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素朴な疑問
409
:
アネモネ
:2002/08/27(火) 22:38
孤独な迷子さん
こんばんは。ほんの数行に満たないレスからは始まって、今回はこんなにたくさんのレスをされたこと、私はすごく嬉しいです。人それぞれいろんな生活のリズムがありますから、どうか孤独な迷子さんの生活のリズムに応じて、たとえ間が空いてしまっても気にせずレスなさって下さいね。
>その心においての触れ合いというのはなかなか難しいのではないかと思います。その背景があって、今日の社会の様々な人間が関与する出来事が起こっているように思います。
本当にそうですね。心が渇いていますね。悩みや苦しみを抱えながら、そのことを自分の心の奥に抱え込んでしまって、表面を繕ってしまっているんですね。なにを考えているかわからない、心の探りあいのような人間関係が多いです。心の病にならないほうがおかしいくらいです。
>大聖人は人間が救われる道を説いてくださったと今でも信じたいと思っています。
私もそれを信じて求めてますよ。どこかのレスで独歩さんが書かれてましたが、「自力で救われる」ということを説いて下さっていると思います。そういう力をみんな持っているのだと思います。そのことを信じなさいと説いているんじゃないでしょうか。
>が、一方で、そうでないとしたら、人間が救われること(これも抽象的な表現ですね。すみません。)はこの世界ではあり得ないのでしょうか? 最近は、よく分からないと言うのが正直なところです。
私はこんなふうに考えてます。人間が救われるということ、あり得ないということはないと、これも信じます。
私が信仰のうえで一番問題にするのはいつも「心」なんですね。心が救われるかどうか。心が豊かになれるかどうか、満たされるかどうか。心のありようとか、もちようなんだと思います。病気が治るかどうか、お金持ちになるかどうか、そんなことではなくて、病気になったときの不安な心や、貧しさにもがいているときの渇いた心、その心の持ちようだと思います。
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