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素朴な疑問

372犀角独歩:2002/08/25(日) 06:51

五月雨さん:

> 御本尊と曼荼羅は違うのでしょうか。

これは、ここ富士門流信徒の掲示板の一大テーマです。
聖人からして、ほぼ同義として使っているところもありますが、私は厳格な意味では違うという考えです。

> 生身の大聖人様という戒壇本尊を写真に撮らせるだなんて、一体どういう事なのでしょう。

でも、仮に日蓮が生きていたときにカメラがあったら、写真を撮らせたでしょうね(笑)
亨師は、よい宣伝になる程度の大らかな考えであったのではないでしょうか。

> 御本尊は絶対に写真に撮ってはいけないと、戸田会長も言っていたように思います。どんな経緯があって日亨上人は許可したのかご存知ですか。

この五月雨さんの考えは時系列が逆になっています。
亨師が写真を公表(明治時代)したら、ひどい結果になった、「だから、やめよう」で、戸田さんの指導になった(昭和戦後)という流れです。

『日蓮上人』が発刊されたのは明治44年、本に写真が載ることよりなにより、まだまだ写真製版という技術自体が真新しい最新のものであった時代です。

> 私が聞いてきた事と、石山がしてきて事があまりにも違い過ぎます。

これは聞かれたことは学会指導で、やってきたことは石山の考え。
先に述べたとおり、順番が逆です。

私もどちらかというと聖人の漫荼羅を写真に撮るのは反対ですが、もう今となっては後戻りはできないでしょう。また、写真集が出たことによって、むしろ、真偽の判定はしやすくなったという利便もありました。フェイクの作成に悪用されない限り、研究という意味では功利面のほうが大きかったと思います。

>> その後、石山では本尊(漫荼羅)の公表をやめることにしたという経緯があるということでした。
> その後というと、その前は平気でしてきたのでしょうか。

それ以前は、明治のはじめ、また江戸時代になってしまいますから、写真製版の技術どころか、凸版印刷の技術もなかった時代になります。ですから、もっぱら木版ということになるでしょう。

> そう言えばウチの住職は「御本尊の写真集を持っています」と平気で言っていました

これは多分、五月雨さんの御本尊観が、…気を悪くしないでくださいよ…やや学会の影響が残っているからでしょう。漫荼羅は尊崇の対象ですが、今日日、真面目な学究者であれば誰しも本尊(漫荼羅)写真集はもっています。

> 僧侶は御本尊をあまり大切に考えていないみたいですね。

仰る意味とは違いますが、私もそう感じます。
先の印刷技術の話と関連しますが、そもそも印刷製版で大量生産して配布するような類のものであるのか、私は疑問に思っています。誤解を招く恐れもありますが、印刷で大量生産できるようになったので、末寺住職は漫荼羅を書かなくなった、だから、漫荼羅書写に至るまでの僧俗の深まりも失われたと思っています。要するに手続の師匠は誰でもよいということになってしまったのでしょう。

他で記しましたが、“本尊”という言葉、実は初期天台文献には見られない言葉です。元来、仏教語ではなかったということです。では曼陀羅はあったのかというと、こちらはすでに法華経に見られます。けれど、意味は違います。天上世界の花を意味したものです。曼荼羅が描かれた図示となるのは密教(タントリズム)でしょう。

つまり、本尊、曼荼羅ともに法華経とはかけ離れたものなのです。けれど、聖人はそれを受容された、その流れの中に日蓮門下もあるということです。

では、我々がいう本尊曼荼羅とは、その原意は何かといえば、まさしく仏様そのものでしょう。つまり教主釈尊に対する尊崇を置いてはないということです。つまり、この点でも、大石寺系グループは原意を失ってしまっているのです。果たして、このような在り方が仏教といえるのかというのが、私が投げかけているテーマであるわけです。


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