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3670神の子さん:2014/02/06(木) 17:37:31 ID:???

 小林春恵先生の 『わが信仰の旅路』 もお薦めです

 WEB「今昔物語』でも読めます 
 http://blog.zaq.ne.jp/sinseityounoierengou/category/21

3671志恩:2014/02/06(木) 18:31:37 ID:.QY5jUA6
神の子さん様

小林春恵先生、お懐かしい先生です。(新潟県ご出身)
小林先生は、(富山県ご出身の)平岡初枝先生と仲良しでいらっしゃいました。
北陸同士というお気持ちもあったのでしょうか。

本部の平岡先生のところへ、小林先生が、状況された折りに、お話にいらしたとき、
私は、お二人の先生に、お茶をお出ししたりして、少しだけ、交じって
お話させて頂いたことがありました。

小林先生は、凛とされていらっしゃいましたが、したっぱの私に対しても、
前から知ってる人間みたいに、親しく話してくださって、
清々しい感じの先生でした。

でも、「わが信仰の旅路」は、拝読していませんでした。
ご紹介有り難うございます。「今昔物語」、拝見します。

3672志恩:2014/02/06(木) 19:01:04 ID:.QY5jUA6
3671:訂正  ×状況  ◯上京

3673トキ:2014/02/06(木) 19:23:27 ID:xV3s1G5Q
谷口雅春先生著「如意自在の生活365章」の64pを拝読させていただきます。

 「人間の生と死を解明す」

 また”死する”ことを”他界する”ともいうが、それはあたかもアパートの一室
から他の室に入るようなものである。すぐに他の室に入ることができないで、
廊下へ出て、隣室の人を訪れる。廊下はまだ人の住む世界ではないのであって
空白である。しかし、廊下を通過しなければ、次の部屋に入ることができない
のである。その”廊下”に当たる部分がいわゆる”死”という現象なのである。

 釈尊は「涅槃経」の中で、人間の”死”を月の”没”に喩えた。そして、月は
没しても、月はなくなったのではない。その如く、人間は死して視界から
見えなくなっても、人間そのものは死んだのではないとお説きになった。
ベルグソンは、現象界にあらわれている場合の人間を、釘にかかっている
着物に喩えた。そして、”肉体”を”釘”にたとえて、肉体の死を釘が抜ける
ことに喩えた。そして釘が抜けて着物が下に落ちてテーブルの陰に隠れて
も、その着物は見えなくなったが、滅したのではないと同じように、人間
は肉体が死んでも滅したのではないといった。」

3674トキ:2014/02/06(木) 19:27:03 ID:xV3s1G5Q
 これはトキの個人的な考えですが、プロ野球の選手はシーズンが終わると、
そのままの球団に居る人もいれば、他の球団に移る人もいます。引退を
する人もいれば、監督やコーチになる人もいます。

 しかし、シーズンが始まると、選手である以上はベストを尽くす事を求め
られます。

 人間も今生きて居る以上は、その人生でベストを尽くすのは同じかと
感じます。

3675志恩:2014/02/06(木) 19:36:50 ID:.QY5jUA6
トキ様

「如意自在の生活365章」の「人間の生と死を解明す」の謹写をして下さいまして、
 ありがとうございます。
……………………………………………..
(『生命の實相』第10巻P.1〜3)より

~平等心より観たる霊界の消息と、差別心より観たる霊界の消息~

霊界通信には全然真実性のない低級霊からの通信もあれば、
崇高な真理を説く非常な高級霊からの通信もある。

しかし高級霊からの通信は非常に少ないのである。
なぜなら高級霊は地上の生活にあまり興味をもたないからである。

本書の第九巻にのせたフランスの霊媒家にヴェッテリニや、
谷口清超氏訳の『天と地とを結ぶ電話』にあらわれたアガシャの霊のごときは高級霊であって、
地上人類の最後の運命の予言までもしていて、

現在までのその予言の大多数が的中しているのである。
そしてその説くところは秩序整然、人間智の及ばないような
深い真理を説いているのであるが、

現象界の人類の運命の遷りかわりや死後の霊の進化のごときはいずれも
差別界のことであるから、

わたしは第九巻において
「差別心より観たる霊界の消息」としてそれを紹介しておいたのである。

 本巻における「平等心より観たる霊界の消息」は

差別界の霊魂の位相の相違や現象的変化を超えて、

すべての人類に平等に宿るところの神聖性に貫穿し、
神性仏性を端的に把握しえた境地において、

人間の実相を直視しての霊界通信である。

この霊界通信を寄越した霊魂は、よほどの高級霊であり、
差別を超えて人間のすでに完全なる実相を説くのである。

 以上のごとく、霊界の消息を、霊界通信の方法により、
あるいは心霊実験により知ることは大切であるが、

霊界には悟らずに苦しんでいる「迷霊」が多数あり、
読者の先祖の霊魂の中にもそのようにまだ悟っていない霊魂があるかも
しれないのである。

したがって、そのような霊魂を悟らしめて、
霊界における先祖の霊魂の苦痛を解脱せしめてあげることは、
子孫たるものの当然行わなければならない義務であり、

それを行うことによって祖先の霊魂が救われる時、
祖先と子孫は霊的につながって一体であるという原理により、
子孫が健康になったり、運命が好転することもありうるのである。

3676志恩:2014/02/06(木) 19:50:50 ID:.QY5jUA6
3674:トキ様

>> 人間も今生きて居る以上は、その人生でベストを尽くすのは同じかと
感じます。<<

その通りなのですが、私が、今、森のオフィスでの本部職員だったら、
どうするかな、と考えたとき、若い女性である場合は、

言うまでもなく、すぐに辞めて、他へ再就職しますが、
これが、自分が、40代くらいの男性で、子持ちで家庭が場合は、

総裁や教団の、おかしさに気づいても
与えられた場所で、家族のために、目をつむって頑張ろうとするか、

それとも、潔く辞める決断をするか、
私は、男性じゃないので、男性の気持ちは、わからないです。

3677志恩:2014/02/06(木) 19:52:12 ID:.QY5jUA6
家族がある場合です。

3678志恩:2014/02/06(木) 20:12:20 ID:.QY5jUA6
トキ様は、地区のお方だそうですから、トキ様のことでは、ありませんので、
誤解されませんように。

3679トキ:2014/02/06(木) 20:33:05 ID:xV3s1G5Q
「回想 山本玄峰」玉置弁吉著、春秋社より、一文を紹介させていただきます。

山本玄峰老師は白隠の再来と言われた禅宗の高僧で、昭和天皇のご信頼のあつい
方でした。(文中、老師となるのは、山本玄峰老師です。)

 「老師は大東亜戦争は最初から反対で悲観をしておられ「こんな無理な戦争は
してはいけない」

とよく言っておられました。昭和18年、初めて東京が空襲を受けたとき
「これで日本もいよいよ駄目だ」と、新聞を見ながら投げ出すように
言われました。当時、私は陸軍少尉で、中支で負傷をして除隊となり、
滝沢僧堂の雲水として老師の所におりましたので、この老師の言葉には
随分抵抗を感じ、

 「老師はよく駄目だとか負けるとか言われますが、戦争が駄目であり、
負ける事がわかっておれば、今の間に何とか打つべき手があるのではな
いですか」

と申しますと、老師は、
 
 「物には勢いと流れというものがある。無理に流れに竿差し、勢いに逆らっても
事は成就しない。人が東に走る時には東に走り、人が西に走る時には同じように
西に走っておらねばならなぬ。しかし同じ方向に走っておっても、泥棒とこれを
追っている刑事は同じ格好をしていても、心は全然違い、反対である。それと
同様に、同じ事をしていても、心の置き場所が違わねばならぬ」

と言われました。その時には老師が何を言っておられるのか、私には分かりません
でしたが、やがて老師の言葉が立証される時が参りました。老師は戦争終結の好期
を眈々として念じておられたのでした。

 昭和20年4月、鈴木貫太郎大将に会われ、単刀直入に進言せられました。

(以下、省略)

(200p)

3680レンゲソウ:2014/02/07(金) 08:17:49 ID:wusvM4XY
>>3664

 コメント、ありがとうございました。

 ”義春”も喜んでいると思います。彼は、小学生の頃から生長の家に来ていて、
熱心な活動者でした。今も、きっと彼なりに頑張っていると思います。

 今の青年会の諸君はかわいそうですね。あんな活動では、本当の生き甲斐とい
うか、いい思い出は残らないでしょう。それを承知でやらせている本部の人達は
酷いと思います。

 でも、これを読んでいる青年会のみんな、こういう時期だからこそ、谷口雅春先生
の本を読もうぜ。

3681志恩:2014/02/07(金) 08:27:25 ID:.QY5jUA6
トキ様

>>「回想 山本玄峰」玉置弁吉著、春秋社より<<のご紹介をありがとうございます。

私は、トキ様が、教区にいらして、外部からでは知り得ない、
生長の家の教団の実情を時々、公開して下さいますことは、
今後の生長の家の回帰にとりまして、非常に貴重なことだと思っております。

トキ様は、洗脳されてしまっているわけでは、ありませんから、
その点も、大変救いがあることだと存じております。
私は、トキ様は、要のお方だと思っております。

皆様へ

YouTubeに、雅春先生の御講話もたくさん掲載されていますが、
新しい榎本恵吾のご講話もたくさん載っていて、うれしくなりました。

①だけ貼付させて頂きますが、シリーズものです。

1.生長の家 榎本恵吾 講話 昭和62年 1月25日 宇治別格本山
https://www.youtube.com/watch?v=XS2YYMChUbs

3682志恩:2014/02/07(金) 09:46:09 ID:.QY5jUA6
3681:榎本先生の敬称が抜けていました。ごめんなさい。

3683トキ:2014/02/08(土) 13:59:30 ID:wtvdqDfw
 小林春恵先生の「わが信仰の旅路」をよまさせていただきます。
小林先生のご主人がなくなった場面です。

--------------------------------------------------

 「そこへ三条会館のママさんがハイヤーに乗って飛んで来た。
この人は、私のシュジンを非常に尊敬していました。主人が死んだ
からと聞いたので飛んで来たのです。

 そして、「先生、お前さんちの旦那さまでも、やっぱり死ぬん
だのう」って、そこへカタカタと体を折ったように座ったんです。
(中略)
「お父さん、ママさんがね、目に見えないのは信じられないって
言うから、目に見えるように、お父さん、知らせる事はできません
か?」って言ったんです。
 そうしましたら、しかばなー紙を細かく刻んで、わらで作った
しんにたくさん紙の花をさした造花ーが、突然、内側の方だけサ、
サ、サ、サ、それも下から上へあがって、パッと止まる。それを
何回繰り返したがわからない。

 それで、みんんが、「あれ、あれ」と言っています。風はないし、
外側はなんともないと、みんなで言っている。私はもういいだろう
と思いましたから、「お父さん、ありがとうございました」「ママ
ちゃん、わかっただろう」って言ったら、「わかった、わかった」
って言う。「お父さん、ありがとうございました」と言うと同時に
パチッと止まったんです。

(162p)

3684志恩:2014/02/08(土) 16:43:44 ID:.QY5jUA6
トキ様

小林春恵先生の「わが信仰の旅路」の
小林先生のご主人がなくなられた場面のご紹介を、ありがとうございます。

昔の本部講師のお方は、皆様、宗教的で人間味溢れる素敵な方々が多かったです。

その後の方々は、よく存じ上げませんので、昔の方々のことばかり申し上げて、

すみません。

3685 a hope:2014/02/08(土) 21:37:58 ID:cEpBaIdo
>>3675で志恩さまが第10巻の「はしがき」 を抜粋、謹写してくださり、
~平等心より観たる霊界の消息と、差別心より観たる霊界の消息~とまとめてくださいましたが、
内容が複雑で、一回拝読しただけではわかりにくかったので全文読み直してみて、
それぞれの特徴を箇条書きにまとめてみました。

【差別心より観たる霊界の消息】
・高級霊からの霊界通信
・予言の大多数が的中
・秩序整然としていて、人間智の及ばないような深い真理をとく
・現象界の運命の遷(うつ)りかわりや死後の霊の進化の説明(輪廻転生?)

【平等心より観たる霊界の消息】
・さらに位の高い高級霊からの霊界通信
・差別界の霊魂の位相の相異や現象的変化を超えている
・強烈な支配力をもって霊界の消息と人間の実相をとく


わたしは以前、>>3619で、「神示」と「霊示」の違いをまとめてみましたが、
この霊界篇の霊界通信はどちらも「霊示」になるのではないかと思います。

ですが、【平等心より観たる霊界の消息】の方は、実相世界のことを語っていて、
「甘露の法雨」の内容によく似ていると思いました。
(つづく)

3686 a hope:2014/02/08(土) 21:40:15 ID:cEpBaIdo
(つづき)

生命の實相第10巻p118 3行目〜

『マグナッセンの父からの霊界通信として発表されたものはこれで終わっている。前章のウェッテリニの霊界通信が、※四方立相の霊界の諸相を客観的に「かくある」として取り扱っているのに反して、これはまた「かくある」のは唯心所現の結果「かくある」のであって、不幸も悪も醜(しゅう)も恐怖すべきものは何一つ実在ではないと説き、「実相としては人間は永遠である。されば人間は決していまだかつて苦しんだことはない」と実相の立場から説いている。前者は差別心から見た霊界の消息であり、後者は平等心からみた霊界の消息であり、二つ合して完全となるのであります。』

※四方立相・・・方角を指し示し相(すがた)を立てる。たとえば四方に極楽がある、そのありさまはかくかくであるというようなこと。(頭注より)

とありました。

こうみてみると、

差別心より観たる霊界 = 相対的(客観的)に観た霊界 = 現象の霊界(影の世界)
平等心より観たる霊界 = 絶対的(主観的)に観た霊界 = 実相の霊界(実在・心の世界)

となるのではないかと思いました。

3687志恩:2014/02/09(日) 08:12:18 ID:.QY5jUA6
a hope様

わかり易く、書いて下さって、ありがたいです。
a hope様、おげんきそうで、よかった。

ユタカ様、どうされたのかしら。

3688ユタカ:2014/02/09(日) 18:21:40 ID:Y74LhUvw

はーーーい!! ユタカでーす。 
スッゴイ大雪でしたね、玄関開けるのにいつもの3倍の力が必要でした。。。
長靴の上まで雪が積もっていて、ズボンを長靴の上から出して、ひとまず玄関から道路まで雪かきしてから、横にある駐車場には思いっきり大の字になって倒れて、人間ハンコを作ったら、起き上がって、後ろからみると人間雪ダルマになって、楽しく出勤しました。
雪の日はなんて楽しいんだろう!! 出勤前で時間が無くて小さい雪だるましか作れなかったのが残念だけど、帰宅すると近所に小さな鎌倉が作られていて楽しそう。。。

それから、、、生命の実相は全然読んでないのです、だから出て来れないので、ごめん、ごめん。 第1のものを第1にしなさい!って怒られそうですね、、、すみません。

オリンピック始まっちゃって、、、ダメだな===。。。 ごめ〜〜〜ん。。。。

3690志恩:2014/02/10(月) 07:42:55 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

お元気に 生きておられましたか。
雪だおれじゃなく、雪に倒れて、人間ハンコつくったなんて、傑作。

ソチ オリンピック、始まりましたものね。
ユタカ様も、観てる!!開会式、きれいでしたねぇ。

真央ちゃん、転倒しちゃって、かわいそうでした。
まだ、団体戦のときだったから、よかったけれど、一人で戦うときは、うまく行くといいですね。

私は、昔から 雪といえば、雪かき、雪だるまですが、

今回は、大雪だったので、庭の雪を集めて、がんばって、雪だるまじゃなくて、小型の
[カマクラ】を作っちゃいました。みなで、その前で、記念写真も撮りました。
写真、掲載する方法を知らないので、ここへ載せられないのが残念です。

その中にビニールの敷物を敷き、数人で入って、即席 甘酒(お湯を注ぐだけの)も
イタダキマシタ。

私は、普段、庭仕事してますから、雪かきだって、☃雪だるまだって、カマクラだって、
出来ちゃう ヤルバァなんです。 
でも、見た目は、おっとり型の優しい笑顔のバァですよ。

私は、東京生まれの東京育ちなもんですから、たまの雪だから、うれしいんです。
しかし、これが、冬中 雪だったら、大変。屋根からの雪下ろしだってあるし。

北陸の親戚の人に電話で聞きましたら、毎日毎日、朝起きたら、
玄関前の雪かきから1日が始まる、2時間はかかると言ってました。すごく腰にくるそうです。
それは、大変だと思います。

親戚の家は年代ものの、とても広い家で旧家。親戚も高齢になり、屋根の雪おろしは、
他人の、そういう業者に 全部たのむので、
屋根の雪下ろし代は 一冬で、百万円以上、かかるのだと ため息まじりに言ってました。
自然をあまくみちゃいけませんよね。

ユタカ様は、「生命の實相」を、全然読んでないそうで、復興G様がいらっしゃらくなったから、
さぼってるのかしら、それとも、あれじゃないの、霊界篇だからじゃないのですか?

霊界篇というと、
おばけのQ太郎とか、目玉親父とか、怖めでは、皿屋敷のお菊を 連想したりして…

a hope様が、はやいとこ、9,10,は、終わらせるでしょうから、11巻からは、ご指導くださいね。
トキ様は、ご指導にちょこっと、いらして下さってますが、
ユタカ様がいらっしゃらないから、a hope様がさびしいと思います。

私が、出てもね。ご指導にはならないし、私の霊界篇の体験談も出尽くしましたし、
しばらく、ソチオリンピックもありますから、気がむいた時だけ、どなたかが書き込まれたら
いいかもね。

ユタカ様、気が向かれた時、オリンピックの事でもいいですから、出ていらして書いて下さいね。

3691トキ:2014/02/10(月) 19:11:09 ID:yIXij9CU
「坊さんに読経の意味を教える」

 主人の友人に樺沢さんという、禅宗のお寺のお坊さんがいました。
小さい子供の自分に、水に溺れようとしたところを私の主人に救けてもらったことが
あるらしいんです。それで、親御さんがいつでも、

 「おまえは小林昭三さんに助けてもろうた。昭三のお陰で助かったんだで」と
言ってたとみえて、主人とは仲が良かった。それで、主人が死んだというので、
この樺沢さんがお経を誦げに来たわけです。

 それで、樺沢さんが一生懸命お経を誦げていたらね、

「樺沢、忙しいところをわざわざ済まんかったなあ」
という声が聞こえた。自分の名前を言われたもんだから、樺沢さん、
何気なく、お経を誦げながら顔をあげると、仏壇の中にニコニコして
私の主人がいるって言うのですよ。

 それで、樺沢さん、びっくり仰天して、

 「小林な、おまえ死んだんではなかったか」

と言うと、

 「お前は人間は死ぬと、もうそのまま何も無くなると思っていたのか。
それだったら、おまえはどうして年忌をしたり、法事をしたりしているのか」

と言うたと言うのですよ。年忌する限りは、法事する限りはあくまでのその
霊魂が生きて居るということでなければならないわけですからね。

 「そんじゃ、昭三、おまえ、お経わかるか」
と言うと、

 「おまえよりよっぽどよくわかるんだから、しっかり読めよ」
と言うた。
 それで、樺沢さんが、

 「意味のわからないお経でもわかるかい」
と言ったら、
「真心で読んでりゃ、仏の慈悲に通うんえ」
と言ったというんですよ。

 それで、樺沢さんが、

 「昭三、ありがとう、俺はおまえのお陰で、お経を読む態度がわかったよ。
ありがたかったでえ」

という訳です。

(小林春恵先生 「わが信仰の旅路」169から171pより抜粋)

3692トキ:2014/02/10(月) 19:31:00 ID:yIXij9CU
 霊界の人にお経を読むと功徳がある、というのは、トキの考えですが、肉体がないだけに、
お経の意味が実感としてわかるという事かと拝察します。

 特に、実相という問題は、肉体のある人間は、なかなかわからないのですが、霊界の方々
には、深く理解する事が可能かと思います。

 この霊界編に書かれた文章を拝読しても、霊界の方が語る霊界の消息により、お経をよむ
意味が如実にわかると感じる次第であります。

 少し話しが飛んでごめんなさい。

3693 a hope:2014/02/11(火) 00:18:12 ID:cEpBaIdo

みなさま こんばんは。

ユタカさまが元気に登場されてうれしいですね。
わが家の周りも雪景色ですよ!
わたしも志恩さま同様、雪があまり降らない地域に住んでいるので、雪が降るとなんだかウキウキしてしまいます。
そしてわたしも、子どもたちと一緒に、雪だるまを作ったり、雪合戦をしたりして遊びましたよ!
今回は、カマクラまでは作りませんでしたが・・・(笑)


そんな中でも、わたくし、 a hope は生命の實相第9巻と第10巻を全部拝読し終わりました。
正直、第9巻全部と第10巻の第一章は拝読するのに、とても時間がかかりました。
霊界のことを書いてある本は、今までたくさん読んできましたが、
最近はどういうわけか、積極的に読む気になれないのです(-_-;)

ところが、第10巻の第二章からは、雅春先生の御文章がメインになっているからでしょうか、
そこからはどんどん読めました。

第二章 「個性生命の存続とその物質化」は、まるで、聖経「甘露の法雨」と「天使の言葉」
そして、「続々甘露の法雨」の解説のようになっているのですね。

その後の、第三章 「悟らぬ霊魂を救う道」では、雅春先生が実際に降霊してきた、
苦しみながら肺炎でなくなった女性の霊を真理の言葉で悟らせる場面も紹介されていてすごい迫力です。

読み終わってみて、「がんばって読み続けてよかった〜〜」って感じました。

>>3691でトキさまが、小林春恵先生の「わが信仰の旅路」からの抜粋文を紹介してくださっていますが、
今も昔も、霊界のことをよく理解していない(悟っていない)のに、仏教やキリスト教、
または新興宗教等の聖職に単に職業として従事されている方は多いのではないかと感じています。

そんな方々のお説教や文章には、全く説得力がありませんよね。

でも読経に関しては、

<<「意味のわからないお経でもわかるかい」
と言ったら、
「真心で読んでりゃ、仏の慈悲に通うんえ」
と言ったというんですよ。>>

とありますから、お経はたとえ唱える側がその意味がわかっていなくても、
心をこめて読むだけで霊界の御霊さまは喜んで下さるということなのですね。

でも、読誦する人間がちゃんと意味を悟っていたら、ものすごい功徳があるのだと思います。

第10巻の第四章にはそのことがちゃんと説明されていましたよ。
また、時間のある時に、謹写させていただきますね。

それでは、みなさま、おやすみなさい。

3694レンゲソウ:2014/02/11(火) 01:33:33 ID:M6Wo2DG6
 生命の実相第9巻、p63より謹写させていただきます。

 著しく進化をとげたスピリットは物理的心霊現象を引き起こす事
はできないのである、というくだりです。

 「そんな現象をあらわすことができるのは低級霊ばかりです。
低級霊にそれができるのは、その幽体がいっそう物質的でいっそう
濃厚だからです。高級霊はわれわれの感覚器官でみとめられるような
まったくわれわれとは実質の違った霊体をもってます。高級霊がわれ
われの感覚器官にみとめられようとする時には、低級霊を仲介的道具
としてつかうのです。」

 心霊現象というのは、肉体が全てではない、霊があるという初歩的
な段階では、人々を啓蒙する手段として重要です。しかし、いつまで
も心霊問題に執着するのも、魂の進歩には無用です。

 その両方を認識した上で、私達は霊について、正しい知識を得る
必要があると考えます。

3695志恩:2014/02/11(火) 05:52:37 ID:.QY5jUA6
トキ様

小林春恵先生著の中の
「坊さんに読経の意味を教える」は、とてもいい実話ですね。
亡くなられた小林先生のご主人の昭三さんが祀られてある
御仏壇に向かって

ご主人の友人である樺沢さんという禅宗のお寺のお坊さんが
お経を誦げに来て下さって、
樺沢さんが一生懸命お経を誦げていると、
昭三さんの声が聞こえて……

お経の意味が分かっても分からなくても、
正しいお経を、心を込めて読誦することは、
亡くなった方に、その真心が通じており、供養になるということが、
大変良く分かるお話でした。

ありがとうございました。

3698トキ:2014/02/11(火) 16:08:34 ID:A5kLOSv.
 「ある生命が受ける諸種の境遇のおよそ一半は業運の法則によって
決定せられているのである。残余のうち半分は個体の自由になしうる
ところで他の半分は高級なるスピリットの修正の手にあるのである。
各人の生命を支配するこれらの諸種の影響要因の区分は明瞭で、規則的
で、権威ある語調でレイヌの口を通じて語られたーライフの半分は業運
によって決定せられる。四分の一は各人の自由意思に属する。他の四分
の一は高級霊の手に委ねられている。

 スピリットの修正が必要なことは明らかである。しからざれば業運のみ
が絶対なものとなり、道徳は覆され、進化も何もあったものではないから
である。」

(生命の実相 第9巻 102p)

 生長の家をしていても、病気になったり、事故にあうことがあります。
信仰をしていても、どうしてこんな目にあうのか・・・? と疑問に思う
人もいるでしょう。

 しかし、以上のご文章を拝読すると、信仰をしていても、それは当然
だという事が理解できます。つまり、過去の業が消えて行く過程で、
一見不都合な事が生じるのは仕方がない事です。

 が、自分の自由意思やスピリットの修正により、より被害が少ない方向
で運命を変える事は十分に可能であります。

3699志恩:2014/02/11(火) 16:52:08 ID:.QY5jUA6
a hope様

お仕事もされて、ご家庭もあって、雪だるままで作っていたのに、
>>そんな中でも、わたくし、 a hope は生命の實相第9巻と第10巻を全部拝読し終わりました。<<

というのには、おどろきました。

私は、以前、東大の臨床医、救命部の部長で、
現役の東大教授である矢作直樹の「人は死なない」という
著書を読みましたが、

矢作氏も、
『前世や、霊魂や死後の世界というものの存在があると、認識できるということは
 自分の生き方や行動に自信を持つことができ、

「それでは、自分はどう生きていくか」という、
自身の存在のあり方や、心のありようを 考える事ができます』と書いています。

矢作氏は、現世と霊界は、重なり合っている、ここにある とも書かれています。

ところが、第9巻の88頁から、雅春先生は、霊界はどこにあるかを、
もっと詳細に教えて下さっています。

霊界…
地上に浮浪する階級の霊魂の住む世界が、われわれの住んでいるこの地上と同じところに
あるということは、確かである。

しかし、ここは、霊魂の落ちつくべき純粋の「霊圏」ではないようである。

(長文なので要約します)、スピリットが一段の進化を遂げれば、上層圏に行く。
        そして、 霊界は、七圏に分かれている。と、教えて下さっています。

3700ユタカ:2014/02/12(水) 02:59:19 ID:Y74LhUvw
トキさま

3696 と3697 を削除してください。

時間が無い時に、よく読まないで投稿したので、馬鹿炸裂してる・・・
アフォだ、自分。。。

3701神の子さん:2014/02/12(水) 03:25:41 ID:???

 小林春恵先生の御主人 昭三さんの末期 及び 御子息の盲腸手術に関しては

 『真理』 第3巻 初學篇 もお読み下さいませ。

 涙拭くハンカチをお忘れなく・・・

3702志恩:2014/02/12(水) 06:15:03 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

同じのが2つ載ってますから、1つだけ、削除して頂いたらいいと思うけれど。
全然、馬鹿炸裂じゃないですよ。これが馬鹿炸裂だったら、
私なんかほとんど削除して頂かないと,,,(笑)

神の子さん様
「真理」第3巻、教えて下さってありがとうございます。
お持ちじゃない方、
本流青年掲示板に、

童子様が、小林春恵先生と河田亮太郎先生の対談を掲載下さっていますが、
682に、そのことが、ちらりと載っていますよ。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=seinen&amp;mode=res&amp;log=85

3703 a hope:2014/02/12(水) 10:18:41 ID:cEpBaIdo

>>3696 ユタカさま 

神想観と聖典「生命の實相」のお勉強は、今のわたしにとって「生命の洗濯」なのです。
だから、毎日ただそれができることがうれしくてうれしくて仕方ないのですヽ(*^^*)ノ

<<いつかのいつか、一緒に雪の露天風呂に入って「生命の実相」を輪読して、その後雪で遊びましょう!!>>

そうですね。是非実現させましょう!
でももしユタカさまが男性なら混浴風呂でないといけませんね(笑)


3694でレンゲソウさまが謹写して下さった箇所と>>3698 でトキさまが謹写してくださった箇所、
そして>>3699で志恩さまご紹介の箇所ですが、すべてわたしも赤線が引いてありました。

高級なスピリットは決して五官で感じられるよな不思議な現象は起こさないのですね。
谷口雅春先生も「本当の神は霊媒にはかからない」とおっしゃっていますから、
心霊現象をすべてそのまま信じてしまわない方がいいですね。

でも、自分の運命の<<四分の一は高級霊の手に委ねられている。>>のであれば、
それらの現象は、とても重要なサインになるのだと思います。

「実相独在」「人間神の子」を信じきれるようになることがわたしたち信徒の最終目的なのでしょうが、
その前段階として、霊界のことを正しく理解しておくこともまたとても重要なことなのだと、
今回、霊界篇をお勉強していて感じています。

みなさ、2月は第9巻が範囲なんですが、第10巻の後半に霊界についての谷口雅春先生の素晴らしいご解説がありますから、
今回のweb誌友会の範囲を、9巻と10巻の両方にさせてください。
勝手をして申し訳ありませんが、みなさまどうそよろしくお願いいたします。

それから、時々ご本を紹介くださる「神の子さん」ありがとうございます。
先日、小林春恵先生の「わが信仰の旅路」をアマゾンで注文しました。

手元に届くのが楽しみです!

3704トキ:2014/02/12(水) 21:53:28 ID:YJzyOlvg
>>3703

a hope 様

 生命の実相第9巻の110pには以下の通り書かれております。

 「神は絶対的存在であり、内在的もしくは本質的存在であるから、外在的または比較級的存在
としてヨリいっそう高き霊、そのまたいっそう高き霊とさかのぼっていても、、結局それは比較的
世界には存在しないのである。一転して内在の絶対界を見る時、そこにわれらの実相としての神を
見る。この神をみることが唯一最高の心的滋養剤となるのである。」

 やはり、神想観をし、生命の実相を拝読し、自己内在の神と交流する事が、「生命の洗濯」だと
思う次第であります。

3705神の子さん:2014/02/13(木) 01:04:59 ID:???
人間は物質に非ず、生き通しであると云う確かな証拠 「小林昭三青年のこと (1767)
日時:2012年09月24日 (月) 09時43分
名前:童子

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=379

3706志恩:2014/02/13(木) 06:13:23 ID:.QY5jUA6
3705:神の子さん様

光明掲示板第一にも、童子様が書いて下さっていたのですね。
ご紹介、感謝致します。

小林春恵先生のご主人・昭三様がご昇天されるときのこと、
そして、ご昇天直後のこと、

医者から もはや 手遅れだと言われた息子さんの盲腸が、奇跡的に
手術もせず、治癒してしまったこと、

これを、読ませて頂きますと
「甘露の法雨」のすごさが、しんしんと実感出来ますよね。

3707志恩:2014/02/13(木) 06:52:41 ID:.QY5jUA6
 トキ様がご紹介下さいました
長村婦美子先生著「み教えにいのち捧げて」は、めちゃめちゃ面白いです。
もう少しで読み終わります。
大変読み易し、濃い内容の、奇跡の連続の体験談、満載の本です。

アマゾンコムに、新しいのですと1冊、
中古本ですと、数冊だけ、まだ、あります。

これも読ませて頂きますと、

「生命の實相」と「甘露の法雨」が、如何に、
高級霊からの天啓により、
雅春先生が、お書きになられたものであるかが、
実感として、分かるすばらしい本です。

小林春恵先生の「わが信仰の旅路」は、
a hope様が、買われたそうですが、
私も、こちらの本も注文したところです。

3708志恩:2014/02/13(木) 08:01:54 ID:.QY5jUA6
小林春恵先生にしても、長村婦美子先生にしても、
このように、本に書かれているような体験談は、

昭和30年代後半から40年代前半の、私が本部に奉職していた
雅春先生が総裁でいらした時期は、全国津々浦々から、
日常茶飯事の如く発表されていた時期でしたので、

あの当時は、珍しい事ではなく、大して驚かなかったのだと思います。

しかし、今の教えになりまして、な〜んも、個人救済も説かない、
個人救済があっても、本部は、偶然だとか言って、
取り上げなくなった時代になったからこそ、

雅春先生時代は、
数々のすごい奇跡があったのだと、身にしみて感じるのだと思います。

思い出しましたが、あの当時、昔の建物の時だった飛田給道場で、
全国の幹部を集めて、

谷口雅春先生が、ご講話されたり、ご指導されたりする全国幹部会かなにか、
正式名称は、忘れましたが、
ありました。

で、その日、私は、雅春先生のお世話係として、
原宿本部から派遣されて、飛田給道場に行っていました。

その日の夜のこと、私は、どの部屋で休んだらいいのかと、
担当者の人に聞きましたら、
大道場に近い部屋で、2つベッドが置いてある 2人部屋があるから、

小林春恵先生と、相部屋になるが、
そこで休んで下さいといわれ、

今、思えば、1晩、私は小林春恵先生と二人で同じ部屋で、
過ごしたことがあるのでした。

小林先生は、凛としていらして、女の校長先生みたいな雰囲気のお方でした。

私は、その前に小林先生が、本部へ平岡先生を尋ねていらした時に、
小林先生と、お目にかかっていましたので、
その夜、ご一緒したお部屋でも、とても自然体でお話していました。

あの当時は、わたしは、詳細は、わかっておりませんでした。
実は、すごい先生でいらしたことも。

今になって、いろいろと、教えて頂けて、ありがたいと感謝しています。

3709志恩:2014/02/13(木) 09:52:01 ID:.QY5jUA6
昔のことを書きますと、すごい先生ばかり…ということになりますので、
自慢話に聞こえましたら、申し訳ないのですが、

当時は、私は、こどもみたいなもので、今も、こどもみたいですが、
どの先生が、どういうお方なのか、などということは、何もわからなかったのです。

私自身も、あの当時は、本部の仕事だけでなく、本部員のための 会報作りのため...
会報の編集委員も兼ねて、やっていましたから、昼休みも返上して、
原稿集めやら、取材やらで、一生懸命でして、昼休みも休んだことはありませんでした。

仕事が終わった後も、、
地元で青年会を発足したり、個別訪問したり、自宅の誌友会を
手伝ったり、老後になった今とは異なり、一時も、休むヒマ無く、
張り切って、させて頂いていた時代でもありました。

3710トキ:2014/02/13(木) 12:16:22 ID:SSPkD/OA
 「スピリットが高級の進化をとげた場合は、高く進化せるというその
事実によって、そこには完全な調和が存在する。といってもこれは個性
の滅却ということではない。ある完成せねばならぬ仕事に対する意見が
マチマチにはならないということである。完成すべき目標は一つである。
分担すべき部分がちがっているが、受け持つ仕事をいかになすかという
ことについて評論されるということはないのである。

 これに対して低き霊界においては、地上において有した性癖や意見の
俤をそのまま備えている。社会問題、政治問題、宗教問題等は論争の
種であって、彼らにおいてはまだパッションは超克されていない。
霊界通信において、スピリットの持説が別れているのはこの理由である-

あるスピリットはきわめて真面目に、祈りは魂の安息のために必要であると
説いているし、またあるスピリットはきわめて真摯に、教会のために
寄付金を募るのはよいと考えている。またあるスピリットはウイットを
誇るために、あるいは単に戯言を弄する面白さからでたらめな意見を
述べて人々を欺くのである。「死者」は彼が生きていた時知っていたこと
以上のことを知らないのが普通で、生きて居るときよりも無知である
ことさえ時にはあるのである。例えば、生前優秀な肉体を備えていた
霊魂は、肉体を放棄することによってかえって貧弱となったのである。

(生命の実相第9巻167〜168P)

3711トキ:2014/02/13(木) 12:19:06 ID:SSPkD/OA
(感想)

 例えば、霊界の話と言っても、真面目なものもあれば、詐欺と言えるものも
あります。生命の実相第9巻に紹介された話は、信用できるものですが、この点
気をつける必要があります。

 ある種の霊能者は、人間が生きる場面で有益な助言をくれる場合もありますが、
魂の向上という場面では、必ずしも有益ではないとも言えるかと感じます。

3712トキ:2014/02/13(木) 16:00:32 ID:SSPkD/OA
>>3708

 志恩様は若い頃に立派な先生に師事されて素晴らしいご体験を
重ねられたと思います。ぜひ、後進の人のために、御自身の覚えてお
られる事を披露して下さる様、お願い申し上げます。

3713志恩:2014/02/13(木) 20:27:13 ID:.QY5jUA6
トキ様

お言葉、ありがとうございます。
ですが、私は師事されたというよりも、裏方のお仕事を、させて頂いてただけですので、
どんなにすごい先生のお近くに居ましても、自分が立派になったりは、
残念ながら、していないのです。

私が奉職していた時代は、私はもちろんの事、理事でも本部講師でも、
すごくお給料が安い時代でしたけれど、
皆様、とても熱心にお仕事されてました。
山口悌治理事の奥様だって、和服の仕立ての内職をされていたほどでした。

3714 a hope:2014/02/14(金) 10:13:35 ID:cEpBaIdo

>>3708 >>3709>>3713 志恩さま

<<小林春恵先生にしても、長村婦美子先生にしても、
このように、本に書かれているような体験談は、
昭和30年代後半から40年代前半の、私が本部に奉職していた
雅春先生が総裁でいらした時期は、全国津々浦々から、
日常茶飯事の如く発表されていた時期でしたので、
あの当時は、珍しい事ではなく、大して驚かなかったのだと思います。
しかし、今の教えになりまして、な〜んも、個人救済も説かない、
個人救済があっても、本部は、偶然だとか言って、
取り上げなくなった時代になったからこそ、
雅春先生時代は、
数々のすごい奇跡があったのだと、身にしみて感じるのだと思います。>>

志恩さまは、生長の家の歴史の「生き証人」でいらっしゃいますね!
>>3712でトキさまもおっしゃっていますが、わたしも志恩さまの昔のご体験をもっともっと伺いたいです。
こらからもよろしくお願いいたします。

小林春恵先生の「わが信仰の旅路」届きました。
まだ、最初の方しか拝読していませんが、文体がおばあちゃんから昔話を聞くようで、
わたしの日本人のDNAが騒ぐのでしょうか、とても懐かしい感じて慕情が湧いてきます。
就寝前等にゆったりとした気分で少しずつ拝読していきたいです。


ところで、みなさま、わたしは >>3693で、

<<お経はたとえ唱える側がその意味がわかっていなくても、
心をこめて読むだけで霊界の御霊さまは喜んで下さるということなのですね。
でも、読誦する人間がちゃんと意味を悟っていたら、ものすごい功徳があるのだと思います。
第10巻の第四章にはそのことがちゃんと説明されていましたよ。
また、時間のある時に、謹写させていただきますね。>>

と発言していました。

その部分の謹写を、「霊界光明化研究部」板にさせていただきました。

<<谷口――そこに『生長の家』や『生命の實相』の価値があるわけで、釈迦の説(と)いた、またはキリストの説いた真理をば、直訳ではなく、現代人にでもハッキリわかるように近代的知識を平易に織り交ぜながら、生命の真理が説いてあるので、それを仏前で読んで聞かせれば、祖先縁者の霊魂が悟りを開いて救われることになるのです。>>

この雅春先生のご発言には、 『生長の家』と『生命の實相』の価値とあって「甘露の法雨」とはありません。

やはり「生長の家」の信仰の基本とすべきことは、聖典『生命の實相』であり、
まずは、自分自身が「生命の實相」を拝読し真理を悟ることなのだと確信できました。

3715 a hope:2014/02/15(土) 01:35:08 ID:cEpBaIdo

『生命の實相』第10巻p159

・・・この実例でもわかる通り『生命の實相』を読んでなお、完全に治せざる医療不治の慢性病が家族中にある場合には、祖先の霊魂中、霊界においてなお悟らず、生前の病苦を継続せる者よりの哀願の念波の感応せる場合が多いのでありますから、祖先を祭祀する仏壇、御厨子などの前にて「某々(なになに)家祖先代々親族九族一切の諸霊よ、庶幾(こいねがわ)くは『生命の實相』の功徳により霊界にて悟りを開きて無限向上の道に入(い)り給え」と念じて後聖経『甘露の法雨』聖経『天使の言葉』聖経『続々甘露の法雨』を毎日かわる代わる朗読し、『生命の實相』の「實相篇」、「光明篇」および「経典篇」を順次読経のつもりにて朗読せられれば、霊界の先祖縁者の苦悩消え、限界の病人も治る例が多いのであります。

3716 a hope:2014/02/15(土) 01:36:16 ID:cEpBaIdo
(>> 3715 a hope 所感)

ここには、<<『生命の實相』を読んでなお、完全に治せざる医療不治の慢性病が家族中にある場合には、・・・>>とあります。
生長の家の信徒ならば、まずは『生命の實相』を拝読し人間神の子の自覚を得ることが、
すべての大前提となるのだと思います。

ですが、実際には「生長の家」において、時代とともにその優先順序が狂いだしたということはありませんか?

これはあくまでもわたしの推測ですが、生長の家で『甘露の法雨』の功徳で奇蹟が続出しだすと、
信徒は『生命の實相』のような難しい本を読んで真理を悟る努力をするよりも、
「より簡単に現象問題を解決できる方法」=『甘露の法雨』の読誦 に頼っていってしまったということはないでしょうか?

たとえば、信徒が伝道するときに
「この『甘露の法雨』はすごい功徳のあるお経だから、携帯してるだけでも功徳があるよ」とか、
「意味は解らなくても、読誦するだけで救われるんだよ」
というようなことを、言っていないでしょうか?

実際、わたし自身、「甘露の法雨」の携帯版をそういって、子どもたち一人一人に持たせています。

ですから、そのことを批判するつもりは全くありません。

このことは、つい最近気づいたことで、自分自身が反省したことなんですがですが、
そういう心こそ、自分の魂の向上を妨げる「依存心」「依頼心」だったのではないかと・・・

>>3661で、トキさまが謹写してくださった、「神 真理を告げ給う」の抜粋文にも、

<<その一つは、人間は肉体そのものではなく、”神の子”たる霊的実在であるという
真理を繰り返して読む事である。読む事によって智的に自己の実相の尊さを自覚す
るのである。>>

と、「霊交の道を開くようにするため」の第一の条件として、真理の書(生命の實相)の拝読があげられています。

『甘露の法雨』にしても、その真理を理解していなかったら、
もしくは「生命の實相」を毎日拝読してその真理を悟ろうとする努力をしなかったら、
『甘露の法雨』を何百回、何千回、何万回読誦しても、ほとんど功徳はないような気がします。

それは、聖経『甘露の法雨』を補完(補足?)したと言われる「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」にも同じことが言えると思います。

まずは、聖典『生命の實相』の拝読、それがなくては、その二つのお経も、いくら読誦しても何の功徳もないような気がします。

すべて、わたし a hopeが個人的に感じていることです。
ですから、みなさまのご意見を是非うかがいたいです。
よろしくお願いいたします。

3717神の子さん:2014/02/15(土) 09:07:12 ID:???
雅春先生時代は、
数々のすごい奇跡があったのだと、身にしみて感じるのだと思います

   ・・・・・・・

 河内守が3年前から耳が聴こえていたと告白しまして、
 医師が「全聾の人の聴力が回復するはずがない!」とコメントしてますが

 でも『甘露の法雨』の功徳で奇蹟が起こった事例は数多く発表されています。
 もちろん雅春先生の時代でありますが!!!!

3718トキ:2014/02/15(土) 10:26:55 ID:C5p9.pG6
a hope 様、ご投稿、ありがとうございます。

 この件は少し考えて、また、投稿をさせていただきます。その上で雑感を。

 谷口雅春先生の時代はもちろん、谷口清超先生の時代でも奇跡は続出していました。

 私の縁者の「一白鳩会員」は、谷口雅春先生が遷化されたあとの全国大会に出席した
時に、壇上におられる谷口清超先生、谷口恵美子先生の後ろに、谷口雅春先生と
谷口輝子先生がおたちになっておられるのを霊眼ではっきりと目撃しています。

 つまり、「護法の神様」がおられたので、何もわからない人が伝道をしても、それ
なりの奇跡が起こった時もあったと感じます。

 ところが、ある時期から講習会にしろ、全国大会にしろ、霊的な雰囲気がたいへん
悪くなったと「一白鳩会員」は断言しています。これ以上は申しあげませんが、
最近の生長の家で奇跡が起こらなくなった事と因果関係があると思っています。

 すると、信徒は、きちんと甘露の法雨の意義や意味を認識してから、行をする
必要は今後はあると思っています。

3719 a hope:2014/02/15(土) 12:24:37 ID:cEpBaIdo

>>3717神の子さん 

コメントをありがとうございます。 合掌。

わたしは、あのような不思議な事件(?)にも、何か意味があるような気がしています。
わたしたちは、ニセモノと本物を見抜けず、いとも簡単にだまされてしまうのは何故でしょうか?
わたしは、そんなことを考えてしまいますが・・・。

3720 a hope:2014/02/15(土) 12:28:01 ID:cEpBaIdo
>>3718トキさま 

トキさまのおっしゃる「護法の神様」とは、つまりは「高級な霊的波動」のことなのではないでしょうか?

<<壇上におられる谷口清超先生、谷口恵美子先生の後ろに、谷口雅春先生と
谷口輝子先生がおたちになっておられるのを霊眼ではっきりと目撃しています。>>

「一白鳩会員」さまが霊眼で見られた雅春先生と輝子先生見られたのも、
清超先生と恵美子先生を中心に、その会場全体に高い霊的波動が満ちていたからこそ
同じ波動の雅春先生と輝子先生のお姿を見ることができたのだと思います。

「一白鳩会員」さまは霊感がお強いようですが、低級な波動を感じれば、
また違うものが見えたりしてしまうのではないのでしょうか?


>>3704 でトキさまは

<<生命の実相第9巻の110pには以下の通り書かれております。

 「神は絶対的存在であり、内在的もしくは本質的存在であるから、外在的または比較級的存在
としてヨリいっそう高き霊、そのまたいっそう高き霊とさかのぼっていても、、結局それは比較的
世界には存在しないのである。一転して内在の絶対界を見る時、そこにわれらの実相としての神を
見る。この神をみることが唯一最高の心的滋養剤となるのである。」

 やはり、神想観をし、生命の実相を拝読し、自己内在の神と交流する事が、「生命の洗濯」だと
思う次第であります。 >>

とご指導くださいました。


そうすると、神が絶対的存在なら「護法の神」もまた内在的で絶対的であり、
霊眼で見えるようなものではない、ということになりませんか?

だからと言って、一白鳩会員さまがニセモノを見たということではなく、
ただ、それは、一白鳩会員さまにとってはそれはとても重要なメッセージだったのだと思います。
(つづく)

3721 a hope:2014/02/15(土) 12:31:38 ID:brQxC10.
>>3720つづき)

<<つまり、【「護法の神様」がおられたので】、何もわからない人が伝道をしても、
それなりの奇跡が起こった時もあったと感じます。
 ところが、ある時期から講習会にしろ、全国大会にしろ、霊的な雰囲気がたいへん
悪くなったと「一白鳩会員」は断言しています。これ以上は申しあげませんが、
最近の生長の家で奇跡が起こらなくなった事と因果関係があると思っています。>>

こう、「一白鳩会員」さまがおっしゃっていられるのであれば、
わたし、a hopeの持論風に言葉を置き換えさせていただくと、


(以下、 a hope 的解釈)

>>つまり、【霊的波動がとても良かったので】、何もわからない人が伝道をしても、
それなりの奇跡が起こった時もあったと感じます。
 ところが、ある時期から講習会にしろ、全国大会にしろ、霊的な雰囲気がたいへん
悪くなったと「一白鳩会員」は断言しています。これ以上は申しあげませんが、
最近の生長の家で奇跡が起こらなくなった事と因果関係があると思っています。<<


みなさま、「生長の家」の霊的波動を悪くしているのは、一体誰なのでしょうか?


わたしは、わたしたち信徒が自分の内在にではなく、外に神を求めたり外に責任を負わせようとしている限り、
「生長の家」の問題は永遠に解決しないのではないかと感じています。

3722トキ:2014/02/15(土) 16:09:13 ID:C5p9.pG6
a hope様

 ご投稿ありがとうございます。

 霊的な問題は慎重に対応しなければならないのですが、神様の御用をする運動では、
高級霊の導きがある場合があります。私も、過去、真理に触れて間もない人が、生長の家
宇治別格本山の神癒祈願で不治の病が消えたのを何度も目の当たりにしております。これ
などは、ある種の高級霊の導きと解釈するのが自然だと思っています。

 しかし、そういう奇跡に狎れてしまい、真剣な信仰をしないと、その後、同じような
トラブルが起こっても、ご守護をいただけない傾向が強いと思います。

 病気が消える、とか、事業が栄える、家庭不和が解決するなどは勿論嬉しい事です
が、それ自体が信仰の究極的な目的ではないので、その段階で止まっていてはいけな
いと感じます。しかし、多くの人がその段階で止まってしまったのかもしれません。

 あと、信徒がいつまでも受け身の信仰では良くない、という点は共感します。
谷口雅春先生ご存命中は、確かに正しい指導者がいたので、ある意味、受け身でも
通用したかもしれません。しかし、今は、信徒が主体的に、聖典を読み、行をし、
愛行もする時代に入ったと考えています。

 特に、最近は明らかに教団の言う事がおかしいので、信徒も困惑しているとは
思います。そのときだからこそ、聖典を熟読すべきだと思います。

3723トキ:2014/02/15(土) 16:52:49 ID:C5p9.pG6
 少し話しがずれますが・・・・・。

 大本教の出口王仁三郎先生には、「霊界物語」という全81巻の著書があります。
これは、王仁三郎先生が口述したものを筆記したもので、大本教の経典です。こ
れは高熊山で王仁三郎師が一週間、霊的な修行をしたおりに見た霊界の詳細な実態
のうち、人間に紹介する事を許されたものを記述したものです。また、霊界物語の内容は詳細です
が、私が見る限り、生命の実相の霊界編と内容はほぼ同じだと思います。

 余談ですが、出口王仁三郎師は、「巨人」と称される人でした。後年、不敬罪で
有罪になりますが、当時、京都府警特高警察課で大本事件を担当した銅銀民雄さん
ですら、王仁三郎師を「巨人」と言っています。面白いのは、出口王仁三郎師は、
「余は、その明哲たらんことを欲せざるものである。況や神様と見られることに
最も迷惑を感ずるものだる。余は唯本当の「人」たらんことを欲し、赤裸裸なる
「人」として言動せんことを欲するものである」(「余は人である」)と発言
しています。これなどは、谷口雅春先生が、「私は一求道者である」と言われて
いるのと同じかと思います。

 霊界物語はあまりにも精緻であり、浩瀚なので、読み手はそれに圧倒され
かえって自分の主体的な信仰姿勢を失う危険性があるような印象を持ちました。
 霊界編が、2巻だけなのは、谷口雅春先生がその危険性をお考えの上で、
決められたような印象があります。

 とりとめもない感想を失礼しました。

3724レンゲソウ:2014/02/16(日) 00:17:52 ID:uHaarCfc
 「人間はなんのために創造られたか、いずこより来たり、いずこに到るか。地球上の民族の霊魂は決し
て一時期に移植せしめられたるものではなく、数次にわたって、数個の集団として、他の天体において
ある程度修行せしめられたものが、遷移し来れるものでると、ヴェッテリエはその霊示において告げてい
る。それゆえに、高く上がるもの、低く降る者、民族はそれぞれの集団的運命を受けるものであり、われ
われは現にそれを受けつつあるのである。この霊界の秘密を知らずして人間の運命を予知することは
できない。」

生命の実相第9巻  p3から4 はしがき、より抜粋。

3725 a hope:2014/02/16(日) 00:24:03 ID:cEpBaIdo

>>3722トキさま

<< 霊的な問題は慎重に対応しなければならないのですが、神様の御用をする運動では、
高級霊の導きがある場合があります。私も、過去、真理に触れて間もない人が、生長の家
宇治別格本山の神癒祈願で不治の病が消えたのを何度も目の当たりにしております。これ
などは、ある種の高級霊の導きと解釈するのが自然だと思っています。
 しかし、そういう奇跡に狎れてしまい、真剣な信仰をしないと、その後、同じような
トラブルが起こっても、ご守護をいただけない傾向が強いと思います。>>


「生長の家」は「病気治し」等の現象に奇蹟を起こすのが目的の宗教ではないのですよね。
信徒が「人間神の子」の自覚を深め、「実相独在」を悟ることが目的なんですよね。

だから、トキさまのおっしゃるように、最初は高級霊の導きにより病気が治る等の奇蹟が起きたとしても、
それはあくまでも、完全な悟りへ導くためのきっかけでしかないのだから、
その後は、各自で聖典を拝読したり、神想観をしたりして、神の子の自覚を深めていかないと、
また、病気が再発したり、仕事がうまくいかなくなったり等、人生が悪い方へ行ってしまうのだと思います。

トキさま、「生命の實相」には、そういうことが何度も書かれていたように思いますが、
それを拝読しなければ、そのこともわかりませんね。

みなさま、わたしはもうすぐ「生命の實相」40巻を読破しますよ!!

そして今、「生命の實相」に出会い、ここで「生長の家の教え」をお勉強できることに心から感謝しています。

だって、わたしの人生は、もう「良くなるしかない!」のですから・・・(*゚▽゚*)

みなさま、「生命の實相」を拝読すれば必ず幸せになれるのですよ。

ここで一緒にお勉強しませんか?

そして、みんなで幸せになりましょう!!

3726 a hope:2014/02/17(月) 10:56:09 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます!

昨晩、神の子さんご推薦の「わが信仰の旅路」小林春江先生著を拝読しおわりました。

感動、衝撃、そして、癒し、悟り、思索・・・わたしの内面はこんな風に揺れ動きました。

文章に何ともいえない温かさと、ユーモアがあり、特に前半の「山信田のおかか」のお話は、
本当に上質の昔話を聞いているようで、「なんなんだろう、この感じは・・・」
と思っていましたら、編集された永井光延さんの「あとがき」を読んで納得しました。

このご著書は、春恵先生が直接執筆されたのではなくて、先生の秋田練成会でのご講話のテープをもとに、
編集者の方が書き下されて、他の春恵先生ご指導による体験談とともに一冊にまとめられたものでした。

当時の「生長の家」の勢いがわたしの魂に伝わってきます。

21歳も年下のご主人との出会い、別れ、も本当に素晴らしいです。
魂の年齢は、肉体年齢とは全く関係ないんだな〜としみじみ感じました。
そして、ところどころに、当時のお写真が紹介されているので臨場感もあるのです。


ご紹介くださった、神の子さま、抜粋文を謹写下さった、トキさま、
春恵先生とお会いした時の話をしてくださった志恩さま、本当にありがとうございました。

「生長の家の教え」は、本当に素晴らしい!!


http://blog.zaq.ne.jp/sinseityounoierengou/category/21

「今昔物語」さまにも全文紹介されているようです。(お写真はありませんが・・・)

わたしも、いくつか、信仰/体験板に抜粋謹写させていただきたいと思います。

3727トキ:2014/02/17(月) 20:05:14 ID:qvIK8UMY
a hope様

 素晴らしいご文章、ありがとうございました。

 小林春江先生は、総本山で講師としてご活躍をされました。小柄で上品な方だったと
いう記憶があります。懐かしいです。

 先生のご文章を紹介して下さり、きっと小林春江先生もお喜びだと感じます。

よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

3728神の子さん:2014/02/17(月) 21:15:45 ID:???

  5時発見
   
   ウソ》  春江
   本物》  春恵

  更生しなきゃ。

3729a hope:2014/02/17(月) 21:48:55 ID:TCqxqwno
>>3728 神の子さん

誤字のご指摘ありがとうございます<(_ _*)>。

とくに、聖典の謹写や講師の先生方のお名前は、間違えたらいけないと思っても、なかなか正確にできません(--;)

今後、気を付けます。

3730志恩:2014/02/17(月) 22:34:05 ID:.QY5jUA6
a hope様

小林春恵先生の著「わが信仰の旅路」の御文章のご紹介を、ありがとうございます。
私も、読みはじめたところです。

何枚か、小林先生のお写真が載っていますが、211頁に載っているお写真が、
私が、よく存じ上げているころの、小林先生です。

痩せていらして、小柄なお方でしたが、全然小さく見えませんでした。
きっと、雰囲気が大きいお方だったからでしょう。

長村婦美子先生の著書「み教えにいのち捧げて」も、
魅力いっぱいのすばらしい宗教的な価値のあるご本でしたが、

この小林先生のご本も、すごいですね。

悲しみと苦労の耐えない生活をずっとなさっておられたので、他人の痛みも、
心底、理解出来る、ご指導も出来る先生でいらしたのですね。

私は未だ、小出タケさんの苦労の連続のお話の箇所を読ませて頂いている
ところです。

お若いのに、こういう著書に感動される a hope様がいらして、とても
しあわせに思っています。有り難うございます。

3731トキ:2014/02/17(月) 23:14:57 ID:qvIK8UMY
>>3728

 御教示ありがとうございました。
私も見落としていました。ごめんなさい。

合掌 ありがとうございます

3732トキ:2014/02/18(火) 20:16:48 ID:09ii7m/M
「無縁仏を祀ることについて」

 自分のご先祖ならいいけれども、無闇に無縁の、他家の霊に供養していると、ちょうど、
金持ちがルンペンに施しをするようなものである。施された人は喜ぶけど、”お前、あそこ
へ行け、あそこへ行け、あそこへ行けば施しがあるぞ”という訳でルンペン等が集まって来る
ように、迷っている霊がいくらでもずーっとたくさん集まってくるのである。あなたの霊が
修行が足りて霊的力があれば全部を救えるけれど・・・少数の霊なら救えても、あまり沢山
集まってきたら救いきれないことになって、折角、諸霊に深切をしながら迷いの霊の禍いを
かぶることになる。だから、普通の人は無縁の霊を招ぶのは弊害があるのである。

 神社とか寺院とかで例大祭を行ったり、施餓鬼をやるときには、神社や寺院を守護する神霊
の加護があるから、無縁の霊を供養するのは可いけれども、個人の言えで無縁の霊を祀るのは
愛念ではあるが、自分に霊的力が足りないと無数に迷っている霊が集まって来てそれをさばき
切れなくなると困るので、個人では無縁霊を祀らないほうがよい。

(「人生を支配する先祖供養」 谷口雅春先生著、24pより)

3733トキ:2014/02/18(火) 20:23:48 ID:09ii7m/M
 毎年、夏になると、生長の家宇治別格本山に霊牌を出しますが、
これは、上のような事があるからであります。

 私の指導を受けたある講師の方が、一度、入院して危篤状態に
なった時に、魂が生長の家宇治別格本山に飛んでいたと語った事
がありました。また、思い霊障に悩んでいた人が、生長の家宇治
別格本山の境内に入ったとたん、それまで憑依していた霊が一斉
に離れた、という実例も語っています。

 ですから、自分に縁故のある霊については、好意でも自分では
絶対に祀らず、霊牌をかくことが大事なのであります。

3734 a hope:2014/02/19(水) 02:06:45 ID:cEpBaIdo

>>3730 志恩さま ありがとうございます。

春恵先生、本当に素敵な先生ですね。
わたしは、直接お会いすることは出来ませんが、こうしてご著書を拝読することで、
春恵先生と魂の交流が出来る気がしているのでとても幸せです。


みなさま

わたしは、この小林春恵先生のこの「わが信仰の旅路」を拝読して、
「夫にハイ」「両親へ感謝」の本当の意味が分かった気がしました。

うまく説明できませんが・・・

また、>>3705で、神の子さんがご紹介して下さった、童子さまのスレッドも拝読させていただき、
春恵先生のご主人、小林昭三さんの「生き方、そして死」、に関しての雅春先生のご指導もあったのでとてもお勉強になりました。


だだ、霊現象に関しては>>3723で、トキさまが、大本教の出口王仁三郎先生の「霊界物語」について言及されて、

<< 霊界物語はあまりにも精緻であり、浩瀚なので、読み手はそれに圧倒され
かえって自分の主体的な信仰姿勢を失う危険性があるような印象を持ちました。
 霊界編が、2巻だけなのは、谷口雅春先生がその危険性をお考えの上で、
決められたような印象があります。>>

と発言されていますが、わたしも、やはり霊界に関するお勉強はほどほどにしておいた方がいいような気がしています。

だって「霊示」は、あくまでも「霊示」であって、絶対的真理ではないですからね!


ところで、>>3733でトキさまが、「霊牌」をかくことが大切だとご指導してくださっているので、
「霊牌」をweb検索してみましたら、

http://www.uji-sni.jp/senzo/reihai.htm 

↑このページがヒットしました。

宇治別格本山の霊牌供養はとても有名なのですね!


あれ、たいへん、夜中の2時になってしまいました・・・。

それではみなさま、おやすみなさい。

3735 a hope:2014/02/19(水) 11:13:43 ID:cEpBaIdo

>>3724で、レンゲソウさまが 第9巻の「はしがき」の抜粋文をご紹介くさいましたが、
この「はしがき」の内容は「個人の運命」と国家や民族の運命の関わり、そして人類全体や宇宙全体にも及んでいて、
とても荘厳な感じがして、重要なことが書かれているような気がするので聖典板に全文謹写させてていだたきました。

3736トキ:2014/02/19(水) 20:45:24 ID:O.IEvtbM
 日本の古神道では人間の霊を一霊四魂に分けている。一霊とは実相の霊であり、これを
直日霊という。総括総覧の純粋霊である。それが、奇魂、和魂、幸魂、荒魂の四つのはた
らきとなって分化する。

 荒魂は最も波動が粗大で荒々しい。これは肉体そのものである。古神道が肉体そのものを
物質として観ないで霊的な「魂」として扱っていることは興味あることである。だから、
墓地に物質界を処理する魂であるから、それを換言すれば、「墓地は迷っている霊魂が
さまよっている所であり、悟っている霊魂はもうそこにはいないのだ」という近代の
霊界通信を裏付けることになる。

 悟っている霊、即ち叡智の霊は奇霊であって、肉体を脱した時、直日霊に還る。
幸魂は家族と共に生活し家に祀られた位牌等を媒介としてそこに鎮まり、和魂は
天界に昇って天界を拠点として社会国家のために活動する。

 そこで、墓に留まっているのはまだ肉体生活のつづきの意識を持続して悟りを
得ない荒魂であるから、その墓の形がどんな形を喜ぶということは、その亡霊
自身がどんな形の墓に執着するか、その執着によってきまるわけである。その人
が生前、墓の形に関心があって「こんな墓を建ててほしい」と言っていたので
あれば、その形の墓を建てれば満足するのである。先祖が真言宗の人であれば
真言宗式に五輪塔を建てればよいし、キリスト教の人であれば十字架を建てれば
悦ぶのである。

 しかし、墓地に関心の無い無頓着な霊魂、あるていど悟りをひらいた荒魂は墓
にいないで、四魂一体となって自由自在に顕幽両界を往来して、愛他活動をして
生活をし得るよういなるのであるから、墓石の形は別に問題とするに足りないの
である。

(「人生を支配する先祖供養」 谷口雅春先生著、43〜44p)

3737レンゲソウ:2014/02/20(木) 01:20:40 ID:5BgCSuPg
 二、三年前のこと、新津市の金子スイさんが非常に教化力が旺盛で大勢の人々が救われるので、
妻の春恵さんが、「金子さんは素晴らしいですよ。私も金子さんには教化の点では負けそうでご
ざいます」と言ったときに、昭三君はその『負ける」という言葉をとらえて、それを機会に真理
の説法を諄々とはじめたという事です。

 「生長の家の講師たるものが、勝ち負けを考えるなどと言うことはない。立場を谷口先生におい
て考えてみなさい。谷口先生は弟子が自分より優れたら大変だなどと考えておられると考えるか。
先生は弟子が自分をはるかに超えてくれたら、どんなにお喜びになるか。どの弟子もどの弟子も、
よりよく伸びることこそ先生のお喜びであるのだ。お前も講師の末席をけがす身が後進の伸びるの
が気にかかるスベタ芸人のような性根なら、み教えに対する背信だ。お道をけがすのはお前のよう
な弟子だ。のびる人をどんどん押し上げることこそ、布教者の第一使命だ。それが出来ない位なら、
今すぐ講師をやめなさい。」

 春恵さんは、そんな気持ちで金子さんのことを言ったのではなかったけれども、昭三君のこの言葉
の道を奉ずる真剣さに打たれて、ひれ伏して昭三君を伏し拝んだ。

(新版「真理」第3巻、谷口雅春先生著 20pより謹写)

3738トキ:2014/02/20(木) 20:20:36 ID:ihjxGdoU
 「人生を支配する先祖供養」を別の板に謹写させていただきました。

 霊界についての知識は過不足なく知る事が大事かと思います。
先祖供養はとくに大事ですから、この本は皆様、ぜひお読み下さい。

3739 a hope:2014/02/20(木) 23:49:55 ID:cEpBaIdo
宇治別格本山のHPより抜粋させていただきます。

http://www.uji-sni.jp/senzo/reihai.htm

―――――――――――――

宝蔵神社 霊牌供養とは


《万教帰一の先祖供養》

ご先祖様に報恩感謝の真心を捧げるために、
古来より様々な方法での先祖供養が行われてきました。

生長の家では、「万教帰一」の教えから、
霊牌(れいはい)と呼ばれる紙札に御先祖様の名前を記入して宝蔵神社にお祀りし、
現代語で書かれた真理の言葉である聖経『甘露の法雨』の読誦によって、
先祖と共に神の子の自覚を深め、宗派を超えて御霊を供養する という
方法が広く行われてまいりました。

「真理の言葉による供養の意義」につきましては、
生長の家創始者である谷口雅春先生は、著書 『生命の実相』 において、
以下のようにお説き下さっております。

---------------------------------------------------------------------------

「われわれは現世とか来世とかいうカンバスに何で絵を描くかというと、
念波で絵を描くのであります。
念波という絵具をもって絵を描くのでありますから、
その念波を善くし、またよくしてあげることが必要であるのであります。

最もよい念波は何であるかと申しますと、 悟りの念波、真理の念波なのであります。
この真理の念波を人に与えるということ、これが仏教でいう法施というものでありまして、
最も尊いほどこしであります。

われわれが人に物を施すのは、 物施といって物を施すのと、
それから法施といって悟りの念波を施すのとがありますが、
真理の念波を施すということが本当の最も根本的な供養になるのであります。

                        谷口雅春先生著 『生命の実相』 第28巻 71頁より

---------------------------------------------------------------------------

真理の言葉による「霊牌供養」は、
法施として大変意義あるものです。

多くのご先祖様に、まごころの霊牌供養によって、
報恩感謝の誠を捧げましょう。

―――――――――――――――

3740 a hope:2014/02/20(木) 23:52:43 ID:cEpBaIdo

>>3739 a hope所感)

<<生長の家では、「万教帰一」の教えから、
霊牌(れいはい)と呼ばれる紙札に御先祖様の名前を記入して宝蔵神社にお祀りし、
現代語で書かれた真理の言葉である聖経『甘露の法雨』の読誦によって、
先祖と共に神の子の自覚を深め、宗派を超えて御霊を供養する という
方法が広く行われてまいりました。>>


とあるように、やはり生長の家では先祖供養には、『甘露の法雨』は欠かせないのですね。


わたしは、正直にいいますと、神想観と「生命の實相」の読誦は、「真理の吟唱」「神示集」の読誦は大好きなのですが、
どういうわけか、「甘露の法雨」の読誦だけはあまり集中できないのです。

ですから、今朝は、「甘露の法雨」読誦の代わりに、「生命の實相」第21巻の経典篇の『甘露の法雨』講義を拝読してみました。
そしたら、わたしの魂がジンジン震えました!!

聖典引用板に、第21巻の「はしがき」を謹写させていただきましたが、そこにははっきりと、

<<この聖経はたんに現実界の人間が読誦して悟りを開いて病苦悩苦を去るばかりでなく、
霊界の諸霊もその読誦の声を聞いて悟りをひらき、迷える障りの霊も守護の霊となることが後に明らかとなったので、
神仏礼拝の際その祭壇に対(むか)いて読誦すべき生長の家の聖経となったのである。>>

と『甘露の法雨』の功徳がご先祖さまにまで及ぶことが書かれています。

ですが、

<<しかし読んで意味の分からぬようでは功徳が薄いので、
かつて毎日曜日に東京小石川護国寺の月光殿においてその大要を講義したものを次に掲げことにした。
主として講義の速記によったのでわたしの文章だというよりも、わたしの語調が写されているところに特徴があるであろう。
『生命の實相』の縮約が『甘露の法雨』であるから、この講義を読むだけで生命の実相の大要が摑めることと思う。>>

とあり、やはり、読誦する人間が意味が分かっていない場合は、功徳も薄いと説明されていましたね。

3741 a hope:2014/02/20(木) 23:59:00 ID:cEpBaIdo
>>3740訂正

わたしは、正直にいいますと、神想観と「生命の實相」の【読誦は、】「真理の吟唱」「神示集」の読誦は大好きなのですが、

わたしは、正直にいいますと、神想観と「生命の實相」の【拝読、】「真理の吟唱」「神示集」の読誦は大好きなのですが、

3742トキ:2014/02/21(金) 22:25:27 ID:N8fIPBW2
先祖に対して聖経を読誦するときの心得

 先祖に対して聖経を供養する時「先祖の霊魂よ、お前は迷っていて、迷いの霊破を送ってくるので
困っている。この聖経を読んであげるから、それをよく聴いて悟りを開いて、二度と迷いの霊波を
送って悩まさないようにしてくれ」というような事を言ったり、思ったりして聖経を読誦しても効果
が少ないのである。何故なら、そのような気持ちで聖経を読誦したりすることは、相手の悪をみとめ
て、軽蔑的語調や”よく勉強せよ”などと言っているようなもので、現実界の人間に対してでもこのよ
うなことを言うと、反抗心を起こして反発されたりするのである。

 これと同じ事が先祖の霊たちにも起こるのであって「お前は迷っているから、おの真理のお経を
おききなさい」では、いくら聖経を誦げても霊魂達は聴きに来ないかもしれないのである。

 だから、祖霊に対して聖経を誦む時には、

1 唯、尊敬と報恩・感謝の念をもって誦むこと。

  ただ尊敬と感謝の念をもって、「今まで色々と子孫が受けて来た密たる御恩に対して唯感謝
のためにこの真理の御経を霊界に対して放送しますから、どうぞ御受け下さいませ」と誦えて、
”ただ感謝”の念をもって読誦するがよい。

2 聖経の意味を説明する。

 聖経を読む前に、先ず「この聖経『甘露の法雨」はあなたが先祖から伝承して来たxx宗の教え
の真理を最も解り易く、現代語で書かれたものでありますから、心を集中して此の聖経を聴き給う
て、その真理を体得し、霊界に於いて解脱を得て神通自在となり給いて仏陀の境涯に達し給わんこ
とを冀(こいねが)う」と生ける人に語るが如く唱えてから聖経を読むのがよい。

 そうでないと折角、「甘露の法雨」を誦んであげても、それは他宗教の経文であると誤解して反感
を起こして傾聴しない場合があるのである。

3 読誦の時間を定める

  聖経読誦は、毎日一定の時間を決めて、正確に必ず読誦するようにするがよい。霊界には霊的訓練
があって、中々多忙であって、毎日不定の時間に読誦していては、残念ながらその聖経の読誦を霊が拝聴
することができないことがあるのである。だから、聖経を誦み終わると「毎日、”この時間”または幾時に
聖経を読誦しますから必ずその時間に来たりて傾聴して下さい」と約束して置くがよい。
(生命の実相 頭注版第26巻参照)

*「人生を支配する先祖供養」 谷口雅春先生 27〜28Pより謹写

3743トキ:2014/02/21(金) 22:26:38 ID:N8fIPBW2
*トキの感想

 上のご文章は先祖供養の大切さを説明される場合に教えてもらう文章です
から、大半の方がご存知の内容だと思います。ただ、忙しい毎日の中で、つ
いつい忘れがちですから、私も思いだす意味で書きました。

3744トキ:2014/02/22(土) 22:19:05 ID:Oh.Bvr1k
 他から怨まれていたりすると、食用茸だと思ったのが毒茸だったり、数滴服用がコップ三分の一
服用と間違えたり、衝突する乗物に選んで乗ったり、兎角、錯誤行為というものが行われることに
なるのである。これは人間の脳髄というものが一種の精神電波の受信機であり、高級霊界からの
放送霊波をインスピレーションとして受ける事もできるし、迷界からの怨念や呪詛の霊波を受信して
それによって行動することもあり得るからである。前者の場合は素晴らしい発明や創作や企画や
構図が生まれて来るのであるが、後者の場合には、とんだ錯誤行為によって衝突さいたり墜落し
たりする乗物に乗ったり、火災を起こすデパートにその時間、その場所に、みずから選んで買物に
出かけて焼死の惨害をうけることすらあるのである。生長の家の神示に「汝ら天地一切のものと
和解せよ」という教えが最初に掲げられているのも、そのためである。

「人生を支配する先祖供養」 谷口雅春先生著、132pより勤写

3745トキ:2014/02/22(土) 22:25:18 ID:Oh.Bvr1k
*トキの感想

 平安時代の「源氏物語」には、生霊の怨念の物語が書かれています。
生きて居る人の怨念がある人の人生を左右するのはよく見るところです。
 歴史上、暴君というか、専横を極めた人物の末路が悪いのは、この
生きている人の念がその人に集まるからです。

 しかし、亡くなられた人の念の強さも強大であります。この念は、
より直裁的にその人のかかりますから、聖経をあげる意味の一端は
ここにあると思うしだいです。

3746 a hope:2014/02/23(日) 01:25:38 ID:cEpBaIdo
>>3742〜3745トキさま

「人生を支配する先祖供養」より、抜粋謹写、およびご指導をありがとうございます。

わたしは、この聖典は、新版しか手元になくて、そちらとはページ数が違うようです。

新版「人生を支配する先祖供養」では、>>3742の「先祖に対して聖経を読誦するときの心得」はp32〜34で、
>>3744の箇所は、p152〜153にありました。

この聖典は、以前拝読しましたがとてもお勉強になり、それまでお墓参りが怖かったわたしですが、
拝読後はお墓参りが大好きになりました。

これは最近「生命の實相」を拝読していて気づいたのですが、「人生を支配する先祖供養」は、
ほとんどの文章が、今、勉強中の「生命の實相」第九巻・十巻(霊界篇)、第十一巻・十二巻(万教帰一篇)、
その他の巻や、その他の聖典からの文章を編纂したものだったのですね。

今回、霊界篇をお勉強するには、丁度良いテキストですね!

3747 a hope:2014/02/23(日) 01:26:10 ID:cEpBaIdo
新版 「人生を支配する先祖供養」 谷口雅春先生著p147〜

●憎念、怨念は何処へ行くか

怨み、憎しみの逆念が相手の人の運命を傷つけることは勿論であるが、相手から害を受けて、それに対して相手を憎み続けたり、恨み続けたりしていると本人自身の運命も傷つくことになるのである。

あるとき、阿難が釈尊に対して、「人を憎んだり怨んだりしていると、その憎しみ怨みの念を相手が受け取らなかったら、その憎念、怨念はどこへ行くのでありますか」といって訊いた。

すると釈尊は、

「お前は人に贈物をしたときに、その贈物を相手が受け取らなかったら、その贈物はどこへ行くと思うか」と問い返された。阿難は、

「相手がその贈物を受け取らなかったら、その贈物は贈主のところへ返ってまいります」

「そうじゃろう。憎念も怨念も、相手がそれを受取らなかったら、それを送った人のところへ返って来て、自分自身をその憎念、逆念が傷つけることになるのだ」

と釈尊はお答えになった。私は仏典を読んで、〝これは良い話だな〝と思って憶えていて時々書いたり話したりするのだったが、何経にあったかド忘れしていたら、深切な信徒の方がそれは「弥蘭陀王所問経(みりんだおうしょもんきょう)」に収められている物語だと教えて下さった。その親切な信徒の方に感謝する。

3748 a hope:2014/02/23(日) 01:27:58 ID:cEpBaIdo
(a hope所感)

>>3744で、トキさまがちょっと怖くなってしまうような文章をご紹介してくださっていますが、
他からの怨念や、迷界からの怨念や呪詛の霊波というのは、いわゆる気功でいう「邪気」にあたるのだと思います。

わたしは、以前は、このような悪い波動(邪気)を感じると、吐き気や、めまい、体のだるさを感じ、とても嫌な気分になりました。
「邪気」はわたしに向けられたものではなくても、相手が何かに対してそういう波動を強く発しているだけで感じました。

それは、わたしが自分の波長の受信機を、その波長に合わせてしまったからだと思います。

ですが、最近は、そういう波動はほとんど感じなくなりました。
それはおそらく、毎日神想観をし、「生命の實相」の拝読をしていて、「神の子」の自覚が深まってきているからだと思います。
これを、釈尊風に言えば、『相手からの「邪気」の贈物を簡単には受け取らなくなった』、からだと思います。

「甘露の法雨」の読誦も意味がわかっていればとても効果があると思いますが、
わたしは、一番の「邪気除け」は、自分の感情をコントロールして相手の悪い波長に合わせないこと、
そして、「赦し」と「感謝」と「愛」の波動を自分から相手に向かって発することなのではないかと感じています。
つまりは、やはり、「汝ら天地一切のものと和解せよ」ということになるのだと思います。

3749トキ:2014/02/25(火) 20:09:24 ID:CiaHUWO.
「自己の内に生きる本当の神」

 ”本当の神”というものは、此処に見よ、彼処に見よというように肉眼でも霊眼でも見えるものでは
ない。見えるのは一個の差別的存在であるが、差別と差別が一緒に融け込む「愛」という連結のなか
に神はいますのである。”本当の神”というものは差別を絶した全体であるから、われわれの行いや心
持ちが差別的な境涯を脱したら、その程度に従って神がハッキリとあらわれるのである。そこに本当
の神が生きてくれば、もうわれわれは恐れる必要はない。どんな悪霊が祟ってやろうと思っても、自分
自身がその悟りの怨念の波長を受けるラジオの受信機にならないからもう恐れる必要がない。何かを
恐れるとその何かを受信しやすい精神波動を自分自身のなかに作ることになるから恐れないがよろしい。

 いろいろの霊魂を祀ってもあながち悪いことではない。ただ、それは第二義の信仰であって、本当の
信仰の対象とすべきものではない。こちらのやり方によって、怒ったり、罰をあてたり、復讐したりす
るような個別霊を信仰の対象にしていると、相手は肉眼で見えない「霊魂」のことであり、こちらから
こうして祀っているのが気に入っているのか気に入っていないのかわからぬから、常に仏罰又は神罰を
受けるかと思って戦々恐々としていなければならなぬ。それでは信仰というものが心の平和の礎とはな
らないで、却って心の不安の原因になってしまうのである。”本当の神”を信仰すれば恐怖がない。その
境涯を仏教では無畏の境涯と称している。”本当の神”は自己の内に宿る”神の愛”であるから、それは
一切のものを拝み、一切のものと和解することになるから天下無敵となるのである。

 この事をキリスト教の聖書には、「完き愛には恐怖なし」と示されている。

 「人生を支配する先祖供養』 谷口雅春先生著、51〜52Pより謹写

3750 a hope:2014/02/25(火) 22:15:50 ID:cEpBaIdo
トキさま みなさま こんばんは。

web誌友会も、わたしとトキさまで盛り上がっている感じのような気もしますが、
きっと、他のたくさんの方も閲覧はしてくださっているのではないかと感じています。

ところで、わたしは明日から事情があって1週間ほどパソコンが使えないのです。
スマホから閲覧はできますが、書き込みする量は限られてしまいます。

今は、web誌友会に時々参加してくださる志恩さまも、温泉旅行に行かれているようですが、
閲覧されているみなさま、どうぞ、わたしたちの書き込みがなくてもご自由にご参加くださいね。

トキさまがどこかでおっしゃっていましたが、本当に、聖典の一部を謹写して、
ちょっと感想を述べるだけでもすごくお勉強になります。

聖典「生命の實相」の波動はものすごくいいので、ホント読んでるだけで波動が良くなりますが、
さらに、このような公の掲示板に謹写することで、それを閲覧する方々の波動も良くすることになりますから、
素晴らしい愛行にもなるのだと思います。

ところで、早々ですが、お休みに入る前に来月のweb誌友会の予告をさせていただきます。

でも、2月いっぱいは、霊界篇のお勉強を続けてくださいね!
(つづく)

3751 a hope:2014/02/25(火) 22:17:30 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第23回 web誌友会

期間  3月1日〜3月31日まで
テキスト 「生命の實相」第11巻 萬教帰一篇上

☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「はしがき」にもありますが、萬教帰一篇は『生命の實相』のなかでも圧巻といわれる部分なのだそうです。
わたしは、最初に拝読した時にはよく意味が通じませんでしたが、2度目にはだいぶ意味が解るようになっていました。

このトキ掲示板で20回以上も、毎回休むことなくweb誌友会に参加してお勉強してきましたからね。
そして、復興Gさまという素晴らしい指導者の先生が毎回丁寧にご指導をしてくださったおかげで、
わたしは、「生長の家」の教えがだいぶ身についてきたのではないかと感じています。

ですが、真理を知ったと思って増上慢になってしまうのが一番の「魂の生長」を遅らす原因になることだと感じているので、
このトキ掲示板でトキさまはじめ、復興Gさま、志恩さま、その他大勢の大先輩に見守られながらお勉強させていただきます。、
そして、これからも感じたことを素直に発言をさせていただきたいと思っています。

どうか、みなさま、わたし a hopeの発言が少しでも「おかしい、真理から外れている」と思われたら容赦なくご指導くださいね。

わたしの『ただひとつの希望』(a hope)は、みんなで一緒に「生命の實相」の真理を悟って、
「生長の家」に再び燈を灯すことなのですから・・・。

真理のお勉強をするのに、焦る必要なんてまったくないのだと思います。
真理を知ろうとする向上心さえあれば、神さまはわたしたちを決して見捨てはしませんからね!

それでは、みなさま、少しの間ですが、さようなら。

3752トキ:2014/02/26(水) 19:43:40 ID:6n.to5HU
a hope 様、司会ありがとうございます。

 これは聖典とは関係ないのですが、ネット時代になると「教師が教える」時代から
「みんなが学ぶ時代」になったと思います。

 もう15年程前ですが、教化部で古い信徒さんとお話をしていたら、その人が、

 「谷口雅春先生が亡くなり、谷口清超先生に法灯継承をされたので、それは幸い
な事でした。しかし、もう谷口雅春先生は人間界にはおられないのですから、信徒
が主体的にしっかりとした信仰を持つ必要があると思います。」

と言われていました。思いだすと、谷口雅春先生は優れた弟子を多数育てられまし
たが、信徒は優れた指導者がいる事に安心してしまい、自ら主体的に学び、行を
行う姿勢にかけていたかもしれません。

 今の教団では、おかしな指導がなされているのは事実です。しかし、生前、谷口雅春先生
は多数のご著書を遺されています。自ら、学び、行をするのなら、きっと道は開けると
思います。

 共に谷口雅春先生の教えを学びましょう。

3753 a hope:2014/03/08(土) 17:57:12 ID:cEpBaIdo

第11巻 萬教帰一篇 「はしがき」 より抜粋 p1 5行目〜

今まで仏教とキリスト教は教えの立て方が異なるので、全然教義の上で和解されないものだとされていたのが、現象と実相とをハッキリ区別する本書のとき方で完全に一致し和解することができるようになったのである。

それは『創世記』の天地創造の章に「神その創造(つく)りたるすべてのものを観給(みたま)いけるにはなはだ善かりき」と書かれているいっさい皆善(かいぜん)の実在界は、『法華経』の「自我偈(じがげ)」に「衆生劫尽(しゅじょうこうつ)きて、この世(唯神所現の現象界)の焼くると見る時も、わが浄土(実在界)は安穏にして天人常に充満せり」と書かれている場合の実在界なのである。

神は実在界の創造者であり、現象界は「衆生の見る世界」すなわち唯心所現の世界である。だからキリスト教や新道の宇宙創造と、仏教の無明縁起説とは、決して衝突するものではないのである。

キリスト教のサタンは結局、仏教における「無明(まよい)」の人格的表現にすぎない。「無明」によって創造(縁起)されたる現象世界だけを観て、天国を説き、浄土を説こうとするから、天国は地上に出現しないのである。

イエスが「サタンよ去れ!」といったのは、なんじの「無明」の心の帳(とばり)を除け!
そこに浄土実現し天国現前せることを見いだすであろう、という意味である。まことに悟りをひらいて今ここにこの金剛の浄土を見いだすときは、衆生の阿鼻叫喚(あびきょうかん)の中にいるといえども、その苦悩から現実に逃れるのである。

3754 a hope:2014/03/08(土) 17:59:46 ID:cEpBaIdo
>>3753 a hope所感)

みなさま、こばんは。

生長の家の教えは万教帰一の教えですから、いわゆる生長の家でいう「実相世界」や「現象世界」、
そして「迷い」のことを、それぞれの宗教で使う言葉に置き換えて表現していることが多々あります。
最初はとても混乱しましたが、やっと自分なりに整理が出来るようになってきました。

特にこの万教帰一篇の「はしがき」のこの部分は、とても重要なことが書かれていると思うのですが、
生長の家の「実相世界」や「現象世界」そして「迷い」については知っていても、
キリスト教や仏教に何の知識のない人が読んだら、とても混乱するのではないのでしょうか。
(以前のわたしがそうでした。)
今でも、時々混乱するので、自分なりにまとめてみます。

〈実相世界の表現〉
 実在界  天国(キリスト教) 浄土(仏教) 神の創り給し世界 ・・・

〈現象世界の表現〉
この世 衆生の見る世界 唯心所現の世界 影の世界 ・・・

〈迷いの表現〉
サタン(キリスト教) 無明(仏教) 妄想 闇 虚妄 ・・・

トキさま みなさま 間違いがあれば、ご指摘、ご指導をどうぞよろしくお願いいたします。

3755ユタカ:2014/03/08(土) 21:34:40 ID:N20ePDNw
住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
  生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
  吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
  吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
  天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
  住吉大神様、本日の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
  今夜の生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
  住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
  今夜の参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
  有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

復興Gさまが、この誌友会は神様に導かれて行っていく会と仰いましたので
初めと、最後にはお祈りを入れていきましょう。

3756ユタカ:2014/03/08(土) 21:40:41 ID:N20ePDNw
これは聖典とは関係ないのですが、ネット時代になると「教師が教える」時代から
「みんなが学ぶ時代」になったと思います。

今学校では上記の理由に教師が子供を放置している困った状況になっています。
小さい頃は、やはり教え導かないと自分勝手にてんでバラバラ状態で良くありません。

それと同時に、やはり教団の新入の方には、実相額を礼拝して、国旗と聖旗には敬礼を教えるべきと思います。

3757ユタカ:2014/03/08(土) 21:51:13 ID:N20ePDNw
a hopeさま
20回以上も続けてきて下さって本当に有難うございます。 復興Gさまはいつも素晴らしかった。でも、いまだに復興Gさまの投稿を全部は読めていないので、これから時間があったときは過去に戻って熟読したいと思っています。

ですが、復興Gさまったら、ご自分の結婚の体験を投稿されると言いながらなかなか出て来られませんね。ご自分の仕事が一段落したらまた出てきて欲しいですね。

みなさま、ユタカは非常に心境が低いです。なぜなら、ご本を読んで人を裁いてしまうのです。たとえば、いま、11巻の端書を読んで・・・
>キリスト教のサタンは結局、仏教における「無明(まよい)」の人格的表現にすぎない。「無明」によって創造(縁起)されたる現象世界だけを観て、天国を説き、浄土を説こうとするから、天国は地上に出現しないのである。

これって、、マサノブ総裁のことだ!! とかね・・・・
なんか、最近は聖典を読むのがつらい。。。。 まぁいいか、気にしないで、進むしかないか・・・・

3758 a hope:2014/03/08(土) 22:36:40 ID:cEpBaIdo
いつも、たのもしいユタカさま!

開会の祈りの言葉と、web誌友会のご参加ありがとうございます!!
そうですね、たとえ1か月間という長い期間のweb誌友会であっても、開会と閉会の「祈りの言葉」があった方がいいですね。

これからも、いろいろご指導、ご参加をどうぞよろしくお願いいたします。

3759 a hope:2014/03/08(土) 23:15:52 ID:cEpBaIdo

>>3757 ユタカさま

<<最近は聖典を読むのがつらい。。。。 >>

わたしも以前、同じような状態になった時があります。

魂が震えて止まらないほど感動した「生命の實相」が読めなくなった時期があるのです。

今思えば、原因はわたし自身にありました。
わたしが「教え」を盲信し、虚説を受け入れてしまったからだと思います。

ですが今は「教え」の何が虚説で何が真説か、自分自身で判断がつくようになってきました。

だから自分と家族の幸せのために虚説は断固として受け入れません!

そしてこのweb誌友会では「生命の實相」(真説)だけを学んでいきたいと思っています。

だって、それだけ学んでいれば必ず幸せになれるんですから・・・ヽ(*^^*)ノ

3760トキ:2014/03/08(土) 23:28:56 ID:PAFHPTEo
「本の良い処を考えて吸収しましょう」

 ただ読みっぱなしでは、それの中にある知識は、本を書いた人のものにすぎません。
それをよく心でかみくだいて自分のものとした時にのみ、それが働く智慧になるので
あります。むやみにたくさん読んだからとて力にならないのは、むやみにたくさんた
べたからとて、人間の肉にならないのと同じであります。考えながら、うなずきなが
ら、心の中へのみこむようにしながら読むことが大切であります。本に読まれてはな
らないのです。本は読まなければなりません。読む分量ばかりが多くて、読んだこと
について深く自分で考えてみない者は、本に読まれたのであって、本を読んだのでは
ないのであります。

 「ことごとく書を信ずれば書なきにしかず」

という諺もあります。本い読まれてしまっては、自分の力がつきません。自分で本の
善いことこを吸い取るだけの力がなくてはなりません。

新版 真理 第3巻 谷口雅春先生著、 p168より謹写

*皆様、聖典を心を込めて読みましょう。

3761a hope:2014/03/10(月) 13:06:24 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第23回 web誌友会

期間  3月1日〜3月31日まで
テキスト 「生命の實相」第11巻 萬教帰一篇上

☆ ☆ ☆ ☆ ☆



みなさま こんにちは

>>3760にトキさまが、本の読み方についての雅春先生の御文章を紹介してくださいましたが、
わたしは 真理第3巻は未読ですが、「生命の實相」の中にも似たようなことが書かれていたような記憶があります。

『・・・読む分量ばかりが多くて、読んだことについて深く自分で考えてみない者は、
本に読まれたのであって、本を読んだのではないのであります。
・・・自分で本の善いことこを吸い取るだけの力がなくてはなりません。』

ここは、本当に大切だと思いました。

というのは、今回のテキスト第11巻のはしがきには、有名な「戦犯容疑で死刑囚となった遠藤義雄氏」の体験談が紹介されていますが、
遠藤氏は、監房の格子戸から投げ入れられた、「生命の實相」の「萬教帰一篇」(今回のテキスト)と、筆写された「甘露の法雨」のみを読んで悟りを得られたのです。

神想観も、「詳説神想観」を読んだわけでも「観行篇」を読んだわけでもなく、「萬教帰一篇」の中の御文章からご自分で想像されて、
工夫されてしていらっしゃったようです。

真理を求める強い心があれば、たくさんの種類の書物を読むは必要はないのですね!


※「戦犯容疑で死刑囚となった遠藤義雄氏」の体験談は、聖典引用板に謹写させていただきました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2774n-

3762トキ:2014/03/11(火) 20:14:29 ID:z0wnFjFc
 神は無量光、無辺光であり、無辺であるから際限がない、際限がないから形がな
い。際限のないものは見る事ができない。神示によりますと、われわれの眼に見る
太陽は本当の太陽ではない。本当の太陽というものは無量光、無辺光なる法身の日
之大神、毘盧遮那仏であって、いっさいの所に充ち満ちていられる。しかしそれで
はわれわれの五官では見えないから、われわれは五官のレンズや六感のレンズを
とおして無限を有限に屈折して見る。こうして五官や六感のレンズを通して無限を
有限に凝縮して見たのが、五官や六感でわれわれの見る太陽であります。しかし
本当の神様は無形であり、ただ光明無限であります。それがいろいろの化神となり
化仏となって人格的にお顕われになっている、この人格的にお顕になっている神様
を盧遮那仏とか生長の家の神とか阿弥陀仏とかいうのであります。

生命の実相第11巻 164p より謹写

3763a hope:2014/03/11(火) 21:27:56 ID:cEpBaIdo

生命の實相 第11巻 p8 後ろから4行目

・・・ここにぜひとも注意しなければならないのは「無」と「有(う)」との対立、「仮相」と「実在」との対立、
「暗(やみ)」と「光」との対立、「死」と「生命」との対立、無明と知恵との対立は本当の対立ではなく、
これを対立と考えるのは人間の「思考の形式」の誤りであるということであります。

「無」と「有」と対立するといいましても、一方は無いのでありますから、対立のしようがないわけで、
本当は「有」の独在――「有」の絶対的存在――であります。
それと同じように「暗黒(やみ)」も「死」も「無明」も、光が無い、生命が無い、自覚(さとり)が無いというふうに
〝nothingness〝 の別名にすぎないのでありますから、この世に在りとしあらゆるものは、
すべて「光明」であり、「生命」であり、「知恵」であるのであって、その反対のものは、
どんなにあるように見えても本当は〝nothingness〝(絶無)なのであります。

だから「無」の中に「有」を肯定するのはなんでもない。
それは「1人角力(ずもう)」をすれば必ず勝つというのと同じで、神が、ただ「光あれ」といい給うだけで、
「光」はすでに「暗(やみ)」を征服したのであります。

3764a hope:2014/03/11(火) 21:38:28 ID:cEpBaIdo

>>3763 a hopeまとめ)

<<「暗黒(やみ)」も「死」も「無明」も、光が無い、生命が無い、自覚(さとり)が無いというふうに
?nothingness? の別名にすぎないのでありますから、この世に在りとしあらゆるものは、
すべて「光明」であり、「生命」であり、「知恵」であるのであって、その反対のものは、
どんなにあるように見えても本当は?nothingness?(絶無)なのであります。>>


「暗黒(やみ)」= 光が無い

「死」= 生命が無い

「無明」= 自覚(さとり)が無い


※実在するものは だた、「光明」「生命」「知恵」のみで、その反対のものは無い?nothingness?(絶無)

3765a hope:2014/03/11(火) 22:20:26 ID:cEpBaIdo
>>3764 訂正 
?nothingness? → 〝nothingness〝

3766トキ:2014/03/12(水) 23:07:43 ID:0zqgiqZo
 懺悔というものは誤っていた旧我の否定でありまして、自分が本当に神から出て
来た神の子であるという自覚がなければ成立しないのであります。今までの自分-
旧我というものが悪いと思って捨てるためにはどうしてそれが悪いのであるか、
それを知るための標準というものが、心の中に確立しなければならないでしょう。

生命の実相 第11巻 134pより謹写

*「世界標準」という言葉はありますが、同時に、その国の個性を殺すものであ
 る、という批判があります。それは、自分の考えでは、外観を標準にするから
 差し障りがあると思います。

  やはり、内心の良心、さらに言えば、内在の神様が、標準であることがとて
 も大事だと思います。

3767a hope:2014/03/13(木) 00:32:38 ID:cEpBaIdo

生命の實相 第11巻 p9 9行目〜

○ 神、光を善しと観たまえり。神、光と暗(やみ)とを分ちたまえり。神、光を昼と名づけ、暗(やみ)を夜と名づけ給えり。夕(ゆうべ)あり、朝(あした)ありき。是れ首(はじめ)の日なり。(『創世記』第一章―四〜五)

大きくこれを観れば神の「宇宙創造」、小さくこれを観れば、人の「人生」はいずれも、「暗(やみ)」を征服して進む「光」の行程(こうてい)であり、「死」を征服して進む「生命」の歴史であります。「生命」の進むところ必ず「光」があり、「光」の進むところ必ず
「生命」があり、生命とは神から放射された「光」にほかならない。そして神は善であるから、「生命」のあるところ、「光」あるところ、必ず「善」である。これが「神、光を善しと観たまえり」の真義であります。

太陽の創造はまた『創世記』第一章の後節にありますので、ここに述べられた「光」というのは物質的太陽から放射する「光」ではないのであります。これはむしろ「大生命」すなわち法身の天照大御神の聖光(みひかり)でります。すべての創造は「大生命」すなわち宇宙の唯一根元神から放射されたる霊的観念によって造られる。したがってこれは善なることのほかはできないものであります。悪なる存在があるように見えるならば、それは本当の実在ではない。存在するものらしく見えるものにも、本物と偽せ物とがある。この本物と偽せ物とがあるということを「夕(ゆうべ)あり、朝(あした)ありき」と象徴的に書いてあるのであります。太陽創造以前にある夕(ゆうべ)と朝(あした)、夜と昼とはこういうふうに解釈すべきものだと掲示されています。

○・・・省略・・・(『創世記』第一章―六〜八) 

(前文省略)・・・で、この一節を解釈しますと、この世の中の存在はどれもこれも、実際に存在しているように見えているけれども、本当に存在しているものと本当には存在していない癖にあたかも存在するかのように見せかけている仮相(にせもの)とがあるから、これを区別して、実在を実在とし、仮相を仮相としてハッキリ区別しなければならぬ。

これを区別するには、穹蒼(おおぞら)のように無色透明な霊的理解がなければならぬ。『創世記』のいい方に従うと、水の中に穹蒼(おおぞら)を置いて、空の上の水と、地の水とを分かたねばならぬ。

地の水とは大地に根を下ろした本当の存在である。すなわち神が放射したまうた霊的観念によって造られた存在であって、これは完全で幸福で健康である他はない。

これに反して空の上の水というのは架空の観念的存在であって、神から来た霊的観念によって造られたものではなく、人間の迷いの念が描き出した仮の存在である。いっさいの不完全、不幸、不健康は、この空の水、すなわち架空の存在であるから、よく霊的直観によって、真(しん)の神の創造物と、そうでないものを区別しなければ、時に迷いに捉われてこの世の中にわれとわが心で不完全、不幸、不健康などを作って歎かなければならないことがあるぞ、存在には本物とニセ物とがあるぞ、夕(ゆうべ)もあれば朝(あした)もあるぞ、というのがおの1節の意味であります。

3768a hope:2014/03/13(木) 00:35:53 ID:cEpBaIdo

(a hope まとめ)

【実相世界】 ※「神一元」「善一元」の世界


① 法身の天照大御神 → 「聖光(みひかり)」の放射 → ☆善(唯一の実在)

または

② 宇宙の唯一根元神「大生命」→ 「霊的観念」による創造 → ☆善(唯一の実在)

または

③ 神 → 「霊的観念」の放射 → ☆完全 幸福 健康


☆実相世界には善(完全 幸福 健康)しかない


【現象世界】 ※「本物」と「偽せ物」の二元の世界

① 存在するものらしく見える世界  →☆「本物」 実相世界の現れ 「朝(あした)」「昼」
                  →★「偽せ物」  迷いの産物 「夕(ゆうべ)」「夜」 
または

② この世の中の存在   →☆「実在」
             →★「仮相(にせもの)」

または

③ 水    → ☆「地の水」とは大地に根を下ろした本当の存在(完全、幸福、健康)
      → ★「空の上の水」というのは架空の観念的存在(不完全、不幸、不健康)



☆真(しん)の神の創造物

★迷いの念が描き出した仮の存在

3769a hope:2014/03/13(木) 00:39:09 ID:cEpBaIdo

(a hopeの解釈)

谷口雅春先生は、「病無し、迷無し、罪無し。これが生長の家の根本の真理であります。 それでは神様、ただ今より眠らせていただきます」
と言って、昇天されたそうですが、そのお言葉の内容は、わたしがまとめたところの★印の否定、
つまりは、人間の不完全、不幸、不健康の完全否定であり、それを生長の家の根本真理といわれました。
そして、さらに「神様」と善一元である神様に呼びかけることで、実相世界のみを肯定されお眠りになりました。

ですから、反対に考えれば、いかなる理由があろうとも「実相世界」以外、つまりは現象に現れて見える不完全、不幸、不健康を認めたり、
肯定したりすることは、「生長の家」の根本真理からみれば、「虚説」になるのだと思うのですが・・・。
わたしが、生命の實相を拝読しているかぎり、そう書いてあるとしか思えません。

トキさま、みなさま、以上のわたしの(まとめ)、(解釈)に間違えがあれば、是非ご指導ください。


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