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素朴な疑問

381五月雨:2002/08/25(日) 18:58
独歩さん

私の考え方の順序が逆とのご指摘は、お聞かせ頂いて、そうだったんだぁと深く感心
致しました。私は頭の中には時代考証などという言葉は全くありません。学会で言わ
れた事をそのまま信じていました。俗に言う「鵜呑み」ですね。
戸田会長が言った言葉は完全には覚えていませんし、それが書かれていた会長指導集もほかしてしまったので、そのまま引用出来ませんが、たしか「御本尊を写真に撮る
のは不敬だ」と言ってたように思います。それに私達は御本尊を写真に撮ると、罰が
当たるとまことしやかに言ってました。だから、宗門が許可したというのが信じられ
ない思いだったのです。心の中で「この罰当たり」(笑)と思っていました。ちなみに
ウチのつれあいに、「戒壇本尊の写真がインターネットに載ってるよ」というと、か
なり驚いていました。見せてと言わないのは「罰が当たる」と思っているのかも(笑)

私の本尊観は、学会の影響だらけです。御本尊は命よりも大事と教えられ、信じてき
ました。火事の時には、自分の命よりも御本尊を助ける事が大切だと言われて、も
し、そんな事があったらどういう風に仏壇から御本尊を持ち出そうかと真剣に考えていました。実際そういう事があったら自分の事だけで精一杯でしょうが、助けなくてもいいのでしょうか。御本尊は自身の命という考え方から中々脱却出来ていません。だから独歩さんが載せた戒壇本尊の写真に過剰反応したのだと思います。

>末寺住職は漫荼羅を書かなくなった、だから、漫荼羅書写に至るまでの僧俗の深まりも失われたと思っています。

末寺住職が曼荼羅を書くなんて、学会の言いがかりと思っていましたが、それは御本尊を大切に思うからだと思えるようになりました。篤信の者だけが御本尊を受持するのは道理に叶っていると思います。こうすれば、無理をして押し付けて数が大事という折伏に信徒は悩まなくていいと思います。


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