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素朴な疑問

388犀角独歩:2002/08/26(月) 00:02

五月雨さん:

> どうしても持ち出せそうに無かったらどうされますか

燃えるに任せるしかないのではないでしょう。無常を説くのが仏教でしょう。形あるものは必ず崩れていく。だから、聖人がご自身が書かれた漫荼羅が永遠に残るはずはないと思ったから書き方を弟子に伝えたのでしょう。

興師ですら、身延では聖人御所持の釈迦立像を守れず持ち去られ、弘安2年に授与された聖人聖筆の御漫荼羅を盗まれて紛失してしまうのです。でも、興師は死にませんでした。当然ですね。

本当か嘘か知らないですが、亨師のでお弟子が冷厳な姿勢に触れて「では、戒壇之漫荼羅がなくなってしまったらどうするのですか」と詰したら、「わしが書く」と答えたとか。

>> 春師に怒りを露わにした

『富士一跡門徒存知事』に

御筆の本尊を以て形木に彫み、不信の輩に授与して軽賤する由、諸方に其の聞え有り。所謂日向・日頂・日春等なり

日蓮聖人が図示された曼荼羅を版木に刻み、(板漫荼羅にしたか、版画を造ったか)、信心の浅い者に授与する。これは漫荼羅を軽んじ、賤しんだことだ。いろいろなところにその噂がある。日向、日頂、日春がこれに当たる、という記述です

形木、いま石山で配布される漫荼羅を「御形木様(おかたぎさま)」と言いますね。
聖人の筆ならばダメで、歴代聖人のものであればよいのでしょうか。そうすると、「代々の聖人悉く日蓮」という本尊三度相伝から外れますね。整合性を考えれば、要するに印刷漫荼羅はダメと言うことでしょう。これが富士義です。

要するに、この興師の教えとされる『富士一跡門徒存知事』に真っ向から違反して、印刷漫荼羅を配布したのが石山でした。どうして、いま創価学会が印刷漫荼羅を頒布したからといって批判できるのでしょうか。もっとも学会は石山とは縁を切った団体、なんで寛師漫荼羅を印刷するのでしょうか。池田さんが自分で書き、それを印刷して配ればよいのです。

創価学会の脱宗は1000万を数えるかも知れません。要するに1000万体の印刷漫荼羅が不敬にされたと言うことです。これは学会だけが悪いのでしょうか。

それにも関わらず、自分が授与した漫荼羅の護るために「死ね」という石山は異常です。なぜならば、それが単なる印刷漫荼羅=仮のものであると知っているからです。


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