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素朴な疑問

440アネモネ:2002/09/01(日) 09:33
横レス失礼いたします

宮本さん

>私の記憶違いかもしれませんが、本山より離脱した末寺に
日寛師の真筆の御本尊があります。
 その末寺が、学会の支持の末寺になったためだったと思います。
(和歌山県の末寺だったと思います)
 したがて、真筆は、大石寺には無かったと思います。
(間違いの場合は、お許し下さい)


ご真筆がその和歌山県のお寺にあるということは、つまりご親筆は大石寺にはない。だから、大石寺がでどころではないという意味だと思いますが、それを文面通り読むならば、いかにも御本尊をモノとして捉えていることを、宮元さん自らが表明してしまったと感じます。
宮本さんのレスの中で、私は、ここが一番の矛盾ではないかなと感じました。

江戸時代は私が言うまでもありませんが、本末制度の秩序が厳しかった時代です。その和歌山県のお寺に日寛上人のご真筆のご本尊があるということは、そのお寺が大石寺の末寺であったことを如実に証明しているものでもありますね。それは、宮本さんがいう「私が師弟論を信用していない為です。」という観念的な理論では説明がつかないもので、もっと厳格な制度的秩序によって説明されることだと思います。

本末制度という絶対的な秩序のもとで、大石寺の末寺であるその和歌山県のお寺に法主である日寛上人が真筆御本尊を下付されたわけですね。ここはご理解されることと思います。そして今日までそのお寺で護り伝えられてきた。ところが、近代化で本末秩序の緩和された今日において、そのお寺は本山から離れ(?)、そしてそれを学会の御本尊とした。しかしそのご本尊がどのような秩序の関係でそのお寺にあるのかという、おおもとをだとれば、でどころは大石寺であるという認識になります。
なにより、日寛上人は、大石寺の法主だったわけですから、その日寛上人が書写あそばされた御本尊は、どこのお寺に伝えられていようとも、でどころは大石寺ですね。
理解されますでしょうか。

かつて宮本さんが書かれていたように、学会が大石寺と袂を分けたことをかえって良かったと思っているのであれば、日寛上人のご本尊ではなくて、いっそ日蓮聖人のご真筆の御本尊をコピーして下付していかれたほうが、ややこしくならなかったですね。ただし、戒壇之大御本尊は絶対という思いが、学会員の心にも強く残っているのであれば、日蓮聖人の他の真筆の御本尊のコピーでは意味がないわけですね。
結局、破門となり表面的に宗門と袂を分けても、教義的にはどこまでいっても日蓮正宗の一派であることから完全に脱却はできないのが、創価学会なのではないでしょうか。

この認識は、五月雨さんとの議論において非常に重要なことではないかと思います。この点の認識の違いを避けては、議論が空回りするだけではないでしょうか。
この点は、ぜひとも突き詰めてほしいと思います。


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