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素朴な疑問

1管理者:2002/02/20(水) 13:44

1 名前: 管理者 投稿日: 2002/01/28(月) 18:47

スレッド立ち上げの要請がありましたので、立ち上げます。皆様、気軽に御発言ください。要請文は以下の通りです。

>私の場合、皆様のように難しい事はわかりませんが、いわゆる「素朴な疑問」は
>あります。そのような質問でもよろしいでしょうか?
>もしくは、そのようなスレがあればいいのですが・・・

347犀角独歩:2002/08/22(木) 02:58

五月雨さん:

先にちょっと突っかかったような記し方をしてしまいました。お詫びを兼ねて、補足の補足です。

私は仏の境界は凡夫にはわからないということを言いたかったのです。仏は衆生の性欲(しょうよく)不同を知って巧みに説法をするというのが方便品の言うところでした。しかし、逆に衆生が「仏の境界(境涯)はこういうものだ」というのは憶測の域を出ないわけです。結局、不毛の議論となります。このような応答は時間の無駄であるからやめたほうがよいと言いたかったわけです。

348五月雨:2002/08/22(木) 08:35
独歩さん

ご教示有難うございました。

>先にちょっと突っかかったような記し方をしてしまいました。

いえいえ、そんな事は無かったです。単刀直入に言っていただいて、それまであったモヤモヤが無くなりました。メールでそう聞かれて丸四日の間悩んでいましたから。「法華経の基本は池田先生です」と仰る方なものですから、ずいぶん、頭痛で頭が痛い思いをしておりました。
仏の境涯とは何か― 学会では絶対的幸福境涯と聞いた覚えがありましたが、今の私にはそうも思えず、さりとて素晴らしい境涯なんだろうなと薄ボンヤリと想像するだけでした。そうですよね、凡夫に分かろうはずなどありませんよね。そう返事を出します。不毛の議論というご指摘は、確かにそうなのですが、「慈悲を忘れず」「菩薩道を喚起」する事を教わりましたので、気長に「不毛の議論」を続けていくつもりです。(ホントはしんどいです。どんな指摘にもメゲナイ彼女はスゴイというか・・・・)

349五月雨:2002/08/22(木) 08:50
いちりんさん

いちりんさんが引かれた御書は、私でも知っている御書です。

>「苦」があれば、それを頑張って「楽」にしようとしない。「苦」を「苦」だと、そのまま受け入れている。

御文をそのまま読むと、確かにそう書かれていますね。学会でも法華講でもそうは教わってきませんでした。「苦を転じて楽と成す」という事ばかり強調していたように思います。ありのままでいいと、大聖人様が仰っているのを初めて知りました。

>それが「自受法楽」ですよね。
ただいるだけで、そのままで、穏やかな柔らかな喜びに包まれている。

いいですね、この感じ。ホンワカな幸せですね。

350いちりん:2002/08/22(木) 09:13
五月雨さん

>いいですね、この感じ。ホンワカな幸せですね。

そのホンワカというところですが、ブッダの語ることばで、「仏の境涯」っぽいのを参考までに。

これは、「ブッダがこう言うのだから正しいのだ!」というために、引用しているのではなくて、ブッダの醸している「たたずまい」「静けさ」「落ち着き」を知ってもらたいたいからですけど。

・憂いを離れ、あらゆることにくつろいで、あらゆる束縛の絆をのがれた人には、悩みは存在しない。
・善悪のはからいを捨てて、目覚めている人には、なにも恐れることはない。
・一つの岩のかたまりが、風に揺るがないように、賢者は非難と賞賛に動じない。
・解脱した人の心は静かである。ことばも静かである。行いも静かである。
・こころ穏やかに、怨むことなく、恐れることのない人──彼こそ賢者と呼ばれる。
                       (ダンマパダより)

これらのことばをみてみますと、ブッダという方は、おそらく
「心おだやか」「恐れることはない」「目覚めている」「静けさがある」と。

351いちりん:2002/08/22(木) 09:21
五月雨さん

>ありのままでいいと、大聖人様が仰っているのを初めて知りました。

わたしは、日蓮さんの「あり方」を、それこそ「迫害に遭って信念を曲げずに貫いた勇ましく強い人」というところから、みようとはしません。今まで流布しているイメージが、これですよね。

で、そういう日蓮さんじゃなくて、わたしなりと、「いいなあ」と思うところからとらえなやおしています。

そのポイントは、いまのところ二つですけど。

一つは、「ありのままでいい」というところ。
日蓮さんは、あるがま、ありのままでいいという教えを示しているというとらえ方です。

もう一つは、「同苦の人」というところ。
日蓮さんは、相手の間違いを責め立てて屈服させるということよりも、相手の苦しみを実感できた人じゃないかと。相手が苦しいならわたし苦しい。しかし、ともに苦しもうじゃないかと。そういう人であった。

これは、学問的にああだこうだという世界じゃなくて、「生き方」として「あり方」として、日蓮さんから学ぶというところなんですね。自分の生き方に反映しなかったら、意味ないですもんね。

いくら難しいことを論じたって、経文やら文証をたくさん記憶していて、披露してみたって、相手をへこますための戦いの武器のようにしていったら、愚かなことですし。

352五月雨:2002/08/22(木) 09:30
いちりんさん

>ブッダという方は、おそらく
「心おだやか」「恐れることはない」「目覚めている」「静けさがある」と。

仏の境涯は『達観』にも通じるでしょうか。とても凡夫には達成できない境涯のようですね。いちりんさんのお話を参考にさせて頂きます。メールの学会員の彼女にもこの掲示板を教えているので、彼女も読むかも知れません。いつも良いお話を有難うございます。

353五月雨:2002/08/22(木) 09:46
いちりんさん

書き込む間にもうひとつのレスを頂いていたのですね。有難うございます。

>これは、学問的にああだこうだという世界じゃなくて、「生き方」として「あり方」として、日蓮さんから学ぶというところなんですね。自分の生き方に反映しなかったら、意味ないですもんね。

私も長い信仰生活の中で、大聖人様の御書に触れない事はありませんでしたが、それは大聖人様の法門が「学問として正しい」証明での捉え方以外の何ものでも無かったように思います。そこに人間として生きてこられた大聖人様のお姿を見たことはありませんでした。こうしていちりんさんのお話を聞かせていただいて、「人間としての日蓮」大聖人様のお姿を見た気がします。これから御書を拝する時は、「人間としての日蓮」大聖人様のお姿を心に浮かべながら拝していきたいと思います。
ホント、自分の生き方に反映しない信仰は、意味がありませんよね。

354犀角独歩:2002/08/22(木) 09:56

五月雨さん:

> 仏の境涯とは何か― 学会では絶対的幸福境涯

いかにも牧口価値論辺りから導き出されるような結論ですね。
しかし、これはまったく違っています。

真跡を仏界で検索すると以下のとおりです

--------------------------------------------------------
守護国家論,正元元年(1259)38歳
十界互具を説かざれば内心の仏界を知らず。内心の仏界を知らざれば外(ほか)の諸仏も顕はれず。
--------------------------------------------------------
守護国家論,正元元年(1259)38歳
凡夫も亦十界互具を知らざるが故に自身の仏界顕はれず。
--------------------------------------------------------
守護国家論,正元元年(1259)38歳
今法華経に至りて九界(くかい)の仏界を開く
--------------------------------------------------------
守護国家論,正元元年(1259)38歳
四十余年の菩薩・二乗・六凡(ろくぼん)始めて自身の仏界を見る。此の時此の人の前に始めて仏・菩薩・二乗を立つ。
--------------------------------------------------------
法華題目抄,文永3年(1266)1月6日45歳
妙法蓮華経の五字も亦復是くの如し。一切の九界の衆生並びに仏界を納めたり。十界を納むれば亦十界の依報の国土を收む。
--------------------------------------------------------
開目抄上,文永9年(1272)2月51歳
本門十界の因果をとき顕はす。此即ち本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備はりて、真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし。
--------------------------------------------------------
開目抄上,文永9年(1272)2月51歳
十界に皆己界(こかい)の仏界を顕はす。妙樂云はく「尚仏果を具す、余果も亦然り」等云云。仏此を答へて云はく「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」
--------------------------------------------------------
開目抄下,文永9年(1272)2月51歳
梵天とは仏界に生まるゝをいうなり。引業と申すは仏界までかわらず。
--------------------------------------------------------
開目抄下,文永9年(1272)2月51歳
我並びに我が弟子、諸難ありとも疑ふ心なくば、自然に仏界にいたるべし。
--------------------------------------------------------
如来滅後五五百歳始観心本尊抄,文永10年(1273)4月25日52歳
法華経第一方便品に云はく「衆生をして仏知見を開かしめんと欲(ほっ)す」等云云。是は九界所具の仏界なり。
--------------------------------------------------------
如来滅後五五百歳始観心本尊抄,文永10年(1273)4月25日52歳
寿量品に云はく「是くの如く我成仏してより已来(このかた)甚(はなは)だ大(おお)いに久遠なり、寿命、無量阿僧祇劫、常住にして滅せず、諸の善男子、我本(もと)菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命今猶(なお)未だ尽(つ)きず、復(また)上(かみ)の数に倍せり」等云云。此の経文は仏界所具の九界なり。
--------------------------------------------------------
如来滅後五五百歳始観心本尊抄,文永10年(1273)4月25日52歳
。経に云はく「提婆逹多(だいばだった)、乃至天王如来(てんのうにょらい)」等云云。地獄界所具の仏界なり。
--------------------------------------------------------
如来滅後五五百歳始観心本尊抄,文永10年(1273)4月25日52歳
経に云はく「其の縁覚(えんがく)を求むる者・比丘・比丘尼、乃至合掌し敬心(きょうしん)を以て具足の道を聞かんと欲す」等云云。此即ち縁覚界所具の十界なり。経に云
はく「地涌千界、乃至真浄大法(しんじょうだいほう)」等云云。此即ち菩薩界所具の十界なり。経に云はく「或説己身或説他身(わくせっこしんわくせったしん)」等云云。即ち仏界所具の十界なり
--------------------------------------------------------

355犀角独歩:2002/08/22(木) 09:56

―354からつづく―

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如来滅後五五百歳始観心本尊抄,文永10年(1273)4月25日52歳
無顧(むこ)の悪人も猶(なお)妻子を慈愛(じあい)す、菩薩界の一分なり。但(ただ)仏界計り現じ難(がた)し、
--------------------------------------------------------
如来滅後五五百歳始観心本尊抄,文永10年(1273)4月25日52歳
末代の凡夫出生(しゅっしょう)して法華経を信ずるは人界に仏界を具足(ぐそく)する故なり。
--------------------------------------------------------
如来滅後五五百歳始観心本尊抄,文永10年(1273)4月25日52歳
人界所具の仏界は水中の火、火中の水、最も甚(はなは)だ信じ難し。
--------------------------------------------------------
如来滅後五五百歳始観心本尊抄,文永10年(1273)4月25日52歳
心得られざれども現証有れば之を用ゆ。既に人界の八界之を信ず、仏界何ぞ之を用ひざらん。
--------------------------------------------------------
如来滅後五五百歳始観心本尊抄,文永10年(1273)4月25日52歳
尭舜(ぎょうしゅん)等の聖人の如きは万民に於て偏頗(へんぱ)無し、人界の仏界の一分なり。不軽菩薩は所見(しょけん)の人に於て仏身を見る、悉逹太子(しったたいし)は人界より仏身を成ず
--------------------------------------------------------
如来滅後五五百歳始観心本尊抄,文永10年(1273)4月25日52歳
釈迦・多宝・十方の諸仏は我が仏界なり、其の跡を継紹して其の功徳を受得す。
--------------------------------------------------------
撰時抄,建治元年(1275)6月10日54歳
一念三千は九界即仏界、仏界即九界と談ず。されば此の経の一字は如意宝珠(にょいほうじゅ)なり。
--------------------------------------------------------
諸経と法華経と難易事,弘安3年(1280)5月26日59歳
仏、仏界に随って説く所の経を随自意という。
--------------------------------------------------------

などとあります。通じて聖人が言う“仏界”とは十界通じて仏界を見る、すなわち十界互具(一念三千)を基本にされています。詳しくは本尊抄の如きです。それを単に仏界のみを切り出して論じてしまえば、すなわち、法華已然の爾前権教の所談ということでしょう。要するに論の立てる時点で、聖人が基礎とされる天台釈から逸脱しているわけです。

このような過ちは、原典を読まず、解説ばかりを読んで仏教を得意したと考える人によく見られる傾向です。五月雨さんが示された学会員の発題の例で言えば「仏界」解説の人の言葉だけで論が踊っているわけです。

いずれにしても、私は仏界が絶対の幸福境涯であるなどというのは、よほど的はずれな“解説”であると思います。

『諌暁八幡抄』には

涅槃経に云はく「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是如来一人の苦なり」等云云。
日蓮が云はく、一切衆生の同一の苦は悉く是日蓮一人の苦なりと申すべし

とあります。日蓮にとって、仏界とは衆生苦、または艱難辛苦の身業読誦の果てにある飽くなき探求なのであって、禍福などで論じるような凡庸な思慮とは次元を異にしているように思えます。

356五月雨:2002/08/22(木) 10:45
独歩さん

>我並びに我が弟子、諸難ありとも疑ふ心なくば、自然に仏界にいたるべし。

彼女はこのご文を引用して聞いてきました。「疑ふ心なくば・・」というのはどういう事なのでしょう。盲信しろと仰っているのでしょうか。私の心に引っ掛かっている一点でもあります。
独歩さんが、いろいろな御書を引いて下さいまして、私にも大聖人様は「仏」とはこうなんだとは説いていないという事が良く判りました。

>要するに論の立てる時点で、聖人が基礎とされる天台釈から逸脱しているわけです。

大聖人様の法門を論じる時の「基礎とされる天台釈」とは簡単に言うとどのようになりますか。学会教学程度の知識しかありませんので、論じる時の注意点など教えていただければ有り難く存じます。

>禍福などで論じるような凡庸な思慮とは次元を異にしているように思えます。

牧口さんが創立した「創価教育学会」が出来た時点で、大聖人様の法門から逸脱したという事ですね。戦後の「創価学会」なんてとんでもない話だと思いますが、
石山は何故こんな逸脱を許したのか理解出来ません。石山はもうその頃からいえ、何百年も前からおかしかったからという事でしょう。頭痛のタネは尽きませんね。

357五月雨:2002/08/22(木) 12:21
求道さん

>その本来の教えを理解せずして釈尊や日蓮聖人までも謗るようですね。

いちりんさんが、釈尊や日蓮大聖人様を謗っていますか?どう読み取ればそうなるのでしょう。ちょっとご説明をして頂けませんか。私は二十数年の信仰生活の中で「間違った教義」に自分の人生とお金を搾取され続けてきました。いちりんさんのお話は、仏教に対して失望しかかった私には「仏の教えの本当の在り方」を教えていただいています。そしてそれは「励まし」になりました。

>ならば宗教は要らなくなるでしょう。それとも、釈尊や日蓮聖人よりも「いちり
ん教」が正しいと?

あなたは何かを信仰されているのですか。大聖人様に「聖人」とお付けしているということは「日蓮系」の信徒の方でしょうか。宗教に何を求めて入っておられるのか知りませんが、宗教は心を癒すために存在すると考える私には、あなたの論理の飛躍も解りません。

>愚かな主張がまかり通る掲示板にならないよう願っていますよ。

大丈夫です。あなただけが愚かな主張をしているだけですから。

358犀角独歩:2002/08/22(木) 17:04

五月雨さん:

> 「基礎とされる天台釈」

これは文字通りなのですが、ここでは諸法実相、十界互具、百界千如、一念三千(妙楽ですが)という意味で言いました。

> 牧口さんが創立した「創価教育学会」が出来た時点で、大聖人様の法門から逸脱

まあ、この団体は教育者の団体ですから、法門逸脱と言ってよいかどうかはわかりませんが、私が呼んだ創価教育学会の資料では「価値論と牧口先生は人法一箇」なんて表現があり、びっくりしました。

純師は創価について、本有常住を説く仏教(純師の立場)では想像されるものは何もないので、この名前は石山信徒としては不適切であると疑問を投げかけていたと思います。

いずれにしても教育者として教育学説を述べることは勝手ですので、この点について私は牧口さんを非難しません。けれど、そお価値論その他と石山教学を同一俎上で論じれば明らかに逸脱であろうかと思います。

359五月雨:2002/08/22(木) 22:50
独歩さん

>ここでは諸法実相、十界互具、百界千如、一念三千(妙楽ですが)という意味で言いました。

わぁ難しいですね。大聖人様の法門を語る時には、ここまで頭において語るというのは私には大変です。でもここまで考えているから大聖人様の本当の法門を語る事が出来るのですね。

>けれど、そお価値論その他と石山教学を同一俎上で論じれば明らかに逸脱であろうかと思います。

牧口さんのお説は、戒壇本尊を拝むところに「価値創造」があるのでは無かったのでしょうか。別物とは聞いた事が無い気がしますが、むかーしに聞いたので自分でそう思い込んでいるのかもしれません。

360犀角独歩:2002/08/23(金) 05:39

五月雨さん:

> 牧口さんのお説は、戒壇本尊を拝むところに「価値創造」がある

この整理は簡潔ですね。

牧口さんの死は、たしかに価値創造に対する迫害とは、内外共に取られていませんね。
『富士年表』でも

1944 (昭和19年)11.18 創価学会初代会長牧口常三郎 法難に殉ず 74(大白蓮華 12)

となっていますね。

人生地理学、牧口価値論(美利善)…生命主義…幸福製造器、公明会から国立富士戒壇論。結論は戒壇建立で、富士義にはなるのだけれど、一連の混入は、たしかに逸脱と言うしかありませんね。「現代的に解釈し直し、仏教を蘇生させた」とか、たしか『人間革命』には書いてありましたが、よく言えば、こんなふうになるのでしょうが、価値論も、生命論も、幸福製造器も、人間革命も、日蓮の教えとはほど遠いものですね。

361犀角独歩:2002/08/23(金) 06:46

―356からつづく―

> 「疑ふ心なくば・・」というのはどういう事なのでしょう

以上の点、返していませんでしたね。
開目抄のこの一節がいう「疑う心なくば」とは何を指しているのかが問題になるわけですね。「御本尊を疑う心なくば」「大聖人を疑う心なくば」「法主上人猊下を疑う心なくば」「先生を疑う心なくば」から、「日蓮正宗を疑う心なくば」「創価学会を疑う心なくば」「顕正会を疑う心なくば」となっていくのでしょう。この点について、五月雨さんは疑問をお持ちなのでしょうね。

「疑う心なくば」とは、「我が己心の仏界を疑う心なくば」ということでしょう。
止観にしても、本尊抄にしても、己心仏界を欠いては成り立たないことになります。私が常に口にする二十四文字の法華経もそうですね。我が己心の仏界のみならず、他人の己心の仏界を疑ってしまっては成り立たないわけです。仏教が成仏を目指す修行であるとすれば、己心仏界を欠いては成り立たない、この点を疑ってはいけないのだ。「私自身も私の弟子、所難に遭って己心の地獄界、餓鬼界ばかりを感じ、少しも己心仏界など思いもよらなかろうと、我が己心の仏界を疑うことがなければ自然に仏界に至ることであろう」という意味合いではないでしょうか。この意味において「疑ふ心なくば」と仰せになるのは道理であろうと私は思うわけです。

ただし、この「疑ふ心なくば」を悪用して、ただ信じることを強要する団体・指導者があれば、大いに疑ってみることが必要なのでしょう。

362五月雨:2002/08/23(金) 08:58
独歩さん

今日も私の目からはウロコが落ちました。一体何枚落ちるのでしょうか。
大聖人様が「盲信の強要」などされる筈が無いと思いながらも、学会で染み込んだ解釈から逃れられませんでした。「疑う心なくば・・」という御文を突きつけられて、組織から離れるという事は「御本尊を疑っているという事なのだ」と暗に言われたのです。組織から離れる事を、御本尊を疑っているという言葉と同義語と
学会員も法華講員も思い込んでいます。そう教育されているからそんな発想になるのでしょうが、その上に「退転者」呼ばわりまでするのは、何なんでしょう。「信心を辞めた人か゛退転者」という認識はあるみたいなのに、組織から離れたら退転と言うのです。「組織を信仰」しているとそうなるのでしょうか。今現実に法華講の組織について信心している方と話をする機会がありました。お寺の出来事その他の話を聞きながら、独歩さんが仰ったように、「組織から距離を置く」ことを勧めました。組織に付いて信心することが「正しい信心」と聞かされていると、中々この考えは理解出来ないかも知れません。離れないと「心の平安」を取り戻せない組織の実情は悲しいものもありますが、これも真実です。それに組織を離れたら「大罰もらうで」と言われた割には、罰にも当たらず平穏無事に暮らしています。
ところで、大聖人様は本当に「罰を当てる」のですか。当てるぞという御書が存在するのですか。

363犀角独歩:2002/08/23(金) 16:59

362 五月雨さん:

聖人の記述に“罰”については、たくさん見られます。
しかし、組織の打ち出しどおりやらないと罰が当たるなんていうものはないでしょうね。また、仮にあったとしても、そんなことが正しいかどうか。

石山は昭和58年に、信徒数1650万人を公称したのです。いまは、せいぜい17万人、けれど、1635万人が大罰をもらったなんてことはないでしょう。脅しの言説で人を操ろうとすることはもっとも卑劣なことでしょう。いわば自信のなさの裏返しなのではないでしょうか。

> 罰にも当たらず平穏無事に暮らしています

本当にみんながみんあ平穏に暮らしています。それに比べて、組織に煽動されている人の心の余裕のない様、罰に怯え、功徳を求める姿は哀れを誘います。

今どきの組織、そのあからさまの商売根性と、逸脱、ご都合の主義の教え、こんなことに翻弄されているほうがよほど罰が当たるでしょう。まあ、罰というものがあれば、ですが(笑)

364五月雨:2002/08/23(金) 17:29
独歩さん

ご教示有難うございます。

>聖人の記述に“罰”については、たくさん見られます。

その罰とは一体どんな事象に対していうのでしょうか。「罰」とか「功徳」とか
信心している人は真剣にいうけれど、そもそもそういうものがあるのでしょうか。独歩さんも同じようなお考えみたいですが、私はただの思い込みにしか感じられません。ご本尊様のお力がどんなものなのかという体験の無い私には
祈りきればその通りになるとか、どんな原因で死んでもその人が組織に付いていない人なら「罰」で死んだと人は言います。
大聖人様は、どんな事を罰といい、功徳はこうだと説いておられるのでしょうか。

365犀角独歩:2002/08/23(金) 18:57

五月雨さん:

聖人が罰というのは法華誹謗の科、功徳とは法華受持に限ることでしょう。

ざっくばらんに申し上げれば、罰も利益も個人的な主観であるという結論を石山教学は支持しているのだと思います。

つまり、罰即功徳などというわけですね。要するに、各人がどのように感じるかだけでしょう。「退転したから病気になった、貧乏になった」なんて誹謗があるわけです。

けれど、聖人の晩年は身延の山中で食に事欠き、さらに痩せ病と下痢に悩まされていました。何度も引いているのですが、真跡はありませんが、『四菩薩造立抄』に

日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども、仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富める者なり

と言われるわけですね。また、『上野殿母尼御前御返事』に

さては去ぬる文永十一年六月十七日この山に入り候ひて今年十二月八日にいたるまで、此の山出づる事一歩も候はず。たゞし八年が間やせやまいと申し、とし(齢)と申し、としどし(歳歳)に身ゆわく、心をぼ(耄)れ候ひつるほどに、今年は春よりこのやまいをこりて、秋すぎ冬にいたるまで、日々にをとろへ、夜々にまさり候ひつるが、この十余日はすでに食もほとを(殆)どとゞ(止)まりて候上、ゆき(雪)はかさなり、かん(寒)はせめ候。身のひ(冷)ゆる事石のごとし、胸のつめたき事氷のごとし

とあり、聖人晩年の、病の重さが窺われます。しかし、この記述を見、涙に暮れる人はいても聖人をして、まさか罰だという信徒はいませんね。

前も引いた八風抄にしても、結局、どのような境遇、窮地においても、心を乱さない境地の確立を仏教は目指しているわけですね。

罰も利益も表裏一体のもの、結局、この富士義が、「組織活動をしない罰が当たる」などという人はわかっていないのでしょう。

なお、治罰というのは、いわば神仏の擬人化に基づき、悪人を裁くというという思想が根底にひそんでいますね。天罰云々はなんだかキリスト教のような絶対者信仰を背景にした、被支配者の恐怖操作と支配に基づく思想であるようで、そもそもしかし、仏教は因縁説と矛盾すると思います。

「罰当たり」などという呪文に心を乱されない鍛錬こそ、必要なのでしょう。

366五月雨:2002/08/23(金) 23:36
独歩さん

>聖人が罰というのは法華誹謗の科、功徳とは法華受持に限ることでしょう。

法華経は人が書いた物語でも、何か力を持っているのでしょうか。

>結局、どのような境遇、窮地においても、心を乱さない境地の確立を仏教は目指しているわけですね。

罰とか功徳とかに囚われ過ぎでした。「自受法楽」を目指していきたいと思います。

ところで232,233の独歩さんのレスで、前から気になっていたのですが、戒壇之曼荼羅の図ってもしかして、もしかすると大石寺の本門戒壇の大御本尊ですか
まさか、写真にある訳もないと思いつつ気になっていたのです。

367犀角独歩:2002/08/24(土) 19:12

五月雨さん:

> 232,233…戒壇之曼荼羅の図…もしかすると大石寺の本門戒壇の大御本尊ですか…まさか、写真にある訳もないと思いつつ…

ええ、そうです。
いわゆる本門戒壇の大御本尊は、過去にただの一度だけ写真が掲載されたことがあります。現在、流布してい写真はすべてこの時掲載された写真の転写です。
これを許可したのは亨師であったと記憶しています。

19911(明治44)11.10 熊田葦城著『日蓮上人』刊(富士年表)

しかし、写真を使って図示された内容が考証されたり、ひどい場合は、印刷転写し表装して売り出すところまで出たので、その後、石山では本尊(漫荼羅)の公表をやめることにしたという経緯があるということでした。

368犀角独歩:2002/08/24(土) 19:15

> 法華経は人が書いた物語でも、何か力を持っているのでしょうか

私は経典自体に神秘的な力があるという考えには反対の立場です。
ただ、経典を尊ぶことは否定しません。法華経は読む人にとっては仏そのものとも映じるでしょうし、嫌いな人は見るのはイヤだということになるでしょう。所詮、受ける側の、心の問題でしょう。

369五月雨:2002/08/24(土) 23:30
独歩さん

御本尊を曼荼羅の図と仰っていたので、最初はどういう意味か分かりませんでした。御本尊と曼荼羅は違うのでしょうか。また、生身の大聖人様という戒壇本尊を写真に撮らせるだなんて、一体どういう事なのでしょう。御本尊は絶対に写真に撮ってはいけないと、戸田会長も言っていたように思います。どんな経緯があって日亨上人は許可したのかご存知ですか。私が聞いてきた事と、石山がしてきて事があまりにも違い過ぎます。

>その後、石山では本尊(漫荼羅)の公表をやめることにしたという経緯があるということでした。

その後というと、その前は平気でしてきたのでしょうか。そう言えばウチの住職は「御本尊の写真集を持っています」と平気で言っていましたから、僧侶は御本尊をあまり大切に考えていないみたいですね。

法華経についてはよく分かりました。有難うございました。

370ワラシナ:2002/08/25(日) 00:13
no340いちりんさん
*ちょっと理屈っぽくて申し分けないんですが以下のような事を前から感じてたので書いてみました。

----「苦楽ともに思い合わせて」に見る宗祖の四諦観----

0<要旨>、「ただ女房と酒うちのみて」のご指南で有名な四条金吾殿御返事(衆生所遊楽御書)(1143Phttp://www4.justnet.ne.jp/~bekkann/goso1143.htm)には文面には露ではないが、宗祖の四諦観(法華円教無作の四諦)が背景に働いているのではないだろうか、と私は推理したのである。
0−1、
引用始め-------------
「一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く「衆生所遊楽」云云、この文・あに自受法楽にあらずや、衆生のうちに貴殿もれ給うべきや、所とは一閻浮提なり日本国は閻浮提の内なり、遊楽とは我等が色心依正ともに一念三千・自受用身の仏にあらずや、あに自受法楽にあらずや
法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし現世安穏・後生善処とは是なり、
ただ世間の留難来るとも、とりあへ給うべからず、賢人、聖人も此の事はもがれず、ただ女房と酒うちのみて南無妙法蓮華経と・となへ給へ、苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経とうちとな(唱)へゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ、恐恐謹言

建治二年(1276年)丙子(ひのえね)六月二十七日 日蓮 花押
四条金吾殿御返事」
引用終り-------------

1、何故そういえるのかといえば、「苦楽ともに思い合わせて」の「苦楽」が天台四教説に組み込まれた天台流の四種四諦のなかでは、そのまま一まとめに「蔵教実有の苦諦(諦観録)」に括られてしまうからである。
三界六道人天二十五有は天界の楽しみさえも「苦」とされる、この事情が「思い合わせて」の表現になっているのではないか、だから、「苦楽ともに」が天台教義「苦諦」に該当している、と感じたのである。

2、こうなれば、これは天台流の煩悩論で集諦が解釈されるのが自然なものとなり、「苦諦」を「滅諦=法楽」に持っていく為には、空観一辺に偏する蔵教の「道諦」観では、その集諦観の限界たる見惑、思惑の低級煩悩を滅するだけで、終わってしまい、それは灰身滅智の「滅諦」を導くだけで終りになってしまう。塵沙惑、無明惑の滅までには至らない。

3、こうなれば、宗祖にとっての「道諦」はどうなっているかということになるが、それが「南無妙法蓮華経とうちとな(唱)へ」になっていると観察されたのである。初期仏教の八正道が、ここでは一心三観の題目行に該当している、と思われるのである。
(h14/8/24)

371犀角独歩:2002/08/25(日) 06:17

> 370

実に参考になる考証でした。なるほど。

それにしてもリンクに飛んでみたら、学会の資料でびっくり。読むと“「名誉会長 前霊鷲山→虚空会→後霊鷲山という流れは、いわば「現実−悟りの世界→現実」という流れです”などと恐ろしくとんちんかんな解釈が出ていて、思わず大笑いしてしまいました。高尚なワラシナさんの考証から、いきなり突き落とされたような気分を味わいました(笑)

372犀角独歩:2002/08/25(日) 06:51

五月雨さん:

> 御本尊と曼荼羅は違うのでしょうか。

これは、ここ富士門流信徒の掲示板の一大テーマです。
聖人からして、ほぼ同義として使っているところもありますが、私は厳格な意味では違うという考えです。

> 生身の大聖人様という戒壇本尊を写真に撮らせるだなんて、一体どういう事なのでしょう。

でも、仮に日蓮が生きていたときにカメラがあったら、写真を撮らせたでしょうね(笑)
亨師は、よい宣伝になる程度の大らかな考えであったのではないでしょうか。

> 御本尊は絶対に写真に撮ってはいけないと、戸田会長も言っていたように思います。どんな経緯があって日亨上人は許可したのかご存知ですか。

この五月雨さんの考えは時系列が逆になっています。
亨師が写真を公表(明治時代)したら、ひどい結果になった、「だから、やめよう」で、戸田さんの指導になった(昭和戦後)という流れです。

『日蓮上人』が発刊されたのは明治44年、本に写真が載ることよりなにより、まだまだ写真製版という技術自体が真新しい最新のものであった時代です。

> 私が聞いてきた事と、石山がしてきて事があまりにも違い過ぎます。

これは聞かれたことは学会指導で、やってきたことは石山の考え。
先に述べたとおり、順番が逆です。

私もどちらかというと聖人の漫荼羅を写真に撮るのは反対ですが、もう今となっては後戻りはできないでしょう。また、写真集が出たことによって、むしろ、真偽の判定はしやすくなったという利便もありました。フェイクの作成に悪用されない限り、研究という意味では功利面のほうが大きかったと思います。

>> その後、石山では本尊(漫荼羅)の公表をやめることにしたという経緯があるということでした。
> その後というと、その前は平気でしてきたのでしょうか。

それ以前は、明治のはじめ、また江戸時代になってしまいますから、写真製版の技術どころか、凸版印刷の技術もなかった時代になります。ですから、もっぱら木版ということになるでしょう。

> そう言えばウチの住職は「御本尊の写真集を持っています」と平気で言っていました

これは多分、五月雨さんの御本尊観が、…気を悪くしないでくださいよ…やや学会の影響が残っているからでしょう。漫荼羅は尊崇の対象ですが、今日日、真面目な学究者であれば誰しも本尊(漫荼羅)写真集はもっています。

> 僧侶は御本尊をあまり大切に考えていないみたいですね。

仰る意味とは違いますが、私もそう感じます。
先の印刷技術の話と関連しますが、そもそも印刷製版で大量生産して配布するような類のものであるのか、私は疑問に思っています。誤解を招く恐れもありますが、印刷で大量生産できるようになったので、末寺住職は漫荼羅を書かなくなった、だから、漫荼羅書写に至るまでの僧俗の深まりも失われたと思っています。要するに手続の師匠は誰でもよいということになってしまったのでしょう。

他で記しましたが、“本尊”という言葉、実は初期天台文献には見られない言葉です。元来、仏教語ではなかったということです。では曼陀羅はあったのかというと、こちらはすでに法華経に見られます。けれど、意味は違います。天上世界の花を意味したものです。曼荼羅が描かれた図示となるのは密教(タントリズム)でしょう。

つまり、本尊、曼荼羅ともに法華経とはかけ離れたものなのです。けれど、聖人はそれを受容された、その流れの中に日蓮門下もあるということです。

では、我々がいう本尊曼荼羅とは、その原意は何かといえば、まさしく仏様そのものでしょう。つまり教主釈尊に対する尊崇を置いてはないということです。つまり、この点でも、大石寺系グループは原意を失ってしまっているのです。果たして、このような在り方が仏教といえるのかというのが、私が投げかけているテーマであるわけです。

373富士桜:2002/08/25(日) 08:17
>> その後、石山では本尊(漫荼羅)の公表をやめることにしたという経緯があるということでした。
> その後というと、その前は平気でしてきたのでしょうか。

> そう言えばウチの住職は「御本尊の写真集を持っています」と平気で言っていました

>これは多分、五月雨さんの御本尊観が、…気を悪くしないでくださいよ…やや学会の影響が残っているからでしょう。

独歩さんと五月雨さんの会話の中で、自分も大御本尊は、広宣流布の暁まで絶対秘すべき本尊といつのまにか体に染み付いていました。ですのでオフ会の時に問答名人さんから頂いたCDの中に「大御本尊の写真が入ってます」って言われた時には「まずいものを貰ってしまった」と思ってたのを思い出しました。(笑)国柱会の「本尊集」か何かに掲載されている事を知った時には(確か一冊50万くらいする本と聞きました)なんで!だれが写真なんか取らせたのだろう!と一人で怒ってました。(笑)日亨上人の許可だったのですね。

ただ、そこまでされたのだったら「これは本物だ」と言う証拠を、詳しくは調べ方は分らないのですが、レントゲン撮影かなんかで学者が入って徹底的になぜされなかったのかな?とも思いました。

二十数年信心されてきている五月雨さんと同様の考え方に、二年ちょっとの自分が同じ本尊観を持っているのが不思議でした。
独歩さんのおっしゃる「学会の流れ」が、今は日蓮正宗には居ない学会の影響が今の自分に知らず知らずに入り込んでいるんですね。

もっとも御虫払い法要の時に「なんであれだけ大切な御本尊が沢山あるのに大御本尊の原判がないんだろう」と一人でパニックに陥っていたくらい無知でした。
大聖人御真筆の本尊が一幅しかなかった事にも驚きました。
「なんで大聖人の教義をそのまま唯受一人の血脈で続けてきた宗派なのに大聖人の真筆がこれしかないんだろう」とも思っていました。

それで、これも聞いたお話なのですが、大聖人がお題目の下に「日蓮」と花押が書かれていますが、最初はずっと左の位置で弘安二年の大御本尊に来るに従ってだんだん真ん中に花押がずれて来ている、って言う事は本当なのでしょうか。

374犀角独歩:2002/08/25(日) 09:20

> 最初はずっと左の位置で弘安二年の大御本尊に来るに従ってだんだん真ん中に花押がずれて来ている、って言う事は本当なのでしょうか。

顕師の本門正宗の小野寺さんを批判したときの説法です、これは。懐かしいですね。もう20年も経ちますかね。

顕師説法の骨子は中尊(南無妙法蓮華経)・日蓮・花押が縦一列に並んで「人法一箇」の深旨を表すというものでした。当時は「すごい!」と感動したものですが、しかし、一体、何を根拠にこんなことを言ったものか、いまでは「?」と思っています。

日蓮と花押の位置は写真集を古いほうから順番に見ていけば、大雑把な言い方をすれば、たしかにそうなっています。けれど、日蓮と花押の位置には少なくとも二種類あります。一つは日蓮と花押が左右に分かれているもの、もう一つは日蓮花押と中央より左側に描かれれているものです。

なお、顕師説法を読むと恰も戒壇之漫荼羅がだけがそうなっているように勘違いしますが、弘安2年前後の特徴であって、その頃の図示はそうなっていますね。また、文永年間から弘安2年に向けて中央に統一されていったような説法ですが、実際はそれ以降でも日蓮花押が左にずれた漫荼羅はあります。

http://campross.crosswinds.net/GohonzonShu/113.html


詳しくは本尊集を順番に見てみるのがいちばんでしょうね。
http://campross.crosswinds.net/GohonzonShu/001.html

375いちりん:2002/08/25(日) 10:55

ワラシナさん

>こうなれば、宗祖にとっての「道諦」はどうなっているかということになるが、それが「南無妙法蓮華経とうちとな(唱)へ」になっていると観察されたのである。初期仏教の八正道が、ここでは一心三観の題目行に該当している、と思われるのである。

ブッダの文脈から、ちと考えてみました。

苦も楽も、この世間にあっては、つまるところ「苦」である。すべてが「苦」である。

厳密には、この「苦」は、ドゥッカ(不満足)という意味合いですが、どんなに幸福を求め、願いを達成したところで、この世間にあっては、つまるところ満ち足りるということはない。

なぜかならば、それは「欲」があるからだ。この「欲」というものは、「もっともっと欲しい」と限りなく増長していく。つまり「渇愛」(タンハー)であるから。

だから、「欲」に動かされ、むさぼっている自分に気がつかなくてはいけない。「少欲知足」の道を知らなくてはいけない。

……というのが、ブッダの説くところですよね。

日蓮さんにおいては、要するに、南無妙法蓮華経と唱えればいい。南無妙法蓮華経に「おまかせ」してしまえばいい。なにがあっても、南無妙法蓮華経。嬉しいにつけ、かなしいにつけ、苦しいにつけ、なにがあっても南無妙法蓮華経。それで、オッケーである。

ただ、ブッダの文脈からいいますと、なんでも南無妙法蓮華経でいいというのは、じつは「欲望につきうごかされて、欲の達成のために唱える」ということになりやすいですよね。まさに、現世利益、願望達成の呪文としての、お題目ということになっていく。

金が儲かる、大学に受かる、病気が治る、出世する、家が建つ、選挙に当選する、勲章がもらえる……というのが、南無妙法蓮華経の功徳であるという観念が強いですよね。

ブッダの説くところは、いかに願いが叶い、いかに幸福を得ようと努力しても、根底に欲望があるのだから、それは「苦」になるのだ。「いまの生き方では、どんなにやっても不満足に終わる」ということを言いたいのだろうと思いますね。

376いちりん:2002/08/25(日) 10:57

で、日蓮さんの言いたいことは、

南無妙法蓮華経と唱えることで、願いは叶うのである。しかし、そんな願いなどは、大したことはないのだよ。

そんな目標が達成したからと喜び、家が建ったからすばらしいというように、お題目を考えてはいけないよ。

ただ、あるがまままでいい。
なにがあっても、南無妙法蓮華経。
それで、どうなるとかこうなるとか、そんなものはほつておきなさい。
ただ、南無妙法蓮華経と唱えている。南無妙法蓮華経におまかせしていく人生。
それが、ほんとうの幸せなんだよ。

……ということかなあとも、思うわけです。

いつもいいますが、わたしは学問的にああだこうだという論議ではありません。「わたしなりの日蓮観」というところです。生き方として、日蓮さんに学ぶという見方から、考えてみました。

377いちりん:2002/08/25(日) 11:08

わたしは、あらゆる宗教の基本は「おまかせする」ことだと思っています。
「南無」が「おまかせする」ということ。
はからいを捨てて、おまかせする。

まあ、その意味では、南無妙法蓮華経も、南無阿弥陀仏も、南無八幡も、南無三宝も、まあなんでもおんなじといえるかもしれません。

で、なにを信ずるかどうかは、やはり導きというか、縁にしたがって進むしかないと思っています。
正しいから、というのではなくて、縁があったから、その道に進んでゆく。
それぞれの人が、それぞれの縁に随って進んでいる。

でも人間は、なかなか「おまかせ」できない。

だから、あれが正しい、これが間違っている、こちらのほうが優れている、あれは低いなどと、あれやこれや、論議してしまうのでありましょうか。

378犀角独歩:2002/08/25(日) 12:40

おまかせですか。しかし、日蓮は弟子に対して、そんなことを認めなかったでしょうね。

建治3年56歳の時の書『富木殿御書』に

我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇(いとま)を止めて之を案ぜよ。一生空しく過ごして万歳悔(く)ゆること勿(なか)れ

とありますね。天台の止観なども徹底した禅定と、観念観法。おまかせの余地がないほどです。

富士門はそんな精神を受け継いでいますでしょう。興師の作とは思えないところもありますが、遺誡置文の

未だ広宣流布せざる間は身命を捨てゝ随力弘通を致すべき事

とありますね。まあしかし、ここまで厳しい師匠に随順するということは、ある面、おまかせなのかも知れません。でも、日蓮は自分が救うというより、自力で救われろという思いを唱題の行に篭めていましたでしょうね。

379いちりん:2002/08/25(日) 13:00

わたしが、好きな御遺文のひとつですが、

「設ひいかなるわづらはしき事ありとも、夢になして只法華経の事のみさはぐらせ給うべし」

まあ、いろいろとわずらわしいことはあるよ。
しかし、そんなものは、夢のようなものだ。じつは、実体があるわけじゃない。
だから、『法華経』におまかせしていけばよい。

まあ、そういう「おまかせしなさい」というような言い方も、日蓮さんは、されておられます。(というふうに、わたしはとらえてしまうのですが)

これは、身延時代のものですから、日蓮さんも、齢をかさねていくごとに力が抜けて、おまかせ的な言い方の比重が高まっていったのかなあとも、思います。

380犀角独歩:2002/08/25(日) 14:24

「法華経の事のみさはぐらせ給う」が「おまかせ」ですか。
私は「夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ」と同じような意味でとらえていました。

381五月雨:2002/08/25(日) 18:58
独歩さん

私の考え方の順序が逆とのご指摘は、お聞かせ頂いて、そうだったんだぁと深く感心
致しました。私は頭の中には時代考証などという言葉は全くありません。学会で言わ
れた事をそのまま信じていました。俗に言う「鵜呑み」ですね。
戸田会長が言った言葉は完全には覚えていませんし、それが書かれていた会長指導集もほかしてしまったので、そのまま引用出来ませんが、たしか「御本尊を写真に撮る
のは不敬だ」と言ってたように思います。それに私達は御本尊を写真に撮ると、罰が
当たるとまことしやかに言ってました。だから、宗門が許可したというのが信じられ
ない思いだったのです。心の中で「この罰当たり」(笑)と思っていました。ちなみに
ウチのつれあいに、「戒壇本尊の写真がインターネットに載ってるよ」というと、か
なり驚いていました。見せてと言わないのは「罰が当たる」と思っているのかも(笑)

私の本尊観は、学会の影響だらけです。御本尊は命よりも大事と教えられ、信じてき
ました。火事の時には、自分の命よりも御本尊を助ける事が大切だと言われて、も
し、そんな事があったらどういう風に仏壇から御本尊を持ち出そうかと真剣に考えていました。実際そういう事があったら自分の事だけで精一杯でしょうが、助けなくてもいいのでしょうか。御本尊は自身の命という考え方から中々脱却出来ていません。だから独歩さんが載せた戒壇本尊の写真に過剰反応したのだと思います。

>末寺住職は漫荼羅を書かなくなった、だから、漫荼羅書写に至るまでの僧俗の深まりも失われたと思っています。

末寺住職が曼荼羅を書くなんて、学会の言いがかりと思っていましたが、それは御本尊を大切に思うからだと思えるようになりました。篤信の者だけが御本尊を受持するのは道理に叶っていると思います。こうすれば、無理をして押し付けて数が大事という折伏に信徒は悩まなくていいと思います。

382犀角独歩:2002/08/25(日) 22:22

五月雨さん:

> 学会の影響だらけ

ここまで認められるということは、ずいぶんとマインド・コントロールが溶けてきた証拠ですよ。喜ばしいことです。

> 御本尊は命よりも大事と教えられ、信じてきました。

私は御本尊は大事だと思います。でも、ここでポイントになるのは「どっちが大事か」という選択を迫る点です。どっちが大事ではなく、どっちも大事ということでしょう。これはどっちを取るかと白黒選択させる手法がカルト理論です。こういう二者択一でものを考える習慣が身に付いた状態を権威主義的パーソナリティと呼ばれています。
なんとナチズムに心酔したドイツ人の心理がこの状態であったといいます。研究をしたのがE・フロムでした。

逆に言えば、白黒選択で、常にグループが用意した答えのほうを選択するように条件付けられている状態にされているのがカルト・メンバーの特徴です。つまり、こんな選択の仕方しか思いつかない状態にされていることをマインド・コントロール下にあるというわけです。

「あなたは御供養してもしなくも好いのよ。どっちにする」「御供養します」
「30万登山、行くも行かないも自由だけれど」「行きます」
と、常に用意された答えを選択するように仕組まれています。でも、石山はこの技術は未熟ですね。学会は完全に技術化されていますね。
新聞と取っていない学会員はいないし、公明党に投票しない学会員もいない…なかにはもちろんいるでしょうが…みんな、自分の意志でやっていると思っています。けれど、知らないうちに組織が決めたとおり、選択しています。

ハッサン氏は以下のように記しています。

マインドコントロールは、露骨な物理的虐待は、ほとんど、あるいはまったくともなわない。そのかわり催眠作用が、グループ・ダイナミックス(集団力学)と結合して、強力な植え込み効果をつくりだす。本人は、直接おどされるのではないが、だまされ、操作されて、決められたとおりに選択をしてしまう。(『マインド・コントロールの恐怖』P109)

ところで私も自分の御漫荼羅はすでに30年も持ってきたものです。火事になったら、自分と一緒に避難させますよ、自分の御本尊ですから(笑)
でも、どっちかという選択はしません。

> 戒壇本尊の写真に過剰反応した

お気持ちはわかります。
でも、ここで考えてみてください。インターネットで流すというのは、いわば複製が簡単に流れるからいけないのですよね。本物そっくりのものが、つまり、そっくりでも写真は写真で本物でないものが流れるからいけない。でも、何度か記しましたが、正本堂建立の時、聖教新聞のカメラマンが詳細の戒壇之漫荼羅を撮影したといいます。石山の了解の元で、学会が、です。
また、石山でも、法華講でも信徒に配っている漫荼羅は印刷です。印刷であるということは写真に撮って印刷原画を造ったということなんですね。

では、彫刻はどうなのでしょう。そっくり同じに削ったもの、本物でしょうか。また戒壇之漫荼羅は直接、板に貼って彫ってしまったといいます。彫られて真筆(真筆であったとしたらですが)は削り取られて鉋屑になって残った彫刻は本物でしょうか。

要するに、ここら辺で矛盾だらけのわけです。

> 末寺住職が曼荼羅を書く

自然なことでしょう。

> それは御本尊を大切に思うから

そう。そして、住職(師)が弟子檀那を大切に思うからですよね。

> 篤信の者だけが御本尊を受持するのは道理に叶っている

これが聖人の本義ですね。
聖人は、自分が記したものを版にして、何枚も同じものが造られたり、板に彫られるとも思っていなかったでしょうし、まして、同じ漫荼羅が板に彫られて、何体もあるようなことが起きることを想定されていなかったでしょう。興師はだからこそ、春師に怒りを露わにしたのでしょう。

383ワラシナ:2002/08/25(日) 22:24
いちりんさん

no375>ただ、ブッダの文脈からいいますと、なんでも南無妙法蓮華経でいいというのは、じつは「欲望につきうごかされて、欲の達成のために唱える」ということになりやすいですよね。

そうなんです。理屈では「**諦」の「諦」という精神動詞になっている事が、基礎になって題目行も成立してるはずなんですが、その意義が忘れられて、それが祈願祈祷主義にどうしてもなりやすいのです。祈念の目標が菩薩の誓願なら理にかなってるかもしれませんが、逸脱する危険があって、終いには有り得そうもなさそうな不合理な物事まで心の中の祈願対象に取り込まれている事に気が付かない事があるのです。
それから省みたとき、仏陀の四諦の方が素朴で、訴えるものがあると思う。天台実相論の三諦円融をいきなり実感するのは特殊な思惟訓練を経なければ不可能だと感じます。

これは今後の課題ですが、特に初期仏教の四諦においては「感じられた真理としての**諦」と「考えられた真理としての**諦」との対応が認められますが、その中で特に「苦諦」は他の三諦の基礎を提供していて特別な地位を持っていると感じます。「苦」というあり方こそが人間生存の真の現実にあたいするものなのだ、というような主張をそこに感じます。その「いつもそのように感じられている真理としての苦諦」の基礎の上に他の三諦が乗っかっているような構成を感ずるのです。
これは天台実相論での四諦との比較を勉強してから考えたいところです。

no377>あらゆる宗教の基本は「おまかせする」ことだと思っています。

上のお考えはよい意味で「受身に徹する受動的決意性」と自分は解しています。「積極的な消極性」という知恵みたいなもの。「自由の本質はその消極的な意義の方面にこそある」といった某哲学者の言葉を思い出します。

384五月雨:2002/08/25(日) 22:25
富士桜さん

>二十数年信心されてきている五月雨さんと同様の考え方に、二年ちょっとの自分が同じ本尊観を持っているのが不思議でした。
独歩さんのおっしゃる「学会の流れ」が、今は日蓮正宗には居ない学会の影響が今の自分に知らず知らずに入り込んでいるんですね。

昔むかしその昔、創価学会は「日蓮正宗創価学会」だったのですよ(笑)今でこそ敵対関係にある両者の蜜月時代を知らない富士桜さんには、とりあえずでも現法華講員の私の考え方に驚きましたか。本尊観だけでなく、教義的に変節してしまったのは学会の方ですので、元々の教義です。その元々の教義が学会流だったのは歪めませんが、それを注意するでもなくそのままにして置いたのは、石山です。今更、学会の信心のここがおかしかったなどと石山は批判しますが、責任放棄しておいてのこの言葉は無責任の極みです。

>もっとも御虫払い法要の時に「なんであれだけ大切な御本尊が沢山あるのに大御本尊の原判がないんだろう」と一人でパニックに陥っていたくらい無知でした。
大聖人御真筆の本尊が一幅しかなかった事にも驚きました。

戒壇本尊の原判などと思ったこともありません。大体、戒壇本尊が半丸太であると知っている信徒はどのくらいいるのでしょうか。
信心歴40年を誇る法華講のおばぁさんにそう言ったら「知らなんだー」と言ってたけどそんな詳しい事は必要ないそうです。何だか変ですよね。信心の根本である戒壇本尊について実態はどうなのかを知りたがらないというのは。やっぱり気持ちの中で御本尊云々すると罰が当たると思っているのでしょう。私も少し前まで同じでした。
それよりも、石山には御真筆本尊が一幅しか存在しないって本当ですか。こっちの方がショックです。二箇相承書はあるのに何ででしょう(笑)

385犀角独歩:2002/08/25(日) 22:55

横レス失礼します。

> 石山には御真筆本尊が一幅しか存在しない

これは違うと思います。たぶん、御虫払で出すのが1体だけということではないでしょうか。私のサイトで紹介している『大石寺本尊真偽問答』では11体となっています。たぶん、これは昭和30年代は他門で、そのように認識されていたのであろうと推測されています。富要の御本尊脇書で「総本山」と記されているものを数えると戒壇之漫荼羅を除いて7体、末寺を含めて11体となっています。上述の記述はこれに従ったものであると思えます。

386五月雨:2002/08/25(日) 22:56
独歩さん

>ずいぶんとマインド・コントロールが溶けてきた証拠ですよ。喜ばしいことです。

まだまだ自分ではつい学会流、石山流で思考してしまい、時々頭の中が混乱する時があります。事実を見据えるのが辛くて逃げたい時があるのは、これもマインド・コントロールの後遺症でしょうか。逃げずに済んでいるのは、どんな事でも答えてくださる独歩さんのお陰です。感謝しております。有難うございます。

>火事になったら、自分と一緒に避難させますよ、自分の御本尊ですから(笑)でも、どっちかという選択はしません。

しつこく聞いてすみませんが、どうしても持ち出せそうに無かったらどうされますか。私がこだわるのは学会の時に、今でもそうかも知れませんが、自分の命に替えて御本尊は守らなくてはいけないという考え方があるからです。もしかしたら、こう考えて命を落とした方もいるのではと思うのです。居なかったら幸いですが。

>要するに、ここら辺で矛盾だらけのわけです。

本当に矛盾だらけなのに、気が付く人は少ないですね。気が付かないように教義で周りを固めているし、「御本尊云々するのは罰当たり」という思考もそこに働き、ますます分からないのでしょう。かくいう私も、やっとこさ最近気付く事が出来ましたので、エラソウな事は言えません。

>興師はだからこそ、春師に怒りを露わにしたのでしょう

どんなエピソードがあったのでしょう。聞いた事がありません。
ぜひ教えて下さい。

387五月雨:2002/08/25(日) 23:12
いちりんさん

>ただ、あるがまままでいい。
なにがあっても、南無妙法蓮華経。
それで、どうなるとかこうなるとか、そんなものはほつておきなさい。
ただ、南無妙法蓮華経と唱えている。南無妙法蓮華経におまかせしていく人生。
それが、ほんとうの幸せなんだよ

いいですね。こうい捉え方。私も教学的に大聖人様は何をどう教えているのか分かりませんが、「あるがままでいい〜南無妙法蓮華経におまかせ」に悠然と人生を楽しんでいる姿を思い浮かべます。次から次へと病気の苦しみがあった時に、信心していてこんなでは恥ずかしいとか、直して欲しいとか見栄っ張りに信心してきた私には「何事もあるがままに悠然と受け入れる人生」は理想です。
いちりんさんのお話は、肩の力がぬけて心がほんわかしてきます。

388犀角独歩:2002/08/26(月) 00:02

五月雨さん:

> どうしても持ち出せそうに無かったらどうされますか

燃えるに任せるしかないのではないでしょう。無常を説くのが仏教でしょう。形あるものは必ず崩れていく。だから、聖人がご自身が書かれた漫荼羅が永遠に残るはずはないと思ったから書き方を弟子に伝えたのでしょう。

興師ですら、身延では聖人御所持の釈迦立像を守れず持ち去られ、弘安2年に授与された聖人聖筆の御漫荼羅を盗まれて紛失してしまうのです。でも、興師は死にませんでした。当然ですね。

本当か嘘か知らないですが、亨師のでお弟子が冷厳な姿勢に触れて「では、戒壇之漫荼羅がなくなってしまったらどうするのですか」と詰したら、「わしが書く」と答えたとか。

>> 春師に怒りを露わにした

『富士一跡門徒存知事』に

御筆の本尊を以て形木に彫み、不信の輩に授与して軽賤する由、諸方に其の聞え有り。所謂日向・日頂・日春等なり

日蓮聖人が図示された曼荼羅を版木に刻み、(板漫荼羅にしたか、版画を造ったか)、信心の浅い者に授与する。これは漫荼羅を軽んじ、賤しんだことだ。いろいろなところにその噂がある。日向、日頂、日春がこれに当たる、という記述です

形木、いま石山で配布される漫荼羅を「御形木様(おかたぎさま)」と言いますね。
聖人の筆ならばダメで、歴代聖人のものであればよいのでしょうか。そうすると、「代々の聖人悉く日蓮」という本尊三度相伝から外れますね。整合性を考えれば、要するに印刷漫荼羅はダメと言うことでしょう。これが富士義です。

要するに、この興師の教えとされる『富士一跡門徒存知事』に真っ向から違反して、印刷漫荼羅を配布したのが石山でした。どうして、いま創価学会が印刷漫荼羅を頒布したからといって批判できるのでしょうか。もっとも学会は石山とは縁を切った団体、なんで寛師漫荼羅を印刷するのでしょうか。池田さんが自分で書き、それを印刷して配ればよいのです。

創価学会の脱宗は1000万を数えるかも知れません。要するに1000万体の印刷漫荼羅が不敬にされたと言うことです。これは学会だけが悪いのでしょうか。

それにも関わらず、自分が授与した漫荼羅の護るために「死ね」という石山は異常です。なぜならば、それが単なる印刷漫荼羅=仮のものであると知っているからです。

389犀角独歩:2002/08/26(月) 00:07

【388の訂正】

誤)「代々の聖人悉く日蓮」という本尊三度相伝から外れ
正)、「代々の聖人悉く日蓮」という本尊七箇相承から外れ

390:2002/08/26(月) 00:48
話の流れを中断して済みません。
石山でも、末寺の住職が本尊を書いていたのですか? やっぱり、という気はします。
写真製版なんて無い頃は、それ以外に方法は無いですものね。法主が書写した本尊だけでは、数が足りなくて、信徒に行き渡らないんじゃないですか?
代々の法華講の家では、誰が書写した本尊をまつっているのでしょう?
本尊書写の権限は法主のみにある、というのは正しいのでしょうか?

日興上人時代にさかのぼれば、日興上人や日目上人以外の、日興門下の弟子が書写した本尊がボロボロ出てくると予想しているのですが。

日蓮宗の一般信徒向け入門書には、「本尊は住職に書いていただくのが最高だが、大きくて家庭の仏壇には入らないので、仏具屋で購入してほしい」なんて書いてますが。

391五月雨:2002/08/26(月) 11:11
独歩さん

>燃えるに任せるしかないのではないでしょう。無常を説くのが仏教でしょう。形あるものは必ず崩れていく。だから、聖人がご自身が書かれた漫荼羅が永遠に残るはずはないと思ったから書き方を弟子に伝えたのでしょう。

「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり・・」平家物語のこの有名な文章に「諸行無常なんだ」と胸が痛んだものです。
生老病死に愛別離苦、人生に付きもののこの苦しみも楽しみも諸行無常の中に消えていくのでしょうか。

戒壇本尊も紙幅の曼荼羅本尊も、形あるものです。いつかは朽ちていきますね。戒壇本尊は750年前の物と石山は言っていますが、大丈夫かいなと心配になってきました。
大聖人様は書き方を「御本尊書写の心得」みたいに遺されたのですか。そこに仏滅年数は「二千三百余年」と定められたのでしょうか。

>どうして、いま創価学会が印刷漫荼羅を頒布したからといって批判できるのでしょうか。もっとも学会は石山とは縁を切った団体、なんで寛師漫荼羅を印刷するのでしょうか。池田さんが自分で書き、それを印刷して配ればよいのです。

石山の言い分はちょっと検証してみれば、どれほど身勝手を言っているのかよく分かります。ウチの住職も「学会ほど退転者を出し、御本尊をご不敬した者はいません」などと被害者ヅラしながら言ってましたが、「監督責任はどこにあったんですか」と言ってやれば良かったと思います。
寛師漫荼羅をどうして配布するのかと、何度も学会員に聞いたけれど納得のいく説明をする人はいません。謗法の日蓮正宗となじってるのにその出先の曼荼羅本尊を拝めるへ理屈を考えついた学会はエライです。まだそのへ理屈は知りません。宮本さんでもご説明してくだされば、有り難いですね。

>印刷漫荼羅=仮のものであると知っているからです。

学会時代は、御本尊様は自分の命に替えてもお守りするものと、マジで思っていたのに「仮りのもの」というのはどんな意味なのでしょう。では本物は何なんでしょう。

392犀角独歩:2002/08/26(月) 12:24

あ さん:

> 石山でも、末寺の住職が本尊を書いていたのですか?

この点、特に調査をしたわけではないので「絶対に書いていた」などと言い切るものではないのです。これは前提です。仮に調査しても、石山の歴代住職の事跡すら追い切れないのに、各末寺の住職の750年の事跡、追えるものではないでしょうね。また、仮に曼荼羅が出てきても判形その他が為されていないはずですから書写人を特定するのは難しいだろうと予想されます。ただし、どこまで石山の本末とするか議論が分かれるところだと思いますが、西山、北山などいわゆる興門流と言われる寺院では書かれていますね。

曼荼羅書写というと、まず第一に思い出されるのが本尊三度相伝であるわけです。これは間違いなく興門の所伝ですね。その成立に、順師の本門心底抄は大きく関わり、さらに朗門に伝わっていることは執行師が明らかにしたところでした。

すでにこの一点を見ても本尊の書写については唯授一人ではなく、複数の人、それも興門に限らずに伝わっています。

第二点として、これはよく取り沙汰されるところですが有師『化儀抄』に

一、末寺に於て弟子檀那を持つ人は守りをば書くべし、但し判形は有るべからず本寺住持の所作に限るべし云云。
一、漫荼羅は末寺に於て弟子檀那を持つ人は之を書くべし判形をば為すべからず云云、但し本寺の住持は即身成仏の信心一定の道俗には判形を成さるゝ事も之有り、希なる義なり云云。

判形の為されない仮本尊の書写授与はあったものと思われます。
ただ、石山などでは、最後の「希なる義」という文を強く引き、恰も文全体に係るように言いますが、文は正直に読むべきでしょう。

また、尊師が本尊書写を法主一人の権能とし、一体も書写されなかったということを論い、それが石山の義でもあるような議論がありますが、しかし、尊師は興師の時代の人、有師はそれ以降の人、つまり、興師の時代に尊師はそのように考えたけれども、石山では特にそのようには守られず、化儀抄の記述となったと時系列によって読むべきであろうかと思います。

ところで、化儀抄で言う「判形」とは何でしょうか。通常の議論ではこれは書写人の花押、つまり、石山住職の花押であるというのが石山の言い分です。しかし、そうなると、「本寺の住持は即身成仏の信心一定の道俗には判形を成さるゝ事も之有り」という一節の意味が実際と一致しないことになります。

亨師の註解を見ると、ここの事情は複雑で

一には形木又は縮写のものに法主の判形を為されたるもの、
二には平僧の書写せしものに法主の判形を加へられたるもの
三には後代の法主が宗祖開山等の曼荼羅を其儘模写し給ひて更に模写の判形を為されたるものを形木又は写真版等となしたるもの
四には先師先聖の模写版又は形木に平僧が自らの版形を加へ又は平僧自ら書写して判形(自己)まで加へたるもの等

などと四つの分類を示されています。(これだけの分類が示されると言うことはそれだけの例を確認されていたとも拝せますが)

判形には平僧、法主(石山住職)、日蓮花押の模写の三つがあることがしれます。つまり、「本寺の住持は即身成仏の信心一定の道俗には判形を成さるゝ事も之有り」とは日蓮花押まで模写して授与するということなのでしょう。法主・平僧の模写(書写)の人の判形とは別です。しかし、これは稀なことであって実際は「日蓮在御判」と記されるのでしょう。
気がつくことは、石山から出す形木漫荼羅には平僧の判形も、法主の判形もない、言ってみれば、仮漫荼羅にもならない本尊であるという点です。この点で、すでに石山、あるいは学会頒布の漫荼羅は、少なくとも有師の言と一致していないことになります。こういうと、「いや漫荼羅に猊下のお名前と花押がある」と反論する向きもあるでしょう。しかし有師が言うところは書き判であって、花押の印刷を言っているわけではありません。

あさんの疑問からやや広がりすぎましたが、以上のことから、石山末寺住職(平僧)が漫荼羅を書かなかったはずはないと私は思うわけです。

393犀角独歩:2002/08/26(月) 12:24

―392からつづく―

> 法主が書写した本尊だけでは、数が足りなくて、信徒に行き渡らないんじゃないですか?

私は何より、この疑問以前のこととして、さしたる信心をしているわけでもない者に、なぜ漫荼羅を授与しなければいけないのかという疑問が先行します。他宗で売っているお守や、お札を批判するくせに、申し出る人にすべて与えるような性質のものなのかという疑問があるわけです。

かつて、日蓮宗を創価学会が本尊雑乱などと避難しましたが、1000万世帯とも言われる石山の印刷漫荼羅は、いまでは学会が回収し、自分たちの印刷漫荼羅(変造した寛師漫荼羅)と取り替えています。どっちが本尊雑乱なのか溜息が出ます。ここで動いたのは一体3000円からという供養=頒価の上がりだけでしょう。この形が「学会の暴走を大目に見る経済的理由となっていった」とは私は疑っているわけです。ここでは、もはや書写の師(手続の師)、さらに石山住職という師の脈絡は切り離され、漫荼羅書写とは関係のない在俗の別の師(池田)を立てるという化儀違反を成立させる余地を、この時点で与えることになったわけでしょう。

漫荼羅が重要だ、信者世帯にはみな下付という刷り込み教育で煙幕が張られ、本来の漫荼羅化儀その他はうやむやになり、専売特許化された漫荼羅濫造権を石山が握る形を構築したのは、実はごくごく近代のことであったのではないでしょうか。

> 代々の法華講の家では、誰が書写した本尊をまつっているのでしょう?

通常は石山住職の漫荼羅でしょうね。
何代も続くような法華講であれば、成就漫荼羅は下付されていたでしょうから。

> 本尊書写の権限は法主のみにある、というのは正しいのでしょうか?

冒頭に上げた興師に由来するという文書、あるいは有師の言を見ても、こんなことは言えないでしょう。

仮に本尊書写の権限が法主にあるのであれば、なぜ印刷屋が漫荼羅を印刷するのでしょうか。印刷は印刷であって書写ではありませんね。厳格な意味でこれは漫荼羅を造っているのは印刷屋でしょう。

書写の権限が石山では(石山ではですよ、他山のことに口を出すのではなくて)石山住職に限るのであればそれはそれでよいでしょう。しかし、印刷が書写でしょうか。いくら在家だからといって、ばかにしちゃいけませんよね。写真にして製版して印刷したのでしょう。造ったのは印刷屋です。それを戒壇之漫荼羅の前に山積みにして、石山住職がご開眼とやらをすると「あーら、不思議霊験あらたかに生身の日蓮の分身が出来上がり」、揶揄してはいけませんが、要するに言っていることは、こういうことですね。

私は、そんなものではないと思うのです。判形がなす人が平僧であれ、法主であれ、授与する信徒を思い浮かべ、その人と家族、子孫末代の成仏を個別に祈念しながらこそ、尊いのではないでしょうか。そこに手続の師の意味もあり、信心の血脈(あまり好きな言葉ではありませんが)通うのではないでしょうか。

だから、有師にしても、亨師にしても、判形が大事だと言っているのではないでしょうか。画竜点睛、ダルマさんに目を書き込むのと判形が書くのは意味が違うと、私は信心という側面から考えるのです。

信徒の数が多くて対応しきれない、しなくていいのです。篤信の信徒は、漫荼羅のいただける日を10年でも20年でも、孫子の代までも待ちますよ。それが信心ではないでしょうか。

以上は、決してあさんに怒って書いているわけではないのです。石山のあまりに欺瞞に満ちた対応を憤ってのことです。まったくひどいと思うから記すわけです。

> 日蓮宗の一般信徒向け…仏具屋で購入

この点、私が書くのは変ですが、石山では得られない知識でしょうから、記しておきます。私はこの点、複数の日蓮宗住職の方に尋ねてみたのです。

答えはこうでした。仏具屋などで売られている漫荼羅をそのまま懸けるわけではない。信者は必ず自分の所属の寺にもってくる。その時、漫荼羅の裏に住職は裏書きをして上げる」ということでした。いわば、有師が言う判形と同じようなことをもって、いわばそれまで印刷物であった漫荼羅に魂を入れるというわけです。檀那に願われ、僧侶はそれに答えて裏書きをするということです。(もちろん、こんな化儀を知らない人は買ってきてそのまま懸けてありがたがっているかも知れませんが)

これを聞いて、私は興師の漫荼羅脇書を思い起こしました。有師よりさらに上代の化儀がかえって他門に生き続けていたわけです。

突然、やってきた入信者に、ばらばらと印刷漫荼羅を下付する石山末寺よりずっと節度があります。

394犀角独歩:2002/08/26(月) 12:41

五月雨さん:

> 本尊…燃える

ちょっと横道ですが、石山には漫荼羅を焼く専用の焼却炉があるということでした。
新しい漫荼羅を下付、死亡、退転で返却されてきた漫荼羅を燃やすためのものだそうです。

この焼却炉で焼くとき、それを担当する僧侶は、燃えづらい、また引っかけるための留め金がついた軸を外し、…無造作に破って外すと言った記述でした…焼却炉で燃やして処分する、それが恐ろしくて仕方がなかった、そんな回想記事を載せていました。

これは学会へ離脱した僧の述懐記事の紹介ですが、まあ、ここらはあまり嘘はないだろうと思うので、紹介しました。

石山では返却された漫荼羅を躊躇なく燃やしてしまうのに、在家の家に懸かっているものであれば「火事になったら命に代えて守れ」というところに欺瞞性を感じるわけです。

> 大聖人様は書き方を「御本尊書写の心得」みたいに遺されたのですか。

聖人は書き遺してはいないようです。まさにこの部分は付法の部分であろうかと思います。興師にはこの相伝があったろうと思います。

問答第一行戒智徳筆跡付法の沙門日興に之を授与す

と記された興師授与の漫荼羅が現存するからです。もちろん、これが唯授一人相伝の証拠とはならないでしょう。また「筆跡付法」が漫荼羅書写についてとするのも即断かも知れません。まあ、心底抄・本尊三度相伝などが興門の所伝である点とは一致しています。

> そこに仏滅年数は「二千三百余年」と定められたのでしょうか。

これはまさしく本尊七箇相承に

一、仏滅度後と書く可しと云ふ事如何、師の曰はく仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曽有の大曼荼羅なりと遊ばさるゝ儘書写し奉るこそ御本尊書写にてはあらめ

とあります。すなわち、問答名人さんがご指摘されたのは、この一文と戒壇之漫荼羅が一致していないという点でした。

> 「仮りのもの」というのはどんな意味

この点は、あさんへのレス、392・393をご参考になさってください。

395:2002/08/26(月) 21:44

犀角独歩さん

ていねいな解説、ありがとうございます。

……とかなんとか言って、ぢつわ、あんまり理解できていない。
学会に1年ぐらいしか居なかったし、その間、御書なんか3回ぐらいしか開いたことないもんね。
いっしょけんめい読んでいるんだけど、ムツカシー。

成就御本尊って何だろう?、と調べていたら、「富士大石寺の歴史」の過去スレッドに行き当たった。
法主が1枚1枚手書きした曼荼羅ですか? 御形木御本尊って、今の大量印刷曼荼羅のことでいいんですよね。
日有上人の頃は、末寺の住職が曼荼羅を手書きして、信心強盛な信者には、大石寺に成就御本尊を推挙する、
というシキタリだったんですか。

396犀角独歩:2002/08/26(月) 23:44

395 あ さん:

ええ、そういうことです。

397孤独な迷子:2002/08/27(火) 00:05

五月雨さん
独歩さん
アネモネさん

 早々にレスを頂きながら、返事が大変遅くなって申し訳ありません。新参者の私が皆さんを
「さん」付けで呼ばせて頂くのは多少憚れますが、独歩さんからの提案に甘んじてそのように
させて頂きます。

 五月雨さんのショック、私にも分かります。今まで真実だと信じていた(思い込まされてい
た?)ことが間違っていたら、心の拠り所を失ってしまいそうで・・・。

 独歩さん、貴重な体験を読ませて頂き、有り難うございました。
 森田療法の本は私も読んだことがあります。基本的には、感情に囚われずに、行うべきこと
を行えという理屈だったと思います。しかし、感情の問題というのはなかなか難しく、それか
ら人間の心に関心が向くようになり、そんな時期に知人から折伏されました。
 最初は入信することに抵抗がありましたが・・・。その頃友人とスキーに行こうということ
になっていたのですが、その前日に私が交通事故に遭い、その友人もまた事故に遭い、結局ス
キーは中止、「私と友人が同じ日に事故に遭うなんて偶然じゃないな。これが現証か!」と思
い、こちらからお願いして入信させて頂きました。

 今思えば、「信心に反対すれば、罰が当たる。」とか「現証が出る。」など、散々言われま
したから、その影響を受けていたのは確かでしょう。また、このような言われ方もしました、
「仏法は因果の理法を説いているから科学的なんだ。」と。

 「科学的」という言葉から、仏法は人間に関する諸問題を含め、世の中のことを合理的に説
いているものと勝手に思い込んでしまったのですね。
 「因果の理法」とか「十界互具」、「生命論」などと言う言葉は、当時はとても魅惑的なも
のでした。自分の心の状態を、仏界は難しいにしろ、せめて人間界ぐらいの平穏な状態にでき
ればなどと思ったものです。

 その頃の私は宗教に対して、「とても崇高なもの」というイメージを持っていたのも事実で、
そのことも入信に繋がった一因になっていたと思います。

 > このような1日の時間帯の狂いを直すのに、毎日の寺院参詣はよく働いたと思います。

 これは、信心を基本に据えて寺院参詣をしたのでしょうか、それとも、森田療法に則って、
行動療法的に参詣していたのでしょうか。或いは、その両方の意義が在ったのでしょうか。


 独歩さんの信心への取り組みは並大抵なものではなかったのですね。一つの講中の構築など
余程の熱意と実力がなければ出来得なかったのではないかと思います。そのような方を失うこ
とになった御住職の見識を疑わざるを得ません。
 以前、似たような話を元学会の人に聞いたことがありました。その人は一度ある寺院に所属
したのですが、その組織には派閥のようなものがあり、一方のグループはそこの御住職とかな
り接近した関係にあったそうで、その元学会の人はもう一方のグループにいたそうです。
 塔婆供養を申し込んだにも拘わらず塔婆を上げて貰えなかったり、寺報に悪口雑言を載せら
れたりと、結局、そのグループの人たちの多くは、他のいくつかの寺院に移ったそうです。

 初めて聞いたときには、指導教師たる「御住職」が信者に対して依怙贔屓などしないだろうと
信じられませんでしたが、やはり事実だったようですね。

398孤独な迷子:2002/08/27(火) 00:06
(つづき)

五月雨さんのレスに

 > 大聖人様の教えーご戒壇様ー猊下ー指導教師ー信徒の順に信心体系(?)がありますね、
 > 正しい大聖人様の教えを信じている、だから信徒も正しいと思っているんじゃなかろう
 > かと。

 とありますが、この思考パターンは気づいてみると恐ろしいですね。

 指導教師たる御住職や御僧侶、或いは、役職を持った幹部は間違った言動はしないだろう、正
しい宗教を信仰している人たちだから、この人たちは皆立派な方たちだろう、と入信当時は思っ
ていました。ところが、時間がたつにつれていろいろと見えてくるものがあり、中には、それで
も信心している人なのかと思うようなこともありました。そのことを見聞きして、お寺から離れ
てしまった方も知っています。

 > いま振り返ると「拝み方を間違えると、かえって症状を悪化させることもあるよ」と呟く
> ように言われた良医の一言。

 独歩さん、「拝み方」というのは、どんな「拝み方」がいけないのでしょうか。細かいことに
拘っているような質問で恐縮ですが、お答えいただければ有り難いです。

 私が信心に関わりだして久しい時が経ちましたが、今まで信心のことについて何が分かってい
るのかと自問自答することばかりです。折伏も幾つかさせて頂きました。(独歩さんのいうとこ
ろの折伏とは程遠いですが、いわゆる組織的折伏とでも言えましょうか。)
 その人たちに、「必ず良くなるよ。(とても抽象的な言い方ですね)」とか、「悩みは必ず解
決するよ。」とか、自分の体験からではなく、大部分は言葉の受け売りですね、そのようなこと
を話して入信してもらった(?)ことがありました。
 その方々も今は信心から離れています。うち一人は、精神的な病を持つ人でしたが、入院して
しまい退院の目処はつかないと、ご両親から聞いております。


 アネモネさん

 > 私、なんだかいきなり馴れ馴れしい言葉使いでレスしておりましたようで、大変失礼をい
> たしました。

 私においては、失礼などと言うことは全くありません。かえって喜ばしいことだと思っていま
す。アネモネさんの包容力の大きさの一端を垣間見たような気持ちです。
 今の社会では人間の表面的な接触は色々な部分で多々あるかと思いますが、その心においての
触れ合いというのはなかなか難しいのではないかと思います。その背景があって、今日の社会の
様々な人間が関与する出来事が起こっているように思います。

 体験発表のからくりが明らかになって、「薄々はそうではないかと思いつつも、やっぱりな。」
と言う気持ちと、一方では期待していたことが崩れ去ったような変な気持ちでした。

 大聖人は人間が救われる道を説いてくださったと今でも信じたいと思っています。が、一方で
、そうでないとしたら、人間が救われること(これも抽象的な表現ですね。すみません。)はこ
の世界ではあり得ないのでしょうか?

 最近は、よく分からないと言うのが正直なところです。


 レスがとても遅くなった上に、内容も今の流れから外れてしまっているようで、皆様方には申
し訳ないと思っています。
 皆様方のご承諾をいただければ、今後ともよろしくお願いいたします。

399犀角独歩:2002/08/27(火) 06:46

孤独な迷子さん:

お久しぶりです。

>> 1日の時間帯の狂いを直すのに、毎日の寺院参詣はよく働いた
> 信心を基本に据えて寺院参詣…それとも、森田療法に則って、行動療法的に参詣…或いは、その両方の意義…

参詣の志は極めて宗教的な感情からでした。しかし、結果的には行動療法的な効果があったということになろうかと思います。

> どんな「拝み方」がいけないのでしょうか

この点について医師が。細かく教えてくれたわけではありませんが、概ね以下のような点を指摘したのであろうと思っています。

・自分自身を追い詰めていくような在り方→切迫型
 祈りをかなえなければいけない、叶うはずだ、叶わないのは信心がないからだと言ったような

・呼吸法が乱れるような在り方→過呼吸型
 大きな声で、テンポが速く、切れ間無く唱えるのは呼吸法として危険、また以下のようにハッサン氏は指摘しています。

 メンバーに対して過度の瞑想や唱えごとや『布告』(超スピードで祈りを唱えること)や異言を要求するグループに長いこと入っていた人々については、そのカルトをやめてから少なくとも、一年間は、その人の意志でないことが起きると予想しておく方がいい。私がかかわったなかで、こんな訴えをした人々がおおぜいいる−−ふつうの会話をしている最中に、突然、ある言葉の途中で、ふと気がつくと、カルト時代に長年やっていた心を麻痺させるテクニック、つまりある言葉を無意識に唱えるというテクニックを使っていたというのである。

・極端に至福感に浸るような在り方→脳内物質分泌型
 この点はハッサン氏の指摘によります。

 過度の(長時間の)瞑想や唱えごとの技法を毎日使うように教え込まれた人々は、心理的にも生理的にも、マインド・コントロールの中毒になりやすい。このような精神の蒸留作用は、脳の化学物質の強烈な放出をうながし、それは分裂した意識状態をひきおこすだけではなく、不法な薬物が作りだすのと似た『昂揚』感をひきおこす。これらの技法を数年にわたって用いた元メンバーの何人かは、激しい頭痛、不随筋の痙攣、記憶力・集中力・決断力のような認識能力の減退などを含め、広範囲にわたる有害な副作用が残ると報告されている。

石山の、あるいは石山より創価学会の唱題の在り方はハッサン氏が警告を発する点に合致するところがある…少なくとも私にはあったという意味ですが…これらの点について、注意をし、唱題の仕方を変えた結果、神経症状は快癒していきました。具合が悪いから拝む、拝むから具合が悪くなるという悪循環を脱することができたわけです。

400五月雨:2002/08/27(火) 11:32
孤独な迷子さん

お久し振りです。もう掲示板に来られないのかと心配しておりました。お元気に登場されて良かったです(笑)

迷子さんは、何もかもよくお分かりなんだと思いました。組織に失望はしても、大聖人様の真実の教えは失望するものではないと思います。独歩さんが仰ったように、私はパンドラの箱を開けてしまいました。でも最後に残ったのは「希望」ですよね。その希望を見つけませんか?
 こちらこそ、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

401五月雨:2002/08/27(火) 12:04
独歩さん

独歩さんの解説を聞きながら、私にも、ちと難解なのですが、何度も何度も読ませていただき、石山の曼荼羅本尊に対する姿勢というのが少しだけ分かった気がします。
 ずい分前の話ですが、ウチの家の近くの放置自動車に御本尊が無造作に置かれているのを子供が見つけてきました。私は「命よりも大事な御本尊」と思い込んでいますから、その車の主を公明党議員に頼んで、探し当てました。北陸に引っ越すのに車を捨てていったついでに、御本尊も捨てたみたいでした。連絡は取れませんでしたが、でも、御本尊をそのままにしておくのは忍びなく、お寺に持っていくことにしました。それを連絡したのが夜八時、「明日にしてくれ」と住職はものすごく嫌がりました。私にしたら八時なんてまだ早い時間だし、家に保管するのも嫌だったので無理に押し切って持っていきましたら、その時の住職の御本尊をゾンザイに扱う姿にびっくりしました。法華講に入っても、住職はどうして御本尊を大切にしないのだろうと思っていたのですが、その疑問が解けてきたように思います。

あ さんのレスにある「成就御本尊」はもともとは法主上人が手書きしていたという事ですが、学会の時に信心強盛の人とか、若しくは幹部の子供が結婚する時の花嫁道具のひとつに「成就御本尊」を持たせたのを知っていますが、見ると印刷曼荼羅でした。一回り大きい御本尊で「功徳が大きいかわりに罰も大きい」と言ってましたが、あれは「なに御本尊」なのでしょうか。

402顕正居士:2002/08/27(火) 12:13
「成就御本尊」ではなく「常住御本尊」ですね。五月雨さんのおっしゃるのは
「特別御形木御本尊」です。

403犀角独歩:2002/08/27(火) 12:27

五月雨さん:

> 結婚する時の花嫁道具のひとつに「成就御本尊」

初めて聞く話です。いつごろ、どこで行われたか、もう少し詳しく記していただけませんか。

> 「成就御本尊」…印刷曼荼羅…一回り大きい御本尊

これも私は存じません。
願主も脇書きされていない印刷と言うことですね。これは成就本尊とは、通常は言いませんね。

なお、成就本尊はたぶん常住本尊が転訛していったものではないのかと私は考えています。亨師註解には

有師仮に守護及び“常住の本尊”をも・末寺の住持に之を書写して檀那弟子に授与する事を可なりとし給ふ

常住とは安置すべき場所を特定して図示される曼荼羅、仮漫荼羅とはそうではないもの。いま言われる成就本尊とは法主書写の願いが“成就”したという意味なのかと考えていますが、あるいは違っているかも知れませんが。

404犀角独歩:2002/08/27(火) 12:31

> 常住本尊

投稿したら、顕正居士さんが先に書かれていました。
やはり、そのようですね。

> 特別御形木御本尊

正本堂建立の折、供養をした創価学会員のうち、特定の役職以上の人に下付された漫荼羅のことですね。花嫁道具は、これのことなのか、私にはわかりません。

405五月雨:2002/08/27(火) 13:28
「特別御形木御本尊」ですか、そう聞くとそうだったけと懐かしく思い出しました。組織に出ていないと聞く事の無い言葉ですので、忘れていました。私の健忘症はすごいですねと、自分で関心している場合ではありませんね。顕正居士さん有難うございました。

独歩さん

花嫁道具云々は、当時父親が圏副指導長、母親が支部婦人部長で、本人は女子部の地区リーダーという人が結婚する時に、分世帯になるし、結婚という晴れやかな出発だからと「特別御形木御本尊」の申請をお寺にしていたのです。結婚して一月以上経った時にご下付されました。隣の家に住んでいたので詳しい訳です。その話を聞いた時には御本尊を花嫁道具のひとつのように扱うのかと釈然としないものがありました。
ある程度の幹部は自分の好き勝手をしていましたから、こんな話はいくらでもあるのでは無いでしょうか。

「特別御形木御本尊」は正本堂の供養した学会員だけではなく、私の周りのある程度の役職の人は皆持っていました。信心強盛の証しです。
でも、独歩さんが見たことが無いと仰るのは不思議です。

406犀角独歩:2002/08/27(火) 19:18

五月雨さん:

> 「特別御形木御本尊」…独歩…見たことが無い

いやいや、ちょっと書き方が悪かったですね。私のところはこの漫荼羅です。
そうではなくて、形木成就(常住)本尊は見たことが無いという意味でした。



> 私の周りのある程度の役職の人は皆持っていました。信心強盛の証しです。

そうですか。ところで……、以下はお読みいただきましたか?

富士大石寺問題提議
http://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/keijiban/mondaiteiki.htm

ここの255に、この漫荼羅の下付について、少々記してあります。

407五月雨:2002/08/27(火) 22:13
独歩さん

富士大石寺問題提議の過去レスを読ませて頂きました。ご両親様に触れられている箇所は涙が出ました。戒壇本尊を信じきり、全てを賭けてこられたご両親様のお気持ちを思う時に、今の石山のテイタラクぶりに怒りを覚え、学会は裏で信徒の気持ちを踏みにじってきた事を口惜しい(くちおしい)気持ちでいっぱいです。騙すならもう少し良心的に騙さんかいと言葉は悪いですが、そう思います。
「特別御形木本尊」の事は下付願いと実際の数が合わないのですね。それにしても学会はなんて金儲けに長けているのでしょう。ただただ感心します。宗門に騙され、学会に騙され人生を棒に振った人たちの事を考えると、大聖人様も罪作りをなされたと責めてはいけないのでしょうが、そう思います。
ところで「特別御形木本尊」はどんな意味があって、作られたのでしょうね。本尊に区別があるのも理解出来ません。

408アネモネ:2002/08/27(火) 22:37
五月雨さん
犀角独歩さん

ちょっと横レスします。ごめんなさい。

409アネモネ:2002/08/27(火) 22:38
孤独な迷子さん

こんばんは。ほんの数行に満たないレスからは始まって、今回はこんなにたくさんのレスをされたこと、私はすごく嬉しいです。人それぞれいろんな生活のリズムがありますから、どうか孤独な迷子さんの生活のリズムに応じて、たとえ間が空いてしまっても気にせずレスなさって下さいね。

>その心においての触れ合いというのはなかなか難しいのではないかと思います。その背景があって、今日の社会の様々な人間が関与する出来事が起こっているように思います。

本当にそうですね。心が渇いていますね。悩みや苦しみを抱えながら、そのことを自分の心の奥に抱え込んでしまって、表面を繕ってしまっているんですね。なにを考えているかわからない、心の探りあいのような人間関係が多いです。心の病にならないほうがおかしいくらいです。

>大聖人は人間が救われる道を説いてくださったと今でも信じたいと思っています。

私もそれを信じて求めてますよ。どこかのレスで独歩さんが書かれてましたが、「自力で救われる」ということを説いて下さっていると思います。そういう力をみんな持っているのだと思います。そのことを信じなさいと説いているんじゃないでしょうか。

>が、一方で、そうでないとしたら、人間が救われること(これも抽象的な表現ですね。すみません。)はこの世界ではあり得ないのでしょうか? 最近は、よく分からないと言うのが正直なところです。

私はこんなふうに考えてます。人間が救われるということ、あり得ないということはないと、これも信じます。
私が信仰のうえで一番問題にするのはいつも「心」なんですね。心が救われるかどうか。心が豊かになれるかどうか、満たされるかどうか。心のありようとか、もちようなんだと思います。病気が治るかどうか、お金持ちになるかどうか、そんなことではなくて、病気になったときの不安な心や、貧しさにもがいているときの渇いた心、その心の持ちようだと思います。

410アネモネ:2002/08/27(火) 22:39
(つづき)

>その人たちに、「必ず良くなるよ。(とても抽象的な言い方ですね)」とか、「悩みは必ず解決するよ。」とか、自分の体験からではなく、大部分は言葉の受け売りですね、そのようなことを話して入信してもらった(?)ことがありました。

私もそうでしたよ。みんなそういうのを多かれ少なかれ経てきてますよ。孤独な迷子さんだけじゃないです。大事なことは、そうした盲信的なことに対して、客観的に目を向け考えてみることが出来るかどうかですね。今の孤独な迷子さんは、とても大事なときにあると思います。どうかレスを続けて下さい。

>その方々も今は信心から離れています。うち一人は、精神的な病を持つ人でしたが、入院してしまい退院の目処はつかないと、ご両親から聞いております。

その方々が信心から離れてしまったことで、なにか思うところがおありなのでしょうか。
ご自分を責めたりしてませんか?
離れてしまったのですから、もう組織の被害は及ばないことでしょう。結果的に良かったのですよ。
精神的な病は、いろんな原因でそうなっているんですね。私の友人にもいますよ。
孤独な迷子さんは、この信心でそうした病ががきっと治るに違いないと確信して信心を勧められたのかもしれません。それがたとえ受け売りの言葉でも、孤独な迷子さんはその方を救いたかったのではないですか?その気持ちはその方にも、またご両親にも伝わったことと思います。折伏された方々も、そんな孤独な迷子さんの気持ちに心動かされ最終的に入信を決意されたのでしょう。
だけど、組織の中は孤独な迷子さんのような人ばかりではないですね。ご指導も、人を救うというものではありません。そのことを肌で感じて自然に離れていかれたことと想像します。そのときにその方々と孤独な迷子さんが、なにかギクシャクするようなことが仮にあったとしても、それはいつか時間が解決してくれます。
だから、なにも自分を責めることはないと思います。自然の成り行きで折伏をすすめた人たちが組織から離れたのですから、あとは孤独な迷子さんご自身のことを考えていいのです。

また、レスして下さいね。

411犀角独歩:2002/08/28(水) 00:15

五月雨さん:

> 「特別御形木本尊」はどんな意味があって、作られたのでしょうね。本尊に区別があるのも理解出来ません

ごもっともだと思います。普通より、特別に大きい漫荼羅のほうがいい…、なんか変ですね。

学会興隆以前は信徒レベルでも漫荼羅を複数、所持することは非難される筋のことではなかったでしょう。ところが、学会隆盛以降、そうはいかなくしてしまいました。新しい漫荼羅が下付されると古い漫荼羅は返すわけです。

私は特別御形木漫荼羅が下付されたときのことをいまでもはっきり覚えています。生まれたときに既に安置されていた寛師漫荼羅(八界漫荼羅と非難された学会員に初期に下付された漫荼羅です)煤けて字も見えないほど、黒くなっていました。それを丁寧にお巻きして、紫の袱紗に包んで父が玄関を出たとき、子どもだった私は突然悲しくなって大声を上げた泣いたのを覚えています。「新しい大きな御本尊様が来るからいいだろう」と父を見送った母は言いましたが、私は納得できませんでした。…、思えばあの寛師漫荼羅は本尊に戻され焼却処分されてしまったのですね。いま思い返しても口惜しい気持ちになります。子どもながら、苦しいときも悲しいときも手を合わせていた漫荼羅でしたから。

たとえ印刷であろうと、我が家を護ってきてくれたと思うと漫荼羅には限りない思いが籠もるものですよね。

その思いを踏まえて、私は漫荼羅本尊について、ここで勇気を奮い、考えているんです。

412犀角独歩:2002/08/28(水) 00:17

【411の訂正】

誤)思えばあの寛師漫荼羅は本尊に戻され焼却処分されてしまった
正)思えばあの寛師漫荼羅は本山に戻され焼却処分されてしまった

413いちりん:2002/08/28(水) 00:44
独歩さん

>煤けて字も見えないほど、黒くなっていました。それを丁寧にお巻きして、紫の袱紗に包んで父が玄関を出たとき、子どもだった私は突然悲しくなって大声を上げた泣いたのを覚えています。

じつは、きょう独歩さんの信仰体験をサイトから読みまして、ものすごく強烈な印象でした。
そして、このことばを読んだものですから。。。

池田さんが、独歩さんにみかんを投げて、それを独歩さんがキャッチする。
そのときの、ワンシーンが、思い浮かぶのでありました。お母さんも、すっごいですね。

わたしなんかは、もうまったく、のほほんできたんでありまして。
だから、気楽にあっちこっちと。

でも、わたしは、学会とは離れていますけど、池田さんにも、すごく批判的ですけど。わたしの青春は、学会と池田さんには、とてもお世話になりました。そこは、いまでもすごく感謝です。ありがたい学びの場でありました。

414五月雨:2002/08/28(水) 09:52
独歩さん

>その思いを踏まえて、私は漫荼羅本尊について、ここで勇気を奮い、考えているんです。

独歩さんの今まで歩んでこられた人生を少しだけ垣間見させて頂きました。私は流れに身を任せてきたタイプですので、独歩さんのように真剣に信心をしてきませんでした。だから、独歩さんの今のお立場は物凄い葛藤の末に至ってこられたのかと思うと、胸が痛む思いです。信じきってきた事に疑問を投げかけて検証するのは、想像以上に苦しい事ではと思います。おかしいなと思っても深く考える事無く信じていればこれほど楽な事はないでしょう。
信徒として曼荼羅本尊を検証する作業は、自身の信仰を否定するのに通じてしまいそうですが、一番大きな真実はそこにあるのですよね。

>ごもっともだと思います。普通より、特別に大きい漫荼羅のほうがいい…、なんか変ですね

「常住御本尊」「特別御形木本尊」「御形木本尊」と三種類の御本尊がありましたっけ。御本尊に区別をつけて、信徒に持たせるというのは、信徒の選民意識をくすぐりますよね

>学会興隆以前は信徒レベルでも漫荼羅を複数、所持することは非難される筋のことではなかったでしょう

違う意味だと思いますが、家に御本尊が二体あるのはよくないと聞いてました。ひとつの御本尊の元で勤行・唱題しなければ一家和楽にならないとかと言ってたと思います。


ところで、いちりんさんの仰っている、
>独歩さんの信仰体験をサイトから読みまして、ものすごく強烈な印象でした。

私も読ませて頂きたいと独歩さんのサイトに行きましたが、どこにあるのか分かりませんでした。どこか教えて下さい。

415犀角独歩:2002/08/28(水) 10:02

五月雨さん:

私の信仰体験のページはメールでお知らせしますね。

416五月雨:2002/08/28(水) 10:10
いちりんさん

>でも、わたしは、学会とは離れていますけど、池田さんにも、すごく批判的ですけど。わたしの青春は、学会と池田さんには、とてもお世話になりました。そこは、いまでもすごく感謝です。ありがたい学びの場でありました。

学会はどこへ行くのだろうかと思う今日この頃ですが、私も学会時代には、いろんな事があったけど、楽しかった事も多くありました。そして大聖人様の仏法を教えてもらいました。創価仏法ではあったのですが、仏法に初めて触れた場所が学会でしたから、その点は学会に感謝しています。今は謗法しまくりの学会ですが、だからと言って学会時代を全否定したくはありません。いちりんさんと同じように感謝の気持ちはそのまま大事にしたいと思っています。
学会の人の方が人情があると言ったら、法華講ですごく非難をされましたが、何であそこまで否定しなくてはならないのかと私には理解出来ません。過去の学会の役職がおエライ方ほど「学会憎し」の姿が見えるのは何故なんでしょうね。

417いちりん:2002/08/29(木) 12:14
五月雨さん

>過去の学会の役職がおエライ方ほど「学会憎し」の姿が見えるのは何故なんでしょうね。

そうですか。法華講に移った方で、もと学会員の役職がエラかった人ほど、「学会憎し」という感じになっているのですか。

思い入れが強ければ強いほど、それに対して、思い通りにいかないと、怨みが募るということでしょうかね。
執着が強ければ強いほど、裏切られた、間違っていた、こんなハズではないという、失望になって、それが恨みつらみになるのかもしれまませんね。

しかしまあ、そういう思い入れが強い人は、おなじことを繰り返したりしますね。
つまり、いつの日か、法華講は間違っていた、法華講憎しということになもなりやすいですね。

そしてまた、こんどは「魅力的で正しくてよく見える組織」などに出会うと、そちらに移って、しかしまた、失望して憎しとなったりする。

結局のところ、「他に依存する人生」なんでしょうね。
それは、組織であれ、教えであれ、(仏法の教えもですね。日蓮さんの教えでも)、それが正しいとか、すばらしいとか、真実だとかいう思い入れが強ければ強いほど、まあ確実に、思い通りになりませんですね。

ブッダの道というのは、やはり「自灯明」だと、わたしは思います。
自らをよりどころとして、他をよりどころとするな、と。
他に避難所を求めるな、自らこそが避難所であれ、と。

418五月雨:2002/08/29(木) 17:16
いちりんさん

いちりんさんは、法華講のご経験が無いのですね。そりゃ幸い?でした。いちりんさんの分析は確かにそうです。

>思い入れが強ければ強いほど、それに対して、思い通りにいかないと、怨みが募るということでしょうかね。

役職が高いほど、学会への思い入れが強いんでしょう。それが怨みになってしまってあの学会への憎悪になる、分かる気がします。その反対に学会員の元学会幹部に対する憎悪にもなみなみならぬものを感じます。「ノミとか虱」と言われたら「ダニとかクズ」でお返しする、この「憎悪の連鎖」に終わりはないのでしょうか。

>ブッダの道というのは、やはり「自灯明」だと、わたしは思います。
自らをよりどころとして、他をよりどころとするな、と。
他に避難所を求めるな、自らこそが避難所であれ、と。

学会でも法華講でもよりどころ、避難所は御本尊と聞かされてきましたが、「自灯明」というのは大聖人様は説かれなかったのですか。私は聞いたことがありません。

419現時点:2002/08/29(木) 21:36
独歩さん

私にも415の独歩さんの信仰体験のページ教えてください。

いちりんさんが感動するというのは、ただごとではありませんので、

私も是非とも拝読したいと思います。

420宮本:2002/08/30(金) 21:41
五月雨さんへ
>寛師漫荼羅をどうして配布するのかと、・・・・
御指名がありましたんで、知っている範囲で書き込みします。
学会の公式見解ですが
 もう九年程前だったと思います。
  仏法の本義にかなう 学会の「御本尊」授与
   発行日/平成5年10月2日
   発 行/創価学会   
   非売品 
 という資料を元に、幹部同席の上、小単位で会合がありました。
(全国で開催されたんだと思います)
その冊子の中に
 「じょうえん寺の成田住職の真心の申し出によるものである。・・・以下省略」 P3
とあります。
で、具体的な話ですが
 宗門が学会を破門処分にした時の前後に、本山に残った僧侶の方々と、
正信会の方へいかれた僧侶、中立(学会にも総本山にも属さない僧侶)、
学会の方に来られた僧侶方々等に分かれていった状況がありました。
 学会の方に理解を示された僧侶の方々は、二十名か三十名の僧侶の方々だったと
思います。(その後、何人か増加したようですが)
 で、前出の冊子の中に

細谷 「先日、工藤住職も話していました。過去には、末寺では、
歴代法主のさまざまな御形木御本尊が、授与されていた。
法主がすべて開眼していたなどということは考えられない。
いや、末寺で思い思いに下付するほうが、宗門゛古来゛の在り方だった。」
             
谷川 「本山でも、青年僧侶たちの証言では、・・・以下省略。」
「・・実際は、その開眼さえ全くされない御本尊があったということです。・・・」P36
斎藤 「相伝の内容にしましても、日達上人も「堀上人が全部出してしまったので、
特別なものは何もない」と、明らかにされている。・・・。           P42

 以下ありますが、要するに学会の方では、宗門離脱僧侶の指導の元、
今までと同じ方法と手順により、御本尊の取り扱いをしています。
ということのようです。

 こういった点が、配布根拠かと思われます。
(もちろん、広宣流布に必要という大義名分もあるんでしょうが)
ちなみに、独歩さん方に御安置してあった御本尊は、日寛師書写の御本尊様のようですが、
草創期の学会では、日寛師の御本尊様が流布されていたと、辻さんの発言もありました。
                                      P31

で、学会が謹刻した数体の板曼荼羅謹刻の経緯もこの冊子の中に書かれています。
                                  
                                     以上

421宮本:2002/08/31(土) 08:34
つづき
 それで、ここ迄は、あくまで、簡単な冊子の内容紹介と事実経過です。

  冷静に内容を読んで、感じることは、法華講が、正信会が、宗門が、学会が、
 良いとか悪いとかといった事とは、
 また、別の問題かと思います。

422五月雨:2002/08/31(土) 09:00
宮本さん

詳しいご説明を有難うございました。何よりも驚くのは、宮本さんが内容は別にして、きちんとした文章を書かれた事です。けっしてクサシているのではありません。今まで宮本さんの書かれた文章はものすごく行間を読まなければ分からなかったし、私みたいなアホ頭ではその行間を読み切れず、何を仰りたいのか分かりませんでした。今回のご説明はよく分かりました。これからも同じように書いて頂ければ、私でも理解出来ますので、よろしくお願いいたします。
 さて学会が本尊配布の理由ですが、それくらいは私でも知っていました。あれから何年も経つのでもう少しましな理由を考え付いているかもと勝手に思っていました。何故なら、こんな理由で学会員が納得するはずが無いと思っていたからです。ところがあにはからんや、賢いはずの学会員諸氏はこの程度のコジツケで納得したのですね。

>じょうえん寺の成田住職の真心の申し出によるものである

信仰の根本たる御本尊を“真心の申し出”で決めるとは、何じゃそれ、と当時の私が学会員に言った言葉です。今も言いましょう。「何じゃそれ」

>要するに学会の方では、宗門離脱僧侶の指導の元、
今までと同じ方法と手順により、御本尊の取り扱いをしています。ということのようです。

今までと同じ方法ですか。私は学会員になった時に、「この御本尊様は戒壇の大御本尊様のお写しです。血脈付法の御法主上人様が書写されて、開眼されたものです。」と言われたものです。御本尊様をご下付されたのは寺院です。で、今の学会も同じ様に下付しているのですか?それは初耳です。破門されて縁のない団体になっていると思っていました。まさか会館で御本尊下付の儀式は行われていないでしょうね。それでは今までと同じ方法と手順とは言わないですものね。学会のへ理屈に付き合って、理屈をこねていたら頭が痛くなってきました。私の理屈も合っているのかどうか分からなくなってきた。

>独歩さん方に御安置してあった御本尊は、日寛師書写の御本尊様のようですが、草創期の学会では、日寛師の御本尊様が流布されていたと、辻さんの発言もありました。

それで日寛師書写の御本尊様を配布して何が悪いというへ理屈ですか、1981年に下付された私のご本尊は日顕上人書写ですが、この時は法主の頭は悩乱していなかったからいいとは言わないで下さいよ。学会員は日達上人書写の御本尊を下付された人もいるでしょう。信徒は時の御法主上人の書写された御本尊を下付されてきた歴史、いつの頃からは知らないけれど、私が入信した時にはありました。学会は自分達の都合のいい「教義」を考えつくものですね。
宮本さんは何の疑問も持たずに、「だそうです」と鵜呑みにしているのですか、他人まかせでお気楽でよろしいですね。でも信心の根本は間違っていたら自分の人生の幸・不幸に関わると学会で学んだ事ですので、ご忠告申し上げます。「それがどうなのか」をご自分で思考されてはいかがでしょうか。
本尊配布の理由を有難うございました。では次に

>学会が謹刻した数体の板曼荼羅謹刻の経緯もこの冊子の中に書かれています。

どう書かれているのかお教え下さい。よろしくお願い致します。

423五月雨:2002/08/31(土) 09:07
宮本さん

422を書き込んでいる間に421のレスを読みませんでした。

>良いとか悪いとかといった事とは、 また、別の問題かと思います。

信仰の根本の御本尊様について、別の問題だと言える宮本さんにとっての信仰って一体何なのでしょう。たまのレクレーション感覚なのでしょうか。たまのレクレーションのつもりでも、信仰は人生に影響を及ぼしますので、お気を付け下さい。

424宮本:2002/08/31(土) 14:23
五月さんへ
>どう書かれているのかお教え下さい。よろしくお願い致します。
 この小冊子。84ページあります。全文を書きこむことできません。
書名、紹介しましたし、二百万部御以上配られましたから、御手数
ですが、御自分の方で御入手して下さい。また、意見交換の場という
当サイトの主旨からすると多量の引用は、良くないと思います。
 また、正信会僧侶の御意見、宗門の御僧侶の御意見も書かれていませんから
公平性にも欠けるかと思います。
 関係者全員集まった上、会合でも持ってもらうのが、一番いいんでしょうが
今となっては、せんなきことです。
>信仰の根本の御本尊様について、別の...。
 あなたが、何故、こんなこと書くのか理解できませんね。

 全ての情報と知識があって、関係各位全員に聞く等、可能な上で
聞くなら理解できますが。
 御本尊に関して学会が全て悪く、宗門は全て絶対で、一点の曇りもなく
全知全能で正しいなら、判断も簡単なんでいいんですが。
 五月雨さんは、そういう判断なんでしょうね。
私には、理解出来ません。

425五月雨:2002/08/31(土) 15:13
宮本さん

>全ての情報と知識があって、関係各位全員に聞く等、可能な上で
聞くなら理解できますが。御本尊に関して学会が全て悪く、宗門は全て絶対で、一点の曇りもなく全知全能で正しいなら、判断も簡単なんでいいんですが。

私にも理解出来ません。全知全能なら理解出来るってどーゆー事なのですか。あなた方が配布しているご本尊のでどころは日蓮正宗大石寺というのは知ってますか。いやん知らんかったと仰るなら、宮本さんの言われることは理解しましょう。大石寺に属する御本尊は大石寺の取り決めに従って、ご下付されるのです。学会が、正信会がと言ってますが、各自別な団体ですから、それぞれの決まりの元で御本尊の配布があって然るべしというのが、私の意見です。学会は池田せんせーに書写して貰ったのを配布するのが筋道でしょう。ぜひとも書いてもらって下さい。日寛上人も草葉の陰で迷惑されていると思いますから。

本尊に迷うから、人生の不幸はあると学会で聞いてきましたが、嘘を教えられてしまっていたのでしょうか。ずーとそうだと思ってきましたから423のレスを書きました。

仏法の本義にかなう学会の「御本尊」授与からの引用で420のレスは書けても
数体の板曼荼羅謹刻の経緯は84ページの小冊子の全文を書き込まなければならないって、うーん分からへん。宮本さん私は常々言ってますように、この掲示板きってのアホですので、どうかその点を理解頂きまして、私如きにも分かるようにご配慮下さいませ。

>二百万部御以上配られましたから、御手数ですが、御自分の方で御入手して下さい。

会館で売っているのですか、法華講員にも売ってくれますか。

>宗門の御僧侶の御意見

よっく知ってます。私は法華講員ですから。

426宮本:2002/08/31(土) 15:54
五月さんへ
>あなた方が配布しているご本尊のでどころは日蓮正宗大石寺...
これは、現存する達師と顕師の御本尊が、学会にあるのでは
という御指摘でしょうか・?
 それとも、日寛師の御本尊をさすのですか・?
大石寺で、謹製して、今も学会の本尊として
渡されているということでしょうか・?
どういう意味かよくわかりませんが?
>仏法の本義にかなう学会の「御本尊」授与からの引用で420のレスは書けても
何故、そうなのかは、読む機会があれば、部分的引用は不適等と御理解いただける
思います。
 御批判は、結構なんですが、読んだ上で判断されてみては、いかがかと思いますが。

427宮本:2002/08/31(土) 16:18
つづき
>本尊に迷うから、人生の不幸はある...
 たしかに、御本尊流布にこだわるとそうなるかもしれません。
どういう指導を受けたかしりませんが、簡単、安易に御本尊、
を送ってしまうからではないですか。
 何も、個人の御本尊が無ければ、幸福になれないとも思われませんが。
東を向いての勤行でもいいと思いますが。
 本人が、希望しない限りその必要はないと思います。
数にこだわり、無理に御本尊を持たせようとするから変になるのでは。
 自分は、勤行をすすめたりした経験もありますが、御本尊送りをけいけいに
しません。
 御本尊に迷うなら持たなければいいのではないですか。
 御書のどこにも、個人で御本尊がなければ、幸福になれないとは
ありません。
 大聖人御在世当時の大部分の農民信徒は、御安置していないと思いますが。

428五月雨:2002/08/31(土) 16:23
>これは、現存する達師と顕師の御本尊が、学会にあるのでは
という御指摘でしょうか・?
 それとも、日寛師の御本尊をさすのですか・?
大石寺で、謹製して、今も学会の本尊として
渡されているということでしょうか・?
どういう意味かよくわかりませんが?

どれも大石寺がでどころですよね?
宮本さんはただ、その小冊子での話を紹介してくれただけなのに、私が難しい事を言い過ぎました。宮本さんのご意見というものがあるのかしらと思っていたものですから、失礼致しました。

429五月雨:2002/08/31(土) 16:26
宮本さん

書き込む間にまたレスを読みませんでした。話が噛み合わないのはもしかして平成になっての入信ですか。

430宮本:2002/08/31(土) 16:49
五月さんへ
 こちらこそ、失礼致しました。
 私は、学会員ですが、変な学会員だと思います。
聖教新聞は、取っていません。停止しています。
(無意味な批判記事が多い為です。)
だから、ちょっと違うと思います。

 外部の人間に学会の会館に連れて行けと言われる
ような、へんな学会員です。
(普通は、折伏される思ってこういうケースはありませんね)

 目的が、正しければ、他宗の先生の所にも平気で行きます。

>どれも大石寺がでどころですよね...

 私の記憶違いかもしれませんが、本山より離脱した末寺に
日寛師の真筆の御本尊があります。
 その末寺が、学会の支持の末寺になったためだったと思います。
(和歌山県の末寺だったと思います)
 したがて、真筆は、大石寺には無かったと思います。
(間違いの場合は、お許し下さい)

431宮本:2002/08/31(土) 17:12
つづき
>平成になっての入信ですか
 いいえ、昭和50年です。
   話があわないのは、幹部の学会員のように
  私が師弟論を信用していない為です。
 (当然、幹部とあいません)
 それに、幹部を無条件に信用しません。
 役職も全く信用していません。

432五月雨:2002/08/31(土) 21:39
宮本さん

>私の記憶違いかもしれませんが、本山より離脱した末寺に
日寛師の真筆の御本尊があります。
 その末寺が、学会の支持の末寺になったためだったと思います。
(和歌山県の末寺だったと思います)
 したがて、真筆は、大石寺には無かったと思います。

だから、大石寺がでどころでは無いと言う意味でしょうか。すみませんが、上記に書かれた意味をご解説ください。

宮本さんは学会二世なのですか。幹部も役職も信じていないけれども、学会は信じているのでしょうか。

433:2002/09/01(日) 01:18
>427
> たしかに、御本尊流布にこだわるとそうなるかもしれません。
どういう指導を受けたかしりませんが、簡単、安易に御本尊、
を送ってしまうからではないですか。

宮本さん

宮本さんは、簡単、安易に、じょうえん寺のコピー本尊を顕師本尊と取り替えさせた創価学会をどう思っているのでしょうか。
今の創価学会は、簡単、安易に本尊を送っていない、とでも言いたいのですか? 新入会の会員は御本尊をもらえないのでしょうか?
宮本さんは、簡単、安易に御本尊を頂いてはいないのですか? 宮本さんは、よほど苦労して頂いたみたいですね?

簡単、安易に日達師の本尊を日顕師の本尊と取り替えさせた創価学会をどう思いますか?
私は、信心歴が長いにもかかわらず、達師本尊ではなく顕師本尊をまつっているお家を、自分のこの目で見ました。
先輩学会員から「わざわざ達師から顕師の本尊に取り替えた家がある」という話を聞きました。
先日、現役学会員から「自分の所は『立派なご本尊にしましょう』と上の人に言われて、達師本尊を顕師本尊に取り替えさせられた」という話を聞きました。

434:2002/09/01(日) 01:28
>>本尊に迷うから、人生の不幸はある...

> たしかに、御本尊流布にこだわるとそうなるかもしれません。
どういう指導を受けたかしりませんが、簡単、安易に御本尊、
を送ってしまうからではないですか。

「本尊に迷うから人生の不幸はある」と学会では、これまで徹底的に会員に教えてきたのではないですか?
それを「どういう指導を受けたかしりませんが」などと、よくも簡単、安易に否定してくれますね。

435:2002/09/01(日) 01:58
> 私は、学会員ですが、変な学会員だと思います。
>聖教新聞は、取っていません。停止しています。
>(無意味な批判記事が多い為です。)
>だから、ちょっと違うと思います。

> 外部の人間に学会の会館に連れて行けと言われる
>ような、へんな学会員です。

へんな学会員が、まじめな元学会員に対して「どういう指導をうけたかしりませんが」
と平気で言える、この神経が理解できません。

436たまちゃん:2002/09/01(日) 02:47
すみません。失礼します。
御本尊様に天照大神と書かれていました。
これは日本の神ですよね。
何故書かれているのでしょうか?
また、伝教大師があるなら、聖徳太子とか鳩摩羅什とかはどうでしょう?
仮に御本尊に現代板があったらどうなるのでしょうか?

437:2002/09/01(日) 03:52
> 御本尊に迷うなら持たなければいいのではないですか。
> 御書のどこにも、個人で御本尊がなければ、幸福になれないとは
>ありません。

確か、創価学会は会員に顕師本尊から寛師本尊に取替えさせたのではありませんか?
「取り替えろって、うるさいけど、メンドクサイからヤダ」という学会員の不満の声を聞いたことがあります。
取り替えたくない、って言ってる人にまで、取り替えろ、というのは何故ですか?
顕師本尊では都合が悪いのですか?

御書のどこにも、個人で御本尊を持ってなければ幸福にはなれない、とは書いてませんね。
おっしゃる通りです。
日顕師が嫌いなら、その御本尊は捨てちゃって、御本尊無しでいいじゃないですか。
簡単、安易に御本尊を送るのって良くないですよね。新会員は御本尊無しでいいですよ。
わざわざ、じょうえん寺の寛師本尊を大量印刷する創価学会を、宮本さん、どう思います?

私は創価学会のやってることが、さっぱり理解できません。

438宮本:2002/09/01(日) 07:16
あさんへ
 横レスの場合は、出来れば指摘して下さいね。(五月さんあてのつもりでしたんで)
>というのは何故ですか
  私は、そういうことしていません。あさんのいう当事者に直接きくのが
 本筋ではないですか。学会員のやること全てに責任を取る必要が
 個人にあるのでしょうか・?
  学会員が、法華講の方に本山の事で抗議するのは、筋違いとおもいませんか・?
 一般法華講の方々には、何の責任もないのではないかと思いますが。  
>わざわざ...
 必要のないことで、やめるべきだと思います。

  学会の方にこられた御僧侶の方々の同意もあった以上、何も言えません。
 どう考えも、それ程、教学力もありませんし、石山のこと知りませんから。

 >御本尊無しでいいじゃないですか
 
  私もそう思います。

 そして、組織的登山の必要ありませね。(本人の希望なら別でしょうが)
 御書の中のどこにもありません。
 登山しなければ、幸福になれないとは、なかったと思います。

 (今週は、仕事でモニタの前にいませし、あさんの発言を全く
  見ることできません。全部、きちっと答えていないと思います。
  御容赦下さい。)

439五月雨:2002/09/01(日) 08:04
宮本さん

私のHNが気に食わなくて、変えて下さったのでしょうか。自分では気に入っているので変えずに呼びかけて下さいませんか。よろしくお願いします。音にすると全く違いますから。

宮本さんは、別に学会員であっても学会の代表でもなく、この掲示板での発言にも、何の責任も持ちません、という事なんですよね。だから宮本さんのレスを読んで疑問をぶつけても、小冊子に書いてあるから読めとか(入手できないのを承知で)言った当事者に聞けとか、逃げの一手ですね。これって無責任ですよね。
この掲示板では、大袈裟かもしれないけれど、信仰人生を賭けて、皆真剣に考えレスしていると思います。ロムされている方も真剣だと思います。私は自分の信仰に迷った末にたどり着いたこの掲示板から、多くの事を知り、学ばせて頂きました。
その事を今一度考えていただいて、宮本さんのご意見を聞かせて下さい。

440アネモネ:2002/09/01(日) 09:33
横レス失礼いたします

宮本さん

>私の記憶違いかもしれませんが、本山より離脱した末寺に
日寛師の真筆の御本尊があります。
 その末寺が、学会の支持の末寺になったためだったと思います。
(和歌山県の末寺だったと思います)
 したがて、真筆は、大石寺には無かったと思います。
(間違いの場合は、お許し下さい)


ご真筆がその和歌山県のお寺にあるということは、つまりご親筆は大石寺にはない。だから、大石寺がでどころではないという意味だと思いますが、それを文面通り読むならば、いかにも御本尊をモノとして捉えていることを、宮元さん自らが表明してしまったと感じます。
宮本さんのレスの中で、私は、ここが一番の矛盾ではないかなと感じました。

江戸時代は私が言うまでもありませんが、本末制度の秩序が厳しかった時代です。その和歌山県のお寺に日寛上人のご真筆のご本尊があるということは、そのお寺が大石寺の末寺であったことを如実に証明しているものでもありますね。それは、宮本さんがいう「私が師弟論を信用していない為です。」という観念的な理論では説明がつかないもので、もっと厳格な制度的秩序によって説明されることだと思います。

本末制度という絶対的な秩序のもとで、大石寺の末寺であるその和歌山県のお寺に法主である日寛上人が真筆御本尊を下付されたわけですね。ここはご理解されることと思います。そして今日までそのお寺で護り伝えられてきた。ところが、近代化で本末秩序の緩和された今日において、そのお寺は本山から離れ(?)、そしてそれを学会の御本尊とした。しかしそのご本尊がどのような秩序の関係でそのお寺にあるのかという、おおもとをだとれば、でどころは大石寺であるという認識になります。
なにより、日寛上人は、大石寺の法主だったわけですから、その日寛上人が書写あそばされた御本尊は、どこのお寺に伝えられていようとも、でどころは大石寺ですね。
理解されますでしょうか。

かつて宮本さんが書かれていたように、学会が大石寺と袂を分けたことをかえって良かったと思っているのであれば、日寛上人のご本尊ではなくて、いっそ日蓮聖人のご真筆の御本尊をコピーして下付していかれたほうが、ややこしくならなかったですね。ただし、戒壇之大御本尊は絶対という思いが、学会員の心にも強く残っているのであれば、日蓮聖人の他の真筆の御本尊のコピーでは意味がないわけですね。
結局、破門となり表面的に宗門と袂を分けても、教義的にはどこまでいっても日蓮正宗の一派であることから完全に脱却はできないのが、創価学会なのではないでしょうか。

この認識は、五月雨さんとの議論において非常に重要なことではないかと思います。この点の認識の違いを避けては、議論が空回りするだけではないでしょうか。
この点は、ぜひとも突き詰めてほしいと思います。

441犀角独歩:2002/09/01(日) 10:03

宮本さん:

私の名前を書かれていたので、いちおうレスします。あまりに質の悪い内容で、実は書くのも面倒です。

> ちなみに、独歩さん方に御安置してあった御本尊は、日寛師書写の御本尊様のようですが、草創期の学会では、日寛師の御本尊様が流布されていたと、辻さんの発言もありました。

私の漫荼羅は達師の印刷です。

しかし、、言っておきますが、学会の草創期からの印刷漫荼羅配布は各末寺がやっていたなどと嘯く従来の方法ではなく、“徹底した本山一山管理”に基づく配布です。戦前のことは知りませんが、すくなくても戦後は末寺が勝手に印刷した漫荼羅が配られることなんかなかったでしょう。なにが従来の方法ですか。

よくまあ、こんな下らない学会文書を鵜呑みにするものだと、この度は更にまことに呆れ果てました。

こういう嘘を200万部配ろうが何しようが、嘘を100遍繰り返しても本当にはならないのです。

当時、学会が独自の印刷漫荼羅頒布を始めたときの屁理屈は「和合僧団には本尊授与の資格がある」というものでした。何百万部と配られた新聞です。ご自分で調べてご覧なさい。

この記事を読んで私は大笑いしました。これでは要するに漫荼羅頒布前の創価学会は和合僧でなかったという意味も含んでしまうからです。

自分のところで、成田さんが申し出ようと何しようと漫荼羅の印刷して販売したりしないのが「節度」というものです。

宮本さんは聖教新聞も取らず、幹部も信用しない、けっこうなことであると思います。
ついで、たとえ200万部も売られようと、こんな歴史をねじ曲げた虚構のはかない文書も、買って読んで、せっせとアップしたりしないほうが、誤解されることもないでしょう。

442:2002/09/01(日) 11:20

宮本さん

どうも失礼いたしました。

> 私は、そういうことしていません。あさんのいう当事者に直接きくのが
> 本筋ではないですか。学会員のやること全てに責任を取る必要が
> 個人にあるのでしょうか・?

これは私の
>> 確か、創価学会は会員に顕師本尊から寛師本尊に取替えさせたのではありませんか?
>> 「取り替えろって、うるさいけど、メンドクサイからヤダ」という学会員の不満の声を聞いたことがあります。
>> 取り替えたくない、って言ってる人にまで、取り替えろ、というのは何故ですか?
>> 顕師本尊では都合が悪いのですか?

という質問に対する答えですね?
私は、学会員個人が、他の個人である学会員のやったことの、全てに責任を負う必要は無いと思います。たとえば、事業の失敗とか、万引きなどの犯罪とか。
しかし、顕師本尊から寛師本尊に取り替えさせるということは、個人の学会員がやったことではなく、組織的に行われたことです。
このお取替えは、宗教的にどういう意味がありますか? それが知りたいのですが。
広宣流布を目指す創価学会の一員として、このことを、どう考えますか?

「俺がやったことじゃないからシラネーヨ」ですか。

443:2002/09/01(日) 11:35

宮本さん

>> わざわざ、じょうえん寺の寛師本尊を大量印刷する創価学会を、宮本さん、どう思います?

という私の質問に対して、

> 必要のないことで、やめるべきだと思います。

という宮本さんのお答えですが、必要の無いことをやっている創価学会を、その構成メンバーとして、どう思いますか?
必要の無い御本尊を配って、「我々は大聖人の教えを守っている唯一の団体だ」と威張っている創価学会をどう思いますか?

444:2002/09/01(日) 12:38

宮本さん

> 学会員が、法華講の方に本山の事で抗議するのは、筋違いとおもいませんか・?
> 一般法華講の方々には、何の責任もないのではないかと思いますが。

私は、法華講に抗議ウンヌンということは、宮本さんに質問していません。
全然、見当違い、筋違いの答えで、話を混乱させるのは、やめてください。

445:2002/09/01(日) 12:43

五月雨さん

> 宮本さんは、別に学会員であっても学会の代表でもなく、この掲示板での発言にも、何の責任も持ちません、という事なんですよね。だから宮本さんのレスを読んで疑問をぶつけても、小冊子に書いてあるから読めとか(入手できないのを承知で)言った当事者に聞けとか、逃げの一手ですね。これって無責任ですよね。
この掲示板では、大袈裟かもしれないけれど、信仰人生を賭けて、皆真剣に考えレスしていると思います。ロムされている方も真剣だと思います。

同感であります。

446孤独な迷子:2002/09/02(月) 00:04
横からレスしてすみません。

独歩さん

 ご丁寧な解説を有り難うございます。

 独歩さんの指摘された3点のうち、2点は私にも当て嵌まりそうです。

 > ・自分自身を追い詰めていくような在り方→切迫型
    祈りをかなえなければいけない、叶うはずだ、叶わないのは信心がないからだと言ったような

 > ・極端に至福感に浸るような在り方→脳内物質分泌型

 私の場合は、「信心がない」と言うよりも(尤も信心があるとも言えませんが)、信心の仕方に誤りがあるのではないかと考えました。正しい信心ならば、正しい(?)結果が出るだろう。その結果が出ないのは、その過程に何か誤りがあるのではないか、そう考えたのです。それで、以前「体験発表」のことについて質問させていただきました。結果から逆に辿ってゆけば、何かが見えてくるかも知れないと。

 2点目の「極端に至福感に浸るような在り方」。このようなことを追い求めていたかも知れません。



五月雨さん

 心配していて下さったのですね、本当に有り難いことです。

 > 迷子さんは、何もかもよくお分かりなんだと思いました。

 とんでもないです。皆さんに比べたら、私などは未だに入り口のあたりで迷子になっています。(^_^)

 > 独歩さんが仰ったように、私はパンドラの箱を開けてしまいました。でも最後に残ったのは「希望」ですよね。

 本当にパンドラの箱ですね。でもそこに「希望」を見いだせたのは羨ましい限りです。私も皆さんに教えを請いながらその「希望」を探してみたいと思います。
 これからもよろしくお願いします。




アネモネさん

 > ほんの数行に満たないレスからは始まって、今回はこんなにたくさんのレスをされたこと、私はすごく嬉しいです。

 そう言っていただけると、私もとても嬉しいです。一月近く間が空いてしまったので気が重かったのですが、何だか勇気づけられました。有り難うございます。アネモネさんは優しい方なのですね。
 この掲示板に出会って最初は読むことのみでしたが、五月雨さんがここを去ろうとしたことがありましたよね。そのことがきっかけになって、思い余ってレスしてしまいました。でも、こうして皆さんと交流させて頂けるようになり、五月雨さんにも感謝しています。

 > 私が信仰のうえで一番問題にするのはいつも「心」なんですね。心が救われるかどうか。

 私もそう思います。「心」って一番の根本ですよね。その人の心の状態によって同じ出来事に対しても、その人の反応の仕方(振る舞い、言動など)が変わってくるのだと思います。その心の状態をより良いものにするために、大聖人は唱題行を教えられたのかと思えてきました。

 > その方々が信心から離れてしまったことで、なにか思うところがおありなのでしょうか。

 誤った折伏などしなければ良かったと今は思います。特に入院してしまった方に対してはそのように感じます。彼の心の中に新たに不信の種を植え付けてしまったような気がします。人間に対する不信を。


 アネモネさんのレスには心が温められます。有り難うございます。



管理人さんへ

 書き込みが先行してしまい、挨拶が遅れてしまいました。

 このような掲示板を作ってくれたことに感謝しています。
 この掲示板に出会えて、心の安堵を得られた思いです。今後も宜しくお願いします。


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