[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
素朴な疑問
370
:
ワラシナ
:2002/08/25(日) 00:13
no340いちりんさん
*ちょっと理屈っぽくて申し分けないんですが以下のような事を前から感じてたので書いてみました。
----「苦楽ともに思い合わせて」に見る宗祖の四諦観----
0<要旨>、「ただ女房と酒うちのみて」のご指南で有名な四条金吾殿御返事(衆生所遊楽御書)(1143P
http://www4.justnet.ne.jp/~bekkann/goso1143.htm
)には文面には露ではないが、宗祖の四諦観(法華円教無作の四諦)が背景に働いているのではないだろうか、と私は推理したのである。
0−1、
引用始め-------------
「一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く「衆生所遊楽」云云、この文・あに自受法楽にあらずや、衆生のうちに貴殿もれ給うべきや、所とは一閻浮提なり日本国は閻浮提の内なり、遊楽とは我等が色心依正ともに一念三千・自受用身の仏にあらずや、あに自受法楽にあらずや
法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし現世安穏・後生善処とは是なり、
ただ世間の留難来るとも、とりあへ給うべからず、賢人、聖人も此の事はもがれず、ただ女房と酒うちのみて南無妙法蓮華経と・となへ給へ、苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経とうちとな(唱)へゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ、恐恐謹言
建治二年(1276年)丙子(ひのえね)六月二十七日 日蓮 花押
四条金吾殿御返事」
引用終り-------------
1、何故そういえるのかといえば、「苦楽ともに思い合わせて」の「苦楽」が天台四教説に組み込まれた天台流の四種四諦のなかでは、そのまま一まとめに「蔵教実有の苦諦(諦観録)」に括られてしまうからである。
三界六道人天二十五有は天界の楽しみさえも「苦」とされる、この事情が「思い合わせて」の表現になっているのではないか、だから、「苦楽ともに」が天台教義「苦諦」に該当している、と感じたのである。
2、こうなれば、これは天台流の煩悩論で集諦が解釈されるのが自然なものとなり、「苦諦」を「滅諦=法楽」に持っていく為には、空観一辺に偏する蔵教の「道諦」観では、その集諦観の限界たる見惑、思惑の低級煩悩を滅するだけで、終わってしまい、それは灰身滅智の「滅諦」を導くだけで終りになってしまう。塵沙惑、無明惑の滅までには至らない。
3、こうなれば、宗祖にとっての「道諦」はどうなっているかということになるが、それが「南無妙法蓮華経とうちとな(唱)へ」になっていると観察されたのである。初期仏教の八正道が、ここでは一心三観の題目行に該当している、と思われるのである。
(h14/8/24)
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板