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素朴な疑問
365
:
犀角独歩
:2002/08/23(金) 18:57
五月雨さん:
聖人が罰というのは法華誹謗の科、功徳とは法華受持に限ることでしょう。
ざっくばらんに申し上げれば、罰も利益も個人的な主観であるという結論を石山教学は支持しているのだと思います。
つまり、罰即功徳などというわけですね。要するに、各人がどのように感じるかだけでしょう。「退転したから病気になった、貧乏になった」なんて誹謗があるわけです。
けれど、聖人の晩年は身延の山中で食に事欠き、さらに痩せ病と下痢に悩まされていました。何度も引いているのですが、真跡はありませんが、『四菩薩造立抄』に
日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども、仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富める者なり
と言われるわけですね。また、『上野殿母尼御前御返事』に
さては去ぬる文永十一年六月十七日この山に入り候ひて今年十二月八日にいたるまで、此の山出づる事一歩も候はず。たゞし八年が間やせやまいと申し、とし(齢)と申し、としどし(歳歳)に身ゆわく、心をぼ(耄)れ候ひつるほどに、今年は春よりこのやまいをこりて、秋すぎ冬にいたるまで、日々にをとろへ、夜々にまさり候ひつるが、この十余日はすでに食もほとを(殆)どとゞ(止)まりて候上、ゆき(雪)はかさなり、かん(寒)はせめ候。身のひ(冷)ゆる事石のごとし、胸のつめたき事氷のごとし
とあり、聖人晩年の、病の重さが窺われます。しかし、この記述を見、涙に暮れる人はいても聖人をして、まさか罰だという信徒はいませんね。
前も引いた八風抄にしても、結局、どのような境遇、窮地においても、心を乱さない境地の確立を仏教は目指しているわけですね。
罰も利益も表裏一体のもの、結局、この富士義が、「組織活動をしない罰が当たる」などという人はわかっていないのでしょう。
なお、治罰というのは、いわば神仏の擬人化に基づき、悪人を裁くというという思想が根底にひそんでいますね。天罰云々はなんだかキリスト教のような絶対者信仰を背景にした、被支配者の恐怖操作と支配に基づく思想であるようで、そもそもしかし、仏教は因縁説と矛盾すると思います。
「罰当たり」などという呪文に心を乱されない鍛錬こそ、必要なのでしょう。
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