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素朴な疑問

384五月雨:2002/08/25(日) 22:25
富士桜さん

>二十数年信心されてきている五月雨さんと同様の考え方に、二年ちょっとの自分が同じ本尊観を持っているのが不思議でした。
独歩さんのおっしゃる「学会の流れ」が、今は日蓮正宗には居ない学会の影響が今の自分に知らず知らずに入り込んでいるんですね。

昔むかしその昔、創価学会は「日蓮正宗創価学会」だったのですよ(笑)今でこそ敵対関係にある両者の蜜月時代を知らない富士桜さんには、とりあえずでも現法華講員の私の考え方に驚きましたか。本尊観だけでなく、教義的に変節してしまったのは学会の方ですので、元々の教義です。その元々の教義が学会流だったのは歪めませんが、それを注意するでもなくそのままにして置いたのは、石山です。今更、学会の信心のここがおかしかったなどと石山は批判しますが、責任放棄しておいてのこの言葉は無責任の極みです。

>もっとも御虫払い法要の時に「なんであれだけ大切な御本尊が沢山あるのに大御本尊の原判がないんだろう」と一人でパニックに陥っていたくらい無知でした。
大聖人御真筆の本尊が一幅しかなかった事にも驚きました。

戒壇本尊の原判などと思ったこともありません。大体、戒壇本尊が半丸太であると知っている信徒はどのくらいいるのでしょうか。
信心歴40年を誇る法華講のおばぁさんにそう言ったら「知らなんだー」と言ってたけどそんな詳しい事は必要ないそうです。何だか変ですよね。信心の根本である戒壇本尊について実態はどうなのかを知りたがらないというのは。やっぱり気持ちの中で御本尊云々すると罰が当たると思っているのでしょう。私も少し前まで同じでした。
それよりも、石山には御真筆本尊が一幅しか存在しないって本当ですか。こっちの方がショックです。二箇相承書はあるのに何ででしょう(笑)


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