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素朴な疑問

382犀角独歩:2002/08/25(日) 22:22

五月雨さん:

> 学会の影響だらけ

ここまで認められるということは、ずいぶんとマインド・コントロールが溶けてきた証拠ですよ。喜ばしいことです。

> 御本尊は命よりも大事と教えられ、信じてきました。

私は御本尊は大事だと思います。でも、ここでポイントになるのは「どっちが大事か」という選択を迫る点です。どっちが大事ではなく、どっちも大事ということでしょう。これはどっちを取るかと白黒選択させる手法がカルト理論です。こういう二者択一でものを考える習慣が身に付いた状態を権威主義的パーソナリティと呼ばれています。
なんとナチズムに心酔したドイツ人の心理がこの状態であったといいます。研究をしたのがE・フロムでした。

逆に言えば、白黒選択で、常にグループが用意した答えのほうを選択するように条件付けられている状態にされているのがカルト・メンバーの特徴です。つまり、こんな選択の仕方しか思いつかない状態にされていることをマインド・コントロール下にあるというわけです。

「あなたは御供養してもしなくも好いのよ。どっちにする」「御供養します」
「30万登山、行くも行かないも自由だけれど」「行きます」
と、常に用意された答えを選択するように仕組まれています。でも、石山はこの技術は未熟ですね。学会は完全に技術化されていますね。
新聞と取っていない学会員はいないし、公明党に投票しない学会員もいない…なかにはもちろんいるでしょうが…みんな、自分の意志でやっていると思っています。けれど、知らないうちに組織が決めたとおり、選択しています。

ハッサン氏は以下のように記しています。

マインドコントロールは、露骨な物理的虐待は、ほとんど、あるいはまったくともなわない。そのかわり催眠作用が、グループ・ダイナミックス(集団力学)と結合して、強力な植え込み効果をつくりだす。本人は、直接おどされるのではないが、だまされ、操作されて、決められたとおりに選択をしてしまう。(『マインド・コントロールの恐怖』P109)

ところで私も自分の御漫荼羅はすでに30年も持ってきたものです。火事になったら、自分と一緒に避難させますよ、自分の御本尊ですから(笑)
でも、どっちかという選択はしません。

> 戒壇本尊の写真に過剰反応した

お気持ちはわかります。
でも、ここで考えてみてください。インターネットで流すというのは、いわば複製が簡単に流れるからいけないのですよね。本物そっくりのものが、つまり、そっくりでも写真は写真で本物でないものが流れるからいけない。でも、何度か記しましたが、正本堂建立の時、聖教新聞のカメラマンが詳細の戒壇之漫荼羅を撮影したといいます。石山の了解の元で、学会が、です。
また、石山でも、法華講でも信徒に配っている漫荼羅は印刷です。印刷であるということは写真に撮って印刷原画を造ったということなんですね。

では、彫刻はどうなのでしょう。そっくり同じに削ったもの、本物でしょうか。また戒壇之漫荼羅は直接、板に貼って彫ってしまったといいます。彫られて真筆(真筆であったとしたらですが)は削り取られて鉋屑になって残った彫刻は本物でしょうか。

要するに、ここら辺で矛盾だらけのわけです。

> 末寺住職が曼荼羅を書く

自然なことでしょう。

> それは御本尊を大切に思うから

そう。そして、住職(師)が弟子檀那を大切に思うからですよね。

> 篤信の者だけが御本尊を受持するのは道理に叶っている

これが聖人の本義ですね。
聖人は、自分が記したものを版にして、何枚も同じものが造られたり、板に彫られるとも思っていなかったでしょうし、まして、同じ漫荼羅が板に彫られて、何体もあるようなことが起きることを想定されていなかったでしょう。興師はだからこそ、春師に怒りを露わにしたのでしょう。


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