇妙に表情を歪めて短い呼吸を繰り返す綾香の顔を、彩るものがある。
初めに浮き上がったのは右の目の下、小さな発疹のような、赤。
一呼吸、すぐ下に赤点がもう一つ。
二呼吸、点と点が繋がって、頬を裂くような線になる。
次の瞬間、線が、爆ぜるように増えた。
膨れ上がった血管の全部が、内圧に耐え切れず浮き出してきたように、整った鼻筋を熱病の痕が冒すように。
女郎蜘蛛の互いに脚を絡め合うが如き不気味な紅の、それは綾香の顔の半分を覆う、紋様。

「―――頑張れる、クスリさ」

或いは立ち枯れた木々の、葉の一枚も残らぬ節くれ立った枝を幾重にも重ね合わせたような紋様に
端正な顔立ちの半ばまでを侵されながら、綾香が笑う。

「で……、」

184Crazy for You:2009/08/09(日) 02:36:54 ID:MibganzY0
じゅぶ、と。
濡れた雑巾を叩きつけたような、音。
笑んだ綾香が、自らの脇腹、肋骨の僅か下に、指を突き込んでいる。
だらりだらりと鮮血が垂れる。
根元までを肉に埋めた指は、ぐじゅぐじゅと桃色の糸を伸ばす肉を押し退けるようにして、
腹腔の中を掻き回しているようだった。
やがて何かを探り当てた指が、ずぶりと引き抜かれる。

「これが、残り、全部」

鮮血と脂肪とリンパ液とに濡れた指が、てらてらと光る。
示すように差し出した、その指の間には透明な円筒。
先刻綾香が噛み砕いてみせたのと寸分違わぬアンプルが三本、そこにあった。

「一々呑むのも、面倒だ」

告げた綾香が、空いた片手を白い喉に添える。
躊躇なく、爪を立てた。
か、けく、と血の泡が漏れ出したのは、気管と動脈とを傷つけたものだろうか。
間髪入れず、三本のアンプルが赤黒い泡を噴く傷へと差し込まれ、掴んだ指に力が込められる。
甲高い音は一瞬。ほぼ同時に三本の円筒が砕け散って、薄黄色の中身を溢す。
舐め取るように、血と肉とが硝子を練り込んだまま傷口を塞いでいく。
一瞬の、後。

185Crazy for You:2009/08/09(日) 02:37:16 ID:MibganzY0
「―――」

ぎぢ、と。
歯車の、錆を噛むような音。
生理的な嫌悪感を伴う音が、綾香の全身から響いていた。
ぎぢ、ぎぢ、ぎぢぎぢぎぢ。
ざらざらとした音が響く度、綾香の顔に蔓延る紅の紋様が、その版図を広げていく。
と、白い裸身に蔦の這うが如く拡がっていく紋様を追うように、綾香の身体に瘤が生まれる。
皮膚組織を内部から押し出すように膨れたそれは、見れば筋繊維の極端に肥大したもののようであった。
ぼこり、ぼこりと綾香の身体のいたるところで膨らんだ瘤が、しかし唐突にその肥大を止める。
刹那の間を置いて、鈍い音と共に、瘤が爆ぜた。
水風船の、割れて中身を撒き散らすように、爆ぜた筋繊維から舞い散った鮮血が赤い霧となって、
綾香の周りに漂った。

「……ここ、から、」

ぎぢぎぢと錆びた音の中、血の霧の舞う中で、紅の紋様に覆われた裸身が、声を放つ。
爆ぜた筋肉が、撥ねた血を呑んで蘇るように濡れた音を立てて癒えていく。
それはまるで内燃機関の、燃焼と爆発とを以て動力と変えるように。
白の裸身が、紅の紋様と桃色の肉と深紅の霧とを交互に纏って、立っていた。

「ここから、だ、化け物」

そこに人の面影はない。
それは断じて、人の範疇に納まり得ない。
ただ人の形を模した、人に非ざる何かが、そこには哂っている。
人を棄ててげたげたと哂う女が、跳んだ。

186Crazy for You:2009/08/09(日) 02:38:09 ID:MibganzY0
 
【時間:2日目 ***】
【場所:***】

来栖川綾香
 【状態:仙命樹、ラーニング(エルクゥ、魔弾の射手)、オーバードース】

柏木千鶴
 【状態:エルクゥ】

柏木楓
 【状態:エルクゥ、瀕死(右腕喪失、全身打撲、複雑骨折多数、出血多量、左目失明)】


→1086 ルートD-5

187Twelve Y.O.:2009/08/10(月) 19:26:55 ID:VP5F8fys0
 死んだ。

 妹が。

 藤林杏が放送越しに確認した名前はあまりに淡白であっけないものだった。
 名前を呼ばれた頭はすぐに理解できず、数分経過してからじわじわと浸透してきた。

 ここに来てからずっと会えなかった妹。
 過酷な状況下で、それでもここまで生きてきたはずの妹。
 ちっぽけになってしまった自分を尻目に、変わっていたのだろうかと想像していた妹。

 引っ込み思案で、料理が下手で、占い好きで、ごくありふれた姉妹で、それでもどんなものより大切だった存在。
 それが……いなくなった。一目として会えず、どんな言葉も伝えられないまま。
 ついこの間まで一緒に料理の勉強をして、教えてやっていたというのに。
 他愛もない話で盛り上がっていたというのに。
 ずっと続くかと思っていたはずの現実が過去となり、急速に色褪せていくのが分かった。

 こうなるかもしれない、とは思っていた。
 知人が死に、友人の死を目の当たりにしてきた杏には痛いくらいに分かっている。
 それでも納得はできるものではなかったし、受け入れられるものではなかった。
 こんな理不尽な別れ方をして、仕方ないんだと言えるはずはなかった。

 ならばどうする。妹を殺した奴を憎み、恨むのか。
 残り二十人の中に必ずいるであろうその人物に怨嗟の丈をぶつけるのか。
 しかしそれも出来るはずがない、と杏は思った。
 そうしてしまえば自分も誰かに殺されるだとか、憎しみは憎しみを生むだけだからとか、そんな分かりやすく大層な理由ではない。
 妹が死んでしまった責任の一端が自分にもあると分かっていたからだった。

 この殺し合いであまりに小さくなりすぎて、自分を保つのに精一杯でしかなかった事実。
 思いばかりを空回りさせ、本当はできたはずのことさえできなかった不実。
 今まで積み重ねてきた大小の選択ミスが妹の死という原因のひとつになったということだ。
 そしてそういう失敗を犯しながら、未だ取り返せていない自分にも腹が立った。

188Twelve Y.O.:2009/08/10(月) 19:27:28 ID:VP5F8fys0
 結局その程度の人間でしかないのだろうか、あたしは。

 諦めを覚え始めた新しい自分、まだ諦められないという本来の自分とが交差し、杏の心を傷つけていくのが分かった。
 こういうときはどうすればいいのか思いつかない。
 昔からそうだ。
 思いを伝えられず、臆病なまま時間を無為にしてきた。
 本当にどうしようもないときに、自分は立ち止まっていることしか出来ない――

「あの、藤林さん……」

 かけられたのは高槻の声でも芳野祐介の声でもなく、ほしのゆめみのものだった。
 工学樹脂の瞳には揺れ動くなにかが見えたが、果たしてそれがゆめみの感情を表しているのかは分からない。
 いや、そもそもゆめみに感情があるはずがない。ロボットにあるのは状況に応じた言葉であり、そうするようにプログラムされているだけだ。
 不躾で酷い考えだと自分でも嫌悪を抱いた杏は、憎めないなどと言いながらその実憎むだけの理由を探しているのかもしれないと思った。

 対象は誰でもよくて、ただ憤懣をぶつけられさえすればいい。
 生存競争の中に身を置き、常に敵を探し続けようとする習い性。
 忘れたくても忘れられない、人間の本性がそうさせているのか。
 内奥を巡る血がぐずぐずと粟立ち、不快感となって杏の頭を占拠した。
 今口を開いてしまえば、どんな言葉が出るかも分からず、杏はゆめみから目を背けた。

「こんなことを、言っていいのかどうか分かりませんが……お悔やみ、申し上げます」

 そう告げたゆめみの言葉尻には、言った本人さえもこれで良かったのかと逡巡する躊躇いがあった。
 彼女は疑っている。こんなことを無神経に言っている、己自身のプログラムに。
 理解した瞬間、杏は自分がたまらなくみじめなように思えて、我知らず言葉の箍を外していた。

「……なんで。なんで、あたしは……こんななのよ」

189Twelve Y.O.:2009/08/10(月) 19:27:48 ID:VP5F8fys0
 体を抱えたのは、そうしなければ暴れだしてしまいそうなくらいに自分が制御できなかったからだ。
 泣き喚き、見境もなくやり場のない怒りをぶつけてしまうであろう我が身を想像したからだった。
 それほどに藤林杏という人間は小さい。変わろうとする意思も持てず、流されるがままにここまで来てしまったことが辛かった。

「わたしには、ご姉妹のことは分かりません。どんな人で、どんなことをしてきたのかも……
 ですから、わたしが言葉をかけられるような立場でないのは分かっていますし、その資格もないと理解しています。
 ……ですが、そうだとしても、声をかけなければいけない、と思いました。
 誰も言葉をかけてあげないと、一人で抱え込むしかないですから……」

 最後の言葉だけは杏そのものに向けた言葉ではなく、その先の別の誰かに対して向けられているように思えた。
 ゆめみは誰かの苦しみを請け負いたいのだろうか。そんなことが頭を過ぎる。

「わたしは、ロボットですから」

 何の脈絡もなく付け加えた言葉は、何の打算も思惑もなく、ただ人に尽くそうとする愚直なまでの誠実さだけがあった。
 これも教え込まれたものなのだろう。ロボットは人の役に立つことを役割として期待され、それを第一義として動く存在だ。

 だとしても、ロボットだって自分で考える頭を持っている。
 マニュアル通りの役に立つ方法ではなく、対象となる人が一番喜んでもらえる役立ち方を考え出そうとしている。
 ゆめみはロボットとしての役割を受け入れながらも、それを自分なりに解釈しているようだった。
 杏はゆめみの生き方に、軽い羨望を覚えた。

「それは、誰かから教わったことなの?」
「かもしれません」

 ゆっくりと振り返ると、曖昧に笑うゆめみの顔が目に入った。

「誰かにそうしろと言われたわけではありません。ここで色々な人の姿を見てきて、わたしなりに想像した結果です」

190Twelve Y.O.:2009/08/10(月) 19:28:07 ID:VP5F8fys0
 ああ、と杏は自分とゆめみが持つ違いの正体をようやく理解した。
 ゆめみは自分から探しに言っている。教えてくれないのならば探せばいい。
 見つけられないのならば見つけに行けばいい。
 自分は待っていただけだ。

 どうして変われないのか、どうしてこうなってしまったのか、きっと誰かが教えてくれるだろうと決めてかかっていたのだ。
 学校での勉強と同じ、黙っていれば誰かが教えてくれる環境に慣れきり、当たり前にしてしまった人間の考え方だった。
 疑問が解消された瞬間、澱んでいた空気が抜け穴を見つけ、するすると外へ出てゆく感触があった。
 ゆめみは既にして、独立していたのだ。
 臆病かどうかなんていつか分かると考えていた自分に恥じ入り、引き裂きたい思いに駆られた。

 ……だったら。確かめにいかなくちゃ。

「ありがとう」

 自分でも驚くほど素直に出てきた言葉は取り繕うものでもその場しのぎの言葉でもなく、やるべきことを教えてくれたことへの感謝だった。
 妹を殺した奴と、言葉を交わさなければならない。
 理不尽な死の原因を理解は出来ずとも納得するために、杏は自ら歩み寄ることを選んだ。

 そして今度こそ、見つけてみよう。
 自分が思いを伝えられる相手も。

 ゆめみは無言で微笑した。
 どこか困ったようなその微笑は、単に理由が分からず、返す言葉が分からなかったからなのかもしれない、と思った。

     *     *     *

「あれで良かったのか。役目をほしのゆめみ一人に押し付けて」
「お互い様だ。お前だってそうだろうが。……俺達が言ってもしょうがないだろ」

191Twelve Y.O.:2009/08/10(月) 19:28:25 ID:VP5F8fys0
 言いながらも、高槻の口調はどこか歯切れが悪かった。
 高槻の言う通りで、結局最後まで口に出せなかった自分も同じだ。
 慰めの言葉すら自分が言うと空疎で中身のないもののように思えたからなのだが、そうではないのかもしれない。

 自分達には言葉がなかった。杏の気持ちに気を使うあまりに何を言っていいのか分からなかったのだ。
 不器用と言えばそれまでの話だが、実際は無遠慮や素直さ、真っ直ぐさを忘れてしまったからなのだろう。
 大人になって様々な芥を浴びてきた自分達は言葉を額面通りに捉えられなくなってしまった。
 裏を探し、真意を読もうとし、素直に受け取る術を忘れてしまった大人。
 思う気持ちはあっても、大人として生きる術を覚えてしまった体が踏み込むことを躊躇わせた。
 高槻が煮え切らないのもそこに起因するのに違いなかった。

「自分勝手だな、俺は」

 ぽつりと呟かれた高槻の声は微かで、隣にいた芳野にも僅かな音量でしか届かなかった。

「生きるためには人の力が必要なことも分かってるのに、肝心なときに何もしようとしない。黙って見てるだけだ」
「そしてそれを自覚していながら、結局は踏み止まる。自分のことしか考えられずに……」

 高槻の後を引き取り、芳野が続けた。
 ここで人から教わったこと、学んだことは多いのに、恩に対して無言という形でしか応えていない。
 自分が変わった、良くなったという自覚はあっても、人に同様のことができたかというと答えは否だ。

 やろうと思ってやれるものでもないし、やるものでもない。
 それでも無為にしてしまうことに後ろめたいものがあった。
 こうなりたいと思って、なったわけではないのだから。

「なぁ、芳野の兄ちゃん。告白のひとつやふたつやったことはあるだろ?」
「いきなりどうした、藪から棒に」
「いいから答えろ」

192Twelve Y.O.:2009/08/10(月) 19:28:41 ID:VP5F8fys0
 話題の転換にしては唐突で脈絡ないな、と芳野は思ったが、言わなければ高槻が不機嫌になりそうだったし、
 このまま沈黙が落ちるだけだろう。「一応な」と返した芳野に、「どんな気持ちだった?」と矢継ぎ早に質問が重ねられた。

「どうって……」

 伊吹公子に婚約を申し込んで、受け入れられてはいるがあれを告白と言っていいものなのだろうか。
 学生時代にはよく告白されてはいたが、自分から告白したことはない。
 どだい、愛だ何だと普段から叫んでいたがために本気にしてもらえなかったというのもあったのだが。

 いや公子に婚約を申し込んだときでさえ思慕の念が先立ち、
 付き合いを繰り返すようになって愛情へと変化していったようなものだから、
 そう思うと自分は恋愛というものを知らないのかもしれないと思った。

「……無我夢中としか言いようがない」
「なんだよそりゃ」

 呆れ果てた高槻の声に、芳野は自分でもげんなりした気分になる。
 今考えた自分の推測が正しいのなら、愛だと叫んでいた自分は何だったのだろう。
 ひょっとすると中身など分かっておらず、憧れのままに情動を発していたのかもしれない。

 自分の無知に嘆息する。一方でそんなことだからあのような人生を送ってきたのだと納得もしていた。
 ただ歌詞を捻り出し、表面だけ取り繕う歌を作り出してきた、過去のみじめな人生を……

「参考にならんな」
「参考って、何をするつもりだ? ……愛の告白か」
「馬鹿」

 憮然と受け流した高槻の表情を見るに、そうではないようだ。
 これ以上詮索するのも無粋だと思った芳野に、「やっぱ自分で考えるしかないんだな」と諦めたような吐息が出された。

193Twelve Y.O.:2009/08/10(月) 19:29:00 ID:VP5F8fys0
 小学校の門は、すぐ近くに見えていた。

     *     *     *

 よい子のみんなよ、元気にしてたかい?
 ここ最近あんまり出番に恵まれない気がする高槻でござる。
 久々に暇になったのでここいらでひとつ俺語りをしてみようというわけさ。

 まず現在の状況を言っておこう。
 ここは職員室だ。普通の職員室ならコーヒーと煙草とコピー機の音がガションガションと聞こえてきそうなもんだが、そんなもんは全くない。
 そういうことで俺はゆめみにコーヒーを探して淹れてこいと命じた。
 喉が渇いてたし、一人と一体でじっと待つというのも気詰まりだからな。

 ポテトだって? あいつはあの恐竜馬みたいたのが気に入ったらしくぴこぴこけーけーとやかましく喋ってるんだろう。
 別に寂しくなんてないぞ。元々犬畜生なんだ。ああしてるのがお似合いさ。

 ちなみに芳野と藤林は外に何かを回収に行っているらしい。忘れ物って言ってたが、まぁ大体想像はつく。
 俺とゆめみは学校の中に誰かいるか調べてこいって言われたんだな。

 だが一通り部屋を回っても誰もいなかった。そりゃあ残りが二十人もいないっていうんだから、人がいる確率なんて低いんだろうよ。
 ただ視聴覚室の電気がついてたのはちょっと怪しかったね。PCの電源は消えてたから、多分誰かが使ってそのままってことだろう。
 電気は消し忘れたに違いない。念のため机の下やらロッカーの中やらも調べてみたが何もなかった。
 やれやれ、一度完全攻略したダンジョンの中を探っている気分だったね。

 もっとも、二手に別れている状況で戦闘にならなかったのは幸いだと言えるが。
 少し前なら張り合いがないだとかフラグが立たないとかそういうことを言っていたんだろうが、もうそんなゲーム脳じゃないんでね。
 何? ついさっきゲームに例えたものの見方をしていただって? ……た、たとえだよ、たとえ。

 とにかく。ここには誰もいなかったってことで戻ってきたんだが、肝心の藤林と芳野が来ない。
 ちょいと不安になったので見に行ったら、まだ作業をしていた。手伝おうかとゆめみが進言していたが、もうすぐ終わるのでいいと断られた。
 中々間が悪かったようで。ゆめみが肩を落として戻ってきたので、俺はコーヒーでも淹れておけばいいんじゃねえのと言ってやった。

194Twelve Y.O.:2009/08/10(月) 19:29:18 ID:VP5F8fys0
 それで今に至るというわけさ。煙草のひとつでも欲しいところだが机の中を漁っても出てこなかった。
 どうやら禁煙奨励の小学校という設定だったらしい。随分と健康志向な設定で施設を建てたもんだ。
 主催者に文句のひとつでも言ってやりたいところだが、吸えないものはしょうがないので俺は椅子の背もたれに身を預けて天井を眺めていた。

 蛍光灯の頼りない明かりがチカチカと揺れ、ここから先はどうするという疑問を投げかけていた。
 仮に首輪を外せて、爆破される恐れはなくなったとしよう。だが問題なのはそこからで、どうやって島から脱出し、日本まで帰るか。
 こちらが確保しておくはずだった岸田の置き土産は木っ端微塵にされちまったし。

 今さらのようにあの失態が重く圧し掛かる。早かれ遅かれ、妨害はされていただろうという言い訳染みたものは浮かんだが、
 後手に回りきっていたという事実は変わらない。それに、目前でやられりゃあ、負い目のひとつも浮かんでくるというものだ。
 この失敗をどうやって取り返す? 言い訳をやめ、俺は底に沈みかけた責任の文字を引っ張り上げた。

 取り繕ったところで自分の失敗は取り返せない。ミスをミスとして認め、どうすれば挽回できるかを考えなければならないのだ。
 もうそんな悠長な状況じゃない。俺の勘だが、もうそんなに時間は残されていないような気がする。
 忽然と消えたアハトノイン。淡々と名前を告げるだけの放送。それでいて脅しもなにもないときた。
 俺には逆に敵の余裕のように感じられた。後はひとつ手順を踏むだけで、こちらを一揉みに揉み潰せる、そんな奴らの余裕が見える。

 余裕の中に、傲慢の一つでもあればいいんだがな……
 神頼みに近いことをしている俺の焦燥振りにも腹が立った。
 出来ることは、神頼みしかないのか。そんなのは断じて許せるはずがなかった。

「攻め入るには、一手が欠けるんだ……万全を期して待ち受ける奴らと戦うんじゃない。隊列の崩れたところから突けるような部分があれば」

 呟く間にも思考を重ねてみるが、今のところどうにもいいアイデアがない。
 彼我の情報差が大きすぎる。
 戦力は? 奴らの陣地は? 指揮系統は? 通信手段は?
 何一つとして分かっちゃいない。奴らは、徹底的に自分達の存在を秘匿している。

195Twelve Y.O.:2009/08/10(月) 19:29:37 ID:VP5F8fys0
 そうする必要がないからでもあるし、臆病なまでの慎重さがあることも窺える。
 逆に考えれば、奴らもミスが許されないという状況でもあるかもしれない。だがこれも推測だ。
 確信の持てることがありゃしない。裏切り者でもいれば……ゆめみさんじゃね?
 よくよく考えればゆめみは元敵側だ。支給品だが、敵側だ。分解でもしてデータを抜き出せば……

 即座に馬鹿らしいという思いが立ち上がり、俺は再び思考の波に身を委ねた。
 抽出できるかなどの理屈がどうこうより、ただそうしたくないという気持ちの方が強かった。
 少しは仲間意識が芽生えているのか、などと思いつつ俺は対アハトノイン戦のパターンを考え始めた。

 恐ろしいことにまるで歯が立たなかったからな。武器差があったとはいえ、45口径が通じないなんて反則にも程がある。
 なんとなくガバメントを取り出して眺める。いつの間にか愛用の銃になっていた。最後まで、俺を守ってくれるだろうか。
 ゆめみも守ってくれたんだ、きっとまだ愛想は尽かされていないだろうと勝手に納得しながら、アハトノイン戦の肝はこいつだという思考に至る。
 思い出したのだが、アハトノインは『完全に防げる攻撃』は防御しないという特徴があるのだ。
 避けたのはあくまでも損傷が与えられる可能性のある武器だけ。ならば、その防御しない特性を逆手に取って何とかできるかもしれない。

「メモにでも起こすかね……」

 ガバメントを仕舞い、天井に向けていた顔を地上へと戻すと、そこにはお盆を手に持ったゆめみがいた。
 おわっ、といきなり現れたというか、多分ずっと待っていたのだろう彼女に驚き、思い切り体を逸らす。
 勢い良く動いた体がストンと落ちる感触があった。椅子からずり落ちたのだろうと認識する合間に、ゆめみが笑ったような気がした。
 コーヒーをお持ちしました、とかそういう意味の笑いだったのか、俺の無様に対する笑いだったのかは分からん。

 ちくしょう、要領の良さを身につけやがって。睨んだ俺に「どうぞ」とゆめみがコーヒーを差し出した。
 正確には、コーヒー豆だった。未開封のコーヒー豆。税込み数百円くらいの安っぽい袋が俺の前に待ち構えている。

 ここで俺はようやく思い出した。
 ゆめみはメイドロボじゃなかった、と。

196Twelve Y.O.:2009/08/10(月) 19:29:49 ID:VP5F8fys0
 真実を教えてやり、ぺこぺこと例の如く平謝りするゆめみに、もういいよと言ってやろうと思った瞬間、がらがらと職員室のドアが開いた。
 どうやら作業を終えたらしい二人が「何をやってるんだ」という風な視線を投げかけている。

「メイド修行だ」

 割と真面目な意味でそう言ってやったところ、今度は溜息が増えた。
 馬鹿の相手はしてられないとばかりに二人は近くにあった椅子に座り、作業で疲れた体を休め始めたようだった。
 お前ら、いっぺんコーヒー豆食ってみるかと詰め寄ろうと思ったところ。

 職員室の電話が鳴り始めやがったのさ。
 さてここでお前らに質問だ。

 この電話は吉兆か凶兆か?
 取るべきか取らざるべきか?
 俺と芳野と藤林は顔を見合わせた。
 ポテトと恐竜馬は不在。
 ゆめみは暢気に応対しに行こうとしたので首根っこを掴んでおいた。

 さて――どうしますかね?

197Twelve Y.O.:2009/08/10(月) 19:30:13 ID:VP5F8fys0
【時間:3日目午前02時00分ごろ】
【場所:D−6 鎌石小中学校】

メイドマスター高槻
【所持品:日本刀、分厚い小説、コルトガバメント(装弾数:7/7)、鉈、電動釘打ち機12/12、五寸釘(10本)、防弾アーマー、89式小銃(銃剣付き・残弾22/22)、予備弾(30発)×2、P−90(50/50)、ほか食料・水以外の支給品一式】
【状況:全身に怪我。一旦学校に戻る。船や飛行機などを探す。主催者を直々にブッ潰す】

ほしのゆめみ
【所持品:忍者刀、忍者セット(手裏剣・他)、おたま、S&W 500マグナム(5/5、予備弾2発)、ドラグノフ(0/10)、はんだごて、ほか支給品一式】
【状態:左腕が動くようになった。運動能力向上。パートナーの高槻に従って行動】

芳野祐介
【装備品:ウージー(残弾30/30)、予備マガジン×2、サバイバルナイフ、投げナイフ】
【状態:左腕に刺し傷(治療済み、僅かに痛み有り)】
【目的:一旦学校に戻る。思うように生きてみる】

藤林杏
【所持品1:ロケット花火たくさん、携帯用ガスコンロ、野菜などの食料や調味料、食料など家から持ってきたさまざまな品々、ほか支給品一式】
【所持品2:日本刀、包丁(浩平のもの)、スコップ、救急箱、ニューナンブM60(5/5)、ニューナンブの予備弾薬2発】
【状態:重傷(処置は完了。激しすぎる運動は出来ない)。芳野に付き従って爆弾の材料及び友人達、椋を探す】

ウォプタル
【状態:杏が乗馬中】

ポテト
【状態:光二個、ウォプタルに乗馬中】

→B-10

198Twelve Y.O.:2009/08/11(火) 00:21:50 ID:1fDn27tQ0
済みません、加筆があります…… >>191

 言いながらも、高槻の口調はどこか歯切れが悪かった。
 高槻の言う通りで、結局最後まで口に出せなかった自分も同じだ。
 慰めの言葉すら自分が言うと空疎で中身のないもののように思えたからなのだが、そうではないのかもしれない。

 自分達には言葉がなかった。杏の気持ちに気を使うあまりに何を言っていいのか分からなかったのだ。
 不器用と言えばそれまでの話だが、実際は無遠慮や素直さ、真っ直ぐさを忘れてしまったからなのだろう。
 大人になって様々な芥を浴びてきた自分達は言葉を額面通りに捉えられなくなってしまった。
 裏を探し、真意を読もうとし、素直に受け取る術を忘れてしまった大人。
 思う気持ちはあっても、大人として生きる術を覚えてしまった体が踏み込むことを躊躇わせた。
 高槻が煮え切らないのもそこに起因するのに違いなかった。

「自分勝手だな、俺は」

 ぽつりと呟かれた高槻の声は微かで、隣にいた芳野にも僅かな音量でしか届かなかった。

「生きるためには人の力が必要なことも分かってるのに、肝心なときに何もしようとしない。黙って見てるだけだ」
「そしてそれを自覚していながら、結局は踏み止まる。自分のことしか考えられずに……」

 高槻の後を引き取り、芳野が続けた。
 ここで人から教わったこと、学んだことは多いのに、恩に対して無言という形でしか応えていない。
 自分が変わった、良くなったという自覚はあっても、人に同様のことができたかというと答えは否だ。

 やろうと思ってやれるものでもないし、やるものでもない。
 それでも無為にしてしまうことに後ろめたいものがあった。
 こうなりたいと思って、なったわけではないのだから。

 無為にしてしまったという意味では、霧島聖に対しても借りを返すことは出来なかった。
 一ノ瀬ことみはまだ生きているようだったが、少なくとも争いに巻き込まれたのには違いない。
 あの聖のことだ。多分、ことみを庇って逝ってしまったのだろう。
 ことみは聖に対して懐いているようだったから心配ではあったが、聖の性格から考えると最悪の事態にだけはなっているまいと思う。
 大人でありながら誠実さを忘れずにいた彼女と、もう一度会いたかったと思いを結びながら、芳野はごく短い黙祷を終えた。

「なぁ、芳野の兄ちゃん。告白のひとつやふたつやったことはあるだろ?」
「いきなりどうした、藪から棒に」
「いいから答えろ」

としてください。お手数ですが宜しくお願い致します

199へっぽこマーチ:2009/08/14(金) 21:51:07 ID:e5.BK2Jg0
 デウス・エクス・マキナというものがある。
 機械仕掛けの神という意味で、脈絡もなく現れて物事を一気に解決してしまう。
 いわゆるご都合主義のことを指す。本来、そういうものは現実にありえるわけがないのだし、信じられるものでもなかったが――
 今、機械仕掛けの神は目の前に存在していた。

「……本当にありましたね」

 半ば唖然としている皆の先陣を切って、古河渚はぽつりとだが漏らした。
 学校裏側の駐車場。車が一台とバイクが二台。さあ使ってくださいと言わんばかりに暗闇の中で鈍色の光沢を放っている。
 流石に鍵こそかかっていなかったが、あまりにも早く見つかりすぎたので拍子抜けする思いの方が強かった。
 何故廃校になっていたはずの場所に車とバイクがあるのだろうか。渚はその旨の質問を重ねてみたが、宗一からすぐに返答があった。

「ここ、人工島かもしれないって言ったぜ」
「そうでしたね……」

 言われて、渚はようやく納得を抱えた。機械仕掛けの神が舞い降りたのではなく、この舞台そのものが神に作られていたのだ。
 言ってしまえば殺し合いご都合主義に即したものの配置になっているということだ。
 多分、鍵だって探せばすぐ見つかるのかもしれない。
 だが利用できるのなら何も問題はない。今の自分達がやるべきことは生きて帰ること。それだけだ。

 ここまで来たという感慨が実を結び、渚の中にようやくひとつの光景が見えるようになった。
 霞がかかっていて一歩先までしか見えなかったはずの坂道が、もう坂の上まで見通せるようになっている。
 ひとりで歩いていたはずの坂にはいつの間にか人が増えており、自分はその人達と肩を並べて歩いている。
 ようやく立たなければならない場所まで戻ってこれた、いや進んでこれたのだと自覚する。

 まだ終わりではない。道はまだ続いていて、登りきった先にどうするかも決めてはいない。
 空白のページはたくさんある。一つ一つ丁寧に埋めていけばいい。
 急く必要はない。横からアドバイスしてくれるひとも、アドバイスを求められるひともここにはいるのだから。

「やほほーい♪ さー動かすぞー!」

200へっぽこマーチ:2009/08/14(金) 21:51:25 ID:e5.BK2Jg0
 いつの間にかドライバーやら何やらを手に持って飛び出していたのは朝霧麻亜子だった。
 どうやら鍵を探す気は皆無らしく、早速バイクに取り付いてがちゃがちゃと弄繰り回していた。
 相変わらず凄まじいバイタリティだなあ、と感心しながら渚は他のメンバーの顔を見回した。

「どうします? 鍵、探してきたほうがいいでしょうか」
「いや、それには及ばん」

 ニヤと笑った宗一の手にあったのはツールセットだった。どうやら宗一も鍵を探す気はないらしい。

「まあ任せとけ。数分もあれば終わるさ」

 ぐっ、と指を立てて宗一は車へと突進していった。
 車には鍵がかかっているようだったが、それも開ける気まんまんのようだった。
 バイクに張り付いて作業していた麻亜子が「勝負じゃ若造がー!」と言うのに合わせて「格の違いを思い知らせてやる!」と息巻いていた。
 渚だけでなく全員が苦笑していた。出番が全くなくなってしまったので待つしかなく、必然的に立ち話に移行した。

「で、振り分けはどうする?」

 国崎往人がバイクと車を見ながら言う。そういえば結局あの時……移動手段について話し合っていたときはうやむやになってしまっていた。
 現在の人員は七人。車には四人、バイクにはそれぞれ二人は乗れる。
 車には若干余裕があるようだったが、ルーシー・マリア・ミソラが「車には荷物を載せるべきだろう」という意見に全員が一致の意を得たので、
 車に三人、バイクに二人ずつということに落ち着いた。勿論麻亜子にも宗一にも相談はしていない。
 麻亜子の方は後々文句を言ってきそうな気がしなくもなかったのだが、楽しそうに勝負していたので邪魔するのも憚られた。

「というか、あいつが混ざるとグダグダになるからこのまま進める」

 それは先の一件でも明らかだったので、これにも全員が頷いた。
 あまりこういうことはしないのが渚の信条だったが、往人の言葉もまた頷けるものだったので今回は何も言わないことにしたのだった。
 それに、ちょっとした仕返しです。さっきからかわれましたから。
 こんなことを考える自分は、少し遠慮がなくなったのかもしれないと渚は思った。

201へっぽこマーチ:2009/08/14(金) 21:51:45 ID:e5.BK2Jg0
「とりあえず、那須とまーりゃんと川澄はそれぞれ別だな?」
「だな。それは確定事項だ」

 ルーシーの言葉に往人が首肯する。付け加えるなら宗一が車で、他の二人がバイク。
 となれば、後は基本ここの面子の希望で配置が決定されることになる。
 なんだか修学旅行みたいだ、と渚は場違いだと思いながらもそんな感想を抱いた。

 いつもこういうときはひとりで、気がつけばバス席も部屋割りも決まっていた。
 小学校や中学校ではそんな感じで、高校に至っては病欠という有様だった。
 ひとりじゃないという感慨が浮かび上がり、渚は気持ちが落ち着いてゆくのを感じていた。

「はいっ。風子バイクがいいです」

 元気に手を上げて発言したのは伊吹風子だった。
 期待に目を輝かせ、しゃきっとした表情になってピンと手を伸ばす風子には、滅多にできない経験への興味があるようだった。
 こういう部分は変わっていないのだなと渚は苦笑する。

 久々に再会した風子はどこか様変わりしていて、ぼんやりしたところがなくなり、代わりに鋭さを備えたように見えた。
 くりくりとした大きな薄茶色の瞳の奥に見える、決然とした堅い意思。
 幼さを残す風貌と不釣合いになっていることが可笑しく、また危うさを含んでいるようにも感じられた。

 今にも己自身を壊してしまいそうな、どこまでも真っ直ぐに過ぎるひとつの決意――
 衝動的に抱きしめてしまったのはそれらの脆さを感じてしまったからなのかもしれない。
 ふぅちゃんは、ふぅちゃんのままいてくれれば、それでいいんです。
 口に出せなかったのは想像はできても確信には至れなかったことがあるかもしれない。
 また、止められるものではないと分かっているからなのかもしれなかった。

 知り合ったときから変わらない一種の頑固さ、意固地さは更に強くなっているように思えた。
 そんな風子だからこそ、尚更生き続けて欲しいと、渚は切に願ったのだった。

202へっぽこマーチ:2009/08/14(金) 21:52:03 ID:e5.BK2Jg0
「よし。ならまーりゃんの後ろだな」
「ええっ」

 風子が途端に嫌そうな……とまではいかないが、不満を滲ませた声を出した。
 頭を撫でられるたびにふーっ! と反発していた風子からすると、子供扱いする麻亜子とは性が合わないのかもしれない。
 実際二人の外見年齢はほぼ同じだったし、納得いかないものがあるのだろう。
 ……実年齢もほぼ同じだというのもあるのかもしれないが。

「身長的に考えてお前が適任だろう?」

 ルーシーの理路整然とした言葉に「それはそうでしょうけど……」と憮然とした態度で答えた風子は、
 麻亜子の方をちらりと見て、「やっぱりヤです」と言った。

「どうして」
「セクハラされますっ」

 往人の目とルーシーの目が風子の胸に注がれた。風子は胸に手をやり、持ち上げる仕草をした。
 二人は顔を見合わせ、深く頷きあった。

「「いっぺん出直して来い」」
「がーん!?」

 大仰にショックを受けたリアクションをとって、風子はよよよと泣き崩れた。
 渚は自分の認識を訂正しようと思った。麻亜子と風子は似ている。間違いなく。

「そ、そんな……風子の貞操はこうして奪われてしまうのですね」
「伊吹。川澄の胸を見てみろ。ぼいんぼいんだ」

203へっぽこマーチ:2009/08/14(金) 21:52:24 ID:e5.BK2Jg0
 微妙にセクハラ発言をしているルーシーだが、顔が極めて真顔かつ真面目なので突っ込めない。
 風子の目が舞に移る。胴衣の上からでも分かる大きな盛り上がりに「ふーっ!」と敵愾心に満ちた声を上げた。

「……嫌われた?」
「たぶん、ただのライバル意識なんじゃないかと……」

 しゅんと落ちこんだ舞に渚がフォローする。何故胸の話になったのだろうと思いながらも。

「いいんです! おっぱいの大きさなんて些細な問題なんです! おっぱいは形! 風子は美乳だからセクハラされると大問題なんです!」
「美乳じゃなくて微乳の間違いだろう」
「というか、お前が胸を語れる立場か」
「大顰蹙ですっ!?」

 往人とルーシーに一蹴され、そんな馬鹿なとくず折れる風子。
 いつからここは胸を議論する集団になったのだろうという認識が持ち上がりながらも、勝手に話が捻れていくのでどうしようもなかった。

「まーりゃんとそっくり……あっちは意図的だけど、こっちは天然」

 的を的確に射ていた舞の言葉に、渚はただ頷くしかなかった。

「あのー……それで、結局ふぅちゃんはどこになるのでしょうか」
「まーりゃんと一緒。もう確定だ」
「そ、そんな! 数の暴力ですっ!」
「わっはっは、何がそんなに嬉しいのかね?」

 尚も反論しようとしていた風子の肩をがしっと掴んだのはいつの間にか背後に忍び寄っていた麻亜子だった。
 わーっ! と抵抗するが麻亜子は器用に風子を羽交い絞めにすると頬を摺り寄せてうりうりとし始める。
 自分達がおっぱい議論をしている間に向こうは決着がついてしまったらしく、宗一は車に寄りかかってこちらを眺めていた。
 勝負の行方はどうなったのだろう、などと渚は思いながら、隣で聞こえる喧騒を半ば聞き流していた。

「さて、一組目は決まった。後は誰が舞と同乗するかなんだが」

204へっぽこマーチ:2009/08/14(金) 21:52:53 ID:e5.BK2Jg0
 うーっ! とか ふーっ! とか風子の貞操がー、などと聞こえてくる声は誰も気にしていないようだった。
 というよりは触れてしまったらまた話がややこしくなると誰もが認識しているからなのだろう。
 渚も別に喧嘩しているわけでもなさそうなので口は挟まなかった。「風子、お嫁にいけません……」なんて聞こえたような気がしたが、
 それでも気にしないことにした。仲良きことは美しきかな。
 ……ですよね?

「まあぶっちゃけた話、私か渚が適当だろう」
「なんでですか?」

 渚は首を傾げた。普通に考えればそれまで行動を共にしてきた往人が一番適当だと思っていたからだ。
 疑問を挟まれたことそのものが意外だったらしいルーシーは目をしばたかせたが、すぐに合点のいった様子になった。

「いや、いい。気にするな。渚は渚の信じる道を行くがいい」
「……なんで話が大きくなってるんですか?」

 ルーシーは薄く笑っただけで、ぽんぽんと渚の肩を叩いた。ちんぷんかんぷんだった。

「……で、どうするの?」
「そこで俺に振るか」

 話の流れを読んだ舞が往人に聞いていた。

「私は別に構わない」
「いや……それでいいのか?」
「あーっ! 往人ちんめ、ここぞとばかりにおっぱへぶっ!」

 敏感に会話の内容を察知したらしい麻亜子が割り込もうとしたが、風子の頭突きによって阻まれる。
 たぶん、みんな心の中で親指立ててるんだろうなあと思いながら、渚はようやくルーシーが言おうとしたことの意味を察していた。

205へっぽこマーチ:2009/08/14(金) 21:53:07 ID:e5.BK2Jg0
 よくよく考えればすぐ分かることだった。バイクに二人乗りするということは、必然、体が密着するわけである。
 それまでよく分からないおっぱい議論の渦中にいたせいで感覚が麻痺していたのかもしれない。
 自分は案外空気に毒されやすいのだと渚は認識せざるを得なかった。
 内省をしている間に、麻亜子と風子はキャットファイトの様相を呈していた。なぜ頭突きしたし! とか、ふかーっ! とか聞こえていたが、
 殴り合いでも引っかき合いでもなさそうだったので大丈夫そうだと理解して、渚は放っておくことにする。

「……いや、遠慮する。身長差があるし、見た目にも格好がつかん」
「そう……」

 無表情に頷いた舞の言葉は落胆しているようでもあり、最初から分かっていたと納得しているようでもあった。
 往人もなんとなく目を合わせ辛くなったのか、「……荷物、運ぶぞ」と言って舞や渚達の荷物を持ち、車の方へと歩いていってしまった。
 残された三人の間には微妙な空気の流れが漂い、口が開きにくい状況になってしまった。

 発端は自分だ。そう思い返した渚はおずおずと手を上げて「じゃあ、わたしが舞さんと一緒でいいですか?」と提案していた。
 気付いていなかったとはいえ、やや後ろめたいものがあるのは事実だったし、それに……
 自分に話せるだけの余裕も知識も、器の大きさもあるのだろうかと逡巡したが、やろうと思い立っている自分がいることは事実だった。
 もっと、知りたいから。

 その気持ちがあればいいと断じて、渚はもう一度「どうでしょうか」と尋ねていた。
 舞はこくりと頷き、ルーシーも「なら、私もそれでいい」と言っていた。

「じゃあ、よろしくお願いしますね、舞さん」

 はにかんだ笑顔を向けると、舞はうん、と再度頷きかけて……ぴたりとその動きを止めた。

「どうしたんですか?」
「……私、スクーターしか乗ったことがない」

 え、と渚の顔が強張る。
 つまり、それは。

206へっぽこマーチ:2009/08/14(金) 21:53:21 ID:e5.BK2Jg0
「バイクに乗ったことはない……ってことですか?」

 ん、と申し訳なさげに舞は頷いた。よくよく考えてみれば学生という身分でバイクに乗れるなんてことは金銭面的に難しいところがある。
 一応免許を取る過程で運転はしているかもしれない。が、ペーパードライバー同然だという事実は覆しようもあるはずがない。

「だ、大丈夫ですっ。安全運転なら大丈夫ですよ……ね?」

 思わず確認してしまったのは失敗だったかもしれない、と渚は後悔した。
 舞は少し目を泳がせ、「多分」といくらか細い声で言った。
 ルーシーは既に車に乗り込もうとしていた。またもや漂い始めた微妙な空気を察知したらしい。
 どうする術もなくした渚は「えへへ」と笑うしかなかった。

「大丈夫……私が守る」

 交通安全か、渚の身か。どちらにしてもこの場では滑稽以上の意味を持たない言葉であることは、間違いがなかった。

207へっぽこマーチ:2009/08/14(金) 21:53:40 ID:e5.BK2Jg0
【時間:3日目午前2時00分頃】
【場所:F−3】

川澄舞
【所持品:日本刀・投げナイフ(残:2本)・支給品一式】
【状態:同志を探す。往人に付き従って行動。強く生きていたいと考えている。額から出血。両手に多少怪我(治療済み。支障は全くない)、肩に浅い切り傷】
【その他:往人に対して強い親近感を抱いている。剣道着を着ている。バイクに乗って移動(相棒は渚)】
その他:舞の持ち物(支給品に携帯食が十数個追加されています。)

朝霧麻亜子
【所持品1:デザート・イーグル .50AE(1/7)、ボウガン(32/36)、バタフライナイフ、支給品一式】
【所持品2:芳野の支給品一式(パンと水を消費)】
【状態:鎖骨にひびが入っている可能性あり。軽い打ち身。往人・舞に同行】
【その他:体操服(上下のジャージ)を着ている。バイクに乗って移動(相棒は風子)】

国崎往人
【所持品:フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 4/5 +予備弾薬5発、パン人形、38口径ダブルアクション式拳銃(コルトガバメントカスタム)(残弾4/10) 予備弾薬35発ホローポイント弾11発、スペツナズナイフの柄、支給品一式(少年、皐月のものを統合)】
【状況:強く生きることを決意。人形劇で誰かを笑わせてあげたいと考えている。全身にかすり傷。椋の捜索をする】
【その他:左腕に文字を刻んだ。舞に対して親近感を抱いている(本人に自覚なし)】

那須宗一
【所持品:FN Five-SeveN(残弾数0/20)、防弾チョッキ、SPAS12ショットガン8/8発、投げナイフ1本、鉈、H&K SMGⅡ(30/30)、ほか水・食料以外の支給品一式】
【所持品2:S&W M1076 残弾数(6/6)とその予備弾丸9発・トカレフ(TT30)銃弾数(0/8)、デザートイーグル(.44マグナム版・残弾4/8)、デザートイーグルの予備マガジン(.44マグナム弾8発入り)×1、S&W、M10(4インチモデル)5/6】
【持ち物3:ノートパソコン×2、支給品一式×3(水は全て空)、腕時計、ただの双眼鏡、カップめんいくつか、セイカクハンテンダケ(×1個&4分の3個)、何かの充電機】
【状態:全身にかすり傷】
【目的:渚を何が何でも守る。鎌石村小学校に移動し、脱出の計画を練る。車に乗って移動(同乗者は往人・ルーシー)】 

古河渚
【持ち物:おにぎりなど食料品(結構減った)、支給品一式×2(秋生と佳乃のもの)、S&W M29 1/6、ロープ(少し太め)、ツールセット、救急箱】
【状態:心機一転。健康】
【目的:人と距離を取らず付き合っていく。最優先目標は宗一を手伝う事】

伊吹風子
【所持品:サバイバルナイフ、三角帽子、青い宝石(光四個)、グロック19(0/15)、イングラムM10(0/30)、イングラムの予備マガジン×1、M79グレネードランチャー、炸裂弾×2、火炎弾×9、Remington M870(残弾数4/4)、予備弾×17、スイッチ(未だ詳細不明)、トンカチ、カッターナイフ、SIG(P232)残弾数(2/7)、仕込み鉄扇、ワルサー P38(0/8)、フライパン】
支給品一式】
【状態:泣かないと決意する。全身に細かい傷、及び鈍痛。民家に残る】

ルーシー・マリア・ミソラ
【所持品:IMI マイクロUZI 残弾数(20/30)・予備カートリッジ(30発入×4)、支給品一式×2】
【状態:生き残ることを決意。髪飾りに美凪の制服の十字架をつけている】
【目的:とりあえず渚にくっついていく】 

→B-10

208へっぽこマーチ:2009/08/14(金) 22:53:54 ID:e5.BK2Jg0
おっと、感想スレで指摘があったみたいだ…
その通りです、「鍵はかかっていなかったが」じゃなくて「鍵はかかっていたが」です…

209メリーさんの羊はどこへ消えた?/へっぽこ四重奏:2009/08/27(木) 23:52:12 ID:NMxDrVA.0
 漆黒の闇はいよいよ深まり、明かりも殆どないこの島では見えていたものさえ見えなくなる。
 雨は上がり、雲もなくなった空では少し欠けた月と星の瞬きが地上を照らし出しているのがせめてもの救いだった。

 車に荷物を詰め込み、もう忘れ物がないかと再三に渡るチェックを行ったリサ=ヴィクセンは、
 廃屋同然になった民家を眺めてひとつ息をついた。

 何せ車があるのをいいことに持っていけるものは持ち出せるだけ持ち出したのだ。
 タオル、着替え、食べられるもの、食器、果ては生理用品まで。
 まるで夜逃げのようだとリサは思ったものだったが、実際はこんなものは持っていかないだろう。
 通帳と手形、パスポートに印鑑といったものを頭に浮かべ、ひとつとして荷物の中になかったことを考えると、
 寧ろ旅行というに相応しいという結論に至り、リサは苦笑するしかなかった。

 徐々に自分たちは日常に回帰しつつある。人と人が関わることを始め、自らもその環に入っている事実。
 決して元通りではない、それどころか何一つとして戻ってくるものなどはない。
 バラバラに砕け散って、寄せ集めて形にしたようなものでしかない。そうすることでしか傷を塞げないのが自分たちなのだろう。
 だが元に戻せなくとも、傷が完全に癒えなくともなんとか出来てしまうのが人間なのだし、新しい欠片を見つけて繋ぎ合わせることだって出来る。
 その気になりさえすれば理由をつけ、しぶとく生きていられるのが人間なのだ。

 少なくとも、そういう逞しさ、ひたむきさを身につけたのは間違いのないことだった。
 もっとも、私はただ諦めが悪いだけなのかもしれないけれど……

 筋を通しきれずここまで来てしまった女。まだ何も為していない。それは機会を逃してしまった結果だろう。
 英二に先を越され、愚直になりきれなかったがために、自分はまだ生きている。
 それで良かった。筋を通して生き抜いた英二の姿を見たからこそ、こうして責任を覚える生き方をしている自分がいるのだから。
 恐らく、早かれ遅かれ、どちらかが死に、どちらかが残されていたのだろう。英二と自分、双方ともが不実を抱えていた人間だったから。
 生きる役割を任されたのが自分なら、それを全うしてみせるのが軍人だった。

 でも、とリサは思う。それでも共に道を歩める未来があっても良かったのではないだろうか、と考えてしまう。
 掴めるはずのない理想なのだとしても、二人で道を拓けたかのもしれないのに……
 できなかったのは、二人ともが大人であったから。その一事に尽きるのだろうと結論したリサは、
 いつか英二と同じ場所に行ったら散々に愚痴ってやろうと考えたのだった。
 女を残して行ってしまったことは、少々許しがたいものがあった。

210メリーさんの羊はどこへ消えた?/へっぽこ四重奏:2009/08/27(木) 23:52:29 ID:NMxDrVA.0
 どうやら諦めが悪いのは異性との関係についても同じことらしいと自覚し、雌狐と渾名された理由が掴めたような気がした。
 自分が俄かに人の匂いを帯び始めたことがただ可笑しく、口元を歪めながらリサは民家を後にした。

「リサさーん。まだ?」

 踵を返してみると、車の窓から顔を出している一ノ瀬ことみの姿があった。
 腕をぷらぷらさせ、顎を枠に乗せている様子からは、失明したとは思えないほどの元気さがあった。
 或いは、怪我などもうどうでもいいという領域にまで達しているのかもしれない。
 どっこい生きてる、という彼女の言葉と、やりたいことがあると語った真っ直ぐな表情との両方を思い出して、そうなのだろうとリサは納得する。

 不思議と、悲しいことだとは思わなかった。悲劇ではあるが、それを乗り越えられるくらいのものも手に入れている。
 だからといって幸せでもないのも確かだ。ことみ自身が今のことみを受け入れているから、悲しくはないだけのかもしれない。
 詮無いことだ、とリサは思った。自分だって、今が幸せだと言えるはずもない。だが納得はしているし、それでいいとも思っている。
 昔のままでは掴めなかった、知るはずのなかった希望が、自分の手元にあるのを感じられるから……

「瑠璃と浩之は?」
「寝てるの」

 窓から後部座席を覗き見ると、そこでは肩を寄せ合って、静かに寝息を立てている二人が確認できた。
 荷物に囲まれて窮屈そうではあったが、緊張の糸が切れたかのように安らかに眠っている。
 無理もない。ここまで緊張状態を保ってきて、体が疲れていないはずはなかった。
 逆に、ようやく眠れる場所を見つけていることに安心する気持ちを覚えながら、リサは「まあ、いいわ」と微笑んだ。

「起こすのも可哀想だし。あなたも寝ていいのよ」

 ことみにもそう言ったが、彼女はゆっくりと首を振る。

「もう寝たから」

211メリーさんの羊はどこへ消えた?/へっぽこ四重奏:2009/08/27(木) 23:52:48 ID:NMxDrVA.0
 ああ、とリサは頷いた。一応、麻酔で眠ってはいた。意識的に眠れない状況なのだろう。
 苦笑を漏らし、「だから、居眠り運転しないように見張っててあげるの」と続けたことみに、リサは「どうも」と言いながら肩を竦めてみせた。
 正直なところ、疲れてはいるが眠くはなかった。そうなるように訓練されているからだ。
 走行距離にしたってここから目的地までは三十分ほどの距離だ。呆けることもないはずだった。

 運転席に乗り込み、キーが刺さっていることを確認し、エンジンをかける。
 浩之の情報ではバンパーが潰れているだけ、らしかったが、実際のところはどうか分からない。
 だがそんなものは杞憂だったようで、エンジンが小気味よく音を立て始め、車が微弱に揺れた。
 音からしても特に問題はなさそうだった。

「……そういや、マニュアルじゃないのね」

 リサ達が乗り込んでいるのは一般的によくあるオートマ車で、よく乗っている車種とは程遠い。
 運転する快感は得られないのか、とどこかで残念がっている自分を見つけ、贅沢を言うなと言ってやる。

「車、好きなの?」
「ええ。早く走らせると気持ちいいものよ」
「……走り屋さん?」
「子供ね」

 恐らくはボケだったのだろうが、リサは眉一つ動かさず受け流した。
 逆にムッ、としたのはことみの方で、一蹴されたことが気に障ったようだった。

「免許取って、アメリカあたりにあるただっ広い田舎道を走ってみれば分かるわよ。特に自分の操作がダイレクトに伝わるタイプの車だと、最高」
「そういうものなの?」
「そういうものよ」

212メリーさんの羊はどこへ消えた?/へっぽこ四重奏:2009/08/27(木) 23:53:03 ID:NMxDrVA.0
 言いながら、リサはアクセルを踏み込んで車を走らせた。思った通り、ごくありふれた車では思った以上の初速も得られない。
 やはり残念がっている自分がいて、走り屋と言ったことみが正しいようにも思えたリサは、
 逆らうようにゆっくりとした速度を保ちながら運転を始めた。今までの調子だとどんな運転になってしまうかも知れず、
 寝ている二人を起こしてしまう可能性があったからだった。

 存外大人しい運転のリサに、ことみはしばらく怪訝な目を向けていたが、
 やがて気にすることもなく、車の窓を開けて夜陰の涼しい風に身を浸すようになった。
 低いエンジン音の他には何の音もない、静けさそのものに沖木島は包まれていた。

「そういえば」

 ふと思い出したように、ことみが呟いた言葉が流れてくる。

「もしも、の話なんだけど、学校にいっぱい人が集まってることって、十分考えられるよね」
「そうね。宗一も人は何人か集めてるだろうし」
「今の生き残りが十四人。どれくらい集まるかな」
「流石に、全員ってことはないでしょうけど……」

 専ら美坂栞と行動を共にしていたので、遭遇した人間は少ない。残り十四人のうちどれだけがまだ殺し合いを続けようとしているのかは分からない。
 それでも、自分達のように脱出を目論もうとする連中よりは少ないことは確実だろう。
 氷川村において、宮沢有紀寧を始めとして五人の『乗っている』人間は死亡している。大きくバランスが傾いたのは間違いない。
 完全にいない、と楽観視はできる状況とは言い難いが、一箇所に集合することができたなら、もはや一人二人程度ではどうにもならない。

 武器も集まっていることから、どれだけの犠牲を出したとしても『乗っている』連中を殲滅することは事実上可能だ。
 逆に言えば、説得も可能ということになる。脱出の手段があることを示してやれば、応じる可能性は十分に高い。
 それこそ、柳川祐也のように絶望しか見る事ができなくなってしまった人間でもない限りは。

 想定の上では殲滅は出来ると考えたが、実際のところもう参加者同士で戦うのは無駄だとリサは思っていた。
 戦力は一人でも多い方がいいし、この状況で人殺しだの何だのと言い合っている場合でもない。
 人の死に関わっていない人なんているわけがないのだ。
 説得に応じ、これまで行ってきたことを正直に告白するのならば、リサは殺すつもりはなかった。
 絶望と対峙してきた中で、それ以上に信じられるものもあると理解することが出来たのだから。

213メリーさんの羊はどこへ消えた?/へっぽこ四重奏:2009/08/27(木) 23:53:22 ID:NMxDrVA.0
「ちょっと、電話使っていいかな」
「どこにかけるの?」
「学校。言い忘れてたけど、別行動してる人がいるの」

 言い忘れていたというよりは、言わなかったのだろう。リサは即座にそう考えた。
 別行動というからには理由があるはずだった。
 例えば、脱出するのに必要な資材の確保だとか、その他雑貨の調達などだ。
 そうでなければ立て篭もっている方が安全性は高い。

 ことみにしろ、ことみの仲間にしろ外に出なければいけないくらい時間と道具が不足していたのだろう。
 いくら計画が完璧であっても、先立つものがなければ意味はない。
 そういう意味では不完全なことみの計画に乗せられたということになる。
 一種の駆け引きに負けたということだ。悔しいとは思ったが、それよりもことみのしたたかさは本物だと気付けたことが幸いだった。

 彼女の頭のキレは、脱出するのに必要不可欠だと言える。少しばかりムラはあるが、誤差の範囲だろう。
 人間性よりも先に能力の方を見てしまうのは癖としか言いようがなく、リサは誰にも聞こえないくらいの溜息をついた。
 この感覚を共有できる相手がいなくなってしまったことが、本当に惜しすぎる。

「どうぞ。どんな人なの?」
「んー、友達、なの」

 既にスピーカーの向こうに意識をやっているらしいことみは話半分にしか聞いていないようだった。
 聞き耳を立てるわけにもいかず、リサは運転に集中することにした。
 とは言っても、安全すぎるほど安全運転なので、集中も何もあったものではなかったが。

「Mary had a little lamb, little lamb, little lamb, Mary had a little lamb...」
「なんでメリーさんの羊?」
「メリーが羊を大好きだから」
「ことみちゃんは困って、困って、困ってことみちゃんはしくしく泣きだした」

214メリーさんの羊はどこへ消えた?/へっぽこ四重奏:2009/08/27(木) 23:53:43 ID:NMxDrVA.0
 言葉とは裏腹に、ことみはどこかしてやったという表情をしていた。
 続きを返しようがないと分かっているからだ。こういう遊びでは敵わないのかもしれないと思いながら、リサは続きを口ずさんだ。

「Its fleece was white as snow...」

 どこにでもついてきていたはずの羊は、もういない。
 やっぱり、それは、乗り越えたはずでもとても辛いことで、悲しいことなのだった。

     *     *     *

 はい皆様こんにちは、テレフォンショッキングのお時間がやって参りました。
 さ、今回は先々週月曜のナイ=スガイさんからのご紹介でナナ=シサンですどうぞ。
 ピリリリリリ。ピリリリリリ。

 今時珍しいPHSのようなコール音を鳴り響かせながら佇む電話の前で人間四人……あいや、人間三人+ロボ一体がじっと凝視している。
 さてどうしたものか。この正体不明の主と優雅な接触を図るか。
 それとも力の限りスルーして電話の主を徒労に終わらせるか。

「で、どうするんだ」

 芳野の兄ちゃんが俺を見る。釣られるように藤林とゆめみも見る。何だよ、俺がリーダー的な扱いになってるし。
 どうしろったってなあ。もうコール音は三十六回目だ。普通ならもうとっくに諦めてそうなもんだが、なかなかどうしてしつこい。
 これで新聞の勧誘だとか抜かしやがったらブチ切れるかもしれない。いや喜ぶべきところなのか?

 電話なんて滅多なことでは考えられないことだ。何故ならそうするだけの理由がほぼないからなんだな。
 だって正体不明の相手にかけたり、そもそもいるかどうかも分からないのに電話するわきゃねえだろう。
 となれば、理由はたったひとつだ。特定の相手が出ることを期待してるに違いない。
 俺はそんな約束をした覚えはない。ということは……

215メリーさんの羊はどこへ消えた?/へっぽこ四重奏:2009/08/27(木) 23:53:59 ID:NMxDrVA.0
「おい、誰か電話の約束とかしてなかったか」

 藤林と芳野を見る。二人はしばらくきょとんとして、やがて「ああ!」と思い出したように手を打った。
 忘れてたのか。

「ことみよ! 間違いない! ピンポイントで電話できるのなんて、あの子しかいないもの!」

 どうやら信用できる相手に至ったようだ。やれやれだぜ。
 まあ、ここ最近は色々あったからな。それに疲れもある。頭がちと鈍くなってもおかしくはない。
 思い出しただけでよしとしよう。
 コール音が四十七回目になったのを確認して、俺は藤林が受話器を取るより前に取り上げた。
 は? という表情で藤林が睨んだが、頭のボケた奴に任せる気はない。

「もしもし」
『どうせなら、五十回目まで待って欲しかったの』
「そうはいくか」

 受話器の向こうから聞こえてくるのは間延びした女の声だ。予想外であるはずの俺の声を聞いても平然としてやがる。
 或いは、この電話に出た時点で信用できる人間だと考えているのかもしれない。
 藤林が電話をもぎ取ろうとするが、手で制する。「いいから任せろ」と付け加えて。

「ということでどうも。学校の主ででございます。何か御用ですかね」
『生憎だけど、占拠させてもらうの』
「ほほう。攻め込んでこようというのかね」
『制圧前進のみなの。あなた達に生きる術はないなの』
「面白い、やってみるがいい」
「ちょっと! なんか話がおかしいじゃない!」

216メリーさんの羊はどこへ消えた?/へっぽこ四重奏:2009/08/27(木) 23:54:22 ID:NMxDrVA.0
 あーもう、いいところで邪魔しやがって。
 ゆめみに目配せしてみたが、首を傾げられた。この絶妙な会話を理解していないようだ。
 これだから融通の利かないロボットは……やはりメイド修行をさせるべきだな、うん。
 芳野に目配せしてみるが、奴も分かっていないようだった。なんてこった。我が軍の参謀は壊滅的ではないか。

「大丈夫だって。これからがが本番だ」

 藤林は納得のいかない表情だったが、俺にも一応実績はあることは知っているのでどうしても押し切れないようだった。
 無論、本気で戦争しようという気はない。ちょっとした言葉遊びだ。

「ことみー! 私は大丈夫だからね!」

 それでも誤解されるのを恐れたのか、藤林は口を大きくあけてそう叫ぶと、腕を組んで俺の動向を見守り……あいや、監視を始めた。
 信用ねえな。ま、自業自得か。

「聞いての通り、こちらには優秀な部下が揃っている。お前に勝ち目はないな」
『ふふふ、杏ちゃんごときなんてことないの』
「おい藤林。お前のダチ、藤林のことを大したことない、ってよ」
「……へぇ?」
『……いじめる?』

 若干顔を引き攣らせた藤林の顔と一転して涙声になったことみとやらのギャップが可笑しく、俺は声を押し殺して笑った。
 電話の主は調子に乗るとミスをやらかすらしい。或いは、藤林を恐れてるだけなのかもしれないが。
 まああの藤林の友達だもんな。お察しするぜ。

『いじめる? いじめる?』
「いじめないから続けろ」
『ん……えっと、とにかく、こっちには強力な武器があるからそっちには勝ち目などない! なの』
「ほう。こちらの鉄壁の守りを崩せるものとな」
『我が軍の大砲の前にはどんな防御壁も無意味なの。どっかーん! 敵は木っ端微塵なの』
「おお、こわいこわい」
『そういうことで覚悟してろなの。……それと』
「それと?」
『聖先生のこと、大丈夫だから、って伝えてくれないかな』
「あいよ。精々頑張って攻め込んでくるんだな」

217メリーさんの羊はどこへ消えた?/へっぽこ四重奏:2009/08/27(木) 23:54:39 ID:NMxDrVA.0
 プツン。そこで電話は途切れ、ツーツーという味気ない音だけが残った。
 グッ、と親指を上げてキラリと白い歯を輝かせて微笑んでみたが、藤林に殴られた。
 いてぇ。

「どこが真面目なのよ!」

 さ、最後はシリアスだったのに……説明を求める藤林の目に、俺は渋々ながら言ってやることにした。

「お前の友達は大丈夫だそうだ。今そっちに向かってるってよ」
「それだけ?」
「まあ要約するとそうだな」
「……なんか、話がこじれた気がするんだけど」
「俺の交渉術は完璧だ。時代が時代ならネゴシエイターになっててもおかしくはなかった」
「今でも、その職業は存在するからな」

 芳野が絶妙なタイミングで余計な口を出してくれやがったが、まあ気にするまい。
 確かに、無事であることを伝えてこっちまで向かってくる、というのを聞くだけなら藤林でも役目は務まった。
 しかし残念ながらその先は俺じゃないと務まらないんだな。

 これでも俺はFARGOの研究員に上り詰めただけの頭の良さ、悪く言えば小賢しさは備えている。
 何も考えず、目の前の仕事にだけ打ち込んできた日々が続いていたとはいってもキレは衰えてはいないつもりだ。
 これは自慢でも慢心でもない、れっきとした自負だ。そうとも、狡さにかけては悪党顔負けのものを持っているのさ。
 それを生かせず、責任逃れを続けてきた時点で俺の人間性は落ちぶれているも同然だが……今はいい。

218メリーさんの羊はどこへ消えた?/へっぽこ四重奏:2009/08/27(木) 23:54:58 ID:NMxDrVA.0
 とにかく、あの小娘……ことみとやらの会話の初めで、俺は奴がただ者ではないと思ったね。
 あんな喋り方だが、ここまで生き延びてきた奴だ。それだけで評価する価値はある。
 次にあれだけ軽口を叩けるということは、精神的にも余裕があるということだ。
 少なくとも追い詰められてはいない。俺が出てきたことに驚きもしない。
 普通なら、驚いて電話を切るか藤林の居所を探ろうとするかのどちらかだろう。

 だがそうせず、寧ろ会話を続けようとした。俺のふざけた会話にも乗ってきたということは落ち着いているという証拠だ。
 そして会話を続けようとしたこと。これは何か俺達に伝えたいことがあるということだ。
 藤林個人や、その連れである芳野に向けてではなく、藤林や芳野と一緒にいる人間全てに。

 となれば、重要事であるのは疑いようがない。だから俺は藤林に受話器を渡さなかったんだな。
 言っちゃ悪いが、藤林は言葉遊びは苦手っぽいからな……良くも悪くも直情怪行なのがあいつだ。
 芳野も芳野で鈍いところがあるしな。あいつら、案外似ているのかも。

 それはそれとして、だ。会話の中で、ことみ嬢は『大砲』を持ってきているらしい。
 『敵は木っ端微塵だ』とも。『敵』は当然俺達じゃない。残る敵……それはつまり、ここの島そのもの、引いては主催者連中のことだろう。
 要するに、ことみ嬢は『爆弾』の調達に成功したという見込みが高い。
 聞いたときには突拍子もないもんだと思ったが、まさか本当に持ってくるとはこの海の目の高槻にも見抜けなんだわ。

 敵さんは当然爆弾なんて大火力は想定してさえいないだろう。
 だから想定の外を突ける。奴らの懐に入り込める。そういうことだ。
 ピースはひとつ、揃った。後は脱出手段の確保と、忌々しい首輪の爆弾と、どこを爆破するか、だ。

「ったく……なんか、疲れた……」

 怒り疲れたらしい藤林は肩を落としてその辺の回転椅子に座ってぐるぐると回り始めた。
 あの子もあの子よ、と小さく愚痴を漏らしながら。
 しかしその顔はなんとなくホッとしていて、安心感のようなものがあった。
 なんだかんだ言って、やっぱ無事なのは嬉しいんだろう。

219メリーさんの羊はどこへ消えた?/へっぽこ四重奏:2009/08/27(木) 23:55:14 ID:NMxDrVA.0
 芳野はこれ以上何もなさそうだと思ったのか、同様に椅子に腰を下ろして、軽く目を閉じていた。
 ことみ嬢が来るまで休憩するつもりらしい。そういや、色々労働していたみたいだしな。

「あのう……」

 二人の様子を眺めていた俺の脇腹をつんつんとつつくものがあった。ゆめみさんだった。

「ええと、その、電話は……」

 見てみると、何故か受話器を手にとって耳に当てているゆめみの姿が。どうやらまだ切れていないと思っているらしい。
 そうか。こいつの常識では切るときにも何か言うのが普通なんだろうな。
 ここはひとつメイド修行をさせてやるべきだと判断した俺は、ゆめみの肩を叩きながら言った。

「いいか。俺についてこい。修行の時間だ」

 受話器を握ったまま、ゆめみは目をしばたかせていた。

220メリーさんの羊はどこへ消えた?/へっぽこ四重奏:2009/08/27(木) 23:55:30 ID:NMxDrVA.0
【時間:3日目午前1時30分頃】
【場所:I-6】

リサ=ヴィクセン
【所持品:M4カービン(残弾15/30、予備マガジン×3)、鉄芯入りウッドトンファー、ワルサーP5(2/8)、コルト・ディテクティブスペシャル(0/6)、支給品一式】
【所持品2:ベネリM3(0/7)、100円ライター、参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、フラッシュメモリ(パスワード解除)、支給品一式(食料と水三日分。佐祐理のものを足した)、救急箱、二連式デリンジャー(残弾1発)、吹き矢セット(青×4:麻酔薬、黄×3:効能不明)】
【所持品3:何種類かの薬、ベレッタM92(10/15)・予備弾倉(15発)・煙草・支給品一式】
【状態:車で鎌石村の学校に移動。どこまでも進み、どこまでも戦う。全身に爪傷(手当て済み)】

姫百合瑠璃
【所持品:MP5K(18/30、予備マガジン×8)、デイパック、水、食料、レーダー、携帯型レーザー式誘導装置 弾数2、包丁、救急箱、診療所のメモ、支給品一式、缶詰など】
【状態:浩之と絶対に離れない。浩之とずっと生きる。珊瑚の血が服に付着している。寝てる】
【備考:HDD内にはワームと説明書(txt)、選択して情報を送れるプログラムがある】

藤田浩之
【所持品:珊瑚メモ、包丁、レミントン(M700)装弾数(3/5)・予備弾丸(7/15)、HDD、工具箱】
【所持品2:フライパン、懐中電灯、ロウソク×4、イボつき軍手、折りたたみ傘、鋸、支給品一式】
【状態:絶望、でも進む。瑠璃とずっと生きる。寝てる】

一ノ瀬ことみ
【持ち物:H&K PSG−1(残り0発。6倍スコープ付き)、暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯、ポリタンクの中に入った灯油】
【持ち物2:要塞開錠用IDカード、武器庫用鍵、要塞見取り図、フラッシュメモリ】
【持ち物3:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式(保健室でいくらか補給)、乾パン、カロリーメイト数個、カメラ付き携帯電話(バッテリー9割、全施設の番号登録済み)】
【持ち物4:コルト・パイソン(6/6)、予備弾×13、包帯、消毒液、スイッチ(0/6)、ノートパソコン、風邪薬、胃腸薬、支給品一式】
【状態:左目を失明。左半身に怪我(簡易治療済み)】
【目的:生きて帰って医者になる。聖同様、絶対に人は殺さない】

221メリーさんの羊はどこへ消えた?/へっぽこ四重奏:2009/08/27(木) 23:55:44 ID:NMxDrVA.0

【時間:3日目午前02時00分ごろ】
【場所:D−6 鎌石小中学校】

ネゴシエイター高槻
【所持品:日本刀、分厚い小説、コルトガバメント(装弾数:7/7)、鉈、電動釘打ち機12/12、五寸釘(10本)、防弾アーマー、89式小銃(銃剣付き・残弾22/22)、予備弾(30発)×2、P−90(50/50)、ほか食料・水以外の支給品一式】
【状況:全身に怪我。主催者を直々にブッ潰す。ゆめみを修行させよう】

ほしのゆめみ
【所持品:忍者刀、忍者セット(手裏剣・他)、おたま、S&W 500マグナム(5/5、予備弾2発)、ドラグノフ(0/10)、はんだごて、ほか支給品一式】
【状態:左腕が動くようになった。運動能力向上。パートナーの高槻に従って行動】

芳野祐介
【装備品:ウージー(残弾30/30)、予備マガジン×2、サバイバルナイフ、投げナイフ】
【状態:左腕に刺し傷(治療済み、僅かに痛み有り)】
【目的:休憩中。思うように生きてみる】

藤林杏
【所持品1:ロケット花火たくさん、携帯用ガスコンロ、野菜などの食料や調味料、食料など家から持ってきたさまざまな品々、ほか支給品一式】
【所持品2:日本刀、包丁(浩平のもの)、スコップ、救急箱、ニューナンブM60(5/5)、ニューナンブの予備弾薬2発】
【状態:重傷(処置は完了。激しすぎる運動は出来ない)。休憩中】

ウォプタル
【状態:杏が乗馬中】

ポテト
【状態:光二個、ウォプタルに乗馬中】

222メリーさんの羊はどこへ消えた?/へっぽこ四重奏:2009/08/27(木) 23:56:39 ID:NMxDrVA.0
追記忘れ。

→B-10です。

223メリーさんの羊はどこへ消えた?/へっぽこ四重奏:2009/08/27(木) 23:59:20 ID:NMxDrVA.0
…更に追記忘れ。

【時間:3日目午前1時30分頃】
【場所:I-6】



【時間:3日目午前2時10分頃】
【場所:H-8】



【時間:3日目午前02時00分ごろ】
【場所:D−6 鎌石小中学校】



【時間:3日目午前02時10分ごろ】
【場所:D−6 鎌石小中学校】


ですね。

224末期、少女病:2009/08/28(金) 14:55:26 ID:yHwYMvpU0
 
懐かしい匂いに目を覚ます。
それは、夏の終わりの、隆山の夜の匂いだ。

夕立の上がった後の濡れた土。
川のせせらぎの運ぶ涼風は梢を揺らし、
草いきれは幻燈のように瞬く蛍の舞の中に消え、
一足早い松虫に誘われるように鳴き出した油蝉の聲が暗い森に吸い込まれていく。

浮かぶ月は青く、照らされる夜空は星の掴めそうなほどに近く。
炊かれる線香と送り火の煙がどこまでも棚引いて、
瞼を開ければそこには、
闇に沈んでなお鮮やかな夜の裏山の林が、
木々の向こうに垣間見える、満ちて引く潮騒の騒々しい静謐が、
土の匂いと、緑の匂いと、潮の匂いとが入り混じった、咽返るような命の力強さに満ちた空気が、
懐かしくて、切なくなるほど綺麗なものたちが、あるはずで、

あるはずなのに、

あるはずのものが、

そこに、ない。

225末期、少女病:2009/08/28(金) 14:55:48 ID:yHwYMvpU0
 
 
目に映るそれは―――煉獄の情景だった。
芽生える命は、そこにない。心安らぐそよ風も、冷たい川のせせらぎも、
まだ色付かぬ紅葉と楠とに蔦を這わせる葛の葉の深い緑も、何もない。
そこにはただ吹き荒ぶ烈風と、飛沫く血潮と、最早誰のものとも知れぬ血溜まりに覆われた岩盤と、
そういうものがゆらゆらと揺らめく炎に照らされて、纏わりつくような腥い湿気の中、
闇と朱色の影芝居のようにぼんやりと浮き上がっている。
腐敗と背徳と罪業と、悪徳という悪徳に取り憑かれた者たちが死後に堕ちる冥府。
永劫に続く苦痛と惨劇の街都。
柏木楓の、片方が潰れて白く濁った瞳に映るのは、そういう世界であった。

すう、と息を吸えば鉄錆の味がする。
嫌悪感に引き攣った肺腑が横隔膜と腹筋とを巻き込んで盛大に抗議の声を上げた。
身を捩った拍子に傷口から漏れ出した血がぐじゅりと音を立てる。
既に痛みはない。それが良いことなのか、そうでないのか、判断はつかなかった。
代わりに滲んだ涙が、視界をぼやけさせる。
ぼやけた視界の中で朱色の光景が滅茶苦茶に捏ね回されて、潰れて消えた。
もう一度、息を吸う。

ぎり、と。
眼前の煉獄と、全身の苦痛とを噛み砕くように、歯を食い縛る。
目を閉じれば、瞼の裏側に朱色はない。
小さな闇の中、そこには懐かしい、濡れた土の匂いがある。
懐かしい満天の星空と、懐かしい蛍の光と、懐かしい潮騒と、
そこにはまだ、隆山の夜がある。
それで、充分だった。

身体は、まだ、動く。



***

226末期、少女病:2009/08/28(金) 14:56:10 ID:yHwYMvpU0
 
 
跳んだ綾香の、緋色の霧を纏った身体が、爆ぜるように軌道を変える。
中空、大気を蹴りつけるが如き非常識な重心移動。
否。それは実に、空気抵抗を鋼鉄の壁となす速度を以て繰り出された蹴撃である。
人の肉体を容易く挽き潰す圧力に、綾香の右脚が骨と肉との塊に還元される。
それでも紅の弾丸は止まらない。
潰れた傍から癒えゆく脚を巻き付けるように綾香が身を捻る。
円弧から直線、間合いは数歩、いずれ差は僅か。
しかし弧を描く軌道を待ち構えていた千鶴に、最短距離で迫る綾香は捉えきれない。
超絶的な反応速度を以てすら対応できぬ、意識の間隙を突いた軌道から繰り出されるのは左の踵。
ばつり、と綾香の大腿筋が内側から膨らみ爆ぜて、強引に回転を加速させる。
刹那の間に一回転、二回転、更に半分までを回って、速度と全体重とを遠心力に積算した一撃が、
まともに千鶴の頭上へと落ちた。

「―――ッ……!」

が、と己が口から漏れた呻きの欠片を、千鶴の鼓膜は岩盤に叩きつけられた直後に拾い上げる。
みしり、と。ほんの一瞬前まで立っていた筈の岩盤に入った罅が、音を立てて頬に食い込むのを、
千鶴は感じていた。地面に倒れている、と認識。
無防備な顔面を庇って腕を翳すのと同時、被せるように追撃が来た。
びぢりと堅いものが砕ける嫌な音は、両の側から。
咄嗟にガードを上げた腕の向こう、振り下ろされた脚が荷重に耐えきれず粉砕していく音。
そして千鶴の頭を挟んで反対側、押し付けられた岩盤が、更なる衝撃に罅を拡げ、遂に陥没する音だった。

227末期、少女病:2009/08/28(金) 14:56:41 ID:yHwYMvpU0
「―――ッ!」

呼気一閃。
ガードした蹴りを弾くように裏拳で振った千鶴の爪が空を切る。
僅かな間に、綾香は紅の軌跡の外側に飛び退っていた。
勢いを殺さず跳ね起きる。
立ち上がった拍子に、どろりと口元から垂れるものがある。
拭えば、鮮血。
振り払うように睨み付けた、千鶴の視線の先には綾香が哂っている。
ぶくぶくと泡を噴き、桃色の糸を縦横に伸ばして瞬く間に再生していく両の脚を気にした風もなく、
這い蹲るような低い姿勢から見上げるその瞳には、どろどろと濁った溶岩のような色が宿っている。

「生き汚い……!」

吐き棄てるように呟いた、千鶴の声が闇に溶けるよりも早く。
綾香が、加速する。
着いた手と薄皮の貼った脚とが、獣の四肢の如くに地を噛んだ。
膨らみ爆ぜたのは上腕上肢、ほぼ同時。
血霧を棚引かせて、地をのたくるように綾香が疾走する。
千鶴の膝丈ほどの極端に低い前傾体勢。
迎撃の爪は機能しない。
故に蹴り上げるか、踏み下ろすか、逡巡は一瞬。
蛇の如く迫る綾香に対し千鶴が反射的に選択したのは蹴り上げ。
単純かつ原始的な打撃。しかし鬼の筋力に吹きつける風に混じる砂粒をすら見分ける動体視力と
反射速度とが重なれば、それは致死の一撃へと変化する。
カウンターのタイミングは完璧。
コンマ数秒の狂いもなく綾香の顔面へと吸い込まれていく千鶴の脚が、

「……ッ!?」

綾香の手に、がっちりと掴まれていた。
先を読まれていた、と後悔する間もない。
掴まれた脚が、そのまま脇へと弾かれる。
崩れた重心を支えようとする軸足が、踝の裏側から掬われた。
千鶴の視界が流れる。
映るのは闇。蜀台の焔も届かぬ高い天井。
中空、仰向けの姿勢。
危険、と本能の鳴らす警告に、しかし千鶴の知識と経験とは回答を返せない。
危険。何が。危険。どう。危険。対処が。危険。できない。危険。誰が。誰?
そうだ、敵は、来栖川綾香はどこにいる、と。
ようやくにしてそこまでを思考した刹那、衝撃が来た。

228末期、少女病:2009/08/28(金) 14:57:10 ID:yHwYMvpU0
「……ぁ、……ッ!」

か、と。
肺の奥から、呼気を一滴残らず搾り出される感覚。
気圧差に引きずられた舌が喉に詰まって貼り付く嫌悪感と嘔吐感。
一瞬だけ遅れて、突き抜けるような激痛。
真後ろ、背骨と右の肩甲骨の間を縫って叩き込まれた、それは突きか、蹴りか。
それすらも分からず、中空、体を入れ替えることも叶わないまま懸命に身を捩って振り向こうとした
千鶴の耳朶を打つ、低い声があった。

「生き汚い……?」

底冷えするような、暗い声音。
千鶴の視界を占める天井の闇を薄めて溶かしたようなその呟きが、消えると同時。
次の打撃が、来た。

「……っ」

今度は声も、漏らせない。
第二撃が襲ったのは、残された左の肺。
拡散していくのは痛みではなかった。
波のように広がっていく、それは痺れと痙攣。
そして、耐え難い寒気だった。
急激に鈍化していく論理思考の中、千鶴が己が異常を必死に分析する。
両肺への打撃。強制的に排出された酸素の不足。
加えて二つ目の打撃点は心臓に程近かった。
衝撃で生じた一時的な不整脈が、酸素を溶かさない血液を不定期かつ大規模に動脈へと送り出している。
結果、無酸素状態の筋肉が急速に機能を停止させつつある。
それこそが、麻痺と痙攣と悪寒の正体。
解決策はただ一つ。単純な回答、息を吸え。
そして、それが迂闊だった。

「 ――― 」

瞬間、千鶴の意識がホワイトアウトする。
見透かしたような綾香の第三撃は、既にどこへ打ち込まれたものかも分からない。
肌に感じる風の流れからただぼんやりと、自身が相当な勢いで吹き飛ばされているのを認識していた。
息を吸うとき、生物の筋肉は弛緩する。
気管を開けば、打撃は体内に浸透する。
呼吸のリズムを読まれるのは、敵に打撃のタイミングを教えるに等しい。
吐く息は長く、吸う息は短く。
何も知らぬ子供が入門したその日に教えられるような基礎中の基礎すら、柏木千鶴の知識には存在しなかった。
一撃、二撃と肺腑に与えられた打撃こそが布石であると、気付くことができなかった。

「……戦ってんだよ、あたしらはさぁ……!」

来栖川綾香の声は、届かない。


***

229末期、少女病:2009/08/28(金) 14:57:32 ID:yHwYMvpU0
 
―――ぐう、と。

顔を上げれば、そこには映る。
吹き荒ぶ一対の風が描く、血の色の輪舞。

愚かしいもの。蔑むべきもの。
この世界に在っては、いけないもの。
そういうものが、柏木楓の目に映る。

握り締めれば、そこに爪。
身体は、動く。


***

230末期、少女病:2009/08/28(金) 14:57:56 ID:yHwYMvpU0
 
がつ、と鈍い音が千鶴の鼓膜を揺らす。
どうやら頭から地面に落ちたようで、がりがりと尖った岩が頬を削るのを感じる。
びたりと受身も無しに妙な角度で叩きつけられた左の上腕が嫌な痺れ方をしていた。
まず間違いなく、肩口で折れている。
構わない。砕けているのでなければ、すぐに繋がる。
僅かな間を置いて、視界がゆっくりと回復していく。
周縁部に闇をまとわりつかせた中途半端な視野の中、捉えたのは赤い斑模様の裸身。
倒れ伏した千鶴に対して、姿勢は高い。
左腕を持ち上げようとして指先に鋭い痛み。
ならばと振った右腕が、あらぬ方へと走って空を切った。
抑止にもならぬ一閃を気にした風もない綾香の足が、前蹴り気味に伸びて千鶴の顔面を捉える。
さすがに、防いだ。
正面からの真正直な一撃ならば、『耐えられる』。
みずかと名乗る得体の知れぬ少女から授けられた、それが力の一つだった。
闇雲に振り回した迎撃の爪を避けるように、綾香の裸身が離れる。

腹筋だけで身を起こし、ぜひ、と喘鳴を漏らしながら伝線だらけのストッキングに覆われた膝を立てた、その瞬間。
吸った酸素が、まるで悪意でも持っていたかのように。
肺の内側を目の細かい紙やすりで擦られるような、圧倒的な嫌悪感が、千鶴を襲っていた。
咄嗟に吐き棄てた吐息が、ぬるぬると濡れている。
つんと鼻をつく異臭に、千鶴は初めて己が反吐を漏らしていることに気付いた。
嘔吐感はない。痛むのは肺腑であって、胃でも食道でもない。
それなのにただ胃液がせり上がって口の端から零れている。
異常を異常と認識できぬ、それこそが真に異常であると千鶴が自覚すると同時、ぐにゃりと視野が歪んだ。
まずい、と思ったその瞬間には、再び顔面から岩場に倒れこんでいた。
事ここに至って、千鶴はようやくに理解する。
どの段階で負ったものかは分からない。
分からないが―――柏木千鶴は脳神経系に、極めて深刻な打撃を受けている。
単純な脳震盪であればまだいい。或いはどこか、出血しているかもしれない。
危険だった。いかなエルクゥの驚異的な回復力といえど、脳への直接打撃は致命となり得る。
まして今は交戦中。相手は宿敵、来栖川。
そうだ、来栖川。敵だ、敵が、今、目の前に。
と。
ともすれば散逸しようとする意識を掻き集めて見上げた千鶴の視界を覆ったのは焔と闇と、
それから赤と白の斑模様だった。

231末期、少女病:2009/08/28(金) 14:58:11 ID:yHwYMvpU0
「……ッ!?」

咄嗟にぐらぐらと揺れる頭を引いた、その眼前に足が落とされる。
転瞬、叩きつけられた綾香の膨らんだ腓骨筋が爆ぜ、真っ赤な鮮血の霧と衝撃で砕いた岩盤の礫とをばら撒いた。
文字通りの間一髪、数センチの距離を駆け抜けた致死の一撃に、千鶴が息を呑みながら跳び退ろうとする。
が、上体に力が入らない。どうにか身体を起こそうとして、そこまでだった。
ただ締まらない口元からぼたりと反吐の残りが垂れ落ちた。
唇から顎に糸を引く反吐が、ふと微かな風に吹かれて、その奇妙な冷たさに下腹の奥でぞわりと悪寒が走る。
右腕一本で地面を掻くように後ずさった、その一瞬後には綾香の薙ぐような蹴りが奔っていた。
咄嗟に顔を引く。壊れた撥条仕掛けの玩具のような、無様な回避。
鼻先を掠めていく一閃に、千鶴が戦慄する。
ほんの僅かの差で直撃していたであろう、恐るべき威力にではない。

―――見えなかった。

その一点である。
それだけがただ、柏木千鶴をして戦慄せしめている。
今の一閃。右方向からこちらの顔面を狙った左の蹴り。
何の変哲もない、工夫も小細工もない、ただ驚異的な速度と威力をもって放たれただけの、蹴りだっただろう。
それが、見えなかった。
目にも止まらぬ速さ、認識を超えた速度、そういう位相の話ではなかった。
ただ。ただ単に、来栖川綾香の蹴り足は、千鶴の視野の右側に拡がる闇から、唐突に現れたのだ。
子供だましの怪談映画の、黒一色の画面から手招きする白い腕のように、それは闇の中から突然に姿を現した。
それが来栖川綾香の獲得した何らかの異能であるかと、脳裏を過ぎりもした。
しかし今、狂ったようなリズムを刻む心臓の鼓動に追い立てられるように僅か右を向き、左を向いて、
その焔と血みどろの岩盤とゆらゆらと照らされる闇と、今まさに次の一撃を放とうと体を捻る斑模様の裸身と、
そういうもので構成される世界の隅にべったりと墨汁を溢したような闇がついてくるとなれば。
意味するところは一つ―――そこには最初から、闇などない。
己が右の視野が、ひどく欠けているのだと、柏木千鶴は、ようやくにして認める。

232末期、少女病:2009/08/28(金) 14:58:30 ID:yHwYMvpU0
―――何たる無様。
服は乱れて引き千切れ、折れた片腕はまだ繋がらず、ぐらぐらと定まらぬ平衡感覚のまま反吐を垂れ流し。
挙句、瞳に世界を映すことすらままならぬ。
病持ちの河原乞食の、橋の下からぼんやりと立ち昇る陽炎を眺めるような、哀れで醜い間抜け面。
傍から見ればきっとそんな風に、締まりのない顔つきを晒しているのだろう。
く、と。内心の自嘲が漏れたか、千鶴の口の端が上がる。
思い通りに動かぬ身体が、こんな時ばかり気持ちに追従する。
その皮肉が、千鶴の意識をどろどろと濁った泥濘へと引きずり込んでいく。
心中、身を焦がすほどに燃えていたはずの黒い炎が、音もなく降りしきる嫌な臭いのする雨に消えていく。
ぶすぶすと上がった煙すらもが、灰色に澱んだ空に溶けていこうとしていた。

何をしようとしていたのか。
何を憤り、何を嘆き、何を叫んでいたものか。
ほんの今し方まで、永劫に忘れ得ぬと刻んでいたはずの想いまでもが、靄に隠れてぼやけて消える。

僅かな躓きだった。
柏木千鶴は未だ、敗れてなどいなかった。
何一つとして、失いすらしていなかった。
ただ一方的な蹂躙に終わるはずの、戦いとも呼べぬものになるはずだった戦いに、
これほどの無様を晒したそのことに、安い気勢を削がれたに過ぎなかった。
ただそれだけのことで、無為無策のままあらゆるものを手放そうとしていた柏木千鶴が、
迫り来る赤と白の斑模様の裸身の中の、染みのように滲んだ『それ』に気付いたのは、
だから、偶然である。


***

233末期、少女病:2009/08/28(金) 14:58:54 ID:yHwYMvpU0
 
一撃、左の掌底。
二撃、右掌底。
決め手になったのは三撃目、腕を折り畳みながら放った延髄への肘だろうか。

茫洋として定まらぬ視線、緩慢な動作。
ぐったりと倒れた柏木千鶴の意識は完全に飛んでいると、綾香の経験は告げる。
リングの上であればゴングも鳴るだろう。
しかし、と綾香は更なる一歩を踏み込みながら思う。
しかしこれは、命のやり取りにまで辿り着く戦いだ。
そうでなければ、終わらない。終われない。

ぼんやりとこちらを見上げる赤い瞳に向けて、足を振り下ろす。
鼻筋から眼窩にかけて、頭蓋の薄い部位を踏み砕かんとする打撃。
微かな躊躇もなく、しかし同時にその瞬間、綾香には悪意や敵意、殺意すらもない。
ただ純粋に、息をするように敵の命を断たんと望む一撃は、僅かな差で回避される。
作用反作用の法則に従って、叩き付けた右脚と叩き付けられた岩盤が等しく砕け、飛び散った。
綾香が瞬間的に筋肉を肥大させて放つ一撃は、既に人体の耐久限界を大きく超過している。
着弾の度、運動エネルギーを殺しきれず破壊される手足を刹那の間に癒しながら、綾香は闘争に臨んでいた。
心拍数は毎分数百を遥かに超え、大小の血管は全身で弾けては繋がり、奇妙に捩じくれて綾香を構成している。
それが危うい綱渡りどころか、細い絹糸の上を足を踏み鳴らしながら駆け抜けるが如き蛮行であると、
その程度は理解していた。理解し、極端な危険性を認識してなお、綾香はそれを取るに足りぬと一蹴する。
眼前に闘争があり、倒すべき敵が存在し。
ならば来栖川綾香の生きるとは、糸の切れるを恐れることでは、断じてない。
切らば切れよと哂いながら、綾香が桃色の肉を剥き出した右脚を大地に突き立てて軸足とする。
放つのは左、中段回し蹴り。
おそらくは無意識に近い状態で半端に身を起こした、柏木千鶴の顔面を真横から刈る軌道。
視野正面に近い占位からの一撃。
相手の意識が霞んでいるとはいえ、半ば以上は『防護』されることを前提に放った布石の蹴りである。
無数の派生をシミュレートしながら放たれたその蹴りは、しかし意外な展開をみせた。
柏木千鶴が『防護』を選ばなかったのだ。
まるで直撃の寸前になって初めて蹴りの軌道に気付いたとでもいうような、奇妙な回避。
超反応に任せた見切り、という類の動作ではなかった。
ひどく余裕のない、焦燥感に満ちた躱し方。
何となれば、回避したはずの柏木千鶴の表情にも明白な驚愕が浮かんでいる。

234末期、少女病:2009/08/28(金) 14:59:10 ID:yHwYMvpU0
となれば、と。
綾香の膨大な経験と知識とが、千鶴の反応から瞬時に状況を推測し、仮説を構築する。
薬物の浸透した脳細胞は触れれば焼けるほどに熱く、しかし同時に冷厳とすら呼べる沈着を保って
高揚した精神の手綱を制御する。限界まで充血し撓んだ筋肉がこれ以上は堪えきれぬと爆ぜ飛ぶ寸前。
仮説は傍証を得て有力な推論へと昇華し、ぶすぶすと焦げては繋がる神経系統が無数のバイパスを経て
綾香の全身に次に採るべき一手を伝達する。
転瞬、軛から解き放たれた肉体と精神とが狂喜に近い猛りと共に行動を開始。
一歩を踏み出せばそこは既に間合いの内。
牽制に放つ膝は座り込んだままの千鶴に躱され、気にせず更に踏み込んで伸ばすのは左の手。
無造作とも見えるその手が、しかし至極あっさりと千鶴の、血と埃とで汚れた頬へと届いた。
案の定、と綾香が哂う。やはり柏木千鶴は、右の目に何らかの障害を負っている。
出血や打撲や骨折、様々な理由で片側の視界を喪失した者たちの挙動は、それこそ幾十幾百を見てきたのが
来栖川綾香であった。感触に気付いた千鶴が慌てたように爪を振るう頃にはもう遅い。
真っ赤な紅を引いた唇から垂れる反吐を拭い取るように滑らせた綾香の手が、視界を覆い隠すように
千鶴の顔を鷲掴みにすると同時。奇妙に唸るような声を漏らして、綾香の肉体が歪む。
露わな胸元から両の肩、二の腕までが順番に膨れ、爆ぜ、鉄錆の臭いのする霧を撒き散らし、
しかし莫大な負荷と力とが集積されていく肘から先は膨れ上がることなく静謐を保っている。
否。びくり、と最初に震えたのは、手指でも筋繊維でもない、紅の紋様であった。
燃え上がる焔か、或いはちろちろと伸びる大蛇の舌先を連想させる綾香の腕に浮き出した紋様が、
まるで本当に独立した命を得たように震え、幾重にも枝分かれしたその身を互いに絡ませていく。
と、まぐわうように重なり合う紋様の中心、綾香の白い腕の内側に、ぽつりと染みが生まれた。
色は漆黒。最初は小さな黒子のようだったその染みが、瞬く間に拡がっていく。
紋様の紅を駆逐し、肌の白を蹂躙し、拡散し肥大する黒が、綾香の腕を包み込み、変生させる。
一瞬の後、そこにあったのは綾香の、優美とすら映る筋肉と薄い脂肪層とに覆われた腕ではない。
石炭とコールタールとを練り合わせて乱雑に塗り重ねたような、罅の入った醜くも太い豪腕である。
柏木千鶴の両腕と委細違わぬ、鬼と称されるものの、それは腕だった。


***

235末期、少女病:2009/08/28(金) 14:59:50 ID:yHwYMvpU0
 
両の腕を漆黒と変じさせ、爛々と輝く瞳には血の色の深紅を湛え。
弓形に吊り上げた口腔からは折れた笛のような吐息を漏らして、来栖川綾香が拳を振り上げる。
みぢり、と。鬼と化した綾香の手に掴まれた千鶴の頭部が、嫌な音を立てて軋んだ。
座り込む千鶴を無理やりに引き起こすように顔面を鷲掴みにしたそれは、いまや千鶴の両目を完全に覆い隠している。
千鶴の異能が目に映り認識した打撃を『防護』するならば、視野そのものを潰せばいいとでもいうような、
ひどく暴論じみた、或いはどこか冒涜めいた光景。
固定した頭部を粉砕せんと、弓を引き絞るように構えられた綾香の漆黒の右腕が、解き放たれる。
一直線。流星の夜空に煌くように奔った拳が、

「―――」

がり、とじゃり、の間、削岩機が固い岩盤を噛むような音と共に、三叉に分かれていた。
食い込んでいたのは、深紅の刃。
噴き出す鮮血よりも先、紅く鋭い破片が飛び散って地面に落ちる。
真っ直ぐに伸びた綾香の右正拳をその手の甲の半ばまで切り裂いていたのは、柏木千鶴の爪刃である。
ざっくりと食い込んだ刃は、五指の内で三本までを折り砕かれながらも、確かに綾香の拳を止めていた。
刹那、静止した綾香の右腕を横合いから薙ぐ風がある。
千鶴の空いた右爪。
血風が、漆黒の腕に激突する。
至近、体重は乗らず体幹の回転もなく、しかし手打ちで叩きつけるような横薙ぎの一撃は、
ただ鬼の怪力を以て無双の破壊力を備えるに至る。
ぶづりぶぢりと嫌な音が響いた。
綾香の右腕、黒く硬化した皮膚に護られた神経組織と筋繊維が引き千切られていく音。
鎧の如き肌を切り裂いた深紅の刃は骨を食み、ようやく勢いを止める。
僅かに遅れて、思い出したように血が流れ出し、ぼたぼたと垂れ落ちた。

236末期、少女病:2009/08/28(金) 15:00:09 ID:yHwYMvpU0
完膚なきまでに破壊された右腕にちらりと目をやった綾香の判断は一瞬。
千鶴の爪が縦横に食い込んだままの腕を、強引に引き戻す。
ぞぶりと拡がった傷から流れようとする血を、しかし傷口の断面からずぶずぶと伸びた桃色の糸が
瞬く間に舌を伸ばして嘗め取っていく。
抉られた肉が、削られた骨の欠片が、掬い取りきれない血に混じって落ちるのも綾香は意に介さない。
弓形に歪められた口の端が、牙を剥くように吊りあがっていく。
苦痛でも、憤怒でもない、それは混じり気のない悦楽の表情。
暴力の臭いに染まった笑みを浮かべた綾香の、いまだ千鶴の顔を押さえたままの左腕が、ぎしりと音を立てた。
無理やりに引き抜かれた爪からばたばたと返り血を落としながら振るわれる千鶴の一閃を、
間一髪のバックステップで躱すその刹那。
開く距離に、綾香が千鶴の顔から手を離そうとする、その瞬間。
哂う綾香の、漆黒の手から、深紅の爪が伸びた。
鋭く尖った、獲物を突き刺し引き裂くためだけに特化した刃が抉るのは、ただ一点。
頬骨を掠め、鼻梁を辿り、伸びる先には―――眼球。
がり、と。
怖気の立つような音を錯覚させる、一瞬。
針の如く尖った綾香の人差し指の爪の先が、見開かれた千鶴の、深紅に染まった左の瞳の、
角膜の数ミリを、削った。
ぷつりと、深紅の瞳孔の上に、鮮血の紅の珠が、浮かんだ。
彼我の距離が、離れる。

237末期、少女病:2009/08/28(金) 15:00:29 ID:yHwYMvpU0
「―――」

悲鳴は、上がらない。
声なき声にのたうつでも、なかった。
咄嗟に左眼を押さえたその姿勢のまま、柏木千鶴は、微動だにしない。
庇うように翳された、その手の隙間から覗く右の目が、ただ爛々と光っている。
奇妙なことに、そこに苦痛の色はない。
ほんの僅か前までその瞳に燻っていた、霞のような自嘲も滓のような諦観も、既になかった。
浮かんでいるのは、どこか熱に浮かされたような、忘我とも妄執ともつかぬ、どろどろと粘りつくような色。

「その、腕……」

縋るように見据えるのは、綾香の腕。
漆黒に変生した、鬼の腕。
狩猟者と呼ばれる一族の、血の証。
奇妙に罅割れた、硬く醜く、剛い腕。
鬼と変じた娘、柏木初音のそれを模倣した、腕。
それだけを、見つめて。

「その、腕……!」

ぼたり。
ぼたり、ぼたり、と。
柏木千鶴の瞳から、深紅の雫が垂れ落ちる。

「その―――、腕ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ―――!!」

血涙の、地に落ちるよりも先に爆ぜて散るような。
絶叫に程近い、裂帛の咆哮。


刹那、風が、凪いだ。




***

238末期、少女病:2009/08/28(金) 15:01:01 ID:yHwYMvpU0
 
 
 
時の凍りついたような、その刹那。

その瞳には、それが千載一遇の好機と映ったのかも知れない。
或いは実際にそうであったのかも知れなかった。

だが、それの動きは遅すぎた。
弱きに過ぎ、鈍きに過ぎ、蒙きに過ぎ、脆きに過ぎた。
人を凌駕し鬼を超え、生物種としての限界を超越する鬩ぎ合いを演じたその間に割って入るには、
何もかもが足りなすぎた。


それは、目障りな蝿を追い払うような仕草。
一対の鬼がほぼ同時に振るった爪の、ただの一薙ぎだった。

それが、致命傷となった。

柏木楓の腕は、ただのそれだけで十二の輪切りとなり。
柏木楓の胸は、ただのそれだけで肺腑から心臓までを断ち割られ。
柏木楓の命は、ただのそれだけで、絶えた。



ただ、世界は美しくあるべきだと、その生の最期の一瞬に至るまで、
何ら一片の曇りなく信じさせる病の名を、少女という。

柏木楓は、少女であった。



***

239末期、少女病:2009/08/28(金) 15:01:29 ID:yHwYMvpU0
 
 
爪の先から伝わってくる鈍い手応えが、細波のように柏木千鶴に打ち寄せ、その身体を揺らす。
軽く、細く、小さな何かを断ち割った。
ほんの微かな、濡れたような感触。

脳髄の芯が痺れるような憤怒が、瘧のような昂奮が、砂の城のように崩れて消える。
わからない。
何が起きたのか、わからない。
わからないが、何か、取り返しのつかない何かが起きたことだけが、わかった。

わかりたくない、だけだった。

ばらばらと。
目の前を何かが落ちていく。
大きな、小さな、或いは丸く、或いは尖った、沢山の何か。

さらりさらりと。
涼やかな音さえ聞こえるような。
美しい黒髪が、流れていく。

ゆっくりと、ゆっくりと落ちていく、短く切り揃えられた絹のような髪の向こうから。
黒い瞳が、覗いていた。
光を映さぬ、瞳だった。

240末期、少女病:2009/08/28(金) 15:01:51 ID:yHwYMvpU0
認識が、臓腑の奥底から悲鳴を運んでくるよりも早く。
奔るものが、あった。
千鶴の目に映るそれは、漆黒の拳。
一直線に千鶴を目指して駆ける、その軌道には、黒髪と、虚ろな瞳とがあって。

だから、その一瞬。
妹の首を抱き締めるように庇った、柏木千鶴の心には。
確かにそれを、柏木楓を護ろうという意志が、あったのだろう。

そうして。
撃ち出された、漆黒の拳。
来栖川綾香の放つ、拳には。
庇護の概念を穿ち貫く、魔弾の異能が、宿っていた。


―――意志の悉くが、貫かれる。

241末期、少女病:2009/08/28(金) 15:02:07 ID:yHwYMvpU0
 
闇を纏うような拳が、柏木千鶴を穿った。
その無防備な背を易々と貫いた一撃が、肋骨を粉砕し脾臓と膵臓とを抉り横隔膜を引き裂き、
消化器系の左半分を喰らい尽くして桃色の合挽き肉へと変えた後、腹側から抜けた。
そこには、何も残らない。
大型の肉食獣に一息に噛み破られたような、無惨な傷痕から、ばたばたと止め処なく鮮血が流れ落ちる。
既に誰のものかも判らぬ血溜りが、新たな潤いに波立った。
ばたばたと、ばたばたと止め処なく。
柏木千鶴の命が、流れ落ちていく。
それ以上は、立っていることも、叶わなかった。
そこだけは無事でいられた両の腕に小さな首を一つ抱いて、千鶴がゆっくりと、倒れ伏す。

「……かえ、で」

顔を上げることもできないままに呟いた、その眼前。
ふつ、ふつと。
蜀台の焔が、消えていく。
広い、広い岩窟に灯された、何を焚き付けに燃えているかも分からぬ、奇妙な焔が、
一つ、また一つと、消えていく。
それはまるで、絶叫の音色を以て奏でられる、か細い慟哭に吹き消されるように。
闇が、広がる。



***

242末期、少女病:2009/08/28(金) 15:02:38 ID:yHwYMvpU0
 
 
否。
最後の焔が消えた後も、岩窟を真の闇が支配することは、なかった。
漆黒に近い闇の中、立ち昇る一筋の光があった。

ゆらゆらと。
今にも途絶えそうに、ゆらゆらと。
煙のように立ち昇るのは、金色に近い、ひどく物悲しい色。

光は、一つではない。
目を凝らせば、闇に沈んだ岩窟のそこかしこに、それはあった。
いつからあったものかは判然としない。
或いは、焔の消える前から、それは立ち昇っていたものかも知れなかった。

光っているのは、指だ。
或いは骨片であり、爪だった。
肉の欠片や、髪束や、皮膚や目玉や腕だったものや脚だったものや腹だったものや、
そういうものの全部が、ほんの微かな光を放っているのだった。

一際強い光は、柏木千鶴の抱く、柏木楓の首から立ち昇っていた。
まるで、命や魂や、そういう名前で呼ばれる何かが、ゆらゆらと漏れ出して、天へと昇るように。

昇る光は中空、遥かな高みに集まっていく。
高みは、光の坩堝だった。
互いに手を取り合うように融けあい、その輝きを増した光が、やがて金色の光珠へと変じていく。
それはさながら、闇を打ち払う小さな日輪。
或いは、天へと続く、光の門のようにも、見えた。

「―――」

金色の光の下、柏木千鶴は動かない。
妹であったものを抱き締めて、ただ緩慢に死を待つように倒れ伏し、
ぼんやりと光の坩堝をその深紅の瞳に映している。

243末期、少女病:2009/08/28(金) 15:03:09 ID:yHwYMvpU0
 
 
【時間:2日目 ***】
【場所:***】

来栖川綾香
 【状態:仙命樹、ラーニング(エルクゥ、魔弾の射手)、オーバードース】

柏木千鶴
 【状態:エルクゥ、瀕死】

柏木楓
 【状態:死亡】

→1087 ルートD-5

244鼠色の瞳の賭博師に捧ぐ:2009/09/09(水) 14:17:19 ID:bWAxO1UY0
 
*** ―――来栖川綾香・1



ゴングは鳴らない。
レフェリーは止めに入らない。
観客のブーイングも、セコンドからのタオルもない。
それでも。

―――最後まで、やるかい?

綾香は声に出さず、問う。
問いながら、答えなど聞くまでもないと、笑う。
この女に、柏木千鶴に、或いは自分に、来栖川綾香に、否やのあろう筈がない。
これは、そういう闘いだ。
否。自分は、自分たちは、そういう生き物なのだ。
続き続く生の、残りの全部を焼き尽くしたとしても。
振るうべき拳と、追い立てられるような焦燥と、胸を焦がすような高揚が、この身を衝き動かす。
来栖川綾香の、それは決意であり、確信であり、或いは既に遠いどこかへの、訣別でもあった。

―――最後までやろうよ。

その、最後まで。



.

245鼠色の瞳の賭博師に捧ぐ:2009/09/09(水) 14:17:45 ID:bWAxO1UY0
 
*** ―――柏木千鶴・1



そこには風が、吹いている。


無色透明な風だ。
からからに乾いていて、肌を切るように冷たくて、
そうしてどんなに微かな音も立てない、それは無音の風だ。

無音の風が吹く光景は、それ自体が音を吸い込まれてしまったように静かで、
まるでヘッドホンのジャックが刺さったままのテレビの画面みたいだった。
深夜、うたた寝から眼を覚ましたときの、暗く沈んだ部屋にぼんやりと白く浮かび上がる四角い画面。
その中に映る古い洋画の、牧歌的で鷹揚な人々の歩き回る、無音の世界。
時計の針に目をやっても、闇に沈んで何も見えない。
体を預けた三人がけのソファーの、広く空いた隣に誰がいたのかも、思い出せない。
薄暗く、寂しくて、ほんの少しだけ、懐かしくなるような。
そんな風が、吹いていた。

音のない世界はひどく虚構じみている。
晴れた空の青は書き割りのようで、談笑は脚本の段取りのままに進行する一幕芝居。
作り物。何もかもが安っぽい作り物で、そんなことは分かっていて、それでも。
それでも、そこにあるのは今でも夜毎に夢にみる、どれほどに手を伸ばしてももう届かない、
大切な、本当に大切な、光景だった。

246鼠色の瞳の賭博師に捧ぐ:2009/09/09(水) 14:18:06 ID:bWAxO1UY0
それは柏木の家だった。
夏には暑く、冬には寒い、歩けば軋みの響くような旧い造りの家。
透明な風の吹く、音のない世界の真ん中にあるのは、がらんとした居間だ。
微かに黄ばんだ襖はいつも開け放たれて、続きの部屋と中庭とを吹き抜ける風の通り道になっていた。
背の低い箪笥の上には湯呑みと急須。
がたがたと安定の悪い、小さな丸い卓袱台を囲むように座るいくつかの背中。
―――いくつかの? 
いいや、いいや。
私の目に映る背中は、ずっと昔から、たったひとつだった。
居間の奥まった一角、上座に置かれた座椅子に腰掛ける、大きな背中。
いくら手を伸ばしても届かない、遠い、遠い背中。

ああ、どうして音が、聞こえないのだろう。
あの場所には、ゆっくりと、本当にゆっくりと時間が流れていくあの暖かい居間にはきっと、
小さなラジオから流れるノイズ混じりの掠れた音が満ちているはずだというのに。
それは、あのひとが好きだった音。
テレビは忙しなくて嫌だと笑って、いつもラジオの音楽とニュースばかりを聴いていたあのひとの、
だからそれは、思い出の音だ。
だけど大切な音が、私には聞こえない。
聞こえないから私はいなくて、それで談笑は安っぽく、空は薄っぺらい書き割りで、
そんな作り物の思い出にも、私は届かない。

ぴしり、と。
もどかしさに歯噛みする私の目の前で、世界に罅が入る。
いや、それは傷だった。
風呂上りの肌を爪で引っ掻くような、薄く小さく、鈍い傷。
そんな傷が、何本も、何本も入って音のない世界を汚していく。

247鼠色の瞳の賭博師に捧ぐ:2009/09/09(水) 14:18:27 ID:bWAxO1UY0
だけどそれは、仕方のないことだ。
無音の風に音は融けて、音のないその居間には、だから大切なピースが欠けている。
不完全な構造の光景は、初めから軋みを上げていて。
まるで壊れたデッキに入れたビデオテープが絡まって何度も何度も同じシーンを再生するように、
安っぽい作り物の談笑を、書き割りの空を、私の大切な光景を、がりがりと掻き毟るように傷つけながら、
繰り返しているのだ。

傷が、疾った。
おおらかに口を開けて笑う誰かの影が、首の辺りから千切れるように、傷に引き裂かれた。
それを寂しいと、思う。
だけど涙は流れない。

―――考えるな。

傷が増えていく。
困ったように相槌を打つ小さな影は、細かい傷に覆われて、いつの間にかもう見えない。
それを辛いと、思う。
だけど涙は流れない。

―――考えるな。

傷が、色々なものを塗り潰す。
凍りついたような無表情のまま箸を動かしていた影の、その箸を持つ手が、傷に掻き潰されていく。
それをやるせないと、思う。
だけど涙は、流れない。

―――考えるな。

寂しくて、辛くて、やるせなくて切なくて、だけど涙は流れない。
どうしてだろう、と問うまでもなく。


―――気付くな。認めるな。


答えなんて、初めから分かっていた。


―――理解するな。認識するな。自覚するな。


ああ、私は。
何もかもが塗り潰された世界の中で、たったひとつ。
たったひとつの大きな背中だけが、そこに残っているのなら。
それだけが、色褪せずにいるならば。
他の何が消えたって。


―――気付いてしまえば、


悲しくなんか、ないのだ。


―――もう、


もうどこにもいない、大切なひと。


―――戻れない。


柏木賢治の、思い出だけが、あれば。




.

248鼠色の瞳の賭博師に捧ぐ:2009/09/09(水) 14:19:06 ID:bWAxO1UY0
 
*** ―――来栖川綾香・2



誰の心にも、棘は刺さっている。
来栖川綾香に刺さるそれは、細く短く、しかし確実にその身を蝕む毒を秘めた、硬い棘だった。
あるとき、それは視線だった。
またあるとき、それは冷笑だった。
あるときはあからさまな蔑みの言葉であり、またあるときは呆れたように首を振る仕草であり、
そしてそれは常に、声だった。

何故戦うと、問う声だ。
その問いは幼い頃から幾度も、幾度も繰り返され、しかし綾香は一度も、その問いに答えたことはなかった。
回答など返すまでもないと、綾香は確信していた。

逆に問い返したかった。
何故そのような、愚かな問いを発し得るのかと。
ただ在るべくして在ろうと志すならば、戦うよりないと。
抗うよりないと、切り開くより他に道などないと、それが何故分からないのかと。

ならば、在るべくして在るとは何だ。
重ねられる問いに、来栖川綾香は、拳を握る。
拳を握って、歩を踏み出す。
それが、返答だった。

ただ一点、ただの一点。
来栖川綾香が来栖川綾香であるためのただ一点。

来栖川綾香はただ来栖川綾香であるのだと、他の何者でもないのだと、
或いは、私は私であり、誰かが誰かであり、他の何者でもないのだと。
何故、誰もが全ての外側に在るのだと気付けずにいるのか、
何故、そうではなくなった自らに目を瞑っていられるのか。

それは詰問であり回答であり、慟哭であり絶叫であり、悲鳴であり希求であり、
そして同時にまた、宣戦でもあった。

自らを彼岸を蠢く死者に非ずと、ただそれを証し立てる術の、その悉くが。
闘争という名で、呼び習わされる。
故に来栖川綾香は拳を握り歩を踏み出し。
故にそれをして、来栖川綾香は―――或いは柏木千鶴は―――己が道を、生と呼ぶ。

249鼠色の瞳の賭博師に捧ぐ:2009/09/09(水) 14:19:30 ID:bWAxO1UY0



「―――こんな、最後か?」



問いは、誰に発したものか。
金色の光の坩堝の下、踏み出した足に力を込めれば、眼下には敵。
剥き出しの臓物を微かに震わせて動かぬ、柏木千鶴がそこにいる。
握った拳を、胸元まで引き寄せた。

「……、」

と。
ほんの僅か、立ち昇る光が、揺らいだ。
それは静かな問いの、此岸と彼岸との境にも、届いたものであろうか。

「……は、」

初めに聞こえたのは、囁くような声。
ぴくりと、千切れた横隔膜が震えるのが見えた。

「はは、あはははは、」

声はやがて、弾けるように拡がる。
ぐらりぐらりと、合挽き肉のように潰れた大腸が揺れていた。

「あはははは、あはははははははははははははははは、」

そして爆ぜるように、哄笑が、響いた。
柏木千鶴が、抉れた腹とひしゃげた骨と崩れた臓腑を捩って、血を吐きながら哄っていた。

「あはははははははははははははははは、あはははははははははは、はははははははははははははは、」
「―――」

見下ろす綾香の瞳には、細波の一つも立たず。
断ち切るように、拳を振り下ろした。




.

250鼠色の瞳の賭博師に捧ぐ:2009/09/09(水) 14:20:22 ID:bWAxO1UY0
 
*** ―――柏木千鶴・2



肌を刺すような冷たい雨が好きだった。
そんな雨の降る日には一日中、あの背中が書斎の文机に向かっていて、
私はそれをずっと静かに、見ていられた。
それが、私の幸福だった。

愛している。
柏木梓を愛している。
あの家に響く笑い声やどたばたと喧しい足音を、愛している。
それが喪われたことが、こんなにも寂しい。

愛している。
柏木初音を愛している。
あの家の台所から響く包丁の音や風呂桶を磨く音と一緒に聞こえてくる控えめな鼻歌を、愛している。
それが喪われたことが、こんなにも辛い。

愛している。
柏木楓を愛している。
あの家に満ちる笑い声を凍りつかせる一言や食後にいつも駆け込む洗面所から漂う胃液の臭いを、愛している。
それが喪われたことが、こんなにもやるせない。

ああ、今こそ。
欺瞞なく、誇張なく、はっきりと告げよう。
私が護りたかったのは、私の妹ではない。
柏木楓という名の少女でもない。
それは柏木梓という名前でも、柏木初音と呼ばれるものでもなかった。

柏木千鶴がその心から、その身を捧げて護ろうと誓い、殉じたのは―――柏木の家、そのものだ。
血筋ではなく、家族でもなく。
愛おしく夢想する柏木の家を構成するすべてを、私は護りたかった。
柏木の家に笑う梓を、柏木の家の台所に立つ初音を、柏木の家の洗面所を汚す楓を、私は愛していた。

251鼠色の瞳の賭博師に捧ぐ:2009/09/09(水) 14:20:46 ID:bWAxO1UY0
それは、思い出の入れ物。
化粧台の抽斗の中に仕舞われた小さな飾り箱、その煌く宝石に彩られた箱の中の、一枚の写真だ。
写っているのは輝いていた頃の世界。
心から、笑っていられた頃の。
懐かしい、色褪せない、一枚の写真。
柏木賢治の穏やかな笑顔が写る、それこそが、私がすべてを投げ打って護りたかった、思い出のかたちだった。

梓も。楓も。初音も。
その写真を形作る、大切な、大切な、歯車だったのに。
今、私の目の前で、その最後の欠片が光になって、




『―――こんな、最後か?』




声が、聴こえた。


.

252鼠色の瞳の賭博師に捧ぐ:2009/09/09(水) 14:21:15 ID:bWAxO1UY0
 
それは、水面に落ちたひと滴。
微かな波紋はやがて漣となり、漣はうねりを呼び、うねりは波濤となって、私の中の、一番奥に打ち寄せた。
押し寄せては引き、引いてはまた押し寄せる奔流が、ずっと底の方に沈んでいた何かを呼び覚ましていく。
それは、鋭く、細く、手を触れることもできないほどに熱く灼けた何か。
止まりかけた心臓と、痙攣するだけの肺と、弛緩した筋肉の全部をいっぺんに叩き起こすような、
それは紅く、紅く、激流を染め上げてなお紅い、名前のない感情だった。
感情が、目を覚ます。
感情が、立ち上がる。
感情が、拳を握って。
感情が、口を開いた。

感情が、叫ぶ―――赦さない、と。

赦さない。
赦せない。
大切な写真のフレームが、歪んでいくのが、赦せない。
柏木の家を形作る何もかも、私の夢想する大切な何もかもが穢されていくのが赦せない。
私の抱く無上の幻想に、来栖川綾香は土足で踏み込んだ。
ただ、それだけだった。
それだけで、十分だった。
柏木の血を、嘲笑うように。
柏木の家を、踏み躙るように。
奪い盗んだに違いない鬼の手を翳す、あの女を。
柏木千鶴は、赦さない。

梓の笑顔が、楓の視線が、初音の微笑が脳裏を過ぎる。
最後にほんの少しだけ、柏木耕一の顔を思い浮かべた。
柏木耕一。あのひとの影。
あのひとがいなくなって、ふわふわとどこかへ飛び去ってしまいそうな私を縛り付ける、あのひとのかたちをした楔。
その死は、辛い。辛く、寂しく、やるせない。
だけどそれはきっと、指で傷口を無理やりに押し広げて血を流すような、そういう類の痛みだ。

253鼠色の瞳の賭博師に捧ぐ:2009/09/09(水) 14:21:34 ID:bWAxO1UY0
かたかたと鳴る歯を、食い縛る。
漏れる吐息にはもう、温度が感じられない。
構わなかった。
生きるも死ぬも、既に問題ではなかった。
復讐でも報復でもなく、赦せないから、殺す。
そうあらねばならない。
私は、来栖川綾香を殺し尽くさねばならない。
台無しにされた、思い出のフレームの代わりに。
それが公正で、正当で、真っ当な―――あるべきこの世のかたちに、他ならない。
そうでなければならないのだ。
柏木千鶴の夜ごとに愛おしく抱き締める、甘やかな思い出を捧げる飾り棚の如き世界は。
そういう風にできていなければ、それはつまり、間違っているということだ。
間違っているのならば―――それは、正されなければならない。
殺し尽くされるべき来栖川綾香が生きているのならば、それは殺し尽くされねばならないのだ。
他の全部は些細なことだ。
他の誰が生きて死のうが、そんなものは些細なことだ。
私の如きが生きて死のうが、そんなものは些細なことだ。
ただ私は、私の大切な思い出が歪められた、そのことだけが赦せない。
それだけが、唯一にして絶対の罪業。
だから私は、ただ一つのことを、それだけを、思う。

お前を赦さない。
故に、死ね。

「―――はは、あはははは、」

口の端から漏れたのは、溢れ出した鮮血か、それとも余分な感情か。
げたげたと、けたけたと、からからと漏れ、響き、私を揺らす。
箍の外れたような、けたたましい笑い声の中、私は胸に抱いた楓の首を引き寄せて、
その青白い唇に、キスをした。



.

254鼠色の瞳の賭博師に捧ぐ:2009/09/09(水) 14:22:14 ID:bWAxO1UY0
 
*** ―――ふたり



振り下ろされた一撃の先に、柏木千鶴の姿はない。
空しく大地を割った拳をゆっくりと引きながら視線を上げた、来栖川綾香の眼前。

血の色の鬼が、ゆらりと、立ち上がる。
その身を染める深紅は、返り血と己から流れ出したそれとが混じり合って昏く。
漆黒の両腕の先端、爪刃の朱と爛々と燃える焔色の瞳だけが、辺りを満たす金色の光を圧して鮮やかに煌き。

鬼は、哄っていた。
視界の欠けた右の眼と、抉り裂かれた左眼と。
両の目から血涙を流しながら、すすり泣くように姦しく、咆哮の如く密やかに、哄っていた。
その手の中にはもう、柏木楓の首はなかった。
十の爪はそのすべてが薙いだものの命を奪う凶器としての本性を取り戻したように研ぎ澄まされて美しく、
眼前の敵へと振るわれる時を待っている。

抉られた腹は桃色の腹膜と動脈血に濡れた臓腑とが蠢く様を隠そうともせず、
左の腹側筋と腹直筋を千切り取られた脊柱が立位を可能とする筈がなく、
消化器系と循環器系との半分方を喪失して生命活動が維持される道理もなく、
しかし、その何もかもを無視して、鬼は、柏木千鶴は、立っていた。
そう在ることが当然だと、傲岸に言い放つが如く、その両足は地を踏み締めている。

「―――」

視線が、交錯する。
鬼の瞳に燃える焔を、来栖川綾香は、真っ直ぐに見据える。
見据えて、哂った。
愉しそうに、心の底から幸福そうに、牙を剥いて、哂った。

す、と。
綾香の両手の爪が伸びて、交差するようにもう一方の腕へと、添えられる。
左の爪は右腕に、右の爪は左の腕に。
腕を組むような姿勢は一瞬。
真紅の刃が、漆黒の腕に静かに食い込んだかと見えるや。
ぞぶりと、寸分違わぬ間を以て、両の爪が、両の腕を、引き斬った。

255鼠色の瞳の賭博師に捧ぐ:2009/09/09(水) 14:22:26 ID:bWAxO1UY0
濡れた、重い音が足元から響く頃には、傷の断面から先を争うように伸びた桃色の肉糸が、絡み合い、
骨を造って肉を盛り神経を張り巡らせて薄皮を貼り、瞬く間に白い手指の再生を完了していた。
生まれたばかりの長い、しかし拳胼胝だらけの節くれ立った指が、地に落ちた黒い腕を、拾い上げる。
己が切り落とした己の腕を、弄ぶように手に取って、硬く罅割れた黒い皮膚の感触を確かめるように
指の腹でそっと撫で回し、

「これはもう―――」

おもむろに握って、力を込めた。
音はない。
主を喪った漆黒の腕は、ただ花の枯れるが如く、灰のように砕けて散った。

「―――いらないな」

舞い散る灰が、金色の光に照らされてきらきらと輝いている。
きらきらと舞う光の渦の中、小指から一本づつ折り畳まれていく指が、やがて白い拳を形作る。
裸身を這うように伸びた紅の紋様が絡み付いて、固めた拳を彩った。

ゆらりと、金色の光が揺らいだ。
まるでそれが、合図であったかのように。
二人が同時に、地を蹴った。



.

256鼠色の瞳の賭博師に捧ぐ:2009/09/09(水) 14:22:43 ID:bWAxO1UY0
 
【時間:2日目 ***】
【場所:***】

来栖川綾香
 【状態:仙命樹、ラーニング(エルクゥ、魔弾の射手)、オーバードース】

柏木千鶴
 【状態:エルクゥ】


→1091 ルートD-5

257ラストダンスは私に:2009/09/19(土) 20:13:57 ID:np6NvLE.0
 
振り乱された長い髪が、深紅の霧を切り裂くように弧を描く。
黒髪の薄幕の向こうから襲い来る爪刃を、来栖川綾香が大きく身を反らして躱す。
真横に薙がれた爪の通り過ぎざま、重心は後傾姿勢から更に後ろへ。
入れ替わり、弾けるように跳ね上がったのは綾香の白い左脚である。
顎を縦に射貫く軌道は、しかし僅かに半歩を踏み込んだ柏木千鶴の頬を掠めて宙を舞う。
振り抜かれると同時、綾香の脚からぶつりと響いたのは肥大した筋繊維が遠心力に耐えきれず断裂した音だった。
盛り上がった肉の爆ぜた拍子に皮膚が破れ血の霧を撒き散らす。
頭上から鮮血の霧雨を浴びた千鶴はひうひうと奇妙に擦れた呼吸音を穴の開いた肺腑から漏らしながら追撃。
体勢の流れた勢いをそのままに空中で後転しようとする綾香の軸足を掴むや、力任せに引き抜いて振り回す。
掴み潰された腓骨の砕ける鈍く重い音が千鶴の手の中から聴こえた。
屠殺された獣の肉が叩いて伸ばされるように、片足を掴まれた綾香の体が無造作に振り上げられる。
そのまま無防備に岩盤に向けて振り下ろされるかと見えた寸前、千鶴の右側頭部を直撃したのは
綾香の空いた蹴り足、右の踵である。
こめかみを真横から打ち抜かれた千鶴の手が僅かに緩む間に、綾香の砕けた左脚が拘束を脱した。
中空、浮いた姿勢から千鶴の肩口を足場にして蹴りつけるように後ろへ跳ぶ。
着地の瞬間には、砕けた左の腓骨は既に半ばまで再生を完了している。
代わりに脹脛を構成する腓腹筋が着地の衝撃に耐えかねたように爆ぜて、粘り気のある血を周囲にばら撒いた。

258ラストダンスは私に:2009/09/19(土) 20:14:16 ID:np6NvLE.0
ぐらりとたたらを踏んだ綾香の隙を見逃さず、千鶴が距離を詰める。
刹那の間、数歩分の距離を一足に踏み越えて迫るその速度は先刻までのそれとは比較にならぬほどに鋭く、速い。
綾香が迎撃に放つ左の逆突きを鎖骨に受け、折れ砕ける鈍い残響を残しながらも千鶴の加速は止まらない。
爛と煌く瞳の焔が、夜空に星の流れるように、金色の光の中に軌跡を残す。
視力など、そこにはもう殆ど残ってはいない筈だった。
しかし千鶴の眼は赤黒い涙を流しながらも見開かれ、一直線に綾香を捉えている。
宿る深紅の光に、躊躇の色はない。
ただ身体の内に燃え盛る焔にのみ衝き動かされるかのような、迷いの無さ。
それこそが千鶴の肉体をして限界をとうに越え、或いは生死の境を踏み越えてなお加速を続けさせる原動力であった。
その血の色の瞳には危険に対する防衛本能、被弾に対する恐怖というものが存在しない。
ただ己が目に映る獲物を掴み抉り引き裂く、原初の生を具現化したかのような、闘争の牙。
それだけを研ぎ澄まして、柏木千鶴は死線に臨んでいる。

259ラストダンスは私に:2009/09/19(土) 20:14:32 ID:np6NvLE.0
深紅の軌跡は右下から袈裟懸けを逆さに辿るような爪の切り上げ。
咄嗟に肘を引き半歩を退いたその右腕と肝臓と第十二肋骨から下三本までを輪切りにして抜けた、
致死の斬撃にしかし、裸身の綾香は舌打ち一つ。
噴出す血潮に眼もくれず、左半身の構えから正拳で打つのは体の流れた千鶴の空いた顔面、鼻筋である。
一発、真後ろに弾けるようにのけぞった千鶴の突き出された顎にもう一撃。
三発目を放とうと引いた左の腕が、二の腕から爆ぜて血と肉を撒き散らした。
それでも綾香は流れを止めず、骨に纏わりついた肉の塊のような腕を伸ばす。
突きではない。拳を開いたその手が鷲掴みにしたのは千鶴の長い黒髪である。
ぐずぐずと赤黒い筋が泡立って糸を引く腕が千鶴の頭部を引き寄せ、強引に押し下げる。
同時、寸分の狂いもないタイミングで右膝が跳ね上がっていた。
来栖川綾香必殺の、顔面へ突き刺すような膝。
鼻梁と頬骨と眼窩とを粉砕せんとする鉄槌を一撃、二撃、今度は三撃までを叩き込んで、
四撃目が着弾すると同時に膨れた綾香の大腿筋が破裂した。
瞬間、流れるような打撃のリズムが止まる。
掴んだ髪を放り投げるように突き放すのが、一瞬だけ、遅れた。

爪が薙がれ、
黒髪が流れ、
金色の光の下、幾筋もの真紅が興を競うように舞い散った。
互いに二歩、三歩、たたらを踏んで距離を開けた、その姿は凄惨を極めている。

260ラストダンスは私に:2009/09/19(土) 20:14:49 ID:np6NvLE.0
柏木千鶴の整った顔立ちは今や見る影もない。
鼻筋は折れ曲がって濁った血を垂れ流し、血涙を流す右の目の周りは青黒く腫れ上がり左眼は醜く落ち窪み、
どちらも眼窩の骨が砕けているのが一目瞭然だった。
或いは砕けた欠片が眼球にも刺さっているのかも知れない。
窪んだ左眼はびくりびくりと時折あらぬ方へ痙攣するように視線の向きを変えていた。
前歯は上下とも半ばまでが折れて見当たらず、ぽっかりと虚ろな穴の開いたような口腔からは
掠れた喘鳴だけが響いている。ひ、ひ、と奇妙な音と共に片肺が膨らみ、萎む。
もう片側の肺腑は刻まれた傷から裂け目が拡がって既に機能を止めていた。
震えるように蠢く心臓が送り出す血液が、どれほど残されているものか。
吹き曝しの臓物は既に震えてすらいない。
十の爪と瞳の奥の真紅だけが、辺りを満たす金色に抗うように、澄んでいる。

対峙する来栖川綾香もまた、その裸身を余すところなく血に染めていた。
五体はかろうじてその呈を留めている。
形を留め、しかしそれだけだった。
千切れかけた右腕はずるずると桃色の糸を引き、皮膚という皮膚の剥がれた左腕はぶつぶつと血の色の泡を噴いて止まらず、
爆ぜ飛んだ左の脹脛は肉が剥き出しのまま、右の腿は子供が傷に匙を突き込んで無邪気に掻き混ぜたようにぐずぐずと崩れ、
胴には既に薄皮が張っている右の腹部の代わりとでもいうように、真新しい創傷がざっくりと口を開けている。
腰の左側から切り上げるように腹膜を裂いた、それはたった今、離れ際に千鶴の爪が抉り去ったものであった。
垂れ落ちる鮮血が、なだらかな曲線を描く下腹部と腰とを伝って足元へ流れていく。
それは癒えるよりも速く、傷が増えていくものであったか。
否。先刻までは舐め取るように血を掬っていた、肉の糸の動きが鈍い。
傷の癒える速度は、明らかに落ちていた。
肉の爆ぜる度に撒き散らす真紅の霧に混じって鬼と仙命樹の血の次第に流れ出たものか。
或いは人体の許容量を遥か眼下に見下ろすように過剰投与された薬物の無理が、遂に治癒の限界を超えた結果か。
いずれ、不死の加護を受けたかとすら見えた女の、それは落日の兆候であった。

自身の全身を覆う致命の傷の数々を見下ろして、それでも悠然と笑んだ綾香の、
細めた左眼が、唐突に爆ぜた。
爆ぜて、しかしその速度を緩めながらも回復を始める左眼の、裂けた水晶体から垂れ落ちる血とも体液ともつかぬ
薄紅色の雫を、笑んだ綾香が、べろりと舐めた。

261ラストダンスは私に:2009/09/19(土) 20:15:05 ID:np6NvLE.0
転瞬、距離が詰まる。
仕掛けたのはやはり千鶴。
突撃は極端な前傾、右の爪を内から外へ薙ぐ姿勢。
ガードの気配、或いはその意識自体がない千鶴へ綾香が迎撃に放つのは左の横蹴り。
赤い網目模様の血管が張り巡らされた桃色の腓腹筋が張り詰め、凝固し、打撃を構成する。
タイミングは十全、吸い込まれるように伸びた脚が千鶴の顔面へと直撃する。
残った前歯の根を砕き折って、ざくりと刺さった歯の欠片を足裏に残したまま引き抜かれようとした
綾香の左脚を、真紅の爪が薙いだ。
薄皮も張らぬ肉に直接食い込んだ刃が、ぶちぶちと音を立てて筋繊維を千切っていく。
加えて、もう一撃。
千鶴の空いた左の爪が、綾香の伸ばされた姿も艶かしい、無傷の太腿に突き込まれる。
刺さった爪刃が、ぐじゅりと濡れた音と共に、円を描くように肉を抉った。
白い肌に走る紅の紋様が寸断され、噴き出した鮮血に塗り潰されていく。
脚の一本を縦横に刻まれて声一つ上げぬ綾香の対応は簡潔。
軸足から体幹ごと捻るように重心を移動させれば、遠心力は伸びた左脚を真横へと振る。
真っ赤に染め上げられた血みどろの脚が、刃の刺さったまま強引に移動を開始。
ぶづぶづと、何本かの腱と筋とが断末魔の悲鳴を上げて切り裂かれていくのを完全に無視して、
綾香が体を左へと捻っていく。
塞がらぬままに攀じられた腹の傷からごぼりと粘つく泡の塊が撥ね散った。
肉を裂き骨に食い込んだ刃が引き抜ける刹那、僅かに引きずられるように流れた千鶴の右腕を、
綾香の桃色の薄皮の斑に張った手が、掴む。
べしゃりと濡れた音と共に綾香の左脚が大地に着いたその瞬間、互いのベクトルは共に
左回りで回転する体側に沿った円軌道。
軸は綾香。縁は千鶴。
正しく流れるように、綾香の手に引き寄せられた千鶴の身体が、加速する円の渦に巻き込まれる。
密着は一瞬。
釣り込む腕と体躯を捌く腰、崩れた重心を掬うように払われる足。
三点が連動し、ただの一瞬、回転という運動に破壊的な力を付与する。
変則の、しかし恐るべき威力を内包して放たれた、体落とし。
釣り手の制動は存在しない。千鶴の、剥き出しの肋骨と脊柱とが加速の頂点で岩盤に叩きつけられ、
受身を許されぬまま、鈍い音と共に幾本かが砕けて飛んだ。

262ラストダンスは私に:2009/09/19(土) 20:15:39 ID:np6NvLE.0
仰向けに倒れびくりと震えた千鶴から、しかし見下ろす綾香は引き手を離さない。
間髪入れず、掴んだ腕を捻り上げるように内側へと捩じる。
同時、狙い澄ました打撃が奔った。
千鶴の肩関節と肘関節の回転可動域が、限界に達した瞬間である。
捌いた右足を引き戻しざまの、叩き付けるような綾香の下段蹴りが、
伸びきった千鶴の肘を裏側から正確に撃ち抜いていた。
ぐづゅごぐり、と。
尖った石を擦り合わせたような耳障りな音が、破壊された関節の絶叫だった。
千鶴の右腕が、あり得ぬ方向に、くの字を描いた。
真紅の爪刃を生やした五指が、見えない何かを掻き毟るように痙攣した、その直後。

鈍く重い音が、もう一つ。
咲いたのは真紅の霧の華である。
綾香の左脚が、蹴り足の衝撃を支えきれなかったとでもいうように、爆ぜていた。
肥大した筋繊維が、一瞬だけ奇妙なオブジェのように重なり合い、膨れて、弾ける。
千切れた腱が撥条仕掛けのように縮み、支える筋を失った骨がぐらりと揺らぐ。
肉の糸がふるふると細い手を伸ばし、しかし間に合わない。
軸足の支えを失い、血の霧の中に崩れるように倒れ込んだ綾香が一声、吼えるように息をついて
立ち上がろうとした、それを許さぬ、ものがある。
鬼の手だった。

263ラストダンスは私に:2009/09/19(土) 20:16:05 ID:np6NvLE.0
漆黒の、罅割れた分厚い左の手が、しっかりと綾香の腕を掴んでいた。
掴んだ腕を骨ごと握り潰す怪力が、その胸で抱き止めるように綾香を引き寄せた。
視線の交錯は、ほんの一瞬。
千鶴の濁った紅い瞳が、弓形に細められる。
吐息のかかるような間近、笑むように、千鶴が口の端を上げた。
折れた前歯の残滓と切れて爛れた歯茎の向こう側は奇妙に暗い。
底知れぬ深淵を思わせる笑みが、拡がる。
裂けていく千鶴の口の端の、青黒い唇の中から、赤が、覗いた。
切歯を喪失し、臼歯の多くは砕かれて、しかし、そこにはまだ、残るものがあった。
鋭く、太い、犬歯。
乾きかけた血に汚れ、なお鋭利を以て己を誇示する、肉食の根源。
それが元来、牙と呼ばれていたことを見る者すべてに思い出させる、獣の刃。
がぱりと、笑みの形のまま、顎が開いた。

音と飛沫が、金色の光を真紅に染め上げる。

濡れた音は、牙が綾香の鎖骨の僅か上、きめの細かい肌を刺し、その張力の限界を超えて体内を侵す音。
重い音は、牙が綾香の身体を縦横に走る血管の、その最大の一本を探り当て、千切り、食い破る音。
びちゃびちゃと。
ぐちゃぐちゃと。
地面に広がる血の海に、新たな飛沫が上がった。
綾香の頚動脈から噴き出した鮮血が、千鶴の口腔から溢れて流れ出し、止め処なく垂れ落ちていた。

264ラストダンスは私に:2009/09/19(土) 20:16:41 ID:np6NvLE.0
ひゅうと漏れた悲鳴じみた吐息は、動脈と共に綾香の気管までもが裂かれた証だった。
首筋に食い込んだ牙を引き剥がそうと、綾香の手が宙を掻く。
がり、と。
爪の食い込む柔らかい感触は、千鶴の眼窩に食い込んだものであったか。
見えぬまま、指の掛かるに任せて無理やりに引いた、綾香の左手が、その半ばから、喪失する。
首から離れた千鶴の牙が、その手に喰らいつき、細い骨と薄い腱とを咀嚼していた。

転瞬、鈍い重低音。
骨と肉とを噛んで含んで、鮮血を垂らしながら笑むように歪んだ鬼の貌が、弾かれるように真横へ流れた。
叩きつけられていたのは綾香が固めた右の裏拳、横殴り。
鬼の頬骨と己が中手骨とが同時に粉砕される手応えにも、綾香の拳は止まらない。
拳を止めず、しかし振り抜かず、肥大した筋力に任せて綾香は強引に打撃のベクトルを下へと向けていく。
二の腕が、爆ぜた。
舞う血の霧は激しく、しかしその霧の勢いに押されるように軌道を変えた綾香の拳が、千鶴の頭部を
大地に叩き付けた。
血溜まりが、撥ねる。

265ラストダンスは私に:2009/09/19(土) 20:17:04 ID:np6NvLE.0
仰向けに倒れ伏した千鶴に、綾香がずるりと裸身を引き摺るように圧し掛かる。
同時、拳を、振り下ろす。
一撃。鬼の貌が奇妙に歪んで血を吐いた。
二撃。叩き付けた岩盤の罅割れに、薄紅色の何かが流れ出す。
三撃。拳を振るう綾香の背筋が膨れて弾けた。
四撃。硬い音はもうしない。
五撃。拳は砕けて五指の形を保てず。
六撃。綾香の腹に開いた傷からどろりと粘つく肉の塊が零れ落ちた。
七撃。癒えぬ脚がぐずぐずと融けるように真っ赤な泡を吹き。
八撃。塞がりかけた綾香の左眼が、再び血の霧を咲かせた。
九撃。肩が爆ぜ。
十撃。二の腕が爆ぜ。

千鶴はとうに動かない。
飛び散る血潮すら、既にない。
剥き出しの腹の中に、乾いた赤黒い臓腑が覗いていた。


 ―――最後までやろうよ。


だらだらと、赤い血と薄黄色の体液とを垂れ流す綾香の瞳が、
動かない千鶴の、動かない腹の中の、動かない臓腑を、見つめる。
横隔膜の向こう、肺腑の間に、命の根源が、見えた。

砕けて癒えぬ、震える手が、伸びた。
だらりと力なく絡みつく血管や神経束や筋を引き千切り、
粘つく肉を掻き分けて、
終に辿り着いたその手の中の、
もう動かない心臓は、
それでも生温く。


 ―――その、最後まで。


傲、と吼えて。
引き摺り出した。

 
.

266ラストダンスは私に:2009/09/19(土) 20:17:20 ID:np6NvLE.0
 
【時間:2日目 ***】
【場所:***】

来栖川綾香
 【状態:仙命樹、ラーニング(エルクゥ、魔弾の射手)、オーバードース】

柏木千鶴
 【状態:死亡】


→1091 ルートD-5

267感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 03:53:14 ID:w7rQ/C/M0
 どうも、こんばんは。古河渚です。
 ちょっと体がガチガチです。周りの景色なんて見えません。だって目をつぶってますから。
 バイクの二人乗りって案外怖いです。運転手さんの舞さん曰く安全運転らしいですが、揺れます。早いです。

 ヘルメットもつけていないわたしはハラハラしっ放しでした。
 舞さんを信じていないわけじゃないですけど……その、防衛本能というか。
 色々お話したかったですけど、緊張と怖さの余り言葉も出ませんでした。
 必死にしがみついていたのでもうへろへろです。運動下手なのって損ですね……
 それでも、舞さんの言うとおりかなり低速だったみたいで、わたし達が一番遅いみたいでした。

 後で舞さんに聞いたところによると、ふぅちゃんは悲鳴を上げていたみたいです。
 まーさんは相当かっ飛ばしていたみたいです。正直な話、舞さんの後ろで良かったと思っています……
 なんだか、わたしも自分に正直になっているみたいです。言い訳をするのも少なくなったり、はっきりと結論を出すようにしたり。
 わたしも何だかんだでお父さんの娘なのかもしれません。お父さん、神経が図太かったですから。

 あ、悪いことだなんて思ってないです。凄く羨ましいと思ってたくらいですから……嬉しい、というよりも、安心しています。
 わたしだって少しはまともになれるんだ、って分かりましたから。
 岡崎さんは自信を持っていい、といつだったか言ってくれましたよね。
 わたしは今でも自信はありません。まだわたしは何もしていない。宗一さんや他の皆さんの後ろにくっついているだけです。

 でもわたしには戦える力なんてない。無理にそうしようとしてもどうにもならないのが自分だというのも分かっています。
 だから、今のわたしには『安いプライド』しかないのだと思います。
 変わっていけるかもしれない。マシになれるかもしれないって、現在のわたしを肯定するだけの『安いプライド』です。
 でもそれがあるから、わたしはここにいられる。たったそれだけで、坂の上を目指せる力になるのだと思っています。
 ですから、わたしはしがみ続けるのだと思います。『安いプライド』に。『誇れる自信』に変わるときまで。

「……」

 つんつん、とわたしの頬を何かがつつきました。
 そういえば、揺れが収まっています。そもそもバイクが停車していました。
 目を開けると、少し困った顔をした舞さんがこちらを見ていました。

268感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 03:53:33 ID:w7rQ/C/M0
「ついたから、降りて欲しい」

 ぎゅーっと、力いっぱいしがみついていることに気付き、慌てて腕を離しました。

「わっ」

 焦っていたわたしは話した拍子にぐらりと後ろに傾き、そのまま落馬……もとい、バイクから落下しました。
 したたか腰を打ちつけ、にべもなく地面に転がってしまいました。何をやっているのでしょうか……
 笑うしかなかったわたしに、舞さんが手を差し伸べてくれました。

「ありがとうございます……」

 恥ずかしさがありましたが、すぐに手を取って起き上がることが出来ました。
 どうやら、わたし達が一番最後みたいです。他の皆さんの車やバイクが見えました。
 目的地の小学校。ここに宗一さんの知り合いの方がいらっしゃるとか。
 多分、電気がついているところにいるのでしょう。
 ぼーっと眺めていると、舞さんが先を行くように促しました。

「早く。遅刻、良くないと思う」

 そういえばそうかと思い至り、そうですねと返して、小走りに昇降口まで向かうことにします。
 遅れてしまうのは、あの時から変わらないのだな、と思うと、少し可笑しく感じました。

「遅れてばかりなのは変わらないですね」
「……そうなの?」
「遅刻魔だったんです、わたし」

 あまり表情の変わらない舞さんが、ぱちぱちと物珍しそうに瞬きするのが新しい発見のように思えました。

269感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 03:53:48 ID:w7rQ/C/M0
「私も、そう。不良生徒だった。生徒会から目を付けられてた」

 窓ガラスとかよく割ってたから、と付け足した舞さんに、今度はわたしが絶句する番でした。
 そういうことをするような人には全然思えなかったので……
 お互いの意外すぎる一面を知って、自然と笑みが零れていました。

 奇妙な共通点に、舞さんも笑っていました。
 昔のことだって、全部が悪いことだけじゃない。
 そんな思いを抱えながら、わたし達は校舎の中に入っていきました。

     *     *     *

「いいかゆめみよ、まずお茶を出すときには心得ておかねばならぬものがある」
「はい」
「とりあえずお湯を入れることからはじめよう、な?」

 引き攣った笑顔で高槻さんはそう言いました。わたしは首を傾げました。
 お茶を出してみろ、というお言葉に従ったまでのことなのですが……

「もう一度聞こう。お茶っ葉をカップ一杯に注いで何をしろと」
「はい! 美味しく召し上がってください!」
「牛になれと」
「眠いのですか?」

 お腹がいっぱいになってすぐに寝ると『牛になる』そうです。
 量が多すぎたのでしょうか。
 メイド修行とは難しいものですね……

270感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 03:54:04 ID:w7rQ/C/M0
 ところで、どうしてコンパニオンロボのわたしがメイドになるのでしょうか。
 メイドロボの基本行動様式は既に削除されてしまっているのですが。
 高槻さんのなさることなのできっと深い理由があるのでしょう。
 ですからわたしは何も言わずについていったのですが。

「もういい。俺がやるからよく見ていろ。そして覚えろ」
「はい。見て、覚えます」

 覚えることは大得意です。じっと高槻さんを注視すると、コホンと咳払いをして、まずは空のカップを手に取りました。
 次にカップにお湯を注ぎます。なるほど、あの粉だけではいけないのですね。
 それからさっきわたしが入れていた粉をお湯に投入しました。あ、お湯の色が変わってます。

「これがお茶の淹れ方だ!」
「なるほど! そうなのですね!」

 ……と思う、と小声で付け足したのが聞こえましたが、高槻さんが言うのです、間違いありません。
 手順は既にインプットしましたから完璧に行えます。わたしがぐっ、と拳を握ると、
 高槻さんはぽりぽりと頭を掻きつつも、「まあいいか」と言ってくれました。

「あとはこいつを人数分入れて、みんなのところに持って行ってやれ」
「承知しました」
「それと、もう一つだけ覚えておけ」
「はい」

 再度インプットモードに入ります。このモードのときはじっと教授してくださる方の挙動を窺うのですが、
 高槻さんはいつも最初に苦笑します。そういうことで、わたしもそれらしい表情を浮かべることにしています。
 鏡がないのできちんと実践できているかどうかは分かりませんが。

「人間、疲れたときに暖かい食べ物や飲み物を出されるとホッとするもんだ。大抵はな」
「そうなのですか」
「そうだ。そしてありがたみを忘れてしまった奴もいる」

271感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 03:54:20 ID:w7rQ/C/M0
 どういう意図があって言ったのかは分かりませんでした。曖昧に頷くわたしは、適当という挙動を実践しているのかもしれません。

「お前は、疲れている奴にすっと茶を出せるような優しさを学べよ。
 誰かそのものじゃない、参考になることだけ学べばいいんだ。駄目なところも学んじゃいけない」

 それについては万事完璧です。人間として素晴らしい行動規範をお持ちになっている方が目の前にいらっしゃるのですから。
 そういうことだ、と付け足して、高槻さんはお茶を淹れろと促しました。
 わたしはお茶を飲めないので、この場合三人分必要ですね。
 苦笑を浮かべて、わたしはお湯を注ぎ始めました。

     *     *     *

 遅いな、と思いながら振り返ってみるが、川澄と渚の乗ったバイクは見当たらない。
 相当ゆっくり走っていたのだから、まだしばらく時間はかかるのかもしれない。
 そんなことを思いながら、俺は車に体を預け、溜息をついた。
 リサからは学校で、と指定されたが、具体的にどこの部屋でとは指定されなかったのでとりあえず外で待ってはいるのだが……
 現れやしねえ。遅刻だろうな、こりゃ。

「俺達はいつまでこうしてればいいんだ」

 車の助手席から身を乗り出して尋ねてきたのは国崎さんだった。
 後ろの席ではルーシーが退屈そうに腕組みをして足を荷物に乗せている。
 まーりゃんと伊吹は相変わらず仲良くケンカしている。今回の理由は『運転が乱暴すぎるから』というものだった。
 寿命が縮んだだとか肝が潰れたとか文句を言う伊吹に対してまーりゃんはそんなんだからチビ助なんだぞー、とからかっている。
 取っ組み合いにならないのは単純に伊吹が限界だからだろう。乗り物酔い的な意味で。

「誰かがいそうなんだけどな。ひょっとしたら先にいるのか……」
「俺達が先行してもいいんじゃないか」

272感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 03:54:38 ID:w7rQ/C/M0
 校舎の中では明かりが点いていることから、誰かがいるのかもしれないと予測はできるが、果たしてそれがリサ達のものなのかは分からない。
 俺達がいる場所も、明かりのあるところからはギリギリ死角になるような場所だ。
 誰かが出て行けば応じて出てくるのかもしれないが、安全が保障されているわけではない。
 完全に参加者間での殺し合いが途絶えたと確信できる理由はないのだ。

 行くにしても、のこのこと出て行くのだけは避ける。
 人を疑い続ける職業である俺の癖と言うべきものであるが、必要なことだと分かっている。
 疑うことは決して悪ではない。身を守るための最善の手段なんだから。
 渚は信じることで知ろうとしている。俺は疑うことで知る。方法は違えど、人間を知るということにおいては変わりない。
 ただ、そういう俺を、渚は知って受け入れてくれるのだろうか……

「いい加減行ってみてもいいかもな……リサも同じ立場だ。こっちを窺ってるのかもしれない」
「行くのか?」

 顎を上げてルーシーが反応する。頷くと、「じゃあ、携行武器がいるだろう」と拳銃を寄越した。
 形状からしてM1076だろう。ルーシーはどちらかと言えば俺の側に近い存在だ。
 もっとも、それは対外的な存在に対してであって、身内には少々甘いところがある。
 それはそれでいいと思っていた。人と人を繋げるきっかけでもあると言えるのだから。

「俺も行こう。……邪魔か?」
「あまり大人数だと困るけどな。国崎さんがいればいいか」

 単独行動で仕事することの多い俺だが、チームプレイも得意だ。伊達にエディと組んでいたわけじゃない。
 ただ、ひとつのグループをまとめるのは苦手だ。精々が三人までというところだろう。
 俺自身の疲労も考えれば二人が一番いい。見ていたルーシーに首を振ると、やれやれという風にまた車のシートに身を預けた。
 違うのは、膝の上にマシンガンを乗せていることだったが。

 国崎さんを選んだのは怪我の度合いから見てのことだ。一番傷が浅く、なおかつ男だ。見た感じタフそうでもあるし。
 まあそれに……まーりゃんや伊吹だと、絶対に話がスムーズに行かない。断言できる。

273感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 03:54:55 ID:w7rQ/C/M0
「むむっ! あたしを呼ぶ声が聞こえたような気がした!」

 考えた瞬間にまーりゃんが鋭敏に反応していたが、俺と国崎さんが揃って首を振ると「ありゃ」と首を傾げて、ぽりぽりと頭を掻いていた。
 なんて鋭い奴だ。まーりゃんにミステリの探偵役を任せたら、たちまち解決してくれるかも。
 伊吹は疲れたのか、バイクのシートでぐったりとしていた。大丈夫なんだろうか。

「行くか」
「なるべく慎重にな」
「言うまでもない」

 お互いに牽制し合いながら、俺達は学校へ向けて歩き出した。

     *     *     *

 存外に時間がかかってしまった、と思った。
 急激に曲がりくねった道が多かったのと視界の悪さのせいなんだけど。
 まさか激突の衝撃でライトが壊れてるなんて気付かなかった……
 星明かりに感謝したことは初めてかもしれないわね。

 もし雨が降り続いて空が雲に覆われたままだったら、もっと時間がかかっていたでしょうね。
 まあそれを抜きにしてもあのトンネルが一番時間がかかったでしょうけど。
 一寸先は闇、という日本語を思い出したわ。本当、何も見えないったらありゃしない。
 ガリガリと車を壁にこすりつけてしまったのは一生の不覚だわ。今度は暗闇でも運転できるように訓練しないと。

 意外とムキになっていることが可笑しかった。やっぱり、私は車が好きなのだろう。
 何故、と考えてみても理由に繋がる思い出が浮かばない。

 任務のために運転技術を習得する必要があった? 違う。
 対人関係の上で、上手な方がイニシアチブを取れると考えたから? 違う。
 広い道で車を最速で飛ばすことを楽しみに感じられるようになったのも、より速い車を好むようになったのも、
 全ては私自身の意思で、そのためにかけた時間も私が選択したことに他ならない。

274感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 03:55:11 ID:w7rQ/C/M0
 なんだ、と思った。任務遂行の歯車、復讐に徹するだけの機械かと思えば、実は新しい自分を見つけ出していたってわけね。
 気付かなかったし、気付こうともしなかっただけで、奥底にある私そのものが変わろうと努めていたのかもしれない。
 そう思うと今まで靄がかかって想像さえできなかった未来の自分がふっとその姿を見せたように思えた。
 想像することに関しては幼稚でしかない私は、
 レーシングドライバーになればいいかもしれないなんて馬鹿げたことを考えているみたいだけど。

 ……いや、きっとそれは私が軍人の道を歩まなかったときのIfなのでしょうね。
 復讐に身をやつさずとも、やさしさで絶望を乗り越えられるような、そんな人間だったなら。
 凡俗で、憎悪の炎を燃やして消費するだけでしかなった私が前を向けるようになったのには、
 相応の時間と出会いと別れを繰り返さなければならなかった。

 私にはまだ、思うままに任せて暮らすというようなことが出来そうになかった。
 不実を清算しきれていない。だから軍人を続ける必要がある。そう結論して。

「おっと、先客がいるみたいね」
「先客?」

 顔を真っ青にしたことみが言う。先ほどからの運転のせいだ。ちなみに、後ろの二人はまだすやすやと寝ている。
 いい寝つきね。別に責めているわけじゃないけれど、図太い神経だって思うわ。
 ……いや、張り詰めていたものが切れたから、か。
 私なんかは切れては繋いで、切れては繋いでいたからもう簡単なことじゃ切れなくなっちゃったけど。

「あそこ」

 思考を払って、ことみの質問に答える。学校へと歩いている二つの棒があった。間違いなく人影でしょうね。

「クラクション鳴らしたら?」
「危なくないかしら? 誰かに感づかれたら」
「今さらだと思うけど……」

275感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 03:55:27 ID:w7rQ/C/M0
 それは今の14人という人数のことを言っているのか、車という存在感のある乗り物に乗っていることを言っているのか。
 蒼白な顔をして溜息をつくことみの顔色は先程より悪くなっているように感じられた。
 ひょっとしたら、乗り物酔いの気があるのかもしれない。
 我慢しているのは偉い。言ってくれても良かったのにとも思うけど。

「そうかもしれないわね。一応、二人を起こして」

 首を振って促すと、ことみはシートベルトを外して後ろの席へと身を乗り出していた。
 その間に私は思い切りクラクションを鳴らし、前方の二人へと向かってアピールを開始した。
 今まで気付かれなかったのは単にライトが点いていなかったからなのかしら。
 音でようやく気付いた二人組は素早く拳銃を取り出し、いつでも構えられるようにしているようだった。

 一瞬迂闊だったか、という思いが過ぎりつつも、この状況ではそれも当然と冷静な軍人の頭が告げ、
 このまま速度を緩めて接触を図ることにする。ライトが点いていればもう二人組の正体は判別できていたのでしょうけど、
 生憎と濃すぎる暗闇の中ではまだ顔までは判別できなかった。

 暗視スコープなどという文明の利器を駆使してきたお陰で夜目が少々利かなくなっているようね。
 それとも、単に疲れているからなのかしら……
 眠らなくとも保つ体だとはいえ、限界というものはあった。

「ん……着いたん……?」

 眠そうな声に欠伸を混ぜた様子の瑠璃の声が届いた。緊張感の欠片もない、と思ったけど、
 「アホか、準備しろ」と慌てた浩之の声が続き、「すいません、寝てました」と言ったことで、チャラにしてやろう、と思った。
 瑠璃も言われて、自分の発言の迂闊さに気付いたようで「ご、ごめんなさい」と上ずった声で謝罪した。

「油断だけはしないようにね」

276感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 03:55:42 ID:w7rQ/C/M0
 釘だけを刺しつつ、私はようやく見えた二人組の顔にホッと一息ついた。
 宗一がいる。こちらにも気付いた宗一は目に見えるくらいに安心した表情になって挨拶するように手を振っていた。
 どうやら、お互いここまで無事に引っ張ってこれたことに安堵しているみたいね。
 私はともかく、宗一が牽引役までやっていたことは意外だったけど。
 あの子、キャプテンではあってもリーダーじゃないもの。

 車を降りると「久しぶりだな」という相変わらずの溌剌とした様子で、宗一が手を差し出した。
 挨拶代わりに手を捻ってやろうと、緩みかけた気を引き締める意味合いも兼ねて宗一に手を伸ばす。
 けど素早く捻られるはずだった宗一の手は私の手を弾き、代わりに私の腕を搦め取ろうと反対の手を伸ばしてきていた。

 同じことを考えていた。奇妙な嬉しさが溢れてくるのを感じながら、一歩引いてそれを躱す。
 軽くジャブを打ち込んでみるが、器用に捌かれ、ラッシュが止まったところにカウンターのキックが入れられる。
 私だってそう単純じゃない。足を取って投げてやろうと掴んだが、もう片方の足が蹴りかかっていた。
 舌打ちして掴んでいた方とは反対の手で蹴りを止める。
 その間に掴まれていた足をほどき、トントンとバランスを取るように二歩、下がった。

 私と宗一以外の人間は突如始まった格闘に唖然としている。
 もっと続けたかったが、いらぬ誤解を招きかねないので「もういいでしょ」と手をかざした。
 ふむ、と宗一も応じて構えを解く。「一泡吹かせてやろうと思ったのに」と悪びれもせず言う宗一に、私は不敵な笑みだけを返した。
 どうやらお互いの考えはそう変わっていないらしいということを理解して、私達は今度こそ普通の握手を交わした。

「お前ら、それが普通なのか」

 ようやくといった感じで宗一の連れが呆れたような声を出したが、別にいつもやってるわけじゃないのに。
 あ、そう言えば宗一との初体面でもこんなことやったっけ。

「ワケわかんねえ」
「うん」

 乱闘だと思ったらしく、武器を抱えて車から飛び出していた浩之と瑠璃に、私は肩を竦めるしかなかった。

277感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 03:56:00 ID:w7rQ/C/M0
     *     *     *

 まあ、こうして色々あったようななかったようなわけなんだが、とにかくおれ達は無事学校に着いたってことだ。
 ……道中、寝てたけどな。気が緩んでたのは認めざるを得ない。
 こんなんで瑠璃を守れるのかよ、と思ったが、寝て鋭気を養ったということにしておこう。

「ところで、宗一側はそれだけなの?」
「ああ、俺達が先行してただけだ。残りは別にいる」

 宗一というその人は一見俺と変わらないくらいの年に思える。だがあのリサさんと互角に戦っていたんだから実は凄い人なんだろう。
 リサさんが本気ではないのは分かっていたが、それは相手にしたって同じことだろうし。

「どこに?」
「ま、着いてくれば分かる」
「ふむ、相変わらずガードは固いわね」
「悪いね。習い性なんだ」

 仲間だと分かっているはずなのに、なかなか手の内を見せようとしない。
 習い性だと言っているから、そうポロポロ喋るということじゃないんだろう。
 リサさんもそれを試していたらしく、合格という風に頷いていた。
 おれだったら嬉しさの余りついつい喋っちゃうんだろうな。そんで怒られるんだろう。
 ……元々、おれに合流の喜びを分かち合える奴なんていなくなったようなもんだけど、な。

「浩之」

 ぼーっと二人を眺めていたおれに、瑠璃がぽんと肩を叩いてくる。

「荷物、下ろそ」

278感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 03:56:18 ID:w7rQ/C/M0
 優しく微笑んだ瑠璃には、感傷に浸りかけたおれを気遣ってくれるものがあった。
 ああ、俺は一人じゃない。そんな気持ちが込み上がり、底に沈んでいたはずの自分、
 かったりぃと言っていたころの自分が浮き上がってくるのを感じる。

 自分で手放して、二度と掴まないと決めていたはずのものだったのに。
 迷っているのだろうか。もう肩肘を張る必要はないと心のどこかで分かっているのだろうか。
 おれでは決められず、結論を出すことはできなかった。

 そうするだけの自信がない。結局のところ何だってしてこれず、
 みさきを振り切ったおれには自分の判断だけで自分を肯定なんてできなかった。
 甘え、弱さだと言えば、そうなのかもしれない。
 それでもおれは、自分ひとりだけでは決めることが出来ないものがあり、誰かに依存する術を知ってしまった。
 だから……おれは、誰かに肯定してもらいたいのだろう。

「手伝おう」

 横から現れた男が瑠璃の持っていた荷物を肩代わりしてくれた。確か、宗一って人の隣にいた人だ。
 切れ長の細い瞳、少し痩せた頬という顔つきにも関わらず、体はがっしりとしていて、屈強の一語を即座に連想させた。

「あ……すまねえ。えっと、名前は」
「後でいい。どうせ集合した後にでもするだろうからな。それに俺は生憎物覚えがいい方ではないんでね」

 はあ、と生返事すると、男は踵を返してさっさと歩いていってしまった。
 親切なのか無愛想なのか分からず、おれは瑠璃と顔を見合わせて苦笑した。

     *     *     *

 しばらく休んでいると、また体の傷が疼きだしたのか、全身に鈍い痛みがじわりと浸透してきていた。
 或いは一時でも安心する時間を貰ったからなのかもしれないけど、少し辛いのには変わりなく、あたしはより深く椅子に身を委ねた。
 長い溜息が漏れ、それを疲労と察してくれたのか、芳野さんが救急箱から鎮痛剤を渡してくれた。

279感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 03:56:33 ID:w7rQ/C/M0
 ありがとうと会釈を返しつつ、錠剤を飲み込む。水がないので緩やかにしか喉を通らなかったが、
 体が一生懸命奥へ運ぼうとしているところからは、あたしもまだまだ生きているのだなと実感する。
 生きていたい、という言葉に置き換えてもいい。こんなに辛いのに、苦しいのに、命は前にしか行こうとしない。

 きっと、あたしはゆめみさんに憧れている。
 正確にはゆめみさんの中にある人の意思、理想と言ってもいい。
 人のやさしさを詰め込んだ、在るべきひとのかたちに、あたしは惹かれている。
 だから妹の死を究明してみようと思ったし、今のあたしをどうにかしたいとも思った。

 ゆめみさん自身はただのプログラムを積んだロボットでしかないのかもしれない。
 それでも、プログラムを設計したのは人であり、根幹は人の善意を信じて作られたと思わせるようなものが随所にある。
 ひとの理想であるからこそ、あたしはそこを目指そうと思ったんだろう。
 現実は少しずつしか変わらず、一足飛びに実現できるものではないと分かっていても、いつかは同じ位置に辿り着けると信じて……

「皆さん、お茶をお持ちしました」

 と、そこで憧れの対象であるゆめみさんがトレイに湯飲みを数点乗せて帰ってきた。
 どこに行っていたのかと思えば、お茶を淹れてきてくれたというわけだ。
 なるほど流石は気の利くロボット……とか思ってたら、
 その後ろから「ワシが育てた」とでも言わんばかりに偉そうな表情を浮かべた高槻がやってきた。

 そう言えばメイド修行だとかなんだとか言っていたような気がする。
 メイド服を着せていないあたりは評価してやってもいいかもしれないけど。
 あたしはそこで自分の発想の貧困さに気付き、少し愕然とした。
 苦々しい気持ちを打ち消すために、飲んで落ち着こうと思い、お茶を受け取る。

「ありがと……って」

280感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 03:56:52 ID:w7rQ/C/M0
 湯飲みを口に運ぼうとしたあたしの手が緊急停止をかけた。芳野さんも湯飲みの中を見て固まっている。
 それもそうだ。お茶っ葉がこれ見よがしにぷかぷかと浮いていたのだ。
 あたしは即座に池にびっしりと広がるアオコを想像してしまい、げんなりとした気分になった。
 茶柱がどうとか、そういうレベルではなかった。適当もいいところに淹れられたお茶は、きっと濃すぎる味に違いなかった。
 なまじ家庭科のスキルがあるあたしとしては口を開かずにはいられない状況だった。

「これ、お茶の淹れ方が違うんだけど」
「え?」「何だって?」

 既にぐいぐいと中身を飲み干していた高槻がお茶っ葉を口元に張り付かせながら反応し、ゆめみさんも頭を傾げた。
 気にしていないところを見ると、間違ったお茶の淹れ方を指図したのはあいつであるらしいと推論したあたしは、ジロリと睨んでやる。

「お湯にそのままお茶の葉を突っ込んだでしょ」
「違うのか」
「あのね……」

 あまりの知識のなさに怒る気にもなれず、あたしは閉口するしかなかった。
 こいつが妙に知識の偏りがあることは前々から承知の事柄だったが、ここまで適当だとは思わない。
 ざっくばらんの一言では括れないフリーダムぶりに、どう返したものかと思っていると、芳野さんが助け舟を出してくれた。

「間違っちゃいない。だけどな、お茶の葉は濾してから淹れるもんだ。葉をそのまんま突っ込むのはどうかと思うぞ」
「マジでか」
「飲めなくはないがな……礼儀としての問題だ」

 言いたいことを見事に言ってくれた芳野さんにあたしはただ感服する思いだった。
 この人はいい意味で大人だと思う。さっきだって、気配を察して薬をくれたし。
 落ち着いているだけじゃない、色々なことで気を配れる芳野さんの姿に、わけもなく心が昂揚するのを感じた。

「あの、淹れたのはわたしです。至らなかったのはわたしにも非があると思います……申し訳ありませんでした」
「いいのよ。どうせ適当に教えられたんでしょ」

281感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 03:57:09 ID:w7rQ/C/M0
 いつものように過剰なくらいに詫びるゆめみさんに対して、あたしは苦笑しながら言う。
 今回ばかりは返す言葉もないらしい高槻はぐうの音も出ないという感じで、「悪かったな、世間知らずで」と珍しく非を認めていた。

「まあ世間知らずというよりは、単に知識不足なだけな気がするがな」
「うっせ。理系脳なんだよ」
「理系だろうがなんだろうが、簡単なお茶の淹れ方は常識の範疇だと思うが?」

 ぐっ、と声を詰まらせる高槻に、あたしは声を押し殺して笑った。
 芳野さんも悪意があるわけではないのだろうけど、本能的に突っ込みを入れずにはいられないのだろう。

「常識に囚われてなくて悪かったな」
「ああ。早く現実に戻って来い」

 憎まれ口を叩き合う二人は、きっとここじゃなければ悪友と呼べる間柄なのかもしれない。
 不意に朋也と陽平の姿が思い出され、感傷が心に広がってゆく。
 ああ、あたしはもっと、あんな風景を見ていたかったんだな……

「あ、あの、お二人とも、ケンカは……」
「大丈夫よ、分かっててやってるから。ケンカにはならない」
「そうでしょうか……?」
「そうよ。あたしには分かるから。それより、今度からはあたしが教えてあげるから、その時はあたしに言ってね」
「……はあ。分かりました」

 ゆめみさんの目にはケンカにしか映っていないのであろう二人の言葉の応酬を目にしながら、
 あたしはこいつらも好きなんだな、と認識が新たになるのを感じていた。

「わーったよ! 責任取って見回りに行って来る! 覚えてろよ芳野!」

282感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 03:57:30 ID:w7rQ/C/M0
 逃げの口上か、それともまだ疲れているあたし達を察したのか、高槻は唐突にそう言うとずかずかと出て行った。
 まあきっと前者なんだろうけど。
 それを見たゆめみさんが「あ、待ってください!」と慌ててついてゆく。そうしてここにはあたしと芳野さんだけが残される。

 高槻がいなくなったことで、今まで抑えていた笑いの衝動を抑えきれなくなり、「バカよねぇ、本当」と言いながらあたしは笑った。
 釣られるようにして芳野さんも「近年まれに見るバカだな」と言いつつ微笑していた。
 お茶の淹れ方ひとつでここまで盛り上がれるあたし達もバカだった。

     *     *     *

 藤林の笑った顔を見るのは、これが初めてかもしれなかった。
 今まではずっと緊張を巡らせていて、触れれば壊れてしまうガラス細工のようにしか見えなかったのに。
 傷だらけの体。全身あちこちに包帯を巻かれ、歩くことさえままならない彼女の身体は、闊達な言動とは裏腹にひどく華奢に思える。
 それだけではない、傷ついた心、もう二度と取り返せなくなった日常に打ちのめされた心であるはずの藤林は、
 しかし今は、どこにでもいる少女のようで、俺と同じ位置にいる少女のものとは考えられなかった。

 一体何が彼女の心境に変化をもたらしたのかは分からない。ただ言えることは、この集団に身を置くことで変質したものらしいということだ。
 俺にしてもそれは同じで、もっと自由に物事を考えてもいいと思えるようになった頭しかり、
 変質を受け入れて身を委ねられるようになったある種の余裕しかりだった。
 公子さん……俺はきっと、あなたと出会った頃の俺に戻っているのかもしれませんね。

 何も知らず、現在を全力で駆け抜けることしか考えていなかった過去の俺が思い出される。
 どこまでも真っ直ぐで、挫折や絶望なんて視野にも無く、ただ希望だけを信じられた昔。
 大人として最低限の分別を身につけたとはいえ、茫漠とした未来に期待を寄せ、
 自らそこへ歩んでゆくという意思を持っているという点では、俺は昔と何ら変わりのない人間だった。
 だからだろうか、先程から笑っていたことと合わせて、俺は珍しく雑談の口を開いていた。

「どうする? お茶はまだ大量に残ってるんだが」

 藤林は俺の意外な言葉に少し目を丸くしたようだったが、すぐに生来の会話好きな気質を刺激されたのか、すぐに応じてくれた。

283感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 03:57:48 ID:w7rQ/C/M0
「まあ、残すのも悪いですし、飲んじゃいましょう」
「そうだな、冷める前に一気に……お、茶柱だ」
「えっ、本当に?」

 これだけお茶っ葉があればひとつくらいはあってもよさそうなもので、俺の湯飲みにもぷかぷかと控えめに浮く一本の茶柱があった。
 藤林が興味を持ったのか、体を俺に寄せて覗き込んできた。
 不意に女の香り、有り体に言ってしまえば普段彼女が使っているだろうシャンプーの匂いが土臭さを突き破って俺の鼻を刺激する。
 あまりにも久しぶりすぎる感覚に、俺は思わず石になってしまった唾を飲み干していた。
 言っちゃ悪いが、公子さんとは健全すぎる付き合いしかしてこなかったからな……

 いやそもそも結婚前提の前の付き合いという段階で、しかもある事情のお陰で恋愛を楽しむ暇なんてなかったから、
 実質俺は恋愛に初心なのと同然なのかもしれなかった。
 いや、別に公子さんに恨みを抱いてるわけじゃないんですよ。ただもう少し色々やっておきたかったなというだけで。
 俺の言い訳に、仕方ないなぁと苦笑を浮かべた公子さんが、じゃあ思うようにやってみて、と一歩身を引いたのが感じられた。

「あーホントだ。あたし、一つもないんですけど……」

 スッと差し出された湯飲みには、確かに茶柱はなかった。言ってしまえば確率でしかないのだが、それほど低そうな確率でもないだけに、
 俺は「運が悪いな」、と率直な感想を口に出してしまっていた。

「何それ、勝者の余裕ですか?」
「あ、いや、すまん」

 口を尖らせた藤林に咄嗟に謝罪すると、今度は藤林が慌てたような顔になる。

「いや、そんな真っ正直に謝られても」
「今のは俺の口が悪かった」
「あたしだって、別に悪気があったわけじゃ……」

284感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 03:58:07 ID:w7rQ/C/M0
 そこで藤林が破顔した。互いに謝りあうということが可笑しかったらしく、「なんで茶柱一本で謝りあってるんだろ」と続けた彼女は、
 笑うことで体に痛みが走るのも構わず腹を抱えていた。
 こうなるとほしのゆめみが間違えたお茶の淹れ方をしたのも寧ろ正しかったように思え、
 そう考えられるのだから人間現金なものだと思ってしまう。ただ、心地良いことだけは疑いようがなかった。

「……ん?」

 ふと、視界の隅に人影らしきものが横切った。正確には職員室から見える、さらにその先の廊下の窓から見えたという方が正しい。
 高槻かと思ったが、外に出るとは思えず、俺は湯飲みを机に置き、藤林に耳打ちする。

「外に誰かいるぞ。……侵入者かもしれない」

 敢えて侵入者という不穏当な言葉を使ったせいなのかもしれなかったが、
 藤林の顔が女の子のものから殺し合いを潜り抜けてきた人間の顔になり、身構えるのが分かった。

「ことみ達かもしれませんけど」
「確かに。だが、そうじゃない可能性もある」
「……電話してみます? リダイヤルを使えば」

 とりあえず自分が見てこよう、と提案しかけたのを制して藤林が言った。電話するという発想は頭になく、
 虚を突かれる思いで俺は藤林を見ていた。なるほど、そういう手もあるのか。

「頼む。俺は一応警戒しておく」
「任せてください」

 素直に自分の提案が受け入れられたことが嬉しかったらしく、藤林はほんの少し誇らしげな表情になって電話を取った。
 しばらくして、電話が繋がったのか、受話器越しに藤林と誰かが会話を始めた。

「あ、もしもし? 今どこ?」
「え? もう来てる? ああ、ここが見えてるんだ」
「……うん。分かった。それじゃあ迎えをあげる。あたし? 大丈夫、動くと痛いだけだから。死にゃしないわよ」

285感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 03:58:30 ID:w7rQ/C/M0
 藤林の声だけ聞いてると、どこにでもある、友達同士での会話のようにしか思えなかった。
 まあ、迎えというのは多分俺のことなんだろう。高槻とほしのゆめみは出払ってるしな。
 あいつらは気付かなかったんだろうか。……タイミングの問題だと思うことにしよう。

「ということで芳野さん、お願いできますか」
「どこに行けばいい?」
「とりあえず、職員室廊下の窓を開けてもらえば」
「……何故窓を?」
「さぁ? 正面から堂々と入るのはある意味危険だとかなんだとか」
「面倒くさいだけなんじゃないのか」
「……ああ。モノは言い様ですね」

 そういう解釈もできるらしいと気付いた藤林は苦笑し、まあいいじゃないですか、と付け加えた。
 確かにトラブルがあるよりはずっといい。そもそも、規格外なら高槻とほしのゆめみで慣れている。
 なら俺も規格外なのか、と考えて、それでもいいかもしれないと思う自分が可笑しかった。
 どうやら俺も毒されてしまっているらしいと結論して、強くなりすぎないように藤林の肩を叩いた。

「行って来る。……また、無駄話にでも付き合ってくれ」

 言わなくてもいいはずの言葉を付け加えてしまったのは、吹っ切った部分があるからなのかもしれなかった。
 想像外の言葉だったのだろう、面食らった顔になった藤林はしかしすぐに「いいですよ」とだけ言ってくれた。
 短すぎるその声は、俺でも照れることなくすんなりと受け入れることが出来た。

     *     *     *

「うん、それじゃまた」

 子供っぽい髪飾りの女が携帯を仕舞うのを確認した俺達は、先導されるようにしてついていった。
 最初はひどい怪我だと思っていたが、案外平気で行動しているので、大した怪我ではないのかもしれない。
 荷物持ちは俺と那須、さっき少しだけ会話したやつを中心に、後は女性陣が少しずつだ。

286感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 03:58:46 ID:w7rQ/C/M0
 それにしてもこんだけ大量の荷物を何に使う気なのだろうか。
 説明もない以上、俺には想像ができるはずもなく、黙って後をついていくしかないのが現状だった。
 こんなことならあいつと自己紹介でもしておくべきだったかと考えたが、今さら後の祭りだ。
 それに、俺は話題を作って話し続けられるだけの技量もないしな……精々聞き役に回れるくらいだ。

 舞の誘いを断ってから、どうも煮え切らない何かが渦巻いている。
 あの状況ではそうするのが妥当だと思えたし、正しいとも頭では理解していたのだが、舞のどこか残念そうな顔が頭から離れない。
 普段から無表情なのだから、気のせいだと思うことだって出来たのだが、俺の直感はそうは思ってくれていないらしかった。
 なら、俺はどうすれば良かったのか。仮に受け入れていたところで冷やかされ、無言になるのは目に見えていた。

 ……いや、なんで無言にならなきゃいけないんだ?
 当たり前のようにそう思っていたことに俺自身わけが分からず、あの時の舞の顔をもう一度思い返してみる。
 俺に確認を取ってきたときの、いつも通りの真っ直ぐな視線。

 ……本当に、いつも通りだったか?
 記憶とは曖昧なもので、そのいつも通りさえ思い出せず、俺は何をやってるんだという思いだけが募った。
 逆に、どうしてここまで舞のことを考えているのかと自答する。
 既に知り合いが悉く死に絶えてしまったからだろうか。霧島姉妹を亡くし、晴子と観鈴を失い、美凪とみちるの死を知ったからか?

 それならそれで考えるべきことはいくらでもあった。彼女らの最期はどうだったのか。
 幸福に逝けたのだろうか。何かを伝えて生き抜くことができたのだろうか。
 ここにいる連中にでも、尋ねてみてもよいはずだったのに、そうしようと考えるだけの頭はなかった。
 どうでもいい、とは思っていない。ただそれ以上に今のことで頭が一杯だった。
 その『今』の象徴が舞であり、それについて思索を巡らせている俺なのかもしれなかった。

 ……『今』か。
 俺の目標はと言えば、人を笑わせるために生きると言ったはいいものの、肝心の相棒である人形がいないということだった。
 そのせいで俺は荷物運びだとかをすることが多くなり、結果的に会話から遠ざかっているのも頷けた。
 つまりは人形劇ができないと俺は何もできないということなのだろうか。

287感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 03:59:04 ID:w7rQ/C/M0
 人を笑わせることも……

 そう考える俺の頭にはやはり舞の姿があって、彼女もまた笑っているのだった。
 ……そういえば、俺は舞の笑った顔って、見た事がないような。
 想像はしてみたものの、今まで以上に靄がかかっていて、表情の細部まで想像することができていなかった。
 泣き笑い、微笑、苦笑という、別の感情が入り混じった笑いなら見てきたが、喜び一色の笑いは見た事がなく、俺はひとつの納得を得ていた。
 そうか。俺は、舞の本当に笑った顔が見てみたいのかもしれない……

 全ての疑問が解消される答えを見つけた瞬間、同時に舞に惹かれているのかもしれないとも自覚し、俺も男か、という思いが実を結んだ。
 決心を固めてから、最初に人形劇を見せたから、というのも理由のひとつではあるのかもしれない。
 徐々に寄せられる信頼に応えたいという気持ちもあるのだろう。
 一緒に死地を潜り抜けてきたという連帯感だってあるはずだった。
 惹かれているという表現はそれらが一緒くたになったものであり、川澄舞という女の子に対する総括なのだろうと思える。
 好き、だとかそういうものには少し遠いのかもしれない。
 それでも今まで共に生きてきたという経験を通して、もっと繋がりを深めたいという思いは事実だった。

「こっちだ」

 ふと聞き覚えのある声が俺の耳に止まり、奇妙な懐かしさが込み上げる。

「久しぶりだな」
「そっちこそ、元気で何よりだ」

 声を返してやると、全員がこちらに寄ってくる気配があった。
 子供っぽい髪飾りの女が挨拶するように手を上げると、半日ぶりに会った芳野が会釈で応じた。

「とりあえず、荷物からだな。こっちに渡してくれ」

 芳野の指示に即応して、一人ずつが順番に荷物を渡してゆく。中には重たい荷物もあったので、それは俺と那須で協力して持ち上げる。

288感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 03:59:22 ID:w7rQ/C/M0
「さっき話してたけど、知り合いかよ?」
「多少話した仲だ」

 那須はふうん、と頷き、荷物の大半が校舎の中に入ったのを確認すると、金髪の女に向き直る。

「外で待ってる奴らを連れてくる。先に入ってていいぞ」

 他の連中が頷いて三々五々窓から侵入してゆくのを尻目に、俺と那須は仲間の待っているところまで歩き出す。
 舞と古河は遅れているようだったが、もう着いているだろうか。

「……ひょっとして、ここには今の生き残り全員が集まってるのかな」

 行きすがら、那須がぽつりと漏らした声に「ひょっとしなくても、全員集まってるだろう」と返す。

「どうして? まだ不確定組はいる」
「……最後の一人は、以前会ったことがあるんだ。名簿では高槻、って奴だったか」

 会ったのが一日目のことだから、もう随分と前になる。あの時は俺と一緒に罠にハマって往生してたっけな。
 散々間抜け面を晒していたが、一応悪い奴ではなさそうだった……気がする。
 だが、単に小悪党ならとっくの昔に死んでいてもおかしくない。よほどの狡猾ぶりとも思えなかったし、
 恐らくはあの調子のまんま殺し合いに乗ることもなく生き延びてきたんだろう。
 そういやポテトが随分懐いているようだったが、あいつは今どうしてるんだろうか。

「なるほど。国崎さんと話してた人も含めて、これで完全に敵はいなくなったってわけだ」
「どうだかな……油断はしない方がいいんじゃないのか」

 ここに集まった連中を疑うわけではないが、簡潔に過ぎる主催組の動きが気になる。
 もう殺し合いを続ける気がない連中ばかりだと知ったら何をするか分かったものではない。
 そういう俺の意識を敏感に感じ取ったのか、那須は「それもそうか」と短く返事した。

289感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 03:59:41 ID:w7rQ/C/M0
 まだ正体不明もいいところの殺し合いの管理者。
 俺達の目的は脱出で、出会わないに越したことはないのだが、どうしても障害になる可能性は高かった。
 しばらく歩いて、正門前まで辿り着いたとき、俺達は一組の男女が睨み合っているのを目撃した。
 一人はまーりゃん。そしてもう一人は……今しがた話題にしていた男だった。

     *     *     *

 旅の恥はかき捨て、というが、これからも行動を共にしなきゃならん俺にとっては恥は投げ捨てるもの、というわけにはいかなくなった。
 そうだ旅に行こう。イスラエルの若者は兵役につく前の一年間旅に出るというじゃありませんか。
 ところがどっこい俺が旅に出るためにはまず島を脱出せねばならんわけで。
 結局のところ俺は名誉挽回という言葉に縋らねばならず、せめてもの見栄にとニヒルにフッと溜息をつくしかなかった。

「あの、高槻さん」

 遠慮がちにちょこちょことカルガモの子供みたいについてきていたゆめみさんがこれまた遠慮がちに声をかけてくる。
 そういや、なんでこいつもついてくるんだろう?
 恥をかいたのはお茶の誤った淹れ方を教えた俺であり、別に俺みたくすごすごと退散する必要はなかったのに。

「申し訳ありません、わたしが知識不足なばかりに」
「いいんだよ、元はと言えば俺がアホだったせいだ」

 普段ならささくれたっているはずの気持ちは不思議と穏やかで、自然にゆめみをフォローする言葉が出ていた。
 ゆめみが俺に毒されているのと同様、俺もゆめみの能天気に毒されているのかもしれなかった。
 ったく、なんで俺は変なのにばかり好かれるんだろうな。
 ロボットに地球外毛玉生命体に……

「ぴこー」

290感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 03:59:59 ID:w7rQ/C/M0
 そんな俺の目の前に噂をすればの地球外毛玉生命体がやってきた。
 俺はいつものようにポテトを肩に乗せると「お喋りは終わったのか」と尋ねていた。
 言葉が理解できるはずもないのに、と思いながらも。

「ぴっこり」

 ……まあ、古代の生命体と地球外の生命体同士気があったのだろう。
 そう思うことにする。

「ゆめみもいつまでも離れてないで、こっちに来い」
「あ、はい」

 少し躊躇するような素振りを見せたが、とことこと意外に可愛らしい動作で俺の横に並ぶ。
 いつもの陣形の完成だった。この一人と一匹と一体になるのも久しぶりな気がする。
 なんだかんだでこいつらとの付き合いも長くなったもんだ。ポテトはここに来て以来の相棒だし、ゆめみも寺以来の付き合いだ。
 よく映画や小説では人間と地球外生命体やロボットとは折りが悪くなって争ってたりしてるが、
 現実は案外そうでもないのかもしれないって思えてくるわな。

 少なくとも、種族からして違うこの一人と一匹と一体がトリオ漫才を繰り広げている時点で、俺はそう思う。
 縁は異なもの、とはよく言ったもんだ。
 しかし俺の人間受けが悪いのはどうしたもんかねえ。しょうがない部分はあるんだが、そろそろ素敵な出会いのひとつでも欲しいもんだ。
 てめーには無理だ天パ、という風な視線がポテトから向けられたような気がした。

「ぴ、ぴこぴこっ」

 ギクリと身を硬直させ、ポテトが必死に頭を振る。

「ほう、久々にいい度胸しているようだな」

 ここまで来てあんまりひどいことをするのも躊躇われたので、俺はソフトなお仕置きを実行してやることにする。
 ポテトをむんずと掴むと、ボーリングの容量でポテトを廊下の彼方へと転がしてやった。

291感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 04:00:14 ID:w7rQ/C/M0
「ぴこ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜………………」

 妙なエコーを響かせながら転がってゆくポテトに「決まったな」と言ってみる。

「あの……」
「ロスではよくあることだ」
「はぁ、そうなのですか」

 きっとゆめみの中では新しい知識として『ロスの住民は毛玉犬でボーリングするのが日常』という事項が追加されているのだろう。
 疑うことを知らないのはロボットの特性であり、欠点と同時に人間が決して持ち得ない美点でもあった。
 人が嘘をつけない種族なのだとしたら、きっとロボットは生まれなかったに違いない。

 そんな感想を抱きながら、ふと窓の外に目を移したときだった。
 思わず絶句してしまう光景があった。
 髪をサイドでまとめた変わったポニーテール、小学生と言っても差し支えない体型。
 忘れるわけもない、憎いあんちくしょうが俺の目の前を横切っていきやがった。
 事実を飲み込んだ頭はすぐに白熱し、俺は武器を装備するのも忘れて外へと続くドアを押し開けていた。

「高槻さん!?」

 ゆめみの叫ぶ声が聞こえたが、気の利いた冗談を返せる余裕はなかった。
 あいつら……河野貴明、観月マナ、久寿川ささらに対して義理立てしているわけじゃない。
 正義感で行動できるほど人ができていないのは自分でも先刻承知だ。
 ただ、そいつらを犠牲にしてまで生き延びてのうのうとしている根性が許せないだけだ。
 守りたいと言っておきながら責任を取るそぶりも見せず我が物顔でのさばっているあの女からは、俺の匂いがするんだよ。

 ……ああ。なんだ、つまり、自己嫌悪か。これも結局は自分のためでしかない。
 俺でも汚点というものを、清算したいのかもしれなかった。
 次第に腹の底が冷えてゆくのを感じながら、俺の存在に気付きもしていない連中に対して大口を切った。

292感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 04:00:31 ID:w7rQ/C/M0
「見つけたぞ……まーりゃんとやら!」

 そういや、こいつと遭遇したのもここだったんだよな。は、奇特な縁というやつのようで。
 いきなり現れた俺に対する驚愕と、出し抜けに自分の名前を呼ばれたことに戸惑いを隠せない様子でまーりゃんが振り向いたが、
 次第にその顔が平静なものへと変わってゆくのが分かった。来るべきときが来たとでも言うように。
 俺はそんなまーりゃんがますます憎らしく感じ、冷えが全身へと伝播してゆくのを自覚していた。

「まだ生きてたとはな。どうだ、今の気分は」

 河野と久寿川のことを言ったつもりだった。引き合いに出す自分に一瞬嫌気が差したが、憎らしく思う気持ちが先立っていた。
 どんな取り繕いの言葉にも対応できるように、俺は罵倒する言葉を引き出しからいくつも用意する。

「……分かってる。あたしをやっつけに来たんでしょ? 
 そりゃ、あたしがあんたの相棒だったさーりゃんとか、たかりゃんとかを間接的に殺したも同然だもんな。
 許せないのは分かってる。どうしてくれてもいいよ。いつか、こういう時が来るのは分かってたから、さ」
「な……」

 開いた口が塞がらない。あれだけ殺しに回っていた人間が今は自分の非を認め、罪を受け入れようとしている。
 あまりに変心ぶりに準備していたはずの言葉が抜け落ち、変わってそんなことをしようとしていた自分に対する羞恥が沸き上がり、
 俺は何をしているんだという冷めた思考と、ならどうしてあのときに心変わりしなかったんだという疑問とがない交ぜとなって、
 わけの分からない感情が渦を巻き始めたのが分かった。

 俺と同様、責任を取ろうとしている女に、自己嫌悪をぶつける大義名分を失ったからなのかもしれなかった。
 惑わされるな、という俺の意地、落とし前をつけようとする男としての心理が声を上げる一方、
 正体不明の別の感情はやめろと言っているように思え、俺は交差する短い感覚の中で、うるさいと声を大にした。
 感情だけでなく、体の自由も制御できなくなった俺は走るやいなや、まーりゃんの胸倉を掴みあげていた。

「てめぇ、そんなことで落とし前がつけられると思ってんのか……! 何をしてきたか分かってモノを言ってるのか、ああ!?」

293感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 04:00:46 ID:w7rQ/C/M0
 宙に浮いたまーりゃんは苦悶の表情を浮かべる一方、制御できなくなった俺を真正面から見据えるようにして、
 もう隠す必要もお為ごかしの言葉もいらないというように搾り出す。

「分かってる……何人も殺してきたよ。最初からこうしていれば死ぬ必要もない人たちばかりだった。
 取り返しのつかないことをしたってことも、あたしがこうしてることであの人たちの死が無駄になってしまったのも分かってる」
「だったらお前は何をしてるんだよ! こうしてのほほんとしやがって、何様のつもりだっ!」

 言葉を重ねるたびに俺自身言えることなのかと疑問が突き上げたが、面子を立たせなければならない、
 決着をつけねばならないと頑なになっている俺の意識は岩のように硬くなって動かず、
 資格はないはずだと分かっているのに止めることが出来ずにいた。
 自分の正しさを証明することでしか生き様を見せられないという男という生き物が、ひどく無様に見えた。

「だから、生きたいって思った。逃げちゃダメなんだって、誤魔化してちゃダメなんだって分かったから、
 正直に事実を全部受け止めて、どんな償いでもする。一生奉仕しろというなら、そうするよ。
 でも、あたしは絶対に死ねない。死にたくないんだ」

 逃げない、誤魔化さないという言葉が突き刺さり、そこにいるのが敵ではなく、俺と同じ種類の人間に変わったことを告げ、
 決定的な敗北感が炸裂した。もうこの女には、男のちっぽけな論理なんて通じるわけがない。
 なら、俺のこの自己嫌悪はどこに行き渡らせればいい? クソったれた俺の残りカスはどうすればいいんだ?

 既に清算を終えてしまったまーりゃんと、未だに清算できず、抱えてしまったままの俺。
 正しさを証明できなくなって、俺はどうすればいいんだ?
 そんな俺が辿り着いた結論は、暴力を振るうという情けない男にピッタリの帰結だった。

 論理で勝てないなら、力で勝てばいいという単純でクソ喰らえな思考。
 今の俺が吐き気がするほど嫌いであるはずのそれが、今は最善の手段に思えてしまった。
 手を振り上げ、拳に力を込めた瞬間、がしっと掴むものがあった。

「ダメです!」

294感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 04:01:05 ID:w7rQ/C/M0
 パンク寸前の俺の頭を弾けさせたのはゆめみの腕だった。
 その瞬間にはまーりゃん以外見えなかった視界が明瞭になり、俺達の近くにはゆめみやまーりゃんだけではなく、見知らぬ連中も何人かいた。
 恐らくはまーりゃんの仲間なのだろうと理解した瞬間、ふっと体の力が抜けた。

 それは俺が郁乃の遺体に対して「利用した」と告白してもなお着いて行くと言ってくれたゆめみの姿に重なったからなのかもしれなかった。
 やり直して、自分の悪さを愚直なまでに認めて、それでも付き従ってくれる仲間がいる。
 そんな奴を一方的に殴れる理由がどこにある?
 がっくりと膝を折る俺の硬くなった拳をほどいてくれるゆめみの指が、あまりにもやさしく思えて、俺は泣きたくなった。

「ぴこ」

 最後にポテトが俺の肩を叩いた。もういい。そう言ってくれているように思え、俺はここでようやく強張った顔が崩れてゆくのが分かった。
 ほんの数分前まであったはずの憎らしい思いが霧散し、あれほどぶつけたがっていた自己嫌悪もなりを潜めてくれたようだった。
 まだ清算できないというのが、ある意味では俺らしいのかもしれない。
 苦笑が浮かび、俺は少ししわがれた声で「すまなかった」と口にしていた。
 見れば向こうもいっぱいいっぱいだったらしいまーりゃんも仲間に支えられていて、「殴ってもいいよ」と言っていた。

「あたしだって、けじめをつけたいし、さ」

 あんたもそうだろ、と告げる瞳が俺に向けられ、その通りだ、と正直に頷いておいた。
 殴ったところで俺は何も清算できないし、付き合わされるまーりゃんだって痛いだけだろう。
 それでもつけなければならないけじめというものは存在する。まーりゃんが分かって言っていることは理解できた。
 これは俺の約束ではなく、殴ってくれと言っていた河野の約束だった。
 幾分かほとぼりの冷めた顔になったのを自覚して、俺はまだ握っているゆめみに「大丈夫だ」と伝えた。

「はい。信じます」

 微笑を浮かべたゆめみに今の心の機微を見抜かれたような気がして少し悔しく感じてしまったのか、
 あえてゆめみの助けも借りずに立ち上がった。まーりゃんも仲間と一言二言交し合って、俺の前に立った。

295感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 04:01:21 ID:w7rQ/C/M0
「悪いが、思いっきりいかせてもらう」
「どうぞどうぞ。……あーでも、歯は折らないで欲しいかな? 乙女の命だし?」

 ふざけろ、と笑って、俺はまーりゃんの横っ面を思いっきり殴ったさ。
 少しだけ清々としたのは、中々面白い具合の表情をしてノックダウンしたまーりゃんが可笑しかったからなのかもしれなかった。

     *     *     *

 鋭い男の声を聞いた私は、すぐに伊吹に声をかけて現場へと急行した。無論、武器は持って。
 各々で周囲を警戒しよう、ということにしたのが仇になったかと舌打ちする。
 これ以上私の前で死なせてたまるか。うーへいや美凪の姿がまーりゃんに重なり、私の中の強い意思を呼び覚ます。

 現場は近く、まーりゃんはすぐに見つかった。
 見れば、まーりゃんの胸倉を男の腕が掴んでおり、その後ろではメイドロボらしいのと犬っぽいのが黙って見守っていた。
 なぜ止めない、と心中に憤りつつまずは伊吹と一緒に二人を止めようと走り出そうとすると、「待ってください」と静止の声がかかった。
 後ろに控えていたメイドロボのものだった。既に目前に回りこんでいた彼女は、遮るように両手を広げる。

 男は血が上っているのか、今もまーりゃんに激しい言葉を浴びせており、今にも傷つけかねない勢いだった。
 こちらの存在にすら気付いていない。なぜ邪魔をすると目を細めて凄んでみたが、メイドロボは一歩も引かない様子だった。

「いま少しだけ待っていただけませんか。万が一になりそうなら、わたしが止めます。ですが、今止めると仰るのならこちらも退きません」
「どういうことか知ってるんですか」

 伊吹が前に出て問い質す。メイドロボはちらりと周囲を確認しつつ「あの人の……高槻さんの、敵です」と言った。

「話に聞いただけですが、わたしの、引いては高槻さんの仲間だった方が、あの女の方に殺されました」

 私と伊吹が絶句する。だとしたら、こいつらにとってまーりゃんは仇敵ということか?
 復讐という言葉が頭を掠め、なら尚更止めるべきだという思いが持ち上がり、私は一歩踏み出そうとした。

「やめろ。ここは俺達が口出ししていいところじゃない」

296感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 04:01:37 ID:w7rQ/C/M0
 その声と共に私の肩が掴まれた。振り向くと、そこにはいつの間に戻ってきたのか那須と国崎の姿があった。
 振りほどこうとしてみたが、那須の腕力は強く、私が解けるものではなかった。「やめるんだ」と国崎の声が重ねられる。

「人にはな、どうしてもけじめをつけなきゃならない時があるんだ。まーりゃんは、今がその時なんだ」
「だが……!」
「水瀬名雪とけじめをつけたお前になら、分かるだろ?」

 その名前を持ち出した那須に体の動きが止まり、抵抗する力が抜けてゆくのが分かった。
 よく見れば、まーりゃんは何ら抵抗することなく、男の言葉を受け止め続けている。決して、目を逸らすことなく。
 名雪と決着をつけ、渚と一緒に自分の気持ちを再確認したときの情景がそこに重なり、
 私はとんでもないことをしようとしていたのではないかという恐れが浮かび上がった。

 そこで水を差されてしまえば、私だって自分を許せなくなってしまう――
 落ち着きを取り戻した私の心を感じ取ったのか、那須がゆっくりと私を掴んでいた腕を解く。

「あんた、高槻の連れだな」

 国崎がメイドロボに問うと、彼女は首肯した。

「知り合いですか?」
「そんなところだ」

 伊吹の質問に国崎は頷いた。
 後からやってきたはずの那須と国崎が妙に物分りがよかったのは国崎が男……高槻を知っていたかららしい。
 既にメイドロボは二人の様子をじっと窺っていて、一瞬たりとも見逃さないという風情だった。

297感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 04:01:55 ID:w7rQ/C/M0
 もう私にできることはないという確信が浮かび、けじめという言葉の中身を反芻するしかなかった。
 少しはまーりゃんのことについては分かっていたつもりだったが、全然そうではなかった。
 彼女について思い出せるのは騒いでいる姿ばかりで、何をしてきたかについては殆ど知らない。
 隠していた、とは思わなかった。本当に隠しているなら国崎や那須だって知らなかっただろう。
 まーりゃんはただ、自分の思うように振る舞っていただけなんだ。

 だから自分自身のことは自分だけで決着をつけるべく、最低限以外の人には喋らなかった。
 人とはそういうものなのかもしれない、と私は奇妙な納得を得ていた。
 私にしろ、渚にしろ、美凪にしろ、本当に大切なことに終止符を打つためには自分で考え、自分の意思のみで答えを導き出そうとする。
 そうしなければ誰かに甘えることを覚え、ずるずると引き摺ってゆくのが分かっているから……

 人の在り様がそうだとすれば、私は『みんな』の中に入ってゆけたということなのだろうか。
 言葉だけの『るー』の誇りでもない、形だけの思想や目的に動かされるということでもない、意思を持ったひとつの命として。
 沈思していた私の意識を揺り戻したのは、メイドロボの叫んだ声だった。
 殴りかかろうとしていたらしい高槻の腕を、しっかりと押さえているメイドロボの姿があった。
 私を止めた那須と、全く同じように。

 どうやらそれで高槻は私達の姿に気付いたらしく、がっくりと膝を折って項垂れていた。
 まーりゃんもそれまで気張っていた糸が切れたのか、ふらりとよろめいたところを伊吹と国崎が支えていた。
 へへへ、としわがれた声を出すまーりゃんの顔は、少しだけ辛酸を乗り越えた表情になっていたが、
 まだ終わったと安堵している顔ではなかった。

 私が渚に名前で呼ぶと確約したように、まーりゃんもこのまま締めるつもりはないのだろうと予感した。
 数分後、まーりゃんは高槻のパンチを受けて盛大にノックダウンしていた。
 妙に晴れやかな様子だったのが、かえって可笑しかった。

     *     *     *

 いたた。あんちくしょー、思いっきり殴りおって。
 じんじんするほっぺたをさすりつつ、あたし達は学校の職員室へと向かっていましたとさ。
 それにしても殺されるかと思ったね。胸が縮んじゃうかと思ったぞ。もう縮む胸なんてないけどね! あっはっは。

298感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 04:02:14 ID:w7rQ/C/M0
「笑えるかーっ!」

 セルフ突っ込みを大声で叫んでしまったがために周囲の人達がぎょっとしてあたしを向く。
 特に高槻っちはジロリと睨む目を寄越しおったが、すぐに目を逸らした。気に入らないんだろーね。
 そりゃ、さーりゃんやたかりゃんがあれほど大事だって言ってたのに、今こうしてるんじゃね。
 あたしが夢で見たことを言ったって納得できることじゃないだろうし。

 でも、別にいいんだ。あいつはあたしを殺さなかった。生きてる。だからそれでいい。
 後はちょっとずつ進んでけばいいんだ。生きてれば、きっとまだやりようがあるはずだよ、ね?

 これまで逃げっぱなしで誤魔化しの連続でしかなかったあたしの人生。
 自分の居場所は学校にしかないんだって諦めてて、醜くしがみつくことしか出来なかったあたしの人生。
 でも皮肉なことに、間違ったことをして、『あたしの学校』から追い出される羽目になって、初めて色々なことを考えることができた。
 あたしを殺さなかった高槻っちがいるように、あたしが生きることにただ黙って頷いてくれた往人ちんやまいまいがいるように、
 世界は厳しくても、案外見捨てはしないってこと。
 その気さえあれば、白紙には戻せなくてもページの続きを埋めることはできるんだってこと……

 ただ、あたしはまだまだ一人でしかない。往人ちんに寄り添うまいまいしかり、バカップルななぎそーいちしかり。
 やさしさを分けてもらったように、やさしさを返してあげられる相手がいない。まだ、伝えるどころか見つけることだってできてない。
 多分、あたしは怖いんだろうな。一度間違ったからそんな資格はないのかもってどっかで思ってて、
 昔みたいにバカやって、とりあえず取り繕うくらいのことしかやれていない。
 のほほんとして、何様のつもりだ、って感じなんだよね。まじでまじで。
 臆病だな、あたしはさ……

「おい、本当に大丈夫なのか」

 むつかしい顔でもしてたんだろね。隣からるーの字が心配そうに声をかけてくれましたよ。
 どーやら一番後ろの方を歩いているみたいで。前では往人ちんを中心に高槻っちが軽口を叩いてたり、
 宗一っつぁんが横から口出してたり、チビ助が色々聞いてたりしてたね。

299感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 04:02:37 ID:w7rQ/C/M0
 そーいやチビ助にはお兄さんがいるそうで。ここにいるみたいだし、安否が気になってるんだろうな。
 きれーなメイドロボさんは黙ってそいつらの話を聞いてる。このコが高槻っちを止めたんだよね。
 今から思えばうっそまじ、って感じの可愛いメイドロボさんだ。いいなー、あたしもこれくらいスタイルよけりゃーなー。
 まあおっぱいはそれほど大きくもないし? 別に嫉妬しないけど。これでおっぱいが大きかったら噛み付いてたね。
 相手がメイドロボだって話は聞かない、聞こえない、聞き流す!

「モーマンタイ!」
「ならいいが」
「あ、突っ込みナシっすか」
「それだけ軽口が叩けるなら大丈夫だろう? それでこそ、お前だよ」
「むむ」

 励まされた。それに、取り繕っているだけのはずなのに、それでもいいと認めてくれてるやさしさが切ない。
 どうしてみんな、こんなに自然にやさしくなれるんだろ。あたしは、一番身近な人にだってやさしくなれなかったのに……

「ところで、結局渚と川澄は見なかったが」
「そういやそうだね。……まーいいんじゃない? まいまいがいりゃ何とかなるっしょ」
「それは分かってるが……場所、分かるだろうか?」

 誰かが残った方がいいんじゃないか、と言下に告げるるーの字だけど、あいつらだって迷子になるような方向音痴でもなし。
 るーの字は案外心配性なんだな。口調はぶっきらぼうだけどさ。

「あれだよ、ちょっと往人ちんと会わせたくないじゃんよ」
「あー……そうだな。どうせ会わせるならゆっくりと話させてやる機会を設けた方がいいだろうな」
「おっ、分かってるじゃないの」
「馬鹿にするな。これでも私だって、恋のひとつやふたつは……いや、ひとつはある」

 なぬ? あまりの驚愕の事実にあたしは声にならない声でなんだってー!
 あ、あたしはこのトウヘンボク朴念仁みたいな外人に負けていたというのかっ! クソックソッ美人さんめ!
 これでおっぱいが大きかったらちゅーちゅーしていたぞっ!

300感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 04:02:52 ID:w7rQ/C/M0
「もっとも、失恋だけどな」

 そう続けたるーの字の背中を、あたしはぽんぽんと叩いてやった。
 苦笑するのがあまりに女らしかった。いい女だ。誰だこんないい子を振ったのは。出て来い成敗してやろうぞ。
 はぁ、それにしてもなんと砂糖の多い時代であろうか。こんな殺伐としたところで恋愛なんて。

 お決まりの吊橋効果っていやあそーなんだろーけど、それにしたってあちきは寂しくなるわけですよ。
 なんつーか、あたしは半端者の偏屈者だったかんね。学校にしか居場所を見出せなかった女だし。
 学校じゃあ権力振りかざして色々やれたから。今にして思えば、楽しくしようと思う反面、
 自分だけの世界にして人が従ってきたのを楽しんでた優越感ってのも確かにあった。
 人より上に立ってる。あたしがいなくちゃ成り立たない。誰かに必要とされたいって、そんな幻想を欲望に変えて……
 今でも、そうなんだろうけど。

「まーそれはそれとしてだ。あちきとしてはドキッ! ゆき×まいラヴラヴ大作戦☆のひとつでも立案したいところなのさ」
「お前のネーミングセンスはともかくとしてだ。中途半端なままでこの先まで進めたくない、というのでは私も同じだ」

 お節介だろうけどな、と続けたるーの字には、恋愛先達者としての余裕があるような気がした。
 なんとなく悔しい気分を味わいながら、あたしたちはどうすれば二人っきりで話し続けられる機会ができるか話し合った。
 のうのうとこんな事にうつつをぬかしてられるあたしは、やっぱ馬鹿なのかもしれない。
 でも、俯いてばかりよりは……ほんの少しだけマシな気がした。

     *     *     *

 伊吹風子です。ここ最近まーりゃんさんに弄られっぱなしで風子の体は汚されっぱなしです。
 もうお嫁に行けないと嘆いていたところに吉報が飛び込んできました。

 なんと、祐介さんがここにいるそうです。国崎さんからの情報です。
 おねぇちゃんの婚約者のひとです。風子のお見舞いに何度も来てくれてたりしてました。
 当時風子はシャイだったのであまり話しませんでしたが、おねぇちゃんが選んだ人です。悪い人じゃないはずです。
 今の風子にとってはたった一人の家族です。だから、いっぱいいっぱい話し合って、今の風子を余すところなく伝えるつもりです。

301感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 04:03:09 ID:w7rQ/C/M0
 それで約束するんです。
 全部が終わったら、二人でおねぇちゃんのお墓参りに行きましょう、って。
 実は皆さんには内緒の話なのですが、風子にはこれから先の人生設計図があるのです!

 まずここから出たら一生懸命勉強します。
 大学に入ります。
 びゅーてふるなキャンパスライフの後に教職員の免許を取ります。
 学校の先生になります。
 もちろん教科は、美術です。

 志望としては小学校か中学校がいいです。
 理由は、まあそうですね、高校生に風子の大人の魅力にメロメロになってイケナイ道を歩まぬようにさせるためです。
 きっと将来はぼんきゅっぼんのナイスバディになっているでしょうし。
 なかなか完璧な人生設計だとは思いませんか?

 教科は美術といっても絵画とかではなく彫刻専門という手もありますし、
 このリアルなヒトデを彫る技術を習得済みの風子なら案外美術大学にすんなりと入れるかもしれませんし。
 もちろん、教職員になるために猛烈な勉強をする必要がありますが。

 ですがこれはおねぇちゃんも通った道! 姉にできて風子にできないはずはありません!
 その気さえあればいくらだって勉強できるだけの時間はありますし、祐介さんだって応援してくれるでしょう。
 しばらくは祐介さんに御厄介になりそうですが、出世払いということで許してもらいましょう。

 おっと。そうこうしているうちに職員室までついてしまったようです。
 国崎さん曰くもうここには渚さんと川澄さん以外の人全員が集まってるらしいです。
 すごいです、大集合ですね。
 三人寄れば文殊の知恵という言葉がありますから、今は大体ダイアモンドくらいの輝きの知恵になっていることでしょう。

302感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 04:03:25 ID:w7rQ/C/M0
 風子も人生設計モードから真面目モードに切り替えましょう。
 あ、いえ、いつだって風子は本気の真面目ですけど。

     *     *     *

「ことみっ! なにやってんのよ、この天然っ!」
「きょ、杏ちゃんだって似たような状態なの」

 私の姿を確認するやいなや、杏ちゃんは目を見開き、怒りと心配の両方を含んだまま抱きついてきた。
 抱きしめる力が強くって結構痛かったけど、それ以上に私の身を案じてくれてることが心地良く、また申し訳ない気持ちにもなる。
 当然かも。久々に会ったと思ったら、大怪我しての再会なんだから。

「全く、もう……あんたはいつもいつも心配させて……無茶しないでよね」
「生きてるから、問題ないの」
「あんたは……」

 呆れたように苦笑して、杏ちゃんは私の頭をぽんぽんと叩いてくれた。
 生きて、それなりに体が動かせるなら何だってできる。
 杏ちゃんもそれを理解してくれているのか、必要以上に私のことを心配することもなかった。

 向こうも向こうで、私と離れていた間にまた少し変わったなにかがあるのだと思う。
 どこか楚々とした芳野さんの顔もそうだし、凛々しさを増した杏ちゃんだってそう。
 私だって自分の進むべき道を見出し、やるべきことではなくやりたいことを見つけ、そのために一歩を踏み出せる程度の勇気を手に入れた。
 払った代償は大きく、私の中にも大きな傷を作ってしまったけど、言い換えれば一生忘れられないものを刻んだとも解釈することができる。

 曖昧で、何に支えてもらっているのか、何を支えているのかも分からない宙ぶらりんよりはその方がいい。
 聖先生だって、自分の人生は腐ってるって言ってたけど、本当はやりたいことだっていっぱいあることを分かってたはず。
 資格を失ったっていってたけど、そんなことはないって言ってもらいたかっただけなんだと思う。

303感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 04:03:44 ID:w7rQ/C/M0
 だから、私が引き継ぐ。霧島聖の弟子として。
 私の『やりたいこと』には、聖先生の『やりたかったこと』も含まれているんだから。
 無理なんてしてないの。だから笑って、ね? 先生……

「うん、私は大丈夫。聖先生から、パワーを貰ったから」
「……そうなんだ」

 深くは何も言わず、杏ちゃんはただ私を肯定してくれた。
 この懐の広さ。ある意味では無責任さと表裏一体になったやさしさがあるから、人は依存せずに人と付き合ってゆけるのだと思う。

「一ノ瀬」

 会話が終わったのを見計らったようにして芳野さんが呼びかける。「はいな」と応じて、私は一旦杏ちゃんの元を離れる。
 一瞥すると、杏ちゃんは笑って私を見送ると、暇そうにしていた浩之くんと瑠璃ちゃんへと寄っていった。
 闊達な杏ちゃんのこと、きっと挨拶と自己紹介を済ませておくつもりなのだろう。

 私が来るのに合わせてリサさんも合流する。私達の間にある匂いを敏感に感じ取ったのかもしれない。
 リサさんに聞かれて支障のある話ではないし、そろそろ聞かせても構わないはず。カードをいつまでも取っておいても仕方がない。
 芳野さんもちらりと横目でリサさんを見たが、私が無言でいると意図を理解したのか、そのまま話を始めた。

「こちら側は指定されたものは全部揃えた。そちらは?」
「こっちも全部集めたの。……これで下ごしらえはできたかな」
「何の料理かしら?」
「とびっきりのスパイスを利かせた、激辛大爆発料理」

 鋭いリサさんのこと、それだけで私達の計画を悟ったようで、ニヤと口元を歪める。
 私も笑い返すと、「材料はいまどこにあるの?」と重ねた。

「体育倉庫に保管してある。……この分だと、全員集めた後に話したほうがいいかもしれんな」
「少なくとも、宗一は混ぜて欲しいところね」
「高槻……俺の仲間だが、あいつもな。一応科学者だし、頭も切れる。言動に少々問題があるが」
「マッドサイエンティスト?」
「当たらずも遠からずだ。役に立つのは間違いないところなんだが」

304感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 04:04:02 ID:w7rQ/C/M0
 嘆息を含ませながら言う芳野さん。そんな人がいるんだ……
 半ば冗談で言ったつもりなのに。マッドドクターだった先生といい、世の中には不思議がいっぱいなの。

「ことみも是非参加して欲しい、というか、人材不足のこの状況じゃ参加してもらわなきゃ困るけど……
 いいかしら? 友達とかと積もる話もあるだろうけど」
「うん。まあ、ちゃちゃっと済ませればいいだけだし」

 本当は杏ちゃんとかといっぱいお話したかったけど、今はそれより大事なことがある。
 杏ちゃんだって、私が仕事を投げ出すのをよしとしないだろうし。それに時間なら、まだたくさんあるから。

「頼もしい言葉ね」
「リーダーシップは大人の方々にお任せなの」
「頼むぞリーダー」

 会って間もないはずのリサさんにさらりと押し付ける芳野さん。意外と図々しい。
 予想外の無茶振りだったのか、リサさんは「あなた、いい根性ね」とにこやかな……聖先生の浮かべる笑いの形にしていた。
 怯むことのない芳野さんは「世の中は男女平等だ。なら実力のある奴に任せるまでだ」と軽やかに受け流す。
 ……本当に図々しい。こんな人だったっけ?

 都合のいいことを、と呆れ果てていたリサさんだったが、結局断ることをしなかった。
 ひょっとしたら最初からその気で、芳野さんで遊びたかっただけなのかもしれないと、
 車の中で交わした会話を思い返して、私はどっちもどっちだと苦笑した。
 ふと耳をすますと、扉の向こう側から声が聞こえてくる。どうやら外で待機していた人たちを連れて戻ってきたらしい。
 さて、ここにどれだけの人数が揃うのかな。

     *     *     *

305感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 04:04:20 ID:w7rQ/C/M0
「ということで、藤林杏です、よろしく」

 藤林、という名字の響きに、ウチは心臓が凍りつきそうになった。多分、顔も硬直してたと思う。
 すぐに反応できへんかったウチに代わって、浩之が先に名乗りをあげてくれたのが嬉しかった。

「で、こっちが姫百合瑠璃だ」

 言った瞬間に、ちらりと浩之が目配せする。せやけど、ウチは何も応えられへんかった。
 きっとその時には、ウチ自身も言わなきゃあかんいうことは直感的に理解してたんやと思う。
 あなたの妹を殺したのはウチです、って。

 目の前の藤林さん……杏さんは、真っ直ぐで、少し大人びた微笑を浮かべてる。
 きっと『この中の誰かが自分の妹を殺した』て疑ってるんやないんやと当たり前のように信じることができて、やからこそ言い出せへんかった。
 あまりにも真摯でありすぎる目の前の人に対して、ウチは後ろめたいものが多すぎたから……
 敵討ち、無念を晴らす。そんな綺麗な言葉で語れるほど殺人は正当化できるもんやないし、復讐や恨みという言葉で塗り潰すのともまた違う。
 ただ、どうしようもなくって、どうしようもなかった。
 それをはっきりと伝えられる自信がなくって、今はただ事実しか告げることしか出来ひんような気がして、口が開かんかった。

「いや、あっちのゴツイのとは大違いだな。あっちは自己紹介は後回しにしやがってさ」
「ああ……そうなんだ。なんかおっかないって思ってたけど」
「怖いっつーより、合理的って感じの人だったな。言い方がストレート過ぎてちょっとだけムッと来たけどさ」
「あはは。その点あたしは合格ってところかな……いつつ」

 笑った拍子にどこか傷が痛んだのか、杏さんが笑いに苦痛を滲ませてよろける。
 ウチが咄嗟に支えると「ありがと」という素直な言葉が耳に入って、またウチの心を揺らした。

「……ひどい怪我。大丈夫なん?」
「まあ生きてるわよ。ひどいって言うなら、ことみなんてもっとひどいわよ」

306感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 04:04:36 ID:w7rQ/C/M0
 杏さんが一ノ瀬さんを指差す。確かに、全身を包帯で巻きながら大人組と何事かを話している一ノ瀬さんの方が一見ひどく見える。
 せやけど一ノ瀬さん独特のあののんびりした口調やと、そうは思えへんのやけどなあ……不思議や。

「でもあの子、なんかケロッとしてるし」
「あ、そりゃ同感ね。何かネジがずれてるというか」

 随分と遠慮のない言い方だったが、杏さんと一ノ瀬さんの会話を聞く限りやとそのくらいの関係なんやって改めて思うことが出来た。
 ウチなんてさんちゃん以外にはこれといった付き合いもあらへんしなあ。あの頃はさんちゃんだけおればええって思とったし。
 ……そんなことを思えるくらいには、ウチも成長したんやなって思ってええんかな。

 そうやないのかもしれへんか。今は浩之がいて、浩之がいない人生なんて考えられへんし。
 極論で言えば、『浩之だけおればええ』って奥底では思てるのかもしれへんな。

 せやけどそうだとして、ここからツケを支払ったるって気持ちも確かにあるんや。
 ウチに限らず、人はひとつの気持ちだけ抱えて生きとるわけやない。
 恨む気持ちも許す気持ちも、憎む気持ちも好きになる気持ちも、時と状況によっていくらでも持ち合わせるし、変わる。
 免罪符にするわけやないけど、今のウチだって浩之だけが今のウチの全てやない。
 どれだけの割合を占めてたって、100%やない。

 そうでも思わんかったら、ウチはきっと、ウチを許せなくなる。さんちゃんやイルファとの誓いを破ってまう。
 せやからこうする。精一杯やってこれかもしれへんけど、な。
 少しずつ強張った気持ちが薄れてきて、自然と頬を緩めることが出来た。

「ま、あれでも頭良さそうやしな……人は見かけによらへんなぁ」
「頭良いってか……全国模試で一番、外国の大学からもお呼びがかかってるらしいわよ。物理学のなんたら研究とかで」
「「……は?」」

 ウチと浩之が同時に声を上げ、一ノ瀬さんの方をバッと振り向いた。そして同時に言うた。

「嘘や」「嘘だ」
「天才となんたらは紙一重って言うけどねえ」

307感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 04:04:53 ID:w7rQ/C/M0
 さりげなく三人ともひどいことを言うてるような気ぃしたけど、本物の天才を目にすれば口も軽くなってまうのは、しゃーないことやった。
 それくらいビックリ仰天や。世界って不公平なんやな。
 しばらくウチらは、公式天才の一ノ瀬さんの話題で盛り上がった。多分聞こえてはなかった思う。
 ここにたくさんの人が集まったのは、驚くくらいすぐのことやった。

     *     *     *

 私は、これからどうしよう。
 通い慣れた夜の校舎。渚の手をとって、二人で廊下を進んでいる。
 職員室から光が見えたので、今はそこを目指している。遠くもないから、すぐ着くはず。
 私にとって考えるべきことは……何だろう。

 私には戦うしか能がない。でなければ、待ち続けることしかできない。
 いつだって受け身でいることしかできない。
 でも、どうして……? 私は、なんで、待ち続けていたんだろう。

 ずっと待って、夜の校舎を歩き続けた日々、白いティーカップのような月光を浴びながら眺めた校舎の外を、私は覚えている。
 でも、始まりが分からない。なぜ、どうして、私は何を、誰を待っているのか、思い出せない。
 すっぽりと何かが抜け落ちてる。それは、何……?

「あの、舞さんっ」

 ぼんやりとしていたからか、渚の声に気付くまでに数秒の時間をかけてしまっていた。
 もし戦いなら、取り返しのつきかねないミスだったかもしれない。
 反省を覚えながら振り向いた私の顔は、ちょっと固かったのだろうか。渚は苦笑していて、言葉を続けた。

「ええと、きっと、話し合いがあると思うんです。宗一さんとか、他の人とかで」
「うん」
「だから、わたし達はですね、ちょっと休憩もあると思うんです」
「うん」
「ええっと……」

308感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 04:05:16 ID:w7rQ/C/M0
 渚が口ごもる。頬のあたりがほんのりと熟れた果物みたいになってて、美味しそうだ、とか思ってしまった。
 そういえば美味しいもの食べてない……

「み、皆で過ごしませんか? いえ別にその、遊ぼうとかサボろうとかそういうんじゃなくて」

 渚の言葉の内容はあやふやで、具体的にどうしたいのかよく分からなかったが、渚もよく分かってないんだろう。
 きっとのんびりしたいんだと勝手に納得して、私はこくりと頷いた。そういう時間、嫌いじゃない。
 渚のはにかんだ顔がいい表情で、こうして良かったと思える。

 勿体無いって言う人もいるかもしれないけど、私は何もしていない時間というのが一番安心できる。
 遊ぶのも悪くはないけど、それ以上に誰かと一緒にいられるというのが、直に感じられるから。
 でもそれは二人以上ありきだということにも気付いて、私は案外孤独が苦手らしいとも気付き、心の中で苦笑した。

 人との距離の取り方も知らないくせに、いないと安心できない。
 このジレンマは、果たして生来持っていたものなんだろうか。
 それとも、私が知らないどこか。すっぽりと抜け落ちた期間で形作られたものが原因だったりするのかもしれない。
 自分でも知らない自分いることが恐ろしいと感じる部分もある一方、それを知りたいと強く願う自分も生まれている。
 或いはそうしなければ往人とこれ以上距離を詰められないと本能が分かっているからなのかも。

 どうであるにしても、私は以前に比べて色々なことを指向するようになっていることは真実だった。
 待っていても、望むようにはならない。そう理解できているからなのだろう。
 私はようやく人並みの欲望を持つようになって、それを埋め合わせるだけの努力を怠ってきたから苦しんでいる。

『そういうときは、話してくれればいいんですよ』

309感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 04:05:28 ID:w7rQ/C/M0
 佐祐理の声が虚空から聞こえたような気がして、私はきょろきょろと周りを見回した。
 渚がどうしたんですかと尋ねてくる。いや、と首を振って、そういう選択肢もあったんだ、と意外な気持ちで佐祐理の言葉を受けた。
 誰かといられればいい。
 それは私の一つの望みでもあるけど――望みは、一つじゃない。

 だって私も、人並みに欲望を持っているのだから。
 渚と一緒に、辿り着いた職員室の扉を開ける。実に何分の遅刻だろうか。
 開けた先では、実に十三もの面々が雁首揃えて私達を待っていた。

 思えば。

 待たせるのは初めてだったかもしれない、と。

 そんなことを考えた。

310感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 04:05:47 ID:w7rQ/C/M0
【時間:3日目午前03時00分ごろ】
【場所:D−6 鎌石小中学校】

川澄舞
【所持品:日本刀・投げナイフ(残:2本)・支給品一式】
【状態:同志を探す。往人に付き従って行動。強く生きていたいと考えている。額から出血。両手に多少怪我(治療済み。支障は全くない)、肩に浅い切り傷】
【その他:往人に対して強い親近感を抱いている。剣道着を着ている】
その他:舞の持ち物(支給品に携帯食が十数個追加されています。)

朝霧麻亜子
【所持品1:デザート・イーグル .50AE(1/7)、ボウガン(32/36)、バタフライナイフ、支給品一式】
【所持品2:芳野の支給品一式(パンと水を消費)】
【状態:鎖骨にひびが入っている可能性あり。軽い打ち身。往人・舞に同行】
【その他:体操服(上下のジャージ)を着ている】

国崎往人
【所持品:フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 4/5 +予備弾薬5発、パン人形、38口径ダブルアクション式拳銃(コルトガバメントカスタム)(残弾4/10) 予備弾薬35発ホローポイント弾11発、スペツナズナイフの柄、支給品一式(少年、皐月のものを統合)】
【状況:強く生きることを決意。人形劇で誰かを笑わせてあげたいと考えている。全身にかすり傷。椋の捜索をする】
【その他:左腕に文字を刻んだ。舞に対して親近感を抱いている(本人に自覚なし)】

那須宗一
【所持品:FN Five-SeveN(残弾数0/20)、防弾チョッキ、SPAS12ショットガン8/8発、投げナイフ1本、鉈、H&K SMGⅡ(30/30)、ほか水・食料以外の支給品一式】
【所持品2:S&W M1076 残弾数(6/6)とその予備弾丸9発・トカレフ(TT30)銃弾数(0/8)、デザートイーグル(.44マグナム版・残弾4/8)、デザートイーグルの予備マガジン(.44マグナム弾8発入り)×1、S&W、M10(4インチモデル)5/6】
【持ち物3:ノートパソコン×2、支給品一式×3(水は全て空)、腕時計、ただの双眼鏡、カップめんいくつか、セイカクハンテンダケ(×1個&4分の3個)、何かの充電機】
【状態:全身にかすり傷】
【目的:渚を何が何でも守る。鎌石村小学校に移動し、脱出の計画を練る】 

311感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 04:06:05 ID:w7rQ/C/M0
古河渚
【持ち物:おにぎりなど食料品(結構減った)、支給品一式×2(秋生と佳乃のもの)、S&W M29 1/6、ロープ(少し太め)、ツールセット、救急箱】
【状態:心機一転。健康】
【目的:人と距離を取らず付き合っていく。最優先目標は宗一を手伝う事】

伊吹風子
【所持品:サバイバルナイフ、三角帽子、青い宝石(光四個)、グロック19(0/15)、イングラムM10(0/30)、イングラムの予備マガジン×1、M79グレネードランチャー、炸裂弾×2、火炎弾×9、Remington M870(残弾数4/4)、予備弾×17、スイッチ(未だ詳細不明)、トンカチ、カッターナイフ、SIG(P232)残弾数(2/7)、仕込み鉄扇、ワルサー P38(0/8)、フライパン】
支給品一式】
【状態:泣かないと決意する。全身に細かい傷、及び鈍痛】

ルーシー・マリア・ミソラ
【所持品:IMI マイクロUZI 残弾数(20/30)・予備カートリッジ(30発入×4)、支給品一式×2】
【状態:生き残ることを決意。髪飾りに美凪の制服の十字架をつけている】
【目的:とりあえず渚にくっついていく】 

リサ=ヴィクセン
【所持品:M4カービン(残弾15/30、予備マガジン×3)、鉄芯入りウッドトンファー、ワルサーP5(2/8)、コルト・ディテクティブスペシャル(0/6)、支給品一式】
【所持品2:ベネリM3(0/7)、100円ライター、参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、フラッシュメモリ(パスワード解除)、支給品一式(食料と水三日分。佐祐理のものを足した)、救急箱、二連式デリンジャー(残弾1発)、吹き矢セット(青×4:麻酔薬、黄×3:効能不明)】
【所持品3:何種類かの薬、ベレッタM92(10/15)・予備弾倉(15発)・煙草・支給品一式】
【状態:車で鎌石村の学校に移動。どこまでも進み、どこまでも戦う。全身に爪傷(手当て済み)】

312感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 04:06:19 ID:w7rQ/C/M0
姫百合瑠璃
【所持品:MP5K(18/30、予備マガジン×8)、デイパック、水、食料、レーダー、携帯型レーザー式誘導装置 弾数2、包丁、救急箱、診療所のメモ、支給品一式、缶詰など】
【状態:浩之と絶対に離れない。浩之とずっと生きる。珊瑚の血が服に付着している】
【備考:HDD内にはワームと説明書(txt)、選択して情報を送れるプログラムがある】

藤田浩之
【所持品:珊瑚メモ、包丁、レミントン(M700)装弾数(3/5)・予備弾丸(7/15)、HDD、工具箱】
【所持品2:フライパン、懐中電灯、ロウソク×4、イボつき軍手、折りたたみ傘、鋸、支給品一式】
【状態:絶望、でも進む。瑠璃とずっと生きる】

一ノ瀬ことみ
【持ち物:H&K PSG−1(残り0発。6倍スコープ付き)、暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯、ポリタンクの中に入った灯油】
【持ち物2:要塞開錠用IDカード、武器庫用鍵、要塞見取り図、フラッシュメモリ】
【持ち物3:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式(保健室でいくらか補給)、乾パン、カロリーメイト数個、カメラ付き携帯電話(バッテリー9割、全施設の番号登録済み)】
【持ち物4:コルト・パイソン(6/6)、予備弾×13、包帯、消毒液、スイッチ(0/6)、ノートパソコン、風邪薬、胃腸薬、支給品一式】
【状態:左目を失明。左半身に怪我(簡易治療済み)】
【目的:生きて帰って医者になる。聖同様、絶対に人は殺さない】

ネゴシエイター高槻
【所持品:日本刀、分厚い小説、コルトガバメント(装弾数:7/7)、鉈、電動釘打ち機12/12、五寸釘(10本)、防弾アーマー、89式小銃(銃剣付き・残弾22/22)、予備弾(30発)×2、P−90(50/50)、ほか食料・水以外の支給品一式】
【状況:全身に怪我。主催者を直々にブッ潰す】

313感情の摩天楼/へっぽこ楽団:2009/09/23(水) 04:06:39 ID:w7rQ/C/M0
ほしのゆめみ
【所持品:忍者刀、忍者セット(手裏剣・他)、おたま、S&W 500マグナム(5/5、予備弾2発)、ドラグノフ(0/10)、はんだごて、ほか支給品一式】
【状態:左腕が動くようになった。運動能力向上。パートナーの高槻に従って行動】

芳野祐介
【装備品:ウージー(残弾30/30)、予備マガジン×2、サバイバルナイフ、投げナイフ】
【状態:左腕に刺し傷(治療済み、僅かに痛み有り)】
【目的:休憩中。思うように生きてみる】

藤林杏
【所持品1:ロケット花火たくさん、携帯用ガスコンロ、野菜などの食料や調味料、食料など家から持ってきたさまざまな品々、ほか支給品一式】
【所持品2:日本刀、包丁(浩平のもの)、スコップ、救急箱、ニューナンブM60(5/5)、ニューナンブの予備弾薬2発】
【状態:重傷(処置は完了。激しすぎる運動は出来ない)】

ウォプタル
【状態:待機中】

ポテト
【状態:光二個】


その他:宗一たちの乗ってきた車・バイクは裏手の駐車場に、リサたちの乗ってきた車は表に止めてあります。

→B-10

314インターセプト2:2009/09/25(金) 19:19:16 ID:D27maBM60
「……っ、きゃああああ!!!!!!」

上がった甲高い悲鳴は、恐らく広瀬真希のものだろう。
しかしそれも、すぐ銃声によってかき消されてしまう。
誰よりも反応が遅かった相沢祐一は、この騒音で今の異常にやっと気づいた。
はっとなった祐一の嗅覚を、火薬の嫌な臭いが満たしていく。
それは花火を遊んだ直後の様子を彷彿させるが、勿論そんな暢気な現場であるはずがないことはさすがの祐一もすぐに理解できた。

祐一は保健室の中でも奥まった場所である、少し埃臭いベッドに腰掛けている。
ベッドの内側を隠すように立て付けられたカーテンは開いているものの、やはり視界を狭めている感は否めない。
中々に広い保健室、争いは入り口付近で行われているらしく、その様子を祐一が正確に読み取ることはこの場所だと難しそうだった。

「うわっ?!」

身を乗り出そうと腰をあげたタイミングで、祐一は側面から強い打撃を受けた。
祐一を押し出そうとする力は、思いのほか強い。
突き飛ばされたような形で、祐一は受身も取れぬまま座っていたベッドの上から、転がるように落とされる。
肩口から床に放り出された衝撃は祐一の背中にも容赦なく襲い掛かり、その鈍痛は彼の負った腹部の傷にも走り抜けた。
臓腑を鷲掴みされたような圧迫感は想像以上で、祐一はちかちかする視界から逃げるように目を瞑ると静かに激痛と戦おうとする。

自然と伸ばしてしまった患部は傷が開いている様子もなく、恐らく異常はないだろう。
ただじくじくとした違和感だけは拭えず、その気持ち悪さに祐一は吐き気を覚えていた。
思わず身じろぐ祐一の手に、暖かくも柔らかな感触が伝わる。
それが何なのか確かめようともせず、祐一はその熱をまるで焦がれるかのように、ごく自然と強い力で掴んでいた。

「っ!」

ふにゃふにゃと気持ちの良いそれに触れているだけで、祐一の心はどんどんと静まっていく。
思いがけない心地良さ、その感覚に酔うような形で祐一は痛みに歪んでいた瞳をもとろんとさせてしまう。
この正体は、一体何なのだろう。
そっと開いた祐一の目に広がったのは、鮮やかな赤だった。

315インターセプト2:2009/09/25(金) 19:19:55 ID:D27maBM60
「こう、さか……?」

見覚えのあるピンクのセーラー服が、今祐一の目の前に存在する。
祐一が掴んでいたのは、そのセーラー服を着用していた人物の二の腕に当たる部位だった。
そこで祐一は、自分を庇うように覆いかぶさっていた人物がいたことにやっと気づく。

「馬鹿、ぼーっとしてたら死ぬわよ!」

祐一を見下ろすような体勢のまま、向坂環が叱咤する。
彼女の表情は厳しかった。
事態の大きさをそこまで認知していない祐一は、その環の様子にまず呆気にとられてしまう。

「それと。腕、力抜いて。痛いから」

四つん這いになっている環は祐一の顔の横に手を置き、そこで自身の体重を支えている。
彼女の二の腕にしっかりと自身の指が食い込んでいたことに気づくと、祐一はそっとその戒めを解いた。

その間も誰かがベッドの向こうで争っているとしか思えない、不穏な物音は断続的に続いている。
人の声もする。あれは誰の声だろうか、祐一は上手く捕らえることができなかった。
音声は、祐一が発せられた言語の意味を噛み砕く前に、光の速度で彼の右耳から左耳へと抜けていってしまう。
勿論それは錯覚だ。
しかし実際、祐一の処理能力が追いついていないのが現状である。

祐一の頭には、まだ様々な混乱が渦巻いたままであった。
読めない現在の状況、それに加え先ほど環から聞いた現実に対するショック。
藤林杏が、神尾美鈴が。柊勝平が。
感覚的にはさっきまで同じ時を過ごしていたはずの仲間に、何があったのか。
祐一にはそれが、全く分からない。分かることができていない。

316インターセプト2:2009/09/25(金) 19:20:29 ID:D27maBM60
二手に別れることになり、杏と勝平に手を振り一端離れたこと。
腹部をカッターナイフで刺され、ボロボロになった少女に観鈴を連れ去られてしまったこと。
薄れる意識の中、再会した勝平と話したこと。

結果を知ってしまったから故の、後悔。
精神を侵す闇は祐一の気力を削ぎ、彼の思考回路を鈍くさせていた。

「ちょっと。相沢君!」

環がまた叫ぶけれど、祐一の視線は虚ろなままだ。
環の声が正しく伝わっているのか、それすらも怪しいものがある。
苛立たしげに小さく舌を打つと、環は姿勢を崩しながらも祐一の右肩を掴み、再び声を荒げ力強い言葉を放つ。

「しっかりしなさい! 藤林さん達の二の舞を起こしたいの?!」
「?!!」

ビクンと。
大きく体を震わせた祐一が、ゆっくりとした動作で環に恐る恐ると視線を合わせる。
祐一の揺れる瞳を射抜くよう、環はしっかりと彼を睨み付けていた。
ただでさえ鋭い目の環には、拍車がかかった迫力がかかっていただろう。
そうして環の意志はしっかりとした主張となり、祐一の脳髄を駆け抜けていく。
彼の混乱も、じわじわと収まっていた。
自分が取り乱していたことをここに来てやっと自覚した祐一は、自分が作ったロスタイムを一人恥じる。

「悪い……俺、こんな時に……」
「御託はいいわ。まずは、ここを切り抜けるわよ」

先に体を起こした環に手を差し出され、祐一も慌てて起き上がる。
と同時、横になっていた体勢では全く確認できなかった光景が、祐一の視界に広がった。
唖然となる。
至近距離で行われていた争いは、祐一の予測を裏切る勢いがあった。

317インターセプト2:2009/09/25(金) 19:20:52 ID:D27maBM60


     ※   ※   ※


「……っ、きゃああああ!!!!!!」

続けざまに放たれた銃弾は、扉に最も近かった真希達二人を狙っていた。

「真希さん!」

真希の隣に寄り添っていた遠野美凪が、抱きつくような形で真希にタックルをかける。
二人して床に倒れ、そのまま扉とは逆方向へと転がっていく様を一ノ瀬ことみは冷静に見ていた。

「そのまま窓から逃げろ!」

二人に向かって霧島聖が叫ぶと同時に、乱入者である一人の少年が保健室の中に躍り出る。
その手に握られた黒光りする凶器は、保健室を照らしている蛍光灯の光を反射しながら、恐ろしい程の存在感を主張していた。
窓を開け逃走を図ろうとする真希と美凪を狙おうとする少年だが、ふと何かに気づいたように視線を逸らすと、そのまま視点を固定する。

「やあ。さっきは世話になったね」
「……」
「どうやら、僕の弾は誰にも当たらなかったみたいらしい。勿体無い、無駄弾を使っちゃったよ」

彼の目線の先には、相変わらずぽーっとはしているものの、しっかりと自身への支給品である十徳ナイフを握ったことみの姿がある。
にこにこと笑みを絶やさない少年の表情は、躊躇なく引き金を引くことができる彼の性分とはどこか遠い印象を受けるものがあった。
少年の静かな残虐性に、ことみが困ったように眉を寄せる。

318インターセプト2:2009/09/25(金) 19:21:10 ID:D27maBM60
一方、聖は少年の放ったその言葉で、彼が先程ことみが話していた怪しい相手だと察知する。
ことみの勘は当たったということだ。
一見人のよさそうな容姿をしているにも関わらず、こんなにも大胆なことを仕出かす少年の度胸に、聖は部の悪さを実感するしかなかった。
そもそも飛び道具を所持している以上、少年の方が優勢なことに変わりないのだ。

ちらりと。
目だけを動かし、聖はこっそり外に続く窓の様子を確認した。
どうやら真希と美凪は、無事に脱出を果たしたらしい。
血の跡なども見当たらなかったため、多分二人は大きな怪我を負ってないはずだ。
もし少年がこうしてことみに気づかなかったならば、彼は逃げようとする真希と美凪を集中的に狙っただろう。
その場合彼女達二人が大事に至らない可能性というのも、限りなく低くなってしまう。

照準をことみに固定させたままであるとはいえ、少年が発砲する気配がないということは、聖達にとっても幸いなことだった。
今在るこのロスタイムは、聖に与えられた反撃に出るチャンスである。
視線を戻し少年の様子を窺うとする聖の瞳には、まるで捜し求めていた獲物見つけられたと言ったような溢れる歓喜が眩しく映っている。
聖はそれに、おぞましさが隠せなかった。

やろうと思えば、今この場で彼はことみの命を奪えるはずである。
しかし少年は、そうしない。
ことみの動きを封じ、楽しそうに笑っている。
そこには一種の、弄ぼうとするような色すら垣間見えるようだった。

これは、少年からの完全な宣戦布告なのかもしれない。
少年の心に火をつけたのはことみだけれども、当の本人はその事実など知る由もないだろう。
聖もだ。
ただ、聖だって黙ってこのまま狩られる気はない。毛頭ない。
だから彼女は、少年にとって蚊帳の外であろう立ち位置にいるにも関わらず、ずけずけと彼の敷居を跨いで行こうとする。

「君か。ことみ君がパソコンルームで会った少年というのは」

319インターセプト2:2009/09/25(金) 19:21:39 ID:D27maBM60
一つ大きく深呼吸をし、、そう言って聖は少年とことみの間にゆっくりと割って入って行った。

「そういうあなたは、その前に彼女と一緒にいた人だよね」
「……見ていたのか」

まぁね、と鼻で笑う少年に対し、聖の脳裏を虫唾が素早く走り抜けていく。

「目的は何だ。私達の殲滅か?」
「勿論それもあるよ。でも僕は、彼女に興味があるんだ」
「……?」

聖の後ろ、少年に指を差されたことみが軽く首を傾げる。
彼の様子を見ていれば、ことみのことを気にかけているというのは一目瞭然だろう。
それでも自覚が生まれていないのか、ことみの様子は相変わらずであった。

「ひらがなみっつでことみちゃん、だっけ。彼女みたいなタイプ、ここに来て初めて見たからびっくりしたよ」
「何が言いたい」
「こうして僕が乗り込んできても、飄々として悲鳴も上げないし。どこにでもいる、ただの学生だと思ったら大間違いだったみたい」
「……」

関心するように言葉を紡ぐ少年は、やはり笑顔を湛えたままである。
敵意を剥き出しにし、視線で刺し殺そうとする聖のそれをいなしながら、ぽつりと少年は呟いた。

「でもね、思い出したんだ。君、ブラックリストに載ってるよ」
「何?」
「?」

ブラックリスト。
分かりやすい単語ではあるものの、しかしこの場では何を指しての言葉なのか、聖にもことみにも伝わっていない。
醸し出されている微妙な空気を理解しているのかしていないのか、少年はそれを無視したまま解答を口にした。

320インターセプト2:2009/09/25(金) 19:21:55 ID:D27maBM60
「下手な動きしたら、殺されるかもねってこと。それこそ、首輪でも何でも使われて」

少年のストレートな言葉に、場が凍る。
絶句。リアクションを取ることもできなければ答えを返すこともできず、聖はぽかんと口を開けた。
さすがのことみもぱちくりと数回の瞬きを繰り返し、その驚きをそこはかとなく表面に出している。

「ほんとはこういうの、言っちゃいけないんだろうけどさ。惜しいんだよ、君が」

さすがに後で怒られるだろうけどね。
嘲笑を交える少年の言い回しは、至って軽い。
何気ないその様子こそが不自然であるにも関わらず、さも当然といった少年の態度の不気味さに聖は辟易した。

「悪いが……私もことみ君も、君の言ったことが理解できていないのだが。説明してもらおうか」
「時間の無駄じゃない? 説明しても、分からないよ。きっと」
「ことみ君を狙っているのは誰だ、答えろ! ……貴様、何者だ。ただの参加者でじゃないな」
「君に伝える義理はないかな」

生まれた隙を帳消し、再び攻撃的な姿勢を取った聖の声色には、さらなる警戒が含まれている。
しかしそんな怒気を孕んだ聖の声にも、少年は余裕を崩そうとしない。
いや、彼はここに来ても聖をまず見ていなかった。
目の前を聖を透過させじっとことみだけを見つめている少年の作った空間に、聖が漬け込む余地はない。

「ことみちゃん。君、何か神的な凄い力を持ってるんだってね。見てみたいな」
「……?」
「藤林椋って、分かる? 君とその子を絶対引き合わせるなって指令が降りてるんだよ」
「椋ちゃん?」
「見てみたいなぁ、僕は話でしか聞いていないから。そして」

321インターセプト2:2009/09/25(金) 19:22:13 ID:D27maBM60
一つ。少年が、息を吐く。
仕草で影になった面に再び光が当たった時、そこにはぞくっとするぐらいの禍々しさが存在していた。
びりりと震える大気の螺旋が、聖の背中に突き刺さる。
悪意ではない。ではそれが何なのか。
聖が認識する前に、少年が言葉を紡ごうとする。
口を開こうとする。
そこに良い予感というものを、聖は一切感じなかった。
だから、その前に。

「本気で、君を潰してみたくなったんだ。ことみちゃん」

少年の唇が再度開かれ、その台詞が言い終わる前に。
聖は世界から、姿を消した。





瞬間凪いだ風の流れに沿うように、長い聖の髪が這っていく。
それは彼女が残した、確かな軌跡だ。
ベアクローが装着された自身の右手に勢いを乗せ、聖は少年に向けてその拳を振り下ろす。
狙うは、少年の顔面だった。

「おっと」

鋭い爪は、少年の取った最低限の動きでかわされた。
鼻先すらも掠らない。
揺れる柳を髣髴させる、軽やかさが垣間見える小さなステップを踏む少年の目は、そこでやっとことみから離れることになる。
ことみに向けられたいた銃口も、ずれる。
聖からすれば、それだけで充分だった。

322インターセプト2:2009/09/25(金) 19:22:36 ID:D27maBM60
続けざまに突きを放ち、聖はさらに少年とことみの距離を開けようとした。
聖の攻撃に迷いはなく、彼女の爪は明らかに少年の急所を狙っている。
手加減なんてできない。
手加減をしたら、どうなるか分からない。
本気で、相手を傷つけるぐらいの勢いでいかないと、こちらがどうなるかたまったものではない。
聖の持つ最上級の警戒は、しっかりと彼女の行動に反映されていた。

しかしそんな聖の猛攻にも、少年が動じる気配はない。
先程とは違い素早く後ろに下がった少年の前方を、聖の気迫が通り過ぎた。
連続で繰り出されていた聖の突き、ちょうど彼女の腕が伸びきった瞬間を狙って少年が手套を放つ。
水平に振られた掌は、空気を切り裂きながら聖の顔面……いや。聖の首に、向かっていった。

(ふざけた真似を!)

肩をずらし半身を回すことで、聖も回避を試みる。
聖と同じく一撃で相手を地に静めることも可能であっただろう少年の手套は、よけ損なった聖の右肩に食い込んだ。

「ぐっ……!」

致命傷を外すことができたと言っても、側面からの打撃では体勢が崩れやすい。
そのまま薙ぎ倒れ、マウントを取られてしまったら少年の思う一方になってしまうという不安が、聖の脳をちりちりと焼く。
痺れる半身にふんばりをかけ、聖は腰に体重を乗せるよう意識しながら少年との距離を作ろうとした。
そんな聖の目に、銃を持ち変えようとする少年の様子が入る。

……ここで飛び道具を出されたら、ひとたまりもない。
少年の準備が整うまでの刹那に何かをしなければいけないという焦りが、容赦なく聖を襲った。

「せんせ、伏せて」

そんな暗雲立ち込めかけていた聖の脳裏に、一筋の光が差し込む。
聖にとって、最早聞きなれたと言ってもいいことみの声は、相変わらずゆったりと、ボソボソとしたものだった。
それでも今は、無条件でそれを頼りに思う自分が在ることを聖はじんわりと自覚する。
迷う暇などない。迷う気持ちもない。
ことみの指示に反射的に従った聖は、地へ伏せるよう保健室の床へと自ら転がり落ちていく。
聖が床に辿り着いたのと、彼女の頭上を火がついた小瓶が通り過ぎたのは、ほぼ同時だった。

323インターセプト2:2009/09/25(金) 19:22:59 ID:D27maBM60


     ※     ※     ※


「なっ?!」

背後を襲う爆発音に、祐一は反射的に振り返った。
聖達が少年の足を止めている間に保健室を脱出した、祐一を含む四人の少年少女の目に驚愕が宿る。
それは広いトラックが描かれている校庭の先、緑の多い中庭からでもよく見く分かった。
少し距離はあるものの、確かに保健室は轟々と赤い炎を咲かせている。

「そんな、先生達がまだ……っ」

うろたえる真希を支えている美凪も、戸惑いが隠せないらしい。
彼女もいい案を思いつくことがないのだろう。美凪は俯き、しょんぼりと眉を寄せている。
今、保健室で何が起こっているかを彼女等は全く理解していない。
どのような争いが繰り返されているかも、分かっていない。
それに真希も美凪も、丸腰に近い状態だった。
喧嘩慣れしているわけでもない彼女等が、あの場に戻っても囮くらいにしかならないのは明白だ。
それはここにいる参加者の半数以上が当てはまるだろうが、それでも真希や美凪が脆弱であることには変わりない。

「美凪」
「……」

そんな、人と争うのに達したレベルを保持していない二人が、小さな目配せを軽くする。
二人の表情には、同じ意志があった。

「行こう。先生とことみ、フォローしなくちゃ」
「はい……」

324インターセプト2:2009/09/25(金) 19:23:16 ID:D27maBM60
怯え、震えるだけのか弱い乙女に成り下がることを認めない決意がそこにはある。
短い間だが馴れ合ったメンバーだ、そんな仲間を放置できる程彼女等は非常ではない。
それに。
彼女等は、まだ殺し合いという大前提の恐ろしさを理解していない。

「何をしようって言うのかしら」

駆け出そうとする二人の前、立ちはだかったのは環だった。
長身の環から見下ろされ、怯んだように真希が一歩下がる。環の目は冷たい。

「あなた達二人が行っても、足を引っ張るだけじゃないの?」
「な、何よその言い方!」
「守る人間が増える分、残った人達が動けなくなるんじゃないかってことよ」

言い返そうとする真希だが、それもある意味難なく想像できる事実故ぐうの音も出なくなってしまう。

「それでも放っておける訳ないでしょっ!」

苦し紛れの真希の台詞を、環は一笑する。
鼻につく環の動作で頭に血が上る感覚に翻弄されかける真希だったが、隣の美凪の大人しさを察知すると自身の鼓動も落ち着かせようと努力した。
激情家で力任せの言葉を吐きやすい真希にとって、いい意味で美凪はストッパーになっている。
その様子は、自己紹介をし合うこともなくこの状況に巻き込まれた環にも、すんなりと伝わっていた。

「残ったあの人達が、何のためにあなた達を先に逃がしたと思ってるの?
 巻き込まないためでしょ。これであなた達に何かあったら、悲しむのはあの人達よ」
「で、でも……っ」
「死ぬわよ」
「え?」
「断言してあげる。戻ったら、あなた達死ぬから」

325インターセプト2:2009/09/25(金) 19:23:31 ID:D27maBM60
きっぱりとした物言いの迫力、環のそれに真希が固まる。
死ぬという表現は、あまりにも大げさだ。
少なくとも、真っ先に真希が思ったのはそれである。
多少の怪我なら覚悟の上、それを言葉にするのは真希にとっても容易いはずだろう。
しかし。
何か口にしようとした時、真希の記憶が数時間前の現実を呼び起こす。

―― それは、血に塗れた一人の少年の姿だった。

フラッシュバックしたその光景は、すぐにまた真希の瞼の裏に還って行った。
掠れる真希の喉から、声は生まれない。
あの時浴びたショックが、再び真希の後頭部を殴り倒していく。

その少年、祐一はと言うと、環のすぐ後ろで黙ってこの場を見守っていた。
命に別状はない。
それは医者である聖も口にしていたことだから、確かであろう。
確かである。
それでもあのグロテスクな場面は、真希にとって一種のトラウマとしてこうして残ってしまっている。

「真希さん……」

そっと、隣で静かに佇んでいた美凪が、真希の片手に自分のそれを合わせた。
軽く汗ばんだ真希の左手を、なんの嫌な顔もせず包み込む美凪の仕草はあくまで優しい。

「真希さん」

もう一度、真希の名前を美凪が口にする。
その囁きには、真希を裂く棘というものが存在しない。
抉れてしまった傷の上を、柔らかな羽が撫ぜていくような心地よさを真希が実感した所で、彼女の高鳴っていた鼓動のスピードも平常なものに戻っていた。

326インターセプト2:2009/09/25(金) 19:23:52 ID:D27maBM60
「ありがと、美凪」
「いえ」

ふるふると首を振る少女に申し訳なさ気な笑みを浮かべた後、真希は改めて環と目を合わせた。
堂々と仁王立つ環は、先程と同じ姿勢のまま真希達に阻みをきかせている。

「あんたの言う通り、確かにあたし等は足手まといね。それは認めるわ」

一つ息を吐き、真希は自虐交じりの事実を口に出した。
腕っ節が強くもなければ、役に立つ武器も所持していないということ。
ことみのように頭が切れるわけでもない、真希も美凪もごくごく普通の女の子だ。
そんな真希に対し環はと言うと、一度ぴくっと眉を揺らしただけで、後は特にリアクションを取っていない。
だんまりのまま、真希が出すであろう言葉の続きを待っているらしい。

「でも、だからと言って先生やことみが見殺しになっちゃうかもっていうこの状態は、耐えられないから。無理、絶対無理」

ぎっと、強くなった真希の睨みが鋭い環の視線と交錯する。
凄む環の迫力はさらに増したものの、それでも真希は引こうとしなかった。
それだけではない。
にやりと口を歪め生意気さを顔の表情全体で表した真希は、環を挑発するようにその言葉を口にした。

「死んでもお断りね」

環の眉がぴくりと震える。
嫌味がたっぷり含まれた挑発には、底意地が決して良くはない真希の性格がよく現れていた。
してやったりとさらに口角を上げる真希、これで先ほどの返しは出来たようなものであろう。

対峙する両者の間、ぴんと張られた緊張の糸が緩む気配は全くない。
どちらも譲る気がないのか視線を逸らそうともしないため、傍にいる美凪や祐一も手が出せなかった。

327インターセプト2:2009/09/25(金) 19:24:17 ID:D27maBM60
それがどれくらい続いたのか。
ふっと、表情を取り戻したのは、環の方が早かった。
ため息をつき、ふるふると頭を揺すった環が顔を上げると、そこには呆れたような笑いが浮かんでいる。
それは悪意というものが秘められているようには到底見えない、朗らかなものだった。
環の豹変、真希もそれが不思議だったのだろう。
環の様子を探るよういぶかしげに見やってくる真希に対し、環はその笑みを湛えながら口を開いた。

「お人よし」
「はぁ?」

まるで友達をからかうような、環のその口調。軽さ。
真希の口からはストレートな疑問符が飛び出ていた。

「随分と優しいのねって。そう思っただけよ」
「べ、別にそんなんじゃないわよ! ただ、あたしはことみと先生が……」
「天邪鬼。でも、嫌いじゃないわ」

環の語尾には、先程あった冷徹さはすっかり抜けている。
いきなり向けられた好意の言葉に、さすがの真希も戸惑いが隠せなかった。
どうすればいいのか分からないといった様子で、真希は慌てたように隣の美凪へとアイコンタクトを送る。

「……?」
「ちょっと、首傾げてないで美凪も一緒に考えてよ!」
「考える……?」
「そう! この人が何企んでるのか、一緒に考えるのっ」

わたわたとする真希の姿が余程ツボに入ったのか、環は大きく肩を震わせ声にならない笑いを上げている。
環の一歩後ろで佇む祐一も訳が分からないようで、ひたすらきょろきょろと彼女達のやり取りを見やっていた。

「ふふ……ごめんなさい、からかったとかそういうのではないの。
 ほら、私あなた達のこと知らないから。どういう子なのかなって、気になっちゃって」
「な、何よ。それ」
「まぁ、余計な心配だったみたいだけど」

328インターセプト2:2009/09/25(金) 19:24:37 ID:D27maBM60
そう言って髪をかきあげながら真希達二人に背を向けた環の目線が、祐一のそれとぶつかる。
勢いに飲まれ言葉が発せないままである祐一にウインクを一つ投げると、環はそのまま彼の横を通り抜けた。
つかつかと、迷いのない環の足取りが進む先。
そこに赤い教室が待ち構えているのは、周知の事実である。

「向坂、どこに……?」
「ちょっとあんた、待ちなさいよ!」

真っ先に気づいた祐一が、思わず声を張り上げる。
そのすぐ後、はっとなった真希は一直線に環へと駆け寄り、自分より少し高い位置にある彼女の肩に手をかけた。
瞬間響いた、乾いた打撃音。真希の瞳が見開かれる。
力が込められていなかったためか鋭い痛みや腫れ等と言った症状は出ていないものの、環は容赦なく真希の手を叩き落としていた。

「痛かった? ごめんなさいね」

思ってもみなかったのだろう。
余程ショックだったのか、すぐさま入った環の謝罪にも真希はすぐの反応が返せなかった。
軽くじんじんとしている部分に自身のもう片方の手のひらを重ね、困惑で塗り固まった真希が呆然と立ち竦む。
それでも環は、真希を見ようともしない。ひたすら前だけを向いていた。
真希に向かってすかさず駆け出した美凪の足音を気にすることもなく、環はそのままの状態で口を開く。

「さっきのだけど」
「ぇ……?」
「あなた達が死ぬっていうのは、はっきり言って本気のつもり。
 あの二人を助けたいって気持ちは分かるけど、実際に何ができるかを明確な上で行動しない限り……やっぱり、邪魔なのよ」

環の言葉は、真希達の誠意にきっぱりとした否定を突きつけている。
それが侮辱に取れたのだろう、真希の形相が再び険しくなった。
悔しさで思わず握りこぶしを作り指を赤と白に変色させる真希の頭、そこでふと、ピンとひらめいたことがあった。

329インターセプト2:2009/09/25(金) 19:24:55 ID:D27maBM60
それならば、戦場である保健室に向かおうとする環には一体何が出来るのか、である。
自分に比べれば確かに体格は良いものの、一介の女学生である環が何故ここまで自分達をこけにするのかが、真希は気になった。
そこが、環への効果的な反論に値するヒビの一種とも、考えられる。

これはしめたと、浮いた疑問をすぐさま聞くために真希が唇を震わせる、しかし。
そこから声は、生まれなかった。
問う前に、真希は結果を目にしてしまっていた。

いつの間にやら真希達を無視する形で歩を再開させていた環は、ごそごそとスカートのポケットに手をつっこんでいたのだ。
そこから彼女が取り出したのは、彼女自身への支給品であった一丁の銃器である。
コルトガバメント。
重い鉄は朝陽に反射し、キラキラと輝きを放っている。
その凶器のリアルさに、真希の視線は釘付けとなった。
軍用の大型自動拳銃の持つ殺傷能力は、真希にとって未知数だろう。

「下がってて。援護には私だけが向かうから」
「そんな……っ」
「勘違いしないで。別にあなた達を守ってあげるとか、そういう訳でもないの。
 ……少しでも関わりがあった人が死ぬなんて、もう真っ平なのよ。私が嫌なの」

一瞬だけ俯かせた瞳に暗い藍色を光らせた環が、独り言のように小さく呟く。
後半、それは真希達に向けられたのか、それとも本当に環にとってはただの独り言だったのか。
真希が問おうとする前に、環はもう走り出していた。

「相沢君をお願い、腐ってもその子怪我人だからね」
「ま、待ちなさいよ!」

環も今度は止まらない。一晩熟睡し休んだ結果、彼女の体調は万全に等しかった。
このように全力疾走しても保健室までの距離くらいだったら息が上がることはないだろうと、環自身自負できる。
恵まれた体調に、恵まれた支給品。
生き残るための知恵も、賢い環には備わっていただろう。

330インターセプト2:2009/09/25(金) 19:25:08 ID:D27maBM60
しかし彼女は失った。
大切な仲間を喪った。
妹分に、共に宿を取っていたはずの明るい少女達。
そして。淡い恋心を抱いていた、一人の少年。

誰もが優しい人間だった。
そんな優しい人間達が、たった一夜で掻き消えた。
それも環の知らない時に。環の知らない場所で。
環にはそれが、耐えられなかった。

冷静さを奪う勢いで構成された秘めたる激情、それは彼女の内にびっちりとこびりついてしまっている。
刺激された環の正義感は、どのような状況に陥っているか読めることができない保健室へと一心に向いていた。





そんな、だんだんと遠くなっていく環の背中を、真希は黙って見つめ続ける。
真希は動けなかった。
動くことが出来なかった。ただそれを見送ることしか、出来なかったのだ。

「真希さん……」

美凪が再び、優しく真希の手を自身のもので包みこむ。
ずっと作られていた真希の握りこぶし、痛々くも頑なな固い拘束を美凪は一本ずつ解いていく。
そっと解かれた戒めに、美凪は真希を安心させるようにと彼女の指と自身のを絡め合わせた。
温い人肌に少女特有の柔らかい肉質、本来それは心を穏やかにさせる成分が含まれているはずであろう。

「……じゃない」

331インターセプト2:2009/09/25(金) 19:25:33 ID:D27maBM60
真希の口から零れた言葉、気づいた美凪が面を上げる。
真希の表情は、険しい。
噛み締められた彼女の唇には、きっとしっかりとした跡がついてしまうだろう。
真希は震えていた。
全身に力を込め、とめどなく溢れ出てしまう感情に翻弄されてしまっていた。

「結果は一緒じゃない!」

小さくなっていく環の背中を見やりながら、真希が低い叫びを放つ。それはまるで呪詛だった。
結局真希は、守られたのだ。
環の動機というものなど関係なく、結果として真希は戦場から隔離された。

「何よ、何なのよ! あの女、あの女……っ」

美凪の慈愛に気がつかないのか、真希は先ほどまでと同じ調子で手に力を入れてしまっている。
それに気づく様子も、今の真希にはない。

(せんせい、ことみ……っ!)

泣きそうな顔で保健室を睨み付ける真希の横顔を、美凪は心配そうに見つめている。
立てられた真希の爪は彼女の柔肌にきつく食い込んでいったが、美凪は何も言わなかった。
敢えて、何も口にしなかった。

332インターセプト2:2009/09/25(金) 19:27:45 ID:D27maBM60
【時間:2日目午前7時50分】
【場所:D−6・鎌石小中学校・一階・保健室】

一ノ瀬ことみ
【持ち物:主催側のデータから得た印付の地図、毒針、吹き矢、高圧電流などを兼ね備えた暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯、お米券×1】
【状態:少年と対峙】

霧島聖
【持ち物:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式、乾パン、カロリーメイト数個】
【状態:少年と対峙】
【状況:少年と対峙・右肩負傷】

少年
【持ち物1:強化プラスチックの大盾(機動隊仕様)、注射器(H173)×19、グロック19(15/15)】
【持ち物2:支給品一式、レーション2つ、・MG3(残り10発)・予備弾丸12発】
【状況:ことみ、聖と対峙・効率良く参加者を皆殺しにする】




【時間:2日目午前7時55分】
【場所:D−6・鎌石小中学校・中庭】

向坂環
【所持品:コルトガバメント(残弾数:20)・支給品一式(食料少し消費)】
【状態:保健室へ戻る】

相沢祐一
【所持品:S&W M19(銃弾数4/6)・支給品一式(食料少し消費)】
【状態:鎌石中学校制服着用(リトルバスターズの男子制服風)、腹部刺し傷あり(治療済み)】
【備考:環を見送る・勝平から繰り返された世界の話を聞いている】

広瀬真希
【持ち物:消防斧、防弾性割烹着&頭巾、スリッパ、水・食料、支給品一式、携帯電話、お米券×2 和の食材セット4/10】
【状況:環を見送る】

遠野美凪
【持ち物:消防署の包丁、防弾性割烹着&頭巾 水・食料、支給品一式(様々な書き込みのある地図入り)、特性バターロール×3 お米券数十枚 玉ねぎハンバーグ】
【状況:環を見送る】

(関連・1041・1064)(B−4ルート)

333FOR OUR MUTUAL BENEFIT:2009/10/02(金) 15:05:39 ID:xbN82L8I0

『FOR OUR MUTUAL BENEFIT AND UNDERSTANDING (Who stealed "The Card" ?)』


 
ゆらり、ゆらりと。
金色の光が立ち昇り、闇の中に浮かぶ小さな日輪へと吸い込まれていく。
ぼんやりとそれを眺めながら、来栖川綾香は岩壁に背を預けている。

ぐずぐずと爛れたように桃色の肉を晒す四肢は既に崩壊を始めていた。
肉の糸は弱々しく絡み合い、しかしその殆どは癒合できずに力尽きて赤い血潮へと還っていく。
息を吸い込めば焼けつくように熱く、吐き出せば血と痰と、或いは何かの塊とが混ざり合った
どろどろとしたものが喉の奥からまろび出てくる。

拳は砕け、立ち上がる足もなく、だから綾香はぼんやりと光を眺めていた。
柏木千鶴の躯から立ち昇る金色の光は、中空に浮かぶ小さな日輪へと吸い込まれていく。
光を吸い込むたびに、日輪はその輝きを増していくように思えた。
その光景がまるで死者の魂を喰らって肥え太る冥府の獣のように見えて、小さく笑った瞬間、
光が消え、闇が落ちた。

否。
そうではない、と綾香はすぐに理解する。
消えたのは、日輪の光ではない。
光を受容する、瞳だ。
爆ぜたのは眼球か、視神経か。
既に痛覚も触覚も失われて久しく、故に損傷の箇所も程度も認識できず、
しかしいずれ日輪は今も視線の先に輝いているのだろう。
単に目が見えなくなっただけだ。

334FOR OUR MUTUAL BENEFIT:2009/10/02(金) 15:06:03 ID:xbN82L8I0
 
―――これが、最期か。

大きく息を吸い込んで、咳き込み、しかし綾香は笑う。
暗闇の中、浮かぶのは幾つもの煌きだった。
それは、たとえば松原葵の、命の向こう側で立ち上がった瞳の奥の、透き通った炎。
それは、柏木初音の漏らした、猛るような息遣いに潜む悦楽の色。
それは、坂神蝉丸の、日輪に照り映える白銀。
それは、柏木千鶴の爪刃の、光と霧とを裂いて奔る、真紅の軌跡だった。

幾つもの煌きが、視界を覆った一面の暗闇に散りばめられて星空のように輝いていた。
それはきっと、坂下好恵が高度二十五メートルの鉄柵を越えた先で目にした光景と、よく似ている。

それは充実。
それは快。

それは、完結だった。

そこに付け加えることはなく。
そこから差し引かれるものもなく。
それは正しく、来栖川綾香の望んだ、終焉だった。


それでいい。
それが、最期なら。
それでいい。



***

335FOR OUR MUTUAL BENEFIT:2009/10/02(金) 15:06:25 ID:xbN82L8I0

 
 
 
 
 
それでいい―――はずだった。






***

336FOR OUR MUTUAL BENEFIT:2009/10/02(金) 15:06:41 ID:xbN82L8I0
 
 
来栖川綾香の世界から、暗闇が払われていく。
代わりにそれを満たしていたのは、ゆらゆらと揺れる光だった。

「―――」

その目に映るものが、中空に浮かぶ金色の光の坩堝であると気付くまで、僅かに間が空いた。
ぼんやりと光が映るのは、視界の半分、左側。
綾香の身体に残った治癒の力の、その最後の意地がせめて片目だけを癒したものか。
切断された視神経か、割れて砕けた水晶体か角膜か、或いはその全部かが修復されて、
薄ぼんやりとした視界が、綾香に戻っていた。

「―――」

ゆらり、ゆらりと。
光の坩堝は、輝いている。

「―――、」

輝いて、淡い光で辺りを満たし、
来栖川綾香の安息を、侵していく。

「―――あ、」

ゆらり、ゆらりと。
淡く輝く光の中に、音もなく降りてくるものがある。

「ああ……」

金色の光を練り固めて、人の形の鋳型に流し込んだような。
長い髪をさらさらと揺らし、ゆらゆらと、金色の羽衣を纏ったように輪郭を揺らしながら、
何かを抱き寄せるように大きく手を広げた、それは。

「姉、さん……」

来栖川芹香と呼ばれていた女の、形をしていた。


***

337FOR OUR MUTUAL BENEFIT:2009/10/02(金) 15:07:07 ID:xbN82L8I0
 
「来るな……」

じり、と。
後ずさろうとした綾香の背を、岩壁が阻む。
見上げれば、そこには光。
来栖川芹香が、手を伸ばしている。

誘うように、導くように。
ゆらり、ゆらりと。
降りてくる。

「来ないで、姉さん……!」

懇願するように、首を振る。
来栖川芹香は、止まらない。
ただ綾香の記憶にあるのと同じように、ほんの微かな笑みだけを含んで凪いだ表情のまま、降りてくる。

「あんたはもう、関係ない……!」

それは、一点の光明だった。
来栖川綾香の最期を満たす暗闇の、そこに映る星空のような煌きを侵す、ほんの小さな滲み。
しかし光は次第に強くなる。
点のようだった光明はすぐに面へと変じ、面は空間となって、瞬く間にその領土を拡げていく。
代わりに喪われていくのは、闇だった。
目映い光に照らされて、居場所をなくした暗闇が、そこに映る星々が、一つ、また一つと、消えていく。
来栖川芹香の齎す、それは無情な夜明けだった。

「あんたの居場所なんて……どこにもない……!」

夜が明けて、星が消えていく。
煌きが、見えなくなっていく。
松原葵が、霞んでいく。
柏木初音が、坂神蝉丸が、薄れていく。

「これは私の世界なんだ……!」

柏木千鶴が、光に呑まれて消えていく。
日輪の輝きに照らされて、夜の闇は、もう見えない。
坂下好恵の目にした高度二十五メートルの残像が、もう、見えない。

「これは私の戦いなんだ……!」

夜を穢し。
闇を踏み躙って。
来栖川綾香を満たそうと迫るのは、光。


「これは……!」


来栖川芹香の形をした光が手を伸ばし、
拒むようにそれを払った綾香の、砕けた拳が硬く握られ、
光が抱き締めるように綾香を包み、


「これは私の……」


嗚咽を堪えるような言葉と、
咽び泣くような拳とが、


「私だけの物語だ―――」


来栖川芹香を、貫いた。




******

338FOR OUR MUTUAL BENEFIT:2009/10/02(金) 15:07:31 ID:xbN82L8I0

 
 
 
理の外にある護りを穿ち貫く、魔弾の拳が、
光の坩堝を、撃ち砕く。

どこかで、何かの、底が抜けるような、音がして。


光が、溢れた。




******

339FOR OUR MUTUAL BENEFIT:2009/10/02(金) 15:07:55 ID:xbN82L8I0

 
 
 
網膜を灼くような目映い光が、広い岩窟の隅々までを照らしていた。
それはまるで、金色の坩堝を逆さに振って蓄えられていた中身の全部をぶち撒けるような、光の爆発。
その、闇の存在を赦さぬかのような光の中で、来栖川綾香は一つの声を聞いていた。

「―――   、」

ほんの微かな、そよ風にもかき消されてしまうような、か細い声。
来栖川芹香の、紛れもない、それは声だった。

「え……?」

綾香の耳は、確かにその声を捉えていた。
聞き取って、しかしその意味が、すぐには分からず。
聞き返そうとしたときには、来栖川芹香の姿は薄れかかっていた。

「姉さ……、」

思わず引き止めようと伸ばした手をすり抜けるようにゆらりと揺れた芹香が、
胸に空いた穴から、辺りを満たした光に融けて、薄れていく。
やがて、ふつりと。
音もなく消える、その最後の瞬間。
綾香の目に映ったのは、その生涯で一度も見せたことがないような、満足げな笑顔だった。

「は……はは……」

乾いた笑いが、漏れる。
けふりと吐いた咳には、もう混じる血も薄い。
流れ尽くして、癒えもせず。

「何だよ、それ……」

ぐるぐると回るのは、芹香の言葉。
姉のかたちをした光の遺した、最後の言葉。
来栖川芹香の、来栖川綾香に遺した、遺すべき、言葉。

それは、ありがとう、でも。
或いは、さようなら、でもなく。
ただ一言、

―――よくできました―――

と。

「何なんだよ、それ……」

燃え尽きた。
やり遂げた。
何もかもに、満足していた。

「畜生……」

燃え尽きた、筈だった。
やり遂げた、筈だった。
何もかもに、満足していた、筈だった。

「畜生……畜生……」

来栖川芹香の光に満たされて、夜が明けて。
目を閉じても、暗闇はもう、どこにもない。
星空のような煌きは、もう、見えはしない。


―――これが、最期か。


来栖川芹香の望んだ何かに侵されて、
来栖川綾香の望んだ終焉は、訪れない。

大きく息を吸い込んで、咳き込み、

「畜生―――」

光を見上げて呟いた、その瞬間。
来栖川綾香の心臓が、爆ぜた。

.

340FOR OUR MUTUAL BENEFIT:2009/10/02(金) 15:08:25 ID:xbN82L8I0

【時間:2日目 ***】
【場所:***】

来栖川綾香
 【状態:???】


→1093 ルートD-5

341(パルチさん、会議中)/agitation:2009/10/04(日) 17:27:04 ID:M3ANcTgY0
 壮観だ。
 ぞろぞろと居座っている十四人、自分を含め十五人の姿を眺め、那須宗一は感嘆の息を漏らした。

 いざこうして生存者が全員揃うと見ものだ。
 敵対する相手が出なくて良かったという安堵よりも、こうなるだろうと予感していた自分があるということに気付き、
 宗一は案外人を信じるようになってきているのかもしれない、と思った。

 不思議と、この中に欺こうとする者がいるとは思えなかった。
 おかしな話だ。つい先程まで、自分は疑うことを常としているはずだったのに。
 この場に漂う連帯感を纏った空気、皆一様に同じ一点を目指す指向を感じたからこそ、理性も納得しただけのことなのかもしれない。
 どちらでもいい、と宗一は断じた。直感が信じていいと言ったのなら、別にどちらでも良かった。
 少なくとも、人の悪意のみを信じて生きているのではないということが分かったのだから。

「さて、と。まずは何から言うべきなのかね、リーダー」

 じろ、と隣に立っているリサ=ヴィクセンが睨んだ。
 話を纏める分には年上の格があるリサがいいという判断で言ってみたのだが、なぜ不機嫌そうにされるのか分からず、
 宗一は曖昧に笑い返すことしかできなかった。
 短い溜息がリサの唇から漏れ、仕事用のそれに切り替わった声が場に響いた。

「皆さんに、聞いてもらいたいことがあります」

 珍しい。敬語だ。任務でも滅多に聞かない口調に、宗一は思わず口笛を鳴らしていた。
 十三人の目がこちらを向く。教卓の上に立たされ、何かを喋らされているときに似ていた。

「ここに私達が集まったということは、大よそその目的は掴めているかと思います。
 顔見知り同士もいれば、初めて顔を合わせる方もいます。そこで、まずは名前を公表してもらおうと思います。
 ここから先、協力してゆく者同士、最低限のことですから」

 そう言うと、リサは背後のホワイトボードに自分の名前を書き連ねた。
 宗一も続くようにして自分の名前を記す。それがスイッチとなり、前に座っていた者から順番に名前が書かれてゆく。
 約、一名を除いて。

342(パルチさん、会議中)/agitation:2009/10/04(日) 17:27:24 ID:M3ANcTgY0
「……あなたは?」

 リサの目が、メイドロボらしき少女へと向けられた。

「わたしは、正規の参加者ではないようなのです。支給品として、ここにいます」
「支給品……?」

 何人かが呆気に取られた声を出した。一斉に視線がメイドロボへと向くと、隣から高槻と名前を書いていた男が手を上げた。

「そいつは事実だ。俺はこの目で見たわけじゃないが、仲間からそうだと聞いてる。もっとも、今は全員この世にはいないが」
「支給品だと証明できる手段は?」

 リサが質問を重ねた。支給品だということが事実だとすれば、確実に主催者の手が入っているということになる。
 盗聴装置、監視装置。本人にその自覚がなくても設置されている可能性もあれば、
 主催者からの命令で参加者に偽装しているとも考えられる。リサが疑うのは当然のことで、最悪の場合分解、という措置もあり得る。
 しかしここで反論したのは意外にもメイドロボだった。

「USBメモリの中に、支給品一覧というものがあるはずです。その中に、わたしが含まれているはずですが」
「USBメモリね。持っている人は」

 二つの手が上がった。姫百合瑠璃、一ノ瀬ことみだった。
 ことみが補足するように発言した。

「多分、私が持ってるのがそれだと思うの。杏ちゃんが持ってたのを、預かったから」
「ああ。私の持ち物、元は高槻たちのものも含まれてるから。間違いないと思うわ」

 証拠はあるということになる。ならば支給品の線は濃厚だが、主催者からの刺客という疑念は晴れたわけではない。
 だがそれを払拭するかのように、芳野祐介が口を開いた。

343(パルチさん、会議中)/agitation:2009/10/04(日) 17:27:46 ID:M3ANcTgY0
「ちなみに、こいつがクロだという線は薄い。こいつは自ら主催者の一派を知っていることを口にした。
 口外したところで主催者にとっては百害あって一利なし、だ。
 何も喋らなければ、そもそもの情報が足りない俺達には何もやりようがないからな。
 疑われる理由を増やしたところでどうにもならん」
「その主催の一派、って何だ?」

 メイドロボへの疑いよりも、主催者のことを知っていると口にしたことの方が気になった。
 情報源が少なすぎる今、些細な情報でも貴重なところだ。
 芳野祐介の言う通り、これが偽情報だろうが本当だろうが、こちらとしては裏切り者の可能性があると疑う要素になりうるわけだから、
 わざわざ喋る必要性がない。裏が全く取れない以上、喋らないことほど隠匿に最適なことはないからだ。
 そういう意味では、すでにメイドロボへの疑いは晴れていた。リサも同じ結論を得ていたのか、その話題の方が気になっていたようだった。

「俺と高槻、このほしのゆめみで、主催者の手駒と思われる、ええと、何だったか」
「『アハトノイン』だ。ちなみに、こいつが戦利品。逃がしたのが惜しすぎるがな」

 高槻がデイパックからP−90、そしてロボットのものらしき腕を取り出して机の上に置く。
 敵もロボット、という認識が瞬時に広がり、頭にあるリストが検索をかけはじめていた。

「アハトノインはわたしの同型機です。戦闘用にモデルチェンジされたのが、彼女達です。
 もっともわたしは、彼女達の詳細なデータベースを保持していないのですが……」
「どうして?」

 宗一が考える一方、リサは再び質問を始めていた。

「わたしの型番はSCR5000Si/FL CAPELII.で、アハトノインについてのデータは当時開発中ということで殆どインプットされていませんでした」
「SCR5000Si/FL CAPELII.……どこかで聞き覚えがあるわね」
「例の盗難事件だ。覚えてるか」
「……アレね」

344(パルチさん、会議中)/agitation:2009/10/04(日) 17:28:09 ID:M3ANcTgY0
 宗一達エージェント界隈では割と有名になっていた盗難事件で、
 日本で開発されていた新型コンパニオンロボットのデータが何者かによってハッキングされ、盗まれていたという事件だった。
 手口が俊敏かつ手際がよく、巧妙に隠蔽されていたがために発見が遅れ、今でもその足取りは掴めていない。
 また同時期に、海外ではロボットの開発会社が相次いで倒産することがあり、関連性は薄いものの何かしらのきな臭さを忍ばせるものがあった。

「だとするなら、この事件の犯人はロボットに関連する誰か……?」
「リサ、ひとつだけ引っ掛かりがある。篁財閥が最近ロボット開発をしているって噂があったろ」
「そういえば……最近、そういう事業部が設立されたわね。主任はデイビッド・サリンジャーって天才プログラマーだったけど……
 彼、以前に日本の学界で小さな騒ぎを起こして以来、特にこれといって目立ったようなことはしてこなかった。だけど……」

 リサは篁財閥へのダブルスパイとして潜入していた、という情報はここに来る直前、宗一の耳にも伝わっていた。
 サリンジャー、という名前には聞き覚えはある。ドイツの大手ロボットメーカーに鳴り物入りで入社した天才プログラマーだったが、
 ある日を境に退社。その後篁財閥に招聘されたという情報だった。
 そして、そのロボットメーカーはサリンジャーが退社した後に倒産している。

「……篁も、ここにいた」

 リサの小さな呟きが、それまで欠けていたピースを埋め合わせる材料となった。
 盗まれたロボットのデータ。篁財閥。相次いだロボットメーカーの倒産。そして、デイビッド・サリンジャー。
 殆ど確信に近い推論が生まれたが、ひとつだけ、そして決定的に引っかかる部分があった。

「だけど、篁は既に死んでる。醍醐もな」

 篁財閥総帥である彼が既に死亡していること。そしてその側近だと言われている醍醐も既に死亡しているのだ。
 仮にあの事件に篁が関わっているのだとすれば、この顛末はどういうことなのだろうか。
 まだ何か、自分達に大きな情報の不足があることは明らかだった。
 知る由もない、この殺し合いが開かれた、真の理由を――

「で、おい。勝手に盛り上がってないで、いい加減結論を出して欲しいんだが」

345(パルチさん、会議中)/agitation:2009/10/04(日) 17:28:28 ID:M3ANcTgY0
 いつの間にか近寄っていた高槻がずいと横から口を挟んだ。

「あ、ああ。悪かった。とりあえずええっと、ほしのゆめみさんのことは分かった。信じるよ」
「ええ。こっちもこっちで分かったこともあるし」

 あくまでも推論の域に過ぎないが。
 高槻は訝しげな視線で睨んだが、納得を得られたらしいと分かって引き下がった。
 ほしのゆめみもことの次第を了解したらしく、ぺこりと頭を下げていた。
 悪いことをしたかもしれない、と思いつつ、宗一は返礼した。

「よし。ゆめみさんのお陰で大分話がし易くなったわね。次なんだけど……これから呼ぶ人たちで少し会議を開きたいと思うの」
「全員でやらないんですか?」

 古河渚が手を上げて聞いてきた。

「これだけ人数がいると、却って進行が遅くなるの。それよりは少人数で決めるだけのことを決めて、後から伝えた方が早いわ」
「仲間外れにするようで悪いが……一つの役割分担だと思ってくれないか?」

 宗一がそう言うと、渚は納得して素直に引き下がった。
 その様子を見ていたリサが、肘で脇腹をつついてくる。

「なんだよ」
「彼女、宗一に素直ね」
「……元からああいう奴だよ」
「そうかしらね? 宗一が言った途端完全に納得したみたいだったけど」
「俺の説明の仕方が良かっただけだ」
「ふーん……」

 渚が首を傾げるのが見えたが、何でもないと手を振ると、いつものような柔らかい微笑が返ってきた。
 リサの素直ね、という言葉が頭の中で繰り返され、宗一の中で奇妙な波紋を広げたが、無視することに務めた。

346(パルチさん、会議中)/agitation:2009/10/04(日) 17:28:45 ID:M3ANcTgY0
「それじゃ名前を呼ぶわね。私、宗一、ことみ、高槻、芳野。この五人で会議するわ」
「ついでにUSBメモリも持ってきてくれ。後は……俺がノーパソを持っていく」
「要はPC関連のものがあったら持って行けばいい?」

 ことみの分かりやすい質問に「ナイス。そういうことだ」と親指を立たせて応える。
 その一言で何人かがデイパックからそれらしきものを取り出し、机の上に置いた。

「高槻。お前は俺と一緒に来い。取りに行くものがある」
「へいへい。気安く呼ぶなってんだ」
「あ、私も行くの」
「会議はここでやるからな」

 職員室から出て行こうとする高槻、芳野、ことみに呼びかけると、三人は手を上げ、無言で応えた。
 どこか別の場所に置いてきたものがあるらしい。ことみが行くことから考えると割と重要なものなのかもしれない。

「他の人たちは自由にしてていいわ。あんまり学校から離れすぎないように。会議が終わるまでに結構時間もかかりそうだから、
 リラックスしておいて。欲を言えば、荷物の整理もしておいて欲しいかな」

 ごちゃごちゃになった荷物にはどれだけの武器弾薬があるか分からない。
 120人分の支給品があるとして、数は十分だろうが、分からないことにはどうしようもない。
 大雑把にでも分けて貰えれば後々こちらも楽になるというものだった。
 残っていた連中は頷くと、各々の近くにあるデイパックを取って、ぞろぞろと職員室を後にしていった。
 そうして職員室には、リサと宗一だけが残される。

「お見事な采配で」

347(パルチさん、会議中)/agitation:2009/10/04(日) 17:28:58 ID:M3ANcTgY0
 ノートパソコンのプラグを電源に繋ぎつつ、宗一は賞賛の言葉を贈った。
 以前グダグダな話し合いを展開していた我が身の経験からすれば天と地の差だった。
 これが大人の貫禄かと感心していると、台車に何かを載せた芳野達が帰ってきた。
 随分と早い。少し息を切らせていることから考えると、走ってきたのだろう。

「早いところおっぱじめようぜ。時間はいくらあっても足りないんだからな」

 時間が足りない、という高槻の言葉は、次の放送で主催者が動いてくるのを予想しての言葉なのかもしれなかった。
 殺し合いを続ける者がいなくなったことで、確かに次がどうなるのかが見えてこない。
 朝までに早急な手を打つ必要があった。

「それじゃあ、会議を始めましょうか。書記、そこの二人で頼むわね」

 宗一とことみが指名され、お互いに苦笑しながら席についた。
 書記という名目ではあるが、この会議に筆談の要素も備えている以上、主要な会話はこちらで行われそうだった。

 会議といっても卓を囲むという仰々しいものではなく、ノートパソコンの周辺に人が群がるという暑苦しい構図だった。
 ここまで泥臭く生き延びてきた自分達にはお似合いの構図なのかもしれなかった。
 宗一はニヤと笑いながら、メモ帳を開いたのだった。

348(パルチさん、会議中)/agitation:2009/10/04(日) 17:29:21 ID:M3ANcTgY0
【時間:3日目午前03時30分ごろ】
【場所:D−6 鎌石小中学校】

『自由行動組』何を、誰とするかは自由。小中学校近辺まで移動可

川澄舞
【所持品:日本刀・投げナイフ(残:2本)・支給品一式】
【状態:往人に付き従って行動。強く生きていたいと考えている。額から出血。両手に多少怪我(治療済み。支障は全くない)、肩に浅い切り傷】
【その他:往人に対して強い親近感を抱いている。剣道着を着ている】
その他:舞の持ち物(支給品に携帯食が十数個追加されています。)

朝霧麻亜子
【所持品1:デザート・イーグル .50AE(1/7)、ボウガン(32/36)、バタフライナイフ、支給品一式】
【所持品2:芳野の支給品一式(パンと水を消費)】
【状態:鎖骨にひびが入っている可能性あり。往人・舞に同行】
【その他:体操服(上下のジャージ)を着ている】

国崎往人
【所持品:フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 4/5 +予備弾薬5発、パン人形、38口径ダブルアクション式拳銃(コルトガバメントカスタム)(残弾4/10) 予備弾薬35発ホローポイント弾11発、スペツナズナイフの柄、支給品一式(少年、皐月のものを統合)】
【状況:強く生きることを決意。人形劇で誰かを笑わせてあげたいと考えている。全身にかすり傷】
【その他:左腕に文字を刻んだ。舞に対して親近感を抱いている(本人に自覚なし)】

古河渚
【持ち物:おにぎりなど食料品(結構減った)、支給品一式×2(秋生と佳乃のもの)、S&W M29 1/6、ロープ(少し太め)、ツールセット、救急箱】
【状態:心機一転。健康】
【目的:人と距離を取らず付き合っていく。最優先目標は宗一を手伝う事】

349(パルチさん、会議中)/agitation:2009/10/04(日) 17:29:37 ID:M3ANcTgY0
伊吹風子
【所持品:サバイバルナイフ、三角帽子、青い宝石(光四個)、グロック19(0/15)、イングラムM10(0/30)、イングラムの予備マガジン×1、M79グレネードランチャー、炸裂弾×2、火炎弾×9、Remington M870(残弾数4/4)、予備弾×17、スイッチ(未だ詳細不明)、トンカチ、カッターナイフ、SIG(P232)残弾数(2/7)、仕込み鉄扇、ワルサー P38(0/8)、フライパン】
支給品一式】
【状態:泣かないと決意する。全身に細かい傷】

ルーシー・マリア・ミソラ
【所持品:IMI マイクロUZI 残弾数(20/30)・予備カートリッジ(30発入×4)、支給品一式×2】
【状態:生き残ることを決意。髪飾りに美凪の制服の十字架をつけている】
【目的:とりあえず渚にくっついていく】 

姫百合瑠璃
【所持品:MP5K(18/30、予備マガジン×8)、デイパック、水、食料、レーダー、携帯型レーザー式誘導装置 弾数2、包丁、救急箱、診療所のメモ、支給品一式、缶詰など】
【状態:浩之と絶対に離れない。浩之とずっと生きる。珊瑚の血が服に付着している】
【備考:HDD内にはワームと説明書(txt)、選択して情報を送れるプログラムがある】

藤田浩之
【所持品:珊瑚メモ、包丁、レミントン(M700)装弾数(3/5)・予備弾丸(7/15)、HDD、工具箱】
【所持品2:フライパン、懐中電灯、ロウソク×4、イボつき軍手、折りたたみ傘、鋸、支給品一式】
【状態:絶望、でも進む。瑠璃とずっと生きる】

ほしのゆめみ
【所持品:忍者刀、忍者セット(手裏剣・他)、おたま、S&W 500マグナム(5/5、予備弾2発)、ドラグノフ(0/10)、はんだごて、ほか支給品一式】
【状態:左腕が動くようになった。運動能力向上。パートナーの高槻に従って行動】

藤林杏
【所持品1:ロケット花火たくさん、携帯用ガスコンロ、野菜などの食料や調味料、食料など家から持ってきたさまざまな品々、ほか支給品一式】
【所持品2:日本刀、包丁(浩平のもの)、スコップ、救急箱、ニューナンブM60(5/5)、ニューナンブの予備弾薬2発】
【状態:重傷(処置は完了。激しすぎる運動は出来ない)】

350(パルチさん、会議中)/agitation:2009/10/04(日) 17:30:17 ID:M3ANcTgY0
『会議組』色々話し合う。爆弾の材料一式は職員室に持ち込まれている。職員室には入室不可

那須宗一
【所持品:FN Five-SeveN(残弾数0/20)、防弾チョッキ、SPAS12ショットガン8/8発、投げナイフ1本、鉈、H&K SMGⅡ(30/30)、ほか水・食料以外の支給品一式】
【所持品2:S&W M1076 残弾数(6/6)とその予備弾丸9発・トカレフ(TT30)銃弾数(0/8)、デザートイーグル(.44マグナム版・残弾4/8)、デザートイーグルの予備マガジン(.44マグナム弾8発入り)×1、S&W、M10(4インチモデル)5/6】
【持ち物3:ノートパソコン×2、支給品一式×3(水は全て空)、腕時計、ただの双眼鏡、カップめんいくつか、セイカクハンテンダケ(×1個&4分の3個)、何かの充電機】
【状態:全身にかすり傷】
【目的:渚を何が何でも守る。鎌石村小学校に移動し、脱出の計画を練る】 

課長高槻
【所持品:日本刀、分厚い小説、コルトガバメント(装弾数:7/7)、鉈、電動釘打ち機12/12、五寸釘(10本)、防弾アーマー、89式小銃(銃剣付き・残弾22/22)、予備弾(30発)×2、P−90(50/50)、ほか食料・水以外の支給品一式】
【状況:全身に怪我。主催者を直々にブッ潰す】

芳野祐介
【装備品:ウージー(残弾30/30)、予備マガジン×2、サバイバルナイフ、投げナイフ】
【状態:左腕に刺し傷(治療済み、僅かに痛み有り)】
【目的:休憩中。思うように生きてみる】

351(パルチさん、会議中)/agitation:2009/10/04(日) 17:30:37 ID:M3ANcTgY0
一ノ瀬ことみ
【持ち物:H&K PSG−1(残り0発。6倍スコープ付き)、暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯、ポリタンクの中に入った灯油】
【持ち物2:要塞開錠用IDカード、武器庫用鍵、要塞見取り図、フラッシュメモリ】
【持ち物3:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式(保健室でいくらか補給)、乾パン、カロリーメイト数個、カメラ付き携帯電話(バッテリー9割、全施設の番号登録済み)】
【持ち物4:コルト・パイソン(6/6)、予備弾×13、包帯、消毒液、スイッチ(0/6)、ノートパソコン、風邪薬、胃腸薬、支給品一式】
【状態:左目を失明。左半身に怪我(簡易治療済み)】
【目的:生きて帰って医者になる。聖同様、絶対に人は殺さない】

リサ=ヴィクセン
【所持品:M4カービン(残弾15/30、予備マガジン×3)、鉄芯入りウッドトンファー、ワルサーP5(2/8)、コルト・ディテクティブスペシャル(0/6)、支給品一式】
【所持品2:ベネリM3(0/7)、100円ライター、参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、フラッシュメモリ(パスワード解除)、支給品一式(食料と水三日分。佐祐理のものを足した)、救急箱、二連式デリンジャー(残弾1発)、吹き矢セット(青×4:麻酔薬、黄×3:効能不明)】
【所持品3:何種類かの薬、ベレッタM92(10/15)・予備弾倉(15発)・煙草・支給品一式】
【状態:車で鎌石村の学校に移動。どこまでも進み、どこまでも戦う。全身に爪傷(手当て済み)】

ウォプタル
【状態:待機中】

ポテト
【状態:光二個】


その他:宗一たちの乗ってきた車・バイクは裏手の駐車場に、リサたちの乗ってきた車は表に止めてあります。

→B-10

352(パルチさん、行動中)/Theme of WLO:2009/10/08(木) 05:06:40 ID:P99wcgic0
 自由行動、と言われて放り出されたのはいいが、果たして始めに何をするべきなのだろう、
 という疑問はここにいる全員が持つ考えのようだった。

 言葉少なく廊下に立ち尽くす十人からの集団を眺めながら、朝霧麻亜子は廊下の薄暗い天井を見渡していた。
 材質は古そうだが、年代を感じさせない、どこか光沢を残している塗料の色。
 汚れていない蛍光灯、曇りの一片もないガラス窓、埃の少ないサッシを見て思うことは、
 老朽化した部分はほぼないのだろうということだった。

 以前やってきたときには半ば通り過ぎるような形であるがために、
 細かくは目を配っていなかったが、こうして確認してみると簡単に確信が持てた。

 学校という施設は案外何だってできる。人が集団で暮らせる程度には衣食住の要素が揃っているからだ。
 なるほど、ここを拠点に選んだのも頷ける。立て篭もるにも便利だから、万が一誰かが攻撃してきてもあっさり撃退できる。
 守る分には最適な施設というところだろう。

 そこまで考え、いつの間にか殺しあうことを前提とした考えに辿り着いている自分がいることに気付き、
 麻亜子は胸が暗くなる感覚を味わった。こんなことを考えさせないために自由に行動していいと言ってくれたはずなのに。

 学校にいると、無条件に身構えてしまう。
 自分の唯一の居場所でしかなかった昔がそうさせているのだろうか。
 これまで度々感じてきた寂寥感がまたはっきりとした形になって現れるのを感じた麻亜子は、無闇に明るい声を出すことで追い払った。

「せっかくの自由時間なんだしさ、やること済ませて後はぱーっとやっちゃわない? とりあえず、上の教室とかでさ」
「そうだな。種類を分けて選別した方がいいだろう。銃器、刃物、医療品などにな」

 隣にいたルーシー・マリア・ミソラが同調して、話を進めてくれた。
 夜明けまではそれほど時間はない。これだけの人数がいたとしても、一朝一夕に終わる物量ではなかった。
 何をするかはともかく、さっさと終わらせておきたいというのは皆が同じ気持ちだったようで、
 近場にいる人同士で組んで、何を集めるかを決める形となった。

353(パルチさん、行動中)/Theme of WLO:2009/10/08(木) 05:06:57 ID:P99wcgic0
 グループは四つ。一つは麻亜子・ルーシー。一つは古河渚・藤林杏・伊吹風子の同じ学校組。一つは国崎往人・川澄舞の気付いてない同士。
 一つは藤田浩之と姫百合瑠璃のどう見ても以下略同士。そして……一人、いや一体が余った。
 特に何もせず眺めていたがために取り残されたほしのゆめみというロボットである。

「……ゆめみさん、あたし達のところに入る?」
「ロボットさんですか。風子とても興味がありますっ」
「わたしもお話してみたいです」

 言われると、ゆめみは頷いてとことこと入っていった。つまりは声をかけられなかったのではなく、かけなかったのだろう。
 高槻についているときの彼女はいかにも人間らしく、拳を振り上げたのを抑えたときの彼女の視線には、
 自律した意思すら感じられる鮮やかな虹彩にドキリとした感覚を味わったものだが、
 命じられて動く彼女にはロボットである、という感想以外のものを持ち得なかった。

 逆を言えば、高槻にだけは心を開くロボットなのかもしれない。まさかという反論がすぐに浮かび上がったが、
 自分が変質したように、ゆめみというロボットのプログラムにも何らかの変質が起こっているのかもしれなかった。

 とにかく、グループが決まり、次に何を整理するかもトントン拍子で決まる。
 ある程度銃知識(とは言っても俄かの素人程度だが)のある麻亜子が銃器担当。
 一番その手の種類が多そうな刃物、鈍器などの直接攻撃系の武器を渚達が。
 用途不明の品、及び医療品や生理用品などを残りが担当することになった。

 とは言ってもまずデイパックの中身を全部ひっくり返さなければならないことから、結局は全員同じ部屋で作業をすることになるので、
 特に分かれることにもならず、皆で固まって一階上の教室に赴くことになった。

「るーの字よ」
「ん?」

 ひそひそ話の要領で、麻亜子はルーシーに耳打ちする。内容は大体分かっていたのだろう、「アレか?」と言うのに「うむ」と続けた。

354(パルチさん、行動中)/Theme of WLO:2009/10/08(木) 05:07:18 ID:P99wcgic0
「オペレーション・ラブラブハンターズの件でおじゃるが」
「……作戦名が変わってないか」
「細かいことは気にするない」
「まあいい。それで」
「やっぱりね、男女の仲を深めるには裸の付き合いというのがいいと思うのだらよ」
「親父臭い」
「んがっ」

 何が悪い、と全力で反論したくなった麻亜子だったが、ここで顔を真っ赤にしてマジレスしたところで、
 クールビューティーを絵に描いたような外人顔負け、クレオパトラも裸足で逃げ出す……とまではいかなくても、
 そこいらの美人よりは美人なルーシーにはダイヤモンドを握りつぶす努力をするが如く無意味であろうし、
 真っ赤な茹蛸るーるーを想像することはどうしても麻亜子にはできなかった。失恋を経験した彼女には陰がよく似合う。

「で、でも正論でしょ?」
「分からなくもないが……古典に頼るのはな……」

 古典というほど古臭いのだろうか。一応、漫画やアニメにも手は出している麻亜子だが、最近のアニメ漫画事情には疎かったりする。
 理由? 就職活動と学校の成績維持と先生へのおべっかに時間を使ったからに決まっておろうが。
 真面目にやるときゃやるからね、あたしは。……不安だらけで、できるだけ引き伸ばしにかかってたけど。

 とにかく時代の移り変わりは速いのだとしみじみ思いつつ、
 さりとて今さら脳内で三十秒を使って練り上げた計画をひっくり返すわけにもいかず、
 「これでいいのだ」と無理矢理判を押したのだった。

「……場所は? ここは学校だが」
「実はだね、ある場所にはあるのさ。いいかね? 学校は職員が寝泊りできるように、ごく一部にそういう部屋があったりする」
「ほう」
「整理が終わったらさ、そこにあの二人を呼び出すんだよ。あとはごゆっくりぃ〜」
「で、あるのか? その部屋とやらは」
「……さぁ?」
「おい」
「な、なかったらなかったで何とかするよ。例えばプールに突き落とすとか」

355(パルチさん、行動中)/Theme of WLO:2009/10/08(木) 05:07:36 ID:P99wcgic0
 どうやって、という類の目がルーシーから発せられたが、そんなこと知るかと麻亜子は思うしかなかった。
 麻亜子のアイデアは常に行き当たりばったりなのであった。
 こういう癖も治っていないらしいということに思い至り、あははと苦笑いするしかなく、ルーシーも苦笑して首を振った。

 そうこうしているうちに目的の場所に辿り着いた麻亜子は、全員に荷物整理の旨を伝えると部屋の中央にデイパックを積み、
 さっさと中身を漁り始めた。浴場があるかどうか調べるためにも、早いうちに済ませておかなければならなかったからなのだが、
 周囲の面々は麻亜子に意外な真面目さに感心しつつ、それぞれ雑談しつつも整理に取り掛かるのだった。

     *     *     *

 久しぶりに会ってみても元気そうな渚の姿を目にして、杏は良かったという感想を素直に抱いた。
 それどころか以前より明るくなり、俯いていることの多かった渚は今でははっきりと面を上げ、自分から話題を振ってくることもあった。

 過酷な環境を生き延びてきただけではこうはならない。誰かに守られ、自らは殺しに加担していなかったのだとしても同じことだ。
 何かが渚の中で化学変化を起こし、不確かで先の見えない未来でも、恐れずに一歩を踏み出せる切欠を与えたのかもしれなかった。
 同時に杏自身の不甲斐なさ、真実を知ろうと決めてなお最初の一歩を踏み出せずにいることがより鮮明となり、
 あたしは何をやっているんだろうという気持ちが焦りとなって知覚されるのを感じた。

 ここには十人からの人間がいて、妹の死に関わった人だっているかもしれない。いや、いるはずだった。
 声を出して確かめられないのは、きっと怖いからだ。
 楽に逝けたのか。満足に逝けたのか。それとも想像さえ出来ないくらいに恐ろしい死に方をしてしまったのか。
 またそれを知ったときの自分が、本当に納得することができるのだろうか。
 もし知ってしまえば、自分でも制御できない負の情念、敵を追い求める本能とが渾然一体となって、
 安定したこの場を崩してしまうのではないか。いらぬ諍い、いらぬわだかまりを生み出してしまうことにはならないか。
 それらに対する恐怖、また自らへの自信を喪失していたことが、杏の決意を少しずつ鈍らせていた。

「杏ちゃん。これって、武器……でいいんでしょうか」
「え?」

356(パルチさん、行動中)/Theme of WLO:2009/10/08(木) 05:07:52 ID:P99wcgic0
 物思いに耽っていたからか、渚の声を聞き取ることができずに、杏は聞き返してしまっていた。

「えっと、ですから、これ」

 とんとんとフライパンを指差され、杏はようやく何を尋ねていたのかを理解した。

「あ、ああ。もうそれ、武器にしなくてもいいんじゃない? 元々、調理器具なんだし」

 そうですよね、と微笑した渚の言葉尻には、こういうものを武器として使いたくはなかったのだろうという意思が汲み取れた。
 隣の組にフライパンを渡す渚の表情は、共同作業をしているという嬉しさがあるのかてきぱきとしていて、自分とは大違いだった。
 再び、何をしているんだろうという感想が溜息となって吐き出され、以前より逞しくなったように見える渚の横顔をぼんやりと眺めた。

 しっかりしなければいけないのに。

 今は余計なことを考えている場合じゃないと理性が言い聞かせても、それは逃げではないのかと訴える部分もある。
 どちらの言い分も正しいだけに、結局はどちらにも引っ張られ、
 わずかなりとも体の機能を停止させてしまっているのが杏の現状だった。

「……大丈夫ですか?」

 戻ってきた渚が、そんな自分の様子に気付いたのだろう、ぱっちりとした鳶色の瞳を向けていた。
 やさしさの中にも自分の意思を忘れない、渚の性質を如実にしたような目が杏を射竦め、
 隠していても仕方がないかという諦めにも似た感情を生み出させていた。

 確かに怖い。真実を知ってしまうのは時として知らない以上の恐怖と絶望を喚起させることもある。
 柊勝平を、自らの手で殺害してしまったことを自覚したときのように。
 けれども知らずにいるということは、自分に対して嘘をつき続けていることに他ならない。

357(パルチさん、行動中)/Theme of WLO:2009/10/08(木) 05:08:07 ID:P99wcgic0
 嘘を、突き通したくはない。
 杏は周囲を見回し、今の自分の近くにいるひと達の姿を確認した。
 ここには渚も、ゆめみも、今しがた友達になった(というか認定された)風子もいる。
 もしも自分の感情を制御できずに壊れそうになったとしても。
 彼女達が止めてくれる。そうだと信じたかった。

「ずっと、気になってたことがあって」

 ただならぬ気配に気付いたのか、それまでゆめみを質問攻めにしていた風子と、
 それに追従するようにゆめみも耳をそばだてて話を窺っていた。

「あたしの妹……ひょっとしたら、この中に、死ぬのを見届けた人がいるんじゃないかって」

 渚の顔が一瞬硬直し、風子も顔色を変えるのが分かった。あらかじめ内容を知っているゆめみだけ顔色を変えなかった。

「でも、聞くに聞けなくってね。怖くて、言い出せなかった」
「……杏ちゃん」

 戸惑いの色を持った渚に、この子は嘘をついていないんだ、と素直に思うことが出来た。
 きっとこの人達なら見ず知らずのふりをしないだろうという確信が生まれ、それに安心している自分を俗物だと感じる一方、
 恐怖に慄く気持ちも薄れてきている感覚に、これが仲間意識なのだろうと直感した。

 自分は今だって不甲斐ない。こうして誰かに背中を預けなければ問題を解決しようとする意識だって持てない。
 けれども、それは『借り』だ。時間をかけて返すことの出来る『借り』なのだ。
 それを受け入れてくれるだけのものが、目の前にはある。
 ようやく一歩を踏み出せそうだという気持ちが波のように広がり、微笑の形を取って表せることが出来た。

「ごめん、おんぶに抱っこさせるかもしんないけど……もし壊れそうになったら……」
「分かってます。ね、ふぅちゃんも、ゆめみさんも」

358(パルチさん、行動中)/Theme of WLO:2009/10/08(木) 05:08:22 ID:P99wcgic0
 渚の声は小さかった。自分に合わせて小さくしてくれていたのだと気付けた瞬間、
 無条件の感謝が生まれ、また一も二もなく頷いてくれた二人に、
 もう頭が上がらないなという結論に達した杏は、困ったような笑いを浮かべるしかなかった。
 この『借り』を返せるのは、遠い未来になりそうだった。

「……ありがとう。とりあえず、聞く人は絞れたから。後は自分で確かめてみる」

 杏は顔を横に向け、浩之と瑠璃の顔を窺った。
 渚達の一団が知らなかったことを踏まえると、確率的には残りの組が知っている可能性は高い。
 もちろん黙っている可能性もないではなかったが、そのときはそのとき。確かめに行けばいいだけだった。

 そこまで考えたとき、例の二人と目が合った。
 表情が僅かに揺れ動き、何らかの意思疎通を果たしたのだろう、浩之の方が立ち上がる。
 どうやら、自分の憶測は外れてはいなかったらしいと確信した杏は、
 同時にこれから起こりうることに体が強張り、唾が石となってゆくのも知覚していた。
 体に力が入らず、立ち上がったときには殆ど自分に接近していた浩之が、ゆっくりと、酸を飲み下すようにしながら言った。

「……後で、話があります。時間をくれませんか」
「あたしも、そう言おうと思ってたところでした」

 互いに丁寧語であったのは、自分も浩之も、本当の現実に直面することを分かっていたからなのかもしれなかった。
 杏が踵を返し、元の作業に戻ったときには、もう作業工程の殆どが終わろうとしていた。

359(パルチさん、行動中)/Theme of WLO:2009/10/08(木) 05:08:39 ID:P99wcgic0
【時間:3日目午前03時50分ごろ】
【場所:D−6 鎌石小中学校】

『自由行動組』何を、誰とするかは自由。小中学校近辺まで移動可

川澄舞
【所持品:日本刀・投げナイフ(残:2本)・支給品一式】
【状態:往人に付き従って行動。強く生きていたいと考えている。額から出血。両手に多少怪我(治療済み。支障は全くない)、肩に浅い切り傷】
【その他:往人に対して強い親近感を抱いている。剣道着を着ている】
その他:舞の持ち物(支給品に携帯食が十数個追加されています。)

朝霧麻亜子
【所持品1:デザート・イーグル .50AE(1/7)、ボウガン(32/36)、バタフライナイフ、支給品一式】
【所持品2:芳野の支給品一式(パンと水を消費)】
【状態:鎖骨にひびが入っている可能性あり。往人・舞に同行】
【その他:体操服(上下のジャージ)を着ている】

国崎往人
【所持品:フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 4/5 +予備弾薬5発、パン人形、38口径ダブルアクション式拳銃(コルトガバメントカスタム)(残弾4/10) 予備弾薬35発ホローポイント弾11発、スペツナズナイフの柄、支給品一式(少年、皐月のものを統合)】
【状況:強く生きることを決意。人形劇で誰かを笑わせてあげたいと考えている。全身にかすり傷】
【その他:左腕に文字を刻んだ。舞に対して親近感を抱いている(本人に自覚なし)】

古河渚
【持ち物:おにぎりなど食料品(結構減った)、支給品一式×2(秋生と佳乃のもの)、S&W M29 1/6、ロープ(少し太め)、ツールセット、救急箱】
【状態:心機一転。健康】
【目的:人と距離を取らず付き合っていく。最優先目標は宗一を手伝う事】

伊吹風子
【所持品:サバイバルナイフ、三角帽子、青い宝石(光四個)、グロック19(0/15)、イングラムM10(0/30)、イングラムの予備マガジン×1、M79グレネードランチャー、炸裂弾×2、火炎弾×9、Remington M870(残弾数4/4)、予備弾×17、スイッチ(未だ詳細不明)、トンカチ、カッターナイフ、SIG(P232)残弾数(2/7)、仕込み鉄扇、ワルサー P38(0/8)、フライパン】
支給品一式】
【状態:泣かないと決意する。全身に細かい傷】

360(パルチさん、行動中)/Theme of WLO:2009/10/08(木) 05:08:55 ID:P99wcgic0
ルーシー・マリア・ミソラ
【所持品:IMI マイクロUZI 残弾数(20/30)・予備カートリッジ(30発入×4)、支給品一式×2】
【状態:生き残ることを決意。髪飾りに美凪の制服の十字架をつけている】
【目的:とりあえず渚にくっついていく】 

姫百合瑠璃
【所持品:MP5K(18/30、予備マガジン×8)、デイパック、水、食料、レーダー、携帯型レーザー式誘導装置 弾数2、包丁、救急箱、診療所のメモ、支給品一式、缶詰など】
【状態:浩之と絶対に離れない。浩之とずっと生きる。珊瑚の血が服に付着している】
【備考:HDD内にはワームと説明書(txt)、選択して情報を送れるプログラムがある】

藤田浩之
【所持品:珊瑚メモ、包丁、レミントン(M700)装弾数(3/5)・予備弾丸(7/15)、HDD、工具箱】
【所持品2:フライパン、懐中電灯、ロウソク×4、イボつき軍手、折りたたみ傘、鋸、支給品一式】
【状態:絶望、でも進む。瑠璃とずっと生きる】

ほしのゆめみ
【所持品:忍者刀、忍者セット(手裏剣・他)、おたま、S&W 500マグナム(5/5、予備弾2発)、ドラグノフ(0/10)、はんだごて、ほか支給品一式】
【状態:左腕が動くようになった。運動能力向上。パートナーの高槻に従って行動】

藤林杏
【所持品1:ロケット花火たくさん、携帯用ガスコンロ、野菜などの食料や調味料、食料など家から持ってきたさまざまな品々、ほか支給品一式】
【所持品2:日本刀、包丁(浩平のもの)、スコップ、救急箱、ニューナンブM60(5/5)、ニューナンブの予備弾薬2発】
【状態:軽症(ただし激しく運動すると傷口が開く可能性がある)】

→B-10

361手を取り合って/Let Us Cling Together:2009/10/17(土) 03:55:55 ID:5Yr44Sw20
 作業の全てが終わるのに、それほど時間はかからなかった。
 整理整頓された荷物が列を成して教室の隅に並べられており、ご丁寧にも分類わけされている。
 よくもまあここまで道具があるものだと感心するが、汚れていたり傷があったりしているのを見ると、
 ここまで酷使してきた体と同じく道具もそうなのだろう、と国崎往人は思っていた。

 教室の中に人はまばらで、朝霧麻亜子の解散の一声と共に、全員が自由な行動を取り始めた。仕切っていた麻亜子も。
 今ここにいるのは四人。

 古河渚と、彼女と雑談しているほしのゆめみ。
 彼女達は荷物の中にあった食べ物をつまみつつ(麻亜子の号令一つ、決戦までに所定の量を食べておけというお達しが出た)寛いでいる。
 もっともゆめみはロボットであるから、食べているのは渚一人だけで、量も殆ど減っていなかったが。
 いくらか別に分けられているのは、恐らくは那須宗一への差し入れなのだろう。

 今頃は議論が白熱している最中だと思いたかった。
 なぜ自分が呼ばれなかったのかについては、多少の不満はあれど納得するしかない部分が多く、妥当なのだと言い聞かせた。
 まず会議に混じっても有意義な意見を出せないであろうことがひとつ。
 大人として成熟しきっていないことがひとつ。

「ふん、どうせ俺は免許も取れない住所不定の放浪人さ……」
「……?」

 往人の呟きに、隣でおにぎりを頬張っていた川澄舞が視線を移してきた。
 もしゃもしゃと白米を咀嚼しつつ、既にかなりの量を平らげている彼女には、
 余程腹が減っていたのだろうという感想よりも一生懸命の一語が浮かんだ。

 目の前の一つ一つに全力であり、一途で、物怖じしない健気さがあった。
 それは元々舞が持っていた性質なのか、ここに来てから変容を始め、この形に落ち着いたものなのかは分からなかった。
 ただ言えるのは……そんな彼女を、少なくとも自分は好意を以って見ていられるということだった。
 妥協を重ね、一度は目的を見失うまでに落ちぶれていた往人には、純粋で真っ直ぐな舞が羨ましくもあった。

362手を取り合って/Let Us Cling Together:2009/10/17(土) 03:56:16 ID:5Yr44Sw20
 いや、と苦笑して、往人は配給された乾パンをつまんだ。
 好意を抱いていることを自覚して、舞の顔を見続けられないと感じたからだった。要するに、照れていた。
 視線を逸らしたことを不思議そうに首を傾げながらも、舞も往人と同じように乾パンを食べ始めた。

 ぽりぽり。
 ぽりぽり。

 乾パンを噛み砕く音だけが聞こえる。奇妙なことに、他の音は遠くのざわめき程度にしか聞こえなくなっていた。
 心頭滅却すれば火もまた涼し。悟りの境地に入ったのだろうと意味もなく納得して、
 往人はこれからどうしよう、とようやく考えることができた。

 飯を食べた後の予定はない。どうももうしばらく時間はかかるようだし、一眠りするのが利口というものだ。
 事実心身共に疲れ切っていて、満腹になれば横になってしまいそうなほどには意識が浮ついていた。

 ああ、なるほど。悟ったのではなくて眠くなってきたというわけか。

 幸いにしてここにはどこかから持ち込んだらしい毛布がたくさんあるので眠るのには困らない。
 雑魚寝は往人の得意技の一つ。どこでも眠れて体力回復を図れるようにしておくのは、
 往人がこれまでの人生で培ってきた、生きるための方法の一環だった。

 よし決めた。寝よう。

 そう思うと体も頭もその体勢に入るもので、元々ぼーっとしていた意識が更にぼーっとしてきて、
 惰性的に手を伸ばしていた、乾パン入りの皿が空だったのにも気付かず、手を彷徨わせていた。

「……いる?」

 ん、と横を見ると、舞が乾パンを一枚握っていた。ようやく、そこであれが最後の一枚なのだと気付いた往人はうん、と首を縦に振った。
 旅では食べられるときに食べられるだけ詰め込んでおけというのを教訓にしてきた旅芸人の頭が自動的に頷かせたのだった。
 ひょいと受け取り、ぱくりと一口。微妙に湿った感覚があったが、別段気になるものでもなかった。

363手を取り合って/Let Us Cling Together:2009/10/17(土) 03:56:34 ID:5Yr44Sw20
「ごちそうさま」
「……ごちそうさま」

 往人が言うのに合わせて舞も手を合わせた。声が小さく、また頬に赤みが差しているのはどうしてだろうとも思ったが、
 徐々に押し寄せてくる眠気の前にはどうでもいいことか、と思い直し、毛布を持ってこようと腰を上げた瞬間、騒がしい台風がやってきた。

「よーっ、頼もうたのもー!」

 まーりゃんこと朝霧麻亜子だった。この深夜にも関わらずハイテンションなのには一種の感服すら覚える。
 無視して毛布を取りに行こうとしたが、その襟首をぐいと掴まれた。振り向く。麻亜子が満面の笑顔で待っていた。嬉しくなかった。

「放せ」
「やあやあお兄さん。寝るのはまだ早いと思わないかね」

 麻亜子が騒がしいのはいつも通りとばかりに、周囲の面々は構わず喋り続けている。
 舞に救いの視線を投げかけてみたが、何をやっても無駄、という風に目が伏せられた。
 こうなると早く眠りたい往人にとっては逆らっても時間の浪費だという思考が働き、とっとと用件を済ませようという結論に落ち着いた。
 麻亜子のことだからきっとくだらないものなんだろう、と考えながら。

「話だけなら聞いてやる」
「さっすが往人お兄さんはお目が高い! いよっ色男!」
「いいから話せ」
「お風呂入らない?」
「は?」

 予想もしない方向に話が振られ、往人は思わず素っ頓狂な声を上げてしまっていた。
 まーりゃんとか、なんて言葉が浮かびそうにもなり、往人は自分が激しく疲れていることを改めて自覚させられた。
 風呂と聞いて男の欲望が出てくるあたり、きっと限界手前なのだと感じた往人は、ここが学校なのだということも忘れていた。

364手を取り合って/Let Us Cling Together:2009/10/17(土) 03:56:50 ID:5Yr44Sw20
「お風呂があるんですか?」

 往人の代わりに尋ねたのは渚だった。

「そだよ。へへへ、あたしが探して見つけたんだ」

 得意げにない胸を反らす麻亜子。ああ、そういえばここは学校だったという遅すぎる事実を思い出した往人は、
 ならばどうしてまず自分を誘うのか、という疑問に突き当たった。

「お前は入らなかったのか。まだ入ってないようだが」

 麻亜子の肌身の部分(膝とか腕とか)にはまだ土の汚れがついており、風呂に入ったとは考えられなかった。
 嬉しさの余り自分が入ることも忘れ、吹聴しながらここまで来たのだろうとは予測できても、何故自分を誘うのかやはり分からない。

「あたしはまだ仕事があるのさ」
「寝ろよ」
「そうもいかんのだよ。くふふ」

 何を企んでる、と聞こうと思ったが、ひねくれ者の麻亜子が正直に答えるはずもない。
 ならば自分から目標を反らせばいいだけだと断じて、往人は周囲に声をかけた。

「俺は後でいい。他に先に入りたい奴はいないか?」
「わたしは今すぐお風呂が入用でもないですから……」
「わたしはそもそも入る必要がないですね」
「私は……」

 どうすればいい、という類の視線。
 他の二人に速攻で断られてしまった以上もう舞を当てにするしかなく、往人は頼む、と無言のうちに伝えた。

 許せ舞よ。俺の安らかな就寝のために今回は犠牲となってくれ。南無。

365手を取り合って/Let Us Cling Together:2009/10/17(土) 03:57:03 ID:5Yr44Sw20
 麻亜子に付き合うとロクなことはないと半日にも満たない付き合いで理解しきっていた頭は、
 好意を持った女の子よりも自分の保身を優先したのだった。
 無論そんな往人の思惑に気付くはずもなく、分かったと頷いた舞が律儀にも麻亜子に申し出てくれた。

 ありがとう勇者。さようなら勇者。そしてこんにちは俺の就寝タイム。

「……お風呂に入りたい」
「むぅ。そかそか。ならしょうがないね。まいまい女の子だし」

 にひひ、と気味悪く笑う麻亜子は、既に目標を舞へと変えたようだった。
 ちょっぴり罪悪感が芽生えたが、朝を目前にしては国崎往人は本能に忠実だった。

「まぁさ、後で他の皆も入るといいよ。お風呂は心の洗濯だって言いますからねぇ。狭いけどさ」

 他人にも勧めておくのは、彼女なりのちょっとした気配りなのだろう。
 こういう憎めない部分があるのだから、単に騒がしいだけの人間だと思えないのが麻亜子だった。
 なんだかんだで仕切ってくれてもいるし、本能的に人にお節介をはたらくタイプなのかもしれない。
 そこに個人の思惑を働かせ、面倒事に巻き込んでくれる性質さえなければもっと好意を持てるのだが。

 だが今のままでも嫌いではないというのも確かなことだったので、苦笑を浮かべながら往人は見送った。
 台風一過。これでようやく休めると判断して、今度こそ毛布を取りに行こうと荷物の山まで足を向けたとき、次の台風がやってきた。

「国崎はいるか」

 ルーシー・マリア・ミソラだった。
 今日は厄日だ。いや、殺し合いに巻き込まれる以上の厄なんてないのだけれども。
 どうやらどう足掻いても眠れるのはもう少し先のことらしいと諦めて、溜息と一緒に「なんだ」と応じた。
 少しばかり機嫌が悪い風に装いつつ。

366手を取り合って/Let Us Cling Together:2009/10/17(土) 03:57:24 ID:5Yr44Sw20
「悪いが、物を運ぶのを手伝って欲しいんだ。会議の連中から持ってくるように頼まれてな」
「何をだ?」
「さあ、そこまでは……置いてある場所を指定されただけで」

 会議の連中は、どうも秘密主義的なところがあった。
 情報を漏らすとまずいことがあるのだろう。積極的に殺し合いに乗った連中が全滅したとはいえ、
 殺し合いの元である主催者から監視されていないとは言いがたいのだ。
 極力こちらの動きは悟られたくないということなのだろうと納得して、「分かった」と往人は頷いた。

「あの、わたしたちも行きましょうか?」

 会話を聞いていたらしい渚達が申し出たが、「ああ、いい」とルーシーは制した。

「男手一つあれば十分な数らしい。まあダンボール一箱分くらいだろう」
「ですけど……」
「構わない。どうせすぐ済む話だ」

 往人がそう言うと、他に反論のしようもない渚は「分かりました」と言って引き下がる。
 多分これは舞を犠牲にしてしまったツケなのだろうと思う部分もあり、なるべく自分一人でやりたかった。
 疲れてはいるが、まあ何とかなるだろうと考え、往人は教室から出てゆくルーシーの後に続いた。

     *     *     *

「なぁ、さっきまーりゃんが来たんだが」
「それで?」
「あいつも何か頼まれてたのか」
「そんなこと言ったのか」
「いや……知らないならいい」

 そうか、と答えると、ルーシーはさっさと足を進めていく。
 他にやることがある、と言っていたのはひょっとするとこのことなのかもしれなかったが、
 今さら詮索するべきことでもないと考え、往人は黙ってルーシーについてゆく。

367手を取り合って/Let Us Cling Together:2009/10/17(土) 03:57:39 ID:5Yr44Sw20
 しかし、風呂、か。

 あのときはまーりゃんの企みがあるのかと疑って断ったが、よくよく考えてみれば魅力的な話だ。
 往人自身は旅をする立場であり、風呂はその辺の公園で体を洗うか、収入が良かった日に銭湯に入るくらいが精々で、
 毎日のように風呂に入ったことはない。神尾家に居候しているときは流石に毎日入っていた(というより入らされていた)が、
 ここに連れてこられてからというもの、久しく湯船の感覚を味わっていない。
 何より、風呂で体もさっぱり洗い流せばより快適な睡眠が得られることだろう。

 そう思うと無性に風呂に入りたくなってくるのだから、現金なものだった。
 これが終わったら戻って、タオルを取って風呂にでも入るか。その頃には舞も戻っているだろう。
 そんな想像を働かせているうちに、どうやら目的の場所についたらしい。

 ここだ、と言って扉を開けたルーシーに先んじて部屋の中に入る。
 どうやら元々は学校の職員が寝泊りに使う部屋らしく、手狭なアパートよろしく、数畳の居間には簡素な机が中央に置かれ、
 部屋の隅には小さな布団が綺麗に畳まれている。この布団、持って帰ろうか……いやいや。

「で、持っていくものはどこにあるんだ。ここにはそれらしきものは見当たらないが」
「ああ、悪い。この小部屋にある」

 ルーシーが入ってすぐ横にある扉を指した。なるほど、物置か何かだろうか。
 管理を厳重にしておくのは流石に用心深いといったところか。
 扉を開け、中に入る……が、どうも段ボール箱のようなものは見当たらない。それどころかここは物置ではなさそうだった。
 洗面所の近くには小さな脱衣籠があり、その奥にあるもう一つの扉からは明かりが漏れていて、時折水音にも似た音が聞こえる。

 ぽりぽりと頭を掻く。はて、ここには何をしに来たのだったか。そうだ、荷物を取りに来たんだ。
 随分と変な場所に置くんだなと無理矢理頭を納得させつつ、奥にある扉を開ける。
 広がる湯気。鼻腔をくすぐる湿気。そしてどう見ても浴槽に浸かっているひとがひとり。

「……」
「……」
「すみません、間違えました」

368手を取り合って/Let Us Cling Together:2009/10/17(土) 03:57:56 ID:5Yr44Sw20
 ぱたん。

 おかしいな。どうして風呂と思しき場所に人がいるんだ。しかも舞にそっくりだったな。ははっ。

「っておい! ちょっと待てぇっ!」

 我を取り戻した往人が入ってきた扉に張り付く。だがドアノブを捻ってもびくともせず、
 何かつっかえでもされているのか何をしても開かない。
 嵌められた、と理解した頭に血が上り、往人は力の限り扉を叩きながら叫んだ。

「おいルーシー! どういうことだこれは!」
「はっはっは。愚かなり往人ちん」

 くぐもった声は間違いなく麻亜子のものだった。何となく全てを悟った往人はこめかみに血管を浮かせつつ、
 何故自分がこのような状況に置かれなければならないのかということを嘆きながら話しかけた。

「お前の差し金か」
「あちきの罠は隙を生ぜぬ二段構えよ」
「すまん。許せ」

 全然悪びれてもいなさそうなルーシーの声が続き、どうしてグルだと疑わなかったのかと、往人は心底恥じ入る思いだった。
 あんな都合のいいタイミングで二回も呼び出すこと自体がおかしいと気付くべきだったのだ。
 それを自分は、舞を身代わりにした安心感と、真面目一徹だと思い込んでいたルーシーがこのようなことをするとは思わず、
 油断してホイホイついて行ってしまったというわけか。
 そういえば麻亜子とルーシーが何か喋っていたな、と今さらのように思い出して、往人は溜息をつくしかなかった。

369手を取り合って/Let Us Cling Together:2009/10/17(土) 03:58:11 ID:5Yr44Sw20
「まぁそういうわけでまいまいとゆっくりしていってね! 二人で一緒に心の洗濯ってね!」
「ああ。ここは私達が見張っておくから安心していいぞ。任せておけ」

 嬉しくない気遣いだった。
 物置もとい浴室は完全な密室であり、どう考えても脱出できそうにない。
 ここで待つという手もあった。だがじっと待って舞が上がってくるのを見計らって出て行ったところで、
 風呂に入ってないことを素早く嗅ぎ分けるであろう麻亜子は無理矢理にでも自分達を風呂に入らせようとするに違いない。

 お節介にも程がある。確かに舞とは一緒にいる機会も多かったし、麻亜子も大体のことは知っているということは承知だったが……
 一体何だってんだよ、と往人は心中に吐き捨てる。
 ここで二人きりになって、一体何を話せというのか。話すようなことなんて何も……

「何も……なんだ?」

 いつの間にか自分が舞の全てを知っているかのような考えに至っていることに気付き、どうしてという言葉を浮かび上がらせる。
 確かに一緒にいたし、好意を持っているという自覚もある。しかし自分が、舞の何を知っているというのか。
 生まれ、生い立ち、何をしてきたのか……何が好きなのか、何が嫌いなのかも分からない。
 考えてみれば全然、彼女のことは何も知らない事実を突きつけられ、往人は愕然とする思いを味わった。

 ひょっとすると、無意識に全てを分かっていると思い込んで、かえって距離を離してしまっていたのではないのか。
 舞はそれを麻亜子に相談していて、その解決のために一計を案じた。
 考えすぎだろうと否定する部分はあっても、自分が舞のことを分かった風なつもりでいることは事実だった。
 くそっ、と頭を掻く。どうにもこうにも分からないことだらけだった。

 こうして国崎往人という人間は他人を傷つけてきたのかもしれない。
 金と生活のことだけを考え、人との交わりを疎かにしてきた結果なのだろう。
 人の意思も汲めず、理解もしようとしない人間が誰かを笑わせられるものか。

 往人は、人を笑わせたいと思ってる?

370手を取り合って/Let Us Cling Together:2009/10/17(土) 03:58:32 ID:5Yr44Sw20
 母の言葉が思い出され、単に自分はそうしなければいけないという使命感に囚われていたのではないかと思い至り、
 失笑交じりに自分の不甲斐なさを改めて認識していた。
 どうも根本から、国崎往人という人間は駄目であるらしい。
 まずはそこを変えなければいけなかった。
 諦め半分反省半分の気持ちを交えながら、往人は風呂場に通じる扉をノックした。

「あー……その、舞」
「……なに?」

 いつもの口調で返されるのが微妙に息苦しい。ふと足元の脱衣籠を覗いてみると、舞が着ていた胴衣が折り畳まれて入っていた。
 一瞬見えた舞の裸体が思い出され、俺は何をしようとしているんだという呆れが生まれたが、
 こうなってしまえば勢いに任せるしかなかった。ほんの僅かに興奮し始めているのには気付かないふりをしながら。

「生きてここから出られたら、どうするつもりなんだ?」

 そつのなさ過ぎる話題だと思ったが、コミュニケーション能力の欠如している往人にはこれが精一杯だった。
 沈黙が重苦しい。そもそも、こんな話題は風呂越しにする会話でもなかった。
 ひょっとすると自分は変態一歩手前の領域まで来ているのかもしれないという不安が、往人の頭を重くさせた。
 まずここにいる理由から説明すべきではなかったかという後悔が鎌をもたげ始めたころ、何かを決心したような声が聞こえてきた。

「入って」
「は?」

 その返事が怒らせることになるかもしれないと思ったが、往人はそう言わずにはいられなかった。
 つまり、普通に解釈すれば彼女は混浴しようと言っているわけで。
 男と女。密室でふたりきり。

371手を取り合って/Let Us Cling Together:2009/10/17(土) 03:58:48 ID:5Yr44Sw20
 往人とて男であることには間違いなく、その手の知識も人並みにはあった。
 数年前、道端で拾った、薄汚れた雑誌を開いたときの何とも言えない、未知との遭遇の感覚を思い出す。
 それからしばらく、一生懸命金を稼いだ。本屋に入って、雑誌コーナーのとあるジャンルを目指した。
 あのときの緊張感は警察に追いかけられるときのものと同等だったことは心に強く刻み付けられている。
 その本はボロボロになって、風雨で読めなくなるまで往人の夜の相棒だった。プレイルームは便所の個室。
 しみじみとした思い出にトリップしかけた往人の意識を引き戻したのは、先程よりか細くなった舞の声だった。

「その、扉越しだと、よく聞こえない、から」

 くぐもっていても恥ずかしさの余り声が詰まっているのは明らかだった。
 初心すぎる反応に、却って往人の煩悩は霧散した。
 女にここまでさせておいて自分が安全圏に引っ込んでいるとは何事か。
 自らを叱咤激励し、大きく息を吸い込み心頭滅却して、往人は服を脱いだ。
 全部脱いだその瞬間、マジでやっちゃうの? と冷えた部分が囁いたが、やる。と言い返して勢い良く風呂へと侵入した。

「……よう」

 まずは普段通りに挨拶。いつもの声が出せていることに、往人は少し安心する。
 浴槽に体育座りの形で鎮座していた舞の頭が動き、ちゃぷ、と音を立てた。

 顔色が熟れた林檎のようになっているのは、きっとお湯のせいだけではないのだろう。
 硬く石のようになった舞を横目にしながら、それでも思うことは色白でふくよかな体つきをした舞が綺麗だという感想だった。
 水に濡れ、髪を下ろした彼女の姿は神秘的であり、普段の凛々しさを含んだ気高さとはまた違う艶のようなものがあった。
 自分は意外と面食いなのかもしれないと思いながら、往人はシャワーで体を流す。

「生きて、出られたら……」

 会話を再開したのは舞からだった。

「学校を卒業して、その後は……分からない」
「そうか。俺も同じだ」

372手を取り合って/Let Us Cling Together:2009/10/17(土) 03:59:02 ID:5Yr44Sw20
 翼を持つ少女を自分の代で諦めてしまった以上、当面の目的などなかった。
 人を笑わせる。そう決めてはいても、それは人生の目的ではなかったし、
 生活していくに当たってはまるで関係のないことだったからだ。

「元々定住してるような身分でもなかったしな。いつだって行き当たりばったりだったさ。
 それに今となっちゃ、旅をする目的なんて失ったようなもんだ。どうしようかって、本気で考えてる。何かいい案はないか?」
「……働く」
「厳しいな」

 往人は苦笑した。住所不定の男を雇ってくれるところなどある方が珍しい。
 生きて帰ったとして、辛い生活が続くのには変わりがないのかもしれないと自覚したが故の苦笑だった。

「でも、そういうことを考えてる往人は凄いと思う。私は今までも、今でも、待ってることしか出来なかったから」
「待ってる……か。何を?」
「実は、自分でも分からない」

 舞の声がひとつ落ちて、沈むのが分かった。何かを待っているらしい彼女。
 ただ正体が分からず、あやふやなまま現在を過ごし、自分が何をしようとしているのか、何をしたいのかも分からない。
 きっと辛いことから逃げている。逃げたまま、解決しようともしないのが今の自分なのだと舞は語った。
 正体不明のものを待ち続ける感覚。翼の少女というあるかも分からないものを追い続けてきた往人にも、その感覚は理解できた。

「俺は、逃げてもいいんじゃないかって思う」

 どうして? という気配が伝わる。
 逃げることを許容した往人が信じられないようでもあり、また逃げることそのものを悪だと断じる意思が感じられ、
 それも間違いではないと往人は思ったが、人の一生から見れば半分も生きていない自分に真に正しいことが言える自信はなかった。
 往人が示せるのは正しさではなく、選択から生まれる可能性だけだった。

「逃げるってことは、一つの区切りなんじゃないかって考えてるからだ」

373手を取り合って/Let Us Cling Together:2009/10/17(土) 03:59:17 ID:5Yr44Sw20
 旅をやめ、新しい目的を探して生きるようになった自分がそうであるように、逃げたからといって全てが終わるわけではない。
 ただ逃げるからには相応の代償が必要であるし、やってきたことも無意味だったと認めなければならない。
 けれども往人だって悪戯に逃げることを選択したわけではないし、今こうしていることにも新しい意義を感じている。
 だから良かった。本気で良かったのだと、往人は素直に思えていた。

「待たなくてもいいんじゃないか」
「……」

 舞の目が伏せられ、私には無理だという無言の思いが伝えられた。
 しかし諦めるように閉じられた目は拒絶ではなく、押し殺した怯えから来ているのだと分かる。
 往人は最後にシャワーを頭から被ると、スッと立ち上がり、湯船の中の舞に聞いた。

「少し開けてくれないか?」

 浴槽の中央にいた舞がもぞもぞと動き、端の方に寄る。
 往人は動いたのを見計らって、背中合わせになるようにして浴槽へと入った。
 狭かったがために往人一人が完全に入れるだけのスペースはなく、舞の背中に体を押し付ける形になる。
 想像以上の柔らかさ、女性特有の質感にドキリとしながらも、逆に人間らしさも感じて安心させられる思いだった。
 無表情の中に全てを押し込んで、強く在った彼女の偶像が潰れ、自分と同じ種類の人間なのだと納得させられるなにかがあった。

「まあ俺のようなろくでなしの意見だ。聞き流してくれてもいい」
「そんなこと……」
「ただな、もし逃げたいと言うのなら、一つ特典がつくぞ。……俺も、一緒に逃げてやる」

 背中越しに絶句する気配があった。素直に「ずっと一緒にいたい」と言えないあたり情けないと思わないではなかったが、
 口に出して言い切れただけマシだというものだった。だから自分は、舞を必要としているのかもしれなかった。

「ちなみに、期限は無期限だ」

 固まっていた体が揺れるのが分かった。押し殺した笑いが聞こえ、往人の口元も自然と緩んだ。

374手を取り合って/Let Us Cling Together:2009/10/17(土) 03:59:30 ID:5Yr44Sw20
「笑うなよ。割と真剣なんだぞ」

 伝わる振動が大きくなった。また同時に、背中から聞こえる心臓の鼓動が早まったような気がしていた。
 往人はようやく、初めて笑わせることができたと確信していた。人形を使って、ではないのが悔しくもあったが、
 ろくでなしの自分にはこれくらいが丁度いいと解釈して取り敢えずは満足することにする。
 互いに笑いが収まる頃には、堅さもなくなり、可能な限り体を密着させるようになっていた。
 それぞれを必要としていることを自覚し、この先を共にする意識が出来上がっているのかもしれなかった。

「そろそろ、私は上がる」

 振り向くと、はにかんだ舞の顔があった。

「渚たちと約束してるから」
「ああ。俺はしばらくここにいる。……風呂はいいもんだな」
「浸かりすぎてのぼせないように」
「分かってるさ」
「それと」
「ん?」
「……後ろ、向いてて」

 躊躇いがちな舞の言葉を理解したのは、数秒経ってからのことだった。「あ、ああ」と頷いて壁際の方を向く。
 その間に舞は湯船から上がる気配があったが、ちらりと、横目で見てしまう。
 しなやかで贅肉のひとつもない、絶妙なバランスの取れた均整な肢体だった。
 やはり男の性はそう簡単に抑えられないものらしいと苦笑して、往人は湯気の立ち昇る天井を見つめていた。

375手を取り合って/Let Us Cling Together:2009/10/17(土) 03:59:53 ID:5Yr44Sw20
【時間:3日目午前04時30分ごろ】
【場所:D−6 鎌石小中学校】

『自由行動組』何を、誰とするかは自由。小中学校近辺まで移動可

【刀剣類:日本刀×3、投げナイフ(残:4本)、バタフライナイフ、サバイバルナイフ×2、カッターナイフ、仕込み鉄扇、包丁×3、忍者刀、忍者セット(手裏剣・他)、鉈×2、暗殺用十徳ナイフ、ベアークロー】

【銃器類:デザート・イーグル .50AE(1/7)、フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 5/5 +予備弾薬4発、
     コルトガバメントカスタム(残弾10/10)、S&W M29 5/6、グロック19(10/15)、SIG(P232)残弾数(2/7)、
     S&W 500マグナム(5/5)、ニューナンブM60(5/5)、S&W M1076 残弾数(6/6)、デザートイーグル(.44マグナム版・残弾8/8)、
     S&W、M10(4インチモデル)5/6、コルトガバメント(装弾数:7/7)、コルト・パイソン(6/6)、ワルサーP5(2/8)、
     二連式デリンジャー(残弾1発)、ベレッタM92(15/15)】
【サブマシンガン・ライフルなど:イングラムM10(30/30)、IMI マイクロUZI 残弾数(30/30)×2、MP5K(18/30)、
     レミントン(M700)装弾数(5/5)、H&K SMGⅡ(30/30)、89式小銃(銃剣付き・残弾22/22)、
     P−90(50/50)、M4カービン(残弾15/30)】
【ショットガン:Remington M870(残弾数4/4)、SPAS12ショットガン8/8発、ベネリM3(7/7)】
【爆発物系:M79グレネードランチャー、携帯型レーザー式誘導装置(弾数2)】
【弾切れの銃:ワルサー P38(0/8)、ドラグノフ(0/10)、H&K PSG−1(残り0発。6倍スコープ付き)、
     FN Five-SeveN(残弾数0/20)、コルト・ディテクティブスペシャル(0/6)、トカレフ(TT30)銃弾数(0/8)】

【弾薬:38口径弾31発+ホローポイント弾11発、炸裂弾×2、火炎弾×9、12ケージショットシェル弾×10、
    9mm弾サブマシンガンカートリッジ(30発入り)×14、.500マグナム弾×2、7.62mmライフル弾(レミントンM700)×5、
    10mm弾(M1076専用)×9、5.56mmライフル弾マガジン(30発入り)×6、マグナムの弾(コルトパイソン)×13、
    】

【その他間接武器:ボウガン(32/36)、電動釘打ち機12/12、五寸釘(10本)、吹き矢セット(青×4:麻酔薬、黄×3:効能不明)】

【その他近接武器:トンカチ、スコップ、鉄芯入りウッドトンファー、フライパン×2、おたま、折りたたみ傘、鋸】

【防具:防弾チョッキ、分厚い小説、防弾アーマー】

【医療器具等:救急箱×4、包帯、消毒液、何種類かの薬、治療用の道具一式(保健室でいくらか補給)、風邪薬、胃腸薬】

【工具等:ロープ(少し太め)、ツールセット、工具箱、はんだごて】

【食料など:支給品のパンと水たくさん、おにぎり、缶詰、携帯用ガスコンロ、野菜などの食料や調味料、携帯食、
      カップめんいくつか、セイカクハンテンダケ(×1個&4分の3個)、乾パン、カロリーメイト数個】

【その他:三角帽子、青い宝石(光四個)、スイッチ(未だ詳細不明)、レーダー、懐中電灯×2、ロウソク×4、イボつき軍手、
     ロケット花火たくさん、ただの双眼鏡、何かの充電機、100円ライター×2、スイッチ(0/6)】

【会議室にあるもの:診療所のメモ、珊瑚メモ、HDD(HDD内にはワームと説明書(txt)、選択して情報を送れるプログラムがある)、
    ノートパソコン×3、腕時計、ことみのメモ付き地図、ポリタンクの中に入った灯油、要塞開錠用IDカード、武器庫用鍵、
    要塞見取り図、フラッシュメモリ、カメラ付き携帯電話(バッテリー9割、全施設の番号登録済み)、
    参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、フラッシュメモリ(パスワード解除)】

376手を取り合って/Let Us Cling Together:2009/10/17(土) 04:00:12 ID:5Yr44Sw20
川澄舞
【状態:往人に付き従って行動。強く生きていたいと考えている。両手に多少怪我(治療済み。支障は全くない)】
【その他:往人に対して強い親近感を抱いている。剣道着を着ている】

朝霧麻亜子
【状態:鎖骨にひびが入っている可能性あり。計画通り】
【その他:体操服(上下のジャージ)を着ている】

国崎往人
【所持品:スペツナズナイフの柄】
【状況:強く生きることを決意。人形劇で舞を笑わせてあげたいと考えている】
【その他:左腕に文字を刻んだ。舞に対して親近感を抱いている】

古河渚
【状態:健康】
【目的:人と距離を取らず付き合っていく。最優先目標は宗一を手伝う事】

ルーシー・マリア・ミソラ
【状態:生き残ることを決意。髪飾りに美凪の制服の十字架をつけている】
【目的:とりあえず渚にくっついていく】 

ほしのゆめみ
【状態:左腕が動くようになった。運動能力向上。パートナーの高槻に従って行動】

→B-10

377終演憧憬(1):2009/10/19(月) 12:13:14 ID:EcYFC0rI0
 
それは、塔と呼ぶより他になく、しかし塔と呼ぶにはひどく躊躇いを覚える、そんな代物である。
俯瞰すればそれは空と大地とを繋ぐ、黒く捻れた蜘蛛の糸とでも感じられただろう。
煉瓦造りのようにも、鉄板が張り巡らされているようにも見える外観には窓一つない。
一様に黒く、奇妙に捻じくれながら空へと伸びるそれは明らかな人工の建造物であった。
見上げてもその頂が目に入らないほどに高い、雲を越えて遥か蒼穹の彼方へと続く
その常軌を逸した全高に比して、ほぼ真円形の横幅はしかし、あまりにか細い。
ものの一分もかからずに周囲をぐるりと回ってこられるほどの構造が、如何なる技術をもって
恐るべき荷重を支えているものか。
決して自然のものではあり得ず、さりとて人がそれを造り得るのか。
思考に答えは返らず、故にそれを見る者は押し並べてそれを塔と呼ぶことに躊躇する。
だが彼らの目に映るその漆黒の構造物の、ただ一つ外壁とは異なる部分が、それを人工物であり、
また塔と呼称されるべき何かであることを誇示していた。
扉である。やはり見上げるほどに大きな、両開きの扉。
重々しくも冷たい金属の質感に隙間なく彫り込まれた精緻な紋様は幾何学的で、
全体にどこか儀式めいている。
ノッカーはなく呼び鈴もなく、しかしぴったりと閉め切られた大扉を前に、ふん、と。
小さく鼻を鳴らす者がいた。

「呼ばれて来たってのに、いい態度じゃない」

天沢郁未である。
ところどころが焼け焦げた襤褸雑巾のようなブレザーの成れの果てを申し訳程度に纏い、
全身を返り血と自身の血の乾いた赤褐色に染め上げて、表情を動かすたびにぽろぽろと
その欠片を落としながら手にした薙刀を弄んでいる。

378終演憧憬(1):2009/10/19(月) 12:13:33 ID:EcYFC0rI0
「で、どうしようか。ぶっ壊す?」
「待て待て待てっ」
「……?」

背後からの慌てたような声に振り返った郁未が眉根を寄せる。
立っていたのは背の高い、鋭く眼を光らせた男である。
一歩前に出た男が、郁未に食って掛かった。

「いきなり無茶なことを言うなっ」
「何が無茶よ」
「初手から『ぶっ壊す』が無茶以外の何だというんだ!」
「うーん……、日常?」
「……」
「……」
「……とにかく、だ」

深い溜息をついた男が、呆れたように首を振って言う。

「相手は突然湧いて出た、山より高い代物だ。こんなわけの分からんものにはもっと慎重になれ」
「……つーか、さっきから思ってたんだけどさ」

男の言葉を聞いてか聞かずか、郁未が手にした薙刀の柄をくるくると回しながら口を開く。

「そもそも、あんた誰」

ぐるりと見渡した、郁未の視線の先には男の他にも幾つかの人影がある。
名を知る者も、知らぬ者もあったが、しかしそのすべてが、郁未にとって見知った顔であった。
男の顔だけに見覚えがない。
その身に着けた飾り気のないシャツにも皺こそ寄っていたが、郁未たちのように
激戦を物語るような痕跡は見当たらない。
この島で終戦まで生き延びながら長瀬源五郎との戦いには加わらず、しかし帰還便の船着場ではなく
何処へ続くとも知れぬこの塔の前に立っている。
目付きの悪さも相まって、胡散臭いことこの上ない男であった。

379終演憧憬(1):2009/10/19(月) 12:14:02 ID:EcYFC0rI0
「俺か? 俺は……」
「―――その薄汚い男性の言う通りです、郁未さん」
「薄汚い!?」

名乗りを遮るように、声が上がった。
声の主をちらりと横目で見て、郁未が口を尖らせる。

「えー……だってさ、葉子さん」
「だって、じゃありません」
「薄汚いって!?」

たしなめるような口調は鹿沼葉子。
郁未と同じく全身を乾いた血に染め、長く細い金髪も見る影もなく傷めていたが、
表情には常日頃の静謐が戻っている。

「けど、開かないんだもん、このドア」
「だからといって壊そうかはないでしょう。そもそも郁未さんは……」
「まあ、お説教は後回しにして」
「おい、薄汚いって何だ!?」

男の悲鳴じみた抗議は揃って無視。
脱線しかけた葉子の肩を掴んで、扉の前へと向ける郁未。

「はい、バトンタッチ」
「まったく……」

話の腰を折られ、僅かに渋面を作った葉子が背丈の倍はあろうかという鉄扉に歩み寄る。
重々しく鎮座する扉を前に、葉子が振り返った。

「いつものように、郁未さんの開け方が悪かったのでしょう」
「いつもって何よ」
「いつもはいつもですよ、郁未さんは何事も大雑把ですから」

肩をすくめてみせる葉子。
汚れ破れた布地の隙間から時折白い肌を覗かせるその姿がひどく艶かしい。

380終演憧憬(1):2009/10/19(月) 12:14:44 ID:EcYFC0rI0
「いちいち棘があるよね……まあいいや、ならやってみせてよ」
「言われずとも」

呟いて扉へと向き直った葉子が、己の胸の高さ辺り、漆黒の扉に据え付けられた、
一見して紋様のひとつとも見紛いそうな円形の引き手を、掴む。
掴んで、固まった。

「……」
「……」

その背が、腕が、微かに動いている。
押し、引き、捻り。
色々と試行錯誤しているように、郁未には見えた。

「……」
「……」

暫くの間を置いて、郁未が何度目かの欠伸を漏らそうとしたとき、葉子が唐突に振り返った。
郁未と視線を合わせ、ひとつ頷いて、おもむろに口を開く。

「破壊しましょうか」
「お前もかっ!」
「よーし、んじゃ葉子さん、ちょっとそこどいて」

葉子の言葉を受けて、郁未が手の中で弄んでいた薙刀を宙へと放り投げてぐるりと腕を回す。
落ちてきた薙刀をぱしりと受け止め、構えは大上段。
横に一歩移動した葉子に口の端を上げて見せると、すう、と息を吸い込んだ。
日輪を映してギラリと輝いた刃が微かに震えた、そこへ大音声が響く。

「―――人の話を聞けっ!」
「……?」
「不思議そうな顔をするなっ」

完全に無視されていた男が、郁未の切っ先を塞ぐように両手を広げながら前に出る。

「邪魔なんだけど」
「邪魔してるんだっ」

そう郁未へ言い放った男が、横目でぎろりと睨んだのは葉子だった。

「お前の慎重論はどこへ行った!」
「……」
「不思議そうな顔をするなっ」

言われた葉子は郁未と目配せをひとつ。
溜息をつくと、大儀そうに口を開いた。

381終演憧憬(1):2009/10/19(月) 12:15:12 ID:EcYFC0rI0
「開かないのなら、開けるまでです」
「……」
「……まだ何か」
「もういい……ってこら、薙刀を振りかぶるなっ」
「だって、もういいんでしょ」
「いいわけあるかっ! お前らも見てないでこいつを止めろ!」

男の呼びかけた方に振り向いた、郁未の視界に映る影は二つ。
その全身を獣のものともつかぬ奇怪な白銀の体毛に包み、手には抜き身の一刀を提げた少女、川澄舞。
もう一人もまた、少なくともその外見においては少女である。
笑みとも嘲りともつかぬ、どこか掴みどころのない表情を浮かべたその名を水瀬名雪といった。
どちらもが、見知った顔である。
といっても直接に交わした言葉などほんの二、三に過ぎない。
つい先刻終結した、神塚山頂での長瀬源五郎との決戦において一時限りの共闘に及んだという、
それだけの間柄だった。

「……」
「……」
「無視されてるし」
「うるさいっ」

男の声にも、舞と名雪は指先一つ動かさない。
ただ思い思いの方を見つめたまま、何事かを思案しているようだった。

「お前らは少し協調性という言葉を理解しろ……」
「で、もういい?」
「だから得物を振りかぶるな! いいからそれを下ろせ!」

大袈裟な身振りで郁未に向けて腕を振ってみせた男が、険しい顔で振り返ると塔の方へと向き直る。
そのまま一歩、二歩、扉の前へと歩み寄ると、漆黒の鉄扉を見上げた。

「そもそも本当に開かないのか?」
「ずっと見てたでしょ」
「女の細腕で試しただけだろう」

小さく鼻を鳴らすと、男は見るからに重そうな円形の引き手を掴む。
僅かな間を置いて、思い切り引いた。

「細腕って、少なくともあんたよりは……って、……え?」



******

382終演憧憬(1):2009/10/19(月) 12:15:32 ID:EcYFC0rI0
******






ぎぃ、と。
錆び付いた音を立てて、扉が開く。

その奥には漆黒の闇だけが拡がっている。




******

383終演憧憬(1):2009/10/19(月) 12:16:03 ID:EcYFC0rI0
******

 
 
「……俺よりは、何だって?」

振り向いた、男の得意げな視線を郁未は見ていない。
その瞳は男の背後、漆黒の外壁と鉄扉との間に顔を覗かせた、細く深い闇へと吸い寄せられている。

「嘘っ!?」
「嘘も何もあるか。ごく普通に開いたぞ」

思わず目線を送れば、葉子もまた僅かに目を見開いている。
と、郁未の視線に気付いた葉子が、無言のままに頷く。
確かに先刻は開かなかったのだと、その瞳は語っていた。

「……」

原因は分からない。
何かの仕掛けがあるのか、男が見かけによらず並外れた膂力の持ち主だったのか。
それとも、ただの偶然か。

「……そりゃ、ないよねえ」

呟いた郁未が口の端を上げてみせる。
眼前に開いた闇からは今にも何かが零れ落ちてきそうだった。
どろどろとした、冷たくて粘つく薄気味の悪い何か。
この塔の中にはきっと、そういう何かが詰まっている。
その扉が、偶然などで開くものか。

384終演憧憬(1):2009/10/19(月) 12:16:24 ID:EcYFC0rI0
「面白いじゃない。……行こ、葉子さん」
「お、おい……!」

考えるのは、相方の役割だ。
そして自分の役割は、前に進むこと。
二人はそうしてできている。

「はい」

短い返事を確認。
手の薙刀をくるりと回すと、郁未は細く隙間を覗かせる扉を一気に引き開ける。
目に映るのは闇の一色。
恐れることもなく、踏み出した。

「―――」

背後から響く足音はひとつ。
耳に馴染んだ鹿沼葉子の歩調。
その向こうからは、場にそぐわぬ呑気な会話が聞こえてくる。

「そういえばお前、あの、アレ……どうした?」
「渡した」
「……」
「……」

僅かな沈黙。
会話が微かに遠くなる。

「……って、誰に渡したんだ」
「佐祐理」
「誰だそりゃ……」
「……」

再び、沈黙。
目に映る闇に融けるように、声が段々と聞こえづらくなっていく。

「お前、友達いないだろ……」
「いる。佐祐理」

三度の沈黙の後に聞こえたのは、深い溜息である。

「はあ……もう、いい……」


それを最後に、音が消えた。



******

385終演憧憬(1):2009/10/19(月) 12:17:02 ID:EcYFC0rI0
******



声が響く。
高く澄んだ、変声期を迎える前の少年の声だ。

「……開くわけがない、はずなんだけどね」

応えるように、もうひとつの声が響く。
まだ幼い、童女の声だった。

「けど、あいてるよ」

星のない月夜の下。
声だけが、天を仰ぐ白い花を揺らしている。

「はあ……汐、もしまた生まれたらお母さんに戸締りはきちんとするように言っておいて」
「なんで」

汐、と呼ばれた幼い声が尋ねるのに、少年の声が呆れたように響く。

「何でって、君のお母さんが作った入り口じゃないか」
「そうだっけ」
「そうだよ。中途半端なことしてさ、忘れてちゃ世話ないよ」
「ごめん、ごめん」

悪びれない謝罪。
小さく溜息を漏らした少年の声が、ふと何かに気付いたようにトーンを落とす。

「ん、いや待てよ……」
「……?」
「この場合は戸締りよりも……むしろ身持ちを固く、かな?」
「みもち……?」
「男に限ってあっさり開くんだから、困ったものさ」
「ねえ、何のはなし……?」

幼い声に、少年の声が笑みを含んで響く。

「だって、あれは臍の緒だろう。すっかり干からびてしまっているみたいだけれど」
「へそのお……?」
「うん、ならやっぱり、その先に口を開けているのは……」

そこまでを語って、少年の声が不意に途切れた。

「まあ、いいや。子供に聞かせる話じゃあない」
「……?」
「いいんだってば」

どこか照れたような少年の声が、こほん、と咳払いを一つ。

「ふうん。へんなの」

つまらなそうに呟いた幼い声が、やはりつまらなそうに続ける。

「でも、かんけいないでしょ。どうせ―――」
「まあ、そうだけどね」

少年の声が、幼い声の言葉を引き取る。

「―――どうせここまで、道は続いていないんだから」

風のない花畑に響いた、その声に。
一面に咲いた白い花が、ざわ、と揺れた。



******

386終演憧憬(1):2009/10/19(月) 12:17:39 ID:EcYFC0rI0
******





闇を抜けると、そこは海だった。

広い、広い海には、

波間に浮かぶ小さな島々のように、

白い羊が、浮かんでいる。



.

387終演憧憬(1):2009/10/19(月) 12:18:45 ID:EcYFC0rI0

【時間:2日目 3時過ぎ】
【場所:I−10 須弥山入口】

国崎往人
 【所持品:人形、ラーメンセット(レトルト)】
 【状態:法力喪失】

川澄舞
 【所持品:村雨】
 【状態:健康、白髪、ムティカパ、エルクゥ】

水瀬名雪
 【所持品:くろいあくま】
 【状態:過去優勝者】



【時間:すでに終わっている】
【場所:世界の終わりの花畑】

岡崎汐
【状態:――】

少年
【状態:――】



【時間:すでに終わっている】
【場所:???】

天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:重傷・不可視の力】

鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:健康・光学戰試挑躰・不可視の力】

→692 1068 1071 1080 ルートD-5

388断ち切る:2009/10/21(水) 23:17:39 ID:9uSh9wRc0
 人殺しの目、とはどのようなものなのだろうか。
 姫百合瑠璃は、平静さを装いながらも笑い出してしまいそうになる体を抑えるのに必死だった。

 言ってしまえば流されるがままで、なにひとつとして明確な意思も持てずここまで来てしまった自分。
 拠り所を他者に求めるばかりで、自らのためにやれることはやれてもそれを別の方向に向けることもできない自分。
 抱える弱さが渾然一体となって押し寄せてきているからこそ、これほどまでに怯えているのかもしれなかった。

「……もう、分かってるかもしれませんけど」

 滅多に使わない丁寧語そのものが逃げの象徴のように思えて、瑠璃は息を詰まらせた。
 そんなことは許されないのにと分かっていても、誤魔化すことに慣れきってしまった体が反射的にさせたのかもしれなかった。
 目の前にいる、身じろぎもせずに胸の前で腕を抱えている藤林杏は何も言わない。
 眠っているのではないかとさえ思えるくらいに、彼女は整然としていた。

 そんな杏の姿を眺め、何を待っているのだろうと自問した瑠璃はいつもの自分になりかけていることに苛立った。
 冗談じゃない。ここまで来て怖気づいて、何がツケを支払う、だ。
 黙りこむのは簡単だが、そうして失ったものは絶対に取り戻せない。
 取り戻せるのだとしても、その時はいつだって自分が後悔する時だ。

 だから今ここにいるのではないか、と瑠璃は半ば呆れる思いで己を叱咤した。
 情けないという思いが込み上げてきたが、そんなことに拘れるほど人間ができていないのが姫百合瑠璃だった。

「あなたの妹の……椋さんは、ウチが殺しました」

 倒すでも、戦ったでもない。確かに殺意を持って椋に、名前も知らなかった少女にミサイルを撃ち込んだのだ。
 ぴくりと杏の指が動き、手が飛んでくるのではないかと予感したが結局何もされることはなかった。
 けれども「なんで、殺したの」と続けられた杏のひどく冷静な声が瑠璃の胸を締め付けた。

「椋さんが殺し合いに乗ってた正確な理由は、分かりません。でも、多分、杏さんのために殺してたのは……確かです」

389断ち切る:2009/10/21(水) 23:17:57 ID:9uSh9wRc0
 偽りの笑顔、偽りの優しさを向けられ会話していたときでさえ、椋が話題に挙げた姉のことに関しては心底事実だと思えた。
 格好良くて、面倒見のいい、自慢の姉。どこで歪んでしまったのかは分からなかったが、
 少なくとも姉に対する思いだけは死ぬ直前まで変わらなかったと確信させるだけのものが椋にはあったと思っていた。

「殺したの? 椋は、誰かを」
「……ウチの、姉を。それに友達を、仲間を、たくさん」

 珊瑚の姿を思い出した瞬間、やり直しだと告げた姿がフラッシュバックして瑠璃は目尻に涙を浮かべそうになった。
 服に滲む黒ずんだ血の色の中に何も出来なかった自分の姿が映った気がした。
 いけないという意思の力でどうにか抑えたものの、声を詰まらせたことは杏に伝わってしまったらしかった。
 杏はすぐには何も言わず、顔を俯けていた。瑠璃も耐え切れず、床に視線を落とした。
 互いが互いの家族を奪い合った現実の重さ。負債と言うには重過ぎる、過酷な事実が声をなくさせたのだった。

「ごめん、なさい」

 出し抜けに紡がれた声に、瑠璃は呆然として視線を杏に向けた。
 唐突に過ぎる謝罪の言葉に「どうして」と詰問の口調で言ってしまっていた。

「謝る必要があるのはウチだけです。だって、あのとき確かに……ウチは椋さんを憎んでた。
 死ねばいいって思ってた。許されなくって当然なんです」

 動転していたからなのかもしれない。瑠璃は率直に己の内面を伝えていた。
 今の自分には様々な感情が交錯し、絡み合っている。憎む気持ちは確かにあった。そのことに関しては弁解する余地もない。
 なのにこれでは、痛み分けを促し、自分が負債を踏み倒してしまったみたいじゃないか。
 だから自分が負債を少しでも請け負う――そんな気持ちで言い放った瑠璃の言葉を「違うの」と杏は返した。

「妹の代わりに謝ったんじゃない。あたしは……妹があなたのお姉さんを殺したのを聞いても、
 それでも生きてて欲しかった、って思ったの。そんな、自分がバカらしくて……」

390断ち切る:2009/10/21(水) 23:18:15 ID:9uSh9wRc0
 杏の返答に瑠璃は絶句した。身勝手ともとれる杏の考えに失望したのではなく、実直に過ぎる言葉に触れ、
 自分は本当に取り返しのつかないことをしてしまったという実感から絶句したのだった。
 姉妹の絆を引き裂いてしまった。家族のかけがえのなさを知っているのは自分もなのに。

「だから……ごめんなさい。自分だけが慰められればいいって考えてて、ごめんなさい」

 瑠璃はこれに返せるだけの言葉を持てなかった。そうしてしまえば自分が赦されたがっているような気がして、
 みじめになってゆくのが簡単に想像できたし、杏の人格を傷つけてしまうことが分かってしまったからだった。
 甘かった。このツケは人が一生をかけたところで払いきれるものではない。
 生きている限り罪を実感し続けてゆかなくてはならないものなのだ。
 瑠璃は代わりに「いいんです」と告げた。

「間違ってないって、思います。ウチも……杏さんの立場ならそう思っただろうから」

 他の関係を全て押し退けて、無条件に愛し、守ろうとできるのが家族。
 だからこそ何の遠慮もなく、瑠璃もそう言うことが出来た。
 そこには何のしがらみもなかった。強すぎる想いが引き起こした、一つの悲劇なのかもしれない。
 周りから見ればそれだけで片付けられるものではないと言及されそうだったが、瑠璃にはそうとしか思えなかった。
 椋の見せた表情を知っていれば。

「椋、笑ってた?」
「……はい。杏さんの話をしてるときは、ずっと」

 瑠璃の言葉を聞くと、杏は「あのバカ」と言って天井を仰いだ。
 死に目に会えなかった妹の表情を必死に手繰り寄せているのかもしれなかった。

「あたし、簡単に死ねなくなっちゃったわね」

 瑠璃に目を戻した杏は苦笑していた。寂しさと心苦しさ、自分には推し量れない何かを抱えた顔だった。

「軽率だったかな。瑠璃は、もうそんなのとっくに過ぎてるのにね」
「え……」

391断ち切る:2009/10/21(水) 23:18:34 ID:9uSh9wRc0
 そうなのだろうか、と自問する声がかかり、やはり明確な答えを出せずに瑠璃は沈黙した。
 流されるままで、他人には死んで欲しくないとは思えても自分のことになると頓着するものなど殆どなかったこと。
 償うことばかり考えていて、自分自身のことなんて思いつきもしなかった。

「だって、そうでしょう? 簡単に死ねないって分かってて、ずっと内側で黙り込んだままなんて出来ないもの。
 吐き出して、どっかで楽にならなければ人って生きられないから……それこそ、聖人君子でもなければ、ね」

 人の持つ芥を理解し、自分本位で動くことも是と受け止めた顔があった。
 緩やかに曲線を描いた口元は笑っているようでもあり、諦めているようにも思えた。

「多分あたしもあなたも、どっかで絶対許せないところがあるのよ。でもそれだけじゃ寂しいでしょう?
 だから少しでも本音を吐き出しておけば、あたし達なりにも理解することができるようになる。
 理解できないとね、思い込みで憎んだり疑ったり、軽蔑するだけになるから。……自分にも」

 杏は椋のことを忘れられないし、その生を奪われたことも許せない。
 瑠璃も珊瑚のことを忘れられないし、奪われたことを絶対に許せない。

 でもそれでいいのだ、と杏は言ってくれた。ちゃんと互いに吐き出して、自分なりの納得さえ得られれば。
 それはある意味では自分達の善意を信じての言葉だった。
 善くなっていけるだろうと信じられるからこそ、杏は許せなくてもいいと言ったのだろう。

「ありがとう……」

 だから瑠璃が言ったのは謝罪でもなく疑問を差し挟むことでもなく、自分達の在り様を肯定してくれたことに対しての感謝だった。
 無論これだって自分を保つための論理なのかもしれない。でもそれでもいい、と瑠璃は率直に思うことが出来た。
 手を出しだした瑠璃に、何の躊躇いもなく杏も手を握り返してきた。

「お互い、死ぬまで生きましょう」
「うん。絶対に」

 辛酸を自分で洗い流すことを覚えた女二人の手が離れる。
 毅然として歩く杏の後に続きながら、瑠璃は話していた空き教室の前で待っているであろう藤田浩之の姿を思い浮かべる。
 今晩は彼と話しつつ、一緒に過ごしてみよう、と思った。
 初めて自分のことだけを考えている自分を、自覚しながら。

392断ち切る:2009/10/21(水) 23:18:55 ID:9uSh9wRc0
【時間:3日目午前04時00分ごろ】
【場所:D−6 鎌石小中学校】

『自由行動組』何を、誰とするかは自由。小中学校近辺まで移動可

姫百合瑠璃
【状態:死ぬまで生きる。浩之と絶対に離れない。珊瑚の血が服に付着している】

藤田浩之
【状態:瑠璃とずっと生きる】

藤林杏
【状態:軽症(ただし激しく運動すると傷口が開く可能性がある)。簡単には死ねないな】

→B-10

393終演憧憬(2):2009/10/23(金) 03:33:56 ID:IOL2TXto0
 
「―――ふうん。それじゃ、さっきの白いのがおまえの言ってた子だったんだ」

ずずぅ、と癇に障る音を立ててマグカップの茶を啜りながらしたり顔で頷く春原陽平を
ちらりと横目で見て、長岡志保は頬杖をついたまま口を開く。

「だから、おまえっていうのやめてよね。あたしには志保ちゃんって立派な名前があるんだから」
「……へいへい」

突き放すように言われた春原が、露骨に顔を顰めながら言い直そうとする。

「で、その志保ちゃんは―――」
「あんたに志保ちゃんとか呼ばれたくないんですけど。キモい」
「ムチャクチャ言いますねえっ!?」

口から唾と茶とを飛ばしながら抗議する春原に、心底面倒そうな表情を作って志保は視線を外す。
実際、心底から面倒くさかった。
甲高くて喧しい声は、どんよりと澱んだテンションにざくざくと突き刺さってひどく鬱陶しい。
今はただ、窓の外に広がる景色と静寂だけに身を委ねていたかった。
目をやれば、四角く切り取られた空は、青の一色からだいぶ趣を変えている。
傾きかけた陽射しの黄色みがかった色合いが、森と山と小さなリビングとを、薄いヴェールで覆うように
やわらかく染め上げていた。

394終演憧憬(2):2009/10/23(金) 03:34:15 ID:IOL2TXto0
「白い子……って、川澄さんのことですか?」

背後でなおも不満そうにぶつぶつと抗議の声を上げ続けている春原を見かねたか、
困ったような顔の渚が会話に入ってくる。
ここで目が覚めてからほんの数時間。
その間に、同じようなことが何度もあった。
場に険悪な空気が流れること自体が嫌なのだろう、と思う。
古河早苗がこの場にいれば、空気が悪くなるより僅かに手前で自然に軌道修正するような一言を放って、
一瞬にして和やかな雰囲気を取り戻していただろう。
それは一種の天賦の才で、しかし早苗は今キッチンに立っている。
だから渚は仕方なく、どこか必死さを滲ませながらぎこちなく、対立に介入しようとしているのだろう。
ともすればそれは優しさではなく、手前勝手な心情の押し付けだった。
しかし穏やかな口調と下がった目尻は、春原のそれと違ってささくれ立った志保の心を刺激しない。
それはどこまでも薄く、軽く、やわらかい身勝手だった。
仕方ないかと内心で苦笑した志保が、窓から視線を離すと渚の方へと向き直る。

「そ。あたしと美佐枝さんが何とかしようとした子」

本人には言えなかったけどね、と苦笑交じりに呟く。
あんた、何で生きてるのよ。
言えるわけがない。
長岡志保を知る誰もが理解しているように、流れに乗れば志保は誰に対しても、何についても口に出す。
出してしまう、或いは出せてしまう。
そうしてまた、これは誰もが誤解していたが、流れに乗ることができなければ、志保は怯えて動けない。
一線を踏み越えることのリスクを過剰に考えすぎてしまうのが、長岡志保という少女の一面である。
酔った勢い、という言葉がある。
流れに乗るというのはそれに近いのかもしれない、と志保は自己を分析していた。
但し酩酊するのはアルコールに対してではない。
長岡志保を酔わせるのは、空気と呼ばれるものだった。
場に流れるテンションの総量が、志保を大胆にする。
言わなくてもいいことや言えなかったはずのことや、しなくてもいいことやすべきでないことをさせる。
踏み出した足が一線を越えた、そのこと自体がテンションを押し上げて、志保自身を加速させていく。
それが好循環であるのか、それとも悪循環であるのかを志保は評価しない。
ただ自分自身がそういうものであると、それだけを理解していた。
温まらない場では動けない。
人見知りをしないくせに、一度でも苦手意識が芽生えた相手の前では口も出さない、笑えない。
それが長岡志保で、そして志保にとっての川澄舞は、明らかに苦手な相手だった。

395終演憧憬(2):2009/10/23(金) 03:34:38 ID:IOL2TXto0
「何とかしようとして、何ともならなかった子だろ」

ずぅ、と茶を啜りながら春原が言う。
返事をするのも面倒だった。
代わりに、春原が少しづつ啜っているマグカップの底を、思い切り指で押した。

「ぶあつぅーっ!?」
「ひゃ!? だ、大丈夫ですか春原さん! わ、わたしタオルとお水、持ってきます!」

椅子から転げ落ち、大きな腹を抱えたままごろごろと床をのたうつ春原を無視して、
志保は窓の上に据え付けられた壁掛け時計を見上げる。
短針は右真横、九十度。
時刻は間もなく三時になろうとしていた。

「……だから、もう少ししたら出よっかな。船が出るのは六時だっけ」

何が、だから、なのか。
口にした志保自身が、そのことを疑問に思う。
何とかしようとして、何もできなかったから、だからここを出て、船に乗って、本土へ帰るのか。
舞が蘇って、すべきことが何もなくなったから、だから悪夢の一日を生き延びたことに感謝して。
何かをしようと決意して、何ができたのかも分からないまま放り出されて、だから家路に着くのか。
夢と現の狭間で、何かを見出したつもりだった。
誰もが戦っていたあの山頂を見上げていたとき、心の中には確かに何かが存在していたはずだった。
ぐにゃりと歪んだ世界の中で、ずるずると纏わりつく無数の想念に貫かれながら膝を屈さずにいたとき、
志保の中の一番声の大きな何かは、必死で叫んでいたはずだった。
だがこうして、温かいお茶とうららかな陽射しと穏やかな景色とに包まれていると、そのすべてが
夢か幻であったように思えてくる。
掴んだはずのものが、するりと手の中から零れ落ちていくような感覚。
開いてみれば、手のひらの上には何も残っていない。
小さく、無力な手が傾きかけた陽に照らされて黄金色を帯びている。
転んだときの細かな傷の幾つかが血が滲んでかさぶたになっていて、そうして、それだけだった。
船に乗って家路について、日常に戻ればすぐに消えてしまうような、そんな傷。
それだけが志保に残されたもので、傷が消えてしまえば、この島の全部が消えてしまうような、
そんな錯覚が、ぼんやりと志保を包み込んでいく。

396終演憧憬(2):2009/10/23(金) 03:35:02 ID:IOL2TXto0
「はあ……」

深い溜息と共に、テーブルに突っ伏す。

「あたし、何やってたんだろうなあ……」

頬に当たる飾り板の冷たい感触と篭った溜息の生温さが、ほんの一呼吸、二呼吸の内に混じり合っていく。
腕で覆った瞼の内側は暗く、狭く、簡素で、心地いい。

「何にもできてない」

小さな壁の内側の空虚に甘えながら呟けば、愚痴じみた言葉はひどく自然に耳に馴染んで、
それはきっと本音なのだろうと思えた。

「ずっと誰かに助けられてて、なのに恩返しもできなくて。だけど……」

濁った声が溶けていく。
溶けて乾いて、残らない。
それでも、口にして、思う。
だけど、は優しい言葉だ。
曖昧で、緩やかで、言葉が続かなくても、許してくれる。
だけど、の後に何を言おうとしたのか、もう自分でも分からない。だけど。
だけど、仕方ない。
きっとそれは、仕方ないことだったのだ。
即席の闇の中、だけど、が大きくなっていく。
だから、を侵して、だけど、が言葉を濁らせる。
濁った言葉は吸い込んだ息と一緒に肺の中で血に混ざって、体中を這い回る。
這い回って、いつかの、思い出せないほど遠くの自分が傷だらけになりながら手を伸ばしていた理由や、
手段のない目的や、原因の見つからない衝動や、そういうものを砂糖菓子みたいに包み込んでくれる。
それは疲れきった身体に染み込んで、甘い。
それは弱りきった精神に沁み渡って、軽い。
それは長岡志保を満たし、覆い、溢れて、

「……だけど、なんだよ」

そういうものに包まれた自分は、ひどく言い訳じみていて。
醜く、くすんでいる。

397終演憧憬(2):2009/10/23(金) 03:35:31 ID:IOL2TXto0
「―――」

春原陽平の声が、冷水のように、或いは無遠慮に響く足音のように、志保を打つ。
打たれて剥がれた砂糖菓子のコーティングの下から、剥き出しの衝動が顔を覗かせていた。
それは疲れきり、弱りきって、しかし、だから何だと、叫んでいた。
ずっと誰かに助けられていて、なのに恩返しもできなくて。
だけど、ではないと。
それは、叫んでいた。
だから、だ。
だから、お前はどうするのだと、真っ直ぐに、心臓の裏側に爪を立てるような眼差しで、問いかけていた。

「……わよ」

ぎり、と噛み締めた歯の隙間から、声が漏れた。

「はあ? 何だって?」
「―――あんたには、分かんないわよ……!」

眼差しから視線を逸らし、傷口から漏れ出した問いを塞ぐように、必死に己を抑え込みながら、
志保が声を絞り出す。
理不尽だと分かっていた。
ただの八つ当たりだと、理解していた。
それでも、言わずにはいられなかった。
顔を上げて睨んだ先に、

「何、それ」

底冷えのするような目が、待っていた。

398終演憧憬(2):2009/10/23(金) 03:35:59 ID:IOL2TXto0
「……!」
「笑えるね。一人で悲劇のヒロインぶってさ」

いつの間にか立ち上がっていた春原が、すぐ傍に立っていた。
気圧されたように言葉に詰まった志保を見下ろして、春原が口の端を上げる。
にやにやと人を見透かしたような、嫌な笑い方だった。

「だけど、だけど。言ってれば? ずっと、そうやってさ」
「何が……言いたいのよ」
「べっつにぃ」

嘲るように、蔑むように。
笑みを浮かべた春原が、そこだけはぞっとするように冷たく光らせた眼を、すうと細めた。

「たださあ―――」

それが、たまらないほど疎ましく。
怖気が立つほど厭わしくて。

「―――楽だよなあ、って」

思考が、白く染まる。

「あんた……っ!」

どん、という手応えは、意外なほどに軽かった。
あまり肉付きの良くない肩の辺りを突き飛ばした腕に、どれほどの力を込めていただろう。
分からない。
衝動に任せた手は、にやにやと笑う春原の表情を、一瞬だけ驚愕の色に染め上げ。
そして、視界から消した。

399終演憧憬(2):2009/10/23(金) 03:36:21 ID:IOL2TXto0
ガタ、ゴン、と。
重い音が、後から響く。
よろけた春原が足を絡めて躓いた、木製の椅子が床に当たって立てた音。
そうして、すっかり大きくなった腹を抱えた春原が、受身も取れないまま、正面から床に倒れた音だった。

「え……?」

すぐに立ち上がると、思った。

「ちょ、ちょっと……」

立ち上がって、眼を剥いて、甲高い声で食って掛かってくると、そう思った。
しかし。

「じ、冗談やめなさいよ……」

春原陽平は、起き上がらない。
顔を上げようとも、しなかった。

「……どうしました!? 今、すごい音が……」

キッチンから顔を覗かせた渚が、立ち尽くす志保と、ほんの少し遅れて床に倒れた春原に気付く。

「春原さん? ……春原さん!?」
「あ、」

声が、出ない。
春原を突き飛ばした手が、伸ばされたまま、震えていた。

「……お母さん! お母さん!!」

恐ろしく切迫した渚の声が耳朶を打つのを感じながら、志保の瞳はどこか他人事のように
目の前の状況を映していた。
凍りついた脳が、情報を処理しきれずにいるようだった。
倒れ伏した春原の、腰に巻いたシーツがまるで何か、水に濡れたその上に掛けたようにじわりと滲み、
瞬く間にその色を変えていくのも、だから志保はぼんやりと、ひどく無機質に、眺めていた。



******

400終演憧憬(2):2009/10/23(金) 03:36:42 ID:IOL2TXto0
 
 
長岡志保は走っている。
息は荒く、全身は汗みずくで、目尻には涙を浮かべながら、しかし休むことなく、走っている。
取り返しのつかないことをしたと、それだけがぐるぐると志保の脳髄を廻っていた。

晴れ渡っていたはずの空にはいつの間にか薄く、しかしじっとりと重たげな灰色の雲が
黴のように涌き出して、傾いた陽を覆い隠そうと機を窺っていた。
そのせいで木漏れ日と影との境がひどく曖昧で、荒れた足元は更に不安定になっている。
張り出した木の根を飛び越えた、その先の地面が小さく窪んでいるのに気付いたのは、
着地のほんの僅かに寸前、かろうじて顔を出した陽光が地面を照らしたからだった。
足を取られ転びそうになって、それでもどうにか体勢を立て直し、志保は疾走を再開する。

危険な状態です、と早苗は言っていた。
真剣な表情だった。

動かせないと。
お産が始まると。
破水が、陣痛が、他にも色々と言っていて、そのどれもが志保には届かなかった。
ただ、医者が必要なのだと。
この場にはいない、それが必要なのだと。
それだけが、志保に理解できた唯一のことだった。

それで、志保は走っている。
指定された帰還者たちの集合場所へと、影の濃くなってきた林道を荒い息をつきながら走っている。
何も守れず、何も掴めず、そうして挙句に何かを失いかけた今になって。
だけど、だから、長岡志保は、走っている。

401終演憧憬(2):2009/10/23(金) 03:36:57 ID:IOL2TXto0
 
【時間:2日目 午後3時すぎ】
【場所:I-6 林道】

長岡志保
 【状態:健康】


【場所:I-7 沖木島診療所】

春原陽平
【状態:破水】

古河早苗
【所持品:日本酒(一升瓶)、ハリセン】
【状態:健康】

古河渚
【所持品:だんご大家族(100人)】
【状態:健康】

→1080 ルートD-5

402終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:22:43 ID:QqjtjFrU0
******



「素晴らしい。君は、この戦いの勝者だ」

「戦い抜いて、生き抜いて、とうとうハッピーエンドを勝ち取ったんだよ、おめでとう」


「さあ、だからもういいだろう?」

「物語を終わらせよう」


「だってもう、世界には―――」

「君しか、残っていないんだから」



******

403終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:23:11 ID:QqjtjFrU0
 
「うわっ、たたたっ……!」

闇を抜けると、そこは海だった。
扉を潜り、塔の中に入ったはずだった。
ほんの数歩で視界は黒の一色に染まり、次の数歩で闇が晴れ、そうして足元には水面が拡がっていた。
直径にして二十メートルほどの塔の中に、如何なる怪異を以て海原を再現してみせたものかは
天沢郁未にとって理解の範疇外である。
或いは逆に、郁未たちの身を一瞬にして何処とも知れぬ大海原の只中まで移動させたものかも知れなかったが、
いずれまやかしであれ超常の力であれ、理解よりも先に対処をせねばならない。
水面に落ち身が沈むよりも早く体勢を整え、とそこまでを思考したところで、背後から声がする。

「……沈みませんよ」

何が、と考えて、一瞬行動が遅れた。
しまったと己が迂闊を悔やむと同時、靴先が水面に触れる。

「……ですから」

ふよん。
冷めた声が背を打つのに、郁未は返事を返さない。
それよりも。
ふよん、ふよん。
足元から伝わる、奇妙な感覚に気を取られていた。
柔らかく、弾力のある何かが、今にも水面を踏み抜きそうだった足の下に、ある。
どうやら水の上に浮いているらしきその足場、見れば一面が白く長い毛に覆われている。
弾力を生み出しているのは、そのもこもことした毛の絨毯のようだった。

「っていうか……」

座り込んで毛足を撫でれば温かい。
よくよく見れば、その絨毯には顔がついている。
鼻があり、口があり、目があった。
大きなビーズのような、黒い瞳だった。
長い毛の中に紛れてくるりとカーブを描く小さな角も見えた。
ひどくメルヘンチックなデザインのそれを、もうひと撫でしてみる。

「……ひつじ?」

べぇーぇ。
と、絨毯が鳴いた。

404終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:24:03 ID:QqjtjFrU0
「こんな、絵本の挿絵みたいな羊はいませんよ」
「えー」

振り返れば、そこにはいつも通りの顔。
仏頂面に呆れを混ぜた、鹿沼葉子の姿がある。

「分かんないじゃない。世界は広いんだし」
「少なくとも海を泳いで渡る羊の群れなど聞いたことがありません」
「……群れ?」

言われて見渡せば、郁未たちの周囲には幾つもの小さな白い足場が浮いている。
小さく口笛を吹くと、そのすべてが計ったように口を開いて、べぇーぇ、と鳴いた。

「面白ーい」
「他の方々はいらっしゃらないようですね」
「無視された……」

冷ややかな視線で睨む葉子の言う通り、塔の外にいたはずの面々は見当たらない。
三百六十度の水平線には、ただ郁未と葉子と、白い羊たちだけが浮かんでいる。
空に太陽はない。
陽が沈んだ直後だろうか、或いは夜が明ける直前だろうか。
濃紺の天頂から群青色の水平線へと至るグラデーションが、夜空の静謐と
日輪の温もりとを併せ持った色合いで空一面を彩っていた。

405終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:24:27 ID:QqjtjFrU0
「……」
「……」

自然、言葉が失われる。
吐息が夜を運ぶような、或いは瞬きひとつが曙光を導くような、そんな錯覚。
遥か水平線の彼方と、波間に浮かぶ自分との距離が零になる。
圧倒的な断絶と不思議な一体感とがない交ぜになったような奇妙な陶酔感に揺蕩えば、
次第に思考と感情がくるくると渦を巻いて回りだす。
湧き出すのは、すぐ傍にいるはずの誰かが、次の瞬間にはもうそこにいないような不安。
叫びだしそうになる衝動を堪えて伸ばした手が、小さな温もりに触れた。
目をやるまでもない。
同じように伸ばされた、それは手だ。
縋るように、縋らせるように、握った手に、そっと力を込める。
ほんの少し、滲んだ涙が乾くほどの短い間、空を見上げながらそうして手を繋いでいた。

「あのー……もしもし」

声が聞こえても、そうしていた。

「そろそろ、いいかな……?」

気配が真後ろに迫っても、そうしていた。

「……もしかしてお邪魔かな、わたし」
「邪魔だねえ」
「邪魔ですね」

即答しながら、ずっと空を見上げていた。

406終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:24:51 ID:QqjtjFrU0
「うわ冷たっ! っていうかリアクションしてよ! 気付いてるなら!」
「……」
「……」
「お願いだからこっち向いてよお……」

涙声に、渋々ながら振り返る。
険しい表情の郁未の眼前、ほんの数十センチの距離を開けて、白い布地が翻っていた。
簡素なワンピース様に裁断された布地を纏うのは、幼い少女である。
まだ就学年齢にも達していないだろう少女が、ニコニコと笑いながら、郁未の前に、浮かんでいた。

「ばあ!」
「……何か用? つーか、誰」
「……」
「……」

心底から面倒くさそうな問いかけには、小さな舌打ちすら混ざっていた。

「あの、わたし浮いてるんだけど……」
「できるヤツもいるよそれくらい。探せば。たぶん。……それで用、済んだ?」
「ま、まだ本題にも入れてないかなあ」

目尻にほんの少し光るものが滲ませながら、それでも少女は笑みを崩さない。

「じゃ、手短にお願い」
「やりづらいなあ、もう! ……気を取り直して、こほん」

ふわふわと浮いた少女が、小さく咳払いをして一瞬神妙な表情を作ると、

「はぁーい、麦畑のうさぎさんはただいま別件で対応中でーす!
 代わりにえいえんの空のみずかちゃんがお相手いたしまーす!」

弾けるようなとびきりの笑顔で、言った。

407終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:25:15 ID:QqjtjFrU0
「ウザっ」

正直に、返した。

「……」
「……」
「……郁未さん、言葉が足りないと人を傷つけることもありますよ」

痛々しい沈黙を破ったのは、葉子のたしなめるような声だった。
笑顔のまま固まっていた少女が、我が意を得たりとばかりに郁未に食って掛かる。

「そうだよ、傷ついたよっ」
「そんなときはきちんとこう言うものです。……あなたはテンションが妙に高くて鬱陶しい、
 相手にするのも面倒ですので私たちの目の届かないところに消えてくださいお願いします、と」
「余計に傷つくよっ!」

少女の目尻に溜まる涙の粒がますます大きくなる。
もう少しで零れ落ちそうだった。

「で? その……何だっけ、みずかちゃんとやらがどうお相手してくれるんだって?」

軽い溜息をついて、郁未が話を進める。
どの道、いつまでも海の真ん中でメルヘンな羊に乗っているわけにもいかなかった。

「もう、話を聞きたいのか聞きたくないのか、どっちなんだよっ」
「そういうのいいから」
「むー……」

しばらく不満げな顔をしていた少女だったが、それでも話の続きを始める。

「久々登場、みずかちゃんの解説コーナーでーす」

妙にテンションが低い。
話の腰を折られたのがそんなに気に入らないか、と茶々を入れそうになったが、
背後から聞こえた小さな咳払いに郁未は慌てて口を閉ざす。
葉子に先手を打たれていた。
仕方なく、身振りで先を促す。

408終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:25:42 ID:QqjtjFrU0
「何が訊きたいですかー。世界の始まり? それとも終わり?
 黒幕、目的、歴史の裏側、何でも教えてあげちゃうよ」

どうだ、と言わんばかりに胸を張る少女を前に、郁未は肩越しに振り返って葉子と眼を見交わす。
肩をすくめる葉子に視線だけで頷いて、向き直る。

「あ、あれ?」
「……」
「……」
「リアクション薄いなあ。もっと驚こうよ!
 ホントに何でも答えちゃうよ? 出血大サービスだよ?
 お隣の国の軍事機密でも、ジョンベネちゃん事件の真相でも、何でもだよ?」
「いや、そういうの興味ないんで」

つーかジョンベネちゃんって誰だそれ、と口の中で呟いた郁未が、何かに気付いたように
ぽん、と手を打つ。

「あ、そうだ。一つだけあった」
「うんうん!」

ようやくか、と期待に満ちた瞳を向ける少女。

「出口どこ」
「あのさあ!」

宙に浮いたまま器用に転ぶ真似をしてみせた少女が、郁未に詰め寄る。

「何怒ってんの」
「ふつう怒るでしょ! マジメにやってよ!」
「真面目に訊いたんだけどなあ……」

溜息をついた郁未が、持った薙刀を手の中でくるりと回す。
長柄でとんとんと肩を叩いて、ゆっくりと口を開いた。

409終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:26:34 ID:QqjtjFrU0
「じゃ、ついでにもう一つ」
「……今度はちゃんと、ね」

すっかりへそを曲げた少女が半眼で睨むのに苦笑しながら、郁未が問いを口にする。

「―――あいつは、何処にいる?」
「……お」

僅かな間、虚を突かれたように少女が沈黙する。
凪いだ海原にちゃぷちゃぷと響く波の音が大きくなったように感じられた。
ややあって。

「いい質問だねえ」

少女が、笑う。

「そういうのを待ってたんだよ。けど……」

にたりと、能面を貼り付けたような笑み。
友好という観念からは程遠い、それは笑い方だった。

「それはまあ、タダでは教えてあげられないかなあ」
「……なら、力づくってことで」

即答した郁未の手に握られた薙刀には既に、不可視の力が乗っている。
無数の激戦を経て、数多の屍を造り出しながら刃毀れ一つさせない、
それは刃に無尽蔵の切れ味を与える恐るべき異能の力。
ぎらりと煌く刃を前に、ふわふわと浮いた少女が笑みを貼り付けたまま、口を開く。

「へえ。やれるもんならやってみ、」

軽口が、途切れた。
躊躇なく振るわれた刃が、にたにたと笑う少女の顔面を、横薙ぎに一閃していた。
ぱかり、と。
耳まで裂けた少女の口が、上下に分かれて、そのまま、

「―――」

霞のように、全身が消えた。
表情に緊張を走らせた郁未が、周囲に目線を配ったのは一瞬。

「……あのさあ、女の子の顔、狙う? 普通」

声は後ろから。
身を捻りざま、袈裟懸けに切り下ろす。
刃に遅れて振り返った郁未が視認した少女の姿は、しかし胴の辺りが真っ二つに裂けている。
鹿沼葉子の鉈が、郁未に先んじて少女に叩きつけられていた。
ひゅう、と口笛を吹いた郁未の眼前、しかし少女が再び、消える。

410終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:27:05 ID:QqjtjFrU0
「無駄だよ」

右手に現れた少女の肩口を、郁未の刃が突く。

「わたしはここにいないもの」

左で笑う少女の喉を、葉子の鉈が描き切った。

「ううん、わたしなんて、どこにもいない」

頭上に浮かぶ少女の足を、二人の刃が一本づつ断ち割って、

「いつか誰かがみた夢。ずっと昔に、とても大きな可能性だった誰かがみた夢」

しかし水面の下から響く少女の声は、止まらない。
ころころと笑う少女は無数の刃を浴びながら、しかし次に現れるときには意に介した様子もなく
平然とそこに浮かんでいる。

「幻覚の類……?」
「手応えは、ありますが……」

渋面の郁未が背を合わせた葉子に問えば、返答にも幾許かの困惑が混ざっている。

「あはは、違う、違う」

郁未の眼前に現れて、頭頂部から断ち割られておきながら消失し、次の瞬間には
再び寸分違わぬその場に姿をみせた少女が、手を振って郁未たちの問答を否定する。

411終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:27:39 ID:QqjtjFrU0
「わたしはここにいるよ。いるけど、いないだけ」
「謎掛けのつもり?」
「違うよ。単なる事実」

眉を寄せて口を尖らせた少女が、郁未の前でくるりと回る。
背を見せたその一瞬に薙刀が奔り小さな身体を両断しても、ふわりと消えてまた回る。

「わたしは『ここ』で」

両手を広げ。

「ここは、どこにもない」

濃紺の空を見上げて。

「だからわたしはどこにもいない。いないけど、あなたたちのいる『ここ』は今、
 あなたたちを包んで存在してるんだ。だからわたしも、今ここにいる」

謡うように口にする、少女の言葉を、

「……分かんないよ」

郁未は突き出す刃をもって拒絶する。

「もう、しょうがないなあ」

白いワンピースごと腹を割かれ、血も流さないまま桃色の肉を覗かせた少女が、消えて、戻る。

「ここは、えいえん。そう呼ばれる場所。そういうあり方のできる世界」

412終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:28:11 ID:QqjtjFrU0
薙がれた刃をふわりと躱して、宙に浮いたままゆっくりと下がっていく。
追いかけようと足を踏み出した郁未が、しかしその先に浮かぶ羊がいないことに気付いてたたらを踏んだ。

「とこしえに醒めないゆめ。どこにも続かない空。たどり着ける島のない……海」

刃の届かぬ中空で、群青色の空と水平線とを背景に、少女が両手を広げる。

「わたしは『ここ』。この空と海のようなもの。切っても突いても、死んだりしないよ。
 だって、最初から生きてなんていないんだから」

小さな手を、白い服に覆われた胸に当てる。

「わたしがひとのかたちをしているのは、誰かがそういう夢をみたから。
 それがとても深い夢だったから、わたしはまだ、こういう姿でここにある」

眼を閉じて語る、少女の表情には静謐と空虚とが混在している。

「これでもわたしは、えいえんにあり続けているんだよ」

声は、次第に囁くようなものになっていく。

「ここは―――えいえん。変わらない場所。変わらずにいられる場所。
 だからここに、出口はない」

代わりにちゃぷちゃぷと、波の音が少女の声を掻き消すように響き出した。

「もう、あなたたちは出られない。ずっと、ずぅっと、ここにいるんだ。
 変わらないまま。ただ海に揺蕩ったり、空を飛んだり、草原で風を感じたりしながら。
 ……でもね」

波の音が、段々と大きくなっていく。

「でも、ここに来られるのは、とても幸福なことなんだよ」

413終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:29:00 ID:QqjtjFrU0
波濤の砕ける音は、雑踏のざわめきに似ている。

「耐えられない悲しみに引き裂かれたり、平凡な毎日に腐っていく自分が赦せなかったり。
 そういうものは、いつだってここを夢想するんだから」

或いはそれは、消し忘れたテレビから聞こえてくる、不快なノイズのようでもあった。

「ここは、そういうものを認めてあげられる場所だから。
 そういうあり方を赦してあげられる場所だから。
 そういうものたちが望んで、望んで、ようやくたどり着ける、終わりの場所だから」

きんきんと、ざわざわと、がやがやと、頭の中に響く音が、大きくて。

「だからあなたたちは―――」

だから天沢郁未は、細く、細く息を吐いた。

「―――ああ」

ゆっくりと、眼を開ける。

「耐えられない悲しみや、許容できない自分や、求めても得られない苦しみや。
 ああ、ああ、」

重く、低く、薄く、昏く、呟く。

「そういうものに追い立てられて、終に至る、安息の地か。
 成る程、成る程、」

天を仰いで。

「―――成る程、私には、必要ないな」

肩越しに金色の髪の相方を見やった。

「……私たちには」

期待通りの言葉。
いつも通りの仏頂面。
知らず、笑みが漏れた。

「そうだね。私たちには、必要ない。そんなものは、もう」

414終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:29:32 ID:QqjtjFrU0
手を伸ばすことはない。
伸ばしても、重ねられる白い指はない。
伸ばせば触れると、わかっている。
その温もりを、知っている。
だから真っ直ぐに瞳を覗くことも、なかった。
深い、緑がかったその水面に映っているのは、天沢郁未だ。
そうして郁未の瞳には、鹿沼葉子が映っている。
それで、充分だった。

「夜は明ける」

あの赤い月の夜のように。

「私たちは、そう望む」

阻むすべてを、切り払い。

「そうしてそれは、叶うんだ」

永遠をすら、越えて。
重なる声が、谺する。
それは、世界に命じる声だ。
傲慢で貪欲で、身勝手な享楽に満ちた、変革の大号令だ。

そうあらねばならぬという確信と、
そうあらぬすべてを拒む断絶と、
そうあれかしと踏み出した靴音の、

それは、世界を革命する曙光だ。



***

415終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:29:51 ID:QqjtjFrU0
***




水平線の向こうから、黄金の光が、射した。
永遠の空に、陽が、昇る。




***

416終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:30:12 ID:QqjtjFrU0
***



「そんな、どうして……!?」

褪せていく群青色の空を見上げて、少女が悲鳴に近い叫びを上げる。

「あり得ない……! えいえんを、拒むの……!?」

黄金色の光が、少女を包んでいく。

「安らぎを、平穏を、変わらずにいられる幸福を、どうして望まないの……!?」

耐えかねて手を翳した、少女の言葉に郁未が応える。

「悪いね」

手にした刃の石突を、とん、と白い羊の背に委ね、郁未が穏やかに笑う。
べぇーぇ、と羊が鳴いた。
波の音は、もう聞こえない。

「私ら、その手の勧誘は一通り断ってきたんだ。大丈夫、間に合ってます……ってね」

誘惑も。過去も。快楽も。苦痛も。愉悦も。恐怖も。
あの暗い、剥き出しのコンクリートとリノリウムだけがどこまでも続く施設の中で。

「今はもう、私は私を悔やまない。きっと、ずっと」

横目で見た葉子の相変わらずの仏頂面の、ほんの僅かに緩んだ口元に、郁未はひとつ頷いて、
笑みを深める。

417終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:30:41 ID:QqjtjFrU0
「……そう」

そんな郁未たちを見返した、少女の表情はどこか無機質に感じられた。

「やっぱりね」

言って、眼を逸らす。
翳した手の隙間から漏れる陽光が、大きな黒い瞳にきらきらと反射して、
まるで涙に濡れているように、見えた。

「たくさんの人がここを求めているの。見上げた空や、冷たい壁や、ちかちか光るモニタの中や、
 そういうものが寂しくて、辛くて、煩わしくて、夢をみるの。
 たくさんの人が、自分を縛る何もかもを投げ出してしまえるような、そんな素敵な夢をみて、
 だけどほとんどは夢をみることにも疲れてしまって、だからここまでたどり着ける人はほんの少し。
 ほんの少しは、それでも、ここまでやって来られるんだよ」

淡々と呟く少女の声を聞きながら、郁未はゆらりと、視界が揺らぐのを感じていた。
否、揺らいでいるのは視界だけではない。
足場の羊も、寄せては返す波も、頬に感じる大気の流れも。
何もかもが、ゆらゆらと揺れている。
見渡せば、揺れる世界の中、少女と鹿沼葉子だけが背景から切り取られたように
しっかりとそこに立っている。
黄金の穂を揺らす麦畑のときと同じだった。
ここから離れる瞬間が近いのだ、と感じる。

「それなのに、せっかくたどり着いたほんの少しの人たちも、結局ここには留まらない。
 みんな、どこかへ帰っていくんだ。棄てたはずの場所へ。断ち切ったはずの何かに縋って。
 わたしはそれを、ずっと見送るだけなんだ。ずっと、ずっと、見送るだけなんだ。
 それが、えいえんということだから」

418終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:31:03 ID:QqjtjFrU0
世界は既に、空と海とが混ざり合って、その境目をなくしている。
子供が捏ねた粘土細工のような夜明けに浮かんで、少女は郁未たちを見下ろしていた。

「ねえ」

問いかけは、短く。

「……『そっち側』は、そんなに素敵?」

視線と言葉は、率直で。
だから郁未は一瞬だけ、葉子と顔を見合わせて。
それから、少女のほうを向いて、言う。

「―――来てみりゃ、わかるよ」

言葉に添えられたのが、笑顔だったかは分からない。
刹那、幾多の、本当に幾多の光景が脳裏を過ぎり、それは幸福だけでも、不幸だけでもなく、
天沢郁未の見てきた世界はただの一色ではなかったと、それだけは間違いなく、
だから笑顔を浮かべられたかどうか自信はなくて、

「そう」

そんな風に素っ気なく頷いた少女の、しかし浮かべたやわらかい笑みを見たのを最後に、
天沢郁未の意識は、ふつりと途切れた。



******

419終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:31:27 ID:QqjtjFrU0
 
 
ちゃぷちゃぷと、小さな音がする。
羊たちの群れが、波を掻き分ける音だ。
穏やかな曙光を浴びて黄金に輝く波間に、しかし平穏を蹴倒すような声が響く。

「―――ちょっと、それってどういうこと!?」

みずかと名乗った少女の声だった。
中空に浮かぶ少女は、怒声に近い声を上げて誰かに語りかけている。

「誰かが、解放したって……誰が!?」

しかし見渡す限りの海の只中、語りかける相手の姿はない。
独り言じみた様子もなく、少女はまるで見えない誰かがそこにいるかのように声を上げていた。

「来栖川……? あれは死んだ、って……。うん、だけど……それじゃ、バクダンは?
 そう、……わかった。うん、……うん。だけどさ……、はあ……だから、ごめんって。
 そりゃ、まかせっきりにしたわたしも悪いけどさあ……」

盛大な嘆息。

「なんで負けるかなあ、千鶴さん……そんなはず、ないんだけどなあ……。
 うん……だけど、どうするの? もう次はないんでしょ? 
 わたしはいいんだよ。そういうものだから。だけど、あなたは……、」

ほんの僅かの間。

「……そう。うん、わかった。なら、いいよ。もう言わない」

そう言った少女の声は、微かに沈んだ響きを帯びている。
それからまた、暫くの沈黙を置いて、少女がふと思い出したように、呟く。

「……あ、そうそう」

何気なく、日常に愛を囁くように。

「来てみれば、わかる……ってさ」

それだけを口にして、少女がふわりと、宙に舞う。
どうやら、話を終えたようだった。

「ふう」

風が、ふわりと少女の白い服を揺らす。
遥か遠い曙光が、夜の凪を振り払うように、波頭を震わせていた。

「……本当、みんな勝手だよね」

溜息と共に紡いだ声は、見えない誰かにも届かない。
肩をすくめて見つめた陽の眩しさに、少女が微睡むように、眼を閉じた。





【一層 開放】

420終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:31:59 ID:QqjtjFrU0
 
【時間:すでに終わっている】
【場所:???】

天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:重傷・不可視の力】

鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:健康・光学戰試挑躰・不可視の力】


【場所:えいえんの世界】

みずかと呼ばれていた少女
 【状態:???】


→805 1100 ルートD-5

422少女達の休日:2009/11/04(水) 21:31:12 ID:y6TU6bzk0
「よー、首尾はどうだったかい」

 ニヤニヤしながら尋ねる朝霧麻亜子の言葉を「別に」とそっけなく返して川澄舞は歩いてゆく。
 風呂上りの彼女は髪を下ろしていたせいか雰囲気を異にしていて、
 熱を逃がすためなのだろう、少し開けられた胸元とうなじが妙に艶かしく感じられた。
 風呂場で国崎往人と何があったのかは想像するのも野暮というものなので、
 ルーシー・マリア・ミソラはそれ以上考えるのをやめにした。

「参ったね、やっぱ無理矢理だったかな」

 頭を掻き、多少力なく笑う麻亜子には、流石にお節介過ぎただろうかという不安が滲んでいた。
 やることなすこと無茶苦茶な癖に、こういう繊細な部分も持ち合わせているのが彼女。
 或いはその繊細さを隠すために破天荒を装っていたのかもしれないとも思う。

 よく分からない。少なくとも自分には分かるまいとルーシーは半ば諦めていた。
 まだ『みんな』になりきれていない自分が、人の心を推し量れるはずもない。
 だから分かったようなことを口にすることは出来ないし、早すぎる。

「かもしれない。お前は無茶苦茶だ」
「うぐ」
「それに付き合う私も無茶苦茶だが」

 ニヤと笑ってみせると、呆気に取られた顔になったのも一瞬、
 へへへと誤魔化すように笑って麻亜子は「だよねー」と意味もなく頷いていた。

 こうすればいい。自分を晒せばいい。
 分かるためには、まず自分からカードを見せる必要があった。
 出会ったときから実践していたであろう、春原陽平のように。

「お風呂と聞いてやってきました」

423少女達の休日:2009/11/04(水) 21:31:33 ID:y6TU6bzk0
 そうして二人で笑っていると、いきなり目の前に現れた伊吹風子がこちらを見上げていた。
 脇にはタオルやら何やらを抱えている。シャンプーハットが見えるが、特に気にしないことにする。

「残念だがチビ助よ、先客がいるのだ。そして次はあちきらよ」
「そうなんですか? さっき川澄さんが出て行くのを見ましたけど。あとチビ助言わないでください」
「ぬふふ、一緒に入っていたのだよ」
「誰ですか? 少なくともまーりゃんさんではなさそうですが。ばっちいですし」

 さらりと女性に対してひどいことを言っている風子だが、特に麻亜子に対しては遠慮のない彼女なので何も言わないことにする。
 麻亜子自身も気にしてはいないようだった。本当によく分からない、とルーシーは内心で溜息をつく。

「聞いて驚くなかれ、実はだな」
「はい」
「ゆ・き・と・ち・ん」
「ええっ!?」
「まさかの混浴である」
「ままま待ってください! す、するとあれですか!?」
「いいや。そんなもんじゃないのさ。こう、もみもみしたりなでなでしたり果てにはフュージョンしてヘブン状態!」
「え、えっちです!」
「いやあ、漏れ聞こえる愛の営みを耳にするのは辛かったでごんす。チビ助が聞いたら蒸気噴き出して失神してたね」
「そんなに激しかったんですかっ! えろえろです! ギガ最悪ですっ!」
「思い出すだけで赤面しちゃうね。思わず風呂の前に張り紙張って、『愛の巣』って書き込んじゃおうかと思ったよあっはっは」
「あ、愛の巣ですかっ! 幸せ家族計画ですかっ! もうお前ら幸せになっちまえバーローですか!!!」
「そうそう。しかも聞く限り往人ちんのは超度級グランギニョルマグナムっぽかっ」
「おい」

 あることないこと吹き込む麻亜子の後ろで、この世をも震撼させるようなドスの利いた声が発した。
 多分、オーラというものがあるのだとしたら、間違いなく怒りで真っ赤に染め上がったオーラが見えることは間違いが無かった。
 にこりともしない往人が麻亜子の頭をがしっ、と掴む。「あ、えっちな国崎さんです」と言った風子の言葉が火に油を注ぐ。

424少女達の休日:2009/11/04(水) 21:31:53 ID:y6TU6bzk0
「あ、アノデスネ国崎往人さん? わたしなにもわるいことしてないアルよ?」
「なるほど、確かに俺と舞が一緒に風呂に入っていたのは事実だ」
「ですよねー!」
「だがな、お前の言うようなことは何一つやってない」
「え? そうなんですか?」
「こいつの言う事は五割が嘘だ」
「あははー酷いなぁ往人ちん、どーせまいまいにやらしーイタズラあいだだだだだだだだっ!」

 掴んだ頭に渾身の力を込めて握り潰そうとする往人に悲鳴を上げる麻亜子。
 何やら体も浮いているような気がする。自業自得だとはいえ、痛そうだなという感想と哀れみの感情が広がってゆく。
 無論、何もするつもりはなかった。

「ギブギブギブ! あたしプロレス技にゃー慣れてないのさー!」
「うるさい黙れ。そして死ね」
「あ゛ーーーーーーーーーっ!」

 タップも空しく痛めつけられる麻亜子。殆ど涙目になっている彼女を見ながら、やっぱりよく分からないとルーシーは思うのだった。
 結局、麻亜子が開放されたのはたっぷり数分が経過した後だった。

     *     *     *

 やることがなくなってしまうと、いつもひとり取り残されたような気分になる。
 教卓の近くに腰掛けて所在無く手遊びをして、どこともなく視線を彷徨わせているのは古河渚だった。
 それぞれ出かけていった皆に混じることもなく、渚はじっとしていた。

 一人でいたかったわけではない。ただ、自由にしていいと言われるとどうしていいのか分からなくなるのが渚だった。
 眠るという選択肢はない。どういうわけか目が冴えて、少し横になってみても眠気はない。
 この状況で遊ぶ気にもなれず、仕方なくぼーっとしているしかなかったのが今の渚の状況だ。

425少女達の休日:2009/11/04(水) 21:32:26 ID:y6TU6bzk0
 正確に言えば、渚一人ではない。壁に背中を預けじっと体育座りをしているほしのゆめみもいる。
 彼女の場合はただ単にロボットだから何もしなくてもいいという結論に落ち着き、次の指令があるまで待機しているというだけの話。
 何をしていいのか分からない自分とは違う。話しかけてみようかとも思ったが、どのように話題を切り出していいのか分からず、
 まごまごしている間に目を閉じてピクリとも動かなくなった。

 稼動待ち、パソコンで言えばスタンバイモードに入ったらしい彼女を起こす気は持てず、今まで通りぼーっとしているしかなかった。
 風呂にでも入りに行こうかとも考えた渚だったが、伊吹風子がタオルなどを持って出てゆく姿を目撃しているだけにその選択肢もなくなる。
 一緒に入ろうか、と言っておけば良かったと溜息をつく渚だったが、今さら追いかけてももう上がりかけている頃かもしれないと思ったので、
 結局そのままでいることに。思いつく限りのことをするには全て中途半端に過ぎる時間帯であり、
 しかもその原因は自分にあるとなれば、自らの不明を恥じるしかない。

 いつもの日常に戻ってしまえばこんなものなのだろうと渚は失笑した。
 やれと言われればそれなりのことは出来るけれども、こうして時間を与えられ、
 自由に使っていいと言われてしまうとどうすればいいのか分からず、ただただ途方に暮れているしかない。

 それではいけないとは思うのだが、やれることはといえばお喋りするくらいしかないし、
 そんなことをしていていいのかと思ってしまい、立ちすくんだ挙句に無為の時間を過ごす羽目になる。
 焦りすぎているのだろうか、と渚は思う。誰かの役に立つことをしなければという思いに囚われすぎていて、
 肩肘を張りすぎているだけなのではないのだろうか。

 ここに至るまで自分は誰かに助けてもらっているばかりで、自分の力だけで何かの役に立ったことはない。
 力不足、若造の粋がりといってしまえばそうなのだろうが、それだけで納得できるはずもない。
 さりとてこの有り余った力をどこに……と堂々巡りを繰り返していることに気付き、だから気張りすぎているのかと思ってしまう。
 一人でいるのがいけないのだろう。どうにもこうにも考えすぎてしまっているという自覚はあり、
 少し頭を冷やしてくるべきかと考えた渚は顔を洗ってくることにした。

 腰を上げて伸びをすると、それまで座りっぱなしだった体がポキポキと小気味のいい音を立て、僅かに体が軽くなったような気になる。
 それが気持ちよく、更にうんと体を伸ばす。筋肉が解れる心地良さに気を抜いた瞬間、バランスを崩してしまい床で滑ってしまう。
 派手に尻餅をついてしまい、いたた、と情けない気分になったところで、渚は見られていることに気付いた。

426少女達の休日:2009/11/04(水) 21:32:47 ID:y6TU6bzk0
「あ……」

 どうやら風呂から上がったと思しき川澄舞がしっかりと渚の無様を目撃していたようだった。
 思わぬ光景だったのだろう、目をしばたかせていた舞に、渚はいたたまれなくなり、恥ずかしさで顔が真っ赤になった。
 同時に何をやっているのだろうという冷めた感想が広がり、誤魔化し笑いを浮かべる気にもならず、ただ溜息だけを漏らした。

「大丈夫?」

 だが舞はそんなことを気にすることもなく、小さく笑って手を差し出してくれた。
 何の含みもない、たおやかで細い指先。髪を下ろし、ほんのりと染まった肌色と合わせて、
 ドキリとするくらいの美しさに僅かに戸惑ったものの、渚は頷いて舞の手を取った。
 ほんの少しだけ濡れた感触が心地良い。立ち上がったと同時に漂ってくる石鹸の香りは、
 飾らない舞の質実さを如実に表していて彼女らしいな、と渚は何の抵抗もなくそう思うことが出来た。

「どうされたんですか?」

 何か用事があるのだろうかと思って尋ねてみたが、舞はむ、と眉をひそめる。
 気分を害するようなことを言ってしまったのだろうかと思い、どうしようと思ったが、それより先に舞が口を開く。

「渚が皆で過ごそうって言ってたのに……」
「……あ」

 自分で言ったはずの言葉をすっかり忘れていた。荷物整理の作業に夢中になる余りに頭の外へと追いやっていたのだろうか。
 それとも、余裕をなくした頭がこんなことも忘れさせてしまっていたのか。
 どちらにしても自分の失態であることには違いなく、「ご、ごめんなさい、すっかり……」と精一杯の謝罪の気持ちを込めて頭を下げる。

「別にいいけど……私も、自分のこと優先してたし」
「いえ、約束を忘れていたわたしが……」
「今までゴタゴタしてたし、確認すればよかっただけ。渚に非はない」
「いえいえいえ、それでもやっぱりわたしが」
「何やってるのよ」

427少女達の休日:2009/11/04(水) 21:33:04 ID:y6TU6bzk0
 謝罪合戦になりかけていたところに呆れている声が割り込んできた。藤林杏のものだった。

「突っ立ってないで、座りなさいよ。あたしはよく知らないけどさ」

 用事があると言って藤田浩之、姫百合瑠璃と共に出て行った杏の顔はいつもと変わりない明るいものだった。
 どこかさっぱりした様子に、問題は解決したのだろうかと思ったが、聞くのも野暮だと思い、大人しく言う事に従う。
 ゆめみの動かない姿を見た杏は「寝るんだ」と物珍しそうに言って、しかしすぐに意識の対象をこちら側に戻す。

「他のみんなは?」
「どこかに出かけちゃったみたいです」
「伊吹とルーシー、まーりゃんと往人ならお風呂の近くで見た」
「で、あなたは入ってきたと。……ていうか、お風呂あるんだ」

 風呂上りの舞をしげしげと眺めながら、杏は羨ましそうに息を吐き出す。
 あたし、髪がぼさぼさでねと苦笑する杏の髪は、確かに以前とは比べ物にならないほどみすぼらしい有様だった。
 髪が長ければ長いほど手入れも大変だと聞くから、これだけ風呂に入っていないとなるとダメージも深刻なのだろう。
 だから舞はそちらを優先したのかもしれないという納得して、渚も自分の髪を触ってみた。

 手触りが悪い。土埃と汗で上手く梳けない。比較的短髪だから気付きもしなかったが、自分も中々ひどいものだった。
 そう認識するとこんな格好でいることが恥ずかしく思えてくるのだから、自分も女かと思う一方、鈍いのだなと思いもする。

「後であたし達も入ろっか」
「そうですね。って言っても、順番待ちだと思いますけど」

 でしょうね、と苦笑する杏を見ていると、もう何も聞く必要はないなと自然に思うことが出来た。
 今の皆はきっと、いい方向に向かっているのだろう。
 自分はその中に混ざれるのだろうか……安心すると同時にそんな不安が浮かんでくる。

428少女達の休日:2009/11/04(水) 21:33:20 ID:y6TU6bzk0
「そりゃここにいる大半が女の子だもんねー。今まではさ、何かやることがあったりそんなこと考えてる暇がなかったりしたけど、
 こうしてのんびりする時間を貰ったら、身なりも気になってくるか。……考えてみたらさ、こういう時間、なかったし」

 足を伸ばし、天井を見つめながら話す杏。その声色は与えられた時間を満喫しているというより、
 時間を潰すだけの余裕を与えられたことに対する戸惑いを含んでいるように思えた。

「実はね、戻ってきたのも、何しよっかなって迷っちゃって。ほら、これまでって誰かを探したり、生き残るために何かを探すとか、
 そういうのばっかりだったじゃない? ……ううん、前からそうだったのかも。
 学校に行くのも、勉強するのもそうする必要があるからってだけで、本当に考えてやったことじゃない。
 もっと自由な時間が欲しいとか思ってたけど、いざこうしてみると分かんなくなっちゃう」

 言葉を切った杏に、渚は何も言うことが出来なかった。同じ気持ちを、渚も抱いていたからだった。
 人は本当の意味で時間を与えられると何をしていいのかも分からず、途方に暮れることしか出来ない。
 だから人や物に目的を見出し、その場その場で理由を見つけてはやるべきことを為してゆくだけなのだろう。
 人はひとりでは生きられない。この言葉の意味は、一人では何も見つけられないという、それだけの意味なのかもしれない。
 そう考えると一人で悩んでいたことがバカらしく思えてきて、抱えていた重石がふっと軽くなったように感じられた。

「みんなそうだと思う」

 杏の言葉を受け取って、舞が続けた。

「理由が欲しいから、人は一緒にいようとする。でもそれでいいと思う。少なくとも、私はそう考えてる」
「……そうよね。まぁその、なんだ。あたしは暇を持て余してたから、お喋りしたかったのよ、うん」

 上手く説明できていないようだったが、なんとなく杏の言いたいことは渚にも伝わった。
 とりあえず何かしていたい。それだけなのだろう。
 なら、と渚は遠慮なく乗ることにした。意味のあるなしはもうどうでもよかった。暇なままでいたくない、理由はそれひとつで十分だった。

「じゃあ、しりとりでもしましょうか」
「……しりとり?」

429少女達の休日:2009/11/04(水) 21:33:35 ID:y6TU6bzk0
 怪訝な顔をする杏。話題として一番初めに思いついたのがこれだったので言ってみたが、まずかったのだろうか。
 さりとて代わりの話題も浮かばず、どうしようと思ったが「まあいいか」と納得した杏も話題が思いつかないという顔であった。
 何でもいいからやりたい気分なのだろうと解釈して、渚は先陣を切ることにする。

「それじゃ、しりとり、からで。りんご」
「ゴリラさん」
「……」
「……」
「……あ」

 『ん』がついたことに気付き、しょぼんとなった舞をフォローして、「そ、それじゃもう一度!」と明るい声を出して杏に続きを促す。

「あ、ああ。えーと……ゴボウ」
「ウリ」
「リスさん」
「……」
「……」
「……あ」

 再び肩を落とす舞。

 渚は気付いた。

 しりとりはやめておくべきだったのだ、と。

430少女達の休日:2009/11/04(水) 21:33:56 ID:y6TU6bzk0
【時間:3日目午前04時50分ごろ】
【場所:D−6 鎌石小中学校】

川澄舞
【状態:往人に付き従って行動。強く生きていたいと考えている。両手に多少怪我(治療済み。支障は全くない)】
【その他:往人に対して強い親近感を抱いている。剣道着を着ている】

朝霧麻亜子
【状態:鎖骨にひびが入っている可能性あり。そんなことよりおふろはいりたい】
【その他:体操服(上下のジャージ)を着ている】

国崎往人
【所持品:スペツナズナイフの柄】
【状況:強く生きることを決意。人形劇で舞を笑わせてあげたいと考えている】
【その他:左腕に文字を刻んだ。舞に対して親近感を抱いている】

古河渚
【状態:健康】
【目的:人と距離を取らず付き合っていく。最優先目標は宗一を手伝う事】

ルーシー・マリア・ミソラ
【状態:生き残ることを決意。髪飾りに美凪の制服の十字架をつけている】
【目的:まーりゃんはよく分からん】 

ほしのゆめみ
【状態:スリープモード。左腕が動くようになった。運動能力向上。パートナーの高槻に従って行動】

藤林杏
【状態:軽症(ただし激しく運動すると傷口が開く可能性がある)。簡単には死ねないな】

→B-10

431報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:50:05 ID:x/wIwU5o0
 報われぬ愛国者、フリッツ=ハーバーに捧ぐ。

 この一文から始まったテキストを食い入るように見つめている、自分を含め五人の男女がいる。
 始まりは高槻のこの一言だった。

「まずここにあるもんの確認からいこうぜ」

 高槻が持っていたのは小さなUSBメモリ。それは以前高槻が持っていた……正確には立田七海という少女の持ち物であったらしいのだが、
 その中には支給品の詳細が記されているのだという。
 中には用途不明のものもいくつかあったので、これからの戦いに備えて使い方を把握しておきたいものもあり、まずはそちらを確認することになった。

 会議室と称した職員室のテーブルには今のところ三台のノートパソコンがある。
 幸いなことに三台全てが使用可能であり、OSも同じウィンドウズ。
 中身を見てみたが、一台を除いてはインストールしたての新品同然のパソコンであった。
 もっともメモ帳として使えるから別に構わないのだが……問題は残す一台の方だった。

 何の意図があってか、そのPCには暗号解読用のソフトがインストールされていた。
 それもその手のプロが使うような高性能な代物であり、エージェントであるリサ=ヴィクセンは何らかの意図を感じずにいられなかったようだった。
 無論同業者である那須宗一にとっても暗号解読ソフトがあるのには不審の念を抱いたが、試しに起動してみても何もおかしな部分はない。
 他の構成ファイルなどを覗いてみても罠らしきものは何もなく、
 なぜこんなものが、と周囲に尋ねてみたところ、いくつか推測ではあるが答えが返ってきた。

 曰く、もうひとつのUSBメモリには以前パスワードが仕掛けられていたらしく、それを解除するために用意されたものではないかということ。
 曰く、高槻の方のUSBメモリにも暗号のかけられたファイルがあるのではないか、ということ。

 そこでまず高槻の方のUSBメモリを検閲することになった。

「そういえばもうひとつ何かあったような気がする」

 と言っていた高槻の言葉通り、もう一つファイルが見つかった。
 ただのテキストファイルだったが。
 題名は『エージェントの心得』。

432報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:50:23 ID:x/wIwU5o0
 今さらこんなものを見たところで、と宗一でさえも思ったが、中身がある以上確かめないわけにもいかず、普通に開いてみることにする。
 そして最初に戻る……というわけだ。

 報われぬ愛国者、フリッツ=ハーバーに捧ぐ。

 その冒頭から始まるテキストはエージェントの心得どころか何の意味もないテキストで、
 フリッツ・ハーバーという化学者の半生を振り返り、その締めくくりとして、
 『人の行いは何も意味を為さないのではないか』というありがたい諦めの言葉が添えられていた。

「なんだ、これ」

 と呆れた声を出したのは高槻だった。
 支給品に諦めろと言われればそうなるのも当然だな、と思いつつ宗一も軽い苛立ちを覚える。
 ここまで生き延びてきて、苦労して支給品をかき集めたと思えばいきなり出鼻をくじかれたのだ。
 一ノ瀬ことみも芳野祐介も声にこそ出さないが憤懣やるたない表情であったが、ただ一人、リサだけは違っていた。

「ねえ、何かおかしくないかしら」
「何がだよ。ただのクソつまらない文章じゃねえか。それともアナグラムでもあったか? それとも縦読みか?」

 高槻の言葉を聞いた瞬間、宗一はリサが持っている違和感の正体を察知した。
 ファイルが重たすぎる。たったこれだけのテキストを開くのにたっぷり数十秒がかかっていた。
 テキストファイルの容量自体も数メガをゆうに超えるサイズであり、とてもこれだけの内容とは考えられなかったのだ。
 ただ見た限りではただのテキストファイルであり、PCの性能も至って普通。

「となれば……」

 宗一は先程の暗号解読ソフトを起動させ、テキストファイルをそこにドラッグして持ってくる。
 と、その途端。

433報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:50:50 ID:x/wIwU5o0
「お、おおっ!?」
「ビンゴだな」

 先程とは比べ物にならない量のテキストがずらずらと並べられる。
 暗号自体はそれほど難しくもなかったようだが、隠すだけの内容があった。
 ここに本当の『エージェントの心得』とやらがあるのかもしれない。
 もっとも既にエージェントである自分達にはあまり得でもないことだろうが……
 そう思いながら、宗一は無言になった一同と一緒にテキストを読み進めることにした。

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434報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:51:03 ID:x/wIwU5o0
 私の名前は和田透と言う。
 このテキストが誰かの目に触れているのなら、それは私の最後の妨害が成功したということだろう。
 とは言っても、この程度の妨害しかできない私の不明は、いくら恥じても足りない。
 それでも私はやれるだけのことをやろうと思う。
 篁財閥で、バトル・ロワイアルと言う名の狂気のゲームに手を貸してきた私の、せめてもの贖罪として。
 近いうちにやってくるであろう、ある日本人の女の子への手助けとなることを願って。
 そして篁の手にかかって死んでいった、ロシア系アメリカ人夫妻への手向けとして……
 ここに私が知る限りの真相と、情報を提供したいと思う。
 無論、これらの情報を書き連ねていると知られれば、私はただでは済まないだろう。
 いや、彼らのやり方は私もよく知っている。
 我がクライアントは私の為した仕事について、常に厳格な評価を下し、相応の報酬を支払ってきたものだ。
 長い付き合いだ、今回の仕事について彼らがどう評価し、どのような報酬を与えるつもりなのか考えなくても分かる。
 だが私は逃げない。
 取り巻く世界がどのように変わろうと変わらない強さ。強い意志と信念の力。
 私はハーバー氏の生涯に同情したわけでも、自分を重ねていたわけでもなく、その強さにずっと惹かれていたのだろう。
 前口上はここまでにしておく。
 事の始まりはもう10数年も前、私が研究職から離れ、さる商社に務めていたころの話だ……

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435報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:51:18 ID:x/wIwU5o0
 『ハーバー・サンプル』というものについてご存知だろうか?
 我々科学者の間ではちょっとしたフォークロアだった。
 永久運動機関や常温核融合と同じ、誰もが忘れ果てた頃に、ひょっこりとその姿を垣間見せては、
 即座にその存在を否定されて消えていく、あやふやでいいかげんな噂話の一つに過ぎなかった。
 いわく、それは『ハーバーの遺産』とも称され、彼が密かに開発し、隠匿した何かで……
 空気から石油を生み出す技術であったり、錬金術を可能にする触媒だったり……
 新種の化学肥料だと言うものもいれば、超強力な毒ガスだと言うものまでいた。
 もっぱら化学系の研究者の間で囁かれる話なのだが、畑違いの私がそれを聞く立場にあったのは、専攻分野の特殊性によるものだった。
 当時、統合地球学という分野は、現在ほど確立しておらず、設備も人材も十分でない頃で……
 その名のとおり、地質学・治金学・化学・物理学を統合していたその内容上、他の学科の教授の協力を仰いだり、
 実験設備を共用するために、他分野の研究室に出入りするのは日常茶飯事だったのだ。
 その『ハーバー・サンプル』と称した寄せ木細工の小箱と共にとある『計画書』が送られてきた。
 詳しい内容は省くが、それは大規模な海洋探査プロジェクトだった。
 計画書の内容は私にとって実に魅力的であり、『ハーバー・サンプル』の魔力ともいえるものに惹かれ、私はそのプロジェクトに参加した。
 無論多少の経緯などは存在したものの、それを語るのは蛇足であろう。
 そのプロジェクトの名前が『ハーバー・サンプル』であり、海洋審査に用いられていた当時最先端の海洋掘削船の名を『メテオール号』と言う。
 世間では表沙汰にされておらず、現在は殆どの記録も抹消されている案件であるから、余程の情報通でなければこの名前は聞いたこともないだろう。
 とにかく、私はこのプロジェクトに参加し、計画を推し進める過程で、とある人達に出会ったのだ。

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436報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:51:33 ID:x/wIwU5o0
 プロジェクトの責任者に任命され、殆どの調査を実際に指揮することになっていたのは、ロシア系アメリカ人の地質学者夫妻だった。
 スタッフに対しては分け隔てなく、アメリカ人特有の陽気さで接して士気を鼓舞し、
 データ収集においては厳格なロシア人気質を発揮して、精確なデータを得るまでは決して諦めようとしなかった。
 まさに、このプロジェクトにうってつけの人材だった。
 彼らとは、月に一回程度連絡を取り合い、半年に一度は、プロジェクトの進行状況と今後の方針について協議するために、会合を持った。
 この過程で、私は彼らと、仕事だけではなく、個人的にも親しくなった。
 彼らは、かつてのソ連が生んだ奇妙な学説の一つ、石油無期限説――石油が生物の遺骸からではなく、
 地殻に含まれる深層ガスから精製されるという、当時でも異端視されていた学説だ――を研究していた、地質学者だった。
 また彼らを通じて、とある日本人夫妻とも親しくなった。
 彼らは物理学の、超ひも理論を専攻していた科学者で、私とは遠く離れた分野の研究者達だった。
 かいつまんで言えば、この世界にはもう一つの世界があり、いわゆる平行世界というものの研究をしていた。
 また夫妻の言葉によれば、もしももう一つの世界を発見し、
 行き来することができるようになれば新たな資源確保への道が開けるかもしれないという。
 SF紛いの話だと当初は思ったものだが、真摯に語っていた彼らの話を聞くうちにだんだんと私も彼らの情熱に共感するようになっていた。
 私と、ロシア系アメリカ人夫妻と、日本人夫妻。
 全く分野は違いながらも、内奥に持ちうるものが殆ど同じ種類の人間達だった。

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437報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:51:47 ID:x/wIwU5o0
 こうして、プロジェクト開始から、丁度2年が過ぎた。
 第一次探査計画(今回の調査の呼称だ。結果如何によっては第二次、第三次と続行されるはずだった)は、ほぼ終盤を迎えようとしていた。
 調査では、地下資源の探索においても、地下生命圏の解明においても目覚しい成果を挙げていた。
 ここで注釈を加えておく。
 プロジェクトの内容としては、大雑把に書き連ねて以下のようなものがあった。
 ・海洋地殻上層部の石油・天然ガス・鉱物と言った天然資源の精密な調査。環太平洋圏資源マップの完成。
 ・地殻深部に存在すると予想される、好熱・好圧性微生物にによる地下生命圏の探査。及びその生態系の解明。
 ・最深部、海底直下8000メートルを越える掘削による、マントルプレートへの到達とマントルコアの回収。
 このプロジェクトが成功すれば、人類の資源問題を殆ど解決することが出来た、と言っておこう。
 そして、我が友人達の指揮するメテオール号では、数十回に及ぶ慎重な試掘を完遂させて、
 ついにマントルプレート到達を目指す最後の掘削作業に突入していた。
 既に掘削が始まってから六ヶ月近くが経過しており、今回の探査で発見された最古の海底……
 二億八千年前の海洋地殻には、7000mにも及ぶ掘削孔がうがたれていた。
 まさにマントルプレート到達は目前だと思われたその時……
 あの事件が起こったのだ。

     ----------decording---------

438報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:52:02 ID:x/wIwU5o0
 メテオール号は消失した。
 突如として連絡を絶ち、文字通り跡形もなく消えたのだ。
 ちょうど、このプロジェクトの責任者である夫妻が、科学財団への定例報告のため、船から離れた折に起こった事件だった。
 だが、私は詳しい事情を彼らの口から聞くことはなかった。
 事件が起こった直後に、彼らもまた、財団のあったニューヨークで殺されていた。
 滞在先のホテルに、何者かが押し入り、銃を乱射したとの事だった。
 また例の日本人夫妻も、まるでタイミングを合わせたように事故死していた。
 旅客機の墜落事件。エンジントラブルにより墜落した飛行機に、丁度学会へ発表に行く途中だった夫妻が乗り合わせていたのだ。
 聞くところによると、例の研究の理論が一通り完成していて、論文も夫妻が持ち込んでいた。
 当然捜索も行われたが、論文はもとより夫妻の遺体も見つからず仕舞いという形となり、
 さらに論文はあのオリジナルしかなく、自宅には何も残っていなかったという。
 私にも急転する事態が訪れた。
 ニューヨークへ急行しようとしていた私も、あらぬ疑いをかけられ空港で拘束されることとなった。
 身に覚えのない、背任容疑だった。
 私は何十日も拘束され、ようやく拘置所から出たときには、まるで最初からなかったかのように綺麗さっぱりと事件の痕跡は消え失せていた。
 私も商社を解雇され、退職扱いとなり、銀行口座には退職金としては多額の……だが口止め料としては小額の金が振り込まれていた。
 明らかな犯罪であった。
 そう、手を下したのはこのプロジェクトのクライアントだろう。
 莫大な予算をかけられるだけのプロジェクトを強力に推し進めたその財力を、そのクライアントは持っていたのだ。
 そう――篁財閥という、世界をも支配すると言われるだけの財力を持つ、彼らが。
 篁財閥の力をもってすれば、船を一隻沈め、街中で人間を二人ばかり射殺し、事故死に見せかけて人間二人を殺害し、
 そして事件そのものをもみ消すことなど造作もないことだろう。
 何故こうなったのか?
 それはデータ専有の件で、研究者側と何か決定的な破局が生じたのだ。
 クライアントと研究者の間では、データを公表するか否かで対立が起こっていたのだ。
 公表はされていなかったが、環太平洋圏の地下資源マップは殆ど完成していたはずだ。
 例えば、大規模な油田や希少金属の鉱床が発見されていたとして……
 それが公海上だったら問題ないだろうが、もしもどこかの国の排他的経済水域上だったとしたら。
 その国が自社と対立していようが友好関係にあろうが、情報は徹底的に隠匿したいはずだ。
 相手国を利さないためにも、採掘権交渉を有利に進めるためにも、それは不可欠だろう。
 何か大きな発見を契機に、そのデータの公表を巡って研究者側と対立し、全員の口を塞ぐことになった……
 プロジェクトの全貌は、メテオール号で把握・管理されていたから、この船を乗員ごと葬り去ってしまえば、情報の隠匿は可能だった。
 当時の私はこれ以上関わるのも恐れ、堅く口を閉ざしていた。
 私はそれなりに賢明な男だと思われていたらしい。実際彼らの目論見通り、私は何もすることはなかった。
 海外から、あの手紙が届いたときも……

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439報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:52:18 ID:x/wIwU5o0
 その手紙が届いたのは、私が釈放されてから一ヶ月ほど経った頃のことだった。
 いや手紙と言うには分厚く、中にはいくつもの紙が入っていることは容易に想像できた。
 そして手紙の送り主が誰であるのかも……
 差出人は匿名であったが、それが経由したルートは尋常のものではなかったことが容易く想像できた理由だ。
 いくつもの国を渡ってきたのだろうと思わせる、見慣れない切手と通関印、異国の言葉の数々。
 複雑な転送サービスを用いたのであろう。そう、あのロシア系アメリカ人夫妻か、あの日本人夫妻のものに違いなかった。
 結論から言ってしまえば、私は中身は見たものの内容まで吟味することはなく、すぐに焼き捨ててしまったのだ。
 今にして思えば、どうしてそんなことをしてしまったのか……
 後悔は今でも私の内側にこびりついて剥がれない。
 拘留期間での苛烈な取調べの連続。それまであったものを一切合財奪われたことによる茫然自失感。
 言い訳をするなら言葉は尽きないが、実際のところは恐れていただけなのだろう。
 巨大すぎる敵に立ち向かうことへの恐ろしさに震えていただけの、情けない男だった。
 その時から既にやるべきことは分かっていたにも関わらず……
 私は、まったく賢明な男だった。

     ----------decording---------

440報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:52:32 ID:x/wIwU5o0
 その後、私はエージェントとなった。
 路頭に迷ったとは言え、まだ壮年と言える年齢で、十分に実績もあり、再就職も容易だった私が、
 あえてそうなる道を選んだのは……どうしてだったのだろうか?
 昔はあっさりと私を切り捨てた会社と、そして堅実な生き方しかしてこなかった自分自身への、復讐のつもりだとばかり思っていたが……
 どうやら、それだけではなかったと、今になって気付いた。
 そう、『それは必然だった』と、声を大にして言えるのが、今の私には喜ばしい。
 仕事内容は省くが、私は徐々にエージェントとしての名を上げ、やがてある多国籍企業の専属エージェントとして雇われることになった。
 私はその企業の元で様々な仕事を行ってきた。
 いわゆる経済方面における情報操作を行っていたのだが、白状させてもらえるならば、私はこのときから次の罪へと手を染めていた。
 情報操作を行うということは、即ち私の雇い主に利益をもたらすこと――そう、私が雇われていたのはあの篁財閥だった。
 だが私は篁財閥がメテオール号沈没事件の犯人だとは知らなかった。
 例のプロジェクトの間、私には一切クライアントの名は知らされていなかったからである。
 私がそれを知る事になったのは、ひとつの偶然からだった。
 ふとした切欠から、私はメテオール号の沈没した場所を調べ始めた。
 何故か、と問われると即答はできない。
 エージェントとして人を騙し続ける空虚な生活を慰めるべく、せめてかつての知人を弔ってやりたいとでも考えたのか……
 それとも家の隅に置いてあった『ハーバー・サンプル』の小箱に何か動かされるものでもあったのか。
 だがそのお陰で私は本当の真実に、遅まきながら辿り着くことができたのだ。

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441報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:52:45 ID:x/wIwU5o0
 私のエージェントとしての能力は成熟しており、沈没した地点を探すのに時間はかかりはしたが、それほど苦労はしなかった。
 そして、取り急ぎ向かったその地点で私はようやく答えを見つけたのだった。
 そこには……巨大な海洋掘削装置が建設され、フル操業していた。
 沈んでいる乗務員の墓標のようにそびえ立つその装置には、我がクライアントのシンボルが刻んであった。
 私が決して見逃されておらず、常に監視されていたことに震え上がるような恐怖を感じた。
 けれども矛盾するようだが、何もかもが終わってなかったことに……まだ間に合うことに、寧ろ安堵したのだった。
 私は戦う意志を固めた。
 あまりにも遅すぎた。
 それでも、目の前で傲岸さを隠しもせず、我が物顔で、
 あのプロジェクトに関わった人々を踏み躙ったあのシンボルマークに……私は我慢できなかったのだ。
 言い訳はしない。どんなに取り繕ったところで許してもらえるわけもない。
 私はただ、何も素人もせず罪を重ねてきたことに対する贖罪と、自分の心に巣食った弱さを精算したかったのだ。
 まず手始めに、あの装置を完膚なきまでに破壊した。メテオール号の隣に、きっちりと沈めてやった。
 ニュースでご覧になった方もおられるだろう。
 また私は叛旗を翻す過程で、篁財閥が推し進めている一つの計画を知ることになった。
 それは各地から一般人を拉致し、殺し合わせるという狂気の沙汰以外の何物でもない計画――通称、バトル・ロワイアル――だった。

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442報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:53:11 ID:x/wIwU5o0
 篁総帥自ら関わるこのプロジェクトの中身はある種荒唐無稽、だが何故あのロシア系アメリカ人夫妻を殺害したのか、
 そして日本人夫妻を事故死に見せかけて殺害したのか、全ての辻褄が合うものだった。
 舞台は人工島、沖木島。このプロジェクトのためだけに建造した施設らしい。
 表向きはレジャー施設と銘打って……
 その実態は軍事基地とも言うべき施設だ。島の内部には高天原というコントロール施設があり、
 そこには自社で開発したと思われる兵器の数々が、そして各国から買い付けたと思われる武器弾薬の数々が備蓄されている。
 中には核兵器、米軍から情報を盗み、独自に開発したと思われる新型自動砲撃戦車、
 対人戦闘用機甲兵器、更には戦闘用機械人形……まで取り揃えてあるらしい。
 エネルギーの確保は例の装置を通じて行う。この島単体であらゆる国家と戦争が行えるというわけだ。
 だが目的は軍事国家として独立することでもなければ、戦争を引き起こすことでもない。
 彼らは……平行世界に攻め込もうとしているのだ。
 俄かには信じられない話だろう。日本人夫妻が実際に研究していたとはいえ、
 まさかそちらに攻め込むなどと言い出すとは、どこの酔狂でもやるまい。だが篁総帥は本気だった。
 世界各地には様々な伝承がある。
 異世界からやってきたと言われる『翼人』の伝説。
 同じく異能の力を持って現れた『鬼』。
 『不可視の力』と称される超能力の存在。
 かつて日本陸軍・海軍が研究していたと言われる『仙命樹』。
 これらの力は平行世界からもたらされたものであるとし、そこに攻め込み、更なる力を手にする……
 その世界は『根の国』『えいえんのせかい』『幻想世界』などと呼ばれ、実際にその世界の片鱗が現れたこともあったらしい。
 例えば、二度と目覚めないはずの、重体であった少女が目を覚ました瞬間、この世のものとは思えない光が舞ったとか、
 植物状態であったはずの少女が突然目覚め、めざましい回復を遂げた事例などがある。
 篁総帥が語るところによれば、それは全て『人の願い』が生み出した力だという。
 真偽はともかくとして、実際に起こったことであるというのは確かなことだった。
 話を戻すと、一般人同士で殺し合いをさせたのにもここに理由がある。
 総帥が言うところの『人の願い』が極限状態の中で生まれる。それを元にして平行世界への扉を開く、というのがこのプロジェクトの目的だ。
 もっとも、仮に失敗したとしても機械人形の戦闘データ収集という副産物があるらしかったが、関係のない話だった。
 私はこのプロジェクトをやめさせるべく、必死に奔走した。
 だが所詮は篁の庇護も得られず、それどころか追われる身だ。
 真実など伝えられようはずもなく、精々が参加者に対してある程度の支援を行うくらいのことしか行えなかった。
 この文章もその一つだ。この言い訳染みたテキストが終わった後には、この首輪の設計図を示した図を載せておく。
 仕組みは実に単純だ。少々機械工学の知識さえあれば簡単に外せるだろう。
 首輪には盗聴機能があることは先刻承知だろう。気をつけて欲しい。
 監視機能は首輪にはないだろうから、上手くすれば脱出だってできるはずだ。
 このようなことしか出来ない私も、もうそろそろ年貢の納め時が来たようだ。
 思えば無茶をしたものだ。デスクワークしかしないと心に決めたはずなのに……
 最後に一つ、まだ生きていることを願って、日本人夫妻、いや一ノ瀬夫妻からのメッセージを残しておく。
 あの焼き捨てた日から今でも、手紙に染み付いた言葉は片時も忘れたことがない。
 私如きから伝えられるのは不本意ではあるだろうが、これだけは容赦してもらいたい。

443報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:53:29 ID:x/wIwU5o0
   ことみへ
   世界は美しい
   悲しみと涙に満ちてさえ
   瞳を開きなさい
   やりたい事をしなさい
   なりたい者になりなさい
   友達を見つけなさい
   焦らずにゆっくりと大人になりなさい

   おみやげもの屋さんで見つけたくまさんです
   たくさんたくさん探したけど、
   この子が一番大きかったの
   時間がなくて、空港からは送れなかったから
   かわいいことみ
   おたんじょうびおめでとう

 ……もうひとつだけ謝罪させてもらえるなら、人形は見つかる事がなかった。
 人形は今も世界を漂流しているのか、それとも海の底へ沈んでしまったのか……それは定かではない。
 人形の所在を調べられなかったことだけが……私の心残りだ。
 ただ、私は信じている。
 いつの日か人形の詰まったスーツケースが、夫妻の娘の元に届くことを……
 本当に申し訳がなかった。
 だからせめて、命が尽き果てる最期の瞬間まで

     ----------decording---------

444報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:53:47 ID:x/wIwU5o0
 そこから先は、首輪の図面が並ぶだけだった。
 皆、無言のままだった。

 嗚咽を漏らす、一ノ瀬ことみを除いては。
 よりにもよって、と宗一は思った。こんなタイミングで、こんなものを出されては……

 脱出『だけ』なんて出来ないじゃないか。

 100人以上の人間が集められ、殺し合いをさせられる。
 いや過去に遡ればそれ以上の数の、途方もない人間が既に犠牲となっている。
 企業の権益のために、一人の老人の欲望を満たすためだけに、数字の収集のためだけに。
 この島には血が染み付いている。海で今も悲鳴を上げ続けている人間達の魂が、宗一に語りかけている。

 頼む、この島を潰してくれ、と。
 悪意そのものであるこの場所を完膚なきまでに破壊してくれ、と。

「……俺は、しばらくこれを読むよ」

 他の四人は何も言わなかった。
 告げられた事実の大きさに打ちのめされているのではなかった。
 それに対して自分が何をできるか。それぞれが必死に考え、結論を出そうとしていたからこその無言だった。
 やがてリサが動き出し、それに高槻が続き、芳野が続き、最後にことみも動いた。

 宗一はPCの画面から目を外し、ちらりとことみの様子を窺った。
 全身どこもかしこも包帯だらけで、顔の半分も包帯に覆われている。
 けれどもそこに痛々しさは微塵も感じられなかった。

 片方の目から涙を流しつつも、決然とした意思を持って、その内奥に両親の魂を仕舞いこんで、遥かな遠くを見据えていた。
 そこに映るのは茫漠とした未来ではなく、本当にやりたいことを見つけ出したことみの新しい未来なのだろう。
 宗一は、再びPCの画面へと目を戻した。
 綺麗に表示された首輪の設計図の画面が、僅かに宗一の目を灼いた。

     *     *     *

445報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:54:05 ID:x/wIwU5o0
『目星は、大体ついてる』

 キーボードを叩きながら、リサは地図の数ヶ所を指差す。
 それは以前ことみと話し合った際に推測した主催者の本拠地……『高天原』へ通じる通路だった。

『首輪を外せる手段を確保した以上、後はいつ踏み込むかだけ』

 宗一が解析に手を取られている以上、こちらで算段を練っておく必要があった。
 横から高槻が書き込む。

『首輪はいつ外す?』
『今すぐ……ではないわ。主催者側はまだ殺し合いが続いていると思っている。突入するギリギリまで悟られるのは避けたい。
 まだ私達は何の対応策も持てずにオロオロしているだけの哀れな兎なのだから』
『では、しばらくこのままか』

 芳野の書き込みに、今度はことみが割り込む。

『とりあえず、私は爆弾作りに取り掛かるの。壁をぶっ壊して一気に中央突破なの』
『それが本命ね。後は多少撹乱する必要がある』
『遊撃隊というわけか』
『Yes.相手側にも備えがないわけはないでしょうし』
『チーム編成はどうなるよ?』
『今15人だったわね? 四組に分けるのがベストかしら。多分、組みなれた連中で組むことになるだろうけど』
『武器の配分は』
『ある程度均等にしたいところね……本隊が一番重装備になるか』
『しかしあのクソロボットが相手だからな……どれだけの数がいるやら』
『指揮系統を何とかできれば、多少こちらが有利になると思うの』

446報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:54:27 ID:x/wIwU5o0
 少し席を離れ、HDDの中身を見ていたらしいことみが戻ってくる。

『これ、コンピュータの中身を滅茶苦茶にするウィルスなんだって。姫百合珊瑚って人が作ってたって』

 姫百合……か。
 真実を伝えようとテキストを書き残した和田同様、姫百合瑠璃の双子の姉でもある珊瑚もまた、命を賭けてこちらに武器を渡してくれた。
 皆、命を賭けて何かを為そうとしている。

 実の父母もただ殺されただけではなく、最期まで足掻こうとした。
 和田が一度父母を見捨てた事実の是非を考えるつもりはなかった。
 和田も父母も、最後には戦おうとした。それが分かっただけで十分だった。

 人は、戦える。憎しみを身を任せることなく、自分以外の全てを恨まずとも、意志と信念で戦える。
 自分がこうしているのだって、絶対間違っているわけじゃない。
 寧ろ父母と同じ生き方が出来ると分かって、嬉しかった。
 あのテキストを見た瞬間、忘れかけていた父母の表情を思い出す事が出来たのだから……

 だから、これまでの生だって、これからの生だって、なにひとつ無駄じゃない。
 守れる力があることが、誇りに思えた。

『ネットワークが通じていたら……こいつを流し込めるかも』
『それならアテがあるかもしれん』

 芳野がことみの弄っていたPCを指す。

『あれにはロワちゃんねるとかいう掲示板システムがあるみたいでな。恐らく、主催者側の用意したシステムで、こちらからもアクセスできる』
『となりゃ、そこから侵入できるかもしれないってこった』

447報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:54:44 ID:x/wIwU5o0
 くくく、と悪役のような笑いを浮かべる高槻。
 マッドサイエンティスト、と表現していた芳野の言葉通りだった。

『任せろ。こういう仕事はちとやってたんでな……』
『先走らないでよ。やるなら首輪を外すタイミングで』
『分かってるさ』
『とにかく、計画の大まかな内容はこうよ。
 首輪を外すと同時にウィルスを流し込み、敵の情報を混乱させる。
 その隙を突いて私達は四組に分かれ、敵の本拠を占拠する。
 後は通信システムを使うなり、自分達で足を探すなりして、脱出する』
『出来るなら、島ごと破壊してやりたいところなの』
『そうできれば幸いね。こんなもの、あっちゃいけない』
『無理だと思うがね。核でも持ってこない限りは。あ、核兵器あるんだっけか?』
『それについてはおいおい考えればいいだろう。まずは爆弾の作成……だったな?』

 芳野が目で尋ねる。ことみは力強く頷き返した。

『そいじゃ、俺も俺で少し下調べしますかね』
『芳野さん、手伝ってくれる? あ、リサさんは武器の配分とか考えてて欲しいの。一番作戦立案とか得意そうだし』

 私も手伝う、と書き込もうとしたところにこの言葉だった。
 リサは肩をすくめてみせ、やれやれという風に笑ってみる。
 もうリーダーであることは確定してしまったらしい。
 宗一だって詳しいことには詳しいが、チームプレーの回数ならリサの方が断然多く、
 このような役割を任されるのも必然か、と納得することにしておいた。

 既に高槻も芳野もことみも無言で作業に取り掛かっていた。
 各員の奮戦に期待する――そんな言葉が飛び出てきそうな状況だった。
 夜明けまでは、それほど時間がない。
 とにかく最善の編成を考えよう、とリサはあらゆる状況の想定に入る。

 ……ああ、まず聞く事があったか。

 リサはいざ作業をしようとしていた高槻の肩を叩く。
 出鼻を挫かれた高槻は、あ? とでも言いたげな表情をこちらに寄越してきた。
 肩越しにキーボードを叩く。

『貴方の戦ったっていう、ロボットの性能を教えて』

448報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:55:00 ID:x/wIwU5o0
【時間:3日目午前04時30分ごろ】
【場所:D−6 鎌石小中学校】

那須宗一
【状態:怪我は回復】
【目的:渚を何が何でも守る。首輪分析中】 

課長高槻
【状況:怪我は回復。主催者を直々にブッ潰す。ハッキング出来ないか調べている】

芳野祐介
【状態:健康】
【目的:思うように生きてみる。ことみを手伝う】

一ノ瀬ことみ
【状態:左目を失明。左半身に怪我(簡易治療済み)】
【目的:生きて帰って医者になる。聖同様、絶対に人は殺さない。爆弾の作成に取り掛かる】

リサ=ヴィクセン
【状態:どこまでも進み、どこまでも戦う。全身に爪傷(手当て済み)。対アハトノイン戦対策を講じている】

449終焉憧憬(2)/get the regret over:2009/11/09(月) 13:10:45 ID:jn1DuLG60
 
「シェルター? 六十億人が死んだってのに、自分たちだけで殻に閉じこもったような連中が、
 仲良く暮らして子孫を繁栄させました……なんて、本気で言ってるのかい?」

「彼らは殺しあったよ。不安、焦燥、権力争い……理由は様々だったけど。
 一つの例外もなく、殺しあったんだ。そして、人類は滅びた」

「一番長く保ったのは十二年」
「最後のシェルターで、とある男が閉鎖空間に耐え切れなくなった」
「目に映る人間を片っ端から血祭りにあげて、最後に残った四歳になる娘を犯した後で
 自分の頭を吹っ飛ばした」

「人類最後の子はどうなったと思う?」
「犯された傷から血を流しながら、その子は生きていた。
 でも…保存食の開封ができなくてね。四日後に死んだよ」
「何百年だって生き延びられるだけの食料に囲まれて、飢え死にしたんだ」
「最後に口にしたのはプラスチックのペットボトルだったかな」

「君も見届けてみるかい? そういうものを、人類の末路を、世界の最後を」

「わかるだろう。こうなってしまってはもう駄目なんだ」

「だからこの爆弾で、終わらせるんだよ」

「そうしてやり直そう。もう一度、初めから」





******

450終焉憧憬(2)/get the regret over:2009/11/09(月) 13:11:16 ID:jn1DuLG60
 
 
かしゃり、かしゃりと音がする。
小さく、細く、乾いた、それは錆の浮いた金網が擦れて立てる音だ。
と、まるでその音に合いの手を入れるように声が響く。

「……しーぃ、ごーぉ、ろーく、」

金網には寄り掛かるように座り込んだ、小さな影があった。
まだ幼さの残る年頃の少女である。
謡うように数を数える声は、その影のものだった。
ぼんやりと空を眺める少女が投げ出した足をぶらぶらと揺するたび、金網も乾いた音を鳴らす。

「しーち、はーち、きゅーう、」

声が、止まる。
九までを数えて、小さく息をつくと、少女はゆっくりと視線を下ろしていく。
見はるかす世界は地上も空も、夕暮れの茜色に染まっている。
眼下にあるのはありふれた街並みだった。
街路樹の伸びる目抜き通りを中心に、ファーストフード店や小さな総菜屋や、薄汚れた路地裏や
ベタベタと広告の貼られた公衆電話や路上駐車された車や、そういうものが並んでいる。

少女が座り込んでいるのは、その中でも一際高く頭を突き出したビルの、その屋上だった。
金網で仕切られた柵の、外側。
その縁に腰掛けてぶらぶらと足を揺らす姿はいかにも危ういが、少女は気にした風もなくぼんやりと、
沈みゆく陽に照らされた街並みを見下ろしている。

451終焉憧憬(2)/get the regret over:2009/11/09(月) 13:11:36 ID:jn1DuLG60
透き通る瞳に映るその街に、しかし喧騒はない。
否、音という音、動くものの影そのものが、その街には存在しなかった。
往来の人ごみも、店の中に立つ影も、行き交う自動車の排気音も、何もない。
黄昏の色が、誰もいない街を染め上げている。

凍りついたように動かない街並みは精巧な箱庭のように作り物じみて、ひどく寒々しい。
それはまるで、幼い子供に置き忘れられた玩具に、静かに埃が積もるのを見守るような、
どこか胸を締め付けられる光景だった。

細く、細く息を吐いた少女が、再び空を見上げる。
瞳に茜色を映して、

「……いーち、にーぃ、さーん、」

囁くように再開されたそれは、また一から数え直されている。
少女が何度それを繰り返したのかは、誰にも分からない。
見下ろす街並みにも、見上げた空にも、動く影はなかった。
だから、

「しーぃ、ごーぉ、ろーく」
「お、セーフか」

背後から響いたその声に、数を数え上げる声をようやく止められた少女が、
くしゃりと笑ったのも、誰も見届けてはいなかった。

452終焉憧憬(2)/get the regret over:2009/11/09(月) 13:12:02 ID:jn1DuLG60
「おそいっ」

肩越しに振り返ったときには、少女は既に表情を変えている。
眉を吊り上げて一言だけ吐き捨てると、不機嫌そうにそっぽを向いて視線を空に移してみせた。

「十より前には、間に合っただろう」

そんな少女の態度には慣れているのか、声の主は事も無げに呟く。
少女の背後に立っていたのは、一人の男である。
痩身に鋭い眼光を湛えた、まだ青年と呼べる年頃の男は、錆びた金網を挟んで
背を向けたままの少女に向かって一歩だけ踏み出すと、少女と同じように空を見上げる。

「帰るぞ」

それだけを口にして、動かない。
答えはしばらく返らなかった。
燃えるような朱色に染まった夕暮れ刻の雲がほんの少しだけ形を変えた頃、

「……どうして、こんなとこまで来たのさ」

ぽつりと、少女が呟く。
男が小さな溜息をついて口を開いた。

「お前が呼んだんだろうが」
「ホントに来るなんて思わなかった」

男の溜息が大きくなる。
今度は肩もすくめてみせた。

「行くだろ……呼ばれたんだから」
「ばかだね」
「なんだと」

少女の即答に、男が眉根を寄せる。
そのまま何かを言い返そうとして、

「うん、国崎往人は本当にばかだ」

少女の声に、言葉を詰まらせる。
それは、涙声だった。
夕陽の逆光に暗い少女の背が、ほんの微かに震えていた。

453終焉憧憬(2)/get the regret over:2009/11/09(月) 13:12:31 ID:jn1DuLG60
「美凪はもういない」
「……そうか」
「国崎往人は、もうひとりで帰っちゃえばよかったんだ」

そう言った少女が、男の返事を待つように言葉を切る。
男は何も答えない。
沈黙に堪えかねたように、少女が溜息交じりに続けた。

「……みちるだって、本当はもういない」

それは少女の歳に不相応な、ひどく疲れきった色合いの呟き。
諦観に磨り潰されて風化した感情の欠片が散りばめられた溜息だった。
その声を耳にして、男が一歩を踏み出す。
視線は正面。
少女の背の形に切り取られた夕陽の朱をその眼に映して、男が口を開く。

「みちる、お前はどこにいる?」

問い。
厳しく、冷たく、突き放すような声音。

「……え? だから……」
「もう一度聞く」

唐突で要領を得ぬ問いに戸惑う少女に、しかし叩きつけるように男の言葉が続く。

「もういないと言うお前は……本当のお前は、なら、どこにいる、みちる?」

454終焉憧憬(2)/get the regret over:2009/11/09(月) 13:12:54 ID:jn1DuLG60
曖昧な返答の一切を許さぬという、それは声音だった。
強く、強く、ただ真実のみを求める、問い。
振り向かぬまま、肩を震わせたまま、少女が僅かに顔を伏せ、応える。

「……遠いところ。ずっと……、ずっと、遠いところ」

おずおずと、怯えたような声で紡がれた少女の答えを、

「違う」

男が、一刀の下に切り伏せる。

「お前はここにいる」

言って歩を踏み出し、更にまた一歩を進んで。

「俺がいる、ここにだ」

がしゃりと、金網を鳴らす。
肩越しに振り返れば、男は金網を掴んだまま、座り込んだ少女を見下ろしている。

「手を伸ばせ」

真っ直ぐに、見下ろしていた。

「届く、かな……?」

困ったように眉根を寄せて笑った少女の瞳には、今にも零れ落ちそうな涙が溜まっている。
それを見据えて、男は揺らぐことのない声で、

「手を伸ばせ、みちる」

それだけを、言った。

455終焉憧憬(2)/get the regret over:2009/11/09(月) 13:13:11 ID:jn1DuLG60
「……、」

一瞬、思わず何かを口にしようとした少女が、しかし唇を真一文字に引き結んで、
笑みを消し、男の瞳を睨むように見返して、それからぎゅっと眼を閉じて顔を伏せ、
そうして、叫んだ。

「―――きこえるか、国崎往人ぉーっ!」

返事を待たず、立ち上がる。
支えもない、屋上の縁。
茜色に染められて立つ少女が、

「手をのばせ、こんちくしょー!」

がしゃりと鳴らした金網の、その向こうには、温もりがある。
大きな手の、無骨な指が、そこにある。

「―――」

冷たい金網が、消えていく。
絡めた指の間で、溶けていく。
少女の背を向けたその眼下では、凍りついたような夕暮れの街も、その端から消えている。
繋いだ手の中に、道が開こうとしていた。

それは、一つの物語の終わり。
ありふれた日常へと続く、なだらかな道だ。
それは、一つの物語の始まり。
ありふれた日常から続く、穏やかな物語だ。

温かい、と。
最後にそれを、感じた。






【二層 開放】

456終焉憧憬(2)/get the regret over:2009/11/09(月) 13:13:28 ID:jn1DuLG60
 
【時間:すでに終わっている】
【場所:???】

国崎往人
 【所持品:人形、ラーメンセット(レトルト)】
 【状態:生還】

みちる
 【状態:帰還】

 →1080 1100 ルートD-5

457対決:2009/11/11(水) 23:09:00 ID:jF1MbMpU0
 『高天原』には無数の監視カメラが設置されている。
 コントトールルームにいれば施設内にいる殆どの生物の動きが分かるくらいに配置されている。
 正確に言えば、監視カメラが設置されているのは地下構造になっている部分からで、
 そこに通じる通路及び大型エレベーターには入り口のセンサーを除いては何もないのだ。

 高天原の構造は地上に通じる複数の通路から、一つの大きな部屋へと通じる。
 作戦司令室とも呼ばれるそこには、ブリーフィングが可能な広さとモニターが用意され、隣には第一武器庫が存在している。
 今そこに、一匹の猪が侵入していた。

 ぷひぷひと鼻息荒くのし歩くかの畜生の名前はボタンである。
 無闇に広い場所には人間の足がひしめいていると錯覚するほどの椅子と机の脚が立ち並び、
 ボタンはその隙間をうろうろと縫うように歩かなければならなかった。
 猪という生き物は猪突猛進が得意というか、でっぷりと太った体に細くて短い手足であるため器用に動けないのである。

 避け損ねて椅子やら机やらにぶつかり、がたごとと揺れる。
 無論その様子がコントロールルームに繋がる監視カメラに映らないわけはなかった。
 奇々怪々に揺れる机と椅子を眺めるロボット達は、終始無言であった。

 何故ならそこには人間がいないからであった。
 不気味に動くだけの机や椅子ごときを上に報告する必要はなかった。
 ロボットは、不思議を不思議と捉えられない。現実を現実として処理するだけだった。
 とにもかくにも異常と判断されなかったボタンは物の荒波から抜け出し、次なる通路へと駆けて行く。

 この通路から先は様々なセクションへと通じる細い廊下が続いており、
 発電室、第二〜四武器庫、格納庫、食堂、兵員室、食料庫、シャワー室……他多数の場所へと続く。
 ボタンは腹が減っていた。腹が減っては戦はできぬ。獣故の勘か、それとも嗅覚か。

 ボタンは迷うこともなく正確に食料庫へと通じる廊下を真っ直ぐに進んでゆく。
 途中階段があったりして「ぷっひ、ぷっひ」と一段ずつ涙ぐましい努力で下ってゆく猪の姿は感動物であった。
 当たり前だが、その姿が例のモニターにバッチリと映っていた。
 まさに万事休す。ボタンの命も風前の灯かと思えば、果たして監視の役割を担うロボット達は終始無言であった。

458対決:2009/11/11(水) 23:09:18 ID:jF1MbMpU0
 ロボット――作業用に特化したアハトノイン――達は、無能ではない。居眠りをするわけもない。
 彼女達は、ただ仕事に忠実であった。
 主であるデイビッド・サリンジャーは今は別の部屋にて仮眠を取っていた。彼は人間、この時間であるから無理からぬことである。
 不眠不休で働けるロボット達が後を任されるのは当然至極の措置といって過言ではなかろう。

 だが、サリンジャーはロボット達に対する指令を少し間違えていた。
 彼が下した命令は『モニターに異常を発見したら報告しろ』であった。
 だがこの場合の『異常』とは『この施設に登録されていない人間』とロボット達は判断してしまったのである。
 誠に融通が利かぬボンクラの如き判断ではあったが、所詮はロボットである。
 言葉を額面どおりにしか判断できぬ設計にしたのは、他ならぬサリンジャーであった。
 彼はこう命令すべきだったのだ。

 『モニターに、自分とアハトノイン達以外に動くものがあったら報告しろ』と。

 かくしてボタンは当面の危機から脱した。
 そしてそんなことなど露知らぬボタンは動物の勘で食料庫まで辿り着き、ぽてぽてと侵入を果たしては目の前の光景に歓喜の鳴き声を上げた。

「ぷっひ、ぷっひ」

 文章では到底表現できない奇怪な踊りを繰り広げるボタン。もちろんポテトからの伝授である。
 ふとかの畜生の友人を思い出してほろりと感傷に浸るボタンであったが、それよりも食べ物だった。
 結局は彼も畜生なのである。手近な棚から食べ物を引っ張り出しては起用に牙と歯で封をこじ開け、
 もしゃもしゃと頬張るのであった。彼の表情は誠に至福であった。
 アハトノイン達は減ってゆく食べ物を見つめながら、やはり無言であった。

     *     *     *

459対決:2009/11/11(水) 23:09:37 ID:jF1MbMpU0
 高天原は奇妙な平和に包まれていた。時刻は既に午前五時にならんかとしていた。
 が、その平和はいともあっけなく破られた。平和とは往々にして簡単にひっくり返される。

「……なんだ、あれは」

 仮眠から目覚め、再びモニターの前に現れたサリンジャーは絶句していた。
 見れば、どう見ても畜生の類と思われる獣がもしゃもしゃと食料を頬張っているではないか。
 一体何故? どこから侵入した? そんな疑問がサリンジャーに駆け巡ったが、
 彼の目前で監視任務についているはずのアハトノインはただ無言を貫くのみであった。

「おい、異常は報告しろと言ったはずだが」

 苛立ちを隠しもせず、己の仕様を棚に上げて詰問するサリンジャーだったが、人間の気分を解しないアハトノインは冷静に告げた。

「はい。何も異常はありません」
「ではアレは何だっ!」

 制御盤を力任せに叩き、映る猪を指差すが、アハトノインの返答は相変わらずだった。

「『誰』も侵入してはおりません」

 ここで流石にサリンジャーも悟り、ばつが悪そうに表情を歪めて舌打ちし、
 何を言っても埒があかないとようやく判断して、改めて命令を下した。

「私達以外の存在があれば報告しろ」
「異常を感知しました。いかがされますか」

 ここまで切り替えが早いと、呆れるよりも逆に不便だという印象だけがサリンジャーに残った。
 もう少し融通を利かせる設計にすべきだと考えても後の祭りで、ここでプログラミングしている時間はない。
 頭を無理矢理冷やして、サリンジャーはしわがれた声で命令を下した。

460対決:2009/11/11(水) 23:09:55 ID:jF1MbMpU0
「捕まえろ。放り出せ」
「了解しました」

 応じたオペレーター型アハトノインがマイクに指令を吹き込む。対象は控え室に待機している予備の作業用アハトノイン達であった。
 流石にこのような事故に戦闘用アハトノインを使うわけにはいかなかった。
 何せ時間の関係で、戦闘用アハトノインは数体しかおらず、うち一体は整備中であった。
 予備の機能でもこの程度の任務は十分ではあったが。

 ぞろぞろと兵員室から一様に同じ服装、同じ髪型、同じ顔のロボット達が出かけてゆく。
 サリンジャーはそれを眺めながら、まるでコメディだ、と溜息を通り越して苛立つ。
 確認してみれば殺し合いは一向に進んでおらず、しかもあろうことか一堂に会し、動きはないが団結しているようにも見える。
 アハトノインを実戦に出しての戦闘データは取りやすい状況になったとはいえ、面白くないのは依然として変わらなかった。

「次の放送は、死者はゼロでしょうね……別に、何も変わるわけでもありませんが」

 椅子に腰掛け、サリンジャーはリモコンのスイッチを押して、現在の生存者が集まる学校の様子を見てみた。
 学校内部にカメラは仕掛けていないので、はっきり言って何が行われているかは分からない。
 以前はちょっとした殺し合いもあり、いささか面白い状況だったというのに。
 聞こえてくる声も和気藹々としたもので、これも面白くない。

 幸いにして何も対応策がなさそうなことから、ただの現実逃避に過ぎないだろうことは分かったが。
 待ってみるのもそれはそれで面白いかもしれない、とサリンジャーはほくそ笑んだ。
 逃避した先にどんな状況が待っているか。絶叫に変わるその様は楽しいこと請け合いだろう。
 そう考えると今の状況もここから始まる絶望のスパイスに感じられて、サリンジャーはとうとうくくっ、と哄笑を漏らした。
 ふと別のモニターを見ると、件の猪が迫るアハトノインに追い立てられ、情けない鳴き声を上げている。
 存外に素早かったが、まあ時間の問題だろう。ロボットにスタミナ切れはない。

「逃げろ逃げろ。どこまで逃げられ……ん?」

461対決:2009/11/11(水) 23:10:26 ID:jF1MbMpU0
 せまいダクトに侵入したらしい猪が追跡から逃れる。ぽかんと口を開け、唖然とするサリンジャー。
 ダクトの中にまで監視カメラはない。つまり、見失った。
 ダクトは無数に分岐しており、どこから出てくるか分かったものではない。

「申し訳ありません、見失いました」
「探せっ! しらみつぶしにだっ!」
「了解しました」

 このまま高天原を土足で踏み躙られてはたまったものではない。
 害はないとはいえ、プライドの高いサリンジャーには自分だけの高天原を汚されることが許せなかった。

「どいつもこいつも……捕まえたら、私が撃ち殺してやりましょうかね……」

 半ば本気でそう考えていることに、サリンジャーは失笑した。
 猪一匹に何をムキになっているのであろうか。
 待つのは性に合っていないのか、それとも来るべき宣戦布告の時期を前にして気が昂ぶっているのか。

 どちらでもいい、とサリンジャーは思った。
 今はただ、放送の内容だけでも考えるかと思考して、サリンジャーは猪が消えたモニターから目を外した。




【場所:高天原内部】
【時間:三日目:05:00】

デイビッド・サリンジャー
【状態:朝まで待機】

ボタン
【状態:主催者に怒りの鉄拳をぶつけ……たいけど逃走中】

→B-10

462さよならを教えて:2009/11/12(木) 23:39:41 ID:tq0nwEpg0
(瑠璃様、珊瑚様……っ)

そうイルファが祈るように歩き続け、既にかなりの時間が経っていた。
主である姫百合姉妹を探しに折原浩平と共に無学寺を出発したイルファだが、その成果が一向に出る気配はない。
地図を見ながら先導する浩平の背中を追う形で、イルファも前に進んでいる。
両腕に支障をきした彼女は、修理を行わないもはや指先で行う作業に携わることはできない。
何かを持つこともできないイルファの代わりにと、浩平は親身になってリードしてくれている。
ありがたいことだった。
転んだら最後自力で起き上がるのも難しいイルファのためにと足元の注意も逐一教えてくれる浩平の細かな気配りに、イルファはいくら感謝してもしきたりないくらいだった。

そんな浩平の協力のおかげで、確かに道中で問題が生まれることはなかった。
しかし姫百合姉妹に関する手がかりもいまだ皆無の状態で、イルファは自身の焦りを止められそうにないくらい追い詰められている。

(……瑠璃様ぁ)

大切な、誰よりも優先する主の名をイルファは何度も心の中で呼んでいた。
しかし一向に返ってくることのない答えが、イルファの余裕を蝕んでいく。
殺し合いに乗っているような人物に声が届いたら危ないと浩平に釘をさされ、その愛しい名を声に出し発することもできないストレスは、機械でできている彼女の演算さえをも狂わせそうになっている。

ただ、その無事が確認したかった。
逃げ延びたという現実が知りたかった。
イルファは証が、欲しかった。

「こっちの方に行くと、その争ったっていう神社なんだろ? そこに戻ってる可能性だってあるんだし、あんま思いつめない方がいいぜ」
「はい……」

浩平の声に俯いたままの顔を、イルファはあげることができなかった。
人間の彼にこんな心配までさせるとは、なんて駄目なロボットだろう……思うイルファだが、やはり今は彼女のことしか考えられないようだ。

463さよならを教えて:2009/11/12(木) 23:40:06 ID:tq0nwEpg0
(お願い、無事でいてください……瑠璃様、珊瑚様)

柏木千鶴を倒した鷹野神社、今イルファ達はそこに向かっていた。
歩みは決して速くない、イルファの状態を考えると下手に急ぎこれ以上の損傷を作ってしまうのは後に響くだろうという考えからだった。
姫百合姉妹の片割れ、姫百合珊瑚と再会できれば彼女の故障した両腕も直すこともできるかもしれない。
そう言ってイルファを励ましたのは、他でもない浩平だ。

しかし道具や機材が十分ではないこの場所で、それを当てにしすぎるのは厳しいだろう。
現実問題、万が一再会できなかったことも念頭において置く必要というのは絶対にある。
しかし、そんな現実的な意見を、浩平がイルファに対し向けることはない。
それは彼の優しさだ。
姫百合姉妹をどれだけ思っているかを、こうして歩きながらイルファの口から聞いた浩平は、彼女の心を傷つけるようなことを言葉にできなくなっている。
イルファがロボットだなんだという事実は、浩平には関係ない。
そもそもメイドロボという存在自体を身近に感じていない浩平だ、こうして生の彼女を見ても機械という実感が沸かないのだろう。
頭が外れるという人間ではあり得ない状態のイルファを見ておきながらも、浩平の調子はそんなものであった。

「そろそろじゃないか、ほら。あの先だろ、多分」

鬱蒼とした森に囲まれた歩道の先、少し開けた場所が目に入り、浩平はイルファに振り向きながらそこに向かって指をさした。
こじんまりとした境内は、イルファにとっても見覚えのある建築物である。
そこに、姫百合姉妹がいるかもしれないという期待が、イルファの回路を満たそうとしたその瞬間。
イルファは、視界の隅にとても見覚えがある物が映っていることを知覚した。

「ん、どうした?」

立ち止まり表情を強張らせるイルファの様子に気づいた浩平が、訝しげに眉を寄せる。
それでもイルファは、次の一歩を踏み出せなかった。

464さよならを教えて:2009/11/12(木) 23:40:35 ID:tq0nwEpg0
空は随分と明るさを取り戻していて、当に朝焼けも過ぎている頃だろう。
視界も大分良くなっているため、この光景が見間違いである可能性というのも少ない。
しっかりと映っているそれが何なのかを、イルファは確かめなければ行けない。
そこに確かな真実があるということを。イルファは、認識しなければいけない。

「お、おい! どこ行くんだよ!!」

いきなり明後日の方向へと進みだしたイルファの背中に、浩平の戸惑った声が降り注ぐ。
それでもイルファは止まらなかった。
まっすぐに、ただまっすぐに目的のモノがある場所へと向かっていく。

「一体何やって……、っ!」

足を止めたイルファの目の前、そこに在るものの正体に浩平も思わず絶句する。

「……」

イルファは黙って、足元の彼女達を見つめていた。
折り重なる二つの肢体には、朝の光がさんさんと降り注いでいる。
まぶしい。早朝の明るさもそうだが、倒れる少女の相貌の美しさからそれは天使の姿を髣髴させた。
ピンクが基調の可愛らしいデザインの制服には、イルファの知らない新たな色が加わっていた。
スカートの赤地よりももっと濃い、朱。紅。
時間の経過を表しているその色は、もはや黒のレベルにまで落ち濁っている。
その色の出所が、どこなのか。
分からないくらい、彼女達はしとどに濡れそぼっている。

「いやぁ……」

465さよならを教えて:2009/11/12(木) 23:40:57 ID:tq0nwEpg0
イルファの機械染みた声が震える、掠れる。
暫く口を開いていなかったイルファの音声は、優しい彼女の暖かさが全く感じられないくらいのひどいものだった。
最早雑音。
ぷすぷすといった異音も、彼女の口以外の場所から漏れている。
かたかたと震えるイルファの全身から、湯気が噴出す。

「いやああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

大気を引き裂くノイズを発しながら、オーバーヒートしたイルファはそのまま前のめりに倒れそうになった。
崩れていくロボットの体を、浩平が慌てて受け止めに行く。

「熱っ!!」

予想以上の温度を持ったイルファの機体に戸惑いながら、浩平もやっと理解した。
この美しい少女達が、彼女が命よりも大切にしていた存在だったということを。
彼女達のことだけを考え、奮闘していたイルファの姿を浩平は少ない時間ではあるが隣で見てきた。
そんなイルファにとって、この光景はあまりにも。
あまりにも、酷だった。





それから暫く経ち、午前六時。
流れた放送が、姫百合姉妹の絶命を告白する。
目視していた浩平からすれば、ただ裏付けが取れただけの現実だ。
また見知った仲間達の名前も次々と呼ばれたことで、浩平の心もどんどん暗く落ち込んでいっていく。

466さよならを教えて:2009/11/12(木) 23:41:14 ID:tq0nwEpg0
自分と世界を繋ぎとめた友人達とは、もう会えないということ。二度とだ。
消えた温もりに縋りたくとも、今や浩平は一人だった。
誰もいない。
動きを止めたロボットは、鷹野神社の境内にて安置されている。
再起動する気配はいまだなかったが、浩平はもう彼女が動くことはないと思い込んでいる。

呼ばれたのだ。彼女、イルファも。
ちょうど浩平が、こうして境内の入り口、見張りを兼ねたその場所にて頭の中を整理しようとした時である。
そのタイミングで流れた放送の中に、イルファの名前はひっそりと含まれていた。
あぁ、壊れたのだと。
浩平が納得するのに、時間はかからない。
主君を喪ったショックであろうと、簡単に予測をつけることは可能だった。

「これから、どうするかな……」

浩平の小さな囁きは大気に溶け、そのまま消え入る。
呆けながら周囲を眺めているだけでも、時間というものは刻々と過ぎていく。
ため息を一つ吐き、浩平はとりあえずそのままにしていた姫百合姉妹の遺体を葬ってやろうと、立ち上がった。


         



『起きて』

誰かの声。少女の囁き。
境内の中、こもった音が響き渡る。
横たわるイルファはまだ、回路が回復していない状態だった。

467さよならを教えて:2009/11/12(木) 23:42:00 ID:tq0nwEpg0
『起きて』

再び少女が呼びかける。
相も変わらず反応は返されなかったが、どうやら少女も簡単には諦める気がないのだろう。
それから幾度に渡って、少女はイルファに声をかけ続けた。

『むう』

目を覚まさないイルファに対し、少女が不満から膨れるような声を出した時だった。
微かな機械音が、鳴り始める。
その出所はイルファだった。
小さな呻きが漏れる。
その出所も、イルファの口元だ。
ゆっくりとイルファの瞳が開かれるが、情報を整理している途中なのかその眼はどこか空ろである。
そうしてイルファは、静かにゆっくりと起動した。






【時間:2日目午前6時半】
【場所:F−6・鷹野神社】

折原浩平
【所持品1:仕込み鉄扇、だんご大家族(だんご残り90人)、イルファの首輪、他支給品一式(地図紛失)(食料少し消費)】
【所持品2:フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 4/5 +予備弾薬5発、他支給品一式×2】
【状態:姫百合姉妹を葬る、ゆめみ・七海の捜索】

イルファ
【所持品:無し】
【状態:首輪が外れている・右手の指、左腕が動かない・充電は途中まで・珊瑚瑠璃との合流を目指す】

(関連・905)(B−4ルート)

468終演憧憬(3):2009/11/13(金) 14:35:42 ID:lHAFtzZg0
 
「―――なんで! なんでよ!」

叫んだ長岡志保が、思い切り木製の机を叩く。
じんじんと痺れる手を握って、もう一度。
それでも飽き足らずに額を打ちつけて、その痛みがどこか頭と胸との中で暴れ回る棘の塊を
抑えつけてくれるような気がして、もう一度額を勢いよく振り上げて、

「長岡さん」

ひどく静かな声に、止められた。
苛立ちのままに振り返る、志保の顔はところどころが撥ねた泥に汚れている。

「……でも、早苗さん!」
「お気持ちは分かります」

沈痛な面持ちで頷く古河早苗の傍らに、古河渚の姿はない。
隣の診療室で寝台に寝かされている春原陽平の様子を見守っているはずだった。
早苗が、常になく真剣な眼差しで志保を見つめる。

「ですが、今できることを、しましょう」
「そんなこと言ったって! あたしたちだけじゃ……!」

乱暴に首を振った志保が、窓の外を見る。
次第に朱く染まりつつある空には、しかしいつの間にか薄い灰色の雲が湧き出して、
既に天球の半分を覆い隠していた。

469終演憧憬(3):2009/11/13(金) 14:36:01 ID:lHAFtzZg0
「嵐が近づいてる、船を出すのは待てないって……! お医者さんも来てくれないって……!」

絞り出すように呟いた、それが長岡志保が疾走の末に得た結果だった。
指定の集合場所まで走り、軍の担当官と押し問答を続けて、そして何も得られなかった。
帰還便の出航は二時間後の午後六時。
南からの熱帯性低気圧の接近に伴い二時間以内の降水確率は九十%。
風と波は次第に高くなると予想され出航の延期は認められない。
そもそも帰還便には出産行為に対応する医療設備は存在せず、回収人員の拠出自体は可能だが
出航時刻までの帰還は絶対条件であり、現地での長時間にわたる滞在は認可できない。
最大限の譲歩、と語頭に付された、それが最終的な回答だった。

「春原さんはもう、ここから動かせる状態ではありませんし……仕方ありません」
「なんでよ! なんで聖さんもいないのよ!」

早苗の言葉をかき消すように、志保が叫ぶ。
やつ当たりでしかないと、分かっていた。
分かっていて、止まらない。
つい今し方にもそれで取り返しのつかない事態を招いておきながら、
それを悔やんでおきながら、しかし、変われない。
省みるにも、学ぶにも、変わっていくにも、時間が必要だった。
今の長岡志保に与えられない沢山のものの、それは一つだった。

470終演憧憬(3):2009/11/13(金) 14:36:33 ID:lHAFtzZg0
「どうすればいいのよ……」

滲む涙は、逃避でしかない。
それで救えるものは、何もない。
理解していた。理解で止まるなら、苦労はなかった。
胸を割り裂いて掻き毟りたくなるような焦燥が、目には見えない傷に沁みていた。
傷の名を、甘えという。
それは、自己憐憫という種を言い訳という衣で包んだ砂糖菓子だ。
甘えていた。
長岡志保は、己に甘え、己以外の何もかもに、甘えようとしていた。
春原陽平のために走ったつもりだった。
少年を救うためにと。
それが自分にできる唯一のことだと。
言い訳に、過ぎなかった。
志保は単に、恐れていただけだった。
己が手に、何かを壊した罪の臭いが染みつくのが、怖かった。
拭い去る機会がほしくて、手近な行為に縋りついた。
血に飢えた殺人鬼も、狂気に駆られた参加者もいなくなった夕暮れの森を
せいぜい数キロ走った程度で、無様に転んで生傷を幾つか作ったくらいで、
何かが赦されると、思っていた。
愚かしい、勘違いだった。

必要とされていたのは行動ではなく、結果だった。
そしてそれは贖罪などではなく、義務だった。
己が衝動のままに悪化させた事態への応急処置でしかなかった。
それすら、満足にこなせなかった。
目尻に溜まった涙の滴が志保の頬を伝って一筋、零れ落ちた。
無力で、無価値で、醜い涙だった。

「―――お湯を沸かしてください」

涙が机の天板を叩く音に浸ろうとしていた志保が、驚いたように顔を上げる。
静かな、しかし有無を言わさぬ強さを持った古河早苗の、それは声だった。
戸惑い辺りを見回す志保を、早苗はじっと見据えている。

471終演憧憬(3):2009/11/13(金) 14:37:13 ID:lHAFtzZg0
「長岡さん」

響いた声は、叱咤ではない。
怒声でも、なかった。
ただ淀みなく指示を出すだけの、感情の篭らない声。
それが優しさなのか、厳しさなのか、それとも他の何かであったのか、志保には分からない。
それでも、縋りつくより他に、なかった。
後悔と自己憐憫の泥濘が、自らの足首までを捉えているのは、理解していた。
いずれ抜け出すこともできなくなると分かっていて、動けずにいた。
それでもいいと囁く、諦め混じりの声があった。
何もできない。何も為せない。何も掴めない。
そういう無力を、何もかもが長岡志保に強いるなら、抗うのはやめてしまおうと。
仕方がないのだと、時期が悪い、相手が悪い、状況が悪い、運が悪い、それは仕方がないことなのだと。
何が悪かったのか、誰が悪かったのか、後でゆっくりと、ゆっくりと噛み締めよう。
噛み締めて、悔やんで、涙して、諦めて、諦めきれずに、また涙して、そうして眠ってしまおう。
眼を閉じよう。歩みを止めよう。力を抜こう。横たわろう。
そうしてそのまま、朽ちていこう。
そんな風に囁く、穏やかな声があった。
温かく、やわらかく、安らかな声であるように、思えた。
何かが違うと、そういうものに成り果てたくはないという感じ方を容易く捻じ伏せるほどに、
その声は長岡志保の傷に染み渡ろうとしていた。

「あなたに言っています、長岡さん」

だからそれは、細い糸だった。
粘りつく泥に足を取られた志保の眼前に垂らされた、細く儚い、蜘蛛の糸。
こわごわと、手を伸ばす。
触れて、掴んで、握り締める。
これが、最後の機会だと、思った。
この手を放せば、何かが永遠に失われると、そうしてそれは二度と取り返せないのだと、
それだけを、感じた。

472終演憧憬(3):2009/11/13(金) 14:37:27 ID:lHAFtzZg0
「……」

こく、こく、と何度か小刻みに首を縦に振ってみせた志保に、早苗がひとつ頷き返す。

「はい。ではまず、キッチンと診療室から器になりそうなものをなるべく沢山集めてください」
「……」

返事をすれば涙声が漏れそうで、しゃくり上げそうになるのを堪えながら、言われるままに
のろのろと志保が立ち上がった、そのとき。

「―――ッっっ!」

ひぃ、という悲鳴と、ぐぅ、という呻きの入り混じった奇妙な声が、室内を満たした。
開け放った診療室との境の扉の向こうから、それは聞こえていた。
ほんの僅かな小康状態で眠っていた春原陽平の、目を覚ました合図の呻き声だった。
それが、幕開けだった。

「お母さん!」
「―――渚はタオルとガーゼ。長岡さんはお湯を。できるだけ早く」

矢継ぎ早に指示を出した早苗が、扉から顔を出した渚を追って診療室に駆け込んでいく。
その背を見送った志保が、一秒、二秒の間を置いて、弾かれたようにキッチンに走る。

ぽつり、と。
雨垂れの最初の一粒が窓を叩く微かな音には、誰も気がつかなかった。

473終演憧憬(3):2009/11/13(金) 14:37:49 ID:lHAFtzZg0
 
 
【時間:2日目 午後4時ごろ】
【場所:I-7 沖木島診療所】

長岡志保
【状態:健康】

古河早苗
【状態:健康】

古河渚
【状態:健康】

春原陽平
【状態:分娩移行期】

→1102 ルートD-5

474終焉憧憬(3)/Light colors:2009/11/21(土) 21:11:27 ID:AVTkPbzE0
 
「あるとき、一人の女性が勝ち残った」

「強かったね、彼女は。……ああ、そういう意味じゃない。
 いや、そういう意味でも強かったけどね」
「世界で最後の一人になってからも、随分と耐えてたんだよ。
 耐えて耐えて、考えて考えて、狂気に身を委ねることもなく」

「そうして彼女は、今も考え続けてる」
「その内、色んなことに気がついて、色んなことを滅茶苦茶にするんじゃないかな」

「いいんだ、それは」
「それで壊れるなら、だって、僕らにも諦めがつくじゃない」


「ああ、やっぱり、生まれなくていいんだ……って」




******

475終焉憧憬(3)/Light colors:2009/11/21(土) 21:11:53 ID:AVTkPbzE0
 
 
それは、きらきらと輝いている。
永遠にくすむことのない、黄金。

さわ、と。
吹き渡る風に揺れる麦穂が、涼やかな音を立てる。
まるで本当の水面のように波打つ、黄金の海原。
青い空の下、どこまでも広がる麦畑の中に、私は立っていた。

「―――」

黄金の海原。
それは、私の起こした奇跡。
蒼穹と麦畑。
それは、私のなくした過去。
約束の場所。
それは、私の思い描いた嘘。

今はもうない、私の護るべきすべて。
なくしたくないと駄々をこねる子供の、泣き疲れて眠る夢の中の楽園。
目の前にある煌きはそういうもので、そこにいるのは、だから―――私自身だった。
黄金色の波間に佇む、小さな影。

476終焉憧憬(3)/Light colors:2009/11/21(土) 21:12:14 ID:AVTkPbzE0
「みつけた」

私の望んだ嘘の中、私の願った夢の中。
それは、幼い頃の私の姿をしている。
語りかければそれは、こちらを見て、小さく微笑んだ。
微笑んで、しかしそれだけで、互いの距離は縮まらない。
一歩を踏み出して、麦穂を掻き分けて二歩、三歩を歩んで、しかし少女は、近づかない。
さわさわと揺れる黄金の海の中、少女の微笑は遠くにあって、いくら歩を進めても辿り着けない。
逃げ水のように、蜃気楼のように、それは手の届かぬ向こうから、ただ微笑んでいる。

そうだろう、と思う。
幼い少女は、私のついた嘘のかたちだ。
何も護れなかった私の、最後に縋りついた夢の残滓だ。
必要だから、それを切り捨て。
必要だから、それを忘れた。
必要だから、夢を見続けるために必要だから、私はそれを、棄てたのだ。
汚れた襤褸を、火にくべるように。

ほんの少しだけ勢いを増した火は私を温めて、私は温もりの中で微睡んでいた。
他愛のない、幸福な夢を貪っていた。
灰となり、塵となった嘘を、代償に。

だからそれは、私の手を取ろうとは、しない。
駆け寄らず、近寄らせることもせず、ただ微笑んでいる。
交わらぬ道を歩むように、やわらかく私を拒絶する。

477終焉憧憬(3)/Light colors:2009/11/21(土) 21:12:39 ID:AVTkPbzE0
足を止めず、思う。
私の棄てたものが、何であったのかと。
それは力。それは嘘。それは奇跡。
私の中に並ぶ答えは、どれもが近くて、どれもが違う。
それは夢。それはきざはし。それは飢え渇く者に施される、一杯の清水。
私の中に浮かぶ答えは、次第にぼやけて、ずれていく。

私は何を棄てたのか。
私は何を失って、それは私を、どう変えた。
考えて、答えはなく。
だから幼い影は、近づかない。
少女の浮かべるその微笑が、綺麗だと。
そんなことを、ぼんやりと思った。

綺麗。
そうだ。
それは、とても綺麗なものだ。
とても、とても綺麗で、眩しくて。

だから私は、それが嫌いだった。

478終焉憧憬(3)/Light colors:2009/11/21(土) 21:13:35 ID:AVTkPbzE0
ああ、そうだ。
記憶の淵の泥沼の、汚れた岸辺に打ち上げられた古い糸を手繰り寄せれば、
ずるずると引き揚げられるそれは、嫌悪の情だ。

きらきらと輝くそれは、がたがたと隙間風に揺れる罅の入った窓から見える景色と違いすぎて。
瞼を閉じてなお目映いそれは、言葉もなく貼りついたように薄い笑みだけを浮かべる、
私の護れなかったものの白く濁った眼差しからは、あまりにも遠すぎて。
手を伸ばせば温かいそれは、私を余計に苦しめて。

だから私は、それが嫌いだった。
許せなかったのだ。
そういうものが存在しているということ、そのものが。
許せないままにそれを棄てて、綺麗で眩しくて温かいものを棄てた私は、だから醜く澱んでいて。
弱く、弱く、在り続けた。

私の心臓を取り出して、薄い刃で傷をつければ滲み出してくるのは血だ。
黒く粘つく、溜まり澱んで腐った血だ。
たいせつなものと綺麗なものと、そういうものが欠け落ちた、それが私の心臓だ。

それを赦し、そんなものでいることを赦し、私は在った。
喪失を許容し、ただ事実や過去や、その程度に膝を屈して。
抗うことを、戦うことを、肯んじぬことを、忘れていた。

口を開けて待っていた。
救済を。奇跡を。誰かを。何かを。
怠惰に安眠を享受していた。
だから、私には、何も与えられなかった。
縋りついたはずの救いの糸は、幻想でしかなく。
幻想であることをすら、認めようとしなかった。
そんな私に齎されるものなど、何一つとしてありはしない。
腐敗。
それが、川澄舞への、抗うことを忘れた者への、罰だった。

479終焉憧憬(3)/Light colors:2009/11/21(土) 21:13:52 ID:AVTkPbzE0
 
 (―――君は、生きたいか?)


だから、死は贖いで。
そしてまた、川澄舞が川澄舞に戻れる、ただ一度の機会でもあった。
この薄汚れた心臓を切り裂いて、澱み濁った血を流しきって。
そうして私はようやく、弱く在ることを、やめた。
やめることが、できた。
たいせつなものと。
綺麗なものと。
醜いものと。
弱いものとを、棄て去って。
ただ、始まりの私に、戻れた。

空っぽの川澄舞は、だからひとつづつ、取り戻す。
取り戻すために、ここにいる。
死や、流れゆく時や、取るに足らぬ何もかもを組み伏せ。
棄て去ったすべてを、奪い返し。
あるべき姿にないありとあらゆるものを赦さず。
久遠を、抗おう。

そうして私は、護れなかったものを、護りたかったものを、喪ったものを、喪いたくなかったものを、
この胸に、抱き締めるのだ。


***

480終焉憧憬(3)/Light colors:2009/11/21(土) 21:14:06 ID:AVTkPbzE0
 
見渡す。
黄金の海原は静かに揺れている。
嘘と断じる。
こんなものは、存在しない。

麦穂が、消えた。
風が途絶え、空が割れ、地面が音もなく失われた。
色が薄れ、灰色の世界が塵になってさらさらと崩れていく。


瞳を閉じる。
在る、と断じた。
川澄舞は喪失を赦さない。
ならば、喪われたものが、喪われたという程度のことで、喪われることなど、あり得ない。

眼を開ければ、そこには風が吹いている。
きらきらと輝く黄金色の麦穂は、風に揺れて波打っている。
金の海原はどこまでも続いて地平線で空の青と融けあい、そのすべてが一点の曇りもなく煌いて、
朗々と久遠を謳い上げていた。


これは嘘だ。
偽りで、幻で、どこにも存在しない、だが、それだけだ。
幻想で、夢想で、だが私が、ここに在ると決めた。
妄想で、空想で、だが私は、それを認め、蹂躙する。

川澄舞は、事実の如きを踏み躙る。
踏み躙って君臨し、この手のすべてを、離さない。

この手に掴む、この手を掴む、すべてを。


***

481終焉憧憬(3)/Light colors:2009/11/21(土) 21:14:39 ID:AVTkPbzE0
 
差し伸べた手の先に、少女がいた。
辿り着けなかったはずの距離は、既に零に等しかった。
川澄舞の取り戻すと決めたその前に、交わらぬ道など、交わらぬというだけでしか、ない。

「―――あたしは」

少女が、静かに口を開く。
その瞳は真っ直ぐに私を見上げ、揺らがない。

「あたしは、明日が今日よりもいい日だ、って思う心。
 そうじゃなきゃ許さないって願う力。そういうもの」

答えず、見据える。
それは少女の、かつて川澄舞の棄てたものからの、川澄舞に告げる断罪であり、
同時に真摯な祈りであり、そしてまた、切実な願いでもあるように、聞こえた。

「だから名付けて。あなたに還る前に」

それは、ひとつの戦いの終わりだ。
栄光を手に高揚を胸に凱旋する、足音も高らかな行軍だ。

「あたしの本当の名前を呼んで。そうしたら―――」

同時にそれは、長い戦いの始まりだ。
無限の勝利を前提に築かれる楽園の、嚆矢を引き絞る弓の軋みだ。
ならばそれは、その希求するのは贖罪などではなく。
釈明でも、償いでも、ありはせず。

「そうしたら、あたしは―――」

ただ一言、すべてを手にする歩みの、その最初の一歩であるならば、
それは。



 ―――希望、と。




.

482終焉憧憬(3)/Light colors:2009/11/21(土) 21:15:06 ID:AVTkPbzE0

【三層 開放】



 
【時間:すでに終わっている】
【場所:???】

川澄舞
 【所持品:村雨】
 【状態:生還】

希望
 【状態:帰還】


→1034 1100 ルートD-5

483心に従って:2009/11/22(日) 20:31:27 ID:hownmo4k0
 流れ込む夜風が藤田浩之の顔を撫でて、人のいない廊下へと吹き去ってゆく。
 広がる空は墨を撒いたように黒に塗り潰されていて、夜明けはまだ遠いのだなという感想を抱かせた。

 ここに連れてこられてから丸々二日が過ぎ、昼には三日目になる。
 たったそれだけの時間。日常の中では短すぎるはずの時間で、自分はこんなにも変わってしまった。
 どう変わったのかと言われると、自分でもはっきりと答えることができない。
 感じているものの断片を手繰り寄せて言うならば、『大切なものを手に入れて、大切なものを失った』と表現すべきなのだろう。

「……そういえば、泣いてないな」

 自答してみてようやく気付く。乾ききった目元は久しく水気を覚えておらず、今となっては見るための役割しか果たしていない。
 理由はすぐに思い当たった。泣かないのではなく、泣けない。
 あまりにも辛いことが多すぎたから。大切な人を失ってしまったから。
 だから一度は心を閉ざし、やらなければならないことに衝き動かされ、どんなに苦しいことも我慢して歩いてきた。
 泣いてしまえば自分が状況に押し潰されていた。乗り越えられないなら、自分の心から目を背けるしかなかった。

 そして今も俺は、おれは逃げている。

 川名みさきを殺し、姫百合珊瑚を殺し、向坂環を殺し、神尾観鈴も、相沢祐一も死に追いやった藤林椋の姉。
 その人の目の前に立つことを恐れている。自身と向き合い、どうなってしまうか分からず恐がっている。
 人のために感情を発露させることはできても、こと自分になると手を引いてしまうのは男だからなのだろうか。
 守らなければならないという意思が、男の義務だと断じている意思がそうさせているのか。
 何であるにしても、昔に戻るには遠すぎる。
 そう結論して、深く吸い込んだ息を夜空へと向けて飛ばす。

「幸せが逃げてまうで」

 背後からかけられた声に浩之は振り返る。柔らかい表情の姫百合瑠璃が立っていた。
 いつの間に話は終わっていたのかと思う一方、今までに見たことのないような可愛げのある瑠璃に呆然とする感覚があった。
 一瞬、本当に瑠璃かと思ってしまうくらいに。

484心に従って:2009/11/22(日) 20:31:44 ID:hownmo4k0
「……溜息じゃねーよ」

 わけもなく動揺してしまっていた浩之は乱暴な物言いになっていた。すぐさま、何をやってるんだおれは、という感想が浮かび、
 しかし取り繕う術も分からず無意味に頭を掻きながら「終わったのか」と型通りの話題しか出せなかった。

「まあね。意外と、すっきりした」

 隣に並ぶ瑠璃の言葉は俄かには信じられないもののように思えた。
 辛く、苦しいことに対面し、受け止めるのはあまりにも重いはずなのに。
 一体どんなことを話したのだろうと気にはなっても、浩之は踏み込む気にはなれなかった。
 否、踏み込むことが恐かった。自分の感情と対面して、受け止めきれないのは目に見えていたからだ。
 その意味でどこか清々とした瑠璃の横顔に、強いと思うより信じられない、と思ったのだった。

「浩之はずっと空を見てたん?」
「……ああ」

 夜明けが遠い空。先も見通せない暗いそこは、現在のために何かはできても、
 過去や未来のことになると何も思い浮かばない自分そのもののように思えた。
 自分のため。反芻してみると本当に何もしてこなかったのだなという奇妙な感慨が涌いた。
 それは同時に、生きて帰れたとしてこれからどうなるのだろうという不安にもなった。

 ここで死んでいった人間を忘れることはないだろう。
 しかしそうだとしても、その人達に恥じないような生き方ができると断言することができるだろうか?
 望んではいないのかもしれない。死者に追い立てられるような生き方なんてここで出会い、
 死んでいった人達はそんなことはしなくていいと言ってくれているのかもしれない。
 だが決して忘れようのない記憶、川名みさきの記憶がもうひとつの自分――『おれ』となって囁くのだ。

485心に従って:2009/11/22(日) 20:32:03 ID:hownmo4k0
 忘れるな。お前は守れなかった。無力だという事実があるということを。
 ……だから、俺はもうこれ以上手放さないために、瑠璃を掴んだんだ。
 そうだ。お前はそれでいい。それだけを考えていればいいんだ。自分のことさえ考えなければ、おれは優秀だ。
 ……でもそれでいいのか? そんなことしなくたって、どうにかなるって教えてくれた人達がいるのに?
 だがお前は、それを信じられずにいる。何度も裏切られ続けて、自分の手足しか信じないようになった。
 ……反論は出来ないな。だけど、俺はそれでも。
 『おれ』は『俺』だ。そして『俺』は『おれ』だ。お前がどうしようが、おれには知ったこっちゃない。応援する気はない。
 ……だろうな。
 お前も思い知ったはずだ。世界のどこにも希望はない。絶望から身を守るだけで精一杯なんだ。
 ……そうだな。人は、そうして寄り集まっているに過ぎない。友達を作ったり、恋人になったりするのも、そうなんだろう。

 『おれ』が目を細め、今ある事実を首肯して色のない瞳をこちらに寄越した。
 本能的に嫌悪感を感じながらも、浩之は『おれ』の論理を打ち崩す言葉を持てずに俯くしかなかった。
 分かっていた。奴の言葉もまた、正しさを含んでいる。希望よりも絶望を信じるようになり、
 それに対処する術は身につけても豊かさを生み出す原動力とはなり得ていないことが証拠だった。
 喋らない『俺』を見ている『おれ』が、また何かを言いかけようと口を開こうとして、唐突に阻まれた。

「浩之?」

 肩に手をかけ、心配そうに見ている瑠璃の姿が浩之を現実へと引き戻した。
 また来るさ。最後にそんな声が聞こえ、ゆらりとした動作で背を向けて去ってゆく『おれ』に、一種の優越感が窺えた。
 辛いことに向き合うのを避けるのも、希望を信じられないのも同じことなのかと浩之は思いを結実させた。
 ならどうすればいい。答えを求められないのも、また信じていないということか。
 浩之は苦笑した顔を瑠璃に向けるしかなかった。

「なあ、あいつとどんな話をしたんだ」

 僅かに目を泳がせ、身を引いた瑠璃を見て、自分の顔はひどいものなのかもしれないと浩之は感じた。
 泣き笑いのような顔かもしれない。自分のことなのになにひとつ分からなかった。

「事実を、全部」
「それで?」
「それだけ。……許すも許さないもなかったよ。知っておきたいことを互いに打ち明けただけ」

486心に従って:2009/11/22(日) 20:32:21 ID:hownmo4k0
 嘘だろう、と反射的に言いそうになった口をすんでのところでつぐむ。
 もう少し何かがあると思っていた。いや期待していたのだろうか?

「……浩之は、今でも藤林椋が……杏さんの妹さんを許せない?」

 不意に核心を突いた言葉に、浩之は今度こそ押し込めることが出来ず「当たり前だ」と言ってしまった。
 だから瑠璃の近くにはいようとしても、あの場に対峙できる勇気はなかった。
 無用な争いを生み、禍根を残すだけかもしれない。この局面にそうしたわだかまりを残しておきたくなかった。
 そうした理性と、我慢し続けることを習い性としてしまった自分とが結論し、足を踏み止まらせた。

「ウチも同じや」

 また虚を突かれた思いで、浩之は俯けていた顔を瑠璃に向けた。

「許せるわけがない。だってさんちゃんが殺されたんやで?
 関係ないって分かってても、あいつの家族だけって部分で許せないところがある。
 向こうにしても同じやった。杏さんからしてみれば、ウチが妹さんを殺したんやもん。
 唯一無二の家族を。……そら、許せへんよ。ウチがそうやもんな」

 珊瑚のことを思い出しているのか、表情を険しくする瑠璃の目尻には涙があった。
 許せない。あいつさえいなければ――世界に希望はないと囁いた『おれ』の言葉が重なり、
 自分もやはり何もかもを許せなくなっているのではないだろうかという思いを浩之に結ばせた。
 他人に自分を許さず、常に警戒して距離を取っているからこそ希望を信じられない。
 お笑い種だ、と浩之は思った。

487心に従って:2009/11/22(日) 20:32:40 ID:hownmo4k0
 自分自身で希望はある、人の本心を分かろうとすれば見えてくるものがあると言いながら、
 自身が全く行っていないばかりか信じてさえいない。
 或いは、瑠璃に近づきすぎたからそう思うようになったのだろうか。
 大切だと思う気持ちが生まれ、守りたいと思う気持ちが生まれ、失いたくないと思うあまりに警戒心を抱くようになってしまった。
 分かってはいても変えられないのは人間の本能であるから。
 喪失の痛みを知りすぎた人形の行き着く先は、結局のところ椋と変わらないのではないのか。
 ふと息苦しさを覚えた浩之は「でもそれだけやない」と続けられた声に意識を向けた。

「許せないのはお互いに同じ。でもそこで終わりじゃない。
 その先の未来で、心を触れ合わせることだって出来るかもしれない。
 そうじゃなければ、寂しすぎるからって……」

 現在は絶望しかない。でも未来はそうじゃないかもしれない。少なくとも、生み出してゆける可能性が自分達にはある。
 そう断言するような瑠璃の表情は、縋ることをやめた者の光があり、自分の足で歩こうとする意志があった。
 儚い希望だなと即答した自分がいる一方、寂しすぎるという言葉にそうだなと頷く自分を発見して、
 浩之は何かしら胸のつかえが取れたような気がしていた。
 同時に、今の瑠璃には敵わないとも思った。これが女の強さか、と納得の行き過ぎる結論を得て、
 浩之はようやく、背負い続けていた荷物を下ろす気になったのだった。

「……そういうものなのかな。今すぐ、全部を解決しなくたっていいのか……な?」
「時間なんて、いくらでもあるやん。これから、ウチらには、いくらでも」

 子供をあやす母親の口調で言って、浩之の頭をよしよしと撫でながら抱きしめる。
 そこでやっと、浩之は自分が泣いていることに気付いた。

 ――ああ、『俺』はまだ泣けるんだ。

 可能性の一端を掴めたと確信したところで、脳裏にまた『おれ』が現れる。

488心に従って:2009/11/22(日) 20:32:59 ID:hownmo4k0
 忘れるな。世界のどこにも希望はない。
 ……今はそうかもな。だったら、俺が、俺達が生み出していけばいい。
 やれやれだな。そんなこったろうと思ったよ。かったりぃな、お前は。
 ……お前は『俺』だよな。
 そうだ。お前は『おれ』だ。
 ……一つ言っとくぜ。お前は何も間違っちゃいない。でも、それだけだと寂しすぎる。だろ?
 分からねえな。儚い希望だぜ。
 ……でも、希望の一部はここにある。今はそれでいいんだ。
 いいだろう。だが、おれはまた来る。お前が何よりも絶望を信じたときにまた、な。
 ……その時は、もう一度勝負してやるよ。

 ニヤと笑った『俺』に、『おれ』もまた同じように笑った。
 それを境にして『おれ』の輪郭が消えてゆく。
 あいつはまた来るだろう、と浩之は思った。

 何故なら、あれは自分であるから。決して相容れないものではない、寧ろ不気味なほどにカチリとはまるものであるから。
 今度やってきたときに勝負して、勝てるかどうかは分からない。
 何もかもがまだ不明瞭で一体どうなってしまうのかも分からない、果てのない道だ。
 けれども、もう決めてしまったことだ。自ら望んで進もうと決めた道だ。

 一歩、一歩ずつ。

 ひだりてとみぎてを繋いで。

 まだ見ぬ明日へ。

 現在をを越えるために。

 歩こう。心に従って。

489心に従って:2009/11/22(日) 20:33:18 ID:hownmo4k0
【時間:3日目午前04時00分ごろ】
【場所:D−6 鎌石小中学校】

『自由行動組』何を、誰とするかは自由。小中学校近辺まで移動可

姫百合瑠璃
【状態:死ぬまで生きる。浩之と絶対に離れない。珊瑚の血が服に付着している】

藤田浩之
【状態:歩けるだけ歩いてゆこう。自分を取り戻した】

→B-10

490心に従って:2009/11/22(日) 23:46:22 ID:hownmo4k0
誤字があったので修正です…orz

 忘れるな。世界のどこにも希望はない。
 ……今はそうかもな。だったら、俺が、俺達が生み出していけばいい。
 やれやれだな。そんなこったろうと思ったよ。かったりぃな、お前は。
 ……お前は『俺』だよな。
 そうだ。お前は『おれ』だ。
 ……一つ言っとくぜ。お前は何も間違っちゃいない。でも、それだけだと寂しすぎる。だろ?
 分からねえな。儚い希望だぜ。
 ……でも、希望の一部はここにある。今はそれでいいんだ。
 いいだろう。だが、おれはまた来る。お前が何よりも絶望を信じたときにまた、な。
 ……その時は、もう一度勝負してやるよ。

 ニヤと笑った『俺』に、『おれ』もまた同じように笑った。
 それを境にして『おれ』の輪郭が消えてゆく。
 あいつはまた来るだろう、と浩之は思った。

 何故なら、あれは自分であるから。決して相容れないものではない、寧ろ不気味なほどにカチリとはまるものであるから。
 今度やってきたときに勝負して、勝てるかどうかは分からない。
 何もかもがまだ不明瞭で一体どうなってしまうのかも分からない、果てのない道だ。
 けれども、もう決めてしまったことだ。自ら望んで進もうと決めた道だ。

 一歩、一歩ずつ。

 ひだりてとみぎてを繋いで。

 まだ見ぬ明日へ。

 現在を越えるために。

 歩こう。心に従って。 

491最後の放送:2009/11/27(金) 23:36:13 ID:VJZMEooY0
 時間だ。

 電波時計を眺めて、デイビッド・サリンジャーはなにひとつ変わりもしないモニタに向かって舌打ちした。
 結局死者は出ず仕舞い。件の動物も幽霊のように現れてはまた姿を眩ます始末で、
 そのことも神経質なサリンジャーに苛立ちの波を立たせる理由になっていた。
 物理的な被害は糧秣以外皆無に近いものの、侵入されたという一事がサリンジャーの精神に屈辱を与えた。

 自分と『神の軍隊』以外何人も立ち入れないはずの聖地を、たかが動物に荒らされたという屈辱。
 無遠慮に押し入り、そればかりかサリンジャーの不明をも曝け出されたことへの腹立ちもあった。

 いつもそうだ。いつも肝心なところで誰かが邪魔をする――

 学会で受けた、自分を拒否する目。妥協と懐柔しか知らないはずの日本人が一致団結の意思を持って自分を否定した目を思い出し、
 サリンジャーは『ふざけるな』と胸中に吐き捨てた。
 だから自分は支配する。そのために一度は転落した舞台からここまで這い上がってきたのだ。
 篁総帥が死亡し、指揮権が移ったのもたまたまではなく、天が与えてくれた好機に他ならない。
 ここを逃せば自分は一生敗北者だ。みじめでしがない生活から抜け出すために、己が力を思い知らせてやらなければならなかった。
 所詮この世は誰もかもが独りで、他人を追い落として栄華を手に入れるようにしか出来ていないのだから。

 サリンジャーは椅子から立つと、自ら沖木島の全域に通じるマイクを手に取った。
 傍らのアハトノインがちらりと目を寄越すのを見て「今回は私が放送をやる」と伝えると、すぐに元の作業に没頭する。
 そう、これが上に立つ者だ。言葉一つで屈服させる。その対象が世界規模になるまで、もう少し。
 最終段階だと胸中に呟いて、サリンジャーはマイクの送信釦に手をかけた。

492最後の放送:2009/11/27(金) 23:36:38 ID:VJZMEooY0
「はじめまして皆さん。私はデイビッド・サリンジャーと申します。
 この殺し合い……バトル・ロワイアルの運営を任されている者です。どうぞお見知りおきを。
 最初にあなた方にルールの説明をしたウサギさんがいたでしょう? あれは実は私でしてね。
 よく出来た変声機でしょう? 急場で作ったにしては中々いい出来だったと思いますよ。
 さて、無駄話を続けるのもあなた方は望んでいないでしょうから、本題に入りましょうか。
 何故私が、本来の声で、放送を始めたのか。それはですね、こちらにとっては喜ばしくないことに、
 今回の放送では死者が一人も出なかった……つまり、殺し合いが全く進行しなかったということでしてね。
 私としてはこれは大変困ることなんですよ。せっかく最後の二人まで生き延びられると言ってあげたのに、
 ピタリと止んでしまったのですからね。しかもですよ、私が優勝者の願いを叶えるというご褒美まであげようというのに、です。
 全て本当のことなのですがね……勿体無いことをしますね、日本人という連中は。
 ああ、失敬。日本人以外も何人かいましたね。まあそれはそれとして、殺し合いが立ち行かなくなるのはこちらには不都合なのですよ。
 まだこれから殺し合いを続ける……というのなら別に文句は言いませんが、
 この期に及んでこれが殺し合いなんだ、ってことを理解していない方もいらっしゃるようですしね。
 ですから、タイムリミットを設けることにしました。
 この放送から六時間後……次の放送までに死者が一人も出ていなかった場合、私の部下が『処理』しに行きます。
 首輪を爆破させれば早いことなのですがね。それでは部下の教育にもよろしくないわけなんですよ。
 ご心配なく。我が部下は優秀でしてね。あなた方のような普通の人間だって表情一つ変えずに殺せる優れものなんですよ。
 歯向かおうだなんて思わないで欲しいですね。まあこちらとしてはある程度抵抗してくれたほうが好ましいわけですが。
 殺し合いを続けるというのならば是非どうぞ。それはそれでこちらの目的は果たせるわけですから。
 どのように死ぬかはあなた方に選ばせてあげましょう。ここで全滅するか、自分だけ生き残ってみせるか。
 博愛主義を貫くのもいいでしょう。私は寛大です。好きなようになさるといいですよ。
 ああ、一つ付け足しておくと……あなた方に逃げ場はない。
 どこにいても、私の部下は必ず追い詰める。そのことをよく理解しておいてくださいね。
 それでは――神のご加護があらんことを」

493最後の放送:2009/11/27(金) 23:36:55 ID:VJZMEooY0
【場所:高天原内部】
【時間:三日目:06:00】

デイビッド・サリンジャー
【状態:昼になればアハトノインを送り込んで殲滅する】

→B-10

494終焉憧憬(4):2009/12/01(火) 14:51:34 ID:FwPiRpck0
 
 †  †  †  †  † 





制服は、鎧だ。
纏って踏み出せば、そこを戦場に変える。
私にとって、誰かにとって、誰もにとって、日常なんてものは制服の分厚くて野暮ったい生地の
遥か向こう側にしかなかった。

戦い抜いて、生き抜いて。
その日、一日を駆け抜ける。
私も、私でない誰かも、誰もがそれだけを追い求めていた。

剣も、槍も、鉄砲も大砲もなかったけれど、それは確かに、戦場だったのだ。
噂や約束や陰口だって人を殺すことくらいはできたけれど、そういうことじゃない。
それはもっと即物的で、もっと刹那的で、もっともっと切実に、戦場だった。

私は、私たちは生きていて。
生きることは今よりももっとずっと、大変だった。
息をするのも、難しかった。
歩くことも、両足で立つだけのことだって、怖くて、苦しかった。
命がけだった。

気を抜けば死んでしまうと、私たちは信じていた。
誰にでもない、世界に殺されるのだと、正しい意味で理解していた。
信じることで、私たちは生きていた。

制服を着て、世界を戦場に変えて。
そうして戦い抜くことで、自分はまだ生きていると、誇っていた。
誇れて、いた。

辛くて、苦しくて、棘だらけの宝石みたいな毎日を、そうやって私は、私たちは生きていたのだ。

だから私は思い出す。
その制服を見るたびに、全身で思い出すのだ。

重くて分厚い生地の塊から解放された日の、体の軽さと。
トイレの隅に置かれた汚物入れの腥さとの、両方を。

495終焉憧憬(4):2009/12/01(火) 14:51:55 ID:FwPiRpck0
 
「―――あなた、西園寺女子?」

唐突にそう切り出した私に、相手は一瞬だけ戸惑った表情を浮かべる。
それは、そうだろう。
あまりにも状況に似つかわしくない、それは第一声だった。

「……ええ」

怪訝な顔で答えたその子を包むのは深緑のスカートに、やわらかいイエローのサマーベスト。
襟元の細いリボンがシンプルなワンポイント。
私立西園寺女子高等学校。
通称・寺女の、それは制服だった。

「そう。……懐かしいわ」

懐かしい、と。
抱き締めたくなるような切なさと、胃の中の物を全部戻したくなる衝動との混じり合った感情を、
私はそう言い表す。
それはただの一言で片付けられるほどに遠く、ただの一言でしか口に出せないほどに、重い。
私の心の真中に刻まれた、それは罅割れた硝子の彫像だ。
眺めれば貴く、美しい。
触れれば砕け、欠片は私を傷つける。

「それで? ……同窓の誼で手加減してくれっていうのは、聞けませんけど、先輩」

そんな私の心中を知る由もなく、目の前に立つ子は眉を吊り上げる。
仕方のないことかとほんの少し笑って、それを笑ってしまえる自分の磨耗に、苦笑する。

生きることは戦いで、制服を着込めばそこは戦場で。
今、私の前に立つ子はそうやって毎日を駆け抜けている。
私はそれをずっと遠くから、あるいはずっと低いところから、ぼんやりと眺めているに過ぎなかった。
速さ。密度。輝きと言い換えてもよかった。
何もかもが、違いすぎた。
そこにいるのは、重い鎧から解き放たれて軽い身体に舞い上がって、広い空の中に
止め処なく拡散していくより前の、私や、私たちだった。

496終焉憧憬(4):2009/12/01(火) 14:52:07 ID:FwPiRpck0
「―――」

沸き上がる情動を、笑みと共に噛み殺す。
と、それをどう受け取ったのか、相手は元々少しきつめなのだろう目つきに、素直な怒りの熱を乗せて
こちらを睨みつける。

「とぼけないで。ここにいる以上、あなたも選ばれているのでしょう―――『カード』に」

言って懐から取り出したのは、片手に収まるサイズの長方形。
きらきらとそれ自体が淡い光を放つのは、彼女が口にしたように、正しく一枚のカードだった。

「西園寺女子、三年七組―――緒方理奈。カードの盟約を履行する!」

名乗りを上げて見せたのは、騎士道精神の表れだろうか。
その真っ直ぐな眼差しに正面から見据えられて、私はほんの少しだけ、背筋を伸ばす。

「……梶原。梶原夕菜よ」

答えてスカートのポケットから抜き出した、手の指に挟むのは硬い感触。
緒方という子の持つものと寸分違わぬ、ただ放つ光の色だけが違う、一枚のカード。
指先から光と共に溢れる、ざわざわと皮膚を擦るような力の脈動を、声帯が形にするように。

「―――盟約を履行する」

その言葉を、口にする。

瞬間、私の持つカードと、彼女の持つそれと。
二枚のカードから、光が、溢れた。






そして、私たちは夢をみる。







  ―――つづく





 †  †  †  †  †

497終焉憧憬(4):2009/12/01(火) 14:52:36 ID:FwPiRpck0
 
 
「つづく……、と」
「うわっ、何やってんですか先生!?」

驚いたような声が、狭い室内に響き渡る。
先生と呼ばれた男はその声に顔を上げると、椅子ごとくるりと振り返る。
暗い部屋の中である。
モニタの光に薄ぼんやりと照らされた男の顔には、怪訝そうな表情が浮かんでいた。

「ん? 何かね滝沢君。これからがいいところなのだが」
「なのだが、じゃありませんよ先生! 何しれっとムチャクチャ書いてるんですか!」
「ムチャクチャとは失敬な」
「梶原夕菜はいつから寺女の卒業生になったんです!? 緒方理奈だってもう高校卒業してますし!
 あとカードって何ですかカードって! またワケの分からないものを―――」
「大丈夫だ滝沢君。多少辻褄が合わなくても、私のRRなら現実のほうを改変する」
「それが駄目だって言ってるんです!」

滝沢と呼ばれた少年が、ぴ、とデスクの上に置かれた原稿用紙を奪い取る。

「ああ何をする滝沢君」
「まったく、ちょっと目を離すとこれなんだから……。
 だいたい、どうして急にこんなものを書こうと思ったんですか」

嘆息しながら、原稿用紙で器用に紙飛行機を折り始める滝沢。

「いやなに、めでたい第1111話に花を添えてやろうと思ってな。
 最近の流行語でいうとキリ番ゲトズザー、というやつだよ。
 ところでその原稿をどうする気かねああやめたまえ私の渾身の作品が」
「語彙が古いです先生。それ以前に、もう1111話は投下されてます」

498終焉憧憬(4):2009/12/01(火) 14:53:00 ID:FwPiRpck0
完成した紙飛行機をつい、と指先から飛ばしながら滝沢少年が何気なく口にした一言を
男が理解したのは、こつんと壁にぶつかった紙飛行機を、必死にスライディングして
床に落ちる前に拾い上げた、その後のことである。
ぎぎぎ、と床に滑り込んだ姿勢のまま、男の首が回り、少年の方を見る。

「……今、何と言ったかね」
「第1111話は既に投下されています。これ、第1113話ですよ、先生」
「何だと……」

男の顔に、みるみる絶望感が広がっていく。
すっかり青ざめた男が、わなわなと震えながら口を開こうとする。

「ど……、 ど う す れ ば い い ん だ」

そんな男を見下ろして、滝沢少年がこの一日で何度めになるか分からない溜息をつく。

「とりあえず、諦めて大人しくしててください」
「む……」

言い切られた男が、力なく立ち上がると自らの椅子に腰を下ろす。
肩を落とし背中を丸めたその姿は、心なしか小さく見えた。
そんな傷心の男の背に、静かな声がかけられる。

「―――お話はお済みでしょうか、先生?」

少年のものではない。
妙齢の女性の声だった。
この狭い室内に存在する、三人目の人物。
男と少年の繰り広げる掛け合いをじっと微笑みながらやり過ごしていた女性が、口を開いていた。

「……ああ、すまないね、あだ……石原君。見苦しいところを」
「いえ。それより……」

腕を組んだ女が、男に向けて小さく頷く。
黒のスーツに身を包んだその美貌はひどく艶めいている。

「わかっている。次の操作だろう?」
「ええ、お願い致します、青紫先生」

薄暗い部屋の中、深い色に塗られた唇が照り光り、女が声を発するたびに妖しく蠢く。
ごくりと唾を飲んだ滝沢少年の脇で、男は表情を動かさずにくるりと椅子ごとモニタの方へと向き直ると、
お安い御用とでもいうように、ひらひらと手を振ってみせた。




******

499終焉憧憬(4):2009/12/01(火) 14:53:31 ID:FwPiRpck0

 
 
 
「またあるときは一人の少女が生き残った」

「その子は……強くはなかった。少なくとも、その頃は。
 ただ護られて、助けられて、生き延びた。
 そうして、世界の最後の一人になる資格を、手にした」

「考えてみれば、残酷な話さ」
「力も覚悟もない子が、その無惨にも、孤独にも、耐えられるはずがないのに」

「だけど、その子は気づくんだ」
「自分の命をあっさり絶った、そのすぐ後に」
「もう、死は終わりなんかじゃないってことに」

「どんな気分だろうね?」
「死んでも死んでも終わらない」
「そんな永劫の罪過を、実の母親の手で与えられるっていうのは」

「護られて、助けられて、生き延びさせられて」
「生まれさせられて、罪を負わされて」
「そこに幸福は、あったのかな」



「ねえ―――教えてよ」




******

500終焉憧憬(4):2009/12/01(火) 14:54:04 ID:FwPiRpck0
 
浮かんでいる。
落ちるでも、飛ぶでもなく。
それは正しく、ただ浮かんでいた。

蒼穹の、只中である。
ただ一歩、扉の向こうの闇を抜けたそこが遥か天空の高みであるという怪異を、
しかし水瀬名雪は特に感慨なく受け止める。

新鮮な芸当であるとは思った。
大規模で、これまでにあまり類を見ない仕掛けだった。
そして同時に、それだけでしかなかった。
何かに驚愕を覚えるような初々しさは、とうの昔に磨り減って、もうどこにもありはしない。
ただ、知らぬことが知っていることに置き換わったという、それだけが水瀬名雪の感じ方である。

真実。事実。現実。
知っていることは多すぎて、知らされたことは更に倍して、水瀬名雪は病んでいる。
老いという名の、それは病だった。
多くの先人がそうであったように、己の先が長くないことは、理解していた。
幾星霜を風雨に曝された心は老いさらばえて、続き続ける歩みには、もう堪えられない。
生きることに、倦んでいた。
生まれることが、怖かった。
しわがれた脚は自らを支えることもかなわず、杖に縋って、ようやく歩を進めている。
そんな生が、疎ましかった。
水瀬名雪の依って立つ杖を、終焉という。

501終焉憧憬(4):2009/12/01(火) 14:54:28 ID:FwPiRpck0
終焉。
この世の終わり。
もう幾度も見つめてきた、仮初めの終幕などではなく。
本当の、終わり。
生に続かぬ死。
最早二度とは繰り返されぬ、三千世界の千秋楽。
そんなものが、もしもどこかにあるのなら。
それこそが水瀬名雪の追い求める、ただひとつ。
知りたいとは、思わなかった。
ただ、終わりたかった。
終わることを、赦されたかった。

水瀬名雪の見渡す空に、それはない。
だから、どこまでも広がる蒼穹など、ただそれだけのものでしかなく。
見晴るかす眼下に陸もなく海もなく、ただ点々と浮かぶ雲と、蒼天と、澄み渡る大気だけがある
その奇異も怪異も、水瀬名雪の精神に、ただ一筋の波紋をすら呼び起こすことはできなかった。

広い空には、己の他に誰もいない。
出迎える者も、待ち受ける敵もいない。
その空には、真に唯一人、水瀬名雪だけがあった。

青と白とが混じり合う、その蒼穹には、悲しみもなく。
身を切られるような辛さも、煮え滾るような怨嗟も、そこにはもう、ない。
その透き通るような大気にはもう、誰もいない。

502終焉憧憬(4):2009/12/01(火) 14:54:55 ID:FwPiRpck0
「―――」

空を往く翼もなく、さりとて引き返す術も持たず、ただ浮かぶ水瀬名雪にとって、
それは無限の牢獄に等しい。
しかしその表情には焦燥も落胆もなく、水瀬名雪はただ、ゆっくりと目を閉じる。

「やがて終わる、どうせ終わる、今生も」

呟かれる声はぼそぼそとしわがれて、ひどく聞き取りづらい。

「終わって生まれて、繰り返す」

数え歌のような奇妙な節回しをつけて、言葉が漏れる。
それは壊れた糸車の、からからと紡ぐ糸もなく回り続けるような、薄暗い、独り言だった。

「終わって終わって、終われない―――」

どろどろと、大気を穢すように謡う水瀬名雪の声が、途切れた。
薄く閉じられていた瞼が、開く。
澱み、異臭を放つ沼の水面のような瞳が、空の一点を映す。

そこに、黒があった。
蒼穹に涌いた黴のような、一粒の染み。
染みは次第に拡がると、やがて渦を巻くように廻り出した。
廻りながら漆黒は蒼穹の青を溶かし、取り込んでいく。

503終焉憧憬(4):2009/12/01(火) 14:55:13 ID:FwPiRpck0
「……」

瞬く間に大きさを増した漆黒の渦が、やがてふるりふるりと揺れながら近づいてくるのを、
水瀬名雪はじっと眺めていた。
他に動くものとてない空に、時を計る術はない。
一秒か、一時間か、一日か。
ひどく曖昧な時間をかけて、漆黒の渦は名雪の眼前にまで迫っていた。
手を伸ばせば、渦はその指先を嘗め回すように漆黒の先端を絡みつかせる。
ひんやりと冷たい感触は、渦自身の持つ温度であったものか。

「誰が……招く」

自らの身体にまとわりつく、ぞろりと濁った渦を見つめながら呟いた名雪の手足が、
ゆっくりと渦に呑み込まれていく。
呑み込まれたそれが、既にここにはないと、名雪は感じていた。
手先が、脚が、膝が、腿が、今この瞬間、脳髄と心臓の接続される先に、存在しない。
渦の中は、ここではない、どこかに繋がっている。
そんな奇妙な実感。

腹が、胸が、肩が、喉までが渦に呑まれ、消えた。
顎が、舌が、鼻が、耳が、それから最後に瞳が渦の中に呑まれ、




【四層 開放】




***

504終焉憧憬(4):2009/12/01(火) 14:55:31 ID:FwPiRpck0
***




次の瞬間、水瀬名雪は、自らの足が大地を踏み締めているのを感じた。
そこはもう、空の中ではない。

咲き乱れる白い花が、名雪を囲んでいた。
見上げれば、夜空。

漆黒の空を統べる王の如く悠然と浮かぶ、ぼってりと朱い月を背に。
一人の少年が、そこには、いた。




******

505終焉憧憬(4):2009/12/01(火) 14:55:55 ID:FwPiRpck0
 
 
「……こんなものかな」

薄暗い部屋の中、男が椅子ごと振り返る。

「ええ、お見事な手際でした。流石です、青紫先生」
「よせやい」

女、石原麗子の賛辞に思わず口の端を上げた男が、照れ隠しにもう半回転。
くるりとモニタの方へ向き直ったその背に向けて、石原の言葉は続く。

「RR……リアルリアリティ。因と果、本来不可分の二者を繋ぐ縁を歪め、事象を改変する力。
 あらゆる法則を超越し秩序を再構築する、神域の異能―――」
「おいおい、あまり持ち上げんでくれよ。ふう、ここは暑いな」
「……それって、単に脈絡のない話を押し通すってことなんじゃ……」

シャツの襟をはだけ、扇いだ手で風を送るような仕草をみせる男に、
傍らの少年が口の中でぼそりと呟いた。

「何か言ったかね?」
「いえ、別に」

耳聡く聞きつけた男の横目で睨むのを、少年はさらりと受け流す。
そんな二人を見て、石原が口元に手を当ててころころと笑う。

506終焉憧憬(4):2009/12/01(火) 14:56:11 ID:FwPiRpck0
「あらあら、お弟子さんなら先生のお力を疑ったりしてはいけないわ」
「で、弟子……?」

少年の驚いたような表情を気に留めた風もなく、石原は笑みを含んで続ける。

「私が今、お願いしたことだって、先生でなければ成し得ないことだったの。
 無限の時、無限の空間、無限の世界……あの『塔』の中に広がるのは、そういうもの。
 その中から正しい道筋を選び出すのは、砂漠に一粒の金を探し出すよりも難しいわ。
 無量の可能性を一点に収束させて正解を描き出せるのは、青紫先生しかおられないのよ」
「は、はあ……そういうもんですか」

石原の饒舌な擁護に、少年はただ頷くより他にない。
そんな少年の脇で、きぃ、と椅子が鳴る。
再び振り返った男が、じっと石原を見据えていた。

「あら、何か?」
「正解……、かね」

何かを考え込むような、真剣な表情。

「私は君の依頼通りに彼女らを導いただけだよ、石原君」
「……ええ、ありがとうございます」
「彼女らの内の誰を、何処に差し向けるか……何をもって正しいとするのか。
 私には分からないそれが……君にはまるで、初めから見えていたかのようだ。
 君は、一体―――、」
「―――女には」

男の言葉を遮るように、石原の唇が動く。

「女には、色々な秘密があるものですわ、先生」
「……むぅ」

507終焉憧憬(4):2009/12/01(火) 14:56:31 ID:FwPiRpck0
言い切った石原の瞳に宿る光に、男が口を噤む。
モニタの光を反射しているに過ぎないはずのそれは、ゆらゆらと妖しく揺らめいて、
見つめればその仄暗い水面に吸い込まれそうで、男は目を逸らすのが精一杯だった。

「……君も、大変なのだな」
「それほどでもありません」

言って笑んだ石原の、

「母とは皆、そういうものですわ」

静かな言葉が、狭い室内に反響して、不思議な韻律を帯びる。
その奇妙な余韻が、壁に、床に、天井に、耳朶に染み渡るように消えようとした、刹那。


『―――母なるは仙命樹』


暗がりから響く、聲があった。

508終焉憧憬(4):2009/12/01(火) 14:56:58 ID:FwPiRpck0
「……ッ!?」
「な、なんだ……!?」

文字通り飛び上がって辺りを見回す男と少年の視界には、しかし聲の主は映らない。
狭い室内の中、人影は三つ。
男と少年、石原麗子の他に立つ影は、なかった。
しかし。


『この星に足掻く、すべての種を誘うもの―――』


聲は、響く。
囁くように、呟くように、低く、低く、響く。

「せ、先生……?」
「お、おおお落ち着きたまえ滝沢君、君の感じている感情は、せ、精神的疾患の一種だ」
「し、しずめる方法は?」
「私が知りたいくらいだ!」

震え上がる二人をよそに、部屋の隅に立つ石原は眉筋一つ動かさない。
表情に浮かぶ微かな笑みも、消えることはなかった。


『時の輪廻、既になく―――来し方より足掻き足掻く命の行く末、決するは近く』


響く聲に、石原の笑みが深くなる。
ほんの僅かに頷いて、濃密に彩られた唇が、ゆっくりと開く。
紡ぐは、一言。

「……望みは?」

ほんの僅かな間も置かず、聲が応える。


『この世の赤の、最果てを―――まだ見ぬ青の、最果てに』


すう、と。
弓の形に吊り上がったのは、石原の口の端だった。
微笑でも、嘲笑でもない、今にも哄笑へと変じそうな、深く、昏い笑み。
笑んだ石原が、歩を進める。
打ち放しのコンクリートに高いヒールは、しかし硬い音を立てることもない。
水面を滑るように、狭い室内をただ一歩踏み出して、

「―――」

おもむろに、身を屈める。
見つめた床の、何の変哲もないはずのコンクリートが、ぞろりと蠢いた。

509終焉憧憬(4):2009/12/01(火) 14:57:14 ID:FwPiRpck0
「う、うわっ……!」
「せ、先生……! あ、あれ……!」

そこに浮かんだのは、貌である。
身を屈めた石原と向かい合うように床に浮き出しているのは、人の貌だった。
蜂蜜色の、髪が見えた。

雨に打たれたように濡れそぼる豊かな髪が貌に絡み付いて、表情は判然としない。
しかしそれは、少女の貌である。
青白い肌に、纏わりついた髪の束。
おぞましくも美しいその貌の中心には、爛々と光る、瞳があった。
眼窩に宿る色は、赤。
鮮血とも、紅玉とも、葡萄酒とも違う、混じり気のない、赤の一色。

この世ならざる異形を思わせる少女の貌を、しかし石原は笑みを浮かべたままじっと見据えると、
ゆっくりと手を伸ばす。
そこへ、

「た、たたた滝沢君、滝沢君! 手が! 手が!」
「痛い、痛いしがみつかないでください先生痛い!」

ずるりと、石造りの水面から、伸びるものがあった。
細くたおやかな、腕である。
纏った薄い茶色の毛織物は、やはり袖まで濡れている。
ぽたぽたと、雫をすら垂らしながら伸びたその手に、掴まれる何かがあった。

真紅と桃色と、乳白色と薄黄色が混じり合ったような、奇妙な色合い。
ぬらりぬらりと照り光るそれは、よく見れば、小さく震えている。
否。震えているのではない。

それは―――小さく、脈打っていた。

幽かに、微かに、しかし力強く鼓動を打つ、それは。
紛れもない、人間の、心臓だった。

510終焉憧憬(4):2009/12/01(火) 14:57:35 ID:FwPiRpck0

【時間:すでに終わっている】
【場所:???】

水瀬名雪
 【所持品:くろいあくま】
 【状態:過去優勝者】

少年
 【状態:???】



【時間:???】
【場所:沖木島地下の超先生神社】

超先生
 【所持品:12個の光の玉】
 【状態:私は知らない、私に任せるのはやめたまえ!】

滝沢諒助
 【状態:せせせ先生そんな無責任な】

石原麗子
 【状態:???】

里村茜
 【状態:???】

→999 1030 1100 ルートD-5

511終演憧憬(4):2009/12/05(土) 18:21:58 ID:SBtIE0MU0
 
窓の外には雨が降り出していた。
灰色の空が、薄暗い診療室内に奇妙な陰影を作り出している。

「じ、冗談……だよね?」
「いいえ」

にべもなく答えた古河早苗の、その瞳には一片の戯れも混じっていない。
ひどく困惑したような表情を浮かべる春原陽平が、口の端を苦笑のかたちに吊り上げる。

「ま……またまた早苗さんは、そ、そうやって人をからかって……」
「春原さん」

静かな診療室の白い寝台の上に横たわりながら、額にじっとりと滲んだ汗を拭った春原に、
噛んで含めるように、早苗が繰り返す。

「あなたは、妊娠しています」
「い、意味わかんねえよ!」

途端、春原が表情を硬くする。

「何言ってんだあんた!? 僕は男だよ!?」
「理屈は、分かりません。ですが、そのお腹には、新しい命が宿っています」
「頭おかしいんじゃねえの!?」

耳を塞いだ春原が、激しく首を振る。

512終演憧憬(4):2009/12/05(土) 18:22:15 ID:SBtIE0MU0
「先程から感じていらっしゃる痛みは陣痛でしょう」
「あり得るわけないじゃん、そんなの!」
「赤ちゃんは、もうすぐ生まれてきます。お産はもう始まっているんです」
「聞けよ、人の話を! ……ぐ、あ、痛ぅ……」

激昂し、起き上がりかけた春原が、呻き声とともに再び寝台へと身を横たえる。
苦しげな表情のまま大きく張り出した腹部を抱えるように、くの字に身を曲げた春原を見下ろしながら、
早苗が淡々と言葉を接ぐ。

「陣痛の間隔が短くなってきています。もう動かない方がいいかもしれません」
「ざっけ……な……」

だらだらと、珠になるような脂汗を垂らしながら、春原が早苗を睨みつける。

「僕ぁ帰る……! 船は六時に出るんだろ……!」
「説明した通りです……あちらに向かっても、もう」
「いいから、どけよっ!」

僅かに目を伏せた早苗の言葉を振り切るように、春原が無理矢理に身を起こす。
寝台から降りようとして、

「あ、くぅ……!」

突然沸き上がってくる、締め付けるような痛みに、バランスを崩した。

513終演憧憬(4):2009/12/05(土) 18:23:11 ID:SBtIE0MU0
「春原さん!?」
「ちょ、あんた!」

慌てて支えたのは、それまで早苗の背後で口を閉ざし、二人の会話を見守っていた
古河渚と長岡志保である。

「は、離せよっ!」
「きゃあっ!」

両脇を抱えられるような姿勢の春原が、乱暴に二人の手を払おうとする。
狭い診療室の中、よろけた渚の背が薬棚の硝子戸に当たってがしゃりと音を立てた。

「あんた、いい加減に……!」
「……ベッドに戻りましょう、春原さん」

思わず怒鳴り声を上げようとした志保を制するように手を翳し、静かな口調で語りかけたのは早苗だった。

「確かに、信じられないのも無理はありません。私たちだって、こんなことは初めてです。
 だけど……春原さん、あなたが一番よく分かっているはずなんです」

翳した手を、そっと下ろしていく。
触れるのは、薄い貫頭衣のような寝間着に包まれた、春原の大きな腹部。

「……この中に息づく、新しい命の温かさを」

どくり、と。
早苗の言葉に応えるように、震えるものがあった。
胎動。それは何よりも雄弁に、感覚として春原に訴えかける、命の証左である。

514終演憧憬(4):2009/12/05(土) 18:23:26 ID:SBtIE0MU0
「……、そん……な……」

呆然と呟いた春原が、力なく寝台に腰を下ろす。
小刻みに痙攣する瞼と、落ち着きなく左右を見回す視線とが、内心の動揺を如実に示していた。

「春原さん……」
「気持ちは分かるけど……」

心配げに見つめる渚や志保の言葉にも、春原は答えようとしない。

「はは……ないよ……ない、ない」

親指の爪を噛みながら、ぶつぶつと呟いていた春原が、ふと何かに気づいたように顔を上げる。

「……そうだ」
「どうか、しましたか」

訊いた早苗の方を、春原は向かない。

「トイレ、行ってこよう」
「……」

表情は、笑みを形作っている。
しかしゆらゆらと不規則に揺れるその瞳は、何の感情も浮かべてはいなかった。
空虚の二文字をもって表される、仮面のような笑みを貼り付けたまま、春原が呟く。

515終演憧憬(4):2009/12/05(土) 18:23:52 ID:SBtIE0MU0
「そうだよ僕、考えてみたらずっとトイレ、行ってなかったんだ。
 だからお腹がこんなに張ってるんだ。痛いのも当たり前だ。うん、そうだった」
「はぁ……!?」

足元が見えないほどに大きく膨らんだ自らの腹を見下ろして、春原がゆっくりと拳を握る。

「いやあ、我ながら頑固なお腹で困っちゃうね。少し、ほぐさないと……」
「ちょっと、あんた何言って……!」
「だから、こんなの、ちょっとこうしてやれば……」

すう、と拳が、振り上げられる。

「……! いけません、春原さん!」

弾かれたように叫んだ、早苗の制止も間に合わない。
ぼぐ、と。
奇妙な音が、診療室内に響いた。
人の、否、生物の持つ遺伝子が、その存在を根絶せよと命じるような、音だった。

「ぐ、ぅ……! あ。ぁああ……!」

おぞましい悲鳴を漏らしながら寝台に倒れ込んだのは、自らの腹を殴りつけた、春原自身である。
その悲鳴に、凍りついたように足を止めていた三人が、ようやく動き出した。

「春原さん……!?」
「この、バカ……!」
「……」

渚と志保が、慌てて寝台へと身を乗り出す。
早苗はといえばそんな二人の背と、そして呻く春原をほんの僅か間、じっと見据えると、
無言のまま振り返っている。
その視線の先には、薬品や備品を仕舞った戸棚があった。

516終演憧憬(4):2009/12/05(土) 18:24:15 ID:SBtIE0MU0
「春原さん、大丈夫ですか春原さん!」
「ぃた、痛い……けど、これで……いいんだよ……」
「あんた……!」
「だ、大丈夫……もっと叩けば、すぐに……ぜんぶ、出てくる……は、はは……」

だらだらと脂汗を撒き散らしながら引き攣った笑みを浮かべる春原の腕が、
寝台に横たわったまま、もう一度振り上げられる。

「ダメです春原さん、春原さん!」
「い、いい加減にしなさいよこのバカ……!」

伸ばされた腕を二人がかりで抑えた、その背後から、声がした。

「―――渚、長岡さん」

冷静な、声だった。
ぞっとするほどに揺らがない、それは古河早苗の声。
十数年を同じ屋根の下で暮らした、渚でさえ聞いたことのないような、声。

「そのまま、抑えていてください」
「え……?」

思わず振り返った渚の目に、早苗の持っている物が映る。
まるでフィルムケースのような、小さな白い円筒形は、

「包帯……?」

渚が呟くのと、ほぼ同時。
無言で歩を進めた早苗が、その手にした包帯の留め金を、指先だけで取り去る。
はらりと、白く長い布地が寝台に零れた。

517終演憧憬(4):2009/12/05(土) 18:24:43 ID:SBtIE0MU0
「な、何だよ……」

異様な雰囲気に、春原が身を捩ろうとした瞬間には、もう遅い。
伸ばされたその腕に、包帯がくるりと巻き付いている。

「おい、何してんだよ……!?」
「……」

悲鳴のような春原の声には、答えない。
無言のまま、早苗は春原の腕に包帯を二度、三度と巻き付けていく。

「そちらもお願いします」
「え……?」
「そちらの腕です」

戸惑う渚と志保に、淡々と指示を出す早苗。

「離せ! 離せよ! おい! 僕は、僕は……!」

瞬く間に、春原の両腕が幾重にも巻かれた包帯で拘束されていく。
ぐるぐると白い布地に巻かれた腕を、最後に寝台の枠に固定する。

「く、くそ……っ! こんなもの……っ!」
「二人でそちらの足を。体重をかけて」
「は、はい……」

暴れようとする春原の機先を制するように、早苗が二人を動かす。
両腕を頭の上で縛られた格好の春原は、張り出した己の腹にも邪魔されてうまく力を込められない。
数分の後には、両腕に加えてそれぞれの足も、すっかり寝台に縛り付けられていた。

「ちくしょう……! 何だよ! 何なんだよ!」
「……これ以上暴れると、お腹の子に障ります」

ぎしぎしと寝台を軋ませて身を捩ろうとする春原を見下ろして、早苗が口を開く。
その悲しげな表情は、既に常の早苗のそれに戻っていた。

「だから! だからそんなの、」
「もう、この子は外に出たがっているんです」

強制的に両足を開かされた格好の、春原の大きく膨らんだ腹部を、早苗の手がそっと撫でる。

「春原さん」

笑みはない。
ただ悲しげに眉根を寄せて、

「この子は―――生まれたがっているんですよ」

それだけを、口にした。




***

518終演憧憬(4):2009/12/05(土) 18:25:02 ID:SBtIE0MU0
***




僕だって、本当は気付いてる。
気付いてるから、言えるんだ。

たとえばこれは、愛から生まれるものじゃない。




***

519終演憧憬(4):2009/12/05(土) 18:25:20 ID:SBtIE0MU0



【時間:2日目 午後4時すぎ】
【場所:I-7 沖木島診療所】

春原陽平
【状態:分娩移行期】

古河早苗
【状態:健康】

長岡志保
【状態:健康】

古河渚
【状態:健康】


→1109 ルートD-5

520終焉憧憬(5):2009/12/20(日) 17:16:11 ID:lPNSF8sU0
 
目の前には、一面の銀世界が広がっている。

「……寒いね」
「まあ、息も白くなりますし」
「つーか、吹雪いてるよね」

呟いた天沢郁未の、開いた口に飛び込む雪の結晶の感触が、舌の上で融けていく。

 ―――こっちだよ。

風に舞う雪に阻まれて、視程はほんの数メートルもない。

「さっきまでは南の海で、今度は雪国? ……ったく、はあ、もういいけどさ」

肩に降り積もる雪を払う郁未が、一陣の風の吹き抜ける間に再び白く染め上げられる。

 ―――こっちだよ。

そんな郁未の徒労に軽く肩をすくめて、鹿沼葉子が静かに口を開く。

「別段、凍えることはないでしょうが……鬱陶しくは、ありますね」
「不可視の力ってのは便利だね、こういうとき。……で、」

睫毛に積もる雪を指先で弾いて、郁未がつまらなそうに葉子を見やる。

521終焉憧憬(5):2009/12/20(日) 17:16:27 ID:lPNSF8sU0
 ―――こっちだよ。

視線を受けた葉子が、ほんの少し、首を傾げた。

「何でしょう」
「この声に従えばいいわけ?」
「さあ」

すげない答えに、郁未が責めるように目を細める。
素知らぬ顔で視線を逸らす葉子へ不満げに唇を突き出してみせた郁未の耳に、

 ―――こっちだってば。

もう何度目になるかもわからない声が、響いた。
ぼうぼうと轟く吹雪の中、その声はひどく遠く、しかし風の音に紛れることもなく、
常には決してあり得ぬ確かさをもって郁未たちの耳朶に直接響いてくるようであった。

「ただ、こういった場所も三度目ですし」

とん、と。
足先を地面に突いて靴に積もった雪を落としながら、葉子が言う。

「今まで通りであれば、此処にもいるのでしょう。主とでもいうべき、誰かが」

そうして声の聞こえてくる方へと向き直る葉子。
そんな相方を横目でちらりと見て、郁未が小さく溜息をつく。

「……ま、他にアテがあるわけでもないしね」

呟いて踏み出した足の下、さくりと踏みしだく感触は、新雪のそれだった。


***

522終焉憧憬(5):2009/12/20(日) 17:17:02 ID:lPNSF8sU0
 
「ねえ、これ……」
「でしょうね、おそらく」

戸惑ったような声を漏らす間に睫毛に積もった雪の重みで、ジリジリと瞼が下がっていく。
吹雪はますます酷くなっていた。
猛烈に吹き荒ぶ風と、叩きつけるように落ちる豪雪と、更には既に積もった雪が風に舞い上げられて
地表面近くを白い津波のように流れていくブリザードとで、数歩先も見えない。
そんな中、郁未が相方と共に立ち止まっていたのはひとえに、その眼前に存在する奇妙な物体故である。

猛烈な風の音と白一色の単調な世界は、容易に五感を狂わせる。
数分、数十分、或いは数時間か数日か、とうに麻痺した時間感覚の中、声に導かれるままに歩き続けた
郁未の耳に響いた、

 ―――とうちゃーく!

という声。
その声と同時に、一面の白を割って視界に飛び込んできたものが、あった。
それほどに大きなものではない。
高さにして、郁未の背丈より少し低い程度。
横幅は二メートルもないだろう。
奥行きにしても、似たようなものだった。
しかし、郁未を戸惑わせていたのは、その拍子抜けするような小ささではない。
材質である。
薄茶色をベースに、カラフルなラインや様々なマーク、幾つかの文字。
そんなカラーリングを施された正方形や長方形の板が、鱗のように貼り合わされ繋ぎ合わされている、
それは郁未たちにも見慣れた、

「……段ボールハウス、って」

およそ建築と呼ぶにもおこがましい、子供じみた安普請である。
果物や、野菜や、缶詰や、他愛もない菓子や、調味料や生活雑貨や、そういうものが詰め込まれていたと思しき
大量の段ボールが、そこには積み重ねられ、貼り合わされ、一個の塊となって存在していた。

523終焉憧憬(5):2009/12/20(日) 17:17:36 ID:lPNSF8sU0
「いや、これはちょっと……ここまで来て……ねえ?」
「まあ、雪山に浮浪者でもないでしょうが……。とはいえ」

戸惑う郁未の視線を受けて、しかし葉子は厳しい表情を崩さない。

「普通の段ボールハウス……というわけでは、流石にないようですね」
「え?」

驚いたように見やる郁未に小さく溜息をつくと、葉子はおもむろに、肩に積もった雪を払い落とす。
その手がそのまま、眼前の素朴な建築物を指さした。

「……このペースで降り続いたら、こんなものは一時間も経たずに潰れます」
「あ」

言われて気づいた郁未が、改めて段ボールの山を見直す。

「積もってないね、確かに」
「側面にも、雪の付着がありません」
「温州みかん……って読めるしね。ってことは……」

奇妙な立地条件に、更に倍して。
この猛烈な吹雪の中、雪に埋もれることも、覆い隠されることも、その重みに潰れることもなく。
ただの厚紙の塊が平然と存在することそのものが、正しく異常と呼べる事象であった。

「……虎穴に入らずんば、って感じ? やだなあ、そういうの」

うるさいくらいに繰り返し響いていた声は、到着の言葉を最後にやんでいる。
自らの視線よりも少し低いところに位置する、数枚の段ボールを組み合わせて扉を模したらしき
長方形の板を見つめて、郁未が眉根を寄せる。
書かれた文字は『キャベツ 御殿場』。
小さく首を振れば、頭上に積もった雪がばらりとまとめて地面に落ちた。

「何を今更。ここはもう、とうの昔に虎の巣の中ですよ」
「この先が胃袋の中でなけりゃいいけどね」

軽く鼻を鳴らして言い放った葉子が、無造作に扉らしき一枚に手を伸ばす。
半ば無意識に近く歩調を合わせて踏み出しながら、郁未がもう一枚、『特選しょうゆ 1.5l』の扉を掴んだ。
次の瞬間、目配せを交わすこともなく、まったくの同時に、二枚の扉を、引き開ける。


***

524終焉憧憬(5):2009/12/20(日) 17:18:17 ID:lPNSF8sU0
 
「―――なにしてたの、そんなところで。かぎとか、かけてない」

扉の隙間から漏れ出す薄い光に向かって飛び込んだ二人を迎えたのは、そんな言葉だった。
声は、ここまでの道のりを導いたそれに、違いない。

「……」
「……」
「さむいからちゃんとしめてね」
「……」
「……はい」

言われるがまま、後ろ手に扉代わりの一枚を元通りに下ろす。
内部は、僅かに橙色じみた薄明かりに照らされている。
身を屈めなければ頭がつかえてしまうほどの低い天井から、小さなカンテラがぶら下がっていた。

「ここ、すわって」
「……」
「……どうも」

ぱんぱん、と小さな手が、やはり段ボール敷の床を叩く。

「……狭いな」
「もう少し、詰めてもらえますか」
「ん」

二人が座ればすっかり埋まってしまうような、狭い空間。
身じろぎすれば肩が触れるほどの間隔で腰を下ろした郁未と葉子を前に、

「さて、あらためて」

こほん、と。
小さく咳払い。
すう、と息を大きく吸って、

「―――ようこそ、ひみつきちへ!」

満面の笑みで告げたのは、まだ幼い少女であった。


***

525終焉憧憬(5):2009/12/20(日) 17:18:46 ID:lPNSF8sU0
 
「……」
「……また、ちびっ子か」

溜息混じりに呟いた郁未が、文字通りの意味で膝を突き合わせている幼女を、改めて見据える。
外見上は、明らかに就学年齢にも達していない。
四、五歳といったところだろうか。

「みずかおねえちゃんたちに、あってるね」

しかし、眼前の少女がその外見通りの存在であるはずもない。
異界とすら呼べる、この吹雪の山中に居を構え、声ならぬ声を響かせるもの。
麦畑の主や、羊の海の少女と同質の、異形。

「みんな子どもなのは、『あの子』がそうだから。
 ちかいものだけが、のこった」
「―――『あの子』?」

郁未の表情が変わる。
それを見て、葉子が静かに目を閉じた。
口元を引き結ぶその顔は、何かを堪えているようにも見えた。

「今、なんて……」
「わたし? わたしはうしお。ほんとうはまだ、なまえをつけてもらってないんだけど。
 いつもうしおだから、うしおでいい」
「聞いてない!」

苛立ちを隠そうともせずに言い放つ郁未。
しかしうしおと名乗った幼女は、にこにこと浮かべた笑みを崩さない。

526終焉憧憬(5):2009/12/20(日) 17:19:21 ID:lPNSF8sU0
「あなたたちのこと、しってる。ここでずっとみてたから」
「おい……!」
「ほら、テレビと、ふぁみこん」
「ッ……、―――」

嬉しそうに狭い室内のあちこちを指差すうしおを睨む郁未が、細く細く、長い息を吐く。
同時にその顔から、すう、と感情の色が消えた。

「テレビ、なんでもうつるんだよ」

と小さな手がぺちぺちと叩いた、四角い面を縁取るようにクレヨンで枠線の引かれたベニヤ板のモニタも。

「ふぁみこんで、つうしんもできるし」

奇怪な落書きとしか見えない色とりどりの紋様が描かれた、スケッチブックの端切れで構成される
無数の計器類やコンソールも。
空になった菓子袋の食料庫も、透明なガラス玉の宝石も。
雑多なそれらを、ひとつづつ説明するうしおの顔も。
郁未は何も、見ていない。
一切の興味を失ったかのように、段ボールでできた壁の一点をじっと見つめて押し黙っている。

「でも、すごいね」

ひどく狭苦しい部屋の中、そんな郁未の様子に気づかぬはずもない。
それでも曇りのない笑みを崩すことなく、うしおは言葉を続ける。

「もうずっと、ここまでくる人なんていなかったのに」
「……」
「むかしはね、まおうとか、まほうつかいとか、いたんだ。かっこよかったんだよ。
 だけど、いなくなっちゃった。もう、うまれてくるのは、いやだって。
 それで、うまれない子たちだけが、のこったの」
「……」
「……わたしは、ちがうけど」

言葉が、途切れた。
橙色の灯火に伸びた影が、ゆらりと揺れる。

527終焉憧憬(5):2009/12/20(日) 17:19:47 ID:lPNSF8sU0
「……きょうみ、ないよね」
「……まあ」

その答えに、喜色を満面に湛えるようだったうしおの笑顔が、崩れる。
口の端は上げたまま、涙を浮かべることもなく、しかし眉だけが、微かに下がっていた。
ほんの少しだけ遠くを見つめるような、淋しげな微笑。
それは到底、幼い少女の浮かべる笑みでは、なかった。

「……」
「……」

吐息をすら感じる距離にいながら、視線も会話も噛み合わない。
二人を見つめる鹿沼葉子も、一言も口を挟まない。

「……じゃあ、いっこだけ」

僅かな間をおいて、うしおがそっと口を開く。

「いっこだけ、しつもん」
「……」

郁未は視線を動かさない。
許容も拒絶も意味しない沈黙だけが、返っていた。

「あの子は、ずっと」

乾いた笑みが、

「ここでずっと、わらったり、ないたり、してきたんだ。それは……」

疲れたような、笑みの形の貌が、
静かに、息を殺して謳われる、祈りのように。

「それは、うまれて、いきてるのとは、ちがうのかな」

言葉を、紡ぐ。



***

528終焉憧憬(5):2009/12/20(日) 17:20:24 ID:lPNSF8sU0
 
「―――」

張り詰めた沈黙の、それは無視ではなく。看過でも、なく。
天沢郁未が、ゆっくりと視線を、視線だけを、動かす。

「―――ふうん」

細めた瞳が、射貫くように、幼い少女を捉えていた。

「まあ。―――うん、」

ひどく、素っ気なく。

「続けてよ」

肯定でも、否定でもなく。
ただ一言、促す。

「……うん」

その返答を、どう受け取ったのか。
淋しげな笑みは、そのままに。
うしおが、小さく頷く。

529終焉憧憬(5):2009/12/20(日) 17:20:53 ID:lPNSF8sU0
「わたしはね」

歌をうたうように。
触れれば割れる、泡沫のような声が、独白を始める。

「わたしは、うまれるんだ。せかいでさいごに。いっつも、さいご。
 せかいでさいご。うまれてさいご。しぬのもさいご。なまえはうしお。
 そういう、きまり」

独白の他に、音はない。

「わたしのおわりが、せかいのおわり。おわって、もどって、やりなおし。
 やりなおしてまたおわり。ずっとおんなじ、やりなおし」

ただ、風が、あった。

「やりなおせるのは、神さまがいたから。神さまのちからが、あったから。
 だけど、神さまはもういない。さっき、しんじゃったから、もういない」

狭い、狭い屋内に。

「だからせかいは、もうおわり。こんどおわれば、もうおしまい。
 それでもいいって、あの子がいった。おわっていいって、あの子はいった」

橙色の薄明かりを、揺らして。

「あの子はずっと、まってたの。うまれてもいいせかい。うまれたいとおもうせかいを。
 だけど、いつも、だめだった」

音もなく、色もなく。

「せかいのびょうきは、なおらない。がんばっても、がんばっても。
 やりなおして、かんがえて、なんども、なんどもがんばって、それでも」

風が、吹き抜ける。

「わたしが、うまれるの。それで、だれも、のこらない。
 あの子は、だから、うまれない」

名も知れぬ、彼方から。

「たたかいは、そのあいず。もうだめだって、あの子がおもったら、はじまる。
 せかいでいちばんの、かのうせいをあつめて」

此処ではない、何処かへと。

「はじまりのせかいは、むげんのかのうせい。だけどかのうせいは、きえていく。
 じかんがながれて、せかいはどんどんかたまって、かのうせいは、しんでいく」

頬を、唇を、掠めながら。

「かのうせいがぜんぶきえて、だから、せかいはおわるの。だから、わたしはうまれるの。
 だめだって、たすからないってきまったせかいのおわりを、ずっとまつのは、つらいから」

詠うように紡がれる、言葉を運ぶように。

「だから、おわらせるの。あのしまの、あのたたかいで。
 せかいのかのうせいの、ぜんぶをころして」

何かを、伝えるように。

「だけど、もう、たたかいはおわって。かのうせいのぜんぶは、しなないで。
 だから、わたしはうまれない。まだ、ほんのすこし、うまれない」

誰かに、伝えるように。

「もう、やりなおしはなくて。まだ、せかいはおわらなくて。
 だけど、あの子は、うまれない。うまれようと、しない」

祈りに近い、何かを。

「こわいの。うまれるのが。うまれて、しあわせになれないのが。
 こわいの。うまれて、おわるのが。あの子は、だけど―――」

そうして、

「だけど、わたしは、わたしたちはずっと、ねがってる。
 あの子が、いつかだれかと、てをつないであるけますように、って」

風が、やむ。



***

530終焉憧憬(5):2009/12/20(日) 17:21:21 ID:lPNSF8sU0
 
 
長い独白が、終わった。
降りたのは、沈黙。
静かな、しかし虚ろならざる、濃密な静謐。
天沢郁未の瞳は、今や真っ直ぐにうしおを見据え、微動だにしない。
その言葉の、真偽ではなく。真意でもなく。
ただその色彩を見極めんとするが如く、じっとうしおを見詰めている。
時が、過ぎ。

「―――ふうん」

郁未が、ゆっくりとひとつ、頷く。
小さな、小さな笑みをその貌に浮かべて。
冷笑ではなく。苦笑でもなく。失笑でもなく。嘲笑でもなく。哄笑でもなく。
幽かな、幽かな微笑が、雪の下、人知れず花を咲かせるように。
そっと、言葉を、紡ぐ。

「それが、どうした―――?」

その表情には、一片の悪意もなく。
ただ一欠片の、邪念もなく。
それは、どこまでも混じりけのない、透き通った問いだった。

「―――」

どうした、と問う。
それがどうした、と。
世界の成り立ちも、真実も、何もかもを貫いて。
疑うではなく。撥ねつけるでもなく。信じるでも、受け容れるでもなく。
理解も、共感も、認識も断絶も透徹して。
ただ一筋の揺らぎもなく問う、天沢郁未に射貫かれたうしおが、ほんの一瞬、
毒気を抜かれたように大きくその瞳を見開いて、

「……、……は、っ」

相好を、崩した。

531終焉憧憬(5):2009/12/20(日) 17:22:07 ID:lPNSF8sU0
「あは、あはは……あはははは!」

笑みは、すぐに大笑へと変わる。

「そうだね、そうだよね!」

目の端から涙を零すほどに、笑う。
笑って、笑って、切れ切れに息を継ぎながら、うしおが郁未へと、手を伸ばす。

「私が言いたいのは、たったひとつだけ!」

伸ばされた手には、小指だけが立てられている。
小さく丸い、幼子の指。

「あの子を、うまれさせてね? ―――やくそく!」

その指を見やって、郁未が自らの手を差し出しながら、言う。

「あいつだけじゃない」
「……え?」

小指同士が、触れ合う。
触れて、絡んだ。

「あんたも。もう一遍くらい、やってみな。生まれて、生きるってやつ」
「でも、わたしがうまれたら……」

絡んだ小指が、振られる。
打ち立てられた旗印の、風を孕んではためくように。
力強く、高らかに。

「世界の決まりなんて、知らないよ。私は」
「私たち、は」

それまでじっと黙っていた鹿沼葉子の一言に、僅かに苦笑を返しながら、
郁未が言葉を続ける。

532終焉憧憬(5):2009/12/20(日) 17:22:34 ID:lPNSF8sU0
「いつか、誰かじゃなくて。あんたが手を繋いで、それで一緒に歩くんだ。
 ……長い付き合いなんでしょ?」

答えはない。
絡んだ小指から、力が抜ける。
抜けていく。

「―――」

否、薄れていくのは、天沢郁未の指である。
導かれるのか、送り出されるのか。
いずれ、往くべき時が近いことだけが、分かった。

天沢郁未が、雪に覆われた小さな秘密基地で最後に見たのは、笑みだった。
晴れやかに、朗らかに、雲ひとつない青空のように笑う、幼子の笑みだ。


「ねえ、わたしたちは、きっと、ずっと、もっと、もっと―――しあわせに、なれるよね」


それは、笑みと共に紡がれる、新しい風だ。
悠久から生まれ、時の果てを越えて吹き続く、澄み渡る風だ。

音はなく。
色もなく。
それでも風は、吹いている。





【五層 開放】
【終層 解錠】

533終焉憧憬(5):2009/12/20(日) 17:23:19 ID:lPNSF8sU0
  
【時間:すでに終わっている】
【場所:???】

天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:不可視の力】

鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:光学戰試挑躰・不可視の力】


 【状態:???】


 →1068 1103 ルートD-5

534終演憧憬(5)/聖誕祭:2009/12/24(木) 19:08:58 ID:n/ibY28g0



 
生まれた!

生まれた、生まれた、生まれた!

生まれた! 生まれた! 生まれた! 生まれた! 生まれた!



.

535終演憧憬(5)/聖誕祭:2009/12/24(木) 19:09:20 ID:n/ibY28g0
 
涸れた喉で、何度も何度も、僕は叫んでいた。
苦しみの時間は、いつの間にか終わっていた。
全身を支配していた激痛が、指先の方から溶けてなくなっていくのを感じる。
代わりに僕を満たしていくのはこれまでに感じたことのないような充実感と底抜けの安堵で、
そして僕の外側を包むのは、本当にどこまでもやわらかくて、あたたかい空気だった。

涙と笑顔とが三つ、僕に向けられていた。
どれもこれもくしゃくしゃの泣き顔は、だけど口々に祝福をしてくれていて、
まるでそれが伝染したみたいに僕もほんの少しだけ、涙を滲ませる。ほんの少しだけ。

白いおくるみを抱えた早苗さんが、ぽろぽろと涙を零しながら、僕の前に立っていた。
そうして、ほら、抱いてあげてください、可愛い男の子ですよ、と。
そんな風に言われて差し出された、真っ白な布に包まれた、その桃色の泣き顔を
初めて見た瞬間のことを、僕は忘れない。たぶん、この先の生涯も、ずっと。

感動とか、感激とか、そういうものでは、なかった。
そういう風に言い表せるものじゃあ、なかったんだ。
それは、うん、とても大袈裟で恥ずかしいのだけれど。
だけど、他に言いようがないから、言ってしまう。

それはたぶん、生きる意味を見つけた瞬間だった。
僕の、生きる意味。
生きてきた意味。
生きていく意味。
何ひとつとしてやり遂げてこなかった僕が、ただ流されながら時間を潰していただけの僕の人生が、
何のためにここまであり続けていたのか、何のためにこの先あり続けるのか。
その答えが、目の前で真っ赤な顔をして、泣いていたんだ。

536終演憧憬(5)/聖誕祭:2009/12/24(木) 19:09:37 ID:n/ibY28g0



それがもう、何年も前の話になる。


.

537終演憧憬(5)/聖誕祭:2009/12/24(木) 19:10:01 ID:n/ibY28g0
あいつは今日も幼稚園から帰るなり、外へ飛び出していった。
元気なのは何よりだけど、元気すぎて心配になってしまう。
鉄砲玉みたいなやつだから、今日はどこで怪我をこさえてくるか、気が気じゃない。
もっともこれまで大きな病気をするわけでもなく育ってくれているんだから、
それ以上を望むのは贅沢というものかも知れない。

そういえば、最近は渚ちゃんのところの女の子が気になっているらしい。
あの子は二つも年下だっていうのに、ませたやつだ。
まったく、誰に似たんだろう。


あいつと出会えたあの島のことは、もうよく覚えていない。
渚ちゃんや早苗さんとは家も近いからよく顔を合わせるけど、あのときの話は殆どしない。
結局、新聞やテレビでは何も報道されなかった。
あの後は国全体が色々大変だったから、それどころではなかったのかも知れない。
長岡のやつは随分と腹を立てていたみたいだったけど、僕は子育てで忙しくて、
やっぱりそれどころではなかった。
気がつけばあっという間に時間は経っていて、記憶はもう、毎日の生活に摩り下ろされて
ひどく曖昧だった。

538終演憧憬(5)/聖誕祭:2009/12/24(木) 19:10:16 ID:n/ibY28g0
夢みたいな、だけど夢じゃない、ぼんやりとした記憶。
確かなのはたったひとつ、あいつが、僕の子供が、あの島で生まれたってこと。
それだけだった。

分かってるのはそれだけで、だけど、それだけで充分。
他に必要なことなんて、なかった。

あの子は今、ここにいる。
色々あったけど、僕は今、幸せで。
きっとあいつにも、幸せでいてもらえていると、思う。
だから、それでいい。

僕たちは、幸せに暮らしていく。
いつまでも、いつまでも。

それはだから、たとえば僕の、春原陽平の物語があるとしたら。
その最後は、こんな風に締めくくられるということだ。

即ち―――めでたし、めでたし。

なんて、ね。




.

539終演憧憬(5)/聖誕祭:2009/12/24(木) 19:10:33 ID:n/ibY28g0
******












そんなはず、なかった。












******

540終演憧憬(5)/聖誕祭:2009/12/24(木) 19:10:56 ID:n/ibY28g0
 
 
聞こえるのは声だ。

幾つもの声。
その全部が、僕を苦しめる声。

「暴れないで! 力を抜いて!」
「そっち! 解けてる! もう一回縛って! きつく!」
「それじゃ舌を噛みます! 大丈夫ですから! 息を深く吸って!」

分からない。
何を言っているのか、分からない。
痛くて。辛くて。苦しくて。
引き攣けを起こすみたいに息を吸わされて。
だから、吐くのは叫びと、喉から出る血だ。

「あ、アア、ああああアアアアアアあああああ……!!」

叫んで、吐いて、少しだけ楽になって。

「口の中、血だらけ……! 水、飲める……? きゃぁっ!」
「長岡さん!? 春原さん、大丈夫、大丈夫ですから! 落ち着いて!」
「もう少し、あと、ほんの少しですから! 頑張ってください!」

痛みの波が引いた後の、砂浜に打ち上げられるのは、恨みと、怒りだ。

541終演憧憬(5)/聖誕祭:2009/12/24(木) 19:11:33 ID:n/ibY28g0
「い、つ……だよ……!」
「……!? 何ですか、春原さん!? 今、何て!?」
「……いつ、だよ……! もう少しって……! 離せ、離せ、もう嫌だ……!」

ああ、だけど。
胸いっぱいに溜まったものを、思いきり吐き出したつもりなのに。
僕の声は、まるで他人事みたいに遠くで響いている。

「さっきも! さっきも、同じこと……!」
「もう、だいぶ下がってきてるんです! あとちょっと頑張れば、頭が見えてくるはずです!」
「嫌だ、嫌だ、嫌だ! もう痛いのは嫌だ! ああああ、アアアアアあああああ!!」
「落ち着いて! 深く息をしてください!」
「助けて! 助けて!」
「そんなに力を入れたら、赤ちゃんも春原さんも辛くなるだけです! 大丈夫ですから!
 力を抜いて! 痛みを逃がしてください!」
「ああああ、アアアア! 僕は……こんなの、あああ、産みたい、わけじゃない……ッ!」

また、痛いのが。
僕を、襲う。
張り裂けそうに痛いのに。
それを押さえる腕は、頭の上で縛られて。
身体を丸めて、蹲りたいのに。
両足は堅くベッドに結ばれて。
傷口は、開いていく。

「そんな……!」

音が、遠くなる。

「……生まれちゃいけないなんて、生まれなかったほうが良かったなんて、
 そんなことは絶対にないんです! そうさせちゃ、いけないんです……!」

遠い音。

「誰だってみんな、幸せになるために生まれてきてるんです!
 それは、それだけは、本当に……!」

他人事の、音。



***

542終演憧憬(5)/聖誕祭:2009/12/24(木) 19:11:55 ID:n/ibY28g0
***



音の消えた世界で、思う。

たとえば、生まれてきたとして。
僕は、この命を、愛せない。



***

543終演憧憬(5)/聖誕祭:2009/12/24(木) 19:12:16 ID:n/ibY28g0
 


【時間:2日目 午後5時すぎ】
【場所:I-7 沖木島診療所】

春原陽平
【状態:児頭娩出期】

古河早苗
【状態:健康】

長岡志保
【状態:健康】

古河渚
【状態:健康】

 →1114 ルートD-5

544クリスマスだよもん、教えてまーりゃん&ふーこ先生!:2009/12/24(木) 22:58:20 ID:kC2wWlvQ0
「じんぐるべーるじんぐるべーるすずがーなるー」
「どうしましたか、そんな棒読みのクリスマスソングなんか歌って」
「あーはいそういうわけでクリスマス特別企画ー、葉鍵ロワイアル3B−10ルートの現生存者の解説を行おうと思いまーす」

「無視されました。あ、B−10屈指の清涼剤こと伊吹風子です。今日はバッチリキメてます。文章では表現できないのが残念です」
「いつものまーりゃんだよー。なんかねー、最近はリア充が多くってさー。あちきグレちゃう」
「ああ、独り身の夜風が身にしみるんですね」
「ぐはっ! ううううるさいよ! どどどど童貞じゃありません!」
「どうてい? 美味しいですか?」
「天然記念物……ってほどでもないか。でも食べられるよ」
「ほう。風子はグルメですが一度食してみたいものです。じゅるり」
「ま、チビ助のよーな性格も肉体も幼女な女の貰い手なんていないだろうけどさ。はっはっは」

「まーりゃんさんのことですね分かります」
「うるさいよ! あたしゃ性格は大人だってーの!」
「風子も大人です(キリッ)」
「(キリッ)」
「えっ」
「お前ボケるか突っ込みに回るかはっきりしろよ」
「風子はボケでも突っ込みでもありません。淑女です(キリリッ)」

「あーーーーもーーーーやりにくいーーーーーーーーーーーー!!! もっとこう弄られキャラを相方に回せー!」
「仕方ありません。だって男がらみがない売れ残りはまーりゃんさんと風子だけらしいですし」
「売れ残り言うなコンチクショウ! っていうかことみん(一ノ瀬ことみ)とルーの字は!?」
「ことみさんは亡き岡崎さんに惚れていたと明言されるシーンがありますし、ルーシーさんは言わずもがな」
「未亡人状態ってわけですな……」

「ってことで売れ残りチームです。頑張りましょう」
「絶望した! ロリコンがいないB−10に絶望した!」
「まあまあ。16歳で熟女、18歳でババアと呼ばれる時代らしいですし」
「あのさ、自分で言ってて悲しくならない?」
「風子はコンビニとヒトデがあれば生きていけます。まーりゃんさんのようないき遅れとは」
「いき遅れ違うわーーー!!! 永遠のじゅうよんさいとして、アイドル街道を……もういいです、はい」

「うむうむ。人生は諦めが肝心と言います」
「ちくしょう、たかりゃんやさーりゃん相手みたいなセクハラ下ネタも通じそうにないしなー……」
「淑女にそんなことするなんて失礼です。まーりゃんさんは一度玄界灘に沈んで神に命を返すべきです」
「そこまでのことした覚えないっつーの! あ、いや4人ほど殺してるけど……はい、すんません……」
「アップダウンの激しい人ですね。そんなんじゃ将来社会で働いていけないと思います」
「チビ助の将来はさぞ安泰だろうね……」

545クリスマスだよもん、教えてまーりゃん&ふーこ先生!:2009/12/24(木) 22:58:44 ID:kC2wWlvQ0
「ってこんなことしてる間に時間を浪費しちゃったじゃないですか! 最悪です! まーりゃんさんが時間を湯水の如く使うから!」
「おいお前が言うな。っていうかそれあたしの台詞だし!」
「ではいき遅れのまーりゃんさんとっとと進行お願いします」
「ナチュラルにひどいこと言ってますよね!? なんであたしの方がペース握られ通しなの!? ガッデーム!」
「知りません。では風子はヒトデと戯れてます。……♪」
「それ、ベツレヘムの星だからさ。あ、クリスマスツリーのてっぺんにあるあの星のことね。まーりゃんの豆知識」
「……♪」

「あのさ、反応くらいしてよ……」
「はっ。ああはいはい。風子とっても驚きました。わー」
「性格最悪だこのチビ助ー! ボケも突っ込みも出来ないしっ! どういうことなの・・・」
「仕方ないね」
「……もういいよ、独身いき遅れ女はひとりでやってますよーだ……ぐすん、あたしゃ悲しい」

「まあまあ。いつかきっと多分他のルートでお相手が現れるかもしれないじゃないですか」
「他のルートじゃあちき死んでるって!」
「死んだくらいで諦めるな馬鹿者!」
「あーもー! またあたしが言いたい台詞をーーーー!! なにさこいつー!?」
「淑女です(キリッ)」

「い、いかん、この天下無敵の天衣無縫のまーりゃんが匙を投げたくなってきたぞ……ぐぬぬぬっ」
「何を悩んでいるかは知りませんが、頑張ってください。風子応援してます」
「ああ、あんたそういう純真なところもあるんだったっけ……もういいよ、うん。じゃー始めよっか」
「わーぱちぱちぱち。で、何するんでしたっけ」
「だああああ! またあたしのボケタイムをー!」
「おやまーりゃんさんもう更年期障害ですか? 風子心配です」

「だ、ダメだ……こいつ出来すぎる……この南斗まーりゃん拳でさえ勝てぬとは……」
「まーりゃんさん、くじけてないで早く始めてください。もう60行も使ってます」
「うう、もう死兆星が見えるよお師さん……えーと、生き残りキャラ解説だったね。じゃあまずは手堅く高槻ちゃんから」
「最多登場を誇る人気者ですね。まあ真の人気者は風子ですが」

(も、もう反応するものかっ……! でもまた言われた……悔しいっビクンビクン)
「ねえどんな気持ち?」
「心の声に反応しなくていいから。もう真面目に解説モードだから。仕事しよう、な?」
「そうですね、給料泥棒はいけません」

546クリスマスだよもん、教えてまーりゃん&ふーこ先生!:2009/12/24(木) 22:59:01 ID:kC2wWlvQ0
「えーと簡単に経歴を説明するよ。
 まず七海と郁乃のロリっ娘コンビをウォッチングしていたところをどさくさ紛れの騒ぎで誤解されてそのまんま犬とコンビを組むことに。
 んで罠に引っかかって国崎と奇妙な会話を交わして犬に助けられて再び行進開始。
 行き着いたお寺で前述のロリっ娘たちを助け出し、何の因果かフラグを立て損ねてロリコン認定。
 そこを目撃ドキュンした鎌石村カルテット(ささら、真琴、レミィ、ゆめみ)に殺されかけるも何とか和解する。
 しかしあたし……じゃなくて麻亜子が便所から狙撃したことによりレミィは死亡。
 そのまま逃走した麻亜子を追って探偵高槻は助手のささらと真琴を携えて追跡を開始。
 その後向かった学校で岸田とこれが最初の因縁の対決を交えつつ、生徒会組(ささら、麻亜子、貴明)が運命の再会。
 ただし説得は実らず麻亜子は逃走。高槻は追おうとしたがささらに阻まれ一旦取って返すことに。これがささらとの最後になるとも知らずに。
 んで引き返した寺ではまたもや岸田が大暴れ。真琴の犠牲を伴いながらも何とか撃退して、
 一行はささらを追うべく新たに仲間となった杏を加え進むのであった。
 しかし、進んだ先でばったりと出くわしたのはマーダー千鶴。パーティーは分断。高槻は海に落ちた郁乃を追ってゆめみと共に飛び込む。
 漂流した先で岸田と最後の対決。郁乃はここで死亡してしまい、高槻は大きく考え方を変えることになる。
 無事再会した杏と芳野という新しい仲間を加え、一行は脱出のためのアイテムを探すことに。
 その途中で主催の手駒であるアハトノインと遭遇。辛くも撃退したが高槻は己の力の小ささを実感するのであった。
 芳野に付き従ってついた先の学校には様々な人間が集まってくることに。
 まーりゃんとの因縁を解消しつつ、高槻はその中で会議メンバーに指名される。
 果たして、彼が進む道の先は一体、どうなってしまうのか……」

「続く」
「まあだいたいあってる説明なのでした。前半は典型的なギャグキャラだったけど、
 後半は自分を知って、独立した人間とはどんなものかー、って思い始めてるね」
「風子と似たような感じですか」
「そうとも言えなくはないね。貴重な大人のキャラでもあり、ギャグ担当でもあり、幅は広いよ。まるであたしのような」
「大人……?」
「はーっはっはっはー! どーだ見たかチビ助! ボケてやったボケてやったー!」
「仕事中にふざけないで下さい」

「……ねえ、なんでそんなひどいのさ?」
「風子はいつだって真面目なんです。いつもは馬鹿やってるみたいな言い方しないでください」
「ち、チビ助がいじめる……あちきだって泣いちゃうぞ、女の子だもん☆」
「どうでもいいですが、早く続きをお願いします」

547クリスマスだよもん、教えてまーりゃん&ふーこ先生!:2009/12/24(木) 22:59:20 ID:kC2wWlvQ0
「この子、突っ込みの存在自体を知らないんじゃないだろうか……と思うまーであった。はいはい、続けるよユーモアの分からんばかちんがっ。
 じゃあ次はほしのゆめみことゆめみんね。ゆーりゃんにしちゃうと被るからさ、色々と。んじゃあ……
 まあ大体は高槻と同じ。支給品として鎌石村カルテットに組み込まれて、寺を目指す。
 寺についた後は郁乃の護衛をして、岸田に襲われる。幸いロボットだったから左腕が動かなくなるだけで良かったが、
 真琴は死亡。死を悼みつつその後の行動は逐一高槻と一緒。もうパートナーといって差し支えないレベルだね」

「とはいってもお互い抱いている感情はドライなものですが」
「んだね。高槻はロボットとしてしか見ていないし、ゆめみも人間の模範という形でしか見ていない。
 でもその間には確かな信頼がある。事実、二人ともお互いに影響されているしね」
「高槻さんが丸くなったのはある意味でゆめみさんのお陰ですね」
「かもなー。ゆめみんも事あるごとにたかちーの真似をするようになってる」

「たかちーって無理矢理ですね」
「だってたかりゃんだと被るもん……被るの多すぎて書いてる人も困るって言ってた」
「ルーシーさんは?」
「るーりゃんだとなんか言いにくい」
「風子は?」
「ふーりゃんってなんかイメージに合わない。チビ助で結構」
「納得いかないです……」

「げへへへ、チビ助はかわええのう」
「ふーっ!」
「にょほほほほ、そんな駄々っ子パンチなんぞ効かんぞえ。そーだこれだよ、これなんだよあたしの望んでいた展開は!
 イッツパーフェッ! あたしヘブン状態!」
「気が済みましたか? では続きをお願いします」
「……あのさあ、そのいかにも『演技してました』ってのはよしてよ」
「何が演技ですか。風子はいつだってマジなんです」

548クリスマスだよもん、教えてまーりゃん&ふーこ先生!:2009/12/24(木) 22:59:37 ID:kC2wWlvQ0
「釈然としねーなぁ……まあいいか続けんべや。んじゃ流れに乗ってきょーりゃんで行くかね。
 えっとね……杏が最初にやったことは島で使える特殊掲示板『ロワちゃんねる』への書き込み。殺し合いに負けるかってな書き込みをした。
 もっともロワちゃんねるの存在、もう殆ど忘れ去られてるけど……B−10書いてる人も正直使い道が……ゲフンゲフン。
 んでその後何の手違いか勝平を誤殺してしまいショックの余り気絶。
 だが強靭な精神力で復活を遂げた杏は妹探しのために介護してくれていた祐一達との同行の誘いを断って一人で出発する。
 その後冬弥と出会いつつ高槻のチームに合流する。だが妹はまだ見つからず、それどころか遭遇した千鶴に半殺し。
 浩平の救助の甲斐あって聖に救援を求めることができ、何とか一命を取り留めたもののここから動けない状態が続く。
 芳野にあられもない姿を見られたというハプニングはあったものの、さしたる異常もなく歩けるほどには復活。
 芳野と組んで再び妹探し兼爆弾の材料集めをすることに。その道中で高槻達と再会。
 郁乃が亡くなったことにガックリしつつも再会を喜び合うのであった。だが直後放送で妹の死を知ってさらに落ち込む。
 どうしたらいいのか分からなくなっていたが、ゆめみの励ましでやることを見つけ出す。
 爆弾の材料は見つかったので学校に帰還することに。そこで学校に集まってきた様々な人物と交流。
 友達のことみ、渚。瑠璃との新しい関係。その過程で杏は自分の力量を確認するとともにはっきりとした目的を見つけ出すのであった」

「続く!」
「波乱万丈な人生ですなあ……身内関係のトラブルが多いこと多いこと」
「特に妹である椋さんはB−18の宮沢有紀寧並に恨みを買ってましたからね」
「事実を知らない人も多いんだけどね。そこは救いかねぇ。きょーりゃんは頑張ろうとしてるんだけど空回り、って典型だね」
「実際一回も活躍してませんから。負け越しです」
「そのせいで精神的に脆くなっちゃったね。女の子女の子ー」
「ただ自分の意思で解決しようとしているところが杏さんたるところですね」
「うむ。弱いけど強いヒロインさね。まるで」
「風子ですね」

「……」
「……」
「次行こうか」
「そうですね」

549クリスマスだよもん、教えてまーりゃん&ふーこ先生!:2009/12/24(木) 22:59:51 ID:kC2wWlvQ0
「流れに乗って芳野祐介! 呼び名どうしよう……ゆーりゃんで被りすぎなのぜ。ここはよしのんにしとこう。
 さて彼は一話目にして狂犬との異名を持つ醍醐を相手に祐一と一緒にではあるが勝利するという大金星を上げる。
 婚約者である公子を探すために祐一達とは別れるが、次の道中で今度は郁未と葉子に遭遇。襲われている瑞佳を助けつつ逃げることに成功。
 ただ次の放送で公子の死亡を確認してしまう。まだ風子が残っていると絶望するわけにもいかず、何とか気を保って捜索続行。
 ……で、今度は麻亜子から襲われる。愛について議論した後少々戦闘。やっぱり逃げる。
 逃げた先で今度は国崎と遭遇。あかりを預けられ、更に七瀬とはぐれた詩子を仲間に入れて半分ハーレム。でも全く気にしていない。
 だが行き着いた先の学校で分かれて捜索していたところ、瑞佳と詩子が岸田に襲われ殺害される。
 しかも襲ってきた千鶴にあかりまでを殺される。浩平の犠牲もあって千鶴は倒したものの、芳野の胸にぽっかりと穴が空いてしまう。
 杏と共に爆弾の材料探しをする過程で高槻達と出会う。高槻とは不思議に気が合うようだ。
 その後アハトノインを倒す過程でようやく心を取り戻し、本来の芳野に戻る。後は大体杏と同じ。
 会議組に選抜され、ことみと一緒に爆弾の製作開始」

「続く!?」
「突っ込まないよ。この人も大概不幸だよね。仲間にした女が全員ばったばったと」
「続け様でしたからね……おお、こわいこわい」
「この人に関しては因縁がまだ解決されてないの多いよね。あたしとか、往人ちんとか、チビ助とか」
「まあそれは仕方ないです。会議組でしたから。いずれ機会はあるでしょう。多分」
「大人の渋い会話にも期待したいところです。実質最年長者ではないでしょうか?」
「たかちーの方が年齢的には上なんだろうけど……まーあいつはねー」
「風子とのアダルトな会話にも期待ですっ」

550クリスマスだよもん、教えてまーりゃん&ふーこ先生!:2009/12/24(木) 23:00:06 ID:kC2wWlvQ0
「はいはい大人大人。では次行ってみよう。声繋がりで往人ちん。こいつもゆーりゃん。ないしゆきりゃんで被りまくりなんだよね。
 さて。えーこの人、初っ端に目つきの悪さから殺人犯だと誤解される。本人はラーメンセットを食べたかっただけだというのに。
 気絶していた拓也(月島兄)を拾ったが罠にかかる。高槻と馬鹿会話を交わしつつマナを説得して脱出成功。
 気絶にはほとほと縁があるらしく、今度はあかりを拾う。看病しているうちにいつの間にか月島兄は殺される。
 そこで少年と対決。なんとか撃退には成功したが放っておけないとして仲間の捜索より少年を打ち倒すことを決めた。
 襲われまくっていて、尚且つ放送で友達を失くし落ち込んでいたあかりを人形劇で励ます一方、出会った芳野という仲間もあり、
 彼にあかりを預けて単独行動に出ることに。ただ、あかりとはもう会えなくなってしまったが……
 ようやく鎌石村で少年と遭遇。既に戦っていた皐月、花梨と協力して少年を倒すことに成功。だが皐月は死んでしまう。
 (無理矢理ついてきた)花梨を仲間に加え、再び仲間の捜索をすることに。ホテル跡まで行くと、花梨はかつての仲間である由真と再会。
 これを機に往人は再び単独行動に。さらに行き着いた先の平瀬村。そこには惨劇の後の舞が呆然としていた。
 自殺しようとした彼女をなんとか押し留め、人形劇でなんとか立ち直らせる。
 ただ往人自身も放送で大切な人を失い、心に深い傷と後悔を背負ったのであった。
 直後放送を聞き錯乱状態になった麻亜子と戦闘に。何とか彼女を説得して、改心させることに成功。
 麻亜子は気絶してしまい、舞が様子を見ることに。その間往人はホテル跡に戻ることにした。
 ホテル跡にもう一度向かうと、ボロボロの風子が彰と戦っていた。これに加勢し、彰を倒して風子を救い出す。
 風子は身も心もボロボロで一度戻ったほうがいいと判断した往人は平瀬村に戻ることに。その際、花梨も由真も死亡したと聞いた。
 寂しいと思いながら戻った先で宗一と遭遇。どうやらホテル跡ではまだ戦いが続いているらしい。
 復活した舞、麻亜子を仲間に加え、風子をお留守番させてホテル跡に向かう一同。
 その先では郁未が待ち構えていた。苦戦の末渚の助力もあり郁未を倒すことに成功。
 疲れきった体で戻り、にぎやかになったパーティーで宗一の仲間が示す目的地に向かうことに。
 車やらバイクを使って移動。ついた学校では会議組からハブられる。代わりに舞とお風呂タイム。エロい。
 さて、今後の彼は……」

「続く?」
「イベント盛りだくさんだね。少年との対決、まいまいとの出会い、まーの説得劇、そして郁未との決戦。
 別れた仲間は殆どが死亡する中、それでも築き上げた新しい関係を軸に頑張る男……うーん主人公。にくいくらいにいい男」
「イケメンですね」
「AIR勢との別れは一応つけてるんだよね。心の中で。だから弱みも見せてない典型的な男でもある。馬鹿なことにねー」
「まあそこはパートナーと認識した舞さんとの絡みで」
「あのシーンはあちきの功績だよね! 萌えのプロフェッショナルのあたしにかかればこんなもんよ!」
「でもいき遅れ」
「うわああああああああ!!!」
「年長組の一人なのと、男なので男組との絡みにも期待。おっと風子はベーコンレタスではありません」
「果たして往人ちんの人形は見つかるのか。ほんと何処行ったんだろうね」
「神尾家にあるかもしれませんね。ただ忘れたダケー」

551クリスマスだよもん、教えてまーりゃん&ふーこ先生!:2009/12/24(木) 23:00:23 ID:kC2wWlvQ0
「次はそのパートナーのまいまいに行ってみよう。
 当初からマイペース。早期に牛丼組(住井、チエ、志保)を結成して牛丼をもりもり食べつつのんびり。
 耕一は家族を探すということで梓と一緒に別れたが、舞は牛丼組に残ることに。
 ところがここから悲劇が始まる。椋の策略により合流した貴明、ささら、マナ共々舞を除く全員が死亡。椋は逃げた。
 絶望する舞に更に放送が。大親友であった佐祐理も死亡してしまい自殺を試みるが国崎に止められる。
 必死の説得と人形劇で生きる気力を取り戻した舞。だが直後に麻亜子が襲ってくる。
 麻亜子は説得に成功したが気絶してしまい、舞が面倒を見ることに。国崎が留守の間麻亜子のお守りに。
 目を覚ました麻亜子と会話を交わして親交を深めたところで往人一行が戻ってくる。
 宗一の意見に従ってホテル跡に向かう。そこで郁未と対決。苦戦しながらも渚の助力で倒した。
 渚と麻亜子、舞の女の子三人でかしましい一時を過ごしつつ風子もルーシーも仲間になってさらに騒がしく。
 その後は学校に向かい、会議中は自由ということに。
 国崎とお風呂でお互いを信頼しあう時間を設け、舞は信頼を一層深めるのであった」

「続くー」
「まあ完全に往人ちんのヒロインですね」
「あ、嫉妬オーラが出てます。これだから」
「あーあーあー! 聞こえんなぁ!」
「そんなに独り身がつらいですか」
「……だってさぁ」

「まあそこは本編に委ねるとして。あの大虐殺が転換になりましたね」
「マイペースから一気にシリアスだしなー。しかも親友が死んだとなれば絶望だってするさね」
「まーりゃんさんもそうですね」
「うん。だからよく分かるよ。はっはっは、ゆえにまいまいとは友達なのさ」
「その割にはよく呆れられてますが」
「それがあちきよ!」
「まーりゃんさんだけじゃないですけどね。渚さんに杏さんに……友達は増えましたね」
「うむ。かの大親友もさぞ喜んでおろうぞ」
「……何気に境遇がまーりゃんさんと近いですね。だからあの説得もあった」
「まいまいいなけりゃあたし死んでたわ。あーくわばらくわばら」
「ヒロインというよりはヒロイックという言葉の方が合ってる気がします」

552クリスマスだよもん、教えてまーりゃん&ふーこ先生!:2009/12/24(木) 23:00:37 ID:kC2wWlvQ0
「だね。さあ次だ。ルーの字いくぞぉー。
 いきなり春原と出会ったかと思えばさらに雪見、みさき、浩之まで加わっていきなり大所帯。
 ここに梓まで加わるかと思えば、しかしすぐに良祐の襲撃によりバラバラに散った五人組。
 逃げる過程で少しずつ春原を信頼するようになってゆく。その後しばらく水瀬家、もとい秋子と澪のところで一段落。
 お得意の掛け合いをしつつ怖がっていた澪を説得することに成功。三人パーティーで出撃するかと思えば狂気の名雪が大暴走。
 澪を殺され、春原まで殺されたルーシーは絶望の淵に。しかし春原の仇を討つべく、るーこの名前を捨てて再出撃。
 道中で同じく仲間を名雪に殺された美凪と出会い、シンパシーから友情を深めてゆく。
 次に佳乃を殺された宗一と渚に遭遇。若干の警戒心はありながらも四人でパーティーを組むことに。
 施設探索で向かった廃校にて、偶然平瀬村から火事を発見する。
 渚達と馴染めず、復讐心を先立たせたルーシーと美凪は共に離脱。平瀬村へ向かう。
 やはり復讐など意味のないものだと気付かされたルーシーだったが、そこで積年の仇の名雪が襲撃。美凪を殺されるも渚と協力して名雪を倒す。
 渚を信じると決めたルーシーは美凪の遺品を身につけて、先に行った渚の後を追う。
 とある民家で風子と遭遇。のんびりとしていると郁未を倒してきた渚一行が帰ってきて再び大所帯に。
 その後学校へ向かい、余った時間で新しい仲間の麻亜子や風子と過ごしてゆくのであった」

「続くったら続きます」
「元宇宙人の子なんだけど、恋したり復讐に走ってたり、人間らしいよね」
「風子からすればまーりゃんさんの方が宇宙人です」
「チビ助が言うな。このヒトデマニアめ」
「マニアではありません。淑女と言っていただきたい(キリッ)」
「……ルーの字がよほど常識人に見えるね。ま、なんといってもすのりゃんの影響がでかい。まさしく生まれ変わった原因よ。
 中盤で死んだとはいえ、すのりゃんも本望じゃないかな」

「美凪さんの影響もそうですね」
「一人だと暴走してたかもねえ。そこはまーと同じっさ」
「最終的には渚さんの影響も受けて丸くなってますね。一番変わったキャラではないでしょうか」
「一人称すら変わってるしなー。『るー』から『私』だぞ? すごい変わりよう。ビックリビフォーアフター」
「ともかく変質という意味では一番変質してます」

553クリスマスだよもん、教えてまーりゃん&ふーこ先生!:2009/12/24(木) 23:00:49 ID:kC2wWlvQ0
「いいか悪いかはともかくとしてね。さあ次、次。渚ちんいってみよーか。
 初っ端から母親である早苗と合流。診療所に立て篭もっていたがそこに葉子と郁未が来訪。
 当時敵意はなかったので、後にやってきた宗一佳乃組と共に平和な一時を過ごしていたが、宗一が出て行ったのを機に早苗が殺害されてしまう。
 渚はここで戦いを拒否。やってきた秋生に命を救われるも秋生は葉子と相打ち。郁未も逃走し、佳乃と共に取り残される。
 戻ってきた宗一と共に秋生の埋葬を終え、出発したものの道中で再び郁未に、さらに仲間になっていた綾香にも襲われる。
 ここで佳乃が死亡してしまう。またも仲間を失い次第に無力さを思い知ってゆく渚。
 ルーシー、美凪が加わったものの胸中は重く、責任を取ることばかり考えていたが、廃校についたところで一変。
 朋也までもが死亡していた。呆然とする渚を宗一が支えようとする。活力を取り戻した渚だったが、続け様にルーシーと美凪が離脱してしまう。
 渚は二人を追うことに。追った先では名雪とルーシーが死闘を演じていた。渚のお陰で何とか名雪を倒せたが、美凪は死亡していた。
 それでも和解した二人は先に行けというルーシーの言葉に従って宗一の援護に向かう。
 着いた先のホテル跡では郁未が宗一達を追い詰めていた。これまた渚の援護でついに宿敵だった郁未を倒す。
 当面の目的を果たし、宗一との仲を深めつつリサとの合流地点である学校へ。
 学校ではかつての友達が待っていた。杏、風子、ルーシー、舞、ことみ、麻亜子などと交流する渚。
 彼女のやりたいことは見つかるのだろうか?」

「愛・続きますか?」
「さてさて、現状間違いなくB−10のヒロインと言えるのが渚ちんだぁね」
「渚さんに関わった人は例外なく渚さんに憧れてますね」
「強い子だから。うん、精神的には一番強いと思うよー。
 親の死を乗り越え、自分を見つめなおして、他者との関係を探りながら進んでゆく。これをヒロインといわずして何と言おうか」
「当初流されるだけだったのが自分の意志を示していくキャラになりましたね。大いに成長しています」
「宗一っつぁんとの関係はどうなってしまうのか!?」
「今のところ相思相愛みたいですが」
「おっとここから先は本編で、だぞ? 良い子のみんなは待っててくれっ」
「次いってみよー」

554クリスマスだよもん、教えてまーりゃん&ふーこ先生!:2009/12/24(木) 23:01:04 ID:kC2wWlvQ0
「わっしょいわっしょい。次は宗一っつぁんー。
 宗一も驚くくらいの無茶苦茶少女、佳乃と組んだ宗一は診療所で早苗、渚、郁未、葉子と出会う。
 宗一は脱出の方法を探すべく捜索に出たが、それが裏目に。早苗、秋生、葉子は死亡し、残された佳乃と渚で再び旅立つ。
 だが道中郁未と綾香に襲われ、佳乃が死亡してしまう。佳乃の願いを受け取り、宗一は渚を守る決意を固める。
 佳乃を埋葬する過程で新たな仲間、ルーシーと美凪に出会う。この四人で廃校を捜索することに。
 だが途中ルーシーと美凪が離脱してしまう。渚は二人を追い、宗一は別方向から上がった火の手を――ホテル跡に向かうことに。
 道中国崎、風子、舞、麻亜子と合流してホテル跡に。そこでは郁未が待ち構えていた。
 宿命の対決。苦戦しながらも宗一は渚の力も借りて郁未を倒す。だが、美凪は間に合わず死亡していたと伝えられた……
 ルーシーとも合流し、大所帯となった宗一達は同僚であるリサに連絡をとり、別地点で合流することに。
 移動先の学校で、ついにリサとも合流。その他集まった仲間と共に主催者への反抗を企てる。
 和田の残したメッセージを心に仕舞い、首輪の解読を続ける宗一の心境は……」

「つーづーくーぅぅぅぅぅ」
「世界No1エージェントと誉れ高い宗一っつあぁんだけど、前半は静かだったね。……まああるルートでは【禁則事項です】しちゃってるし」
「まったくけしかりません」
「ただし! 因縁の相手であるいくみんとのフラグは深いものがあったね! なんせ二回も勝ち逃げされてるし」
「世界一があの体たらくですからね……本人も自信喪失してたみたいですし」
「最終戦でも苦戦の末にようやく撃破。でもあの時は熱かった! 渚ちんとのフラグも立って絶好調だし」
「一気にキャラが立ってきた感じです。スロースターターです」
「まあ元々熱血気味のキャラだしね。こうもなるってもんさー」
「今のところ対主催側のキーキャラといって差し支えないですが、果たして最終戦でも活躍はしてくれるのでしょうか」

555クリスマスだよもん、教えてまーりゃん&ふーこ先生!:2009/12/24(木) 23:01:17 ID:kC2wWlvQ0
「無茶苦茶少年の名に恥じない戦いを期待したいっ! はい次、リサリサね。
 参加者の中に篁がいると知り、復讐心を燃やすリサ。そんな彼女の目の前に現れたのは栞だった。
 彼女を軍人として守ると決めたリサは栞に合わせて行動することに。途中で強力な味方である柳川、佐祐理とも再会の約束を誓いつつ、
 体調の悪くなった栞のために別れる。灯台で栞の体調もよくなり、再出発かと思われたが、栞が強くなりたいとリサに訓練を申し出る。
 栞の変化に戸惑いつつも、リサは銃の撃ち方を丁寧に教える。そこに氷川村から逃げてきた英二が現れる。
 大人としてリサの立場を理解してくれる英二にシンパシーを感じつつも、自分をどうしたいのか決められないリサは迷うまま、
 氷川村へと向かうのであった。そこでは修羅と化した柳川が待ち構えていた。栞と英二を先に行かせ、リサはかつての味方である柳川と対決。
 気合の差で打ち勝ち、英二たちの援護へ向かうリサ。だが栞は晴子との戦いで死亡し、英二も初音の凶弾に倒れる。
 自分の気持ちを理解したリサは怒りを力に変え、初音と椋を撃破する。
 途中で駆けつけてくれた浩之と瑠璃を加え、さらに怪我をしていたことみを介抱し、一同ことみの意見に従って学校へ行くことに。
 宗一とも連絡が繋がり、宗一達とも学校で再会することができた。
 学校では成り行きでリーダー役を務めることになったが、心持ちの変わったリサは年長者として引き受ける。
 会議を進めるリサ。和田の手紙で両親の生き様も見届けた彼女は、どう生きてゆくのか……」

「つじゅく」
「一匹狼だった雌狐さん、今は立派なママさん……じゃなくてリーダーさん」
「今までの方々とは反して、こちらは『喪失』がクローズアップされてますね」
「生い立ちもそうだけど、ここでさえ英二ちゃんやらしおりんやらを亡くしちゃったからね……ある意味、カワイソスクイーンだぜ。およよ……」
「それでも、その人たちの考えは確かに根付いています。リサさんも今や立派に生きている人です」
「引っ張ってゆく立場になってますます鋭さを増した狐さん。
 さあ敵の喉を食いちぎれるかっ!? 無茶苦茶小僧とのコンビネーションにも期待っ!」
「最後の戦いがどうなるか楽しみです」

556クリスマスだよもん、教えてまーりゃん&ふーこ先生!:2009/12/24(木) 23:01:33 ID:kC2wWlvQ0
「果たして『最後』があるかなあ? うっしっし。……次。ことみん行くぞぉー。
 聖との出会いを果たしたことみは二人で脱出の計画を練ることに。そのために爆弾を自前で開発することにしたことみは、
 材料を探すべくまずは拠点にするべく学校へと立ち寄る。そこでひとつ材料を発見したところで芳野、あかりと遭遇。
 さらに傷つきながらも杏を背負って現れた浩平とも協力の約束を取り付けたかに見えたが、
 直後の戦闘であかり、瑞佳、詩子、浩平を亡くしてしまう。悲嘆にくれながらも、大人の聖が先導して立ちなおらせる。
 二手に別れ、それぞれ爆弾の材料を探してくることに。だが爆弾の材料の一つを見つけたと思った矢先、
 氷川村から逃げてきた宮沢有紀寧と遭遇してしまう。聖の特攻とことみの反撃により有紀寧は倒れたが、聖も死亡してしまう。
 聖の思いを受け取り、医者になると誓ったことみ。だが有紀寧の抵抗で全身傷つき、視力も失ったことみは途中で倒れてしまう。
 リサに助けられて命は取り留めたものの、しばらく動ける状況ではなかった。幸いにして車があったので、リサに事情を説明し、
 浩之、瑠璃と共に学校まで戻ることに。学校に着く頃には歩けるようにもなり、さらにかつての仲間達と再会。
 喜びもそこそこに、会議組の主要メンバーとして参加することに。また後で、と言い残して会議に参加。
 会議の中で、和田のメッセージを見たことみは何を思うのか……」

「続くんです」
「ということで天才少女ことみんの波乱万丈人生なのである。いやー、片目失明したのにガッツに溢れてるよ」
「それだけ聖さんの存在が大きいってことですね」
「最初からずっと側にいたからね。生き方でも、大人としての立場でも、格好良く映ってたんだろうなー」

「お父さんとお母さんのフラグが思いも拠らぬ形で解決しましたね」
「なりたいようになれ。いい言葉よのう。Routesとクラナドのコラボだけど、いい感じにマッチしてたねぇ」
「懸念が殆どなくなって、もう年少メンバーの中でひとつ大人になった感じです。まーりゃんさんより」
「HAHAHA、まーは永遠のじゅうよん」
「でも」
「ごめん、子どもでいいです、はい」
「何も言ってませんが……」

557クリスマスだよもん、教えてまーりゃん&ふーこ先生!:2009/12/24(木) 23:01:47 ID:kC2wWlvQ0
「次、次行くよー! 次はひろりゃんとるりりんね。二人同時なのは殆ど概略が被るからなのだ。ごめんよっ。
 春原達とはぐれ、みさきと共に逃げてきた浩之。そこで出会ったのは千鶴に襲われ、イルファを盾にして逃げ延びてきた瑠璃と珊瑚だった。
 浩之が怪我をしていたこともあり、イルファが帰ってくるまで待つことにした四人だったが、既にイルファは帰らぬ人に。
 放送で真実を知った瑠璃は悲しみを背負いながらも、珊瑚を守ると決意して進むことにしたのだった。
 珊瑚の勧めにより、パソコンが使える場所を探して民家に立ち寄る一行。そこで腰を落ち付け、珊瑚はウィルスの製作に取り掛かる。
 その間に氷川村から逃げてきた祐一、観鈴、環と知り合った浩之たちは彼らを追ってきたマルチと雄二と対決する。
 かつての友達であるマルチを苦渋の決断で破壊した浩之。重傷を負いながらも雄二を止めた環。悲劇は収まった。
 環を治療するため、祐一たちと共に、道中加わった椋と共に氷川村へととって返す浩之たち。
 しかしそこでは椋殺害を目論む柳川の姿があった。誤解から乱戦となり、祐一は死亡。先に逃がしたはずのみさきと観鈴も、
 裏切った椋により殺害された。悲しみで自我を喪失した浩之は、虚ろな気持ちを抱えながら戻る。
 だがそこでも椋の手が伸びていた。不意討ちにより環も珊瑚も死亡し、瑠璃も絶望の淵に落ちていたのだった。
 傷ついた者同士、傷を舐め合う二人。浩之にはみさきへの淡い気持ちもなく、
 瑠璃は浩之を慰めの代償として利用していたところがあると気付いていながら。
 戦闘があると知り、急遽駆けつける二人。そこではリサが初音と椋相手に戦っていた。
 仇を討つ気持ちに支えられ、二人はリサに加勢する。協力して椋と初音を倒したが、椋には哀れだと思う気持ちしか持てなかった。
 空虚な心は収まらない。だがそれではいけないと思う気持ちが浩之を、そして瑠璃も少しずつ変えてゆく。
 ことみを加え、一行は学校へ向かうことに。学校で自由行動を許された二人は、椋の姉である杏と対談することに。
 一先ずの和解をした瑠璃とは対照的に、浩之は罪悪感に燻ったままだった。
 優しく受け止める瑠璃。彼女の思う気持ちに触れ、凍りついた心が溶け、自我を取り戻す浩之。
 ずっと生きてゆく。誓い合った二人の、先は――」

「続く……!」
「心に関する話が多いねー。そして今のところ随一のバカップル」
「風子、砂糖吐きそうでした」
「他のキャラとの交流はイマイチ少ない反面、この二人の心が繋がってゆく様は必見! ちょっぴりエロスもあるよ!」
「まあそもそもB−10では本番もあったわけですが」
「陵辱だけどね。おお、鬼畜鬼畜」
「ちょっと独特だけど、人間同士の繋がりという意味では面白い二人組なのだー」
「要チェックや! です」

558クリスマスだよもん、教えてまーりゃん&ふーこ先生!:2009/12/24(木) 23:02:02 ID:kC2wWlvQ0
「それでは本日のぉぉぉぉぉぉ、メーンイベントー!!! あちきの生き様とくと見よっ!
 愛する生徒会のために修羅になると決意した麻亜子は、手始めに直幸を殺害する。
 続いて策略によって雪見を殺害し、綾香を嵌める。
 尚も止まらない彼女はレミィを不意討ちで殺害して学校へと逃げる。そこへ追ってきたのが高槻とささら。
 貴明も現れ、観鈴を撃った麻亜子を止めようとマナも参戦。幸いにして観鈴は祐一と環によって連れ出されたが、麻亜子は貴明に苦戦。
 逃げようとしたところにささらに見つかり、気が動転。結局逃げ出すことになり、一つ迷いを抱える。
 その先で芳野達を襲撃しようとしたが、上手く行かない。続く良祐戦では首尾よく殺すことに成功したが、次でツキが果てる。
 耕一と梓を相手取って戦っていると、殺し損ねた耕一が鬼となって復活。共闘していた弥生とは離れ離れになり、山から転落。
 落ちた先で休息を取っていたが、その間の放送でささらも貴明も死んでいることを知ってしまう。
 錯乱した麻亜子は国崎と舞を襲うが敵わず、どうすればいいのか分からなくなる。
 だが舞の言葉によって、改心する麻亜子。安心した麻亜子は気絶した。
 目を覚まし、舞と話をしていると国崎や宗一、風子が現れる。彼らの言葉に従い、麻亜子もホテル跡に向かうことに。
 そこでは郁未が待ち構えていた。自己嫌悪の顕現ともいえる郁未を相手に戦い抜く麻亜子。郁未はその末に倒れた。
 戦いが終わり、一息ついた麻亜子は渚や舞、そして新しく加わったルーシーや風子と愉快な一時を過ごす。
 だがその内奥にはひとつの寂しさが生まれていた。
 行き着いた学校でも馬鹿を繰り広げる麻亜子だが、寂しさは除ききれていないようだった」

「続くのですよ!」
「うむ、流石まーだ。改心は死亡フラグなんていうけどどうってことないぜ!」
「ロワはまだ終わってないですが。最終回を終えるまでがロワです!」
「先生! バナナはおやつに入りますか!」
「入りません! いや入ります! ああでもやっぱりアウト!?」
「……なんか無駄にテンションあげちゃった。疲れた……」

「ですが、いつの間にか年少組の中心になってましたね」
「それがまーの生き方さっ☆」
「勝手に喋りまくりますからね。まったくはしたない。淑女の風子とは大違いです」
「にゃにおー? あたしはもうパンツの安売りをしていないのだぞっ。成長したと思いねえ」
「やったらドン引きです」
「いや、真顔で正論言われてもさ」
「失礼な。風子はいつだって真面目です」

559クリスマスだよもん、教えてまーりゃん&ふーこ先生!:2009/12/24(木) 23:02:19 ID:kC2wWlvQ0
「じゃあ最後にその淑女(笑)のチビ助いってみよーかっ。
 偶然から篁という大物を倒した風子だったが、本人は気付いていなかった」

「えええっ!?」
「おい途中だぞ」
「ふ、風子ラスボス倒してたんですかっ」
「あー、オフレコよ?」
「これはもう風子がNo1ヒーローですね。さあ続けてください。語尾に素敵です風子と付け加えながらっ」

「そのまま当てもなく歩いていると、殺し合いに乗っていた友里に見つかるが、見逃される。
 次でようやく知り合いである朋也と出会えたが、探し人である公子は既に死んでいた。
 朋也に慰められながら、とりあえず彼についてゆくことにした風子。
 しかし道中彰に奇襲され、みちるが死亡。朋也も風子と由真を庇って死亡してしまう。
 絶望に駆られかけたが、年上の意地を貫き、由真を立ち直らせる風子。そのままホテル跡の探索をする中で、
 由真は無事花梨と再会する。花梨の度重なるミステリ研への入会を拒みつつ、どうするか決めていると、
 そこに郁未、七瀬、愛佳が現れ、そこに彰や名雪までが襲撃をかけてくる。
 郁未と共に逃げようとした風子、由真、花梨、愛佳だったが、途中で郁未が裏切る。
 由真と花梨が殺され、発狂する愛佳。風子もほうほうの体で逃げ出したものの、由真を失った心は傷つき、自分を役立たずだと思うようになる。
 だがそんな風子の心など知る由もなく、彰が追撃してくる。なんとか振り切ろうとあの手この手を使うが、追い詰められる。
 そこに国崎が現れ、彼の援護を得た風子は彰を倒す。心も少し持ち直した。
 疲労の極地にあった風子は一旦山を降りて休憩することに。そこで国崎たちの帰りを待つ中で、ルーシーと遭遇。
 渚の知り合いであるという共通点から仲良くなる二人。そこに国崎たちが戻ってくる。
 賑やかになるパーティー。風子は少しずつ元の明るさを取り戻してゆく。
 風子は主に麻亜子やルーシーと組んで馬鹿をするようになる。決戦直前。自分に恥じない生き方をしようと決めた風子の未来は?」

「一体、どうなってしまうのか! あと華麗にスルーされました。ショックです。風子お嫁にいけません」
「そもそも貰い手がいないっての」
「むかっ! 失礼です。風子なら引く手数多です。まったく風子の魅力が分からない人ですね」
「……まあ、一部の人には大人気だろうさー」
「なんですかその同類を見るような目は。風子、まーりゃんさんのようなばかちんとは違います」
「はいはいはい。どんぐりの背比べ……って何だとー!」
「ふーっ!」
「ってこんなことしてる間に時間なくなってるじゃんよ! 締めの言葉を言う時間がn




――――――――――糸冬 了――――――――――

560クリスマスだよもん、教えてまーりゃん&ふーこ先生!:2009/12/24(木) 23:02:39 ID:kC2wWlvQ0













「ふ、風子のコメントは!? ああっまだ終わっちゃダメでs

561クリスマスだよもん、教えてまーりゃん&ふーこ先生!:2009/12/24(木) 23:03:30 ID:kC2wWlvQ0
さぁ〜て、クリスマスのハカロワ3は?

「デイビッド・サリンジャーです。ここでしか出番をもらえませんでした。はっはっは、私だって生存者なんですがねえ。
 泣いていいですかね? 私の人形達は全然慰めてくれないんですよ……
 さて次回は
・来年で葉鍵3は終わるのか
・サンタさんがどこかのルートを書いてくれるのか
・メリー・クリスマス!
の三本ですよ」

今週も葉鍵3のスレをチェックしてくださいねー、じゃーんけんぽんっ!ウフフッ

→B-10…には収録しなくていいですw ネタとして寛大な心で見てください

562名無しさん:2009/12/25(金) 17:06:48 ID:fqgC202s0
春原 「呼ばれて飛び出て」
るーこ「はいじゃんぷっ」
春原 「……ハイジャンプ?」
るーこ「はいじゃんぷだ、うーへい(ぴょーん ぴょーん)」
春原 「そ、そうなの……?(ぴょーん ぴょーん)」
るーこ「クリスマスだぞ。めでたいな、うーへい(ぴょーん ぴょーん)」
春原 「そ、そうだね、るーこ……そろそろ自己紹介を始めてもいいかな……(ぴょーん ぴょーん)」
るーこ「うむ。許可する」
春原 「それでは改めて。僕達は!」
るーこ「噂の刑事!」
春原 「陽平と!」
るーこ「るーこだ!」

春原 「……」

春原 「違うよ、るーこ……そこは『カップル』にして、『噂の刑事でしょ』って突っ込んで貰うところなんだから」
るーこ「どちらにしても、センスがぷーぷーのぷーなうーへいのネタでは場は盛り上がらないのだ」
春原 「ちょっとるーこ。根本的な所を否定されてしまうと、さすがの僕もつらいんだけど」
るーこ「よし。それじゃあB−4も、クリスマススペシャルを始めるぞ」
春原 「ねぇ、るーこ。僕、寒い」
るーこ「数年間出番のないるーが自分推しをできる機会は少ないからな。この場を活用させてもらうぞ」
春原 「心が寒いよ、るーこ……」

563名無しさん:2009/12/25(金) 17:07:24 ID:fqgC202s0
るーこ「それで、クリスマススペシャルとは何をするのだ」
春原 「ルートの現生存者の解説だって」
るーこ「ふむ。我々の所属するB−4ルートは……」
春原 「……」
るーこ「うーへい。何だ、これは」
春原 「僕達の所属する、B−4ルートの生存者一覧だよ」
るーこ「……キリがないぞ、うへーい」
春原 「そうだね、キリないね。うへーいになっちゃってるもんね、るーこかなり動揺してるね」
るーこ「よし。帰ろう、うーへい」
春原 「ちょっと、待って! ちょっと待ってるーこ!!!」
るーこ「るーは不毛なことは嫌いだ。うーへい、世の中にはできることとできないことがある」
春原 「全くもって!! でもさ、るーこ。今日は出番のない僕達が、自分アピールしに来たんだろう?」
るーこ「む」
春原 「今しかないって。仮にもし、来年一発目の話が僕達の話だったとしても、僕達が生存していることを知っている人が一体何人いると思う?」
るーこ「二人」
春原 「こら! こらだぞ、るーこ!!」
るーこ「いや、うーへいが言いたいことは分かっている」
春原 「ほ、本当に?」
るーこ「次にるー達が出てきた時、るー達の現状が分からないと見ている人もぱっぱらぱーになってしまうからな」
春原 「んんっ?! 確かにそれは、そうだけど」
るーこ「よし。うーへい。るー達は、今固まっている人間達がどうしているかのお浚いをしよう」
春原 「おお、グループ間か。それはいいね! ここに来てまともな提案をしてもらえたのは、かなり嬉しいよ」
るーこ「るーはできる子だからな」
春原 「偉い偉い、それでは行ってみよー」

564名無しさん:2009/12/25(金) 17:07:45 ID:fqgC202s0
るーこ「まずはるー達を追うぞ」
春原 「僕達は平瀬村の民家で休んだまま。放送聞いてません! 放送まで辿り着いてないよ、ちょっと!!」
るーこ「うーへいはまだいい。るーの止まりっぷりったらやばいぞ」
春原 「北川っていう秋子さんの知り合いが出てっちゃったので、今ここにいるのは……」
るーこ「うーあき、うーなゆ。それに」
春原 「秋子さんに、娘さんの名雪さんな。あと、上月の澪ちゃんだ」
るーこ「ふむ。そんな感じだ」
春原 「割烹着なんて萌えアイテムを譲り受けちゃった僕、いやはやそんなひとつウエノ男にるーこもメロメロに間違いないさ」

るーこ「るー達の近くにも、ちょこまかと人はいるみたいだ」
春原 「岡崎ん所も揉めてるのか? まさかの優勝狙いな風子ちゃんが飛び出しちまったらしい」
るーこ「今はその子を追おうとしてるのか?」
春原 「そうみたいだね。岡崎とみちるちゃんっていう小さい子はともかく、この十波由真って子には注意した方がいいかもしれない」
るーこ「いつ手をひっくり返すか分からないな」
春原 「うーん、僕達も身内に殺されるのは溜まったもんじゃないからね。気をつけよう」

春原 「で。まだ誰かいるみたいだね」
るーこ「おい。ここの家も飛び出されてで人が減ってでの展開だぞ、うーへい。どうなっている」
春原 「そういうつっこみは止めようよ、僕達自分で自分の首を締める羽目になるかもしれないから……」
るーこ「む?」
春原 「僕達は、放送を聞いていない。彼らは放送を聞いている。その差だってこと」
るーこ「む……」
春原 「ここでは神尾晴子っていう綺麗なスーツのお姉さんが、何か怒って出て行ったらしいよ」
るーこ「感情的になり、その場のノリで行動するのは危険だ」
春原 「そうだね。ズガンされないように、僕達も精一杯応援しよう」
るーこ「残っている二人も陰湿だな」
春原 「そう言ってくれるなよ、放送聞いてんだからさ……雛山理緒ちゃん、橘敬介さん! めげずに頑張ってくれよ!!」
るーこ「るーも応援するぞ。一応な」

565名無しさん:2009/12/25(金) 17:08:12 ID:fqgC202s0



るーこ「しまった、うーへい。時間だ」
春原 「どうしたの?」
るーこ「実は、るーはこの後デートの約束を取り付けていたのだ。そろそろ失礼する」
春原 「ちょ、めちゃくちゃ中途半端なんですけど……って、え? デート??」
るーこ「そうだ。せっかくのクリスマスだからな」
春原 「そっか、まぁクリスマスだから仕方ないね。いやぁ、それにしても僕、いつの間にそんな器用なことしてたんだろ」
るーこ「? うーへいとじゃないぞ」
春原 「は?」
るーこ「るーは、うーへいに誘われた覚えなどない。こちらから誘う義理もまだない」
春原 「え……え、えぇ?」
るーこ「うーへい。これは肝に命じていて欲しいが、B−4のるーとうーへいの関係はまだそこまで深くない。
    どちらかと言うと、うーへいの片思いって印象の方が強いかもしれないぐらいだ」
春原 「何それ」
るーこ「安心するのはまだ早過ぎるってことだ。るーのハートを見事げっちゅしてみろ、うーへい。ではな」
春原 「ちょ、ま……」


チャットを退室(12/25-17:10:00)
るーこはどこかへ行ってしまったようです


春原 「え。何それ。何これ……何だ、これっ!
    何なんだ、こ、れ、はーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」




春原陽平
【所持品:こっそり用意していたるーこへのクリスマスプレゼント】
【状態:リア充氏ね!】

ルーコ・マリア・ミソラ
【所持品:スイーツ(笑)脳】
【状態:♪】


いつも二番煎じで申し訳ないです! メリークリスマス!! リア充氏ね!!!

566想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:50:47 ID:6Ze9kqqQ0
 ――残り六時間。

 職員室の全員が作業を中断し、ようやく表に出てきた『主催者』の放送を聞き終えたとき、那須宗一がまず思ったのがそれだった。
 要は昼になれば向こう側から仕掛けてくるという寸法だ。つまり、泣いても笑ってもそれまでに体勢を整えなければならない。
 宗一自体は首輪の構造自体は既に把握しており、手持ちの荷物で解除できることも確認していた。

 首輪の仕組みは拍子抜けするほどあっさりとしたもので、お粗末なものだった。
 遠方から電波を受信し、番号をチェックした後に信管を作動させ爆発する。
 だが首輪が自爆するにはとある回路が引っ張られるのを感知したとき、という杜撰さであり、
 ここにさえ引っかからなければいくら分解しようが爆発することはない。しかもこの回路は生死判定も行っていた。
 事前に信管さえ抜いておけば爆発するどころか死亡判定も出ないという有様であり、
 ひとたびひっくり返してみれば高校生、いや中学生でもどうにかなってしまうほどの代物でしかなかった。

 そんなところまで元ネタの小説と被せなくていいだろうにと宗一は呆れながらも、
 和田透の情報がなければこんな事実も知りえなかったのも事実だった。
 無様だ、と自虐するつもりはなかった。可能性は既にこちらの手の中にある。
 後は皆の糸を結び、強固なものにしてゆくだけだ。

 もう俺は、絶望なんて感じない。守ってくれる頼もしい味方がいる。信頼できる仲間がいる。そいつらと一緒なら地獄にだって行ける。
 ゆかり。七海。皐月。エディ。夕菜姉さん。俺にもようやく、帰る家が見つかったよ……

 ある者は苦笑し、ある者は笑顔で応援し、ある者は遅すぎだと呆れ、ある者はただ見守り、ある者は静かに頷いた。
 それぞれ全く別の反応でありながら、そのどれもがやさしい。
 全員の姿が網膜の裏に溶け、消え失せた瞬間に、宗一は叩いていたキーボードの音を止めた。
 作業完了。後はリサ=ヴィクセンに伝えようかと席を立ったとき、ガクッと膝が落ちた。

 力が入らない。自分でも驚くほどに。
 よくよく思い出してみればここまで不眠不休で働いてきた結果なのかもしれなかった。
 とうとう体も限界というところか。前準備が終わって、張り詰めた糸が切れたのかもしれない。
 へらへらと笑っていると、自分の状態を察知したらしいリサが肩を叩き、手を差し出してくれた。

567想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:51:06 ID:6Ze9kqqQ0
「ちょっと休んだら?」
「そうさせてもらうか」

 手を取り、少しは活力を取り戻した体を立たせる一方、作業が完了したことも目線で伝える。
 黙って頷いたリサは完全に立ったのを確認すると「ほら行ってきなさい」と軽く背中を押し出した。
 よろめきながら後ろ目に職員室を確認してみると、高槻は椅子にもたれ掛かって寝息を立てており、
 一ノ瀬ことみも芳野祐介もその姿はない。どうやら自分が最後だったようだと判断して「ビリだったか」とおどけてみせた。

「残念。ブービーよ」

 自らを指したリサが唇の端を吊り上げる。額面にも出さないが、リサだって疲れているに違いなかった。
 そういう部分はやはりリサの方が格上かと素直に認め、宗一は「後はよろしく」と言い残して職員室を出た。

「……おお」

 一歩廊下に出ると、窓から差す朝日の光が宗一の目に飛び込んだ。
 たかが二時間ちょっとパソコンに向かっていただけとはいえ、
 疲弊していた身には命の源と言える陽光を受けるにはいささか刺激が強すぎた。
 目が細まり、くらっと体が揺れる。そのままよろめき、窓際の壁に強く体を押し付ける結果になってしまった。

 へへ、ともう一度笑って、宗一は窓から外を眺めてみる。
 薄く、青く色づいた空は、どこまでも茫漠と続く夜の闇ではなく、帰路へと続く遥かな道を指し示していた。
 今日はよく晴れそうだ。
 そんなことを思いながらふらふらと歩いてゆくと、隣の教室から小柄な影が現れた。

「あ……宗一さん」

 肩までかかる栗色のショートヘアを靡かせながら、古河渚がとてとてと走ってくる。
 心なしか強張った顔をしているのはきっと自分のせいなのだろう、と宗一は我が身の疲労ぶりに呆れた。
 渚が出てきたとき、すぐに彼女だと分からなかったのもあった。
 軽く手を上げて応じてみようとしたが、へにゃへにゃと動く自分の腕を鑑みれば、既にゾンビ状態と言っても過言ではなさそうだ。

568想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:51:22 ID:6Ze9kqqQ0
「寝ましょう」
「第一声がそれか」

 苦笑で返すと、「笑い事じゃないです」と少し怒ったような口調になって、渚が腕をとって肩に回した。
 どこかに連行されるらしい。元々宗一は渚に会いに行くのが目的だったので特に文句はなく、なすがままにされていた。
 抵抗する気力がなかったというのもある。

 腕が回されると、密着した渚の体からほんのりと懐かしい匂いが漂ってくる。
 石鹸の匂いだと気付き、そういえばやけに艶があるということに、女の子だなと意識せずにはいられなかった。
 同時に自分が風呂に入っていないことに軽く羞恥心を覚えたが、今そうしてしまえば溺れ死にそうだったので諦めることにする。
 ならばせめて渚といることを楽しもうと思いつつ、宗一は口を開いた。

「どこに連れていくのです」
「……普通に隣の、教室です」

 どうやら渚が出てきたところに連れて行かれるらしい。
 渚が言うには毛布や枕もあるらしく、床の固さを除けば安眠は得られそうだった。
 教室の扉を一緒にくぐりながら、渚が質問してくる。

「どうしてあんなところに? もう、無茶です。フラフラなのに一人で……」
「渚に会いたかったから」
「ふえっ?」

 我ながら正直すぎる回答だと思ったが、面白い反応が得られたのでよしということに宗一はしておいた。
 みるみるうちに赤面してゆく渚の正直さが可笑しく、「可愛い」と続けてみると「か、からかわないで下さい」と小声で反論してきた。

「変な声出しちゃったじゃないですか……皆さん寝てましたからいいですけど」

569想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:51:39 ID:6Ze9kqqQ0
 教室を眺めてみると、中にいる全員がすやすやと寝息を立てており、中央にはきちんと整理されたデイパックが並んでいる。
 どうやら待機していた連中がやってくれたらしい。
 ひとつ手間が省けたことに感謝しつつ、宗一は渚に連れられて教室の隅にある壁にもたれさせてもらった。
 毛布と枕を取ってきます、とデイパックとは別の、雑用品が積まれているスペースに移動する渚を横目にしつつ、
 眠りこけている連中の顔を眺めてみた。

 床で川の字になって寝ている三人組はルーシー・マリア・ミソラと朝霧麻亜子、伊吹風子だ。
 ルーシーは長い髪をくらげのように広げ、麻亜子はだらしなく口を開け、風子は何やら幸せそうな顔をしながら麻亜子に抱きついている。
 さしずめ仲のいい三姉妹といったところか。年上二人組がことごとく年下にしか見えないけれども。

 その付近で壁にもたれ掛かり、座るようにして寝ているのは川澄舞。
 物静かな彼女らしく、寝息のひとつも聞こえない。相方っぽい国崎往人はどこかに行っているようだった。

 教卓の近くで座ってうなだれるようにして寝ているのはほしのゆめみ。
 寝ているのではなく、機能を停止させているだけだとすぐに思い直したが、
 それにしても人間に酷似しているな、と近年の進化したロボット事情に感心を抱く。
 ご丁寧に頭のリボンに『Sleep Mode』と書かれているのにはロボットだなと思わざるを得なかったのだが。

 外側の窓の近くで二人身を寄せ合って寝ているのは姫百合瑠璃と藤田浩之だった。
 ぴったりと寄り添って眠る姿に若干の羨ましさと嫉妬を感じつつ、
 だが自分にも渚がいると思い直して、宗一はこれからやろうとしていることの中身を反芻した。
 やれるのかと疲れきった頭で思いながらも、ここで言わなければ機会はないと知っている理性で臆病な部分を押さえつける。
 どうやらまだまだ弱い部分はあるらしいと意外な弱点に内心溜息をつきつつ、毛布と枕を手に戻ってきた渚を迎えた。

「よく寝てるな、みんな」
「疲れてるんだと思います」
「放送があったのに」
「もう、関係ないんだと思います。そんなことは」

570想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:52:01 ID:6Ze9kqqQ0
 毅然と言い放った渚には、既に覚悟を固め、後をこちらに委ねてくれている強さがあった。
 毛布を受け取りくるくると体に巻きながら、これが仲間意識というものなのだろうかと考えを巡らせる。
 ある部分では無言のうちに気遣う思いやりがあり、ある部分では他人に背中を預けて無防備な姿を晒す。

 個人の力が全てであり、利害の一致でしか物事を見ようとしないエージェントからの常識で言えば、
 ここにいる連中は馬鹿げているの一語で括られるのだろう。
 しかしそれは所詮理屈で見た物の見方に過ぎない。理屈を超え、お互いを信頼し合えるやさしさが今の自分達にはある。
 皆本能的に感じているのだろう。理屈と暴力で屈服させようとする主催者。デイビッド・サリンジャーには負けられない。
 自分のために、自分を成す根幹のために、やさしくなれる他人のために。
 目を反らしてはいけない。断固として異議を唱え続ける必要があることを。
 人の死の上に積み重なってきた生であり、ボロボロの布切れ同然の価値しか持っていないのだとしても……

「そうだな。もう、何も関係ない」

 ふわふわとした毛布の感触を楽しみつつ、宗一は渚の意志に応えた。
 ほっとしたように笑って、しかし渚は「でも、やっぱり不安なところはあります」と付け加えた。

「わたしにもようやく、やりたい事ができました。今この瞬間だけのことじゃなくて、ずっと先まで続くような」
「いい事じゃないか」

 羨ましい、と宗一は思った。
 自分はどうだろうか?
 ここで少しでも変わって、他人に誇れるようなことをしてゆける自信があるだろうか?
 少なくともエージェント稼業を辞められる気はしなかったし、楽しめはしても意義を持てているかと言われると答えられない。
 渚は驚くほどのスピードで進んでいっている。自分には及びもつかないような速さで、遥か前に。

「ですけど……わたし、考えすぎて、焦ってるんじゃないかって。本当にこれでいいのかって、いまいち、自分じゃ信じられなくて」

571想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:52:23 ID:6Ze9kqqQ0
 たどたどしくも、渚は懸念の在り処を宗一にはっきりと伝えた。
 生き急いでいると思っているのかもしれなかった。本人が実感しているからこそ、先を進み続けることに躊躇してしまう。
 先頭に立って歩くのに慣れていないのだ。どうしても一歩、立ち止まって後ろを振り向いてしまう。
 それはそれで彼女の優しさ、謙虚さの証明でもあるし、悪いということはなかった。
 それでも渚は自分を信じられない。ひとりでいたときの過去が忘れられずに。

「少なくとも俺は応援してるさ。渚は、ひとりじゃない」

 渚は憂いを含んだ笑みを見せた。
 これだけでは足りない。言葉を交わさずとも理解できるものもあれば、
 言葉で伝えてでしか理解できないものもある。人間とは、そう不便なようにしか作られていない。
 だからこそ人の言葉、仕草、所作に至るまでを一喜一憂することだってできる。
 宗一は一拍溜めて、伝えるべき思いを伝えた。

「俺は……渚が好きだから」

 打算と思惑が錯綜する世界で、徹底して冷酷となりあらゆるものを疑い続けなければならなかった自分。
 人並みのことさえしてこれずに自分自身を信じられなくなってしまった渚。
 本来なら関わることすらなかっただろう二人の人間だ。まして、それぞれ考えていることすら違う。
 だが、自分はそんな理屈を超えて渚に好意を持った。何度転んでも立ち上がり、その度に強くなる彼女の姿に憧れた。
 彼女のためになら地獄にだって行ける。

 それほどに守りたいものであると思え、同時に安らげる存在だとも思えた。
 どこまでも一緒に未来を作り、やり直していこうとも頑張ろうとも思える。
 全てを託して身を委ねられる、魂を充足させられる場所がここにある。
 渚がその場所なんだと、宗一は己の全てを使って伝えた。

「えっ? あ、あ……」

 告白されるとは思ってもみなかったのだろう、その言葉が冗談であるのを待ち望んでいるかのように、
 渚はせわしなく目を泳がせ、意味もなく口を開閉させては途切れ途切れの言葉を吐き出すだけだった。
 可愛いなという感想が素直に浮かび上がったが、言ってしまえばまた冗談かと思われそうだったので、
 じっとして渚が落ち着くのを待った。

572想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:52:46 ID:6Ze9kqqQ0
 渚は僅かに震え、緊張のせいか表情を徐々に硬くしてゆく。
 すぐに答えてくれないことは宗一にも分かっていた。人の気持ちに対しては、特に誠実であるのが彼女だから。
 少しずつ息を整えた渚は、次には穏やかな笑みを浮かべていた。
 自分と同じ、魂の充足の場を見つけ出した者の安らかな表情だった。

「わたしも……その、好き……で、す」

 声がしぼんでゆくのがいかにも渚らしいと思い、嬉しさよりも可笑しさが込み上げてきて、笑った。
 何もかもが不器用に過ぎた。お互いの気持ちひとつ確かめ合うのにここまで緊張していることにも、
 確かめたそばから気の抜けた体が弛緩してゆくのを感じていることにも、不器用だと感じてしまっていた。
 渚も小さく照れた。控えめに笑う彼女もぽろぽろと泣いていた。多分、ただ緊張から解き放たれたせいだろう。

 全く。俺達も。格好悪い。
 川の流れ。こびりついていたものを洗い流してくれたあの時のことを思い出しながら、宗一は渚を手招きした。

「頼みがあるんだ。膝枕してくれ」
「また、変なこと言いますね」
「本気だぞ。恋人の膝枕で寝たい」

 仕方ないですね、というように目元を緩め、渚は涙を拭ってから宗一の枕元で静かに腰を下ろした。
 とても柔らかそうな膝が目の前に差し出され、宗一は一も二もなく飛びついた。
 流石に節操がないかと少し思ったが、手を頭に乗せ、ゆっくりと撫でてくれている渚を見た瞬間、その懸念は吹き飛んだ。
 ひとの暖かさと柔らかさにただ身を委ねていればいい時間をようやく自覚して、宗一はようやく意識を楽にさせることができた。
 無防備でいられる感覚。一時を一切他人に預けていられることが純粋に心地良かった。

「……寝ちゃうんですか」

573想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:53:03 ID:6Ze9kqqQ0
 渚も同じ気持ちなのだろうか、その声は少し間延びしているようだった。
 ああ、と応じて、最後にもう一度だけ宗一は起き上がった。起き上がって、無防備な渚に口付けをした。
 僅かに力が入る気配が伝わったがそれも一瞬のことで、徐々に力を抜いてそのまま流れに身を任せる。
 そのまま数秒ほどしてから、ようやく宗一は唇を離した。「おやすみなさい」と一言付け加えて。

「はい。……おやすみなさい、です」

 宗一は目を閉じたが、意識を閉じるまで直前の渚の顔が映ったままだった。
 薄い桃色の、作りたてのゼリーのような渚の唇の感触が幸せでならなかったのだった。
 そこで、ようやく宗一は気付いた。

 ――俺は、俺という人間は、やっと、初めて、幸せってものを手にできたのかもしれない。

     *     *     *

「大丈夫? 痛くない?」
「平気。……入りもしないうちから心配しすぎなの」

 それぞれ脇に洗面器とタオルを抱え、一ノ瀬ことみと藤林杏は風呂場へと続く廊下を歩いていた。
 古河渚が風呂から上がったということで、既に休憩時間に入っていたことみは、
 教室で風呂の順番を待っていた杏と合わせて二人で入ることにしたのだ。
 理由は単純なもので、怪我の度合いが著しいということで誰かの助けがなければならないかもしれないということからだ。
 無論、言い出したのはことみではなく杏。意外な心配性ぶりに呆れよりも寧ろ驚きの方を覚えたことみは、
 無下に断る気も持てずに同道させてもらうことにした。

 風呂場は狭いと渚は言っていたが、一人が湯船に、一人が体を洗えば何も問題はないだろう。
 そもそも、ことみは湯船に浸かれるような状態ではなかった。
 風呂に入ろうと思ったのも、爆弾の製作、及びそれまでの行程でで泥臭くなったのをどうにかしたかったという思いからで、
 最悪濡れタオルで体を拭ければ良いと考えていた。
 それはそれで女の子としてどうだろうと思わないではなかったが、頓着してこなかったのもまたことみの性分でもあった。

574想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:53:23 ID:6Ze9kqqQ0
「そう……? 見た目が酷いからさ、気になっちゃって」
「人のこと言えない」

 ビシッ、と全身包帯だらけの杏を指差す。ことみからしてみれば杏の方こそひどい有様だった。
 それとも、失明しているからひどいと思われたのだろうか。怪我をした面積だけなら自分の方が狭いのに。
 指摘された杏は苦笑いしながらも、納得がいかないように小首を傾けて言った。

「そりゃそうだけど……でも、顔は女の命じゃない?」

 考えてもみなかった発想が杏の口から出てきて、ことみはつかの間絶句していた。
 やがて驚きから冷めた頭は、自分が合理的なものの見方しかしていないという事実にも気付いて、ことみは失笑を浮かべたのだった。
 なるほど、確かにそうだ。女の命を失くした方が心配されるのは当然ということか。
 だから風呂に行く直前、戻ってきた渚にもやたら気にかけられていたのか。
 どうにも一ノ瀬ことみという人間は女としての自覚が薄いらしい。

「まあ、それはそれで一部の人に需要があるし」
「どんなよ」
「……傷物の女?」
「アホか」

 肩を小突かれつつ、ことみはこうして気にかけてもらえる友達がいることに感謝した。
 こうしてひとりで気付けないことにも気付かせてくれるのが友達なら、くだらない話で花を咲かせられるのも友達。
 ひとりでいるよりずっとずっと楽しいことがあり、様々なものにも触れられるというのに。
 心に刻み込んだ『手紙』の中身を反芻して、ことみは一人で時間を潰していた過去の自分に問いかけてみた。

 やりたいことひとつなく、知識で隙間を埋め合わせるしかなかった自分。
 それでもいいと目を反らし、諦めていた自分。
 どうしてもっと早くに、その現実を変えようと思わなかったのだろう。
 そうすれば、ここにもう一人、『師匠』であり、『友達』である人がいたかもしれないのに。

575想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:53:37 ID:6Ze9kqqQ0
 後悔を覚える一方で、焦らずに大人になれという父の言葉も蘇り、ことみはそれを埋め合わせるだけの時間があることもまた自覚した。
 焦らずに、ゆっくり。時間をかけて目的は達成していけばいい。
 今はそのための仲間だっているのだから。

「にしても、驚いたわ。渚まで医者になるとか言い出すんだもの」
「でも納得はしたの。渚ちゃんならそうするって気がした」

 まあね、と杏も頷く。風呂に行く前の少しの時間、会話を交わした中で渚は「帰ったら医者になる勉強をする」と言い出したのだ。
 ことみが医者になる心積もりはまだ渚達には話していなかったので、自身も面食らってしまった。
 曰く、「大好きな人たちに少しでも健康でいて欲しいから」とのこと。
 渚らしい考えだと納得して、ことみも医者になりたい旨を打ち明けたのだった。

 もっとも自分は尊敬している人のために、というごく個人的な理由であったのだが、渚はそんなことを構うことなく喜んでくれた。
 生きて帰ったら、一緒に勉強しようという計画まで既に織り込み済みだ。
 こうして約束一つ交わすだけで歩く道がずっと楽になったように感じられるのだから、人間は現金なものだと思う。

「杏ちゃんはどうするの?」
「あたしは……前と変わらないな。保母さんになるって決めてたから」
「保母さん……?」
「何よその疑問系は」
「なんでもないの」

 別にいいじゃない、と膨れっ面になる杏に、ことみはそれと分からない程度に唇の端を笑みの形にした。
 理由は大体見当がつく。いかにも面倒見のいい杏に向いた職業だと思い、「頑張れなの」とエールを送っておいた。

「ありがたく頂戴しておくわ。あんたこそ頑張って医者に……あーいや、別に心配しなくていいか」
「なにそれひどい」
「だって全国一位じゃない」
「うぬう、王者とは常に孤高なの」
「ま、渚と仲良く勉強しなさいよ」

576想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:53:51 ID:6Ze9kqqQ0
 いつしか会話は他愛もない話、将来の話へと移り、夢中になる余りもう風呂場を通り過ぎていたことも忘れていた。
 それに気付いたのは、ぐるぐると廊下を一週くらいしたときのことだった。

     *     *     *

 学校の屋上というものはどこも変わらないのだなという感想を抱きつつ、急場で塗りたくられたような汚いコンクリートと、
 転落防止用に張られた金網とを見ながら、芳野祐介は夜明けの空気を存分に吸った。
 今まで埃っぽい部屋でひたすら作業に没頭していたからなのか、
 澱んでいた肺が新鮮な空気を取り込んで溜まっていたものを洗い流してゆくようだった。

 もう少しで全てが終わる。じきに文字通りの生死を賭けた最後の戦いが始まる。この島の風景も見納めということだ。
 出入り口近くの壁にもたれかかるようにして座り、同時に差し込んできた曙光に目を細めた。
 存外見た目は悪くない。陸から船で何時間とかかる田舎の孤島といったところか。
 殺し合いという要素さえなければ或いは好感情を抱いていたかもしれなかった。
 既に百人からの死体がここには転がっており、過去を含めれば、そしてこの島を建造するために支払われた犠牲も合わせて、
 何百、何千という単位で人が死んだことになるのだろう。

 身震いすら感じる。そこまでして、篁という連中は何がやりたかったのか。問いかけても詮無いことだとは思いながら、
 それでも犠牲になった理由を知りたい一心が芳野に当てのない疑問を出させたのだった。
 返答があるはずはない。この先主催者に出会えたとしても、返ってくるのは身勝手な言い分だけだろう。
 結局のところ、ここの死は理不尽な死でしかない。公子も、瑞佳も、あかりも、詩子も理由なく死んだ。
 何を満足させられることもなく。

 なら生きている自分はどうだろう、と芳野は思った。生きて帰って、その後はどうなるのだろうと想像した。
 公子はもうなく、伊吹風子と二人で生活することになるのだろうが、果たして風子はそうしてくれるだろうか。
 殆ど付き合いもなかった、というより機会があるはずのなかった芳野と風子とでは壁があることには違いなく、
 そこだけが唯一の不安だった。芳野自身は風子を養って暮らしてゆくのにも不満はない。
 だが風子は拒む権利を持っている。風子にとってみれば、自分は他人同然でしかないのだから……

577想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:54:08 ID:6Ze9kqqQ0
 だから言い出せずにいた。目の前の作業に集中して意識的に遠ざけてきたことだった。
 自由な時間を与えられた今、浮かんでくるのはそのことばかりで、さりとて直接聞くにはまだ覚悟が足りず、
 こうして屋上でひとり寂しく悩んでいるしかないのが芳野の現状だった。

 誰かに相談すれば良かったのかもしれないが、大半は寝ていて聞けるような状態でもない。
 内心一番頼りにしていた藤林杏も姿を見つけられず、ぶらぶらと歩き回った挙句にここに辿り着いたというわけだ。
 今まで暖かい室内にいたからなのか、朝の空気は肌寒く少し鳥肌も立っている。
 いつまでここにいようかと考えを巡らせていると、唐突に開いた扉から思いも寄らぬ客が現れた。

「こんなところにいたか」
「おはよう、というべきなのか?」
「生憎だが寝たのは一時間程度だ」
「俺は寝てないが」
「こんなところで寝るな、死ぬぞ」

 軽口を叩きつつ、国崎往人の投げて寄越した缶コーヒーを受け取る。
 こんな場所に現れたのも意外なら、気の利いたものを持って現れたのも意外だった。

「どこで手に入れた?」
「置いてあった」

 思わず缶の底を見る。賞味期限は切れていないようだった。
 道端に落ちていたものを拾ったというわけではなさそうだ。
 ムッと眉根を寄せた往人を見ながら「そう怒るな。確認しただけだ」と笑って缶を開ける。

 温められてはいなかったが、冷たくもない缶コーヒーは飲むには丁度良かった。
 久しぶりに水以外の飲み物を口に入れたからか、喉が歓喜に震えているように思える。
 美味い、と素直に感じながら芳野は「どうしてここに?」と尋ねた。

578想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:54:23 ID:6Ze9kqqQ0
「話せてなかったからな。あの時以来だ」
「そういえば、そうだったか」
「お前がどうしていたか聞きたかった。……神岸のこともな」

 芳野とは反対の壁に背を預け、往人もポケットから缶コーヒーを取り出した。
 問い詰める口調ではないが、真実を確かめようとする口調だった。
 大事なことだったはずなのに、今まで話すのも忘れていた。人の存在は、一人だけのものではないというのに。

「守りきれなかった」
「……そうか」

 一拍置いて呟かれた往人の声は寂しそうだった。悲しむでも怒るでもなく、ただ寂しそうに。
 どういなくなったかではなく、いなくなった事実自体に対して考えているようだった。
 守りきれなかった。口にしてしまえばそれだけの、しかし重過ぎる事柄。
 逃げちゃいけない。前に進むしかない。当たり前のことを教えてくれた誠実な人間。
 芳野も寂しい、と思った。――そう感じるのは、自分が大人だからだろうか。人間だからなのだろうか。

「守るっていうのは、難しいな」

 往人の言葉に、芳野は黙って頷いた。一人で為すにはあまりにも難しすぎることだった。
 だからこそこうして集団となり、互いに守りあうものなのかもしれない。
 杏が自分に対してそう思っていたように。

「俺も守りきれなかった。守ろうとしたつもりでやっていたことが全部裏目に出て、全部失った」
「……それは、ここいる全員がそうなのかもしれない」

 肯定の代わりに、芳野はその言葉を紡いだ。
 ここにいるのは失ったものが多すぎる人間達ばかりだ。
 往人も、杏も、高槻でさえそうだ。

579想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:54:38 ID:6Ze9kqqQ0
 そうなってまで必死に生き延びて、また新しく生き甲斐を見つけて守ろうと必死になる。
 こうしてみるとなんと進歩のない生き物なのだろうとさえ思う。
 けれども諦めるという行為が生み出すものは、往人の言う『寂しさ』でしかないと知っているから、
 たとえどんなに愚かしい行為だとしても人は守るという行為をやめようとしないのだろう。

「だが、今はまだ生きている。生きている限り俺達は戦って、守っていかなければならない」

 自分の命しかり。人の想いしかり。守りたいと思うものしかり。
 その道を自分の意志で選択している以上、逃げてはいけない。前に進むしか、ない。
 ただそれを苦難の道と受け取るか希望を指し示す道と受け取るかは自分次第だ。
 少なくとも、今の自分は……芳野祐介という人間は、苦には感じていない。それは確かな事実だった。

「お前にだってそういうものはあるだろう、国崎」
「……そうだな。俺が選んだ道だ」

 どこかあっけらかんとした調子で言い放って、往人はコーヒーを飲み干した。
 芳野もそれに倣う。手で温めていたコーヒーは少しだけ温かく、爽快感こそないものの味わいがあった。

「なあ、国崎」
「なんだ」
「生きて帰れたらどうする?」
「あまりその話はしたくないな」

 往人も考えられないのかと思ったが、往人の口から突いて出た言葉は意外なものだった。

「このご時勢に大学どころか高校も出ていない人間が就職活動せにゃならんからな……大変ってレベルじゃない」
「……は」

 本気の口調で言うものだから、呆れを通り越して笑いが飛び出した。
 重要な問題なんだぞ、と声を張り上げたことがまた可笑しく、「傑作だ」と腹を抱えた。

580想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:54:54 ID:6Ze9kqqQ0
「何とかなるもんだよ、そういうのは。俺なんか元犯罪者だ」
「なに?」
「薬物でな。だが電気工になれたぞ」
「マジでか」
「もっとも、就職するまでに滅茶苦茶苦労したがな」
「いや、十分だ」

 往人は案外なんとかなると思っているのか、小さくガッツポーズをしていた。
 実際のところは苦労なんてものではなかったが。頭を下げ続け、日中歩き回り、ようやく掴んだに過ぎない。
 そのあたりの苦労話でもしてやろうかと思ったが、今はやめておくことにした。
 そういう話は、往人が苦労して溜息をついたころにでもしてやればいい。

 想像しているとまた笑いが込み上げ、一方で殆ど誰にも話さなかった身の上を語っていることにも内心驚いた。
 こんなにも簡単に、先のことを想像できるものなのか。
 やはり分からないものだと思った。人生も、それ以外の全ても。

「俺は……公子さんの妹と……風子と暮らしていこうと思う。本人が、受け入れてくれたらの話だが」
「そういや、伊吹がそんなことを言っていたな。すまん、忘れてた」
「忘れてたって……」
「以前に会ってたんだ。会ったらよろしくって言伝も頼まれた。ここまで遅くなって悪かったよ。
 ……まあ、んな深刻そうな顔で言わなくても、伊吹なら言う前に了承するさ。あいつなりに心配してたみたいだからな。
 あいつにとっちゃこんなのは既に決定事項で、その先をどうしたいか考えてるんだろう」
「……そうか」

 その先。自分にしろ往人にしろ、まだ子供だと思っていた風子でさえも先のことだけを考えている。
 ここで死ぬなどとは微塵も思っていない。
 いや正確には、この島が出している死の臭気などもはや些細なものでしかないということなのだろう。
 それは逃げではなく、しっかりと現実を見据えた末の結論に違いなかった。
 不意に、眩しい光が芳野の網膜を刺激した。ようやく顔を出した太陽の光に、芳野は目を細めたのだった。
 本当の夜明けだ。恐らくはこの島で見る、最後の。

581想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:55:08 ID:6Ze9kqqQ0
「いい朝日だ」
「ああ」

 そうしてしばらく、二人で太陽を見続けていた。
 絶海の孤島であるはずなのに、そこには外界へと通じる道があるように思えたからなのかもしれなかった。
 逃げ場はない、と言ったな。
 芳野は放送の主に言い返す。

 逃げるつもりは毛頭ない、とだけ言っておいてやる。貴様には、この朝日でさえ拝めまい。

     *     *     *

 曙光が眩しい。
 薄暗い所にずっといたからなのか、窓ガラスを通してでさえ朝日はリサを圧倒した。
 同時に、体内に蓄積していた疲労という名の澱みが瞬時に分解されてゆくのもまた感じていた。
 太陽にはそれだけの力がある。何の疑問もなくそう思い、リサは窓を開け、直に陽光を浴びてみる。

「……暖かい」

 こうしていると、それだけで不安までもが解消されてゆくような気がする。
 作戦、計画は練りに練ったつもりだったが懸念はいくらでもある。元々が分の悪すぎる賭けといって差し支えない。
 当たれば生き残り、負ければ死ぬ。加えて当たりを引き当てられる確率は五分にも満たないときている。
 果たして本当にやってみる価値はあるのだろうか――そんなつまらない疑問を、この太陽は掻き消してくれる。
 上手くいく。それだけの思いを結実させてひとつ深呼吸すると、朝の澄んだ空気が最後のしこりを洗い流してくれた。

「朝か……?」

582想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:55:28 ID:6Ze9kqqQ0
 重たい声に振り向くと、そこでは寝ぼけ眼の高槻が気だるげに目を擦っていた。
 頷いてみせると、高槻は大仰に体を反らして「何時だ」と尋ねる。「七時くらいかしら」と答えたところ、
 「俺にしちゃ寝てたほうだな」ととてはそうは思えない、欠伸を交えた返答が来た。
 一番早く眠りについていたとはいえ、それでも三時間にも満たないはずの睡眠時間のはずだが、元気なものだ。
 自分が言えたことでもないと思い、リサは苦笑して「いい朝よ」と話題を変えた。

「だろうよ。ここにいても溶ける気がする」
「貴方は吸血鬼?」
「ばーか。吸血鬼は灰になるんだよ」
「知ってるわ。頭は起きてるみたいね」
「心遣い、痛み入るね」

 首をコキコキと鳴らしながら、高槻は軽口を叩いてくれる。コンディションは見た目ほどは悪くなさそうだ。
 体調管理を気にしている自分はこの時間でも軍人の性分が頭をもたげているのか、それとも親切心から尋ねたのか……
 判然としないまま、「それで、今後のことなんだけど」と続けようとすると「あーやめてくれ」と高槻が腕を交差させ、罰印を作った。

「いつもの俺はティータイムなんだよ」
「安物のコーヒーでしょう?」
「甘いね。栄養ドリンクだ」
「働き者なのね」
「人間は光合成できないんだ。太陽なんぞ浴びても何の得にもならんわ」
「そうでもないかもよ? 来てみたら、もやし人間さん」
「栄養ドリンク、プリーズ」
「Sorry.当店ではこちらの商品は取り扱っておりません」
「……しけてるねぇ」

 大袈裟に嘆息してみせると、高槻は重い腰を上げてよたよたとこちらに歩いてくる。
 頭は起きているが、体は全然眠っているようだった。
 いかにも科学者らしいと考えを結びつつ、代わりにあるものを取り出してみせた。

「煙草なら、あるんだけど」
「最高の栄養をありがとう」

583想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:55:43 ID:6Ze9kqqQ0
 体も目覚めたようだった。軽快な動作でこちらに近づき、手を揉みながら媚びた笑いを浮かべる。
 ヘビースモーカー……とまではいかなくとも、それなりの喫煙者であることは察しがついた。
 この数日、吸う暇もなければ体も飢えていたのだろう。少しくすんだ色になった、ふやけた紙の箱から煙草の一本を取り出し、
 ライターと一緒に投げて寄越す。高槻は器用にキャッチして受け取り、早速火をつけようとしたところで、ふとリサを眺めた。

「吸わねぇのか」
「私はスモーカーじゃないのよ」

 ならなんで煙草を、と言いたげな高槻の目線に苦笑で応じてみせると、
 大体のことを察したらしい高槻がライターの火打ち石から指を離した。

「いいのか」
「使ってあげて。その方が……彼は喜ぶから」
「……コブつきかよ。つまらねえ」

 男女の関係を察知したらしい高槻が、嫌味か妬みか、それとも何か別の感情でも抱いたのか、本当につまらなさそうな口調で言い、
 それでも煙草に対する未練は捨てきれないらしく、火をつけて吸い始めた。
 吐き出した白い煙は、リサの開けた窓から外に吸い込まれ、空を目指すかのように昇りながら消えてゆく。
 煙の匂いは僅かに甘味を帯びていて、持ち主である緒方英二の人間性を表しているかのようで、彼らしい選択だとリサは思った。

 愚直なやさしさしか示せなかった、不器用に過ぎる男。ただ、はっきりと好意を持っていることはリサにも分かり、
 上手くやっていけるだろうとも思っていた。だからこそ、英二がこの場にいないことが寂しすぎた。
 辛いのでもなく、悲しいのでもなく、寂しい。ここにいないことがあまりにも惜し過ぎた。

「くそっ、美味いもん使いやがって……」
「貴方と違って、洒落た人だったのよ」
「惚気かよ。聞きたくもないからやめろ」
「寂しいの?」
「うるせえよ」

584想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:55:55 ID:6Ze9kqqQ0
 怒ったように煙を吐き出して、高槻はボリボリと頭を掻いた。分かっているのかもしれなかった。
 このように寂しく思えることの、それだけの信頼があったのだということを。
 それを惚気と表現するのなら、そうなのかもしれない。悪くないなと悪戯な気持ちを覚えながら、「もう一本どう?」と尋ねてみる。

「結構だ。砂糖吐きそうだよ。甘すぎてな」

 どうやら一本吸って欲よりもプライドの方が勝り始めたようだった。
 少しだけども、本気で残念がっている自分がいることに気付き、それだけの余裕はできたらしいと自覚することが出来た。
 煙草を服の内側にあるポケットに仕舞い、リサはそこにある存在を確かめた。

 英二とは、まだコンビを組んでいる。宗一には悪いが、英二がまだ自分にはベストのパートナーだった。
 もう一度窓から外を眺める。正確には、煙が消えていった空を眺めた。
 先に帰ったのかもしれない。自分とのディナーを予約するために。
 少し自信過剰だろうかとも思ったが、これくらいが自分らしいとも思い、「すぐ行くわ」と返事しておいた。

「ん?」
「何でもない。休憩はいつまで?」
「あー……芳野とかが戻ってくるまで」
「余った時間に煙草はいかが?」
「悪りい、俺健康主義になったんだわ」
「あら残念」

 こうしている自分は、さほど変わりはしていないのかもしれないとリサは思った。
 でも、それでいい。でしょう?
 自分らしいとはこういうことなのだろうと納得して、リサは窓辺に腰掛け、頬を撫でる風に身を預けた。

585想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:56:16 ID:6Ze9kqqQ0
【時間:3日目午前07時00分ごろ】
【場所:D−6 鎌石小中学校】

那須宗一
【状態:怪我は回復】
【目的:渚を何が何でも守る。寝てる】 

スモーカー高槻
【状況:怪我は回復。主催者を直々にブッ潰す。煙草を吸ってご満悦?】

芳野祐介
【状態:健康】
【目的:思うように生きてみる】

一ノ瀬ことみ
【状態:左目を失明。左半身に怪我(簡易治療済み)】
【目的:生きて帰って医者になる。聖同様、絶対に人は殺さない。お風呂タイム中】

リサ=ヴィクセン
【状態:どこまでも進み、どこまでも戦う。全身に爪傷(手当て済み)】

川澄舞
【状態:往人に付き従って行動。強く生きていたいと考えている。両手に多少怪我(治療済み。支障は全くない)】
【その他:往人に対して強い親近感を抱いている。剣道着を着ている。寝てる】

朝霧麻亜子
【状態:鎖骨にひびが入っている可能性あり。寝てる】
【その他:体操服(上下のジャージ)を着ている】

国崎往人
【所持品:スペツナズナイフの柄】
【状況:強く生きることを決意。人形劇で舞を笑わせてあげたいと考えている】
【その他:左腕に文字を刻んだ。舞に対して親近感を抱いている】

古河渚
【状態:健康】
【目的:人と距離を取らず付き合っていく。寝てる】

ルーシー・マリア・ミソラ
【状態:生き残ることを決意。髪飾りに美凪の制服の十字架をつけている】
【目的:まーりゃんはよく分からん。寝てる】

ほしのゆめみ
【状態:スリープモード。左腕が動くようになった。運動能力向上。パートナーの高槻に従って行動】

藤林杏
【状態:軽症(ただし激しく運動すると傷口が開く可能性がある)。簡単には死ねないな。お風呂タイム】

姫百合瑠璃
【状態:死ぬまで生きる。浩之と絶対に離れない。寝てる】

藤田浩之
【状態:歩けるだけ歩いてゆこう。自分を取り戻した。寝てる】

586想いのカナタ:2010/01/06(水) 17:02:18 ID:6Ze9kqqQ0
追記。
→B-10です

587名無しさん:2010/01/08(金) 15:11:08 ID:hPwFa8nY0
瑠璃「あけまして、おめでとうございますっ!」
早苗「おめでとうございます〜」
瑠璃「B-10代表の姫百合瑠璃やで。今年はうちと一緒に、新年楽しもうな」
早苗「本年もよろしくお願いします。わたしは、D-5代表の古河早苗と申します」
瑠璃「あ、先に言っておきたいんやけど、お正月スペシャルは今回が最終回や。理由は分かるやろ」
早苗「うふふ。実は私達の物語、もうすぐ無事完結するんです」
瑠璃「最後までめっちゃ頑張るから、よろしくなっ!」
聖 「そんな訳で、今年はこんなノリだ。B-4の代表としては、肩身が狭くて仕方ない」
瑠璃「自業自得やん」
聖 「辛酸だが、事実だけに反論はしない」
早苗「気を落とさないでください。どうぞ、パンです。焼きたてです。元気がでますよ」
聖 「……何だこれは」
早苗「コンセプトは、『きらきらな思い出』です」
瑠璃「トゲトゲやね」
聖 「ふむ。イメージしたのは、金平糖か何かか?」
早苗「綿飴です。縁日の思い出はいかがでしょう」
瑠璃「こういうポケモンおるよな」
聖 「ふむ。この硬度といい、鎖を合わせればいいモーニングスターになるだろう」
早苗「……(ふるふる)」
聖 「あ、後でちゃんといただくから安心しろ。そういえば、いつぞや佳乃にも買ってやったな……懐かしい……」

588名無しさん:2010/01/08(金) 15:11:38 ID:hPwFa8nY0
瑠璃「丸く収まったところで、本題行くで。昨年のハカロワ3と言えばっ!」
早苗「投下作品全83話、うちD-5は41話です」
瑠璃「B-10は34話やで。集計間違ってたらごめんな」
聖 「B-4は8話だ。これに間違いはない」
早苗「お亡くなりになった方は……D-5ですと、ちょっと明記が難しいんですよねぇ」
瑠璃「うちの所は12人。思い返すだけで、何や。胸が熱なる」
聖 「私の所はゼロだゼロ、悪いか」
瑠璃「むっちゃ悪いと思うで」
早苗「そのまま過半数で脱出されれば、問題ないと思います」
聖 「その内大規模な虚殺が行われるから安心してくれたまえ。ほら、火山が噴火するとか」
瑠璃「どこまで自然災害に頼ればええんや……」
早苗「わたしのD-5は、もうすぐ可愛い赤ちゃんに会えるんですよ〜。とっても楽しみです」
瑠璃「うちも佳境や。絶対、皆で脱出する。負ける気ないでっ!」
早苗「瑠璃さんは、赤ちゃん産まないんですか?」
瑠璃「はぁ?!」
早苗「赤ちゃん可愛いですよ〜。瑠璃さんも赤ちゃん、欲しいですよね?」
瑠璃「は、はあっ?! う、うちが、あいつの、あ、あか、あが……っ?!!!」
聖 「ふっ。若いな」

589名無しさん:2010/01/08(金) 15:12:03 ID:hPwFa8nY0
瑠璃「ご、ごほんっ! 気を取り直して、他の話題行くでっ!」
聖 「そうだな、他に印象深いと言えばはラジオの件か」
早苗「こんにちは〜、ルネッサンスさん見てくださってますか〜?」
聖 「惜しい。正しくはルイージだ」
瑠璃「全然ちゃうやんかっ! うちの作者さんディスってんのちゃうっ?!!」
聖 「すまない、戯れが過ぎたようだ。それにしても、ルーデル氏のまさかの乱入には驚かされたものだ」
瑠璃「D-5のおかげで、うちらもイメージアップやねっ」
聖 「イメージ……アップだと……?」
瑠璃「マジキチに定評があるってことやろ。ええことやん」
聖 「どうやら私は、君と違う感性を持っているらしい」
早苗「こんばんは〜、乾電池さん見てくださってますか〜??」
瑠璃「少し口閉じよ。なっ?」

590名無しさん:2010/01/08(金) 15:12:29 ID:hPwFa8nY0
瑠璃「そんな感じやな」
早苗「そんな感じですね」
聖 「うむ」
瑠璃「長かった。ここまで、めっちゃ長かった」
早苗「そうですね」
聖 「感慨深いな」
瑠璃「……あんたはどうするん?」
早苗「そうですよね、この中で目処が立っていないのは……」
聖 「気長にやるさ。ここが駄目になったなら、他でも何処でも。……甘えられるのも今のうちか」
早苗「わたし達のルートが終われば、いよいよハカロワ4始動なんでしょうか?」
瑠璃「さあ。うちの作者さんも急がしそうやから、参加できるか分からへんけど」
早苗「そうなんですか〜」
聖 「私の中の人はやる気満々だ。あれだ、例の幼馴染の皆が力を合わせるゲーム。やり込んでたぞ」
瑠璃「ほんまかいな。ってか、そんな暇あったんかい」
聖 「鼻歌もよく口ずさんでいる。せいっやっマジマジ!ってな」
瑠璃「それ全くの別物やけどっ?!!!!!」
聖 「まぁ、とりあえずは目先ご愁傷様やな……ま、とりあえずは目先のゴールを見つめるのが大事やね」
早苗「そうですね、ちょっと先過ぎるお話を振ってしまったみたいです」
聖 「何であれ今年もお互い頑張ろうということだ」
瑠璃「そうやっ!!」
早苗「えいえいーおー、です♪」



瑠璃「ハカロワ3は永久に不滅なんやっ! うちは負けへん、皆絶対負けへん。
   うちが勝利を掴む所、目ぇ離したら嫌やからな!」

早苗「葉鍵ロワイアル3の板と住人の皆さんに、幸あれです♪ ひっひっふー」

聖 「私達はようやく登りはじめたばかりだからな。 このはてしなく遠い葉鍵坂を……」










瑠璃「ちょ、最後縁起でもあらへんっ!!!!!!!!!!!!11」





姫百合瑠璃
 【所持品:無し】
 【状態:やる気!その気!ひろゆき!!!……ってアホ言わすなっ!!!!】

古河早苗
 【所持品:トゲトゲな思い出】
 【所持品トゲパン】

霧島聖
 【所持品:真剣で私に恋しなさい!!】
 【状態:まゆっち萌え】

591>>590訂正・差替:2010/01/08(金) 15:17:41 ID:hPwFa8nY0
瑠璃「そんな感じやな」
早苗「そんな感じですね」
聖 「うむ」
瑠璃「長かった。ここまで、めっちゃ長かった」
早苗「そうですね」
聖 「感慨深いな」
瑠璃「……あんたはどうするん?」
早苗「そうですよね、この中で目処が立っていないのは……」
聖 「気長にやるさ。ここが駄目になったなら、他でも何処でも。……甘えられるのも今のうちか」
早苗「わたし達のルートが終われば、いよいよハカロワ4始動なんでしょうか?」
瑠璃「さあ。うちの作者さんも急がしそうやから、参加できるか分からへんけど」
早苗「そうなんですか〜」
聖 「私の中の人はやる気満々だ。あれだ、例の幼馴染の皆が力を合わせるゲーム。やり込んでたぞ」
瑠璃「ほんまかいな。ってか、そんな暇あったんかい」
聖 「鼻歌もよく口ずさんでいる。せいっやっマジマジ!ってな」
瑠璃「それ全くの別物やけどっ?!!!!!」
聖 「まぁ、とりあえずは目先のゴールを見つめるのが大事だろう」
早苗「そうですね、ちょっと先過ぎるお話を振ってしまったみたいです」
聖 「何であれ今年もお互い頑張ろうということだ」
瑠璃「そうやっ!!」
早苗「えいえいーおー、です♪」



瑠璃「ハカロワ3は永久に不滅なんやっ! うちは負けへん、皆絶対負けへん。
   うちが勝利を掴む所、目ぇ離したら嫌やからな!」

早苗「葉鍵ロワイアル3の板と住人の皆さんに、幸あれです♪ ひっひっふー」

聖 「私達はようやく登りはじめたばかりだからな。 このはてしなく遠い葉鍵坂を……」










瑠璃「ちょ、最後縁起でもあらへんっ!!!!!!!!!!!!11」





姫百合瑠璃
 【所持品:無し】
 【状態:やる気!その気!ひろゆき!!!……ってアホ言わすなっ!!!!】

古河早苗
 【所持品:トゲトゲな思い出】
 【所持品トゲパン】

霧島聖
 【所持品:真剣で私に恋しなさい!!】
 【状態:まゆっち萌え】



まさかのコピーミス・・・これは恥ずかしい。申し訳ないです。

昨年に続き今年も一日遅れましたが、今年もよろしくお願いします><

592Mission Log:2010/01/18(月) 22:01:02 ID:q4xvWIEE0
 題名:初心者にも分かる首輪の外し方
 著:世界のNASTY BOY

 和田のレポートを見れば簡単だ。ドライバーとニッパーがあれば事は足りる。
 首輪の後背部、つまり首に当たる方に極小のネジ穴がいくつかあり、それを丁寧に外す。
 すると回線の一部が出てくるので青い回線を切る。こうすることで信管蓋を開けるときにトラップに引っかからずに済む。
 次にその右隣にあるネジを外し、信管を取り外す。左右にある線は切ってかまわない。
 尚、黄色い線は切る、引っ張るなどしないこと。最悪爆発する。
 信管を取り外した後は爆発する危険性はないので好きにしてもらって構わない。
 ただし、白い線を切ると生死判定が途切れ、管理していると思われる場所に死亡判定が出てしまうので注意。
 また、バッテリーを抜き取ろうとしても結果は同じになる。
 よって主催側の目を欺くため、生死判定は残しておいたほうが良いと推察する。
 回線そのものは手で無理矢理引き千切ることも可能ではある。
 首輪そのものの材質も材質から考慮してそれほど堅くはないようだ。多分踏みつけたらポキリと折れる。
 首輪を完全に外すまでの所要時間はおよそ一分ほどだと思われる。実践はしていないので若干ズレると考えられる。
 手元に首輪がないため実験は出来ず。だが和田の資料の信憑性は高いため罠である可能性は低い。
 万が一罠であった場合を考慮して、首輪の解除は俺が最優先で行う。

     *     *     *

593Mission Log:2010/01/18(月) 22:01:15 ID:q4xvWIEE0
 爆弾の性能メモ

 大よそ半径数十メートルにわたって吹き飛ばす程度の性能になった。
 とはいえ威力は保障できない。不発する可能性もあるので過信は禁物。
 仕掛ける場所としては管制室、敵の司令室などが考えられる。
 信管を抜いてから数秒後に爆発する。ダッシュして逃げれば直接信管を抜いても間に合う……はず。
 基本的に遠くから紐等を使って引っ張る方法を推奨する。
 本の通りならば木造家屋を一瞬で吹き飛ばせる。多分コンクリも吹き飛ぶ。
 崩落に注意。
 結構重い。台車に乗せて運ぶことを勧める。その場合護衛が何人か必要である事を言っておく。
 あんまり衝撃を与えても爆発するかも。取り扱い注意。
 だからなるべく平坦な道を移動させたほうがいいかも……

     *     *     *

594Mission Log:2010/01/18(月) 22:01:29 ID:q4xvWIEE0
 クソロボットのレポート

 銃弾が効かん
 生身? の部分には効くんじゃね?
 無茶苦茶早い
 神神うるさい
 装備は確か刃物、P−90、それとフラッシュバンらしきものが。俺らより装備は豪華なようだ
 学習能力があるらしく攻撃を見切られたことがあった

 とまあ、こういう特徴があったので対応策として、まず一対一にさせないことが考えられる
 悔しいがあのクソロボの実力は参加者の誰よりも強いだろう。装備も相手が勝っている以上正面からの殴り合いは死ぬ
 常に弾幕を撒きつつどうにか動力源を一発で壊せればいいんだが
 それが可能な武器はグレランかロケランくらいだろう。着ている修道服は防弾・防爆効果があると見ている
 囲んで白兵戦に持ち込むのも、危険だがありかもしれん
 逃げられないと考えた方がいい。とにかくしつこかった
 最悪でも二人、欲を言えば四人は戦う人数が欲しい。俺とゆめみじゃ全く歯が立たなかった
 ここには十五人いるから四つくらいのパーティに分けることを提案する。つか却下させない
 装備は念入りにしといたほうがいい。狙撃も考えられるかもしれん
 ロボットだから目視で数キロは届くんじゃないか? 熱感知しているかもしれない(正確に射撃してきたから)
 武器を渡すと危険かもしれない。あらゆる武器の用法を叩き込まれている可能性がある
 メインコンピュータを壊せば戦闘不能にはさせられるかもしれない。そこがどこかはわからん
 とにかく出会ったら遠慮なく叩き壊してしまうことが一番だろ
 相手は人間じゃないしな
 疲れた

     *     *     *

595Mission Log:2010/01/18(月) 22:01:50 ID:q4xvWIEE0
 侵入路について

 →これまでの情報を総合するといくつか搬出路を含む出入り口があると見られる。
  そこが本当に主催側の中枢部に繋がっているか、という疑問があるが、袋小路である可能性は低いと思われる。

 ∵地下に建造物があるとした場合、脱出路を複数確保しておかないと緊急時の脱出が困難になるため。
  またそれぞれが独立していると参加者に占拠される確率が高くなるため。
  すぐに救援に行けるように、それぞれの通路は繋がっていると判断できる。

 →入り口はどの程度の間隔であるかということについては、一ノ瀬ことみの考察より数百m間隔であると考えられる。
  入り口には警戒網もあると考えられるので、首輪を外した後に一斉に潜入という方法が望ましい。
  また、中枢部、管制室、脱出路などを確保する必要がある。

 ∵先にサリンジャーに逃げられてしまえば足がなくなる可能性があるため。
  当然向こう側としては脱出の際証拠隠滅を図ってくるため通信設備も破壊される可能性がある。
  通信部はなるべく最優先で確保したい。

 →地下設備の場合ヘリではなく潜水艦や船舶での脱出を取ることが多い。
  最下層部分に置かれているだろう。見張りもいるはずなので戦闘が予想される。
  速攻できるメンバーが望ましい。ただし中枢部を最速で確保すればその限りではないかもしれない。
  何にしろスピードが勝負だ。設備も装備も向こう側が上であるため、奇襲するしか勝負の方法がない。

 →救援を求められるならば、日本政府かアメリカ政府への連絡が望ましい。
  私か宗一の名前を出せば大抵は信じてもらえるだろう。万が一私も宗一も身動きが取れなかった場合、
  判断は各人に任せる。

 →道中にある兵器類は破壊できるならば破壊しておくことが望ましい。

 ∵もしも制圧に遅れた場合連中が持ち出してくるため。
  火力勝負になってしまえば勝ち目がない。破壊できなければ諦める。
  使えるならば使ってもいいのかもしれないが、暴発暴走の危険性があるため、
  無視すること。判断を周囲に仰ぐのがよい。素人が兵器を扱えるものではないことを心に留めておく。

 →連絡はこまめに取り合いたい。が、無線機がないような状況なので期待はしない。
  代わりにチームメンバーでの連絡を密にすること。
  はぐれたところを狙い撃ちにされる。
  敵は島にいた参加者よりも遥かに強大であることを覚えておくこと。

596Mission Log:2010/01/18(月) 22:02:51 ID:q4xvWIEE0

 追記:各種レポートを総合しての作戦立案

 四チームを編成し、爆弾運搬班、中枢部制圧班、通信設備確保班、破壊工作班に分ける。
 侵入は別々の場所から同時に行い、突入前に首輪を解除するものとする。
 メンバーは後で決める。ただし各チームの戦力がなるべく均等になるように配慮はする。
 作戦実行はサリンジャーの指定した時間の一時間前。こちらから先手を仕掛ける。
 後手に回ると圧倒的な戦力差で叩き潰されてしまうからだ。とにかく速戦即決しかない。

 最後に一つ。
 生きて、このミッションを完遂させましょう。


【時間:3日目午前07時00分ごろ】
【場所:D−6 鎌石小中学校】

→B-10

597終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:15:25 ID:AA.5FDBE0
 
「護られて、助けられて、生き延びさせられて」
「生まれさせられて、罪を負わされて」
「そこに幸福は、あったのかな」



「ねえ―――教えてよ、水瀬名雪」




***

598終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:15:50 ID:AA.5FDBE0
 
 
そこには花が、咲いている。
白い、白い花。
咲き乱れて、散ることもなく、ただ燦然とその純白を、緋色の月の下に晒している。

ざあ、と風が吹いた。
白い花の海は静かに、大きく波打ち、しかし花弁の一枚も舞い上がらせることなく、
やがて純白の海原は、久遠の時を越えてそうしてきたように、再び凪ぐ。


それが、世界の最果てだった。


純白を覆うのは、漆黒の夜空。
星一つない闇の中、見開かれた瞳のような赤い月だけが、咲き乱れる花々を見下ろしている。
ぼってりと、うすら赤い月光に照らされてなお白い花の海の只中に、二つの影が立っていた。
影の片方が、口を開く。

「ねえ―――教えてよ、水瀬名雪」

白に近い銀色の髪と、琥珀色の瞳。
少年といえる年頃の、それは人影だった。

「―――」

水瀬名雪と呼ばれた影は、答えない。
少年の真正面、ほんの数歩の距離を置いて立ちながら、目を細め、静かに息を吐く。

「私だけ……か」
「誰も辿り着けない、はずだったんだけどね」

肩をすくめる少年を、名雪は見つめている。

599終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:16:26 ID:AA.5FDBE0
「神様はいつだって余計なことばかりしてくれる。気まぐれで、身勝手で。
 実際僕らのことなんか本当のところはどうでもいいと思ってるんじゃないかな」
「お前は……そうか」

首を振って苦笑を浮かべた少年の言葉には答えず、細めた目の奥に奇妙な光を宿らせた名雪が、
口の中だけで呟く。

「お前が、そうなのか。これまでも、ずっと」
「……? ああ、なるほど」

一瞬だけ怪訝な顔をした少年が、すぐに何かに納得したように頷く。

「僕の影とは何度も会っているんだよね。お久しぶり、そしてはじめまして。
 その節はお互い……ええと、殺し合ったり助け合ったり、したのかな?」
「……」
「そう、影。僕はここから、」

と、純白の花畑と赤い月の夜空を見渡して、

「……ここから出られないからね。たくさんの影が、世界中の色んな時間の色んな場所に散らばってる。
 もちろん、キミたちをこの戦いに招くのも、それを見届け、推進するのも大事な役目だよ。
 僕は彼らではないから、実際に何をしてるのかはよく分からないこともあるんだけどね」

一息に告げて、少年は悪びれずに笑う。

「まあ、大体の役目は僕たちの思い描く未来を造るためのお仕事、ってやつかな。
 他にも、その時々で細々したこともお願いするけど―――」
「終わるのか」

長広舌を、遮って。
少年の言葉を聞くや聞かずや、ただじっとその琥珀色の瞳を見つめていた名雪が、
おもむろに口を開いていた。

600終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:16:53 ID:AA.5FDBE0
「世界は、また終わるのか」
「……」

その言葉に、今度は少年が黙り込む。
僅かに見上げた瞳が、緋の月光を受けてゆらりとその色を変える。

「この戦いは……そういうものだろう。終わり、続く世界の、ここが中心か。
 終わらせるのがお前の企みか。或いは終わり、終わる果てに何かを見出すか」

刹那の沈黙。
表情を消した少年が、小さな称賛と驚愕とを含んだ声を漏らすと同時、浮かべたのは、笑みだった。

「……へえ」

苦笑でも、嘲笑でもない。
純粋に興味深げな、まるで難問に挑む学究の徒のような笑み。

「さすがに、優勝者は違うね。積み重ねた時間は、キミたちをそこまで真実へと近づけたのか。
 亀の甲より、というやつかな」

冗談めかした少年の視線を受けても、名雪は微動だにしない。
ただ静かに、池の底に沈む藻が、水面から届く光を見上げながら佇むように、少年を見据えている。

「正解。その通りだよ。この戦いを経て、世界は終わる。この戦いが、終わりの始まり。
 あとは転がり落ちて、終わっていく。止めようもなく、救いようもなく。キミの知っているようにね。
 ……うん、そのはずだった」
「はず、だった?」

思わせぶりな少年の言葉に、名雪が眉根を寄せる。
そんな名雪の様子に肩をすくめ、ひとつ天を仰いでから少年が、ぴ、と名雪を指さす。

601終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:17:42 ID:AA.5FDBE0
「だってキミたち、生きてるじゃない」
「……」
「こんなにたくさんの大きな可能性が残ったら、世界はまだ終わらない。終われない。
 キミたちという可能性はきっと、どうにかして延命させてしまうんだ。
 本当は不治の病で手の施しようもない、この世界をね」

大きく、少年が首を振る。
気負う子供の、走って転ぶのを見るように。

「終われない世界はだから、だらだら、だらだら……ゆっくり衰えながら、死んでいくしかない。
 時間がかかるよ。ロクでもない時代が、ずっと続く。誰も幸せになれない世界だ」

深い溜息を、ひとつ。

「僕たちはそれを知ってる。どうしようもない世界が、どうしようもないまま続く時代の惨さを知ってる。
 どうやったって救えないことを、どう頑張ったって変えられないことを、嫌っていうほど、知ってるんだよ。
 だから、終わらせてきたんだ。もう一度初めから、今度は上手くいくように願って。
 誰も幸せになれない時間なら、誰も望まない未来なら、そんなものはだって、いらないじゃないか。
 僕たちが渡す引導で、世界は苦しまずに、終わっていけたんだ。これまでずっと、そうしてきた。
 今度だって、そうなるはずだった……キミたちが必要以上に頑張ったりしなければ、ね」

顔を上げ、少年の視線は眼前、名雪を射貫く。

「キミたちは生き残り、せっかく集めた呪を解き放ち、挙句に神様まで殺してしまった。
 もう世界は簡単には終われない。苦しみながら死んでいくより他にない。
 そうして終われば、もう次も、ない」

託宣のように、告げる。

602終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:18:16 ID:AA.5FDBE0
「もう、世界は繰り返さない。終わるんだ。苦しみ抜いて。誰も幸せになれないまま。
 キミたちがやってのけたのは、そういうことだよ。ひどい話だね」

言われた名雪はしかし、少年を真っ直ぐに見据えたまま揺らがない。
風に靡く少年の銀髪が琥珀色の瞳を二度、三度と隠し、四度覗いた頃、影の囁くように、口を開く。

「私たちが死ねば世界は終わる」

どろどろと、粘つくような声で。

「成程、下らない―――ならどうして、お前が直接殺さない」

吐き棄てるような言葉が、少年の足元に絡みつく。

「どこにでも、いくらでもいるのだろう、お前たちは。
 機会など狙うまでもない。生まれてすぐに殺してしまえばいい。
 そもそも生まれてこないようにするのだって簡単だろう。
 お前たちが本当に、最初から、存在しているのなら。
 ここまで大袈裟に、大掛かりに私たちを招いたところで、暇潰し以上の意味はないだろうに。
 それほどの力を持ちながらお前は、お前たちは何故、世界を裏側からしか、動かさない」

独り言じみた囁きは、それでも問いのかたちを成して、少年へと向けられていた。
ゆらゆらと、煙草の煙のように大気を満たして穢す名雪の問いを、少年は一息に吸い込んで、
舌と肺とで味わうようにほんの僅かに息を止め、それからゆっくりと吐き出す。

「……たとえば、この馬鹿馬鹿しい催しが行われなかったら、どうなると思う?」
「……」

少年の口から漏れる吐息は、答えを成さない答えを伴っていた。
じっと次の言葉を待つ名雪に苦笑して、少年が続ける。

「簡単さ。世界は滅びない」

603終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:18:56 ID:AA.5FDBE0
手の平を上に、小さく肩をすくめておどけてみせる少年の、透き通る瞳はしかし、
一欠片の愉悦も含んではいない。
そこにある色は、詠嘆や諦観や、或いは絶望と呼ばれるそれに、よく似ていた。

「今回と同じだよ。この戦いで生き残るただ一人が出なければ、世界は続くんだ。
 病んだまま、弱ったまま、生き続けさせられる」

丁度キミみたいにね、と薄暗い笑みを浮かべる少年に、名雪は沈黙と無表情を以て返答する。
小さく鼻を鳴らして少年が言葉を接いだ。

「この戦いの勝者にはね、世界の行く末を変えるだけの力が備わってるんだ。
 だってそうだろう、世界で一番大きな可能性たちの、その頂点なんだから」

一番大きな、と告げるとき、少年の手が宙に大きな円を描いていた。
翳るままの表情と、大きな身振り。
噛み合わぬそれを、少年はまるで初めから決められた動作ででもあるかのように、こなしていく。

「一番を決めて、それ以外の全部が消えて、だから世界は細く細く、尖っていく。
 そうしていつか、世界の可能性の全部を乗せたキミの重みを支えきれずに、折れるのさ」

細い棒を手折るような仕草で薄く、暗く笑って、ひらひらと軽く手を振る。

「それで、終わり。やり直し。たったひとりだけが残って、もう一度初めから、ね。
 それだけさ。それだけが、僕たちが長い時間をかけてようやく見つけた、たったひとつのやり方。
 世界を苦しめずに、どうしようもない時代を生きて苦しむ人間を出さずに、今を終わらせる方法なんだ」

言い放って、名雪を見据え、頷く。

604終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:19:20 ID:AA.5FDBE0
「うん、そうさ。その通り。
 キミの覚えている、あの最初の世界―――あの滅亡は、キミがいたから引き起こされたんだ。
 たったひとり生き残った、生き残らされたキミの持つ可能性に耐えきれずに」

名雪は、沈黙を保っている。
僅かな間を置いて、少年が薄昏い笑みを、静かに深める。

「嘆く必要なんてないさ。キミは世界を救ったんだ。あれ以上にひどくなる前に。
 それは、在り続けたいと願っただろうさ。世界も、そこに生きる命もね。それが本能だ。
 だけど、駄目なんだ。病んだまま在り続ければ、苦しむのは彼らなんだから。
 苦しんで、苦しんで、やがては在ることを、在り続けたことを、これまでに在ったことを悔み出す。
 幸せであったはずの時間も、健やかで、穏やかで、輝いていたはずの時間も、忘れてしまったみたいに。
 それは、とても不幸なことさ。とても、悲しいことさ。だから、そうなる前に終わらせなくちゃいけない。
 そうしてまた初めから、幸せな時間をやり直すんだ。ずっと、ずっとそうしてきたように」

細く、息を吐く。
視線を上げて夜空を見上げ、それから足元にどこまでも拡がる白い花の海を見下ろして、
再び名雪を見つめる。

「それを悪と、断じるかい。それを愚かと、笑うかい。水瀬名雪は、繰り返す者は、僕を」

そうして言葉を切り、少年は口を閉ざす。
沈黙が、降りた。
名雪は、動かない。
緋色の月光と、純白の海原と、琥珀色の視線に包まれて、名雪は立っている。
立って、ただ真っ直ぐに見つめる少年の瞳を見返して、水瀬名雪はそこに在った。

605終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:20:02 ID:AA.5FDBE0
「―――」

沈黙が凝集する。
月光が結晶する。
純白が昇華し久遠を封じたような琥珀がその内圧に耐えかねて微かに揺れた、その刹那。
ただ一言。

「―――どうして」

ただ一言が、放たれていた。
遥かな星霜を経て老いさらばえた少女の口から紡ぎだされたそれは、あらゆる色を閉じ込めたような、黒。
黒の一色を以てのみ表せる、一粒の言の葉。
それは追及であり疑念であり、詰問であり呵責であり、問責であり審問であり査問であり、
或いは面詰であり非難であり、指弾であり弾劾であり、嘲罵であり軽侮であり侮蔑であり、
懐疑であり猜疑であり疑義でありそのすべてでもあり、そして既に、問いですらなかった。

「……、」

反射的に何かを、どこか常には見せぬ奥深くから湧き上がった何かを言い返そうとでもしたように
口を開きかけた少年が、しかし僅かに首を振り、代わりに重く澱んだ息を吐いた。

「どうして? どうしてだって?
 ……決まってる、生まれるためさ、僕が、僕たちが」

告げた言葉に、揺らぎはなく。
しかし、そこには込められた力もまた、ない。

「幸せな世界に、病み衰えない世界に生まれて、幸せになりたいんだ、僕は。僕らは。
 それだけを願ってる。願ってきた」

ひどく掠れた、声。
とうの昔に住む者を失った廃屋の、荒れ果てた一室に忘れ去られた壁紙が、時を経て黄ばんでいくような。
触れれば脆く崩れそうなほどに乾ききった、それは声音だった。
どこか遠くを見ていた琥珀色の瞳が、

「だけど」

すう、と翳る。

「それも、もう終わりだ」

午睡の安らぎを、黄昏の朱が染めるように。
夜を告げる色が、その瞳を満たしていく。

606終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:21:37 ID:AA.5FDBE0
「足元を見てごらん。キミの周りを見てごらん」

そこには花が咲いている。
風に揺れ、しかし散ることもなく咲く、純白の花。
儚げで可憐な、白い、白い花。

「病んだ世界は、それでも望むんだ。在り続けることを。
 いつか、老いの辛さも、病みの苦しみもなくなって、ただ穏やかに在れると、信じているから。
 だから、終わる世界は夢をみる」

花は、一面に咲き誇っている。
緋色の月の下、どこまでも、どこまでも。

「終わらずに在り続ける、ただそれだけを祈るような、夢」

降り積もる雪のように。
或いは、万物に等しく眠りをもたらす、冬の灰のように。

「夢をみながら、キミたちの重みに耐えきれずに、世界は終わっていく。
 だからそれは、種を残すんだ。夢をみる種を」

白く、白く、ただ白く、大地は覆われている。

「終わりたくはなかったと、永劫を在り続けたかったと叫ぶ、純白の花を咲かせる種さ」

月下、咲くのは。

「そう、」

白い、白い花。

「この花の一輪、一輪が嘆きなのさ。終わる世界の悲しみだ。終わった世界の苦しみだ。
 その結晶が、この花だ。この地に咲く、僕の力の源だ」

さわ、と。
風に揺れて泣く、純白の群体が。
水瀬名雪を、囲んでいる。

607終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:22:16 ID:AA.5FDBE0
「キミの殺した、これが世界の詠嘆さ。受け止めてみせてよ、可能性」

さわ、さわ、さわ、と。
白の海原が泣く。
嘆きの音が、夜空を包んで揺り動かす。

「贖いを求める声を」

さわ、さわ、さわさわさわと。
花が、泣く。
泣いている、はずだった。
それは、ただの一輪であれば、微風に揺れる可憐な花でしかない。
ただ静かに、密やかに、散ることもなく赤い月を見上げるだけの花。
しかし、風に啜り泣く白い花は幾千幾万、否、幾億を超えて、見渡す限りを埋め尽くすように、
大地を純白に染め上げている。
無限をすら思わせる嘆きの重奏は、互いに重なり合い、混ざり合ってぐねぐねと捻じ曲がり、
次第に別の貌を見せていく。

「救いを求める祈りを」

さわ、さら、さわ、ざわ、ざら。さら、さわ、ざら、さら、ざら、ざらざらざら。
ざら、ざらざらざら。ざらざらざら。ざらざらざら。ざらざらざら。ざらざらざら。
既に風は、やんでいる。
それでも音が、止まらない。
彼方に吹く風に揺れているのか。
或いは、嘆きの音のそのものが、隣り合う花々を揺り動かしているものか。
いずれ、音は、聲は、止まらない。
純白の水面を覆う嘆きは、今やどこか、嘲うような聲にも似て、緋色の月光をひりひりと焦がしていた。

608終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:22:34 ID:AA.5FDBE0
「安らぎを求める、切なる願いを」

月光を捻じ曲げて、花々は泣いている。
大気を磨り減らして、花々は嘲っている。
歪む。音に満ちて、夜空が歪む。
歪む。歪に満ちて、大地が歪む。
嘲う。嘆く。花が嘲う。花が嘆く。
嘲う。嘲う。嘲う。嘲う。嘲う。
歪みが歪みを生み出して、歪みに生み出された歪みが歪みを歪めていく。

「これが―――終わる世界さ」

純白の海原が荒れ狂う。
大気を歪める音は散らぬ花弁を波濤と変え、波濤は刃となり槍となり、宙を吹雪くように舞う。
漆黒の夜空が融け落ちる。
月光を歪める音は星ひとつない空を押し潰し、引き伸ばして隙間を作り、隙間から漏れた光で星を造った。
宙を舞う槍が空を刺し、吹雪く刃が天を突く。
突かれた星が魂消たように走り出し、天球を駆けて隣の星を衝き動かす。
隣の星がそのまた隣にぶつかって、星の散乱は瞬く間に夜空の全部に拡がっていく。
漆黒の空は幾つもの刃と槍とで切り裂かれ、その度に生まれたばかりの星々が犇めき合って、
そうしてその中心に、月が口を開けていた。
赤い月は、穴だった。
真黒い玉突台に空いた、大きな赤い、暗い穴。
夜空の真ん中で、蠢き犇めく星々が押し出されてくるのを、じっと口を開けて待っている、
そのうすら赤いぼんやりとした月に、次から次へと光の粒が飛び込んでいく。
星を呑んで、光を喰って、月が大きくなっていく。
血を啜る蛭の、醜く肥え太って赤く膨れるように。
赤い月が、星を啜って、夜空を齧って、膨れ上がっていく。
ぼってりと、赤く、紅く、緋く、真円を描いて、月が、空を覆っていく。

「―――」

ざらざらと音が満ちる。満ちる音が空を歪める。
歪んだ空に浮かぶ月が、ぎょろりと目を向いた。
もう、夜空は見えない。赤い、紅い、瞳だけが、
じい、と見つめている。音が、嘆き、嘲う音が、
海原と瞳と、白と赤を、歪め、撓め、拡散する。
瞳はいまや、牙だった。顎の開き、閉じる如く。
瞬きが、大地を喰らう。純白を一息に呑み込み、
月の瞳の顎に呑まれて、音が、嘲い、嘆く聲が、

―――消えた。


***

609終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:22:59 ID:AA.5FDBE0
***


月と、花と、音と、空と瞳との只中で、水瀬名雪は目を閉じていた。
恐怖の故にではない。
無論、諦観の故でにも、まして絶望の故にでも、なかった。
それは、確信の故にである。
そしてまた同時に、それはある種の恐怖と、諦観と、絶望を伴う確信でもあった。
無限に近い詠嘆の嵐の中で、名雪は己が確信の否定されるのを希求し、またそれが叶わないことを理解していた。

救われるだろう、と。
そう思う。
無限に近い有限の嘆きは、救われてしまうだろう。
それが、救われぬものという存在の、定義だ。

ただ一言を、告げさえすれば。
否、口にする必要すら、なかった。
ただ願えば。祈れば。求めれば、それは叶うのだ。

そうして、気づく。
救われぬと。
報われぬと嘆きながら、生き続けてきたのは。
水瀬名雪が、それを願わなかったからだ。
願えば、叶っただろう。
祈れば、救われただろう。
求めれば、報われただろう。

それをしなかったのは、何故だろう、と。
問いかけても、自身の内から返る答えの、あるはずもない。

きっとそれは、意地とか矜持とか、そういう風に呼ばれるものだ。
これほどに摩耗し、鈍化し、錆びついてなお、水瀬名雪の中に屹立し続けた、ただ一本の細い柱。
この世の果ての只中の、その一番の奥底でなお、水瀬名雪を阻むもの。

610終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:23:22 ID:AA.5FDBE0
だけど、と。
音の消えた世界の中で、名雪はほんの僅か、笑う。
それは、古びた鍵を手に、自らの足枷を眺める年老いた女の、力ない笑みだ。
己が手で己自身を律する恐怖と、昨日と違う明日が訪れることへの怯懦と、
幾枚かの小銭だけを蓄えた壺と、虫の涌いた埃だらけの布団を置いた寝台と、
晴れ渡った青い空の広がる小窓の向こうとを順に見つめて、なおじっと動かない奴隷の、
逡巡と悔悟と、追憶と追想と夢想とが入り交じった、笑みだ。

―――ああ、ああ。
もう、意地を張るのも、疲れた。

力なく笑んだまま、希望ではなく摩耗から、幻想ではなく鈍化から、
水瀬名雪は、己が心の中にある、細い柱を、そっと押す。
鍵穴に差し込まれた真鍮の、拍子抜けするほどあっさりとした小さな音を立てるように、
柱が、崩れた。

611終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:23:42 ID:AA.5FDBE0
「救われなかった世界と、人はいう」

それは、ただ、眠っていた。
眠っていただけだった。

「違う」

それは、消えない。
それは、滅びることもない。

「それは、その力を持つ者の前にあって、名を変える」

誰に知られることもなく。
誰に惜しまれることもなく。

「救われるべき、世界と」

ただそれが、求められるそのときを、待っている。
その名を呼ばれる、その時を。

「簡単なんだ、そんなことは」

その名を呼ばれるとき、錆は剥がれていく。
その力を求められるとき、煌きは、蘇る。

「私の好きな人なら」

それは、黴の生えた襤褸を纏った、みすぼらしい老人だ。
或いは、取り立てて見るべきところのない、凡庸な青年だ。
また或いは、教養もなく毎日の労働に追われる、無力な女でもあった。

しかしそれは、それを求める者の目には、ただ貴く、雄々しく、誇らしく映るのだ。

それは、そうであらねばならぬとき、この世で最も美しく刃を捌く剣の遣い手であれた。
それは、そうであらねばならぬとき、この世で最も速く空を翔ける天馬の騎手であれた。
それは、そうであらねばならぬとき、この世で最も高らかに正義を謳い上げる、最後の砦であれたのだ。

だから、告げる。
ただ一言、その名を。

「―――たすけて、祐一」

称してそれを、救世主という。



***

612終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:24:01 ID:AA.5FDBE0
***



そして彼は、蘇る。



***

613終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:24:26 ID:AA.5FDBE0
***


白銀の鎧があった。
量販店の棚に山と積まれた、安っぽいフリースのジャケットがあった。

悠久を凍りつかせたような、紫水晶と同じ色の瞳があった。
悪戯っぽい、どこか幼さの抜けぬ黒い目がぼんやりと開かれている。

冬の空の月光を紡いだような銀色の髪が風に靡いていた。
教師の目に止まらぬ程度にほんの僅かに脱色された濃茶色の、無造作な髪だ。

その背には翼が生えている。
三対六枚、磨きあげられた鏡のような銀の翼は、誰にも見えない。

美しい、それは少年だった。
青年へと移り変わる時期の奇妙な歪さを湛えた、道行く者の誰ひとりとして振り向かぬ、そんな少年だ。

それは、救済のためのシステムだ。
それは、ただそこにあるだけのものだ。

それは、相沢祐一という。
それを、相沢祐一という。

そして彼の前に、月も星も、夜空の隙間も純白の嘲う海原も、
何もかもが、沈黙した。

614終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:25:10 ID:AA.5FDBE0
相沢祐一は、大地を呑み込んだ月の瞳と、呑み込まれた花々の咲き乱れる大地とを無視して、
ただひとり、そこに立っている。

立っているから、そこには大地があった。
大地があるから、それは月に呑み込まれてはいなかった。
大地を呑み込んでいない月は、ただ天空の彼方に赤く浮かんでいる。
天空に浮かぶだけの月は、だから瞳などではなく。
そこはただ、月下の花畑でしか、ない。

何もかもが、かくあれかしと定められたままにそこにあり、故にそこには三つの影が、
緋色の月光に照らされて、立っている。

ざあ、と。
風に揺れる花々を見渡して、

「……、道化め」

と、琥珀色の瞳の少年が、吐き棄てる。
相沢祐一は黙して立ち、答えない。
水瀬名雪もまた、口を開こうとはしなかった。
ただ僅かに微笑を浮かべながら、祐一を見つめている。
優しげで、切なげで、悲しげで、誇らしげな、それは微笑だった。

「……錆び付いた剣。ノイズ混じりのロジック。
 そんなものが今更出てきて、何になるというんだい」

名雪の表情に、僅かに眉根を寄せながら少年が言う。
興を削がれたとでも言いたげな声音。

615終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:25:42 ID:AA.5FDBE0
「水瀬名雪。ねえ、今やキミは世界で一番の可能性のひとつなんだ。
 もうこんな時代遅れの張りぼてより、よほど大きな存在なんだよ。
 知っているだろう? これはもう、自分が何であるのかも分かっていない。
 自分の姿も保てない。自我だって、あるかどうかも分からない」

横目で相沢祐一を睨みながら、少年が続ける。

「これはただのシステムさ。もう駄目になったシステムでもある。
 一度限りの緊急避難くらいには使えるかも知れないけどね。それだけさ」

ぼんやりと輝き、ぼんやりとその輪郭を薄れさせ、ぼんやりと美しく、ぼんやりと凡庸に、
ただ立ち尽くしているような相沢祐一を、ひどくつまらないものを見たとでもいうように
小さく首を振り、溜息をついてから、少年は告げる。

「消えろ。お前なんか―――必要ない」

それは、崩壊の合言葉だった。
かつて完全であったもの、かつて瑕疵なく在ったものを容易く滅ぼす、ただの一言。
請願に呼応し救済を希求する、その存在意義が故の陥穽。
純粋な否定は、転移する癌細胞のように、相沢祐一を規定する要素を侵食し、破壊する。
果たして、少年の言葉が響くと同時。

「―――」

立ち尽くしていた相沢祐一の、時が止まる。
風に靡いていた銀色の、或いは濃茶色の髪までが、精緻な彫像の細工であるかのように凍り付いていた。
言霊が染み入るように、相沢祐一から色が失せていく。
紫水晶の、或いは飾らぬ黒い瞳が、白銀の鎧が、或いはありふれた上着が、誰にも見えない、
或いは誰の目にも鮮やかな三対六枚の翼が。
まるで世界から祐一を包む空間だけが彩度を失ったように、そのすべてが、薄暗い灰色へと変じていく。
ゆらり、と揺れたのは相沢祐一の身体だ。
否、祐一自身は未だ指の一本、髪の一筋すら動かしてはいない。
揺れたのは、その輪郭だった。
水に落とした飴玉の、ゆらゆらと溶けてその形を失っていくように。
相沢祐一の全身が、大気との境界線を揺るがせていた。
薄れ、揺らぎ、透き通り、混じり合い、融け合って、相沢祐一という存在の輪郭そのものが、
緋色の月光に満たされた大気の中に流れ込んでいく。
喪失と崩壊とが、止まらない。
それは紛れもなく相沢祐一がこれまでに何度も辿ってきた、消滅へと至る過程だった。

616終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:26:24 ID:AA.5FDBE0
「……さあ、邪魔者は消えるよ。続きと行こうか、水瀬名雪」
「……」

向き直った少年の、視線の先。
水瀬名雪はしかし、少年を見やりすらしない。

「……、何がおかしい?」

眉根を寄せたのは少年だった。
微動だにせず相沢祐一を見つめる、水瀬名雪の表情。
ただじっと視線を向けたその顔には、微笑だけが浮かんでいる。
相沢祐一の顕現したときと、まるで変わらない微笑。
滅びゆく姿を見つめる笑みでは、なかった。
つられるように祐一へと視線を戻した少年の表情が、険しくなる。

「……!? どういう……」
「無駄だよ」

水瀬名雪の、静かな言葉。
二対の視線の前で、相沢祐一に、変化が現れていた。
崩れゆく灰色であったはずの、その身体。
薄れかけた色彩が、夜の明けるように鮮やかに、彩りを取り戻そうとしていた。
色の戻るのと、歩調を合わせるように。
全身の崩壊もまた、止まっていた。
ゆっくりと、引いた波が寄せるように、輪郭がその境界線を取り戻していく。

「無駄なんだ」

白く長い指先の、吹き抜ける風の愛撫を受けるままに立つ相沢祐一を見つめながら、名雪が言う。
その眼前、銀色の翼が、夜空を裂くように蘇っていく。

617終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:27:15 ID:AA.5FDBE0
「祐一は、消えない。そんな言葉なんかに、負けたりしない」
「……っ!」
「だって、ここには」

気色ばむ少年を無視するように、名雪が両手を広げて周囲を見渡す。
そこには、

「祐一を必要としている世界が、こんなにも、あるんだから」

白い、白い花々が、咲き乱れている。
ざあざあと泣く、純白の海原が、相沢祐一を押し包むように、拡がっている。

「―――」

すう、と。
深紫色の瞳を虚空に向けたまま、花々のざわめきに身を任せるように立ち尽くしていた祐一が、
音もなく唐突に、その場に跪いた。
片膝をつき、屈み込んでその指を伸ばした先に、一輪の花がある。

「……つまらないことを」

呟いた少年に、笑みはない。
その瞳には蔑みと嘲りとが、ありありと暗い炎を燃やしている。

「言ったろう、その花の一輪が、終わった世界の結晶だって。
 周りを見なよ。それが幾千、幾万……どれだけあると思ってる?
 無限の世界、その命すべての嘆き、哀しみ、苦しさ、寂しさ―――。
 そんなものに、勝てるはずがない」

吐き棄てられた少年の言葉にも、名雪は錆び付いた微笑を崩さず、ただ一言を返す。

「勝つんじゃない。救うんだ」

618終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:27:40 ID:AA.5FDBE0
その声が静かな風に融けるのを、合図にしたように。
相沢祐一が、白い花に、触れる。
手折るでもなく、千切るでもなく。
微かに揺れる純白の花を、愛撫するように。
甘やかに、その手で包む。

「私は知ってる」

水瀬名雪の見つめる、その眼前。
まるで祐一の手に、その身を委ねるように。
白い花が、薄緑色の細い茎ごと、抜ける。

「本当の愛を、そんな風に呼ばれるものを見せてくれる、世界でたったひとりの人」

ずるりと抜けた薄緑色の茎には、奇妙なことに、根がなかった。
引き抜かれた大地に、根の残っているでもない。
まるで切花が一輪、大地に挿されていたように、その白い花は咲いていたのだった。

「幾千の嘆きも、幾億の悲しみも、たとえばそれが、無限にあったとして」

ぽたり、と。
垂れ落ちるものがあった。
地に埋もれていた細い茎の、切り取られたような断面。
そこから、ぽたり、ぽたり、ばたばた、と。
次第に勢いを増しながら垂れ落ちるのは、赤い、赤い汁だった。
黒みがかった赤褐色は不透明で、粘ついていて、どろり、ばたばたと。
まるで鮮血のように、止め処なく、流れていく。

「そんなものは、関係ない。関係ないんだ」

619終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:28:02 ID:AA.5FDBE0
その手から溢れ、腕に伝って白銀の鎧を染める深紅の液体を、ほんの一瞬見やって、
相沢祐一が、その白い花に、顔を寄せる。
捧げ持った花を、そっと抱きしめるように、いとおしむように。
純白の花弁に、唇を重ねた。

「祐一は、救うんだ。全部を」

赤く、紅く、血のような汁が垂れ落ちて、祐一の胸を、脚を、その身体を汚していく。
それにも構わず、相沢祐一は白い花弁へと口づけたまま、じっと花を抱きしめている。
ばたばたと、はたはたと。
流れ落ちる真っ赤な汁に、混じるように。
はたはたと、はらはらと。
一枚の花弁が、舞い落ちた。
それを、追うように。
花が、散る。
散って、舞い、緋色の月光に手を振るように、消えていく。

「―――」

祐一の唇に触れていた、最後の一枚が散るのと同時。
血のような汁も、止まる。
ただ細い葉と小さな萼だけを残した、薄緑色の茎を、祐一がそっと大地に置く。
置いて立ち上がった、その全身は深紅に染まっている。
返り血を浴びたように、或いは深い傷を負ったように、鮮血のような紅に染まって、
祐一がほんの一歩、足を踏み出す。
そこには、次の一輪が、待っていた。

620終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:28:29 ID:AA.5FDBE0
「そんな……」

少年の戸惑ったような呟きは、相沢祐一を止められない。
ゆっくりと膝を折った祐一が、純白の一輪を手にとって、抱きしめる。
やさしい愛撫とやわらかい口づけと、流れ出す血を浴びてなお翳りなく、嘆く世界を抱く姿と。
寸分の違いもなく繰り返される光景の最後に、白い花が、風に舞う。

「散っていくぞ、花が。救われていくぞ、世界が」

水瀬名雪の、謳うような声が響く。
そこに、流れる時はない。
緋色の月光に照らされた純白の花畑を、歩み、跪き、穢れに染まる救世の徒の前に、
時の流れの如きは、その意味を失う。
幾百の嘆きがただの一瞬に散り、たったひとつの純白の詠嘆は永劫を以て空に舞う。
幾千と、幾万と、ただのひとつと刹那と久遠とが、相沢祐一の歩みの前に凝集していた。

「やめろ……無理だ、無理なんだから……」

白い、白い花が舞う。
怯えたように手を伸ばす少年に背を向けるように、相沢祐一の行く先で、花が泣き、世界が嘆き、救われる。
救われて、いく。
純白の海原に舞う、白い花弁は波濤だった。
波濤は泡沫のように空へ舞い上がり、漆黒の夜空を、緋色の月光を、白く、白く侵していく。
可憐な白が、空と大気とを焦がし、その有り様を、塗り替えていく。


***

621終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:28:58 ID:AA.5FDBE0
 
「やめて……やめてよ……」

息の詰まるような白に包まれて、少年の声は力ない。
花の海原は、既に見えない。
舞い上がり、雨のように、風のように大気を押し包む純白は、果て無く続くはずの花畑の、
その果てまでが散る如く、闇を染め上げていた。
夜はもう、終わろうとしていた。
終わる夜に浮かぶ月は、夕暮れの公園に取り残された子供のように物悲しく、痛ましい。

「待ってよ……こんなのは、違うだろう……?」

ふるふると首を振って、白い闇の中、少年が両手を広げる。
眼前に立つ水瀬名雪に向かって、震える声を張り上げる。

「これは、最後の戦いなんだ……僕の、僕たちの、最後の戦いなんだから……!
 こんな風に、こんな、こんなの……だめだよ、ちゃんと、ちゃんとやらなきゃ……」

言葉にならず、それでも絞り出された声に、水瀬名雪がほんの一瞬、目を向ける。

「……、」

何かを言おうとして口を開きかけ、しかし、すぐに視線を少年から外す。
見やった先、水瀬名雪に向けて歩む、姿があった。
それきり名雪が、少年を見ることは、なかった。

「これで終わりなんだ! これが最後なんだ!」

叫ぶような声も、届かない。

「もっと、もっと遊ぼうよ! ずっと、ずっと!」

伸ばす手に、差し伸べられる指はなく。
水瀬名雪はただ一人、相沢祐一だけを、見つめていた。

「待って……待って!」

月が、赤い月が、夜を吸い上げるような純白に覆われて、欠けていく。
緋色の月光も、救われた世界の欠片に掻き消されて、少年には、届かない。


***

622終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:29:34 ID:AA.5FDBE0
 
「―――」

三歩の距離が、二歩になり。
二歩の距離が、一歩を埋めて。
そうして二人が、向かい合う。

大地に咲く花は既になく。
嘆く世界の、終わった世界のすべては、救われていた。

それで終わりなのだと、水瀬名雪は理解していた。
救世という、その一点だけが相沢祐一という概念だと、ならばそれが終わった今、
相沢祐一は存在を赦されないのだと、正しく認識していた。

だから、気付かなかった。
相沢祐一が眼前に立つのは、別れを告げに来たのだと、そう考えていた。
諦念と摩耗とが、水瀬名雪にそれを許容させていた。
それは何度も繰り返した絶望で、或いは幾度も乗り越えた終焉で、それだけでしかないと、
ただ、もう次がないと、それだけのことでしか、なかった。

だから、気付けなかった。
相沢祐一が、その手を伸ばすまで。
伸ばされたその手が、自らの胸に、そっと触れるまで。
そこに咲く、小さな白い花を、やわらかく撫でるまで。
そうして、その胸に咲いた花ごと、水瀬名雪を抱きしめるまで。

623終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:29:49 ID:AA.5FDBE0
「そう、か―――」

驚きはなく。
戸惑いもなく。
ただ、安らぎと、喜びだけが、あった。

「終わるんだね―――ようやく。
 好きな人の手で、私は、終われるんだね」

消えていく。
吐息を感じるような距離の向こうで、紫水晶の色が消えていく。
冬の月のような銀色も、輝く鎧も、煌く翼も消えていく。

そこにある。
凡庸で、悪戯っぽい黒い瞳が、そこにある。
ほんの少しだけ色を抜いた無造作な髪と、飾り気のない安っぽい服と、そうして、それから。
そこには、温もりが、あった。

「ありがとう―――祐一」

最後には、口づけを。
終わらない世界の、繰り返す時間の終わりには、ただ、愛しさだけが、あった。

小さな、白い花が。
音もなく、散る。




******

624終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:30:36 ID:AA.5FDBE0
 
 
 
咲く花は、既にない。
白く舞う花々は空に融け、漆黒を取り戻した夜が寒々と闇を湛えている。
どこまでも広がる茫漠たる大地が支えるのは、たったひとつの影だった。

「……どうして」

影が、呟く。
誰にも届かない呟きは、やがて地に落ち、染みていく。
吹く風に揺れる白の海原はなく。
嘆く声も、聞こえない。

音のない荒野で、少年が聞くのは、だから、声だ。
耳朶を震わせる音ではない。
かつて聞き、そしていつまでも少年の奥底の伽藍洞の中を響き続ける、消えない声だ。
永遠と久遠とを共に在り、これから迎える最後の時を、長い長い煉獄を、手を携えて見届けるはずだった、
幾つもの声だった。


―――余は、翼がほしい! この空を越えて、どこまでも飛べる翼が!

 ―――来てみれば、わかる……ってさ。

―――手をのばせ、こんちくしょー!

 ―――あたしの本当の名前を呼んで。そうしたら―――

―――ねえ、わたしたちは、きっと、ずっと、もっと、もっと―――


声はもう、内側にしか響かない。
去った者と、振り向かぬ者と、応えぬ者と。
繋ごうと伸ばした手の、届くところには誰もいない。

625終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:31:02 ID:AA.5FDBE0
「待ってよ」

力なく見上げて呟く声は、虚しく空に消えていく。

「そんなの、ないよ」

見上げた夜空には、星のひとつもない。
ただ取り残されたように、細い、細い、糸のように痩せ細った赤い月が、
ぼんやりと、浮かんでいる。

「僕を、置いていかないでよ……」

終わる世界の嘆きを統べた、無限の力も。
永劫を超えて辿り着いたはずの、最後の好敵手も。
誰も、いない。
何も、ない。
だから、

「―――ようやく、見つけた」

何もかもを失くした少年が、
夜明けの稜線に沈む月のように、ぼんやりと振り返って、その琥珀色の瞳に映った、
二つの影に向けて浮かべたのは。
縋るでも、疎むでもない。
薄く、薄く、ただ一欠片の失意だけを、滲ませた。
色のない、笑みだった。

626終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:31:20 ID:AA.5FDBE0

【時間:すでに終わっている】
【場所:最果て】


少年
 【状態:―――】


天沢郁未
 【状態:―――】

鹿沼葉子
 【状態:―――】


相沢祐一
水瀬名雪
 【状態:消滅】

→693 924 1068 1103 1106 1110 1113 1115 ルートD-5

627/死:2010/02/06(土) 04:26:54 ID:D/ovS9dk0
 
******




血。
血だ。
生温くて、どろどろとして、ひどくいやな臭いのする、それは血だ。

止め処なく溢れ出すそれを見て、思う。
これは、僕の身体の中に、流れていたものじゃない。
だってそれはきっと、もっと綺麗なものであるはずだった。
それは命を支えてくれるものだ。
それは僕を満たしているものだ。
それがこんなに、いやなものであるはずが、なかった。

だから、それはきっと、汚れてしまったのだと思う。
僕の中に何かとても厭らしい、不潔なものが入り込んで、僕を濁らせている。

いま流れているのは、だからそういうものだ。
僕の中の汚いものが、だくだくと、だくだくと流れ出している。
痛みはない。うるさい声も、もう聞こえない。

ぼんやりとした眠気の中で、汚れてしまって、濁ってしまって、いやな臭いのするようになった
気持ちの悪い血がだくだくと、だくだくと広がっていくのを、僕は、ただじっと見つめている。




******

628/死:2010/02/06(土) 04:27:16 ID:D/ovS9dk0
 
 
 
「……ああ、天沢郁未か」

それは呟くような声だ。
目の前に立つ人影に向けているようで、しかしその実はどこにも向けていないような、
独り言じみた呟きが、少年の口からは漏れている。

「突然で、それからとても残念な話なんだけど」

掠れた声は、星のない夜空に吸い込まれるように消えていく。
暗く、重く垂れ込める空は波立つこともなく、ただ乾いて剥がれる薄皮のような声を受け止めている。

「キミが捜してるのは、僕じゃないよ」

笑みの形に歪んだ口元に、表情はない。
感情も、情念も、そこにはない。
色と温度のすべてをどこかに置き忘れてきたような顔で、少年がぼそぼそと続ける。

「彼はもう、どこにもいない」

漏れ出す言葉はだから、真実の色にも、虚構の色にも染まってはいない。
淡々と、録音された音声を繰り返す壊れた機械のような声には、ただそれだけの意味しかない。

「知ってるだろう、あの夜に死んだんだ」

あらゆる装飾を廃して意味だけを固めたような、それは言葉だった。
路傍の石の如く無価値で、牢獄の鉄格子ほどに無遠慮で、死に至る老人のように無彩色な、言葉。

629/死:2010/02/06(土) 04:27:37 ID:D/ovS9dk0
「……ああ、そうだ。何なら代わりを造ってあげようか」

触れれば砕けて粉になる、木乃伊の浮かべるのと同じ形の笑みを口元に貼りつけて、
少年が小さく頷く。

「そうだ、それがいい。キミがずっと捜していた、彼だよ」

いい考えだと呟いて、答えのないまま頷いて、不毛の大地に目を落とす。
どこまでも拡がる赤茶けた土の上には、枯れ果てた草の細い茎が無数に横たわっている。

「似たようなものなんかじゃない」

ほんの僅かに踏み出した、その足の下で枯れ草が折れて乾いた音をたてる。
かさかさと耳障りな、少年の声音と同じ音。

「寸分違わず同じものを、キミにあげよう」

枯死の音を口から漏らしながら、少年は薄く力ない視線を、眼前の影に向ける。
向けて、すぐに目を逸らした。

「だからもう、帰ってくれ」

視線を合わせぬまま、深々と息をついて、少年はようやくにそれだけを、呟く。

「疲れてるんだ」

呟いて、首を振る。

「僕をひとりにしてくれ」

俯いたまま、何度も、何度も。

「僕はもう、ここでずっと、」
「―――知ってたよ、そんなのは」

どこまでも沈み込んでいきそうな少年の言葉を遮ったのは、真っ直ぐに斬り込むような、声音だった。
天沢郁未が、口を開いていた。

630/死:2010/02/06(土) 04:27:59 ID:D/ovS9dk0
「あいつは死んだ」

微かに射す緋色の月光の中、その姿は乾いた血糊に抱かれて、どこまでも暗い。
傍らに立つ鹿沼葉子もそれは変わらず、しかし共通するのは、その瞳であった。
星もなく、浮かぶ月も細く弱々しい夜空の下、二対の瞳は闇を蹂躙して輝いている。

「死んだんだ。誰が何を言ったって、私だけは疑えない。疑っちゃいけない」

纏った襤褸も、露出した肌も赤黒く染め上げて、しかし凛と背を伸ばし、
郁未は微塵の揺らぎもなく死を口にする。

「それを、私は感じたんだから。感じられたんだから」

言って、笑む。
愉ではなく、悦でもなく。
哀を割り砕いて充足と宿望とで月光に溶いたような、笑み。
何かを求める笑みではない。
何かを味わう笑みでもない。
ただ、終わった時間を、流れ去った何かを懐かしく思い出す、そんな笑みだ。

「だから分かるよ。あんたがあいつじゃないってことくらい」

静かに、風が吹き抜ける。
空に流すように、郁未が笑みを収めた。
収めてしかし、瞳はぎらぎらと輝きながら少年へと向けられている。

「だけど、来たんだ。だから、来たんだ」

左手には長刀を、右の手は拳を握り込んで。
少年を射竦めるように見据えながら、郁未が言い放つ。

「夜をぶっ飛ばしに」

631/死:2010/02/06(土) 04:28:22 ID:D/ovS9dk0
幽かな月光を反射して光った長刀の刃が、ぐるりと回る。
緋色の弧が、大地を向いて止まった。

「私と、あいつと、私たちにとっては、もう終わった夜に」

振り向かず掲げた柄に、かつりと硬い音。
傍ら、金色の髪が靡く。
鹿沼葉子の持つ鉈が、郁未の長刀に小さく打ち合されていた。

「そんなものに、まだしがみついてるヤツがいるんなら、私が、私たちが、
 教えてやらなきゃいけないから―――」

もう一度、小さな音。
郁未からも、得物を打ち合わせて。
視線は少年に向けたまま、しかし呼吸は寸分違わぬ確信をもって、手にした刃を、振り下ろす。

「だから、来たんだ」

一対の刃が、大地を突き穿ち。
風が、声を運ぶ。

「もう一度、ここへ」

突き刺さった長刀から手を離し、郁未が深く息を吐く。
ほんの半歩踏み出して、残りの距離は十歩分。
手を伸ばしても、まだ届かない。
届かなくても、刃を離したその手には、差し伸べるだけの、空きがある。
だから更に一歩を進んで、

「―――!」

しかし踏み込んだのと同じだけ、僅かに一歩を後ずさった少年の、琥珀色の瞳がほんの一瞬、
郁未を見返して、再び弱々しく逸らされるのに、足を止めた。
溜息を一つ。
沈黙は二呼吸分。
それから大きく息を吸って、何かを言おうと見上げた空に、薄ぼんやりと細く赤い月が浮かんでいた。

632/死:2010/02/06(土) 04:28:49 ID:D/ovS9dk0
「……ああ、何だ、そっか」

それを見て、拍子抜けしたように郁未が呟く。
溜めていた言葉は、どこかに置き忘れたようだった。

「あのときの、あれも」

細い、細い、赤い月の欠片。
一つの物語が終わった夜の、その最後に見た、真実。
真実というネームプレートを下げた大根役者が、夜空にぽつりと浮いていた。

「結局、あんただったんだね」
「……それは、そうさ」

呆れたように視線を下げた郁未の眼前、少年が頷きもせずに答えていた。
力なく赤茶けた地面を見下ろしながら、ひどくつまらなそうにぼそぼそと声を漏らす少年の、
銀色の髪の先が風に揺れて薄い月光を掻き毟る。

「ただの人間が、僕をどうにかできると思ったのかい」
「まあ、頑張れば」
「……」

事もなげに言ってのける郁未に、少年が絶句する。

「……そもそも僕は、僕たちじゃない」

降りた沈黙を埋めるように言葉を継いだ少年の声音には、僅かに呆れたような響きがある。
水底に沈む船から漏れた泡沫のように儚く幽かな、それはしかし、少年が郁未たちと向きあってから
初めて見せた、感情と呼ばれるものに近い何かの萌芽でもあった。

「僕は、僕さ。ずっとここにいる僕だけさ。捕まる『種族』なんて、どこにもいやしないんだ。
 いるとしたらそれは、僕が望んで提供した人形だよ」

言葉が、言葉を引きずり出す。
そして心もまた発した言葉に手を引かれるように、琥珀色の瞳に、ほんの少しづつ光が宿っていく。

「世界は人の塊だ。人を動かせば世界は変わる。そういう意味で教団は有用だった。
 君たちという可能性を生み出したんだ。そこにいるだけで世界を変える、大きな物語を」

少年の瞳が、天沢郁未と鹿沼葉子を、映す。
映し、怯んで、しかしついに逸らすことなく、二対の視線を、見返した。

633/死:2010/02/06(土) 04:29:13 ID:D/ovS9dk0
「キミたちの力……不可視の力とキミたちの呼ぶそれは、元々は僕の力だ。
 教団はそれをキミたちに……正確には人間に、広めるために存在したんだよ」
「……だけど、FARGOはもうない」

向けられた少年の瞳をじっと見据えながら教団の名を口にする、郁未の声に揺らぎはない。
憎悪も嫌悪もなく、無感動に無感傷に、それを告げる。

「ええ。教団は私たちが壊滅させました。あなたから頂いた、この不可視の力で。
 存命の関係者は、最早片手で数えられる程度のはずです」

淡々と言葉を継いだ鹿沼葉子の声音にも、押し殺した感情は存在しない。
それが回顧をもってのみ語られる、過去の事実でしかないというように。

「力を寄越して研究させて、力でそれを潰させて。全部があんたの差金なら、与えて、奪って……。
 何がしたかったのさ、一体」

溜息混じりに首を振る郁未に、少年の表情が曇る。
答えを求める問いではなかった。
それでも、少年は口を開く。

「それは……汐から、聞いてるだろう」
「あんたからは聞いてない。それを聞いてるとは、私は言わない」

絞り出されたような少年の言葉を、郁未が言下に否定する。
強い視線と、声だった。

634/死:2010/02/06(土) 04:29:45 ID:D/ovS9dk0
「……」
「……」
「……希望を」

沈黙に押し負けたのは、少年だった。

「希望を、求めていた」

声は、掠れている。
しかしそこに、虚飾はない。
虚栄も虚構も削ぎ落とされた、それは少年という存在の結晶した、言葉であるようだった。

「僕は、生まれたかった。幸せになりたかった」

なりたかったと、口にする。
終わってしまった夢のように。

「それだけさ。それだけなんだよ」

言い放って、郁未の目を見た少年が、表情を変える。
浮かべたのは、嘲笑だった。
郁未たちに向けられたものではない。
ただ自らを蔑み蝕むような、嘲笑。

「……で、そんな僕に何を教えてくれるんだい、天沢郁未、鹿沼葉子」

嘲う少年が、両手を広げる。
その手の先では、空と大地とが、少年を包んでいる。

「生まれることすらできなかった僕に」

少年を囲む大地に、咲く花はない。
散らばった枯れ草と赤茶けた土だけがどこまでも続いている。

「求めて、終に与えられなかった僕に」

少年を見下ろす夜空に、光る星はない。
病に冒されたように痩せ細った赤い三日月だけが、ぼんやりと浮かんでいる。

「キミたちは、何を教えてくれるっていうんだい」

少年の広げた手に、触れる指はない。
そこには誰も、いなかった。
だから、天沢郁未は、一歩を踏み出して、口を開く。

「そんな、御大層なことじゃあないけどね。
 気づかない方がどうかしてるって、その程度のこと」

635/死:2010/02/06(土) 04:30:03 ID:D/ovS9dk0
少年は、下がらない。
下がらない少年に、更に一歩を近づいて、その目を真っ直ぐに見返して、言う。

「―――夜はもう、明けてるんだ」

残りの距離は、八歩分。
遠い、遠い、八歩。
しかし、ただの、八歩だ。

「私は誰だ? 私たちは誰だ? 天沢郁未だ。鹿沼葉子だ」

踏み出せば、七歩。

「それで、あんたは誰なの?」

六歩が、五歩に。

「名前もまだない。私はあんたをなんて呼べばいいのかだって分からない!」

四歩は、三歩になる。

「―――こっち、来なよ」

ほんの三歩の向こう側へ、手を伸ばす。
それが、最後の一歩分。
残りの二歩を、その向こう側に、託して。
天沢郁未が、足を止める。

「……」

差し伸べられた手を、少年はじっと見詰めていた。
ただ一歩を踏み出して、手を伸ばせば、残りの距離は、零になる。
零の向こうに、目を凝らすように、耳を澄ますように。
少年はその手を、じっと、じっと見詰めている。

「―――」

何度目かの風が、吹き抜けた。
風に背を押されるように、少年が顔を上げる。
天沢郁未を見て、その傍らの鹿沼葉子に目をやって、もう一度天沢郁未へと目を戻して、

「―――、」

そうして口を開こうとした、その瞬間。

聲が、響いた。


***

636/死:2010/02/06(土) 04:30:29 ID:D/ovS9dk0
***



『―――道は一筋にあらず』



***

637/死:2010/02/06(土) 04:31:03 ID:D/ovS9dk0
***


それは、聲だ。
姿なく、風も震わせず、しかし響き渡る、聲だった。

『青の最果てに佇む者、来し方より行く末を定める者、ただ一人、道を選ぶ者―――』

歳の頃は、少女。
しかし声音は冬の雨のように重く、冷たい。

『あなたは問い、私は答え、それでもなお、迷うなら―――』

あなた、と響いたその聲の指すのが少年であると、その場の誰もが理解していた。
指差すように、睨みつけるように、声音は響いていた。
故に、天沢郁未と鹿沼葉子は動けない。
今このとき、己は傍観者に過ぎぬと、理解していた。

『この世の価値を、命の価値を、分からぬままに惑うなら―――』

忍び寄るように。囁くように。断罪のように。神託のように。
聲が、ぐるぐると少年を取り巻いては、夜に染み入るように消えていく。

『ならば今一度、答えましょう―――』

風に融けた聲が、大気に混じってその密度を濃密にしていく。
聲が、肌にぬるりと感じられるほどに凝集した聲が、風と、夜とを練り固めて。

『示しましょう―――言葉ではなく、かたちを』

そこに、赤い光を灯す。

『―――最後の、道を』

638/死:2010/02/06(土) 04:31:31 ID:D/ovS9dk0
いまや弱々しい、緋色の月光ではない。
そこにあるのは、真紅だ。
赤という言葉の意味を形而上から引きずり出したような、真紅。
そうして浮かぶ、真紅の光の中心に、何かがあった。
震えるように、微かに痙攣する何か。
拳ほどの大きさの、ぬらぬらと蠢く肉のような質感。
それは、心臓である。
あらゆる血管と臓腑とから切り離されてなお脈を打つ、人間の心臓に他ならなかった。

「何さ、道って……。問いって……」

赤い光の中に浮かぶ心臓を見つめながら、少年がようやくに声を絞り出す。
戸惑ったような呟きだった。

「僕は……僕は、そんなこと、知らない」
『いいえ』

否定は、即座。

『いいえ、いいえ。あれはあなた。あなたの声。あなたの問い』
「そんな……」

なおも何かを言い募ろうとする少年の弁明を断ち切るように、朗々と聲が響く。
聲に震えるように、浮かぶ心臓がひくり、ひくりと蠢いた。

『あなたは確かに問うたのです。あの地の底の、神座で。赤と青との、戦の果てに』
「……」

釈明を蹂躙し、降りた沈黙の中に姿なき聲だけが谺する。

639/死:2010/02/06(土) 04:32:00 ID:D/ovS9dk0
『巡り廻る、答えの一つがその手なら―――』

とくり、と。
赤光に浮かぶ心臓が、その鼓動を大きくする。

『この世の在り様の罪咎を、肯んずるのがその手なら。赤は否やを示しましょう』

そしてまた、赤光自体も次第にその輝きを増しているように、見えた。
心臓が脈を打つたび、送り出されるべき血の代わりに、光が満たされていくようでもあった。

『続き、続く世界を、認めないと。不完全に、不手際に、片手落ちに続く世界は、幕を下ろすべきであると。
 ここが世界の最果てならば。否を以て、その選択に介入すると』

心臓が、脈を打つ。鼓動が、次第に早くなる。
光が、その密度を増していく。聲が、その圧力を増していく。

『肯んじ得ぬすべてを、終わらせる道を―――青の最果てに、示しましょう』

謳い上げるような聲と、鼓動を打つ心臓と、輝きを増す赤光と。
赤の響きが、朽ち果てた大地と夜空を、支配していく。

『ここは最果て。世界の極北。これはあなたの物語。あなたが消えれば、世界も消える』

囁くように、叫ぶように、夜空と大気とに練り込まれた聲が、ただ一人へと向けられる。
銀色の髪が、赤光に照り映えて煌めいた。

『これが最後の選択肢』

琥珀色の瞳が、どくりどくりと脈打つ肉塊に捉えられて、離れない。

『選びなさい、物語の行く末を』

時を越えて在る少年に、
すべてを失くした少年に、
何も得られずに終わろうとしていた少年に、

『あなたの描いてきた、世界という物語の結末を』

時を越えて在る少年に、
すべてを失くした少年に、
何かを得たいと望んだ少年に、

『苦界へと続く、その手を取るのか』

聲が、刃を突きつける。
それは、選択という刃だ。
未知という鋼を決断という焔で鍛えた、己が手を裂く、抜き身の刃だ。
どくり、と刃が脈を打つ。

640/死:2010/02/06(土) 04:32:22 ID:D/ovS9dk0
『或いは』

その聲を、合図にしたように。
赤光が、どろりと垂れ落ちた。
濃密な光が、ついには飽和の限界を超えて質量を得たかのように、糸を引きながら流れ出す。
流れる光の中に揺蕩っていた脈打つ肉は、しかし地に落ちることもなく、そこに浮いていた。
赤光がすっかり落ちきって、宙に残るものはもはや輝くこともない、てらてらとした粘膜の塊だった。
寒空の下に露出した、桃色と乳白色と淡黄色との混じり合った塊が、身震いするようにふるふると揺れた、
次の瞬間。
地に垂れ落ちて溜まっていた、赤光であったものが、唐突に爆ぜた。
蕾の弾けて咲くように、朽ちた大地に真紅の大輪が花開く。
月下、大地に咲く真紅と、その真上に浮かぶ桃色の心臓。
やがて実となり種を成す、それは花弁と雌蕊のようにも、見えた。

と。
ぐじゅり、と濡れた音がした。
爆ぜて散った、赤光であったものから、何かが芽を出す音だった。
ぐずぐずと、ずるずると、どろどろと伸びるそれは細い、今にも千切れそうな桃色の、肉じみた気味の悪い芽だ。
ひとつひとつが頼りなげにふるふると蠢く肉の欠片が、そこかしこに散った赤光の欠片から一斉に芽吹いていた。
肉の芽は刹那の間に肉腫となり、赤光であったものを吸い上げながら伸びていく。
ほんの数瞬の後、それは既に芽と呼べるものではなくなっていた。
桃色の茎。否、根もなく葉もなく、ふるふると揺らぎ蠢くそれは、糸である。
数千、数万を超す桃色の肉糸が、ぐずぐずと伸びていく。
無数の肉糸は伸びる内に互いに撚り合わされ、次第に太く変じながら、宙の一点を目指していくようだった。
その先に浮かぶのは、どくり、どくりと、今やはっきりと鼓動を打つ心臓である。
煉獄の亡者の蜘蛛の糸に縋り、争って手を伸ばすように、肉糸が心臓へと迫り、伸びて、
そしてとうとう桃色の糸が、その最初の一片が、心臓に触れる。
触れて、融け合った。
融けた糸が、ずるりと心臓に巻き上げられて、太い動脈に変わっていく。
次の一片は、別の血管に変わった。
変わってできた動脈に、新たな糸が融け合って、その経路を分岐させていく。
幾十の糸が、瞬く間に複雑な血管を形成し。
幾百の糸が、それを包む神経細胞と膜と脂肪とを作り上げ。
幾千、幾万の糸が、骨格を、その中に生み出していく。
筋繊維が、腱が、関節が、無数の糸によって縒り上げられ、一つのかたちを成していく。
皮が張り、指が分かれ、爪が生え、白い歯が、真っ直ぐな鼻梁が、歪んだ耳朶が、腕が、脚が、
人が、造り上げられていく。

『或いは―――』

最後の糸が、ずるりと巻き上げられて、眼窩に収まっていく。
星空を織り込んだような長い黒髪を、白くたおやかな手が、煩わしげにかき上げる。
そこに、黒い瞳があった。
ぎらぎらと輝く、瞳だった。
瞳は、笑んでいる。
牙を剥くように、笑んでいる。

『もう一つの物語に―――呑まれるのか』

美しい、それは女のかたちをしていた。
美しく、猛々しく、そしてどこまでも、どこまでも、昏い。
女の名を、来栖川綾香といった。




******

641/死:2010/02/06(土) 04:32:49 ID:D/ovS9dk0
******

 
 
 
傷。
傷だ。
閉じているべきものが割れ裂けて、そこから血が流れている。
だからそれは、傷口だ。

傷の中にはきっと、膿と汚れと、もう感じない痛みだけが、ある。
流れ出すのは、濁った血だ。
僕の身体がいやがって、膿と汚れに抗って、押し流そうと垂らす血だ。

早く、早く出てこいと願う。
気持ちの悪いものは、いやな臭いのするものは、この身体の外に出ていってしまえと思う。
その、一方で。

出てくるな、出てくるなと祈る、僕がいた。
おぞましいものが、吐き気をもよおすようなものが顔を覗かせたら、僕は耐えられない。
そんなものがこの身体の中にあったことに、そんなものにこの身体を穢されたことに、きっと耐えられない。
これから先のずっと、そんなものが汚した血が流れ続ける苦痛に、そんなものが身体のどこかに
ぶつぶつとした卵を産み付けているかもしれないという恐怖に、僕はきっと耐えられない。

だから僕は、希う。
傷口も、汚れた血も、膿にまみれたいやなものも、全部、全部なかったことになればいいのに、と。
そんなものは初めからなくって、僕は汚れてなんかいなくって。そんな夢を、希う。
だけど、それは叶わない。

僕にはわかる。
わかってしまう。
この傷口の奥には、それが確かにいるのだと。

それは僕の身体を蝕んで、僕の肉と心とを貪って、ぶくぶくと肥えた、怪物だ。
生まれてくる。
それはもうすぐ、生まれてくる。

どろりと汚れた、黒っぽい血と。
ぐずぐずといやな臭いのする、薄い黄色の粘つく膿と。
そういうものと混じり合って。

こんな、おぞましい傷口の中から生まれてくるものは、きっと、




******

642/死:2010/02/06(土) 04:33:08 ID:D/ovS9dk0
 
 
 
女の笑みに、囚われて。
ぐらり、と少年が揺れる。

「僕は……」

流れる脂汗と、蒼白な顔色。
どくり、どくりと響く音に掻き消されるような呟き。

「僕は―――」

振り返れば、そこには瞳。
手を差し伸べる、真っ直ぐな瞳。

「―――、」

どくり、どくりと世界が揺れる。
脈打つ鼓動の音が。
星のない夜空を圧し潰すように。
どくり、どくりと、響いている。

643/死:2010/02/06(土) 04:33:31 ID:D/ovS9dk0
 
 
【時間:すでに終わっている】
【場所:最果て】

少年
 【状態:最終話へ】

天沢郁未
 【状態:最終話へ】

鹿沼葉子
 【状態:最終話へ】

里村茜
 【状態:―――】

来栖川綾香
 【状態:―――】



【時間:2日目 午後6時すぎ】
【場所:I-7 沖木島診療所】

春原陽平
【状態:最終話へ】


→999 1096 1113 1116 1122 ルートD-5

644インターセプト:2010/02/08(月) 23:21:38 ID:UUiEoiqU0
「っ!」
「なっ?!」

一触即発に見えた場の雰囲気を拡散したのは、突如躍り出た乱入物だった。
霧島聖に対して狙いを定めていた少年も、これには後退を余儀なくされる。
その聖はと言うと、かけられた一ノ瀬ことみの声ですかさずしゃがみこみ、宙を舞うそれ等の行く末を息を飲みながら見守っていた。
はんなりとした放物線を描く小瓶、舞っている数は計三つ。
小瓶の先、ともる炎の色はオレンジがかった赤いものである。
布だろうか。火の元となっているそれは、よくみればしっとりと塗れていた。
そんな小瓶を待ち受けているのは、保健室の固い地面。

危ない。気づき、一つの舌打ちと共に膝のバネを使って立ち上がる聖の目の前、小瓶は容赦なく砕け散った。
ガラスの割れる旋律が連続して聖達の耳に入ると同時、揺れる炎はたちまち周囲へと広がっていく。

(随分と危ないことを、してくれたものだな……っ!)

燃え上がる炎が広い範囲を陣取るのに、時間はそうかからないだろう。
古い建物であるこの鎌石村小学校、木造ではないが周囲を舞う大量の埃がここにきて最大の火付け役になっていた。
炎の規模は、ますます膨らんでいくに違いない。
まだ調べきっていない場所からおかしな薬品が出てきたら、厄介なことになる。
必要なのは、早めの脱出だ。
そのためにも聖達はまず、対峙しているこの少年を何とかしなければいけない。

(……! そうだ、あれなら)

素早く周囲を見渡した聖が目に付けたのは、先ほどまで相沢祐一が眠っていたベッドだった。
ベッドを仕切るためにかかっているカーテンには、小さな炎の花が虫食いの様になって咲いている。
その光景から一つの閃きを得た聖は、瞬間、そこに向かって一気に駆け出していた。
立てられた派手な地鳴り、聖の奇行に少年もすぐ気づく。
手にしていた機関銃の先端を、少年は躊躇することなく聖へと向け、その引き金に指をかけた。

645インターセプト:2010/02/08(月) 23:21:57 ID:UUiEoiqU0
「駄目。撃たせない」

すかさずスカートのポケットに手を突っ込んだことみが、新たな武器をその手にする。
瓶を放った後隅の方へ逃げていたことみが取り出したのは、少年も一度痛手を負っている、暗殺用十徳ナイフである。
いくらか練習でもしていたのだろう、ことみはそこそこ慣れた手つきで備え付けられている吹き矢の吸い口に唇を寄せると、間髪なくセットされていた矢を少年に向け打ち込んだ。

「おっと!」

鋭い棘は、構えていたMG3を今正に発砲しようとしていた少年へと、真っ直ぐに向かって飛んでいく。
しかし軌道が読みやすかったからか、少年が矢を避けるのは容易いことだった。

「ことみちゃん、君の相手は次だから。少しだけ我慢してて、ねっ!」
「きゃっ」

スナイパーの如く少年を遠方から狙っていたことみの真横、走る銃弾は牽制か。
敢えて致命傷を避けているかのような動き、少年は小さな悲鳴を上げ逃げ惑うことみを楽しそうに見つめている。
そんな二人を尻目に、聖はと言うとさっさと目的の場所へと辿り着いていた。
聖からすれば、ことみが少年の気を引き付けてくれたおかげで事がスムーズに行ったことになるだろう。

(すまないことみ君、もう少しだけ耐えてくれ……っ)

心の中でことみに対する謝罪を繰り返しながら、聖は少年の気がこちらに向かないうちにと行動を起こす。
ベアークローで布地を裂かないようにと、聖は気をつけながら炎のともるカーテンを掴んだ。
足に踏ん張りをかけながら聖が全身の力でそれを引っ張ると、カーテン地が固定されている鉄のバーがミシミシと上下に揺れる。
バーの上部、何箇所にも渡りしっかりと括られているカーテンがこれで外れる気配はない。
それならばと。
今度は敢えて突き刺すように手を突っ込み、聖は装着したベアークローでしっかりとした布地を引き裂いていく。
聖は瞬く間に、無残な姿と化したカーテンを自身の手に堕とした。

646インターセプト:2010/02/08(月) 23:22:17 ID:UUiEoiqU0
一箇所にまとめられたことで、炎の移りは今まで以上の速度を持って進行する。
小さな花は、やがて大きな松明のように変化していくだろう。
形が崩れないようにと、聖はまだ火のついていない残っている布地を一箇所に集め、幾重ものしっかりとした固結びを作った。
こうしてできた塊は、まるでブーケのようにも見える。
炎のともる、真っ赤な花束。狙っていた物の完成に、聖の顔にも笑みが浮かぶ。

「せんせっ、駄目っ」

聖が冷水を浴びせられることになるのは、その直後だった。
か細いのは相変わらずなものの、ことみの声には今まで以上の焦りが含まれていただろう。
はっとなる。聖の脳裏に走る予感が、警告音を打ち鳴らした。
すぐ様泳がせた聖の視線、膝をつき、身を乗り出すようにしたことみの形相が一瞬移りこむ。
その先、視線の終末点に彼はいた。
ことみを相手にしていたはずの少年と目が合い、聖はしばしの間彼と静かに見つめ合った。

燃えるカーテンの熱の影響ではない汗が、聖の額をしとどに塗らす。
少年の口元は、緩んでいた。
今ならはっきりと伝わる、その邪悪さ。

息が詰まる。
取れない身動き。
ちりちり、ちりちり。
手にしていた布地部分までついに炎が侵食してきたが、聖は固まったままだった。

少年の手にある、凶器。
矛先は聖へと、再び向けられている。
その姿勢は、既に固定された後だった。
少年がトリガーを引けば、機関銃にセットされた銃弾がたちまち聖を蜂の巣にするだろう。

「それじゃ、さようなら。君は本当につまらなかったよ」

647インターセプト:2010/02/08(月) 23:22:35 ID:UUiEoiqU0
最期の言葉、間に合わなかったということ。
その非情さに、聖は強く唇をかみ締める。
諦めることなんてできない。
できっこなかった。
聖は強く、少年を見据える。
強く強く。視線で殺せるくらい、じっと少年を刺し続ける。

少年という一つの点に注がれる、二つの線。
聖の眼差しともう一つ、それはことみが送るもの。
少年の追随で、彼女の足元には焦げた穴が複数ある。
そこでぺたんと、ことみは尻餅をついていた。
腰が抜けてしまったのか、彼女の下半身はぴくりとも動かない。
静止したままことみは頭をフルに回転させ、自分の持ち物の中で何かこの場を打開できるものがないか、必死になって考える。

先ほどことみが即興で作成した火炎弾の複製は、材料の関係でもうできない。
床に転がっていた空き瓶も、相沢祐一の手当てで使用したこともありただでさえ残り少なかった消毒用のアルコールも、ことみは全て使い切ってしまっていた。
持ち込んでいた100円ライターは残っているが、それだけでは無用の長物である。

ぎゅっと。掴んだままの十徳ナイフを、ことみはしっかり握りしめた
これでどう応戦できるか。
考える。
考える前に行動を、とも思うが、ことみの足は彼女の言うことを聞こうとしない。

言葉が出ない。
ことみの頭が、真っ白に、なる。

648インターセプト:2010/02/08(月) 23:22:51 ID:UUiEoiqU0
直後、数発鳴った銃声音。
驚きと恐怖でびくっと身構えたことみは、聞きたくないと言った風に頭を抱え込むとそのまま小さく丸くなった。
ふるふると震えることみの様子は、まるで小動物である。
今のことみに、果敢な聖をサポートしていた影はない。
切れかけた緊張の糸が、ことみを絶望の淵に追い込んでいく。

「がっ!」

低い低い呻き声。
襲われた痛みに対するものだろう。
断続的に漏れる洗い息は、ことみの元までしっかり届いている。
その痛ましいこと。
ぎゅっと目を瞑り、ことみは自身を殻の中へと逃がそうとする。
その間も、騒音はずっと続いていた。
駆ける音、逃げる足音。

「このっ!!」

銃声、銃声。
今頭を上げれば、自分にも空洞が作られるのだろうか。
自身が作り上げた想像に身を震わせることみ、しかし彼女の耳はその違和感をしっかりと捕らえていた。

(……?)

恐れる心が一端引く、それはことみの頭がしっかりと働いている証拠になるだろう。
ことみは気づく。
冷静になったところで、ことみの解答はすぐに用意された。

……発砲音は、今も尚ことみの背後から発せられている。

649インターセプト:2010/02/08(月) 23:23:13 ID:UUiEoiqU0
ことみは少年と距離を取り、広瀬真希や遠野美凪が逃走に用いた校庭に続く窓付近に位置していた。
そんなことみの後ろに、このタイミングで少年が回り込むことは現実的に考え不可能だ。

「立ちなさい! そのまま窓から逃げていいからっ!!」

誰かの叫び声、それと同時に保健室の床ががなりを立てる。
人の気配に顔を上げようとすることみだが、その前に自身の頭を抱えていた腕を強い力で引っ張り上げられた。
丸く固まっていたことみの戒めが解かれる。
開かれたことみの視界、眩しさを感じる中映りこんできたのは、鮮やかに揺れる真っ赤な炎だった。
燃える保健室とは、また別の紅。

「つつ……さすがに腕が痛いわね」

苦言を漏らしながらも、手にする拳銃を下ろそうとは決してしない。
そうしてまた駆け出した少女、向坂環。
もう一つの『赤』が、いつの間にかそこに存在していた。





開け放たれた保健室の窓にかかる白いカーテン、その隙間から見えたもの。
聖やことみが追い詰められていた様は、遠目にいた環にも容易く伝わっていた。
まだ炎が移っていない分、部屋の中とのコントラストは環からすると不気味としか表現できないだろう。

何とか保健室の窓際まで辿り付いた所で、環は迷うことなく引き金に手をかける。
しっかりと足場を固めるが、彼女も拳銃を撃つのは初めての行為だ。
せめて威嚇の意味にでもなってくれればと、環は足を止めている少年を狙い二発の銃弾を撃ち放った。

650インターセプト:2010/02/08(月) 23:23:28 ID:UUiEoiqU0
「っ!」

反動で震える体を耐えさせながら、環はそれでも見据えた視線の先で自分の功績を確かに知る。
明後日の方向に跳んでいったと思いきや、銃弾の内一発は見事少年に被弾していた。

(初めてにしては、中々のものじゃないっ!)

ボタボタと垂れていく血が、保健室の地面を違う紅に染める。
出血は、少年の肩口からだった。
掠めるといったレベル、骨までは達していないであろうが肉を抉り取られたという痛みに少年の眉は不快気に寄せられている。
これには、さすがの少年も予想をつけられなかったのだろう。

滴る血をそのままにしながら、少年はすぐ様その場を離れようとする。
保健室の中を駆け、的にならないようにする少年の身から零れていく体液を追うように、環の銃弾は開け放たれた保健室の窓から飛ばされてくる。
だが環の射撃の腕は決して、精巧なものではない。
虚をつかれた初動以外、少年が銃弾に触れることももうないだろう。

それでも環が少年のテンポを崩すことには、成功したのだ。
これで少年の目は、再び聖から外れることになる。

聖は諦めていなかった。
全く諦めていなかった。
この瞬間まで、ずっと待っていた。
少年に隙が生まれるこの時を、聖はずっと待ち続けていた。

時間にして、一分にも満たないこのどんでん。
今も尚ちりちりと自身の両手を焼き続けている布束を、聖は形を崩さないようそっと持ち上げた。
そのまま、ゆっくりと振りかぶる。

651インターセプト:2010/02/08(月) 23:23:51 ID:UUiEoiqU0
「……っ」

燃え盛る炎のブーケの熱による発汗、目の痛みが細くする視界。
耐えながら聖は、煙や墨でむせないようにとひっそりと呼吸を止める。
集中。狙いを定めたところで。
目標が足を止めようとするその瞬間、決して逃すことはなく。
聖は渾身の力で、その炎の塊を少年に向け投球した。

「あまり僕を、舐めないでくれるかな」

少年の声。そこに危機感は含まれていない。
環との応戦で疎かになっていたとも思われる少年のチェックだが、決してそんなことはないとでも言いたいのか。
迫り来る聖の炎に対しても、少年は冷静だった。

「ふっ!」

少年は炎の塊を体で受ける前に、自らの手で叩き落とした。
高速の手套は、常人で追うことができないレベルの速さを持つ。
炎の触れた場所に火が当たるが、少年がダメージを受けた様子はない。
絶望の色。ことみの表情。
苛立ちの音。環の舌打ち。
しかし聖は微笑んだ。にやりと意地悪気に口元を歪ませた。
むしろ聖の狙いは、その後だった。

「?! ごほっ、がっ、はぁ……っ」

強い力で地面に叩きつけられたカーテンの中、充満していた細かな煤はこの衝動で一気に撒き散らされることとなる。
もくもくと上がる黒い煙の中、少年は視界を覆うレベルの塵に包まれた。

652インターセプト:2010/02/08(月) 23:24:14 ID:UUiEoiqU0
「ごっ、ごほ、ごほっ!! ごはぁっ、が、がはっ!!!」

少年の堰は止まらない。
地に落ちた塵も踊り続ける、膝をついた少年の堰がかかっているのだろう。
時間がかかったからこその、絶大な効果がそこにある。
舞い上がる煤は、そのまま聖にとって勝利の紙ふぶきとなった。


          ※     ※     ※


火は、校舎の一部にも引火していた。
このままだと、老朽化した校舎を丸ごと飲み込む可能性も高いだろう。
保健室も薬品は多いが、もしあるとすれば理科関係の教室の方が幾分も危なかった。
この場から、急速に離れなければいけない。
遊具も何もない広いだけの校庭に佇みながら、聖は背後の保健室をそっと振り返った。

「せんせ……」

呼ばれる声で視線を戻そうとした聖の胸に、ボンボンのついた愛らしい二つ結びを揺らしながらことみが飛び込む。
ここに来るまで聖が何度も聞くことになった、ことみが呼ぶ聖自身への呼称。
その言葉に含まれた安心が、聖の心を軽くする。

「よく頑張ったな、ことみ君」

ふるふる。二つ結びが左右に揺れる。
ことみは顔を上げることなく、ぎゅっと白衣を握り締めながら聖にしがみついていた。
押し付けられたぬくもりの小ささに、聖は今は亡き妹の姿を連想させた。
この命を守れてよかったという実感が、聖の内にもじわじわと流れていく。

653インターセプト:2010/02/08(月) 23:24:31 ID:UUiEoiqU0
「さっさとここから離れましょう。あの男が追いついてくるかもしれないわ」
「そうだな。……君も、助かった。君がいなかったら私は生き延びていられなかったと思う。礼を言おう」

名も知らぬ猫目の少女から飛ばされた愛らしいウインク、茶目っ気溢れる環の動作に聖もようやく肩の荷が降りた気持ちになった。

「先生! ことみっ!!」

遠くから、これもまた聖にとって慣れ親しんだ少女達の声が響く。
目をやれば、必死の形相でこちらに向かってくる少女の姿がすぐさま聖の視界に入った。
走り寄って来るのは広瀬真希、それに遠野美凪といった先に聖が逃がした少女達、その後ろからは遅れながらも相沢祐一がついて来ている。
先頭を駆ける真希はそのまま真っ直ぐ聖へと駆け寄ると、ことみと同じようにしかと彼女にしがみついた。
タックルのような勢いに押されながらも、聖は倒れないようにとしっかり足を踏ん張る。
ここに来てまで疲れた体を酷使しなければいけないことに、聖は思わず苦笑いを漏らした。

「先生……先生……っ」

聖の様子に気づかないのか、真希が半分泣いてでもいるようなか弱いうめき声を零す。
恐らくこの小ささでは、聖本人や、真希の隣でまだ聖に引っ付いているだろうことみにしか聞こえていないだろう。

「……馬鹿。この期に及んで、戻ってくる奴があるか」
「だ、だって! だってだってだってっ!!!!」

呆れたような聖の言葉に、がばっと真希が顔を上げる。
そこで崩れそうになっていた真希の表情は、ぽかんと、呆けたものになった。

「大馬鹿者」

頭に置かれた聖の手の温度、そのまま優しく撫でられ真希は思わず押し黙る。
聖の手つきには、柔らかさが満ちていた。
聖の手は、火傷で爛れ痛々しいことになっている。
しかし聖はそれをあくまで真希に感じさせないよう、気づかせないよう。
細心の注意を払い、真希の髪を撫でていた。

654インターセプト:2010/02/08(月) 23:24:55 ID:UUiEoiqU0
「先生……」
「すまないな。心配をかけた」

真希の気持ちが、聖は素直に嬉しかった。
頼って貰え、その期待を反することなく終えられたことが聖は本当に嬉しく思えた。
見回せば、誰も欠けることなく今またこうして集まることができているという、その事実。
皆聖よりも年下の、幼い少年少女達。
愛くるしい聖の亡き妹と、同じ年代の少年少女達。

聖にとって、守れたというその事実こそが大切なものだった。
一番だった。

全てが微笑ましく、聖はまた苦笑いを浮かべる。
歪ませた頬には、聖にとってありったけの充足感が満ちていた。
守れなかった亡き妹、守ることができた可愛らしい仲間達。

瞳を瞑る。
聖の瞼の裏で、霧島佳乃も微笑んでいた。
聖と一緒に、微笑んでいた。





―― その時がなった発砲音を、誰が予測できただろうか。
 




放たれた機械音は断続的で、仕込まれた弾が尽きるまで終わることはなかった。
聖の白衣が塗れる。白い衣の背面が、真っ赤に染まる。

655インターセプト:2010/02/08(月) 23:25:13 ID:UUiEoiqU0
飛び散った赤は、ことみの顔面にも飛沫となって降りかかる。
聖の体を貫通した弾で怪我を負う寸前、ことみは再び強い力で腕を引かれていた。
先程と同じようにことみの手を引いた環は、そのまま小さなことみの体を抱え込むと転がるようにしてその場から距離を取る。

「真希さんっ」

駄々漏れになる体液は、ことみだけでなく真希のオフホワイトのセーターをも染めてくる。
固まる真希の体に自身を当て、美凪は彼女の体勢を崩した。
聖にしがみついていた真希の体は剥がれ、自然と地に伏せる形になる。

ことみと真希という二人の支えを失い、聖はそのまま長い黒髪を宙に舞わせながら、前のめりに崩れていく。
溢れた少女の聖の血液が、地面にどくどくと流れていく。
それが砂地に染みていく様は、まるで地が聖の生気を吸い取っていくようにも見えた。

「……っ」

何かを耐える息遣いが耳に入り、真希はまだぴくぴくと細かく震えている聖から美凪へと目線を移した。
真希の代わりというわけではないが、流れ弾の被害は美凪に向かっていったことになる。
弾は、美凪の柔らかな右頬を掠っていた。
一筋の傷は美凪の頬に、新たな血を流させる。
真希は見つめる。そんな赤い光景を、無言で見つめる。見つめるだけ。
香る生臭さに、真希の臭覚は既にいかれていた。
それと同時に麻痺する思考回路、銃声が止んでいたことが真希の命を救っていただろう。
今の真希には逃げる気力等、全くの皆無であったのだから。

「だから言ったじゃないか。舐めないでくれって、さ」

地面を弾むMG3のがちゃんという立てられた音に、面々は静かに息を呑む。
元々全身黒ずくめだった彼の相貌は、煤の汚れでさらに隙間ない闇をそこに表現していた。

656インターセプト3:2010/02/08(月) 23:26:54 ID:UUiEoiqU0
「お、前は……」

美凪に駆け寄ろうとしていた、祐一の足が止まる。
彼の正面に佇む男の手には、新たな拳銃が握られていた。
何処かに隠してでもいたのか、先程までは持っていなかったはなかったはずの屈強な盾を手に、男は再び彼等の前へと立ち塞がる。

「死ねばいいよ、全員」

少年の目は、笑っていなかった。




【時間:2日目午前8時05分】
【場所:D−6・鎌石小中学校・中庭】

一ノ瀬ことみ
【持ち物:主催側のデータから得た印付の地図、毒針、吹き矢、高圧電流などを兼ね備えた暗殺用十徳ナイフ(吹き矢使用済み)、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯、お米券×1】
【状態:環に抱きかかえられている】

霧島聖
【持ち物:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式、乾パン、カロリーメイト数個】
【状態:死亡】

少年
【持ち物1:強化プラスチックの大盾(機動隊仕様)、注射器(H173)×19、グロック19(15/15)】
【持ち物2:支給品一式、レーション2つ、予備弾丸12発】
【状況:ことみ、環、祐一、真希、美凪と対峙・効率良く参加者を皆殺しにする】

向坂環
【所持品:コルトガバメント(残弾数:15)・支給品一式(食料少し消費)】
【状態:ことみを抱えている】

相沢祐一
【所持品:S&W M19(銃弾数4/6)・支給品一式(食料少し消費)】
【状態:鎌石中学校制服着用(リトルバスターズの男子制服風)、腹部刺し傷あり(治療済み)】
【備考:呆然・勝平から繰り返された世界の話を聞いている】

広瀬真希
【持ち物:消防斧、防弾性割烹着&頭巾、スリッパ、水・食料、支給品一式、携帯電話、お米券×2 和の食材セット4/10】
【状況:呆然】

遠野美凪
【持ち物:消防署の包丁、防弾性割烹着&頭巾 水・食料、支給品一式(様々な書き込みのある地図入り)、特性バターロール×3 お米券数十枚 玉ねぎハンバーグ】
【状況:呆然、右頬出血】

(関連・1095)(B−4ルート)

MG3(残り0発)は校庭に放置



タイトルですが「インターセプト3」でお願いします。
失礼しました・・・。

657エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:36:08 ID:xs23czu20
 タイムリミットの前の暇潰しも、いよいよ佳境に入っていた。

 単純に追うだけでは猪は捕まらないと判断したデイビッド・サリンジャーは、
 複数のフロアに予めアハトノイン達を置いておくことで包囲するように猪を追い詰め、
 そして今や猪は中層付近の一フロアで右往左往しているだけだ。

 手こずらせてくれた、とサリンジャーは感想を結ぶ。外からは虫一匹入れないはずの鉄壁の要塞も、
 中はまだ未完成なのだという事実を思い知らされた。改善の余地はまだまだあるということか。
 そういう視点で見ればこの謎の侵入者の存在も決して悪いことではない。
 とはいえ、篁総帥は何を考えて動物を支給品にしようと考えたのか。
 かつての主の理解の範疇を超えた奇行に辟易しつつ、サリンジャーは今後の予定を組み立てることに集中することにした。

 お遊びはここまでだ。正午まで一時間と少し。そろそろ戦闘用アハトノイン達をスタンバイさせておく必要がある。

 唯一負傷していた02も修理が完了し、問題なく戦える状態だ。サリンジャーは下層部の士官室……
 今はアハトノインのために割り当てた部屋へのモニターを眺める。

 彫像のようにじっとして動かぬアハトノイン達の数は五体。
 そのうち、護衛用としてサリンジャーの近くに控えている01を除いているので、
 ここで稼動している戦闘用は実際には六体いることになる。少ない数かもしれなかったが、元々人間以上の実力を持つ上、
 装備も万全、耐久力は比較にもならず、加えて戦闘用データを02から全員にフィードバックしているので、
 もう不覚はないと考えても良かった。たかだか十五人でしかない生き残りを殲滅することなど容易いことだ。

 この分だと『鎧』を持ち出す必要もなさそうだと断じたサリンジャーは、次に参加者達の情勢を観察する。
 数時間前まで一箇所に集まっていた参加者達は、現在バラバラに散開し、島のあちこちに分かれている。
 おそらく戦力を分散させようという試みなのだろう。降伏する意思も殺し合い従おうという意思もないらしい。
 全く反応がないのもそれはそれでつまらないものだったが、目論見どおりではあるから気にすることもなかった。
 集団戦のデータが取れないのは困り物だったが、データが取れるだけでも良しとしなければならない。
 何しろこれから本格的にアハトノイン達の生産に入らなければならないからだ。
 この島から宣戦布告をするために、世界の覇者たるための下積みももう彼女らの生産を残すのみだ。

658エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:37:00 ID:xs23czu20
 既にサリンジャーの手元には最強の盾も矛も要塞もある。
 どんな軍隊でさえ一蹴し、どんな兵器でさえ無効化してしまう、篁の技術を結集した発明の数々だ。
 サリンジャーは早く使いたくて仕方がなかった。これらの兵器にはサリンジャーが関わっていないものも多数ある。
 自分の論理を否定した者達が一体どんなに唖然とした顔になるかと思うとサリンジャーの愉悦は収まらなかった。

 まず手始めにタンカーの一隻でも沈めてやるか。それとも直接アメリカでも攻撃するか。
 全てが自分の掌の中という気分は悪いものではなかった。
 あるかも分からない世界を侵略するという計画よりもよほど面白いというのに。

「まあ、総帥も勝ち続けてきた人間でしたからね……私のような、負けしか知らなかった人間の気持ちなんて分からない」

 どんなに優秀でも、所詮はプログラマー。所詮は土台作りの役目しか担えない男。
 篁の傘下に入ってからも常々言われ続けた罵詈雑言に、サリンジャーはひたすら耐えてきた。
 いつか必ず足元に這い蹲らせてやる。それだけを考え、謙り、時には媚びさえして、頭を下げたくもない人間に頭を下げてきた。
 戦うことしか知らない猿頭の醍醐にも、金持ちというだけで踏ん反り返る大企業の重役達にも。

「そいつらに核の一発でも撃ちこんでみるのも面白いかもしれませんねぇ……」

 流石にこれは冗談だったが、それだけのことを易々と行えるだけの力が、サリンジャーの手の内にあった。
 野望を実現出来る。その前に、目の前の塵をさっさと払ってしまう必要があった。

 リサ=ヴィクセン。一応同僚ではあったが、職場の違いからか、それとも彼女が新参であったからか殆ど会話を交わしたこともない。
 だが彼女の所属についてはサリンジャーも聞き及んでいる。『ID13』。アメリカ軍の誇る特殊部隊、そのエース。
 彼女が参加した作戦は十割成功しているらしい。何の経緯があって篁に仕えていたかは分からなかったが、
 彼女の仕事ぶりを聞き、サリンジャーは密かに感心していたものだった。

 冷静沈着な判断と、時には味方でさえ欺く用意周到な作戦。そして、誰も寄せ付けぬ鋭い雰囲気。
 地獄の雌狐の名に相応しく、一人でかなりの数の任務を成功させている事実は、サリンジャーにさえ良い印象を抱かせたのだった。
 あれも始末しなければならないと思うと少々勿体無い気分になったが、仕方がない。
 敵であるからには速やかに排除する必要があった。ナイフの刃先を突きつけられているというのは体に悪い。
 アハトノインとどちらが上か、ということにも興味があったので、是が非でも彼女とは一戦を交えて貰わねばならなかった。
 もっとも、勝つのは自分の兵士だろうが――

659エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:37:18 ID:xs23czu20
 そこまでサリンジャーが思惟を巡らせた、その時だった。

「な……!?」

 サリンジャーが驚きの声を上げる。思わず立ち上がった拍子に椅子が倒れ、机の上のコーヒーカップが倒れた。
 呆気に取られるサリンジャーの視線の向こうでは、参加者の現在位置を示す光点がてんでバラバラなところに現れては消え、
 信号のような不自然な明滅を繰り返していたのだ。
 いやそれどころか、現在の生存者数、死亡者数すらも滅茶苦茶な値を示し、生存判定もおかしなことになっていた。
 不調、そんなものではない。慌てて近くにいる作業用アハトノインの肩を掴み、「何が起こった!」と怒鳴る。

「何者かに参加者管理用のコンピュータを荒らされている模様です」
「なに……?」

 ハッキング。即座にその一語が持ち上がり、横からパソコンの画面を覗き見る。
 ザ・サードマン。その文字がディスプレイ上にでかでかと浮かび上がり、
 悪魔をモデルにしたようなキャラが奇声を上げながら暴れまわっている。
 いかにも古臭い手段に呆然とする一方で、どこから侵入されたという疑問が浮かぶ。

 セキュリティに穴があるわけがない。そもそも接続できるような環境があるわけがない。
 内部の裏切り? いや物理的に裏切れるはずがないのだ。何故なら、ここにいる人間は自分ひとりしかいないのだから。
 従順なロボットが裏切れるわけがない。だが事実としてハッキングはされている。しかも趣味の悪い悪戯プログラムつきで。

「プログラマーの心当たりはある……あのガキか……だが、どうやって……!」

 歯軋りするサリンジャーの耳に、今度は甲高い警告音が響き渡った。
 侵入者の存在を知らせる、警告アラームだった。

660エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:37:38 ID:xs23czu20
『報告。報告。ゲート2、10、3より侵入者の模様です。数は不明』

「馬鹿な、どういうことだ!」

 監視モニターに振り返ってみたが、そこには何も映っていない。
 まさかと思う間に「監視プログラムもやられた模様です」という無遠慮な声が聞こえた。
 アハトノインの無機質な声に苛立ちを覚える一方、まずはシステムを復旧させ、
 迎撃に当たらせるべきだと指揮官の頭で考えたサリンジャーは、戦闘用アハトノインの待機している部屋にマイクで通達する。

「出撃だ! 侵入者の迎撃に当たれ! 私とアハトノイン以外皆殺しにして構わん!」

 命令を受けたアハトノイン達が一斉に立ち上がり駆け出してゆくのを目の端で捉えながら、
 続けてパソコンの前で固まっているアハトノイン達に「システムの復旧だっ! 急げノロマ共!」と怒声を飛ばす。

「ゲート2、10、3……?」

 あまりにも急すぎる事態の変転に頭が混乱しながらも、サリンジャーは分析を続ける。
 一斉に侵入されたと見て間違いない。しかも、こちらのセキュリティを何らかの手段を用いて破った上でだ。
 雌狐め。主犯の存在を即座に思い浮かべたサリンジャーは力任せにデスクを叩き付けた。

 しかもゲート2、3、10といえば参加者達が向かった方向と一致する。つまり、あの分散は最初から計算ずくというわけだ。
 こちらが準備を整えている間に奇襲を仕掛けてきたのだ。有り得ないという感想が浮かんだが、現実を否定していても仕方がない。
 戦闘用アハトノインが会敵するまでは少し時間がかかる。高天原の内部深くに潜り込まれてしまうのは恐らく確定だろう。
 要塞内部には精密機器も多いために下手に銃火器が使えない。――しかも、それはこちらの論理であり、
 破壊者たる向こう側にはそんなものは関係ない。島ごと沈められる危険性は皆無とはいえ、これでは……

「……しまった!」

661エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:37:56 ID:xs23czu20
 サリンジャーはもう誰もいなくなったアハトノインの待機室に目を回す。
 高天原を傷つけないために、銃火器の使用を禁じる命令を出したままにしておいたことを忘れていた。
 白兵戦しか挑めない状況と、好き放題撃てる相手の状況とでは、いくらアハトノインでも分が悪すぎる。
 命令の変更を伝えようと、サリンジャーはマイクの送信ボタンに手を掛けた。

「駄目です。通信も不可能な状況です。現在復旧していますが、まだ時間が」
「それじゃ遅いんだよ、この役立たずがっ!」

 割って入った声にカッとなったサリンジャーは思わずアハトノインの顔を殴りつけたが、
 アハトノインは何事もなかったかのようにムクリと起き上がり、また淡々と作業を始めた。
 何とも言えぬ不快な気分になったサリンジャーは、壁を思い切り蹴りつけた。

 世界への宣戦布告を日単位で変更される羽目になった、サリンジャーの憤りの表れだった。
 銃撃が許されているのは、上部のエレベーターからだ。
 せめてそこまで辿り着いてくれるように、サリンジャーは爪を噛んで祈るしかなかった。

「……この私が、神頼みとはね」

     *     *     *

「上手くはいったみたいだな。さぁて、この首輪ともようやくお別れってわけだ。アディオスアミーゴ」
「ぴこぴこ」

 ポテトの相も変わらず喜色の悪い踊りを横目にしつつ、俺はゆめみが首輪を外してくれるのを待った。
 藤田、姫百合の二人はどことなく緊張した面持ちで俺を見守っている。
 まあ、失敗したら爆発するかもしれないってんだからそりゃそうだわな。
 仮に失敗したとしても、このHDDの中にあるワームが敵方のコンピュータを引っ掻き回している頃合いだろうから、
 しばらくは爆破させられる心配もないんだが。

662エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:38:13 ID:xs23czu20
 全く大したプログラムだ。プログラミングの知識は聞きかじった程度でしかないんだが、こんなに自己増殖が早いとは。
 しかもそれを一日も経たずに組み上げたってんだからこいつの姉……だったか妹だったかは凄いもんだ。
 ま、和田って奴の情報がなければこうも簡単に侵入することも出来なかったんだがな。
 多分結構前のデータのはずなのに、更新してなかったのが間抜けもいいところだ。

 和田の言う通りアクセスしただけでするすると入れたんだからな。敵も想定外だったのか、見くびっていたのか。
 あんな高慢ちきな放送するような敵さんだ。きっと油断してたに違いない。ざまあみろ。
 そうこうしてる間に首輪は外れたらしく、見ていた二人も首輪を外し始める。

「ぴこ」

 首輪をくわえたポテトが俺にほれ、と差し出す。
 これのせいで散々苦労させられたし、酷い目にも遭った。
 郁乃が死ぬこともなかっただろうし、沢渡が死ぬこともなかっただろう。
 クソッタレめ。俺は乱暴に首輪を受け取ると、思いっきり窓の外へと投げ捨てた。
 思ったより軽かった首輪は軽い放物線を描いて消えていった。
 本当なら海でも投げ捨てたかったが、この際文句は言わん。

「こっちも終わったぜ」
「準備オーケイや」

 やる気まんまんらしく、装備まできっちり整えた二人が威勢のいい声をかけてくる。
 というより、俺達が一番最後だから早く合流したくて仕方がないのだろう。
 他のメンバーは既に侵入を果たしているはずだ。当然首輪も外して。ドンパチやっているかもしれない。
 破壊工作班、と銘打たれた俺達は専ら重装備で固め、しんがりとしての役目も引き受けることになった。

 ちなみに他の三つのチームはそれぞれ爆弾設置、中枢部制圧、通信施設の確保という役割を任されている。
 とは言ってもあくまで『指針』であるだけで、あくまで脱出が第一らしいが。
 またワームを送り込む過程でどうしてもネットに繋がなければならないため、ここに残っていたというわけだ。
 主な役割は敵方の兵器類の破壊。とはいってもこの装備では破壊できるかどうかも怪しいと俺は睨んでいるので、
 実際のところは小火器類を壊すくらいのものだろう。

663エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:38:32 ID:xs23czu20
「まあ慌てるな。慌てる古事記は読者が少ないって言うぞ」
「……おっさん、わざと言ってねえか?」

 おっさん言うな。折原のことを思い出して、少し言葉が詰まってしまった。
 タイミングを逃してしまったのでこれ以上ボケることは出来ないと思った俺は何事もなかったかのように話を進める。

「2、3、10の入り口から侵入できるみたいだが……どこを選ぶ?」

 ちなみに、ここから侵入できると教えてくれたのも和田の情報である。まさしく救いの神ってわけだ。
 入り口は十箇所あるとのことだったが、学校の位置関係上から最も近いこの三ルートが選ばれた。

「決まってるやろ。一番近い10や」
「ほう、その理由は」
「なんでって……そりゃ、その方が早く追いつけるから」
「悪くない答えだ。及第点だな」
「じゃ、じゃあおじさんの意見はなんやの」

 ふふん、と俺は鼻を鳴らす。まーた始まったか、とポテトが溜息をつき、ゆめみがクスッと笑ったのが目に付いたが、
 最後なんだ。大いに笑って見逃してくれ。こうやって大人面してられるのも最後なんだからな。大事なことなので二回言ったぞ。

「武器庫のIDカードには10って書いてあったそうだ。つまり、武器庫が近いってことだ」
「……なるほど。武器庫に近い分、破壊工作もしやすいってことか」
「ザッツライトだ藤田」
「なんや、結局10番ってことやん」
「……まあそうなんだが」
「意見は一致しているようですし、良いことだと思います」

 流石ゆめみ。きっちりフォローしてくれるぜ。
 ロボットにフォローされるのも悲しい話だが、この島では一番古い付き合いになってしまった間柄だからな。
 それなりの信頼ができてるってもんだ。

664エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:38:51 ID:xs23czu20
「ぴこー」

 はいはい。お前が一番の相棒ですよっと。だから服の裾引っ張んじゃねえよ。ラーメンみたいに伸びるだろうが。
 そう、郁乃も、沢渡も、ささらも七海も折原もいなくなってしまい、寺から一緒にいたメンバーも俺達二人だけだ。
 だから、ってわけじゃない。あいつらが死んだから俺は生きなきゃならないってのはこれっぽっちも思ってやしない。

 ただ――思ったのさ。好き勝手できる程度の人間にはなってやるかってな。
 生きていた頃のあいつらの期待に少しだけ応えるくらいはしてやろうって決めたんだ。
 下らないって昔なら思っただろうな。でも今は違う。違ったって、いい。そうだろ?

「行くか」
「はい」
「ああ」
「うん」
「ぴこ」

 悪くないって、本気で思えているなら。

「さぁて、恨みはらさでおくべきか。思いっきり暴れてやる!」

     *     *     *

 ごうんごうん、と低く唸る音と薄暗い廊下、そして網の目のように四方に広がるパイプは、
 古河渚に気味の悪い生物の内部に潜り込んでいる様を連想させた。
 自身を縛っていた首輪は既になく、ここまで誰にも遭遇することなく駆け抜けてくることができた。
 順調といえば順調、だが順調に行き過ぎていることがかえって渚に不安を抱かせる。
 静かなのだ。誰かが追ってくる気配も、待ち構えている気配もない。
 それは渚の前方に控えているルーシー・マリア・ミソラも那須宗一も感じているようだった。

665エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:39:08 ID:xs23czu20
「誰もいないな……」
「いいことじゃないか。リサも言ってたろ、戦わないに越したことはないって」

 ルーシーの呟きに軽い調子で答えた宗一も、警戒の度合いは強めている。
 廊下の曲がり角に差し掛かると、まず宗一が先んじて進み、
 覗き込んで安全を確認した後に自分達を進ませるという有様だ。
 渚でさえ嫌な感じがするくらいなのだから、宗一はもっと強く感じているのだろう、
 と様子を窺っている宗一の姿を見ながら思う。

 自然とグロック19を持つ手に力が入った。戦わないに越したことはない。確かにそうだ。
 しかし建物の内部に強引に侵入している以上、迎撃の手がないはずがない。
 異物が入れば、自己防衛機能で一斉に排除しにかかる。ここを人体の構造に例えればあって当然だ。
 だからこそ、いつ何が起こっても対応できるように宗一は身構えている。油断は即、死に繋がる。

「よしいいぞ、行こう」

 行けると判断した宗一が手招きしてくる。ルーシーがまず進み、宗一の背後についたところで渚も動き出した。
 三人で行動するときの基本陣形とも言うべきものだった。前衛を宗一が、中座をルーシーが、そして最後尾に渚が位置する。
 単純に戦闘力の順で並べたものだが、一番強い人間に先を任せるという発想だから悪くない。
 宗一の動作も指示も堂に入ったもので、流石にエージェントの貫禄を漂わせている。
 緊張の中にも、宗一がいれば大丈夫だと思えるのは、恋人だから……だけというわけではない、と渚は思いたかった。

「しかし、だ」

 進みながら、ルーシーが珍しく自分から雑談の口を開いてきた。

「戦うのが人間相手じゃなくて良かったというべきなのかな。ロボットなら、まだ大丈夫だ」
「……わたしもです。壊すのはちょっとかわいそうだなって思いましたけど、それでも、もう人が人を殺すのは」

 見たくないものだ。言う前に、ルーシーは頷いてくれた。
 無論人間相手でも、銃を向けなければならない時があることを渚は知っている。
 人が殺せたって何もいいことはない。そうであるからこそ、そうさせないために、
 力の使い方を知って考えるのが自分達の役目だ。

666エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:39:25 ID:xs23czu20
 天沢郁未に銃口を向けたとき、渚には本気で撃てる気持ちがあった。
 力の倫理を鎮めるための力。血塗られた道であっても、その先が善いものになると信じられるから向けられる力。
 最終的に郁未が理解していたかどうかは分からない。だが渚は、確かな声を聞いた。

 やってみろ。出来なきゃ殺すわよ。

 どこか乱暴で突き放すようで、それでも優しさを隠そうともしない声は本心からのものなのだと、
 渚は何の疑いもなく信じることができた。

「できるなら、あのサリンジャーって奴はふん縛って連行してやりたいぜ。
 でも、ま、それは後でもいい。今必要なのはここから逃げ出すことだ」
「ああ、そうだな……裁くのは、私達じゃない」

 自分達を殺し合いに巻き込み、大切な人を幾度となく奪ってきた張本人。
 ここにいる誰もが、少なからぬ恨みを抱いているはずだった。
 渚でさえ、どうしてこんなことをしたのか問い質したかった。
 けれども誠実な答えが返ってくるはずのないことは想像に難くない。
 手前勝手な言葉しか期待できないことは、幾度となく繰り返されてきた放送の中身からも分かる。
 だから謝罪など求めない。代わりに自分は関わらない。しかるべき措置さえ受ければ渚にはそれでよかった。
 考えるべきことはいかに復讐するかではなく、どんな未来を生きるかということだったから……

「にしても随分長い廊下だぜ。ホントにここ建物なのかよ?」
「隊長がそれでどうする」
「俺はセイギブラックだ」
「レッドはいないぞ。ちなみに私はブルーだ」
「わたしは……ホ、ホワイトで」

667エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:39:42 ID:xs23czu20
 ばっ、とルーシーと宗一が振り向いた。敵かと思って渚もグロックを構えて振り向いてみたが誰もいない。
 なぜ二人が凄まじい勢いでこちらに向き直ったのか分からず、「どうしたんですか」と尋ねてみると、
 二人は大真面目な調子で言った。

「「いや、まさかノってくると思わなかった」」
「わ、わたしだって冗談くらい分かりますっ!」
「いや、いや。俺は嬉しいぞ。ユーモアのある彼女で俺は幸せだ」

 宗一はなぜか感動に咽び泣いている。宗一の影響が少しはあるのは否定しなかったが……
 そしてさりげなく惚気たことにルーシーがふっと溜息をついていた。

「起きたとたん膝枕だったな……一体何があったのかと」
「俺の彼女は気前がいいんだ。やさしくしてくれたぞ」
「誤解を招くような言い方しないでくださいっ!」

 顔を真っ赤にして否定するが、宗一とルーシーはゲラゲラ笑ったままだった。
 敵地の真ん中でこんなことをしていていいはずがないのだが、
 宗一が率先してからかってくるものだからどうしようもない。

「やれやれ。ご馳走様」
「どういたしまして。なんならまた食べる?」
「しばらくいい。お腹一杯だ」
「そりゃ残念だ」
「……宗一さん」

 流石に気分のいいものではなく、少し低い声で言ってみると、またぎょっとした調子で振り向かれた。
 敵……ではなさそうだった。

668エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:39:59 ID:xs23czu20
「い、いや、ごめん、からかい過ぎた。……怒った?」
「……少し」
「悪かった。この通り」
「もういいです。帰ったら、で」

 手を合わせる宗一をこれ以上引っ張りまわす気もなかったので、最低限の言葉で応じてみせると、
 聡い宗一は意図に気付いてくれたらしく、「ごめんな」ともう一度言ってまた前衛に戻っていった。
 ふぅ、と苦笑をひとつ吐き出した渚は、こういうことをすぐ悟ってくれるような人だから好きにもなったのだろう、と思った。

「……お腹一杯だと言ったんだがな」

 ぼそりと呟いたルーシーもまた聡かった。

     *     *     *

 目の前にあったのは、巨大な空洞だった。
 どこまで続いているのかと思わせる程の、底無しの暗闇。
 時折ひゅうひゅうと吹く風の音は、化物の唸り声のようにさえ感じられる。
 誰一人として戻れない地獄へと通ずる穴……そんな感想を、芳野祐介は抱いた。

「これがコンソール……かな? ねー誰か英語読める?」

 暗闇を眺めていた芳野の横では、朝霧麻亜子が伊吹風子と共に何かを弄繰り回している。
 はいはい、と藤林杏が離れ、二人の元へと駆け寄る。

 あいつらは確か藤林より年上じゃなかったのかと思わないでもなかったが、
 年齢と学力が比例するわけでもないと思いなおし、芳野は再び暗闇へと目を戻した。
 長い間事故により眠っていた風子はともかく、麻亜子はただ単に勉強していないだけなのだろう。
 もっともそれは自分についても同様だったのでそれをとやかく言う資格はないし、言う気もなかった。

669エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:40:15 ID:xs23czu20
「そういや、歌作ってた時も英語が正しいかなんて全然考えてなかったな」

 己の気分のまま、情動のままに作っていた英語が正しいわけがなく、今にして思えば恥ずかしいものだと芳野は思ったが、
 それでも売れていたのは内容が正しいかどうかなんて関係なく、それ以上に人を惹きつけるなにかがあったのだろう。
 もうそれは分からなくなってしまったし、持ち合わせているはずもなかったが……
 けれども、代わりに手に入れたものだってある。
 自覚しているのならよしということにしておこう、と結論した芳野は暗闇から目を放し、顔を上げた。

「エレベーターのコンソールみたいね……これが上昇で、これが下降かな?」
「でもエレベーターなんてどこにあるんですか?」
「はっはっは。洞察が足りんぞチビ助よ。見よ、あの大穴を」
「チビ助言わないで下さい。で、あれがどうしたんです?」
「あれがエレベーターさね」
「……バカですか? あ、バカにしか見えないエレベーターなんですね。分かります」
「おいチビ助さらりとひどくディスったな! だーかーら貴様はバカチンなのだっ!」
「あんな大きなエレベーターあるわけないじゃないですか! 風子にだって分かりますっ」
「ドアホー! だったらあんな大きな穴は何のためにあるんだよ!」
「アホアホ言わないで下さい! アホが移りますっ」
「はいはいはい、喧嘩はそこまでよ」

 敵地だというのに奇声を張り上げて唸っている二人を杏が頭を掴んで押し留める。
 全く誰が年上なのだか分からなかった。
 とはいえ、納得させられるだけの言葉を杏も持ち合わせていないらしく、苦笑顔で助けを求めてくる。
 芳野はやれやれと首を振って、「搬送エレベータだ」と二人に言った。

「巨大な物資を運ぶために空洞状の構造にしたエレベータだよ。恐らく、今は下に止めてあるんだろう」
「そうなんですか?」
「あのー、なんであっちの言葉は信用するのかしら」
「あんたは普段から胡散臭いのよ」
「う、胡散臭い!?」

670エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:42:29 ID:xs23czu20
 大仰な動作で麻亜子が驚く。自覚していなかったらしい。
 あれだけ奇天烈な言動を繰り返しているのに……
 こいつは分からん、と芳野は内心で溜息をついた。

「……とにかく、まずはこのエレベータを持ってくるぞ。上昇させてくれ」
「了解しましたっ。ポチッとです」

 風子が言うやいなや、空洞の底の方から低く唸る音が聞こえてきた。エレベータが上昇を始めたらしかった。
 まず、上がってくるまでにそれなりの時間を要することになる。それまでは待機だが、警戒はしておく必要はあった。
 コンソール前でたむろしている三人に近づきつつ、「お前ら、油断するんじゃないぞ」と声を飛ばす。

「どこから敵が来るか分からないんだからな」
「でもさ、ここまで一本道だった気がするんだけど」
「……まあ、それはそうなんだが」

 麻亜子の意外と冷静な突っ込みに、芳野は声を詰まらせた。
 ただのアホではないのが麻亜子なのだ。

「今アホとか思ったっしょ」
「いや」

 時々勘も鋭いから困ったものだった。

「へんっ、どーせあちきは期末試験の追試の追試の追試もダメだったからお情けで単位を貰うようなダメ女さ」
「それはダメとしか言いようがないような……」
「そこは慰めてよ!? それが人情だろそーだろー!?」
「アホです」
「がーっ! チビ助だけにゃ言われたくねー!」

671エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:42:48 ID:xs23czu20
 もう止める気力も起きなかった。好きにしてくれ、とさえ思う。
 本当に前に一度交戦した人物なのかとさえ疑いたくなってきた。
 そうこうしているうちにエレベータが上がってきて、広場とさえ見紛うほどの広い空間が目の前に出てきた。
 これだけ大きいとなると、相当数の荷物を運べる。ざっと見た限りでは縦横それぞれ20mはあるだろうか。

「……何を運ぶのかしら」

 あまりにも巨大すぎる床に、杏がそう言うのも当然というものだった。
 仕事柄搬送用エレベータを見ることも多かった芳野も、これだけ巨大なものは見たこともない。

「重機か何かでも運ぶんじゃない? ここ滅茶苦茶広そうだし」
「ここからさらに下に行くんですよね……地下何階まであるんでしょう?」

 それぞれが好き勝手なことを言っていたが、巨大なエレベータに対する畏怖らしきものが感じられるのは気のせいではないだろう。
 これだけのものを建造できる敵に対しての戦慄が混じっているといってもいい。
 自分達が喧嘩を売ろうとしている相手は、それだけのものなのだ。

「行くぞ」

 尻込みしていても始まらないと思い、簡潔に一言だけ告げて進む。
 もう既に、ここは敵の胃袋の中なのだ。
 芳野に続いて麻亜子がエレベータの床を踏み、その後に風子と杏が続いた。
 エレベータの端に小さい箱型の制御装置があり、それを使って下降・上昇させるようだった。
 下降ボタンしか明るくなっていないことから、降りることしかできないのだろう。

 ボタンを押すとガクンと一瞬揺れた後、エレベータが下がってゆくのが分かった。
 それまでいた通路がどんどん視線の上へと上がってゆく。
 またしばらくは待機の時間と見てよさそうだった。

「爆弾はちゃんとあるな」
「ええ、ここにありますよ」

672エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:43:05 ID:xs23czu20
 流石に置き忘れてくるほどの馬鹿はここにはいない。
 杏の隣にはかなりの範囲を吹き飛ばせるらしい爆弾が台車の上に積まれている。
 ニトログリセリンとは違い、微細な刺激で爆発するほどのものではないが、それでもデリケートな代物であるのには変わりない。

「落とすなよ」
「分かってますって」

 念を押した芳野に、杏は自信たっぷりに答えた。
 なんだかんだ言いながら、逐一爆弾の様子を見てくれていたのは杏だった。
 意外と目配りが利いて、細かいところまで見てくれている。優秀な人材だ。
 本人は色々と自信がなさげだが、この目の速さは評価に値するものがある。
 寧ろ杏がいてくれるからこそ、芳野は安心して前を向いていられると言ってもよかった。
 その意味ではこの人事は上手いものだと芳野はリサ=ヴィクセンに感謝する。

「そういえば杏さん、怪我は大丈夫なんですか?」
「まだ痛いんなら代わったげるよ」
「あ、うん。もう大丈夫。何とかなると思う」

 ……目配りが利くのは、杏だけではなかった。
 一見喧しいだけのように見えて、実は色々な方向でバランスは取れているのかもしれない。
 全く大したものだと芳野はリサの手腕に驚嘆するほかなかった。

 そう、話をしているときでも全員がほぼ中央に集まり、襲撃にも備えていることがメンバーの優秀さの証拠だ。
 いや優秀でない人物などあの十五人の中にはいないのだろう。
 全員が修羅場を乗り越え、何かを背負い、悩んで、苦しんで、それでも前を向こうと決意した人ばかりだ。
 最終的な目的は違う部分もあるのだろうが、それでも『誰も死なせたくない』という部分では同じなのかもしれなかった。

「にしても、長いよね、このエレベーター」
「ゆっくりしてるだけなのかもしれないがな」

673エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:43:24 ID:xs23czu20
 壁面を見る限りでは、エレベータの移動速度は極めて遅い。
 一刻も早く進んで、敵の指令中枢部を叩かなければならない。
 いざというときの爆弾もあるにはあるが、基本的に破壊力が強すぎて滅多なところで使えるものではない。
 最低でも、このエレベータから降りたところで、というのが条件だろう。
 爆破するポイントとしては、敵の戦力が集まっているところが望ましいのだが……

 そんな都合のいい場所があるのだろうかと芳野が考えていると、不意に袖を引っ張られる。
 なんだと思って見てみると、眉根を険にした風子が上を指差している。

「何かいるような気がします」
「何か……?」

 目を凝らしてみるが、上も薄暗くて判然としない。
 さりとて気のせいではないのかと無碍にするのも躊躇われ、じっと覗き込んでみる。

「っ!」

 確かに見えた。壁際の『何か』が動いた。
 反射的に爆弾の乗った台車を蹴り飛ばし、「散れっ!」と叫ぶ。
 爆弾が爆発するかもしれないという考えは、直後、台車のあった地点が火花を散らしたことによって即座に吹き飛んだ。
 後一歩遅ければ誘爆して骨ごと残さず炭になっていた。ゾッとした気持ちを感じる一方で、最初に対応したのは麻亜子だった。

 素早くイングラムを取り出した彼女は上方に向かってフルオートで射撃する。
 だがその行動すら遅かったらしい。既に中空を舞っていた敵はこのエレベータに向かって飛び降りていた。
 ドスン、という人間の体躯には見合わない音と共に着地した敵は――プラチナブロンドを纏った、漆黒の修道女だった。
 芳野は知っている。彼女が誰であるのかを。
 ゆっくりと、緩慢な動作で顔を上げた彼女の瞳は、あの時と寸分も違わない無機質な工学樹脂の色だった。

「あなたを、赦しましょう」

 美しい女性の声で言い、女が、『アハトノイン』がP−90の銃口を持ち上げた。

674エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:43:45 ID:xs23czu20
     *     *     *

「コンテナだらけなの」

 規則正しく詰まれたコンテナの群れを見ながら、ウォプタルに乗った一ノ瀬ことみが感心したように息を吐いた。
 このコンテナの中にあるのは恐らく武器弾薬か、はたまた生活必需品の数々か。
 或いは殺し合いの運営に必要なものなのかもしれない。
 回収出来そうもない以上、詮索しても無意味だと考えたリサ=ヴィクセンは、「先を急ぎましょう」と伝えて前に進む。

 自分達は先鋒の役割を務めている。装備は他のメンバーに比べれば多少軽装だけれども、それなりのものを与えられている。
 リサ自身はM4カービンにベレッタM92、それとトンファーを持っている。
 怪我の影響がまだ残っていることみはウォプタルに乗せて移動させることにした。
 装備品はウォプタルにつけているため、苦にはなっていないはずである。

 この正体不明の動物は荷物の運搬も行えるほど力があるらしく、平気そうな顔をしてのしのしと歩いている。
 篁の研究所で生み出された新種の動物なのだろうか。
 どんなことでもやってのける篁財閥のことだ、それくらいはあってもおかしくはなかった。

「にしても、ただっ広いところだな……一体ここで何しようってんだ、あいつらは」

 呆れたようにきょろきょろと周りを見回しながら歩いているのは国崎往人だった。
 怪我の度合い、筋骨隆々とした外見から自分のチームに選抜している。実際、そこそこ重量のあるはずのP−90、
 SPAS12、コルトガバメントカスタム、ツェリスカ、サバイバルナイフなどを持ち歩いているにも関わらず飄々としている。
 本人に言わせれば「荷物持ちは慣れた」とのことらしい。
 中々頼もしい人材だと思いつつ「殺し合いの運営でしょう?」と返答してみる。

「んなもん、ちょっとした機械とかを使うにしてもここまで広くはないだろ」
「……まるで、要塞」

675エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:44:05 ID:xs23czu20
 往人の後を引き取って続けたのは川澄舞だった。
 往人の同行者、ということで相性を考慮してメンバーに入れた。本人曰く「一応戦える」とのことらしい。
 実際どれだけの実力があるのかはいまいち不明瞭だったが、日本刀を携えて歩き回る様はどこか堂に入っていて、
 決して素人などではないことをリサに感じさせた。
 近接武器だけに拠っているのが少し不安と言えば不安だったが、舞自身が銃を持つのを嫌ったので彼女の好きにさせることにした。
 無理に苦手な武器を持たせたところで意味はないと考えたからだった。

 適材適所。銃器に関しては、少なくとも自分というプロフェッショナルがいるのだからいくらでもフォローは行える。
 とはいえ、限りはある。弾薬もそれほど豊富にあるわけではないのだ。
 それゆえ、なるべくならば戦闘に入りたくないというのが全員共通の見解だった。

「要塞、ね。確かにそうかもしれない」
「と、いいますと?」

 ことみが合いの手を打ってくれる。

「この島、実は人工島なのよ」
「初耳だぞ」
「……」

 舞は薄々感づいていたらしい。不自然極まりない部分はいくらでもあった。
 和田の情報、自身の情報、それらから推理したことをリサは続ける。

「地図に載っていない島。色々と詰め込まれたコンテナの数々。
 正体不明の敵ロボット。ここが軍事要塞だとしても何もおかしくはないわ」
「ロボット、ってのは高槻が言ってたあれか。あれは敵の尖兵だと?」
「そうね。あれがここを守る用心棒ってことになる」
「……じゃあ、なんで私達は殺し合いをさせられていたの?」
「さあね……でも、一番最後の放送で主催の意図が変わったのは明らかだった。殺し合いをしろ、が参加者を全滅させる、だもの」
「殺し合いはただの余興だった。そんな可能性もあるの」
「ふざけた話だな……」
「はっきりしていることが一つあるわ。何にしても、ここの連中は命を重んじるような人間じゃない」

676エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:44:21 ID:xs23czu20
 それは全員が感じていたようで、怒りを孕んだ気配が滲み出るのが伝わった。
 理不尽を受け止めはしても、決して許したわけではない。リサとて同じことだった。

「……でも、まずはここから生きて出ること。それが、一番だと思う」

 抑える風ではなく、今できる最善のこととしてその言葉を口にした舞に、全員が無言で頷いた。
 生きることを何よりも優先しなければならないのが今の自分達であったし、そう望んだのも自分達だ。
 殺し合いの中でも様々な人と出会い、言葉を交わし、新しいなにかを見つけた者もいれば、失った者もいる。
 今まであったもの全てを砕かれてしまった者もいる。

 だが、それでもバラバラになった欠片を拾い集め、また自分の足で歩くことを決めたのが自分達なのだろう。
 要は自分のことを優先しているだけなのでもあるが……それで、良かった。
 言い訳して、間違った行為を続けるよりは。

「ま、その話はこれくらいにして、だ。このコンテナの山はどこまで続くんだ」

 これ以上結論の見えきった話を続けるのは無意味だと思ったのか、往人が別の話題を振ってくる。

「とりあえず、真っ直ぐには進んでいるけど」
「適当なのか」

 その通りだった。が、地図も何もないのだから仕方がない。
 壁沿いにでも行けばよかったかと今さらながらに思ったが、そこまで悠長にしている暇もない。

「でも、出口みたいなのはある」

677エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:44:36 ID:xs23czu20
 出し抜けに舞が言い、びっ、と前方を指差した。
 よく見れば緑色の光点があり、扉らしき枠も見える。
 自動開閉式の扉に間違いなかった。

「……まずはあそこね」
「上手く誤魔化したなの」

 余計な一言を挟んだことみを小突いてやろうとしたところで、緑色の光点が唐突に赤色へと変わる。
 誰かが来る。それは勘ではなく確信だった。
 咄嗟にことみのウォプタルを引いて隠れ、往人と舞にも隠れるよう合図を出す。
 嫌なタイミングで鉢合わせたものだ、と内心で舌打ちする。

 不幸中の幸いといえるのが、ここはコンテナだらけで隠れる分には困らないというところくらいだ。
 往人と舞は自分達とは対岸の方のコンテナに隠れており、下手に合流しようとすれば見つかる。
 刹那のことだったとはいえ、離れてしまったのは失策だったか。
 どうするかと考えていると、人のものにしてはやたらと重厚な、地面を踏み潰すような足音が迫ってくる。

 哨戒、とは考えられなかった。明らかに質量を帯びた、
 規則正しくありながら無遠慮に音を立ててくる足音は人間のものとは思いがたい。
 だとするなら、こちら側に来ている敵は『ロボット』以外に考えられない。
 高槻の言う通りならばとんでもないスペックを誇る。何せレポートによれば銃弾が効かないらしいのだ。
 なるべくならばやり過ごしたいところではあったが、リサは探知能力の存在も懸念していた。
 赤外線探知、聴音センサー。人間の存在を探れる技術など溢れかえっている。
 既にこちらが潜んでいる場所を知られている可能性もある。だとするならば、仕掛けるしかない。
 至近距離からライフル弾をありったけ叩き込んでやれば倒せないことはないはずだ。

 M4を持ち上げる仕草をすると、往人と舞もリサの意図を理解したらしく、コクリと頷いた。
 戦闘はなるべく避けたいと言った矢先にこの有様だ。
 どうにもこうにも、エージェントというものはトラブルに巻き込まれやすい性質であるらしい。
 だが、それでもいいとあっけらかんとした気持ちでいる自分の存在もあって――

678エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:44:52 ID:xs23czu20
 きっとそれは、どこかの音楽プロデューサーのせいだったり、どこかの少女のせいだったり、
 どこかの同業者のせいだったりするのかもしれなかった。
 ミッションは迅速に、華麗に。そして、楽しんで……

 地面を蹴り、コンテナから飛び出したリサの動きはまさに他の追随を許さぬほどに早かった。
 M4をしっかりと構えていたリサには、自身が空中に浮いていることなど関係がなかった。
 視界に入った黒衣の影に向けて、頭部をポイントし、引き金を引く。
 正確に放たれたM4の三点バーストが、綺麗な三角形状に頭部を撃ち貫き、ぐらりと影を揺れさせた。
 そのまま前転して往人たちのいるコンテナへと転がり込む。それに合わせるかのように、二つの風が頭上を通り過ぎた。
 連続した銃声。続いて聞こえる、舞の裂帛の気合。
 何が起こったのかは見るまでもなかった。

「……すごい」

 時間にしてみれば、僅か10秒もない出来事だった。呆然と言ったことみに「プロだもの」と言ってのけ、
 ニヤリと笑ってみせると、ことみはやれやれという風に首を振った。
 さて敵はどうなっているのか、と思ったリサは倒れた敵を見下ろしている往人と舞の背中に近づく。

「どう?」
「人間じゃないな」
「でも、血のようなのが出てるのは、少し不気味」

 覗きこんだ先では、仰向けに倒れ、頭部の半分を破壊された女が……いや、ロボットがいた。
 銃撃のせいか、プラチナブロンドの長髪は千々に千切れ飛び、
 舞が切断したのか、P−90を持っていた右手が切り飛ばされ、握ったままに近くに落ちている。
 半壊した頭部からは血の色をした冷却液がじわじわと広がっており、一見すれば血溜まりに浮く死体の様相を呈していた。

679エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:45:09 ID:xs23czu20
 これが『アハトノイン』……人の形をした殺戮ロボット。
 顔が半壊しているにも関わらず、無表情を貫いたままのアハトノインに対してリサが思ったのは、純粋な嫌悪感だった。
 命令のままに人を殺し、意義も正義もなく命を奪う最悪の道具。
 人型にしているのも悪趣味としか思えず、リサは思わず「最悪の趣味ね」と毒づいてしまっていた。
 こんなものを作り、データを取るためだけに何百人もの生き血が啜られてきた。
 どろりとした冷却液も犠牲者の血のようにしか思えず、リサは大きく溜息を漏らす。

「しかし、助かった。あんたが正確に狙撃してくれたからこっちもやりやすかった」
「どうも。そっちこそいい腕前ね。エージェントにでもなってみない?」
「学校に行っていない俺でもなれるのなら」
「……Sorry.今の話は忘れて」
「おい」
「フフ、冗談よ。でも、エージェントはやらない方がいいわ。本当に、色々と厳しいから」

 ちらりと舞の方を見やると、往人は「……なら、忠告に従っておく」と分かったのか分からなかったのか、
 ぶすっとした声で応じた。男女の関係を気にして口出しするようになったのは、自分も既に経験しているからなのだろうか。
 そのような視野でものを見ることができるようになった自分が嬉しくもあり、少しだけ悲しくもなった。

「年かしらね……」
「あ?」
「いいえ、何でも。それよりカタはついたんだし、先を急ぎましょう」

 まだアハトノインを見下ろしている舞に、気持ちを切り替えるつもりで言ってみたのだが、舞は微動だにしなかった。
 それどころか、彼女は再び刀に手をかけている。

「川澄さん?」
「……まだ、こいつは死んでない」

 死んでいない? 頭部が半壊したはずなのに、何故そう言うのかと問おうとした寸前、「来る」と舞が刀を構えた。
 言い切ったと同時、舞が振り下ろした刀が――受け止められた。
 アハトノインが差し込んだ、グルカ刀によって。

680エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:45:26 ID:xs23czu20
「なに!?」

 思いも寄らない事態に動転した往人が慌ててガバメントカスタムを構えるが、
 アハトノインは既に舞の刀を打ち払い、大きく跳躍していた。
 そのままコンテナに飛び乗ったアハトノインに「どういうことだ!」と往人が叫ぶ。

「……そういうこと」
「おいこりゃどういうカラクリなんだ、リサさんよ」
「人間とは違うってことよ。頭を破壊したからといって、そこに動力源やコンピュータがあるわけじゃない」
「……ああ、なるほどな……つくづく厄介なロボットだ」

 コンテナの上からこちらを片目で睥睨するアハトノインは、さながら墓地から蘇った『生ける屍』のようであり、
 決して自分達を見逃さない亡者のようでもあった。
 銃器はない。が、どこを撃てば即死するのかも分からない。
 どうすると逡巡しかけたとき、「先に行って」という舞の声が割って入った。

「このくらいなら私と往人でもなんとかなる。そっちはそっちのやることを」
「ダメよ。まずこいつを倒すところから……」
「時間がどれだけかかるか、分からない」

 言い切った舞には、こちらには時間がないとも言う響きがあった。
 ここで時間を消費している暇はないという風に視線を寄越した舞に、リサは反論の口を持てなかった。

「……リサさん。そうしたほうがいいと思うの」
「ことみ……」
「どうせなら正直になるの。私を守ってまで戦う自信はない。そうでしょ?」
「……」

 肯定も否定もせず、舞はアハトノインに向き直った。
 往人は既に舞と一緒に戦う気なのか、慎重にガバメントカスタムの銃口を向けている。
 もうこの二人を動かす言葉はないと結論したリサは、大きく溜息をついて二人に言った。

681エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:45:42 ID:xs23czu20
「絶対倒すのよ」
「当たり前だ」
「すぐに追いつく」

 短い言葉。だがそこには、絶対にやってみせるという決意があった。
 出口までは訳20m前後。突っ切れば、数秒で辿り着ける範囲だ。

「GO!」

 いけると判断したリサの行動は迅速だった。前に飛び出したリサに続いてことみのウォプタルも疾駆する。
 アハトノインの首が動き、こちらへと向きを変えてきたが、その体がぐらりと揺れる。
 ガバメントカスタムを連射すると共に「相手を間違えてるぞ、ウスノロ」という挑発的な往人の声が聞こえる。
 アハトノインの攻撃対象が変わったのがはっきりと分かった。コンテナを蹴る音が聞こえ、続いて甲高い刃物の打ち合う音が聞こえた。

「往人に手は出させない」
「……あ、なたを、赦し、ま」

 雑音を纏ったアハトノインの声は、元の容姿からは想像もできないほど醜いものだった。

「リサさん!」

 アハトノインに気を取られていると、既に扉の向こう側に移動していたことみがこちらに呼びかけるのが見えた。
 これで、間違ってはいないか。英二と別れたときの光景がリサの脳裏を掠めたが、
 だからこそ信じなければいけないと自分に言い聞かせた。

 英二も、栞も、自分の勝利を信じてやるだけのことをやった。分かれたせいで死んだわけではなく、信念に従って最後まで戦った。
 だから迷ってはいけない。立ち尽くしてはいけない。今できる、最善のことを。
 リサは走った。扉が閉まる。閉ざされた部屋からは銃声と刀の打ち合う音が聞こえてくる。

 それは、彼らが生きている音だった。

682エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:45:56 ID:xs23czu20
【時間:3日目午前11時50分ごろ】
【場所:『高天原』】

【所持品一覧】
1:宗一、渚、るーこ
装備:ウージー、グロック19、クルツ、サブマシンガンカートリッジ×7、38口径弾×21、M10、バタフライナイフ、サバイバルナイフ、暗殺用十徳ナイフ、携帯電話、ワルサーP5(2/8)、日本刀、釘打ち機

2:高槻、ゆめみ、浩之、瑠璃
装備:M1076、ガバメント、コルトパイソン、マグナムの弾×13、500マグナム、.500マグナム弾×2、M79、火炎弾×9、炸裂弾×2、ベネリM3、忍者刀、忍者セット、おたま、防弾チョッキ、IDカード、武器庫の鍵、スイッチ、ライター×2、防弾アーマー

3:芳野、杏、麻亜子、風子
装備:デザートイーグル50AE、デザートイーグル44マグナム、ニューナンブ、イングラム、ウージー、89式、SMGⅡ、サブマシンガンカートリッジ×7、89式マガジン×2、S&W M29 5/6、SIG(P232)残弾数(2/7)、二連式デリンジャー(残弾1発)、日本刀、ボウガン、注射器×3(黄)、宝石、三角帽子

4:リサ、ことみ、舞、往人
装備:M4、P−90、SPAS12、レミントンM870、レミントン(M700)、ガバメントカスタム、ベレッタM92、ツェリスカ、ツェリスカ弾×4、M4マガジン×4、ショットシェル弾×10、38口径ホローポイント弾×11、38口径弾×10、M1076弾×9、7.62mmライフル弾(レミントンM700)×5、日本刀、サバイバルナイフ、ツールセット、誘導装置、投げナイフ(残:4本)、トンファー、ロープ

683エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:46:09 ID:xs23czu20
那須宗一
【状態:怪我は回復】
【目的:渚を何が何でも守る】 

解き放たれた男・高槻
【状況:主催者を直々にブッ潰す】

芳野祐介
【状態:健康】
【目的:思うように生きてみる】

一ノ瀬ことみ
【状態:左目を失明。左半身に怪我(簡易治療済み)】
【目的:生きて帰って医者になる。聖同様、絶対に人は殺さない】

リサ=ヴィクセン
【状態:どこまでも進み、どこまでも戦う】

川澄舞
【状態:往人に付き従って行動。強く生きていたいと考えている】
【その他:往人に対して強い親近感を抱いている。剣道着を着ている】

朝霧麻亜子
【状態:ダイ・ジョーブ】
【その他:体操服(上下のジャージ)を着ている】

国崎往人
【所持品:スペツナズナイフの柄】
【状況:強く生きることを決意。人形劇で舞を笑わせてあげたいと考えている】
【その他:左腕に文字を刻んだ。舞に対して親近感を抱いている】

古河渚
【状態:健康】
【目的:人と距離を取らず付き合っていく】

ルーシー・マリア・ミソラ
【状態:生き残ることを決意。髪飾りに美凪の制服の十字架をつけている】
【目的:まーりゃんはよく分からん】

ほしのゆめみ
【状態:パートナーの高槻に従って行動】

藤林杏
【状態:絶対生きて帰る】

姫百合瑠璃
【状態:死ぬまで生きる。浩之と絶対に離れない】

藤田浩之
【状態:歩けるだけ歩いてゆこう。自分を取り戻した】

684エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:46:32 ID:xs23czu20
→B-10

685エルサレムⅢ [ありがとう]:2010/02/24(水) 23:07:54 ID:3kpzQWQU0
 そこは、世界にただひとつ残された、最後の楽園だった。

 照明にしては明るすぎるくらいの光が照りつけ、等間隔に敷き詰められた石床は綺麗に磨かれ、素晴らしくつるつるしている。
 一方石床以外の足場は雑草ともつかぬ植物が生い茂っており、石柱にも巻き付いてそこだけが年月を経たような有様になっていた。

 目を移してみれば、畑のようなものまであり、色とりどりの花が空間を着飾っている。
 ちょろちょろと聞こえる小さな音は水音だろう。上手く風景に紛れているのか、ぱっと見ではどこにあるのか分からない。
 部屋の中央には一対の机と椅子が用意されており、それも綺麗に磨かれた大理石のものだった。
 ただ――空の色だけは単調な青一色であり、ここが偽物の楽園でしかないことを強く示していた。

「驚いたな、こんなところがあるなんて」

 構えていた銃を下ろし、ルーシー・マリア・ミソラは呆然と呟いた。
 いや、正しくは呆れていた。こんな時代錯誤も甚だしい施設を構えている主催者の神経が改めて分からなかった。
 単に庭園というのならば分からなくはない。城にそのようなものを配置するのは理解できる。

 しかしそれは住人が人間であるならばの話だ。ここには花の美しさを楽しみ、愛でる住人などいない。
 いるのは機械だけだ。ただ命令のままに動く機械の兵隊だけ。
 逆に皮肉っているとさえ取れた。自分達ばかりではなく、この世界そのものを嘲笑っているような、そんな感覚だった。

「懐古趣味もいいところだぜ。空中庭園のつもりかよ」

 同じものを那須宗一も感じ取ったのか、棘を隠しもしない口調で言う。
 周囲を絶え間なく見回しているのは、恐らくは何か仕掛けがないかどうか探っているのだろう。
 それほど、この空間は胡散臭い。

「でも、綺麗なところですよね」

686エルサレムⅢ [ありがとう]:2010/02/24(水) 23:08:16 ID:3kpzQWQU0
 フォローなのか素なのか、どちらともつかない調子で古河渚が言った。
 確かに、見た目には美しい。日常にどこかのビルの中で見れば、素直に賞賛の言葉を出していただろう。
 結局のところ、こんな場所にあるから反感を持つだけなのかもしれない。
 やれやれと心の奥底に根付いた毒を手で払い、ルーシーは「行こう」と歩き出した。

「取り合えず道沿いに行けば別のところに行けると思う」
「だな。ったく、どこまで広いんだかここは……」

 宗一は相変わらず周囲に目を配っている。
 妙に気がかりに思ったルーシーは「嫌な予感でもするのか」とカマをかけてみる。

「始めに言っておくが、俺の勘の的中率は高いぞ」
「それは信用できそうだな。で」
「来るかも」

 簡潔な一言だったが、だからこそ、という気になった。
 渚と頷きあい、前方に注意を向ける。
 テーブルセットを越え、今はほぼ部屋の中央にいる。
 幸いにして通路自体は一方通行であるため、囲まれる可能性は低いのが救いだった。

「あ、そうだ言い忘れてたわ」
「なんだ」

 言っちゃっていいのかな、と前置きしてから宗一は苦笑する。

「早く言え」
「いやーその、実はさ」

 ばしゃ、と背後から一際大きな水音が立った。
 魚が跳ねた? そんなもの、ここにいるはずがない。
 ここは命の途絶えた死の楽園だ。
 ならば、そこに潜んでいるのは――物言わぬ守衛だ。

687エルサレムⅢ [ありがとう]:2010/02/24(水) 23:08:35 ID:3kpzQWQU0
「口にした途端に起こるんだ。『悪い予感』」

 振り向くと、そこでは宗一と、水に濡れた『アハトノイン』が刃を交えていた。
 水中から奇襲された? 一瞬でその結論を下すと、ルーシーは宗一の肩越しにクルツを撃ち放った。
 水中から飛び出したまま宙に浮いていたアハトノインは銃弾をもろに受け、再び水中へと落ちる。
 サバイバルナイフを逆手に構えた宗一が「ということだ」と締めるのを「なら言うな!」とルーシーも怒声を飛ばす。

「いや忘れてたんだ。悪い悪い。まあタイミングは計れたってことで」
「あ、あの、今ので……」
「いや、多分ピンピンしてる。手ごたえがない」

 人を少なからず撃ち、少なからず殺しているからこそ、ルーシーはアハトノインが動いていることを瞬時に悟った。
 この庭園には見えにくい水路が至るところにあるようで、アハトノインはそこを伝って移動してきたのだろう。
 機械であるから、水中での窒息もない。いつどのタイミングで攻めてきたものか分かったものではない。

「走り抜けた方が良さそうかもな」

 宗一の提案に、渚とルーシーも頷いた。わざわざ相手に合わせる意味もない。
 問題は振り切ることが出来るかということだが、はっきり言って自信がない。
 それでもやるしかない。踏み止まっている暇は、なかった。

「走れ!」

 宗一の声に合わせて全員が走り出す。庭園を抜けるまでは距離にして50mもなかったが、
 目の前の敵はそう易々と通してくれる相手ではなかった。
 先ほどよりも大きな水音と飛沫が跳ね上がり、大きく跳躍したアハトノインが頭上を通過する。
 力任せの先回りもできるらしい。水滴を垂らしながら降り立つ黒衣の修道女に向け、再度クルツを発砲する。
 しかしアハトノインは着地の硬直などまるで無視して横に飛び、ルーシーの弾幕を掻い潜ってくる。
 こちらを見定める、薄銅色の工学樹脂の瞳。狙いを定めた殺戮機械は、まずルーシーを屠るつもりのようだった。

688エルサレムⅢ [ありがとう]:2010/02/24(水) 23:08:57 ID:3kpzQWQU0
 上等だ。心中で啖呵を切り、グルカ刀を抜いていたアハトノインに休むことなく弾を撃ち続ける。
 数発当たる。だが少しばかり身じろぎしただけで、アハトノインは止まらない。
 どっちだろうがお構いなしか。流石に回避に移るべきと判断し、一旦発砲を止めた瞬間……アハトノインが小さく屈んだ。
 ルーシーがそれを認識した時には、凄まじい速さで前に飛び出していた。

「速……!」

 斬られる。間に合わないと思ったが、「でえぇぇい!」という場違いな気合と足がアハトノインの斬撃を中断させた。
 宗一だった。周りからの攻撃に対して無防備になるのを狙っていたらしい。
 蹴り倒した勢いに任せ、続けてグロック19の引き金が引かれた。
 至近距離から発砲されては流石にダメージが通ったのか、アハトノインの腕がビクンと跳ねる。
 全弾撃ちつくしたのを確認して、宗一がアハトノインから離れる。普通の人間なら既に死んでいるが、
 アハトノインは平然と起き上がったばかりか、起き上がった勢いに任せ、宗一を射程圏内に捉えていた。

「いっ!?」
「那須!」

 辛うじてアハトノインの攻撃から救われたルーシーに援護の暇はない。
 だが、戦える者はもう一人いる。
 宗一の足元から火線が走り、アハトノインの右半身に着弾する。
 むき出しの足を銃弾から守るものはなく、穴の開いた足から血のようなものを噴出させ、修道女がぐらりと傾き、転倒する。

「よし、ナイスアシスト!」
「……分かってて慌ててましたよね?」

 立ち上がった射撃手の渚が立ち上がり、確信する口調で言った。

「なんで渚にはバレるかね」
「だいたい分かります」
「浮気できないな……っと!」

689エルサレムⅢ [ありがとう]:2010/02/24(水) 23:09:17 ID:3kpzQWQU0
 ベルトに差していたウージーを取り出すと、まだ起き上がろうとしていたアハトノインに追撃する。
 全弾着弾はしたが、それでもトドメを刺すに至らないらしく、宙返りをしながら後退する。
 体の至るところに穴が開き、顔面のいくらかが抉れて金属フレームが露になり、元は美麗だった足も赤い液体が漏れ、
 ドロドロと地面に滴らせながらも、それでも平然としている。

「不死身かよ……」
「こっちを殺すまで死ななさそうだ」
「ロボットじゃなくて……ファンタジーの化物みたい、です」

 渚でさえこのような表現をしていることに、ルーシーは少なからぬ驚愕を覚えた。
 それほどの殺意と、執念と、おぞましい何かを宿している。
 アハトノインは殺し合いを強要させて恥じない連中の意志そのものと言っていい、傲慢と暴力の象徴だった。

 度重なる銃撃の影響か、ボロボロになっていたフードが落ち、貌が露になる。
 細やかな金糸の髪が揺れ、ざわざわと波立った。濡れているからなのか、それは余計に美しく妖艶に思えた。
 旅人をその歌声で水底に沈める魔女、ローレライ……ルーシーが抱いたのはそんな感想だった。
 いや、歌声ではない。呪詛だ。何千の血を吸いながら当然としか断じない者が放つ、呪いの言葉だ。
 殺せ。或いは、食え。いやどんな言葉でもいい。とにかく、それはルーシーにとってはおぞましく、地下道に籠もった饐えた臭気だった。

「次で決着をつけるぞ」

 だからルーシーは自然と口に出していた。もうこれ以上、見ていたくなかった。
 見ていると湧き上がる感慨は怒りや憤懣ではなく、ただ哀れだと思う気持ちだったから……

 石畳を踏み潰し、アハトノインが疾駆する。相変わらずの前進突撃。だが、その突撃は何者にも止められない。
 ならば受ける必要はない。手持ちの武器でトドメを刺すには……
 ルーシーは腰につけている、確実にアハトノインを倒せるであろう武器に触れる。
 これならばあの怪物も打ち崩せる。問題は、確実に弱点に当てることだった。

690エルサレムⅢ [ありがとう]:2010/02/24(水) 23:09:40 ID:3kpzQWQU0
 頭を撃ち抜こうが止まらないロボットだが、決して不死ではない。機械である以上必ずカラクリがある。
 大体の予想はついている。後は、己の勘を信じて行動できるかだった。

 いけるさ。どこの誰ともつかない声がそう言い、そうだなとルーシーも応えた。
 自分にはこれまでに培ってきたものがある。新しく知ったことがある。思い出したこともある。
 人の心を慮れるやさしさも、身を預けていられる心地良さも持っている。
 そのために犠牲にしてしまったものもある。自分が許せなくなるくらいの後悔だって、した。

 ここで自分がやったこと。ここで生き抜こうとした人たちのこと。
 所詮それはどんな歴史にも残らない、たかが一つの惑星の、屑鉄に沸いた錆のようなものでしかないのだろう。

 しかしたとえそうであったとしても、私は……

 M10を発砲する渚を援護にして、宗一がウージーを持って突進する。
 アハトノインはしゃがみ、長い足を突き出すような足払いを繰り出す。挙動は異常に素早い。だが相手が悪かった。
 世界一のエージェント、ナスティボーイに生半可な格闘は通用しない。
 逆に足を狩った宗一はバランスを崩したアハトノインの顔面目掛けて追撃の前蹴りを見舞う。
 ところがアハトノインは有り得ない速度で上体を反らし、器用に全身をバネにして宗一の蹴りを受け止めた。

 ちっ、と舌打ちしながら宗一がナイフで挑みかかる。
 既に体勢を立て直していたアハトノインはグルカ刀で難なく受け止め、返す刀で宗一の側面、脇腹を狙う。
 バックステップしても避けられない。ならばと宗一は無理矢理前転して刀を空かす。
 そこに付け入らせないのが世界一たる所以だった。

 腕の力だけで体を持ち上げ、脚を振り上げ、踵落としのような一撃を与える。
 アハトノインが崩れる、かと思えばしぶとかった。
 ガシャ、という音がしたかと同時、アハトノインの左手に小型のナイフが収まっていた。仕込みナイフだ。
 マジかよ、と宗一が呻く。しかし言葉とは裏腹に行動は冷静で、
 体勢を崩しつつも近距離では役に立たないウージーを放り捨て、腰に差していた十徳ナイフを引き抜く。

691エルサレムⅢ [ありがとう]:2010/02/24(水) 23:10:01 ID:3kpzQWQU0
 アハトノインの振り下ろしたグルカ刀と小型ナイフに、宗一のサバイバルナイフと十徳ナイフが鍔迫り合う。
 宗一でなければ串刺しにされていただろう。だがこのままでは宗一が不利になる一方だ。
 どうするとルーシーは一瞬逡巡した。まだ機会ではない。飛び込むにはもうちょっとだけ早すぎる。

 だが、仲間の命が――

 ――いや、そうじゃない。信じろ。

 踏み出しそうになる足を押し留める。
 信じる力。人と人が生み出す、奇妙な、それでいて何物にも負けない力。
 それは、かつて故郷で教えられた言葉だった。
 皮肉だとは思わない。何故なら、自分と美凪がそうであったように。
 〝あらゆる物理法則を越えて、『みんな』はひとつ〟なのだから。

 押し込もうとしていたアハトノインの、華奢ながら頑強な体が白煙を噴き出す。
 アハトノインが振り向く。その先では、宗一が投げ捨てたウージーを腰だめに構えた渚の姿があった。
 渚に矛先を変えようとするが、その体が動くことはなかった。
 宗一が釘打ち機を足元に打ち込み、動かないようにしていたからだった。
 今のアハトノインは動けない。望んで止まなかった、チャンスの到来だ。

「ナイスキャッチ」
「実は、野球は得意なんです」

 ニヤと笑い合った二人には恋人という間柄を越えた、もっと深い繋がりがあるように思えた。
 誰もがそうなのかもしれない。誰もが既に、見つけ出しているものなのだろう。
 そこには自由に入ってゆくことが出来る。望みさえすれば。

 だから、私も……もっと大きなひとつになる。
 裂帛の気合と共に、ルーシーが突き出した日本刀が、深々とアハトノインの胸部を貫いた。

692エルサレムⅢ [ありがとう]:2010/02/24(水) 23:10:22 ID:3kpzQWQU0
「……!」

 声にならない声を上げ、全ての繋がりを断ち切ろうとする存在が、ただ壊すだけの存在がルーシーを睨む。
 焦点も定まっていないカメラアイは、既にロボットとしての機能を失っていることを証明していた。

「失せろ」

 抑揚のない声で言い、刀を更に深く押し込むと、アハトノインは呆気なく崩れ落ちた。
 指一本さえも動かす気配はなく、完全に機能停止したことを確認して、ルーシーは長い溜息をついた。

「まだ終わってないぞ」

 倒した安心感からか、座り込んでいたルーシーに宗一が手を差し伸べる。
 後何体いるかは分からないが、まだ戦いは終わっていない。これからだ。
 やれやれ、最後まで戦い抜くというのは疲れるな、なぎー?
 苦笑して、宗一の手を取る。強い力で引っ張られるのを感じ、全身から抜けていた力が戻ってくるのも感じた。
 尻についた埃を払いつつ、ルーシーは「にしても、見事だったぞあの連携は」とまずは二人を褒める。

「だろ? これが」
「みんなの力です」
「……そこは愛の力って言おうぜ」
「恥ずかしいじゃないですか……」

 その後小声で「それに、ムードがないです」と付け足した渚に、くくっとルーシーは笑った。
 どうやらこういう部分での女の扱い方には慣れてないようだと思い、首を傾げる宗一に「もっと勉強するんだな」と言っておいた。
 納得のいっていない風に眉根を寄せた宗一だったが、まあいいかと思ったのか「それよりも」と話題を変える。

「野球が得意ってマジか」
「お父さんが得意でした」
「……なるほど、血筋ってか」

693エルサレムⅢ [ありがとう]:2010/02/24(水) 23:10:46 ID:3kpzQWQU0
 宗一は軽く笑っただけだったが、ルーシーにはどうにも不思議でならなかった。
 思い返してみれば、あそこまで鮮やかに宗一に合わせられるというのも凄い話なのだ。
 世界一は伊達ではない。プロに合わせるには、プロの技量が必要だ。
 息は合っているのは疑いようのない事実なのだが、それだけではないように思えた。

「それに、なんだか今はとっても調子がいいんです。すごく体が軽くて」
「ほー……やっぱりこれは」

 愛の力、か。終わりのなかった殺し合いに終止符が打てると思えば、それくらいの力が発揮できるものなのかもしれない。
 まだまだこの地球には不思議なことが一杯だ、と感慨を結びつつ、さもありなんという風に頷いておいた。

「……」
「……」
「まあいいさ。後に聞くよ」
「そうしてください」

 にっこりと笑った渚に、やれやれと肩を竦ませつつ宗一が歩き出した。
 その背を追う渚は、見事に無茶苦茶少年の手綱を取っている。
 本当に大したものだ、とルーシーは感心する。初めて会ったときは、今にも崩れ落ちそうなほど儚い印象があったのに。
 前に、前に進むたびに彼女は本当の意味で強くなっている。控えめだけれど、しっかりと他者を支えていける人間になった。
 やはり渚のようにはなれそうにもない。あれは規格外だということを今さらのように理解し、ルーシーは諦めの息を吐き出した。
 だが羨望や嫉妬はなかった。なら自分は別の強さを身につけていけばいい。人を思いやれる程度には優しくなれればいい。

「そう、なれているかな」

 銀の十字架に手を触れる。無言で応えてくれるそれもまた、優しかった。
 二人の背中を追おうと、ルーシーも走り出す。二つ分の足音を伴って。

694エルサレムⅢ [ありがとう]:2010/02/24(水) 23:11:09 ID:3kpzQWQU0
 二つ?

 幻聴ではなかった。
 確かに音は、そこにあった。
 振り向く。後ろの世界では、有り得ないことが起こっていた。
 串刺しにされ、完全に機能を停止したはずのアハトノインが、グルカ刀を持って突進してきていた。

 何が起こっているのか分からなかったルーシーが現実を認識したのは、
 肉に刃物が突き刺さる、気持ちの悪い音を聞いたときだった。

「っ……かはっ」

 異物が体にめり込む感覚。ひたすら違和感を覚えたのは最初だけで、そこから先は苦痛の地獄だった。
 想像を絶する痛みが体中を駆け巡り、命を支える柱が崩れてゆく実感があった。
 痛いとは、こういうことなのか? 春原が、澪が、美凪が味わった感触がこれだというのか。
 声を出そうという発想さえなかった。そんなことさえ考えられないくらい、全身が死に支配されている。

 アハトノインの、相変わらず焦点の定まらない瞳を見る。
 無表情のまま、グリグリと刀を押し付けてくる彼女からは悪意さえ感じ取れる。
 てらてらと輝く金属骨格の光は、全てを無駄だと言い切るような怜悧さがあった。
 冗談じゃない。ルーシーはその一語だけを心に思い、残った力の全てを使って、アハトノインの胸部に突き刺さる刀を掴んだ。

「まだまだだっ!」

 絶叫と共に渾身の力で刀を振り上げる。その拍子にぶちぶちと自らの肉が切れ、
 どろりとした感触が己の内奥から喉元に逆流してくるが、ルーシーの行動を妨げるほどのものではなかった。
 無理矢理切り上げられ、アハトノインの体が肩口からほぼ真っ二つに裂け、か、と口が大きく開かれた。
 苦悶の表情のつもりなのだろうか。なら楽にしてやると、ルーシーはワルサーを切り裂いた部分に突っ込み、
 引き金を引いた。内側からでは強固な装甲も防弾コートも役には立たず、
 アハトノインは動力源ごと機能停止に追い込まれることになった。

695エルサレムⅢ [ありがとう]:2010/02/24(水) 23:11:29 ID:3kpzQWQU0
 冷却液を飛散させながら天を仰ぎ、倒れた修道女は今度こそ完全に死んだ。
 その様子を見届けてから、ルーシーもガクリと膝を折った。

「るーちゃんっ!」

 悲鳴に近い渚の声が聞こえ、緩慢な調子で振り返ると、渚は今にも泣き出しそうな表情でルーシーの肩を掴んだ。
 ああ、痛い。そう言って笑ってみせると、渚はビクリと震え、手を離す。
 途方に暮れたような渚の顔が痛々しく、死ぬのかとぼんやり思ったが、全くそんな感じはしなかった。

 むしろ心地良い。ここまでやりきったという思いがそう感じさせるのか、
 それともこれが死を迎える感覚なのかと考えたが、どちらとも判然とせず、
 背後で立ち尽くしている宗一に視線で問いかけてみた。
 だが宗一も答えることはなく、ゆっくりと首を振った。やはり、自分で考えろということらしい。
 そうして少し考えてみた結果、ちょっとした大怪我なのだろう、と思うことにした。

「……ちょっとやられただけだ。少し休めば、また良くなる」
「ちょっとって……!」

 どうなっているかは自分でもよく分からなかったが、恐らくは血まみれなのだろう。
 今も出血しているのかもしれない。それでも死ぬとは思えず、ルーシーはまた笑ってみた。
 やせ我慢などではなく、本当に気分が良かったからなのだが、渚はそうは思ってくれなかったらしい。
 ごめんなさい、と繰り返す渚に、ルーシーは「だったら」と返した。

「医者になって、渚が治してくれ。ふふ、傷痕も残らないくらいのやつで頼む」

 ここに来るまでに交わした雑談の中で、渚は医者になりたいと言っていた。
 なんだか彼女らしいとも思えたし、患者にも優しい先生になるだろうとも予想できた。
 対して自分は、取り合えずウェイトレスになって働くくらいのことしか思いつかず、口を濁していた。
 それも自分と渚の違いなのだろう。だから今は、世界一のウェイトレスになってやろうと、そう決める。

696エルサレムⅢ [ありがとう]:2010/02/24(水) 23:11:52 ID:3kpzQWQU0
「分かり、ました……約束、です」

 小指を差し出す渚に、うんと応じてルーシーも小指を絡ませた。
 こういうのを、なんと言うのだったか。ああ、日本の文化には詳しくない。
 やれやれ。世界一は厳しいな。
 そう思っているうちに小指が離れ、少しだけ寂しく思って、ルーシーは「ついでに」と髪につけていた十字架を外す。

「これ、持って行ってくれないか。口約束だけじゃ信用できないからな。私が合流したら返してくれ」

 遺品として手放さないと決めたはずのそれを、なぜ渡そうと思ったのかは自分でも分からなかった。
 いや、と頭に浮かんだ考えを否定する。きっと、そうだ。
 だからルーシーは新たに浮かんだ考えを紡ぐ。

「あらゆる物理法則を越えて、私も、渚も、なぎーも、皆はひとつだ」

 出し抜けに言ってしまったからか、わけの分からない言葉になったかと思ったが、聡い渚は理解してくれたらしく、
 薄く笑って、十字架を受け取ってくれた。

「ちょっと待て。私がつける」

 笑ったのが自分にとっては嬉しく、ルーシーは十字架をひったくると渚の髪に手を回し、
 短いポニーテールの髪留めになるように十字架をつけた。
 少し地味だった渚の髪型はちょこんと垂れたポニーがアクセントとなり、彼女の可愛らしさを引き立たせていた。

「そっちの方が似合うぞ。どうだ、私のセンスも悪いものじゃないだろ」

 なあ、那須。そう言ってやると、渚は宗一の方に振り向いた。
 いきなり様変わりした渚を見せ付けられた宗一の顔がたちまち照れた色に染まり、
 「ま、まあまあな」と予想通りの言葉が返ってきた。

697エルサレムⅢ [ありがとう]:2010/02/24(水) 23:12:08 ID:3kpzQWQU0
 最高の気分だった。初心な奴め。とことん恋愛には疎い宗一を年上の目で見ながら、
 ルーシーはこれが自分の目指したところか、と考えを結んだ。
 どんなに苦しくて、辛くて、みっともなくても、ここを目指してきて良かったと心から思える。
 うーへいも、なぎーも今はこの気分を味わっているに違いない。

「さ、もう行ってくれ。もう少ししたら、私も追いかけるから……」

 笑い疲れ、やっとのことで切り出すと、渚も宗一も今度は何の躊躇いもなく頷いてくれた。
 ようやく自分はまだ大丈夫だということに気付いてくれたらしい。
 走り去ってゆく二人の背を見送りながら、ルーシーは天を仰いだ。

 チープな空だけがある。そこには何も映っていない。
 逆に言えば、ここから何でも作っていけるということだった。何もないなら、作ればいい。
 これから時間ならいくらでもあるのだから……

「そうだ、思い出した」

 空に差し伸べていたルーシーの手が、小指一本差し出したものに変わる。

「ゆびきりげんまん、だったな」

698エルサレムⅢ [ありがとう]:2010/02/24(水) 23:12:37 ID:3kpzQWQU0















【ルーシー・マリア・ミソラ 死亡】

699エルサレムⅢ [ありがとう]:2010/02/24(水) 23:12:58 ID:3kpzQWQU0
【場所:『高天原』】

【所持品一覧】
1:宗一、渚
装備:ウージー、グロック19、クルツ、サブマシンガンカートリッジ×5、38口径弾×21、M10、バタフライナイフ、サバイバルナイフ、暗殺用十徳ナイフ、携帯電話、ワルサーP5(2/8)、日本刀、釘打ち機

那須宗一
【状態:怪我は回復】
【目的:渚を何が何でも守る】 

古河渚
【状態:健康】
【目的:今は、前だけを】

→B-10

700来栖川綾香:2010/03/02(火) 13:28:53 ID:wvXD0MO.0
 
 
 
それは、そのあるべき生を踏み躙られた、ただそういうものである。




******

701来栖川綾香:2010/03/02(火) 13:29:29 ID:wvXD0MO.0
 
 
 
幼い頃、部屋の窓から見える景色が好きだった。
春、遠くの山が桜色に染まるのを、私はとても美しいと感じていた。
私の生は輝いていた。

あるとき、姉が言った。
あの桜は、もうすぐ見られなくなるのだと。
山は崩されて、沢山のお家になるのだと、そんなことを言った。
とても悲しくなったのを、覚えている。
私の生は輝いていた。

一晩、考えた。
考えた末に私は、窓の向こうの景色が、次の春も桜色に染まることを望んだ。
そうして私は来栖川だった。
私の望みは、来栖川の要求は、すぐに叶えられることになった。
私の生は輝いていた。

大勢の人間が困ると聞かされた。
少しだけ寂しい気持ちになって、すぐに忘れた。
その何倍も、嬉しかった。
私は、私の望む景色が窓の向こうに在り続けることを、正しいと、思った。
私の部屋はそうあるべきなのだと。
それをこそして、正しい姿なのだと、そう思った。
私の生は、輝いていた。

窓の向こうの山がなくなったのは、それからすぐのことだった。

702来栖川綾香:2010/03/02(火) 13:29:46 ID:wvXD0MO.0
これでいいの、と私に言ったのは、姉だった。
これでいいの。人を困らせてはいけません。
これでいいの。桜が切られてしまっては可哀想だから、遠くの山に移すことになったの。
これでいいの。今度、一緒に見に行きましょう。綺麗に咲いた桜の下で、お弁当を頂きましょう。
これでいいの。これで誰も困らないの。誰も悲しくならないの。
これでいいの。これでいいの。これでいいの。

703来栖川綾香:2010/03/02(火) 13:30:38 ID:wvXD0MO.0
これでいいの。
静かに繰り返される言葉は、私を縛る十字架だった。

これでいいの。
言葉は私の目を貫いて、私の心に穂先を向ける。

これでいいの。
槍は鋭く、磔の私は身を捩ることも許されず。

これでいいの。
姉の刃が私の中に、冷たい痛みを、差し向ける。

これでいいの。
穂先が皮を小さく裂いて。

これでいいの。
垂れ落ちる血は、ひとしずく。

これでいいの。
私を抉る、言葉の槍に、

これでいいの。
じわりと、力が込められて、

これでいいの。
窓の向こうに、山はもう、ない。

これでいいの。
私は、

これでいいの。
私は、

これでいいの。
私は、黙って、頷いた。

頷いたのだ。
僅かに数ミリ、言葉もなく、不貞腐れたように、妥協を、肯んじた。

704来栖川綾香:2010/03/02(火) 13:30:58 ID:wvXD0MO.0
 
―――よくできました、と。

そう言って微笑んだ、姉の顔を私は忘れない。
その一瞬。その数ミリ。
その微笑が、私を濁らせたのだ。

澄んだ水面に、墨の一滴を垂らすように。
それはすぐに見えなくなって、水面の色は、変わらずに。
しかし、それはもう、元の澄み渡った水では、ない。
純粋の座から引きずり下ろされ犯された、それは穢れの混じった水だ。


私の生が濁って澱む、それは瞬間だった。

705来栖川綾香:2010/03/02(火) 13:31:38 ID:wvXD0MO.0
 
敗北が人を濁らせる。
膝を屈せば澱んでいく。

醜いと、思った。
濁った目に映る何もかもが、たまらなく醜いと。
澱んだ私を通すとき、窓の向こうの光景は、どこまでも矮小で、猥雑だった。
それは、訣別すべき亡者の苑。断絶すべき、煉獄だ。
私が喪ったのは、つまりそういうものだった。

透き通ったものだけが在り続けたはずの世界は、だからもう、そこにはない。
私は、それが許せなかった。
私には、それが、赦せなかった。

だから、決めた。
だから、定めた。
私の意味を。その価値を。かくあれかしと望む、在りようを。

これでいいのと、強いる世界があるのなら。
私は今度こそ、頷かない。
頷いてはならない。
私はもう、負けない。

よくできましたと、微笑むことを赦さない。
赦して、濁って、終わらない。
終わっては、ならない。
私は二度と、屈しない。

抗うのではない。挑んだのでもない。
たかが現実の如きに屈さぬと決意した、それだけのことだ。
生きて、濁らず。
目を覚ませば瞼を開くように、或いは息を吸えば吐くように。
生きるということの、それは当然。

それは、今なお生きるすべての来栖川綾香が、すべての来栖川綾香に、
或いはすべての松原葵に、坂下好恵に命ずる、ただ一言。
生きよと命ずる、その声の、それが意味だ。

美しく、在れと。
私の生を輝かせる、それが絶対の回答だ。
澄み渡る私の向こう側に広がる景色は、きっとどこまでも、透き通っている。

706来栖川綾香:2010/03/02(火) 13:32:00 ID:wvXD0MO.0
 
だから、私は赦さない。


私の命の在りようを。
来栖川綾香の闘争を。
よくできましたと、笑むのなら。
これでいいのと、強いるなら。
私はそれを、赦さない。

生きて、果て往くそのときを、姉が、世界が、穢すなら。
私はそこで、終わらない。

来栖川綾香は屈しない。
そう決めた。そう定めた。
ならば、敗北を以てこの生は、終わらない。
死を超えて、私の生は勝利する。

来栖川芹香に。
私を濁らせるすべてに。
それが望むすべてに。
続き続けることが、勝利だと。
姉が、世界が、望むなら。
私はそれを、蹂躙する。
私の生を、輝かせる。

たとえば、拳を振るうこと。
たとえば、力を振るうこと。
たとえば、私が来栖川であること。
たとえば、私が来栖川綾香であること。
私の生は、輝いている。

空を見て、星はなく。
夜明け前の、藍色の空が好きだった。
私の生は、輝いている。


私の生は、輝いている。

707来栖川綾香:2010/03/02(火) 13:32:16 ID:wvXD0MO.0
 
目の前には、世界の中心。
来栖川芹香の望み。
澱みを齎すもの。

拳を握り、腕を上げ。
顎を引いて、力を込める。
心臓から流れ出し、全身を駆け巡る血の一滴までを感じる。
澄み渡る、来栖川綾香の生の、そのすべてを込めて、走り出す。

走り出し、


走り出そうと、


走り出そうとして、


足が進まないことに、気づく。
目を落とせば、そこに。
私の足に縋りつく、亡者がいた。



***

708来栖川綾香:2010/03/02(火) 13:32:45 ID:wvXD0MO.0
***

 
 
来栖川綾香の目に映っていたのは、少女である。
どこか困ったように眉尻を下げて笑う、小柄な少女。
奇妙に張り付いたような表情を浮かべたそれが、綾香を見上げていた。
その少女の名を、綾香は知っている。
小牧愛佳と呼ばれていた、それは死者だ。
この島で命を落とし、強化兵に回収された遺骸と同じ顔が、綾香の左の足首にしがみついている。
ぱっくりと裂けていた首の傷は、見当たらない。
どこから現れたのか。
なぜ死者がここにいるのか。
理由は。原理は。原因は。目的は。
その一切を、綾香は考えなかった。
挽肉同然にされた来栖川芹香が、眼前に現れたのだ。
今更死者が彷徨い出たところで、驚くには値しなかった。
だから綾香は、ただ空いた右の脚を小さく引き、無感情に振り下ろす。
困ったような笑みを浮かべた少女の貌が、困ったような笑みを浮かべたまま、中心から窪んだ。
鼻骨が折れ、鼻梁が粉砕され、しかし血が噴き出すことはなかった。
顔面を砕かれた少女は、笑みを歪めたままゆっくりとその輪郭を薄れさせ、消えていく。
小さく息を吐いて、綾香が正面に向き直る。
下らない抵抗だと、考えていた。
文字通りの、無意味な足止め。
来栖川芹香か、他の誰かか。
いずれ生きて濁り、死して屈した何者かの、精一杯の抵抗であったものか。
疾走の再開までは、ほんの一瞬。
踏み出した足が、しかし、ぐらりと揺れた。

709来栖川綾香:2010/03/02(火) 13:33:05 ID:wvXD0MO.0
「―――!?」

傾いた視界に、綾香がたたらを踏んで体勢を立て直す。
何が起きたのか、分からなかった。
踏み込んだ左足の、地を踏みしめるはずの足の、感覚がなかった。
ただ底無しの沼に沈み込むように、体全体が左へと傾いていた。
睨むように見やった、綾香の目が大きく見開かれる。
左足。小牧愛佳のしがみついていた、左足の、足首。
その後ろ半分が、ぱっくりと、割れ裂けて傷口を覗かせていた。
否、それは傷ではない。
そこに血は流れていない。
じくじくと痛むこともない。
ただその部分で、皮と肉と骨とが途切れ、中身を曝しているに過ぎない。
裂傷ではなく、創傷でもあり得ず、それは純粋な、喪失であった。

「―――」

小牧愛佳と共に消えてしまったようなそれを、綾香はほんの一瞬だけ凝視し、すぐに向き直る。
手をついて、右に体重を乗せた膝立ちになる。
使い物にならない左足を無視した、疾走の態勢であった。

「 の一本で、止められるか―――」

鼓舞するように声を出して、しかし、綾香は己の言葉に眉根を寄せる。

710来栖川綾香:2010/03/02(火) 13:33:27 ID:wvXD0MO.0
今、何を言おうとした。
否、何を、言った。
一瞬前の、記憶の空白。
一本、と。
確かにそう言った。
しかし、それは何だ。
何のことだ。
何を、一本。
何が、一本。
何のことを、言っている。
己が内に湧き出した空白に、綾香の心中がざわめいていく。
一本。そうだ。それは、この左足の、喪失だ。
それを、言った。言おうとした。そのはずだった。
喪失とは、何だ。
論理が、破綻している。
左足の喪失。喪失とは、何だ。
左足は、左足だ。何も喪われてなど、いないはずだった。
見やる。そこには、足がある。
右の脚に、目を移す。
そこには腿があり、膝があり、脛があり。
踝があって、踵があって、腱があり、甲があり、指があり、ならば左にも、同じものがあるはずなのに。
同じものとは、何だ。
左の脚にも、腿がある。
膝があり、脛があり、踝があって、甲があって、指があった。
それが、左足の全部で、何一つ、喪われてなど、いないように思えた。
分からない。
ならば、自分は今、何を言おうとしていたのか。
分からない。
それではまるで、左の足には、今はない何かが、あったようでは、ないか。
そんなものは最初から、ありはしないというのに。

711来栖川綾香:2010/03/02(火) 13:33:51 ID:wvXD0MO.0
じわりと、何かが皮膚に染み込んでくるような感覚を、綾香は覚えていた。
戦慄に似た、恐怖に近い、しかしそれとも違う何か。
打ち払うように首を振り、片足だけで立ち上がる。
力を込めた、その右足に触れるものが、あった。

「―――!」

長い黒髪の、穏やかな笑みを浮かべた少女。
その少女の名を、綾香は知らない。
仁科りえと呼ばれていたことを知らぬまま、綾香は少女に拳を振り下ろす。
手応えがあり、少女が歪み、ゆっくりと消えていく。
そうして綾香が、大地に倒れ伏した。
右足の、甲から先が、消えていた。
地を踏みしめることもできず、膝をついて眼前を睨む綾香は、もう足に目をやりは、しなかった。
そういうものだと、理解していた。
走ることも、歩むことさえもできず、しかし綾香は、前に進もうとする。
両の手を地について四つ足となり、恥辱すら覚えず、ただ屈さざるべき世界の中心、銀髪の少年の元へと
猛然と進もうとするその足を、押さえる腕があった。

「―――」

振り返れば、それが己が手にかけた少女であったと知っただろう。
しかし綾香は目をやらない。
言葉もなく、空いた方の足で後ろを蹴りつける。
沢渡真琴と呼ばれていた少女が、消えていく。
消えながら、少女の最後に触れていた綾香の左の足指のその全部が、一度になくなった。

712来栖川綾香:2010/03/02(火) 13:34:26 ID:wvXD0MO.0
 
 
 
   ―――たとえ明日死んだって、今日負けるのは、いやだ。



右の足にしがみつく、女の名前を綾香は知らない。
河島はるかという名を知らぬまま、綾香は女を蹴りつける。
女は綾香の右の踵に最後に触れて、そしてそこには、もう何もない。

左の足にすがりつく、少女の名前を綾香は知らない。
藍原瑞穂という名を知らぬまま、綾香は少女に拳を振るう。
少女は綾香の左の足を最後に抱いて、そしてそこには、もう何もない。

右の脚をがしりと押さえた、少年の名を綾香は知らない。
那須宗一という名を知らぬまま、綾香は少年を引き倒す。
少年は綾香の右の脹脛を最後に撫でて、そしてそこには、もう何もない。

左の脚に乗りかかる、少女の名前を知っている。
雛山理緒という少女の名を、しかし思い出さぬまま、綾香は少女を踏みつける。
少女は綾香の左の臑を恨みがましく最後に掻いて、そしてそこには、もう何もない。

右の脚に手をかけた、少女の名前を知っている。
上月澪という少女の名を、やはり思い出さぬまま、綾香は少女を薙ぎ払う。
少女は綾香の右臑を最後に小さく二度叩き、そしてそこには、もう何もない。

左の脚に手を乗せる、老爺の名前を知っている。
幸村俊夫という老爺の名を、しかし考えることもなく、綾香は老爺を蹴り上げた。
老爺は綾香の左の脹脛を微かにさすり、そしてそこには、もう何もない。

右の脚を踏み躙る、女の名前を知っている。
篠塚弥生という女の名を、もはや浮かべることもなく、綾香は女を振り払う。
女は綾香の右膝を冷たいその手で一つ撫で、そしてそこには、もう何もない。

左の膝を捻じ上げる、少女の名前を知っている。
坂上智代と思い出し、しかしそこには感慨もなく、綾香は智代に拳を放つ。
智代は綾香の左の膝を無理やり捻って捩じ切って、そしてそこには、もう何もない。

713来栖川綾香:2010/03/02(火) 13:34:45 ID:wvXD0MO.0
 
 
 
   ―――あたしの世界、あたしの手が届く場所、あたしの指で触れるもの。



河野貴明がいた。
名を知らぬまま振り払い、綾香の右腿が毟られて、そしてそこには、もう何もない。

篁がいた。
省みぬまま振り払い、綾香の左腿が抉られて、そしてそこには、もう何もない。


 来栖川綾香に、脚はない。
 両の脚の全部が、既に喪われていた。
 倒れ伏し、しかし腕で地を掻いて、綾香は前へと、進んでいる。


醍醐がいた。
名を知らぬまま振り払い、綾香の股関節が撃ち抜かれ、そしてそこには、もう何もない。

草壁優季がいた。
名を知らぬまま振り払い、綾香の女性に口づけられて、そしてそこには、もう何もない。

月宮あゆがいた。
名を知らぬまま振り払い、綾香の尻が剥がされて、そしてそこには、もう何もない。

緒方理奈がいた。
省みぬまま振り払い、綾香の子宮に指が這い、そしてそこには、もう何もない。

伏見ゆかりがいた。
名を知らぬまま振り払い、綾香の尾骨が抜き去られ、そしてそこには、もう何もない。

柚原このみがいた。
名を知らぬまま振り払い、綾香の直腸が掴み取られて、そしてそこには、もう何もない。

714来栖川綾香:2010/03/02(火) 13:35:04 ID:wvXD0MO.0
 
 
 
   ―――世界って、そんだけだよ。そん中に、お前も入ってる。



霧島佳乃がいた。
振り払われて、綾香の卵巣をそっと撫で、そしてそこには、もう何もない。

姫百合珊瑚がいた。
振り払われて、綾香の寛骨を摘み上げ、そしてそこには、もう何もない。

姫百合瑠璃がいた。
振り払われて、綾香の仙骨を割り砕き、そしてそこには、もう何もない。

向坂雄二がいた。
振り払われて、綾香の大腸を引き摺って、そしてそこには、もう何もない。

新城沙織がいた。
振り払われて、綾香の虫垂を毟り取り、そしてそこには、もう何もない。

朝霧麻亜子がいた。
振り払われて、綾香の小腸を弄び、そしてそこには、もう何もない。

椎名繭がいた。
振り払われて、綾香の下大静脈にじゃれついて、そしてそこには、もう何もない。

梶原夕菜がいた。
振り払われて、綾香の腹大動脈を撫で下ろし、そしてそこには、もう何もない。

春原芽衣がいた。
振り払われて、綾香の右の腎臓に手を伸ばし、そしてそこには、もう何もない。

緒方英二がいた。
振り払われて、綾香の左の腎臓を見下ろして、そしてそこには、もう何もない。

715来栖川綾香:2010/03/02(火) 13:35:23 ID:wvXD0MO.0
 
 
 
   ―――そんで、なんだ? 勝ちと負けを決めるのはなんだ? あたしらを分けるのはなんだ?



佐藤雅史がいた。
振り払われて、綾香の膵臓を掻き毟り、そしてそこには、もう何もない。

伊吹公子がいた。
振り払われて、綾香の脾臓を抱きしめて、そしてそこには、もう何もない。

柏木梓がいた。
振り払われて、綾香の腰椎を折り取って、そしてそこには、もう何もない。

長森瑞佳がいた。
振り払われて、綾香の胆嚢を捧げ持ち、そしてそこには、もう何もない。

柚木詩子がいた。
振り払われて、綾香の十二指腸を小突き回し、そしてそこには、もう何もない。

宮沢有紀寧がいた。
振り払われて、綾香の胃を突き破り、そしてそこには、もう何もない。

山田ミチルがいた。
振り払われて、綾香の広背筋を細く裂き、そしてそこには、もう何もない。

美坂栞がいた。
振り払われて、綾香の腹直筋をぺたりと叩き、そしてそこには、もう何もない。

柏木初音がいた。
振り払われて、綾香の肝臓を貫いて、そしてそこには、もう何もない。

長瀬祐介がいた。
振り払われて、綾香の副腎を侵食し、そしてそこには、もう何もない。

716来栖川綾香:2010/03/02(火) 13:35:43 ID:wvXD0MO.0
 
 
 
   ―――テンカウントか? レフェリーのジェスチャーか? それともジャッジの採点か?
      そういうんじゃない。そういうんじゃないだろ。



立田七海がいた。
振り払われて、綾香の横隔膜に爪を立て、そしてそこには、もう何もない。


 来栖川綾香に、腹はない。
 頭と首と、腕と胸だけが残されて、そこから下には何もない。
 それでも手指は地を穿ち、綾香は前に進んでいる。


宮内レミィがいた。
振り払われて、綾香の胸椎を射貫き、そしてそこには、もう何もない。

巳間良祐がいた。
振り払われて、綾香の肋骨の下半分を握り締め、そしてそこには、もう何もない。

北川潤がいた。
振り払われて、綾香の肋骨の残りの全部を手に取って、そしてそこには、もう何もない。

柊勝平がいた。
振り払われて、綾香の肩甲骨を丁寧に外し、そしてそこには、もう何もない。

岡崎直幸がいた。
振り払われて、綾香の食道をぼんやりと眺め、そしてそこには、もう何もない。

吉岡チエがいた。
振り払われて、綾香の気道を取り上げて、そしてそこには、もう何もない。

小牧郁乃がいた。
振り払われて、綾香の肺の右のひとつを手で握り、そしてそこには、もう何もない。

向坂環がいた。
振り払われて、綾香の肺の左のひとつを解きほぐし、そしてそこには、もう何もない。

澤倉美咲がいた。
振り払われて、綾香の左心室を切り分けて、そしてそこには、もう何もない。

717来栖川綾香:2010/03/02(火) 13:36:02 ID:wvXD0MO.0
 
 
 
   ―――そこで尻尾を巻いたらあたしの負けだ。その時にこそ、あたしは死ぬ。
      人はそこで本当に死ぬんだよ。



名倉由依がいた。
振り払われて、綾香の右心室に縋り寄り、そしてそこには、もう何もない。

リサ=ヴィクセンがいた。
振り払われて、綾香の左心房を刺し穿ち、そしてそこには、もう何もない。

美坂香里がいた。
振り払われて、綾香の右心房を引き剥がし、そしてそこには、もう何もない。

名倉友里がいた。
振り払われて、綾香の肺動脈を引き破り、そしてそこには、もう何もない。

エディがいた。
振り払われて、綾香の肺静脈を解体し、そしてそこには、もう何もない。

藤林杏がいた。
振り払われて、綾香の大動脈を轢き潰し、そしてそこには、もう何もない。


 来栖川綾香に、臓器はない。
 呼吸器と循環器と消化器と、その全部を奪われて酸素も血流もなく、
 しかし綾香は、ただ一点を見据えながら前に進んでいる。


神岸あかりがいた。
振り払われて、綾香の僧帽筋を断ち切って、そしてそこには、もう何もない。

森川由綺がいた。
振り払われて、綾香の乳房の右のひとつに力を込めて、そしてそこには、もう何もない。

ルーシー・マリア・ミソラがいた。
振り払われて、綾香の乳房の残りのひとつを両手で抱え、そしてそこには、もう何もない。

住井護がいた。
振り払われて、綾香の鎖骨を取り外し、そしてそこには、もう何もない。

718来栖川綾香:2010/03/02(火) 13:36:26 ID:wvXD0MO.0
 
 
 
   ―――あたしら、笑えないからさ。
      頑張ったとか、精一杯やったとか、そういうので笑えないからさ。



姫川琴音がいた。
振り払われて、綾香の右手の指の全部を押し潰し、そしてそこには、もう何もない。

月島拓也がいた。
振り払われて、綾香の右手を撫でさすり、そしてそこには、もう何もない。

保科智子がいた。
振り払われて、綾香の左の指に溜息をついて、そしてそこには、もう何もない。

柏木耕一がいた。
振り払われて、綾香の白い右腕を千切り取り、そしてそこには、もう何もない。

スフィーがいた。
振り払われて、綾香の右の肘を小突き、そしてそこには、もう何もない。

広瀬真希がいた。
振り払われて、綾香の右の肩を捻じ曲げて、そしてそこには、もう何もない。

遠野美凪がいた。
振り払われて、綾香の左手をぺちりと打って、そしてそこには、もう何もない。

橘敬介がいた。
振り払われて、綾香の左腕を踏みつけて、そしてそこには、もう何もない。

芳野祐介がいた。
振り払われて、綾香の左肩に首を振り、そしてそこには、もう何もない。

岡崎朋也がいた。
振り払われて、綾香の頚椎を放り捨て、そしてそこには、もう何もない。

719来栖川綾香:2010/03/02(火) 13:36:43 ID:wvXD0MO.0
 
 
 
   ―――あたしは、ずっと、世界の真ん中に。



伊吹風子がいた。
振り払われて、綾香の咽頭に指を入れ、そしてそこには、もう何もない。


 来栖川綾香に、体はない。
 それは地に転がる、一個の首でしかない。
 大地に歯を立てながら前に進む、一個の首でしか、なかった。


古河秋生がいた。
綾香の下顎を割り取って、そしてそこには、もう何もない。

長瀬源蔵がいた。
綾香の耳を両手で覆い、そしてそこには、もう何もない。

相楽美佐枝がいた。
綾香の鼻をつねり上げ、そしてそこには、もう何もない。

七瀬留美がいた。
綾香の頬を引っ叩き、そしてそこには、もう何もない。

藤井冬弥がいた。
綾香の髪を手で漉いて、そしてそこには、もう何もない。

月島瑠璃子がいた。
綾香の舌を引き抜いて、そしてそこには、もう何もない。

高槻がいた。
綾香の上顎を砕き去り、そしてそこには、もう何もない。

七瀬彰がいた。
綾香の右目を抉り取り、そしてそこには、もう何もない。

久瀬がいた。
綾香の左目を静かに見つめ、そしてそこには、もう何もない。

720来栖川綾香:2010/03/02(火) 13:37:13 ID:wvXD0MO.0
 
 
 
   ―――美しく。



湯浅皐月がいた。
綾香の頭蓋を切り割って、そしてそこには、もう何もない。

巳間晴香がいた。
綾香の脊髄を吸い出して、そしてそこには、もう何もない。

霧島聖がいた。
綾香の延髄をぶち撒けて、そしてそこには、もう何もない。

深山雪見がいた。
綾香の小脳を掻き乱し、そしてそこには、もう何もない。

柏木楓がいた。
綾香の間脳を切り裂いて、そしてそこには、もう何もない。

柏木千鶴がいた。
綾香の大脳を見下ろし、爪を差し入れて、そしてそこには、もう何もない。


 来栖川綾香には、何もない。
 もう、何もない。
 それでも、前に進む。進もうと、していた。


松原葵がいた。
ファイティングポーズを取っていた。
口も、頬も、瞳もないまま、綾香が笑う。
拳も腕も、脚も身体もないまま構えを返し、拳の先をこつんと当てて、綾香は前に進む。


セリオがいた。
無表情に立ち尽くすセリオに苦笑して、綾香がその頭をひとつ撫で、それきり振り返らずに進む。
どうか、あなたの行く先が美しくありますように、と。
背後から聞こえた声に、手を振った。


そうして、長い道のりの、その最後に。
静かに笑んだ来栖川芹香が、いた。

721来栖川綾香:2010/03/02(火) 13:37:54 ID:wvXD0MO.0
そっと手を伸ばし、もう何もない綾香を抱いて、芹香が囁く。
―――これでいいの、と。


これでいいの。
言葉が来栖川綾香の憤激を融かし、そしてそこには、もう何もない。

これでいいの。
言葉が来栖川綾香の慨嘆を融かし、そしてそこには、もう何もない。

これでいいの。
言葉が来栖川綾香の憂愁を融かし、そしてそこには、もう何もない。

これでいいの。
言葉が来栖川綾香の決意を融かし、そしてそこには、もう何もない。

これでいいの。
言葉が来栖川綾香の栄貴を融かし、そしてそこには、もう何もない。

これでいいの。
言葉が来栖川綾香の光輝を融かし、そしてそこには、もう何もない。

これでいいの。
言葉が来栖川綾香の気勢を融かし、そしてそこには、もう何もない。

これでいいの。
言葉が来栖川綾香の心胆を融かし、そしてそこには、もう何もない。

これでいいの。
言葉が来栖川綾香の反骨を融かし、そしてそこには、もう何もない。

これでいいの。
言葉が来栖川綾香の我欲を融かし、そしてそこには、もう何もない。

これでいいの。
言葉が来栖川綾香の願望を融かし、そしてそこには、もう何もない。

これでいいの。
言葉が来栖川綾香の妄執を融かし、そしてそこには、もう何もない。

これでいいの。
言葉が来栖川綾香の拘泥を融かし、そしてそこには、もう何もない。

これでいいの。
言葉が来栖川綾香の迷妄を融かし、そしてそこには、もう何もない。

これでいいの。
言葉が来栖川綾香の篤信を融かし、そしてそこには、もう何もない。

これでいいの。
言葉が来栖川綾香の耽溺を融かし、そしてそこには、もう何もない。

これでいいの。
言葉が来栖川綾香の過去を融かし、そしてそこには、もう何もない。

これでいいの。
言葉が来栖川綾香の明日を融かし、そしてそこには、もう何もない。

これでいいの。
言葉が来栖川綾香の名を融かして、そしてそこには、もう何もない。


そしてそこには、もう何もない。

722来栖川綾香:2010/03/02(火) 13:38:12 ID:wvXD0MO.0
 
何も、残らなかった。

身体を喪い、心を奪われ、その名をすら既に持たず、

来栖川綾香は、

故に存在することもできず。

来栖川綾香は、

故に存在せぬこともできず。

来栖川綾香は、

来栖川綾香は、

来栖川綾香は、

故に、

もう、どこにもいない。

723来栖川綾香:2010/03/02(火) 13:38:49 ID:wvXD0MO.0
 
 
 
 
 
 
 
 
 
意地という、そのただひとつを、除いては。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
.

724来栖川綾香:2010/03/02(火) 13:39:09 ID:wvXD0MO.0
それは、終焉となるはずの、一瞬だった。
最早何者でもないそれを抱いた来栖川芹香が、微かに笑んだまま、口を開いていた。
声が、発せられようとしていた。
よくできました、というその言葉が響くことは、なかった。

来栖川芹香を覆い尽くしたのは、     である。
かつて来栖川綾香であった何か。
もう何者でも何物でもないそれが、刹那の内に来栖川芹香を包み、覆い、圧し潰して、呑み込んでいた。

血もなく肉もなく、
光もなく音もなく、
声もなく涙もなく、
ただ来栖川芹香を消し去って、それは在った。


在って、在り続け、それは、     は、前へと、進み始める。

725来栖川綾香:2010/03/02(火) 13:39:22 ID:wvXD0MO.0
 
それは、生きて、生きて、生き果てた、もう何者でもない、何か。
それは、ただ生き、在ることを誹る者だけが悪と呼ぶ、そういうものである。

726来栖川綾香:2010/03/02(火) 13:39:37 ID:wvXD0MO.0
 
 
 
 
【時間:すでに終わっている】
【場所:最果て】


     
 【状態:―――】


→796 890 947 950 955 968 1014 1051 1096 1123 ルートD-5

727名無しさん:2010/03/02(火) 13:43:42 ID:wvXD0MO.0
本作の収録タイトルは

『<i><ruby><rb>     </rb><rp>(</rp><rt>クルスガワアヤカ</rt><rp>)</rp></ruby></i>』

とさせて下さい。
次回がルートD-5の最終話になります。

728/生:2010/03/04(木) 17:58:32 ID:RRWdl1IA0
 
どくり、どくりと。
音が響く。

そのもやもやとした、もう何者でもないものが這いずるように近づいてくるのを、
少年は呆然と眺めている。

それは、恐怖だ。
それは、命であったものだ。
それは、生きていたものが、その最後まで生きた、結末だ。

そうしてそれは、道だった。
暗がりに隠されて見えなかった、細い細い、分かれ道。
生まれると、在り続けると、その二股しかありはしないと思っていた、しかし終わりへと繋がる、それは道。
どこかでそれを望んでいた、はずだった。
幸福を保障されない世界なら、腐り果てゆく苦界なら、生きたくはないと。
さりとて長い長い滅びへの日々を、眺めて過ごしたくもないと。
二つの絶望に挟まれて、第三の選択肢は、魅力に溢れている、はずだった。
しかし。

「……何を迷ってる!」
「呑まれれば、きっと何もかもが終われるでしょう、ですが……!」
「あんなのと一緒になりたいか!?」

天沢郁未の、鹿沼葉子の声が聞こえる。
差し伸べる手は、きっとまだそこにある。
こちらへ来いと、命を選べと誘う手。
その道は、まだそこにある。

迫るのは、終焉だ。
その、色もなく音もなく、ただもやもやとしたものは、何もかもを終わらせながら近づいてくる。
踏み躙られた大地が、侵された大気が、取り込まれた夜が、穢された空が、終わっていく。
終わったすべてがそれの一部となって、それは今や、空を覆うまでに拡がりながら這いずってくる。
どくりどくりと響く鼓動は、だから空に反響して何もかもを圧し潰すように響いていた。
白い花に覆われていた大地は、最早見る影もない。
枯れ果てた草の風に吹かれて転がる、赤茶けた土の半分は既に終わっている。
夜空を統べていたはずの赤い月も、ただ迫る終焉を甘受するように痩せこけた光だけを振りまいて、
どくりどくりと響く音に掻き消されるように力なく明滅を繰り返していた。

そうして少年は、ぼんやりと思う。

―――ああ。
終焉に、侵されるまでもなく。
楽園は、とうの昔に壊れていた、と。

音が、やまない。



******

729/生:2010/03/04(木) 17:58:47 ID:RRWdl1IA0
******

 
 
ア、という音では、既にない。
ガ、とグァ、とが混じり合ったような、乾いて潰れた、からからと、がらがらとした音。
それが、春原陽平の喉から漏れる、音だった。

噛まされた布は滲んだ血で赤く染まっている。
暴れた拍子に歯で切った、ズタズタに裂けた舌と口腔からじくじくと滲み出す血が喉を塞いで、
だから定期的に布を外して喉に水を流し込んで血ごと吐かせるそのときに、春原が叫びとも嗚咽ともつかない
奇妙な音を漏らすのだ。

何重にもきつく縛られた手足は擦れて皮が破れ、春原が苦痛に呻いて身をよじる度に、
四肢から新たな激痛を供給していた。
その痛みに暴れればまた手足を寝台に括りつける布がぎちぎちと擦れ、傷を深めていく。
苦痛の螺旋が、春原を取り巻いていた。

存在しないはずの膣口は既に限界まで伸びきって開きながら更なる伸張を皮膚に要求し、
会陰部に小さな裂傷を作って新たに血を流している。
傷は産道が呼吸と共に縮み、拡がるのに合わせて次第に裂け目を広げ、膣内へとその版図を伸ばしていく。
その、流れだす血で人の体の正中に境界線を引くような傷の伸びる先に、ぬるぬると絖る、桃色の肉がある。
児頭だった。



******

730/生:2010/03/04(木) 17:59:10 ID:RRWdl1IA0
******



どくりどくりと響く音の中で、少年は立ち尽くしている。

「僕は―――」

呟いて見上げた夜空の半分は、既に終わりに侵されている。
視線を下ろせば、迫るのは生まれて生きて、踏み躙られたもの。
生まれていれば、自分がそうなっていたかもしれないもの。
恐れていた結末の、具現。
それ自体のありようが、これまでの選択を、ただひたすらに幸福に満たされた世界を探し求め、
久遠に等しい時間を待ち続けた自身の道程を肯定しているかのように、少年には思えた。
行き詰まった道なら、その果ての具現に呑まれるのも、悪くはないような気がした。

「目ぇ開けろ! 意気地なし!」

そんな、微睡みのような夢想を真正面から打ち砕いたのは、叩きつけるような声である。
空を包む鼓動にも負けぬ、天沢郁未の、声だった。

「目の前に何がある! そこに何がいる!?」
「……見てるさ。だけど、」
「見えてない!」

小さく首を振った少年の言葉を、天沢郁未は両断する。

「何も見えてない! 見ようとしてない! ちゃんと見据えろ! そいつを! あんたを!
 考えろ! 覚悟しろ! それで、選ぶんだよ! 流されずに、あんたの答えを!」
「僕、は……」

響く鼓動の音の中、少年は一歩も動けない。
前から躙り寄るのは、何者でもないもの。
後ろに下がれば、やがて天沢郁未に触れるだろう。
動けばそれは、どちらかを選ぶということに他ならなかった。
前にも進めず下がることも許されず、凍りついたように足を止めたまま、少年が眼前のそれを目に映す。
郁未の言葉に押されるように、道ではなく、選択肢ではなく、ただ迫るものとしての、それを。

731/生:2010/03/04(木) 17:59:46 ID:RRWdl1IA0
 
それは、姿のないものだ。
さわさわと震える、人と花と獣とを磨り潰して陽炎に溶かしたような、名状しがたい何かだ。
それは、名前のないものだ。
ゆらゆらと揺らめく、何かであることを拒み、何かであることを否定された、そういうものだ。
それはたぶん、憎悪と嫌悪の塊だ。
何かに憤り、何かを嘆き、何かに唾し何かをぶち撒け何かを咀嚼し嘔吐するような、そういうものだった。

醜悪だと、感じた。
じわりと浮かんだ汗に滑ったように、ほんの半歩、更にその半分を、下がる。
待っていたように、背後から声がする。

「これは勝負だ、あんたと、そいつの。もしかしたら、あんたと、私の。
 或いは、あんたと、それ以外の全部との、勝負なんだよ」

静かに響くその声は、奇妙なことに、空を圧し潰す鼓動の音よりも大きく、少年に聞こえていた。

「選ぶときだ。あんたは負けて終わるのか、生まれて私らと出会うのか」

とくり、とくりと鼓動の音が。
郁未の声に融けるように、届く。

「あんたの半分は、もうとっくに選んでる。あとは、あんただ。それで、決まりだ」
「半分……?」

郁未の言葉を、少年が反芻する。

「半分て、何さ……僕は、僕だ。僕でしかない。まだ、何も選んでない……」
「いいや」

戸惑ったように首を振る少年に、郁未の声が染み渡る。

「この音が、答えさ」
「音……?」

732/生:2010/03/04(木) 18:00:05 ID:RRWdl1IA0
声と、音。
郁未の声に、融けるように。或いは郁未の声を、溶かすように。
とくり、とくりと音がする。
どくり、どくりと音がする。
鼓動の音だ。
星のない夜空に反響し、花のない大地に跳ね返って世界を覆う、それは音だ。

「これは……この音は、だって……」

うぞうぞと躙り寄る、何者でもないもの。
それが人のかたちをしていた時の、更にその前、この大地にどこからともなく現れた、その時から響いている音だ。
だから、それは既に何者でもないそれの、鼓動であり、咆哮であり、悲鳴であり、絶叫である、はずだった。

「……よく見てください」

第二の声が、聞こえる。
鹿沼葉子の、声だ。
淡々とした声が、ただ事実だけを述べるように、続ける。

「あれはもう、人ではない。姿も、実体もありはしない。……心臓など、存在しません」
「だから、音も聞こえない。聞こえるはずがない」

輪唱するように、郁未が続ける。
振り返らぬまま、しかし激しく首を打ち振るって、少年が叫ぶように言い返す。

「だけど、聞こえてる! 僕にはずっと聞こえてる! なら、何だ?
 あいつの鼓動じゃないなら、いま聞こえてるこの音は何だっていうんだい!?」

何者でもなくなったものを指さして言い放ち、荒い息をつく少年に、郁未の声が谺する。

「そんなの、決まってる」

夜に響く、鼓動に詠うように。

「あんたの音だよ」

告げる。

「あんたの中の、命の音だ」



******

733/生:2010/03/04(木) 18:00:23 ID:RRWdl1IA0
******



流れだす血は止まらない。
母体も寝台も赤褐色に染め上げられている。
ぬるりと額に浮かんだ汗を拭う古河早苗もまた、その全身を血に濡らしていた。

状態は最悪に近い。
陣痛は明らかに過剰で母体の身体と精神とを限界を超えて痛めつけている。
会陰部の裂傷は広がり続け、既に肛門近くまで達しようとしていた。
母体が暴れるのは収まりつつあったが、多量の出血で昏睡に陥りかけているに過ぎなかった。

この場に医療関係者はいない。
いるのは一人の経産婦と二人の少女。
投薬もできない。切開も縫合もできない。
鉗子も使えない吸引の仕方もわからない。
死に近づいていく母体と胎児とを前にして、それは無力に限りなく近い。
しかし、それでも、まだ無力と等しくは、なかった。
三人は、女性だった。
生まれ出ようとする生命を前に、血に怯えることはなかった。
誕生の無惨に、怖気づくことだけは、なかった。
それだけが、二つの生命を支えていた。
長い分娩の終わりは、ゆっくりと、しかし確実に近づきつつ、あった。

血の河となった産道の奥に児頭の見えたとき、古河早苗が漏らしたのは安堵の息である。
あとは時間との戦いになる、はずだった。
母体が出血に耐えられるかどうかだけが分かれ目だと、そう思った。
一度、二度の陣痛に収縮した子宮が、児頭を押し出そうとする。
見え隠れしていた児頭が、見えたままになり、しかし、早苗の表情が凍りつく。

おかしい。
向きが、おかしい。
母体は、春原陽平は、寝台に仰向けになっている。
ならば、出てこようとする胎児の頭は、下を向いている、はずだった。
見えている児頭は、明らかに、横を向いていた。

びくりと痙攣するように、母体が震える。
陣痛に押されるように子宮が縮み、しかし、児頭は、出てこない。
出て、こられない。
妊婦の頃を、思い出す。
読み耽った本を思い出す。
目の前の状況の、切迫を、理解する。

縦に長い産道を、縦に長い胎児の頭は、だから回転して縦向きに潜り抜けようとする。
もしも胎児が回転をしなければ。
児頭は、産道を通り抜けることができない。
低在横定位。
そんな、異常分娩の一例が。
目の前に、あった。

出てこない。出られない。
強かったはずの陣痛が、次第に間隔を空けていく。
母体も、限界を超えていた。

ほんの数センチの壁の向こうに、命が消えていこうと、していた。



******

734/生:2010/03/04(木) 18:00:45 ID:RRWdl1IA0
******



とくり、とくりと命が響く。
もう、その半分以上が終わってしまった空に満ちるように。

どくりどくりと、鼓動が響く。
枯れ果て、眠りについた大地を、揺り起こすように。

凛と光る、それは音だ。
地の底の岩屋に響いた、それは聲だ。


   ―――ねえ、世界って―――


鼓動に揺れる少年の、呆然と両手を当てた胸の、その奥から響く、それは問いだった。
それは、記憶ではない。体験でもない。
ただ、確かにそれを発したことがあると、それだけを少年は感じるような、問いだ。
覚えている。
記憶でもなく、経験でもなく、ただ、覚えている。
問いと、応えを覚えている。


   ―――んなこと、ねえよ―――たまにかったりいけど、な―――


 ―――わかんないけど……少なくとも、退屈はしてない……かな―――


   ―――私には、好きな人がいるんだ。私たちはずっと、何かを愛していくんだ。それが―――


 ―――いいえ、いいえ。確かにままならず、確かに愚かしく、確かに脆弱で、取るに足らず―――
    

覚えている。


     ―――それでも、素晴らしいものも、ほんの少しだけ、ありました―――


返る応えの、輝きを。


  ―――そう―――


そうして決めた、その道を。


  ―――なら、僕は―――


少年は、


  ―――生まれたいと、思う―――


覚えている。

735/生:2010/03/04(木) 18:01:01 ID:RRWdl1IA0
 
「生ま、れる……」

どくり、どくりと。
響く鼓動が、覚えている。

「僕は、生まれるのか……?」

それは、半分。
答えの半分。

「……ああ」

もう半分を、求めるように。

「あんたは、こんなにも、生まれたがってる」

天沢郁未の、声がする。
今やはっきりと己の内側から響いてくる、鼓動に背中を押されるように、少年がおずおずと口を開く。

「僕は……僕は、生まれさせられるのか……?」
「違う」

否定は、鋭く。

「お前が、選ぶんだ」

続く言葉は、やわらかく。

「そう、か……」

鼓動が、苦しい。
大きく、息を吸う。
吸い込んだ夜の大気にも鼓動が染み付いていて、それはひどく重苦しい。

「そうだ……」

目の前には、ふるふると揺れる、何者でもない終わりの具現。
幸福を保証されない世界の、生の果て。

「僕は……」

見据えて、思う。
これまでの久遠を。
無限の試行と、失敗を。
思って、口を、開く。

「僕は、生まれたかった―――」

答えの全部を、口にして。
少年が、走り出す。



******

736/生:2010/03/04(木) 18:01:14 ID:RRWdl1IA0
******



それは、だから、ほんの小さな、奇跡ともいえないような、一瞬だ。

どくり、と。
胎児が、小さく震えたその瞬間。
母体の収縮に、合わせるように。
くるりと、児頭が回っていた。

それはまるで、誕生までの数センチを躊躇っていた命が、微かに頷いたように。
生まれてこようと、するように。



******

737/生:2010/03/04(木) 18:01:40 ID:RRWdl1IA0
******



振り返れば、そこには手。
差し伸べられる、手があった。

「―――来い!」

走り出して、辿り着くまで。
ただの、一歩。
ほんの、一歩だった。

「―――」

天沢郁未と、鹿沼葉子の伸ばした手に、少年がそっと、手を重ねる。
どくりと鼓動が、重なった。
見上げて、尋ねる。

「待ってて、くれる……?」

見つめる瞳は、すぐ近く。
怯えたようなその声に、郁未は眉を顰ませて、

「待つか、馬鹿」

言い放つ。
びくりと強張った少年の手が、しかし次の瞬間、強く握られる。
温もりの先に、悪戯っぽい瞳が、あった。

「走りなよ、頭と身体使ってさ!」

言った郁未が、

「誰だって、そうやって、追いついてくる」
「……、うん」
「ちょっとくらいは、寄り道しててやるかもね」
「……すぐ、追い抜くさ」
「よく言った」

頷いた少年と、傍らに立つ鹿沼葉子に、深く笑む。
重ねたその手に、力が込められた。

738/生:2010/03/04(木) 18:01:57 ID:RRWdl1IA0
 
「なら、天沢郁未と―――」

背後には終焉。
空は終わり大地は終わり、しかし跳ね除けるように、声は響く。

「鹿沼葉子は―――」

重なる声が、光を生み出す。
それは、力。
不可視と呼ばれた、祈りの力。
かつて少年が人に預けた、可能性。

「その誕生を―――」

ほんの僅か、残された空に。
赤い月が、浮かんでいる。
痩せこけて、しかし輝く、赤い月。
小さな小さな夜を統べる、その星に向かって。

「祝福する―――!」

光の道が、開く。



******

739/生:2010/03/04(木) 18:02:31 ID:RRWdl1IA0
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
******

740/生:2010/03/04(木) 18:02:55 ID:RRWdl1IA0
******



海原に、陽が昇る。
ちゃぷちゃぷと、白い羊の波を掻き分ける音だけが響く水平線に、夜明けの緋色が満ちていく。
そうしてそこには、誰も、誰もいない。

夕暮れの街に、夜が来る。
喧騒もなく、ただ色とりどりのネオンサインが煌く街を、夜闇がそっと覆っていく。
そうしてそこには、誰も、誰もいない。

麦畑に、雨が降る。
さわさわと、風に実りを謳う穂に、恵みの雨が染みていく。
そうしてそこには、誰も、誰もいない。

蒼穹に、虹が立つ。
吹く風に、雨上がりの涼しさと空の高さを含ませて、彩りが蒼の一色に滲んでいく。
そうしてそこには、誰も、誰もいない。

雪山に、星が瞬く。
空いっぱいの煌めきが、新雪に残る足跡ひとつを、幻想色のオーロラと共に照らしている。
そうしてそこには、誰も、誰もいない。

最果ての、夜が明ける。
星はなく、月もなく、花もなく、何もなく。
そうしてそこには、もう、誰も、誰もいない。

741/生:2010/03/04(木) 18:03:43 ID:RRWdl1IA0
 
 
 
 
小さな島の、陽が沈む。

その片隅の、夜に抗う、産声の中。

空に向けて咲く花のような、その小さな手のひらが掴むものを、未来という。
 
 
 
 
 
.

742/生:2010/03/04(木) 18:04:08 ID:RRWdl1IA0
 
 
 
 
 

【葉鍵ロワイアル3 ルートD-5 完】





.

743名無しさん:2010/03/04(木) 18:07:51 ID:RRWdl1IA0
以上をもちまして、ルートD-5の物語は完結となります。
長らくお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。

それではまた、どこかでお目にかかれることを祈りつつ。

744エルサレムⅣ [CLANNAD]:2010/04/11(日) 21:45:17 ID:.B1J6ho60
 いざ目の当たりにしてみれば、それは人とは明らかに異なる姿だった。

 にこりともしない無表情に、そよとも靡かないプラチナブロンドの長髪。
 一見華奢に見えるものの、所々浮き出ている骨格のようなものは、明らかに女性のものではない。
 今までに見てきたメイドロボとは、何もかもが違う。
 あくまでも人間に近づけ、人間のためにを設計思想として開発されたそれと違い、
 目の前のロボットはあくまでも人を殺すように開発されている。

 本当に進化したロボットは、人と見分けがつかなくなるという。
 その意味では、これは退化している。誰の目にも分かる禍々しさを漂わせているロボットが、人間に近しいはずがない。
 メイドロボにだって劣る。そう結論した朝霧麻亜子は、いつもの調子で黒いコートを纏う修道女に話しかけた。

「ちょい待ちなよ。このままあたしらを銃撃してもいいのかな」

 P−90の銃口は全くブレず、現在は芳野祐介にポイントされている。
 逃げ場のないエレベータだ。このまま乱戦になれば、少なからぬ犠牲が出ることは目に見えている。
 エレベータが降りきるまで時間を稼げればよし。銃撃戦にならなければさらによし。
 口八丁手八丁は麻亜子の得意技だった。自分が、役に立てるのはここしかない。

「あちきら爆弾持ってるのよねえ。下手に撃てば……ドッカーン! なんだけど、さ」

 嘘ではない。流れ弾が台車の爆弾に命中でもすれば、アハトノインも自分達も粉微塵に吹き飛ぶ。
 加えて、建物自体に甚大な被害が及ぶことであろう。
 仮にもロボットならばそれくらい考える頭はあるはずだと期待しての言葉だった。
 ロボットの――アハトノインの目が麻亜子の方に向いた。
 単に音声と認識したのか、それとも内容の不味さを聞き取ったのかはまるで判断がつかない。

「ご心配には及びません」

745エルサレムⅣ [CLANNAD]:2010/04/11(日) 21:45:41 ID:.B1J6ho60
 赤子をあやすかのような声で、アハトノインが言った。
 無表情と相反するような清らかな声質に、麻亜子はいっそ笑い出したくなった。ここまでちぐはぐだと笑うしかない。

「我が高天原は、どのような悪魔の業火にも耐え得る、唯一の安住の地なのです。
 恐れることはありません。怖がることはありません。ここは、母なる大地の御加護によって守られているのですから」

 何の根拠もない、神がここにいるから大丈夫なのだという、愚直なまでの敬虔さで語る修道女に、全員が声を失った。
 これはそもそもロボットですらないのか。考え、認識するという機能さえ持ち合わせていない、ただの機械。
 馬鹿野郎、と麻亜子は叫びたくなった。目の前の盲目な修道女に対してではなく、これを作り上げた人物に、だ。

「ですから」

 アハトノインが唇の端を吊り上げた。初めて笑う彼女の顔は、不出来な人形のようだった。

「あなたを、赦しましょう」

 麻亜子は既に走っていた。言葉に耳を傾ける暇も、意味もないと悟ったからだった。
 先ほどまでいた場所に銃弾の雨が叩き付けられ、火花が散る。
 さらにこちらに伸びてこようとする火線を、他の三人が遮りにかかる。

「囲めっ! 対角線にならないように囲んで撃て!」
「む、難しいこと言わないでくださいよ!」
「ユウスケさんはいつもそうです!」

 芳野がウージーを、藤林杏が89式小銃SMGⅡを、伊吹風子がSMGⅡを抱えて走る。
 中央にいたアハトノインは敏感に状況を察知したのか、一旦銃撃を停止し、取り囲むこちらの状況を窺った。

「おっと、あたしも頭数に入ってること忘れないでくれよっと!」

746エルサレムⅣ [CLANNAD]:2010/04/11(日) 21:46:03 ID:.B1J6ho60
 チャンスと判断し、麻亜子が反撃のイングラムを撃つ。
 だが動きながらの射撃は精度が低すぎるらしく、軽くステップして避けられる。
 ならばと陣取りを終えた三人がそれぞれ射撃を開始する。
 咄嗟に顔を覆うようにガードしたアハトノインに無数の銃弾が突き刺さる。
 普通の人間ならば既に致命傷だが、この人ならざる修道女に常識は通用しないことを知っている。
 漆黒色のコートは防弾コートであり、自分達の持つサブマシンガン程度では貫通すら不可能だ。
 現にアハトノインは少したたらを踏んだだけで、まるでダメージなど受けていないようであった。

「くっそ、やっぱこんな武器じゃダメか……」

 杏が弱気の音を吐くのを「そうでもない」と冷静な芳野の声が遮る。

「藤林の小銃は、通っているようだぞ」

 ガードを解いた修道女の太腿に、赤い線が垂れる。血液かと思ったが、そうではない。
 人を殺したことのある麻亜子はすぐに分かった。血と同じ赤色ではあるが、どろりとしていない。
 つまりはほぼ粘着性がないということだ。自分の知っている血というものは、もっと汚いものだ。
 そう思っている自分に気付き、やだな、と麻亜子は思った。汚いという発想に至っている自分が嫌になった。
 人間はそんなものじゃないってわかっているのに――

「まーりゃんっ!」

 誰かの叫び声で意識を沈思させていることに気付いたときには、既にアハトノインが眼前に迫っていた。
 全身に力を総動員させ、しゃがんで刃物を回避する。
 振り下ろしてくるとは考えなかった、いやその考えは捨てていた。
 曲がりくねった刀身を見た直後、首を狩ってくるという発想に至ったからだ。
 結果として勘は当たったものの、肝が冷える思いを味わった。

 こんなときに物思いになんか耽ってるんじゃないよ、あたし! まーりゃんだろ!

747エルサレムⅣ [CLANNAD]:2010/04/11(日) 21:46:21 ID:.B1J6ho60
 自身に活を入れ、反撃に移る。
 ボウガンの矢を取り出し、渾身の気合と共にアハトノインの足に突き刺す。
 それは奇しくも以前篠塚弥生が行った、鬼となった柏木耕一を足止めするときに行ったものと同一の手法だった。
 そのまま前転してアハトノインから離れる。反転して追撃しようとした修道女は、
 しかしバランスが悪いと感じたのか一旦矢を引き抜く作業に入った。

 それを他の三人が見逃すはずがない。
 一斉射。エレベータの端に追い詰められていたために、そのまま直撃すれば落下も考えられた位置ではあった。
 ところがアハトノインは軽い調子で、だが人間には考えられないほどの跳躍力で飛んで避け、
 壁際にあった梯子を掴むという離れ業をやってのけた。

「なんなのよ、あいつ!」

 マガジンを交換しながら杏が苛立たしげに叫ぶ。
 気持ちは分かる。麻亜子ですらこれで決まりだと思っていたからだ。
 源義経よろしく八双飛びされるとは考えてもみなかった。

「まあまあ。あんまり怒ると傷に響くぞ?」

 熱くなってはいけないと思い、親切心からそう言ってみたのだが、返ってきたのはギロリと睨む視線だった。

「あんたね、さっき死にそうになっといて何言ってんのよ」
「や、あれは敵に隙を作るための孔明の罠」
「嘘です。風子には分かります。ぼーっとしてました。ダメダメです。ぷーです」

 横槍を入れられ、なにを、とすまし顔の風子に言い返そうとしたが、事実であるだけに言葉が出てこなかった。

「ったく、一瞬寿命が縮んだわ。何考えてたか知らないけど、しっかりしてよ」
「そうですそうです。そんなんだからチビなんです」
「おい関係ないだろそれー!」
「来るぞ!」

748エルサレムⅣ [CLANNAD]:2010/04/11(日) 21:46:38 ID:.B1J6ho60
 大体チビはお前もじゃないか、と言うのを遮ってくれたのは芳野だった。
 空気読めてないと文句の一つでも垂れたくなったが、敵もまた空気は読めていないらしい。
 梯子から落下するようにしてアハトノインが舞い戻ってくる。
 最初の襲撃のときより高度があったためか、今度の着地では麻亜子達にも振動が伝わってくるほどの揺れが生じた。
 あの重量でなんであんなに飛べるんだ。以前戦った鬼にも勝るとも劣らない無茶苦茶ぶりに舌打ちをしたところで、
 場違いな警報とアナウンスが流れる。

『安全のためにエレベータを一時停止します。繰り返します、安全のためにエレベータを一時停止します』

「……さっきのどすこい! のお陰で止まっちゃったみたい」
「最悪です」
「おいこっち見んな」
「ってことはなに? 足止め……ってこと!?」
「そのようだな」
「最悪……」
「最悪だな」
「だー! 皆してこっち見んなー!」

 本心から麻亜子のせいにしているわけではないのは分かるが、ついついノリで返してしまう。
 とはいえ、本当に状況は悪い。
 少し戦っただけでも分かるが、アハトノインの戦闘力は尋常ではない。
 このまま缶詰にされていては無事では済まない。
 冗談抜きに、さっき麻亜子も死に掛けたのだから。

 一応倒す手段もないではない。
 エレベータから突き落とすなどすればこの局面は切り抜けられる。
 けれどもそれが難しいのはあの回避力を見れば明らかである。
 接近戦など持っての他。偶然回避できたから良かったようなものの、あの剣戟は見切れるものではない。
 つまるところ、遠距離でも近距離でも不利。そして今は逃げる手段さえない。

749エルサレムⅣ [CLANNAD]:2010/04/11(日) 21:46:56 ID:.B1J6ho60
 どうすればいい、と内心に冷や汗を垂らしながら思う。
 切欠は自分だ。なら自分がどうにかしなければならない。
 せっかく生き長らえた命だ。ここで使ってみるのも悪くはないかもしれない、と麻亜子は思った。
 捨てるための命ではなく、使うことに意義を見い出せる命。
 一度は失ってしまった、命を賭けてでも守りたいと思えるなにか。
 捨て鉢のつもりはない。自分で選んで、それに納得のできる選択なら、大丈夫。

「あのさ」
「却下」
「却下です」
「……何も言ってないんだけど」

 言わなくても分かる、というように、却下と言い放った杏と風子が大袈裟に溜息をついた。

「別にそんなの、求めてないですし」
「そうそう。そんなの見せ付けられてもねえ」
「いや、何をするか言ってもない……」

 その先は二人に睨まれて続けることが出来なかった。みなまで言わせるなと言いたいらしい。
 どうやら提案することさえ許されていないらしい己が身を自覚して、麻亜子は「じゃあどうすんだよ」と半ば喧嘩腰で言い返した。

「やれやれです。目まで節穴になりましたか」
「あー!? ……っと!」

 風子に言い返そうとしたあたりで、アハトノインが地面を蹴って突っ込んでくる。
 戦術は以前と変わらず。懐に飛び込む利を覚え、金髪を靡かせながら接近してくる。
 固まっていては斬撃の餌食になるだけだ。素早く散開して銃撃を展開する。
 だがやはりサブマシンガン程度では効き目がない。唯一効力のあるライフル弾も決定的なダメージにならず、
 そもそもライフル弾だけは避けてくるので実質無傷だ。
 誰かが動きを止めなければならないのだ。倒すならば。

750エルサレムⅣ [CLANNAD]:2010/04/11(日) 21:47:20 ID:.B1J6ho60
「で、目が節穴って何だよ! 事と次第によっちゃチビ太郎に格下げすっぞ!」

 逃げ回りながら、麻亜子は風子に問いかけた。
 目の前に迫ってくる絶望から目を逸らしたかったからなのか、それとも恐怖を感じていたくなかったからなのか。
 ……或いは、いつもの自分でいたかったのか。
 それってなんだろうね、と自身に問いかけて、よく分からないという返事だけがあった。

「ふーっ! 風子男の子じゃないですっ! そんなことはどうでもいいから上見なさい上をっ!」
「うえー!?」

 くいくいと指差す風子に応じて顎を上げる。
 エレベーターに動きはない。まさか梯子を伝って逃げろという馬鹿な発想ではなかろうかとも思ったが、
 すぐにそれが思い違いであることを知らされる。

「あるでしょ、穴が!」

 杏の呼びかけに、麻亜子は少し遅れて頷いた。存在に気付かず、一瞬呆然としていたからだ。
 そう、人一人がどうにか通れそうなくらいの穴が壁に空いていたのだ。
 通風孔かなにかだろうか。或いは非常用の通路なのか。
 とにかく、さあ使ってくれと言わんばかりにあった穴を見過ごしていたことに麻亜子は呆れ、腹を立てた。
 なるほど節穴か。言い得て妙な例え方に今度は可笑しくなり、それ以上己の迂闊さを責め立てるのは一時やめにすることにした。

「ああ、あるねっ!」
「そっから逃げればいい!」
「足止めはどうすんのさっ! こいつ、ただで逃がしてくれるほど気前がいいと思えないぞっ!」

751エルサレムⅣ [CLANNAD]:2010/04/11(日) 21:47:37 ID:.B1J6ho60
 アハトノインは風子を狙い撃ちしていたが、斬撃するタイミングで杏が頭部を射撃しようと試みてくるために手が出せないでいた。
 ならばと目標を変更しようとすれば、今度は芳野と麻亜子で足を狙う。
 距離が離れていればそこにポイントできる程度の隙はあった。
 足はむき出しであるため、直接ダメージを与えられる数少ない部位であり、
 さらにアハトノインが人間型のロボットであるために衝撃でバランスも崩しやすいという理由もあった。

 結果として四方八方から射撃される羽目になったアハトノインは回避に専念せざるを得ず、今のところは五分五分の状況だ。
 ただし、それは常に距離を取っていればの話であり、一旦追い詰められれば不利なのは火を見るより明らか。
 五分五分と言っても、限りなく危うい五分なのだ。

「足止めなら俺がやる! 後藤林、お前も援護しろ!」
「了解っ!」
「待て待て待ちなよ! 足止めって簡単に言うけどさ!」
「お前ら両方チビだからあそこも通りやすいだろ!? そういうことだ!」
「がーっ! なんじゃそりゃー!」
「ユウスケさん……いいんですか」

 風子もチビというワードに反応するかと思えば、案外冷静な反応だった。
 そういえば、と麻亜子は思い出す。言葉こそ少ないが、あの二人は互いを気遣っているような見えない何かがあった。
 いや、特別な関係であるからこそ言葉がなくとも通じ合っていたのかもしれない。
 国崎往人と川澄舞がそうであるように。とはいっても、彼らのような男女の関係とはとても思えなかったが。

「構わんさ」

 簡潔に過ぎる一言。麻亜子などではその真意など推し量れようもない短い言葉だったが、風子は全てを汲んだらしい。
 分かりました、といういつもの硬い言葉を残して、風子は芳野とすれ違うように走る。
 逃がすまい、とアハトノインも追う。

 金属の床を叩く、ハンマーに似た音が猛獣のように迫る。
 その真正面から芳野がウージーを乱射する。顔面を狙ったものだったが、器用に首を逸らされて当たらない。
 ひゅっ、と風を切ってグルカ刀が構えられる。そこで芳野の弾も尽きた。
 まずい――! 走っていた麻亜子は援護に駆け寄ろうとしたが、狙いの安定しないイングラムでは巻き込む可能性があった。

752エルサレムⅣ [CLANNAD]:2010/04/11(日) 21:47:55 ID:.B1J6ho60
「まーりゃんは……今は逃げるだけ考えてればいいのよ!」

 だが芳野の真後ろから続け様に射撃が行われる。
 半ば芳野を盾にしたような形だったが、アハトノインには想定外だったらしい。
 腰のあたりを撃ち抜かれ、ガクンと体勢が崩れる。
 その隙を見逃す芳野ではなかった。いや、最初からそもそもこれを想定していたのかもしれない。
 手早くデザートイーグル44マグナムを取り出すと、一つの無駄もない動作で引き金を絞った。

 拳銃弾とは比べ物にもならない重低音と共にアハトノインの上半身が揺れ、続けて放たれた第二射が右腕を砕いた。
 関節部の脆い箇所にでも当たったのだろう。
 空気の詰まった袋が弾けたように、金属片が飛び散った。
 腕が床に落ちたのと、風子が穴に入ったのは同時だった。
 アハトノインは肩の付け根から血飛沫を、いや正確には血とよく似た色の液体をスプリンクラーのように撒き散らしていて、
 当の彼女もそれを不思議そうに眺めていた。このような場面に突き当たったことはないらしい。
 それにしても悲鳴のひとつも上げず、首を捻りながらなくなった腕を見つめていることには不気味さすら覚える。
 映画に出てきた殺戮ロボットもこんな感じだった。そんなことを思っていると、急に工学樹脂の瞳がこちらへと向けられた。

「主よ、どうか愚かなるわたくしどもをお赦し下さい」

 手に持っていたグルカ刀を放り捨て、腰からP−90を抜き放つ。
 射撃してくるのかと身構えたが、銃口はあらぬ方向へと向けられていた。
 先ほどの言葉と合わせ、電子頭脳でも狂ったかと考えたが、すぐにその意図に気付いた。

「あいつっ、自爆する気だ!」

 P−90の先にあるのは置き去りにしたままの爆弾。
 死なば諸共。右腕がなくなった不利から計算して自爆するのが最も有効な戦術だと踏んだのだ。
 信心深いにも程がある。なにをどうしたら自爆なんて選択肢を選ばせることになるのか。
 麻亜子はイングラムを構え、引き金を絞ったが弾が出て来ない。弾切れ――!
 なんでこんなときにっ! この状況すらアハトノインの計算に入っているのではとさえ思い、ふざけるなという感想だけが残った。

753エルサレムⅣ [CLANNAD]:2010/04/11(日) 21:48:11 ID:.B1J6ho60
 誰でもいい、なんとかしてくれっ!

 偶然でもご都合でもいい。ここまで散々苦しめておいてまた見捨てるなんて許せない。
 自分がこの状況を招いたというのなら、もっと不幸にしてくれても構わない。
 だからあのロボットを、誰か……!

「うおりゃあああぁぁああぁぁああぁっ!」

 二度とするまいと思っていた神頼みに応えてくれたのは偶然でも何でもない、杏の裂帛の気合だった。
 3キログラム超はある89式小銃が、ぶおんと音を立てて飛んでゆく。
 凄まじいスピードと回転だった。女の膂力ではとても考えられないものだったが、火事場の馬鹿力がそうさせたのだろうか。
 唸りを上げて迫ってきた89式小銃の投擲は、
 アハトノインの常識では考えられないものだったらしく、避ける動作さえさせずに激突した。
 P−90が零れ落ち、更に走っていた杏が飛び蹴りで転ばせる。
 怪我が完治していない杏は衝撃から来る苦痛に顔を歪ませたが、すぐに熱の籠もった顔に戻った。

「今の内に! 昇れまーりゃんっ! ってか早くしろ!」

 杏の動きに見惚れ、棒立ちになっていた麻亜子は「わ、分かってるよ!」と返して穴に潜り込んだ。
 風子は既に向こう側へと移動したのか、姿は見えない。
 そんなに長い穴でもなさそうだと判断して先に進もうとしたところで、忘れていた一つの疑問が浮かび上がる。

「爆弾どーすんの!?」

 狭い穴の中で何とか身を捩って、麻亜子は背後にあるエレベータに向きながら問いかける。
 そう、ここから逃げるのであれば必然、爆弾は置き去りにすることになる。

「後で取りに来ればいい」
「でもさっき自爆しようと……」

754エルサレムⅣ [CLANNAD]:2010/04/11(日) 21:48:28 ID:.B1J6ho60
 いいかけて、自爆が目的ではないということに麻亜子は思い至る。
 あくまでも自分達を倒すことがアハトノインにとっての優先事項で、爆弾自体は問題ではない。
 全員がここから逃げれば、爆弾の存在は放置して追跡にかかることは十分に考えられる。
 無論自爆しない可能性はないが、メリットが特にない以上、ロジックにがんじがらめの連中には考えにくい。

「命あっての物種だからな」

 普段なら三流であるはずのその台詞も、今の自分達にとってお似合いだと麻亜子は思った。
 生きてさえいれば。どんなに僅かでも可能性はある。
 分かったと頷いてまた身を捩らせようとしたところで、再び警告音が鳴り響いた。

『エレベータ再起動。運転を開始します』

「げっ!?」

 なんてタイミングだ、と思った。早くしなければエレベータが下降してしまい、この穴に入れなくなる。
 電気系統が動き出す低音が聞こえ始め、早くしないとという麻亜子の焦りを強くする。

「と、取り合えずこっちに昇って! エレベータが下がればあいつだって追えないんだからさ!」

 身を捻るタイミングはないと結論した麻亜子はずりずりと後ろに下がりながら芳野と杏を手招きする。
 とにかくこちら側まで来させることが優先事項だった。
 既にアハトノインは立ち上がっているものの、銃も刀も手放して空手の彼女に追撃する手段はない。
 片腕も失ってバランスも悪くなっている以上、走ったって追いつけない。
 それは二人も先刻承知のようで、距離があることを一瞥して確認し、一緒に走り出す。

755エルサレムⅣ [CLANNAD]:2010/04/11(日) 21:48:48 ID:.B1J6ho60
 間に合うはずだ……そう確信し、ほっと安堵の溜息をつく。
 爆弾を置いてくるのは痛手だが、とにもかくにも全員が無事であって良かった。
 移動した後はまず爆弾の回収を優先するか、それとも脱出に向けて何かを探すか――
 そんな麻亜子の思考は、視界に写ったアハトノインによって中断された。
 え? と思わず声に出してしまっていた。何もなかったはずの、空手だったはずの彼女の左手には、
 小型のナイフが、握られていた。

 やめろ――! そう叫ぶ前にはもう、アハトノインがナイフを投擲していた。
 狙いは当然、距離的に近かった杏だった。
 全く想像外の一撃に、杏は驚愕と苦悶をない交ぜにした表情を浮かばせて崩れ落ちる。
 同時、エレベータが動き出した。じりじりと下がってゆく足場に、麻亜子は間に合わないと直感した。
 それは目を合わせた芳野も同じだったようで、杏と麻亜子を交互に見返す。

 何を言えばいい、と飽和する頭で思った。
 杏か、自分達か。そんな冷酷すぎる選択肢を突きつけられるはずがない。
 なんでだよ、と麻亜子はありったけの怒りを含ませて呟いた。

 ふざけるな。このまま杏を見殺しにしてたまるか。

 エレベータに降りようとした麻亜子に「来るなっ!」と叫んだのは芳野だった。
 鬼の形相で睨まれ、びくりと身を竦ませた麻亜子に、今度は打って変わって微笑を浮かばせた芳野が言う。

「先に行ってろ。俺はもう少しこいつと遊んでから行くさ」

 じりじりと杏に迫るアハトノインを指差す芳野に、麻亜子は呆れとも怒りともつかぬ感情を抱いた。

「カッコつけんな! あたしに、何もするなって言うのかよ!」

 感情の矛先は自分だった。まだ何もやっていない。こういう損をする役回りは本来自分の役目ではなかったのか。
 何のためにここまで、泥を啜ってまで生き延びてきたのか。分からないじゃないか。
 自分にはやるなと言った癖に? 無茶苦茶だ。そんなものがまかり通るものか。

756エルサレムⅣ [CLANNAD]:2010/04/11(日) 21:49:03 ID:.B1J6ho60
「ガキが出しゃばるんじゃない」

 身を乗り出し、援護に行こうとした麻亜子の意志を打ち砕いたのは芳野の冷徹な声だった。
 既に芳野はウージーの弾倉を交換し、杏の盾になるように移動していた。
 エレベータは止まらない。徐々に小さくなってゆく芳野の姿とは対照的に、声はどこまでも大きく響いた。

「今出てきても狙い撃ちだ。感情に任せて自分のやるべきことを見失うんじゃない。来るな。これは大人としての命令だ」

 やるべきこと? なんだよ、それ。
 それをあんたがやろうとしているんじゃないかと言い返そうとした麻亜子に、一際大きな声で芳野が言った。

「妹を守れるのはお前だけだ。妹を……風子を、頼む」

 声を大きくしたのは、麻亜子の後ろにいる風子に対して言ったものなのかもしれなかった。
 その意図を、その言葉を聞いてしまえば、これ以上我を押し通すことなど出来ようはずもなかった。
 狡い。一番大切な人を任されて、言い返せるはずがない。
 かつて河野貴明に対して、ささらを頼むと言ったときのことを思い出し、
 自分はこんなにも過酷なことを押し付けていたのかと麻亜子は後悔した。
 握る拳が震え、折れそうなほど歯を食い縛る。
 言葉を失った麻亜子を置いて、エレベータは下がってゆく。

 ――なら、だったら。

 貴明はささらを守りきれなかった。それでも、最後の最後まで守ろうとした。
 それで舞の命は救われ、舞が自分の命も救った。

 ――自分は……誰かを救えるのだろうか?

     *     *     *

757エルサレムⅣ [CLANNAD]:2010/04/11(日) 21:49:19 ID:.B1J6ho60
 ここにきて、無理が祟ってきたらしい。
 ナイフが突き刺さった場所から、波が伝播してゆくように全身に熱が走り、感覚を灼く。
 意識が朦朧とする。力が入らない。頭がちりちりする。吐きそうだ。
 全身がぷつぷつと切れてゆくような、自分をつなぎ止めているものが切れそうな感じは、きっと気のせいではないのだろう。
 傷が開きかけていることを半ば確信しながら、杏は背中に突き刺さったナイフを乱暴に引き抜いた。
 ぬるりとした感触が嫌で、即座にナイフは投げ捨てた。
 刃の半分以上が血で汚れていたことから考えると、
 きっと大怪我なのだろうなと他人事のように思いながら、杏はニューナンブを引き抜いた。

 倒れたままの姿勢で二発、三発と引き金を絞る。
 いつの間に拾い直したのか、P−90を構えていたアハトノインが下がる。
 いきなり下がったアハトノインに、ぎょっとした芳野が杏の方を向きかけたが、「よそ見しない!」と一喝すると、
 すぐに追撃を開始した。
 だが右腕がないにも関わらず、アハトノインは必要最低限の回避動作をするだけで応える様子もなかった。
 全く忌々しい。ナイフを隠し持っていたことといい、底意地の悪さが見て取れようというものだ。

 舌打ちしながら、改めて状況を確認する。
 エレベータは既に動き始めており、ここには杏と芳野、そしてアハトノインしかいない。
 残りの二人は無事逃げおおせたということだ。
 安心する一方で、こちらは絶体絶命の状況に追い込まれたことも理解して、杏は乾いた笑いを上げた。

「置いてかれちゃいましたね」
「そうだな」

 淡々とした返事。だが弱さもなく、黙って盾になってくれた芳野に対して杏が思ったのは、頼りになるなという感想だった。
 言葉にしなければ伝わらないこともあるが、言葉にしなくても伝わることもある。
 男だけにしか分からないものなのかと思っていたそれが、今ようやく理解出来たような気がして杏は少し嬉しくなった。

「で、どうします? もう逃げられませんけど」
「一応……考えてはいる」

758エルサレムⅣ [CLANNAD]:2010/04/11(日) 21:49:35 ID:.B1J6ho60
 少し間を置いたのは、逡巡しているということなのだろう。
 つまり、それは――

「いいですよ、やっちゃってください」

 考える前に、杏は言い切った。
 考えてしまえば腹を括れるはずもないと思ったのがひとつ。
 それと時間がないと思ったのがひとつだった。

「でも一つだけ聞きますよ」
「なんだ」
「最初からこのつもりじゃなかったんですよね」
「当たり前だ」

 間をおかず、芳野は即答してくれた。
 期待通りの返事にホッとする。けれども、だからこそ、あの一瞬の逡巡がどれだけの苦悩に満ちていたのか想像するのも難く、
 ヘマやっちゃったなぁという後悔が浮かんできた。
 この過失が誰のせいでもないということは分かっている。この負債を誰が背負うのかということも答えられるはずがない。
 そういうとき……いつも黙って請け負ってくれるのが大人だった。
 結局最後の最後まで借りを返すことは出来なかったと思いを結んで、だったらと杏は自身の弱気の虫に言い返した。
 ガキんちょは我侭言ってやろうじゃないの、と。

「何かできることあります?」
「好きにしろ。ただ、自爆はしてくれるなよ」

 ああ、そういう作戦かと杏は納得した。あくまで勝つため、か。
 どうやらしぶとく生き残るつもりであるらしい芳野に応えるように、杏はなにくそと体に鞭打って足を立たせる。
 ほら、立てた。まだ生きれるじゃないの、あたし。
 口内にへばりついていた血を床に吐き捨て、杏は不敵な目で眼前の敵を見据えた。

759エルサレムⅣ [CLANNAD]:2010/04/11(日) 21:49:52 ID:.B1J6ho60
 こうして見てみれば、状況は決して不利なばかりではない。
 アハトノインは片手を失い、かつ空手。
 先程のようにナイフを隠し持っていることも考えられるが、いつまでも続くわけがない。
 どだい、逃げようとしていた以前とは違い、こちらは背水の陣で覚悟を決めている。
 本当に持っていたとしても不覚は取らない自信があった。

 芳野がウージーを構えながら突進する。
 その選択は正しい。敵に行動させる暇は与えない。活路は前にある。
 地を蹴って芳野から離れようとするところに、杏が日本刀を持って迫る。
 狙うは首一つ。ロボットと言えど、頭部を破壊されては無事ではいられないはず。
 渾身の力を込めて白刃を横に薙ぐ。人間の皮膚程度なら紙でも裂くように斬る刃は、しかし咄嗟のガードによって阻まれる。
 空いた左腕で受け止めたのだ。怪我など考える必要のないアハトノインならではの防御だった。

 だが、これは布石。
 近接武器の役割は力で抑え込むこと。即ち、動けなくさせること。
 芳野は銃を撃ちに行ったのではない。
 拾いに行ったのだ。

「退けっ!」

 バックステップした瞬間、凄まじい銃弾の雨がアハトノインを撃ち貫き、ビクンと体を跳ねさせる。
 P−90の5.56mm弾が防弾コートごと貫通し、皮膚の内面で回転して衝撃を伝えた結果だった。
 よろめき、赤い液体を吹き散らす修道女。更にP−90の銃口を引き絞った芳野だったが、
 今度は垂直に飛んで避けられる。
 もはや反撃など考えない、必死の回避。

 ――しかし、これも布石。
 どんなに人離れした運動が可能とはいっても、それは地に足が着いていればの話だ。
 空中にいるアハトノインに、もういかなる攻撃も回避する術はない。
 そう、最初から狙いは一つ。

760エルサレムⅣ [CLANNAD]:2010/04/11(日) 21:50:13 ID:.B1J6ho60
 杏は床に落ちたグルカ刀を拾い――
 目的は頭部の破壊。それだけだ。
 ――思い切り投擲した。

 ぐるぐると、さながらブーメランのように回転するグルカ刀は、反応を遅らせたアハトノインの眉間に刺さり、
 カクンと頭を傾けさせた。杏の投擲能力があればこその芸当。
 芳野はどう考えていたかは知らない。本当にP−90でトドメを刺すつもりだったのかもしれない。
 杏は杏で、自分でも確実にトドメを刺せる方法を考え、可能な限り実行しようと思っただけだ。
 別に意志の疎通をしていたわけではない。
 それでもこうして見事に連携させられたのだから、人の適応力は恐ろしいものだと杏は思った。

 これでひとまず安心ですね。
 そう言おうとした杏の肩に、重たい感触が走った。
 だが重たさを感じたのはほんの一瞬だけで、そこから先は灼けた鉄の棒を無理矢理体に押し込められた感覚だった。
 喉になにかが込み上げ、耐えられずにゴホッと吐き出す。口から飛び出たモノの色は赤かった。
 何だろうこれはと思う間もなく、激痛に支配された体が倒れ伏す。
 辛うじて動かせたのは目だけだった。動かした視線の先では芳野が何事かを叫んでいる。
 激痛は耳をバカにしてしまうらしい。耳鳴りが激しい。なんだ。一体、これは?

 疑問に答えたのは自身の上を通り過ぎた影だった。
 ゆらり、ゆらりと。
 墓から這い出たゾンビのように、覚束ない足取りで芳野に迫る影は……
 間違いなく、先程眉間に刃を突き刺したアハトノインだった。
 は、と杏は夢でも見ているかのような気分になった。

 頭を狙っても死なない? 冗談でしょ?

761エルサレムⅣ [CLANNAD]:2010/04/11(日) 21:50:46 ID:.B1J6ho60
 何度倒しても蘇る、死の世界の住人。
 この島の怨念を取り込み、動力としていると言われても納得してしまいそうなほど、
 目の前のアハトノインは現実離れした存在だった。
 勝てるわけがない。人間風情がこんな化物を倒そうと思ったのがそもそもの間違いだった。
 自分自身の命も、もう残り僅かしかないのが分かる。
 そんな状況で何ができる? たかが一回の女子高生でしかない自分が、あんな化物相手にどうにもできるはずがない。

 もういい。痛いのも辛い。早く、誰か、あたしを楽にしてよ……!

 じりじりと追い詰められてゆく芳野を見るのを苦痛に思われ、杏は目を閉じる。
 一度遮ってしまえば、そこはもう何も無い世界だった。
 嫌なことも、辛いことも感じずに済む、虚無の世界。
 最後に辿り着いたのがここかと感想を結ぼうとした杏の脳裏に、せせら笑う声が聞こえた。

 ――僕よりヘタレじゃんかよ?

 聞き間違えるはずもない。それは春原陽平の声だった。
 結局この島では再会することすら叶わず、放送でしか死を確認できなかった腐れ縁の友人。

 ――らしくねぇよ。お前、エキストラか何かじゃないのか?

 春原と一緒に、挑発するように笑うのは岡崎朋也だった。
 好きだった人。会うことも、思いを伝えることすらできずに彼岸へ旅立ってしまった人。

 ――根性ないなおい。俺の苦労返してくれよ?

 茶々を入れるような軽い声は折原浩平のものだった。
 身勝手に、自分を置いたままやりたいことだけやって死んだ、馬鹿な男の子だった。

 ――お姉ちゃん。その、格好悪いよ……

 普段絶対言わないようなことを言ってきたのは妹の藤林椋だった。
 死んで欲しくなかった。どんな形でもいいから、生きていて欲しかった。

 ――あはは。しょうがないよ。だってこの人。案外ヘタレなんだ。

 屈託のない笑顔でとんでもないことを言ったのは柊勝平だった。
 人殺しをしようとして、自分が殺してしまった人。
 好き勝手なことを言う周りの面々に対して、杏が抱いたのは逃避したい気持ちではなく、
 お前らが言うなという怒りにも似た気持ちだった。
 大体、どいつもこいつも勝手なことばかりして死んでいった連中ばかりじゃないか。

762エルサレムⅣ [CLANNAD]:2010/04/11(日) 21:51:00 ID:.B1J6ho60
 陽平は惚れた女の子を残して死んじゃうし!

 朋也は風子ちゃん残して死んじゃうし!

 折原は何も言わずに行っちゃったし!

 椋も勝平さんもたくさんの人に迷惑をかけたし!

 ……でも、それでも。
 例えたくさんの人を殺し、間違いを犯してきたのだとしても……
 守るためには仕方のなかったことなのだとしても……
 生きていて欲しかったのに。
 死ぬのは、誰かを置いて行ってしまうのは、とても寂しい。
 そうさせたくないし、したくない。

 ――死にたくない。

 どんなに情けなくて、みじめでも。

 ――あたしは、皆と、生きていたい!

 目は、もう閉じていなかった。

     *     *     *

763エルサレムⅣ [CLANNAD]:2010/04/11(日) 21:51:19 ID:.B1J6ho60
 そこから先は十秒にも満たない時間の中での出来事だった。
 芳野はP−90を構えようとしたが、それより先に懐に飛び込んだアハトノインに銃を弾き飛ばされた。
 腕が浮き上がったところをグルカ刀で腕ごと叩き切られ、芳野が絶叫する。
 更に返す刀で腹部を斬られ、芳野は戦闘能力の殆どを奪われた。

 しかし、それでも戦いを諦めたわけではなかった。
 絶叫したのは痛みを忘れるため。銃を握り続けるため。
 残った方の手は、しっかりとデザートイーグル・44マグナムを握り締めていた。
 生きているのなら、まだ戦えるしどんなことだってできる。
 芳野がこの島で唯一得た、価値のある宝物だった。

 生きてさえいれば。

 時間をかけて罪滅ぼしの方法を考えることだってできる。
 自分の生きる意味を考える時間だってできる。
 だから絶対に諦めない。自分が、人としていられるために。
 残った腕に、戦うための力を全てつぎ込んで、芳野は発砲を続けた。
 P−90でボロボロになり、防弾コートが半ば役立たずになっていたアハトノインは衝撃をモロに受け、
 一発受けるたびに一歩ずつ後ろに下がってゆく。

 このままエレベータから突き落としてやる。芳野の頭に残っていたのはもはやそれだけだった。
 右足。左足。一歩ずつ後ろに下がっていったアハトノインに、もう後はなかった。
 更にもう一発。下がれる場所のないアハトノインの体がぐらりと傾き、バランスを崩す。
 残り一発。その体に撃ち込めば、エレベータから落ちる。

764エルサレムⅣ [CLANNAD]:2010/04/11(日) 21:51:37 ID:.B1J6ho60
「喰らえ……化物……!」

 言葉に力を込め、弾丸に乗せようとした芳野の執念は――しかし、カチリという弾切れの音に遮られた。

「たま……切れ……くそ……!」

 手から力がすっぽ抜け、甲高い音を立ててデザートイーグルが床に落ちた。
 それと同時、全身を支える力もなくなり、ずるずると芳野の体も崩れ落ちる。
 辛うじてエレベータの柵を掴んで押し留めたものの、片腕のない芳野にできることはもうなかった。

 視線の先では、ゆっくりとのけぞりから元の姿勢に戻ったアハトノインがコキリと首を傾げる。
 頭部を攻撃されて多少なりともコンピュータが狂ったのか。
 それとも、肝心なところで一歩届かせることもできない自分を嘲笑ったのか。
 何も映さず、虚無のみをたたえた工学樹脂の瞳を睨みつけながら、芳野は「機械風情が余裕面するな」と唸った。
 アハトノインは何も言わなかった。いや正確には、彼女自身は喋っているつもりだったようだ。
 口が開いているところを見ると喋ってはいるらしいのだが、発声機能がおかしくなっているらしい。
 芳野は笑った。こんなときですらありがたい教えの時間か。
 自らを絶対の優位者と恥じない傲慢ぶりには恐れ入る。
 だから、と芳野は柵を握ったままの手から指を一本、天へと向けた。

「――人間を」
「舐めるなぁぁああぁぁああぁっ!」

 それは宣戦布告などではなく、合図だった。
 やれ。やってしまえという芳野の合図。
 サインを受けて、倒れて戦闘不能になっていたはずの……
 血の海に倒れていたはずの杏が、駆けた。

765エルサレムⅣ [CLANNAD]:2010/04/11(日) 21:51:53 ID:.B1J6ho60
 アハトノインは一瞬、それを認識できないようだった。
 日本刀を持った杏の姿をぽかんと見つめていた。まるで幽霊でも見るかのような目で。
 傑作だな、と芳野は破顔した。ゾンビが幽霊に殺される、か。
 杏は真っ直ぐに日本刀を突き出し、アハトノインの腹部を刺し貫いた。
 か、と口を開いて、修道女の体がくの字に折れる。
 そこを見逃さず、杏は前蹴りで体を突き飛ばす。
 後ろには何もない。頭から真っ逆さまに、アハトノインは奈落の底へと落ちていった。

 今度こそ終わった。その実感が芳野の中を巡り、緊張の糸が切れた。
 もう握る力さえなくなった手が柵から離れ、そのままずるずるともたれかかるようにして座り込む。
 煙草を無性に吸いたい気分だった。それだけ心地良かった。
 ポケットの中に入っていたらいいのにと思い、まさぐろうとしてみたが、片腕ではもう一方のポケットを探れない。
 やれやれだと嘆息していると、同じように疲れきった表情の杏が隣にやってきて、倒れこむようにして座った。
 袈裟に斬られた体は半分以上が真っ赤で、生きているのが不思議なくらいだった。
 いやそれは自分も同じようなものかと思い直して、「お疲れさん」と一言労う。

「どーも」

 気だるげにしながらもニッと笑った杏に、芳野は素直に可愛いなと思った。
 普通に生活を送っていたなら、きっと彼氏の一人はいただろう。

「……あー、疲れましたね、なんか」
「ああ……」

 エレベータはまだ降りきらない。どれだけ長いのかと思ったが、実際には戦っていた時間が短かっただけなのかもしれない。

「ねえ、暇ですよね」
「暇だな」

 これからやらなければならないことは山ほどあったが、今現在が暇であることは否定しない。
 ただ待つだけの時間になってみるとやたら長く感じられるのだからおかしなものだった。

766エルサレムⅣ [CLANNAD]:2010/04/11(日) 21:52:13 ID:.B1J6ho60
「あたしね、保母さんになりたいんですよ」
「ほう」
「なんというか、結構人の世話焼くのが好きなんですよ。……芳野さん、どんな職でしたっけ?」
「電気工だが」
「どうして電気工に?」
「色々あったから……と言いたいところだが、特別サービスだ。教えてやる」

 どうせまだ時間はある。つっけんどんに終わらせてしまうのは勿体無いと思って芳野は話すことにした。
 隠し続けるようなものでもない、と吹っ切れたのかもしれない。
 わくわくしているのを隠しきれていない杏の顔を見れば理由付けなどどうでも良くなったというのもあった。

「まあ、そうだな。俺は元々歌手だった。夢のロックスターとやらだったんだ」
「へぇ……実はあたし、あんま音楽聴かないんですよね」
「割と国民的に人気だったんだがな。知らなかったか」

 はい、と素直に頷く杏にまた可笑しくなり、くくっと笑いながら話を続ける。

「全盛期はすごいもんだった。毎日ファンからレターが届くような感じさ。それこそ老若男女問わずにな。
 そう、どんな奴も俺を応援してくれていた。俺の歌に希望を持ってくれていた。
 次の曲にも期待しています、頑張ってください。そんなコメントと一緒にな。
 中には俺の歌のお陰で生きる希望を取り戻したなんて奴もいた」
「凄いですね……」
「それだけ聞けばな。だが、当時の俺は気が気でなかった。
 なにせ誰かを救うだなんて考えたこともない。好き勝手に曲を作って、好き勝手に歌ってただけなんだからな。
 次の曲も希望を与えなきゃいけないって脅迫されているような気分になった。
 元々考えるのが苦手な俺だった。すぐに曲作りに行き詰った。
 フレーズが浮かばなくて、メロディが浮かばなくて、それなのにファンの期待は止まらない。
 俺の歌は迷走を始めた。末期には今までの俺そのものを否定するような歌を作ってたくらいさ。
 その挙句に、俺はヤクに手を出した」
「麻薬……ですか?」
「そうだ。それで拘置所行き。出所したときには、もう何も残っちゃいなかった。
 ファンも、金も、名声も、歌も、何もかも。
 俺は虚ろな目をしたまま元いた町に帰った。なんのことはない、そこしか行く場所がなかったからだ。
 もう世界に、俺の居場所なんてなかったんだ」

767エルサレムⅣ [CLANNAD]:2010/04/11(日) 21:52:36 ID:.B1J6ho60
 芳野はそこで一旦言葉を区切った。
 改めて口にしていると、なんとまあ波乱万丈な人生だったと呆れる。
 やりたいことをやって頂点まで上り、そのまま転げ落ちていった哀れな男。
 だが、今も底辺をさまよっているとは思わなかった。

「だけどな、そんな俺を待っててくれた人がいるんだ。
 伊吹公子さん……今となっちゃ元婚約者だが、笑って俺を出迎えてくれたんだ。
 おかえりなさい、ってな」

 故郷には、待っていてくれる人がいた。
 世界から見放されても、決して居場所を失ってしまったわけではなかった。
 この島で公子を失ってしまったが、それでも自分を支えてくれる人はたくさんいた。
 居場所は誰にでもある。その気になりさえすれば、またやり直すことが出来るのだと知った。

「……そっか、それで妹さん、か」
「隠すつもりはなかったが……悪いな」
「ま、そんな経緯があるんじゃしょうがないですよ」

 重たすぎる昔話を、杏は笑って受け流してくれた。
 案外こういうものなのかもしれないと思い、芳野は昔を嫌悪していたことが可笑しくなった。
 心のどこかではまだやさぐれていて、同情されるだけだと思い込んでいたのだろう。

「歌手だったんですよね」
「ああ」
「じゃ、一曲歌ってくださいよ。どうせ、暇なんですから」

 エレベータはまだ降りきらない。
 ならそれも悪くないかもしれないと思い、芳野は「特別だぞ」と言った。

「何がいい。あまり最近の歌は知らないんだが……」
「大丈夫です。あたし、超メジャーな曲しか知らないんですよね」

 元歌手と、その知り合いのする会話ではないと思い、二人で笑う。
 こんな時間を過ごせるのだから、あんな過去でも捨てたものでもない。
 いつかこうして笑える機会が来る。こうして、生きてさえいれば。

768エルサレムⅣ [CLANNAD]:2010/04/11(日) 21:52:51 ID:.B1J6ho60
「あー、そうですね……じゃあ、あの歌で」
「なんだ」
「あれですよ……ちょっと昔に流行った、そう……メグメルって歌」

 ああ、と芳野は頷いた。
 他人の曲だが、芳野も知っている。
 よろこびのしま、という意味の、やさしい旋律の歌。

 一度思い出すとするすると歌詞が思い出されてくる。
 全て思い出してみればここで歌うにしては中々にいい曲だなと思った。

 ふ、と一瞬口元を緩ませてから、芳野は歌を口ずさみ始めた。


 その顔は全てを赦し、また赦された人間の顔だった。


 歌声が、静かに、ただ静かに、響いていた。

769エルサレムⅣ [CLANNAD]:2010/04/11(日) 21:53:05 ID:.B1J6ho60


















【芳野祐介 死亡】
【藤林杏 死亡】

770エルサレムⅣ [CLANNAD]:2010/04/11(日) 21:53:44 ID:.B1J6ho60
芳野、杏周辺
装備:デザートイーグル44マグナム、ニューナンブ、ウージー、89式、ボウガン、注射器×3(黄)、グルカ刀、P−90
【銃器は全て残弾0】
【エレベータ内に爆弾があります】

麻亜子、風子
装備:デザートイーグル50AE、イングラム、SMGⅡ、サブマシンガンカートリッジ×3、S&W M29&nbsp;5/6、SIG(P232)残弾数(2/7)、二連式デリンジャー(残弾1発)、ボウガン、宝石、三角帽子


朝霧麻亜子
【状態:あたしに誰かを救えるの?】
【その他:体操服(上下のジャージ)を着ている】

伊吹風子
【状態:泣かない。みんなで帰りたい】

→B-10

771凡人表明:2010/04/21(水) 12:12:08 ID:.g4VCraU0
せんせい。せんせい。
ずっと傍にいてくれた先生。
私の話を信用してくれたせんせい。
先生。せんせい。

せんせいがくれた安心が、嬉しかったの。
先生が教えてくれた命の大切さを、大事にしようと思ったの。

先生。せんせい。
せんせいが私を守ってくれたの。
先生が私を守ってくれたの。

私も、せんせいの助けになりたかったの。
なりたいと思ったの。


せんせい。

せんせい。何処へ行くの?



     ※     ※     ※



「……どうして、こんなことを?」

772凡人表明:2010/04/21(水) 12:12:25 ID:.g4VCraU0
ふわりと。
羽根のような軽さで、少女は静かに立ち上がった。
頬には、痛々しい焼けた痕が一筋。そこから流れる血液は、少女の顎に向かって一直線に伸びている。
顔の汚れを気にする素振りを一切見せず、少女、遠野美凪はそのまま歩を進めた。

彼女の目には、正面にいる男しか映っていない。
少年。
今ここで絶対の力を持っている、危害をぶつけてくる人物である。

美凪の一歩一歩は、とても小さな動きだった。
まるで夢の中を彷徨っているかのような緩慢さに、彼女の混乱している様が垣間見えるだろう。
悲しみに細められた美凪の瞳、その色は他者の心に容易く罪悪感を植えつけることも可能だと断定できるくらい、どこまでも昏い。

「君達は、何のために自分達が連れて来られたのかをきちんと理解していないようだね」

美凪の哀願を湛えていた眼差しすらも、彼は一刀で軽々と裂いた。
少年の声色はいたって冷静であり、彼の漂わせる張り詰めた空気もどっしりとしたその様子を物語っている。
ゆっくりではあったが確実に縮まっていたはずの美凪と少年の距離が、そこで一度停滞した。
当てられた不安要素に自然と両の手を胸元に当てると、美凪はそのまま黙って立ち竦む。
対し、かけた圧迫の手応えを感じたからか、少年はどこか満足そうだった。
びくつきながらも決して引こうとはしない美凪を上から下まで見渡した所で、少年はまるで幼子に物を教えるように言葉を紡ぐ。

「君達は、殺し合いをするためにここにいるんだよ」

少年の下す、きっちりと断定された決定事項。
頭の悪い稚児にしっかりと言い含むような強さがある台詞に、美凪だけではなく一同が呆然となる。
今ここで少年と対峙している面々、その誰もが彼に言い返そうとしなかった。
困ったように八の字の如く寄せられている美凪の眉、その表情は諦めか。
ただただ困ったようにも見える透明感、納得は決していかぬだろうが美凪の様子はとにかく「静か」であった。

773凡人表明:2010/04/21(水) 12:12:48 ID:.g4VCraU0
それは、彼女の性格だからかもしれない。
ゆったりとした美凪の気質が、影響しているのかもしれない。
……ならば、彼女と正反対の激情家であるもう一人の少女は、どうなる。

「馬鹿にするんじゃ、ないわよ……っ!」

わなわなと震えながら、少女は握る拳の力を怒りでさらに倍増させた。
彼女も立ち上がっていた。いつの間にか、立ち上がっていた。
折れそうになっていた戸惑う気持ちを胸の奥に押し込めた状態で、広瀬真希はしっかりと自分の両足で立ち上がっていた。

「そんなの勝手でしょ、あたし達が望んだことじゃない!」

真希が味わった恐怖の種は、この瞬間全て吹き飛んでいた。
非日常的残虐な光景に、真希の心は何度も悲鳴を上げている。
慣れることなんて、できやしなかった。
もう、全てから逃げ出したいとさえ、真希は思っていた。
こんな怖い世界から、いなくなりたいと願った。

「あんた何様よ、決め付けるなんて信じらんないっ!」

つかつかと、怒鳴りながら少年と美凪の間に割って入っていく真希には、今やそんな後ろ向きな姿勢の片鱗は一寸も無い。
強い意志を湛えた眼で、真希は少年を睨み付けている。

「真希さん……」

庇われる形で真希の背後に追いやられていた美凪が、真希の羽織っている割烹着の端を恐る恐る引く。
挑発的とも思える度を越えた真希の行動に、さすがの美凪もどう対処すればいいか分からなくなっているらしい。
軽く振り返り美凪と目を合わせると、真希は大きく一度だけ頷いた。
大丈夫だという意志をしっかり込めながら、真希は美凪へとアイコンタクトを送る。
安心の裏づけ等、決してない。
それでも美凪が大人しく引き下がるくらいの力が、真希の瞳の中で盛っていた。

774凡人表明:2010/04/21(水) 12:13:10 ID:.g4VCraU0
真希の心は、いくつもの恐怖でぐにゃぐにゃに歪められている。
そこであげた悲鳴の数なんて、彼女自身一々覚えてなどいられない。
そんな、逃げたいと真希が叫ぼうとする瞬間いつも目にするのは、誰よりも彼女の近くにいたこの大人しい少女だった。
美凪は気づいていないが、真希がこうして奮い立てたのは彼女の影響である。
美凪は強い。
暴力的な意味ではなく、美凪はとてもしっかりとした少女だ。

例えば、怪我を負った相沢祐一を真希と美凪の二人で発見した時。
夥しい血の量に目を白黒させるだけだった真希に対し、美凪は行動は素早かった。
今真希の目の前にいる、この少年とのいざこざでもそうだろう。
一度目は保健室、二度目は先程の不意打ち。
美凪がいなければ、真希は彼の放つ銃撃の餌食になっていたはずだ。

真希は知っていた。
普段ぽややんとしている美凪が、本当は自分よりもずっと強い少女であるということを。
自分よりもずっと落ち着いた状態で、きちんと事の判断ができる人間だということを。

そんな美凪が、今、こんなにも無防備な姿を晒している。
異常の度合いは大きい。
この意味で目の前の少年の異質さは、最早真希の想定の範囲を優に超えるものになっていた。

「あんたの道楽に、こっちまで巻き込んでんじゃないわよ!!!」

少年と違い、自身に人を殺める力がないことを真希は理解している。
それ以上に、人を傷つけるという行為を彼女は想定できていない。
それでも、真希は周りの人間を守る側に居たかった。

『でも、だからと言って先生やことみが見殺しになっちゃうかもっていうこの状態は、耐えられないから。無理、絶対無理』

775凡人表明:2010/04/21(水) 12:13:27 ID:.g4VCraU0
向坂環の前で放った言葉、それが真希の全てである。
自分の目の前で、自分の大切な仲間を傷つけられるのを見逃してたまるかという、ただそれだけの意地。
肩から提げていたデイバッグの中を探り、取り出した斧を片手に真希は少年と対峙した。
この斧で人を切りつける想像は、勿論真希の中ではできていない。
しかし、もうそんな初歩的なことすらも関係ない域に真希は来てしまっている。

誰も止められない。
人一倍意地っ張りな彼女を止められる人間なんて、ここには一人もいない。

「君は馬鹿だね」

真希の暴走を冷静に流す少年の表情は、呆れの一色に染まっている。
すたすたと、今度は少年が一気に真希達との間合いを詰めた。
美凪の表情に焦りが混じる。
手にしていた真希の割烹着を美凪は幾度も引いてみたが、真希が彼女と再びコミュニケーションを図ることはなかった。
何か策があるのか。ないのか。
それこそ周囲の人間、見届けることしかできていない者達も真希の狙いを見極めることは全くできていない。

「果敢と無謀の意味を履き違えると、痛い目を見るよ」

ついには手を伸ばせば触れられるくらい、両者の距離は近くなった。
真希は少年が迫ってくるまでの間も、今も、ずっと逸らすことなく彼の目を刺すように射っている。
真希が引く様子は、やはり皆無だ。

「僕が怖くないの?」
「……」
「そっか」

776凡人表明:2010/04/21(水) 12:13:45 ID:.g4VCraU0
一言。
対話は、それで終了となる。
問答に応じない真希を少年が見切ったのは、一分にも満たないその一瞬だった。

「きゃああっ!」

さすがに、ここまで手が早いとは真希も考えていなかったのだろう。
飛んできた少年の裏拳で、真希の体は軽々と吹っ飛んでいた。
握られていた真希の斧も、衝撃で彼女手の中からすっぽ抜けるとそのまま明後日の方向へと転がり落ちていく。
美凪の視界で景色が揺れる。
殴りかかるために手放したあの大振りの盾、少年の手から解放されたそれと真希の体が地に沈むのが、正に同時だった。

「真希さんっ」

真希の体が叩きつけられた音で、美凪もはっとなる。
しかしすぐ様駆け寄ろうとする美凪に対し、少年がそんな愚行を許容する訳もない。
すかさず美凪の腕を掴み、ぎりぎりと捻り上げることで少年は彼女の行動を制限した。
たまらず苦悶の声を零す美凪、強すぎる少年の力が彼女の額にぶわっと脂汗を浮かび上がらせる。

「美凪に……さわんじゃないわよおぉぉぉ!!!!」

がなったのは、真希の咆哮だった。
ふらつきながらも起き上がり、殴られたことで切れた口元の痛みも気にすることなく真希は少年へと突進した。
片手に拳銃、もう片方の手には美凪を捕らえた状態の少年は、余裕の表情にて低姿勢で迫ってきた真希を蹴り返す。
再び、真希は地面にダイブする。
それでもよろよろと起き上がり、真希は諦めることなく少年へと駆け出した。

土埃でドロドロになっていく真希の割烹着、克明に記し付けられた蹴られた跡も痛々しい。
顔中が腫れ上がっていっても、真希は決して引こうとしなかった。
止まらぬ真希の勢いに、少年の無表情が崩れていく。
少年は、手を使わずに足技だけで真希を凪ぎ払っていた。
その様子、まるで遊戯である。

777凡人表明:2010/04/21(水) 12:14:05 ID:.g4VCraU0
いや、遊びだった。
遊びだから、少年は真希に止めを刺していなかった。それだけだ。

「あの子、一体何考えてんのよ……っ」

傍観者が口を開く。
環の表情には、どうすることもできない現状に対する苛立ちが詰まっていた。
彼女も銃と言う名の凶器を手にしていたが、真希達の様子を見る限りこうも折り重なるようにされてしまうと、簡単に引き金を引くこともできない。
それは、環と同じく立ち尽くすしかない相沢祐一も同じだった。

二人とも、既に銃を撃つという行為には抵抗がない域まで行っている。
しかし、射撃の腕はそれとは別だ。
万が一真希と美凪にでも被弾してしまったらと考えてしまうと、環も祐一も身動きが取れなくなってしまう。

「……撃って。あの二人なら大丈夫。割烹着に当たれば、大きな怪我になることはないと思うの」

環と祐一、二人の視線が集中する。
その先には、環の腕の中で守られていた少女の姿があった。
小さな体に、幼さが強調される愛らしい髪飾り。
か弱い外見の一ノ瀬ことみの口から、そのような獰猛な台詞が発せられるとは二人とも予想できていなかった。
環の腕を解きながら、ことみは淡々と言葉を続ける。

「あの二人が着ているのは、防弾性なの。多少は耐えられるから」

直接的な打撃をボディにあれだけ受けながら真希が食らいついていけているのも、きっとその恩恵だろう。
彼女の装備を知らない環や祐一からすれば、寝耳に水の情報だった。
そうして、しっかりと自身の足で立ち上がったことみは、一瞬だけ作られたばかりの赤い水溜りに目をやる。
沈んでいる霧島聖の遺体に眉を寄せるものの、ことみが気持ちを切り替えるのは早かった。

「怖いなら貸して。気がこっちに向かない内に、嗾けなくちゃ意味ないの」

778凡人表明:2010/04/21(水) 12:14:22 ID:.g4VCraU0
暴力的な強要に、ことみと触れ合う時間がほぼ皆無であった二人は、かなり驚いているようだった。
しかしことみは全てを無視する。
二人に質問をする間すら与えない。
非情な面を見せることみだが、彼女もすぐ気持ちを落ち着かせることができた訳では、決してなかった。





美凪が動いたことで真希が少年に喧嘩を売るような形になってしまったその時、ことみは一人大人しくしていた。
その身は未だ、環の内に抱えられている。
環の温もりの中、ことみは真希達の姿を眺めていた。眺めているうように、見えた。

(せんせ、せんせ、せんせ)

ぱくぱくと、声にならない言葉を紡ぐ。
ことみは必死に話しかけていた。
既に絶命している聖に向かって、声をかけていた。

(せんせ、せんせ、せんせ)

聖は答えない。答えられる訳もない。
ことみにとっての一番の理解者に成り得たはずの大人の女性は、ここで欠けてしまった。
聖と二人でこの島から脱出を誓った夜が、ことみの中で走馬灯のような幻影として蘇る。

(せんせ、せんせ、せんせ)

ぱくぱくぱく。
ことみの乾いた唇は、それでも無言を唱え続けていた。
締め付けられた胸の痛みに、ことみははらはらと涙を流す。

779凡人表明:2010/04/21(水) 12:14:39 ID:.g4VCraU0
ことみは決して、強靭な精神を持ち合わせた人間ではない。
冷静にものを考えることができ、頭の回転も早い有能な人種ではあるだろう。
しかし彼女の能力が発揮できるのは、ことみ自身の心にある程度の余裕がある場合に限る。
このような非日常、体も心も磨耗していくしかない世界に放り込まれ、彼女のバランスが崩れない訳はない。

保健室の一件で不安定になったことみの心、何とか無事に生還できたがその直後に与えられたのがこの仕打ちである。
揺らいでいたことみの波、甘い作りの防波堤には既にいくつものヒビが入っていた。
信じられない、信じたくないといったお決まりの嘆きを、ことみはひたすら零す。
空虚を作りたくない。
思考に間を作ってしまったら闇が全てを飲み込んできそうで、ことみは自身を止めることができなかった。

……ふと。
そんな彼女の脳裏に、数時間前の出来事が甦る。

ことみは、キーボードを打っていた。
カタカタと、無心で作業をしていた。
鎌石小学校の、パソコンルーム。そこにことみは聖といる。
まだ直接的な死とは無縁にあったあの頃、ことみも聖も近しい人間を失ったことを知った。

『もう誰も、死なせたくないの』
『私だって、そう思うさ』

ぽつりと、自然に漏れたことみの言葉。
聖のレスポンスは早かった。

780凡人表明:2010/04/21(水) 12:14:56 ID:.g4VCraU0
誰も死なせたくないという思い。
悲しいという思い。
心が涙を流すのは、強制的に無に返されるという痛ましさに対してだった。
命を奪われるという行為が、恐怖ではなく悲愴であったあの頃。
その延長。
ことみは、ことみ達は、ずっとそんな感覚を持っていたはずだ。

何故少年を追い詰めた時、彼の命を奪わなかったのか。
奪おうとしなかったのか。
簡単だった。
死なないために殺すという選択肢を、ことみだけではない……彼女達、皆持ち合わせていなかったからだ。

(せんせ。私達は、間違っていたの?)

ぽつりと、自然に出たことみの疑問。
聖から返ってくるものはない。

誰も傷つけたくない、死なせたくない。
その直情が間違いだなんてことみは決して思わない、しかし。
目に映ったもので、ことみは理解した。
すぐに理解した。

無謀な形で少年に歯向かう真希の姿は、事情を知らない人間からすれば滑稽なものだろう。
信じられないだろう。
ことみだけが、真希の心理を明確に感じ取っていた。
死なないために殺すという選択肢を持たないことみだからこそ、周りの人間をただ守りたいだけなんだという真希の無垢さに気づいた。

何であれ、このまま真希が無駄死にしてしまう可能性は非常に高い。
絶対の確立を持っているくらいだ。
美凪を取り押さえるのに例の大盾を手放しているものの、少年はまだ銃をその手に握ったままだ。
今はまだ真希を甚振っているだけだが、少年の気さえ変わればいつでもその命を奪える立場に彼はいる。

781凡人表明:2010/04/21(水) 12:15:14 ID:.g4VCraU0
「撃って。あの二人なら大丈夫。割烹着に当たれば、大きな怪我になることはないと思うの」

ことみの切り替えは、早かった。
涙の筋はまだ頬に残っている。
それでもよろめくこと等なく、ことみは庇われていた安全な場所から抜け出した。
美凪を捕らえ、真希に一方的な暴力を振るう少年をことみはじっと見据えている。

大盾という少年を守る壁がない今も、またと言えない機会だった。
直接の力の差は、自覚するしかない。
そこを埋めるチャンスの一つ一つを見逃さないことが重要だと言うことを、ことみは痛いほど学んでいた。
あとは、行動に出るだけである。
その踏ん切りを、ことみはつけている。

「あの二人が着ているのは、防弾性なの。多少は耐えられるから」

しっかりと自身の足で立ち上がったことみが、一瞬だけ作られたばかりの赤い水溜りに目をやる。
沈んでいる聖の遺体に眉を寄せるものの、ことみが気持ちを切り替えるのは早かった。

「怖いなら貸して。気がこっちに向かない内に、嗾けなくちゃ意味ないの」

冷静にものを考えることができ、頭の回転も早い有能な人種が行動に出ようとする。
欠けていた心の脆弱さを意識し直したこの瞬間、彼女は誰よりもこの島で生き残れる可能性のある強みを手に入れていた。

782凡人表明:2010/04/21(水) 12:15:36 ID:.g4VCraU0







ただ、それは。


「……ひっ!」


少しだけ。


「?! 止め、止めてください、お願っ」


遅かった。








「真希さあああああああぁぁぁぁぁぁんんんっ!!!!!!!!!!」

大人しい、いつもぼそぼそとした声でしかしゃべることのなかった遠野美凪という少女が、今まで上げたこともないであろう大きな悲鳴を声にした。
美凪の嘆きと、一発の銃声が重なり合う。
そこにいる者全ての鼓膜を突き破らんかという勢い、音が止んだ後もその緊張はしばらく続いた。

783凡人表明:2010/04/21(水) 12:16:00 ID:.g4VCraU0
「で、何?」

真希の額に突きつけたその引き金を、何の躊躇もなく少年は引いていた。
くたっとなる真希の肢体が、彼女の絶命を物語っている。
飄々とした態度のまま、少年は泣き崩れる美凪の腕を尚も掴んだ状態で視線をことみ達三人に向けた。
硬直する彼等を見据え、返答が与えられなくとも気にすることなど全くせず、少年は一人口を開く。

「喧しい蝿がいたからよくは聞き取れなかったけど、何の相談?」

あまりにも軽い、その言い分。
ぎりっと強く唇をかみ締めながら、環が低い唸りを上げる。
怒りで寄せられた環の眉が、深い彫りを作ることで彼女の激情を静かに表した。

「悪いけど、逃げ場なんてないよ。君達はここで処分するから」
「……随分な言い草ね」
「今更じゃない? いい加減にしてくれないと、僕も疲れてしまうよ」

一ミリの疲労感が見えていない少年の軽口に、ますます環の頭が熱くなっていく。
ただただ状況だけは最悪で、その横で祐一も押し黙るだけだった。
ことみは。

「……」

天才少女で名を馳せる、一ノ瀬ことみは。
冷静にものを考えることができ、頭の回転も早いことみは。ことみも。

「…………」

祐一と同じように、押し黙るしか、なかった。

784凡人表明:2010/04/21(水) 12:16:45 ID:.g4VCraU0
【時間:2日目午前8時10分】
【場所:D−6・鎌石小中学校・中庭】

一ノ瀬ことみ
【持ち物:主催側のデータから得た印付の地図、毒針、吹き矢、高圧電流などを兼ね備えた暗殺用十徳ナイフ(吹き矢使用済み)、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯、お米券×1】
【状態:無言】

少年
【持ち物1:強化プラスチックの大盾(機動隊仕様)、注射器(H173)×19、グロック19(14/15)】
【持ち物2:支給品一式、レーション2つ、予備弾丸12発】
【状況:ことみ、環、祐一、美凪と対峙・効率良く参加者を皆殺しにする】

向坂環
【所持品:コルトガバメント(残弾数:15)・支給品一式(食料少し消費)】
【状態:無言】

相沢祐一
【所持品:S&W M19(銃弾数4/6)・支給品一式(食料少し消費)】
【状態:鎌石中学校制服着用(リトルバスターズの男子制服風)、腹部刺し傷あり(治療済み)】
【備考:無言・勝平から繰り返された世界の話を聞いている】

広瀬真希
【持ち物:防弾性割烹着&頭巾、スリッパ、水・食料、支給品一式、携帯電話、お米券×2 和の食材セット4/10】
【状況:死亡】

遠野美凪
【持ち物:消防署の包丁、防弾性割烹着&頭巾 水・食料、支給品一式(様々な書き込みのある地図入り)、特性バターロール×3 お米券数十枚 玉ねぎハンバーグ】
【状況:泣き崩れている、右頬出血】


(関連・1124)(B−4ルート)

消防斧は校庭に放置

785エルサレムⅤ [少女の檻]:2010/05/23(日) 18:21:13 ID:NGfemGc.0
 一歩大きく踏み込み、袈裟に刀を振り下ろす。
 剣筋が線として捉えられる位の高速の太刀筋は、しかしあっさりと弾き返される。
 敵――アハトノインは下から打ち上げるようにして弾く。
 刀を上段に持ち上げさせ、バランスを崩す戦法だ。

 それが分かっていない川澄舞ではなかった。
 無理に踏ん張らず、力を逃すようにして後方に退避。
 着地時につま先に思い切り腰を落とし、詰め寄る間を与えずに再度肉薄する。
 今度は弾かせる暇はなかった。金属同士がぶつかり合う甲高い音と共に、舞とアハトノインの顔も切迫する。

 銃撃により、顔の半分が潰れ、骨格の一部や回線のいくつかがむき出しになっている。
 一方で人間の形を残している部分は平時とまるで変わらない。
 色艶の良い唇。決して揺らぐことのない、感情を持たぬ瞳。筋肉も血も通ってないのに、見た目だけはふっくらとした頬。
 ほしのゆめみとは違う。あまり深い付き合いではないとはいえ、舞は何の抵抗もなくそう思った。
 だから遠慮なく戦える。倒すべき敵だと分かるから、守るべきものが分かっているから。

 柄を握る手に力を込め、舞は刀を押し込む。
 すかさず反発する力が強くなった。一瞬押せるかと考えた舞は読みが浅かったと内心で舌打ちした。
 片腕だけとはいえ、単純な膂力で言えば人間を遥かに陵駕するらしい。
 それならそれでやりようはある。今度は逆に力を緩めた。
 急に相対する力を失い、アハトノインが前傾に体勢を崩す。
 刀を下方に逸らし、そのまま弾いて横に回る。受け流し、横を取った形だ。
 いけると確信した舞は今度こそと脚部へと目標を定め、一閃。

 アハトノインは驚異的な反応速度で回避に移っていたが、舞の一撃を避けきれるものではなかった。
 脚部から赤色の冷却液が噴き出し、僅かによろめく。
 冷却液はオーバーヒートしないようにするだけではなく、
 身体のバランス調整も行っているために僅かながらに動きが止まったのだった。
 そこで舞は一歩引く。追撃はしなかった。
 そうするまでもない。自分が距離を詰めるよりも早く、攻撃してくれる頼もしいパートナーがいる。

786エルサレムⅤ [少女の檻]:2010/05/23(日) 18:21:37 ID:NGfemGc.0
 国崎往人だった。P−90の火線が遠慮なくアハトノインへと殺到する。
 サブマシンガンの一種でありながら、5.7×28mm弾を用いたP−90は、
 威力こそライフル弾には劣るものの貫通力は拳銃弾の比ではない。
 アハトノインの着用していた防弾コートはこの弾丸の前には紙切れ同然だった。
 ボトルネック構造……つまり、弾頭が尖った形状となっている5.7×28mm弾はあっけなくコートを貫通し、
 勢いを保ったまま人工皮膚部を直撃した。

 軟体に着弾した弾丸は、内部で乱回転して運動エネルギーを拡散させ、アハトノインに奇妙なダンスを踊らせた。
 対テロ用に開発されたP−90は人間に対して有り余るほどの殺傷力を備える。
 それは人間とは大きく異なる、戦闘用にチューニングされたロボットに対しても変わらなかった。
 多数の銃弾を受け、内部からも衝撃を与えられたことによりアハトノインの運動系統を司るCPUが一時混乱を起こした結果、
 無様に仰向けに倒れる羽目になった。

 倒れた隙を見逃さず、舞が接近する。
 だが既にコントロールを取り戻したアハトノインは倒れていながらも器用に足を振り回し、舞の足を取った。
 想像外の一撃に、今度は舞が倒れることになった。咄嗟に受け身は取ったもののアハトノインは立ち上がっており、
 形勢は一変。今度は圧倒的有利を取られた。

 一つだけとなったカメラアイを動かして、アハトノインがこちらを見下ろし、睥睨してくる。
 獲物を見定めた目だった。その口元が微妙に歪んだのを、舞は見逃さなかった。
 刀を一文字に構えて受けの体勢を取るが、防ぎきれる確証はなかった。
 しかしグルカ刀が一閃することはなかった。寸前、往人が連射したP−90を回避するために距離を取ったのだった。
 機を逃さず、素早く立ち上がって往人の元まで撤退する。

「……ごめんなさい」
「気にするな。死ななきゃいい」

 そっけなく返して、往人はいつでも発砲できる体勢を取る。
 今の舞にはそれがありがたかった。

787エルサレムⅤ [少女の檻]:2010/05/23(日) 18:21:54 ID:NGfemGc.0
「とは言うものの、あそこから反撃されるとはな」

 助けられた手前、態度にこそ出さなかったが舞も同様の感想を抱いていた。
 油断していたわけではない。寧ろ、勝機を掴んだと確信したからこその接近だった。
 それを足一本でひっくり返す適応力の高さ。あれだけ戦力を削いだにも関わらず、
 有利どころか五分にすら辿り着いていないのだということを思い知らされたような気分だった。

「頭ぶっ壊しても死なない。撃っても止まらん。だったら」
「逃げるか」
「切り刻むしかないな」

 そして前者の選択肢はない。コンテナが密集するこの場所では隠れることはできるだろうが、逃げ切ることは難しい。
 何よりこのロボットを放置しておくことの危険性が高すぎる。
 五分とまではいかなくても、僅かにでも勝機があるのならばやるしかないのが今の状況だった。
 それは往人も理解していたらしく、ふっと短く溜息をついた。

「貧乏くじだったかな」
「ここに来た時点で、すごい貧乏くじ引かされてる」
「違いない」

 言葉は笑っていたが、顔は笑っていなかった。
 ここに至って、まだ自分達はこの島の鎖にがんじがらめにされたままだ。
 殺し合いの中で倒れることを強いる鎖を、未だ外せていない。

「そろそろ、ツキをこっちに持ってくるか」

 往人の言葉に、舞は力強く頷いた。
 一人では外せない、どうしようもないものも、誰かがいれば外せる可能性はある。
 たとえそれがどんなに儚い希望だったとしても……
 往人の顔をもう一度見て、決心を胸の中に仕舞いこむ。
 絶対に大丈夫と信じて、舞は走った。

788エルサレムⅤ [少女の檻]:2010/05/23(日) 18:22:09 ID:NGfemGc.0
     *     *     *

 思えば、結局誰一人として知り合いに会うことはできなかった。
 一番に探し求めていた神尾親子とは会えず。
 みちるは出会う前に殺され。
 遠野美凪、霧島姉妹。誰かと一緒にいたと聞いて、その誰かのために死んでいったと聞いた。

 詳しく聞くつもりはなかった。
 そういう生き方を選んだのだと納得した。
 国崎往人にはそれが羨ましかった。
 胸を張って命を賭けられるなにか。
 彼女達は見つけることが出来、全てを注いできたのだろう。
 生死はその結果でしかなく、残された方にも残したものがあった。

 痛み、悲しみ、苦しみ。
 そういったものはあったのかもしれない。
 けれども、乗り越えるだけのものもまた渡した。
 それは希望であったり、未来であったり、或いは願いであったりするのかもしれない。
 自分にはなかった。自分を託すことが出来るなにかが見つからなかった。
 旅をする目的はあった。しかし目的というだけで、元の願いからは離れたものになっていた。
 翼を持つ子を喜ばせれば、自分の願いも見つかるかもしれない。
 そんな漠然とした思いだった。笑わせたいという思いは確かにあったが、
 それが本当の目的、願いかと聞かれれば答えに窮した。
 いや違う。笑わせた先、目的を達成した先の自分が想像できないのだ。

 終えてしまった先に希望はなく、
 終えてしまった先の未来は見えず、
 終えてしまった先の願いもない。

789エルサレムⅤ [少女の檻]:2010/05/23(日) 18:22:26 ID:NGfemGc.0
 だから考えないようにしてきた。今自分の為すべきことだけに目を向け、自らの人生については目を背けてきた。
 殺し合いという現実に対処しなければならない。それを言い訳にして。
 故に戸惑った。川澄舞に対する気持ちを再確認したとき、湯船の中で背中越しに語り合ったとき。
 戸惑いながらも、未来を必死に考えようとする自分が生まれた。

 これからの生活のため。そんなしがない理由ではあるのかもしれない。
 それでも、大切な人ができたという事実以上に重たいものなどなかった。
 格好悪いからと目を背けられるはずなどなかった。
 どんなに無様でもいい。一緒にいられるなら、と往人は『生きる』ことを考えるようになった。
 人間とはそういうものなのかもしれない。

 自分のような男女の関係だけに留まらず、友人のため、家族のため……いや見知らぬ誰かに対してでさえ、
 人のことを考えて行動するようになったとき、『希望』や『未来』が生まれ、豊かさが育まれてゆくものなのだろう。
 舞を守りたい。一緒にいたい。
 ただそれだけの気持ちが、こんなにも自分を奮い立たせる。
 恋に狂った馬鹿野郎でも構わない。
 それでもいいと感じている自分がいるのだから――!

「頼むぞ……!」

 先駆けて走る舞を援護するように、往人はP−90に引き金に思いを乗せ、引き絞る。
 フルオートで連射せず、三点バーストで射撃した。
 舞に誤射しないためというのがひとつ。弾数が少なく、無駄撃ちを避けたいと思ったのがひとつだった。
 アハトノインは律儀に全弾回避し、迫る舞に先制の攻撃を許すことになった。
 所詮相手はロボット。人間のような柔軟な思考を持たないことがこちらとの決定的な違いであり、付け入る隙だった。

 右手側に回り込むようにして舞が側面から日本刀で斬りつける。
 先の頭部を破壊したときの攻防で、アハトノインは右手も失っていたためだった。
 必然大振りにならざるを得ない攻撃を舞が回避するのは容易く、空振りしたところに次々と斬撃を加えてゆく。
 一体どんな経験をしてきたのかは検討もつかないが、舞はかなりの技量を誇る剣士であることが分かる。
 それなりの重量があるはずの日本刀をまるで木の棒でも振るかのように扱い、一閃するたびにアハトノインに傷が増えてゆく。
 先の失敗から回避に重点を置いた舞の立ち回りにアハトノインは対応できず、攻撃は空振りを繰り返すだけだった。
 往人は万が一のときに備え、いつでも射撃できるようにP−90を構えている。
 仮に超人染みた反応で舞が不利になってもこちらから援護すれば攻撃を阻止できる。

790エルサレムⅤ [少女の檻]:2010/05/23(日) 18:22:46 ID:NGfemGc.0
 一片の隙もない、二段構え。後は自分達の集中力の問題だった。
 もはや人間の体を為さず、あちこち切り裂かれて金属骨格むき出しのアハトノインは動くのもやっとの様子だった。
 舞は猛攻を止めない。アハトノインが一歩後退したのをきっかけにして詰め寄ってゆく。
 必然、アハトノインは後ろへ追いやられ、致命傷となる一撃は回避しながらもじりじりと下がっていった。
 剣を振るう舞の顔からも玉のような汗が飛んでいる。息も弾んでいる。いくら凄腕の剣士とはいっても女であることには違いなく、
 スタミナを消費しているのが目に見て取れる。

 焦るな。お前がトドメを刺す必要はないんだ……!

 往人の動く気配に舞も気付いたらしく、長髪が縦に揺れた。
 よし。冷静さを失わない舞を頼もしいと思いながら、往人が牽制のP−90を向ける。
 剣を腕でガードした直後、隙を窺っていたアハトノインは鋭敏に往人の挙動を察知し、また一歩退いた。
 が、下がらせることこそ往人の狙いであり、舞の狙いでもあった。
 ガツンという音が空間に響き渡る。アハトノインがコンテナに背をぶつけたのだ。

 左手からは舞、右手には往人。囲んだ形。敵に逃げ場はない。回避さえもできない状況で、為す術はない。
 気付かなかったとでもいうように首を振り向かせたアハトノインの隙を見逃すほど舞は甘くない。
 一瞬の間隙を突き、日本刀を真っ直ぐ、突きの形にして走った。
 頭部を破壊しても尚倒れないというのならば、他の動力源……つまり、駆動部を狙うしかない。
 腹部か、或いは胸部。防弾コートの厚い壁で守られているそこに弱点はあるに違いなかった。

 舞が狙ったのは胸部だった。その選択は理に叶っている。突き刺した後に切り下げれば、腹部も攻撃できるからだ。
 連携できるこちらの勝利だ――確信し、P−90を下ろし掛けた往人の思考が吹き散らされたのは次の瞬間だった。
 普通は、例え追い詰められようとも避ける素振りはする。それが戦闘に臨む者の思考であり、生き延びるための思考だ。
 しかしアハトノインは逃げも隠れも、防御さえしなかった。
 コンテナを背にした彼女がやったことはそのいずれでもなく……全力でコンテナ群を殴るという行為だった。

「なんのつもり……」

 呟いた往人の頭が真っ白になるまでに、それほどの時間はかからなかった。
 コンテナ群の上部が揺れ、ぶるりと生物のように身を震わせたかのようにして――直後、落下した。
 冗談だろ!? このような反撃など全く想像の外であっただけに、往人はP−90を構えることも忘れ、舞に叫んでいた。

791エルサレムⅤ [少女の檻]:2010/05/23(日) 18:23:06 ID:NGfemGc.0
「逃げろ! 潰されるぞ!」

 今まさに突きを繰り出そうとしていた舞の動きがピタリと止まり、弾かれたかのように後ろに跳躍した。
 本人も精一杯というような反応は、しかし間に合ったようで、体ひとつ分の距離を置いてコンテナが落下した。
 凄まじい量の埃が舞い上がり、往人と舞を覆い尽くす。
 煙幕を張られた格好にもなり、ゴホゴホと咳き込みながら、まずいなと舌打ちした。
 一瞬とはいえ分断された。ここは一度離れて体勢を立て直すしかない……

 もうもうと視界を覆う埃から逃げるように移動しようとした往人に、焼けるような痛みが走ったのはその直後だった。
 ぐっ、と苦痛の呻き声を上げた往人の頭に浮かんだのは、撃たれたという理解だった。
 バカな。その一語が駆け抜ける。撃ってきたのはアハトノインに違いないが、一体どうやって?
 銃器はどこから? どうやってこちらを補足した?

 それらの疑問は、反撃しようと振り向いたときに解決した。
 赤く光るカメラアイと、手に収まった小型拳銃。
 なんのことはない。最初からそのような装備があっただけという納得が広がり、往人は苦笑とも怒りともつかぬ表情を浮かべた。
 追い詰めてなどいなかった。敵は最初から、分断する腹積もりで戦っていた。それだけのことだった。

 クソッタレと吐き捨て、反撃を試みた往人が引き金を絞ることはなかった。
 腕を立て続けに撃ち抜かれ、力の抜けた手からP−90がすっぽ抜ける。
 さらにもう一発、腹部を撃たれた往人が自らの血に沈んだのは僅か数秒と経たない間だった。

「往人に……手を出すなっ!」

 銃声を聞きつけたのか、決死の形相を浮かべて舞が突進してくる。
 恐らくは、自分が撃たれた様子も見たのだろうと思った往人は、しかし遅すぎると判断していた。
 アハトノインの銃口は、既に舞へと向けられている。

「ダメだ! 逃げ――」

 叫びが届くことはなかった。
 自分を撃ったときと同じく、ひどく軽い発砲音が誇りまみれの空間に響き、川澄舞の体を崩れさせた。
 胸、下腹部……その他諸々を撃たれた彼女は恐らく、即死だった。

792エルサレムⅤ [少女の檻]:2010/05/23(日) 18:23:24 ID:NGfemGc.0
     *     *     *

 ――もういいかい?

 元気のいい、幼い女の子の声が聞こえる。
 この声を、自分は知っている。
 川澄舞はぽつねんとある場所に立ち尽くしていた。

 黄金色の稲穂が無限に広がり、夕日が世界の果てまで伸び、どこからともなく現れては過ぎ去る風がある場所。
 名前などあるはずがない場所。
 しかし、そこは確かに存在していた。
 遊んだ記憶があり、始まったところであり、終わらせたところでもある。
 風がやってくるたびに稲穂が揺れ、こっちへおいでと手招きしているようであった。

 ここは死後の世界なのだろうか、と舞はぼんやりと想像した。
 自らの心象が作り上げた、自分だけの黄泉……そこまで考え、死を抵抗なく受け入れようとしていた自分に気付かされた舞は、
 自らの諦めの良さに慄然とする思いを味わった。
 そうさせてしまうだけの強烈な力がそこにあった。
 人から意志の全てを奪い、諦観だけで満たしてしまう力――

「それは違うよ。諦めてきたのは、あなた」

 背後に発した子供の声が舞の思考を遮った。
 いつの間に、と思う間もなく、子供が舞の目の前に現れる。
 それは紛れもなく……子供の頃の自分そのものだった。

「嘘が本当にならないから、諦めてわたしを捨てたのが、あなた」

793エルサレムⅤ [少女の檻]:2010/05/23(日) 18:23:40 ID:NGfemGc.0
 忘れたと思っていたのに、一目見るだけでこうも鮮明に思い出せるものなのか。
 今よりも少し短い、しかし当時から長かった黒髪。
 外で遊ぶときにはいつも着ていた、山吹色の少し丈の短いドレス。

 この姿を見るだけで全てが思い出せる。
 ここがどんな場所だったか思い出せる。

 自分の居場所だったところで、自分の全てだったところ。
 風が吹きさらす夕焼け空は夜の気配を伝えながらも、決してそこからは動かない。
 時を止めてしまったまま、未来永劫変わることのない閉ざされた記憶の降り積もった世界だ。

「ねえ、聞いてる?」

 意識を外されていたのが気に入らなかったのか、少女は頬を膨らませ、不満を滲ませた声で言う。
 今と全く変わらない、しかしまだ何も知らなかった頃の瞳を見返した舞は無言で頷いた。
 だとするなら、この子も自分の記憶なのだろうか。
 置き去りにしてきた自分。忘れてしまっていた自分に仕返しするために、この世界に呼び込んだのか。
 想像を働かせる舞に、「それは違うな」とまたも心を読んだかのように少女が言った。

「わたしはわたし。わたしはあなたで、あなたもわたし。仕返しなんて、するはずないよ」

 穏やかな微笑を浮かべつつ言う様子は、まるで親しい友達にでも話しかけるようだった。
 ああ、そうだったと舞は思った。
 この少女と自分は不可分な存在であったことも、忘れていた。
 ここも、この少女も単なる思い出ではない。
 昔から自分に内在していた『力』。自らの思考を具現化する『力』そのものだった。

「思い出した?」

794エルサレムⅤ [少女の檻]:2010/05/23(日) 18:23:56 ID:NGfemGc.0
 はしゃぐように問いかける少女に、舞はこくりと頷く。
 始まりは母の病気からだった。
 一向に良くならない母の体調。どんなに医者が手を尽くしても良くなることのなかった母。
 日に日にやつれてゆく母の姿を見ながら、舞はそれでも一生懸命快復を願った。

 自分には母しかいなかったから。
 父の存在を知らず、親類とも縁遠かった自分はいつだって一人ぼっちだったから。
 家もあまり裕福ではなく、母だけが唯一の心の拠り所だと感じていた舞に、
 いなくなってしまうかもしれないという恐怖はあまりにも大きすぎた。

 願った。願って、願って、願い続けた。
 神様。神様。神様。
 自分の言葉などちっぽけでしかなく、何の意味も持たないと半ば理解しながらも、それでも舞は祈り続けた。
 一人になってしまうのは嫌だから。このぬくもりを失ってしまうことがあまりにも怖かったから。
 お願いします。何だってします。絶対に嘘もつきません。いい子になりますから……
 ありとあらゆる言葉を並べ立てた。弱々しい力で頭を撫でてくれる母の手を感じながら、
 痩せ細ってゆく母の手をぎゅっと握りながら、精一杯の笑顔を向けながら、舞は願った。

 奇跡が起こったのは、ある日の朝だった。
 それまで悪化の一途を辿っていた母の体調が、突然快復の兆しを見せ始めたのだ。
 夜通し手を握り、夢の中でも祈り続けていたあの日からだったと記憶している。
 快復の原因は全く分からず、医者でさえも信じられないといった様子だったが、何が原因かなんて舞にはどうでもよかった。
 母がいなくならずに済むと分かって、ただそれだけが嬉しかった。
 もっと早く良くなればいい。良くなって、また自分と遊んでくれるようになれれば、それで良かった。

 母が退院できるまでに良くなったのは、それから一年と経たない時間だった。
 尋常ではない快復ぶりだったらしい。人体の奇跡とでも表現するしかなく、
 ここまで来れば医者も困惑よりも素直に感心するほかなかったようだ。
 苦笑交じりに送り出してくれた医者や看護士の顔を見ながら、舞と母は元の生活に戻っていった。

795エルサレムⅤ [少女の檻]:2010/05/23(日) 18:24:13 ID:NGfemGc.0
 家は相変わらず裕福ではなかったが、生活に困ることは全くなかった。
 困っていれば誰かが助けてくれたし、図ったかのようなタイミングで幸運が舞い降りてくる。
 その時はいつだって舞が「そうなればいいのに」と思ったときだった。
 『力』を薄ぼんやりとだが自覚し始めたのはこの頃だったかもしれない。
 思ったことが、現実になる。自分の思い通りに現実が変わってゆく。

 しかし舞自身はそれを積極的に使おうという気は起こらなかった。
 興味がなかったというのもある。今のままで十分だという気持ちもあった。
 優しく、いつだって自分といてくれる母さえいてくれれば。
 だがその『願い』は長続きしなかった。膨大すぎる人の前には『力』も意味を為さなかった。
 『力』が知られ始めたのは、恐らくふとしたきっかけ――怪我をした動物に『力』を働かせたときから――だった。

 何も道具を持たず、何も行わず、まるで手品か魔法のように現実を塗り替えてしまう『力』に賞賛の言葉はなかった。
 人は普通ではないものを忌み嫌う。正体不明のものを恐れる。子供心にも人がその習性を持つことは気付いていた。
 だから、自分達親子が排訴されるのも予想はしていた。
 小学校の時分でさえ、少し見た目が違うだけでからかわれる題材にされる。まして大人であれば……
 予想はしていたものの、やはり辛いものがあった。
 自分がとやかく言われるより、何の関係もない母が心無い言葉を浴びせられるのを見ているのが辛かった。

 なぜ。どうして自分だけを責めないのか。
 子供でしかなかった舞にこの事態はどうすることもできず、それどころか母に守られるだけの日々が続いた。
 陰口を浴び続け、疲れた表情になりながらも、母は決して舞を責めることはしなかった。
 母も気付いていた。舞に、特別ななにかがあることに。
 それでも庇ってくれるのは、どうして。尋ねたとき、苦笑の皺を刻んだ母の表情は、一方でどんな人よりも毅然としていた。

 自分の娘を守らない母親がどこにいるのか。

 全く当たり前の言葉で、しかしどんな偉人の言葉よりも重みのあるものだった。
 人としての強さ、女としての強さを見せ付けられ、舞は人が肉体や健康の状態だけで強さが決まるのではないと知った。
 だからこそ守りたいと思った。父親がいなくとも悲観的になることなく、逃げることもしなかった母を大切にしたいと思った。
 そのために耐える日々を選んだ。大きくなるまで。その一語だけを胸に刻んで、各地を転々とする日々を続けた。

796エルサレムⅤ [少女の檻]:2010/05/23(日) 18:24:29 ID:NGfemGc.0
 『力』は好きにはなれなかった。疎まれることには慣れたとはいえ、
 友達のいない生活、孤独な日常は子供だった舞にとっては『力』など不要なものでしかなかった。
 精々他人に悟られないよう、人と距離を置くくらいしか対処する術を知らず、
 家族と一緒にいるのとは別の寂しさを抱え込む日が続いた。

 文句を言うつもりはなかったし、言える立場でもなかった。自分自身理解もしていた。
 それでも感情を完全に紛らわせることなどできなかった。
 『力』があっても舞は人間でしかなく、ただの少女でしかなかった。
 我慢はできたが、内奥で膨らんでゆく思いはどうしようもなかった。

 そんなときに現れたのが『彼』だった。
 記憶は曖昧で、名前もよく思い出せない。ただ、『彼』は別だった。
 偶然の出会いだったように思う。一人で遊んでいたところに、急に声をかけられた。
 少し話して、少し遊んで、その次の日にまた出会って、もう少し話して、もう少し遊んだ。
 そうしてゆくうちに、話す時間も遊ぶ時間も増えていった。

 舞は『彼』のことが嫌いではなかった。
 ふとしたはずみで『力』を発現させてしまったときも『彼』は何も言うことはなかった。
 取り繕うような態度も、恐れ慄く態度も、忌避の態度も見せなかった。
 それが自然だというような振る舞いと、屈託のない笑顔。嘘偽りの感じられない姿に、次第に惹かれていったのかもしれない。
 今までは、異物を見るような目。疎外し、排除する目でしか見られていなかったから……

 『力』のことについても少しずつ打ち明けるようになった。
 半ば相談、半ば愚痴を漏らすような形ではあったが、『彼』は丁寧に聞いてくれていた。
 人々に忌み嫌われ、自分でさえ持て余してしまう力。
 生かす手段も見つからず、捨て去る方法も分からないこの力を、自分はどうすればいいのか。

797エルサレムⅤ [少女の檻]:2010/05/23(日) 18:24:46 ID:NGfemGc.0
 実際はもっと拙く、子供らしい感情に任せた言い方だった。
 嫌い、とまでは言わないまでも好きじゃないと言っていたことは覚えている。
 母を救ったかもしれない力であるから、嫌いにもなりきれない。
 けれども自分を一人にさせてしまっている力だから、好きにもなれない。
 己の中で複雑化し、好きと嫌いの根を張っている『力』に対処するにはどうしたらいいのか。

 これから先、大きくなって母に支えられることなく生きてゆけるようになっても絶えず向き合わなければならないであろう問題に対して、
 『彼』は別に今のままでいいんじゃないかと言った。
 最初は所詮他人事、どうでもいいのかと落胆しかけたが、続く『彼』の言葉でその気持ちは吹き飛んだ。

 そんなことを気にしなくても、理解してくれる人はきっといる。
 オレみたいにさ、と言った『彼』の笑った顔を見たとき、舞は何かしら胸のつかえが取れたような気分だった。
 舞も久しぶりに笑った。母の前で見せる、強くなるための笑いではなく、自然と零れ出た笑いだった。
 『力』をどうこうする必要なんてない。舞は舞らしくいてくれればいいと言った『彼』の言葉が嬉しかった。

 何の根拠もない、儚い希望ではあったのかもしれない。
 それでも昨日より良い明日を信じようとする考えは、舞にとって好意的に受け入れられるものだったのだ。
 きっと母が良くなると信じ続け、願いが現実になったあの時のように。
 舞は『彼』ともっといたいと思うようになった。この人の近くにいれば、きっと理解してくれる人も増えるだろうから。

 だが、そう思っていた矢先に『彼』はいなくなってしまった。
 正確には帰るのだと言っていた。帰るから、もうここには来れない、と。
 初めて言葉を聞かされたときは絶句していた。まだこれから、という時に、なぜ。
 帰らないで。やっとの思いで吐き出した舞の言葉に『彼』は首を振った。仕方がないことなんだと言った。

 裏切られたとは思わなかった。どこか歯切れの悪い様子は『彼』自身の言葉ではないとすぐに分かった。
 そして瞬時に、こう予想した。
 理解してくれる人もいれば、そうでない人も大勢いる。自分たちを忌み嫌い、遠ざけてきた連中がいるように。
 『彼』は自分と遊んでいることを知られて、引き離されたのだ。
 子供でしかない『彼』は従うしかなかった。何もできなかった自分同様に……

798エルサレムⅤ [少女の檻]:2010/05/23(日) 18:25:02 ID:NGfemGc.0
 子供であることの小ささ、無力さが絶望となって圧し掛かってきていた。
 自分には何も力がないから、やっとできた友達一人だって守れない。
 その事実をいつものように納得する自分がいる一方で、諦めたくないと叫ぶ自分がいた。
 『彼』から教えられた希望を信じ、明日が良くなると信じて笑った自分。
 ここで何もしなければ、今度こそ自分は自分のことを嫌いになってしまうだろうという、確信にも似た気持ちがあった。

 けれども、十年一日耐え忍ぶことしかしてこなかった舞にはどうすれば『彼』を引き止められるのかが分からなかった。
 どうすれば希望の在り処を取り戻せるのかが分からなかった。
 だから舞は嘘をついた。

「魔物が来るの!」

 もう少し年を経ていれば、もっと違う言葉を絞り出せたのかもしれない。
 だが舞にはこうするしかなかった。
 明確な敵を作り、一緒に対処していこうと、そんな言い方しか出来なかった。

 『彼』はやってくることはなかった。
 嘘だと見抜かれたのだろうか。いや違う、そうではない。『魔物』が邪魔をしたのだ。
 舞との仲を引き裂くために、『魔物』が言葉を届けられなくした。
 そうと信じるしかなかった。
 信じなければ、自分は諦めてしまったということになるのだから。
 自分を一人にしようとする『魔物』がいる。

 ならば、討たねばならない。

 一つの結論を見い出したとき、外から獣のような咆哮が聞こえた。
 すぐさまその正体を理解した。間違いない。あれが諸悪の根源……『魔物』なのだと。
 舞は棒切れを持って飛び出した。外で暴れ回る『魔物』を一生懸命に追い払った。
 倒すことこそ出来なかったが、『魔物』はいずこともなく消えていった。
 『魔物』と戦い、疲労した舞の胸中にあったのは、明確な悪の存在を見い出した昂揚だった。

799エルサレムⅤ [少女の檻]:2010/05/23(日) 18:25:21 ID:NGfemGc.0
 あれさえやっつければ。『彼』だってきっと戻ってきてくれる。
 だが、『魔物』は強大だった。あれだけ懸命に戦ったのに、傷一つついていなかった。
 自分一人ではどうにもならないくらいの実力差があった。

 ――ならば、倒すまで鍛えればいい。

 薙ぎ払い、打ち倒し、その存在を抹消できるまでに己を高めればいい。
 今はまだ敵わなくとも、いずれ絶対倒してみせる。
 守れないのではない。守ろうともしない諦め、無関心こそが悪い結果を引き起こすのだと断じて、舞は戦おうと決めた。

 即ち、自分たちをどうしても理解しようとしないモノと。『魔物』と。

「嘘を嘘で塗り固めたのは、あなた」

 幼い自分の声が聞こえた。
 淡々としていても、明らかに自分を責める調子があった。

「諦められないって言いながら、実際はその場しのぎの嘘をついて、上手く行かなかったからって現実にしようとしたのがあなた」

「そんな自分に疑問も持たず、子供のころの思い付きを頑なに信じて変わることすらしなくなったのがあなた」

「そうして何かあれば自分さえ傷つけばいいと思うようになって、自分を傷つけるのは魔物だからとしか考えなくなったのがあなた」

「結局のところ、あなたはそんなのだから一人なの。いくら経っても、全然成長なんてしてない」

 重ねられる言葉に、舞は反論することが出来なかった。
 確かに、そうだ。あの日から、些細な嘘を真実だと思い込み、
 ありもしない『魔物』を退治しようと躍起になっていた自分は愚か以外の何物でもない。
 明日はきっと良くなる。『彼』の語ろうとしていたことの本質も捉えず、
 思考を停止させて盲目的に『魔物を倒す』以外の目的を持てなくなってしまった哀れな女。
 それが川澄舞という人間の生きてきた、無駄とも言える半生だ。

800エルサレムⅤ [少女の檻]:2010/05/23(日) 18:25:37 ID:NGfemGc.0
「今度だってそう」

「逃げて、逃げて、逃げた末に、あなたは国崎往人に居場所を求めた」

「守る人がいなくなったから。自分に罪を与えるための依代として」

 そうなのかもしれない、と舞は思った。
 好きになったのも、一緒にいたいと思ったのも、結局は自分に罰を与えるため。
 嘘をつき、拠り所を失った女が新たに求めた依存先。

 川澄舞は、嘘つきの悪い子で、
 約束も果たせない悪い子で、
 なにひとつ守れない、弱すぎる女だ。

 そんな自分が生きていてはいけない。
 だから己を傷つけることで罪を清算しようとした。
 ただの自己満足なのだと、分かっていたにも関わらず。

「分かった? どこまで行っても、あなたは一人なの。それが『力』の代償なんだから」

 目の前の幼い少女は自分であり、かつて嘘をついた結果生まれた魔物だ。
 一見何の悪意もなさそうな、屈託のない笑みが舞へと向けられた。

 しかし、舞は知っている。
 この笑みは、自分を慰めるためだけの笑み。
 何かあれば自分を傷つけることで己を満足させてきた、手前勝手な笑みだ。
 疑いようもない我が身の姿だ。
 だが認める一方で、これは過去でしかないと、胸の奥底で語りかける自分がいた。

801エルサレムⅤ [少女の檻]:2010/05/23(日) 18:25:56 ID:NGfemGc.0
「分かったなら、もう一度力を貸してあげる。あなたの望むことを現実にする力。
 でも代わりに、またあなたは一人になる。誰からも認められず、理解もされない。
 あなたが生きてゆくのは一人ぼっちの世界――」

「――それは、違う」

 沸き立つ気持ちに押し出された言葉は、湿った空気を吹き散らして少女へと届けられた。
 途中で遮られ、呆気に取られた表情で見てくる少女に、舞は強い確信を含んだ視線を返した。
 込み上げてくる熱が抑えられない。冷静でありながら、熱くなってゆく自分を感じる。
 今の自分を、過去の己に示すために、舞ははっきりと口に出して伝えた。

「私は、一人じゃない」

 口に出す間際、強く吹いた風にもかき消されることはなく、言葉が世界を震わせた。
 確かに、様々な間違いを犯してきた。
 けれどもやり直してゆこうという意志もまた、今の自分にはある。
 今はまだ間違っていても明日という一日で少しは良くなるかもしれないから。
 一日で無理なら、さらに時間をかけてでも良くしてゆこうという気持ちが、自分にはある。

 理解してくれる人がいるから。一緒に逃げてやってもいいと言ってくれた人がいるから。
 同じ湯船に浸かったときの温もり。少しごつごつしていて、けれども確かな暖かさがあった人の温もりが自分にはある。
 だから一人じゃない。生身の自分を受け入れてくれた人がいるから、もう諦めない。

「私は、信じてる。
 どんなに儚くても、遠い道のりでも、
 気持ちの持ちようひとつで明日を変えてゆける可能性があるんだってこと。
 今度こそ言い訳はしない。それが大人になるってことで、昔の私への責任の取り方だって思ってるから。
 だから――あなたも見守って欲しい。私の、人生を」

802エルサレムⅤ [少女の檻]:2010/05/23(日) 18:26:15 ID:NGfemGc.0
 最後に語ったのは拒絶ではなく、受け入れる意志だった。
 否定などしない。出来るはずがない。間違いを犯してきた自分も、大切な自分の一部だと分かっているからだ。
 受け入れてみせると言い切る舞の凛とした視線を受け止めた少女は、やがて仕方がないという風に苦笑を刻んだ。
 何の含みもない、もうこうなってはどうする術もないというある種の諦めだった。

「『力』のことも話さなきゃいけない。この時点で、あなたは拒絶される可能性がある」
「その時は、その時。……私、少しは諦めが悪くなったから」
「……強くなったんだね、あなたは」
「好きな人が、できたから」

 言ってしまったところで、恥ずかしい台詞なのかもしれないと思ったが、どうせ自分に対してだ。何も憚ることはない。
 少女が白い歯を見せた。舞も頬を緩めた。
 お互いがお互いを受け入れ、何年と溜まっていたしこりの全てを洗い流した瞬間だった。

「じゃあ、助けなきゃね。その、好きな人」
「うん、助ける。だから……力を貸して」
「分かってる。目を閉じて。わたしの声に、応えて」

 舞は目を閉じた。
 穏やかに流れる風の声。稲穂のざわめき。
 握られる舞の手。てのひらから伝わってくるのは、やさしい温もり。

 ――もういいかい?

 世界が、終わる。

 ――もう、いいよ。

803エルサレムⅤ [少女の檻]:2010/05/23(日) 18:26:32 ID:NGfemGc.0
     *     *     *

 どうしたらいい。
 繰り出されるアハトノインの剣戟を頼りないナイフで受け止める往人の頭にあったのはその一語だった。
 舞が死んだという絶望でもなく、命の危機に対しての焦りでもない。
 ただどうしたらいいという言葉のみが支配し、一切の思考を奪っていた。

 たったひとつのカラクリも見抜けなかったばかりに。
 しかも全く予測できなかった事項であり、理不尽だという言葉すら浮かび上がる。
 最初からこうなる運命だったのだろうか。

 ナイフの一本を叩き折られる。元々が投げナイフであり、打ち合うことを想定していない武器なのだから当然だった。
 柄だけになったナイフを投げ捨て、次のナイフで斬撃を受け流す。
 一体どこにこんな力が残っているのかと我ながらに感心する。
 生きるために戦ってきた、この島での習い性がそうさせているのだとしたら全く大したものだと思う。
 何も考えられなくても、体は勝手に生きようとする。最後まで諦めまいとする。
 厄介なものだと呆れる一方で、ここまで生に執着していただろうかと自らの変化にも驚いている。

 当てなんてない人生だった。
 曖昧な目的のために年月を過ごし、その日の日銭にも困るような時間の連続。
 生き甲斐なんてなかった。命を懸けられるようななにかもなかった。
 ふらふらとさまよい続け、自分の代で法術も途絶えてしまうのだろうというぼんやりとした意識だけがあった。
 挙句、いつの間にか手にしていた大切なものでさえ気付かないままに過ごしていた。
 国崎往人の人生は、無意識のうちに積み上げては崩し、積み上げては崩してきた、無駄の連続だった。
 食い潰してきたと言ってもいい。

 この島の、殺し合いに参加させられた人間の中でどれだけの生きる価値があったのだろう。
 自分などよりももっと有意義に生きてきた人間などたくさんいるはずだった。
 なのに自分は生きている。
 佳乃を犠牲にし、美凪を犠牲にし、観鈴を犠牲にし、様々な人の死の上に、そして舞の屍の上に、自分は成り立っている。
 それだけの価値がある人間なのだろうか。
 どうして、自分が先に死なないのだろうか。

804エルサレムⅤ [少女の檻]:2010/05/23(日) 18:26:49 ID:NGfemGc.0
 ナイフの二本目が叩き折られる。正確には、折られた瞬間ナイフが弾き飛ばされた。
 踏み込んできたアハトノインの突きを紙一重で避け、足で蹴り飛ばす。
 三本目を取り出しつつ距離を取る。残りはこれを含めて、二本。銃を構えさせてくれる隙があるとは思えなかった。
 明らかな劣勢。銃撃された部分の痛みは増し、熱を帯び、体から力を奪ってゆく。
 徐々に死へと追い込まれていっている。なのに抵抗しようとする体。
 生きることにこんなにも疑問を持っているにも関わらず、だ。

 蹴り飛ばされ、転がっていたアハトノインが復帰し、さらに斬りかかってくる。
 袈裟の一撃を、往人は死角に回り込むようにして回避する。
 曲がりなりにも戦えているのは、顔の半分を破壊され、視界が激減したアハトノインであるからなのかもしれない。
 往人から一撃を叩き込もうと試みたが、所詮は投げナイフだった。
 刺す以前に繰り出された後ろ回し蹴りのカウンターを貰い、無様に地面に転がる。
 ナイフはどこかに飛び、転がった拍子にいくつかの武器が零れ落ちた。

 確認する。手持ちはナイフ一本と、最も役に立たない拳銃であろう、フェイファーツェリスカだった。
 反動の大きすぎるこの銃は片手では撃ちようがない。鈍器としての用法しか見い出せないくらい役立たずの代物だ。
 最悪の状況だった。出血は大して酷くはない。血が足りず、目が眩んでいることもない。
 それどころか、まだまだ戦えると言っているように、臓腑の全てが脈動し、全身の隅々にまで力を行き渡らせている。
 単純な一対一では絶対アハトノインには敵わないというのに。

 分かりきっている理性に反発するように、右手が素早く動いてナイフを取り出す。左手で反吐を拭う。
 足に力が入り、すっくと立ち上がる。ただの本能で行っているにしては、随分と整然とした行動だった。
 生きろと体が命じているのではなく、自らがそうしたいと言っているかのような挙動だった。

 俺は、生きたいのか? この期に及んで?

 全く自分勝手だと思ったが、間違いなく自らの内に潜む意志はそうしたいと告げている。
 寧ろ、自らの人生に疑問を抱いていることこそが偽物のようにさえ思える。
 今まではロクなことをしてこなかった人生。時間を食い潰すだけの人生を送っていたはずの自分が、なぜ……

805エルサレムⅤ [少女の檻]:2010/05/23(日) 18:27:07 ID:NGfemGc.0
「……ああ、そういうことか」

 ふと一つの考えを発見した往人は、素直にその考えに納得していた。
 今までは、今まででしかない。
 現在を生きる自分は違う。
 生き甲斐を考え、命を懸けられるものを見つけ出すことが出来るようになった、人並みの人間だ。
 だから生きていられる。生きようとする。
 価値のない人間なんかじゃない。

 自分自身が認め、認めてくれる誰かがいたからこそ、往人は自身の考えを肯定することができた。
 もっとも、一番理解してくれていたひとは既にここにはいないのだが……
 それでも確かにいたのだという事実を、知っているから。

「諦められないよな」

 ナイフを構え、来いというように眼前のアハトノインを睨みつける。
 元来目つきの悪い自分のことだ、さぞ怖い顔になっているだろうと往人は内心で苦笑した。
 とはいっても目の前のロボットに、こんなものは通用しないだろうが。

 往人はコンテナを背にするようにじりじりと下がる。
 普通の攻撃が通じない以上、直接頭の中にナイフを突き刺すくらいしか対処法が思い浮かばない。
 だが回避するだけの立ち回りではとてもではないがそんな隙など見当たらない。

 そこで考え付いたのが、刀をコンテナに引っ掛けるという方法だった。
 突きを繰り出させ、コンテナで弾いたところに必殺の一撃を叩き込む。
 子供でも引っかかりそうにない単純すぎる方法であるうえ、そもそもそれだけの隙があるのかとも思ったが、
 さして頭の良くない往人にはこんな策しか思いつかないのが現状だった。
 それでも、やらないよりはやる方がいい。
 どんなに少ない可能性でも追っていけるのが自分達、人間なのだから。

806エルサレムⅤ [少女の檻]:2010/05/23(日) 18:27:27 ID:NGfemGc.0
「来いよ」

 挑発するように投げかけた言葉。それに応じるようにアハトノインが突進してくる。
 グルカ刀を真っ直ぐに構えた、突きの体勢だ。
 いける。そう判断した往人はギリギリまで引き付けるべく腰を落とす。
 距離は瞬く間に詰められる。残り三歩、二歩、一歩。
 刀の射程距離に入ったと判断した往人は、全身の力を総動員して真横に飛んだ。
 振ったにしろ、このまま突いたにしろ、運が良ければコンテナに刀が当たってバランスが崩れるはず……
 しかし思惑通りにはいかない。真横に振られたグルカ刀はコンテナにも当たらない。

「やっぱ思い通りにはいかないな」

 着地したと同時、既にアハトノインはこちらへと接近している。

 まだ諦めてたまるか。

 今度は回避できないと判断して、振り下ろされる刀をナイフで受け止めようとする。
 だが、所詮強度では雲泥の差がある。今までがそうだったように、当たり前のようにナイフは折られた。
 けれども刀自体は逸らすことができた。この僅かな隙を往人は見逃さない。

「まだだっ!」

 往人の視界の隅で、ふわりとナイフが浮き上がる。
 それは蹴飛ばされたときに落とした三本目のナイフだった。
 浮き上がったナイフの刃がアハトノインを向き、頭部目掛けて射出されるように動いた。
 法術の力。手を触れずとも動き出す、往人にだけ備わった力。
 人形に複雑な動きをさせることの出来る往人に、真っ直ぐ飛ばすことなど造作もないことだった。
 完全に不意をついた一撃。半ばアドリブのような戦術だったが、避けられるはずがないと確信していた。

807エルサレムⅤ [少女の檻]:2010/05/23(日) 18:27:47 ID:NGfemGc.0
 理不尽なのはお互い様だ。くいと指を動かしたナイフは僅かに動きを変え、
 アハトノインの頭部を刺し貫き、刃は首筋にまで達していた。
 何が起こったのか理解できるはずもないアハトノインはビクリと体を硬直させる。
 が、完全に動きが止まることはなかった。
 止まったのは一瞬だけで、何事もなかったかのようにナイフを引き抜かれる。

「……マジかよ」

 ナイフを投げ捨て、無駄だというように唇の端を歪めたアハトノインに、往人は慄然とする思いだった。
 乾坤一擲の策。当たるだろうと思っていたし、実際見事な形で命中したのに、倒れない。
 分かったのは頭部付近は弱点ではないという事実だけだった。
 頭を破壊され、右手をもぎ取られ、ボロボロになった防弾コートは殆ど用を為さず、それでも死なずに立ち塞がる。
 大した忠誠心だと思う一方、ここまで傷ついても馬鹿正直に殺そうとする姿は哀れなようにも思える。
 何も考えず、思考を停止させてひたすらに任務をこなそうとする機械。

 だがな、そんなものに負けるわけにはいかない……!

 往人も不敵な笑いを返した。
 積み重ねてきたものを心無い機械に壊されることほど、往人にとって屈辱的なことはなかった。
 だからまだ戦う。それだけだ。

 頭付近が無理ならば、別の箇所を狙えばいい。
 間に合わないことを半ば理解しながらも、往人はツェリスカを取り出そうとする。
 しかし、アハトノインは既にグルカ刀を持ち上げていた。
 後は振り下ろされるだけ。天高く掲げられた刃は、裁きを下すギロチン。
 完全なる死刑宣告だったが、素直に受け入れるほど往人は諦めが良くなかった。

 そうだろ、舞?

808エルサレムⅤ [少女の檻]:2010/05/23(日) 18:28:05 ID:NGfemGc.0
 今はいない、最愛の人の名を呼ぼうとして、だがそれが果たされることはなかった。
 突如現れた『何か』にアハトノインが吹き飛ばされる光景を目にしたからだった。
 ゆらりと、陽炎のように蠢く『何か』は、吹き飛ばされ、どうなったのかも理解していないアハトノインに向かって突進する。
 正体不明のものに殴られ、混乱の極地にあったアハトノインは防御すらしなかった。

 『何か』の突進をモロに受け、今度はコンテナへと吹き飛ばされる。
 打撃ゆえに致命傷にはなっていないようだったが、理解不能な状況にアハトノインは対処する術を持てない。
 それはそうだろう。何せ彼女はロボットでしかないのだから。
 けれども殴られ続ける不利は不味いと判断したらしく、撤退の道を選ぼうと身を翻したアハトノインを、
 往人がそのままにしておくはずはなかった。

「……チェックメイトだ」

 今度は法術の力をツェリスカのトリガーに込める。同時に反動を抑えるための力も法術で補う。
 片手で撃てないのなら、こうすればいい。
 ほぼ無反動のまま、ツェリスカから銃弾が吐き出される。
 象をも一撃で殺害する威力のあるツェリスカの弾丸を、人間型であるアハトノインが受け止められる道理はなく、
 腹部に命中した結果、凄まじい力が胴体を引き千切り、防弾コートごと破壊した。

 バラバラと零れ落ちる機械の破片を眺めながら、往人は終わったという感想を抱いた。
 それで安堵してしまったのか、体からは力が抜け、ぺたんと情けなく地面に座り込んでしまう。
 傷口が今更のように痛み出し、往人はやれやれと顔をしかめつつも笑った。

「お疲れ様、往人」
「……生きてたんだな」

 笑ったのには他にも理由があった。
 舞は生きていた。いつの間にやってきたのか、座ったままの往人を穏やかな表情で見下ろしている。

809エルサレムⅤ [少女の檻]:2010/05/23(日) 18:28:20 ID:NGfemGc.0
「いけない?」
「いや全然。……嬉しいさ」

 普段なら口に出さないようなことまで言ってしまうのは、やはり彼女が大切な人であるから、なのだろう。
 生きていて良かった。その思いが体の芯から込み上げ、無性に彼女が愛おしくなった。

「怪我は平気か?」
「大丈夫。そういう力が、私にはあるから」
「力?」
「明確には言えないけど……」

 舞は銃撃された部分を指でなぞった。
 傷口があったであろうその場所からは、一滴の血も流れ出ていない。
 力、と舞は言った。その正体は分からないが、自分と同じようなものなのだろうと往人は納得した。

「ってことは、さっきのアレも舞か」
「……驚いた?」
「少しは」
「怖くない?」
「全然」

 だって俺はこんな力があるんだぞ。そう言って、いつもの法術で壊れたナイフの柄を動かしてみせると、
 そうだったと舞は微笑んだ。傷を治す力かなにかは知らないが、別にあったとしても驚かない。
 今まで出ることがなかったのは、恐らく今の舞の清々とした表情にも関係あるのだろうと当たりをつける。
 きっと、何かがあった。それだけ分かれば十分だと往人は結論した。
 今までのことは、後々にでも聞けばいい。
 この瞬間は、二人とも生きていたことを喜びたかった。

810エルサレムⅤ [少女の檻]:2010/05/23(日) 18:28:34 ID:NGfemGc.0
「舞」
「ん?」
「キスしてもいいか」
「……え?」

 何を言われたのか分かっていないような顔に、可笑しさ半分愛おしさ半分の気持ちだった。
 首を少し傾げる姿が、可愛い。
 理由というほどのものはない。強いて言うなら、その存在を生身で確かめたいという思いがあったからだった。
 湯船で感じた、柔らかな背中の感触を思い出したかったからというのもあった。

「……別に、構わない」

 尻すぼみになってゆく声と、不自然に逸らされる目線。
 頬に少し赤みがかかっているのは、恐らくは照れている証拠だろう。
 自分はどうなのだろうとも思ったが、舞に聞くのも野暮でしかなく、往人は舞いにしゃがむよう促した。
 ん、と素直に応じて、互いに見詰め合うような格好になる。
 そういえばキスはどのようにやるのだったか、と今更のように往人は思ったが、尋ねる無神経さは流石にない。

 舞も舞で、戸惑いと期待を含めた目で往人を見ている。
 このままでは動きそうもないと判断して、こうなれば下手でも構うものかと、舞を抱き寄せる形で唇を重ねた。
 何の変哲もない、唇を合わせただけの、初々しすぎるキス。
 それでもお互いの体から、重ね合わせた部分から、暖かさが伝わってくる。

 この暖かさがあるから、自分達はより良くなることを目指してゆけるのだろう。
 そう結論して、往人は今しばらく、この時間に身を預けることを決めた。

811エルサレムⅤ [少女の檻]:2010/05/23(日) 18:28:52 ID:NGfemGc.0
舞、往人
装備:P−90、SPAS12、ガバメントカスタム、ツェリスカ、ツェリスカ弾×4、ショットシェル弾×10、38口径ホローポイント弾×11、38口径弾×10、日本刀


川澄舞
【状態:往人に付き従って行動。『力』がある程度制御できるように】
【その他:往人に対して強い親近感を抱いている。剣道着を着ている】

国崎往人
【所持品:スペツナズナイフの柄】
【状況:舞と一緒に、どこまでも】
【その他:左腕に文字を刻んだ。舞に対して親近感を抱いている】

→B-10

812POP STEP GIRL:2010/07/11(日) 22:02:56 ID:MH5vuqA20
 狭いダクトの中を這いながら進む、朝霧麻亜子の速度は鈍かった。

 ずっと考え事をしているせいだった。

 自分は何のためにここにいて、何をしたらいいのか。
 脱出のために、生きて帰るためになどという、そんな当たり前のことではなく、もっと根本的ななにか。
 これから先、未来永劫自分を支えていく根源的ななにかを探そうとしていた。

 あたしは。

 今までずっと、その場その場の対処しかしてこなかった。
 その瞬間にやることを分かってはいた。だから、ヘマを踏むことは少なかった。
 だがそれだけだった。後輩を失ってから先、麻亜子は『そのためだけに』出来るものを探さなかった。
 本能的に拒否していたのかもしれない。きっとそれは、怖かったから。
 二度まで手放してしまうのが怖くて、喪失の痛みが怖いと感じていたから。
 自分勝手な、朝霧麻亜子という女は、いつかなくなってしまうことを恐れていた。
 それこそ叶わない願いだというのに。自分がここという世界に生きている限り、なくならないものはないのに。
 いやだからこそなのかもしれない。拒否するあまりに、いつかはなくなると分かりきっていたからこそ、
 失うものは自分だけでいいという結論に至ったのかもしれない。
 ……でも、それじゃダメなんだ。
 芳野祐介の言葉、藤林杏の後姿を思い出しながら、麻亜子は己の恐怖と向き合った。
 自分だけでいて、満たされるわけはない。それではあまりにも寂しすぎる。
 無言の信頼であってもいい、単なる気遣いでもいい。
 無条件に誰かに背中を預けられるものひとつあるだけで、人は真の充足を得られる。
 芳野が逃がしてくれたのは、杏が逃がしてくれたのは、麻亜子にその機会を与えようとしてくれようとしたからなのだろう。
 寂しいままに、義務感に駆られて死んでしまうのを見たくはない、それだけの理由で。

813POP STEP GIRL:2010/07/11(日) 22:03:23 ID:MH5vuqA20
 あたしは。

 恐ればかりの心の中。
 間違ったことばかりしてきた自分がいてもいいのかという恐れ。
 再び喪失を迎えたとき、まともでいられるのかという恐れ。
 こんな卑小な自分を受け止めてくれるだけのひとがいるのかという恐れ。
 誰にも、何もしてやれないのではないかという恐れ。
 怖い。あまりに怖く、躊躇ってしまう。
 どうやってみんなは、この怖さを乗り越えてきたのだろう。
 踏み出せないままに疑問だけが募る。
 どうやれば自分は、人は。
 強さを手にいられるのだろうか。

 あたしは。

 ダクトから抜け出た先では、先行していた伊吹風子が待っていた。
 間を持て余していたのだろう。青く光る、綺麗な宝石を手で弄びながら小さく立ち尽くしていた。
 出てきた麻亜子に気付き、いつもの顔が無言で持ち上げられた。

「ごめん、待たせた」
「遅すぎです」

 宝石をしまいながら、風子は麻亜子の横に並んだ。
 その顔色に変化はない。少し固い、幼さの中に生硬い色を残した瞳がある。
 あの会話の一部始終は聞いていたのだろうか。
 いやあれだけ大声でやりとりしていたのだ、聞こえないはずはなかった。
 半ば、風子の家族を見捨てた形の自分。どう、思われているのだろうか。
 聞こうにも、麻亜子は聞く術を持たなかった。
 いつもの茶化した聞き方ができないことがひとつ、そして風子に詰られるのではないかと思ったのがひとつだった。
 だから麻亜子は、今まで自分がやってきた通りの『その場の対処』しか話題に出せなかった。

「これから、どうする?」
「どうするもこうするも……爆弾の回収が先だと思います。一旦下に降りて、エレベータのところまで行きましょう」

814POP STEP GIRL:2010/07/11(日) 22:03:43 ID:MH5vuqA20
 風子にしては珍しくまともな意見だったが、それに冗談を言える空気ではなかった。
 ああ、うん、と頷いて、階段を探すために麻亜子と風子は歩き始めた。

「……えらく素直ですね。いつもの調子はどこに行ったんですか」
「……そんなの、言えるような状況じゃないだろ」

 空気の違いを察したからこそなのか風子は尋ねる声を出してきたが、麻亜子は突っぱねる返事しかできなかった。
 自分の中に根付いてしまった恐れがそうさせてしまった。
 嫌で、嫌で、仕方ないのに。

「別に、いいんです。ユウスケさんはそういう人だって分かってましたから」

 特に気にすることもないような調子で、風子は言った。
 二人が別れる際の会話が思い出される。
 ただ一言の、しかしお互いを分かりきった会話。
 あんな言葉でしかなくても、それぞれに納得できている。
 だからこそ風子はこう言ったのかもしれなかった。

「昨日ですね、ユウスケさんと、色々話したんです」
「いつ?」
「大体……ええ、風子がお風呂から上がってすぐくらいです」

 麻亜子が湯船に浸かっていた時間帯だった。
 朝にはいつの間にか隣で寝ていて驚いたものだったが、そんなことをしていたのか。

「将来のこととか、何をやってみたいかとか、そういうことです」
「チビ助、そういうのあるんだ」
「チビ助じゃないです。……それで、ユウスケさんは応援してくれるって言ってくれました」
「芳野のお兄さんは……どうするって言ってたの?」
「歌だけはない、って言ってたくらいでした。何も考えてないんです、あの人は」

815POP STEP GIRL:2010/07/11(日) 22:04:06 ID:MH5vuqA20
 呆れもなく、失望もなく、ただそのような人間だと受け止めた声だった。

「だから思いつきで何でもやるんだろうな、って思いました。今さっきだってそうです」
「あれは……でも、あれは」
「カッコつけなんです。男の意地ってやつだったんでしょう。風子には全然分かりません」

 悪し様に言っているのではなかったが、どこか愚痴をこぼすような口調に、麻亜子は戸惑うしかなかった。
 大人としての生き方を貫いた芳野。機会を与えてくれた芳野。
 竦んでいることしかできない自分には大きすぎる存在だと思っていたのに、風子はまるで同等の存在のように言っていた。
 家族だから、なのだろうか。
 言葉のない麻亜子に構わず、風子は淡々と続ける。

「でもいいんです。それでいいんです。ユウスケさんは、それで良かったんです」

 淡々としながらも、風子の口調は震えていた。それでも泣いてはいなかった。
 風子の中でも整理がつけられないのかもしれない。
 麻亜子に吐き出すことで整理しようとしているのかもしれなかった。

「別に、風子がどう思おうが、他の誰かがどう思おうがいいんです。
 ひとは、そのひとらしくいればいいと思うんです。
 無理に正しいことをしようとしなくても、いいと思うんです」
「そのひとらしく……」
「風子の周りのひと、みんなそうです。岡崎さんも、笹森さんも、十波さんも、みんな自分勝手でした。
 こっちがどう思うかなんて少しくらい考えるだけで、自分が満足するように生きる。
 でもそれは間違ってなんかないです。そうするべきです。風子もそうしてます。いえ、そうするようにしました。
 それで、ありのままの自分を見てもらって、信じてもらうんです。
 いいも悪いもなくて、こんな風子なんだって信じてもらって」

816POP STEP GIRL:2010/07/11(日) 22:04:27 ID:MH5vuqA20
 風子はそこで一度言葉を切り、麻亜子へと向き直った。
 変わることのない、愚直でもあり純真でもある瞳に見据えられ、一瞬息が詰まりそうになる。

「まーりゃんさんは、風子はどんなだって思ってます?」
「……それは」

 麻亜子の知っている風子。
 なにかとつまらないことで喧嘩をし、じゃれ合い、他より年上なのに揃って子供染みたことばかり繰り返している。
 馬鹿馬鹿しくて、下らなくて、ふざけている。

 あたしは。

 でも、楽しかった。

「チビのくせに大人ぶって、のーてんきなアホで、あたしに突っかかってばかりの……いい友達だと、思ってる」
「その言葉、そっくりお返しします。チビで目立ちたがりでアホみたいなテンションのまーりゃんさん」

 麻亜子も、風子も一斉に笑った。
 お互いに同じことを考えていた可笑しさと、ようやく素直に言葉を交し合えたことへの嬉しさ。
 それらがない交ぜとなって笑いを呼び起こしたのだった。
 何も考えずに、無条件で自分を見せられる心地良さがあった。

 あたしは。

 誤魔化してなんかいなかったのかもしれない。
 馬鹿なことをしていたのは、逃げなどではなかった。
 本当に楽しいと思っていたからやっていただけだった。
 自分でやっていたくせに、何故そんなことにも気付けなかったのだろう。
 それくらい自分を見ようとしてこなかったということなのかもしれない。

817POP STEP GIRL:2010/07/11(日) 22:04:48 ID:MH5vuqA20
「そうです。どーせ今の風子はそんなもんです。でもいいじゃないですか、楽しいんですから」
「……そうだね、それが一番」

 自分らしく。
 どんなものかさえ分かっておらず、輪郭もあやふやだと思っていたのに、
 こうして会話ひとつ交わしただけで実体を伴って自分の中に染み込んでくる。
 友達とは、こういうものだった。
 失ってしまうもの、いつかなくなってしまうというイメージが大きくなりすぎていて、
 その本当の意味を忘れてしまっていた。
 ようやく笑いも収まってきた麻亜子はひとつ息をつき、ようやく見えた階段の先を眺めた。
 照明も暗い鉄製の階段はどこまでも伸びているようで、先の長さも分からない。

「ね、チビ助」
「チビ助言わんといてください」
「あたし、もっと色々な人と知り合うよ」
「無視ですか。まあいいです」
「そんで仲良くなってさ、あたしが必要だって、そう言わせてみたい」

 誰かに己を必要としてもらう。
 芳野が風子に無言の信頼を預けたように、自分もその存在を見つける。
 芳野だけではない。河野貴明が久寿川ささらと共にいたように、ささらが貴明といたように、
 誰もが芳野と同じことをしている。

 あたしは。

 人が人を想う環に加わり、連綿と続く命のひとしずくになる。
 有り体に言えば恋愛や結婚。それだけの話だったが、麻亜子なりに考えた『救済』はこんな結論だった。

818POP STEP GIRL:2010/07/11(日) 22:05:14 ID:MH5vuqA20
「そうですか。まあ、風子は今のところ勉強しか考えてないので、おバカに付き合うのは今日までの予定です」
「いやお笑い芸人じゃなくってだな」
「えっ」
「本気で驚いた顔すんなっ! 声優になりたいんじゃあたしはー!」
「へー」
「冷めた反応しないでよ!? もっとこう夢のある話だとかキャーマーサーンとか黄色い悲鳴上げてくれたっていいと思うよ」
「頑張ってください」

 風子のそっけない言葉に愕然とする思いだったが、元々こういう人間なのだったと結論した麻亜子は溜息をひとつ残して会話を止めた。
 全く、最後の最後までペースを握らせてくれない、天敵のような女だった。

「ところで声優ってなんですか」
「知らなかっただけかいっ!」

 階段を下りつつ、ハイテンションとマイペースの混ざり合った奇妙な会話が繰り広げられる。
 いつも、でいられる瞬間。こうした時の、一瞬一瞬の時間で自分は、自分達は救われているのかもしれない。
 そんなことを麻亜子は思った。

「で、なんなんです声優って」
「えー、あー、それは……アテレコする人」
「アテレコ? 何か収録するんですか」
「……微妙に認識が違ってるのは気のせいじゃないって思うね。
 まあ間違っちゃいないよ。アニメとか、洋画の吹き替えなんかをしたりするのさ」
「あー、あれですね。なるほど分かりました。中の人になるんですね」
「チビ助の言葉選びは一々エキセントリックだって思うよ」
「お前が言うなと返事しておきます」

 エレベータのパネルは、確かこのあたりで止まるような設定だったか。
 目的のフロアを見つけ、エレベータへと急ぐ。
 一応爆弾の回収という目的を背負っている以上、行動は迅速にするべしという共通の見解が二人にはあった。
 それともう一つ。
 二人の、芳野と杏の安否が気になっていたからというのもあった。
 無事に逃げられたのだろうか。
 それとも宣言通り、アハトノインを見事に打ち倒してくれたのだろうか。

819POP STEP GIRL:2010/07/11(日) 22:05:54 ID:MH5vuqA20
 二人は。

 二人は――

「……」
「……」

 降りきった大型エレベータの端。
 柵に寄りかかるようにして、二人は眠っていた。
 気色は最悪だったが、随分と形の良い顔色だった。
 とても楽しそうで、とても穏やかで、羨ましいという感想さえ浮かんだ。
 二人が戦っていたであろう機械の姿はなかった。
 ただパーツの欠片がそこら中に転がっていたことから少なくとも無事ではないのは明らかだった。
 いや、トドメをきっちりと刺したのだろうと、自信を持って思うことができる。
 そうでなければ……こんな充足した、満たされた顔でいるわけがない。

「預かりに、来ました。二人とも」

 風子は静かにそう言い、エレベータの端に鎮座していた爆弾の載った台車へと進んでゆく。
 麻亜子は使える武器はないかと持ち物を検分してみたが、使えそうなものはなかった。
 文字通りの総力戦だったのだろう。

 ねえ。

 あたしは。

820POP STEP GIRL:2010/07/11(日) 22:06:12 ID:MH5vuqA20
 目を閉じたまま眠っている二人の姿を眺めながら、その先にいる懐かしい親友二人の姿を眺めながら。
 にっと口をいっぱいに広げた爽やかな笑みを浮かべながら。

 行ってくるぞ、諸君!
 あたしは、ここから……卒業するっ!
 ぐっ、と親指を突き出して麻亜子は誓った。


 それが彼女の卒業式だった。

821POP STEP GIRL:2010/07/11(日) 22:06:32 ID:MH5vuqA20
麻亜子、風子
装備:デザートイーグル50AE、イングラム、SMGⅡ、サブマシンガンカートリッジ×3、S&W M29&nbsp;5/6、SIG(P232)残弾数(2/7)、二連式デリンジャー(残弾1発)、ボウガン、宝石、三角帽子


朝霧麻亜子
【状態:なりたい自分になる】
【その他:体操服(上下のジャージ)を着ている】

伊吹風子
【状態:泣かない。みんなで帰りたい】

→B-10

822エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:32:28 ID:Ckv4lVpo0
 ようお前ら久しぶりだな。
 こうして話すのも中々に久しぶりな気がする高槻だぞー。
 最終決戦……というといかにも重々しい響きだが、まあ実際のところはスタコラサッサと逃げ出す脱出行なわけだ。
 というのも、まあ俺らの装備が貧弱すぎることが原因なんだけどな。
 本当はなーなんだっけ、名前は忘れたがあの憎たらしい野郎に鉛玉をありったけブチこんで正義は勝つ!
 みたいな締め括りにできれば一番なんだろうけどさ、そいつはお預けだ。
 似合うとか、似合わないとか、そういう権利があるとかないとかそういう話じゃなくて、
 ただ単に戦力が足りないってのがなんともまあ情けないところだ。

 けどよ、まあ、そんなもんなんだろう。
 綺麗さっぱりなハッピーエンドなんて誰もが期待しちゃいないし、そんな甘い希望が現実になるだなんて信じてもいない。
 俺が、俺達が信じていることはもうたったの一つしかない。
 生きて帰って、自分たちだけの、自分たちだけが掴むべき未来ってやつを目指す。
 他の誰でもない、自分だけが考えた未来だ。
 地獄から戻れた報酬にしては安すぎる報酬なのかもしれないけどな。
 まあ価値なんて人それぞれだ。
 俺か? 俺の価値は……そうだな、クズくらいの価値はあるかもな。

「随分降りてきましたね」

 ゆめみが階層を表示したパネルを見上げながら言う。
 大型エレベーターを利用して下ってきた、『高天原』の地下30階。
 俺達の目的は武器弾薬の破壊だ。
 要は首輪を一斉に外した混乱を狙って、強力な武器を持ち出される前に何とかしようって寸法だ。
 果たしてリサっぺの目論見通り、今のところの俺達は敵に遭遇してさえいない。
 無人の荒野を駆けるがごとく真っ直ぐに突き進んでこれたってわけだ。
 気味が悪いくらいに順調だが、そのほうがいい。最悪に遭遇するのなんて岸田の野郎だけで十分よ。

「そろそろ……かな? 浩之」
「ああ。それっぽい感じがする」

823エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:32:51 ID:Ckv4lVpo0
 壁を見やりながら藤田のあんちゃんが言う。
 明らかに質感を増した、重厚な壁と床。
 地上付近のそれよりも頑丈そうだ。
 軍事要塞の懐に弾薬あり……山勘に近いリサっぺの指示はビンゴだったようだ。
 目的の達成は近いかもしれんな。まずはここを進んでみなければわからんが。

「ぴこぴこ」

 頭の上で定位置を確保しているポテトも何かしら感じるところがあるらしい。
 確かに、だんだんと幅が開けてきている。つまり何か大きな部屋に通じているかもしれないということだ。
 和田って奴の資料の中には『戦車』だとか『核兵器』なんて言葉もあった。
 流石に核兵器に出くわしたらどうにもならんが、戦車程度ならむしろこっち側に取り込むことだった不可能じゃない。
 格納庫に辿り着ければ大当たりだな。

「けど実際、破壊する言うたってどうするん? まだ何も聞いてないんやけど」
「そろそろ聞かせてくれよ、おっさん」
「おっさん言うな」

 折原を思い出すじゃねえか。

「ま、手持ちだけじゃ無理だろうな」
「おい……」
「だからここから拝借するのさ」

 文句の口を開きかけた藤田は、それで合点がいったようだった。
 最新鋭の兵器があるなら、最新鋭の兵器で破壊してしまえばいい。
 毒皿ってやつだな。使えるかどうかは……まあ、気合でなんとかしよう。
 こっちには科学の粋を集めたコンパニオンロボットさんがいるんだ。なあゆめみ。

「……? どうされましたか」

824エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:33:13 ID:Ckv4lVpo0
 まぁたまた謙遜なさってゆめみさん。そんな可愛らしく小首を傾げたってできるんでしょ? 俺には分かっておる。

「あの、その、ご期待には応えられないかと……一応、プラネタリウムの解説員としての機能しか……」

 ……だと思ってましたよ。流石にここで「なん……だと……」なんてマジレスは返さないのが今の俺。
 ま、俺が担当するんだろう。一応機械弄りはやってたしな。

「待てよ、そういや妹さんよ、アンタは機械いけないクチか」

 おだんご頭娘の姫百合がこちらを向く。姉がなんかウィルスだかワームだかを作ったってんで、すこーしだけ期待してみた。

「ウチはさんちゃんと違って、そういうのはからっきしや」
「まさか、機械を触っただけで壊す特殊能力の持ち主か」
「ギャルゲーのやりすぎや。そんな器用なことができてたらとっくの昔に首輪壊しとるねん」

 ごもっとも。

「それに、そういうときは大抵さんちゃんはおらんかったしな」

 どこか寂しそうな口調で呟く妹さん。少しはやっておけば良かったと思っているのかもしれない。
 姉貴の足跡が辿れないのが、悔しいんだろう。
 俺には兄弟はいないが、家族を理解したいという気持ちは分からんでもない。
 分かってたつもりでも、分かってなかった。そういうとき、どうしようもなく悔しくなる。
 俺は、郁乃を理解しないままに別れてしまった……

「ぴこ」

825エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:33:39 ID:Ckv4lVpo0
 今のところの数少ない理解者のポテトが、俺の肩を叩いてくれる。
 一方の妹さんは藤田に肩を抱かれていた。なんなんだこの差は。
 俺はゆめみさんに救いの目を求めたが、にっこりと笑われるだけだった。
 ああ、なんか空しい。
 犬肌やロボ肌はもういいや。
 できればムチムチプリンの大人の女の感触が欲しい。

「ぴこぴこー」

 そんな妄想に耽っていた俺をポテトが現実に戻そうとしてくれる。
 そうだ、ここは敵地のど真ん中じゃないか。
 いかん、気を抜いていたらまた後悔する羽目になってしまう。
 キリッと凛々しい顔を作って、俺は現実に戻る。

「って、なんじゃこりゃ」

 現実復帰一言目は気の抜けたものになってしまった。
 しかし許していただきたい。このようなものを目にしては呆けた声を出すしかなかったのだ。

「……標本、みてーだな」

 通路を抜けた先の、開けた空間。
 そこには左右の壁にみっしりと、ミツバチかなんだかの巣を想起させる、薄青色のカプセルが群生していたのだ。
 透けたカプセルの向こう側では、ゆめみさんによく似た女の顔が目を閉じたままに控えている。
 まさか、これは全部予備のロボットなのだろうか。
 四方に並べられたそれは、軽く1000体はいると思われる。
 冗談じゃない数だ。もしこいつらが一斉に起動して、襲い掛かってきたら……
 背筋が震える思いを味わいながら、こいつらをどうすべきかと考える。
 破壊してしまうのが一番だが、いかんせん火力が足りない。一部屋まるごと吹き飛ばせるだけの火力が欲しい。

「高槻さん」

826エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:33:57 ID:Ckv4lVpo0
 考える俺の横で、カプセルに手を触れていたゆめみさんが告げる。
 なんだ? まさか機能停止装置かなにかがあるとでもいうのか!
 さすがゆめみさん! 俺達ができない発見を即座にやってのける! そこに痺れる憧れるゥ!

「ご期待に添えられず申し訳ありませんが、この子たちは調整中のようです」
「あ?」

 どういうこったと、俺はカプセルを覗き込む。
 カプセルの中にはあられもない姿のロボットがいる。くそっ、あれやあれはないのか。残念だ。

「あの、そちらではなく、こちらを」

 ぐいっ、と首を修正される。こいつだんだん遠慮がなくなってきやがった。

「お? ……ああ、確かに調整中って書いてるみたいだな」
「OSも何も入っていないのかもしれません」
「ただの素体?」
「そのようです」

 なんだ。ってことは今すぐ襲い掛かってくるってことじゃないのか。
 どっちにしろ、起動させられたら厄介なものには違いないが。

「おっさん、どうするんだよこれ」
「だからおっさんはよせ。まあ、心配はない。今のところはな」

 既に武器を構えている藤田はやる気マンマンだ。頼もしいが、もう少し我慢だ。
 本当にか? と確かめる目を寄越してきやがったが、俺が『調整中』を見せると、納得の顔を見せて姫百合のところに戻っていった。
 信用ねえな。ま、前もこんな感じだったから寧ろ気が楽でいいが。
 俺とゆめみも二人の元へ戻りながら、これからの方針を提案する。

「さて、ここから部屋は三つに分かれてるみたいだ」

827エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:34:17 ID:Ckv4lVpo0
 正方形の形状になっているこの部屋は、あくまでロボット共を保持しておくためだけの部屋のようだ。
 俺達が入ってきたところも合わせると、出入り口は四つ。
 仮にここをロボ軍団の待機場所とするなら、それぞれの出口には装備品が保管されている可能性は十分ありうる。
 つまり、ここから先こそが本命ということだ。

「どの入り口から当たっていくかってことだが……」

「あ、発見ですっ」

 明後日の方向から聞こえた第三者の声。
 円形になって話し合いに夢中だった俺達は全員が全員「まずい!」と思ったに違いない。
 各々の武器を手にしながら振り向き、臨戦態勢へと移る。

「わーわー待て待ちなよ! あたしらだって!」
「……あ?」

 さあようやくおっ始まったかと思った矢先のことである。
 俺達の動きを止めたのはある意味俺にとっては敵より忌々しい奴の声だった。
 ちっ、と舌打ちしながら武器を下ろす。
 まーりゃんと確か……伊吹、だったか、のチビコンビが台車をガラガラと動かしながら駆け寄ってくる。
 まあ舌打ちなんてKYなことをしていたのは俺くらいのもので、他の連中は揃って嬉しそうな顔をしてやがった。
 気持ちは分からんでもない。敵地で、偶然とはいえ仲間の無事を確認できたんだ。
 というか、俺が嬉しくないのは完全に個人の事情なんだけどな。
 まーりゃんだけは未だに気に食わない。
 何が気に入らないって言われたら、そりゃまあ色々だ。
 もっと何回も殴っておけばよかったと思っている俺がいて、気持ちを整理しきれていない自分に自己嫌悪さえするほどだった。

828エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:34:42 ID:Ckv4lVpo0
「よっ、ゆめみんおひさーです」
「無事で良かったです、伊吹さん」

 なんか軽いノリだなこいつら。仲いいのか?
 改めてじろじろ見回してみると、どうやら微妙に怪我をしているみたいだ。
 そういえばこいつらは確か……

「芳野さんと杏はどうしたんだ?」

 ハイタッチしてイエーイし合っている伊吹とゆめみはやり辛いと感じたのか、まーりゃんの方に話を振る藤田。
 そう、あの二人がいなかった。確か一緒にいたはずだった。
 聞かれることは想定していたのか、尋ねられたまーりゃんは少しだけの間を置いてから言った。

「二人とも、死んだよ」

 簡潔に過ぎる一言だった。逆にそれが二人の死の重さを示しているように思う一方、全てが伝わるはずもなかった。
 なんでだよ、と若干語気を荒げて言う藤田に対し、まーりゃんは冷静だった。
 少なくとも、俺には冷静なように見えた。

「あのロボットと交戦して。……細かい内容まで話すと、長くなるから言わない」

 或いは、言いたくないということか。普段の奴とは一線を画す物言いに、藤田も戸惑いの色を見せる。
 俺もそうだった。ふざけた言動しか見てこなかっただけに違和感を覚える。
 だからといって、それまで奴に積み重なってきたものが溶けるものでもなかったが。

「……ちゃんとお別れはしてきたよ。あたしらなりだけど、全力で」

829エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:35:03 ID:Ckv4lVpo0
 そんな俺達の居心地の悪さを察したかのように、まーりゃんは笑った。
 力のない笑みでもなければ、無理矢理作った笑みでもない。やることを済ませてきた顔だった。
 ならあいつらも置き去りにされたままじゃないんだなという感想がスッと流れ込んできて、何かしら安心する気持ちが生まれていた。
 そしてそんな感想を抱いたことに、俺自身驚いていた。
 何故だろう。奴が笑ったのを見ただけで、心の中にたち込めた霧のようなものが晴れていったんだ。

 なんだ、それ。気持ち悪い。あいつに納得させられたってのか?

 もう一度眺めたまーりゃんの顔はやはり明るく、
 多少の付き合いがあったはずの芳野や藤林に対する愚痴のようなものはやはり浮かばない。
 あいつらはやるだけやって逝けたんだと何の抵抗もなく思うことができていた。
 少しは人を認めるだけの気持ちも残っていたらしい。
 芳野や藤林も、あのまーりゃんも。
 ただ奴に苛立つ気持ちも一方では残っていて、言い表しようのない複雑な感情に、俺は憎まれ口で返すしかなかった。

「そりゃ良かったな」

 言わなければいいのにと本心では思っていても、クズでしかなかったときの習い性がさせてしまっていた。
 皮肉たっぷりの言葉とも取られかねない言いように藤田も姫百合も揃って顔をしかめる。

「そんな言い方はないだろ、おっさん」
「うるせえ。おっさんじゃない。……別に嫌味でもなんでもねえよ」
「……あんまり、波風立たせるようなこと言わんといてや。何が気にいらへんのかは分からんけど」
「ふん……」

 俺も分からねえよ。
 まーりゃんは何も言わない。
 くそっ、ドヤ顔でもされてたほうがまだ色々整理つけられそうなのに。
 なんとなく、差のようなものを感じた。俺よりも先の、前を歩かれているような感覚だった。

「まあまあ。ここはまーりゃんさんを立ち直らせた風子に免じて」

 そんな俺の気持ちを読んだらしい伊吹があまりよく分からないフォローをしてくれる。
 黙っていても空気が悪くなりかねなかったので乗ることにした。
 せめてそれくらいしないと、格好悪いままだった。

830エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:35:29 ID:Ckv4lVpo0
「なんだ、凹んでたのか」
「実はそうでして。全く、年上のおねーさんとして恥ずかしいです」
「おい、同い年だろあたしら」
「えっ」
「えっじゃねー! 渚ちんから聞いてるだろ! 同じ卒業生の年だろー!」
「えっ!?」
「ええっ!?」

 驚いたのは藤田と姫百合である。
 声にこそ出さなかったものの、俺だってビックリ仰天天地鳴動空前絶後だったさ。
 ……こいつら、藤田と姫百合より年上だったのか……
 ああ、畜生、合法ロリはいたんだな……いやそんでも未成年だけど。

「なんで驚くねんチミら」
「いや、だって……てっきり年下だと……なあ瑠璃」
「う、うん……」
「なんでさ」

 まーりゃんの目がこちらを向く。ロクな回答が回ってこないと思ったらしい。
 人、それを無茶振りという。

「肥後さ」
「肥後どこさ」
「熊本さ」
「熊本どこさ」
「せんばさ」
「せんば山には……なんであんたがたどこさになるのさ」

831エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:35:48 ID:Ckv4lVpo0
 いいノリだ。
 ……なんでこんなことしてるんだ、俺は。
 嫌い嫌いだとさっきまで思ってたのに。
 そんなに嫌いでもなかったってことなのか、実は。
 アホらしい。

「なんだよ、チビか。チビだから年下に見えたってか、ああん!?」
「ふーっ!」

 何故俺に詰め寄る。

「お、落ち着いてくださいお二人とも! 女性の平均身長から考えますとお二人とも数センチほど低いだけですから!」

 割って入るゆめみさんだが、フォローになってない。

「へーんだ! チビで胸がなくたって年上なのは事実だもんな! なあチビ助!」
「そうですそうです! 風子たちの方が大人です! 後チビ助言わんといてください」

 意味もなく偉そうにしているチビバカ二人。
 藤田と姫百合は納得のいかなさそうな顔をしているが、無理もない。俺も納得いかない。
 先ほどまでギスギスして居心地が悪かったはずの空間が和やかになっているのが気に入らない。
 何より、俺がそれにホッとしているのが気に入らなかった。
 けれども、そう感じるのは素直になれていないだけなのだと、そう思えない自分もまた気に入らなかった。
 結局何もかも気に入らないんじゃないか。
 燻ったままの気持ちを抱えながら、俺は「んなことより」と逸れた話を元に戻すことにした。
 お前が逸らしたんだろうがという話は聞かない。

「その台車にあるの、爆弾だろ?」
「ん、ああ、うん。どーでもよくはないけど、まあそうだね」
「丁度いい。これから必要になりそうだ」

832エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:36:14 ID:Ckv4lVpo0
 台車の上にある箱型の爆弾。確か一ノ瀬と芳野が夜なべして作っていたものだ。
 戦闘の余波でも食ったのか、所々汚れが見られるそれは、ある意味では芳野の魂の欠片だった。
 最高の舞台だ。ここで使ってもらえてお前も光栄だろ?

「このハチの卵みたいなの吹っ飛ばすんですか?」
「俺もそう思ってた。ここで使うのか、おっさん」
「まあ待て。下手に使ったら俺らがここから出られなくなる。まずはここを調べるほうが先決だろ」
「そうですね……確か伊吹さん達が向こうから来られましたから」

 実質、調べるべき箇所は二つ。加えて今の人数が六人であることを考慮すれば、かなり余裕がある。

「つまり、二手に別れて調べたらええってことやな」

 察しのいい姫百合が総括してくれた。
 実際どこに爆弾を使うかは、戻ってから決めればいい。
 これまで敵に遭遇してこなかった関係上、それくらいの時間はあった。

「そういうことだ。で――」

「ぷひーーーーーーー!」

 またしても俺の声は遮られた。
 一体なんなんだ今度はと振り向いた瞬間、ぼふっとしたものが顔面に飛び込んできた。

 がつんっ!

 気持ちのいいストレートだった。ぐはっと呻きながら仰向けに倒れる俺。
 固まっている皆の衆の顔を見る一方で獣臭い匂いを嗅ぎながら、またこんな役どころかよと心の中で吐き捨てた。
 絶望のあまり気絶したかったが、そんなギャグをやっている場合ではないし、ここで気を失おうものならポテトの熱いキスが待っている。
 正確には人工呼吸だが。どっちにしろ嫌だ。俺はアニマルマスターじゃない。
 ぬおおおおと気合で意識が遠のいていくのを堪えながら、俺は顔面に張り付いたフットボールみたいな何かをひっぺがす。

833エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:36:34 ID:Ckv4lVpo0
「ぷひ〜……」

 むんずと掴んで目の前に持ってきてみれば、それは小型のウリ坊だった。なぜこんなところに畜生が。

「ぴこぴこ、ぴこっ!」

 ポテトが反応していた。なんだ、知り合いかお前ら。世界は狭い。
 いや待て、どこかで見たことがあるような……忘れた。なんだっけ?
 うるうるとつぶらな瞳を潤ませた畜生は息が荒かった。心なしか疲れているようにも見える。
 どこからか走ってきたのか?

「おい見ろおっさん!」

 だからおっさん言うな。
 そう文句を垂れようとした俺の口は、開いたまま塞がらなかった。
 恐らくは、畜生が走ってきた方向から現れたのだろう。
 でなければこの畜生が疲労困憊している説明がつかない。
 なるほどね。逃げてきたのね。やれやれ、とんでもないモン連れて来やがって……!
 俺は武者震いとも慄きとも判断できない震えを感じていた。
 ぞろぞろと部屋に侵入してきやがったのは、あのクソロボットだった。
 それも一体や二体じゃない。大勢だ。

「はっ、愉快だねぇ」

 ぽいっと猪を放り出し、俺はM79を構える。
 ここに来て一気にご登場とは。盛大なお出迎え、痛み入るぜ。

834エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:37:00 ID:Ckv4lVpo0
「ちょ、ちょっと! あの数相手に……!」
「るせえ! 先手必勝だ!」

 奴の、アハトノインの実力を多少なりとも知悉しているらしいまーりゃんが性急だと制止をかけたが、
 狭い入り口に密集している今を狙わずしてどうする。
 M79にはあらかじめ火炎弾を装填してあった。
 まずは先制のきつい一発。
 低い弧を描いて飛んでいった火炎弾は未だまごまごしていたアハトノインの集団、ど真ん中に直撃し、盛大な炎を吹き上げた。
 間髪入れず俺は次の火炎弾を装填する。

「ああもう! やれるうちにやるしかないか!」

 一度仕掛けてしまえば、続くしかないと分かっているまーりゃんがイングラムを撃ち込む。
 何度か扱って慣れているのか、まーりゃんの動作は俊敏だった。
 前に出ようとしていたアハトノイン達が撃ち貫かれ、どうと倒れる。
 それに触発され、藤田や姫百合、伊吹がさらに発砲を開始する。
 伊吹と姫百合は拳銃、藤田はマグナムだった。下手な鉄砲数撃てばなんとか当たるの言葉通り、
 ぞろぞろと出てきていたアハトノイン達がばたばたと倒れてゆく。
 ヒューッ、よく当たるもんだ。……いや、避けていないのか?
 倒れたアハトノインはぴくりとも動く気配がなかった。おかしい、あの当たりようといい、
 復活しないことといい、あまりにもあっけなさすぎやしないか?
 俺が前に戦ったときは、あんなもんじゃなかったんだが。

「ねえ、やけに簡単に当たってくれてるように見えるんだけど」
「お前もそう思うか」

 同じ疑問を抱いたらしいまーりゃんに言葉を返しつつ、次の火炎弾を発射してみたが、
 ろくすっぽ回避する様子もなく密集部に着弾して炎の花が咲く。
 爆風で吹き飛ばされたアハトノイン達は脆いもので、腕が足が千切れ飛ぶのは当たり前で、中には胴体から吹き飛ぶ奴もいた。
 耐久力がなさすぎる。
 避けもしないことから、ひょっとしてこれは数だけなのではないのかという想像が浮かぶ。
 手ごたえのなさは交戦したことのない藤田や姫百合も感じ取っているのか、発砲していいのかと確認するようにこちらを向いた。
 まだアハトノインはやってくる。各々接近戦用の武器を構えているのは見えていたが、のろのろと前進してくるだけだ。
 まるで的にしてくれと言ってやがる。
 無駄に弾を消費していい相手じゃないと判断し、俺は接近戦に切り替えた。
 突進していく俺に続いてゆめみも横に並ぶ。

835エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:37:21 ID:Ckv4lVpo0
「いいのか」
「……人間でなければ。それ以前に、わたしの役目は、皆さんをお守りすることです」

 はっきりと言ったゆめみの横顔に迷いはない。はっ、ロボットだから当然か。
 前に出た瞬間、アハトノイン達が揃って武器を振り上げたが、遅い!
 胴体に数発ガバメントを撃ちこんでやると、眼前の一体はあっけなく動きを止めた。
 その手から刀を奪い取り、横に振り回す。
 すぐ横にいたもう一体の両手が吹き飛び、呆然となくなった腕を見回していた。
 トドメの一突きを刺す一方で、ゆめみが次々と忍者刀でアハトノインの顔面を刺す。
 いける。接近しても楽勝だ。
 来いと後続に顎で指示すると、ボウガンで援護に回ることにしたらしい伊吹を除いて三人が駆けてくる。

「奴らの刀拾って使えっ! 相当ノロマだ!」

 言われるまでもないとばかりに、三人は既に倒れたアハトノインから武器を拾っている。
 お? ……銃も持ってたのか。ちっ、そっちにすりゃ良かったか。
 ちゃっかり目ざとく拾っていたのはやはりまーりゃんだ。抜け目のない奴め。
 通路の奥からはまだまだかなりの数が控えていたが、それでも十数体程度だ。

 狭い入り口からしか攻めてこれない連中を相手するのは簡単なことだった。
 ひたすら前進して、射程内に入れば武器を掲げるアハトノインは、さっと横に退いて回避するか、
 その前に攻撃を打ち込めばあっけなく倒れる。
 ゆらりと迂闊な一歩を踏み出したアハトノインの首を一薙ぎして落としてやる。
 戦いというにも及ばない、それは一方的な狩りだった。
 藤田と姫百合は慎重になっているのか二人一組で向かい、一人目に気を取られているところにもう一方が攻撃を加える手法で戦っていた。
 学習能力の欠片もないらしいアハトノインは単純なフェイントにも引っかかり、
 あっという間に胴体を突かれ、腕を切られ、破片や赤い液体を撒き散らしながら倒れてゆく。
 まーりゃんや伊吹は遠距離攻撃に徹し、正確に銃弾やボウガンを撃ちこんでいる。
 特にまーりゃんは一度交戦している経験からなのか、遠慮なく銃弾を叩き込んではまた新しく銃を拾い直し、さらに撃ち続ける。
 ひどく手際が良かった。負けてはいられないと、俺もゆめみと連携してアハトノインに突っ込む。
 先を行ったゆめみが振り下ろされた剣戟を弾き、バランスを崩したところに俺が刀で切り裂いた。
 だが致命傷ではなかったらしく、胴体から夥しい赤い液体を噴き出しながらもまだ動いていた。
 なら、きっちり壊しきってやるよ。

836エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:37:41 ID:Ckv4lVpo0
「とっとけ」

 ぶん、と刀を放り、アハトノインの眉間に突き刺す。
 仰け反った体勢から後ろ向きに倒れた奴は、そのまま動くことはなかった。

「お見事です」
「相手にもならんな」
「ですが、油断は禁物です」
「分かってる。次だ。十秒で片付けるぞ」
「十秒では無理かと……」
「例えだよ、たとえ!」

 まったく。これだからロボットは。
 だが言葉を額面通りにしか受け取らず、ずれた回答を寄越してくるゆめみもそれはそれで会話の潤滑剤になっていた。
 狙ってやっているんじゃないかという気さえしてくる。ちらりと横顔を見てみたが、今の彼女は無表情だった。
 いいさ。どちらにしても、俺にとっては楽だ。
 パートナー。不意にその言葉が過ぎり、ロボットがパートナーでいいのかと感じはしたが、
 よくよく考えてみればロボットなんて本来人間のパートナーになるように設計されているようなものだ。
 だったら、何も問題はないよな、ええ?

「ぴこっ」
「お? なんだ今頃戻ってきやがって。あ? 猪落ち着かせてた? そりゃ仲が良くって……結構!」

 頭の上に戻ってきたポテトを、早速捕まえてぶん投げる。久々のポテトカタパルト弾だ。
 ぴこ〜〜〜〜……と情けない声を上げながらも、器用にぶんぶんと手足をばたつかせ、アハトノインの顔に取り付く。
 その間にアハトノインのスクラップから刀を拾い上げ、ゆめみと一緒に突進。
 視界を遮られ二の足を踏んだ隙を見逃さず、二人で同時に斬りかかる。
 倒れる。よし、また一人。これでもうそろそろゴールか?
 周囲を確認してみると、数はそう多くない。もう十体もいないだろう。
 もう一仕事か。
 相変わらず前進しかしてこないアハトノインの方に走ろうとすると、「待てよおっさん」と藤田の声がかかった。

837エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:38:02 ID:Ckv4lVpo0
「おっさん言うんじゃねえ」
「言いやすいんだからいいだろ。もう六人も使ってこいつら相手にする必要ねえよ。後は俺と瑠璃に任せとけ」

 いきなりの提案に、俺ははあ、と間抜けな言葉を返すしかなかった。
 なんだそれ? ここは俺に任せては死亡フラグ……いやでもこいつらザコだっけ。

「結構時間食っちまった気がするんだよ」
「数は多かったからな」
「そろそろ、連中だって本格的に動いてくるかもしれない。その前におっさん達で本命叩いてくれよ」
「あんだよ、大人任せか」
「ガキが大人頼りにして何が悪いんだよ」

 この野郎……
 口は悪かったが、『頼りにする』という言葉は子供そのものの言葉で、俺の自尊心を刺激しやがる。
 そうだな、ここでくらい、大人ヅラしたって悪かない。
 何よりその方が格好いいじゃないの。

 まんまと乗せられた俺は「ちっ、仕方ねえな」と文句を言ってはみたものの、湧き上がる笑みを隠し切れなかった。
 それを知ってか知らずか、藤田はニヤと笑うと、姫百合に声をかけながら残ったアハトノインに突っ込んでゆく。
 だが、いくら弱いとはいえ、二人ではキツくないか?

「はいはいはい、そこはこの風子にお任せを」

 と、俺の心の声を読んだかのようなタイミングで伊吹が出てきた。
 っていうか、読んだ。

838エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:38:22 ID:Ckv4lVpo0
「三人なら大丈夫でしょう。ということで、あのお二人を援護してきますっ」
「チビ助? 大丈夫なの?」

 いつから聞いていたのか、まーりゃんが割り込んできた。
 意外に表情は心配そうだった。
 こいつら、似たもの同士で仲がいいのか?
 ……似たもの、か。俺は嫌いな奴が多かったな……

「ぶっちゃけ、苦労するの嫌なんで楽そうなこっちの方に付きます」
「ぶっちゃけた!」
「あーごほんごほん。ここは風子たちに任せて先にいけっ!」
「説得力ねえなおい」

 俺とまーりゃんの突っ込みなどそ知らぬ顔。
 ん? 待てよ? ってことはこの流れだと俺はこいつと一緒にいることに……
 同じことを考えたらしいまーりゃんと目が合う。こっち見んな。

「……じゃ、ついてっていいかな」

 憎まれ口が飛んでくるかと思ったら意外と素直すぎる言葉だった。
 やや遠慮の色さえ見える。くっ、ちょっとときめいた!
 馬鹿な、俺はこんな貧相な体のガキなんて……いやそんなことはどうでもいい。
 好き嫌いなんて言えるような状況じゃないだろう。

「勝手にしろ。気にいらねえが、お前は強いんだからな」

 だから、必要だ。
 その言葉を飲み込んでしまった俺。ツンデレってレベルじゃなかった。
 正直な話、さっきの戦いぶりを見ていてもこいつは頼りになりそうだったのだ。
 気に入らないのは事実。だがそれでも、認めるべき部分は多かった。
 認めるだけ、ちったあマシになったのかね、さっきよりは。

839エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:38:47 ID:Ckv4lVpo0
「じゃ、チビ助。後はよろしくな」
「チビ助言わんといてください」
「はいはい。分かったよ、ふーこ」

 伊吹の、名前を。確かめるように、試すように。まーりゃんはその名を呼んだ。
 名前を呼ばれたのは予想外だったのだろう。
 絶句した伊吹は、すぐにふんとそっぽを向いて「早く行ってください」と俺達を追い払いにかかる。
 照れているのだろう。なんだ、こいつにもかわいいところあるじゃないか。
 くすりと笑ったまーりゃんは、しかしそれ以上何もせず、「オラ行くぞぉ!」と俺の脇腹をつついてきた。
 いつもの奴だった。「うるせえ」と返しながら、俺は人はこういうものなのかと新たな感慨を結んでいた。

 ちょっとした言葉、一言で、根っこに潜む本音を引き出すことができる。
 ならば、さっき、俺が「必要だ」と言っていれば、俺はまーりゃんの何かを引き出せたのだろうか。
 気に入らないと思っていた奴の、別の一面を理解することが出来るのだろうか。
 今まで生意気としか思っていなかった伊吹に、あんな感想を抱けた。
 クズで、人を拒むことしかしてこなかった俺が、あっさりと素直な感想を持てた。

 ……俺は。
 まともに、なりたいのかもしれなかった。

     *     *     *

840エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:39:06 ID:Ckv4lVpo0
 何か二言三言残して、高槻、ゆめみ、麻亜子の三人が別の出口へと走っている。
 結局、そんなに会話することはできなかったか、と瑠璃は軽く自嘲した。
 明るかった姉に比べて自分はどちらかといえば身内寄りであり、他者との関わりを避ける傾向があった。
 天真爛漫な姉に余計な虫がつかないようにするため、というのが四六時中一緒にいる理由だったが、
 今ではそうではなかったのだろうと言い切れる。
 とどのつまり、引っ込み思案だっただけなのだ。
 他人が怖いというだけではなかった。ただ、別のもっともらしい理由をつけて言い訳していただけだった。
 そういうところを直していかなければならないのだろう。
 気付かないままでいるより、気付いた方がいい。
 それで一時どんなに傷ついたとしても立ち直り、やり直すだけの力が自分たちにはあるのだから……

「……ふっ!」

 気合と共に一閃。アハトノインが持っていた刀は見た目よりずっと軽く、それでいて切れ味抜群だった。
 恐らく、最新鋭の技術で製造されているからだろう。瑠璃にしてみればありがたいことこの上なかった。
 脚部を切断された修道女姿のロボットがばたばたと地面で無様にもがく。
 戦闘能力はなくなったと判断して次に向かう。
 接近戦を繰り返していたせいか、体が赤く、オイル臭い。
 イルファを整備していた珊瑚もこんな匂いの中で日常を繰り返していたのだろうか。
 むっとした、重く、饐えた匂いを鼻の中に吸い込むだけで、珊瑚の声が聞こえてくるような気がした。

 まだ、いける。
 敵が落とした刀を拾い、投擲する。
 刺さることは期待していなかったが、運良く胴体に刺さってくれた。
 ぐらついたところをもう一撃。
 勢いよく突いた刀は胴体そのものを貫通し、刃先が背中から飛び出していた。
 カクンと崩れ落ちるアハトノイン。これで、後は何体だ?
 ふっと一息ついた瑠璃の横から、接近していたらしい一体が刀を振り上げていた。
 すぐさま反応し、刀を引き抜こうとしたが、抜けない。
 深く刺さりすぎていた。しまったと後悔したが、逃げるには遅すぎた。
 アハトノインの指が強く柄を握り締めた。やられる――!

841エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:39:27 ID:Ckv4lVpo0
 無駄だと分かりつつも腕で防御する。
 ……が、振り下ろされることはなかった。
 胸部から刃先を露出させたまま、修道女は動きを止めていた。
 ピクリとも動かない、神への祈りを捧げたままの女の後ろから「油断大敵だな」といたずらっぽい声がかかる。
 浩之だった。既に新しく刀を拾っている。

「……それは、お互い様のようやな」
「あ?」

 怪訝な声を上げる浩之の後ろで、ドサリと音を立てて倒れるものがあった。
 浩之の背後に迫っていたらしいアハトノインだった。
 ボウガンで狙撃してくれた風子がニマニマと笑っている。
 振り返り、全てを理解した浩之が肩をすくめる。
 自然と笑いが零れた。世の中は少し、面白くできている。

「台無しやで」
「るせ。さて、これで全部……か?」

 それまで溢れんばかりにいたロボットの群れは、もう出入り口にも見えない。
 どうやら殲滅しきったということらしい。
 足元に広がる、行動不能となり鉄屑と化したアハトノインの総数はいくらになるのだろう。

 さんちゃんが見たら、どう思うやろうな……

 ロボットに人間と同じかそれ以上の愛情を注いでいた珊瑚なら、この状況を悲しんだことだろう。
 常々彼女は、ロボットの軍事利用に対して批判的な口を開いていた。
 それほど興味を抱いていなかった昔はふーん、と聞いているだけだったが、今なら少しだけ分かる気がする。
 空しい、という気分だった。ただの鉄屑として横たわり、それで役目を終えてしまった彼女達は本当に必要とされていたのだろうか。
 消耗品としてでしか扱われないのは、悲しすぎるのではないか。

「解放してあげられたら、ええんやけどな」
「ん?」
「いや、こっちの話」

842エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:39:46 ID:Ckv4lVpo0
 いつの間にか独り言を発していたらしく、反応した浩之になんでもないと首を振る。
 機械工学の知識がなさすぎる自分には、到底無理な話だった。
 少なくとも、今は。

「それにしても皆さん、真っ赤です」
「ぷひぷひ」

 この戦闘の発端となったとも言える猪を器用に頭に乗せながら、風子がやってくる。
 遠距離に徹していた風子は比較的返り血……いや、返りオイルも少なかったが、
 自分も浩之もべチャべチャだった。元の制服が赤っぽかったので気になっていなかったが、改めて見ると真っ赤だ。
 黒い学生服の浩之はどちらかといえば赤黒い色だったのだが。

「人間のよりマシだぜ。オイル臭いけど」
「むんむんします」
「ぷひ〜……」

 より鼻が利くらしい猪はまいっているようにも見えた。

「それにしても、どこからやってきたんやろ、この仔」
「ここのペット……なわけないよな」
「むぅ、風子はどこかで見たことあるような気がするんですが」
「ま、あの毛玉犬と同じようなもんかもな。そんなことより、こっちもさっさと先を……」
「ぷっ! ぷひ!」

 何かに反応したように、猪が大声で鳴いた。
 じたばたと手足を動かし、必死に何かを伝えようとしているようだった。
 「何かあるんですか?」という風子に反応して、瑠璃は周囲を確認する。
 動物の勘を信じる……というわけではないが、警戒はし過ぎて困ることはない。
 さっと素早く四方を見回してみたが、どの出入り口からも影は見えない。
 浩之も同様らしく、困惑した表情を見せていた。

843エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:40:10 ID:Ckv4lVpo0
「ぷ、ぷひ!」

 ばたばた、と前足をこれでもかと動かしている。
 足の方向は、上を向いていた。
 上――!?
 考えるよりも先に、口を動かしていた。

「離れて! 上からや!」

 言った時には既に足が地を蹴っていた。
 声に素早く反応して、浩之と風子も下がった。
 その行動から、一秒と経たないうちだろうか。
 風を切る音と共に、だんと足元のアハトノインの残骸を踏み砕いて、何者かが落下してきた。

「ご大層な登場だぜ……」

 顔を上げる何者か。それは今まで相手にしてきたものと同じ……しかし、何かが決定的に違う顔だった。
 プラチナブロンドの長髪。漆黒の修道服。手に持っている曲がりくねった刀。
 同じなのはそこまでだった。最も異にしていたのは目だ。
 紅い瞳。血のように赤い瞳が、寸分の感情もなくこちらを凝視している。
 何かがヤバい。直感したのは浩之もだったようで、すぐに仕掛ける愚は犯さなかった。

「……最悪です。これは、とっても最悪です」

 震える声で、風子が言っていた。
 瑠璃はそれで思い出す。風子と、まーりゃんは、ロボットと交戦し、二人を失ったと言っていた。
 ならば、今目の前にいるこれは、それまでと比較にならない本物だということか?

「でも、よかったです」

844エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:40:29 ID:Ckv4lVpo0
 戦慄しかけた心を打ち払ってくれたのは、未だ震えを残したままの、しかし歓喜に打ち震えている風子の声だった。

「ようやく、ユウスケさんの仇が討てます……!」

 本物の怒り。あんなに猛り狂った風子の声を、表情を、瑠璃は見た事がなかった。
 伊吹風子とは、こんなにも激情家だったのか。
 新たに抱いた感慨に浸る間もなく、風子が戦端を開いていた。
 ボウガンを投げ捨て、持っていたサブマシンガン――SMGⅡのトリガーを引き絞る。
 問答無用の先手は高槻のときと同一だったが、結果は同じではなかった。
 向けられた銃口に素早く反応し、後ろに宙返りしながら銃撃を回避する。
 ちっと吐き捨て、風子はさらにP232を連射する。
 こちらは命中はしたものの、僅かに身を捩らせただけで、アハトノインはケロリとした様子だった。

「やっぱり拳銃ではダメですか」
「効いてない……!?」

 さっきのアハトノインの大群には、拳銃でも効果があったというのに。
 根本的なものが違う。本格的な戦闘にも耐えうる殺戮マシーン。
 瞬時にその感想が浮かび上がり、瑠璃にも目の前の敵が想像している以上の化物だと実感させた。
 まごまごしていては、やられる。

 残骸の中から拳銃を回収し、とにかく数撃てばの精神で連射する。
 両手に持ち、弾丸の続く限り撃ち続けたが、アハトノインは微動だにしない。
 避ける必要もない、と判断したのだ。
 実際、彼女の皮膚はおろか修道服も無傷であり、拳銃程度では何の意味も為さないことを示していた。

 なんて、奴……!

845エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:40:54 ID:Ckv4lVpo0
 有効手が少なすぎる。即ち、それはこちらが殆ど空手であるということでもあった。
 まして敵は芳野祐介と藤林杏の二人をも殺害しているのだ。強くないわけがない。
 マグナムならば或いは通じるか? 銃器には詳しくないが、マグナムの威力は高いということくらいは瑠璃も知っている。
 コルトパイソンを取り出そうとしたところで――今度は、向こうが動いた。
 腰を浅く落としての突進。ただそれだけだったのだが、速さが尋常ではなかった。
 いきなり目の前にアハトノインが現れる。錯覚かと思うほどに一瞬で詰め寄ってきたのだった。
 そのまま掌底を貰い、体が宙に浮く。
 内臓が破裂するような衝撃を感じながら、瑠璃は受身を取る暇もなく地面を転がされた。
 あまりに早すぎる出来事の連続に、脳がついていかない。
 やられたのだと判断したのは、げほっと咳き込んだときだった。

「瑠璃っ!」

 浩之の叫び声でようやく我を取り戻す。
 その時には既に、アハトノインが刀を引き抜いてひゅっと振りかぶっていた。
 やられてたまるか。痛みに苦悶の表情を出しながらも、瑠璃は落ちていた刀を拾って倒れたままの体勢から無理矢理投げつけた。
 これも驚異的な反応で回避されてしまったが、その間に追いついた浩之と風子が両側から挟み込む形で攻撃を仕掛ける。

「うおおおおおあああっ!」

 裂帛の気合と共に繰り出された刀の一閃。しかし事もなげに同じ刀で受け止められ、弾いたところを蹴りで反撃される。
 浩之は弾かれた反動でよろめきながらも蹴りを回避してみせる。
 それどころか避けたところにもう一度斬り込んだのだが、またも弾かれ、しかも上に斬り上げられたために刀を取り落としてしまった。
 隙ができてしまう。だがフォローするように風子が割って入り、身長差を補うように飛び掛かった。
 絶妙なタイミングでの割り込みだった。にも関わらず、まるでダンスでも踊るかの如く回転して斬撃を回避し、
 逆に風子の懐に飛び込み、返しの一撃を見舞った。

 そこに防御に入る瑠璃。二人の攻防で体勢を立て直すことができた瑠璃は、ベネリM3を手に、下方から射撃したのだった。
 至近距離からのショットガンの発砲。完全に攻撃態勢に入っていたアハトノインは直撃を受け、大きく吹き飛ばされる。
 それでもギリギリでガードに入っていたらしく、損傷は指の一部が削ぎ落とされたこと、手持ちの刀が破壊された程度に留まっていた。
 なんて攻撃、防御性能だと感嘆すら覚える。三人を相手に、しかも完全な隙を突いた攻撃だったはずなのに。
 これが現代のロボットか。訓練された兵士も、このアハトノインの前には赤子同然なのかもしれない。
 珊瑚が反対していた理由も分かる。これは、一方的な殺戮だ。
 慈悲も是非もなく、入力された命令に従ってひたすら戦い続けるだけの人形。
 悲鳴も、命乞いの声も、何も聞き入れない。作業同然に命を刈り取る彼女は、無造作に死を振りまく死神だ。

846エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:41:21 ID:Ckv4lVpo0
「冗談じゃねえ……なんなんだよ、あの野郎」

 あれだけ攻勢を仕掛けて、殆どダメージがない状態なのだ。
 浩之が毒づくのも無理からぬ話だった。
 風子は無言で敵に集中している。仇を討つためには、いつもの軽口さえ開く余裕はないようだった。

「でも、逃げたらあかん。ううん、逃げたくない」

 だから、いや、だからこそ瑠璃は死神を打ち倒さなくてはならないと決めた。
 自分がロボットを愛していた、姫百合珊瑚の妹だからではない。
 一個人として、反目しつつも理解し合うことができた人間だからこそアハトノインが、いやアハトノインの奥に潜む悪意が許せなかった。
 ロボットから理解させることを奪い、心を通わせる機会を奪っている悪意が。
 今まで流されるままで、漠然とした意志しか持てていなかった。
 それゆえ多くを失い、後悔し、自らに澱みを溜め込んできた。
 けれども何かをしたいと思っても、それが何なのか今の今まで分からなかった。
 何のために生き、何のために身を捧げてもいいと思えるのかが掴めなかった。
 なにひとつとして『豊かさ』を生み出せず、燻っていた。
 でも、ようやく見つけることができた。

 長い長い遠回りをして。
 何度も何度も失敗して。

 ようやく辿り着いたのが『ロボットの尊厳を守りたい』という思考だった。
 結局のところそれは珊瑚が抱いていた気持ち、掲げていた理想と何も変わりはしなかったけれど……
 ただ流されて辿り着いたのではない。
 自分の気持ち。自分の思い出があって、そこから考えて辿り着いた結論だ。
 それでも珊瑚と同じ思考になってしまうのがいささか可笑しい気分ではあったが、悪くはない。
 双子の姉妹なのだ。同じことを夢見たっていい。
 それに自分には、支えてくれる浩之という存在もいる。
 心を通わせた存在を感じていたから、瑠璃は何も躊躇うことなく己の決意を受け止めることができた。

「そうだな……ま、逃げるわけにはいかないか」

 余熱の燻る視線を感じてくれたのか、浩之も付き合う声を出してくれた。

847エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:41:42 ID:Ckv4lVpo0
 ありがとうな。

 その台詞を心の中で呟き、瑠璃はアハトノインの中に潜む、真実の敵を見据えた。
 まだ先程の「ありがとう」を言うわけにはいかない。
 終わりの言葉にしてはいけない。自分達はこれを始まりの言葉にしなければならない。
 より善いものを目指し、高みへと向かっていける世界に進むために。
 一緒に生きて帰るために。
 瑠璃は笑った。

「きっついお灸据えたる」

     *     *     *

 激しく運動しすぎたせいか体の節々が悲鳴を上げ、かつて打撲した足が熱を伴った痛みを発している。
 息は上がり、心臓はこれ以上ないほど激しい鼓動を叩き、玉のような汗が全身に滲んでいる。
 体力には自信はあるつもりだったのにな、と浩之は心中に呟く。こんなことなら佐藤雅史とサッカー部にいれば良かった。

 だが、その雅史もいない。

 雛山理緒も、松原葵も、来栖川綾香も、来栖川芹香も、セリオも、姫川琴音も、宮内レミィも、

 保科智子も、マルチも、長岡志保も、

 神岸あかりも。

 もう、みんないない。

 二度と会えない。

848エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:42:02 ID:Ckv4lVpo0
 限界に直面して初めて、浩之は喪失を実感していた。
 理解はしていたつもりだった。それでもいざ確認し、己の本心、過去の思い出と対面してみると全然違った。
 意識はしなくても浮かび上がってくる友人の言葉が、幼馴染の言葉が胸を締め上げ、浩之を息苦しくする。
 つらい。率直にそう思った。
 今の現実は自分の手に余りすぎるほど苦しい。
 それまであったはずのものは全てなくなり、拠るべきものもなく、たった一人で孤独の海を彷徨っている。
 海を漂う椰子の実に似ていると浩之は思った。
 どこの誰にも知られず、ただ孤独に目指すべき場所も知らずに流されてゆく。
 だが、それでは寂しすぎる。
 だから懸命にもがき、流れに逆らい、どこかの島に流れ着こうと努力を重ねる。
 たとえ辿り着けなかったのだとしても、行く先々の新しい出会い、未知の風景は今を少しでも変えられるかもしれない。

 俺が泳ぎ続けるのは、そういうことなんだ。

 沈んでしまった椰子の実。海底に埋もれてしまい、芽を出すことすらできなくなった実たちに対して、浩之はそう告げた。
 自分はまだ生きてしまっている。どんなに嫌がっても現実はいつも自分の隣にいる。
 諦めようとしても根底に根付いた意志が、沈むことを許してくれない。
 死にたくない。言葉にすればそういうことなのだろう。
 陳腐で、俗な言葉で、友人達からすれば失礼極まりない考えには違いない。
 それでも進まなければならないと、そう決めたのが藤田浩之だった。

「うおおっ!」

 力を振り絞って刀を振り下ろす。アハトノインは刀を弾かれている。つまりチャンスだ。
 この機を逃すまいと畳み掛けるが、不利であるはずのアハトノインの動きは冷静だった。
 軌道を読んで最小限の動きで避けられる。ならばと浩之は風子に視線を向けた。
 一人では無理でも、二人なら。チャンスだと分かっているのは風子も同じで、囲い込むような動きで背後から攻めようとする。
 前後に挟まれる不利は相手も承知しているらしく、回避を念頭に置いた動きから逃げる動きへと変わったが、
 それだけで今の浩之たちを止められる理由にはならなかった。

849エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:42:22 ID:Ckv4lVpo0
 絶対に逃がしはしない。瑠璃の反撃で得た千載一遇の時間を無為にするわけにはいかない。
 ここで何としてもトドメを刺す。
 体感的にも、ここで決めなければ持たないと理解していたからこそ浩之は多少防御を犠牲にした攻撃を繰り返す。
 命中こそしないが、アハトノインは後手後手だ。
 同じく畳み掛けた風子の繰り出した刀による突きが回避される。
 だが避けられるのは風子も浩之も先刻承知の事項だった。
 隙を見計らい、浩之が500マグナムを向ける。
 更にこれまでの動きから、横に飛んで逃げるだろうと読んで銃口を少し逸らしてトリガーを引いた。
 予想は外れてはいなかった。直撃こそしなかったものの、脇腹を掠ったマグナム弾にアハトノインが理解できないといった表情を見せる。
 当然だろう。計算の上では完璧に回避しているだろうから。
 だが所詮そんなものは定石の上に作り出されたものに過ぎない。
 もう一発。最後の弾丸だったが構うことも躊躇もなく浩之は発砲する。

「……!」
 想定外の事態に突き当たったからか、アハトノインの動きが一瞬遅れた。
 それでも前回の行動からまた少し逸らしてくると判断したらしく、動きは殆どなかった。

 バカめ。二度も同じことするわきゃねーだろ!

 今度こそ、きちんと狙いを据えた銃口は見事に防弾コートの中心を捉えていた。
 直撃。マグナム弾の威力は9mm弾などの比ではなく、
 真正面から膨大なエネルギーの圧力を受けたロボットの体がぐらりと傾き、行動不能に陥らせた。
 この期に及んで弾丸が貫通しなかったことに呆れを通り越して感嘆の気持ちさえ抱いたが、これで条件はクリアした。

「瑠璃、行けっ!」

 言うまでもないとばかりに、瑠璃は既にベネリM3を構えていた。
 狙いはむき出しの頭部。ここさえ破壊してしまえばいかに頑強な体を持つアハトノインと言えど倒せる。
 機会を窺っていた瑠璃の狙いは正確だった。
 ベネリM3から発射された無数の散弾はアハトノインの頭部を丸ごと飲み込み、
 スイカを叩き割ったかのように機械片を飛び散らせながら完膚なきまでに破砕した。
 首なし騎士の完成だ。もんどりうって倒れるロボットの残骸を眺めながら、浩之は「よし」と勝利を確信した声で呟いた。

850エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:42:42 ID:Ckv4lVpo0
「ふーっ、手強い相手でした」

 したり顔で大袈裟に息を吐き出す風子に、「トドメを刺したの、瑠璃だからな」と突っ込む。
 すると風子は心外だだとでも言うように唇を尖らせ、「チームプレイというべきです」と抗議した。

「そうそう。今回はチームの勝利やで。三人やなかったら危なかったし」
「まあそりゃそうなんだが……」
「ということでもっと褒めてください」
「調子に乗るなって」

 頭を小突くと、風子はますますニヤニヤとした顔になる。
 どうもマイペースな人間は苦手だ。それを言うなら珊瑚もマイペースだったのだが、珊瑚は別段そういう風には感じなかった。
 この違いはいったい何なのだろう。本当に、世の中には色々いる。
 だからこそ面白みを感じられるのかもしれない。風子につられたわけではないが、浩之も含みのない微笑を浮かべた。

「さ、行きましょう行きましょう。だいぶ遅れてしまったようですし――」

 風子が、背が低かったからかもしれない。
 視界の隅……風子の肩越しに、ピクリと動いたものが目に留まった。
 一瞬目の錯覚かと瞼を擦ってみたが、間違いなく、それは、

 動いた。

 背筋が凍るような怖気が走った。まるで幽鬼のような足取りで起き上がった『首なし』は、しかし一分の無駄もない動作で拳銃を袖から抜き出した。
 隠し拳銃――!
 明らかにこちらの動きを把握している。逡巡している暇も戦慄している暇もなかった。

「風子! どけぇっ!」

851エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:43:09 ID:Ckv4lVpo0
 半ば突き飛ばす形で風子を押しのけ、500マグナムを撃とうとして……そこで、弾切れになっているのにようやく気付いた。
 動くはずのない『首なし』が起き上がったことに動転してしまっていたのか。きちんと確認はしていたのに。
 浩之の異常を瑠璃も察知したのかフォローに入ろうとベネリM3を構えたが、遅かった。
 『首なし』は的確な動作でこちらに狙いを定め、次々と発砲してくる。
 最初に突き飛ばした風子は直撃こそ免れたものの、浩之と瑠璃は飛来する銃弾を避ける時間も残されてはいなかった。
 隠し持っていた拳銃は、たかが小口径のものだったとはいえ、柔らかい人体を破壊するには十分な威力だった。
 即死はしなかったが、乱射された銃弾が体のそこかしこを引き裂き、瑠璃も同等のダメージを負って床に倒れこむ。
 お互いの生温い血の温度と、べたつく感触を味わいながら、二人が取った行動は即座の反撃だった。

「こなくそっ!」
「やられてたまるか!」

 取り落としたベネリM3を二人で拾って構え、発砲する。
 痛みを押しての射撃。撃たれた腕が、腹が、肩が、足が悲鳴を上げる。
 それでも撃った。瑠璃が隣にいるという安心感だけでまだ死なない、生きていられると思えてくるから。
 二人一緒なら、いくらだって生きられる。人間は、そういう風にできている。

 そうさ、俺は瑠璃を愛してるんだ。だからこんなところで死ぬわけにはいかないんだよ……!

 決死の反撃はいくらか実を結んだのか、ベネリM3の直撃を受けた『首なし』が吹き飛び、アハトノインのカプセル郡に突っ込んで動きを止めた。
 だがそれは一時的なものでしかなく、すぐにまた身じろぎを始める。
 化け物め。物語通りの不死身の騎士というわけか。
 互いの体を支えつつ立ち上がり、残ったベネリM3を撃ち尽くす。
 距離はありすぎるくらいだったが、引き付けている余裕はなかった。
 だが頭部を失ってなお、『首なし』の動きは健在だった。
 まるで射撃が続けて来ることを読んでいたかのようにステップで絶妙に避けながら接近してくる。

「音で感知されてるみたいや!」

852エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:43:30 ID:Ckv4lVpo0
 それは浩之も分かっていた。でなければこちらに近づいてこれる理由がない。
 恐らくはそれだけではない、センサー等を通してこちらの位置までを正確に把握していると思ってよかった。
 なら、あの分厚い防弾コートを突き抜けてどうやって破壊すればいい?
 ショットガンであるベネリM3の直撃を受けてなお、防弾コートには僅かの損傷しか見受けられなかった。
 策は見つからない。考えているうちにベネリM3の弾も尽きた。残る武器は殆どない。
 射程内に入ったと感知したらしく、『首なし』が拳銃を向ける。
 そこで飛び掛ったのが、風子だった。

「借りは返させてもらいます!」

 『首なし』に対してか、或いは自分たちに対してか。恐らくはどちらもなのだろう。
 接近は予期していたのか、まるで見えていたかのように銃口を風子に変えたが、風子はそのまま突進した。
 当然、『首なし』も発砲する。銃弾を数発体に受けながらも、それでも風子は止まることなく防弾コートに取り付き、

「分かってはいても、見えてはいませんよね……! だったら、こっちのもんです!」

 至近距離からM29を押し付け、次々と撃つ。
 ゼロ距離の銃弾は流石にどうしようもないはず。それなのに、数度体を跳ねさせた『首なし』はよろりと一瞬バランスを崩したが、動じることはなかった。
 何事もなかったのように拳銃がポイントし直される。まさか、と目を見開いた風子の体が、今度は逆に跳ねる。
 先の銃撃で避けるだけの余力もなかった風子は胸から大量に出血し、呻いた後に倒れた。
 やられた。そう実感する間もなく『首なし』の狙いがこちらに切り替わった。

「く……!」

 悔しさを声に出す時間すらなかった。コルトパイソンを構えた瑠璃を補助し、後方に下がりながら発砲を続ける。
 しかし『首なし』に拳銃はマグナムであっても通じない。
 当たりはしたものの、一歩ほど後ろに下がっただけでダメージはない。

「どうすりゃいいんだ、こいつ……!」

 まるで、下がってくる釣り天井のある部屋に押し込められたかのような気分だった。
 どんなに知恵や勇気を振り絞っても押し寄せる壁そのものの前にはどうしようもない。
 そう、何をやっても無駄だと目の前の『首なし』は告げていた。

853エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:43:50 ID:Ckv4lVpo0
 だから安らかな死を。
 あなたを、赦しましょう。

 頭はなく、口もないのに、はっきりと『首なし』がそう言うのを浩之は聞き取った。

「……冗談じゃない」

 冗談じゃない。
 お前の赦しなんかいらない。
 俺は絶望を信じない。
 俺はもう、世界に絶望することはやめたんだ。
 友達がみんな死んでしまっても。
 人が人らしくいられず、悪鬼に変わってしまったのを何度見ても。
 自分自身を一度捨ててしまった俺自身がどうしようもないクズだとしても。
 未来は、豊かさはまだそこにあるんだから……!

「浩之」

 自分と同じ、世界に絶望することをやめた少女の瞳があった。
 大切なものを全て奪っていった世界を憎むのではなく、そんな世界を変えようとする瞳だ。
 これがあるだけで、何の不安も感じない。
 これから起こること、起こすことを、全てこの身に引き受けられる決心がついた。

「爆弾を使ってみるか。派手な花火になるぞ」
「ええな、それ。面白そうや――すごく」

854エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:44:05 ID:Ckv4lVpo0
 一泊溜めて、瑠璃は今までで一番の笑みを見せた。
 吹っ切った笑顔であり、諦めたような笑顔であり、しかしこの結果に満足しているような顔。

 やっぱり、強いな。

 苦笑交じりの表情しか渡せなかった浩之は、最後まで強さを見せられっ放しだったなと感想を結んだ。
 川名みさきしかり、姫百合珊瑚しかり、一ノ瀬ことみしかり。
 女は強い。いつも支えてくれるのは彼女たちのほうだ。
 いや、だからこそ、それを背負って行動に移すことができる。

「任せたぜ、瑠璃」
「任せとき、浩之」

 体が離れる。
 ぬくもりがなくなるとは思わなかった。
 離れても、傍にいなくても、こうして同じ想いを共有している限り暖かさは感じられる。
 それがこんなにも心地よかった。
 走り出した背後で銃声が木霊する。
 爆弾までの距離は意外と近かった。
 手に持ったのはライター。ポケットに仕舞ってあったが、使いどころを見出せなかったものだ。
 爆破は本来芳野たちにやってもらう予定だったのだから。

 美味しいとこ、貰ってくぜ芳野さん。

 足がもつれ、倒れかけたが誰かが支えてくれたかのようにギリギリで立て直すことができた。
 支えてくれたのは誰だろう。

 ――みんな、かもな。

855エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:44:23 ID:Ckv4lVpo0
 いくぜ。
 見てろよ……!
 爆弾に取り付き、導火線に火を点す。
 痛みのあまり指が震えかけたが、また誰かが支えてくれた。
 意識も朦朧としてきた。意外と血を流していたのかもしれない。
 見てみれば点々と続く血の跡は長く、体中の血を全て流してしまったのではないかとさえ思える。
 瑠璃も、風子の姿も見えない。だが一人ではない。ここには、みんながいる。
 火のついた導火線が、徐々に短くなってゆく。
 命が失われる恐怖はなく、この後起こることを想像して寧ろ楽しい気分になった。

 ……ああ、そうか。

 楽しいと思えるのは、ここにみんながいるから。
 自分がしてきたことを、誇りを持って話すことができるから。
 感情を交わし、共有し合うことができると知っているから。
 きっと、それが、豊かさなのだろう。

 未来は。

 俺の、未来は――

     *     *     *

856エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:44:39 ID:Ckv4lVpo0
 強烈な閃光が、藤田浩之の体を丸ごと飲み込み、直後に膨れ上がった炎の色すら知覚させずに意識を消し飛ばした。
 一ノ瀬ことみ特製の爆弾は凄まじいエネルギーとともにアハトノイン達を格納していたカプセル郡ごと破壊し、部屋全体を火球が制圧した。
 その爆発は天井も突き破り、瓦礫の山を築き上げ、かつてそこにあったものの痕跡を跡形もなく消し去った。
 そこには、なにもない。
 あるのは、ただ、大爆発があったという事実と、そこに残された誰かの想いである。

     *     *     *

857エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:44:55 ID:Ckv4lVpo0
 ……やれやれです。
 結局、最後まで敵討ち、できませんでしたね。
 面目ないです十波さん。仇取ってよって約束、破っちゃいました。
 それに教師にもなれそうにないですね……まあ、罪作りな教師にならなかったことは幸いなのでしょう。
 ユウスケさんにも謝らないと。ちょっとだけ楽しみだったんです。新しい暮らし。新しい家族が。

 って、風子約束破りまくりじゃないですかっ!
 な、なんて最低な女! がーん! まーりゃんさんにバカにされて言い返せないレベルですっ!
 そう思うと、まーりゃんさんがにょほほほとかそんな感じの笑いを浮かべて突っ立っている光景が見えました。
 最悪です。こっち来ないでください。まだ早いです。
 ……ああ、しかし、死ぬって結構痛いんですね。
 何度も死に掛けてはきましたけど、いざこうしてみると痛いばかりです。
 もうちょっとこう、ふわーっといく感じを想像していたのですが。
 人生うまくいかないものです。だからこそ楽しいのかもしれませんが。
 決まりきったことをするのは、風子ちょっと苦手です。
 だから痛くないようにしましょう。楽しいことをしましょう。

 この状況でさしあたって楽しいことは……ああそうですね、あの首なしさんの妨害ですかね。
 藤田さんと姫百合さんが何するか知ったこっちゃないですが、邪魔するならあのお二人よりあっちですね。
 ふふ、風子は天邪鬼なので誰かの邪魔をしたくなります。
 こういう小悪魔っぷりが男の子をメロメロにするんですね。
 ……いつまでも、じっとしてても面白くないので、行動に、移しますか。

858エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:45:12 ID:Ckv4lVpo0
 ぷひぷひ。
 おやイノシシさんじゃないですか。逃げても良かったのに。
 ぷひー。
 なるほど決心がついたんですね。何かやれることがやりたい、と。
 ぷひ!
 死ぬの、怖くないですか?
 ふるふる。
 痛いの、怖くないですか?
 ふるふる。
 全部なくなってしまうのは、どう思いますか?
 ぷー……
 意地悪だって? そうですね、風子はそうなのかもしれません。
 風子、正直嫌いです。あの首なしさんも、お姉ちゃんを殺した人も、ユウスケさんを殺したあのロボットさんも、岡崎さんを殺したあの人も、十波さんと笹森さんを殺したあの人も。
 ……でも、憎めないんです。殺した人も人間なんです。風子と同じ、人間……
 憎んでも、なんだかそれが自分に跳ね返ってくるような気がして……そうですね、怖いんです。怖いから、風子は憎みきれなかった。
 だから引っ込み思案だったんですね。人に感情を持つのも、怖かった。
 でも今は……ほんの少しだけ違うんですよ。怖いのは今でも変わりないですが、悪いことばかりじゃないってことは分かったんです。
 なんか言ってることがめちゃくちゃで分かりにくいって? 風子、天邪鬼ですので。
 まあ、あれですよ。……誰も、嫌いにはなってもいいけど、恨んだり憎んだりしちゃ駄目ですよってことです。
 それは、何も変われないってことですから。
 ぷひ……
 そうですか、イノシシさんがそうなら、よかったです。
 ということで、協力してください。……できますよね?
 ぷひ!

859エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:45:27 ID:Ckv4lVpo0
 なんか、少し悲しい気分です。最後にこうして語り合ったのがイノシシさんとは。
 ああでも可愛いからどうでもいいですね。可愛いは正義だと思います。
 一番の正義はヒトデですが。
 ここ変わってないって? 人には譲れないものもあるのです。
 さぁ、最後の、風子の勝負ですっ!
 発砲を続けている姫百合さん。首なしさんは避けもしていません。効かないからでしょうか。
 そういうのを、傲慢って言うんです。
 弾切れになった姫百合さんに首なしさんが近づこうとしますが、させません!
 イノシシさんと風子で足元に飛び掛って押さえ込みます。
 見えてはいませんよね? だったら、『今度こそ』こっちのもんです!
 ぎゅっと掴んだら、口から何か出てきました。鉄臭くてまずいです。
 足をとられた首なしさんでしたが、何が起こったのかはすぐに把握されました。
 足元に異変があると感じたらしく、即座にイノシシさんの方に拳銃を向けました。
 流石に、風子も助けられませんでした。掴まってるだけで精一杯だったんです。
 でも姫百合さんが助けてくれました。体ごと飛び掛って首なしさんを押し倒します。
 グッジョブです! あ、無理やり動いたらまた赤いのが出ました……痛い、ですね……

 でも、痛いのに、なんかとても嬉しい気分です。痛いのが嬉しいって風子Mですか。Mじゃないです。どっちかというと女王様です。
 こんなときまでバカなこと考えてますね。それが可笑しくてへらへらと笑うと、姫百合さんも笑ってました。
 みんな楽しいのでしょうか。よく分かりません。
 でも、こういう気分だってみんなで分かってるのは……
 とっても最高なことだと、そう思ったんです。
 あったかい気分でした。体のどこかもあったかい感じでした。

 ……いつだったでしょうか。
 この感じを、どこかで、風子は知っていたような気がします。
 光が、舞って。
 とってもきれいで。
 風子なりに言うと……
 これが、未来なんです。
 あったかくて、懐かしい……未来……

     *     *     *

860エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:45:44 ID:Ckv4lVpo0
 姫百合瑠璃の体も、
 藤田浩之の体も、
 ボタンと呼ばれていた猪の体も、
 伊吹風子の体も、
 もうそこにはない。
 瓦礫の山に埋もれることすらなく、存在そのものが光に飲まれた。
 だが、光が収まった後に……いくつかの、新しい小さな光が生まれた。
 光はすぐにどこかへと消え去った。
 どこかを目指して、消えた。
 その先は未来とも言うべき、その場所である。

861エルサレムⅥ [自決]:2010/08/01(日) 17:47:22 ID:Ckv4lVpo0
【藤田浩之 死亡】
【姫百合瑠璃 死亡】
【伊吹風子 死亡】



高槻、ゆめみ
装備:M1076、ガバメント、M79、火炎弾×7、炸裂弾×2、忍者刀、忍者セット、おたま、防弾チョッキ、IDカード、武器庫の鍵、スイッチ、防弾アーマー

麻亜子
装備:デザートイーグル50AE、イングラム、サブマシンガンカートリッジ×3、二連式デリンジャー(残弾1発)、ボウガン


朝霧麻亜子
【状態:なりたい自分になる】
【その他:体操服(上下のジャージ)を着ている】

高槻
【状況:主催者を直々にブッ潰す】

ほしのゆめみ
【状態:パートナーの高槻に従って行動】



→B-10
次回が最終回となります。
投下の際には告知を行い、時間を指定してから投下を行いたいと思います。
お暇があればお付き合いいただけたら恐縮です。

862名無しさん:2010/08/27(金) 21:09:20 ID:w1hhOi020
B-10の者です。
今から最終回を投下したいと思います。
容量が160kbある都合上、四部構成に分けて投下します。
休憩など挟みますが、どうぞご了承下さいませ。

863終点/あなたを想いたい:2010/08/27(金) 21:10:43 ID:w1hhOi020
十三時四十七分/高天原中層

「ねえ、リサさん」

 ウォプタルの背中に揺られながら、一ノ瀬ことみはしばらくぶりの口を開いた。
 国崎往人、川澄舞の両名と離れて以後、初めて開いた口だった。
 それまで黙っていたのは、二人の安否が心配だったからではない。あの二人なら絶対生きている。
 ただ、これからやるべきことに対して整理をつけ、自分の中で消化する時間が欲しかったから黙っていた。

 文字通りの命を賭けた大一番の中に、自分達はいる。それは今まで命のやりとりをしてこなかったことみには怖いことだった。
 今も正直、早鐘を打ち続ける心臓を落ち着かせることができない。
 ことみは誰かがいなくなることの恐ろしさを知っていた。だからこそ、恩人とも言える霧島聖を殺害されたときでさえ犯人である宮沢有紀寧の命を奪うことができなかった。
 結果的には、彼女は道連れにしようと自爆してしまったのだが……
 包帯を巻いたままの目が痛む。命を投げ打ってまでしてやったことは、目玉一つを奪うことだけだった。
 そうはなりたくない。それがことみの気持ちだった。
 死んでしまっても何かを為そうというのではなく、生きていたいから何かを為さなくてはならないという自信が欲しかった。
 でなければ、自分もきっと有紀寧と同じような、自己満足のためだけの死を迎えてしまうだろうから。

「リサさん、これから……ここから出たら、何をするの?」

 リサとはそれなりに長く行動してきたつもりだったが、彼女自身のことについては知らないことも多かった。
 どこで生まれ、何をしてきたのか。何も知らない。

「今の仕事を続けるわ。それしかやれないからなんだけど……」

 特に表情を変えることもなくリサはそう言った。
 自分の運命を決定的には変えることはできないと知っている女の顔だった。
 自分より長く生きているはずの人だ、それなりの重さはあるのだろうと思ったがあまり好ましい言葉ではなかった。
 大人はこういうものなのかもしれない。多くを語らず、責任の重さを黙って受け止めてやれることだけをやる。
 聖にもそんな部分は多かった。自らの責任を果たすだけ果たし、言葉だけを残して逝ってしまった。

864終点/あなたを想いたい:2010/08/27(金) 21:11:05 ID:w1hhOi020
「でも、それだけじゃない。今の仕事を続けていく中でもちょっとした変化……楽しんだり、笑ったり、泣いたり、悲しんだり……
 そういうものを感じられる機会を増やしていこうと思ってる。仕事だけの人生なんて、寂しいでしょ?」

 生きる道そのものは変えられなくとも、その過程ならばいくらだって変えられる。
 微笑を含んだままのリサに虚を突かれたような気分になりことみは思わず「リサさんでも泣いたりするんだ」と軽口を叩いてしまっていた。

「私でも泣くことくらいあるわよ。人間だもの」
「そうかな……」
「無闇矢鱈と人前でそうしないだけ。意地が出てくるのよ、年をとるとね」
「大人って、格好付けなんだ」
「そうね……私の知ってる人は、大体そんな感じだった。でも、分かるでしょ?」

 年上が情けない姿を見せたくはない。だから意地を張るし、身勝手なことも言ったりする。
 それは分かる。だが、分かっているからこそ受け入れられない部分もあった。それは自分がまだ子供だからなのかは分からなかった。

「せめて、親しい人の間でくらいは子供になってもいいと思うの」
「だから家族になって、子供も作るんでしょ?」
「……分からないの」
「私はそうしたいわ。今はエージェントって仕事しかできないけど、いつか、きっと」

 リサにとっては遠すぎる夢なのだろうか。はっきりと口に出すことはしなかった。
 それでも強い言葉で、遠くを見据えるように言ったリサには、そこまでの道筋も見えているのかもしれない。
 ならば、自分はリサに負けている。医者になりたい夢はあっても、まだ漠然とした道しか分からない我が身を振り返り、ことみはようやく納得する答えを得たと思った。
 仕事の内容は違っても経験する道のアドバイスに長けているに違いない。将来は、恐らく。
 そんなリサに、ようやく自分の未来を預けてみようという気になったのだった。

「お願いがあるの」

 なに? と今更ねとでも言いたげな顔でこちらを見てくる。遠慮がないのはお国柄の違いなのだろうかと苦笑を返しつつ、
 ことみは一つの提案を持ちかけた。

865終点/あなたを想いたい:2010/08/27(金) 21:11:25 ID:w1hhOi020
「二手に別れるの。リサさんは当初の予定通り中央の制圧。私は脱出路の道筋を探す。ほら、私この恐竜さんに乗ってるから早いし」
「そうするメリットは?」

 感情に訴えず、合理的な判断を持ちかけてくるのは流石にリサだった。だがその方がことみとしてはやりやすい。
 元々、考えるのは得意中の得意なのだから。

「んー。さっきアハトノインと遭遇したけど、あれってなんでなのかな」
「どういうこと?」
「普通、自分の身を守りたければああいう強いボディーガードは身辺につけてるはずなの」
「ふむ」
「ところがそれをホイホイ手放した。ってことはつまり、テンパってるってことだと思うの」
「まさか。こんな殺し合いを計画する奴よ」
「でもそれは変わったかもしれない。途中から、明らかに色々変えてたもの」

 主催内部でゴタゴタがあったかもしれない。リサがそれに感づいている可能性は高かった。
 何より、那須宗一と話し合う姿を目撃している。推理が含まれるだろうが、概ね外れはないだろうと踏んでいた。
 リサは特に反論を寄越さなかった。つまり、反論はないということだ。ここに畳み掛ける。

「リサさん強いし、一人でも何とかなるんじゃないかな。もちろん私にもリスクはあるの」
「貴女の身が危ないわね」
「そこをリサさんに託すって言ってるの。……これは私の勘なんだけど、こんなことでテンパるような主催者なら、なんかやらかしそうな気がするし」

 半分冗談のつもりで言ったのをリサも理解してくれたらしく、「例えば、基地の自爆スイッチを押すとか」と付き合ってくれた。

「そうそう。他にも基地がぶっ壊れるのお構いなしで兵器ぶっ放しとか」
「……ありそうな話ねぇ」

 コミックの中でしか有り得なさそうな話なのだが、リサは意外と神妙だった。
 本気ではないだろうが、可能性のひとつとして受け止めたのだろう。

866終点/あなたを想いたい:2010/08/27(金) 21:11:47 ID:w1hhOi020
「追い詰められた奴は何をするか分からないからね……貴女が、宮沢有紀寧にそうされたように」
「えっ?」

 思ってもみなかった言葉が飛び出してきて、ことみは間抜けな口を開いてしまっていた。
 まさか、本気なのだろうか。
 硬い表情を作るリサの真意は測れず、判然としないものだった。

「何をしでかすか分からない、か……」

 何とも言えなくなってしまう。不測の事態に陥ってしまうと頭が回らなくなる悪い癖は治っていないらしい。
 ここもいずれ変えていかなければと見当違いな決心をしている間に結論を出したらしいリサが「分かった」と言っていた。

「別行動にしましょう。ただし、危なくなったらすぐに逃げてね。そこだけは約束して」
「え、ああ、うん」

 こくこくと頭を下げたのを見たリサは「うん、よし、それじゃあね」とまくし立てて先に行ってしまった。
 呆然と取り残されたような気分になり、ことみは首を捻りながら「うーん」と呟いてみた。
 これでよかったのだろうか。いや、当初の予定通りではあったのだが。

「……まあ、私がいても正直戦闘の役に立たないし」

 だから自分の得意なことをやろう。
 気を取り直し、ことみはのんびりと歩いていたウォプタルの手綱を強く握った。
 目下の見立てでは、地下の、最深部が怪しい……というのはフェイクで、この近辺のフロアに何かがあると見ていた。
 理由はひとつある。アハトノインが『見回り』に来ていたこと。
 どこかに急行するなら歩いているはずはない。警戒のために来ていたのだとすると、重要な何かがあるということだ。
 試しにウォプタルを走らせて、まずは様子を見ることにした。

867終点/あなたを想いたい:2010/08/27(金) 21:12:13 ID:w1hhOi020
「当たってればいいけど」

 全部が推理でしかないのに、無闇に確信している自分がいる。
 そういう根拠のない自信は聖から貰ったものなのだろうか。

 ねえ、先生。
 私、意外と図々しくなったかもしれないの。
 だから絶対医者になる。なれるように祈ってて欲しいの。なれなかったら先生のせいなの。

 聖が、苦笑した気がした。

     *     *     *

十三時五十四分/高天原中層

 ことみの小さな一言が切欠だった。
 追い詰められた人間は何をしでかすか分からない。
 もし、今ここを管理している人間が、自分の推理通りの人間だったとしたら――
 それがことみと離れた理由であり、急いでいる理由。
 生きて帰る。それだけが目的なら急ぐ必要はなかったし、今こうしていることもない。
 けれども、もし、帰る場所そのものが失われてしまうかもしれないとしたら?
 実行するかどうかはともかくとして、やると決めたならばどんな非道なことでもやってかねみせないのが『彼』だった。

 脱出する前になんとしても接触し、決着をつける必要があった。
 本当なら皆と合流した上で行うべきだったし、そうしたいと思っていたが事態は急を要する。
 分散してしまったのは失敗だったかもしれないとリサは舌打ちした。
 もし既に脱出路の確保が終わってしまっているなら、『彼』は準備に取り掛かっているかもしれない。
 そうなる前に潰したいというのがリサの気持ちだった。

868終点/あなたを想いたい:2010/08/27(金) 21:12:52 ID:w1hhOi020
 片っ端から怪しそうな場所に突入してみたが、いずれも無人。
 本命の場所には必ずいるだろうからいないはずはない。そう考え、もう何度も突撃してはみたが結果は得られていない。
 『高天原』は広すぎる。このフロアではない可能性もある。
 そもそも、勘と当てずっぽう、そして和田の残してくれた僅かな情報だけが頼りでしかない。
 首輪データと共に発見した『高天原』のデータが古い可能性は否めない上、建造初期のデータだった。
 だが、自らの経験と勘を信じるしかない。
 今度こそ手遅れになるわけにはいかないのだから……

 新しい部屋を発見したリサは躊躇なくそこに踏み込む。
 物陰から飛び出すと同時にM4を構える。敵と判断すれば即座に撃つ心積もりだったが、またも無人。
 その代わりに、床に赤い液体が放射状に散らばっているのを発見した。その傍らには、投げ捨てられたゴミのように放置されたウサギの人形と、ひび割れた眼鏡があった。
 床の赤いモノに触れるリサ。既に凝固しかけているのか、殆ど手にはつかない。
 つまり、いくらか時間が経過しているということだった。

「……誰かが、殺された?」

 考えるならばそうとしか考えられない。
 主催者の仲間か、或いは別の誰かなのか。血痕だけではこれ以上の事実など分かろうはずもなかったが、ことみの推理は正しいことになる。
 やはり篁が死んで以降、運営内部で争いがあったのだ。
 当初の目的を遂行するか、やめさせようとした一派と争いになったのか、或いは篁財閥の権力を握ろうと他を排除にかかろうとしたのか。
 いや過程はどうでもいい。その結果として、『彼』がトップの座に居座っている。
 そして全てを隠蔽すべく、参加者を全て皆殺しにしようとしている――

「お待ちしておりました」

 やはり『彼』を放置しておくわけにはいかないと結論を結びかけたところで、唐突に声が背後からかかった。
 気配は感じなかった。心臓が凍りつき、内心戦慄する思いであったのだが、何とかそれを隠し通し、いつもの振る舞いでリサは振り返った。
 そこにいたのは、以前撃破したはずのアハトノインだった。いや違う、とリサは即座に判断した。恐らくは別の機体。だが……
 平板な表情、金色の髪と赤外線センサーを搭載した赤い瞳、胸のロザリオ、修道服。
 何から何まで同じで、生き返ったのかとすら思う。きっちり揃えられたアハトノインには個性の文字すら見えない。

869終点/あなたを想いたい:2010/08/27(金) 21:13:17 ID:w1hhOi020
「我が主が貴女様をご招待しております。どうぞ、こちらへ」

 恭しくお辞儀をして、手で誘導してくる。罠か、と思ったリサだったが、そもそも敵陣の只中に突入している身で罠も何もないと考え直した。
 余裕があるということなのか? いやそれはない。推理通りの人物ならば余裕など有り得ない。そんな器を持ち合わせているはずはない。
 これは虚勢だ。プライドが小さい男が張ったつまらない虚勢。
 わざわざ使いを寄越すのも、自ら出て行くことができなかったからなのではないか。
 そう思うと色々勘繰っていたことも馬鹿らしく感じ、逆に余裕を持てるようになった。
 その程度の男、御せなくてどうする、リサ=ヴィクセン。

「ご招待に預かりましょう」

 もしかすると、アハトノインを通して見られているかもしれないと思い、リサはわざとふてぶてしい態度を取った。
 M4を仕舞いもしなかったが、特に気にかけることも別の表情を見せることもなく、「では、どうぞ」と先を歩いてゆく。
 人間であれば、まだおちょくることもできたのだが。
 そういった意味でも面白くないと思いつつリサはアハトノインに続いた。

「ところで、質問は許可されているのかしら」
「命令にはありません。もうしばらくお待ちください」
「……面白くないわね」
「申し訳ありません。その命令は実行できません」

 口に出すだけ無駄だろうとリサは結論した。
 それにしても応対まで簡素そのものだとは。ほしのゆめみなら、もっと面白い答えで受け答えしてくれるのに。
 ほんの少し付き合っただけだが、リサはアハトノインを通して製作者の人間性が改めて分かったような気がした。
 ひどくつまらない。男としての魅力は皆無といっていい。

「英二なら、そもそも自ら出向いてくる、か。比較するのも失礼だったかな」

 わざと聞こえるように言ってみたが、返ってきたのは無言だけだった。
 やはりつまらない。廊下を通り過ぎ、階段を下りてゆくアハトノインの背中を見ながらリサは嘆息した。

870終点/あなたを想いたい:2010/08/27(金) 21:14:19 ID:w1hhOi020
     *     *     *

十四時十五分/高天原格納庫

「……こいつは」

 目の前に聳え立つ、高さ5m以上はあるかという物体を見上げながら高槻は想像以上の代物が出てきたことに驚いているようだった。
 無理もないな、と朝霧麻亜子は思う。こんなもの、どうやって破壊しろというのか。
 戦車なのかロボットなのか、それとも別の兵器とも判断できないそれは今は休止中なのだろうか、
 間接部のライトをチカチカと輝かせているだけで動く気配を見せていなかった。
 しかし動いてはいなくとも、頭頂部に配置されている大型の筒は息を呑むほどの威圧感があり、例えるなら玉座に鎮座する大王、といった佇まいだった。
 恐らくは戦車砲かなにかなのだろう。それにしては鋭角的なデザインだとも思ったが、最新鋭の兵器というものはこういうものなのかもしれない。

「どうするのさ」

 ただ立ち尽くしているわけにもいかず、麻亜子は腕を組んだまま見上げている高槻に問いかけた。
 ほしのゆめみは相変わらず高槻一筋といった振る舞いで、特に何もしていなかったからだ。

「見ろ」

 首を少しだけ動かし、高槻はとある一点を指し示したようだった。
 視線の先を追うと、大型筒の下のあたりに、取っ手らしきものがあるのが見えた。

「コックピット?」
「だろうさ。ちょいと狭そうだが、あの大きさなら少なくとも二人は入れる」
「おい、まさか」
「ここであれを奪わなくてどうする」

 麻亜子は頭を抱えた。あんな最新鋭の兵器、動かせるはずがないではないか。
 確かに、面白そうだとは思うが。
 ここで面白そうだから動かしてみたいと思ってしまっている自分がいることに気づき、麻亜子はため息をもう一つ増やした。
 玩具みたいに簡単にできるはずがないと感じてはいても、それがどうしたやってみなければ分からんという考えもある。
 どうも学校生活の中で、あらゆる無茶に挑んでみたくなるのが習い性として定着してしまったらしい。

871終点/あなたを想いたい:2010/08/27(金) 21:14:39 ID:w1hhOi020
「動かせる自信あるの?」
「ない」

 随分きっぱりと高槻は言ってくれた。「なんだよそれ」と呆れ混じりの口調で返すと「動けばいいんだよ、事故っても」と、
 本気なのか冗談なのかも分からぬ答えが返ってきた。

「ま、いざとなればあのレールガンぶっ放せばいいだけの話だ」

 それが出来るのか、という質問は置いておくことにした。
 実現性はともかくとして、手当たり次第に暴れまわるという発想は面白そうだと麻亜子も感じたからだった。
 結局のところ、面白さを第一義にして動くという性分はどんなに辛酸を舐め尽くしても変わることはないのだろう。
 それでもいいか、と結論付ける。自分の人生、好きなように決めて行動してもいい。好きなように行動するという選択肢が、今の自分にはある。

「よし分かった。その覚悟に免じて先鋒となってハッチを開ける任務を与えよう」
「あ?」
「何だよ、言いだしっぺの法則を忘れたか高槻一等兵」
「……」

 ジロリ、と睨まれる。どうもまだ高槻は自分に対して警戒心が強く、心を許してくれていない部分があるようだった。
 当然か、とも思う。考えている以上に因縁は深く、一生を費やしても埋めきれない溝であるのかもしれない。
 それでもと麻亜子は反論する。どんなに人殺しの業が深くても、最低な人間だったとしてもそれで終わるわけにはいかない。
 どんな暗闇に落ちたとしても、そこから這い上がれるだけの力を人間は持っているのだと知ることができたのだから。

「分かった。行きゃあいいんだろ。でもな、ひとつ確認していいか」
「?」
「あすこまで、どうやって行くよ」
「……」

872終点/あなたを想いたい:2010/08/27(金) 21:15:00 ID:w1hhOi020
 取っ手は四脚に支えられた台の上にあり、脚立か何かを使わなければ取り付くこともできそうになかった。
 脚から這い上がろうにも、表面は滑らかであり、ロッククライミングまがいのことも不可能そうだ。

「つまりだ、俺が上がろうと思えばお前ら二人で俺を肩車しろってことなんだが、できるかチビ」
「あー!? チビって言ったかこいつ! できねーよ! 悪かったなこんちくしょう!」
「お、落ち着いてください……わたしは恐らく大丈夫だとは思いますが」

 麻亜子はゆめみを睨んだ。スレンダーな体。けれども割と高い身長。その上力持ち。萌え要素のツインテール。

「完璧超人め! もげろ!」
「はい?」

 もげろの意味が分からなかったらしく、小首を傾げられる。しかもかわいい。

「ま、そういうことだ」

 ポン、と肩を叩かれる。高槻はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべていた。
 多少は溜飲を下げたのかもしれなかった。それはそれで何か苛立たしい気分ではあった。
 かといって男に肩車できるだけの膂力はなかった麻亜子に返しの一手が浮かぶはずもなく、先鋒を務めなければならない我が身に嘆息するしかなかった。
 キック力なら負けないのに。
 どこか言い訳のように心中で呟きながら、麻亜子は「分かった。行きゃあいいんでしょ」と承諾した。

「あ、スカートの中見るなら100円な」
「見ねえよ。そもそもスカートじゃないだろが」

 麻亜子は自分を確認してみた。体操着だった。すっかり忘れていた。おまけに普通のズボン。

「ちっ」
「露骨に舌打ちすんな。大体てめぇのような貧相なガキのパンツ一枚見たところで興奮しねえよ。中学生じゃねえんだ」

873終点/あなたを想いたい:2010/08/27(金) 21:15:30 ID:w1hhOi020
 本当に興味なさそうに言っていたので、なにかますます悔しい気分になる。
 何が一番悔しいかというと、全く持って高槻の言ったことが全て真実であることだった。

「ふん。あたしでも需要はあるんだもんね」
「ロリコンはな、年齢もロリじゃねえと納得しないもんだ」
「あー!? あたしが年増だってか!」
「悔しかったら胸増やしてボインになってみろよバーカバーカ!」
「胸なんかいらんわっ! あんなもん年食ったら垂れて使いもんにならんもんねー! バーカ!」
「負け惜しみしてんじゃねえよ幼児体型!」
「んだとテンパのくせに!」
「ててててめぇ! せめてウェーブって言えこの野郎!」
「やーいやーい悔しかったらサラサラストレートにしてみろってんだ」
「ばっ、こういうのは個性っていうんだよ! 分からんのかこの低身長!」
「お二人とも、小学生のような喧嘩はやめてくださいっ!」

 珍しくゆめみが声を荒げたこともあったが、それ以上に小学生の喧嘩という指摘があまりにも的確だった。
 なんで張り合ってたんだろうと今更のように感じながら、同様の感想を抱いていたらしい高槻と一緒に大きくため息をついた。
 そのタイミングまで一緒だったので「けっ」と言ってやったが、全く同じタイミングで向こうも「けっ」と言っていた。

 なんなんだよ、これ。

 言い表しがたい気分を抱えながら、麻亜子は渋々といった感じで座り込んだ高槻の肩に乗り込む。
 更にその高槻をゆめみが下から肩車する。肩車の三段重ねだった。
 バランスが崩れるかと多少不安な気持ちだったが、予想外にしっかりと固定してくれていて、揺れることすらなかった。
 いかにもぶすっとしているのに、がっちりと足を掴んでくれている高槻の手が妙に頼れるものに思えてしまい、麻亜子は何か居心地の悪くなる気分だった。
 やるべきことをちゃんとやっていると言えばその通りなのだが、歯がゆいというのか、くすぐったくなるような気持ちだった。

874終点/あなたを想いたい:2010/08/27(金) 21:15:52 ID:w1hhOi020
「おい、さっさと開けろって」

 考え事をしていたからなのか、目の前に取っ手があることにも気づけなかった。
 何やってんだろ、あたし。
 自分でも整理のつかない気持ちを抱えながら、それを少しでも晴らすべく麻亜子は話を振った。

「ねえ、あたし軽いでしょ」
「……そりゃな」

 流石に事実までは否定してこないようだった。

「胸があったら重かっただろうねー」
「代わりに下乳が俺の頭に触れるかもしれないってドリームがあるから問題ない」
「……あんたさ、意外にスケベな」
「セクハラ大魔王のお前にゃ言われたくないね」
「うっさいな」

 言いながら、麻亜子は少し吹き出してしまっていた。
 ああ、似ているのだ、自分達は。
 あまりにも似すぎているから戸惑ったのかもしれない。
 わけもない対抗心も、自分達が似ているからなのだろうか。

「んなこたどうでもいいからとっとと開けろよ」
「はいはい……ここか、せーのっ」

 意外に取っ手は重く、若干の反動がかかることは承知の上で両手で引っ張る。
 しばらく力を込めるとハッチは簡単に開いた。
 が、その瞬間目の前が揺れた。

875終点/あなたを想いたい:2010/08/27(金) 21:16:18 ID:w1hhOi020
「うわわっ!? なになに!?」
「う、動き出しました!」
「何だと!?」


『侵入者を確認。これより対象の排除にかかります。セーフモード解除、Mk43L/e、シオマネキ、起動します』


 げっ、と麻亜子も高槻も、そしてゆめみでさえも漏らした。
 地震が起こったのではなく、目の前の『シオマネキ』が動き出したのだった。
 それも自分達をターゲットに、殲滅するように。
 開いたままのハッチから、僅かに操縦席が見えた。
 しかしそれは操縦席と呼べるようなものではなく、複雑に回線が絡み合った、一種のコンピュータのようであった。
 その配線群に紛れ込むようにして、いや配線に繋がれている、ひとつの影と目が合った。
 目は赤く、それでいて瞳の中には何も宿してはいなかった。
 この目を、自分は知っている。
 そう知覚したとき、目の下にある口腔が開き、一つの言葉を発した。

「あなたを、赦しましょう」

 ぐらりと麻亜子の体が揺れた。
 動き出したシオマネキから離れるべく、高槻とゆめみが自分を下ろしにかかったのだろう。
 ハッチの中はもう見えない。ただ――
 シオマネキも、アハトノインであるということが分かった。

     *     *     *

876終点/あなたを想いたい:2010/08/27(金) 21:16:41 ID:w1hhOi020
十四時四分/高天原司令室

「ようこそ我が『高天原』へ。歓迎しますよ、ミス・ヴィクセン」
「歓迎会の迎えにしちゃ遅いんじゃないの? エスコートの下手な男は嫌われるわよ、ミスター・サリンジャー」

 それは失礼、と軽薄な笑みを作ったまま、デイビッド・サリンジャーは豪奢な作りの椅子に腰掛け、足を組んだ。
 敵が目の前にいるというのに、殺されるなどとは微塵も感じていない態度だった。
 武器も持っていないのに? この自信は背後に控えているアハトノインによるものなのだろうか。
 直接交戦したとはいえ、まだその真の性能を把握してはいない。この殺人ロボットに、果たして一対一で勝てるか。
 考えている間に口を開いたのはサリンジャーだった。

「いつまでもお互い口上を述べていても仕方がありません。早速本題に入るとしましょうか。私は意外とせっかちでしてね」
「あら。せっかちな男も女には逃げられやすいわよ」
「性分なんですよ。なにせ元がプログラマーですから。迅速に結果を出さなければいけない仕事も多かったんですよ」
「今はどうなのかしら」
「そうですねえ……神なんていかがですかね」

 ジョークにしてもいささかつまらなさ過ぎるとリサは返事を寄越すのも躊躇った。
 上がいなくなったからといって、神様気取りか。くだらない、たなぼた的に地位を獲得しただけではないか。
 当人は面白いとでも思っているのか、くくっと忍び笑いをしている。リサは想像していたよりずっと小さい男だと感想を結んだ。

 デイビッド・サリンジャー。篁の元に潜入していたときに、何度か出会ったことがある。
 機械工学部のチーフプログラマーであり、最新技術の研究をしていたと聞く。
 当時のリサはサリンジャーのことまで気にしている余裕はなく、せいぜいその程度の情報くらいしか知らなかった。
 まさか篁の側近クラスであり、ここまでの地位とは思わなかったが……
 しかし、アハトノインの性能を見る限りサリンジャーはプログラマーとしては一流だということは感じていた。
 その人間性はともかくとして、ロボットに殺人させるアルゴリズムを組み込める技術者をリサは知らない。可能であるとすれば姫百合珊瑚くらいのものだろう。
 だから篁に目をつけられた。己がためならどんな非道でもやってのける残虐な性格であるのは、ここまでの経過を見ても明らかだ。

「素晴らしいロボットね、貴方の『アハトノイン』は。戦闘できるロボットなんて初めて見たわ」
「そうでしょうそうでしょう! いやあ苦労したんですよ。何せオーダー元……篁総帥の仕様が無茶苦茶でしてね。頭を悩ませたものです」

 饒舌に話すサリンジャー。放っておくといつまでも喋りそうな勢いだった。
 会話するのも億劫になってきたリサはさっさと結論を引き出すべく、サリンジャーの口を遮って次の疑問を出した。

877終点/あなたを想いたい:2010/08/27(金) 21:17:07 ID:w1hhOi020
「それで、このロボットを使って貴方は何をするつもりなのかしら」
「神の国の建設ですよ」

 また神か。いい加減うんざりしてきたので、露骨に呆れてみせた。
 まあまあとサリンジャーは猫なで声でなだめすかす。それがまたリサの心を刺激し、苛立たせた。
 この男、人をイラつかせるのだけは一人前なのかもしれないとリサは評価を改めた。マイナスの方向に。

「夢物語なんかじゃありませんよ。この高天原と私の忠実な下僕がいればね」
「ロボット軍団で世界征服でもしようっての?」
「その通り」

 大正解、とでも言いたげな表情だった。
 馬鹿じゃないのと言いたくもなったが、それすら呆れによって言い出す気力も失せた。
 まるでSF小説か映画の世界だ。一体何をどう考えればそのような発想に辿り着くのかと驚きさえ覚える。

「アハトノイン達の実力は皆さん確認済みでしょう? あれ、実は意外とリミッターかけてましてね。
 ここをなるべく傷つけさせないために銃の使用を控えるように言ってしまったんですよ。
 いやはや。流石に分が悪いかと思いましたが結構そうでもなかったようで。今二体破壊されてしまっているんですが、三人も殺せてるんですよ。
 上出来でしょう? 近接武器だけで強力な武器を持ったあなた方を三人。全力ならとっくに全員死んでますよ」

 テストで想像以上の点数を取れたことを自慢するようにサリンジャーは述べる。
 ここで見ていた。命を賭けて戦っていた皆の姿を実験する目でしか見ていない。
 その上、机上の空論だけで全員殺せるなどとのたまう姿に、流石のリサも怒りを覚え始めてきた。
 表情にもいつの間にか出てしまっていたらしく「おっと、怒らないでくださいよ」と全く悪びれてもいない声でサリンジャーに言われる。
 それがますますリサの怒りを逆撫でした。
 スッ、と胸の底が冷たくなり、殺意が鋭敏に研ぎ澄まされてゆく。
 こんなつまらない男の掌で転がされていたのかと思うと、情けないというより笑い出したい気分になる。
 仇などと言うのも惜しい。そうするだけの価値も意味もない。
 口に出して証明するまでもない。こんな男より柳川祐也や緒方英二、美坂栞の方が余程優れているし魅力的だった。
 だから負けるはずがない。こんな男に殺されるはずがない。
 リサは黙ってM4の銃口を持ち上げ、サリンジャーへと向けた。

878終点/あなたを想いたい:2010/08/27(金) 21:17:52 ID:w1hhOi020
「まあ話は最後まで聞いてくださいよ。我ながら魅力的な提案だと思いますよ? ここから先の話は」

 椅子を横に回転させ、流し目でこちらを見ながらサリンジャーは言った。
 銃口を向けられているというのに、全く微動だにしていない。即座にアハトノインが守ってくれるという余裕があるからなのだろうか。
 それとも、本当に自分の話が魅力的だと思っているのか。
 どちらにしても思い上がりも甚だしい。
 見た目だけは二枚目なサリンジャーの細い顔を見ながら、リサは冷めたままの感情で続きを聞いた。

「高天原の設備、そして篁財閥の財力なら量産することも不可能ではない。それにこちらには核もある。
 つまり、我々は武力と経済力のどちらも握っているわけです。面白いゲームになると思いますよ?
 人間の軍隊が圧倒的な差で我が神の軍隊に敗れてゆく様はね。私達はここでその様を眺めていればいい」
「たかが核くらいで何をいい気になってるの? 撃つ設備も必要だし、何より撃ったところでアメリカを初めとした先進国には迎撃できるだけの力もある。
 撃ち返すことだってできる。いやそうするまでもないわ。撃った場所を確認して空爆すればそこで終わり。貴方の言う神の軍隊とやらには戦う必要もないのよ」
「それがそれが、話はそうじゃないんですよねえ」

 ここが肝心要というように、サリンジャーは愉快そうに笑う。
 対照的に眉を険しくしたリサに「いいですか、ポイントは二つあります」と先生が生徒に教える口調でサリンジャーが続ける。

「まず一つ。貴女の言う反撃は核を撃った場所が特定できなければならない」
「特定は容易よ。熱探知でどうにでも」
「その熱を全く使わない、つまり、推進力にエンジンを使わない核弾頭を撃てるとしたら?」
「は?」
「あるんですよ、こちらには。『シオマネキ』がね」
「『シオマネキ』ですって!?」

 その返答こそを待っていたかのようにサリンジャーは愉悦の笑みを漏らした。
 Mk43L/e、通称シオマネキ。世界初の自動砲撃戦車であり、四脚とローラーによる走行はどんな悪路をも走破し、
 回転式の砲座に設置されたレールキャノンで発見した対象を確実に破壊する。
 米軍で極秘裏に開発されていたのだが、肝心のAIの製作が滞り、現在は計画も凍結されていたはずだ。
 それ以前に四脚による走行すらも危うく、とても実戦に投入できるような代物でもなかった。

879終点/あなたを想いたい:2010/08/27(金) 21:18:31 ID:w1hhOi020
「米軍が諦めてしまったのでね。こちらで研究を続けさせていただきました。中々興味深くて面白かったですよ?
 まあ話し始めると長くなるので、要点だけ話しましょう。我々は、『シオマネキ』のレールキャノンで核弾頭を撃てる。
 撃てるんですよ。探知も迎撃もできない核弾頭をね。文字通りのステルスだ。どうです面白いでしょう?」
「……」

 リサは何も言えなかった。正確には、探知することは不可能ではない。
 だが迎撃は難しい。サリンジャーの言う通り、シオマネキで狙撃することが可能なレベルのレールキャノンである場合、
 弾頭はとてもではないが迎撃はできない。最低でも、一発は核による砲撃を許すことになる。
 いやそれだってシオマネキが一体であるならばの話で、仮に量産されたとしたら……?

「更に言うなら、『シオマネキ』は量産する必要もないんですよ。貴女はこの島は固定だと思っているようですが、実はそうではない。
 移動可能なんですよ、この島は。動かしていないだけでね。エネルギーさえ確保できれば動かせますよ。今だって、何の問題もなくね」
「……つまり、探知しても正確な位置の割り出しは不可能」
「察しが良くて助かります。まあそれでも優秀な米軍あたりなら空爆だって仕掛けられるかもしれませんが、それも問題ないんですよ」
「まだ何かあるっていうの……!?」
「ええ。ですが、流石にここからは企業秘密に当たるので話せませんね。貴女が私の陣営に加わるなら話は別ですが」
「私を引き入れるって言うの……?」
「出自やこれまでの経緯はどうでも構いません。貴女は優秀だ。そこらへんのSPなどよりもはるかにね。
 どうです? 私の護衛になってみませんか? 待遇は望むようにしますが? ああ、他の参加者連中を逃してくれってのは出来ませんよ?」

 まるでリサが入ることは確定事項だとでもいうようにサリンジャーは聞いてもいないことを喋り続ける。
 は、とリサは嗤った。
 捕捉も迎撃も不可能な核。人間を凌駕するロボット兵器。まだ隠されているなにか――それがどうした?
 結局のところ、全て篁の遺産ではないか。他人の褌で相撲を取っているに過ぎない。
 この男自身の力は何もない。自らの力で何も成し遂げようとはせず、転がり込んできた玩具で遊ぼうとしているだけ。
 くだらない。そんなくだらない遊びに付き合うほど暇ではないし、魅力の欠片も感じない。
 プレゼンとしてもゼロ点以下だ。どんなつまらない話かと失笑を期待してみたが……それ以下だった。
 そして何より、自分を、リサ・ヴィクセンという女をコケにされたようで、気に入らなかった。

880終点/あなたを想いたい:2010/08/27(金) 21:18:53 ID:w1hhOi020
 この私が? 地獄の雌狐と言われたこの私が、他人に尻尾を振るとでも思っていたのか?
 今ある未来から背き、泡沫でしかないものに身を委ねろという言葉に本気で従うと思っていたのか?
 そんな言葉で、私は動かされない。
 私が動かされるのは、いつだって生きている言葉、自分を生きさせてくれる言葉だ。

「――お断りよ。クソ野郎」

 今度こそ、何の感慨もなくリサはM4のトリガーを引き絞った。
 サリンジャーに殺到した5.56mmNATO弾は一言の命乞いも許さず、綺麗にサリンジャーの頭に風穴を開けるはずだった。

「それはそれは……残念です」
「……っ!?」

 だが、サリンジャーに弾丸は当たらなかった。否、見たものが正しければ、弾丸が逸れた。
 まるで当たることを拒否したかのように綺麗に逸れていったのだ。
 サリンジャーの傍らにいるアハトノインは寸分の動きも見せなかった。彼女が何かをしたというわけではない。
 けれどもサリンジャーが動いたわけでもなかった。これはどういうことなのか。

「特別ですから、企業秘密を教えて差し上げましょうか」

 表にこそ出していなかったものの、内心の動揺をあざとく感じ取ったらしいサリンジャーが冷笑を浮かべながら言った。
 自らが絶対有利だと安心する笑いであり、こちらを見下した笑い。
 優越感のみによって構成された彼の表情は、あまりにも似合いすぎていた。これが、奴の本性か。

「先程言いましたね、米軍の空爆ごときなんでもない、と」

 横を向いていたサリンジャーが再び正面に体を戻すと同時に、ポケットから長方形の、携帯電話サイズの物体を取り出した。
 あれがマジックの種だとでも言うのか? 疑問を抱いたリサに応えるようにサリンジャーは手で弄びながら続けた。

881終点/あなたを想いたい:2010/08/27(金) 21:19:14 ID:w1hhOi020
「これがその答えです。総帥は『ラストリゾート』と言っていましたがね」
「……完成していたのね」
「おや存在だけは知ってたようですね。性能までは知らなかったみたいですが。そう、これが究極の盾。
 あらゆる銃撃、爆撃を無効化する夢のような兵器ですよ。どんな原理なのかは私も知らないんですがね。
 まるで魔法みたいでしょう? 今のテクノロジーを使えば、奇跡も幻想も作り出せる」

 サリンジャーは勝ち誇ったようにしながらも、「だが総帥は」と一転して吐き捨てるように言った。

「これだけの力がありながら、それを『根の国』だのとかいう訳の分からないところに攻め入るためだけに用いようとした……
 全く、宝の持ち腐れですよ。私のアハトノインもね。だから私が使うんですよ」
「貴方の自己顕示欲を満たすためだけに? はっ、どっちもどっちね」

 もう一発。射撃を試みたが、やはりサリンジャーには命中しない。
 どうやら常時発動型のシステムらしい。だがアハトノインが近くに控えている以上、接近不可能というわけでもなさそうだ。
 ――つまり。

「私の理論が正しいということを証明するだけですよ。間違っているのは私じゃない。世界だ」

 冷静を装って振舞っていながらも、その根底に卑小なものが潜んでいるのをリサは見逃さなかった。
 間違いを認めたくないだけの我侭な男だ。一度失敗したからといってやり直す気概も持てず、不貞腐れて漂っている間に玩具を拾っていい気になっているだけ。
 そこいらの高校生にも劣る小物でしかない。

「だから、貴方は負けるのよ!」

 リサは高速でサリンジャーに詰め寄った。『ラストリゾート』さえ奪ってしまえば恐れるに足りない。
 流石に意図を読み取ったらしいサリンジャーはアハトノインに「近づかせるな!」と盾にしたが、止められると思っていたのか。
 M4を構え、フルオートで射撃する。完全に接近戦の構えだったアハトノインは回避動作さえしなかった。
 だが。

882終点/あなたを想いたい:2010/08/27(金) 21:19:35 ID:w1hhOi020
「っ! こいつも……!」

 M4の弾が逸れる。避けられなかったのではない。避けなかったのだ。
 アハトノインも、『ラストリゾート』を装備している。
 グルカ刀を抜き放ったのを見たリサは一転して回避へと変じる。袈裟に切り下ろされるグルカ刀をかろうじて回避し、一旦距離を取る。

「危ない危ない……さて、ショーと参りましょうか。私のアハトノインと地獄の雌狐。どちらが強いかをね」

 悠然と座ったままのサリンジャーは、コロシアムの観客を気取っているようだった。
 なら、そこから引き摺り下ろしてやる。今すぐにだ。
 サバイバルナイフを取り出し、逆手に構える。対するアハトノインもグルカ刀を真っ直ぐに構えた。

883名無しさん:2010/08/27(金) 21:20:47 ID:w1hhOi020
ここまでが第一部となります

884終点/《Mk43L/e》:2010/08/27(金) 21:22:42 ID:w1hhOi020
十四時二十分/高天原格納庫

「ちょっちょっちょっとー! どうしてくれんのこれ!」
「うるせえ馬鹿! 言う前に考えろ!」
「お二人とも、言い争いは……!」

 四脚が振り回される。低いモーター音の唸りと共に迫る鉄棒を、三人は紙一重、しゃがんで回避する。
 鈍重そうな外見からは考えられないほど動きは俊敏で、逃げようとしてもすぐに回り込まれる。
 事実、先程の攻撃も髪を掠めていた。不味い、とほしのゆめみの頭脳は分析する。
 シオマネキの装甲はどれほどのものなのか、スペックは知りようもないが手持ちの携行武器だけで破壊できるはずがない。
 だからこそ高槻はシオマネキを奪おうとしたのだし、その発想は正しい。
 しかし、実際に動き出してしまった。どうすればいいのか。
 逃げるのが一番いい手段ではある。だが逃げられない。誰かが囮になってですら。
 シオマネキがバックし、前面にある二連装のチェンガンを傾ける。

「してる場合じゃないなっ!」

 発射される寸前、高槻の放ったM79の榴弾がシオマネキのチェンガン砲塔に命中し、爆炎を吹き上げる。
 代わりに補助装備と思われる側面の機関砲を移動しつつ斉射してきたが、急場しのぎの攻撃だったのか格納庫の壁に罅を入れただけに留まる。
 それを機に麻亜子が離れ、ゆめみもまた弾かれるようにして移動を開始した。
 一箇所に留まっていては的にされるだけだ。彼女はそう感じて行動したのに違いなかった。

「よし……装甲以外なら効く可能性がある!」

 ならば無力化することだって不可能ではない。ゆめみは忍者刀を手に突進する。
 素早く側面を向いたシオマネキが機関砲の掃射を開始したが、砲塔の旋回もできない固定砲台である側面砲を避けることは難しくない。
 動き自体は素早いが、大丈夫だとゆめみは判断した。
 四脚の足元まで辿り着く。即座に脚が振り回されたが、格闘AIに切り替わっているゆめみに見切れないはずはなかった。
 横に薙がれた脚をジャンプして回避し、そのまま主砲頭頂部へと飛び乗る。
 異変を察知して振り落とそうとしたが、しっかりと左手で機体を掴む。残った右手で忍者刀を逆手に持ち替えて突き刺してみたが、通るはずもなく弾き返される。
 やはり外部からの攻撃は不可能なようだ。ならば次の行動はと行動パターンの羅列を行おうと考えたとき、回り込んでいた麻亜子の声が聞こえた。

「ハッチ開けたときに見えたけど、あの中にアハトノインがいた! あいつがきっとこれ動かしてる!」
「了解しました!」

885終点/《Mk43L/e》:2010/08/27(金) 21:23:19 ID:w1hhOi020
 つまり、ハッチの内部に入ってアハトノインを倒す、もしくは彼女を繋いでいる回線を切ってしまえばいい。
 外殻が硬いならば、内側から切り崩せばいい。当たり前の戦術だったが、それこそが一番有効なのだとプログラムを通じてゆめみは理解していた。
 未だに振り落とされぬゆめみに苛立ったか、シオマネキが大きく上下に揺れ動く。落差の激しい動きに足がぐらついたものの、意地でもゆめみは手放さなかった。
 この機会を逃せば次はない可能性は高い。それは理由のひとつであったが、もっと大きな理由があった。
 失敗を繰り返したくはないから。
 沢渡真琴が命を落としたとき。小牧郁乃が岸田洋一に襲われたとき。ゆめみは何もできなかった。
 『お客様』の安全を守るはずの自分はどうしようもない無力を晒すばかりだった。
 戦闘向きではない。状況が悪かった。理屈をつけるならばいくらだってできた。
 けれどもそんな理由付けをしたところで命は帰ってこない。失われた生命の重さが軽くなるわけでもない。
 以前にそんな自分自身を『こわれている』とゆめみは評した。
 間違ってはいないのだろう。与えられた使命を遂行することもできず、何が正しかったのか、何が間違っていたのか、正確な答えも出せていない。
 ロボットにあるまじき、曖昧に答えを濁したままの自分は、きっとこわれている。
 だからこそ……今がこわれているからこそ、次は成功させなければならない。
 行うことを止めてしまったら、きっとそのまま、自分は何者でもありはしないまま瓦礫の山に埋もれてゆくのだろう。
 それは受け入れるべきではなかったから。今の自分がやりたいことは、人間の役に立つことなのだから。
 何があっても、ここでやり通さなければならない。

 シオマネキはしばらく暴れていたが、どうにも振り落とせないことが分かったらしく一旦上下の動きを停止した。
 行ける。ゆめみは動き出そうとしたが、今度は猛烈な勢いで前進を始めた。
 強烈な慣性がかかり、後ろへと押し流されそうになる。砲塔を掴んで再び張り付くことには成功したが、代わりに目に入ったのはターゲットにされた高槻の姿だった。
 殺害する対象を変更したのだ。理解したゆめみは狙いを変えようと自ら飛び降りようとしたが「やめろ!」という高槻の怒声に阻まれる。

「いいからそのままやれ! こっちは心配するなっ!」
「で、ですが……!」

 人間を助ける。それこそがゆめみの作られた目的であり、存在している理由。
 それをやめろと言われて、ならば自分はどうすればいいのか。
 加熱する思考回路は矛盾する状況に今にも焼き切れそうだったが、まだこわれるわけにはいかない。
 それが望まれていないと分かっていながら、ゆめみは高槻の援護に回る行動を選択しようとした。

「来るなって言ってんだ! 命令だ!」

 命令。その一語を捉えた耳が手放す寸前だった砲塔を掴ませる。
 高槻にそう言われれば、やるしかない。だがそれでは、人間を助けられるのか?
 再び迷いが生まれる。あるはずのない逡巡が起こる。まただ。いつも過ちを犯すときは、この迷いが生まれる。
 命令に従え。だがそれでやれるべきことを果たせるのか。命令。やるべきこと。わたしは、どちらを――

「いいから! アイツは心配しなくたって大丈夫! あたしらはゆめみさんを信じてるから!
 今なんとかできるのはゆめみさんだけなんだよっ! だからちっとは……自分を信じなよっ!」

886終点/《Mk43L/e》:2010/08/27(金) 21:23:48 ID:w1hhOi020
 思考に割って入ったのは麻亜子だった。シオマネキの背後に陣取った彼女はイングラムを構えていた。
 シオマネキの右部にあるレドーム目掛けて乱射する。レーダーの役割を果たしているそこは言わば目とも言うべき場所だった。
 生命線を狙撃され、火花を散らし、円形の盾のようにも見えるレドームがグラグラと揺れた。
 すぐさまバックして後ろの脚で麻亜子を蹴り飛ばす。ギリギリまで射撃していた麻亜子のイングラムが弾き飛ばされ、本人も余波を食らって大きく吹き飛ばされる。
 そのままローラーで押し潰そうとするのを、今度は高槻が遮った。
 最後の榴弾。脚を狙撃された脚部が榴弾の破片を貰い、ガリガリと不協和音を立て、次の瞬間にはローラーの一部が弾け飛んだ。
 バランスを崩し、傾くシオマネキ。ゆめみは必死に掴まりながら、彼らの言葉を聞いた。

「おい美味しいとこ持ってくんじゃねえよ! 俺が言おうと思ってたんだぞ!」
「へーん! 言ったもん勝ちだぞぅー! 悔しかったらもっといいタイミングで言ってみろよほれほれー!」
「お前ぇ! 後で殴る! 殴り倒す!」
「はっはっはー! ねえねえどんな気持ちー?」

 いつもの会話だった。死線の中にいるというのに、まるで彼らは変わらなかった。
 信じているとはこういうことなのだとゆめみは理解することにした。その場を全力で生きること。それが未来に繋がるのだと。
 何も諦めてなどいない。一挙手一投足を他人に預けつつも、やれることをやっている。

 なら、わたしもあの人達に倣えばいい。

 それで自らの目標が達成できると断じたゆめみはもう振り向かなかった。
 ハッチを目指す。その一念だけを胸に、ゆめみは僅かでも前に進めるように足を動かした。
 周囲からは二人の怒号、機関砲が掃射される音、四脚が大地を踏みしだく音が聞こえている。
 ゆめみ自身も必死にしがみついてじりじりとしか進めていない。動力を全開にしてこの程度なのだから、
 麻亜子が言った、「ゆめみにしか出来ない」という言葉は真実なのかもしれなかった。
 思う。考える。他人の期待を背負ったことは、初めてだった。
 自分ならばやりとげてくれるだろうという信頼。
 別に失敗しても代わりはいる、所詮は量産品でしかないという認識しかなかったゆめみには、現在も思考回路の中を巡っているこのデータの意味が分からなかった。
 この『気持ち』。やらなければいけないではなく、絶対にやってみせると言葉を書き換えているこの『気持ち』のデータは何なのだろう。
 知ったところで、ロボットでしかない自分が真の意味で理解できることはないのかもしれない。
 けれども、なればこそ、その意味を解き明かし、後世のロボット達に伝えてゆくのも自分達の役割ではないかとゆめみは感じた。
 それが責任。存在している者全てが背負う、責任という言葉の重さだった。

887終点/《Mk43L/e》:2010/08/27(金) 21:25:09 ID:w1hhOi020
「よし……!」

 ハッチは未だに開け放しになっている。侵入するのは容易い。
 一足で飛んで辿り着けるように脚部に力を込める。後はいつ飛ぶか。
 タイミングを窺っていたそのときだった。
 シオマネキ側面にあるレドームが、ギョロリとこちらを凝視したような気がした。
 まるで視線のように感じ、何かあるのかとゆめみは感じたが、それが既に遅かった。
 ひゅっ、と右腕を何かが駆け抜ける。痛覚を持たないゆめみは何があったのか理解できなかった。
 理解できたのは――ふと見た右腕が、丸ごとなくなっているのを見たときだった。

「えっ……?」

 呆気に取られた声を出すと同時に、またこれが起こりうると電子頭脳が咄嗟に答えを出し、体を反らさせていた。
 人間であればもう少し反応が遅れていただろう。体を捻った次の瞬間、ごうと唸りをあげてそれまでゆめみの頭があった場所を小型のワイヤーアンカーが通過していた。
 あれがゆめみの右腕を忍者刀ごと持っていったのだ。恐らく機体を固定するためのものを、攻撃に転化したのだろう。
 腕がなくなった異変を下の二人も察知したらしく、次々に声がかかった。

「ゆめみっ!」「ゆめみさん!」
「だ、大丈夫です、痛くはありませ……」

 応えようとしたとき、三発目のワイヤーアンカーが発射された。返事を已む無く中断し、回避しようとしたものの足場が不安定過ぎた。
 ずるっ、と足元が滑る。踏み外したと認識したと同時、ワイヤーアンカーがゆめみのいた場所を通過し、背後の壁へと刺さった。
 既に三つ刺さっている。引き抜かれる気配こそなかったものの、ゆめみの状況は最悪だった。
 片腕だけで機体の角に掴まっている状態でしかなく、さらに前後左右に激しく揺れるためいつ振り落とされてもおかしくなかった。
 ぐっ、とゆめみは歯を食いしばった。人間はこうすることで土壇場でも力を発揮できるのだという。
 まるで願掛けだった。しかし今はなんでもいい、ここから打開するためならどんなことでもしてみせなければならない。

「馬鹿! 気にしてる暇あったら……」

888終点/《Mk43L/e》:2010/08/27(金) 21:25:50 ID:w1hhOi020
 いつもの叱る高槻の声はそこで中断された。
 動きが鈍くなったのを敏感に察知したシオマネキが再び目標を切り替えたのだった。
 さらに運の悪いことに、高槻がいる位置は機関砲の真正面だった。
 高槻の声が、機関砲の掃射音に呑まれた。壁からもうもうと粉塵があがり、高槻の姿が見えなくなる。
 やられた、とゆめみは判断しかけたが、直後に聞こえたぴこぴこー! という鳴き声が粉塵を突っ切って飛び出してくる。
 ポテトだった。M79をくわえ、軽やかにシオマネキの背へと降り立つ。

「ゆめみ、プレゼントだ! 大事に使えよ!」

 生きていた。体中埃だらけで汚れながらも、しぶとく高槻は機関砲を避けきった。
 ボロボロになって倒れていたが、それでも生きている。
 はい、と答えようとした刹那、今度は四脚が振りかざされる。
 動けなくなったところをローラーで押し潰そうとしているのに違いなかった。

「そうはいかんざき!」

 麻亜子が体ごと飛び込み、高槻ごとごろごろと転がる。
 俊敏で目の広い麻亜子でなければ間に合わなかった。
 それでもギリギリでローラーが掠ったらしく、麻亜子の背中からは血の川が滲んでいた。

「ぴこっ!」

 指が引っ張られる。お返ししてやれ、と言ってくれている。
 散々いたぶったツケをお前が返せと、力強く引っ張ってくれている。
 ええ、とゆめみは応じた。

 わたしのお客様に手を出した代金は、しっかりと払っていただきます。

 一銭の釣りも残さない。綺麗に支払ってやる。
 体のばねを総動員し、腕の力一つでゆめみはシオマネキに復帰した。
 人間ならばよじ登らなければならない。だがゆめみは機械だ。こんなことくらい簡単にできなくてどうする。
 M79を拾い、そのまま空中へと跳躍。
 シオマネキ――いや、アハトノインの失敗は、自分をロボットではなく、人間と同じように認識してしまったことだ。

889終点/《Mk43L/e》:2010/08/27(金) 21:26:15 ID:w1hhOi020
 人間では為し得ないことだって……わたしには、できる!

 横飛びの体勢のまま、全く姿勢をブレさせることもなく……ゆめみは、M79から火炎弾を発射した。
 火炎弾が吸い込まれるようにハッチの中へと突入してゆく。
 着弾する寸前、信じられないというように目を見開いたアハトノインの姿を、ゆめみは見逃さなかった。
 哀れだとも、悲しいとも思わなかった。ロボットは所詮――ロボットでしかない。
 けれども……行為で感情を表すことも自分達にはできると、そう知っているゆめみは、別れの言葉を紡いだ。

「お待ちしております」

 爆発的に広がった炎の波に飲まれたアハトノインがどんな表情を浮かべたのかは、知ることができなかった。

     *     *     *

890終点/《Mk43L/e》:2010/08/27(金) 21:26:40 ID:w1hhOi020
十四時三十分/高天原格納庫

 内部から派手に炎を吹いたシオマネキとやらは脚をガクンと折ってそのまま動かなくなった。
 現在も煙がもうもうと上がり続けている。火災防止装置がそのうち作動するだろう。また濡れるのは面倒だな……
 今も俺の横でキュルキュルと唸りを上げて回転しているシオマネキのローラーとハッチを交互に眺めながら俺はそんなことを思っていた。
 結局奪い取ることはできないわ武器を使いまくるわで骨折り損のくたびれもうけだったような気がする。
 こんなのばっかだな。三歩進んで二歩下がるとかそんな感じだ。
 はぁ、と溜息をつく。疲れた。もう走りたくもない。
 でも立たなきゃいけないんだよな。かったるい。誰かどこでもドア持ってきてくれないもんかね。

「ご無事で何よりです」

 が、ひょっこりと現れたのは片腕がなくなったゆめみさんだった。
 ケーブルやら金属骨格やらが露出している姿を見るとやっぱロボットだなと思った。
 俺達なんかよりも遥かに優れている。羨ましいもんだ。

「そっちも無事……じゃ、ないな」
「修理が必要です」

 その割には全然何でもなさそうににっこりと笑う。可愛らしいが、どこか憎らしい微笑みだった。
 ボリボリと頭をかきつつ立ち上がる。その隣ではまだまーりゃんが寝ていた。こいつ。こんなときに寝てるんじゃねえよ。
 蹴っ飛ばしてやろうかと思ったが、身を挺して助けられた手前そんなことは出来ない。俺はこう見えても仁義に厚いのさ。
 別に驚いても嬉しくもない。本当だぞ?

「おい、起きろ」
「ん……くぅ……」

 軽く揺さぶってやると、まーりゃんは苦悶の表情を浮かべた。背中の血は止まっていない。
 あれだけでかいのにやられたんだ、物凄く痛いのには違いない。が、悠長に寝ている暇を与えるほど余裕はない。
 もうボロボロなんだ。ここらで俺達はスタコラサッサと逃げたいところだった。
 最低限の破壊活動はした、はず。
 もう一度叩いてやろうかと思ったところで、大きな地響きがしてここも激しく揺れやがった。
 しかも何かが崩れるような音もして、さらにヤバげなことに、俺達の近くでそれが起こったらしい。
 ガン、ガラガラという崩落の音が今も聞こえてくる。

891終点/《Mk43L/e》:2010/08/27(金) 21:27:04 ID:w1hhOi020
「今のは……」
「あまりここにもいられねぇな」

 そして、崩落が起こったらしい場所は俺達がやってきたルートにあったらしいということだ。
 ――つまり。

「あの、わたし、他の皆さんが心配ですので、少々様子を」
「その必要はない。行くな」
「ですが」
「言いたくないこと言わせるな。あいつらは、死んだ」

 そのつもりはなかったはずなのに、凄みを利かせた言葉にしてしまった。
 どうやら俺もあいつらは嫌いではなかったらしい。
 俺の言葉にゆめみは泣きそうな表情を浮かべ、ゆっくりと頭を下げた。

「……申し訳ありません」

 言葉の裏を読み取れない自分を恥じるように、ゆめみはしばらく頭を上げることもなかった。
 ロボットは、優秀だが、不完全だった。
 俺も言うまでもなく不完全だ。ひとつだって気の利いた言葉も出てこないしあいつらに向ける言葉だって浮かんでこない。
 頭で考えていることといえば、今この状況にどう対処するかということくらいだ。

 そうとも。俺達はこんなことしかできない。
 その都度その都度微妙に異なる道を選んでいるだけで全く新しい道を選ぶことなんて出来やしない。
 でも、そうして生きていくしかない。選んだ道の積み重ねがマシになってるはずだと信じて。
 今は生きることだけを考えろ。自分の目に見えるものを生かすことだけを考えろ。
 俺はもう一度まーりゃんの頭を叩いた。

892終点/《Mk43L/e》:2010/08/27(金) 21:27:26 ID:w1hhOi020
「起きろ。寝てる暇ねえぞ」
「無茶言わないでよ……結構痛かったんだぞ、アレ」
「自業自得だ」

 まーりゃんは一瞬色を失い、「そうかもね」と自虐的な笑みを浮かべた。
 それで俺は理解したのだが、過去に遡っての皮肉を言ったのだと思われたみたいだった。
 単にあのバカげた飛び込みに対して軽く言ったつもりだったのだが、自分で作ってしまった溝を放置した結果がこの有様だった。
 流石のゆめみも不安げな表情でこちらを凝視している。違うぞ。
 これこそ自業自得というやつだった。確かにまーりゃんは嫌いだ。だが憎いってわけじゃない。
 ……身を挺して守られて悪いなんて思えるわけがない。
 少なくとも、今の俺はここで何かを言葉にする必要があった。ほんの少しだけレールの向きを変える新しい言葉を。

「……でもな、お前を放っておくわけにもいかない」
「死なれると気分が悪いから?」
「違う。そこまで性根悪くねえよ」

 俺は倒れたままのまーりゃんに手を差し出したが、奴は遠慮するように手を引っ込めたままだった。
 こういう奴なんだと、今の俺は知っている。
 自分以外には積極的に動けるくせに、肝心な自分のこととなると臆病になっている。
 いや多分、奴と出会っていたときから俺はそれがわかっていたのだろう。
 奴にとっての親友を守ろうとした行動。全員のためにけじめを取った行動。
 ……傷ついてまで、俺を守ろうとした行動。
 羨ましかったのかもしれない。そして、理解したくなかったのかもしれない。
 何かから逃げるためだとしても、何かを誤魔化すためのものだったとしても。
 終始自分のことしか考えず、冷めた目でしか周囲を見てこれなかった俺自身が全く持ってないものを持っていたからだ。
 今は?
 理解した今、俺は自分と違い過ぎる奴にどうすればいいのか?
 決まっている。羨ましいなら……手に入れてしまえばいい。

893終点/《Mk43L/e》:2010/08/27(金) 21:27:57 ID:w1hhOi020
「お前が、必要なんだ」

 結局自分本位で動くことが根底に残っているのは変えようがない。
 だがそれがどうした。欲しいものを得るために他者と付き合うのだって悪くないはずだ。
 それも選択肢のひとつ。
 俺が手を取って無理矢理引っ張り上げてやると、しばらく面食らった顔をして俺を見ていたが、やがて照れ臭そうに顔を赤くして視線を逸らした。

「……別に、あたし一人で立てたよ」

 そうは言うものの、背中のダメージは思っている以上らしく一歩進むだけで痛そうな顔になっている。

「立てても歩けないようじゃな」
「うるっさいなー」
「ほれ」

 脇の下に頭を入れ、支えるようにして肩を組んでやる。
 小柄なまーりゃんの体の線はやっぱり細く、期待はずれもいいところだった。
 ちっ、もっとむっちりしとけってんだ。
 まーりゃんはしばらく複雑そうな顔をしていたが、俺が逃すはずもないので逃げられず、仕方なくという様子で合わせて歩き始めた。
 身長の違う奴に合わせて歩くのは中々難儀だったが、まあ出来なくもない。
 さてどこに向かったものかと考えていると、図ったかのようにポテトがぴこぴこと尻尾を揺らしていた。
 こっちに来いってか。
 手回しのいい犬だった。こいつとの腐れ縁もまだまだ続きそうだった。

「ゆめみ」
「はい」
「先にポテトと一緒に行って何か杖みたいなもの探して来い。少しは楽になるだろ」
「了解しました」

894終点/《Mk43L/e》:2010/08/27(金) 21:28:15 ID:w1hhOi020
 言うが早いか、ゆめみは片腕なのにバランスを全く崩さず小走りにポテトのところまで行く。
 その様子を見ながら、まーりゃんがはぁと溜息をついていた。

「なんかさー、あたし年寄り扱いされてない?」
「るせぇ、だったら歩いてみろドチビ」
「んだと天パのくせに」
「何だとコラ」
「やるかー?」

 ガルルル、と勝負の視線を絡ませたところで「お二人ともー、小学生の喧嘩はそこまでにしておいてくださいー」とゆめみが間延びした声で言っていた。
 今度は、二人分の溜息が出ていた。やれやれだ。

「行くか」
「そだね」

     *     *     *

895終点/《Mk43L/e》:2010/08/27(金) 21:28:41 ID:w1hhOi020
十四時二十分/高天原コントロールルーム

 一目見て、ことみはここだ、と直感した。
 ウォプタルから降りてコンソールを目指す。
 体中に巻いた包帯から鈍痛が走り、ことみの体を痛めたが動きが鈍るほどではない。
 コンソールは複数あり、たくさんの人員で動かしていたのだと窺い知ることができる。
 不思議なのはそのいずれもに電源がついたままだということだったが、構うことなくことみはコンソールを弄り始めた。
 罠だと思う。しかし罠だとしても、かかる前に逃げてしまえばいい。逃げるのは得意だ。
 片目が潰されているせいか、半分になってしまった視界では画面が見にくく、かなりの距離まで近づけなければ見ることすら覚束ない。
 単に疲労しているからかもしれない。想像以上の苦痛、想像以上の疲弊の中にいて、なお動けているのは極限状態での人間の生きようとする力そのものか。
 全く、この世の中は不思議で満ち溢れているとことみは思った。
 人殺しを強要された状況で人生の目的を見つけ出せたことも意外なら、巡り巡って両親の最後の言葉が聞けたことも意外。
 どちらも決して、自分が手に入れられないものだと思っていたのに。
 どんな苦境に立たされたとしても、生きてさえいればこんな偶然に巡り合うことだってできる。それを改めて実感させられた気分だった。

「ん〜……ここでもない」

 可能な限り早くキーボードを叩きながら、ことみはこの施設のマップを探していた。
 脱出路への近道さえ分かれば。通信機能と合わせれば皆を迅速にここから出させることができる。
 しかしシステムの構造はかなり複雑であり、しかもことごとく英字であったため、探すのも一手間だった。
 読むことが得意ではあったため詰まることはなかったのだが、何しろかなり独特の言葉が入り混じっていたため、いつもの感覚ではなかった。
 今まで紙の書面ばかり読んできたが、これからは電子書籍にも触れてみようと詮無いことを考えつつ、
 ツリー状に表示されたシステム構造のマッピングから怪しいものを手当たり次第にクリックしてゆく。
 と、画面上に表示された文字で目を引くものがあった。

「アハトノイン……の、AI?」

 遠隔操作で命令を伝えるシステムなのだろうか。今時はこんな技術もあるのかと関心しつつ、ことみは試しにこのシステムを実行してみることにした。
 仮に命令を操作できるなら、今戦っているアハトノインを全員無力化することだって可能なはず。
 多少計画から逸れてしまうが、ないよりあったほうがいい。よし、と気合いを入れ、システムへの潜入を試みる。
 しかしいきなり行く手を阻まれる。この手のシステムにはよくある、セキュリティ用のパスワードの入力画面だった。
 当然ことみがその内容を知るわけがない。だがこちらにだって心強い武器があるのだ。ぺろりと舌なめずりして、ことみはあるプログラムを呼び出した。
 それはここに突入する際、ワームを侵入させたと同時に組み込んだプログラム。姫百合珊瑚が作った即興のハックツールだった。
 流石に天才というべきなのか、ツールというだけあって操作は簡単でありシステムをそのまま放り込めば勝手に解析してくれるという優れものだった。
 ただし、莫大な計算を行うためなのかやたら重くなってしまうという欠点があり、解析中は他の動作が行えないという欠点があった。
 だがそれを差し引いても優秀な代物には違いない。例のシステムを放り込み、解析を待つ。その間に他のコンソールもちょこちょこと弄ることにした。

896終点/《Mk43L/e》:2010/08/27(金) 21:29:29 ID:w1hhOi020
「『ラストリゾート』? ……うーん、すごい。バリア展開装置なんてSFなの」

 次に見たコンソールはラストリゾートというバリアシステム専門のコンソールらしかった。
 詳しいことまではよく分からなかったものの、凄まじい演算速度を持つコンピュータである『チルシス・アマント』を使って力場を起こし、
 物理的障壁を起こすというものらしかった。物理好きなことみは心動かされるものがあったが、流石に紐解いている時間があるはずもない。
 ラストリゾートの起動には専用の装置が必要であり、かつここでないと使用が不可能とあったので、こちら側で使うことは不可能だろう。
 とはいえ、これも止めておいて損はない。ことみはこのシステムも呼び出そうとして、またもやパスワードに阻まれる。

「……えいっ」

 ツールに放り込んで、結果を待つ。なんとも機械任せだと嘆息するが、自分は天才ハッカーでもなんでもないし、このくらいが関の山なのだろう。
 椅子に腰掛けて一息つく。こういう時間がもどかしい。ただ待つだけの時間にも、そろそろうんざりしてきた。
 昔はそうでもなかったのだが。堪え性がなくなったのだろうかとことみは考えた。
 いや違う。待つことがつまらないのではなく、行動している楽しさを知ったからなのだろう。
 少ない時間だったとはいえ、自由に行動し、様々な言葉を交わすことのできた学校でのひと時は楽しかった。
 一人で篭っているよりも、ずっと。
 比較する対象ができてしまえばそんなものだった。今は、知ることも遊ぶことも大事だと思っている。
 そういえば趣味の一つも持っていなかった我が身を自覚して、帰ったら何か始めてみようとことみは思った。
 何がいいだろうか。パッとは思いつかない。音楽もやってはいたが、習い事であったし何か違うと思っていた。
 そうだ、確か家の周りが荒れ放題になっていたから、まずはそこを綺麗にしてみよう。
 趣味とは言いがたいが、まあ園芸でも好きになれるかもしれない。長い人生だ、色々試してみるのも悪くはない――

「……!」

 様々に思いを巡らせかけたとき、視界の上の方で移るモニタにあるものが映ったのをことみは見逃さなかった。
 こちらへと向かって歩いてくる一団。人数は五、六人くらいだろうか。
 いやそんなことはどうでもよかった。ことみは部屋の外に待機していたウォプタルを呼び寄せようとして、それが遅きに過ぎたことを目撃して実感した。
 悲鳴のような鳴き声を上げ、ウォプタルが首をかき切られて倒れた。思わず立ち上がり、ことみは先程の一団が部屋に侵入してくるのを眺める。
 アハトノインだった。それぞれにグルカ刀を持ち、のろのろとこちらに向かって歩いてくる。
 以前目撃したものとタイプは同じなのだろうか。だとしたら命はない。コンソールを見るが、アハトノインのAI管理画面はまだ出てこない。

897終点/《Mk43L/e》:2010/08/27(金) 21:29:51 ID:w1hhOi020
 遅かったか。後悔するより先に、ことみはM700を構えて撃った。
 先頭を歩いていたアハトノインの胸部に直撃し、倒れる。起き上がってくるかと思ったが、そのまま動くことはなかった。
 他のアハトノイン達も行動を変えることもなく、そのまま前進するだけだった。
 いける……? 恐慌しかけている精神を必死で抑えつつ、ことみはさらに射撃してみた。
 もう一体、倒れる。起き上がることはない。自分ひとりでも十分対処可能だと判断したことみは間髪入れず射撃を続けた。
 二体、三体。倒しても倒しても残ったアハトノインが前進を続けてくる。
 一歩近づかれるたびに鈍く光るグルカ刀に怖気を感じるが、逃げも隠れもできない以上やるしかない。
 やれやれ、と思う。熱中しすぎて機会を逃してしまうのもいつもと変わりない。
 追い詰められてはいても、寧ろ平時以上にどこか冷静になっている部分は聖から受け継いだのかもしれない。
 今までの自分なら、怯えてロクに銃も握れなかっただろうから。
 五体目を倒す。銃を撃ち続けたせいかズキリと肩が痛んだ。まだだ。まだ一体残っている。
 渋面を作りながらもしっかりと最後の一体をポイントした。距離はある。十分すぎるほど間に合うと断じて、ことみはトリガーを引いた。

「あ、れ……?」

 だが、弾丸が出なかった。弾切れと判断した瞬間、アハトノインがグルカ刀を振りかぶった。
 あの距離から!?
 半ば恐慌状態に陥りつつも、ことみは少しでも逃れるように、コンソールに背中を思い切り押し付けた。
 ぶん、と刀が縦に振られた。銀色の線を引いたグルカ刀はことみの膝をギリギリで掠め、空を切った。
 想像以上の射程だったことにヒヤリとしつつコンソールから離れる。何か音を発していたような気がしたが構っている暇はなかった。
 懐からベレッタM92を取り出し、発砲する。
 しかし先のM700と違い、きちんと狙いをつけていなかったためか連射しても全弾外してしまった。
 しっかりしろと自分に叫びながら今度こそしっかりと狙いをつけようとして……アハトノインが突きの構えを取ったのを見た。
 もう攻撃することも忘れ、遮二無二後ろに下がる。今度は肩を刀が抉る。チリッとした熱さが肩を巡り、ことみは「ぐうっ!」と短い悲鳴を上げた。
 そのままよろけ、後ろに下がる。雑魚相手にこの様か。悔しさを覚えながらも痛さでそれ以上何も考えられず、ただ下がるしかなかった。
 ぶんと再度刀が振られ、次は伸ばしたままの腕を切られる。包帯がはらりと解け、切られた部分が赤く染まる。
 せっかく治療したのに。焼け付く痛みを必死で我慢しながら後退しようとしたが、どんと何かにぶつかる。壁だった。

898終点/《Mk43L/e》:2010/08/27(金) 21:30:10 ID:w1hhOi020
 もう逃げ場はない。
 正面を見ると、無表情にこちらを凝視し、グルカ刀を真っ直ぐに構えたアハトノインがいた。
 殺してやるという意志もなく、ただ作業のひとつとして人間を殺そうとしている。
 それを理解した瞬間、ことみの中で俄かに熱が湧き上がり、全身を巡る血を滾らせ、痛みを吹き飛ばした。

 物みたいに殺されてたまるか。そんな人間らしくない死に方なんて、私は絶対に認めない。

 決死の形相を作り、ことみは攻撃されるのも構わずベレッタM92を向けた。
 同時にアハトノインも腕を引いた。突きだろう。そして自分の攻撃が間に合う間に合わないに関わらず、確実にそれは到達する。
 構うものか。僅かに生じた恐れさえ、自らに内在する熱情に押し流されすぐに姿を消した。
 後悔はない。自分で選んだ選択肢なのだから……!
 力の限りベレッタM92を連射すると同時、アハトノインの腕がばね仕掛けのように動いた。

     *     *     *

899終点/《Mk43L/e》:2010/08/27(金) 21:31:43 ID:w1hhOi020
十四時二十七分/高天原司令室

 高速で振り回されたグルカ刀を弾き、そのまま懐に飛び込む形で体当たりする。
 しかし思いの外アハトノインの体は重たく想定のダメージすら与えられていないようだった。
 僅かに身じろぎしただけで、今度はアハトノインの肘が振り落とされる。
 舌打ちしつつ捌き、ついでにと一発蹴りを放つ。
 アハトノインは上体を器用に反らして横に回避。そのまま移動しつつ斬りつけようとしたが、
 サバイバルナイフでガードし間一髪で防ぐ。防御できなければそのままリサの首を吹き飛ばしていたであろうグルカ刀とリサのナイフがせめぎ合う。
 重量があり刀身も長いグルカ刀とあくまでも小型のナイフでしかないサバイバルナイフとでは分が悪いことは承知している。
 刀身を少しずらし、滑らせるようにしてグルカ刀にかかっていた力を受け流す。前のめりに注力していたアハトノインは抗する力がなくなった分前へと動き、
 その隙を突いてリサが再び距離を取る。先程からこれの繰り返し。一進一退と言えば聞こえはいいが、実際はこちらがどうにか防いでいる状況でしかなかった。

 一撃として有効なダメージが与えられていない。やはり格闘戦では向こうに分があるということなのだろうか。
 一瞬でも気を抜けばあっという間に距離を詰めてくる瞬発力。的確にこちらの急所を攻撃してくる精度。こちらの攻撃をあっさりと回避する運動能力。
 正しく全てが一流の動きだった。タイマンというシチュエーションならば那須宗一でも互角とはいかないだろう。
 以前あっさりと倒せたのは不意打ちや精度の高い射撃を駆使していたからか。
 アハトノインを冷静に分析しつつも、リサは安全なところに退避もせずに戦いを眺めているサリンジャーの方に目を移した。
 自分が殺されるなどとは微塵も思っていない傲慢が冷笑を含んだ目とふんぞり返った姿からも分かる。
 実に気に入らない。その気になれば手を出せる距離なのに、サリンジャーに狙いを変えた瞬間アハトノインが割り込んでくる。
 恐らく最優先で守るべき対象に設定しているのだろう。せめてラストリゾートさえ無効化できれば手の打ちようはあるのだが。
 接近しての格闘では絶対にアハトノインには敵わない。それはれっきとした事実だ。
 それを踏まえ、なお勝つためにはどうすればいいか。
 最善の手段を模索し、リサは腰を落としながらアハトノインにじりじりと近づく。

「期待外れですねぇ、リサ=ヴィクセン。そんなものですか、地獄の雌狐の実力は」
「……まだ体が暖まってないだけよ」
「そうですかそうですか。それではもう少し遊んで差し上げろ」

 サリンジャーが顎で指示すると、アハトノインが少しだけ踵を浮かせた。
 飛ぶつもりか? そう考えたとき、ガシャンという音と共にローラーが足の裏から飛び出した。

「面白い玩具ね……!」

900終点/《Mk43L/e》:2010/08/27(金) 21:32:06 ID:w1hhOi020
 挑発の言葉を投げかけられるのはそれが精一杯だった。
 脚部の動力をそのまま使用して回転させているらしいローラーが唸りを上げる。
 まるでローラースケートを履いているかのようなアハトノインは、しかしそんなものとは比較にならないスピードで接近してきた。
 すれ違い様に斬りつけられる。分かりやすい動きだったために剣筋を見切るのは容易いことだったが、パワーが今までの比ではなかった。
 加速力を上乗せされたグルカ刀による一撃はナイフで受け止めようとしたリサの体をあっさりと吹き飛ばした。
 無様に転ぶことこそなかったものの、腕にはじんとした痺れが残り、筋肉が悲鳴を上げている。
 すれ違った後、アハトノインはローラーを器用に使って品定めでもするようにリサの周りを旋回している。
 爪を噛みたい気分だった。代わりに顔を渋面に変え、次の攻撃に備える。
 備えきったのを待っていたかのように、アハトノインが角度を急激に変え再接近してくる。
 加えて更に急加速をしていた。次も今までの速度と同じならと甘い期待をしていたリサは対応が間に合わなかった。
 脇腹をグルカ刀が擦過し、焼けた棒を押し付けられたような痛みが走る。
 僅かにたたらを踏んだリサに畳み掛けるように、通り抜けたはずのアハトノインがUターンして迫っていた。
 息つく暇のない連続攻撃。完全に体勢を立て直すこともままならないまま、リサは攻撃を受け続ける。
 顔を、腕を、肩を、足を、上体を、腰を、あらゆる体の部分をグルカ刀が抉る。
 リサだからこそギリギリで致命傷は免れていたものの、傷の総量は無視できないレベルにまで達していた。
 次の突撃が迫る。攻撃は直線的ゆえ、読めればかわせないものではなかった。剣筋を判断し、横に避けつつナイフで軌道を逸らす。
 そうして攻撃を回避し続けてきたが、先に限界がきたのはナイフの方だった。
 グルカ刀と触れ合った瞬間、ナイフに罅が入り刀身の一部がぱらりと落ちた。
 もう受け止めきれない……! く、と歯噛みするリサに、目ざとく感じ取ったらしいサリンジャーが哄笑する。

「おや、もう終わりですか? 私のアハトノインはまだまだ行けますよ?」
「黙りなさい……!」
「なんでしたら武器をくれてやってもいいんですよ? なに、ちょっとした余興ですよ」

 明らかにこちらを見下し、支配しようとしている男の姿だった。
 少しずつ痛めつけては僅かに妥協を仄めかし、そうして人を諦めの境地に誘ってゆく。
 つまるところ、この男は自分と同等の人間にさせたいだけなのだろう。
 自らは決して劣等ではない。それを証明するために、他者も同じ劣等の格まで下げてしまえばいいと断じているのがサリンジャーなのだろう。
 全員が卑屈になってしまえば、恐れるものはない。全員が同じなら、優れているのは自分なのだ、と。
 柳川と相対したときのような人間の闇、虚無を感じる一方で、柳川ほどの恐ろしさも価値もないとリサは感じていた。

901終点/《Mk43L/e》:2010/08/27(金) 21:32:31 ID:w1hhOi020
 サリンジャーの発する言葉には何も重みも圧力もない。人を殺しきるだけの力もない。
 当然だ。誰かの尻馬に乗り、好機と判断すれば裏切り、より力のある方に付いているだけの人間は、結局支配されているのと何も変わりない。
 それでいて自らの弱みを隠しもせず、寧ろ他者に受け入れてくれとだだをこねているような態度を、誰が恐れるものか。
 私が積み上げてきたものはこの程度のものに屈しない。
 リサは無言でサリンジャーを見つめた。もはや怒りも哀れみの感情もなく、ただの敵、つまらないだけの敵として冷めた感情で見ることができていた。
 サリンジャーは気に入らないというように露骨に表情を変え、負け惜しみするように言った。

「死を選ぶとは、つまらないことをする……やれ」

 アハトノインが自身を急回転させ、こちらに方向を変じて突進してくる。
 まだ行ける。今の自分の感情なら、どんな状況だって冷静に見据えることができるはずだ……!
 ナイフを構え直したその瞬間。
 ぐらりと地面が揺れる。
 眩暈や立ちくらみなどではなかった。まるで突発的な地震でも起こったかのように地面が揺れていた。
 急な振動に対応できずにアハトノインがバランスを崩し、コースから逸れた。
 千載一遇の好機と瞬時に判断し、リサがアハトノインの元へと駆ける。
 距離は少しあった。およそ十メートル前後というところか。アハトノインが起き上がるのに一秒。こちらに追いつくまで数秒。
 十分だ。リサは僅かに笑みの形を作り、しかしすぐに裂帛の気合いを声にしていた。

「何をしてる! 私を守れっ!」

 背後に動く気配はない。既に起き上がっているはずのアハトノインは、なぜか微塵も動く気配を見せていなかった。
 何かが違う。異変が起こっていると感じたのはリサだけで、単に動きが鈍いと思っているだけのサリンジャーはヒステリックな声を張り上げるだけだった。

「く、くそっ! 役たたずめ!」

902終点/《Mk43L/e》:2010/08/27(金) 21:33:01 ID:w1hhOi020
 それまでの余裕が嘘のように恐慌そのものの表情を作り、椅子を倒しつつサリンジャーが逃げ出す。
 所詮は元プログラマー。加えて丸腰の人間にリサが負ける道理はなかった。
 サリンジャーは必死に、部屋の奥にある扉を目指す。距離は殆どなかった。恐らく、万が一のために逃げやすい位置に陣取っていたのだろう。
 そう考えると最初から余裕などなかったのだと思うことができ、リサは冷静にM4を取り出して構えることができた。
 扉を潰す。取っ手を破壊してしまえば逃げられない。
 扉の取っ手は小さく、距離は七、八メートル。フルオートにすればいける。
 レバーを変え、フルオートにしたのを確認した後、トリガーに手をかける。
 だが危機察知能力だけは優秀らしいサリンジャーが気付き、意図を読んだようだった。

「ら、ラストリゾートを最大出力に……!」

 既に指は装置に届いていた。間に合うか、と感じたもののトリガーに指はかかっていた。
 ラストリゾートが発動している今、サリンジャーの目論見どおりに弾は逸れ、弾丸は全て外れるはずだった。

「……な……?」

 だが、弾は逸れることはなく、取っ手に当たることもなく……綺麗に、サリンジャーの背中を捉えていた。
 サリンジャーの背中を狙ったものではなかったのに。
 ぐらりと倒れるサリンジャーの手から、ラストリゾートが離れる。
 血は出ていないことから、中に最新鋭の防弾スーツでも着込んでいたのかもしれない。
 ともあれ、最後の楽園から追放された男の哀れな姿がそこにあった。

「ば、馬鹿な……なぜ収束している……く、くそ……故障か……」

 恐らく、違うだろうとリサは感じた。
 アハトノインがまだ動かないこと。そして不可解なラストリゾートの動作。
 考えられる可能性は一つしかない。誰かが操作系統を弄ったのだ。
 誰がやったのかは分からないし、検討もつかなかったが、感謝するのは後だった。
 ラストリゾートが使えない今、サリンジャーを倒すのは今しかない――!
 M4を向けたリサに、ギロリと凝視していたサリンジャーと目が合った。

903終点/《Mk43L/e》:2010/08/27(金) 21:33:55 ID:w1hhOi020
『ここで死ぬわけにはいかないんだよ、猿がっ……!』

 いきなり発されたドイツ語。その意味を理解しようと一瞬空白になったその間。
 隙を見逃さず、サリンジャーは懐からスタン・グレネードを取り出し、爆発させた。
 凄まじい閃光と爆発。訓練を受けていたリサは気絶こそしなかったものの一時的に視覚と聴覚を奪われる。
 真っ白になった感覚の中で、リサは己にも聞こえないサリンジャーの名前を叫んだ。

     *     *     *

904終点/《Mk43L/e》:2010/08/27(金) 21:34:20 ID:w1hhOi020
十四時三十分/高天原コントロールルーム

 アハトノインは、石像のようになったままピクリとも動くことはなかった。
 綺麗に。芸術的に。そして奇跡的に。
 彼女の突き出したグルカ刀は――刃先の、その先端がことみの右胸に触れる形で停止していた。
 もう一秒でも遅ければ胸を深く貫いたグルカ刀はことみの心臓を破壊し、生命を奪っていたのだろう。
 突きつけたままのベレッタM92を未だに下ろせず、ことみは慣れようのない緊張と生きていることの驚きを実感していた。
 疲れてもいないのに息が荒い。体が苦しい。だがその苦痛がたまらなく嬉しいのだった。
 なぜ止まったのかは分からない。額に穴を開けたまま、茫漠とした瞳で、何も捉えることのない金髪の修道女は答えを教えてはくれないのだろう。
 必ず相打ちだろうと予測していたのに。まるで壁にでも突き当たったようにアハトノインはその動きを止めている。
 何かが起こったことは明らかだったのだが、アハトノインそのものが物言わぬ骸になってしまったため調べようもない。
 ベレッタM92を撃った前後で激しい地震のようなものも感じたが、それが原因なのだろうか。

 ともかく、今言えることは刃先を突き付けられたままでは心臓に悪いということだった。
 修道女の体を蹴り倒し、壁際から脱出する。どうと音を立てて倒れたアハトノインは奇妙なことに、死後硬直にでもなったかのように全く体勢を変えていなかった。
 機能を停止した彼女は最後に何を感じていたのか。それとも何も感じていなかったのか。
 見下ろした視線に一つの感慨を浮かべたが、すぐにそれも次の行うべきことの前に霞み、頭の片隅に留まる程度になった。
 生きているのならば、まだやることがある。
 コンソールに取り付き、作業の続きを行おうとしたところで、ことみは全ての真相を知った。

「……偶然って、怖いの」

 画面の中ではアハトノインの機能を停止させ、然る後に再起動する命令が実行されていた。
 グルカ刀を振られ、コンソールに倒れこんでしまったはずみで起動していたのだろう。
 悪運と言うべきなのか、それとも運命の悪戯と表現するべきなのか。
 少し考えて、ことみはくすっと微笑を漏らしてからこう表現することにした。

「運も実力のうち」

 隣のラストリゾート管理装置も時を同じくして起動していたらしい。
 効果の程は定かではないが、とりあえず『拡散』から『収束』にモードを変えておく。
 ラストリゾートが物理的に攻撃を遮断する仕組みは力場によって力の向き、つまりベクトルを外側にずらすことによって擬似的なバリアを張るといったものだった。
 そこでベクトルのずらす向きを外側ではなく内側へと変更した。攻撃が集まるということだ。
 実際ラストリゾートが起動しているかすら分かってはいないのだが……

905終点/《Mk43L/e》:2010/08/27(金) 21:34:43 ID:w1hhOi020
 とりあえず、やれることはここまでだ。後は何とかしてここから逃げ出すだけ。
 ことみは物言わぬ骸となってしまったウォプタルの遺骸を寂寥を含んだ目で眺めた。
 正体不明で、どんな動物なのかも分からなかった。最後の最後まで、人間に従って死を受け入れていった動物。
 血を流し、ぐったりとして動かないウォプタルは役割を終えて眠りについているようにも見えた。
 もしかすると、この動物はここで生み出され、殺し合いゲームのためだけに作られたのかもしれないと訳もなくことみは感じた。
 確証があったわけではないし、ただの勘でしかなかったが、あまりにも大人し過ぎた死に様がそう思わせたのだった。
 さよなら、と心の中で呟いてからことみは部屋を抜け出した。

 ここまで運んでくれてありがとう。
 後は――自分の足で、歩く。

 以外に体は軽かった。血を流して、血液が足りていないのかもしれない。
 どちらでも良かった。今はただ、自分を信じて足を動かすだけだ。
 小走りではあったが、ことみの足はしっかりと動き前を目指していた。
 途中で包帯を直していないことにも気付いたが、この動いている体を感じているとどうでもいいと思い直し、
 赤くなった包帯をはためかせながら走ることを続行した。
 そういえば、と包帯を見ながら、タスキリレーに似ているとことみはぼんやりと思った。
 何を繋ぐためのリレーなのかは、分からなかったが。

     *     *     *

906終点/《Mk43L/e》:2010/08/27(金) 21:35:25 ID:w1hhOi020
十四時三十二分/高天原

『クソッ、クソックソッ! 猿どもめ!』

 口汚く己を脅かす者共を罵りながら、サリンジャーは対人機甲兵器がある格納庫へと足を運んでいた。
 何故こうまで上手くいかない。こちらの勝利は完璧だったはずではないのか。
 怒りの形相を浮かび上がらせるサリンジャーの頭の中には何が失策だったのかと反省する色は見えず、役立たずと化したアハトノイン達に対する不満しかなかった。
 AIは完璧だった。搭載したシステムも同じく。ならばハードそのものが悪かったとしか考えられない。
 予算さえケチっていなければこうはならなかったものを。
 少し前までは真反対の、賞賛する言葉しかかけていなかったはずのサリンジャーは、今は機体の側に文句をつけ始めていた。

『復讐してやる……猿どもめ、今に見ていろ……』

 呪詛の言葉を吐きながら、サリンジャーはカードキーをリーダーに押し付け、続けて暗証番号を入力する。
 パワードスーツとも言うべき特殊装備が配備された格納庫。軍人でなくとも楽に扱え、
 それでいてHEAT装甲による通常兵器の殆どを無力化する防御力となだらかな動作性による運動力。
 単純な戦闘能力ではアハトノインを遥かに凌駕するあの兵器で全員抹殺してやる。
 サリンジャーは逃げることなどとうに考えず、自分を辱めた連中に対する報復しか考えていなかった。
 そうしなければ自分はこれから先、ずっと敗北者でしかいられなくなってしまう。
 理論を否定され、機体を破壊され、それどころか受け継いだ篁財閥の力すら扱えずに逃げるというのは到底許しがたいことだった。

 所詮負け犬などその程度。

 いないはずの篁総帥や醍醐にせせら笑われているような気がして、サリンジャーはふざけるなと反駁した。
 今回は違う。ここにあるアレはハード面から設計を担当しているし、機能までも完全に把握済みだ。
 下手な軍人よりも遥かに上手に使いこなせる自信がある。
 結局のところ、最後に信用できるのは自分だけか――他者に僅かでも任せた部分のあるアハトノインを信用していたことを恥じつつ、暗証番号の入力を完了する。

『ちっ、網膜照合もあるのか……急いでるんだよ私はっ!』

 電子音声による案内すら今の自分を阻害しているようにしか感じない。
 苛々しつつ目を開いて照合させると、ピッと解錠された音が聞こえ、格納庫へと通じるドアが開いた。
 確認した瞬間、サリンジャーの手元で火花が散った。続いてバチバチとショートした音を立てるキーロックが、敵が来たことを知らせていた。

「サリンジャー!」

907終点/《Mk43L/e》:2010/08/27(金) 21:35:51 ID:w1hhOi020
 リサ=ヴィクセンだった。早過ぎる。閃光手榴弾まで放ったのにもう追いついてきたことに怖気を覚えながらも、サリンジャーは格納庫へと逃げ込む。
 ちらりと確認したが距離はまだ十分ある。そもそも距離が近ければリサが外す道理もない。
 立方体のような形状の格納庫の奥では、神殿にある石像のように安置された人型の物体があった。
 静かに佇み、暗視装置のついた緑色の眼でサリンジャーを見下ろしている。まるで来るのを待っていたかのように。
 やはり最後に信用できるのは自分だけだ。屈折した笑みを浮かべながら、サリンジャーは乗り込むべく像の足元まで走った。
 直後、リサ=ヴィクセンが格納庫に侵入してくる。扉が開いたままだったのはキーロックが破壊されたからなのだろう。
 だがもうそんなことも関係ない。パネルを動かし、コクピットを下ろす。
 股間、いや正確には胸部から降りてきたコクピットにはマニピュレーター操作用のリモコンと脚部操作用のフットペダルがある。
 試験動作は完了していた。サリンジャー自身でやっていたので今度こそ故障はない。
 一旦中に入ってしまえば外と内の分厚い二重装甲が自分を守ってくれる。
 さらにパイロットを暑さから守るための冷却装置も搭載しているため、たとえ蒸し風呂にされようがこちらは平気だ。
 再三安全を確認したところで、リサ=ヴィクセンの追い縋る声が聞こえた。

「逃げても無駄よ……! 貴方はここで終わり!」
「死ぬのは貴女達ですよ。私に逆らったことを後悔させてあげますよ! 貴女が大切にしようとしていたミサカシオリのようにね!」

 ふんと笑ってみせると、リサ=ヴィクセンの目から冷たいものが走った。完全に殺す目だ。
 関係ない。精々追い詰めた気になっているがいい。コクピットに乗り込みパネルを操作すると、一時視界が闇に閉ざされた。
 完全密閉型になっているためだ。だが機械により外部カメラで外界は捉えることはできるし、オールビューモニターという優れものだ。
 電源が入り、内部が徐々に明るくなってゆく。ぶん、と特有のエンジン起動音を響かせるのを聞きつつ、サリンジャーは操縦桿を握り初動へと入った。
 オールビューモニターが表示され、M4を構えているリサ=ヴィクセンの姿が目に入る。
 見下ろした自分と、見上げるリサ。やはりこの位置こそが相応しい。そう、自分は誰よりも優れていなければならないのだとサリンジャーは繰り返した。
 そうしなければ負け続ける。他者を常に下し、見下ろさない限りずっと惨めなままだ。

 出来損ないのお坊ちゃん野郎。サリンジャー家の面汚し。
 他のエリート達よりも格下のハイスクールに行かざるを得なくなったとき。プログラマーという職業に就くことになったとき。
 いつも周囲の目は自分を見下していた。内容に関わらず、勝負に負けた自分を慰めもしてくれなかった。
 世界はそういうものだとサリンジャーは悟った。誰かを踏み台にしなければ生きてゆくこともできない。
 長い間待った機会だった。負け続けることを強いられ、見下されることを常としてきた自分がようやく得た千載一遇の機会。
 それも、自分以外の全てを見下せるようになるという機会だ。
 こんなところで失ってたまるか。勝つのはどちらであるかということを教えてやる。

「見せてあげますよ。これが私の鎧、『アベル・カムル』だ!」

 格納庫に、獣のような咆哮が響き渡った。

908名無しさん:2010/08/27(金) 21:36:54 ID:w1hhOi020
ここまでが第二部となります。
少し休憩を挟みます。21:40からまた再開します

909名無しさん:2010/08/27(金) 21:45:30 ID:mmcxYldQ0
test

910名無しさん:2010/08/27(金) 21:52:20 ID:mmcxYldQ0
続きは新スレッドで!

ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/7996/1282913075/

911管理人★:2010/08/28(土) 00:28:50 ID:???0
容量の肥大化に伴い、新スレッドに移行いたします。
以降の作品は上記スレッドへの投下をお願いいたします。


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