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Web誌友会 板/2

3570復興G:2013/12/28(土) 23:31:07 ID:AB6RqYXc

>>3567 :ユタカさま
>> > 一切は自分の責任とか、一切を自分で引き受けたものが真理において勝ち。<
生長の家の本で自己一切者の自覚とか書かれていますが、イマイチよく分かりません。
一切の現象が我より出でて我に返る。??
そうだった、と思うこともありますが、一切というと、すべての現象という意味だとすると、納得がいかない。
自分がこのような悪い事したかな?と思いますが??? <<

 ――昭和天皇様が、終戦後にはじめてマッカーサー連合軍最高司令官に会われた時、「この度の戦争について一切の責任は自分にあります。国民には罪がないから、飢えに苦しんでいる国民を助けてほしい」 と言われた。

 その陛下のお気持ちは、「自分が悪いことをした」 というような “反省” みたいな暗いお気持ちではなくて、すべては自分である、自分がすべてを引き受けようという、無限の愛のお心、神のお心であったと思います。

 「一切者の自覚」 とか 「一切は自分の責任」 と引き受ける覚悟は、反省して自分を責めるような暗い気持とはちがい、いさぎよい勇気に満ちた覚悟で、恐怖のない大安心の覚悟なのではないかと思います。

 他に責任を転嫁しようとするのは、逃げようとする心だから、かえって恐怖心があって、大安心にはならないのではないかと思いますが……。

 「一切者の自覚」 とは、「われ神なり」 の自覚。すべては自分なのだ、宇宙が自分の手のひらに乗っている、一切は自分の心の展開なのだから、自分次第で世界が変わるのだ、世界は自分の心で支配している、自分は宇宙の主人公、自分は大いなるもの、偉大なる者なのだ! という心でしょう。一切は自分だから、他を愛することは自分を愛することである、となるのだと思います。

3571復興G:2013/12/28(土) 23:52:57 ID:AB6RqYXc

>>3568>>3569 :神の子さん様

 ご愛念、ありがとうございます。

 「自分の顔に泥を塗る(泥水で顔を洗う)」、「顔を洗って出直す」 というのは、フランス・ルルドの聖少女ベルナデットが黄金の薔薇三輪を踏まえた聖母マリアの姿を空中にみて、女神マリアの言葉どおり足下を掘り噴き出した泥水顔を洗った。谷口雅春先生はそのことを 「黄金の薔薇」 という詩に書いて下さっています。
>>3515>>3517>>3521をご参照下さい)

 つまり、過去の自分を捨て去り、神想観をしてさらに新たな気持で、生まれかわった気持で出直す、という意味です。ご心配なさらないでください。

 ありがとうございます。

3572復興G:2013/12/29(日) 00:10:49 ID:AB6RqYXc

 智慧の言葉に、「死ね! 生きる」 というようなお言葉があったと思いますし、イエスも 「己が命を棄つる者は却って生き、己が命を救う者はこれを失わん」 というようなことを言っていますね。自我を死に切る者が、却って大いなる命を生きることになる。それが本当の人生の勝利者である、というのが真理でしょう。

 孫子の兵法でも、相手を生かすこと(敵を徹底的にやっつけるようなことはしないで、むしろ味方につける)の方が大局的には自分も生きる、つまり勝利することになる、というような意味のことを言っていたと思います。

 私もそのようにしたいと、自戒しています。

3573復興G:2013/12/29(日) 06:59:25 ID:AB6RqYXc

 おはようございます。

 >>3572で、「孫子の兵法」 について触れましたが、孫子については、前に <「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板> に書いたことがありました。読み返してみると、面白くて、なかなかいいことが書いてあるなあと、自分で感心しています。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1311411528/?q=%C2%B9%BB%D2

 その一部を再掲載させていただきます。

          ○

 『孫子』は、「生きるか、死ぬか」の瀬戸際にあって、どう戦って勝つか、ということを前提とした戦略を伝える書です。まさに、命がけの戦い。負けは死を意味します。だからこそ、絶対に勝たなければいけないんですね。

 生長の家も、ある意味で今、「生きるか、死ぬか」の瀬戸際にあるとも言えるでしょう。だから、『孫子』がとても参考になると思うのです。

 孫子は、この兵法書の中で、「軽々しく戦うな」ということを言っています。たとえば

 「兵は國の大事にして、死生の地、存亡の道なり。」

 という一文があります。これについて、『孫子の至言』の著者田口佳史氏は、

<「戦争というのは国の存亡を分ける重大事である」とし、だからどう行動するかについては、「察せざる可からず」 と言っています。この 「察」 の字は、下に 「示」 とありますね。これは神棚を表し、上の部分は手で肉をお供えしていることを意味します。したがって、神棚の前で雑念のない真っ白な心で自分自身に問いかけなさい、公平無私な判断をしなさい、というのです。「戦いというのは生きるか、死ぬかの大事なのだから、軽々しくやってはいけませんよ」 ということです。

 私たちはときに、どうでもいいことで争うことがあります。命を取られるほどのことはないからいいではないかと言われればそうですが、無用の争いはやはり避けたほうがいい。負ければ、心身の消耗が激しく、命を縮めることにもなりかねませんからね。

 どうしても争わなければならないにしても、絶対に勝てるのか、勝つことの意味は何なのか、といったことを熟慮する必要があるでしょう。

 争い事を前にしたら、むやみやたらと戦いに打って出るのは一番の愚策。命を損なう危険も視野に入れて、慎重に考えなければいけないのです。

≪ 百戦百勝は、善の善なる者に非ざるなり。(謀攻篇)

 凡そ兵を用ふるの法、國を全うするを上と爲し、國を破るは之に次ぐ。≫

 ――「国を全うする」 というのは、自国はもちろんのこと、敵国をも無傷のままに勝敗を決することを意味します。

 それが一番上等な戦いで、勝ったとしても敵国に損害をおよぼすような戦い方は褒められたものじゃあないというんです。

 どういうことかと言うと、戦争に勝つことは敵国を占領することが前提ですから、被害が大きければ大きいほど復興が大変です。その任を負うのは戦勝国のほうで、「本当に勝ったんだろうか」 と思えるくらい、戦後の復興に莫大な費用とエネルギーを要するのです。

 そればかりか、これでもかというくらいの攻撃をすれば、多くの人を殺すことになります。当然、負けた国の人々からものすごい恨みを受けるでしょう。

 だから、敵をこてんぱんにやっつけるのは、上等な勝ち方とは言えないのです。>
<後略>

 ──以上は、 『孫子の至言』(田口佳史著)からの抜粋でした。とても参考になる至言ではないでしょうか。

 イエスの言葉では、マタイ伝第10章39節に

 「生命(いのち)を得(う)る者は、これを失ひ、我がために生命(いのち)を失ふ者は、これを得(う)べし。」

 という言葉もあります。「永遠の生命」(永遠のキリスト)のために現象の生命を献げる者が、永遠の生命を得る。イエスは、我れを愛するなら羊を飼え、とも言った。「羊を飼え」 というのは、生命の兄弟である、神の子である隣人を愛せよという意味だと、谷口雅春先生は 『ヨハネ傳講義』 でお教え下さっています。

3574曳馬野:2013/12/29(日) 07:23:34 ID:xR0RYWLc
 
  復興Gさん 余りの独善的解釈ですね
 
そうすると、【形は同一であっても】【釈迦の前にある世界がすっかり変貌してしまったのであります。】そこで釈迦は、【十二月八日の明けの明星を見ながら、】
「有情非情同時成道、山川草木国土悉皆成仏」と悟られたのであります。すなわち「有情」――生きとし生けるもの、「非情」――ありとしあらゆるもの、
悉く 【今】 仏になっている。山も川も草も木も悉く仏の相(すがた)である。

みんな生かし合い、拝み合いの相(すがた)である。【今まで地獄の相だと思っておったのはまちがいだったとお悟りになったのであります。】これが釈迦のお悟りになった縦の真理であります。
(『生命の實相』第39巻 <仏教篇> p.41〜p.42より)

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 ――「天地間、ありとしあらゆるもの、生きとし生けるもの、みんなこうして愛し合っている者はもちろん、憎み合っているかのごとく見えている者同士さえも生かし合っている世界なのです。
みんな愛し合いの世界なのです。みんな解け合いの世界なのです。」 と、教えて頂きました。
 ――生長の家で、教団と本流の人々が、いかに激しく争いあっているように見えても、実は拝み合い、生かし合いの相(すがた)である。

ありとしあらゆるもの、悉く今仏になっている。山も川も草も木も悉く仏の相(すがた)である。



 【曳馬野さんは、総裁の忠実なポチか、馬の脚を、一所懸命 演じていらっしゃる。】


あなたも本流派の御仁と同じ、現実を見ること能わず、想像の世界、観念の世界の住人なんですね。志恩女子が私を馬と揶揄した其の儘に私を馬と呼び、総裁のポチと呼ぶ。
佛教篇を引用して滔々と捲し立てたところで、見当違いの結論でもって、目明きメクラの誘導では皆川に落ちてしまいますよ。

上の【  】は私が附けました。

【今まで地獄の相だと思っておったのはまちがいだったとお悟りになったのであります。】と書かれています。【曳馬野さんは、総裁の忠実なポチか、馬の脚を、一所懸命 演じていらっしゃる。】と
思っていたのは間違いであったとあなたは悟られましたか?

当然悟られてはいないですよね、【形は同一であっても】【釈迦の前にある世界がすっかり変貌してしまったのであります。】とあります。

あなたは云う 【 私は、上記の実相を、ひたすら祈らせて頂きます。】と、この祈りは現象が真象そのものの影となることを期待するものでしょう?

この現象の変化を求めているのです、あなたの祈りは。私の行動の変化を求めているのです。然し釈迦の悟り、また雅春先生の解釈は違います。

【形は同一であっても】【釈迦の前にある世界がすっかり変貌してしまったのであります。】なんです。お解りになりますか?

【 私は、上記の実相を、ひたすら祈らせて頂きます。】


あなたが悟れば、今目に見えている形は同じままで、見えている世界がすっかり変貌するのです。そう書かれていませんか?
どこまでも見える世界は信念の影なんです。これは生長の家で云うことですよね。祈ってどうこうしようなんて説かれていますか?
祈らなくてもいいんです、変貌した相が見えれば。祈ったって見えやしません。神癒への道を何十辺も読み、生長の家を60年やり、雅宣先生の実相を20年祈ったところで、
変貌して見えないからうだうだ言っているのでしょう?


【 私は、上記の実相を、ひたすら祈らせて頂きます。】は未来に結果を求めているのではないですか?

【悉く 【今】 仏になっている。山も川も草も木も悉く仏の相(すがた)である。】は未来でなく今ですよね。こう先生は云っているのです。

変化を求める心そのものが不足の表れなんです。求める必要のない世界であってこそ満ち足りた世界、阿弥陀の世界でありましょう。
現象は無いんです、心に浮かぶ心象でしかないのです。あるものはそのままに実相なんです。善悪を超えて。
其の儘の心を大切にすべし、なんです。変えるべきは己の心象なんですよ、外の姿でなく。

少女からの飲み物の供養により生かし合いの世界を釈迦が悟ったと雅春先生は云われるけれど、禅の世界の「明星一見」の悟りは全く違うとされています。

3575復興G:2013/12/29(日) 07:46:45 ID:AB6RqYXc

>>3573のつづきになります。

 孫子に関連しては、<組織 板> の方にも、面白く有益な書き込みがありました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322573377/312

 一部、抜粋再掲させていただきます。

>312 :復興G:2012/01/23(月) 12:34:57
>>311 :役行者様
> いま、高度経済成長の時代に終わりを告げ、ガムシャラにガンバろうという気風はなくなり、一度止まって内面を見つめ、再構築していこう!という時代が始まろうとしています。大きくみて、転換期と思われます。……少なくとも、私は地球規模の転換期と思っています。<

まさにその通りだと思います。
自力で戦ってガンバロウ!とすると、ろくな事にはなりませんね。

 去る12日の日経夕刊「あすへの話題」に、「彼と己を知る」と題し和田昭允氏(東大名誉教授)が、いわゆる「孫子の兵法」について書かれていました。

<引用>
「彼を知り己を知れば百戦して殆(あや)うからず」は先刻ご承知、戦略論の古典「孫子」不朽の箴言だ。(中略)
 相手を“敵”と決めつけないで“彼”とするところに、その深い想いが覗える。
 百戦百勝はベストではない。戦わずに相手を屈するのがよいと説き、戦争は国を全うするのが最善、国を破るのは次善だとも言う。相手を傷つけずに言うことを聞かせるのが一番良いと教える、高い視点からの処世哲学だ。だから英訳書の表題も格調高く「戦争の芸術」だ。ナポレオン、リデル・ハート、毛沢東など、古今東西の戦略家が強い影響を受けたという伝説は十分納得できる。

 朝敵の徳川家を全うさせた明治の新国家建設や、完膚無きまでに叩かれた後、経済大国として全うした日本はその成功例だ。(中略)

 われわれの“彼”は森羅万象、つまり宇宙、地球、環境、社会、職場、家族……であり、“己”は学術、思想と価値観、そして厖大な知識集積から価値を創造する叡智だ。これらを弁えれば、冒頭の言に続く「彼を知らずして己を知れば一勝一負し、彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆うし」の羽目には陥らない。

 国家をはじめ物事を誤らないためには、まず彼と己をよく見極め、知る。その上で知情意を尽くして有終の真善美を飾る努力をすれば、悔いは残らない。
<引用終了>

 よく、「人を見抜くことが大事」とも言いますが、彼(相手)を本当に知るというのは、「敵ではない。味方である」と知る。「すべて真実の実在は、神と神より出でたる物のみなり。神は完全にして、神の造り給いしすべての物も完全なり」。というところまで見抜く。それが真に「彼を知る」ことである。

 また、「己を知る」というのも、己の長所と欠点を知るというような中途半端なことではなく、「己というものは本来なかった。完全円満な神のいのちだけだった。すべてと一体で調和している自分だけがあった」と知るのが、本当に己を知ることだと思います。そこまで徹底すれば、まさに「百戦して殆(あや)うからず」となるのだと思います。

    ===================
<つづく>

3576復興G:2013/12/29(日) 07:48:22 ID:AB6RqYXc

<つづきです>

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322573377/?q=%CC%B5%C5%A8%CE%AE

<組織 板>
>318 :復興G:2012/01/24(火) 10:13:55

<312>で私は「孫子の兵法」について書かせて頂きましたが、それに関連して 「尊師の平法」 というか、谷口雅春先生が 「無敵流平法」 というのをお説きくださっているのを思い出しました。

 それは、剣道の極意も 「敵はない。敵と見える相手も実は自分自身のすがたである」 という自他平等一体の境地で、平常心で立ち向かうと、かえって相手の隙がよくわかって打ち込める。だから 「敵はない」 から 「無敵流」 で、「兵法」 と言わず 「平法」 というのを創始した達人があったそうです。

 やはり剣道をやっていたある方が、師匠は実にゆっくりと剣を動かしているようだのに、隙を突かれて打ち込まれてしまう。こちらは必死で素早く剣を打ち振っているのに、どうしても打ち込むことができない。ところが 『生命の實相』 を読み、「天地一切のものと和解せよ。天地一切のものとの和解が成立するとき天地一切のものは汝の味方である」というのを拝読して、相手も自分自身だという思いになった。自分自身なら自分の隙は自分だからはっきりとわかる。その境地で師匠に相対して打ち込んだら、相打ちになったけれども師匠も思わずよろけた──というようなお話であったと思います。

>326 :四季眞:2012/01/26(木) 19:06:10 ID:ib/hnTbI
>>318 :復興G閣下

「無敵流平法」
:「日常生活の中の真理・仏典編(第6章〜第7章)」を参照願う。
他に、講話録音テープにもあり申す。

同書をお持ちでない方のために、ご教示頂き申したる
〜第7章より)」を以下に謹写させていただきましょうぞ。

  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

   天下無敵の世界を造り出すには

 「汝ら天地一切のものと和解せよ。天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である。天地一切のものが汝の味方となるとき、天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ。……」

 こういうように聖経 『甘露の法雨』 には書かれている、そういうように、天地一切のものと和解して何ものにも害されることがない、隙がない、という状態になれるというわけなんであります。

 東海道の豊橋という処に、堀田実先生という人がいる。この先生は、いま(編者註・昭和四十四年当時)生長の家のあの方面の連合会長をしておられるんです。この人は、徳川時代に始まった平常無敵流平法の、そのズーッと孫に当られる方であって、その極意を伝授しておられる、極意の書がありましてね。まあ高さで、あれで四十センチ位、あるいは五十センチ位ありましょうか、和紙に書いて綴じた極意の本です。その極意の本を譲られて読むけれども、よくその意味が解らなかったというのであります。

 ところが或る目、『生命の實相』 を得られて、そして、それをお読みになって、
 「汝ら天地一切のものと和解せよ。天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である。天地一切のものが汝の味方となるとき、天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ。……」

 この、生長の家の神示、神様のお示しを読んだ時に、はじめてこれが無敵流平法の極意であるとわかって、釈然とした──と、言って、その極意の書を僕に 「読んでくれ」 と言って持って来られたことがあるのであります。

 天地一切のものに和解したら、どこにも隙がない。和解がないから隙ができるんです。現在の日本国の現状を見ると、全くこれは隙だらけの敵対だらけの世界である。敵対だらけの世界は、隙だらけの世界である、ということになるんです。

 もう少しこの 『維摩経』 でも読んで貰って、政治家は尚一層精進して、敵の無い、天下無敵の世界を造り出して頂きたいと思うのであります。

<以下、つづく>

3577復興G:2013/12/29(日) 07:49:14 ID:AB6RqYXc

<つづき>

  第7章 禅定とは々天地万物と融合する々こと

(中略)

   自他一体になれば天下無敵である

 この前に言いました堀田実さん、「平常無敵流平法」 という、その祖父の編み出したところの剣道の極意がその家代々伝わっている方です。ヘイ法といっても、兵の法、兵隊の法とは書いてないのであって、平らかな法と書いてある。これはどういう意味かというと、自他平等という意味だそうであります。彼と我とは本来平等の存在で、一体であると言うわけです。そして堀田先生が僕のところへその極意の本を持って来て、「読んでくれ」 と言われるので、僕は読んでみたら、こういうことが書いてある。それは──

 彼と我とは本来一体であって、それは恰度空気のように、どこも一つにつながっているのがわれわれの生命である。それを自覚するのが、それがこの無敵流の平法である。敵はないのである、自他平等である。

 ところが、相手が害念を起して自分を斬ろうと思って、太刀を振り上げる。太刀を振り上げたらその胸のあたりに自然に隙ができるのである。恰度そこに──空気が移動するとその空気が動いたあとが真空になる。そうしたら、隣りにいる空気がスーツとその真空を埋めるように這入って来る──それと同じように、自分を斬ろうと思って太刀を上げると、その上げたあとの胸のところがスーツと空く。その空いているところへ此方の剣がスーツと入る。相手の胸が斬られる、ということになるのである、というような意味が書いてあるんです。まことに素晴しい本である。

 その堀田実さんがこう言われた──

 「自分はまだこの極意をよく体得しないのであるけれども、武徳殿の範士である内藤範士(この人は素晴しい剣道の極意に達して、自分のお父さんから直接その剣道を習って、その極意に到達した)という人がいて、この内藤範士が相手の五段、六段の教士に対して試合をする、その時に、側から見ていると、内藤範士の剣は実にゆるやかにソーッと動いている。まことに静かであって、“静中動あり、動中静あり” とでも言うのですか、実に静かであって、ゆるやかに剣が動いているのに、そのゆるやかに動きながら相手の五段、六段の教士を 『お面!』 『お籠手!』 『お胴!』 とねえ、忽ち入るんです。そうすると五段、六段の教士が、『参りました』 と言って頭を下げている。まことに不思議である」 と。
<後略>

  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 ――以上で再掲を終わります。

3578復興G:2013/12/29(日) 07:57:53 ID:AB6RqYXc

>>3567 :ユタカさま

上記は、

>>一切は自分の責任とか、 一切を自分で引き受けたものが真理において勝ち。
生長の家の本で自己一切者の自覚とか書かれていますが、イマイチよく分かりません。<<

――のお答えの補足にもなると思いますが、いかがでしょうか?

3579復興G:2013/12/29(日) 08:12:48 ID:AB6RqYXc

>>3574 :曳馬野さま

 私は、上記の 「孫子の兵法」・「尊師の平法」 はまことに至言であると思います。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

<< 孫子は、この兵法書の中で、「軽々しく戦うな」ということを言っています。たとえば

 「兵は國の大事にして、死生の地、存亡の道なり。」

 という一文があります。これについて、『孫子の至言』 の著者田口佳史氏は、

<「戦争というのは国の存亡を分ける重大事である」とし、だからどう行動するかについては、「察せざる可からず」 と言っています。この 「察」 の字は、下に 「示」 とありますね。これは神棚を表し、上の部分は手で肉をお供えしていることを意味します。したがって、神棚の前で雑念のない真っ白な心で自分自身に問いかけなさい、公平無私な判断をしなさい、というのです。「戦いというのは生きるか、死ぬかの大事なのだから、軽々しくやってはいけませんよ」 ということです。

 私たちはときに、どうでもいいことで争うことがあります。命を取られるほどのことはないからいいではないかと言われればそうですが、無用の争いはやはり避けたほうがいい。負ければ、心身の消耗が激しく、命を縮めることにもなりかねませんからね。>

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 上記の 「至言」 にしたがい、私はあなたとの論戦はもう終了とさせて頂きます。

 ありがとうございました。

3580身分いやしきもの:2013/12/29(日) 10:39:02 ID:wg729R3g
ユタカ殿

あなたなど相手にしていない。あなたに読んでもらいたくて書いているわけでもない。「読んでない」などと、そんなわかりきったこと、いちいちいってもらわなくてけっこう。勘違いしなさんな。あなたが読んでいるなどとは誰も考えていない。

「来るな」というのであれば、わたしのことをここで書きなさんな。書くだけ書いて「来るな」とはどういうことか。来てほしくなければなにも書くな。

それにしても、復興Gさまは、わたしと訊け様がやりとりしている最中に、割り込むかのように出てこられましたのに、わたしには「来るな」というのもおかしな話ですねえ。復興G様は割り込んでもよいが、わたしは割り込んではならない。掲示板にこのような新ルールでもできたのでしょうか。

復興Gさまは、「一切者の自覚」などといっておられながら、自分と意見のあわぬものは排除したいかのように、わたしとの対話を避けておられるようにも見受けられます。

「雅春先生は、現象世界はひとりひとりがつくっている」といわれていると、復興Gさまはたしか書いておられましたよね。「ひとりひとり」とはどういうことか、ほんとうにわかってお書きになられたのでしょうか。これこそが「一切者の自覚」ではないのですか。ただ漫然と引用されただけのようですね。

>「雅宣先生はおかしい」と観ることそのものがおかしい、これはあなたも本流の方も同じです。この観たものが現れると云う真理そのものがどうですかね。
雅春先生が孫の一人が生長の家の真理を肯定しないと詳密講習会で云った、と云った人がいましたが、これこそ現象を観ての発言でしょう

曳馬野さまはこのように書いておられます。復興Gさまがみておられる世界は復興Gさまがご自分でつくっておられるのですよ。このことを復興Gさまはいまだ自覚しておられないようです。

復興Gさまは、「総裁はおかしい」と本気で考えておられるのですか。これが「一切者の自覚」なのですか。「総裁がおかしい」とすれば、それはいったい誰の責任ですか。復興Gさまご自身の責任ではないのですか。「総裁はおかしい」と本気で考えておられるのなら、これはあきらかな責任転嫁でありましょう。

しかも「一切者の自覚」といわれる復興Gさまが、わたしをなぜ避けられるのでしょう。わたしは、「言葉には意味がない」とする根拠を、たとえたどだとしくではあってもこれまで述べてまいりました。これにたいして、生長の家の方々は、「言葉には意味がある」とただこのひと言を述べられるだけで、根拠はいっさい示そうとはなされません。

根拠を示せないのは、「意味はある」とする考えが間違いだからです。「物質はない」とする根拠は示せるのにたいして、「物質はある」とする根拠はいっさい示せないのとおなじ道理です。「物質はある」とするのがたんなる思い込みであるように、「意味がある」とするのもたんなる思い込みなのです。だから根拠を示せないのです。

「いずれにしましても、一切者の自覚」といわれるのであれば、ご自分でおつくりになられた世界に責任を持つべきではありませんか。割り込む、逃げる、避ける。これが復興Gさまのいわれる「一切者の自覚」であり、責任の取り方というものなのでしょうか。

復興Gさまはどうやら、自分を批判しない人々、脅威とならない人々、反証不可能な超越項が通じる人々だけを相手にしたがっておられるようですね。反証不可能な超越項をもちいずしてはなにも語れない。これが復興Gさまの限界なのです。限界をあらわにされる相手とはかかわりをもちたくない。これも道理というものです。

ここの掲示板もついに有料掲示板へと衣替えしたようですね。情報は筒抜けというわけですか。もしそうであれば、いったい誰の差し金なのでしょう。

3581復興G:2013/12/29(日) 10:49:14 ID:AB6RqYXc

 「一切者の自覚」 を持てば、現象世界が乱れて危機と見えれば、「現象はナイんだ」 と言って放(ほう)ってはおけない、そして、祈りも愛行であり広義の行動でありますけれども、祈りに基づいた、さらに積極的な行動も当然起こすことになる。自分は泥をかぶっても、現象界が正常に、清浄になるように身を捨てても何とかしたいと思い、行動するのは当然でしょう。

 菩薩は、「己れ未だ度(わた)らざる前(さき)に他を度す」 のが使命ですから。

 私は、

 「生長の家は、谷口雅春先生が宇宙大生命の啓示を受けられて、あらゆる宗教の神髄はみな一つの大生命の救いの放射光線であり宗派争いをする必要はなく、本来の教えの神髄は一つであるとして、すべてを生かす道を示された。これぞ究極の世界平和をもたらす、人類最後の最高の道である」

 と信じています。

 その、神が始められた生長の家の運動が、現象界では総裁が還暦を迎えられた今もまだ副総裁=次の後継者、第4代総裁になる方が決まっていない。

 生長の家は、「天地一切のものと和解せよ――まず汝の兄弟と和せよ」 という御教えであるが、総裁のお身内の文字通りの ご兄弟姉妹などが、和して協力されているお姿が見えない。

 生長の家の根本聖典、神殿であるとされる 『生命の實相』 のご本や、聖経 『甘露の法雨』 を、生長の家本部や教化部で買えないような状況があらわれている。

 これは、生長の家教団の危機であり、ひいては世界人類の危機ではないか、と思われる。

 その責任を、ただ総裁お一人に押しつけて、「総裁が間違っている。雅宣総裁を退陣に追い込め」 というような行動をしようとは思いません。

 それは、生長の家の御教えに反し、天地の真理に反することである。

 「一切者の自覚」 をもって、御教えに従い、真理に従って行動したい、というのが私の根本姿勢であります。

 真理にのっとった行動をするためには、まず己れを無にして、命がけで御教えを、真理を学ぼう、ということでこのweb誌友会は20回を重ねてまいりました。

 真理にしたがって、私は、人類を救うには、まず家庭が救われ、生長の家が救われなければならない。生長の家が、「天地一切のものと和解」 した姿があらわれるように、「既に和解し調和したすがた」 が実現していることを日々祈るとともに、それが本当に実現する日が一日も早く来るように、自分の立場で出来ることをするのが、私の使命であり、最大の愛行になるのではないかと、今思っています。

 私は今月(今年)いっぱいで、今まで20回のweb誌友会のまとめをして、いったんここから退場させて頂きたいと、今月初めに申し上げました。

 その今月(今年)が、あと残すところわずかになりました。

 今日も、午後からは約束行事がありますし、明日からは息子たちや孫たちもやってくる、で、とりいそぎ、がんばって、もう少し具体的に思うところのまとめをしたいと思っています。

3582身分いやしきもの:2013/12/29(日) 10:50:32 ID:wg729R3g
>軽々しく戦うな

わたしと訊け様とのやり取りに割り込むまえにこのことに気づいておられればよかったですね。

3583トキ:2013/12/29(日) 11:49:51 ID:maZgyHM6
>>3580

身分いやしきもの 様

ご投稿、ありがとうございます。最近、用事のため書き込みが減っており、皆様にもお詫びします。

>>ここの掲示板もついに有料掲示板へと衣替えしたようですね。情報は筒抜けというわけですか。

 の下りですが、管理人は無料で場所をお借りしております。宣伝などが入っているのがその証拠でも
あります。もちろん、有料になって宣伝、広告が入らなくなるのなら、それはそういたしますが、現在
は無料掲示板です。

 あと、投稿者様の情報は外部へは提供をしておりません。

以上、よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

3584曳馬野:2013/12/29(日) 17:03:20 ID:xR0RYWLc

 復興Gさん

>>3576 >>3577での無敵流平法の解説でもって禅の悟りの世界を述べたつもりでしょうか?

>>3453でこう書きました


●盤珪禅師は或る侍が「剣の達人があなたに切りかかれば避けることは出来ないでしょう」と云ったのに対して、打ってみなさいと云い、侍が一瞬躊躇

したとき、我既に打ったと云いました。坊さんが侍の剣には負けないと云ったのです。

それについて雅春先生は、昭和18年の生長の家誌5月号で、平法無敵流の極意について、「それは理論として面白いし、武道以外の日常生活では

自他一体が常勝の道であることが体得せられますが、剣を以て立会う武道では、どういう姿で現れてくるか想像が付かなかったのでありますが…」

と書かれ、その時点では武道での自他一体の行動はとれていないことを表明されています。これは「私もこの教えで修行中です。」と云われていたことを

裏付けていると思います。ですから「実相の大地に降り立ったのである」と云われた心境が如何ほどのものであるかは判りません。


reiさんは「実相の大地に降り立ったのである」との心境が分かった気がすると書かれました。

わたしは「実相の大地に降り立ったのである」と云われた心境が如何ほどのものであるかは判りません。と書きました。

禅の悟りが生長の家より上か、との問いの答えを書きましても何らの答えは有りません。
ある意味生長の家の悟りについての疑問を呈したのです。

● 私たちはときに、どうでもいいことで争うことがあります。命を取られるほどのことはないからいいではないかと言われればそうですが、
無用の争いはやはり避けたほうがいい。負ければ、心身の消耗が激しく、命を縮めることにもなりかねませんからね。

これが至言ですか?
雅春先生の悟りと禅の悟りについてのやり取りはどうでもいいことなんですね。そしてただ信ずると云うもので、これが生長の家であるとして
示していこうと云うことですか?

  つづく

3585曳馬野:2013/12/29(日) 17:04:51 ID:xR0RYWLc
>>http://www.geocities.jp/ikiiki49/page006.html 子供たちに教えたい維新の偉人『山岡 鉄舟』 より

こんなエピソードがあります。明治天皇がお若い頃のある日、鉄舟たち侍従とのお酒の席で
鉄舟に相撲を挑まれ、鉄舟を押し倒そうとされました。天皇と臣下(じんか)、普通なら天皇に勝ち
をゆずるでしょう。しかし鉄舟は、飛び掛られた際に横にかわし、天皇は鉄舟の後ろに倒れて
しまわれました。周囲は鉄舟に謝罪を勧めましたが、鉄舟はこれに応じず、「陛下と相撲を取
ることなど、この上ない不倫(ふりん)であること。また、わざと倒れるのは迎合することであるこ
と。またもし、私が怪我をすれば陛下はどれほど後悔遊ばされるか。もし陛下が私を悪いと仰
せられるなら、謹んでこの場で自刃してお詫(わ)び申し上げる覚悟であること。」を決然と言いま
す。

 明治天皇は鉄舟の言葉をお聞きになり、「私が悪かった。」と仰せになったとのことです。
決死の覚悟でお諌(いさ)めする鉄舟、非を素直に認められるお若き日の明治天皇。このよう
な、君臣(くんじん)互いに信頼の絆(きずな)で結ばれているのが、日本の伝統なのでしょう。このよ
うな情景は、昭和20年、終戦後にも、昭和天皇と国民との間でGHQ相手に遺憾(いかん)なく発
揮されました。

>> http://rakudo.jp/category/05 楽道庵ホームページ 山岡鉄舟Ⅰより

「私は年齢が八、九歳の頃、母が文字の書法を教えてくれた。たまたまその中に忠孝という文字があるのを見た。私はどういう意味かを不審に思い、
母にそのいわれを尋ねた。母が言うには、忠と申す文字は、その使う場所によってさまざまな解釈もあるが、この場合は主君に仕える心の正しさをいう。
孝と申す文字は、父母に仕えるという意味である。しかし忠と孝とはもともと根本を同じくするもので、人がこの世で生きる上で、
必ずこの道理をわきまえなければ、人として生まれた甲斐がないばかりか、申し訳が立たぬものであると、大層情感を込めて話された。
けれども、私は幼年のこととて、それがさほど効能のあるものとは思えなかったが、母の膝によりながら、じっとその顔を眺めてみれば、
母は何となく深い心を含んで言われたように見受けられたので、私は幼な心に、母様よ、母様は常にその道を守られているのですか、
また私はどうしたらその道を行ない尽くすことが出来るのでしょうかと、何気なく質問したところ、母は何やら心に感じたところがあったようで、
はらはらと涙を流しながら言われるには、オー鉄よ鉄よ、母も常にそのように心がけてはいるものの、至らない女であるがために、未だこれといった成果もなく、
誠に残念に思っている。そなたは幸いに丈夫な身体に生まれついたのだから、必ず必ずこの母の教えを忘れないでおくれ。
忠孝の道は、その意味はなかなか奥深いものがあり、今日そなたに申し聞かせても容易に心に合点するというわけにはいかないでしょう。
これからはこの心を持って修行に専念すれば、将来において自然に了解することもあるでしょう。必ず必ず、うち捨ててはなりませぬと、
心を尽くして述べられた母の至情の教訓は、この出来事において私の精神にしみ渡ったのである。」


このように鉄舟は述懐しているが、我が子の目前で真情を吐露する母に感応道交して、鉄舟の幼い心にも生涯忘れ得ぬ至誠心が刻印されたのであろう。
母たる人の家庭教育がいかに大切かが知られるのであり、鉄舟の母のように、真心や至誠心をもって教育すれば、
子供はきっと立派な皆から尊敬される大人に成長するであろう。
すでに十五歳の折りには、「修身二十則」を作って自らの日常の言動を戒め錬磨している。


  つづく

3586曳馬野:2013/12/29(日) 17:18:59 ID:xR0RYWLc
「道の師」との出会い

特筆すべきは、「道の師」と鉄舟が呼んだ山岡静山との出会いである。静山について鉄舟がどのように感じて師事していたかを、静山が二十七歳で急逝した後に
鉄舟がしたためた一文から窺うことが出来る。

「そもそも静山の槍法に絶妙なることは海内無双にして、何人も称する所なり。而してまた内深く忠孝仁義の道に入念せらるる事、天下この人を凌ぐもの
また何人かある。けだし静山の技は、無我の真の発動なるべし。これ我の最も敬服する所なり。鉄太郎は剣法を修し、静山は槍法の達人なり。故に我静山の技に
対して師事するにはあらず、服する所はその心事の明鏡止水の如く、厚徳山の如きにあり。故に我その技の異なるにもかかわらず、しばしばその門に接して
教えを受く。」
(そもそも静山先生がやりの術に絶妙であるのは、日本随一であり、何人も称賛するところである。そして更に内面的には深く忠孝仁義という人の道に心血を
注いでおられることは、天下にこの人を凌ぐ者が何人あろうか。まさしく静山先生の技は、無我の真の発動であるに相違ない。これこそ私が最も敬服するところ
である。私鉄太郎は剣法を修行し、先生はやりの達人である。従って、私は先生の技に対して師事したのではない。敬服したのは、先生の心境が明鏡止水の如く
に一点の曇りも無く、徳の厚きこと山の如くであるからである。それ故、私は技が異なるにもかかわらず、しばしばその門に出入りして先生の教えを受けた
のである。)
(『鉄舟随感録』52頁)


また、師の静山の方も、常に人に語ってこう言っていた、「世間には青年が数多くいるものの、技芸に長ずれば真の勇気がなく、気概があれば技芸が拙く、
とかく困り者が多い中で、ただ小野鉄太郎だけはまことに鬼鉄のあだ名に恥じず、心根の寛厚な(度量が大きく手厚い)ことは、まるで菩薩の再来かと思われる
ほどの者であるから、彼の行く末は必ずや天下に名声をとどろかすものとなるであろう。頼もしいものだ」と。

「この弟子にしてこの師あり。この師にしてこの弟子あり」と言うべきか、何という高潔な素晴らしい師弟関係であろう。結局、静山の弟で同じく槍の達人で
あった高橋泥舟の懇請により、鉄舟は尊敬する師静山の跡を継いで、禄高がはるかに高い小野家の跡取りの身でありながら、静山の妹と結婚して小禄の山岡家を
相続することになるのである。この逸話もまた、一点の私心や打算を持たぬ鉄舟の無我至誠の人柄を如実に示している。

静山の妹のお英(ふさ)も、そうした鉄舟の風格にぞっこん惚れ込んで、「鉄太郎さんと結婚できなければ、私は自害します」とまで言い切ったという。
鉄舟は当時「ボロ鉄」と呼ばれるほど生活に困窮していたが、それはお英にとって問題ではなかった。鉄舟の方も、「おれのようなものをそれほどまでに思って
くれるのか」と感激したことも、山岡家を継いだ大きな一因である。

鉄舟は急逝した静山の死を悼んで景慕の情に堪えず、毎晩人知れず墓参したという。寺の和尚は大柄の鉄舟を怪物だと勘違いし、泥舟に伝えた。そこである日、
泥舟が窺っていると、雲行きがあやしくなり、ついにはものすごい雷雨となった。その時一人の大男が風雨をついて走ってきて、静山の墓前でうやうやしく
礼拝して羽織を脱いで墓にかけ、墓に向かってあたかも生きている人にものを言うかのように、「先生、鉄太郎がおそばにおりますから、どうぞご安心遊ばせ!」
と言いつつ、雷雨が過ぎるまでそのまま守護していた。これは静山が雷が苦手だったからである。物陰からこの様子を見ていた泥舟は、亡兄に対する鉄舟の
至誠心を目の当たりにして、感涙にむせんだという。

  つづく

3587曳馬野:2013/12/29(日) 17:37:32 ID:xR0RYWLc
無我・至誠の実践

鉄舟は二十三歳の折りに「心胆錬磨の事」という一文(『鉄舟随感録』125頁)を書いているが、そこで彼は心胆を錬磨することの奥義を自ら
体得するために、「古今の聖人傑士」がいかにしてその道を修得し、また発揮したかを、その事蹟を学ぶことによって、考究したという。
そして、「我れ幼年の時より、心胆錬磨の術を講ずる事、今日に及ぶといえども、未だその蘊奥(極意)を極むる事あたわざる所以のものは、
一つに我が誠の足らざるが故なり」と述懐している。

また、鉄舟が明治天皇の侍従をした功績を認められて叙勲されようとした時に、「まだまだお尽くし足らぬと思っているのに、叙勲などもってのほか
だ」と断言し、「喰うて寝て何も致さぬご褒美に、蚊族(「華族」と同音語)となってまたも血を吸う」と自嘲した。これこそ実に鉄舟全幅の赤誠の
表現である。

鉄舟は天皇の教育係役を西郷隆盛からのたっての依頼で引き受け、天皇から最も信頼された側近であった。しかも彼の前の主君は、
最後の将軍・徳川慶喜であった。将軍にとって代わって最高権力の座についた天皇に新たに仕えることになった鉄舟は、殊に将軍の部下であった
旧武士達から口さがない批難を浴びた様であるが、それでも彼は一向に弁明などせずに天皇にお仕えした。鉄舟にとっては、徳川将軍に仕えるにせよ
明治天皇に仕えるにせよ、いずれも至誠の一直心(じきしん)を行ずることに他ならず、自らに顧みて何ら天に恥じることがなかったからである。

孔子は大聖人であるが、その孔子にしてなおかつ、「勤勉では私も人並みだが、君子としての実践では、私はまだ十分には行かない」
(『論語』述而第七、103頁)とか、「君子の道は四つ有るが、私は未だその一つをも行なうことが出来ない」(『中庸』第十三章)などという
恐るべき述懐がある。私見に依れば、これこそ「意・必・固・我」の四つを断たれた孔子の無我・至誠のおのずからなる発露に他ならない。

孔子が「自分は君子の実践すらまだ不十分だ」と述懐され、鉄舟が我が身の誠の足りないことを痛感することこそ、無我と誠の実践そのものである。
自分は何でも出来る、足らぬところがないなどと自負する人は、傲慢で鼻持ちならなくなってしまう。それは結局、我が身可愛さ故の「身のひいき」
であり、我見である。これに対して、誠を実践躬行する人は、その限りのないことを知れば知るほど、ますます謙虚になって行く。
世語に「実るほどこうべ(頭)を垂れる稲穂かな」というのも、ここのところを指すのであろう。

以上楽道庵ホームページより


●生長の家の混乱は須らく本流派の頭領方の無我至誠の足らざるによるものと私は思うものであります。

生長の家無き古より無我至誠の道は有り、鉄舟居士が禅により大悟することによってそれを獲得したものであります。

生長の家により斯くの如き至誠の人如何ほど排出されたのであろうか。

 復興Gさんが斯かる至誠の人となられることを祈念し、誌友会最後の投稿とします

3588ユタカ:2013/12/29(日) 20:14:38 ID:R1D4Jmeg
トキさま
>3566 >3561を削除してください。よろしくお願いいたします。

身分いやしき者さまへ

ユタカの先の投稿は本当に大変失礼いたしました、身分いやしき者様に大変申し訳ございませんでした。反省をし、お詫びをして只今削除をお願いいたしました。
どうぞ、ごゆっくりお話をなさってくださいませ。どうぞ、どうぞ。
朝から仕事で今、帰宅いたしまして大変失礼をいたしておりました、今となりました事も合わせてお詫びいたします。
では、ごゆっくりお気の済むまでお話くださいませ。

3589神の子さん:2013/12/29(日) 21:21:40 ID:GRAXV.Tc
>>3565
身分さんのように、理路整然と上品に述べてください。

3590志恩:2013/12/30(月) 07:19:05 ID:.QY5jUA6
皆様へ

楽天ブログに「山岡鉄舟の臨終の見事さ」という文章が載っていました。

鉄舟は、涅槃の時を悟り、身を清めてから正座して、家族や、彼のもとを訪れた勝海舟に
穏やかに 別れの言葉を告げ、その後、「坐亡」されたのでした。

鉄舟は、胃癌だったそうです。
東郷平八郎は、喉頭癌だったとあります。

昔は、鎮痛剤も今のようには 進歩していなかった時代でしょうから、
武士道は、我が身を襲う 末期癌の痛みにも 強かったのでしょうか。

すごいことですね。

この鉄舟の武士道は、仏教から得た、とありました。
http://plaza.rakuten.co.jp/jifuku/8001/


生長の家にも、
使命を果たされた後、穏やかに「坐亡」された本部講師がおられますことは、
生長の家のお方ならどなたでも、ご周知のとおりです。

榎本恵吾がそうでしたよね。「坐亡」されたお方でした。

榎本恵吾先生は、
平成17年7月12日、

3時まで神想観の先導をされ、部長会議にも出席され、その日の仕事を終えられた榎本先生は、ご帰宅。
不調を訴えられて、市内にお住まいの三女・四女 を呼び寄せられ、すぐに一子奥様もご帰宅。ご家族と居合わせた藤原職員とで、聖経を読まれました。
          
その後、駆けつけた祈願部の畑本職員に翌日の神想観先導に関する指示をし、「聖経を読んでくれるかね」と自宅に招き入れた。
そこに、なんと服部仁郎先生自筆の人型が届いた。

実は、榎本先生はお若い時に服部先生に学ばれ、先日の教修会で 服部仁郎先生自筆の人型を持っているという古くからの信徒さんに、
コピーさせてもらう為に送ってもらう事を お願いしておいたのそうです。

しかし送られてきた日、時間はまさに、その日の その時間であった。
榎本先生は、「祈願に携わる者にとって こんなに喜ばしいことはないねぇ」と、心から喜ばれたそうです。

そして引き続き聖経「甘露の法雨 」を家族とともに読誦。最後に「實相を観ずる歌」を皆で音読。
その直後、姿勢を正されたまま、『坐亡』されたのでした。

ちなみに、
徳久克己本部講師は、現場を離れて、1時間後くらいに亡くなられておられるそうですし、
藤原敏之先生も、ご自宅で眠るように大往生されてますし、
平岡初枝先生も、そうですし、

私の存じ上げている人類光明化運動に生涯挺身された大先輩の生長の家の先生方は、ご臨終の折りも、皆様 見事でいらっしゃいました。

やはり、生長の家でも、仏教でも、キリスト教でも、
道を極めた方々は、ご臨終の時でも、共通している見事さが、ございますね。

3591復興G:2013/12/30(月) 12:16:06 ID:AB6RqYXc

 ありがとうございます。

 私はいま、生かされていることがありがたく、ありがたく、しみじみと幸せを感じています。

 身分いやしき者様が、「言葉には意味がない」 とおっしゃるのは、言いかえれば 「言葉の意味は無量である」 ということだろうと、私は思っています。

 「無量」 は、「量が無い」 とも読めますが、「量(はか)り知れない」 ということです。

 限定された言葉では表現できないほどの、すごい意味があるということです。

 たとえば、「物質はない」 というのは、「物質は物質ではなく仏のいのちである」 ということだとも言われる。

 原子番号1の、最も簡単な構造の水素にだって、無限の可能性がある。酸素と結合して水H2Oになり、水はいのちだとも言われる。もし海水から水素を安価に分離する技術でも開発され、その水素を燃料電池に使えば排気ガスは皆無で排出されるのは水だけだから、最高のクリーンエネルギー源となる。水素はすばらしい宝である。

 いわんや、「肉体はない」 と言っても、以前 「驚異の小宇宙 人体」 という番組がNHKで放映されたことがあったが、その精妙な構造やはたらきには驚くほかはなく、肉体は大宇宙の叡智の結晶ともいうべき傑作芸術作品でもあって、肉体を粗末にしてもよいということでは決してない。

 「言葉」 というのも、単なる記号ではない。その背後には、はかり知れない意味がある。言葉にはいのちがある。

 「時間」 とは何か。時間は本来ない、それは架空的観念であるとも言われる(『神 真理を告げ給う』)。が、また、「『時は金なり』 という諺もあるが、時は金銭のような安っぽいものではなく、時はいのちである」 とも言われる(生活篇)。

 「時間を生かして使え」 とも言われるが、榎本恵吾先生は 「自分が時間を生かすというより、自分は時間に生かされていたんだ」 と言われた。

 時間がなければ、空間もない。時間・空間がなければ、生命の表現は出来ない。時間がなければ音楽の演奏は出来ないし、画を描くことだってできない。時間とは何かと問われても、すぐには答えられないほどのものである。

 で、私は 身分いやしき者さまと 「実相哲学を論じる部屋」・「本流対策室/5」 でやりとりさせていただいた結果、

<私にとって、
 「時間・空間は、愛行の場であり、喜びを表現し、幸福を味わうことのできる場である」
 と自分では確認することができました。>

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358853467/5070

 と、確認できたことは、まことにありがたいことでした。

3592復興G:2013/12/30(月) 12:16:46 ID:AB6RqYXc

 さて、私は、今月初め(12月2日)に、次のように書いています。

≪ いま私は、この12月を区切りとして、この掲示板から退場させて頂きたいと思っています。

来年1月から、新たな場(リアルの世界とネット空間の双方ともに)で、私の生命表現、使命実現をして行きたい。

a hope さまが聖典引用板に謹写して下さった
<< 「知」 が 「信」 によって生命を吹き込まれ、更にそれを愛行によって実践するとき真理が生動するものとなるのです。>>
とご教示いただいている愛行を、新たな場で、全生命をかけて実践して行きます。≫

 と。

 その12月が、残りすところあと一日の三十日(みそか) となりました。晦日(みそか)は月末の意味として使われ、12月は31日を 「大みそか」 と言いますが、もとは三十日を 「みそか」 と読んだのだということです。

 太陰暦(「太陰」は天体の月の意味で、月の満ち欠けの周期を一ヵ月とする暦法)では、一ヵ月は三十日と決まっていたから、月末が三十日(みそか)だったんですね。

 「みそか」(三十日)は、「つごもり」 とも言う。それは、「月ごもり」(月がこもる、見えなくなる)ということから来ています。月が地球の影に入って、見えなくなるのが三十日。一日にもまだほとんど見えなく、三日ごろには利鎌のような細い月が見えてくる、それが三日月(みかづき)。月なかばの十五日ごろ、月はまん丸の満月となる、それが十五夜。

 それは、余談でした。

 さて、今月初めに私が

 「12月を区切りとして、この掲示板から退場させて頂き、来年1月から、新たな場(リアルの世界とネット空間の双方ともに)で、私の生命表現、使命実現をして行きたい」

 と申し上げたときに、私が考えていたのは、1月から私の実名を前面に出したホームページ(ウェブサイト)を作ろうと考えていたんです。

 しかし、今月は忙しくてウェブサイト作成の準備は進んでいなくて、1月1日から公開したいと考えていたのは、延期せざるを得ない状況です。

 また、実名を前面に出して――ということも考え直して、まずは 「復興Gのウェブサイト」 としてスタートする、というように、計画変更します。

 私は、このweb誌友会板で20回にわたり、研鑽させていただき、とてもとても大きな収穫を得ることができたと申しましょうか、自分の信仰を確実なものとし、魂の生長をとげることもできたと、本当に感謝しています。

 この場を設けて、日夜、心の安まるいとまもないほど大変なご心労もあったのではないかと思われるような運営管理をしていただき、無料開放してくださったトキ様、本当にありがとうございます。

 この場に出て、真心を尽くして発言し、共に研鑽に励んで下さった皆々様、ありがとうございます。

<つづきます>

3593復興G:2013/12/30(月) 12:17:27 ID:AB6RqYXc

<つづきです>

 思えば、このweb誌友会の指導者は神様でなくてはならない、私は無になって、神様から、またご参加の皆々さまからご指導を受けるのだ、という気持で臨んでまいりました。

 その結果、この場で私が書き込ませて頂いた言葉は、自分の言葉とは思えない、何者かに導かれて、すばらしい言葉がたくさん出てきたような気がします。それは、皆さまのご発言、問題提起ご質問などがきっかけになってのことでもありますが。

 たとえば、最近では、「愛行について」 ということで谷口雅春先生の特別御講話 「伝道とは愛の実践」 のお言葉が浮かんできたり、24日朝に 「顔を洗って出直して来い」 という声なき声が聞こえてきたような気がして、「黄金の薔薇」 の聖詩や 『愛と光との生活』 第1章の御講義が浮かんできたり、「孫子の兵法」―「尊師の平法」 が浮かんできたり――

 みな、何者かに導かれて自然に浮かんでくるといった感じで、自分でも感心しながら、それを深く学ばせて頂いているんです。

 そのようにして、直接には私の手を通して神様からいただいた、尊いお言葉が大分たまったように思います。

 その中には、まだ消化し切れていないと言いますか、自分の身についていないものがいっぱいあるような気がします。

 それで、来年に入ったら、しばらく、私は今までに戴いたそれらの神のみことばを、もう一度振り返って整理し、咀嚼し直したいと思います。

 それで、月初めに申し上げましたように、しばらくこの場から退場させて頂きたく、お願いを申し上げます。

 このweb誌友会でお出会いした皆さまは、ただならぬご縁があって、魂の響きが共鳴し合えた方たちであると思います。

 身分いやしき者様、曳馬野様も、もちろんそうです。

 ありがたく、限りない感謝と祝福の祈りを捧げます。

 さて、私はこれから、一応退場させていただいても、二度と出て来ないということではなくて、ときどき来させて頂きたく思います。

 どうぞよろしくお願い申し上げます。

 午後からは、離れたところに住んでいる息子や孫たちもやってきますので、言葉足らずですが、皆さま、ご健康に、ますますお幸せ一杯の、良い新年をお迎えくださいますように、祈念申し上げます。

3594トキ:2013/12/30(月) 19:37:58 ID:rKKJiETs
復興G様

 web誌友会での素晴らしいご指導、ありがとうございました。また、たまにこちらにも
お越し下さるとの事で、とても安心しています。また、サイトやブログ等を作られた時には
こちらでお知らせ下されば幸いです。

 現在、教団内部では、なかなか復興G様のような碩学の講師の指導を受ける機会が減って
います。そのため、真面目に信仰を勉強をしたい人には残念な状況になっていると感じます。
この掲示板を見る人が、復興G様のご指導をご覧になられ、生長の家の信仰を深める契機に
なれば、管理人としても嬉しく思います。

 本年、復興G様から賜りましたご恩に深く感謝申し上げると共に、来年のご活躍を心から
お祈り申し上げます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

3595ユタカ:2013/12/31(火) 09:34:12 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

ありがとうございました。 落ち着いたら?たまに顔を出してくださる事を心から嬉しく感謝申し上げます。

そして孫子の兵法など、正月明けたらプリントしてじっくり読みたいです。

有難うございます。 宇宙一杯ありがとうございます。 復興Gさま、大好きだよ!!

また、ここで会える日を楽しみにしています!!

復興Gさま、トキさま、みなさま、良いお年をお迎えください。
来年は午年です、皆さんの全てがウマくいきますように・・・

感謝、合掌 ありがとうございます。

3596復興G:2013/12/31(火) 21:24:10 ID:AB6RqYXc

>>3594 :トキさま

>>3595 :ユタカさま

ありがとうございます。

ユタカさまが、

>>来年は午年です、皆さんの全てがウマくいきますように・・・<<

 と書いて下さったので、干支(かんし、えと)について私が 『干支の活学』 という安岡正篤(まさひろ)先生の著書から学んだこと――それはとても示唆に富んだ興味深いものだと思いましたので、少しご披露して、新年を迎えるにあたっての最後のご挨拶を申し上げたいと思います。

 安岡正篤著 『干支の活学』 を読み返そうと開いて、まず最初に目に飛び込んできたのは、次の言葉です。

          ○

  いついかなる場合にも喜びの心を(『干支の活学』 p.31)

 先哲の教えに、「人間はいかなる場合にも喜神を含まなければならない」 ということがございます。「喜神」 とは 「喜ぶ心」 であります。言うまでもなく我々の心の働きにはいろいろあって、その最も奥深い本質的な心、これは神に通ずるが故に 「神」 と申すのであります。

 人間はいかなる境地にあっても、心の奥底に喜びの心を持たなければならぬ。これを展開しますと、感謝、あるいは報恩という気持になるでありましょう。新しい年を迎えて世界の国々を見渡した時、しみじみとこの日本の平和な新年に喜びを感ぜざるを得ないのであります。

          ○

 新年を迎えるにあたり、まず、この 「いついかなる場合にも喜びの心を」 ということを忘れずに、明るく前進いたしましょう。

 さて、来年は午(うま)年ということはよく言われますが、干支(干支――十干・十二支)と言うのは本来、生命あるいはエネルギーの生長変化の過程を系統的に分類したもので、干(かん)が幹(かん、みき)、支(し)は枝(し、えだ)であると言われます。

 来年は、「甲午(こうご、きのえ・うま)の年です。

 『干支の活学』 には、いろいろな干支の年について、その干支の意味を説いてありますが、「甲午」 の年については出ていません。それで、この本に出ている甲寅(こうえん、きのえ・とら)昭和四十九年の意味解説と、丙午(へいご、ひのえ・うま)昭和四十一年の意味解説の文章から、学んでみましょう。

 まず、干の 「甲」 の意味を知るために、甲寅(こういん、きのえ・とら)昭和四十九年の意味解説から――。

<つづく>

3597復興G:2013/12/31(火) 21:24:57 ID:AB6RqYXc

<つづき>

≪安岡正篤著 『干支の活学』 より抜粋引用≫

   甲寅(こういん、きのえ・とら) 昭和四十九年

 惰性を排し協力して創造・建設すべき年

 甲寅の教訓

 新年は甲寅(こういん)である。「甲」 は 「かいわれ」、草木の鱗芽が外に発現する形象で、「はじめ」 を意味し、したがって 「はじまる」 とも訓む。

 人間のわがまま勝手な理屈にうんざりしている人たちは、当然古来の勝れた賢哲の教えに改めて心を傾けるか、それも実は肩が凝るという面々は民間伝承の優れた智恵の言葉というようなものに強い魅力を感じている。

 近年送歳迎春ごとに、私が干支というものの新しい意義と教訓とを解説したのも、そういう心理の動きを察してのことであったが、この頃特にその要請が顕著になってきたようである。

 新年甲寅の 「甲」 はかいわれで、要するに旧来の殻を破って、新しい創成を始めることであり、革新政治にもなると同時に、甲(こう)は狎(こう)に通じて、狎れあってしまう。「寅」 も本義は人が手を合わせて確約する象形で、進む意と共に、敬(つつし)む意を大切とする。その誼を共にするのが同寅(どういん)で、同寅は同僚のことである。同僚は互いに寅(つつ)しみ亮(たす)けあうべきものである。

 そこで甲寅の干支は、「旧来の惰性を排除し、協力一致して、大いに新しい創造・建設の活動を始めてゆかなけれぽならぬが、それだけに誤ると、その反作用.弊害もまた大きいから、十分考えて慎重にやってゆかなければならぬ」 ということを教えてくれておるわけであります。

          ○

   丙午(へいご、ひのえ・うま) 昭和四十一年

 丙午の真義

 去年の干 「乙」 は草木の芽が新しい陽気に逢うて古い殻を破って頭を出した甲(きのえ)が、外の寒気の抵抗のために真っ直ぐに伸びられなくて曲折している姿であり、支の 「巳」 は冬眠していた蛇が地上に出ようとしている象(かたち)である。そこで乙巳は旧体制を打破して新しい創造発展に努むべきことを意味する。

 丙は乙より進んで陽気の発展した象(かたち)。丙は炳(あきらか・つよし)を意味するが、文字の成り立ち=一・かこい・入(人)が示すように、一は陽気、次はかこい、物盛んなれば衰うる理で、陽気がすでに隠れ始めることを意味する。

 午の上の二画は古代文字では∧と書き、地表をあらわしている。その下の十の横一は陽気で、縦|は陰気が下から突き上げて地表に出ようとする象形文字。だから午(ご)は杵(ご)なりで、〈そむく〉〈さからう〉という意味になる。即ち、反対勢力の高まりを示す。

 そこで丙午は、旧来の代表勢力がすでに極に達して反面にこれに対する反対勢力の突き上げに遭う象(かたち)である。これをどう処理するかによって、運命が一変してくる。

 和を以て相欺く

 人間何か真剣な問題に逢うと、古人が体験より発した言葉に改めて感を深うする。漢の高祖を教えた陸賈(りくか)の書といわれる「新語」を先日耽読しているうち、

 「君子は義を以て相褒め、小人は和を以て相欺く」

 という語にいたく打たれた。特に 「和を以て相欺く」 とはまさに今日の世界情勢にぴったりではないか。外国でも日本国内でも、平和と友好は合言葉のようになっている。しかしどこにまことの平和や友好があるのか。特に共産陣営では、平和は敵を攻撃する楯、自己陣営を誇示する旗幟(きし、はたじるし)に用いられ、友好親善は相手国を安心させるための謀略奸計の偽装にほかならない。まさに和を以て相欺くものである。

<つづく>

3598復興G:2013/12/31(火) 21:25:48 ID:AB6RqYXc

<つづき>

≪安岡正篤著 『干支の活学』 より抜粋引用≫

 そもそもなぜ馬をこの午に当てはめたかと申しますと、これもなかなか考えたものでありまして、ご承知のように馬というものは実によく相手を知っておる。騎手がよいときわめておとなしい馬も、一度人間を馬鹿にしたり、反感を持ったりすると、たちまち蹴ったり、振り落としたりして、いっこう言うことを聞かない。そういうところから馬を当てはめたのでありましょうが、日本もこれらの荒馬を乗り損ねたら本当にたいへんです。

 国家・国民という立場から言って、かりに彼ら共産勢力が政治を支配して、従来の保守勢力がすっかり衰退するということになると、日本は従来の歴史とは違った大きな社会変化を生ずる。最悪の場合には歴史的・伝統的な日本に終止符をうつことになる。だから、どちらでもよいと腕組みをしているわけにはまいらぬ丙午であります。

 しかしもっとよく観察すると、国家・国民にとって希望を持つことのできる、賀すべき反対勢力も目に映る。例えぽ自民党の中にも、「従来のような自民党ではもうだめだ、ここまでくれば思い切って改革しなければならん、場合によっては分裂も可なり、我々の手で新保守党をつくろう」 というような突き上げもあるわけであります。

 また、もっと歴史や伝統をたずねよう、立派な人に学ぼうというような、在来のジャーナリズムから言うならば反対の現象が勃然として興ってきた。こういうものをうんと持ち上げて、これに時を得させて、なんとかして代表勢力・支配勢力に育ててゆけば、日本は望ましい変革ができるのであります。

 そういう複雑な現象が丙午の中に含まれておる。これをどう処理するか、またどうしてこの機運を来年に発展させるか。こういうことが今年の干支より見た日本の重大な意義であり、また使命でもあります。

 したがって今年は本当に重大な時機であります。しかし今日の世の中はもはや一政府、一内閣・一政党の力ではどうすることもできるものではない。国民のあらゆる指導層の人々が真剣になって、新しい機運を盛り上げてゆくほかにはないのであります。みなさんもそこに活眼を開かれて、この丙午の年の真実の意義をよく認識して、遺憾なく達成していただくように深刻に望まれるゆえんであります。

          ○

 以上で、安岡正篤著 『干支の活学』 からの抜粋引用文を終わります。

 来年は、「甲午(こうご、きのえ・うま)の年です。

 「甲」 はかいわれで、旧来の殻を破って、新しい創成を始める意。

 午の上の二画は地表をあらわし、その下の十の横一は陽気で、縦|は陰気が下から突き上げて地表に出ようとする象形文字。だから午(ご)は杵(ご)なりで、〈そむく〉〈さからう〉という意味になる。即ち、反対勢力の高まりを示す。

 「旧来の代表勢力がすでに極に達して反面にこれに対する反対勢力の突き上げに遭う象(かたち)である。これをどう処理するかによって、運命が一変してくる」 と言われているのです。

 重大な年になるかも知れません。

 でも、それはより一層すばらしい神の国のすがたが顕現する過程であって、必ず神の御心にしたがい、万物調和の地上天国があらわれてくると信じます。


 まもなく、平成25年が過ぎ去って、新しい平成26年、2014年を迎えます。

 このweb誌友会、またこの掲示板に書き込まれたことのあるすべての皆さま、また、書き込みはしなくても、ご覧くださっていたすべての方々に、特に神様の限りない祝福が天降り、新しい年が、喜びに満ちあふれた、素晴らしい良い年になりますことを、お祈りさせていただきます。

 皆々さま、ありがとうございます!

3599復興G:2013/12/31(火) 23:36:28 ID:AB6RqYXc

上記の、安岡正篤先生の時局についてのコメントは、国家問題についておっしゃっているのですが、

私が 「重大な年になるかも知れません」 と書いたのは、生長の家教団に関しての事です。

何があっても、必ずもっと善くなる過程であると信じて、喜ぶことを忘れずに、愛行に邁進しましょう。

3600rei:2013/12/31(火) 23:47:50 ID:ZIftZ1jM
合掌

本当にありがとうございました。

3601a hope:2014/01/06(月) 20:09:45 ID:/9IAdiFk

みなさま 新年 あけましておめでとうございます!

暮れから家族で旅行をしたり、親戚が次々に訪ねてきたりでなかなか掲示板を拝見できませんでした。

復興Gさまは、今年も時々書き込みを続けてくださるようでとてもうれしいです。

ところで、今月のテキストの範囲は、「生命の實相」第8巻 観行篇 ですね。

わたしは、以前、ニューバージョンの「四無量心を行ずる神想観」が自分の波長に合わず、
神想観していても集中できす精神不安に陥りました。
以後、怖くて神想観ができない状態でしたが、本流宣言の掲示板で山科さまにご指導いただき、
この第8巻を拝読しなおすことで、また、素晴らしい神想観ができるようになったのでした。

ですから、この 第8巻はわたしにとってとても重要な意味がある聖典なのです。

この機会に、また、しっかりと拝読しなおしてお勉強したいです。

みなさまも、是非 このweb誌友会板で第8巻に関することや、生長の家の勧行(神想観・静的工夫)
についての体験談などありましたら書き込みしてくださいね。

トキさま、復興Gさま、みなさま、a hope はこれからもこちらでお勉強を続けさせていただきますので、
ご指導をどうぞよろしくお願いいたします。

今年も、素晴らしい「生長の家」のみなさまと、素晴らしい「生長の家の教え」を、
このトキ掲示板でお勉強できて a hope は最高に幸せです!

3602a hope:2014/01/06(月) 20:10:40 ID:/9IAdiFk

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第21回 web誌友会

期間  1月1日〜1月31日まで
テキスト 「生命の實相」第8巻 観行篇

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

3603復興G:2014/01/07(火) 10:52:47 ID:AB6RqYXc

あけましておめでとうございます。

生きとし生けるものを生かし給える御祖神
元津霊ゆ幸え給え。

吾が生くるは吾が力ならず
天地を貫きて生くる祖神の生命。

吾が業は吾が為すにあらず
天地を貫きて生くる祖神の権能。

天地の祖神の道を伝えんと顕れましし
生長の家大神守りませ。


天地一切のもの、自分の力で生きているものは一つもないのだ。

すべては大生命のお力で生かされていらっしゃるのだ。

ああ、神の創り給いし実相世界の妙なるかな。

神の無限の智慧に満たされてあるかな。

神の無限の愛に満たされてあるかな。

神の無限の生命に満たされてあるかな。

神の無限の供給に満たされてあるかな。

神の無限の喜び智慧に満たされてあるかな。

神の無限の調和に満たされてあるかな。

ありがとうございます。ありがとうございます。

今年がまた神の生命の歓喜の爆発として、いっそうよろこびに満ちた佳き年でありますことを感謝し奉ります。

ありがとうございます。ありがとうございます。

3604志恩:2014/01/07(火) 11:02:40 ID:.QY5jUA6
復興G様、ahope様

あけましておめでとうございます。

復興G様、まだ、引っ込まないで下さいませよ。
まだまだ、ここの掲示板での重要なお役目がございますから、
引っ込まれたら、困ります。

私では、ろくなことがいえないし、七十路婆って、ばかにされて、踏みにじられて終わりそうなんです。

3605志恩:2014/01/07(火) 11:08:16 ID:.QY5jUA6
身分いやしきもの様が、復興G様宛に語りかけているスレを再掲します。

本流対策室板
5402 :身分いやしきもの:2014/01/06(月) 12:48:34 ID:iei0MD3c
あんふらまんすに触れるもの様

すでに去られたようでありますが、つづきを書きます。

復興Gさまが、「時間、空間は愛を行ずる場だ」といわれましたが、これは当然のことです。箱のなかの世界は「〜をなすため」の世界なのですから。

箱の外の世界は、竜が飛びまわる奇怪な世界です。なにかをなせるような場所ではありません。なにかをなすには、箱をつくってひきこもるしかなかったのです。

箱が言葉でできていることからもわかるように、言葉のカベは竜から身を守るための防護壁のようなものです。カベで身を守ることで、
わたしたちは安心してなにかをなせる空間を形づくっているのです。

それでも安心は禁物です。無意識が外の世界とつながっているからです。そのために、わたしたちは侵入してくる竜にたえずおびやかされつづけています。しかしここでも言葉が竜の侵入をふせいでくれています。

ラカンのいう「無意識は言語のように構造化されている」とは、無意識の世界でも言葉が竜の侵入をふせいでくれているということをいっているのです。

それでも竜は、無意識をとおして侵入してきます。ジジェクのいう「無意識は外傷的な真理が声を発する場所なのである」とは、竜の侵入を「外傷的な真理の声」と言い換えたものです。

竜ははたして真理なのでしょうか。もしそうであれば、ジジェクのいう「そこで私を待っているものは、私が同一化しなければならない深い真理ではなく、私が共生することを学ばなければならない堪えがたい真理なのだ」の意味がわかる気がいたします。

そんなジジェクがこんなことをいっています。

○ラカンにとって、精神分析のいちばんの基本は、心の病を治療する理論と技法ではなく、個人を人間存在の最も根源的な次元と対決させる理論と実践である。

箱のなかの世界はなにかをなすためにつくられた世界です。そのために、心を病んだ人の社会適応とは、人並みになにかができる状態に戻してやることだと考えられがちですが、ジジェクによると、ラカンの考え方はそれとはちがっているようです。

「人間存在の最も根源的な次元」とはなんなのでしょう。それはたぶん「堪えがたい真理」の次元なのです。その次元にふれた人が心を病むのです。宗教的救済とは、心を病んだ人からその病いをとりのぞくことなのでしょう。しかしそれは、その人がふれている「人間存在の最も根源的な次元」からその人を引き離すことでもあるのです。

ラカンは、臨床の経験から「神経症、精神病、倒錯といった病理的な形成物は、現実に対する根本的に哲学的な姿勢がもつ威厳をそなえている」と考えていたようです。

竜はなにを告げたくて侵入をくり返すのでしょう。竜に侵入された人は、なぜ哲学的な威厳をそなえた病理を形成するのでしょう。愛を行ずるとはどういうことなのでしょう。幸福な人生を約束する同一化すべき深い真理を伝授することなのでしょうか。人々とともに、哲学的な威厳をそなえた堪えがたい真理を生きることなのでしょうか。

同一化すべき深い真理が言葉によって執拗に語られつづけるのは、それがたぶん竜の侵入をふせぐためになくてはならぬ防御壁であるからなのです。

3606a hope:2014/01/08(水) 08:33:57 ID:/9IAdiFk
>>3603 復興Gさま 

すばらしいお祈りの言葉をありがとうございます。
「生長の家の教え」に出会えたことに、聖典「生命の實相」がお勉強できることに、
わたしは今、感謝の気持ちでいっぱいです。

>>3604 志恩さま

あけましておめでとうございます。

わたしは、ずっと前から、志恩さまのことを心から尊敬させていただいています。
エネルギッシュで、ユーモアがあって、優しくて、人をそらさず、そして、ご自分にとても正直に飾らず生きていらっしゃる。
わたしは志恩さまのことは掲示板上でしか知りませんが、実際にお会いしても人間的にとても魅力のある女性なのではないかと拝察しています。

この掲示板の書き込みの全てを拝見してはいませんが、志恩さまのご活躍は素晴らしいと感じています。

志恩さま、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

3607a hope:2014/01/08(水) 08:35:26 ID:/9IAdiFk
みなさま

わたしは、子どものころから「何か」を求めて生きていました。
その「何か」はいくら考えてもわからないので、かなり滅茶苦茶にいろんなことを経験して生きてきました。
一般的にみれば、いい経験も、悪い経験もたくさんあります(笑)

ですが、今、そのすべての経験が生かされているような気がしています。

わたしがこの人生をかけてすべきことは「学びつづけること、真理を求めつづけること、自分の魂を限りなく向上させること」です。

そしてわたしにとって、その完全な「手引き」になってくれるのが「生長の家の教え」であり、聖典「生命の實相」なのです。

その「手引き」さえあれば、どんな困難な状況になっても、神さまに護られているという実感を持てそうな気がしています。
そして、周りの人たちもみな、すべての人たちが、神さまに護られているのだと思えるようにもなってきています。

お金でも名誉でもない、この「絶対的な心の平安」こそ、わたしが子どものころから求めていたものなのかもしれません。

みなさんの人生の目的は何ですか?

3608志恩:2014/01/08(水) 11:19:47 ID:.QY5jUA6
a hope様

お優しいお言葉をかけて下さって、ありがとうございます。
私も、a hope様のこと尊敬しています。

復興G様は、ここから完全に消えられたのではなく、また、時折、いらして下さるそうですし、
今年から、何か新しいことをお始めになられるということで、期待したいですね。

頼もしき ユタカ様もいらっしゃるので、今度は、ユタカ様とahope様に、教わりたいです。

a hope様が言われた
「お金でも名誉でもない、この「絶対的な心の平安」こそ、わたしが求めていたものなんです。」

これが真理を学ぶ、根本的な事であり、目的であるように、私も思っています。

頭で知っていたり、頭で理解したようにみえましても、つぎからつぎへと、問題は、どなたにも
発生するもので、日常生活そのものが、練成道場ですから、周囲の人たちは、皆、先生であり….、

そのような気持ちで、吾々は、日々、新たに生まれながらの、気付きの連続で、感謝し直す
連続で生きているのだと 私の場合は、思っています。

自分のことは計算にいれずに、相手の気持ちになっていきていれば、例え喧嘩しても、
心は通じ合えるものと信じています。

家族や友人、知人との関係はそれで通じ合えてきましたが、
掲示板は、顔が見えない世界ですから、言葉だけですので、誤解されることも多く、難しい世界ですね。

お互いが、研鑽し合いながらの人生ですよね。

ことしもよろしくお願いします。

3609あさひ:2014/01/08(水) 15:34:05 ID:u9w/1zYY
皆様 あけましておめでとうございます。

よろしくお願いします。

3610トキ:2014/01/08(水) 17:50:23 ID:kBX.JSV.
復興G様、a hope様、あさひ様

 あけましておめでとうございます。

 本年もよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

3611a hope:2014/01/13(月) 19:34:30 ID:/9IAdiFk
>>3608 志恩さま

もったいないお言葉をありがとうございます。合掌。

そして、志恩さまのご発言

<<頭で知っていたり、頭で理解したようにみえましても、つぎからつぎへと、問題は、どなたにも
発生するもので、日常生活そのものが、練成道場ですから、周囲の人たちは、皆、先生であり….、

そのような気持ちで、吾々は、日々、新たに生まれながらの、気付きの連続で、感謝し直す
連続で生きているのだと 私の場合は、思っています。>>

に同意させていただきます。

第8巻のP15にこのような文章が紹介されていました(わたしは赤線が引いてありました!)


>>○どんな苦労があっても、因縁によって世話させて頂いていると思えばありがたいばかりの一筋である。
人間は他(ひと)のために苦労させられているのではなく、自分の魂を高めあげ、
浄め上げるための修行として苦労を恵まれているのである。
学校は先生のために勉強するのではなく、生徒自身の向上のために勉強するのである。
人生は魂の勉強をする学校である。
苦労は教科書であり、苦労させて下さる人は皆自分の先生である。
われわれは苦労させて下さる人に感謝して拝まなければならない。
これが解ったら世の中にありがたくないものは一つもないのである。
これが解ったら人生は幸福なばかりである。
豚なら幸福とは快楽のことだと思っているかも知れぬが、
本当の人間は苦労の中に喜べるものである。(月刊『生長の家』の巻頭言より)<<



一見、この「人生は学校、周りの人はみな先生」という真理は、因縁について書かれているので、
これは生長の家の横の真理、つまりは「心の法則(三界所現)」の真理であって、
唯神実相とは関係ないようにも感じてしまいますが、
最後の一文
『豚なら幸福とは快楽のことだと思っているかも知れぬが、本当の人間は苦労の中に喜べるものである。』
という文章まで拝読すると、やはり、「唯神実相の真理」なのではないかとわたしは感じています。

「本当の人間は神である」つまりは、「唯神実相の真理」を大悟するために、
すべての苦労(と思える事柄)がわたしたちの目の前につぎつぎに現れてくるのですね。

そして、大嫌いな、どうしても許せない人こそ本当は大先生であり、大観世音菩薩さまということになりますね。

その人に心から感謝できた時、因縁を超越して魂が向上し、すべてがうまくいくようになるのだと思います。

それを悟ることができるのが、人間が神の子である証拠で、他の動物と決定的に違うところなのだと思いました。

3612志恩:2014/01/14(火) 04:37:47 ID:.QY5jUA6
a hope様

a hope様ー
>>一見、この「人生は学校、周りの人はみな先生」という真理は、因縁について書かれているので、
これは生長の家の横の真理、つまりは「心の法則(三界所現)」の真理であって、
唯神実相とは関係ないようにも感じてしまいますが、
最後の一文
『豚なら幸福とは快楽のことだと思っているかも知れぬが、本当の人間は苦労の中に喜べるものである。』
という文章まで拝読すると、やはり、「唯神実相の真理」なのではないかとわたしは感じています。

「本当の人間は神である」つまりは、「唯神実相の真理」を大悟するために、
すべての苦労(と思える事柄)がわたしたちの目の前につぎつぎに現れてくるのですね。

そして、大嫌いな、どうしても許せない人こそ本当は大先生であり、大観世音菩薩さまということになりますね。

その人に心から感謝できた時、因縁を超越して魂が向上し、すべてがうまくいくようになるのだと思います。
それを悟ることができるのが、人間が神の子である証拠で、他の動物と決定的に違うところなのだと思いました。 <<

志恩ー
>>大嫌いな、どうしても許せない人こそ本当は大先生であり、大観世音菩薩さまということになりますね。<<

もしも、雅宣総裁のことを指して、大観世音菩薩だと思いなさいと、おっしゃっておられるのでしたら、
私の場合は、個人・雅宣さんのことは、嫌いじゃないので、(数々のとんでもない「行為」については、激怒していますが)
なんとも言えません。

これは、個人的問題に対して、とか、ご自分に向かってなら、差し障りありませんけれど、


掲示板で書き込まれますと、本流の皆様に対して、
雅宣総裁は、大観世音菩薩だから、感謝しなさい、と言ってるみたいに聞こえますから。

相手が教団とか公人に対して、本流の方々は、自分のために戦っているわけではないのですから、
今の未解決の時点で、使わないほうが、無難だと思います。

3613a hope:2014/01/14(火) 08:47:37 ID:/9IAdiFk
>>3612志恩さま 

たしかにわたしは志恩さまのおっしゃるとおり、
雅宣先生は生長の家の信徒にとって大観世音菩薩様だと思っています。
それは、このweb誌友会板で何度も発言してきました。

そして、志恩さまが雅宣先生のことを愛していらっしゃるのも充分わかっています。

わたしは、真理の勉強をしている上で、虚説(間違った教えや、間違った態度)を赦してしまうことは致命傷だと思っています。

それが、臨済宗の開祖・臨済のことば

「道で、仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ。羅漢に逢うては羅漢を殺せ。
父母に逢うては父母を殺せ。親眷に逢うては親眷殺せ。始めて解脱を得ん」

の本当の意味なのではないかと感じています。

「殺せ」とはずいぶん物騒な言い方ですが、意味は『「虚説」に和解するな』と同じなのだと思います。


だから、全てが自分の内面の問題で、志恩さまが、

<<掲示板で書き込まれますと、本流の皆様に対して、
雅宣総裁は、大観世音菩薩だから、感謝しなさい、と言ってるみたいに聞こえますから。
相手が教団とか公人に対して、本流の方々は、自分のために戦っているわけではないのですから、
今の未解決の時点で、使わないほうが、無難だと思います。 >>

とおっしゃるような、おこがましい気持ちは少しもありません。
本流の先輩方も、志恩さまも、トキさまも復興Gさまも、皆さま、「今の教団の教え」の「虚説」に和解しないために、
戦われているのだと拝察しています。

3614ユタカ:2014/01/14(火) 08:52:13 ID:2W0UDPHA
おはようございます。
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

私は、今月は2日、と12日がお休みで後全部仕事に出ていたので、本が読めていません。次に3日連続休みをとったのですが、練成会の当番月なので、なかなか纏まった時間がとれなくてごめんなさい。

a hopeさまはここで、本流の話や、神様以外の話には参加されないと宣言されていっしゃいますし、一貫してそのようにされていらっしゃいますから、
a hopeさまの観世音菩薩さまのお話は、教団や本流などとは全く関係の無いものと思われます。

ここは、本当に純粋に真理をお勉強する人のためのWEB誌友会板とお考え下さい。

a hopeさま、ユタカも本を読まないと!! 読んで投稿しに参りますね!!

a hopeさま、今年もコーラスをがんばってくださいね。歌が上手な人って劇を見ているみたいに歌われるのですね!

3615ユタカ:2014/01/14(火) 08:58:52 ID:2W0UDPHA
あれ?ユタカのIDがまた変わっているな・・・

3616a hope:2014/01/14(火) 09:10:28 ID:/9IAdiFk
ユタカさま!

おめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

ユタカさまの書き込みを拝見してホッとしました。

仕事を始めてからコーラスの練習も休みがちになってしまいましたが、
今年は時間をつけて参加していきたいと思っています。

今年は、生長の家の聖歌も歌いたいな〜

それでは、仕事に行ってきます。

3617志恩:2014/01/15(水) 06:41:28 ID:.QY5jUA6
a hope様

昨朝は、せっかく、お声をかけて下さいましたのに、反論するようなコメントしてしまいまして、ごめんなさい。
a hope様のお気持ちは、よくわからせて頂いておりますのに、きつい事、言って。

実は、昨日の、1/14という日は、
朝から、原宿本部会館が、解体される予定日で…。

私も、「さあ、今朝から、いよいよ、本部は解体されるのか(泣)と、すごく悲しい気持ちでおりました。

そのタイミングのとき、私におっしゃったので。

>>大嫌いな、どうしても許せない人こそ、本当は大先生であり、大観世音菩薩さまということになりますよね。<<

と、a hope様が、おっしゃったので、

そのことは、私も、復興G様からも、度々、教えていただいております事ですから、その通りだと思っている事ですし、
他の方々だって、私だって、言ったことがある言葉なのですが、

この朝の、このタイミングのときに、私に、言うなよ,,,…(泣)と、思ったのです。

同じ事を、
昨朝、私にではなく、a hope様が ユタカ様あてに、おっしゃったのでしたら、
内容としては、正しいことをおっしゃっているので、私は、ノーコメントであったと思います。

掲示板は、言葉だけを 書き込む世界ですので、お互いのニュアンスは、伝わりにくいところがありますが…
私は、a hope様もユタカ様も尊敬しているお仲間です。

今後とも、教えて頂きたいと思っております。よろしくお願いします。

3618 a hope:2014/01/21(火) 09:28:38 ID:/9IAdiFk

>>3617志恩さま

最近、色々忙しい上に、事情があってパソコンが思うように使えず、
なかなか書き込めずお返事が遅れすみません。
わたしの発言が、志恩さまを傷つけてしまったことを心からお詫びいたします。

ですが、わたしは真理のお勉強をしたいだけで、志恩さまはじめ本流の先輩方に対して
どうこうして欲しいという気持ちは少しもありません。

「すべての現象は自分の心の展開で、自分が変ればすべてが変わる。」わけですから、
自分にとって今大切なのは自分の魂を磨くことだと思っています

これからも、こちらでお勉強させていただきますので、よろしくお願いいたします。

3619 a hope:2014/01/21(火) 09:31:29 ID:/9IAdiFk
第三章 無限知恵を感受する道 のp42〜には、
「神示」と「霊示」に関しての違いが述べられているので、自分なりにまとめてみました。
(間違いがありましたら、ご指摘ください)

神示 (良心)
1、 自己に宿る神の声
2、 絶対性 直魂(なおみたま)の働き
3、 内流で大脳に感応し、直感的にあらわれる
4、 対立を絶した内からの啓示
5、 「我執」に対して答えず、我執を捨てたとき、おのずから現れまちがわない。

霊示
1、 霊界の指導者(棲息者)の声
2、 指導者のレベルによって価値がかわる
3、 外から延髄に感応しおおむね霊媒式、二重人格式にあらわれる
4、 第二者、第三者などの対立せる人格からの意見
5、 「我執」にも答えてくれ、時々的中の明答を得たり、見当違いの答えで背負い投げを喰らう


わたしは、自分自身に霊感があると感じたことはあまりありませんが、
霊界があることや、霊界の指導者が霊媒者をとおして、
吾々現象界の人間に「霊示」をくださるということも信じています。

ですが、「生長の家の教え」を勉強していく上で、一番気を付けなければいけないのは、この二つのことを混同しないことではないかと思います。

その違いを見破るのにポイントになるのが「我執」があるかないかということなのではないかと思います。
「我執」・・・自己一身への執着心 (P44の頭注より)

わたし自身は、まだまだ「我執」の塊のような人間ですが、先日、大熊先生のブログを拝見していて、
『「我執」がない』とはこういうことを言うのではないかと感じた箇所がありますので紹介させていただきます。




大熊理事長が相談対応したことで自殺を思いとどまった方が年末から2人でてきました。
妊娠中絶に止まらず、家族関係やいじめ・引きこもり・ 病苦や経済難までご相談に乗ります。

「いのち」には代えられません。

ただし 1日2時間だけです。

お金やお礼は 必要ありません。
あなたに笑顔が戻ればそれでいいのです。

 (「いのちを守る社会教育家」)
一般社団法人「いのちを守る親の会」          理事長 大熊 良樹        



『お金やお礼は 必要ありません。
あなたに笑顔が戻ればそれでいいのです。』

わたしも、このような心境で、「生長の家」の光明化運動に邁進したいと思います。

http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/11100212.html

3620トキ:2014/01/21(火) 09:47:47 ID:gcG1K95Y
>>3619

 時間がないので、簡単なコメントになり、ごめんなさい。
たいへんよく調べられたと感心しました。ざっと拝見した
だけですが、其の通りかと感じます。

 素晴らしいご投稿、ありがとうございました。

合掌 ありがとうございます

3621志恩:2014/01/21(火) 11:21:04 ID:.QY5jUA6
a hope様

よく調べられましたね。トキ様もコメントされましたが、私もその通りだと思います。
1、 自己に宿る神の声
2、 絶対性 直魂(なおみたま)の働きに、直に繋がっていた方が、人生に間違いが無いと
思います。

トキ様、a hope様、ユタカ様、その他の皆様、また、よろしくおねがいします。
…………………………………..
ここに書いていいかどうか分かりませんが….
実は、今日、少し前に、近所に住む末期がんの友人から、久しぶりにメールが届き、
その彼女のコメントに、驚いているところなんです。

メールによりますと、
なんと彼女は、この1月から、ご近所の音楽教室へピアノを習いに行きはじめたというのです。
小さいとき、習いに行きたかったけれど、行けなかった。今からでも
遅くないぞと思って、ピアノを習いに行きはじめたそうなんです。

「生命の實相」の教えは、やはり、ほんものですよね。
 👉❀.(*´◡`*)❀.👈(⬅縹様が出された絵をパクリました。)

縹様が私に教えて下さいましたように、私は、彼女のがんは、もともとなかったのだと、
光り輝く完全健康体の彼女の映像を、心を込めて、今でも、描き続けています。
ありがとうございます。
http://tingokokka.blog.fc2.com/

3622 a hope:2014/01/24(金) 19:50:29 ID:G/pK6qF2

生命の實相 第8巻 p76 後ろから4行目〜

>>諸君が神想観中、人間の完全円満なる実相生命を人間の一面であると観じ、しかし同時に肉体人間を人間の他の一面であると観じ、肉体なる容器に霊なる神の生命流れ入ると観ずるならば、それは人間に二つの異なる存在を――すなわち一つは完全なるもの、多は不完全なるものを――認めることになるのであって完全なる神想観と言うことはできないのです。

われらが肉体をば、真実在に相対する不完全な存在であると考える限りにおいては、われらは生命の実相を把握したということはできないのです。むしろかくのごとき人間観をいだいているからこそ、もろもろの病がその人の生命にあらわれてきたのであります。

実相の世界、真実在の世界においては、不完全とか、不調和とかは豪末(ごうまつ)も存在しないのです。実相の世界、真実在の世界においては人間はただの一つの存在であります。霊なる至妙なる人間しか存在しないのであります。吾人(ごにん)の肉体を実相とは別なる存在であると考えてはならないのです。

実在(ほんとうにあるもの)はただ一つ聖なる神の子なる「我(われ)」であって、肉体はただその聖なる実体の映像(かげ)としてのみ認めねばならないのだ、これを実相に対する実在として対立的に認めてはならないのであります<<

3623 a hope:2014/01/24(金) 19:52:07 ID:G/pK6qF2

>>3622 a hope 所感)

この箇所は、とても重要なことが書かれていると思いました。

たぶん縹さまが志恩さまにご教示されたというのは、この事なのではなのでしょうか?
(なかなか時間がとれなくて、トーキングスティックボードの内容はまだすべて拝見していませんが・・・)

どうしてもわたしたちは、「不完全な自分の肉体に神の生命が流れ込んで健康になるイメージ」を抱いてしまいがちですが、
それは完全な神想観ではないと述べられているのが興味深いです。

いかなる不完全をも認めないのが「生長の家の神想観」なのですね。

不完全な人間なんていないんだ!
不完全な世界なんてないんだ!
すべてが完全円満なんだ!

そう心から信じることができたとき、それが「実相独在」ということになるのだと思いました。

3624トキ:2014/01/24(金) 21:42:55 ID:imJLzwls
a hope様

 素晴らしいご投稿、ありがとうございます。

 最近は朝がすごく寒いですが、それでも神想観をします。

それが慣習化しているのも事実ですが、朝起きて歯磨きをする
という慣習が自分の歯を健康にするように、神想観をすること
が完全に自分が神の子である事を思いだせる貴重な時間です。

 生命の実相第8巻は神想観について書かれた本ですが、この
本に書いた事を実践する人が一人でも増える事を願っています。

3625 a hope:2014/01/29(水) 08:16:49 ID:G/pK6qF2
>>3624トキさま

神想観はわたしも大好きですから毎日必ずしています。
朝することが多いですが、あまりこだわらず、できるときにするようにしています。

わたしは気功をしていた経験があるので、以前は他人さまからの邪気をとても受け安かったのですが、
神想観をすることで自分の中の神としっかりつながることができるようになったので、
最近はほとんど邪気が気にならなくなりました。

谷口雅春先生の「神想観」や「祈りの言葉」、聖経、聖典の内容は、最高に素晴らしい波動なので、
祈りや拝読を続けることで自分の波動(気の流れ)がよくなり、人生も好転して来るのだと思います。

生長の家が混乱している今、わたしたち信徒は余計な運動をしたり新しいことを信仰をする必要はないと感じています。

信徒一人一人が「谷口雅春先生の教えの基本」に戻って正しい「生長の家の教え」を信仰していれば、
全てがうまくいくのだと思います。

トキさまが信仰/体験板>>1514で、

>>ただ「大自然讃歌」を真面目に毎日読んでいる人がいて、その人の
周囲に災難が続いている、という話は教区で聞いた事はありますが、
因果関係は不明です。<<

と発言されていますが、これは、雅宣先生には本当に申し訳ありませんが、
自分自身の経験からとてもあり得る話だと思いました。

「雅宣先生の教え」は、「雅春先生の教え」とは波動がまったく違いますものね。

ご自分の波動と合わないものを信仰されると、それまで良かった波動を下げてしまうこともありますから、
ある宗教を信仰されていて、違和感を感じたり幸福感を感じられなかったら、
すぐにやめられた方がいいのではないかと感じています。


だって、ご自分自身とご家族の人生はご自分で守るしかありませんものね。

3626 a hope:2014/02/01(土) 16:11:05 ID:tLWd4hcY

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第22回 web誌友会

期間  2月1日〜2月28日まで
テキスト 「生命の實相」第9巻 霊界篇

☆ ☆ ☆ ☆ ☆


みなさま こんにちは

2月に入りましたので、第22回 web誌友会 を開会させていただきます。
この霊界編の第9巻と第10巻の「生命の實相」ですが、わたしは数年前に一度拝読済みのはずなのですが、
他の巻が赤線だらけなのに対して、ほとんど赤線が引かれていないのです。

「生長の家」の「唯神実相の真理」を学びたかったわたしには、この霊界編は心にあまり響かなかったのかもしれません。

ですが、第8巻の観行編でも、「霊示」と「神示」の違いをお勉強しましたが、
霊界の高級霊のお言葉は限りなく神の御心に近いものであって、お勉強する価値は充分あるのではないと思われます。
それに雅春先生が、不必要なことを「生命の實相」に書かれているとは思いませんしね。

今回、良い機会なので、この霊界編を読み直すことで「霊界」についての知識を深めたいと思います。
みなさまもご一緒にお勉強してくださるととてもうれしいです。

3627 a hope:2014/02/01(土) 16:13:06 ID:tLWd4hcY

それでは「開会の祈りの言葉」の代わりに、霊界篇「生命の行方」の冒頭の詩を謹写させていただきます。


「なんじのうちの神を生かせ――」

あなたはもっと深切にならなければならない。
何事にももっと行き届いた愛をもたねければならない。
小さなことでも慎まねばならない。
あなたの性格上の欠点は
常にこれくらいのことはよかろうと
なんでもいい加減の所で済ましておく所にあるのだ。
ちょっとぐらいどうでもよい。
ちょっとぐらい穢(よご)れてもよい。
ちょっとぐらい皺がよってもよい。
ちょっとぐらい乱暴でもよい。
わたしは、このちょっとぐらいが嫌いなのだ。
神は愛であるから、
神は深切であるから、
あなたがほんとうに神を信ずるならば、
何をするにも、その仕事を愛しなければならぬ。
何をするにも、その仕事を深切にしなければならぬ。
行き届いた愛で仕事をするとき、
深切な心で仕事をするとき、
あなたの内にある神が生きてくる。
「ちょっとぐらいどうでもよい。」
毎日あなたはこういって
あなたの内にある神を殺してはしないか。

―――― 月刊 『生長の家』巻頭の歌より――――

3628トキ:2014/02/01(土) 17:08:43 ID:dB3FklJU
a hope 様

 ありがとうございます。よろしくお願いします。

3631トキ:2014/02/01(土) 21:58:28 ID:dB3FklJU
>>3627

 すばらしいご文章ですね。
同時に、自分も反省すべきだと感じます。

 ありがとうございます。

3632ユタカ:2014/02/01(土) 22:26:46 ID:2W0UDPHA
a hopeさま
有難うございます。8巻はどこを開いても素晴らしかったですが、9巻は霊界編なのでテンション下がるね。

誌友会のお祈りを貼ります、二月三日が節分なので、復興Gさまのを貼りますね。
生きとし生けるものを生かし給える御祖神
元津霊ゆ幸え給え。

吾が生くるは吾が力ならず
天地を貫きて生くる祖神の生命。

吾が業は吾が為すにあらず
天地を貫きて生くる祖神の権能。

天地の祖神の道を伝えんと顕れましし
生長の家大神守りませ。


天地一切のもの、自分の力で生きているものは一つもないのだ。

すべては大生命のお力で生かされていらっしゃるのだ。

ああ、神の創り給いし実相世界の妙なるかな。

神の無限の智慧に満たされてあるかな。

神の無限の愛に満たされてあるかな。

神の無限の生命に満たされてあるかな。

神の無限の供給に満たされてあるかな。

神の無限の喜び智慧に満たされてあるかな。

神の無限の調和に満たされてあるかな。

ありがとうございます。ありがとうございます。

今年がまた神の生命の歓喜の爆発として、いっそうよろこびに満ちた佳き年でありますことを感謝し奉ります。

ありがとうございます。ありがとうございます。

3633 a hope:2014/02/01(土) 23:48:33 ID:tLWd4hcY

トキさま ユタカさま

ありがとうございます。


わたしは生長の家の教えに出会う前から、スピリチャル(精神世界)には興味があって、
「前世療法」等の精神世界系の書物はかなり読んでいて、催眠療法で過去生に退行できたり、
高級霊(スピリット)からメッセージを受け取ったりすることが可能であるという知識がありましたから、
数年前の「霊界篇」を拝読しても、特別新鮮な驚きがなかったのだと思います。

ですが、現象世界しか信じていなかったわたしが、スピリチャルに目覚めたときの衝撃はすごかったです。


自分は何の目的でこの現象世界に誕生したのか、
何のために困難な状況の中でも生きて行かなければならないのか、
なぜ、自分を苦しめる人に次々に出会うのか、
そして、どうして人間は輪廻転生を繰り返すのか・・・

そんなことが、スピリチャルに目覚めてくると、とてもよく理解できるのだと思います。

世の中の人々が皆、自分に「生き通しの魂」があることを悟ることができれば、
世の中の犯罪は減って、平和な世界が実現するのではないでしょうか?

今回、ここで、あらためて霊界のお勉強を出来るチャンスに恵まれたのも、きっと意味のあることだと思っています。

だから、ユタカさま、わたしはテンションを下げることなくお勉強をしたいと思いますよ(笑)

トキさま、ユタカさま、みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

3634レンゲソウ:2014/02/02(日) 00:33:48 ID:1sfTkwE.
 以前、ここに常連で投稿をしていた”義春”の友人です。霊界の話で、思い出した
ので、スレ違いならごめん。

 ”義春”は、何度も手術をしたのですが、ある時の手術の時に臨死体験をして、
お花畑を歩いたと話してました。それ以来、かなり霊感が強くなり、不思議な
予言をしていました。

 宇治の大祭で、初めて『自然災害物故者慰霊塔」の前で「大自然讃歌」を読
誦して嵐が到来した時も、数日前に友人達に電話をして、『今度の大祭には行か
ないほうがいいよ。」と話していました。

 最後に入院した時に見舞いに病院に行ったら、本人は意識ははっきりしていて
声はかすれていたけど話はできました。

 「今、高級霊界では、谷口清超先生を中心にして、谷口雅春先生の高弟たちが
円状に集まり、生長の家のために祈っているよ。」

と話していました。何人かの人間がこの話を聞いているみたいで、不思議な話だ
と思います。

 ”義春”は、生長の家の現状は強く憂いていましたが、総裁にはある種の”友情”を
感じたみたいです。その根拠は自分は知りません。

 遺言で、場所を指定して、散骨を希望していたのだけど、ご遺族はきちんとし
たお墓を希望していたら、不思議な事に、散骨の予定地の近くにトントン拍子で
立派なお墓がたつことになりました。

 夜しか投稿ができないので、失礼。

3635神の子さん:2014/02/02(日) 08:39:50 ID:rH4JlRNU
>>3634
安易に、邪気を感じるだのスピリチュアルだの気功ができるなど言う方は全く信用しませんが、(霊感など、有る程度誰でも持てるものなので。幽体離脱だの、チャネリングみたいなことは一時してましたが、だいたいが幼児期や思春期に問題ある場合の霊体のズレなどでも起こるとこことです。だから本物の霊感は一握りなのです。
そんなことよりここに神の子として生きることの奇跡が一番だと分かります。)
しかし、義春様の場合の霊感は、素晴らしい信仰のその賜物でしょうね。
ある種の友情ですか、
心意気のある義春様らしい想いのように、感じられます。

私も及ばずながら、生長の家のために祈らせて頂きます。
ここの学習などには参加しませんが、レンゲソウ様のご投稿大変心強かった、ありがとうございました。

3636 a hope:2014/02/02(日) 10:21:16 ID:tLWd4hcY

みなさま おはようございます。

>>3634 レンゲソウさま

義春さまのご友人のお一人なのですね。
義春さまからの貴重なメッセージをこの掲示板でお知らせくださり心から感謝いたします。 

合掌。



<<宇治の大祭で、初めて『自然災害物故者慰霊塔」の前で「大自然讃歌」を読
誦して嵐が到来した時も、数日前に友人達に電話をして、『今度の大祭には行か
ないほうがいいよ。」と話していました。>>


<<「今、高級霊界では、谷口清超先生を中心にして、谷口雅春先生の高弟たちが
円状に集まり、生長の家のために祈っているよ。」
と話していました。何人かの人間がこの話を聞いているみたいで、不思議な話だ
と思います。>>


詳しいことは書けませんが、このメッセージはわたし自身義春さまから直接伺いました。
わたしは義春さまは今も、霊界からわたしたちを見守って下さっていると確信しています。

3637 a hope:2014/02/02(日) 10:22:09 ID:tLWd4hcY

>>3635 神の子さん

<<安易に、邪気を感じるだのスピリチュアルだの気功ができるなど言う方は全く信用しませんが、(霊感など、有る程度誰でも持てるものなので。幽体離脱だの、チャネリングみたいなことは一時してましたが、だいたいが幼児期や思春期に問題ある場合の霊体のズレなどでも起こるとこことです。だから本物の霊感は一握りなのです。
そんなことよりここに神の子として生きることの奇跡が一番だと分かります。)>>

↑ これは、あきらかにわたし、 a hopeのことですね(笑)。

この神の子さんのご発言にわたしも心から同感しています。
だって、わたし自身、現象人間の自分は全く信用していませんから・・・

わたしたち「生長の家の信徒」が信用すべきは、聖典「生命の實相」の真理以外ありませんよね!!


<<ここの学習などには参加しませんが・・・>>

でも、閲覧されているということは、参加されているのも同じではないですか。
どうか、次回は、素敵なHNでご登場してくださいね!

3638うのはな:2014/02/02(日) 11:18:03 ID:gMcqEbqU
<<安易に、邪気を感じるだのスピリチュアルだの気功ができるなど言う方は全く信用しませんが、(霊感など、有る程度誰でも持てるものなので。幽体離脱だの、チャネリングみたいなことは一時してましたが、だいたいが幼児期や思春期に問題ある場合の霊体のズレなどでも起こるとこことです。だから本物の霊感は一握りなのです。
そんなことよりここに神の子として生きることの奇跡が一番だと分かります。)>>

 そういう意見が一般的常識的だと思うのですが、ここの掲示板指導者が
もともと霊憑依の話などすると、藤原先生の實相哲学講話を引用したり、
聖典書写中に神霊の分体のようなものを見た話を聞くと、無視するのかと思えば興味を示して来たり、
宇治のある塔から悪い波動が出ている話を書いたり、人の話を曲解しては、
霊界の高い御位にいる友人に頼んでみる、えらいめにあいますよと
恫喝してくる人なので、ムキになって信用できないとか、信用できるって主張しあわなくてもいいと思いますね。
霊体験もふくめて、和気あいあいと真理の研鑽誌友会にされることを願います。



3639 a hope:2014/02/02(日) 14:10:59 ID:tLWd4hcY
今日は雨の日曜日です。
子どもたちと一緒に参加予定だった行事も、インフルエンザの予防のため中止になりました。

わたしは今、真理のお勉強をできる幸せを感じてます。

>>3638 うのはなさま

ありがとうござます。

<<霊体験もふくめて、和気あいあいと真理の研鑽誌友会にされることを願います。>>

なんてうれしいお言葉なのでしょう!

ほんとですね。
「生長の家」には、この『和気あいあい』という言葉がぴったりですね!!

霊感とか、霊能力ということに関しては、興味のある方、また体験談のある方は多いのではないでしょうか・・・。
わたしは、自分に本当の霊感があるとは思っていませんが、幽体離脱や、小周天が回るなどの不思議なことは実際に体験しました。

ですが、だからと言ってそれが特別なことだとは決して思っていません。

向上心を失って、なにか(誰か)に依存的になってしまえば、自分の人生はどんどん悪い方に転落していくのだと感じています。

ここで、わたしの魂を磨いてくださるみなさまと、史上最高の聖典「生命の實相」をお勉強できることに心から感謝しています。

3640うのはな:2014/02/02(日) 15:05:50 ID:LAQU8qrk
>>3639

笑.....あらまあ、留学経験のある方らしく、語学日本語が達者な方の
決意表明ですね(笑)気功を習得なさっている方なら、この「和気」というものが
どんなものか、あれこれ理屈をいわなくても解っていらっしゃるだろうと推測します。
有意義な時間をお過ごしください。



3641志恩:2014/02/02(日) 20:28:54 ID:.QY5jUA6
この霊界篇で、雅春先生は、大本教にいらしたときに、
共に心霊学を学んでいらした浅野和三郎のことについて、5頁から触れられておられます。

浅野和三郎訳「死後の世界」(オックスフオード大卒、ワード氏著)の中からも多く引用されてます。

雅春先生と共に学ばれていらした浅野和三郎が、いいかげんな人物でないことを、知っていただくために、
まず、浅野和三郎のことを、以下、Wikipediaより ご紹介させて頂きます。

浅野先生は、霊媒の中でも、ほんのひとつまみしかいないという、本物中の本物である素晴らしい先生でした。

死後の世界を、科学的に研究されて、具体的に人類に示して下さった、日本人としては最初のお方だったそうです

浅野和三郎ー(生家は代々、医者を生業にしていた)

1896年(明治29年)東京大学に入学、時を同じく小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)が英文学担当教師として赴任し、
          教えを受ける。在学中に機関誌『帝国文学』に処女作「吹雪」を発表。浅野馮虚の筆名で、

           その後短編小説等を続々発表し文才を発揮。さらに、英文学科に在籍しながら、英米文学の翻訳にも手を広げ、
         アーヴィングの『スケッチブック』、ディケンズの『クリスマスカロル』、エドワーズの『奇々怪々』を出版した。
          このような経歴が、心霊研究への下地となっている。

1899年(明治32年)に東京大学英文学科を卒業。海軍に請われて、横須賀にある海軍機関学校の英語教官に赴任する。

1915年(大正4年)の春、三男の三郎が原因不明の熱病になり、多数の医者に見せても回復せず半年を過ぎていたが、
         三峰山という女行者の言葉通りに快癒した事から、心霊研究に傾倒し、

1916年(大正5年)海軍機関学校を退官し、当時もっとも実践的な心霊研究をしていた大本に入信。
         教団内で有力な信者となり、論客として活躍するも、

1921年(大正10年)の第一次大本事件による大弾圧の後は教団を離れ、

1923年(大正12年)3月、🌻「心霊科学研究会」を創設。

         伴に大本を離れた人物として宗教右派に属する政治的新興宗教🌸生長の家創始者谷口雅春氏が居る。

1928年(昭和3年)、ロンドンで開かれた第三回国際スピリチュアリスト会議(世界神霊大会)に出席し、
          グロートリアン・ホールにて「近代日本における神霊主義」の演題を英語で講演する。

          さらにロンドンで霊媒や降霊会を訪ね、パリ、ボストン等を歴訪し、心霊関連の文献を多数持ち帰る。
          この実績をもとに、日本国内での心霊主義(スピリチュアリズム)の啓蒙活動によって、

1929年(昭和4年)5月に名古屋に「中京心霊協会」が、同年7月に大阪に「大阪心霊科学協会」が、そして
         12月に東京に「東京心霊科学協会」が相次いで設立されて心霊研究の実行機関が各地に設置された[。

🌸「東京心霊科学協会」では、翌1930年(昭和5年)1月15日に設立記念の新年総会を開催して、1月17日に新事務所開きを行って、活動を展開し始めた
           妻の多慶子は三郎の病気が治った翌年から、霊的な能力を見せ始め、

1929年(昭和4年)、次男の新樹の死をきっかけに霊言(トランス・トーク)を行うようになり、
         『新樹の通信』、『小桜姫物語』(ともに霊界見聞録等の内容)を収録し出版した。

3644志恩:2014/02/02(日) 21:11:03 ID:kwDJceLI
私は、この霊界篇を初めて拝読したのは、忘れもしない高校1年生の春のことでした。
生長の家に入信する前、私の母は、
浅野和三郎の門下生が、趣味で、こじんまりと、開催していた「心霊科学研究会」に
紹介されて、母は、時折参加していましたので、私も,母の影響を受けまして、
霊の世界があることは、実感として理解していましたが、

あの当時は、
今の時代のように、霊界について詳細に書かれている本は、あまりなかった時代で
ありましたから、
私は、この「生命の實相」の霊界篇は、目から鱗の事ばかりで、あれよあれよと、読み進みました。

読後、私は、この興奮を、この知識を、だれに語り尽くしたらいいのだろうかと、
頭が爆発しそうでしたが、
真剣に私の話を聞いてくれる深切な人が、すぐそばにおりました。

母の母、私のおばあちゃんが、その人でした。

私は、時間も忘れるくらい、事細かに、おばあちゃんに、
「人間は死んでも死なない、
いき通しの神の子なんだってさ、そして、死後は、こうなるそうよ」と、
熱心に話しました。

すると、それを聞いてくれたおばあちゃんが、喜んだの、なんのって!!

「◯◯ちゃん、なんていう、良い話を、わたしに してくれたの!
 わたしはね、産まれて来て ここかた、こんなうれしい話を聞いたのは、
 生まれて はじめてだったわ!
 そうなの!たましいは、生き通しなのね。死んでも死なないのね。
 ありがとう、ありがとう...」

と、涙をこぼして、おばあちゃんは、喜んでくれたのでした。

その翌年、私が高校2年生の12月に、おばあちゃんは、満面の笑みのまま、
大往生で、自宅で眠るように永眠しました。

この「生命の實相」霊界篇のお蔭で、私は、おばあちゃん子で、赤ちゃんの頃から、おばあちゃんに、
世話になりっぱなしで、甘えてばかりいる人間でしたが、1つだけ、大きな、おばあちゃん孝行ができた
思い出の、私にとりましては、とても有り難い聖典なのです。

3645志恩:2014/02/02(日) 21:42:00 ID:.QY5jUA6
おばあちゃんは、いつも、お守り甘露の法雨を、
肌身離さず、持っていました。

そして、他界するしばらく前から、天国へ何回か
行っているらしく、みたこともないような美しい世界に
行って来たとか、きれいな花がいっぱい咲いてたとか、
死んだおとうさんが会いに来てくれたとか、穏やかな表情で
話してくれていました。

そして、他界する1週間ほどまえのことですが、
真夜中に突然起きて、隣の布団で寝ていた母に
「お願いがあるの、窓を、このくらい(両手で10センチくらいを示し)
 あけてくれないかい」というので、

 優しい母は、12月の冬だったので ほんとは開けると寒いのですが、
 すぐに起きて、おばあちゃんが言うとおり、
 窓を開けに行ってあげたそうです。

すると、おばあちゃんは、母に
「ありがとね。今ね、わたしのたましいが、ひゅーって、
わたしの眉間のところから、出て行ったの、
ひゅーって、あの窓から、今、たましいが外へ出て行ったわ」

と言ったそうなんです。

それから、おばあちゃんは、1週間くらい、普通に生きていて、
夜寝て、朝になったら、布団に横たわったまま、満面の笑みで
亡くなっていたのでした。

私は、そのときから、
どうして、おばあちゃんは 死ぬ1週間ほどまえに、
眉間から魂が抜け出ていったというのに、その後も、1週間も
生きていたのか、それを不思議に思っていましたが、

あとになって、魂の尾は、肉体の眉間と、へそあたりの2カ所に
繋がっていて、最初、1本が、眉間から出て、それでは、死ななくて
あとから、
もう1本繋がっている、
へそあたりから たましいが出ると、霊魂は、
肉体から遊離するのだということを、本で知りました。

3646志恩:2014/02/02(日) 21:58:08 ID:.QY5jUA6
義春様も、ほんとうに霊界へ行って、見ていらしたのでしょうね。

ただ、a hope様や うのはな様や、他の方々が言われるとおり、
死後の世界がある…ことなどが、理解できましたら、

それで、1巻の終わりにされて、今、生きているこの世で、
如何に生きるかということに思いを致し、

この世のことを集中して考えて、あの世のことは、
行けばわかるのですから、

あまり霊界に関心持ちすぎぬように、今をだいじに生きたほうがいいと
私も思っております。
なぜなら、吾々は、この世に修行に来ている霊魂なのですから。

a hope様が いわれますように、身近なところで、
人に深切に生きることが、とても
たいせつなことだと、私も思っています。

3647 a hope:2014/02/03(月) 00:12:23 ID:tLWd4hcY

>>3641〜 志恩さま

浅野和三郎さまに関する情報と、おばあさまとの素晴らしい体験談を聞かせてくださりありがとうございます。
特におばあさまとのお話はとても感動しました。

肉体人間は誰でも必ず死にますが、生き通しの生命(魂)の存在を本当に悟れば、
死を恐れることは全くなくなるのですね。

志恩さまのおばあさまは、亡くなる前に志恩さまからそのことを教えて貰うことができて本当に幸せでしたね。

わたしも聖典「生命の實相」の拝読や神想観を続けているうちに、自分の肉体とは別の本当の自分の存在(霊的実在)が
段々はっきりと感じられるようになってきました。

「生長の家の教え」って頭で理解すると同時に、魂でも理解しないと本物にはならないのですよね。
どちらの理解が欠けてもいけない、とてもハイレベルな教えだと感じています。

志恩さま、素晴らしいご指導ありがとうございます。
これからも、このweb誌友会にどんどんご参加くださいね。

どうぞよろしくお願いいたします。

3648レンゲソウ:2014/02/03(月) 00:27:57 ID:oQQHc1pU
 ”義春”の件、コメント下さり有り難う御座いました。

 生長の家の人については、似たような体験をした人が多いみたいです。
以前、アメリカの有名な霊能力者が来日して霊視をしたときに、昭和天皇
の側近だった人物の霊を招魂したそうです。

 その人物の語る所では、昭和天皇は、極めて魂の高い方で、現在も日本
を神界から守っている、ということでした。日本人の霊能力者なら先入観
に左右された可能性がありますが、外人の霊能力者の霊視ですから、信頼性
が高いと考えています。

 このアメリカ人の霊能力者の著者を図書館で借りて読み、感銘を受けた
のですが、残念な事に本の名前を忘れてしまいました。

 どなたか、教えて下されば嬉しいです。

3649 a hope:2014/02/03(月) 09:37:21 ID:tLWd4hcY

>>3648 レンゲソウさま

わたしは何か月か前に、映画「終戦のエンペラー」を観たのですが、あれもたしかアメリカが制作した映画ですよね?
天皇が終戦時にマッカーサーと対談した場面が最後の方にありましたが、その時のお言葉がまさに「神の御心」「一切者の自覚」から発せられたお言葉でした。

その内容は、雅春先生の『秘められたる神示』の中の 君民同治の神示講義に詳しく書かれていて、
わたしは以前金木犀さまが謹写してくださったものを拝読しとても感動したのを思いだしました。


http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/710

<<…日本の歴史は、常に時の権力階級が我の力が行き詰まっては、天皇の方に振り向き、そこから神智が実現して正しき道に帰るということが繰り返されているのであります。それですから、大東亜戦争の末期に於ける御前会議に於いて、誰も意見をのべる者がなくなった時、ついに天皇は「ほかに誰も意見を述べる者がないならば、私の意見を述べよう。私の身体はどうなってもよいから、この上国民を戦争の惨禍の中に苦しめるのは見るに忍びないからポツダム宣言を受諾して戦争をやめる」と仰せられ、その後、天皇はマッカーサー元帥を訪問せられて、
「戦争の責任は皆私にある。国民には責任はない。私は絞首刑をも覚悟している。皇室財産は司令部の処置にまかせる。私の一身はどうなってもよいから、国民をどうぞこれ以上苦しめないで頂きたい」と仰せられたのである。「無にして絕對であり、一切の主である」ということは、「無」でありながらも、責任を回避するということではない。「一切の主である」とは「一切の責任は自分にある」との自覚である。「無」であるがゆえに神聖であり、一切の責任を自己に背負って自己が一切の者に代って苦しもうとする愛の深さゆえに天皇は神聖であるのである。>>

やっと見つけましたので、もう一度講義の全文を拝読しなおしてみたいです。

レンゲソウさま、わたしはレンゲソウさまのお探しのご本に関しては情報がありません。
どなたか、ご存じの方はぜひ教えてくださいね。

3650志恩:2014/02/03(月) 09:53:01 ID:.QY5jUA6
a hope様

コメント、ありがとうございます。
私は、ひとさまにお教えするようなことはできませんで、
私の方こそ、いろいろと教えて頂いております。

ユタカ様もいらして下さって、うれしいですね。

レンゲソウ様のおっしゃるアメリカ人の霊能者って、
だれでしょう。

SAKURA様は、ご存知じゃないかしら…。

3651トキ:2014/02/03(月) 21:30:28 ID:Eln5Aqks
 生長の家宇治別格本山の練成会に参加した時に、いわゆる憑依霊の
問題で悩んでいた人にお会いした事があります。霊感が強く、またある
種の力があったので、除霊まがいのことをしていたら、多数の霊に憑依
され、精神的にも追い込まれて、宇治に逃げるように来られたと聞き
ました。
 
 不思議な事に、宇治に境内に入ると、それまで憑依していた霊が
一斉に離れたので、不思議だ、と話していました。これは、甘露の法雨
の功徳としか思えないです。

 霊の問題で悩んでいる人は多いと思います。そういう方は、霊能者等
に相談する前に、まずは、徹底的に甘露の法雨を読まれるのが良いかと
思います。

3652レンゲソウ:2014/02/04(火) 00:47:27 ID:qlSX5ozQ
 浅野和三郎先生の「新樹の通信」には霊界についての詳細な情報が書かれています。
生命の実相第2巻に一部が引用されています。

 本には、キリスト信者や熱心な日蓮宗の信徒が亡くなってからどうなるかを実例をあ
げてかかれています。各自の宗教はそれぞれ独自の死後の世界を描いていますが、実際
に死んでからは、かえってそれらの知識が邪魔になって正しい霊魂の進化に行き着けない
とあります。ですから、最初、キリスト教信徒はイエス様の姿で、日蓮信者は、僧侶の
姿で高級霊が指導に当たるとあります。

 しかし、これらの信仰も、魂が高くなると、区別など不要であり、ここに谷口雅春先生
が、信仰の違いは実は対した事がない、とご指導をされた根拠があると信じます。

3653志恩:2014/02/04(火) 15:01:20 ID:.QY5jUA6
3652:でレンゲソウ様が、
「新樹の通信」の感想を述べられましたので、
私も、少しだけ書かせて頂きます。

この本は、浅野和三郎の息子 新樹(しんじゅ)氏が若くして亡くなり 、
新樹自身がその埋め合わせに幽界の状況を報告し 父の仕事を助けたいという
死後の世界のレポートです。

死後の世界では、心に描く事で、好きな部屋に住んだり 
好きな服装をしたり 富士山に登ったり 天狗に会ったり 竜宮に行ったり 
乃木大将と仲良しになったり….。


レンゲソウ様が、書かれていた
帰幽後の一仏教信者、帰幽後の一キリスト教信者の話も大変参考になりました。

あたまでっかちになって、教えのことばかり理屈でかんがえるのではなく、普段、身近な人たちに
深切に尽くすこと、つまり、普段の行動が大事だという事が、よくわかりました。
それが、あの世に行っても、スムースに行くようです。

また、乃木希典氏も登場し、自刃に至る心持ちも、新樹が乃木に質問して、
乃木が答えています。

自刃の原因は天皇に申し訳ないとの思いが一番強かったとのことですが、
「息子2人も亡くなり、多くの部下を無残に死なせてしまったところへ明治天皇の崩御で、
何もかもが厭になった」と語っておられました。

更に、自分はもう戦争はしたくないが、まだ日本はこの先もう一度戦争を体験することになっているようだ、
と述べている(昭和初期の段階で)ことが、非常に印象的でした。
国と国民の安寧をひたすら願う思いの強さを知らされ、何とも涙ぐましく頭の下がる思いがしました。

それから、この本では、人が死ぬときは、たましいの尾(緒)は、眉間、へそ、足につながっており、
へそ、あし、みけん、の順で、抜け出る、と書いてありましたが、

私は、別の竹内先生の本『心霊秘話』で、たましいは、眉間から、先に出て、あとから、へそから出て、事切れる。
というのも読みました。

私は、先にお話しました、私のおばあちゃんの亡くなる前の証言を、思いますと、
竹内先生が、書かれたことと、うちのおばあちゃんの場合は、一致しているとおもいました。

3654志恩:2014/02/04(火) 15:11:47 ID:.QY5jUA6
もう1冊、浅野和三郎著「小桜姫物語」―霊界通信 も読みました。

浅野和三郎の奥さんの 多慶子(たけこ)夫人を霊媒として 
夫人の守護霊である「小桜姫」が語る 死後の世界の体験談です。

死んだ直後の 自分の感想や あの世では個々に精神統一をして、
現世の執着を忘れる修行をする ということ。

神想観で精神統一を訓練しているわれわれは、楽勝です。

あの世のいろいろな世界(竜宮界、天狗界、龍神)について書かれておりました。

「新樹の通信」の本には、小桜姫と新樹が、向こう、一緒に行動するときもあり、
興味深かったです。

小桜姫の信仰心や祈りに対しする姿勢が、さすが日本神道の女性霊だなと感じました。

3655 a hope:2014/02/04(火) 18:44:14 ID:tLWd4hcY

>>3651 トキさま

<<不思議な事に、宇治に境内に入ると、それまで憑依していた霊が
一斉に離れたので、不思議だ、と話していました。これは、甘露の法雨
の功徳としか思えないです。>>

宇治別格本山では、毎日「甘露の法雨」が読誦されているのですものね。

「甘露の法雨」は聖典「生命の實相」の内容が凝縮されたお経ですから、
「実相独在」の波動が境内の隅々まで行きわたっていたからかもしれませんね。
きっと、憑依霊とは波動が合わなくて逃げ出してしまったのでしょうね。

わたし自身は「甘露の法雨」は御護りとして携帯してはいますが、毎日は読誦していません。
むしろ、神想観をしたり「真理の吟唱」や「生命の實相」を拝読したほうがより波動が整うような気がしています。
理由は、おそらくですが、そちらのほうが、内容がよく理解できるからなのではないかな〜と思っています。

「甘露の法雨」は波動は素晴らしいと思いますが、内容が凝縮されすぎていて初心者にはすんなり意味が通じないですよね。
まあ、お経ってみんなそんなんですけど・・・(笑)

これはなんとなく自分の感じたことですけど、宇治別格本山以外の場所では実相独在を悟っていない人間が
「甘露の法雨」を読誦するだけで憑依霊を退散させるのは難しいような気がしています。

谷口雅春先生がご存命だった時代は、日本全国の信徒のみなさんが熱心に「甘露の法雨」を読誦されていらしたと思うので、
全国の「生長の家」に宇治別格本山のような「実相独在」の波動が満ち満ちていて、
だから初心者であっても「甘露の法雨」を読誦するだけですぐに波動が合って、色々な奇蹟が起っていたのだと思います。

ですが今は・・・どうでしょうか?

だから、「生長の家の教え」を知らない方が「甘露の法雨」の読誦をされるのであれば、
同時に「生命の實相」の拝読もされて、「実相独在」の真理を理解されながらの方がより功徳があるような気がします。


トキさま、生意気なことを言ってごめんなさい。

でも、感じたことを素直に発言してみました。
みなさま、ご意見、ご指導をどうぞよろしくお願いいたします。

3656 a hope:2014/02/05(水) 10:10:41 ID:tLWd4hcY
みなさま おはようございます!

昨晩 >>3655 の投稿をしたあと、なんか肩のあたりが重たくなってきて、
あー、わたし調子狂っちゃったな〜って感じていました。

どうも、霊界のことをお勉強したり、憑依霊のことを考えたりすると、
わたしは調子が狂うようです(笑)

「生長の教え」では、「悪なし」ですから、
だから、「憑依霊」も「悪霊」ではありませんね。

本来ない「悪」を「あり」と考えてしまったのが、波動を狂わせた原因だと今朝の神想観の時に気づきました。

神想観のあと聖経「甘露の法雨」を読誦して、「ああーやっぱり素晴らしいお経だな」って感動して、
そして、いつものようにパソコンを開き大熊先生のブログを訪問しました。

そしたら、そこにいきなり「甘露の法雨」の写真が・・・。

素晴らしい体験談が紹介されています。

みなさんも、どうぞご覧になってくださいね。

http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151

3657志恩:2014/02/05(水) 11:21:39 ID:.QY5jUA6
a hope様

体調、だいじょうぶですか?

a hope様ー
>>昨晩 >>3655 の投稿をしたあと、なんか肩のあたりが重たくなってきて、
あー、わたし調子狂っちゃったな〜って感じていました。

どうも、霊界のことをお勉強したり、憑依霊のことを考えたりすると、
わたしは調子が狂うようです(笑)<<

世の中には、霊の話題が、苦手な人は、大勢います。
そして、
霊体質といって、霊を引き寄せる体質の人もいるのです。

私の場合は、全然平気なんですが、私の子供達も 霊の話は、苦手なので
私は、家族にも他人にも、霊の話は、なるべく しないようにしています。

9巻(上)、10巻(下)、は、霊界篇ですが、
10巻の方は、いよいよ 霊媒と霊界の話で、満載ですよ。

復興G様がいらっしゃる時でしたなら、復興G様が 話題を提供して下さいますが、
今は、そうではないですし、

レンゲソウ様と私が、霊界のことと、霊界通信の話をしましたから、
もう霊界の話は、これ以上、出ないように思うのです。

SAKURA様がコメント下されば、別ですけれど。
最近、控えていらっしゃるご様子で。

ユタカ様も「霊界篇」は苦手だと言われて、出ていらっしゃらない。
それで、もうそろそろ、霊界篇は、さっさとクリアーされたら、いかがでしょうか。

a hope様が、霊のことで、体調崩されたら、なんのためにweb誌友会してるか、わからなくなります。

つぎの第11巻は、萬教帰一篇になりますでしょ。
そうしましたら、トキ様も、ユタカ様も、得意分野でいらっしゃいますから、

たくさん教えて頂けるのではないでしょうか。

3658志恩:2014/02/05(水) 11:25:03 ID:.QY5jUA6
書き忘れましたが、トキ様も 霊のお話をして下さいました。

3659 a hope:2014/02/05(水) 12:01:49 ID:tLWd4hcY
>>3657 志恩さま

大丈夫ですよ!
以前のわたしなら、調子が狂う原因がわからなかったのでどんどん悪い方へ行きましたが、
今は、神想観や聖典のおかげで、原因がすぐにわかりますので自分で対処できるようになりました。

どうやら、第10巻はわたしはまだ未読だったようです。
雅春先生が、必要ないことを「生命の實相」に書かれるとは思いませんので、
全てしっかりお勉強させていただくつもりでいます。

霊界篇のお勉強は、わたしの魂の生長に必要なことなのだと思いますので・・・。

みなさんも、気になさらず霊界についてのお話、どんどんしてくださいね!

今日はこれから出勤です。

それでは、行ってきます。

3660志恩:2014/02/05(水) 12:09:57 ID:.QY5jUA6
a hope様

そう? 体調、大丈夫ですか? それならいいですけれど^^

「甘露の法雨」でも、お守り「甘露の法雨」でもいいですから、
そばに置いておかれたら、
高い波動が出ているので、その波動が、バリアのように周囲を囲って
守ってくれると思います。

3661トキ:2014/02/05(水) 21:38:49 ID:/kzEJ/lg
「神 真理を告げ給う」から、抜粋をさせていただきます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 「常に三次元の物質方面の事のみに心を奪われている肉体の“低い自我”を霊的次元
の”高い自我”の方にその心を向けさせて霊交の道を開くようにするためには、次の
三つの方法を実践するのがよいのである。

 その一つは、人間は肉体そのものではなく、”神の子”たる霊的実在であるという
真理を繰り返して読む事である。読む事によって智的に自己の実相の尊さを自覚す
るのである。

 第二に、祖霊の祭祀を丁寧にし、祖先の霊を呼び出してこれに真理の聖経を
毎朝夕読誦して真理の自覚を、祖霊と共に、自己もまた深めることである。

 あなた達の祖先の霊魂は真理を深く自覚する程度に従って、その神通力を
増し、あなた達子孫を護ってくれる事になる。肉体では到底余地し得ない
突然の災厄も、霊の世界ではその兆を見る事ができるのであるから、神通力
を増した祖霊はその災厄を何らかの方法であなた達に知らせてくれ、知らす
ことができなくても、他に何かの事情を起こして、あなた達がその遭難の場
に自然と近寄らないで済むようにしてくれるのである。

 そのようにしてあなた達の現在意識が”人間・神の子”の真理をある程度知り、
祖先の霊への真理供養も完全に行われ、祖霊が子孫への守護も相当程度行われる
ようになったときに、今度は、あなた達自身の”魂”の訓練が行わなければならな
いのである。これが、“低い自我”が”高い自我”と融合し、全心身によって”人間・
神の子”の真理を深く自覚するための第三の道である。釈迦もイエスもこの方法
によって"高い自我”を悟ったのである。

 それは、一定時間、外界に散乱する心を集めて散乱せしめず、その集めたる
心を霊的実在の世界に集中的に振り向ける静坐の修行をすることである。そ
れは、神想観でも座禅でも鎮魂でも、それぞれ名称は伝統の異なるに従って
いろいろ異なるけども、その目指す目的と原理に於いては同一であるのであ
る。」
(110p)

3662トキ:2014/02/05(水) 22:09:31 ID:/kzEJ/lg
 今回、「霊」の勉強をしていますが、それは、第二の道に関連する
事柄であります。

 生長の家では、毎日、仏前で甘露の法雨をあげますが、ただ読んで
いるのと、どうして読誦するかという原理を知ってあげるのでは、
その内容が変わって来る思います。

 そのために、生命の実相では、霊界編があり、詳細に説かれてあり
ます。単に「霊」があるというレベルではなく、正しい知識を得る事
は、魂の向上のためにも必要であると信じる次第であります。

3663レンゲソウ:2014/02/06(木) 01:02:56 ID:XXSV1ZXY
 京都第二教区の生みの親、長村婦美子先生のご著書「み教えに生命を捧げて」を読んで、
関連した部分を書きます。ご参考まで。

 長村先生は、個人指導をしていると、不思議な予知能力があり、予言が次々と的中する
事がありました。この点について、谷口雅春先生のご指導をあおいだ部分です。

 「そういう不思議な事が度々ありましたので、その後、昭和27年に京都の相国寺で
開かれた、谷口雅春先生、谷口輝子先生のご指導による「女性のための特別教修会」が
ありました時に、谷口先生にご指導を仰ぎました。それは、神は円満であり、完全であ
理、全知全能であるのに、なぜ未来を予知するようなことが見えるのか、私はきっとま
ともでないような気がしたからです。そうしましたら、谷口先生はジッとこわい顔をし
て私を見すえられましたが何もおっしゃいません。私は「シマッタ!! 申しあげるので
はなかった・・・」と思っていましたら、しばらく沈黙が続いてから、お側にいらした
谷口輝子先生が、

 「それは長村さん、人間は生き通しで死なないものとか、霊魂は不滅であるという真理
を知らない人達があなたの周囲に一杯いられるから、そういう人達を光明化すればいいん
ですよ。」とご指導をいただきました。ああなるほど、『神様は五感、六感を超えた実相の
第生命であり、宇宙を貫く法則である」と『甘露の法雨」に書かれてある通りだと思いました
が、もしや私の神想観のやり方が違っているのかしらと心配でならなかったのです。

 だから、私は、輝子先生のお言葉を頂きました時に感じましたことは、

 『実相しかないのだから、実相の完全円満を観じたらいいのです。徹底して神想観をしなさい」
という事を言われたのだと、私はその時感じさせていただきました。有難いことでございました。

(P65)

3664神の子さん:2014/02/06(木) 08:02:04 ID:rH4JlRNU
先日は、レンゲソウ様の投稿に思わず反応しまして大変失礼いたしました。
(今拝見しましたら、「現象の自分は信じない」?など意味不明な割り込みでからかわれていて驚きましたが…)
志恩様の素晴らしい体験やトキ様やレンゲソウ様のご指導は、生長の家らしくホッといたしました。
ありがとうございます。

義春様とはご友人と話したことがあり、勝手に、一時代信仰を育てられた青年会の同志のように感じていました。今はそのような信仰を育てる場所がないようで残念ですが…社会で生かす時期だと思い学ばせて頂いております。

色々な信仰をお持ちの方もいらっしゃるようなので、これから拝見も遠慮させて頂きたいとおもいますが、
信徒が真理を学ぶには聖典を自己流に解釈するより、
(特に今回霊界のことで、正しい信仰を持たない方の危険さもよくわかりました)
きちんと練成指導を受けたり、なにより行に努めることが大切だと、改めて思わせて頂きました。
ありがとうございます。

3665 a hope:2014/02/06(木) 11:03:22 ID:tLWd4hcY

>>3661 3662 トキさま

「神 真理を告げ給う」からの抜粋をありがとうございます。

これは、神さまからのご伝言ですね。

「霊交の道を開くようにするため」とはどんなことなのか、はっきり述べられていませんが、
「神の御心とひとつになるため」ということと同義でしょうか・・・


「生長の家の教え」で行けば、

第一が、聖典「生命の實相」の拝読

第二に、聖経「甘露の法雨」の読誦

第三に、 神想観

となりますね。



第二の読経に関しては、


――――――――
第二に、祖霊の祭祀を丁寧にし、祖先の霊を呼び出してこれに真理の聖経を
毎朝夕読誦して真理の自覚を、祖霊と共に、自己もまた深めることである。

あなた達の祖先の霊魂は真理を深く自覚する程度に従って、その神通力を
増し、あなた達子孫を護ってくれる事になる。肉体では到底余地し得ない
突然の災厄も、霊の世界ではその兆を見る事ができるのであるから、神通力
を増した祖霊はその災厄を何らかの方法であなた達に知らせてくれ、知らす
ことができなくても、他に何かの事情を起こして、あなた達がその遭難の場
に自然と近寄らないで済むようにしてくれるのである。

――――――――

そういうことなんですね!

だから、「甘露の法雨」には、「お守り」としての功徳があるというわけですね。

今朝は、自分はご先祖さまや神さまと一つの命であることを深く心に思いながら「甘露の法雨」の読誦をしてみました。
「自分はご先祖さまや神さまに護られているんだーー!!」
という、感覚が深まったようなきがします。


<< 生長の家では、毎日、仏前で甘露の法雨をあげますが、ただ読んで
いるのと、どうして読誦するかという原理を知ってあげるのでは、
その内容が変わって来る思います。

 そのために、生命の実相では、霊界編があり、詳細に説かれてあり
ます。単に「霊」があるというレベルではなく、正しい知識を得る事
は、魂の向上のためにも必要であると信じる次第であります。>>


トキさま、霊界篇のお勉強が楽しみになってきました。
最近、またちょっと忙しいですが、自分のペースでお勉強を続けていきますので、
こらからもご指導をどうぞよろしくお願いいたします。

3666 a hope:2014/02/06(木) 11:04:11 ID:tLWd4hcY

>>3663 レンゲソウさま

長村婦美子先生のご著書「み教えに生命を捧げて」の抜粋文をご紹介くださりありがとうございます。

長村婦美子先生に関しては、まだご著書は拝読していませんが、
掲示板でみなさまのご投稿を拝見してると、「とても厳しい方だけれどもまことの愛のある先生」でというイメージがあります。

そして、霊感も強かったのですね。

究極の「生長の家の教え」は「唯神實相」ですから、ご自分に霊感があり『霊示とも考えられる「予知」能力を使い人助けをすること』が、
正統な方法ではないのではないかと悩まれたのでしょうか・・・

そのことを、雅春先生にご相談されたら、雅春先生は、
<<谷口先生はジッとこわい顔をして私を見すえられましたが何もおっしゃいません。>>
という、とても意味深い反応をされたのですね。

なんかこの場面ですが、わたしは、禅問答のような雰囲気を感じます。

長村婦美子先生を信頼されているからこそ「自分で答えを出しなさい!」と突き放されたのではないでしょうか・・・。

結局は、輝子先生の優しいご助言があり 
<<『実相しかないのだから、実相の完全円満を観じたらいいのです。徹底して神想観をしなさい」
という事を言われたのだと、私はその時感じさせていただきました。有難いことでございました。>>

という、お悟りに至られたようですが・・・

レンゲソウさまのご紹介して下さった、この御文章を拝見するだけで、
当時の「生長の家」がどれだけ真剣に「御教え」の真理を追究されていただのか、
その雰囲気が伝わってきます。

わたしも負けずに真理の追究に励みたいです。

レンゲソウさま、さすがに、義春さまのご友人ですね!

これからもどうそよろしくお願いいたします。

3667志恩:2014/02/06(木) 15:18:14 ID:.QY5jUA6
レンゲソウ様

長村婦美子先生のご著書「み教えに生命を捧げて」は、読みたかった本でしたので、
さきほど、アマゾンコムへ注文しました。

3668志恩:2014/02/06(木) 17:01:39 ID:.QY5jUA6
 余談ですが、
私は、元・兵庫県白鳩会県連合会長の 長部眞知様(おさべまち様)
   元・京都府白鳩会県連合会長の 斉藤寿美様(さいとうすみ様)
     大阪の、岸本とし子様….

は、原宿本部で お会いしたことを、記憶しているのですが、
長村婦美子様も、お会いしたことはあると思うのですが、大昔のことなので、
思い出せないでいます。

昔の大幹部の皆様は、どなたも 気品と、風格と、素敵な雰囲気を漂わせておられました。

それは、昭和30年代後半〜昭和40年代はじめの頃の話ですから、
今は、ほとんどの方々が、霊界へ移行されて、
きっと、今の生長の家の現状を、案じられて、霊界から、ご覧になっておられることでしょう。

3669神の子さん:2014/02/06(木) 17:27:18 ID:???
 
 「信徒の方々は谷口雅春先生の大切な信者様でありますから

 私が指導するというような不遜な気持が少しでもあってはならないと思います」

     長村婦美子 『み教えにいのち捧げて』 74頁


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