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素朴な疑問

383ワラシナ:2002/08/25(日) 22:24
いちりんさん

no375>ただ、ブッダの文脈からいいますと、なんでも南無妙法蓮華経でいいというのは、じつは「欲望につきうごかされて、欲の達成のために唱える」ということになりやすいですよね。

そうなんです。理屈では「**諦」の「諦」という精神動詞になっている事が、基礎になって題目行も成立してるはずなんですが、その意義が忘れられて、それが祈願祈祷主義にどうしてもなりやすいのです。祈念の目標が菩薩の誓願なら理にかなってるかもしれませんが、逸脱する危険があって、終いには有り得そうもなさそうな不合理な物事まで心の中の祈願対象に取り込まれている事に気が付かない事があるのです。
それから省みたとき、仏陀の四諦の方が素朴で、訴えるものがあると思う。天台実相論の三諦円融をいきなり実感するのは特殊な思惟訓練を経なければ不可能だと感じます。

これは今後の課題ですが、特に初期仏教の四諦においては「感じられた真理としての**諦」と「考えられた真理としての**諦」との対応が認められますが、その中で特に「苦諦」は他の三諦の基礎を提供していて特別な地位を持っていると感じます。「苦」というあり方こそが人間生存の真の現実にあたいするものなのだ、というような主張をそこに感じます。その「いつもそのように感じられている真理としての苦諦」の基礎の上に他の三諦が乗っかっているような構成を感ずるのです。
これは天台実相論での四諦との比較を勉強してから考えたいところです。

no377>あらゆる宗教の基本は「おまかせする」ことだと思っています。

上のお考えはよい意味で「受身に徹する受動的決意性」と自分は解しています。「積極的な消極性」という知恵みたいなもの。「自由の本質はその消極的な意義の方面にこそある」といった某哲学者の言葉を思い出します。


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